長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-90.伊是名島攻防戦(改訂決定稿)

 サハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)が与論島(ゆんぬじま)の海に潜ってカマンタ(エイ)捕りに熱中している頃、伊是名島(いぢぃなじま)では戦(いくさ)が始まっていた。
 伊是名親方(いぢぃなうやかた)が伊是名島に、田名親方(だなうやかた)が伊平屋島(いひゃじま)に五十人の兵を率いて行ったのは五月八日だった。そして、山北王(さんほくおう)の兵が攻めて来たのは十一日の正午前(ひるまえ)だった。
 山北王の兵は伊平屋島を攻める事なく、伊是名島を攻めて来た。伊平屋島に中山王(ちゅうさんおう)の兵がいる事を知っているので、まず、伊是名島を攻め取ってから伊平屋島を攻めようと思ったのに違いない。敵は四隻の船でやって来て、小舟(さぶに)に乗り移って、島の東側にある仲田(なかだ)の浜から上陸しようとした。
 一隻に五十人の兵が乗っているとして、二百人の兵力だった。五十人で二百人を相手にするのは難しいが、やらなければならないと伊是名親方は兵たちに檄(げき)を飛ばした。兵たちは勇ましく鬨(とき)の声を上げた。皆、キラマ(慶良間)の島で、思紹(ししょう)(中山王)に鍛えられた兵たちだった。たとえ、敵が四倍いようとも怖じ気づく者などいなかった。
 伊是名島伊平屋島も、珊瑚礁に囲まれているので大型の船は近づけない。礁池(いのー)よりも外に船を泊めて、小舟に乗り移らなければ島に上陸できなかった。
 伊是名親方は弓矢を持たせた兵たちをアダンの木陰に隠して、小舟が近づいて来るのを待ち、敵が射程圏内に入った時点で一斉に矢を放った。楯(たて)も構えずに油断していた敵兵は次々に倒れ、生き残った者たちは慌てて引き上げて行った。
 敵船から弓矢の反撃があったが距離が遠すぎて、届く事は届いても大した効果はなかった。敵も諦めたようで、弓矢の攻撃も終わった。
 敵船が動き出した。一隻が北上して、二隻が南下して、一隻だけがその場に残った。伊是名親方は兵を十人づつ五隊に分けて、それぞれの船を陸から追わせ、一隊は遊軍として本陣に置いた。北(にし)に向かった船は島の北側の沖に泊まり、南(ふぇー)に向かった船の一隻は島の南側の沖に泊まり、もう一隻はさらに南下して屋那覇島(やなふぁじま)に向かっていた。
 伊是名島の南東の海に面して小高い山があり、そこに古いグスクの跡が残っていた。伊平屋島にあるグスクと同じように百年前、今帰仁(なきじん)の兵と戦った時のグスクだった。山頂は見晴らしがいいので、伊是名親方はその山の麓(ふもと)に本陣を敷いて、敵を待ち構えた。
 法螺貝(ほらがい)の合図が鳴り響いて、北、東(あがり)、南の三方向から同時に敵は攻めて来た。今回は敵も慎重で、楯を構えて漕いで来るので弓矢の効果は薄く、上陸を阻止するのは難しかった。
 敵は次々に上陸して、海辺で戦が始まった。守る兵よりも上陸する兵の方が多く、味方は窮地に陥った。しかし、伊平屋島からの援軍がやって来た。田名親方に率いられた兵が島の北から上陸して、北の敵を倒して南下し、仲田に上陸した兵も倒した。南側では苦戦していたが援軍が間に合って、敵は海へと逃げ去って行った。
 同じ頃、屋那覇島の南を回って伊是名島の西側に出た敵船は、ヒューガ(日向大親)の率いる水軍の船と戦っていた。動きの素早い三隻の水軍の船から撃たれる火矢にやられて敵船は炎上して、ついには座礁した。乗っていた者たちは海に飛び込み、屋那覇島を目指して泳いで行った。
 その後、敵が攻めて来る事はなく、三隻の敵船は屋那覇島の西側に停泊した。
 一日の戦で、味方の戦死者が四人と負傷者が十一人も出た。敵の戦死者は少なくとも二十人はいるだろう。ヒューガによって敵船一隻がなくなったのは上出来だったが、明日には今帰仁から敵の援軍が来るかもしれなかった。伊是名島はいくつかの山があっても割と平坦な島なので、上陸するつもりならどこからでも上陸する事ができる。敵の上陸を食い止めるのは難しかった。
 その夜、敵の夜襲があった。月夜に小舟に乗って上陸した敵兵十人が、仲田大主(なかだうふぬし)の屋敷を襲撃したが仲田大主はいなかった。叔父の伊是名親方の進言によって避難していて助かった。敵兵は待ち構えていた伊是名親方の兵の攻撃を受け、四人が戦死して、六人は捕虜となった。
 次の日も敵の攻撃はあったが、二隻の船だけだったので、二カ所からの敵の上陸を食い止める事ができた。もう一隻の船は、ヒューガが率いる水軍の船からしつこい攻撃を受けて逃げ、戦線から離脱してしまった。
 正午過ぎに雨が降って来て、風も強くなり、敵船は屋那覇島に引き上げて行った。離脱した船も戻って来て、屋那覇島沖に泊まった。
 三日目、雨も上がっていい天気になり、敵も懲りずに攻めて来るだろうと思われたが、攻めて来る事はなく、今帰仁へと引き上げて行った。
 グスクのある山の上から敵船を見ていた伊是名親方と田名親方は、「うまく行ったようだな」と喜び、兵たちに勝ち鬨(どき)を上げさせた。


