長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-67.勝連の呪い(改訂決定稿)

 正月の下旬、シンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船が馬天浜(ばてぃんはま)にやって来た。イハチ(サハチの三男)とクサンルー(浦添按司)が無事に帰国した。
 ナナが来ているので、イハチと仲よくなったミツが一緒に来るかと思ったが、来なかった。一時は母親と一緒に来ると言ったのだが、今の対馬(つしま)の状況を考えたら、やはり行けないと言ったという。行く気になればいつでも行けるので、お屋形様(早田左衛門太郎)たちが帰って来たら必ず行くと言ったらしい。
 シンゴの話では、お屋形様たちが帰って来たら、妹のサキも娘と一緒に琉球に行くと言ったという。イトたちも行くと言ったし、大勢の女たちが琉球にやって来そうだ。来てくれるのは嬉しいが、あちこちで騒動が起きそうだった。
 歓迎の宴(うたげ)で飲み過ぎて『対馬館』に泊まり、正午(ひる)頃に島添大里(しましいうふざとぅ)に帰るとサハチ(島添大里按司)はナツに怒られた。
「若按司様(わかあじぬめー)(サグルー)が明国(みんこく)に行っていて、佐敷ヌルさんはお祭り(うまちー)の準備で首里(すい)に行っています。按司様(あじぬめー)がちゃんとしてくれないと困ります。それに、奥方様(うなじゃら)ももうすぐ、赤ちゃんをお産みになられます」
 マチルギは今、首里グスクの御内原(うーちばる)に入っていた。出産の兆しがあれば首里から知らせが届く手はずになっていた。
 サハチはナツに謝った。もともと気が強い女なのかもしれないが、だんだんとマチルギに似てきていた。二人が同時にサハチを責めて来たら、とても太刀打ちできない。そこに、メイユー(美玉)まで加わったら、もうお手上げだった。
 さんざ小言を言ったナツが引き上げると、サハチはイーカチが描いた首里城下の絵地図を広げて、どこにお寺を建てようかと考えた。首里のお祭りが終わったら、首里グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)の唐破風(からはふ)の普請(ふしん)を始めて、それが完成したら、長年仕えてくれたソウゲンのために『宗玄寺』を建てて、次に首里で読み書きを教えているナンセンのために『南泉寺』を建てて、次にジクー禅師のために『慈空寺』を建てる。次は慈恩禅師(じおんぜんじ)が来てくれたら、『慈恩寺』を建てる。それに、浦添の『極楽寺』も再建しなければならなかった。荒れ果てたままの英祖(えいそ)のお墓も直さなければならない。極楽寺を入れて五つ。浮島(那覇)の『護国寺』を入れれば六つになる。残りの四つはヤマトゥ(日本)から僧侶を連れて来るか、琉球人(りゅうきゅうんちゅ)の僧侶を育てるかしなければならない。身内で誰かいないかと探してみたが、思い当たる者はいなかった。
 あれこれ考えているうちに夕方になり、ササたちがヤンバル(琉球北部)の旅から帰って来た。
 ササは目を輝かせて、「按司様、見つけたわよ」と言った。
 一緒に行ったシンシン(杏杏)とナナも興奮しているような顔付きだった。
スサノオの神様の足跡が見つかったのか」とサハチは驚いた顔をしてササに聞いた。
「辺戸岬(ふぃるみさき)まで行って来たのよ。ヤマトゥから島伝いに琉球に来たスサノオ様は、辺戸岬まで来て、きっと上陸したと思うわ。宇佐浜(うざはま)という砂浜よ。宇佐浜から安須森(あしむい)(辺戸岳)に登ったのに違いないわ。あたしたちも登ってみたの。頂上からの眺めは、とても素晴らしかったわ」
 若い頃に辺戸岬に行った時、サハチも安須森を見上げて登って見たいと思った。しかし、安須森は山自体が神聖なウタキ(御嶽)になっているので登る事はできなかった。
「安須森に登ってスサノオ様は南の方(ふぇーぬかた)を見たと思うんだけど山ばかりで玉グスクまでは見えないわ。山の上に古いウタキがあるんだけど、なぜか、神様の声は聞こえなかったの」
スサノオ様が来た時、すでに安須森は神聖なウタキになっていて、スサノオ様は登れなかったんじゃないのか」とサハチは言った。
「そうか」と言ってササは考えてから、「そうかもしれないわね」とうなづいた。
「宇佐浜に村(しま)があって、そこのヌルから玉グスクの場所を聞いたのかもしれないわ。辺戸岬からスサノオ様が東の方(あがりかた)に進んだのか、西の方(いりかた)に進んだのかわからなかったんだけど、ヌルから場所を聞いたとすれば、東の方に進んで行ったに違いないわ。東の方に進めば勝連(かちりん)半島にぶつかるわ。それで、勝連を調べたんだけど、何も見つからなかったの。ついでだから、望月党の隠れ家に行ってみたんだけど、誰かが来た形跡はなかったわよ。去年、あたしたちが片付けたままの状態だったわ」
「そうか。望月党の残党が戻って来れば、必ず、あそこに現れるだろうとウニタキ(三星大親)は言って、あそこを『三星党(みちぶしとー)』の拠点にはしなかった。勝連にいるウニタキの配下の者が時々、様子を見に行っているらしい。ちょっと待て。お前、辺戸岬からスサノオ様が東に進んだのか、西に進んだのかわからなかったと言ったな。西に進めば今帰仁(なきじん)にぶつかる。まさか、今帰仁に行ったのではあるまいな」
「行かなかったわ」とササは首を振った。
 サハチはホッとした。
「行こうと思ったんだけどね、何かいやな予感がしたのでやめたわ」
「そうか、よかった。あと六年待て。六年経ったら好きなだけ歩き回ってもいい」
「そうね。勝連半島を迂回したスサノオ様は南下して馬天浜に上陸したのよ」
「確かにスサノオ様が琉球に来たとすれば、馬天浜に上陸しただろうが、そんなの信じられんな」
「あたしだって信じられなかったわ。でも、佐敷グスクの裏山にある古いウタキの神様が教えてくれたのよ」
スサノオ様が来たってか」
「はっきり、スサノオ様とは言わなかったけど、遙か昔、ヤマトゥから若い王様がやって来たって言ったわ。その王様は上陸した浜を『果ての浜』って名付けたそうよ」
「果ての浜?」
「ハテノハマがハティヌハマになって、いつしかバティンハマになったんだと思うわ」
「果ての浜か‥‥‥確かにヤマトゥから来たら、細長い島の果てにある浜だな」
「それだけじゃないのよ。その王様は琉球に着いた喜びから踊ったんだけど、髪に挿していた佐世(させ)の木が落ちたので、その地を佐世木と呼ぶようになったらしいわ」
「サセキがサシキになったのか」
「そうらしいわ」
「その佐世の木というのはどんな木なんだ?」
ツツジの仲間らしいわよ。スサノオ様はヤマタノオロチを退治した時も、佐世の木を髪に挿して踊ったらしいわ。琉球に来て、佐世の花が咲いているのに感激して、髪に挿して踊ったのよ」
「その王様の名前を神様は知らなかったのか」
「ウシフニって言っていたわ」
「ウシフニ‥‥‥スサノオっていうのは神名(かみなー)で、ウシフニっていうのが童名(わらびなー)じゃないのか」
「そうだといいんだけどわからないわ。明日、玉グスクに行って調べて来るわ。マシュー姉(ねえ)(佐敷ヌル)に聞いたら、スサノオ様が来た頃の玉グスク按司は、あたしたちの御先祖様だって言っていたわよ」
「やはり、そうだったか」とサハチは満足そうにうなづいた。
 言いたい事を言ってササが帰ろうとしたら、「オキナガシマ」とシンシンが言った。
「あっ、そうそう。スサノオ様が来た頃、琉球は沖の長島とか沖長島って呼ばれていたみたい」
「沖長島か‥‥‥」
 遙か沖にある細長い島だからそう呼ばれていても不思議はなかった。タカラガイの交易が終わって、この島の事は忘れ去られて、いつしか明国が名付けた琉球という名が島の名前になってしまったのだろう。
 ササたちが帰って行ったあと、お茶を持って来て、一緒に話を聞いていたナツが、
「ヤマトゥから来た娘さんを初めて見たけど、すっかり馴染んでいて、古くからのササのお友達みたいね」と言った。
 そう言われてみれば、ヤマトゥから来た女は見た事がなかった。ヤマトゥの商人たちは女を連れては来ないし、浮島の若狭町(わかさまち)にもヤマトゥの女はいなかった。サハチが知っている限りでは、ナナは初めて琉球に来たヤマトゥの女かもしれない。いや、一人いたのを思い出した。思紹(ししょう)(中山王)の側室にヤマトゥの女がいた。薩摩の商人から贈られたアユだった。今まで不思議に思わなかったが、アユは思紹の側室になるためにヤマトゥから連れて来られたのだろうか。
「どうしてササはスサノオの神様の事を調べているの?」とナツが聞いた。
「さあ?」とサハチは首を振った。
「一昨年(おととし)のヤマトゥ旅でスサノオの神様の事を知ったらしい。そして、去年のヤマトゥ旅で、京都でスサノオ様の声を聞いたんだ。あまりにも偉大な神様なので興味を持ったのだろう。俺たちの家紋『三つ巴』も、スサノオ様の神紋だったらしいから、俺たちに関係がないとは言えない。気が済むまで調べればいいさ」
 ナツは笑って、「馬天浜が『果ての浜』だったなんて驚いたわ」と言った。
「そうだな。意味もわからずに馬天浜って言っていたけど、地名というのはそれなりにちゃんとした意味があるんだな」
首里は真玉添(まだんすい)のスイでしょ。島添大里は島襲い大里で、佐敷が佐世木、ねえ、津堅島(ちきんじま)のチキンって何なの?」
 サハチは首を傾げた。
 二日後、ササは玉グスクから帰って来て、何も見つからなかったと言った。
「本人から聞くのが一番早いんじゃないのか」とサハチはササに言った。
「それがわかれば苦労はないわ。豊玉姫(とよたまひめ)様が今、どこにいるのかわからないのよ」
対馬の『ワタツミ神社』のお墓にはいなかったのか」
 ササは首を振った。
対馬にはスサノオ様も豊玉姫様もいなかったわ。スサノオ様には京都で会えたけど、豊玉姫様はいないのよ。一体、どこにいるの?」
「京都には別の奥さんがいたと言ったな」
稲田姫(いなだひめ)様よ。出雲(いづも)のお姫様なの。豊玉姫様は琉球の事が心配になって琉球に帰って来ていると思ったんだけど、玉グスクにはいなかったわ」
琉球のお姫様じゃなかったんじゃないのか」
