長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-52.唐人行列(改訂決定稿)

 鞍馬山(くらまやま)での三日間の修行は終わった。
 サハチ(琉球中山王世子)とウニタキ(三星大親)、ササとシズは何とか、目隠しでの木の根歩きを成功させた。やはり暗闇のガマ(洞窟)歩きのお陰だろう。高橋殿はあともう少しという所でつまづいてしまい悔しそうだった。わずか三日ではあったが、呼吸法のお陰で、体が軽くなったような気がすると高橋殿は喜んでいた。
「静座と套路(タオルー)(形の稽古)を毎日続けていれば、半年もすれば効果は現れてくる。毎日の日課として続ける事が重要じゃ」とヂャンサンフォン(張三豊)は言って、高橋殿は真剣な顔でうなづいていた。
 鞍馬山から帰ると高橋殿はどこかに出掛けたようだった。高橋殿はいないが、その夜、精進(しょうじん)落としの宴(うたげ)が開かれた。鞍馬山にいた二晩、酒を飲まなかったので、酒が思いのほかうまかった。みんなから聴きたいと言われて、ウニタキが久し振りに三弦(サンシェン)を披露した。ウニタキの歌を聴くと琉球が思い出された。
 何事もなく、みんな元気でやっているだろうか‥‥‥
 豊見(とぅゆみ)グスクの『ハーリー』に参加した思紹(ししょう)(中山王)と王妃は無事だっただろうか‥‥‥
 対御方(たいのおんかた)も平方蓉(ひらかたよう)も奈美も琉球の言葉はわからないが、ウニタキの歌に感動しているようだった。
 ササたちも高橋殿の客殿に移る事になって、一文字屋にいたジクー(慈空)禅師、修理亮(しゅりのすけ)、ンマムイ(兼グスク按司)、イハチ、クサンルー、栄泉坊も移って来て、賑やかになっていた。みおとまりも一文字屋には帰らなかった。
「こんな豪華なお屋敷に泊まれるなんて夢みたい」と言って、二人も高橋殿のお客様になっていた。
 次の日の夕方、高橋殿が中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)を連れて帰って来た。兵庫助はヂャンサンフォンから、慈恩禅師(じおんぜんじ)に武当剣(ウーダンけん)を教えた『韋駄天(いだてん)』の事を詳しく聞いたあと、武術に関する色々な事を質問していた。
 その夜、舞台で増阿弥(ぞうあみ)の田楽(でんがく)が演じられた。増阿弥は奈良の田楽新座の太夫(たゆう)で、将軍様足利義持)が贔屓(ひいき)にしているという。
 将軍様の父親、北山殿(きたやまどの)(足利義満)は田楽よりも猿楽(さるがく)を贔屓にしていた。三十年余り前に観世座(かんぜざ)の観阿弥(かんあみ)と世阿弥(ぜあみ)父子が京都の今熊野神社勧進(かんじん)猿楽を演じた。それを見た北山殿は感激して、観阿弥父子を当時住んでいた三条坊門の御所に呼んで、観世座を庇護した。当時十三歳だった世阿弥は美しく、北山殿に近侍(きんじ)する事となった。
 観阿弥が亡くなると北山殿は近江(おうみ)猿楽の犬王(いぬおう)を贔屓にした。犬王は北山殿の法名である『道義』から『道』の字を賜わって『道阿弥』と号して、北山殿が後小松(ごこまつ)天皇を北山第(きたやまてい)に招待した時も猿楽を披露している。
 田楽は豊作を祈願する『田遊び』から発展したと言われ、猿楽は中国から伝来した『散楽(さんがく)』から発展したと言われている。神前で種蒔きから稲刈りまでを詳細に演じていた『田遊び』が、稲作以外の物語を演じるようになって『田楽』と呼ばれるようになった。一方、『散楽』の中の物真似や滑稽(こっけい)芸が発展して、物語を演じるようになったのが『猿楽』だった。田楽も猿楽も、一座を維持して行くには観客の要望に応えなければならず、この当時は似たような演目になっていた。さらに、『立ち合い』と呼ばれる演技を競う催しも度々行なわれて、田楽と猿楽は技を競い合いながら発展して行った。
 増阿弥の舞台は凄かった。演じたのは『源義経(みなもとのよしつね)』だった。
 義経鞍馬山の天狗から武芸を教わる場面では、天狗を演じた増阿弥は天狗のお面をかぶって、義経を相手に何度も宙を舞っていた。その優雅で気品のある舞は、高橋殿が言っていた『幽玄(ゆうげん)』そのものだと思った。義経武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)と五条の大橋で戦ったあと、奥州(おうしゅう)へと旅立つ場面では、増阿弥が舞台の脇で一節切(ひとよぎり)を吹いていた。
 サハチは初めて、他人が吹いている一節切を聴いて衝撃を受けていた。高橋殿に褒められて、自惚れていた自分が恥ずかしかった。増阿弥の吹く調べは天と地、すべてを包み込んでしまうほどに壮大だった。言葉ではとても言い表せないが、素晴らしいものだった。感性を磨いて、あの境地に行けるように努力しなければならないとサハチは思いながら、増阿弥の一節切を聴いていた。
 皆、真剣な顔付きで舞台で行なわれている物語に見入っていた。誰もが一流の芸に感動していた。
 舞台が終わったあと、増阿弥は挨拶に訪れた。坊主頭で思っていたよりも小柄で、サハチよりも三つか四つ年上に見えた。
琉球からお越しの皆様方に何をお見せしたらいいのか迷っておりましたが、高橋殿から鞍馬山に行かれたと聞いて、義経を演じる事にいたしました。満足していただけましたでしょうか」
「皆、充分すぎるほど満足しています。京都に来て、様々な事に驚きましたが、今日の舞台はその最たるものでしょう。一流の芸が見られて、本当に幸せ者でございます」
「わたしなどまだまだ駆け出しです」と増阿弥は首を振った。
「高橋殿のお父上の道阿弥殿の芸こそ一流と言えるでしょう。道阿弥殿の『天女の舞』は見事です。お亡くなりになってしまわれましたが、観阿弥殿の『翁(おきな)』も神々(こうごう)しくて見事でした。先人たちの芸に負けないように、これからも精進するつもりでおります」
 増阿弥は四半時(しはんとき)(三十分)ほどサハチたちから琉球の事などを聞いて帰って行った。増阿弥がいなくなると、ンマムイと修理亮が、兵庫助から慈恩禅師の事を聞き始めた。
 慈恩禅師は今、信濃(しなの)(長野県)の浪合(なみあい)という所にお寺を建てて、そこの住持(じゅうじ)となって若い者たちを鍛えているという。慈恩禅師の居場所がわかって修理亮は喜び、すぐにでも飛んで行きたいような顔をしていた。
「慈恩禅師に会って、必ず、琉球に連れて来るんだぞ」とンマムイが修理亮に言っていた。
「今宵は楽しかった」と兵庫助は言って、夜更けに帰って行った。
 高橋殿は増阿弥を送って行ったまま帰って来なかった。対御方も平方蓉も奈美もどこに行ったのか、その夜は姿を見せなかった。
 次の日の朝、サハチが宮大工でも探しに行こうかと思っていた時、高橋殿に呼ばれた。お女中の案内で高橋殿の部屋に行くと疲れたような顔をした高橋殿がいた。
「何かあったのですか」とサハチは聞いた。
「面倒な事が起きそうなのです」と高橋殿は言って、力なく笑った。
「もう少し、琉球のお話を聞きたかったのですけれど、ここでお別れしなければなりません」
「どこかにお出掛けになるのですか」
「鎌倉です」
「鎌倉?」
「鎌倉には将軍様の一族の鎌倉御所様(足利満兼)がいらして、関東の地をまとめております。二代目の将軍様足利義詮)の弟(基氏)が鎌倉御所様になられて、代々御所様を継いでおられます。同じ一族でありながら将軍になれない事に不満を持って、度々、反乱を起こしております。今回も不穏な動きがあるのです。事が起きる前に防がなくてはなりません」
「鎌倉は遠いのですか」
「わたしも初めて行くのですけれど、馬で行って十日近く掛かると聞いております」
「十日ですか‥‥‥遠いですね」
「北山殿がお亡くなりになって一年が経ちました。様子を窺っていた南朝の者たちが動き始めたのです。この前、お伊勢参りに行ったのも、南朝の重鎮である北畠殿の動きを探るためでした。北畠殿は将軍様を歓迎してくれました。大丈夫だと安心していたのですが、裏では動いていたようです。鎌倉御所様は南朝の者たちと手を組んで、反乱を起こそうとたくらんでいるようなのです。将軍様はまだ若く、決して安泰とは言えません。北山殿が亡くなるのが十年早すぎました。そして、北山殿はあまりにも偉大過ぎました。偉大な御方の跡を継ぐのは大変な事です。勘解由小路(かでのこうじ)殿(斯波道将)と協力して将軍様をお守りするのが、残されたわたしどもの使命なのです。そのためには琉球との交易は不可欠です。よろしくお願いいたします」
琉球もまだ統一されていません。高橋殿も御存じだと思いますが、中山王(ちゅうさんおう)の他に山南王(さんなんおう)と山北王(さんほくおう)がおります。わたしは琉球を統一するつもりです。そのためには将軍様との交易は是非とも必要なのです。こちらからもよろしくお願いします」
琉球が統一される事を祈っております。わたしは留守にいたしますが、このお屋敷はご自由にお使い下さい。いつの日か、琉球に行ってみたいと思っております。その時はよろしくお願いいたします」
「大歓迎です。きっと高橋殿はわたしの妻、マチルギと意気投合すると思います」
 高橋殿は楽しそうに笑って、「わたしもマチルギ様とは気が合うような気がしておりました。会うのが楽しみですわ」
 高橋殿はサハチをじっと見つめ、軽く頭を下げると部屋から出て行った。
 高橋殿が鎌倉に旅立った日、ササ、シンシン(杏杏)、シズの三人が将軍様の屋敷に招待された。ササたちは勿論の事、皆が驚いた。ササたちは迎えに来たサムレーたちに守られ、お輿(こし)に乗って、将軍様の屋敷に向かった。サハチたちは心配したが、対御方が戻って来て、ササたちは将軍様の奥方様の話し相手に呼ばれたと聞いて一安心した。将軍様と奥方様は仲がよく、前回のお伊勢参りにも一緒に出掛けていた。高橋殿からササの話を聞いて、琉球の話や神様の話を聞きたくなったようだという。
 ササたちが出掛けたあと、サハチたちは陳外郎(ちんういろう)の招待を受けた。サハチ、ウニタキ、ファイチ(懐機)、ヂャンサンフォン、ジクー禅師が陳外郎の屋敷に出掛けた。明国(みんこく)の酒や料理を御馳走になって、陳外郎から明国や朝鮮(チョソン)の使者たちの事を聞いた。