 伊是名島で戦が始まった日の夕方、山北王のもとに与論島が奪われたと知らせが入っていた。用を命じられてグスクの外に出ていた兵が、グスク内の異変を知って与論島から逃げ、今帰仁までやって来たのだった。
「何だと? 与論島が中山王に奪われただと?」
 山北王の攀安知(はんあんち)は信じられないといった顔付きで、与論島の兵を見た。
「まことの事でございます」と言って、与論島の兵は懐(ふところ)から『三つ巴紋』の旗を出して見せた。
与論島のあちこちに、この旗が立っております」
 攀安知は旗を受け取ると、その旗をじっと睨んで、「いつの事だ?」と聞いた。
「二日前のお祭り(うまちー)の時でございます。中山王の兵はウミンチュ(漁師)に扮してグスク内に潜入して、味方の兵を倒して、按司を捕まえてしまったようです」
「ウミンチュ? 敵は武装もせずにグスクを攻めたというのか」
「そのようでございます」
「馬鹿者めが。武器も持たず、鎧(よろい)も着ておらん奴らにグスクを奪われたのか」
「お祭りだったので、油断していたのかもしれません」
「くそったれが!」と悪態をついて、攀安知は手にしていた旗を与論島の兵に投げ付けた。
 二日前は今帰仁グスクでもお祭りが行なわれていた。外曲輪(ふかくるわ)を開放して、酒や餅を配り、城下の人たちは舞台で演じられる歌や踊りを楽しんでいた。攀安知は中曲輪にある客殿で、招待したヤマトゥ(日本)の商人たちと機嫌よく酒を飲んでいた。その日に、与論島が奪われたなんて信じられなかった。中山王を甘く見ていた事が悔やまれた。
 与論島の兵を下がらせると、攀安知は弟の湧川大主(わくがーうふぬし)を呼んで与論島の事を話した。
「中山王に与論島を奪われた?」と湧川大主は信じられないといった顔で攀安知の顔を見つめた。
 まったく予想外な事だった。山北王と山南王(さんなんおう)(汪応祖)が同盟したとはいえ、中山王(思紹)が動くなんて湧川大主は思ってもいなかった。
「まずは、その話が本当なのかどうか確かめなくてはなりません」と湧川大主は言った。
 攀安知は三つ巴の旗を見せた。
「奴はこの旗が与論島のあちこちに立っていたと言っていた。嘘ではあるまい」
「成程」とうなづいて湧川大主は旗を見ながら、「中山王の狙いは材木ですな」と言った。
与論島を奪って、次に永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)、そして、徳之島(とぅくぬしま)を奪い取るつもりでしょう。山北王が山南王と同盟したので、ヤンバル(琉球北部)の材木は手に入らなくなると思ったのでしょう」
「山南王と同盟をしても、中山王に材木は送るつもりでいたんだ。まだまだ稼がせてもらうつもりだった」
「中山王はそうは受け取らなかったのでしょう。山北王から手に入らないのなら、奄美の島を奪い取ろうと考えたのに違いありません」
「せっかく手に入れた奄美の島々を奪われてたまるか。畜生め、すぐにでも兵を送って、与論島を取り戻せ」
「今、伊平屋島伊是名島を奪い取るために、二百の兵を送っています。与論島を奪い取るとなると、さらに二百の兵が必要です。敵が守りを固めた島を奪い取るのは容易な事ではありません。かなりの時間が掛かって、かなりの損害も出るでしょう。それよりも、中山王と同盟したらどうですか」
「なに、中山王と同盟だと?」
 とんでもない事を言い出した弟の顔を攀安知はじっと見つめた。幼い頃から時々、弟は奇抜な事を口にした。自分では思いつかない事を考えるので、口に出した事はないが、そんな弟を頼りにしていたのだった。
「わしらは今、中山王と戦っている場合ではありません。まだ、時期が早すぎます。中山王は今、伊平屋島伊是名島を守るのに必死です。奴らの生まれ島ですからね。その二つの島を中山王に渡して、与論島を返してもらうのです。そして、奄美の島には手を出すなと言うのです」
「なに、伊平屋島伊是名島を中山王に渡すのか」
「中山王を倒すまで預けておくだけですよ」
「成程‥‥‥中山王と同盟か‥‥‥しかし、そんな事をしたら山南王が怒るだろう」
「怒ってもいいじゃありませんか。山南王を怒らせても、今帰仁まで攻めて来る事はありますまい」
「それはそうだが、奴の倅に嫁いだマサキが可哀想だ」
「山北王が中山王と同盟したとしても、山北王と山南王の同盟は生きていると言えばいいでしょう。中山王に隙が生まれれば、山南王と呼応して中山王を滅ぼすと」
「そんなうまい具合に行くかのう」
「まずは中山王の反応を見ましょう。同盟に乗ってくれば、わしらにとってはいい結果となるでしょう。乗ってこなければ、山南王と呼応して中山王を攻める事になるかもしれません。今、南部にテーラー(瀬底之子)がいます。テーラーに中山王との交渉を頼みましょう」
テーラーに頼むのか」
テーラーならうまくやってくれるでしょう。ンマムイ(兼グスク按司)とも仲がいいようですし、ンマムイと一緒に中山王に会う事もできるでしょう」
「そう言えば、ンマムイは中山王に寝返ったそうだな」
「マサキの婚礼のあと、阿波根(あーぐん)グスクから家臣を引き連れて消えたようです。山南王から命を狙われていたのかもしれませんね」