「いいえ、琉球のヌルよ。いつか必ず、探してみせるわ」
「神様から与えられたお前の仕事だ。頑張れ」
「神様から与えられたお仕事?‥‥‥そうかもしれないわね」
 ササは納得したような顔をして笑った。
 二月九日、首里グスクのお祭り(うまちー)が盛大に行なわれた。
 早いもので四回目のお祭りだった。一回目のお祭りの時、サハチはいなかったが、思紹の身代わりが殺された。二度目は何事も起こらなかった。三度目は『龍天閣(りゅうてぃんかく)』の普請中だったので北曲輪(にしくるわ)で行なった。ようやく龍天閣も完成して、今年は西曲輪(いりくるわ)を開放して、龍天閣も開放した。
 朝早くから人々が集まって来て、大御門(うふうじょー)が開くのを待っていた。門が開くと、北曲輪にいる孔雀(コンチェ)に歓迎されて、人々は坂道を上って西曲輪に入った。人々が目指すのは西曲輪の奥に立つ龍天閣だった。龍天閣の前には長い行列ができた。龍天閣に上るために泊まり掛けでやって来た人も多かった。城下にはそんな人たちのための宿屋もいくつかできていた。
 ササはシンシンとナナと一緒に例年のごとく、見回りをしていた。女子(いなぐ)サムレーたちは屋台で酒や餅を配っている。四番組のシラーは石垣の上からグスクを守っていた。五番組のマウシは残念ながらお祭りを見る事はできず、浮島の警護に当たっていた。
 舞台では綺麗なチマチョゴリ(朝鮮の着物)を着た佐敷ヌルとユリの進行で、娘たちの踊りの競演、女子サムレーの模範試合、シラーとウハの少林拳(シャオリンけん)の演武、飛び入りの芸能大会と進んで、女子サムレーたちによるお芝居が始まった。演目は『察度(さとぅ)』だった。
 察度の父、奥間大親(うくまうふや)は畑仕事のあとに森の泉に手足を洗いに来る。泉では若く美しい女が行水(ぎょうずい)をしている。木陰に隠れて女に見とれていた奥間大親は、木の枝に掛かっている羽衣(はごろも)を見つける。奥間大親は羽衣を隠してから泉に行く。女は慌てて泉から出るが羽衣がない。女は天女だと名乗り、羽衣を探してくれという。奥間大親は一緒に探す振りをして、天女を家に連れて帰る。
 天に帰れなくなった天女は奥間大親の妻となって暮らし、子供も二人生まれる。男の子がジャナ、女の子がチルー。ジャナが十歳になった時、妹のチルーが歌う歌を聴いて、天女は羽衣を見つけ出す。子供たちと別れるのは辛いが、天女は意を決して天に帰ってしまう。
 ここまでは博多で見た『羽衣』と同じだったが、その先があった。ジャナは勝連グスクに行って、勝連按司の娘、マナビーを嫁にもらい、チルーはジャナの親友のタチに嫁ぐ。ジャナとタチは兵を集めて浦添(うらしい)グスクを攻め、浦添按司を倒す。浦添按司になったジャナは察度と名を改め、めでたしめでたしでお芝居は終わった。
 天女を演じたのはチニンチルーだった。女子サムレーとしての最後の仕事がこのお芝居だった。チニンチルーは天女の舞を華麗に舞っていた。子供の頃のジャナを演じたのはウニタキの娘のミヨンで、チルーを演じたのはサハチの三女のマシューだった。マシューはミヨンの弾く三弦(サンシェン)に合わせて、見事に歌いきった。八歳のマシューはミヨンと一緒に首里の屋敷に泊まり込んで稽古に励んでいたという。マシューの歌を聴きながら、サハチはマチルギと一緒に聴きたかったと思っていた。マチルギは御内原で頑張っていた。赤ん坊は今日か明日にも産まれるだろう。
 察度が浦添グスクを攻める戦(いくさ)の場面では、十人の女子サムレーが迫力ある棒術の演武を披露して観客たちを喜ばせた。イーカチが描いた背景の浦添グスクの絵も見事なできばえだった。
 お芝居のあと、笛の競演があって、シンシン、チタ、ウミチル、ササ、ユリ、佐敷ヌルが横笛を披露して、サハチも一節切(ひとよぎり)を披露した。それぞれが皆、前回のお祭りの時よりも腕を上げ、自分らしさを表現していた。
 ウニタキが娘のミヨンと一緒に三弦を弾いて歌を歌い、最後はみんなで踊って、舞台は終わった。ウニタキは朝鮮(チョソン)で手に入れた大きめな三弦を弾いていた。
 舞台から降りたウニタキから、リリーが四日前に女の子を産んだ事を聞いた。
「おめでとう」とサハチが言うとウニタキは苦笑した。
 お祭りは何事も起こらず、無事に終わった。
 次の日、御内原で舞台が再現された。お芝居が終わって、女たちが拍手を送っている時、マチルギが男の子を産んだ。子供が産まれる前、マチルギは宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)の夢を見たと言った。若い頃の御隠居が大きな船に乗って大海原を走っていたという。
「御隠居様の生まれ変わりかもしれんな」とサハチが言うと、マチルギは嬉しそうに笑った。
「ちょっと待て。今日は何日だ」とサハチは言った。
「二月十日でございます」と侍女が答えた。
「御隠居様の命日だ」とサハチは言って、マチルギを見た。
「まさしく、御隠居様の生まれ変わりに違いない。御隠居様のように、サグルーを助けてくれるに違いない。でかしたぞ、マチルギ」
 サハチの八男、奥間のサタルーを入れると九男になるが、宇座の御隠居の名をもらってタチ(太刀)と名付けられた。
 一徹平郎(いってつへいろう)と新助を中心に百浦添御殿の正面を飾る唐破風の普請が始まった。瓦(かわら)職人の源五郎は瓦を焼くのに適した土を探しに出掛けて行った。通訳としてイハチが従った。好きになったミツのお陰か、イハチのヤマトゥ言葉は随分と上達していた。
 ウニタキは旅回りをする芸能一座を作ると張り切っていた。首里グスクとビンダキ(弁ヶ岳)の中程辺りに、朝鮮のサダン(旅芸人)たちが暮らしていたような小屋を立てて、そこで稽古を積み、一年後には旅に出られるようにするという。サハチにも暇な時に笛の指導に来てくれと言っていた。
 二月十八日、以前、ファイチ(懐機)の家族が暮らしていた重臣屋敷で、イーカチとチニンチルーの婚礼が行なわれた。イーカチは辺土名大親(ふぃんとぅなうふや)を名乗って王府の絵師となった。イーカチは奥間生まれだが、奥間大親はすでにいる。母親の生まれが辺土名だったので、辺土名大親を名乗る事になった。
 身内だけの婚礼だったが、ウニタキ夫婦を中心に、女子サムレーたちが代わる代わるやって来て賑やかな婚礼となった。ナツも子供たちの面倒を佐敷ヌルとユリに頼んでやって来た。『まるずや』の者たちも、店が閉まると女主人のトゥミが売り子たちを連れてやって来た。『まるずや』では扇子を売っていて、その扇子の絵を描いているのがイーカチだった。
 イーカチの表向きの顔は地図を作っている三星大親(みちぶしうふや)(ウニタキ)の配下で、三星大親と旅をしながら各地の風景を描いているという事になっている。また、『まるずや』が三星党とつながりがある事も、三星党の者たち以外は知らなかった。
 イーカチとチニンチルーはみんなから祝福されて、幸せそうだった。チタがお祝いの笛を吹いて、クニがお祝いの舞を舞った。ウニタキがお祝いの三弦を弾いて、サハチも一節切を吹いた。その日はナツがいたので、サハチも遅くまで飲んでいる事はなく、ナツと一緒に早々と引き上げた。
 イーカチの婚礼から五日が経って、勝連から若按司が病に倒れたとの知らせが届いた。勝連の若按司は十二歳で、勝連の血を引く唯一の跡継ぎだった。もし亡くなってしまったら大変な事になる、と勝連では大騒ぎになっているに違いない。サハチはウニタキと馬天ヌルに勝連に行ってもらい、薬草に詳しい中グスク按司(クマヌ)にも行くように頼んだ。さらに、ファイチに頼んで、久米村(くみむら)にいる医者にも通事を付けて行ってもらった。
 あらゆる看護の甲斐もなく、倒れてから三日後に若按司は亡くなってしまった。今後の対策を考えるため、サハチも勝連に向かった。ササ、シンシン、ナナの三人も付いて来た。
 勝連按司後見役のサムと勝連の重臣たち、そこにサハチとウニタキが加わって今後の事を相談した。
 平安名大親(へんなうふや)は、ウニタキに戻って来てほしいと頼んだが、ウニタキは今は無理だと丁重に断った。平安名大親もその事は覚悟していたのだろう。別の案を出した。
 ウニタキの妹で、武寧(ぶねい)(先代中山王)の長男、カニムイ(金思)に嫁いだ娘がいた。その娘はカニムイとの間に二人の子を産み、長男は殺されたが、長女を連れて勝連に戻って来ていた。今、長女は十四歳になった。その長女とサムの長男を一緒にさせて、サムが勝連按司になるという案だった。そうすれば、三代後には勝連の血を引く者が勝連按司になると平安名大親は言った。
 サハチたちに文句はないが、勝連の重臣たちの反応が問題だった。勝連とは関係のないサムが按司になる事を許すだろうか。
 サハチは心配したが、反対する者はいなかった。後見役を務めていた四年間、様々な事があっただろうが、サムは重臣たちの心をつかんだようだった。勝連の血は流れていないが、サムはサハチの義兄であり、中グスク按司の娘婿だった。伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司、安慶名按司(あぎなーあじ)もサムの兄たちで、勝連の地を守っていくには申し分のない男と言えた。
 重臣たちも勝連ヌルも平安名大親の案に賛成して、サムが勝連按司になる事に決まった。サムが勝連按司になってくれれば、交易の事も頼みやすくなる。今後、勝連にはもっと活躍してもらおうとサハチは思っていた。
 次の日、若按司の葬儀が行なわれた。葬儀が終わった頃、ササが森の中で見つけたと言って、紙切れを見せた。
「シンシンが言うには、道士(どうし)が使う霊符(れいふ)で、呪いの霊符に違いないって言うわ」
 確かに『龍虎山(ロンフーシャン)』で見た霊符に似ていた。奇妙な字が書いてあって、サハチにはまったくわからない。
「お前たち、すぐに帰って、それをヂャン師匠に見せろ」とサハチは言った。
 ササたちはうなづいて帰って行った。
 呪いの霊符がどうして、こんな所にあるのだろう?
 若按司は誰かに呪い殺されたのか‥‥‥
 一体、誰が勝連を呪おうとしているんだ?
 望月党か‥‥‥望月党が復活したのか‥‥‥
 復活したとしたら大変な事になる。サハチはすぐにウニタキに知らせた。