 兵庫にいた明国の使者はようやく入京の許可が下りて、二日後の七月一日に京都に来るという。二百人もの唐人(とうじん)たちの行列はまるでお祭りのように賑やかで、琉球の使者たちもその行列を見習って、京都の人たちを喜ばせてくれと言われた。サハチは行列の事など考えた事もなく、是非とも唐人行列を見なければならないと思った。
 次の日は中条兵庫助の屋敷に招待された。サハチ、ウニタキ、ファイチ、ヂャンサンフォン、ンマムイ、修理亮、それとイハチとクサンルーも連れて行った。
 三人の女子(いなぐ)サムレーはみおとまり、高橋殿のお女中たちに剣術を教えていた。
 ジクー禅師は唐人たちの接待の様子を見るために、陳外郎の屋敷に残った。来年、使者を務めるジクー禅師は必要な書類などを整えなければならず、陳外郎から様々な事を教えてもらわなければならなかった。
 七月一日、唐人たちが京都にやって来た。沿道は見物人たちで溢れていた。唐人たちの行列は音楽を鳴らしながら行進していた。奇妙な笛(チャルメラ)を吹いていた。その笛はどこだか忘れたが、明国で見た事があった。奇妙な笛と様々な形をした太鼓を叩いていた。奇妙な音楽に合わせて行進は進み、馬に乗っているサムレーたち、お輿に乗っている使者とその従者たち、荷物を山に積んだ荷車が続き、武器を持った兵たちが続いた。
 見物人から聞いて、奇妙な笛は『スオナ』と呼ばれている事がわかった。琉球にはスオナはなかった。横笛を使うか。あるいは三弦を使うか。三弦を弾きながら歩くのは難しい。ただの真似ではなく、琉球らしさを出さなくてはならない。キャーキャー騒いでいる女子サムレーたちを眺めながら、サハチは女子サムレーたちに行列に加わってもらおうと思った。見たところ、唐人たちの行列には女はいない。笛と太鼓と女子サムレー、できれば三弦も加えたいとサハチは考えていた。
 ササたちが戻って来たのは唐人行列の二日後だった。
「楽しかったわあ」とササは嬉しそうに言った。
将軍様の奥方様はどんなお人なんだ?」とサハチが聞くと、
「御台所様(みだいどころさま)っていうのよ」とササは言った。
「ミダイドコロ様?」
「シンシンと同い年でね、綺麗な人だったわ。琉球のお話をすると驚くんだけど、その顔がとても可愛いのよ」
「ずっと、琉球の話をしていたのか」
「違うわよ。お寺参りもしたし、和歌のお稽古もしたのよ」
「和歌?」
「三十一文字で作る歌なのよ。高橋殿も言っていたけど、最初に和歌を作ったのがスサノオの神様だったのよ。ねえ、聞いて、あたし、スサノオの神様の歌を覚えたの」
 八雲立つ 出雲(いづも)八重垣(やえがき) 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
 ササは節(ふし)を付けて、そう歌った。
スサノオの神様がそう歌ったのか」と聞くと、それには答えず、
 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
 とササは続けて歌った。
「これはね、小野小町(おののこまち)っていう美女(ちゅらー)が歌った歌なのよ」
 和歌なんか興味なかったが、ササが言うには名だたる武将たちは皆、和歌を詠むのがうまいという。
「武将も和歌を詠むのか」
「御台所様が言うには、勘解由小路殿は名人だって言っていたわ」
 そう言えば、ジクー禅師も勘解由小路殿は文武両道の達人だと言っていた。一流の武将というのは、武芸だけでは駄目なのだなとサハチは思った。
「あとで和歌の事を教えてくれ」と言ったら、
「シズが夢中になっているわ。シズに教わった方がいいわよ」とササは言った。
「それとね、唐人(とーんちゅ)の行列も見たのよ」
「それは俺たちも見た」
「凄かったわね。あたしたちも来年、ああやって京都にやって来るのね」
「お前は来年も来るつもりなのか」
「あら、按司様(あじぬめー)は来ないの?」
「わからん。琉球の状況次第だな」
「大丈夫よ。来年もきっと来られるわ」
 笑っているササを見ながら、ヌルたちも行列に参加させるかとサハチは思っていた。
 サハチが宮大工を探している事を知って、対御方が変わり者だけどと言って、一人紹介してくれた。対御方は鎌倉には行かなかったらしい。時々、高橋殿の屋敷にやって来て、サハチたちの面倒を見てくれた。
 一徹平郎(いってつへいろう)という宮大工は北野天満宮の裏側にある粗末な家で酒を飲んでいた。中途半端に伸びた髪に汚れた鉢巻きをして、無精髭を伸ばして、年齢は五十代の半ばくらいに見えた。
 サハチたちを見ると睨みつけて、「何だ、おめえたちは?」と言った。
「腕のある宮大工だと聞いて来た。お前さんに頼みがある」
「へっ、誰に聞いて来たんだか知らねえが、頼みなんか聞かねえよ。さっとと帰ってくれ」
「お寺を十軒、建てて欲しい」
「お寺を十軒だと?」
 そう言って一徹平郎は笑った。
「馬鹿な事を言っているんじゃねえ。お寺を十軒だと、笑わせるねえ」
琉球に建てて欲しいんだ」
琉球? 聞いた事もねえ。どこなんでえ?」
「南の島だ」
「そんな島にお寺なんか建ててどうするんでえ」
琉球に立派な都を作るんだ。都造りを手伝ってほしい」
「そんな事はわしにゃあ関係ねえ」
 一徹平郎はそう言って、ふて寝をしてしまった。何を言っても返事はなかった。サハチは諦めて、そこを離れ、近所の者たちに一徹平郎の事を聞いた。
 腕のある大工というのは本当だった。しかし、自分の考えを決して曲げる事なく頑固なので、いつも棟梁(とうりょう)と喧嘩しては酒を飲んでいる。家柄がいいらしく、誇りが高く、決して中途半端な仕事はしないという。奥さんと子供もいたが、もう付いて行けないと言って出て行ったらしい。サハチは一徹平郎を琉球に連れて行こうと決め、次の日も一徹平郎を訪ねた。
 一徹平郎は酒を飲んでいなかった。狭い庭にしゃがみ込んで、小さな白い花を見つめていた。サハチの顔を見ても怒鳴る事はなかった。
「以前、高橋殿の屋敷を建ててくれと頼まれた事があった」と一徹平郎は言った。
「俺の噂を聞いていて、俺なら殺しても構わないと思ったのだろう」
「屋敷を建てて殺すとはどういう意味だ?」とサハチは一徹平郎のそばにしゃがみ込んで聞いた。
「あの屋敷はからくり屋敷だ。造るのは面白いが、そのあと消されると思った。わしは酔っ払っている振りをして追い払ってやった」
「からくり屋敷?」
「詳しい事は知らんが、あの屋敷を建てた者たちは皆、殺された」
「まさか!」
「本当だ。北山殿は恐ろしい奴だ。人の命など屁とも思わん」
「あの屋敷は北山殿が建てたのか」
「そうだ。高橋殿が裏の仕事で使うためだ」
「裏の仕事とは?」
 一徹平郎はサハチを見て笑っただけで答えなかった。
琉球とはどんな所だ?」
「自分で言うのもおかしいが綺麗な所だよ」
「お前は何者だ?」
琉球中山王の跡継ぎだ」
「ほう。琉球の王様の倅がどうして京都にいる?」
「来年、琉球は使者を送る。その下見に来たんだ」
「高橋殿の屋敷に琉球から来た者たちが滞在しているというのは噂で聞いた。まさか、王様の倅が来ていたとはのう。高橋殿の屋敷にいるという事は将軍とも話を付けたのだな」
 サハチはうなづいた。
 一徹平郎は突然、笑い出した。
「お前がここに来たのは、高橋殿から聞いたのだな」
「高橋殿ではないが、対御方の紹介だ」
「どっちにしろ、高橋殿は俺を琉球に送りたいようだ」
「来てくれるか」
「高橋殿に睨まれたら、わしはここでは生きてはおれん。行くしかあるまい」
 サハチはお礼を言った。
「唐破風(からはふ)はできるか」
「唐破風はできるが、お寺には必要あるまい」
琉球王の御殿に付けたいのだ」
「御殿か。見てみないとわからんが大丈夫じゃろう。お寺じゃが、わしの思い通りに造ってもいいんじゃな」
「勿論だ。すべて、任せる」
「よし、琉球に行こう」
 一徹平郎は楽しそうに笑った。
 ジクー禅師が戻って来たのは七月八日だった。明国の使者が入京してから将軍様に謁見(えっけん)するまでの流れをすべて見てきたと言った。琉球の使者に対してもほぼ同じ行程だろうという。使者たちの宿舎になったのは将軍様の御所の近くにある等持寺(とうじじ)で、使者たちは猪(いのしし)によく似た動物(豚)を何頭も連れて来ている。日本にはいないので、わざわざ食用に持って来たようだった。
 琉球では豚はウヮーと呼ばれていた。五年前に冊封使(さっぷーし)が来た時、やはり何頭もの豚を連れて来ていて、今では久米村(くみむら)で何頭か飼われていた。明国の料理に豚肉は必需品で、様々な料理に使われていた。
「来年は正使をお願いします」とサハチは改めてジクー禅師に頼んだ。
「任せてくれ」とジクー禅師は力強くうなづいた。
「それと、腕のいい宮大工とは言えんが、龍(りゅう)ばかり彫っている変わり者の大工を等持寺で見つけた。龍を彫らせてくれるなら琉球に行ってもいいと言っている。どうする、連れて行くか」
「龍ばかり彫っている奴ですか」とサハチは考えた。
 龍は思紹も彫っているし、ヒューガも彫っている。特に必要でもないが、何かの役に立つだろう。
「連れて行きましょう」とサハチは言った。
 次の日、ジクー禅師は新助という三十代の大工を連れて来た。なかなかいい面構えをしていた。一徹平郎に似た頑固者のようだ。
「頼むぞ」とサハチは言って、新助を歓迎した。
 一徹平郎も旅支度をしてやって来た。旅支度と言っても大工道具を入れた箱と酒の入った瓢箪(ひょうたん)を持っているだけだったが、頭を綺麗に剃って、無精髭も剃り、一目見ただけでは誰だかわからなかった。
 翌日、サハチたちは京都をあとにした。すでに、お世話になった高橋殿、将軍様、勘解由小路殿、中条兵庫助、陳外郎にはお礼の品々を贈っていた。
 飯篠(いいざさ)修理亮は慈恩禅師を探すために信濃に行くというので京都で別れる事になった。
「必ず連れて来てくれよ」とンマムイが言った。
「待っているぞ。元気でな」とサハチは言った。
「体に気をつけるのよ」とササは言った。
琉球に帰って来てね」とシズは言った。
 シンシンは明国の言葉で何かを言った。修理亮は意味がわかったのか笑っていた。
 女子サムレーたちも修理亮との別れを惜しんでいた。
 お世話になった対御方、一文字屋次郎左衛門とまりにお礼を言って、鎌倉にいる高橋殿の無事を祈って、一か月近く滞在した京都に別れを告げた。