「やはり、山南王はンマムイを殺そうとしたのか」
「ンマムイだけではありません。マハニも殺そうとしたのかもしれません」
「何だと?」
「マハニが殺されたら、兄貴はどうします?」
「殺した奴は絶対に許せん」
「それが狙いですよ。山南王はンマムイとマハニを殺したのを中山王の仕業にして、中山王を攻めさせようとたくらんだのです」
「何だと‥‥‥山南王という奴はそんな汚い手を使うのか」
「野望のためには手段は選ばずですよ。山南王は自らの手で首里(すい)グスクを築いた。首里グスクが完成したら中山王(武寧)から奪い取るつもりだったのでしょう。それを今の中山王に奪われてしまった。何としてでも首里グスクを奪い取って、中山王になりたいのでしょう」
「山南王の事などどうでもいい。中山王と同盟するぞ」と攀安知は言った。
 次の日、山北王の書状を持った使者が『油屋』の船に乗って糸満(いちまん)に向かった。
 その日の夕方、ンマムイが中山王の書状を持って今帰仁グスクに現れた。攀安知は驚いたが、ンマムイと会った。
「生きておったか」と攀安知は笑いながら、ンマムイを迎えた。
「マハニを悲しませるわけにはいきませんので」とンマムイは笑って、中山王の書状を渡した。
 攀安知は書状を受け取り、「今度は中山王の使者か。忙しい奴だな」と言って書状を読んだ。
 書状には、伊平屋島伊是名島から手を引け。その代わりに与論島は返すと書いてあった。こちらが望んでいる通りだったので、攀安知は喜んだが、顔には出さず、「与論島を返すとはどういう意味だ?」とンマムイに聞いた。
 ンマムイは懐から短刀を出すと、攀安知に渡した。
「これは‥‥‥」と言って攀安知は短刀を見つめた。
 その短刀は祖父の形見だった。叔父が与論按司になった時に、与論島を頼むと言って贈った物だった。
「与論按司の物です」とンマムイは言った。
「中山王は与論島を奪い取りました」
「与論按司は生きているのか」と攀安知は聞いた。
「生きております。家族も皆、無事です」
「そうか」と言って、ンマムイを見ると攀安知はニヤリと笑った。
「今頃、中山王に渡す書状を持った使者が、テーラーと会っているはずだ」
「えっ、その書状とは何ですか」
伊平屋島伊是名島は渡すから、与論島を返せ。そして、同盟を結ぼうと書いてある」
「山北王と中山王が同盟?」
「そうだ。わしらが争って、喜ぶのは山南王だけだからな。わしにも中山王にも今、やるべき事がある。お互いに同盟を結んで、やるべき事をやろうと思ったんだよ。どうだ、中山王はこの話に乗ってくると思うか」
 山北王が中山王と同盟するなんて考えてもいない事だった。去年、山南王と同盟したばかりの山北王が、敵である中山王と同盟を結ぶなんてあり得ない話だった。奇抜な事を考えるものだとンマムイは思った。
伊平屋島伊是名島を攻めている兵を引き上げさせれば、中山王はその話に乗ってくると思います」
「勿論、兵は引き上げさせる」と攀安知はうなづいた。
「明日、テーラーは中山王と会うだろう。そして、次の日、油屋の船に乗って帰って来るはずだ。中山王の返事を見てから、そなたに書状を渡す。テーラーが来るまで待っていてくれ」
「わかりました」
「油屋から聞いたが、そなたは新しいグスクを築いて移ったそうだな。マハニと子供たちは元気か」
「はい。子供たちは新しいグスクが気に入ったとみえて、グスク内を走り回っております。マハニもこれで安心して眠れると喜んでおります。もう今帰仁に帰れないと悲しんでおりましたが、山北王と中山王が同盟を結べば、マハニも今帰仁に帰れます。同盟が決まれば、マハニは大喜びする事でしょう」
「そうだな。マハニのためにも同盟が決まってほしいものだ。同盟するとなると婚礼を挙げなければならん。わしの次女のマナビーは十五になったが、中山王の孫に釣り合いの取れる倅はおるか」
「中山王の世子(せいし)、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の息子で十六になった者がおります。確か、今日、ヤマトゥ旅に出たはずです」
「なに、ヤマトゥ旅に出たのか。すると帰って来るのは年末だな」
「はい。チューマチという名で、なかなか賢そうな若者です」
「そいつはチューマチというのか」と攀安知は不思議そうな顔をしてンマムイに聞いた。
「変わった名前ですが、曽祖父の名をもらったようです」
「曽祖父は今帰仁按司だったのか」
「えっ?」とンマムイは驚いた。
「チューマチ(千代松)というのは、わしの祖母の父親の名前なんだよ。今帰仁の英雄として伝説にもなっている」
「そうだったのですか。島添大里按司の妻は伊波按司(いーふぁあじ)の娘ですから、そうかもしれませんね」
「そうか」と言って攀安知は腕を組んで考えた。
 島添大里按司の妻の祖父がチューマチだとすれば、島添大里按司の妻と自分は又従姉弟(またいとこ)の関係になるのだろうか。
今帰仁の血が流れている相手なら大歓迎だ。同盟が決まったら、マナビーをチューマチの嫁にする事にする。そのように話を進めてくれ」
「わかりました」とンマムイはうなづいた。