 

 

 

沖縄の聖地

2-66.雲に隠れた初日の出(改訂決定稿)

 新しい年が明け、永楽(えいらく)八年(一四一〇年)となった。
 去年は本当に素晴らしい年だった。何もかもがうまくいった。今年もいい年であるように初日の出に祈ったが、雲に隠れて拝む事はできなかった。何となく嫌な予感がした。
 馬天(ばてぃん)ヌルが、「大丈夫よ」と言った。
 サハチ(島添大里按司)たちはうなづいて、しばらく待った。
 雲の合間から太陽(てぃーだ)が顔を出した。
 サハチたちは合掌した。
 例年通り新年の儀式をやって、サハチは首里(すい)と島添大里(しましいうふざとぅ)を行ったり来たりしていた。二日には久米村(くみむら)の唐人(とーんちゅ)と一緒に旧港(ジゥガン)(パレンバン)の使者たちが挨拶に来た。三日には領内の按司たちが挨拶に来た。八重瀬按司(えーじあじ)のタブチは具志頭按司(ぐしちゃんあじ)を連れて来た。具志頭按司も思紹(ししょう)(中山王)からヤマトゥ(日本)の刀を賜わって、東方(あがりかた)の仲間入りをした。
 具志頭按司は二十代の半ばで、ヤフス(先代島添大里按司)の息子だというがヤフスには似ていなかった。祖父(先々代具志頭按司)に似ているような気がした。父親が戦死してから弓矢の稽古に励み、かなりの腕前だとタブチが言った。その弓矢で父親の敵(かたき)を討つつもりかと思紹が聞いたら、具志頭按司はサハチを見てから首を振った。
「父はわたしが五歳の時に出て行きました。その後、一度も会っていません。毎日、泣いている母を見て、わたしは育ったのです。母が可哀想で父を恨みました。父が戦死したと聞いた時は、悲しみよりも罰(ばち)が当たったんだと思いました。母はわたしを按司にする事だけが生きがいでした。祖父は隠居して叔父に按司の座を譲りました。わたしの出番などないと思っていましたが、母を悲しませないために弓矢の稽古だけは励みました。八重瀬の伯父のお陰で按司になる事ができ、母の夢はかないました。わたしは按司として具志頭を守らなければなりません。敵討ちなんて考えてもいません」
 思紹はうなづいて、「祖父に負けない立派な按司になれよ」と言った。
 具志頭按司は深く頭を下げた。
 北の御殿(にしぬうどぅん)での新年の宴(うたげ)が終わったあと、サハチは思紹に呼ばれて龍天閣(りゅうてぃんかく)に向かった。
 挨拶に訪れた久米村の唐人、旧港の使者たち、按司たちも皆、龍天閣に登って三階からの景色を楽しんだ。
「いつも浮島(那覇)から見上げている。一度、登って見たかった」と久米村の唐人たちは喜んだ。
 旧港の使者たちも美しい景色を眺めながら、「琉球に来てよかった。次にヤマトゥに行った時も、帰りには必ず琉球に寄ろう」と言った。
 中グスク按司のクマヌは、「首里天閣(すいてぃんかく)のようじゃのう。あれには登れなかったが、首里の高楼に登れるとはありがたい事じゃ」と喜んでいた。
 他の按司たちは皆、凄いのうと目を丸くして、何度も明国(みんこく)に行っているタブチは、「首里も都らしくなってきたのう」と笑った。
 サハチは改めて、思紹が彫った龍の彫刻を見た。凄い龍を彫っている新助が、思紹の龍を見つめて唸っていたという。サハチからみたら、思紹の龍は子供のいたずらのように見えるが、新助が言うには龍が生きているという。自分は今まで、人の真似ばかりしていた。師匠から自分の龍を彫れと何度も言われていたが、俺は自分の龍を彫っている。自分よりもうまい奴などいないと自惚れていた。思紹の龍を見て、初めて師匠が言っていた意味がわかった。人真似ではなく、自分の龍を彫らなければならない。そう言って、年末年始も休まずに、龍を彫り続けているという。
 とぼけた顔をした龍を見ながら、サハチは首を傾げると中に入って階段を登った。
 思紹は三階の部屋で絵地図を見ていた。琉球、ヤマトゥ、朝鮮(チョソン)、明国、シャム(タイ)、旧港が描いてある地図だった。
「親父が描いたのですか」とサハチが聞いたら、
「リェンリー(怜麗)に頼んで、リュウジャジン(劉嘉景)が持っている地図を写してもらったんじゃ。ヤマトゥと朝鮮はクルシ(黒瀬大親)に聞いて書き加えた」と思紹は言った。
「博多も京都も鎌倉も書いてありますね。京都と鎌倉はこんなにも離れているんですか。あれ、若狭(わかさ)も書いてある。旧港の船が着いた所です。成程、若狭に着けば、京都は近いんですね。朝鮮の富山浦(プサンポ)も漢城府(ハンソンブ)も書いてある。明国の泉州、福州、杭州、応天府(おうてんふ)、順天府(じゅんてんふ)‥‥‥順天府とは何です?」
「元(げん)の都があった北平(ベイピン)が『順天府』になったそうじゃ」
「そうなんですか‥‥‥武当山(ウーダンシャン)も書いてある。旧港は遠いですね。旧港よりもシャムの方が近いんですか」
 サハチが地図から顔を上げて思紹を見ると、「去年、海船を一隻賜わった。今年は三回、明国に使者を送ろうと思っている」と思紹は言った。
「三回ですか。ヤマトゥと朝鮮にも使者を送らなければなりませんよ」
「大丈夫じゃ。正月に明国に行った船は七月か八月に戻って来る。その船を十月頃に送ればいい」
「商品は大丈夫なのですか」
「どこの蔵も溢れるほど、ヤマトゥの商品がある。三姉妹が毎年、やって来てくれるお陰じゃ。蔵を空けないと新しい商品が入れられないんじゃよ」
「成程、明国に三回も行くとなると忙しくなりますが、やらなければなりませんね」
 思紹はうなづいて、「そこでじゃ」と言って、ニヤッと笑った。
「久高島参詣に行ったあとに、二隻目を出そうと思う。それに乗って、ちょっと明国を見て来ようと思っておるんじゃが、どうじゃ?」
 サハチは思紹を見つめた。思紹の顔を見ながら、何を言っても止められないと覚悟を決めた。馬天ヌルを止められないのと同じように、思紹も止める事はできないと悟っていた。突然、隠居すると言い出した時からそうだった。一度言い出したら、もう誰にも止められなかった。
 サハチは笑って、「仕方ないですねえ。ヂャン師匠(張三豊)と一緒に行って下さいよ」と言った。
「おう、そうか」と思紹は子供のように喜んでいた。
 サハチは島添大里に帰るとファイチ(懐機)の屋敷に顔を出した。二日に久米村の唐人と一緒に首里に行き、その後、島添大里に戻っていた。久し振りに家族とのんびりしている所を悪いと思ったが、今年、三度、進貢する事を告げた。
 ファイチは少し考えたあと、大丈夫でしょうと言った。
「二度目は王様(うしゅがなしめー)がお忍びで行くそうだ」とサハチが言うと、「えっ?」と驚いたが、「あの王様ならやりかねませんね」とファイチは笑った。
 ヂャンサンフォン(張三豊)の屋敷に顔を出すと、酒盛りが始まっていた。シュミンジュン(徐鳴軍)と一徹平郎(いってつへいろう)と源五郎が来ていて、ンマムイ(兼グスク按司)もいた。
「師兄(シージォン)、待っていたんですよ。新年おめでとうございます」
 サハチは笑って挨拶を返した。酒盛りに加わって、ヂャンサンフォンに思紹の事を話した。
「そうじゃのう。そろそろ帰ってみるのもいいかもしれんのう」
「師匠、必ず、戻って来て下さいよ」とンマムイが心配そうな顔をして聞いた。
「王様の護衛として行くんじゃ。戻って来るよ」
「王様がどうして明国まで行くんじゃ?」と源五郎が不思議そうな顔をして聞いた。
「じっとしているのが苦手なんですよ」とサハチは答えた。
「王様になる前は旅をしたり、無人島で若い者たちを鍛えていましたからねえ」
「わしも見たぞ」と一徹平郎が言った。
首里のグスクを訪ねたら、庭で兵たちが武芸の稽古をしておった。坊主頭の男が教えておったが、見事な動きじゃった。琉球にも武芸の達人がいると思ったら、何と、その男が王様じゃった。面白い所に来たもんじゃとわしは嬉しくなったわい。あの王様なら明国に行くのも納得できる」
 すぐに引き上げて、グスクに帰ろうと思っていたのに、一徹平郎と源五郎の話が面白くて、結局、夜更けまで飲んでいて、グスクに帰ったらナツに怒られた。
 次の日、ウニタキ(三星大親)が訪ねて来た。上がってくればいいのに外で待っていて、物見櫓(ものみやぐら)に行こうと言う。
 余程、重大な話でもあるのかと東曲輪(あがりくるわ)の物見櫓に登ると、ウニタキは海を眺めながら、「もうすぐ生まれそうだ」と言った。
 マチルギの事を言っているのかと思ったが、どうも違うようだ。チルーのお腹は大きくなかったし、何の事を言っているのかさっぱりわからなかった。
「何が生まれるんだ?」とサハチは聞いた。
「俺の子だ」
「フカマヌルが二人目を産むのか」
「フカマヌルならまだいい。そうじゃないんだ。配下の女なんだよ」
「何だって!」
 サハチはポカンとした顔でウニタキを見つめた。
「ばれたらチルーに殺される」
 サハチはウニタキを見て大笑いした。
「笑い事じゃない」
「お前なあ、朝鮮に行く前、佐敷のお祭り(うまちー)の時にチルーに土下座したばかりだろう。何をやっているんだ」
「まさか、子供ができるなんて思ってもいなかった。たった一度だけなんだ」
「ナツだって、たった一度で子供ができた。誰なんだ? 俺の知っている女か」
 ウニタキは首を振った。
首里グスクを奪ったあと、キラマ(慶良間)から来た娘なんだ。リリーという名で、来た当時は真っ黒な顔をしていて、可愛いと思える娘ではなかった。足が速くて疲れ知らずだと言うので、連絡係として俺のそばに置いたんだ。俺がどこに行っても隠れて近くにいろと命じた」
「俺と会っている時も、その娘は近くにいたのか」
 ウニタキはうなづいた。
「俺が合図すると必ず現れて、配下のもとへ飛んで行って命令を伝えた。そして、驚く程の速さで戻って来るんだ。重宝な奴だった。去年、ビンダキ(弁ヶ岳)の拠点を作る時、ずっと一緒だったんだ。今までもずっと一緒だったが、隠れていて、用がある時しか現れない。あの時はずっと一緒に仕事をしていた。いつの間にか、顔も黒くなくなっていて、時々見せる仕草が可愛いと思えるようになっていた。一緒にいるうちに好きになってしまったようだ。拠点が完成した時、二人でお祝いの酒を飲んだんだ。その時、抱いてしまったんだよ」
「リリーもお前の事が好きだったんだな?」
 ウニタキはうなづいた。
「今はどこにいるんだ?」
首里だ。カマに預けてある」
「トゥミと一緒に暮らしているカマか」
「そうだ」
「チルーには黙っているのか」
「黙っていようと思った。しかし、いつかはばれるだろう。どうしようか迷っているんだ」
「難しいな。俺も奥間(うくま)ヌルが産んだ娘の事はマチルギに黙っている。いつかはばれると思うが、その時まで知らなかった事にしておくつもりだ」
「俺の場合は知らなかったでは済まされない」
「そうだな。チルーが知ったら、怒るよりも悲しむだろう」
「そうなんだ。悲しませたくはない」
「今はカマに任せて、子供が生まれてから改めて考えたらいいんじゃないのか」
「ヤンバル(琉球北部)に行った時、リリーの家に行ったんだ。山に囲まれた小さな浜に粗末な小屋がいくつも建っていた。両親はすでに亡くなっていた。兄が跡を継いでいたが、リリーが帰って来た事を喜んでいる様子はなかった。兄弟が多くて、リリーは邪魔者扱いされていたようだ。リリーにはもう帰る家はない。俺が面倒を見なければならないんだ」
「ヤンバルから来た娘だったのか」
「十一歳の時、サミガー大主(うふぬし)に連れられてキラマの島に行ったらしい。島での暮らしは楽しかったと言っていた」
「キラマから来た女子(いなぐ)サムレーたちも、島は楽しかったとよく言っている」
「もう少し様子を見る」と言ってウニタキは帰って行った。
 正月の七日、進貢船(しんくんしん)の出帆の儀式が浮島で行なわれた。去年賜わった進貢船の初仕事だった。馬天ヌル、佐敷ヌル、サスカサ(島添大里ヌル)の三人のヌルによって儀式が執り行なわれ、『シマウチトゥミ』という神名(かみなー)が授けられた。
 儀式のあと、サハチは首里に行き、思紹とマチルギに会って、ヤマトゥに行った時の行列の事を相談した。京都で見た明国の使者たちの行列の話をして、琉球らしい行列を見せなければならないと言い、朝鮮で手に入れたテピョンソ(チャルメラ)を吹いて聞かせた。
「行列を見るために京都の人たちが大勢、沿道に現れます。琉球の使者として恥ずかしくない行列にしなければなりません」
「それより、来年は誰が行くんじゃ? まさか、お前がまた行くのではあるまいな」
 サハチは笑って、「親父がいないのに、俺が行けるわけないでしょう」と言った。
「うむ、留守を頼むぞ」
「それで、誰を行かせるの?」とマチルギが聞いた。
「お前が行くか」とサハチはマチルギに言ったが、お腹が大きいのを見て、「無理だな」と笑った。