 

 

 

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2-51.鞍馬山(改訂決定稿)

 『七重の塔』で将軍様足利義持)に会った、その夜、ヂャンサンフォン(張三豊)が高橋殿の屋敷に呼ばれた。中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)の娘の奈美も加わって宴(うたげ)が開かれた。
 また夜明けまで飲むつもりかと、サハチ(琉球中山王世子)はウニタキ(三星大親)とファイチ(懐機)と顔を見合わせた。二人とも参ったなあという顔をした。酒も料理もうまいが、こんな事が毎晩続いたら体が参ってしまう。早々と退散した方がよさそうだと思うものの、サハチは高橋殿の魅力には勝てず、もうどうにでもなれと半ば開き直っていた。
 奈美は幼い頃より父親から武術を習い、一度は嫁に行ったものの相手は戦死してしまい、高橋殿のもとで働いていた。去年、博多にいて、マチルギたちを見たのは奈美で、高橋殿に知らせると対馬(つしま)まで行って、マチルギたちの様子を探っていたという。
「博多に何か用があったのですか」とサハチが聞くと、
「博多の情報をいち早く将軍様に知らせるために、奈美を送ったのですよ」と高橋殿は言った。
「博多だけでなく、各地に高橋殿の配下の者がいるようですね」とウニタキが言うと高橋殿は笑った。
「わたしの推測なんですけど、あなたはサハチ殿のために情報を集めていらっしゃるのではありませんか」と高橋殿が言うとウニタキはニヤッと笑った。
「今夜はヂャンサンフォン殿から武芸のお話をお聞きしようと思いました。幸い、奈美も帰って来ているので、呼んだのです」
 ヂャンサンフォンは高橋殿から質問攻めにされて、様々な事を話していた。平方蓉(ひらかたよう)は高橋殿の質問とヂャンサンフォンの答えを一々、明国(みんこく)の言葉に訳してファイチに教えていた。お酒をつぎ合いながら、ファイチに説明している蓉と、それにうなづいているファイチは仲のいい夫婦に見えた。
 ヂャンサンフォンが武当山(ウーダンシャン)の話をしていると、
「京都にも武芸の盛んな山がありますよ」と高橋殿が言った。
鞍馬山(くらまやま)という修験(しゅげん)の山です。古くから武芸が盛んで、源義経(みなもとのよしつね)が鞍馬山の天狗から武芸を習ったと伝えられております」
 鞍馬山というのは修理亮(しゅりのすけ)から聞いていた。慈恩禅師(じおんぜんじ)が鞍馬山で修行を積んだと聞いて、修理亮も鞍馬山に籠もって修行に励んだと言っていた。そんな山が近くにあるのなら行ってみたいとサハチは思った。
鞍馬山‥‥‥聞いた事あるのう」とヂャンサンフォンが言った。
「山伏たちが大勢いて、武芸の修行に励んでおります。義経の師匠と言われる鬼一法眼(おにいちほうげん)が弟子たちに伝えた武芸は『京流』と呼ばれて、今に伝わっております。お蓉の中条家にも代々伝わっていて、お蓉の父上は京流と慈恩禅師殿の『念流(ねんりゅう)』を合わせて『中条流平法(ちゅうじょうりゅうへいほう)』を編み出しました」
「慈恩禅師殿の武芸は『念流』と呼ばれているのですか」とサハチは高橋殿に聞いた。
「慈恩禅師殿は念大和尚(ねんだいおしょう)様とも呼ばれていて、念流と名付けたようです」
義経というのは武芸者なのですか」とウニタキが聞いた。
「源氏の大将だった人で、鎌倉の源頼朝(みなもとのよりとも)の弟だよ」とサハチはウニタキに教えた。
 祖父から聞いたのかソウゲン(宗玄)から聞いたのか忘れたが、サハチは義経の話は知っていた。
「昔の人なのか」
「平家を壇ノ浦で滅ぼしたのだから昔の人だ」
「思い出したぞ」とヂャンサンフォンが言った。
「わしの弟子が鞍馬山で、若い者に武当剣(ウーダンけん)を教えたと言っておったんじゃ。面白い小僧だったと言っておった。武当山が白蓮教(びゃくれんきょう)の奴らに破壊されたあと、奴は海賊船に乗って日本に行った。博多から京都まで行って、武芸の盛んな鞍馬山にしばらく滞在していたと言っておった」
「それはいつ頃の事ですか」と高橋殿が聞いた。
「明国が建国される前じゃから四十年くらい前かのう」
「慈恩禅師殿は鞍馬山で、言葉の通じない異人から剣術の極意を教わったと父上が言っていたわ。もしかしたら、その人はヂャンサンフォン殿のお弟子さんじゃないかしら」
 奈美はそう言ったが、「まさか?」とサハチたちには信じられなかった。
「そのお弟子さんのお名前を覚えておりますか」と高橋殿がヂャンサンフォンに聞いた。
「名前は忘れたが、足が速い奴で、飛馬(フェイマー)と呼ばれておったのう」
「フェイマーですね。鞍馬山に伝説として残っているかもしれません。明日、行ってみましょう」
 高橋殿がそう言うと、対御方(たいのおんかた)が嬉しそうな顔をして、「久し振りだわね。鞍馬山に行くのは」と言った。
「北山殿(足利義満)と一緒に行ったのはもう四、五年も前になるわ。北山殿は若紫(わかむらさき)を探すって張り切っていたわね。帰りには貴船神社にも寄りましょ。あそこは涼しくていいわ」
「若紫って何だ?」とウニタキが対御方に聞いた。
鞍馬山は『源氏の物語』の舞台になっていて、光源氏(ひかるげんじ)がまだ幼い紫の上と出会うのですよ」
 対御方はそう説明したが、ウニタキにもサハチにも何の事やらさっぱりわからなかった。
 高橋殿の一言で、明日、鞍馬山に行く事に決まり、その夜は深酒はせずに、お開きとなった。
 サハチたちは客殿に帰って休んだ。
 次の日、朝早くから馬に乗って鞍馬山へと向かった。高橋殿たちは皆、男装をして馬に跨がり、太刀まで佩(は)いていた。従者はいなかった。高橋殿ほどの身分の高いお方が従者も連れずに出掛けるのはおかしいと思ったが、陰ながら高橋殿を守っている配下の者がいるに違いないと思った。
 一時(いっとき)(約二時間)ばかりで鞍馬山に着いて、門前にある宿坊(しゅくぼう)に馬を預けて山に登った。
 大きな山門をくぐって中に入ると僧坊がいくつも並んでいて、大勢の山伏がいた。クマヌ(中グスク按司)と同じ格好をした山伏がこんなにもいるなんて信じられない事だった。そう言えば、マウシの師匠でもあり、山田按司の師匠でもある山伏はクラマという名前だった。この山の山伏に違いない。
 光源氏が都に帰る時に別れの宴を張ったという小さな滝があり、その先に火の神様を祀る『靫明神(ゆきみょうじん)』という古い神社があった。高橋殿に従って靫明神にお祈りをした。神社の裏には御神木(ごしんぼく)と言われる大きな杉の木が天に向かって伸びていた。その太い木を見て、サハチは七重の塔の柱を思い出した。こんな木を使って、あの塔を建てたに違いない。しかし、どうやって、こんなにも太い木を運んだのだろう。
 靫明神を離れて、曲がりくねった山道を登った。所々に僧坊があって、山伏たちが出入りしていた。やがて、僧坊もなくなって細い山道が続いた。樹木が生い茂っているので日陰になり、涼しくて気持ちがよかった。そして、神々(こうごう)しい霊気のようなものも感じられた。
 また僧坊が建ち並ぶ一画に出て、その先に鞍馬寺の本堂があった。下の山門の辺りよりもこちらの方がずっと賑やかで、山伏の数も多く、参拝に来ている女たちの姿もあった。鞍馬寺の本尊は『毘沙門天(びしゃもんてん)』だという。毘沙門天は山田按司が祀っていた。ここの山伏だったクラマが山田グスクに祀ったに違いなかった。
 本堂を参拝して、高橋殿の知っている宿坊に入って昼食を御馳走になった。宿坊の老僧に四十年前の事を聞くと、唐人(とうじん)の道士がこの山で修行していたのを覚えていた。
「とにかく足の速いお人で、お山の中を走り回っておりました。いつしか、『韋駄天(いだてん)』と呼ばれるようになりました」
「まさしく、そいつはフェイマーに違いない」とヂャンサンフォンが楽しそうに笑った。
「『韋駄天』殿のお弟子になった若い僧がおりませんでしたか」と奈美が聞いた。
 老僧は笑って、「慈恩禅師殿の事でございましょう」と言った。
「慈恩禅師殿を御存じなのでございますか」
「よく存じております。旅を続けておられる禅師殿で、京にいらした時は必ず寄って下さいます。最近はお見えになりません。五年ほど前にいらした時に、関東に行くと申しておりました。北の方を旅しているのかもしれません」
 老僧の話では、慈恩禅師は若い頃は時衆(じしゅう)の僧で『念阿弥(ねんあみ)』と名乗っていたらしい。
 幼い頃に父親が殺されて、七歳の時に時衆の僧になり、師の上人(しょうにん)に従い旅の暮らしを続けた。旅をしながらも、常に父親の敵(かたき)を討つという気持ちがあって、自己流で剣術の修行を積んでいた。十六歳の時、師の上人が旅の途中で亡くなってしまい、一人になった念阿弥は武術が盛んな鞍馬山にやって来た。そこで出会ったのが『韋駄天』だった。
 念阿弥は韋駄天に武術を教えてくれと頼んだが断られる。断られても諦めずに、韋駄天のあとを追い続けた。やがて、韋駄天も根負けして、念阿弥に武当剣を教える。一年近く、念阿弥は韋駄天と一緒に鞍馬山で修行していた。ある日、韋駄天は突然いなくなってしまい、念阿弥も山を下りて行った。
 その後、鎌倉に行った念阿弥は寿福寺(じゅふくじ)の禅僧から剣術の指導を受け、さらに九州に行き、太宰府(だざいふ)の安楽寺で剣の極意を悟ったという。還俗(げんぞく)した念阿弥は故郷に戻って、見事に父親の敵を討った。
 念願を果たした念阿弥は鎌倉に行き、再び出家して、禅僧となり慈恩と号した。禅僧として数年間、鎌倉で修行を積んだのち、旅に出て各地を歩き、見込みのある若者に出会えば、剣術の指導に当たっていた。
「不思議な縁ですね」とサハチはヂャンサンフォンに言った。
「慈恩禅師殿が、師匠のお弟子から武当剣を教わり、慈恩禅師殿の弟子のヒューガ(三好日向)殿が師匠から武当拳を教わっている」
「フェイマーを追いかけ回したという慈恩禅師に会ってみたいものじゃな」
 サハチも会ってみたかった。
 宿坊を出て、さらに奥の方に向かった。細い山道を行くと山頂と思える辺りに小さな祠(ほこら)があって、そこから道は下りとなった。この辺りまで来ると道行く山伏たちの姿もなくなり、静かな山奥という感じがしてきた。
 突然、目の前に奇妙な物が見えてきた。太い木の根が道の上を蛇のようにいくつも伸びて、絡み合っていた。
「何だ、これは?」と木の根を跨がりながらウニタキが聞いた。
「木の根道と呼ばれております」と対御方が答えた。
「土が硬くて、木の根が土の中に潜れないのでございます。昔、源義経がここで修行を積んだと伝えられております」
「確かにいい修行になるな」とウニタキは言って、木の根をよけるように飛び跳ねながら先に進んで行った。
 ウニタキの滑稽な仕草を見ながら、皆が笑った。
 木の根道はしばらく続いた。奇妙な場所があるものだとサハチはくねくねした根を見ながら歩いていた。
 少し広い場所に出た。不動堂があって、ここが慈恩禅師が修行した『僧正ヶ谷(そうじょうがたに)』だった。
「絶好の修行場じゃな」とヂャンサンフォンが空を見上げながら言った。
 生い茂った木の葉の間から日の光が差していた。
「『気』が充満しておる」
 ヂャンサンフォンの言葉を聞いて、サハチは深呼吸した。それを見てヂャンサンフォンは笑った。
「ヂャンサンフォン殿、あなたのお弟子さんが慈恩禅師殿に教えたという武当剣とはどのようなものなのでしょうか」と高橋殿が聞いた。
「多分、体を自由に動かす基本を習ったのじゃろう。それさえ身に付ければ、あとは努力次第で極意(ごくい)は見つかる。剣術だけでなく、すべての事に言える事じゃが、極意というものは教える事はできんのじゃよ。自分で見つけるしかないんじゃ」
 高橋殿は黙ってヂャンサンフォンが言った事を噛みしめているようだった。
 突然、賑やかな話し声が聞こえてきた。声の方を見ると娘たちの一団のようだが、格好が奇妙だった。
按司様(あじぬめー)!」と誰かが叫んで駆け寄って来た。
 ササだった。一緒にいるのはシンシン(杏杏)、シズ、女子(いなぐ)サムレー三人に、まりとみおもいた。皆、女子サムレーの格好をしていて、見慣れているはずなのだが、まさか、こんな所で出会うとは思ってもいなかったので奇妙な格好に思えたようだった。
「どうして、ここに来たんだ?」とサハチはササに聞いた。
按司様こそ、どうして、ここにいるのよ。びっくりするじゃない」
「ここは慈恩禅師殿が修行をした場所なんだ」とサハチが言うと、
「あら、そうだったの。あたしたちはスサノオの神様に会いに来たのよ」と言った。
スサノオの神様がここにいるのか」
「このお山もスサノオの神様を祀ったお山なのよ。お隣にある貴船神社スサノオの神様だわ」
「誰なの?」と高橋殿がサハチに聞いた。
 サハチは高橋殿に皆を紹介した。
「ササさん、シズさん、シンシンさん、三人は去年も博多にいらしたわね」と高橋殿は言って笑った。
 ヂャンサンフォンはシンシンを相手に武当拳の模範試合をした。シンシンの身軽な動きを見た高橋殿は驚いた。手の指先から足の先まで、無駄な動きがまったくなかった。まるで華麗な舞を見ているようだった。この動きは自分の舞に取り入れられると思った高橋殿は迷わず、ヂャンサンフォンに指導をお願いした。
 ヂャンサンフォンは真剣な高橋殿の顔付きをじっと見つめてから、笑ってうなづいた。
「あたしたちも一緒にいていいかしら?」とササが高橋殿に聞くと、
「勿論ですよ。一緒にお稽古に励みましょう」と高橋殿は嬉しそうな顔をしてうなづいた。
「何日間、やりますか」とヂャンサンフォンが高橋殿に聞いた。
 高橋殿はちょっと考えてから、「今日と明日一日と明後日の午(ひる)過ぎまでお願いします。明後日の夜には帰らなくてはなりません」
「わかりました。三日間で基本をたたき込みましょう。高橋殿でしたら大丈夫でしょう」
 早速、修行が始まった。呼吸を整える静座からだった。勿論、サハチたちも付き合った。静座は毎日の日課なのだが、昨日は飲み過ぎてさぼり、今朝も早くに出掛けて来たのでやっていなかった。
 半時(はんとき)(一時間)余り静座をしたあと、ヂャンサンフォンは皆を木の根が張っている場所に連れて行った。ここは道ではないので通行人の邪魔にならないが、こんな所で何をするのだろうとサハチたちは思った。まさか、ここで套路(タオルー)(形の稽古)をやるのかと思ったら、ヂャンサンフォンは懐から手拭いを出して自分の目を隠した。目隠しをして木の根が張っている所に足を踏み出し、そのまま普通に歩き出した。距離にして七十尺(約二十メートル)はあるだろう。木の根につまづく事もなく、目隠しをして普通に歩けるなんて信じられなかった。
 ウニタキが真似をしてやってみたが、木の根につまづいて三歩で終わった。次にファイチがやった。ファイチはゆっくりとだが、つまづく事なく歩き通した。
「凄いわ」と女子サムレーたちが拍手を送った。
 次はサハチだった。ゆっくり行けばできるだろうと思っていたが、七、八歩でつまづいた。
 次はシンシンで、何とか歩き通した。
 ササはあともう少しという所でつまづいて悔しがった。他の者たちは皆、五歩も行く事なくつまづいた。高橋殿もそうだった。
 高橋殿は、「難しいわね」と言って笑ったが、内心はかなり悔しそうだった。
 目隠しの木の根歩きの次は、武当拳套路だった。ただ、今までサハチたちがやっていた套路とは違っていた。呼吸に合わせて、ゆっくりと套路を行なった。高橋殿のために、わずか三日間で基本が身につくようにヂャンサンフォンが工夫したようだった。息を吸ったり吐いたりしながら形の稽古をするのは思っていたよりも難しかった。呼吸に気を取られると手足の動きがおろそかになる。形に気を取られると呼吸がおろそかになった。
 初めて套路をやる高橋殿たちは呼吸に合わせて形を覚えていった。
 日が暮れるまて稽古に励んで、本堂の近くにある宿坊のお世話になった。高橋殿の配慮で、宿坊の老僧に一文字屋に使いを頼んで、ササたちが鞍馬山に滞在する事を伝えた。
 高橋殿はササが気になるのか、夕食の時にしきりに質問をしていた。
「あなたは馬天(ばてぃん)ヌル様の娘さんですね」と高橋殿が言うと、ササは驚いた顔をしてサハチを見た。
 サハチは手を振った。
「俺が言ったんじゃない。高橋殿は配下の者を琉球に送って、琉球の事を色々と調べたんだよ」
 ササは納得したようにうなづくと、「馬天の若ヌルです」と高橋殿に答えた。
「馬天ヌル様は首里(すい)の人たちに尊敬されている素晴らしい人だと聞いております。ヌルというのは祭祀(さいし)を司(つかさど)っていると聞きましたが、神社にいる巫女(みこ)のような存在なのですか」
「神様にお仕えしている所は同じですが、巫女とは違います。琉球では女は皆、霊力を持っていて、その霊力で兄弟を守ると信じられております。『ウナイ神』です。女は生まれつき霊力を持っていますが、その霊力を最大限に呼び覚まして、兄弟だけではなく、地域一帯を守るのがヌルです。昔、ヤマトゥにおられた『アマテラス』はヌルです」
「アマテラスって、お伊勢さんに祀られている天照大神(あまてらすおおみかみ)の事?」
「そうです。アマテラスは神名(かみなー)で、ヒミコと呼ばれていました」
「えっ、天照大神卑弥呼(ひみこ)なの?」
 高橋殿は古代の歴史にそれほど詳しくはないが、卑弥呼邪馬台国(やまたいこく)の女王だった事は知っていた。でも、その卑弥呼天照大神だったなんて初耳だった。琉球から来た娘がそんな事を知っているはずがない。誰かにだまされたに違いないと思った。
「誰から聞いたのですか」と高橋殿はササに聞いた。
スサノオの神様です」とササは答えた。
スサノオって、祇園社(ぎおんしゃ)の神様のスサノオ?」
 ササはうなづいた。
「そう言えば、さっき、このお山もスサノオを祀っているって言っていたわね」
対馬にもスサノオの神様を祀っている神社がいっぱいありましたけど、京都にもいっぱいあります。きっと、天皇の御先祖様だからなんでしょうね」
「そういう事を皆、スサノオの神様から聞いたの?」
「はい。わたしはヤマトゥの歴史は何も知りません。スサノオの神様が色々と教えてくれました。スサノオは太陽の神様で、アマテラスはスサノオの娘です。でも、わからない事があります。アマテラスのお母さんの事です。アマテラスのお母さんは『豊玉姫(とよたまひめ)』と呼ばれていますが、それは豊の国の女王様になってからの名前です。元々は南の島から来たヌルなのです。どこの島から来たのかわかりません」
「あなたは豊玉姫琉球から来たと思いたいのね?」
「はい」とササは素直にうなづいた。
スサノオの神様は教えてくれないの?」
「色々なお話をして下さるのですけど、その事はまだ聞いておりません」
「あなたのお話だとスサノオ豊玉姫の娘がアマテラスで、アマテラスは卑弥呼とも呼ばれていたのね?」
「そうです」
 高橋殿はササを見つめながら何かを考えているようだった。しばらくして、ササに笑いかけると、「スサノオは歌の神様でもあるのよ」と言って皆の顔を見回して、「明日も早いから、今日はもう休みましょう」と言った。
 サハチたちはうなづいて、男と女に分かれて宿坊の一室に納まった。
「高橋殿というお方は大した女子(おなご)じゃのう」とヂャンサンフォンがしみじみと言った。