 翌日、山北王の命令で、伊是名島攻めは中止され、兵は撤収して行った。
 山北王の書状を見て驚いたテーラーは、兼(かに)グスクにンマムイを訪ねたが、ンマムイはいなかった。大事な用があって首里に呼ばれたまま帰って来ないという。仕方なく、テーラーは一人で首里に向かった。中山王が会ってくれるかどうか不安だし、もしかしたら捕まってしまうかもしれないと心配した。
 首里グスクの大御門(うふうじょう)(正門)で、山北王の使いの者だと言ったら、御門番(うじょうばん)は驚いたあと、不審な目つきでテーラーを見た。瀬底之子(しーくぬしぃ)と名乗って、山北王の書状を見せた。しばらく待たされたあと、刀を預けてグスク内に入った。北曲輪(にしくるわ)にいた孔雀(くじゃく)に驚き、坂道を登って西曲輪(いりくるわ)に入って、奥の方に立つ龍天閣(りゅうてぃんかく)に連れて行かれた。三階まで登って素晴らしい眺めに感動して、振り返って部屋の中を見て驚いた。案内して来たサムレーから中山王だと紹介された男は、以前、遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』で一緒に酒を飲んだサグルー師兄(シージォン)だった。
「よう来たのう」と中山王の思紹は笑いながらテーラーを迎えた。
「師兄が中山王だったのですか」とテーラーは腰を抜かしてしまうのではないかと思うほど驚いていた。あの時の話では中山王の武術師範のはずだった。まさか、中山王だったなんて、ンマムイは知っていて、俺をだましたのだろうか。
「まあ、座れ」と思紹は言って、テーラーはひざまずいて頭を下げた。
「山北王からの書状を持って来たそうじゃのう。今、ンマムイが今帰仁に行っているが、ンマムイに会う前に、山北王はその書状を書いたようじゃな」
「えっ、ンマムイは今帰仁に行ったのですか」
「山北王と交渉しに行ったんじゃが、山北王がそなたに書状を頼むという事は、与論島の事が余程、頭にきたと見えるのう。宣戦布告状でも持って来たのか」
 テーラーは山北王の書状を中山王に渡した。
 予想外の事が書いてある書状に思紹は驚いた。
「そなた、何が書いてあるのか知っているのか」と思紹は聞いた。
「おおよその事は」とテーラーは答えた。
「そうか。山北王から同盟を結ぼうと言ってくるとは思ってもいなかったぞ。なかなか、面白い男のようじゃな、山北王は。わしの一存では決められん。すまんが一時(いっとき)(二時間)ほど時間をくれ」
 テーラーは部屋の外で控えていたサムレーと一緒に龍天閣を出て、グスクからも出て、城下を見て回った。
 思紹は馬天(ばてぃん)ヌルとマチルギ、大役(うふやく)の三人と苗代大親(なーしるうふや)を龍天閣に呼んで、同盟の事を話し合った。
 山北王との同盟に反対したのはマチルギだった。敵(かたき)である山北王と同盟するなんて考えられない事だった。五年後に山北王を倒すという計画を知っている大役の三人も、与論島を返して伊平屋島伊是名島をもらうのは賛成だが、なにも同盟まで結ぶ必要はないと言った。
「わしも最初はそう思った」と思紹は言った。
「しかし、今の状況のまま、五年後に山北王を倒すのは難しい。今、同盟を結んで、敵の事をもっとよく知るべきじゃと思ったんじゃよ。同盟を結べば、中山王の者がヤンバルに行く事もできるようになる。ンマムイが調べた所によると、山北王と名護按司(なぐあじ)、羽地按司(はにじあじ)、国頭按司(くんじゃんあじ)、金武按司(きんあじ)、恩納按司(うんなあじ)は一枚岩ではないという。奴らを仲違いさせる事ができるかもしれん。できれば、山北王を孤立させてから倒したいんじゃ。武寧(ぶねい)(先代中山王)が今帰仁を攻めた時、名護(なん)グスク、羽地グスク、そして運天泊(うんてぃんどぅまい)に見張りの兵を置いて、敵が動けないようにした。今回は金武グスク、恩納グスクにも見張りを置かなくてはならない。さらに、南部の事もある。兵はいくらあっても足りないくらいじゃ。五年の間に、名護按司、羽地按司、国頭按司、金武按司、恩納按司を味方に付けるんじゃよ」
「そんな事ができるのか」と苗代大親が言った。
「やらなければならん」
「確かにのう。戦に勝つには敵の事をよく知らなければならないからのう」と大役の嘉数大親(かかじうふや)が言った。
「いくら、同盟したとはいえ、用もないのに、今帰仁の城下をうろうろかぎ回る事はできないでしょう」と大役の与那嶺大親(ゆなんみうふや)が言った。
「山北王は『材木屋』と『油屋』を首里の城下に置いている。わしらも何かを売る店を出したらいい。あちこちを行商して回っても文句は言わんじゃろう。油屋も同じ事をやっているんじゃからな」
「成程。商人を送り込むのですな」と与那嶺大親は思紹の言った事に納得した。
「詳しい事はあとで相談するとして、今は同盟すべきじゃとわしは思う。馬天ヌルはどう思う?」
「わたしがヤンバルのウタキ(御嶽)巡りをしたのは、早いもので、もう十年も前になるわ。亡くなってしまったヌルも多いでしょう。もう一度、ヤンバルを旅して、ヌルたちと親しくした方がいいような気がするわ」
 思紹はうなづき、「同盟すれば、ヌルたちも旅ができるようになるじゃろう」と言った。
「わかりました。同盟しましょう」とマチルギが言った。
「いいのか」と思紹は聞いた。
 マチルギはうなづいた。
「ンマムイの妻のマハニと会って、わたしも色々と考えたのです。マハニは敵である山北王の妹です。でも、わたしにはマハニは憎めないわ。マハニの祖父の今帰仁按司(帕尼芝)はわたしの祖父の敵だったけど、その孫の山北王もマハニも敵ではないのかもしれないって最近考えるようになったのです。同盟を結べば、戦はなくなる。みんなが平和に暮らせればそれでいいのかもしれないと思います」
「五年後の今帰仁攻めは決行するつもりじゃ。そのための同盟だと思ってくれ」
 結論が出て、思紹は山北王宛ての書状を書いて、テーラーはその書状を持って、今帰仁に帰った。