「マサンルー(佐敷大親)かヤグルー(平田大親)に行ってもらおう」
「ヤグルーは去年、明国に行ったわ」
「それじゃあ、マサンルーに頼もう。俺の考えなんだが、ヌルと女子サムレーを行列に加わってもらおうと思っているんだ。明国の行列には女たちはいない。琉球には女武者がいる事を京都の人たちに見せたいんだよ」
「面白いかもしれんが、一度、女子サムレーを見せたら、毎年、女子サムレーを連れて行く事になるぞ」
「何人くらい連れて行くの?」とマチルギが聞いた。
「十人じゃ少ないし、二十人は必要だろうな」
「二十人か‥‥‥二十人なら何とかなりそうね。ヌルは誰が行くの?」
「ササでいいんじゃないのか。将軍様足利義持)とも会っているしな」
「ササが将軍様と会ったのか」と思紹もマチルギも驚いていた。
「ササから聞いていないのですか」
スサノオの神様の話ばかりで、そんな事は聞いていないわ」
 サハチは楽しそうに笑った。
「ササにとって将軍様はどうでもいい存在らしい。頼もしい奴だ。ササは将軍様の奥方様に呼ばれて話し相手になっていたんだよ。その時、将軍様とも会って一緒に食事もしたらしい」
「まったく、あの娘(こ)ったら、そんな事ひとことも言わないわよ」
「ササとシンシン(杏杏)とシズの三人が呼ばれている。その三人にヌルになってもらえばいいんじゃないのか」
「偽者のヌルなの?」
「シンシンは偽者とは言えまい。ササとずっと一緒にいるからすでに神人(かみんちゅ)になっているかもしれない。シズは見習いヌルでいいんじゃないのか」
 そのあと、音楽の事や衣装の事などを話し合って、音楽はテピョンソと横笛と太鼓を演奏する十人の楽隊を作り、衣装は琉球らしい華やかな着物を用意する事に決まった。
 正月十四日、進貢船が船出して行った。正使は中グスク大親(うふや)だった。去年、サングルミー(与座大親)の副使として明国に行き、サングルミーの推薦によって正使に昇格した。副使は具志頭大親(ぐしかみうふや)で、去年亡くなった具志頭按司(ぐしちゃんあじ)の弟だった。年が親子ほども離れた弟で、父親が六十歳の時の子だという。
 父親が亡くなると、側室だった母親と一緒に具志頭グスクから追い出され、小禄(うるく)の海辺の母の実家で育った。ウミンチュ(漁師)として育ちながらも、母に言われて弓矢の稽古だけは毎日、続けていた。十六歳の時、浦添(うらしい)で行なわれた兵の募集に応じて、見事に合格して浦添の兵となった。
 今帰仁合戦(なきじんがっせん)の時、大勢の兵を失った察度(さとぅ)は、一般から兵を集めるために、明国の武科挙(ぶかきょ)を真似して登用試験を行なった。いい人材が集まったので、三年毎にする事に決めて、具志頭大親は二回目に行なわれた試験に合格したのだった。
 初めの頃はグスクを守っていたが、やがて、進貢船の護衛兵となって明国に行くようになる。何度も行っているうちに、明国の言葉を覚えて、兵から従者となった。武寧(ぶねい)(先代中山王)が殺された時もサングルミーの従者として明国に行っていて、その後も毎年、明国に行っていた。今回、具志頭之子(ぐしかみぬしい)から具志頭大親に名を改め、副使になったのだった。具志頭按司をはばかってか、グシチャンではなく、グシカミと名乗っていた。
 サムレー大将は宜野湾親方(ぎぬわんうやかた)、副将は田名親方(だなうやかた)で、田名親方が率いる八番組にはジルムイがいた。島添大里按司の従者として行くのはサグルーとクグルーで、八重瀬按司のタブチは四度目の明国行きだった。垣花按司(かきぬはなあじ)の従者のクーチは二度目だった。
 クーチは垣花按司の次男で、妻はウミンター(サミガー大主)の三女だった。大(うふ)グスク按司の母親はクーチの伯母で、大グスク按司が復帰したあと、弟と妹を連れて度々遊びに来ていた。海が好きで馬天浜によく行き、そこでウミンターの娘のカマドゥと出会い、お互いに好き合って結ばれたのだった。カマドゥは思紹の姪なので、それなりの婚礼を挙げるつもりだったが、クーチは次男だから大げさな婚礼はいらないと言い、カマドゥも質素でいいと言った。丁度、首里の城下造りの最中の忙しい時期だったので、身内だけの婚礼となった。クーチは去年、初めて明国に行って驚き、サングルミーのような使者になりたいと決心したらしい。
 進貢船と一緒に旧港の船も出帆した。ササたちはシーハイイェン(施海燕)とツァイシーヤオ(蔡希瑶)に涙の別れをしていた。短い時間だったが仲よくなりすぎて、別れは辛かった。
「来年もまた来るわ」とシーハイイェンは言った。
「必ずよ。必ず、来てね」とササは言って、「あたしたちもいつか必ず、旧港に行くわ」と約束した。
 ササはシーハイイェンのために横笛を吹いた。哀愁の漂う笛の調べは、見送りに来た人たちの涙を誘ったという。
 龍天閣から進貢船と旧港の船を見送ったサハチは、苗代大親(なーしるうふや)に会うために武術道場に向かった。
 苗代大親はサムレーたちの名簿を見ながら、組替えをやっていた。一番組と二番組の者たちは進貢船に乗れないので、毎年、組替えをしなければならなかった。組替えといっても、すべての組を変えるわけではない。又吉親方(またゆしうやかた)が率いる六番組と宜野湾親方が率いる七番組は、進貢船内での作業を教えなければならないので不動だった。そして、今、明国に行った八番組も今年はそのままにしておく。その他の組の入れ替えだった。
「大変ですねえ」とサハチは言ってから、「毎年、変えなくてもいいんじゃないですか」と言った。
 苗代大親は顔を上げてサハチを見た。
「一番組と二番組の連中がうるさいんじゃよ」
「今年は三回、明国に行く予定です。ヤマトゥにも行くので四回です。今、八番組が行きましたから、次には九番組、三番組、四番組が船に乗る事になります。来年もまた四回行きたいと思っています。九番組の次に一番組の連中を三番組の大将に率いさせて船に乗せたらどうでしょう。次には二番組の連中を四番組の大将に率いさせるのです」
「組替えではなく、頭だけを変えるのか」
「サムレーたちも一年毎に入れ替わっていたら団結できないと思います。同じ釜の飯を食べた仲ですからね。組替えするとしても五年置きくらいでいいと思いますが」
「成程な。その方がわしも楽じゃ。あとで兄貴と相談してみよう。ところで、何かあったのか」
「上間(うぃーま)グスクの事です。山南王(さんなんおう)(シタルー)が長嶺(ながんみ)グスクに二百人の兵を配備したのは御存じでしょう。上間グスクの守りを強化したいと思って相談に来たのです」
「わしも気になっていたんじゃ。今は交替で五十人の兵が守っている。百人に増やした方がいいかもしれんな」
「上間に按司を置いて守らせようと思うのですが」とサハチが言うと、「按司はいらんじゃろう」と苗代大親は首を振った。
「上間グスクは首里グスクの出城に過ぎん。あそこの主(あるじ)を按司にしたら、佐敷、平田、与那原(ゆなばる)も按司にしなければなるまい。按司は島添大里と浦添だけでいいんじゃないのか」
 確かに叔父の言う通りだった。佐敷に按司を置いていないのに、上間に按司は置けなかった。
「誰かを上間大親に任命して、百人の兵を預ければいい」
 サハチはうなづいて、「誰か適任者はいませんか」と苗代大親に聞いた。
「そうじゃのう」と苗代大親は少し考えたあと、「嘉数之子(かかじぬしぃ)がいいかもしれんな」と言った。
 サハチは嘉数之子を知らなかった。
「嘉数大親の倅でな、もともとはサムレーで、大将になれる器だったんじゃが、親父に呼ばれて、今は北の御殿(にしぬうどぅん)で親父を手伝っている。わしの顔を見る度に、サムレーに戻りたいと愚痴っているよ」
「どうして、戻らないのです?」
「奴は次男でな。長男は浦添グスクで戦死している。やがては父親を継ぐべき男だったそうじゃ。ウニタキに聞いたら、刃向かってくる者以外は斬らなかったというから、そいつは武寧の倅を助けようとして斬られたのかもしれんな。嘉数之子は北の御殿での政務は自分には向いていないとわかっているんじゃが、親父には逆らえんようじゃ。奴なら充分に上間グスクを守る事ができるじゃろう。サムレーたちも嘉数之子が戻ってくれれば喜ぶはずじゃ」
「嘉数大親を説得できますか」
「難しいが、中山王(ちゅうざんおう)のためじゃと言えば納得してくれるじゃろう」
「わかりました。嘉数之子を任命しましょう」
 三日後、嘉数之子は上間大親となり、家族を連れて上間グスクに向かった。キラマから百人の兵が到着次第、今いる五十人は首里に返して、常設の兵となり、上間で暮らす事になる。父親の嘉数大親も諦めたようだった。自分の跡を継がせるよりも、グスクの主(あるじ)に治まった方が、あいつにはふさわしいのかもしれないと考えを改めていた。
 サハチはウニタキと一緒に上間グスクを見に行った。小高い丘の上にある小さいグスクだった。石垣に囲まれた曲輪(くるわ)は一つだけで、百人の兵が守るとなると狭い。拡張しなければならなかった。
 物見櫓があったので登ってみた。いい眺めだった。川を二つ挟んだ向こうに長嶺グスクがよく見えた。北の方には首里グスク、東を見れば与那原グスクのある運玉森(うんたまむい)と島添大里グスクも見えた。
「あの辺りにもグスクを築いた方がいいかもしれんな」とウニタキが指さした。
 長嶺グスクと川を挟んで向き合っているあたりにある小高い山だった。
「グスクを築く事もなかろう。簡単な砦を造って見張りを置けば大丈夫だろう」
「そうだな」とウニタキはうなづいて、「イーカチはチニンチルーと一緒になるそうだ」と言った。
「やはり、三星党(みちぶしとー)を抜けるのか」
「いや、三星党のまま、絵師になるんだ」
「そうか。屋敷を用意しなけりゃならんな」
重臣の屋敷か」
「王様のお抱え絵師だからな。重臣の屋敷だろう」
「空いている屋敷はあるのか」
「ファイチの屋敷が空いている」
「そうか。ファイチは島添大里に移ったんだったな」
「お前の家族に会いたいって移ったんだ。島添大里にいた時、チルーがよく面倒を見てくれたんだろう」
「チルーとヂャンウェイ(張唯)は仲がいいよ。子供たちも仲がいい」
「ファイチの屋敷で、婚礼のお祝いをするか。女子サムレーたちも集まって来るだろう」
「そうだな。三星党の奴らは顔を出せんが、首里グスクにいる侍女たち、『まるずや』の連中、それにシズは顔を出せるだろう」
「婚礼が終わったら、栄泉坊と一緒にどんどん絵を描いてもらおう」
「高橋殿の屋敷にあった襖絵(ふすまえ)なんかも描いてもらえ。御殿(うどぅん)にかざったら見栄えがいい」
「綺麗な屏風絵(びょうぶえ)も描いてもらおう」
「屏風で思い出したが、ササの護衛はチュージに頼んだ。以前、馬天ヌルの護衛でヤンバルに行っているから心配はいらん」
「ササの護衛とは何の事だ?」とサハチは聞いた。
「ヤンバルに行っただろう?」
「何だと、ササがヤンバルに行ったのか」
「知らなかったのか。お前の許可は得たと言っていたぞ」
「そんな事は初耳だ」
「お前にも頼まれているから、スサノオの神様の足跡を探しに行くと言って、シンシンとナナを連れて出掛けて行ったぞ」
「何と無茶な‥‥‥」と言って、対馬(つしま)にいた時、ササが琉球に帰ったらスサノオの神様の足跡を探すと言ったのを思いだした。そして、サハチは頑張れと言ったのだった。
「いつ行ったんだ?」
「浮島でシーハイイェンたちを見送って、そのまま出掛けたようだ」
「まったく、ササにも困ったものだ。母親に似て言い出したら止められん」
「神様の足跡探しだから危険な所には行くまい。ササはヂャン師匠と一緒に一度、ヤンバルに行っている。恩納岳(うんなだき)の木地屋(きじやー)も顔見知りだし心配はない。首里のお祭り(うまちー)までには帰って来るだろう」
 サハチはうなづき、「すまんな。ササのわがままにチュージを使って」と謝った。
「なに、最近、敵の動きもあまりないからな。若い者たちをヤンバルまで行かせるのも、丁度いい修行になる」
「ところで、どうして屏風でササを思い出したんだ?」
「宝島で金屏風の前に座らされていただろう」
 サハチは思い出して笑った。
 突然、黒い雲が流れてきた。
 サハチとウニタキは物見櫓から降りた。しばらくして雨が勢いよく降ってきた。
 屋敷の軒下から雨を眺めながら、サハチはササたちの無事を祈り、首里のお祭りが終わったら百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)の改築を始めようと思っていた。ウニタキはもうすぐ子供が生まれそうなリリーの事を心配していた。
按司様(あじぬめー)、どうぞお上がり下さい」と上間大親が屋敷の中から声を掛けた。