2-50.天空の邂逅(改訂決定稿)

 夜が明ける頃まで飲んでいた。最初にウメが酔い潰れて、次にファイチ(懐機)、タケ、ウニタキ(三星大親)と酔い潰れた。サハチ(琉球中山王世子)は何とか頑張っていたが、次第に呂律(ろれつ)が回らなくなり、いつ酔い潰れたのか覚えていない。
 目が覚めたら別の部屋に寝ていて、隣りには高橋殿が眠っていた。お互いに下着姿だった。しかも、その下着はサハチが着ていた下着ではなく、上等な薄い絹でできていた。
 いつ、着替えたのだろうか‥‥‥
 そんな事よりも、高橋殿を抱いたのだろうか‥‥‥
 サハチは何も覚えていなかった。
 枕元に水の入った瓶子(へいし)があったので、茶碗に注いで飲み干した。
「お目覚めですか」と高橋殿が言った。
 振り返ると、恥ずかしそうな顔をした高橋殿が下着の襟を合わせるようにして、サハチを見ていた。
「ここはどこですか」とサハチは聞いた。
「わたしのお部屋です」
「何も覚えていません。わたしは自分でここに来たのでしょうか」
「わたしを送って来てくれたのです。昨夜(ゆうべ)は楽しかったわ。ありがとう。わたしの本当の名前は龍(りゅう)と申します。子供の頃、遙か南の海に龍が棲んでいるという龍宮(りゅうきゅう)という国があると聞いて憧れた事がございます。でも、いつしか忘れておりました。何年か前に博多に琉球の船が来たと聞きましたが、その時は別に興味もわきませんでした。でも、北山殿(きたやまどの)(足利義満)がお亡くなりになって、状況が変わってしまったのです」
 高橋殿はそこで笑うと、「今日は『北山第(きたやまてい)』を御案内いたします。琉球の都造りにお役立て下さい」と言って、部屋から出て行った。
 サハチは高橋殿が言った事を考えていた。
 琉球リュウは龍だったのか‥‥‥
 琉球には龍が棲んでいるのか‥‥‥
 北山殿が亡くなって状況が変わったとは、どういう事なのか‥‥‥
 しばらくして、お女中が顔を出して、行水(ぎょうずい)をする部屋に連れて行かれ、水を浴びてさっぱりした。着替えも用意してあった。新しい下着とヤマトゥ(日本)のサムレー(侍)が着ている直垂(ひたたれ)と烏帽子(えぼし)だった。
 サハチが着替えて出て行くと、お女中が待っていて、最初に案内された客殿に連れて行かれた。廊下はまるで迷路のようになっていて、高橋殿の部屋がどこにあったのか、さっぱりわからなかった。
 客殿ではウニタキとファイチが碁を打っていた。二人とも着替えたとみえて、サハチと同じ格好をしていた。
「いつまで寝ているんだ? もう正午(ひる)に近いぞ」とウニタキがサハチを見て言った。
「何を言っている。先に寝ちまったくせに。俺は明け方まで高橋殿に付き合っていたんだぞ」
「まったく、酒が強いな。ああいうのを『ウワバミ』と言うそうだ」
「ウワバミ?」
「大きな蛇の事らしい。何でも飲み込んでしまうので、大酒飲みの事をウワバミと言うんだそうだ。『対御方(たいのおんかた)』が教えてくれた」
「タイノオンカタ?」
「タケ殿の事だ。タケと言うのは嘘の名前で、本当の名前は典子(のりこ)なんだが、対御方と呼ばれているようだ。高橋殿と同じように北山殿の側室だったらしい」
「お前、タケ殿と一緒だったのか」
「目が覚めたら一緒に寝ていた。何も覚えていないんだ。ファイチもそうだ。目が覚めたら隣りにウメ殿がいたという。ウメというのも嘘の名前で、本当の名前は『平方蓉(ひらかたよう)』と言うんだそうだ」
「俺も何も覚えていないんだ」とサハチは言った。
「本当は偽名のまま一緒に酒を飲んで、それで終わりのはずだったらしい。お前が宴(うたげ)の前に高橋殿に会ったお陰で、予定がすっかり変わったようだ。お前は高橋殿に気に入られたようだな」
「一節切(ひとよぎり)のお陰だ」とサハチは言って、マチルギを思い出した。
 高橋殿が琉球に興味を持ったのはマチルギのお陰だった。そして、一節切をくれたのもマチルギだった。このまま話がうまく行けば、何もかもマチルギのお陰と言ってよかった。
 お女中が用意してくれた食事を食べて、高橋殿、対御方、平方蓉の三人と一緒に、サハチたちは北山第に向かった。特に護衛の者はいなかった。いつも、こんなにも気楽に外に出て行くのだろうかと不思議に思った。
 桜の馬場に沿って北に進むと、立派な門があった。武装した門番に高橋殿が何事かを言うと門が開いた。
 高橋殿の御威光は大したものだと感心しながら、サハチたちは北山第の中に入った。手入れの行き届いた広い庭園の中を進むと、右側に大きな御殿が見えてきた。
「ミカドがいらした時は、あの御殿に御滞在なされました」と高橋殿は言った。
「ミカドとは?」とサハチは聞いた。
天皇の事でございます」
天皇がここにいらしたのですか」
「北山殿がお亡くなりになるすぐ前の事でございました。ミカド(後小松天皇)は大層ここがお気に入りになられて二十日間も御滞在なされました。会所(かいしょ)では道阿弥(どうあみ)の猿楽(さるがく)を御覧になられております」
 高橋殿は笑って、「道阿弥はわたしの父親なのでございますよ」と言った。
「あの舞は親譲りの芸だったのですね?」とサハチが聞くと、
「『天女の舞』と申します」と高橋殿は言った。
 まさしく、天女の舞だとサハチは思った。高橋殿の舞に比べたら、博多で見た天女の舞は、天に昇れない天女たちの舞のように見えた。
「わたしも舞台で舞いたかったのですけれど、父は許してくれませんでした。女には猿楽はできないって言いました。わたしは女だけの猿楽座を作ってやるって言って、父と喧嘩して飛び出したのです。とりあえずは叔母がやっていた傾城屋(けいせいや)(遊女屋)に行って、舞を披露していたんですけど、そこで運命の出会いがあったのです。北山殿と出会って、側室になりました。北山殿も女の猿楽座を作るのは面白いって同意してくれたのですけれど、忙しいお人ですから、結局、未だに実現していません。でも、いつかは作るつもりです。わたしの夢なのですよ」
「きっと、その夢は実現しますよ」とサハチは言った。
 高橋殿はサハチを見つめて笑うとうなづいた。
 それは綺麗な池の中に建っていた。まるで、この世のものとは思えない素晴らしい建物だった。三階建てで、二階と三階が黄金色に輝き、それが池に映っていて、美しさを倍増していた。
「あれが噂の金閣か!」とウニタキが呆然とした顔で金閣を見ながら叫んだ。
 ファイチは言葉も出ないようだった。口を半ば開けてポカンとした顔で金閣を見つめていた。
「あの御殿は北山殿、そのものを現しているのですよ」と高橋殿が言った。
「一階の寝殿(しんでん)造りはお公家さんを現しております。二階の武家造りは武士です。そして、三階は禅宗の寺院造りで、御出家なされた北山殿です。北山殿が公家や武士の上にいるという意味なのでございます。屋根の上にいるのは『鳳凰(ほうおう)』と呼ばれる霊鳥で、天下を治める者のもとに現れると伝えられております」
「まさしく、ヤマトゥの王様ですね」
「ヤマトゥ?」と言って高橋殿は笑った。
「どうして、琉球の人は日本をヤマトゥと呼ぶのでしょう。ヤマトゥと呼ばれていたのは遠い昔の事ですわ」
「さあ?」とサハチは首を傾げてから、「日本だけではありません」と言った。
「明国(みんこく)の人たちを唐人(とーんちゅ)と呼んでいますし、朝鮮(チョソン)の人たちも未だに高麗人(こーれーんちゅ)と呼んでいます」
「人の事をンチュと言うのね。あなたは琉球ンチュね」
 高橋殿は楽しそうに笑った。
「そう言えば、日本でも明国の人たちを唐人(とうじん)と呼んでいるわ。他人(ひと)の事は言えませんね」
 金閣の中には入れないと高橋殿は言った。
「あそこからの眺めは最高なんだけど、入ったら駄目だって言われましたわ。でも、七重の塔は登ってもいいって言われましたの」
「えっ、七重の塔に登れるのですか」とサハチは高橋殿に聞いた。
 高橋殿はうなづき、「でも、疲れるわよ」と笑った。
 サハチはウニタキとファイチを見て、よかったなというようにうなづいた。
 来た道を門の近くまで戻って、石だけでできた奇妙な庭園の中を通って行くと、大きな門があって、そこを抜けると目の前に七重の塔が現れた。塔の左側には大きな寺院が建っていた。
 近くで見上げる七重の塔は圧倒されるほど大きかった。
「凄えなあ」とウニタキが言った。
「凄えとしか言いようがないな」とサハチは言った。
「これを見たら永楽帝(えいらくてい)もたまげるかもしれませんね」とファイチは言った。
「ああ、永楽帝も腰を抜かすかもしれん」とウニタキが言って笑った。
永楽帝って、明国の皇帝の事ですか」と高橋殿が聞いた。
「そうです。明国に行った時、お忍びの永楽帝と会ったのです」
 そう言うと高橋殿は驚いた顔をして、サハチを見て、ファイチを見た。
「もしかして、ファイチ殿は明国の偉いお人なのですか」
「ファイチの父親は有名な道士で、若い頃の永楽帝の師匠だったのです。しかし、政変で殺されてしまいました。ファイチも命を狙われて琉球に逃げて来たのです。二年前に明国に行った時、永楽帝と会う事ができ、ファイチは永楽帝のもとで働く事もできたのですが、琉球を選んでくれました。あなたがわたしたち三人を選んだのは正解でした。ウニタキとファイチはわたしにとって重要な二人なのです」
「そうだったのですか。一緒にいらしたヂャンサンフォン(張三豊)殿というお方は道士のようですが、ファイチ殿と関係があるのですか」
「ヂャンサンフォン殿は有名な道士でもあり、有名な武芸者でもあります。ファイチの師匠で、わたしとウニタキの師匠でもあります」
「そうでしたか。お蓉から父親も知っている有名な道士で、仙人のような人だと聞きましたが、そんなにも有名なお方だったのですね」
「信じられないかもしれませんが、ヂャンサンフォン殿は百六十年も生きている仙人なのです」
「百六十年?」
「生まれたのは明国の前の元(げん)の国ができる前だそうです。百年ほど前に博多に来ていて、十年ほど住んでいたようです。ヤマトゥの言葉もまだ覚えています」
「そんな凄いお方だったのですか」
 高橋殿は驚いた顔をして、対御方と平方蓉を見た。二人も驚いているようだった。
永楽帝はヂャンサンフォン殿に会いたいと言って探しています。その前の洪武帝(こうぶてい)も探していましたが、偉い人に会うのは面倒くさいと言って、わたしたちと一緒に琉球に来たというわけです」
「そうだったのですか」と高橋殿はうなづき、七重の塔を見上げて、「登りましょう」と言った。
 七重の塔の入り口の扉は開いていた。門番の僧侶が愛想笑いをしながら高橋殿を迎えた。高橋殿は、「ご苦労様」と門番に言って、サハチたちを中に入れた。