 

 

 

沖縄離島39 伊是名島   伊是名 常盤 30度 1800ml

2-89.ユンヌのお祭り(改訂決定稿)

 サハチ(中山王世子、島添大里按司)、ササ(馬天若ヌル)、シンシン(杏杏)、ナナの四人は勝連(かちりん)グスクに行き、翌日、勝連ヌル(ウニタキの姉)を連れて、勝連の船に乗って与論島(ゆんぬじま)に向かった。
 勝連グスクは朝鮮(チョソン)に行く船の準備で忙しそうだった。勝連按司のサム(サハチの義兄)も交易担当の浜川大親(はまかーうふや)のサンラーも生き生きとした顔付きで、てきぱきと指示を与えていた。
 勝連は古くからヤマトゥ(日本)と交易をしていて、中山王(ちゅうさんおう)の察度(さとぅ)と組んでからは明国の商品も扱って、益々盛んになって行った。主な取り引き相手は肥前平戸(ひぜんひらど)の松浦党(まつらとう)で、平戸から毎年、船がやって来て、勝連から平戸に行く事もあった。サンラーも船頭(しんどぅー)(船長)だった頃、平戸まで行っている。
 六年前、勝連按司に率いられた百人の兵が南風原(ふぇーばる)の合戦で全滅して、サムが勝連按司の後見役として勝連グスクに入ると、戦死した家臣たちの家族は敵(かたき)に仕える事はできないと言って、勝連を去る者も多かった。以後、人材不足に陥って、ヤマトゥへの船は出せなくなっていた。サムが勝連按司になった今はようやく人材も整い、朝鮮への交易を任されて、皆、張り切っていた。
 梅雨も上がったようで、いい天気で風にも恵まれて、夕方には与論島に着いた。小舟(さぶに)に乗り移って、ウニタキ(三星大親)の絵図に書いてあった南側にある赤崎(あーさき)という砂浜から上陸した。砂浜には『三つ巴』の旗が風になびいていた。砂浜の近くの岩場にウタキ(御嶽)があって、ササたちは神様に挨拶をした。
 サハチは海を眺めた。辺戸岬(ふぃるみさき)がよく見えた。安須森(あしむい)も見えた。この島をヤマトゥ旅の拠点にしたいと思った。
「ねえ、按司様(あじぬめー)、ここの神様は『真玉添(まだんすい)』のヌルだったのよ」とササが驚いた顔をしてサハチに言った。
「えっ、真玉添のヌルが、この島に逃げて来たのか」とサハチも驚いていた。
「そうなのよ。このガーラダマ(勾玉)の持ち主だった運玉森(うんたまむい)ヌル様もいたのよ」
 ササは胸に下げた赤いガーラダマを見つめた。
「真玉添から逃げて、読谷山(ゆんたんじゃ)にガーラダマを埋めてから、この島まで逃げて来たんだわ」
豊玉姫(とよたまひめ)様の子孫たちが、この島に来たのね?」とナナが聞いた。
「そうよ。初代の運玉森ヌル様はアマン姫様の娘さんだわ」とササはうなづいて、海の向こうに見える辺戸岬を見た。
「あたしも神様の声を聞いたのよ」とシンシンが言った。
「このガーラダマの持ち主を知っている神様だったわ」とシンシンは青いガーラダマを見せた。
「ヤンバル(琉球北部)から来たヌルで、お船の安全をお祈りしていたヌルだって言っていたわ」
「航海安全を祈願していたヌルだったのか」とサハチは言って、海の色のように輝いているシンシンのガーラダマを見ながら納得していた。
「シンシンも立派なヌルになったな。そのヌルの跡を立派に継がなくてはならんぞ」とサハチが言うと、シンシンは真剣な顔をしてうなづいた。
「当時、真玉添にはヤンバルのヌルもいたのか」とサハチが言うと、
「ヤンバルから真玉添に来た時、理有法師(りゆうほうし)に攻められたみたい」とシンシンは言った。
「真玉添のヌルたちはどうして、ガーラダマを読谷山に埋めたの?」とナナがササに聞いた。
「いつの日か、真玉添を再興するつもりだったのよ。でも、それはかなわなかったわ」
「それじゃあ、真玉添にあった豊玉姫様の鏡も読谷山に埋められたのかしら?」
「そうらしいわ。ガーラダマが見つかった山の中に埋まっているはずよ」
「探すのは大変だわ」とシンシンが言った。
「でも、見つけなくてはならないわ。ヤマトゥ旅から帰って来たら探しに行きましょ」
 何の話だかさっぱりわからず、勝連ヌルはポカンとした顔でササたちを見ていた。ササは歩きながら、真玉添のヌルたちの事を勝連ヌルに説明した。
 所々に田畑がある細い道を進んで行くと、麦屋(いんじゃ)の集落があって、さらに進んで行くと高台の上に建つグスクが見えてきた。石垣で囲まれたグスクには三つ巴の旗がいくつも立っていた。グスクの手前にある城下の村(しま)を苗代之子(なーしるぬしぃ)の兵が見回りをしていた。
 グスクの大御門(うふうじょう)(正門)の前にはジルムイ(島添大里之子)とシラー(久良波之子)とウハ(久志之子)がいた。三人は近づいて来るサハチたちに気づくと駆け寄ってきて、「どうして、親父が来たんです?」とジルムイが聞いた。
「いい島だって聞いたもんでな、見に来たんだよ」とサハチは笑って、
「あんたたち怪我しなかった?」とササは三人に聞いた。
「見た通りさ」とシラーが少林拳(シャオリンけん)の構えを見せて、シンシンを見て笑った。
 ジルムイとシラーとウハと一緒にグスクに入ると、広い曲輪(くるわ)内には大勢の島人(しまんちゅ)がいた。皆、疲れたような顔をして、数人づつ固まって座り込んでいた。舞台の上には負傷者が何人もいて、女たちが看護に当たっていた。
「家臣の家族たちか」とサハチが聞くとジルムイがうなづいた。
「怪我人は何人出たんだ?」
「敵は二十三人、味方は十六人です。島人たちには怪我人はいません」
「そうか、よかった。戦死者も出たのか」
「敵は六人、味方は二人です」
「そうか‥‥‥」
「もしかして、あれはマトゥイなの?」と勝連ヌルが言って、負傷兵の看護をしているヌルを見た。
「麦屋(いんじゃ)ヌルです」とシラーが答えた。
 勝連ヌルは麦屋ヌルの方に向かった。
「あたしたちも手伝いましょ」とササが言って、シンシンとナナを連れて負傷兵の中に入って行った。
 サハチはジルムイと一緒に一の曲輪に行き、大将の苗代之子(マガーチ)とウニタキに会った。
「長い間、御苦労だったな」とサハチはウニタキに言った。
「久し振りにのんびりできたよ」とウニタキは真っ黒に日焼けした顔で陽気に笑った。
「お陰で、カマンタ(エイ)を捕るのもうまくなったぞ。海の中もいいものだ。まるで、別世界だよ。兄貴が中山王なのに、重臣としてグスクに入らず、鮫皮(さみがー)作りを続けているサミガー大主(ウミンター)の気持ちがわかったような気がする。このまま、ここでウミンチュ(漁師)をやっていくのもいいと思った。仕事が終わったら、みんなで酒を飲みながら歌を歌ってな、楽しかったよ」
「俺もな、子供の頃、お爺に憧れて、カマンタ捕りになろうと思っていたんだよ」とサハチは笑って、マガーチを見ると、「御苦労だったな」と言った。
「二人が戦死してしまいました。残念です」とマガーチは悔しそうな顔をした。
「上出来だよ」とサハチはマガーチの肩をたたいた。
 按司たちの家族は皆、捕まって、屋敷に閉じ込められていた。按司の側室だったフニは二人の子供を連れて、サミガー親方(うやかた)のもとに帰っていた。
 サハチは与論按司(ゆんぬあじ)と会った。与論按司は五十前後の男で、縄で縛られ、ぶすっとした顔でサハチの前に現れた。
「早く、殺せ」と与論按司は言った。
「お前たちは人質だ。殺すわけにはいかない」とサハチは言った。
「人質?」
「この島と伊平屋島(いひゃじま)、伊是名島(いぢぃなじま)を交換する。山北王(さんほくおう)が承諾したら、この島はお前に返す。それまではおとなしくしていてもらおう。騒ぎを起こせば、お前の家族たちが亡くなる事になる」
「この島を返すじゃと?」
「山北王の返事次第だな。山北王が交換に反対すれば、伊平屋島伊是名島は諦め、この島はもらう。そうなれば、お前たちは皆殺しになるかもしれんな」
「どうせ、わしは殺される」と与論按司は言った。
「こんなぶざまな事になって、山北王が許すわけがない」
「お前は殺されても家臣たちまで殺すまい。家臣たちを助けるために、取り引きが済むまで、おとなしくしていろ」
 与論按司を屋敷に戻すと、サハチはウニタキとマガーチから事の次第を聞いた。