 

 

 

アジアのなかの琉球王国 (歴史文化ライブラリー)   琉球進貢船 Tシャツ大人用 (L, ゴールド)

2-65.龍天閣(改訂決定稿)

 十二月二十四日、サハチ(島添大里按司)たちは無事に琉球に帰国した。あとを付いて来た旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船も無事だった。
 サハチたちは休む間もなく、旧港の人たちの接待に追われた。首里(すい)の大役(うふやく)たちに知らせて歓迎の宴(うたげ)の準備をさせ、久米村(くみむら)の人たちにも手伝ってもらって酒や料理を用意した。旧港の人たちは『天使館』に入って、長旅の疲れを癒やした。
 歓迎の宴の準備が整ったのを確認すると、あとの事は大役とファイチ(懐機)、ヂャンサンフォン(張三豊)に任せて、サハチとウニタキ(三星大親)は首里に向かった。すでに、使者たちは先に首里に帰って、思紹(ししょう)(中山王)に旅の成果を報告していた。
 首里グスクの高楼は完成していて、西曲輪(いりくるわ)にそびえ立つ高楼は城下の大通りからよく見えた。三階建ての建物は、かつての『首里天閣(すいてぃんかく)』を思い出させた。
「都らしくなってきたな」とウニタキが高楼を見ながら嬉しそうに言った。
「あとはお寺(うてぃら)だ」とサハチは笑った。
 北曲輪(にしくるわ)には孔雀(コンチェ)がいて、綺麗な羽を広げて歓迎してくれた。出迎えに来たマチルギのお腹が大きくなっていた。サハチは孔雀よりもマチルギのお腹に驚いた。
「お帰りなさい」とマチルギは恥ずかしそうな顔をして言った。
「ただいま」とサハチは笑って、「上出来だ」と言った。
 マチルギのお腹の事も、高楼の事も、今回の旅も皆、上出来だった。
 近くで見る高楼は思っていたよりも立派だった。百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)のように赤く塗られ、黒い屋根瓦と調和して美しかった。屋根の下には思紹たちが彫った彫刻がいくつも飾られてあった。中に入ると三階まで貫いている四つの太い柱があった。まだ何も置いてない。階段が東側と西側に二つあった。
「どうして階段が二つもあるんだ?」とサハチが聞くと、「上り用と下り用よ」とマチルギは言った。
「敵に攻められた時、階段が一つだと逃げ場がないでしょ。それに来年のお祭り(うまちー)で、ここを公開するつもりなの。階段が一つだと混雑するでしょ」
「成程。よくそんな事まで気づいたな」
「王様(うしゅがなしめー)が気づいたのよ」
 階段を登って二階に上がった。マチルギも付いて来たので心配したが、「まだ大丈夫よ」と笑った。
 二階の部屋にも何もなかった。回廊に出てみると、いい眺めだった。サハチとウニタキは回廊を一回りした。
 留守にしていたのは八か月に過ぎないが、城下の家々は増えていた。特にグスクの南側の発展は凄かった。以前は樹木が生い茂っていた森だった。山南王(さんなんおう)のシタルーが抜け穴の出口を作った辺りが切り開かれて、家々が建ち並んでいる。島添大里(しましいうふざとぅ)や佐敷から移り住んできた人たちの家だった。
「俺たちが留守にしていた間にも、都はどんどん成長しているな」とウニタキが言った。
「まるで、生き物のようだ」とサハチはうなづいた。
「これからお寺をいくつも建てるとなると人々はもっと集まって来るだろう」
「京都に負けない素晴らしい都にしなくてはな」
「京都か、でかく出たな。あそこは六百年の都だぞ」
「ここも六百年経っても都であるような、そんな都にしたい」
 ウニタキはサハチを見ながら笑っていた。
 三階で思紹と馬天(ばてぃん)ヌルが待っていた。三階の部屋には綺麗な茣蓙(ござ)が敷いてあって、お膳の上にお茶の用意がしてあった。
「無事に帰って来たか」と思紹はよかったと言うように何度もうなづいた。
 口髭だけ伸ばして、頭は綺麗に剃っていた。東行法師(とうぎょうほうし)になって出歩いていたに違いないとサハチは思った。
「うまく行きました」と言って、サハチは思紹の前に座って、旅の成果を話した。
「なに、将軍様足利義持)に会ったのか」と思紹が驚いた顔をして聞いた。
 マチルギも馬天ヌルも驚いた顔をしてサハチを見ていた。
「運がよかったのです。それと、マチルギのお陰でもあります」
「あたしのお陰?」
 サハチはうなづいて、高橋殿の事を話した。
「その高橋殿って、ウニタキのような事をしているの?」とマチルギが聞いた。
「そのようだ。裏の組織を持っているようだ」
「ヤマトゥ(日本)の将軍様もそういう組織を持っていたんだ。でも、女の人がお頭を務めているなんて凄いわね」
「確かに凄い人だよ。お前と気が合いそうだと思ったよ」
 マチルギは笑って、「会ってみたいわ」と言った。
 サハチが琉球の様子を聞くと、山北王(さんほくおう)(攀安知)も山南王(シタルー)も特に動いてはいない。ただ、タブチ(八重瀬按司)が動いて、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)を入れ替えたという。
「タブチの留守中にシタルーの娘が、具志頭の若按司に嫁いだの。タブチは明国(みんこく)から帰って来て、その事を知ったけど、別に動く事はなかったわ。でも、隠居した先代の具志頭按司が亡くなった一月後、タブチは具志頭グスクを急襲して、按司と若按司を殺して、ヤフス(先代の島添大里按司)の息子を具志頭按司にしたのよ」
「なに、ヤフスの息子が具志頭按司になったのか」
「そうなのよ。新しい按司の奥さんは米須按司(くみしあじ)の娘なの。具志頭の攻撃の時、米須按司は動かなかったけど、裏でつながっているような気がするわ。米須按司は山南の進貢船(しんくんしん)に乗って明国に行ったのよ。向こうで、タブチと米須按司は仲よく都見物をしていたらしいわ」
「そうか‥‥‥」
「それと、具志頭の若按司に嫁いだシタルーの娘なんだけど、シタルーのもとに帰ってから、女子(いなぐ)サムレーになるって言って、今、兼(かに)グスク按司(ンマムイ)の阿波根(あーぐん)グスクに通って剣術を習っているわ」
「ほう。そいつは面白いな」
「今、東方(あがりかた)では女子サムレーが流行っているのよ。玉グスクでは娘のウミタルが女子サムレーを作って、知念(ちにん)ではマカマドゥ(若按司の妻、サハチの妹)が作ろうとしているわ」
「兼グスク按司は大丈夫じゃったのか」と思紹が聞いた。
「イハチとクサンルーと仲よくやっていましたよ」
「敵だか味方だか、わからん奴じゃのう。奴は武寧(ぶねい)(先代中山王)の息子というより、山北王の妹婿じゃ。その事でシタルーに使われるんじゃないのか」
「その事は本人もよく承知しています。琉球に帰ったら今帰仁(なきじん)に行く事になるかもしれないと言っていました」
「そうか。いよいよ、シタルーが動き出すか‥‥‥ところで、この楼閣の名前なんじゃが、『龍天閣(りゅうてぃんかく)』というのはどうじゃ?」
「『龍天閣』ですか‥‥‥龍が天に羽ばたく高楼ですね。いいんじゃないですか」
 思紹は満足そうにうなづいて、「決まりじゃな」と言って、壁に伏せておいてあった扁額(へんがく)を見せた。龍天閣と書かれた見事な字が彫ってあった。
「親父の字ですか」とサハチが聞くと、
「わしにこんな字が書けるか」と思紹は言った。
「南泉禅師(なんせんぜんじ)の字をわしが彫ったんじゃよ」
「素晴らしいですね」
 その夜、『会同館(かいどうかん)』で帰国祝いの宴が開かれて、長旅の疲れを癒やした。皆、久し振りに口にする琉球料理に喜んでいた。
 サハチはマチルギからメイユー(美玉)たちの事とファイチの家族が無事に帰って来た事を聞いた。
「メイユーはあなたの側室になったわよ」とマチルギは世間話のように言った。
「えっ?」とサハチはマチルギを見た。
 マチルギは九年母(くにぶ)(みかん)を食べていた。いよいよ来たなとサハチは思った。メイユーの事を持ち出して、今度は何をしたいと言い出すのだろうか。マチルギの言葉を待ったが、マチルギはその後、何も言わず、ササたちの話を笑いながら聞いていた。
 次の日、ファイチとヂャンサンフォンが旧港の使者たちを連れて首里に来た。使者たちは思紹に挨拶をして、首里を見物してからファイチと一緒に浮島(那覇)に帰ったが、シーハイイェン(施海燕)とツァイシーヤオ(蔡希瑶)はササたちとどこかに行き、シュミンジュン(徐鳴軍)はヂャンサンフォンと一緒に島添大里に行った。
 サハチが思った通り、ササとシーハイイェンは仲よくなっていた。博多を出て最初に寄った壱岐島(いきのしま)で、ササとシーハイイェンは出会った。ササ、シンシン(杏杏)、シズ、ナナ、三人の女子サムレーの七人とシーハイイェンの方もツァイシーヤオの他に五人の娘たちを連れていた。
 お互いに睨(にら)み合って喧嘩が始まるかに思えたが、「あたしたちみんな、ヂャン師匠の弟子なのよ」とササが言うと、「同門だわね」とシーハイイェンが言った。ササとシーハイイェンが軽く手合わせをして、相手の実力を確かめると、お互いに笑い合って仲よくなっていた。それからは島に立ち寄る度に、行動を共にしていた。宝島ではササと一緒にシーハイイェンも神様扱いされて、シーハイイェンは目を丸くして驚いていた。
 ヤマトゥから来た一徹平郎(いってつへいろう)、源五郎、新助、栄泉坊(えいせんぼう)の四人は、浦添按司(うらしいあじ)となって浦添に移ったために空いていた當山親方(とうやまうやかた)の屋敷に入った。今年もあとわずかだが、旅の疲れを取って、来年からは寺院造りに精を出してくれとサハチは頼んだ。チョル夫婦は中堅サムレーの屋敷に入り、来年から通事(つうじ)(通訳)を育てる事になった。
 用を済ませたサハチは島添大里に帰った。ナツと佐敷ヌルが帰国祝いの宴を開いてくれた。ササたちも佐敷ヌルの屋敷に来ていて、ササ、シンシン、ナナ、そして、シーハイイェンとツァイシーヤオも一緒に加わり、ヂャンサンフォンとシュミンジュン、ウニタキ夫婦とクグルー夫婦も呼んだ。ファイチはまだ帰っていなかったが、ファイチの妻と子供も呼んだ。ヂャンサンフォンと一緒にンマムイも来た。
「お前、まだ帰っていなかったのか」とサハチは驚いた。