 中に入って驚いた。中心に驚くべき太さの柱があった。直径が六尺はありそうだ。天井に隙間が空いていて、その柱がずっと上まで続いているように見える。サハチが天井を見上げていると、
「北山殿よ」と高橋殿が言った。
 見ると僧侶を描いた絵が飾ってあった。ヤマトゥの王様はこんな人だったのかとサハチは思いながら、高橋殿を見ならって両手を合わせた。絵の両脇には綺麗な大きな壺が飾ってあった。
 高橋殿のあとに従って階段を登った。一階の天井の上は屋根を支えている柱が複雑に入り組んでいた。二階や三階に部屋はなく、屋根の修理のために回廊には出られるようになっていた。中央の太い柱と複雑な木組みを眺めながら、外壁に沿って作られた階段を登った。五階まで来て、下を覗くとかなりの高さがあった。下を見ると足がすくむので、上を見上げながら階段を登った。
 小太刀(こだち)をやっているという高橋殿と平方蓉が息切れもせずに登って行くのはわかるが、対御方も平気な顔をして登っているのが不思議だった。対御方も武芸の心得があるのだろうか。
 最上階の七階には部屋があった。その部屋は思っていたよりも広かった。中央に太い柱があり、一階と同じような僧侶の絵が飾ってあった。
相国寺(しょうこくじ)の開山の夢窓国師(むそうこくし)殿です」と高橋殿は言った。
 サハチは絵を眺めながら、琉球にもこんな肖像画が必要だなと思った。イーカチに思紹(ししょう)(中山王)の絵を描いてもらって楼閣に飾ろうか。
 夢窓国師の絵の脇に、明国の椅子がいくつか並んでいた。北山殿がお客さんを招待した時に使ったようだ。
 部屋から回廊に出ると、まるで、空の中に立っているようだった。下にいた時は風を感じなかったが、かなりの風があり、塔が揺れているように感じられた。
 京都の街が眼下に広がり、遠くに連なる山々が見えた。金閣の方を見ると、豪華な屋敷がいくつも並んでいる向こう側の広い池の中で、金閣は燦然(さんぜん)と輝いていた。
「もう言葉が出て来ないよ」とウニタキが言った。
 ファイチも感動しているのか、無言のまま下界を見下ろしていた。
「こんなにも高い物を作る事ができるなんて、ヤマトゥの大工は凄い腕を持っているな」
 確かにウニタキの言う通りだった。こんな腕のある大工を琉球に連れて行きたいとサハチは思った。
 高橋殿から、花の御所や天皇の御所などの位置を教わったあと、
「ねえ、あなたの一節切(ひとよぎり)を聞かせて」と高橋殿が言った。
 サハチは刀の代わりに一節切を腰に差していた。刀は北山第に入る時に預けなければならないというので、三人とも持って来てはいなかった。武当拳(ウーダンけん)を習ったお陰で、刀がなくても気にならなかった。
「こんな所で吹く機会は一生に一度だぞ」とウニタキが言った。
 サハチは高橋殿にうなづいて、一節切を吹き始めた。
 流れる調べは、天空にいるためか、昨日の曲よりも神秘的になっていた。サハチは目を閉じて、高橋殿の舞を思い出しながら吹いていた。天女となった高橋殿は空を駆け巡りながら華麗に舞っている。薄い絹の衣は太陽の光を浴びて輝き、しなやかな裸体が透けて見えていた。高橋殿は長い衣をひるがえして空中で何度も旋回した。その姿が龍に変身した。龍になった高橋殿は体をくねらせて京都の上空を飛び回り、やがて、空の彼方へと飛んで行って見えなくなった。
 サハチは一節切を口から離して、目を開けた。高橋殿がサハチをじっと見つめていた。高橋殿が何かを言おうとして口を開きかけた時、「見事じゃ」と誰かが言った。
 高橋殿がびくっとして、部屋の中を覗いた。高橋殿は驚いた顔をして、「坊門(ぼうもん)殿!」と言った。
 サハチも部屋の中を見ると三人のサムレーがいた。二十代の若者と五十代と見える貫禄のあるサムレーが二人だった。階段を登るのに刀が邪魔になったのか、三人とも刀を左手で持っていた。
将軍様と勘解由小路(かでのこうじ)殿(斯波道将)と中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)殿です」と高橋殿はサハチたちに説明した。
将軍様?」と言って、サハチは改めて若者(足利義持)を見た。あまりにも突然の事で、どう接していいのかわからなかった。
「お忍びじゃ。堅くならずともよい」と将軍様は言った。
「見事な一節切じゃ」と将軍様はサハチを見つめた。
 さわやかな感じの将軍様は、一階に飾ってあった北山殿の風貌とあまり似ていなかった。
「ありがとうございます」とサハチは頭を下げた。
「幽玄なる調べじゃったのう」と勘解由小路殿が言った。
「幽玄なる調べに合わせて舞う高橋殿の舞が見たいものじゃ」と中条兵庫助が笑った。
「それはいい考えじゃ」と将軍様も笑った。
「ところで、わしらを探していたそうじゃのう」と勘解由小路殿がサハチに聞いた。
琉球の話を聞かせてくれんか」と将軍様が言った。
 高橋殿が対御方と平方蓉に指示して、椅子を用意させた。
 将軍様を中央に、勘解由小路殿と中条兵庫助が左右に座り、それに向かい合う形で、サハチを中央にウニタキとファイチが左右に座った。高橋殿たちは脇に控えた。
琉球は明国と交易しているというが、毎年、やっておるのか」と将軍様が興味深そうな目をしてサハチに聞いた。
「毎年、交易をしております。今は一年に一回ですが、やがては、二回、三回と行くつもりでおります」
「進貢船(しんこうせん)というのは年に何回と決められておるのではないのか」
琉球は特別です。制限はございません」
「なぜじゃ?」
永楽帝の許しを得て、琉球が明国の御用商人の務めを果たしております」
「この三人は永楽帝に会っております」と高橋殿が言った。
「わたしもついさっきお聞きして驚きました」
「なに、永楽帝に会っているのか」と勘解由小路殿が驚いた顔をして高橋殿を見ていた。
 高橋殿はうなづいて、ファイチと永楽帝の関係を説明した。
「今回と同じようにお忍びでした」とサハチは言った。
「そうか、永楽帝と直接に話し合ったのなら確かな事じゃな」
 勘解由小路殿がそう言って、将軍様にうなづいた。
琉球は南蛮(なんばん)(東南アジア)とも取り引きをしていると聞いたが、それも誠か」と将軍様が聞いた。
「毎年、旧港(ジゥガン)の船がやって参ります」
「ジゥガン?」
「ジゥガンとは旧港(きゅうこう)の事でございます」と平方蓉が言った。
「旧港と言えば、去年の夏、若狭(わかさ)(福井県)に来た船じゃな」と勘解由小路殿が言った。
「珍しい鳥や獣を献上しておる。十一月に来た台風にやられて、今、船を造っているはずじゃ」
 旧港(パレンバン)の船がヤマトゥに向かったと聞いてはいたが、やはり、本当に来ていたのだった。しかし、若狭とは一体どこだろう。浮島(那覇)の若狭町と関係あるのだろうかとサハチは思っていた。
「ところで、そなたたちがわしらに会いたがっていた理由はなんじゃ?」と勘解由小路殿が言った。
 サハチはウニタキとファイチの顔を見てから、単刀直入に言った。
琉球と日本で、国と国の交易がしたいのです。将軍様琉球中山王(ちゅうざんおう)との交易です」
 勘解由小路殿が将軍様を見た。微かだがニヤッと笑ったような気がした。
「毎年、来られるか」と将軍様が言った。
「来るつもりです」
「よし、その話に乗ろう」と勘解由小路殿が言った。
「ただし、一つ条件がある」
「条件とは?」
「国と国との対等な立場での交易として認めよう。ただし、琉球からの使者たちが将軍様に謁見(えっけん)する時は、上座に座るのは将軍様となるが、それでもよろしいかな」
 サハチはファイチに琉球言葉で相談した。ファイチは朝鮮に行っても同じ扱いを受けるだろうから、それは仕方がないだろうと言った。
「かしこまりました」とサハチは答えた。
 勘解由小路殿はホッとしたような顔で、満足そうにうなづいた。
「今年は下見のつもりで参りましたので、来年からは正式な使者を送る事にいたします」
「頼むぞ」と言って、将軍様は嬉しそうに笑った。
「これは内密な事なんじゃが」と勘解由小路殿が小声で言った。
「見ての通り、この豪華な北山第の普請(ふしん)には莫大な費用が掛かっておるんじゃ。北山殿は明国との交易で取り戻すつもりでいたんじゃが、途中で亡くなられてしまった。明国との交易は続けたいのじゃが、将軍様が北山殿のように、日本国王になるわけにはいかんのじゃ。北山殿が明国の皇帝から日本国王に任命されてからというもの、日本が明国の家臣になってしまったと批判する者たちが大勢いるんじゃよ。我が国は元(げん)の大軍が攻めて来た時も、元の国を見事に追い返している。我が国は神に守られている神国じゃ。神国である我が国が、明国の臣下になるとは情けないと思っている者たちが大勢おるんじゃよ。今、明国の使者が兵庫に来ている。冊封(さくほう)のための使者だったら追い返そうと思っていたんじゃが、弔問(ちょうもん)の使者のようじゃ。あの使者のあとに付いて行って、もう一度、交易をしたら明国との交易はやめるつもりじゃ。将軍家の再建も琉球に掛かっておる。よろしくお願い申すぞ。それと、財政困難のため、返礼の使者はこちらからは送れないが、よろしいかな」
「かしこまりました」とサハチは頭を下げた。
琉球の話を色々と聞きたいが、何かと忙しくてな」と将軍様は笑うと、「頼むぞ」と言って立ち上がった。
 サハチたちも慌てて立ち上がった。
 三人は静かに階段を下りて行った。
 中条兵庫助が振り返って、「あとでそなたの屋敷に顔を出す」と高橋殿に言った。
「お待ち申しております」と高橋殿は将軍様たちを見送って溜め息をつくと、「驚いたわ」と言った。
 その顔はまるで娘のように可愛い顔だった。
「高橋殿が仕組んだんじゃなかったのですか」とウニタキが聞いた。
「あなたたちの事は昨夜のうちに勘解由小路殿には知らせたんだけど、こんなにも早く、将軍様が現れるなんて思ってもいなかったわ。あなたたちは丁度、いい時期に来たのよ。将軍様にとって、まさに天の助けだったのかもしれないわね」
 サハチたちはまた外に出て、景色を眺めた。
将軍様は三人だけで来たのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「いや、十人はいただろう。下で待機している者たちと、上にもいたようだ」
「天井に仕掛けがあるのか」
「そうらしいな。これだけの物を建てた北山殿は、自分の身を守る事に関しても抜かりはないだろう」
「確かにな」
 七重の塔を下りると、偉そうな僧が待っていて、お寺の中に案内され、精進(しょうじん)料理という禅僧の食事を御馳走になった。将軍様の指図だという。
「若いのに気が利くな」とウニタキが言った。
「北山殿に翻弄(ほんろう)されて、苦労してきた御方ですからね」と高橋殿はしみじみと言った。
 サハチたちは心の中で将軍様にお礼を言った。