 新しく編成された百人の兵を連れて、マガーチが勝連の港を出たのは五月の八日で、その日の夕方には辺戸岬の近くの奥(うく)に着いた。次の日の早朝、用意してきた小舟に乗って兵たちは与論島に渡った。皆、武装はせず、刀も持たず、ウミンチュの格好で、武器としては二尺(約六〇センチ)足らずの短い棒か小舟を漕ぐウェーク(櫂)だった。選ばれた百人の兵は皆、武当拳(ウーダンけん)を身に付けている者たちで、少林拳を身に付けているシラーとウハも当然、加わっている。ジルムイとマウシ(山田之子)もシラーに刺激されて、武当拳の稽古に励んでいた。マウシは今、明国に行っていて、組替えになった事を知らないが、帰って来たら喜ぶだろう。
 赤崎の砂浜から次々に上陸したマガーチの兵はグスクへと向かい、グスクの大御門の前で待機した。グスクの兵たちは、琉球から小舟が何艘も近づいて来るのに気づいていたが、今日はお祭りなので、見物にやって来たのだろうと思い、気にも留めなかった。
 その頃、ウニタキはグスクの中にいて、麦屋ヌルたちと一緒にお祭りの準備をしていた。お祭りの前に儀式があって、非番の兵たちも集められた。儀式も無事に終わって、非番の兵たちはサムレー屋敷で、すでに酒盛りを始めている。あと半時(はんとき)(一時間)もすれば準備が整い、グスクの大御門が開いて、二の曲輪が開放される。
 与論ヌルの指示によって、女たちが準備に走り回っている時、合図の指笛がグスクの外から聞こえた。麦屋ヌルが女たちを舞台の近くに集めた。ウニタキの配下の二人が大御門を開いた。マガーチに率いられた兵がグスク内になだれ込んできた。
 グスクの兵たちは、まだ敵の襲撃だとは気づかない。客が待ちきれずに入って来たものと思った。見張りの兵が客たちを押し戻そうとして倒れた。マガーチの兵たちは次々に見張りの兵たちを倒し、武器を奪うと用意していた縄で縛った。
 外の騒ぎに何事かとサムレー屋敷から出て来た兵たちも、次々に倒された。サムレー大将らしい二人の男が強敵だった。戦死した味方の兵は、その二人に斬られたのだった。サムレー大将の一人は、マガーチが相手をして何とか倒した。手加減をする事はできず、相手は腹を斬られて死んだ。マガーチも左腕に浅い傷を負った。
 三弦(サンシェン)を弾きながら成り行きを眺めていたウニタキは、ジルムイの危険を察して、石つぶてを投げた。石つぶては敵の額に命中して、ジルムイは助かった。ジルムイが持っていた棒を奪うと、ウニタキはサムレー大将と戦った。手ごわい相手だったが、ウニタキの敵ではなかった。サムレー大将はみぞおちを突かれて倒れた。ウニタキは手加減したつもりだったが、サムレー大将は死んでしまった。
 ウニタキとマガーチが一の曲輪に行くと、すでに按司按司の家族たちも捕まって、按司と一緒にいた重臣たちも捕まっていた。
 縛られている兵たちをサムレー屋敷に閉じ込め、マガーチは五十人の兵を連れて、アガサ泊(とぅまい)(茶花)に行き、サムレー大将と掛け合って全員を捕まえた。按司が捕まったと聞いて、サムレー大将も無意味な抵抗はしなかった。
 城下に住む家臣たちの家族たちも皆、グスクの中に押し込め、危害は加えないからおとなしくしていろと言った。