「帰るつもりだったのですが、師匠に挨拶して行こうと島添大里に来たんです。そしたら、師兄(シージォン)のシュミンジュン殿の海賊の話が面白くて帰りそびれてしまいました」
「そうか。奥さんを心配させるな。お前が朝鮮(チョソン)から帰って来た事は、奥さんも噂を聞いて知っているだろう。明日は必ず帰れよ」
「夜が明けたら真っ直ぐに帰ります」とンマムイは調子のいい事を言って笑った。
 宴席に着くと隣りにいるナツに、「子供たちは何事もなかったか」とサハチは聞いた。
「大丈夫ですよ」とナツは笑った。
「みんな、笛が上手になりました。あとで聞いてやって下さい」
「そうだな。俺の一節切(ひとよぎり)も聞いてくれ。ヤマトゥに行って大分上達したぞ」
 サハチは博多と京都で見た田楽(でんがく)のお芝居を佐敷ヌルに話して、佐敷ヌルに見せてやりたかったと言った。
「見たかったわあ」と佐敷ヌルは言って、平田のお祭りと馬天浜のお祭りでお芝居をやった事を話した。
「ほう、お祭りでお芝居をやったのか」
「平田では『浦島之子(うらしまぬしい)』、馬天浜では『サミガー大主(うふぬし)』をやったの。今度の首里のお祭りでは、『察度(さとぅ)』をやろうと思っているのよ」
「なに、察度(先々代中山王)のお芝居をするのか」
「察度のお母さんは天女だったんでしょ。ソウゲン(宗玄)和尚から『羽衣(はごろも)』っていうお話を聞いたのよ」
「『羽衣』なら博多で見たぞ。あれを察度の話にするのか。面白そうだな」
「女子サムレーたちも張り切ってお稽古をしているわ」
「そうか。琉球でもお芝居が見られるのか。お前、凄いな。お芝居の話まで作っているのか」
「あたしがお話を作って、ユリが音楽を作って、ウミチルが踊りを考えるのよ」
「ほう、凄いな」
 佐敷ヌルはお芝居の話のあと、神様に言われた『英祖(えいそ)の宝刀』の事をサハチに話した。
「三つの刀のうちの太刀(たち)は今帰仁に行ったんだな?」とサハチは佐敷ヌルに聞いた。
 佐敷ヌルがうなづくと、「以前、今帰仁に行った時に聞いた事がある」とサハチは言った。
「山北王は確かに宝刀を持っている。今帰仁に腕のいい研ぎ師がいて、その刀を二度、研いでいるんだ。一度目はマチルギのお爺さんから頼まれて研ぎ、二度目は山田按司に殺された帕尼芝(はにじ)から頼まれて研いでいる。かなりの名刀らしいが、拵(こしら)えが変わっていたと言っていた。きっと、今の山北王が持っているに違いない」
「短刀は越来(ぐいく)ヌルが持っていて、小太刀(こだち)はミャーク(宮古島)という南の島(ふぇーぬしま)にあるみたい」
 佐敷ヌルは馬天浜のお祭りが終わったあと、察度の娘の浦添ヌルが何かを知っていないかと思って、浮島の波之上権現(なみのえごんげん)の近くにある浦添ヌルのお墓に行ってみた。お祈りをしていると浦添ヌルの声が聞こえた。
 弟の武寧が滅ぼされたのは仕方がない。あの男はもともと王になるべき器ではない。滅ぼされて当然だ。それよりも、母親の実家である勝連(かちりん)の呪いを解いてくれと言った。呪いは解いたと佐敷ヌルが言うと、まだ完全に解けてはいない。放って置くと勝連の一族は全滅してしまうと言った。
 佐敷ヌルは勝連の呪いを解く事を約束して、英祖の宝刀の事を聞いた。島尻大里按司(しまじりうふざとぅあじ)が山南王になった時、お礼として父に贈られたのが英祖の小太刀だった。その小太刀はミャークという南の島からやって来た与那覇勢頭(ゆなぱしず)という者に父が贈ったという。佐敷ヌルが御先祖様の宝刀をどうして南の島から来た人に贈ったのですかと聞くと、父は物にはこだわらない人で、たまたま近くにあったからあげたのでしょうと言った。
「その与那覇勢頭の事は昔、ウニタキから聞いた事がある。南の島からやって来たが、言葉が通じないので、琉球の言葉を学んでいたと言っていた。ウニタキが武寧の娘と一緒になった頃の話だ」
「ミャークというのがどこにあるのか知らないけど、いつか、行かなければならないわ」と佐敷ヌルは言った。
「そうだな。遠いと言っても旧港ほど遠くはあるまい。ところで、勝連の呪いは大丈夫なのか」
「大丈夫よ。気になったので、馬天ヌルの叔母さんと一緒に行ってきたわ。勝連ヌルも一緒に調べたけど、不審な点はなかったわ。察度の妹の浦添ヌルは望月党が滅ぼされる前に亡くなっているの。きっと、望月党の事を心配していたんだと思うわ」
「そうか。マジムン(悪霊)退治をしたあと、何も起こっていないからな。大丈夫だろう」
 佐敷ヌルの話が終わったあと、サハチはサグルーに言った。
「明国に行く時、久米島(くみじま)を発ったあと、明国に着くまで途中に島などなく、周りは海しか見えない。はっきり言って退屈な日々が続く。だが、退屈だと思ってはいかんぞ。太陽の位置を見て、船が進んでいる方角を確かめ、夜になったら星を見上げて、星の位置を覚えろ。そして、水夫(かこ)たちの動きもよく見ておけ。必ず、将来、役に立つだろう」
「わかりました」とサグルーはうなづいて、「クルー叔父さんから明国の言葉も教わりました。行くのが楽しみです」と目を輝かせた。
 サグルーは来年正月、クグルーと一緒に従者として明国に行く事になっていた。八番組のサムレーとしてジルムイも行くが、ジルムイはサムレーの一員なので、サグルーと行動を共にする事はできなかった。
「朝鮮から帰って来て、一月もしないうちに、また明国に行かなければならない。忙しいが頑張ってくれ」
 サハチがクグルーに言うと、「大丈夫ですよ」とクグルーは明るく笑った。
「お前は大丈夫だろうが、妻のナビーは大変だろう。琉球にいるうちに充分に可愛がってやれよ」
按司様(あじぬめー)、何を言ってるんですか」とクグルーは照れながらナビーを見ていた。
 ササは佐敷ヌルに京都の様子を話していた。ナナとシーハイイェン、ツァイシーヤオ、シュミンジュンは琉球の言葉がわからないので、時々、ヤマトゥ言葉が飛び交った。ヤマトゥ言葉がわからないナツとマカトゥダルとナビーはヤマトゥ言葉を習わなければならないわねと言っていた。
 サハチはウニタキと一緒に座をはずして、縁側に出た。
「留守中の事はわかったか」とサハチは星を見上げながらウニタキに聞いた。
奄美大島(あまみうふしま)を攻めた湧川大主(わくがーうふぬし)は何とか北半分を支配下に治めたらしい」
「そうか、北半分か」
 サハチたちは宝島を出たあと、奄美大島、徳之島(とぅくぬしま)、永良部島(いらぶじま)には寄らずに、伊平屋島(いひゃじま)に向かった。順調な船旅だったのでうまくいったが、途中で嵐に遭えば、それらの島に寄らなければならない。戦(いくさ)になるとは思わないが、各島の按司たちが無理難題を言ってくる事は確実だった。もし、山北王が宝島を攻める事があれば、戦をしてでも防がなければならないと思った。
「山北王は半分しか平定できなかったのが気に入らなかったようだ。兄弟喧嘩を始めたらしい。湧川大主は運天泊(うんてぃんどぅまい)に帰ったまま今帰仁に戻る気配はないという」
奄美大島は徳之島や永良部島より大きい。一年で平定するのは無理だろう」
「確かにな。あの島には小さな按司のような者たちが何人もいる。それらをまとめる大きな按司はいない。大きな按司がいれば、そいつを倒せば平定できるが、小さな按司たちを一人づつ倒して行かなければならない。手間の掛かる仕事だよ」
「山北王と湧川大主に溝ができたのなら、つけ入る隙があるんじゃないのか」
 ウニタキは首を振った。
「単なる兄弟喧嘩だろう。正月までには二人とも機嫌が治るに違いない」
「そうか‥‥‥すると、来年も湧川大主は奄美大島に行くんだな」
「それはわからん。交易を担当していた湧川大主がいなくて、山北王は随分と苦労したようだ。来年は他の者に任せるんじゃないのか」
「そうか。『材木屋』に頼んでおいた材木はヤンバル(琉球北部)から来ているのか」
「ああ、次々に来ているようだ。浮島に山のように積んである」
「お寺を十軒も建てるとなると山北王も忙しくなるな。当分は奴に稼がせてやろう」
「話は変わるが、ようやく新しい進貢船が来たようだな」
「おう。ようやく来た。これで三隻になった。一隻はヤマトゥと朝鮮に行き、二隻は明国に行ける」
「忙しくなりそうだな」とウニタキは笑って、「山南王だが」と言った。
「シタルーが動いたのか」
「大した動きはない。ただ長嶺(ながんみ)グスクが完成して、シタルーの娘婿が長嶺按司になった」
「朝鮮に逃げた山南王の弟だな」
「そうだ。その長嶺グスクに二百人の兵がいるらしい」
「なに、二百もか」
「多分、粟島(あわじま)(粟国島)で鍛えた兵たちだろう」
「シタルーは長嶺グスクを首里攻めの拠点にするつもりか」
「多分、そうだろうな。一番近くにあるのは上間(うぃーま)グスクだ。上間グスクを強化した方がいいかもしれんぞ」
「上間グスクか‥‥‥」
 上間グスクは察度が亡くなったあと、察度の護衛隊長だったチルータが上間にグスクを築いて上間按司を名乗った。七年後、上間按司は糸数(いちかじ)グスクを攻め落として糸数按司になった。上間グスクは弟の糸数之子(いちかじぬしぃ)が守り、兵は中山王の武寧から五十名借りていた。
 サハチが首里グスクを奪い取ったあと上間グスクに行くと、もぬけの殻になっていた。糸数之子は兄のもとへ逃げ、武寧の兵たちも家族を心配して浦添に逃げた。その多くは捕まって、首里で人足として働き、城下造りが終わったあと、改めて中山王の兵として取り立てられている。
 今、上間グスクは按司を置く事なく、首里グスクの出城として、首里のサムレーが交替で守っている。長嶺グスクに二百もの兵がいるとなると奪われる可能性もある。あそこが奪われたら首里は危険だった。
「誰かを按司に任命して、グスクも強化した方がいいな」とサハチが言うとウニタキはうなづいた。
 誰を任命したらいいかを考えていたら、ファイチが顔を出した。
「参りました」とファイチは言った。
 旧港の人たちの突然の来訪で、久米村は大忙しだという。
「もし、冊封使(さっぷーし)が来て、半年も滞在していたら大変な事になっていましたよ。冊封使が来るのはまだ先の事ですが、今回の事で色々と問題点が見つかりました。冊封使が来るまでに改善しなくてはなりません」
「そうだな。大役たちも突然の忙しさに参っていた。王府の方も改善するべき所がいくつもありそうだ。ずっと休まずだろう。今晩はゆっくりして行ってくれ」
 ファイチは笑ってうなづいた。