 

 

 

1/100 鹿苑寺 金閣寺   ペーパーナノ 京都 PN-113

2-49.幽玄なる天女の舞(改訂決定稿)

 京の都に着いてから、早いもので十日が過ぎようとしていた。
 何とかして、勘解由小路(かでのこうじ)殿(斯波道将)に近づこうと色々とやってはみたが、どれもうまく行かなかった。
 サハチ(琉球中山王世子)たちは五組に分かれて行動していた。ジクー(慈空)禅師は一人で、勘解由小路殿と関係のある禅僧を探し、ウニタキ(三星大親)、ンマムイ(兼グスク按司)、クサンルー(浦添按司)は九州探題の渋川道鎮(どうちん)を探し、サハチと修理亮(しゅりのすけ)とイハチ(サハチの三男)は慈恩禅師(じおんぜんじ)の弟子で将軍様足利義持)の武術指南役の中条兵庫(ちゅうじょうひょうご)を探し、ヂャンサンフォン(張三豊)とファイチ(懐機)は将軍様に仕えている唐人を探し、ササ(馬天若ヌル)、シンシン(杏杏)、シズ(ウニタキの配下)、女子(いなぐ)サムレー三人は、まりとみおを連れて、将軍様のヌルを探しに行った。
 ジクー禅師は勘解由小路殿が師と仰ぐ禅師には会えなかったが、東福寺を追い出された栄泉坊(えいせんぼう)という若い画僧を連れて来た。絵を描くのが好きで東福寺の明兆(みんちょう)禅師の弟子になったが、絵を描いてばかりいて、決められた仕事をしないので追放されてしまったという。絵を描かせてみたらかなりの腕なので、役に立つだろうと連れて来たという。
 サハチは京都の寺院や神社を描いてくれと頼み、いい絵が描けたら琉球に連れて行くと言った。絵が描けるのなら、どこにでも行きますと栄泉坊は嬉しそうに笑った。
 ンマムイは渋川道鎮の居場所は見つけたが、会う事はできなかった。厳重に警護されたお寺を宿所にしていて、門番に説明しても信じてはもらえず、門前払いをされていた。ウニタキは忍び込む事はできると思ったが、危険を冒して忍び込んでも、渋川道鎮がンマムイなど知らないと言ったらどうしようもなかった。調子のいい事を言っているが、実際は一、二度、顔を合わせただけかもしれなかった。
 サハチたちも中条兵庫の屋敷を見つける事はできたが、中条兵庫は留守だった。将軍様と一緒に伊勢の神宮に行っていた。帰って来るのは二十二日の予定だという。
 ヂャンサンフォンとファイチは将軍様に仕えている唐人を見つけ出して会っていた。陳外郎(ちんういろう)という医者と魏天(ぎてん)という通事(つうじ)(通訳)だった。陳外郎は立派な屋敷に住んでいて、医者として将軍様に仕えているだけでなく、外国から来た使者たちの接待役も務めていた。今、朝鮮(チョソン)から使者が来ていて、兵庫港にも明国(みんこく)からの使者がいるので忙しそうだったが、ヂャンサンフォンが名を名乗ると驚いて、大歓迎してくれた。
 ヂャンサンフォンは武術界だけでなく、医術界でも有名だった。不老長寿の術を身に付けて、内丹術(ないたんじゅつ)と呼ばれる『気』を鍛えて体を健康にする術を編み出した凄い人だと、まるで神様のように、ヂャンサンフォンという名を父から何度も聞いていた。そのヂャンサンフォンが異国にいる自分を訪ねて来るなんて、まったく信じられない事だった。
 陳外郎は子供の頃に父親に連れられて、明国から逃げて来たという。洪武帝(こうぶてい)に敗れた陳友諒(チェンヨウリャン)の一族だった。陳外郎は懐かしそうに、ヂャンサンフォンが話す明国の話を聞いて、真剣な顔をして内丹術の事を尋ねていた。陳外郎の紹介で魏天とも会った。
 魏天は子供の頃に倭寇(わこう)にさらわれて壱岐島(いきのしま)に来た。長い間、壱岐島で暮らしていたが、突然、捕まって朝鮮に送られた。朝鮮で有名な文人のもとで奴婢(ぬひ)として働いていたが、日本語がわかるというので、朝鮮が日本に送る使者の従者に加わって日本に来た。久し振りに日本に戻って来た魏天は、博多で明国から来ていた使者たちと出会う。魏天は明国の使者に、子供の頃に倭寇に連れ去られたと身の上を話して、明国の使者と一緒に明国に帰った。明国に帰ったものの、すでに身内の者たちは亡くなっていて帰る場所もなかった。途方にくれていたら、永楽帝(えいらくてい)から命令が下って、通事としてまた日本にやってきた。しかし、以前とはまったく待遇が違った。通事として将軍様に仕える事になり、立派な屋敷も与えられて、妻を迎える事もできたのだった。
 魏天は自分が留守にしていた四十年余りの出来事をヂャンサンフォンとファイチから聞いて、そんな事があったのかと驚いていた。陳外郎も魏天も将軍様が伊勢から帰って来たら、勘解由小路殿に話してみると言った。勘解由小路殿は伊勢には行っていないが、将軍様重臣たちを引き連れて伊勢に行ったので、残された者たちで留守を守るのが大変らしい。
 ササはアマテラスがヌルだったのだから、将軍様のそばには必ずヌルがいるはずだと言って探していたが、ヌルはいなかった。ヌルはいなかったが、北山殿(きたやまどの)(足利義満)の側室だった『高橋殿』と呼ばれているお方が将軍様に影響力を持っているらしい事をつかんできた。
「噂では凄い美人らしいわよ」とササがニヤニヤしながらサハチを見た。
「北山殿の側室だったんだろう。もういい年なんじゃないのか」とサハチはササに聞いた。
「三十の半ばくらいらしいわ。でも美人だから十歳くらいは若く見えるって話よ。とても艶(あで)やかなんですって。でも、噂だけで、実際に見た人はいないみたい。今回も将軍様と一緒にお伊勢参りに行ったようだけど、綺麗なお輿(こし)に乗っていて、顔を見る事はできなかったって言っていたわ」
「雲の上のお人なんだな」
「わしも噂しか知らんが、近江(おうみ)の猿楽座(さるがくざ)の太夫(たゆう)、道阿弥(どうあみ)の娘だとも、東洞院(ひがしのとういん)の傾城(けいせい)(遊女)だったとも言われておる」とジクー禅師が言った。
「北山殿に大層可愛がられて、北山殿の寺社参詣には必ず一緒に行かれたようじゃ。北山殿が生きておられた頃は北山第(きたやまてい)の西御所に住んでおられて『西御所殿』と呼ばれていたんじゃ。北山殿がお亡くなりになって、北野の高橋の屋敷に移られて、『高橋殿』と呼ばれるようになったんじゃよ」
「北野の高橋というのは、この近くじゃないのですか」とサハチはジクー禅師に聞いた。
「北山第と北野天満宮のちょうど中間あたりじゃな。北山殿は亡くなったが、将軍様も夫婦揃って、正月には高橋殿の屋敷に挨拶に出掛けるというから、将軍様の信任も厚いようじゃ」
「高橋殿に会えれば、将軍様にも会えそうね」とササは言った。
「確かにな。しかし、会う機会はあるまい」
「以前の格好に戻って、京都の街中をうろうろしていれば噂になるわ。北野天満宮のお庭で武当拳(ウーダンけん)のお稽古をやりましょうよ」
「確かに噂にはなるだろうが、雲の上のお人がそんな噂で動くだろうか」
「ここには海賊もいないし、以前の格好に戻りましょう」
 何もしないよりは増しだろうとササの意見に従って、サハチたちは以前の格好に戻った。女たちは女子サムレーの格好になり、サハチたちはカタカシラを結った。
 一文字屋次郎左衛門に『高橋殿』の事を聞いてみると知っていた。お得意様だという。ただし、高橋殿に会った事はない。高橋殿に仕えているお女中(じょちゅう)が、時々、店にやって来て、タカラガイや明国の筆や香炉(こうろ)などを買っていく。高橋殿は綺麗なタカラガイがお好きなようで、屋敷のあちこちに飾っておられるらしいと言った。
 琉球の格好で街中をうろうろしてみたが、さほどの効果はなかった。珍しそうに見られるだけで、噂になって人が集まって来るという事もない。毎朝の武当拳の稽古は見物人に囲まれるが、田舎から来た芸人でも見ているような感じだった。何となく、見世物になっているようで情けなかった。
 将軍様に近づく手立てはなかなか見つからなかったが、首里(すい)の都作りの参考になる事は色々と見つかった。まず、道を整備して、どこからでも首里に行けるようにしなければならない。そして、井戸ももっと増やした方がいい。京の都にはあちこちに井戸があって、人々の暮らしの役に立っていた。お寺を建てる事は以前から思っていたが、少なくとも十のお寺を建てて、『首里十刹(すいじっさつ)』と名付けようと決めた。大きなお寺には立派な庭園があった。池があって、様々な樹木が植えてあり、大きな石なども並べてある。そんな庭園も造らなければならない。それと、神社に見られる少し飛び出した唐破風(からはふ)と呼ばれる屋根は美しく、首里の百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の正面に作りたいと思った。それを作るにはヤマトゥ(日本)の大工を連れて行かなければならない。ジクー禅師に頼んで、探してもらう事にした。
 サハチはウニタキと一緒に栄泉坊を連れて北山第の七重の塔を見に行った。こんなにも高い塔は無理だが、ヤマトゥ風の塔首里に作りたかった。サハチは栄泉坊に七重の塔を詳しく描くように頼んだ。
 塔を見上げながら、「登ってみたいな」とウニタキが言った。
「登れるか」とサハチが聞いた。
「登れる」と言ってウニタキは笑った。
「ファイチを誘って登ってみるか」とサハチは言ったが、「またササに感づかれそうだな」と笑った。
「博多の呑碧楼(どんぺきろう)のように簡単にはいかんぞ。見つかれば逃げるのは難しい。関係していた一文字屋も潰されてしまうだろう」
「それはうまくないな」
琉球の使者として来れば、将軍様が案内してくれるだろう」
「来年まで我慢するか」
「来年も来るつもりなのか」
「来られれば来たい」
 ウニタキはうなづいて、「来られればいいな」と言った。
 一文字屋に帰るとみんなが驚いた顔をして、サハチとウニタキを待っていた。
「大変なのよ」とササが言った。
「何があったんだ?」とサハチは皆の顔を見回した。
「『高橋殿』から招待されたのよ」
「えっ、何だって?」
「サハチ師兄(シージォン)とウニタキ師兄とファイチ師兄の三人が高橋殿に招待されたんですよ」とンマムイが言った。
「俺とウニタキとファイチ? 高橋殿は俺たちの名前を知っているのか」
「名前は知らないようだけど、島添大里按司(しまそえおおさとあんじ)殿、三星大親(みつぼしおおおや)殿、久米村長史(くめむらちょうし)殿って言ってきたわ」
「どうして、そんな事を知っているんだ?」
 ササも皆も首を傾げた。
「招待されたからには行った方がいい」とジクー禅師が言った。
「高橋殿は琉球の事を調べているようじゃ。もしかしたら、将軍様琉球と交易したいと思っているのかもしれない」
琉球の事を調べると言ったって、どうやって調べたのだろう。高橋殿というのは、そんなにも力を持っているのですか」
「日本には山の民(たみ)とか川の民とかいう者たちがいる。高橋殿の出自は芸人じゃ。芸人たちは山の民とつながっている。北山殿の側室となって権力を得た高橋殿は山の民たちを使って、各地の情報を集めているのかもしれん。そういう組織を持っているから、将軍様も高橋殿を大切に扱っているのかもしれんのう。高橋殿を味方に付ければ、今後の日本との交易にも損になる事はあるまい」
 サハチ、ウニタキ、ファイチの三人は高橋殿の屋敷に向かった。場所は以前に調べてあるので知っていた。高い塀に囲まれた広い屋敷を眺めながら、会ってみたいと思っていたが、招待されるなんて思ってもいない事だった。
 門番に名前を告げる前に門が開いた。綺麗な着物を着た二人の若い女が出迎えてくれた。一文字屋がお女中と呼んでいた使用人たちだろう。お女中の案内で、色々な花が咲いている綺麗な庭を通って、豪華な屋敷の一室に案内された。
「日が暮れる頃、歓迎の宴(うたげ)を催しますので、それまでゆっくりしていて下さい」と言って、二人のお女中は去って行った。
 日が暮れるまで、まだ一時(いっとき)(二時間)近くはありそうだ。