「武器を持たずに、グスク攻めができたのもヂャンサンフォン(張三豊)殿のお陰だな。うまく行ってよかった」とサハチは満足そうにうなづいて、「首里(すい)には使者を送ったのか」と聞いた。
「今朝、早くに送った。もう勝連には着いているだろう。今頃、首里に向かっている頃だ」とウニタキが答えた。
「ンマムイ(兼グスク按司)の出番だな」とウニタキは笑った。
 一の曲輪内にウタキがあって、ササたちがお祈りをしていた。サハチはササたちの所に行ってみた。ウタキは眺めのいい所にあり、その先は崖になっていた。島の西側が見渡せて、ウニタキがお世話になっているサミガー親方の作業場らしい建物も見えた。ウニタキが祖父のもとで修行させた者が、この島で鮫皮作りをしていたなんて、不思議な縁を感じていた。
按司様」とササが言った。
 サハチが振り返ってササを見ると不思議そうな顔をして、「ここの神様なんだけど、北(にし)の方から来たヤマトゥンチュ(日本人)なのよ」と言った。
「ヤマトゥンチュがこの島に来たのか。もしかしたら倭寇(わこう)か」
「わからないわ。かなり古いのよ。真玉添のヌルたちよりも百年も前に、この島にやって来たみたい」
「何しにやって来たのだろう?」
「ヤクゲー(ヤコウガイ)の交易をしていたみたいよ」
「ヤクゲーか‥‥‥」
 ヤコウガイは食用にもなるが、貝殻は螺鈿(らでん)細工の材料としてヤマトゥとの交易に使われた。祖父のサミガー大主(うふぬし)も鮫皮と一緒に、ヤコウガイや法螺貝(ほらがい)の貝殻を早田(そうだ)氏との交易に使っていた。祖父の頃は鮫皮ほどの価値はなかったが、昔はヤコウガイを手に入れるために、ヤマトゥンチュが大勢来ていたのかもしれないとサハチは思った。
「でも、その子孫たちは戦(いくさ)に敗れて、どこかに行ったみたいよ」とササは言った。
「この島で戦があったのか」
 ササは首を傾げた。
 麦屋ヌルからこの島の事を聞いてくると言って、ササたちは二の曲輪に下りて行った。
 サハチも二の曲輪に下りた。炊き出しが始まっていて、ジルムイたちも手伝っていた。山北王からの返事が来るまで、この状態を続けなければならない。毎日、捕虜になった者たちを食べさせるのは大変な事だった。首里から手の空いている女子(いなぐ)サムレーや城女(ぐすくんちゅ)を呼んだ方がいいなとサハチは思った。
 サムレー屋敷の隣りに物見櫓(ものみやぐら)があったので登ってみた。伊平屋島伊是名島が見えたが、戦が始まったかどうかはわからなかった。戦が始まる前に、山北王との交渉がうまく行ってくれればいいと願った。
 麦屋ヌルの家に泊めてもらったササたちと勝連ヌルは、次の日、麦屋ヌルの案内で島内のウタキを見て回った。
 昨夜は語り合って、ササたちは与論島の歴史を麦屋ヌルから聞き、ササは豊玉姫の事を麦屋ヌルに話した。ササの話を聞いて、勝連ヌルも麦屋ヌルもすっかりササを尊敬していた。勝連ヌルと麦屋ヌルから見れば、ササは娘と言っていいほどの若さだが、二人が知らない事を色々と知っていて、感心しないわけにはいかなかった。
 麦屋ヌルは朝戸(あしとぅ)の集落の奥にある小高い丘の上の古いウタキに案内した。
「ここは『ターヤパンタ』と言って、朝戸の御先祖様を祀っています。百年以上前に琉球の大里(うぷさとぅ)という所からやって来て、島人のために尽くした人です。当主は代々アジニッチェーと呼ばれています」
 ササはお祈りをした。麦屋ヌルも勝連ヌルもシンシン、ナナもお祈りをした。
「ここの神様は島添大里(しましいうふざとぅ)から来た人です。島添大里按司の息子さんらしいわ」とお祈りを終えたササは言った。
「えっ、島添大里按司の息子さんがこの島に来たの?」と勝連ヌルは驚いた。
「でも、かなり古いんですよ。真玉添のヌルたちよりも百年も前に、この島にやって来たみたい」
「すると、三百年も前って事?」と麦屋ヌルが聞いた。
「そうみたいです。その頃、ヤクゲー(ヤコウガイ)の交易が盛んで、その交易のためにこの島に来たようです。同じ頃、ヤマトゥンチュもこの島にやって来ています。そのヤマトゥンチュと何度も争いがあったみたいです」
「祖父から聞いた話だけど、祖父がこの島に来た時、アジニッチェーと組んで、ヤマトゥンチュを倒して、あそこにグスクを築いたと言っていました」と麦屋ヌルが言った。
「アジニッチェーは祖父の家臣になって、代々、島のために尽くしてくれましたけど、山北王が攻めて来た時、父や兄と一緒に戦死してしまいました」
「アジニッチェーの妹にインジュルキって妹さんがいたでしょ」とササが言うと、麦屋ヌルは驚いた顔をしてササを見た。
「どうして、知っているの?」
「新しい神様がそう名乗って、お礼を言ったのです。敵(かたき)を討ってくれてありがとうって」
「そうだったの。インジュルキは朝戸のヌルで、わたしと仲良しだったのよ。弓矢の名人で、攻めて来る敵を何人も倒したんだけど、結局、戦死してしまったわ。インジュルキも神様になったのね」
 そう言って、麦屋ヌルはウタキに両手を合わせた。
 麦屋ヌルが次に案内してくれたのは岩山の中にあるウタキだった。そこからの眺めは最高だった。四方が眺められた。永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)が見え、その向こうに徳之島(とぅくぬしま)も見えた。西を見れば伊平屋島伊是名島が見え、南を見ればヤンバルの山々が見えた。
 景色を眺めながら、「来てよかったわね」とナナが嬉しそうに言った。
「ここは『ハジピキパンタ』と言って、かなり古いウタキなんだけど、わたしは今まで神様の声を聞いた事がないの」と麦屋ヌルはササに言った。
「あなたなら神様の声が聞こえるわね、きっと」
 ササたちはお祈りをした。
 ササは神様の声を聞いた。ササが思っていた通り、与論島にもスサノオの足跡があった。神様はアマン姫の娘の『ユンヌ姫』だった。
 ユンヌ姫は与論島に来て、祖父のスサノオが造ったヤマトゥの国のためにタカラガイを集めていたのだった。ヤマトゥから来る船をここから見張って、アガサ泊で交易をしていた。タカラガイの交易が終わって、ヤマトゥからの船が来なくなると、一族は島の南側の麦屋に移って暮らし始める。真玉添から逃げて来たヌルたちを助けたのは、ユンヌ姫の子孫たちだった。
「祖父が初めて琉球に来た時、ここに登って、琉球を見たのよ」とユンヌ姫は言った。
豊玉姫様もヤマトゥに行く時、ここから琉球を見たのですか」
「勿論よ。祖母はここから琉球を見て、もう二度と帰って来られないって覚悟を決めたって言っていたわ。あたしが生まれた時、祖母はヤマトゥに行っていて、もう帰って来なかったわ。生きている祖母には会えなかったけど、亡くなったあと、祖母は琉球に帰って来たわ。あたしは時々、セーファウタキ(斎場御嶽)に行って祖母に会うのよ。祖母には会えるけど、祖父には会えないわ。母や祖母からお話は聞くけど、会った事はないの。会いたいわ」
「伯母(玉依姫)さんには会ったのですか」とササはユンヌ姫に聞いた。
「会ったわ。伯母さんのお話、とても面白かったわ。あなたが連れて来てくれたんでしょ。ありがとう」
「いいのよ。御先祖様のためですもの。あなたはヤマトゥに行った事はあるのですか」
 ユンヌ姫の返事はなかった。気まぐれなお姫様のようだと思い、ササはお祈りを終えた。
 麦屋ヌルはササから神様の話を聞いて、「ここは麦屋の御先祖様のウタキだったのね。大切にしなければならないわね」と言って両手を合わせた。
 その頃、サハチはウニタキと一緒に海に潜ってカマンタ捕りに熱中していた。
 三日後、馬天浜(ばてぃんはま)からシンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船が、朝鮮に行く勝連の船二隻を連れて与論島に来て、浮島(那覇)からヤマトゥに向かう交易船が与論島に来た。
 シンゴの船にはサハチの四男のチューマチと越来(ぐいく)の若按司のサンルーが乗っていた。
 勝連の船には中山王の正使として新川大親(あらかーうふや)、副使の南風原大親(ふぇーばるうふや)、通事のチョルとカンスケが乗っていた。前回とは船が違うので、朝鮮に着いてから問題になるかもしれないが、経験豊かな新川大親なら乗り越えてくれるだろう。
 交易船には責任者の平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)、正使のジクー(慈空)禅師、副使のクルシ(黒瀬大親)、サムレー大将の宜野湾親方(ぎぬわんうやかた)、ヌルたちは去年の顔ぶれにサスカサ(島添大里ヌル)が加わって、女子サムレーは首里のミミが隊長を務め、十六人を連れて乗っていた。
 翌日、ササ、シンシン、ナナの三人は交易船に乗り込んで、ヤマトゥへと旅立って行った。