 

 

 

奄美大島物語 増補版   奄美、もっと知りたい―ガイドブックが書かない奄美の懐

2-64.旧港から来た娘(改訂決定稿)

 サハチ(琉球中山王世子)たちが家族水入らずの旅から帰って来ると、朝鮮(チョソン)に行った使者たちが博多に戻ったとの知らせが入った。
 サハチはウニタキ(三星大親)とファイチ(懐機)を連れて、イトの船に乗って博多に向かった。使者たちは『妙楽寺』に滞在していて、出入りも自由だったので、サハチたちは一文字屋孫次郎と一緒に妙楽寺に行き、使者たちと会った。
 無事に役目を終えた使者たちはホッとした顔でサハチたちを迎えた。サハチは皆にお礼を言った。
 通事(つうじ)(通訳)をしてくれた早田藤五郎(そうだとうごろう)はまだ富山浦(プサンポ)(釜山)に残っていた。同じく通事を務めてくれたチョル夫婦は朝鮮に帰らず、また戻って来ていた。どうしたのかと聞くと、
「かみさんに言われたんです」とチョルは言った。
「このまま帰ってもいいのかと言われたんです。恩返しをしなくてはならないと思いまして、琉球に戻る事に決めたのです。カンスケたちに朝鮮の言葉を教えて、立派な通事に育てようと思いました」
 サハチはチョルにお礼を言った。チョルの言う通り、来年も朝鮮に行くとなれば通事を育てなければならなかった。
 明国(みんこく)との交易と違って、大量の陶器がないため、船倉はまだ空いていた。サハチは空いている船倉に、瓦(かわら)と鉄屑(てつくず)を積むように使者たちに頼んだ。
 博多に残していった一徹平郎(いってつへいろう)は新助と一緒に、『一文字屋』のお客様用の屋敷を建てていた。『龍宮館(りゅうきゅうかん)』と名付けられた屋敷はそれ程大きな建物ではないが、独特な作りで、あちこちに新助が彫った龍が飾られてあった。龍ばかり彫っていると言われるだけあって、その龍は生き生きとしていて迫力があり、見事な彫り物だった。思紹(ししょう)(中山王)には悪いが、思紹の彫った龍が子供のいたずらのように思えた。
 一徹平郎は瓦職人も見つけ出してくれた。唐破風(からはふ)の瓦は特殊な瓦なので、職人を連れて行かなければならないと思い、探したのだと言った。サハチも瓦職人は連れて帰りたいと思っていたが、唐破風の瓦が特殊な瓦だとは知らなかった。一徹平郎が瓦職人を探してくれなかったら、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の唐破風はできなかったに違いない。改めて、一徹平郎という男を見直し、サハチはお礼を言った。
 栄泉坊(えいせんぼう)は博多の寺院や神社、サムレーの屋敷や庶民の家まで、あらゆる建物を絵に描いていた。充分に今後の参考になる絵ばかりで、サハチは栄泉坊に感謝した。
 来年もお世話になるので、サハチは九州探題の渋川道鎮(どうちん)にも挨拶に行った。道鎮は快く会ってくれた。朝鮮の事を聞かれたので、李芸(イイエ)の事を話すと、道鎮も李芸を知っていた。去年、李芸は副使としてやって来たが、暴風に遭って石見(いわみ)の国(島根県)まで流された。京都に行くのは諦めて、大内氏の援助で朝鮮に帰って行ったが、倭寇(わこう)に連れさられた朝鮮人を百人近くも連れて帰ったという。早田左衛門太郎に会ったかと聞かれたので、サハチは会いたかったが会えなかったと答えた。
 道鎮は京都の様子を話してくれた。
「鎌倉の御所様(足利満兼)に不穏な動きがあって、敵が京都に攻めて来ると一時は大騒ぎになったんじゃが、何とか無事に治まったようじゃ。事を起こす前に、御所様は亡くなってしまったらしい。狂気したとの噂も流れていたので、重い病に罹っていたのかもしれんのう。興奮し過ぎて、頭に血が昇り過ぎたんじゃろう」
 サハチは鎌倉に行った高橋殿を思い出した。
 もしかしたら、高橋殿の仕業だろうか‥‥‥
 事が起こる前に殺したのだろうか‥‥‥
 サハチは道鎮と別れたあとも高橋殿の事を考えていた。
「高橋殿がうまくやったようだな」とウニタキが言って笑った。
 ウニタキは高橋殿が殺したと思っているようだが、サハチはそうは思いたくはなかった。
 サハチたちはクグルーとマウシ、クルシ(黒瀬大親)、カンスケたちを連れて対馬(つしま)の船越に帰った。
 久し振りに対馬に帰って来たクルシは孫たちに会いに土寄浦(つちよりうら)に行った。クルシには三人の息子がいて、長男と三男がサイムンタルー(早田左衛門太郎)と一緒に朝鮮にいて、次男がシンゴ(早田新五郎)の補佐をしていた。孫たちは二十人もいて、その中の一人は船越にいて、六郎次郎に仕えていた。
 カンスケの妻と子供は船越にいた。奥さんは船乗りの娘で、子供をサワに預けて、イトと一緒に船に乗っていた。子供は四人いて、十歳になる長女はしっかり者だった。カンスケと一緒に通事をやってくれた者たちは土寄浦に帰って行った。
 クグルーと再会して泣いている娘がいた。去年、仲よくなった娘だった。仲よくなったといってもクグルーは手を出さなかったらしい。もう二度と会えないと思っていたクグルーが現れたので、娘は感激して泣いたようだった。
 マウシはミナミとの再会に喜んでいた。ミナミも喜び、マウシの名を呼び捨てにして肩車をさせて走らせ、キャッキャッと嬉しそうに騒いでいた。
 一仕事を終えたサハチたちは対馬でのんびりと過ごした。あとは十二月になって北風が吹くのを待つばかりだった。
 ササ(馬天若ヌル)とシンシン(杏杏)とナナ、ンマムイ(兼グスク按司)とクサンルー(浦添按司)は土寄浦で若い者たちを鍛えている。サハチとウニタキとファイチ、それとヂャンサンフォン(張三豊)は船越の若者たちを鍛え、三人の女子(いなぐ)サムレーとシズは船越の娘たちを鍛えていた。その合間にファイチとイハチ、三人の女子サムレーは、ヤマトゥ(日本)言葉を手の空いている女たちから習っていた。
 好きになった娘のために強くなろうと思ったのか、イハチは真剣に武術修行に励んでいた。そんなイハチを見ながら、そろそろ嫁さんを探さなければならないなとサハチは思っていた。
 ジクー(慈空)禅師は鉄潅和尚(てっかんおしょう)と仲よくなって、ほとんど『梅林寺』にいた。梅林寺で来年のヤマトゥ行きの計画を練っているようだった。
 十一月になって急に寒くなってきた。イトが昔を思い出して襟巻きを作ってくれた。サハチたちは襟巻きを首に巻いて寒さを凌いだ。
 一文字屋の船が船越にやって来た。外間親方(ふかまうやかた)が乗っていて、博多に旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船がやって来て、琉球に帰る時に一緒に琉球まで連れて行ってほしいと九州探題の渋川道鎮に頼まれた事を告げた。
 旧港の船と言えば、去年、若狭(わかさ)(福井県)に着いた船だった。『七重の塔』の上で勘解由小路殿(かでのこうじどの)(斯波道将)から話を聞いて、そのあと、高橋殿から詳しい事情を聞いていた。
 去年の六月、旧港の支配者となったシージンチン(施進卿)が、日本国王に送った使者が若狭の国の小浜(おばま)港に着いた。象という鼻の長い巨大な動物、日本の馬よりも一回り大きな立派な馬、綺麗な鳥の孔雀(くじゃく)と鸚鵡(おうむ)を積んでいた。若狭守護の一色氏の家臣たちに守られながら京都へ向かい、将軍様足利義持)に謁見(えっけん)して、珍しい動物たちを献上した。動物の他にも南蛮(なんばん)(東南アジア)の品々や明国の陶器も献上して、将軍様を喜ばせた。特に気に入ったのは馬で、将軍様は愛馬として乗り回しているという。
 象、孔雀、鸚鵡は使者たちの宿舎となった寺院で、一般の者たちにも公開して、京都の人々を驚かせた。サハチたちが京都にいた頃は京都の郊外にある醍醐寺(だいごじ)にいたらしい。鼻が長くて目が小さくて、足が太くて巨大だと高橋殿は象の事を言ったが、一体、どんな動物なのか、サハチには想像もできなかった。
 旧港の船は大量の日本刀を仕入れて帰ろうとしていた去年の十一月、台風に遭って、船が壊れて帰れなくなってしまった。将軍様の援助で新しい船を造る事に決まり、船が完成して小浜(おばま)を船出したのが今年の十月で、その船が今、博多にいるのだった。
 サハチはウニタキとファイチ、ヂャンサンフォンも連れて、博多に向かった。旧港を支配しているシージンチンは明国人だった。わたしの出番が来たようですとファイチは張り切っていた。もしかしたら、旧港の使者はメイユー(美玉)の事を知っているかもしれない。知っていれば話も弾むに違いない。いつの日か、旧港に使者を送るようになった時、役に立つだろうとファイチは言った。
 旧港の使者たちの船は進貢船(しんくんしん)と似ていた。小浜で新造したのでヤマトゥの船かと思っていたが、壊れた船と同じ物を造ったようだ。あの『七重の塔』を建てた大工なら、明国の船を真似して造る事もできるだろう。腕のいい船大工も琉球に欲しいとサハチは思った。
 旧港の使者たちがいるという『承天寺(しょうてんじ)』に行くと、広い境内の片隅で武芸の稽古をしている娘たちがいた。着ている着物は明国風なので、旧港から来たようだが、娘たちが一緒にいるのは不思議だった。
「武当剣(ウーダンけん)のようじゃ」とヂャンサンフォンが言った。
「するとあの者たちは師匠の弟子なのですか」とウニタキが驚いた顔をして聞いた。
「弟子の弟子、あるいはそのまた弟子かもしれんのう。しかし、旧港にもわしの弟子がいるとは知らなかった」
 サハチたちが本堂の方に向かおうとした時、娘たちの師匠らしい老人が近づいて来て、ヂャンサンフォンをじっと見つめた。ヂャンサンフォンもその老人を見つめて、「ミンジュンか」と言った。
 老人は急にひざまづいて、何事かを言い出した。
 ヂャンサンフォンは老人を立たせると、
「弟子の弟子ではなかったわ。わしの弟子のシュミンジュン(徐鳴軍)じゃった」と言って笑った。
「何年振りかのう。こんな所で出会うとは思ってもいなかったわ」
 ヂャンサンフォンとシュミンジュンは再会を喜んで、しばらく話し込んでいた。二人が並んでいる姿はどう見てもヂャンサンフォンの方が若く見えた。ヂャンサンフォンをここに置いて使者に会おうとしたら、二人の娘のうちの一人がシージンチンの娘らしいとヂャンサンフォンは言った。
 シュミンジュンが娘たちを呼ぶと、二人の娘がやって来た。二人とも二十歳前後の娘だった。
 シュミンジュンが娘たちに何かを言った。娘たちは驚いた顔をしてヂャンサンフォンを見て、慌てて師匠に対する礼をした。そして、サハチたちを見ると一人の娘が、
「シージンチンの娘のシーハイイェン(施海燕)です」とヤマトゥ言葉で言った。
「日本の言葉がわかるのですか」とサハチが聞くと、
「小浜に一年以上いました。日本の言葉のお稽古をしました」とシーハイイェンは言った。
「そうでしたか」とサハチはうなづき、ファイチを見て、「ファイチよりもうまいようだ」と笑った。
 サハチはファイチとウニタキを紹介した。
 シーハイイェンはもう一人の娘を紹介した。ツァイシーヤオ(蔡希瑶)という名前だった。
 シーハイイェンに連れられて、サハチたちは使者たちと会った。ヤマトゥ言葉をしゃべる通事もいて、『ワカサ』と呼ばれていた。どうやら日本人のようだった。
 サハチは旧港の船を琉球に連れて行く事を約束して、さらに明国まで連れて行く事も約束した。琉球まで行くのはいいが、それから先はどうしようかと悩んでいた使者たちは、サハチの申し出に大喜びしてくれた。
 使者たちとの話がまとまると、サハチはシュミンジュンとシーハイイェンとツァイシーヤオの三人を『一文字屋』に連れて帰り、酒と料理を御馳走して、旧港の話を聞いた。ヂャンサンフォンとシュミンジュンは別れてからのお互いの事を話し合っていた。
 シーハイイェンとツァイシーヤオはメイユーの事を知っていた。メイユーからヂャンサンフォンが琉球にいる事を聞いて、琉球に行きたかったと言った。
「でも、父はあたしよりワカサの言う事を聞いて、琉球に行くより日本に行けと言ったのです」
「ワカサというのは通事の事ですね?」
 シーハイイェンはうなづき、「ワカサは倭寇です」と言った。
「あたしたちが広州(グゥァンジョウ)にいた頃、助けられて、そのあとはずっと仲間です。メイユーが持って来てくれた日本刀はとても素晴らしいです。旧港の兵たちを日本刀で武装しなければなりません。日本刀を手に入れるために日本にやって来たのです。ワカサが生まれた小浜は京都に行くのに近いというので、小浜を目指して来ました。京都にも行きました。素晴らしい都でした。とても高い塔があって、そこからの眺めはとてもよかったです」
「七重の塔だな」
「そうです。七重の塔。あんなに高い塔は明国にもありません。日本という国は凄いと思いました。京都から小浜に戻って、帰るつもりだったのですが、台風が来て船が壊れてしまいました。将軍様のお陰で新しい船を造りましたが、一年も掛かってしまいました。でも、その間にワカサの奥さんがいる平戸(ひらど)(長崎県)という島に行きました。平戸の人たちはワカサが死んだと思っていたので、みんなが驚いて、そして、喜んでいました」
「ワカサは松浦党(まつらとう)だったのか」とウニタキが言った。
「ワカサは琉球にも行った事があると言っていました」
 ファイチが明国の言葉で、シーハイイェンに質問した。ファイチは旧港の事を詳しく聞いていた。
 シーハイイェンは明国の広州で生まれた。七歳の時、海賊のリャンダオミン(梁道明)は旧港に移った。リャンダオミンの配下だった父親も移る事になり、シーハイイェンは海を渡って旧港に行った。
 旧港はシュリーヴィジャヤ王国の王都として栄えていたが、マジャパヒト王国に滅ぼされて、国は乱れて海賊たちの拠点と化していた。リャンダオミンは配下を率いて旧港を攻め、海賊どもを追い払った。
 旧港には元(げん)の時代に広州から移住した商人たちが多く住んでいた。リャンダオミンは一年足らずで商人たちの首領となり、旧港の王を名乗った。
 シーハイイェンが十六歳の時、リャンダオミンは明国から来た役人に投降して、広州に帰って行った。リャンダオミンの後継者として選ばれたのは父だった。父は旧港の王となった。リャンダオミンの護衛役だったシュミンジュンは父のために残る事になった。
 リャンダオミンが去ったあと、チャンズーイー(陳祖義)が大勢の配下を率いて旧港にやって来た。チャンズーイーも広州の海賊だったが、やる事が汚いので海賊仲間からも嫌われ、広州を追放されて、マラッカ海峡で暴れていたのだった。チャンズーイーは王宮から父を追い出して、自ら王を名乗り、好き放題の事をした。シーハイイェンも隠れて暮らさなければならず、必ず、チャンズーイーを倒してやると武芸の修行に励んだ。一年後、その苦しい立場は急転した。ジェンフォ(鄭和)が率いる大船団がやって来て、チャンズーイーを退治してくれた。チャンズーイーは進貢船も襲っていたので、永楽帝(えいらくてい)の怒りを買っていたのだった。
 父はジェンフォから旧港の首領である事を認められた。翌年には姉婿が使者となり、明国に行って朝貢した。父は永楽帝から正式に、旧港宣慰司(ジゥガンシェンウェイスー)に任命された。その翌年、メイユーが琉球から大量の日本刀を持ってやって来た。メイユーが明国に帰ったあと、父は日本に使者を送る事を決定し、シーハイイェンも一緒に行く事に決まった。去年の五月の事だった。
「きっと、両親が心配しているに違いないわ」とシーハイイェンとツァイシーヤオは暗い表情になったが、「でも、日本刀をいっぱい持って帰れば喜んでくれるに違いないわ」と言って、うなづき合っていた。
 シーハイイェンはシージンチンの次女だった。姉はお嫁に行ったので、あたしが父の跡を継がなければならないと言った。母親違いの弟がいるけど、まだ幼いので任せられない。あたしは父親の跡を継ぐために日本にやって来た。日本では船が壊れて苦労したけど、琉球の人に会えて、琉球に行けるのは嬉しい。琉球の事はメイユーから聞いていて、行ってみたいと思っていたという。
 ツァイシーヤオは父親の腹心の部下の娘で、幼い頃から一緒に育ち、共に武芸の稽古に励み、お互いにお嫁には行かないで、旧港の発展のために生きようと誓い合った仲だった。
 シーハイイェンとツァイシーヤオの話を聞きながら、ササのいい友達になれそうだとサハチは思った。きっと、意気投合して仲良しになるに違いない。
 シーハイイェンたちと別れて対馬に帰ったサハチたちは富山浦に行って、早田五郎左衛門にお世話になったお礼と別れを告げた。ササと仲良くなったナナは五郎左衛門の許しを得て、一緒に琉球に行く事になった。
 対馬に戻って、サハチがイトとユキとミナミに別れを告げている時、ウニタキはツタと別れを告げていた。ツタの夫は戦死したので仲よくなっても構わないのだが、二人が仲よくなっていたなんてサハチはまったく知らなかった。ファイチはヤマトゥ言葉を教わっていたアサと、ヂャンサンフォンは後家のキタと、シズはシノの息子の新太郎と別れを告げていた。
 まったく意外だったのはンマムイだった。女子サムレーのクムに振られて土寄浦に行ったンマムイが、シンゴの妹のサキと仲よくなっていた。そろそろ帰るからと土寄浦にいるンマムイやササたちを呼び戻したら、サキも娘を連れてやって来た。サキだけでなく、娘のミヨもンマムイを慕っているようなのには驚いた。
 別れの前夜、『琉球館』で送別の宴(うたげ)が開かれ、みんなが集まって来て、夜遅くまで騒いだ。
「今度はいつ会えるかしらね」とイトが言った。
「来年、来られたら来るよ」とサハチは言った。
 イトは笑いながら首を振った。
「来年はマチルギさんが来るんじゃないかしら」
 サハチは笑ったが、あり得る事だった。今度はあなたが留守番よと言って、女子サムレーを引き連れて来るかもしれなかった。
「でも、以前よりも対馬琉球は近くなったような気がするわ。これから毎年、博多に来るんでしょ。来年は来られなくても、二、三年後には会えるような気がするわ」
「そうだな」
「あたしもいつか必ず、琉球に行くわ。真っ白な砂浜を見てみたいわ」
「是非、見せたいよ。海に潜れば綺麗な魚がいっぱいいる」
「マチルギさんから聞いたわ。色鮮やかなお魚がいっぱいいるんですってね。見てみたいわ」
「あたしも見たい」とミナミが言った。
「ミナミもいつか琉球に来いよ」
「絶対に行く」とミナミは言って、「マウシ!」と叫んでマウシの所に行った。
 可愛いミナミの笑顔を瞼に焼き付けようとサハチはミナミを見つめていた。
 十二月五日、サハチたちは船越を去って博多に向かった。イハチとクサンルーは残した。二人は一月後、シンゴの船に乗って琉球に向かう。イハチが仲よくなったマユの娘のミツを琉球まで連れて来るかもしれないが、それはそれでいいだろうと思っていた。
 それから三日後、サハチたちは交易船に乗って博多を発ち、琉球を目指した。サハチたちの船の後ろに旧港の船が従っていた。