 ウニタキが碁盤を見つけて、ファイチと勝負を始めた。サハチはそれを見ていたが、見ていてもつまらんと庭に下りて散策した。よくできた庭園だった。池の中に小さな島があって赤い橋が架かっていた。サハチは橋を渡って島に行ってみた。池の中を覗くと魚が泳いでいた。一尺近くもある綺麗な魚だった。
 池から離れて珍しい花や木を眺めながら、しばらく歩くと舞台があった。一流の芸人たちがここで芸を見せるのだろう。舞台の前にある屋敷には人影はなかった。高橋殿を囲んで、高貴な女たちが縁側に並んで舞台を眺めるに違いない。
 庭にあった手頃な石に腰を下ろすと、サハチは腰に差していた一節切(ひとよぎり)を口に当てて吹き始めた。
 笛の音には京都で感じた様々な思いが込められていた。
 ササがスサノオの神様から聞いた話によると、京都は六百年以上の歴史があるという。ササは何度も『船岡山』に行って、神様の声を聞いていた。六百年の間には、何度も戦(いくさ)があって、何度も疫病が流行り、何度も火災が起こって、何度も川の氾濫があり、何度も干魃(かんばつ)に見舞われたりして、多くの人々が亡くなっていた。災難が起こる度に人々は偉大なる神様、スサノオに縋(すが)ってきた。スサノオは厄払いの神様となって祇園社(ぎおんしゃ)(八坂神社)や今宮神社に祀られ、武神となって八幡神社に祀られ、海の神様となって住吉神社に祀られて、京の都を守っている。サハチは無心になって、スサノオに捧げる曲を吹いていた。
 突然、舞台に女が現れたかと思うと、サハチの笛の音に合わせて踊り出した。美しい女は長い黒髪を振り乱しながら華麗に舞っていた。夢でも見ているのだろうかと思いながら、サハチは一節切を吹き続けた。
 スサノオが女の姿になって現れたのか。いや、スサノオではなくて、娘のアマテラスだろうか。アマテラスは伊勢の神宮に祀られているという。将軍様伊勢の神宮に行った。アマテラスは天皇家の御先祖様だった。将軍様はなぜ、伊勢の神宮に行ったのだろうか‥‥‥
 サハチは舞台で踊っている美女を見つめながら、一節切を吹いていた。美女の舞は見事だった。サハチの奏でる笛の音と完全に一つになっていた。いつしか、美女の舞とサハチの一節切は素晴らしい掛け合いをしていた。美女の舞が激しくなるとサハチの一節切も負けずと激しさを増し、サハチの一節切が優しい調べを奏でると美女の舞もしなやかで可憐な舞となった。美女はまるで天女のように、きらびやかに舞っていた。やがて、天女が上空に去って行くとサハチの笛の音も静かに消えて行った。
 サハチは一節切を口から離した。
 いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていた。舞台の中は薄暗く、人の気配はなかった。やはり、夢でも見ていたのだろうかとサハチは思った。
「素晴らしかったわ」と声がした。
 舞台の脇から美女が現れた。踊っていた美女だった。
 美女は美しい笑顔のままサハチに近づいて来た。
 サハチは思わず立ち上がって、美女を迎えた。
「あなた、誰?」と美女は聞いた。
 サハチが答えようとすると、
「誰でもいいわ。あなたの一節切、気に入ったわ」と笑った。
「とても幽玄(ゆうげん)だったわ」
「幽玄とは何ですか」とサハチは聞いた。
「幽玄とは、言葉では言えない素晴らしいものなのよ。芸事には必ず必要なものなの」
 美女はサハチを見つめながら近づいて来て、サハチの首の後ろに手を回すようにして抱き付いた。美女からはいい匂いが漂っていて、胸の鼓動が感じられた。サハチの唇に自分の唇を重ねると、「またあとで」と言って闇の中に消えて行った。
 サハチはあとを追ったが、美女の姿はどこにも見当たらなかった。空を見上げると、カラスが鳴きながら飛び去って行った。何となく、カラスに笑われたような気がした。
 案内された部屋に戻るとウニタキもファイチもいなかった。碁盤を見ると勝負の途中だった。人の気配がして顔を上げると、この部屋に案内してくれたお女中がいて、「皆様、お待ちでございます」と言って、先に立って歩いて行った。
 サハチはお女中のあとに従った。所々に明かりの灯った廊下をいくつも曲がって、着いた広い部屋にウニタキとファイチがいた。庭の方を見ると舞台があった。サハチが先程までいた舞台だった。あの時、屋敷には誰もいなかった。丁度、入れ違いのようにウニタキとファイチはこの部屋に来たのだろうか。
「何をやっていたんだ?」とウニタキが聞いた。
「一節切を吹いていたんだが、聞こえなかったか」とサハチは聞いた。
囲碁をやっている時は聞こえたが、ここに来たら聞こえなくなった」とウニタキは言った。
 二人の前にはお膳があって、二人は酒を飲んでいた。
 サハチが座ると、お女中がお膳を持って現れた。サハチも酒を飲んだ。当然の事だが上等な酒だった。綺麗に並べられた料理も上等だ。豪華な屋敷で豪勢に暮らしている高橋殿とは一体、どんな女なのだろう。舞台で舞った美女も高橋殿が贔屓(ひいき)にしている芸能一座の舞姫に違いない。「またあとで」と言ったが、高橋殿はあの舞姫をサハチたちに披露するために呼んだのかもしれない。
「俺たち三人が呼ばれた理由は何なんだ?」とウニタキが聞いた。
 サハチは首を傾げてから、「俺たち三人が高橋殿と同年配だったからじゃないのか」と言った。
「高橋殿は三十の半ばだと言っていたな。確かに同年配だが、同年配の者を集めて、一緒に酒でも飲もうというのか」
「歓迎の宴を開いてくれるというのだから、きっとそうでしょう」とファイチは言った。
琉球の話を聞きながら酒が飲みたいだけか」とサハチが言うと、
「もしかしたら、何か欲しい物でもあるんじゃないのか」とウニタキが言った。
「シビグァー(タカラガイ)が欲しいのかもしれない。ヤマトゥの女子(いなぐ)たちの間で流行っているのかもしれない」
「まさか」とウニタキとファイチが同時に言った時、着飾った女が二人、しずしずと現れた。二人とも美人だった。年上の方が高橋殿なのかもしれない。
「もう少しお待ちになって下さい」と年上の女が言った。
 若い方の女がファイチに明国の言葉で何事かを言った。ファイチは驚いて明国の言葉で女に話しかけた。
 明国の言葉ができる女が、この屋敷にいるなんて驚きだった。高橋殿は何もかも持っているに違いない。
「陳外郎殿の娘さんでした」とファイチが言った。
「ウメという名で、母親はヤマトゥンチュ(日本人)です。サムレーに嫁いだけど戦死してしまって、高橋殿にお仕えしているとの事です」
「わたくしはタケと申します。わたくしの主人も亡くなってしまい、時折、高橋殿をお訪ねしております。今回、珍しいお客様がいらしたとの事で、お呼ばれいたしました」
 タケが二十代の後半、ウメが二十代の半ばに見えた。
「高橋殿とはどんなお方ですか」とウニタキがタケに聞いた。
「本当のお名前はマツと申します。お酒がお好きで、かなり強いです。お伊勢参りで気疲れしたので、今夜はゆっくりとお酒を楽しもうとおっしゃっておりました」
「高橋殿は小太刀(こだち)の名人でもあります」とウメが言った。
将軍様の御指南役の中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)殿も驚く程の腕を持っています」
「そういうお前もかなりの腕のようだな」とウニタキがウメに言うと、
「高橋殿にはかないませんよ」と言って笑った。
 高橋殿の話をしながら酒を飲んでいると、ようやく主人が現れた。その顔を見て、サハチは驚いた。サハチの一節切に合わせて舞台で舞っていた美女だった。
「お待たせいたしました」と言って高橋殿はサハチの正面に座った。
「先程は失礼いたしました」
 そう言ってサハチに笑うと、ウニタキとファイチを見て、「今宵はお楽しみ下さい」と言った。
 高橋殿があんなにも見事な舞を舞うなんて信じられなかった。一流の芸人と言ってもいい舞だった。そして、あの柔らかい身のこなしは確かに小太刀の名人に違いない。ササは三十代の半ばだと言っていたが、どう見ても三十前だった。
 お女中たちがお膳を運んで来て、サハチたちのお膳を交換し、三人の女たちの前にもお膳を並べた。お膳を挟んで、サハチの前に高橋殿、ウニタキの前にタケ、ファイチの前にウメが座った。
「遠い所からよくいらしてくれました。大歓迎いたします」
 高橋殿がそう言って、みんなで乾杯をした。
「わたしたちの名をどうしてご存じなのですか」とサハチは高橋殿に聞いた。
 高橋殿は美しい笑顔を見せて、「あなたの奥方様のお陰で、琉球の事を色々と調べさせていただきました」と言った。
「マチルギのお陰?」
「去年の六月、あなたの奥方様は博多にいらっしゃいました。琉球から来た女たちが博多をうろうろしていると噂になって、その噂がわたしのもとに届いたのは丁度、北山殿の四十九日の法会の頃でした。その時は何かと忙しくて、ただ、様子を探るようにと指示を出しただけでした。そして、七月の半ば頃、あなたの奥方様は対馬(つしま)に行かれました。その頃になるとわたしも余裕ができて、琉球の事を調べました。九州探題の渋川殿やウメのお父上からも話を聞きました。琉球が明国と交易をしている事をわたしは初めて知りました。明国の商品を求めて、九州の松浦党(まつらとう)の者たちが琉球に行っている事も知りました。わたしは琉球の事をもっと知ろうと思って、配下の者を琉球に送る事にしたのです」
「えっ、配下の者が琉球に行ったのですか」とサハチは驚いた顔で高橋殿を見つめた。
「あなたの奥方様と一緒に琉球に行ったのです。熊野の山伏が一緒に乗っていたはずですが、ご存じではありませんか」
 対馬から山伏を連れて来たとシンゴから話は聞いていた。シンゴの船に乗ってヤマトゥンチュが琉球に来るのは珍しい事ではなかった。山伏や僧侶、サムレーなどがやって来る。シンゴから話は聞くが、特に重要な人物以外は一々会ってはいなかった。その山伏は半年間、琉球を旅して周り、今回、シンゴの船に乗ってヤマトゥに帰っていた。シンゴの船に乗っていたイハチとクサンルーが、その山伏からヤマトゥ言葉を教わったと言っていたが、気にも止めなかった。
「その山伏がわたしたちの事を調べたのですね?」
 高橋殿はうなづいた。
「あなたが琉球中山王(ちゅうざんおう)の跡継ぎだという事もわかりました。あなたたち三人が一緒に明国に行った事もわかりました。今回も三人は一緒に来ています。あなたたち三人が琉球の重要人物に違いないと思って、御招待したのでございます」
「招待の目的は何ですか」とサハチは聞いた。
「その前に、あなたたちが京都に来た目的をお教え下さい。今回、あなたたちは朝鮮との交易に来たはずです。去年とは違って、大きなお船でやって来たと聞いております。その大きなお船博多港に入って、九州探題と交易をしているようですが、あなたたちは別行動をとって京都までやって来られました。どうしてでしょうか」
琉球と日本、国と国との交易をしたいと願っております」
「国と国というのは、琉球中山王と将軍様の取り引きの事ですね」
「そういう事になります」
 高橋殿は少し考えるような仕草をしてから、サハチを見てうなづいた。
「あなたたちのお力になれるように努力してみましょう」
「ありがとうございます」とサハチはお礼を言った。
「お腹(なか)が減りました」と高橋殿は笑って、「皆さんも召し上がって下さい」と言った。
 サハチたちはおいしい料理をつまみながら、上等な酒を飲み、高橋殿が話すお伊勢参りの話を聞いていた。
 どうして、伊勢の神宮に行っていたのですかとサハチが聞くと、
将軍様は時々、京都を離れたくなるのですよ。わたしもそうですけどね」と笑った。
 サハチは父の思紹(ししょう)を思い出した。どこの王様も自分の居場所から逃げ出したいようだと思った。
 タケが言ったように、高橋殿は酒が強かった。いくら飲んでも酔ったような様子はなく、サハチたちから琉球の話を聞いては楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 