 

 

 

世界の歴史13 - 東南アジアの伝統と発展 (中公文庫)   世界の歴史―ビジュアル版〈12〉東南アジア世界の形成

2-63.対馬慕情(改訂決定稿)

 サハチ(琉球中山王世子)たちが朝鮮(チョソン)から対馬(つしま)に戻ったのは、山々が紅葉している十月の初めだった。
 九月の初めに漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に着いた琉球の使者たちは、二十一日にようやく朝鮮王(李芳遠(イバンウォン))に謁見(えっけん)した。何度も歓迎の宴(うたげ)が行なわれたが、なかなか朝鮮王に会う事はできなかった。李芸(イイエ)に聞くと、書類の手続きに手間取っているようだという。
 新しい宮殿の『昌徳宮(チャンドックン)』で朝鮮王と謁見した使者たちは胡椒(こしょう)や蘇木(そぼく)、象牙(ぞうげ)などを贈り、武寧(ぶねい)(先代中山王)の側室たちを返した。お礼として大量の綿布(めんぷ)と経典(きょうてん)や仏像を贈られた。ただ、仏像は大きな物は運べないので、小さい物ばかりだった。
 使者たちが朝鮮王と会ったのを確認すると、サハチたちは富山浦(プサンポ)(釜山)に引き返した。ナナがササに会いたいと言って一緒に付いて来た。途中、長雨に見舞われて三日間、足止めを食らったが何とか無事に富山浦に到着した。道のひどさに辟易(へきえき)して、もう二度と漢城府には行きたくないとサハチは思っていた。
 富山浦の『津島屋』の留守を守っていたのは、浦瀬小次郎の弟の小三郎だった。小三郎の話によると、サハチたちが漢城府に旅立ったあと、ササたちはすぐに対馬に帰らず、小次郎の双子の娘、ソラとウミを連れて、近辺の山々に登っていたという。危険だと言っても言う事を聞かず、小三郎を困らせたらしい。それでも、八月の半ばには無事に対馬に送り届けたという。サハチはお礼を言って、漢城府の出来事と、開京(ケギョン)でサイムンタルー(早田左衛門太郎)と会った事を告げた。
「お屋形様に会えましたか。それはよかったです。それに、朝鮮の王様を間近に見るなんて、ササが言っていましたが、あなたは何かを持っているようですね」
「ササが何かを言ったのですか」
「わたしがあなたたちの事を心配していたら、あなたは『龍(りゅう)』だから大丈夫だと言っていました。意味はよくわかりませんが、きっと、強運の持ち主なんだろうと思いました」
 ササが子供の頃、父親のヒューガ(日向大親)が彫った『龍』を渡された事をサハチは思い出して笑った。
 船大工の与之助は帰ったかと聞くと、進貢船を隅から隅まで調べて、九月の半ばに帰って行ったという。船の事しか考えていないあんな船大工が琉球にも欲しいと思った。
 次の日、サハチは『倭館(わかん)』に行って、漢城府に行かなかった又吉親方(またゆしうやかた)に使者たちの様子を話して、先に対馬に帰る事を告げた。
 丁度うまい具合に、イトの船が富山浦にやって来た。
「迎えに行って」とササに言われたという。ササたちも一緒に来て、ナナとの再会を喜んでいた。
 対馬に帰ったサハチはイスケの船に乗って、イト、ユキ、ミナミを連れて、家族水入らずの旅に出た。喜んでいるユキとミナミを見ながら、子供たちと一緒に旅をするのは初めてだなと思った。マチルギとは毎年のように旅をしたが、子供たちを連れて行った事はなかった。琉球に帰ったら、幼い子供たちを連れて久高島(くだかじま)にでも行こうかなとサハチは思っていた。
 ササから話に聞いていた仁位(にい)の『ワタツミ神社』は、海の中に鳥居がいくつも立っている不思議な神社だった。本殿を参拝して、森の中にある豊玉姫(とよたまひめ)のお墓で両手を合わせた。
 イトが近くに眺めのいい山があるというので登った。大して高い山ではないので、すぐに山頂に着いた。そこからの眺めは素晴らしかった。周りに高い山がないので、東西南北すべてが見渡せた。ミナミもキャッキャッと言いながら喜んでいた。
 サハチたちが眺めを楽しんでいるとササたちがやって来た。ササとシンシン(杏杏)とナナの三人だった。ミナミが喜んでササたちの所に飛んで行った。
「お前ら、あとを付けて来たのか」とサハチが聞くと、
「そうじゃないのよ。土寄浦(つちよりうら)に行く途中なのよ」とササは言った。
「土寄浦の若い者たちを鍛えてくれって頼まれたのよ。ンマムイ(兼グスク按司)とクサンルー(浦添按司)は先に行ったけど、あたしはワタツミ神社に寄ってから行くって言ったのよ」
「またスサノオの神様か」
「そうよ。この山に登ってみたかったの」
「この山にスサノオの神様が来たのか」
「来たと思うわ。周り中が眺められるもの。この山があったから、スサノオの神様はワタツミ神社の所にお屋敷を建てて暮らしたんだと思うわ」
「成程」とサハチはうなづいた。
スサノオの神様に敵がいたのかどうかは知らんが、ここにいれば敵の動きがわかるな」
「ここから周りを見張っていたのよ。あたし、ずっと豊玉姫様がどこから来たのか考えていたんだけど、ようやくわかりそうだわ」
「ほう、ここに来てわかったのか」
「そうじゃないけど、見方を変えてみたのよ。豊玉姫様はスサノオ様に会うためにここに来たけど、最初に南の島(ふぇーぬしま)に行ったのはスサノオ様なのよ。南の島でスサノオ様は豊玉姫様と出会って結ばれるわ。豊玉姫様にとってスサノオ様はマレビト神だったのよ。豊玉姫様は妊娠して、スサノオ様のもとで子供を産みたいと対馬にやって来るの。スサノオ様はどうして南の島に行ったの?」
「シビグァー(タカラガイ)でも採りに行ったのか」とサハチが何気なく言うと、ササは驚いた顔をしてサハチを見つめ、「どうして知っているの?」と聞いた。
「今、朝鮮の都でシビグァーが流行っているんだよ」
「えっ、どういう事?」
「ノリゲ(着物に付ける装飾品)にシビグァーを飾るのが娘たちに流行っていて、漢城府の『津島屋』は繁盛しているんだ」
「へえ、そうなんだ。お土産にしようと思って、ノリゲは富山浦の遊女屋(じゅりぬやー)の女将(おかみ)さんから譲ってもらったわ」
「お前、女将に会ったのか」
「女将さんが『津島屋』に来たのよ。綺麗なチマチョゴリを着ていたんで、どこで手に入れるのか聞いたら、あたしたちを遊女屋に連れて行って、綺麗なチマチョゴリをくれたのよ。いい人だわ」
「お前がお世話になったとは知らなかった。改めてお礼をしなければならんな」
「お願いね」とササは言って、スサノオに話を戻した。
スサノオ様もシビグァーを求めて南の島に行ったんだけど、ノリゲに飾るためじゃないのよ。スサノオ様の時代、シビグァーは銭(じに)の代わりとして交易に使われていたの」
 サハチはうなづいて、「明国(みんこく)に行った時、ヂャン師匠(張三豊)から聞いたよ」と言った。
「今でも山奥ではシビグァーが銭の代わりに使われているらしい。琉球にいたら考えられない事だが、朝鮮ではシビグァーは採れない。かなり貴重だったのだろう。今でも貴重だが、スサノオ様の頃ならシビグァーが宝物のように大切にされていたのかもしれんな」
「そうよ。スサノオ様は宝物を求めて南の島に出掛けて行ったのよ。そして、豊玉姫様と出会うのよ。豊玉姫様って豊の国(大分県)のお姫様だと思っていたんだけど、もしかしたら、鳴響(とよ)む玉グスクのお姫様じゃないかしら?」
豊玉姫様が琉球人(りゅうきゅうんちゅ)だというのか」とサハチはササを見て笑った。
「おかしくないわ」とササは真剣な顔して言った。
「シビグァーはただ採ればいいというわけじゃないわ。生きているシビグァーを持って行っても途中で腐ってしまうわ。ちゃんと中身を出して乾燥させなくてはならないわ。そんなシビグァーの貝殻を大量に手に入れるには、力を持った按司がいなければならないわ。あたしは琉球の歴史は詳しくないけど、玉グスクって古いんでしょ。きっと、スサノオ様の頃に玉グスク按司がいて、海外とシビグァーの交易をしていたのよ。それを知ったスサノオ様は琉球まで行ったのに違いないわ。大量のシビグァーを手に入れたスサノオ様はカヤの国(朝鮮)に行って、大量の鉄を手に入れたのよ」
 確かにササの言う通りだった。シビグァーの中身を取り出すのは手間の掛かる仕事だった。中身を腐らせてから取り出すので、悪臭が漂う中、ウミンチュ(漁師)のおかみさんたちが手慣れた手つきで作業をしていた。
スサノオ様が交易したとして、スサノオ様は琉球に何を持って来たんだ?」
「これよ」とササは赤いガーラダマ(勾玉)を見せた。
「ガーラダマの石はヤマトゥ(日本)で採れるって聞いているわ。琉球では採れないからとても貴重なのよ」
「成程、あり得るな。しかし、お前の言う通りだと、『アマテラス』のお母さんは琉球人という事になるぞ」
「そうなのよ。アマテラスは天皇の御先祖様でしょ。でも、アマテラスのお母さんがよその国の人だと具合が悪いので、両親のスサノオ様と豊玉姫様は消されてしまったんだわ。スサノオ様は京都の神社に祀られているけど、京都の人は誰もスサノオ様がアマテラスのお父さんだって事は知らないのよ。誰かが歴史をねじ曲げてしまったんだわ。あたし、琉球に帰ったら、スサノオ様の足跡を探すわ。きっと、どこかに残っているはずよ」
「そうだな。頑張れ」とサハチはササに言ったあと、「もしかしたら、スサノオ様が行った頃の玉グスク按司というのは俺たちの先祖なのか」と聞いた。
 ササは首を傾げた。
「そういう事はマシュー姉(ねえ)(佐敷ヌル)が詳しいんじゃないの?」
「そうだな。帰ったら聞いてみよう」
 急ぐ旅ではないので、その日はのんびりと過ごして、夜は砂浜で野宿をした。ミナミに引き留められて、ササたちも泊まる事になった。シズがいないので、喧嘩でもしたのかと聞いたら、シズは好きな人ができたみたいと言った。
「誰だ?」
「新太郎」
 サハチには誰だかわからなかった。
「まさか、奥さんがいる男じゃないだろうな」
「奥さんはいないわ。でも、シズより年下なのよ。お母さんはシノさんよ」
「何だって!」とサハチはササを見た。
 シノの息子という事はマツ(中島松太郎)の息子だった。確か、長男のはずだった。マツの跡を継ぐ息子が琉球の娘と仲よくなるなんて‥‥‥問題が起きなければいいがと心配した。
 焚き火を囲んで、笛を吹いたり歌を歌ったりと楽しく過ごしたが、夜は思っていたよりも寒かった。それでも、イトが用意してくれた毛皮を掛けて、みんなで寄り添って眠った。
 次の日、サハチたちはササたちと一緒に土寄浦に向かった。ワタツミ神社は深い入り江の奥の方にあるので、『木坂の八幡宮(海神神社)』まで一日では行けなかった。
 サハチたちが漢城府まで行っている間に小舟の操り方を覚えたらしい。ササたちは達者に小舟を操っていた。
 土寄浦に着いて『琉球館』に行くと、ンマムイとクサンルーはどこに行ったのか姿はなかった。
「あの二人、振られたのよ」とササが言った。
「ンマムイはクムに振られ、クサンルーはアミーに振られたの。船越にいられないからこっちに来たのよ」
「何をやっているんだ。ンマムイはあんな綺麗な奥さんがいながらクムを口説いているのか」
「あら、人の事を言えるの?」とササはサハチを横目で見た。
 サハチは苦笑して、「イハチはうまく行っているのか」と聞いた。
「イハチは按司様(あじぬめー)の息子だから、ミツのお母さんも反対していないわ。琉球に行ってもいいのよって言っているわ」
「まあ、それもいいが‥‥‥」と言ってから、サハチはササを見て、「対馬に来た弟や倅たちが、ここの娘と仲よくなったかどうか、お前、聞いてないか」と聞いた。
 ササはニヤニヤして、「女子(いなぐ)サムレーたちと一緒に調べたのよ」と言った。
「どうして、そんな事を調べたんだ?」
按司様が気になっているだろうと思ってね」
「ああ、確かに気になるよ。ユキのような子がいたら、ちゃんと面倒を見なけりゃならないからな。それで、そんな子はいたのか」
 ササは首を振った。
「一人や二人はいると思ったんだけどいなかったわ」
「そうか」とサハチは安心したが、少し情けなくもあった。
按司様のあと、最初に来たのはマタルー(与那原大親)とマガーチ(苗代之子)でしょ」
「そうだったか」とサハチは当時を思い出してみた。
 マサンルー(佐敷大親)とヤグルー(平田大親)が断って、マタルーが行く事になった。そして、マタルーの供として従弟(いとこ)のマガーチが行ってくれたのだった。
「二人ともすでに奥さんがいたし、特に仲よくなった娘はいなかったみたい。按司様とは違うのよ」
「うるさい」
 ササは笑って、「本当は釣り合う相手がいなかったみたい」と言った。
「十六、七の娘じゃ若すぎるし、釣り合いの取れる相手は皆、お嫁に行って、小さな子供を育てていたわ」
「成程。そういう事か」
「次に行ったのはクルーと勝連按司(かちりんあじ)後見役(サム)よ」
「お前、よくそんな事を覚えているな」とサハチは感心した。
 ササは笑って頭を指さし、「みんな、ここに入っているのよ」と言った。
「この二人はちょっと問題があったわ。クルーはここの娘と仲よくなったみたい。クルーはあんな可愛い奥さんがいながら浮気したのよ。按司様に似てるのかしら」
「俺の事を一々出すな。それで、その娘とどうなったんだ?」
「子供はできなかったみたい。その娘はお嫁に行ったわ。クルーは三年後にもう一度、対馬に来るんだけど、その時、その娘は大きなお腹をしていたらしいわ」
 サハチは笑った。
「サムは何もなかったんだな?」
 ササは首を振った。
「ミツのお母さんといい仲になったみたい」
「何だって!」
「お互いに浮気をしたのね。娘がイハチを好きになっても、自分もそうだったから許せるのよ」
「サムがマユとか‥‥‥」
 そう言ってサハチは首を振った。
「次に来たのはマサンルーとサグルーよ」とササは言った。
 マサンルーは何事もあるまいが、サグルーは心配だった。
「二人とも問題ありよ。マサンルーはサワさんの娘のスズさんと仲よくなったわ」
「何だって! マサンルーがスズちゃんと‥‥‥」
 マサンルーがそんな事をするなんて信じられなかった。サハチは口をポカンと開けたまま、ササを見ていた。
「サグルーはかなり持てたようよ。按司様の事は伝説になっていて、その息子がやって来たんだから当然ね。それに、サグルーは見た目もいいし。サグルーの時から船越の方に移ったみたい。サグルーと仲よくなったのは船越の娘のサヤよ」
「今はもうお嫁に行っているんだろう」
 ササは首を振った。
「お嫁には行っていないわ。イトさんのお船に乗っているわ」
「お嫁に行かないのか」
「サグルーの事が忘れられないみたい」
「イトの船に乗っていると言ったな。マチルギはサヤの事を知っているのか」
「奥方様(うなじゃら)とずっと一緒にお船に乗っていたけど名乗らなかったみたい。みんなにも口止めしていたらしいわ」
「そうか。お前、サヤに会ったのか」
 ササはうなづいた。
「綺麗な娘よ。そして、かなりの腕だわ。奥方様と出会って尊敬したみたい。奥方様みたいになりたいって必死にお稽古したって言っていたわ」
「今もサグルーの事が好きなのか」
「みたいね。いつかもう一度会えると信じているみたいよ」
「そうか‥‥‥そんな娘がいたのか」
「サグルーとサヤが再会したら、新しい伝説ができるわね。いつか、サグルーは対馬に来るんでしょ」
「多分な。俺の代わりにヤマトゥや朝鮮に行く事になるだろう」
「劇的な再会ね。按司様、サヤの事、サグルーに言っちゃだめよ」
「おっ、そうだな」とサハチは笑いながらうなづいた。
 ササは話を聞いていたシンシンとナナ、イスケにも口止めした。イトとユキとミナミはシンゴ(早田新五郎)の所に挨拶に行っていた。
「おい、ジルムイはどうなんだ? 仲よくなった娘はいるのか」
「ジルムイも持てたようよ。でも、特に好きになった娘はいなかったみたい。ジルムイはずっと勝連に行ったユミの事を思っていたのよ」
「そうか‥‥‥マウシは問題を起こさなかったか」
 ササは笑った。
「マウシは惚れた娘がいたんだけど、相手にされなかったのよ」
「ほう、そんな娘がいたのか」
「ユキさんよ」
「何だって! マウシの奴、ユキに惚れたのか」
「惚れたというより憧れたというか。マウシはユキさんの家来になったみたいだって、みんなが言っていたわ。当時、三歳だったミナミちゃんのいい遊び相手だったみたい」
「マウシがミナミと遊んでいたのか」
 その姿を想像してサハチは笑った。
「サワさんから聞いたんだけど、按司様のお父さんも好きになった娘がいたみたいよ」
「そんな事、サワさんから聞いてないぞ」
按司様が前に来た時、その人は幸せに暮らしていたから按司様には言わなかったのよ。その後、旦那さんが戦死してしまって、その人は旦那さんに代わって、家臣たちを引き連れて海に出て行ったらしいわ」
倭寇(わこう)働きに行ったのか」
 ササはうなづいた。
「でも、その人も戦死してしまったらしいわ」
「そうか‥‥‥女武者として戦死したのか」
「きっと、王様(思紹)から剣術を習ったんだわ」
「親父からその人の事は聞いた事はない。お爺(サミガー大主)も好きな娘がいたと言っていた」
「えっ、お爺もなの?」とササは驚いていた。
「俺が対馬に連れて行くって約束したんだけど、約束を果たす前に亡くなってしまったんだ」
「そうだったの。お爺が好きになった人を探すのは難しいわ。きっと、もう亡くなっているわね」
 ヤグルーが後家の女と仲よくなった話を聞いていると、ンマムイとクサンルーが酒樽を担いで帰って来た。イトとユキとミナミも一緒で、シンゴの妹のサキが娘のミヨと一緒に、女たちを連れて料理を運んでくれた。
「お前たち、お屋形に行っていたのか」とサハチはンマムイとクサンルーに聞いた。
「稽古が終わったあと、シンゴさんに呼ばれて行ったんです。朝鮮の事を話していたら、イトさんたちがやって来て、宴(うたげ)の準備をして、こうして運んで来たのです」
 サハチは朝鮮から帰って来た時、シンゴと会って朝鮮での事を話していた。もっと詳しく知りたいとンマムイを呼んだのだろう。
 サハチたちは遠慮なく、酒と料理を御馳走になった。
 次の日、サハチたちは『木坂の八幡宮』に向かった。浅海湾(あそうわん)から外海に出たら海は荒れていた。無理をせず、二日掛かりで木坂に着いた。のんびりと景色を楽しみながらの旅だった。娘のユキと孫娘のミナミと一緒にいるだけで楽しかった。そして、イスケとイトがいた。イスケはサハチが誕生した時、馬天浜にいたという。考えてみれば長い付き合いだった。
 八幡宮は山の上にあった。神気が漂っているような雰囲気があり、各地にある八幡宮の総本山だという事を感じさせた。ヤマトゥの事も朝鮮の事も、何もかもがうまくいった事へのお礼を言って、これからも見守ってくれるようにお願いした。
 サハチは感謝の気持ちを込めて一節切(ひとよぎり)を吹いた。神々しい調べは山の中に響き渡り、今にもスサノオの神様が降りて来るような気がした。

 

 

 

対馬国志 全巻セット