信州舞姫 純米大吟醸原酒 美山錦 磨き49 720ml   天狗舞 山廃純米大吟醸 1.8L

2-48.七重の塔と祇園祭り(改訂決定稿)

 サハチ(琉球中山王世子)たちは憧れの京の都に来ていた。
 京の都は想像を絶する都だった。明国(みんこく)の都、応天府(おうてんふ)(南京)とはまったく違った都で、考えも及ばない驚くべき都だった。
 牛窓(うしまど)港の『一文字屋』の屋敷にお世話になった次の日、サハチたちは室津(むろつ)に着き、その次の日に、明石海峡を抜けて兵庫に着いた。
 兵庫港には明国の船と朝鮮(チョソン)の船が泊まっていた。噂では明国の使者たちは上陸の許可が下りずに船に乗ったままだという。博多港で待たされ、兵庫港でも待たされるなんて、外国船がヤマトゥ(日本)と交易するのは大変な事だ。使者というのは忍耐を要する仕事だとつくづく思っていた。
 兵庫からは陸路で京都に向かった。二隻の船は淀川をさかのぼって京都に向かうが時間が掛かるので、陸路で行った方が速いと孫三郎は言って、孫三郎と娘のみおも一緒に来た。
 景色を眺めながらのんびりと歩いて、夕方には太田宿(おおだじゅく)(茨木市)に着いた。孫三郎の馴染みの宿屋に泊まり、次の日の正午(ひる)過ぎには念願の京の都に到着した。
 京の都は思っていた以上に大きかった。明国の都のように高い城壁で囲まれている事はなく、道は碁盤の目のように整然と区画され、道に沿って家々が建ち並んでいた。広い敷地を持つお寺や神社があちこちにあった。
 道を行く人々は様々な格好をしていた。サムレー(武士)はわかるが、天皇の家臣だというお公家(くげ)さんというのがいた。随分と高い烏帽子(えぼし)をかぶっていて、偉いお公家さんは牛に引かせた牛車(ぎっしゃ)という乗り物に乗っている。
 山伏や僧侶も多かった。僧侶の中には頭巾をかぶって、武器をかついだ大男もいて、尼(あま)さんと呼ばれる女の僧もいた。
 綺麗な着物を着た女がいるかと思えば、ぼろぼろの布をまとっただけの女が裸の子供を連れて、銭を恵んでくれとまとわりついてきた。
 サハチたちは何を見ても驚いていた。そして、何よりも驚いたのは京都の蒸し暑さだった。琉球の夏よりも暑いのではないかと思われた。皆が暑い、暑いと言って流れる汗を拭いているのに、ただ一人、ヂャンサンフォン(張三豊)だけは汗もかかずに涼しい顔をしている。修行を積むと暑さも感じなくなるのかと改めて感心するばかりだった。
 京都の『一文字屋』は北野天満宮の近くにあった。
 『天満宮』は菅原道真(みちざね)を祀る神社で、菅原道真が亡くなった九州の太宰府(だざいふ)にもあった。商売をするには『座』に入らなければならず、一文字屋は博多に店を出す時、太宰府天満宮の座に入った。その縁で、京都に店を出す時、北野天満宮の座に入ったのだった。
 サハチは二十二年振りに主人の孫次郎と再会した。今は次郎左衛門と名乗っていた。当時の面影はあまりなく、坊津(ぼうのつ)にいた父親にそっくりだと思った。商人としての貫禄が備わり、京都で成功した事がよく感じられた。次郎左衛門もサハチの変わりように驚いていたようで、お互いに相手を見つめたまま、しばらく声も出なかった。やがて、お互いに笑い出して、相手の笑顔によって二十二年前に戻って懐かしがった。
 サハチは息子や弟がお世話になったお礼を言った。去年、マチルギたちは京都まで来られなかったが、その前年には息子のジルムイ、弟のヤグルー(平田大親)、マウシとシラーも京都まで来て、次郎左衛門のお世話になっていた。そのまた前年には息子のサグルーと弟のマサンルー(佐敷大親)もお世話になっている。息子や弟から京都の話を聞いて、行ってみたいと思っていたが、ようやく、来られたのだった。
 次郎左衛門は立派な屋敷に住んでいた。屋敷にはお客用の離れもあって、裏には土蔵がいくつも並んでいた。
 サハチたちは離れで休む間もなく、京都の町へと繰り出した。次郎左衛門の娘のまりが案内してくれた。まりはみおと同い年の十六歳の可愛い娘だった。
 最初に行ったのは『北野天満宮』だった。赤い鳥居をくぐって、広い庭を通って行くと正面に門があった。門をくぐって土塀に囲まれた境内(けいだい)に入ると、右側に二重の塔があった。
「多宝塔っていうのです」とまりが説明してくれたが、何の事かわからなかった。
 さらに進むとまた大きな門があって、そこを抜けると正面に拝殿(はいでん)と呼ばれる大きな建物があり、その裏に本殿があるという。サハチたちは、まりに言われるままに従ってお参りをした。広い境内の中には、いくつも建物があって、色々な神様を祀っているという。ササはヤマトゥの神様に興味があるのか、一つ一つお祈りをしていた。
 田舎から出て来た人たちが山伏に連れられて、辺りをキョロキョロ眺めながらお参りしていた。見ていておかしかったが、サハチたちも京都の人たちから見たら同じように映っていただろうと思うと急に恥ずかしくなった。
 次に行ったのはヤマトゥの王様だった北山殿(きたやまどの)(足利義満)が暮らしていた『北山第(きたやまてい)』と呼ばれる御殿だった。北山殿が亡くなったあと、跡を継いだ将軍様足利義持)は北山第に入るが、父親の四十九日の法会(ほうえ)が済むと花の御所に戻り、今年になってからは祖父が暮らしていた三条坊門の御所に移っている。今、北山第で暮らしているのは北山殿の奥方様だけだという。
 高い塀に囲まれた広い敷地内を見る事はできなかったが、塀の外から『七重の塔』は見る事ができた。その高さは物凄かった。こんなにも高い建物が建てられるのだろうか。まったく信じられない事だった。まりが言うには三百六十尺(約百十メートル)の高さだという。ヂャンサンフォンでさえ、その高さには驚いていた。
「ここにできる前は、花の御所の近くにある相国寺(しょうこくじ)にありました」とまりは言った。
「でも、完成してから四年後に雷が落ちて焼けてしまいました。それで、今度は北山第に造る事になって、二年前に完成したのです」
「わしがいた妙心寺が潰された年に完成したのが相国寺の七重の塔じゃった」とジクー(慈空)禅師が言った。
「旅の噂で、雷が落ちて焼け落ち、北山第に再建されるとは聞いていたが、本当だったんじゃのう。こんな巨大な物を二つも造るとは、改めて、北山殿の凄さを思い知ったわ」
 ジクー禅師は七重の塔を見上げながら昔を思い出しているようだった。妙心寺は北山殿の怒りを買って潰されたと聞いている。ジクー禅師は北山殿を恨んでいたのかもしれなかった。
「上に登れるのか」とサハチはまりに聞いた。
「登れます。北山殿が生きていらっしゃった頃は、偉い武将やお公家さんたちを招待して、あの上からの眺めを楽しませていたようです。うちのお得意様のお公家さんも上まで登ったみたいで、お女中さんからお話を聞きましたけど、京都の街がすべて見回せて、まるで、鳥にでもなったような気分だったって言っていました」
「凄いなあ」と言いながら、皆、ポカンとした顔で七重の塔を見上げていた。
「七年後にまた雷が落ちて、焼け落ちてしまうわ」とササが言った。
「えっ?」と言って、皆がササを見た。
「高すぎるのよ。神様が許さないわ」
 ササはそう言って笑ったが、誰も笑わずにササを見ていた。まりは気分を害したような顔をしていた。
「この中に黄金色(こがねいろ)の御殿があるのか」とサハチはまりに聞いた。
「そうなんです」とまりはうなづいた。
「綺麗な大きな池の中に黄金色に輝く三層の御殿があるそうです。まるで、極楽にあるような華麗な御殿だっていう噂です」
「そんなに凄い御殿があるのに、将軍様はどうして、ここで暮らさないんだ?」とウニタキ(三星大親)が聞いた。
 まりは首を傾げた。
「よくわからないけど、噂では将軍様とお父上の北山殿は仲がよくなかったって言います。父親が造った御殿に住みたくないんじゃないですか」
「勿体ない事だな」
「偉い人の考える事は、あたしたちにはわかりませんよ」
 北山第を離れて、次に向かったのは今宮(いまみや)神社だった。厄除(やくよ)けの神様を祀る今宮神社には名物のあぶり餅(もち)があるという。
「うちと同じ名前の『一文字屋』っていうんですよ」とまりが笑った。
「別に親戚じゃありません。今宮さんの一文字屋さんは四百年も前からやっているらしいわ」
「楽しみね」とシズが言って、シンシン(杏杏)と女子(いなぐ)サムレーたちに琉球言葉で説明した。おいしいお餅があると聞いて、女たちはキャーキャー騒いだ。
「まりさん、あの山は何?」とササが右手に見える小高い丘を見つめながら聞いた。
「あれは『船岡山』です。葬送地なんです。疫病(えきびょう)が流行した時、亡くなった人たちは皆、あの山に葬られます」
「古いウタキ(御嶽)があるわ。行ってみましょう」
「えっ?」とまりは驚いた。
「あの山には誰も近づきません」
 まりがそう言っても、ササは行く気満々だった。いやがるまりを無理やり案内させて、船岡山に向かった。山の近くまで来るとササはさっさと歩いて行き、山頂へと続く道を見つけた。
「気味が悪いわ」と言って足を止めるまりとみおを、
「あたしたちがいるから大丈夫よ」とササは言って、山道に入って行った。
 ササが行きたいと言うのだから、きっと凄いウタキがあるのだろうと皆もあとに従った。
 それほど高い山ではないので、すぐに山頂に着いた。途中に死骸が転がっているわけでもなく、普通の山道だった。
 山頂にはウタキらしい岩があって、そこからの眺めは最高だった。七重の塔も見え、その周りに建っている大きな建物もよく見えた。その向こうにも大きな建物が建っているが、黄金色に輝く金閣は見えなかった。
 ササはウタキの前に座り込んでお祈りを始めた。
 サハチたちは京都の街並みを眺めた。真っ直ぐな道に沿って整然と家々が建ち並び、その中の所々に大きな敷地を有した立派な屋敷があり、森に囲まれた神社や大きなお寺も建っていた。遠くに東寺の五重の塔も見えた。サハチが思っていたよりも桁外れに大きい都だった。反対側に目をやると山々が連なっていた。どこを見回しても海は見えなかった。やはり、ヤマトゥの国は広いとサハチは感じていた。
スサノオの神様だったわ」とお祈りを終えたササが興奮した顔で言った。
対馬スサノオの神様を祀っている神社がいっぱいあったの。でも、スサノオの神様の声を聞く事はできなかったわ。まさか、京都でスサノオの神様に会えるなんて思わなかった。ここに都ができる前、スサノオという太陽の神様がこの岩に下りていらっしゃったのよ。スサノオの神様はヤマトゥ(大和)の国をお造りになった凄い神様なのよ」
スサノオの神様は今宮神社に祀られているわ」とまりは言った。
「疫病が流行った時は、スサノオの神様にお祈りして退治していただくのよ」
スサノオは太陽の神様なのか」とジクー禅師は首を傾げた。
対馬の船越にあったアマテル神社の神様はスサノオなのよ」
「アマテル神社の神様は天照大御神(あまてらすおおみかみ)じゃないのか」
「アマテラスはスサノオの娘なのよ」
 ジクー禅師はまた首を傾げた。
 サハチはマチルギからスサノオの事を聞いていた。『三つ巴』はスサノオの神紋(しんもん)だと言っていた。京都に行ったらお参りしようと思っていたが、京都に着いた途端に会えるとは思ってもいなかった。
「明日、お祭りがある祇園社(ぎおんしゃ)(八坂神社)もスサノオの神様を祀っているのよ」とまりが言った。
 お祭りと聞いて女たちはキャーキャー騒いだ。
 サハチには神様の声は聞こえないが、ウタキに両手を合わせて感謝のお祈りを捧げた。
 船岡山を下りて、『今宮神社』に向かった。赤い鳥居をくぐって参道を歩いた。参道の右側には土塀で囲まれた大徳寺という大きなお寺があった。
 赤い立派な門をくぐって中に入ると境内は広く、小さな神社がいくつかあった。大きな本殿は正面にあるのだが、塀に囲まれていて中には入れないようだった。中央にある門の所で参拝して、境内の右側にある門から外に出て、一文字屋であぶり餅を食べた。甘くておいしい餅だった。
 次の日は『祇園社』のお祭りを見に行った。物凄い人出だった。山鉾(やまぼこ)と呼ばれる大きな御神輿(おみこし)がいくつも出て、街を練り歩いた。その山鉾の大きさと美しさにサハチたちは呆然とし、これが都のお祭りというものかと感嘆した。
 お祭りは二日間あった。次の日もササたちはまりと一緒にお祭り見物に出掛けた。イハチとクサンルーも行ったが、サハチたちは人が多すぎて疲れると言って、お祭りには行かずに街中を散策した。
 北小路(きたこうじ)を東へと進み、今は使っていない将軍様の御殿『花の御所』を見て、その斜め前にある天皇の御所を見た。どちらも広い敷地を有していたが、豪華で立派な花の御所に比べて、天皇の御所は塀も所々が壊れていて、何となく惨めな感じがした。
将軍様天皇の違いがよくわからないのですが」とサハチはジクー禅師に聞いた。
天皇というのはヤマトの国を造った王様の子孫で、代々、続いている日本の王様なんじゃよ。伊勢の神宮に祀られているアマテラスが始祖なんじゃが、わしは以前から不思議に思っていたんじゃ。太陽神が女神だという事にな。昨日、船岡山でササが言った事は信じられなかったが、よく考えてみるとササの言った通りのような気がするんじゃ。本当の太陽神はスサノオで、その娘がアマテラスだった。なぜだか知らんが、スサノオは消されてしまったらしい。とにかく、アマテラスから代々続いているのが天皇家というわけじゃ。つい先頃まで、天皇家南朝北朝に分かれて争っていたが、その争いも治まった。しかし、長い争いの末に天皇家の力も弱まってしまい、今は将軍様の方が王様のようなものじゃな。元々は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)と言って、日本の北の方にいる蝦夷(えぞ)と呼ばれる異民族を征伐(せいばつ)するために、天皇から任命された役職だったんじゃが、各地のサムレーたちが力を付けるに従って、サムレーたちの総大将となった将軍様は、天皇よりも力を持つようになってしまったんじゃよ」
琉球が交易するとすれば、天皇ではなくて、将軍様なのですね?」
天皇は他国と交易するほどの財もあるまい」
 サハチはずっと続いている御所の塀を眺めながらうなづいた。
 御所の近くに、将軍様に最も信頼されている重臣、勘解由小路(かでのこうじ)殿の屋敷があるというので行ってみた。重臣らしい立派な屋敷で、門には武装した門番が立っていた。
 勘解由小路殿の名前はサハチも何度か聞いていた。名前は聞いているが詳しい事は知らない。ジクー禅師に聞いてみた。
「勘解由小路殿の本当の名前は斯波(しば)道将(どうしょう)と言うんじゃ。北山殿が出家なされた時に、一緒に出家して、家督を倅に譲っておる。斯波氏というのは将軍様と同族の足利一門なんじゃよ。勘解由小路殿の父上は足利尾張守(おわりのかみ)と名乗っておられた。将軍様を補佐する役職に管領職(かんれいしき)というのがあって、勘解由小路殿は何度も管領を務めておる。そして、越前、加賀、尾張(おわり)、遠江(とおとうみ)の国を治める守護でもあるんじゃ。亡くなられた北山殿が最も信頼されていた武将で、やりたい放題だった北山殿をお諫(いさ)めできたのは勘解由小路殿だけだったとも言われておる。二十歳の頃、越中の国を平定なされ、武将としても一流で、和歌や連歌も堪能で、文武両道の達人と言えるお方じゃな」
「いくつくらいのお方なんですか」
「六十前後だと思うが‥‥‥北山殿が亡くなったあと、家督争いが生じなかったのは勘解由小路殿のお陰だと、都の者たちは皆、感謝しておるようじゃ」
「成程。立派な人らしいですね。できれば会いたいが、難しいだろうな」
 土塀を見上げながら、
「忍び込んで、その立派な男とやらに会ってみるか」とウニタキが言った。
「だめです」とファイチ(懐機)が言った。
「冗談だよ」とウニタキは笑った。
九州探題の渋川道鎮(どうちん)が、この屋敷に滞在しているかもしれません」とンマムイ(兼グスク按司)が言った。
「渋川道鎮に会う事ができれば、勘解由小路殿にも会えますよ」
「渋川道鎮を知っているのはお前だけだ。お前は渋川道鎮を探してくれ」とサハチはンマムイに頼んだ。
「師兄(シージォン)、任せて下さい」とンマムイは調子よく答えた。
 サハチは赤間関(あかまがぜき)で広中三河守(みかわのかみ)から大内氏のお屋形様宛ての書状をもらった事を思い出して、
大内氏というのも将軍様と親しいのですか」とジクー禅師に聞いた。
大内氏というのはかなりの勢力を持った武将じゃった。しかし、十年前に将軍様との戦に敗れて、勢力は削減されたんじゃよ。わしがいた妙心寺大内氏との関係が深かったために、北山殿の怒りを買って潰されてしまったんじゃ。将軍様に逆らった大内氏じゃが、倅は許されて、将軍様に仕えているようじゃな。大内氏を頼りにするよりも、やはり、勘解由小路殿を頼った方がいいじゃろう」
「慈恩禅師(じおんぜんじ)の弟子の中条(ちゅうじょう)兵庫は将軍様の武術指南役です。中条兵庫を見つければ、将軍様にも会えるかもしれませんよ」と修理亮(しゅりのすけ)が言った。
「その手もあるな」とサハチは修理亮にうなづいた。
「わしは唐人(とうじん)を探してみよう」とヂャンサンフォンが言った。
「明国の使者が来るという事は、唐人の通事(つうじ)がいるという事じゃ。見つけ出して、会うことができれば、勘解由小路殿と会えるかもしれん」
「師匠、いい所に目をつけましたね。きっと、将軍様に仕えている唐人がいるはずです。お願いします」
「わしは禅僧を当たってみる」とジクー禅師は言った。
「勘解由小路殿は禅の修行もしておるんじゃよ。相国寺の春屋(しゅんおく)禅師に帰依(きえ)していたんじゃ。春屋禅師は亡くなってしまわれたが、今、帰依している禅師がいるはずじゃ」
「明日から手分けして、それらの人たちを探しましょう」とサハチは言った。
 みんなで協力すれば、勘解由小路殿に会う事ができるような気がした。
「ところで、俺たちはどこに向かっているんだ?」とウニタキが言った。
 勘解由小路殿の屋敷を離れて、話をしながら歩いていたので、今、どこにいるのかわからなかった。
 ジクー禅師が後ろを振り返って、
「これが勘解由小路じゃ」と言った。
「この通りをまっすぐ行くと、北野天満宮に向かう道とぶつかるんじゃ。そこを右に曲がれば帰れる」
「勘解由小路というのは道の名前だったのか」とサハチは感心した。
 琉球には道に名前なんてなかった。首里を立派な都にするには、道にも名前を付けた方がいいなと思った。

 

 

 

足利義満 - 公武に君臨した室町将軍 (中公新書)   室町の王権―足利義満の王権簒奪計画 (中公新書)   管領斯波氏 (シリーズ・室町幕府の研究1)