 

 

 

ヤコウガイの考古学 (ものが語る歴史シリーズ)

2-88.与論島(改訂決定稿)

 伊平屋島(いひゃじま)と与論島(ゆんぬじま)に兵を送り出した次の日の午後、ヤマトゥ(日本)へ行く交易船の準備を終えたサハチ(中山王世子、島添大里按司)は、龍天閣(りゅうてぃんかく)の三階にいる思紹(ししょう)(中山王)を訪ねた。
 思紹はウニタキ(三星大親)が送ってよこした与論島の絵図を見ていた。イーカチから習ったのか、ウニタキが描いた絵図はかなりうまくなっていた。


 三か月前の二月十日に首里(すい)を発ったウニタキは、十二日に辺戸岬(ふぃるみさき)の近くにある奥(うく)というウミンチュ(漁師)の村(しま)に着いた。連れて来た三人の配下の内の一人、ウクシラーは奥生まれのウミンチュで、久し振りの帰郷を喜び、ウニタキたちはウクシラーの家族に歓迎された。
 風待ちをして、与論島に渡ったのは十五日だった。ウクシラーの兄は何度も与論島に渡っていて島の事に詳しく、与論島で鮫皮(さみがー)を作っているサミガー親方(うやかた)を知っていた。
 サミガー親方は、ウニタキが勝連(かちりん)にいた頃、馬天浜(ばてぃんはま)のサミガー大主(うふぬし)のもとに連れて行って、鮫皮作りの修行をさせた男だった。一年間、修行を積んで帰って来たその男を、与論島に送ってサミガー親方を名乗らせ、勝連のために鮫皮を作らせたのはウニタキだった。与論島が山北王(さんほくおう)(攀安知)に奪われた時、殺されてしまったのではないかと心配したが、馬天(ばてぃん)ヌルから生きていると聞いてウニタキは天に感謝をした。サミガー親方がいれば、与論島の状況も詳しくわかり、与論ヌルともすぐに会えるだろう。
 ウクシラーの兄の小舟(さぶに)に乗って、ウニタキたちはサミガー親方がいる瀬利覚(りっちゃく)(立長)の砂浜に着いた。ウクシラーの兄に連れられて鮫皮の作業場に行き、ウニタキは二十年振りにサミガー親方と再会した。
 ウニタキはすぐにわかったが、相手はわからないようだった。ウニタキが名乗ると、サミガー親方は驚いた顔をして、ウニタキをじっと見つめた。
「本当に若様(うめーぐゎー)なのですか」とサミガー親方が聞いた。
 ウニタキは笑ってうなづき、「親方の名はタクで、フニという可愛い娘がいただろう」と言った。
「若様‥‥‥」と言ってサミガー親方は急に涙ぐみ、「生きていらっしゃったのですか」と言って涙を拭いた。
「妻と娘は亡くなったが、俺だけは何とか生き延びたんだ。そして、今はもう若様ではない。ただのウミンチュだ。ウニタキと呼んでくれ」
 ウニタキはウクシラーの兄にお礼を言って、三人の配下の者に島の様子を見てこいと命じた。ウクシラーの兄が案内すると言って、三人を連れて行った。ウニタキはサミガー親方と積もる話を語り合った。
 十五年前の夏、突然、山北王の兵が攻めて来て、与論按司(ゆんぬあじ)の一族が殺された時は悲惨だったという。
按司様(あじぬめー)も十歳だった若按司様(わかあじぬめー)も殺されて、重臣たちも、その家族もみんな殺されました。山北王の兵はヤマトゥンチュ(日本人)の船を装って来て、上陸すると刀を抜いて、グスクに攻め込んだのです」とサミガー親方は言って、当時を思い出したのか苦しそうな顔付きで首を振った。
「親方が無事でよかった。グスクは簡単に落ちてしまったのか」
「余りにも突然だったため、グスクを守る兵も少なく、ほとんど反撃もしないうちに落ちてしまいました。当時の按司様は三代目で、戦(いくさ)なんて知らずに、この平和な島で育ちました。勝連は中山王(ちゅうさんおう)(察度)と強く結びついていましたから、与論島に攻めて来る者などいないと安心していたのでしょう。あっけないくらい簡単にグスクは落ちてしまいました。ただ、按司が来る前からこの島に住んでいた大里(うぷざとぅ)の一族がいるのですが、その者たちが反撃をして、山北王の兵を苦しめました」
「大里の一族というのは琉球から来たのか」
「そうです。グスクの近くに朝戸(あしとぅ)という集落がありますが、その一族が住んでいます。勝連から按司が来た時に、一族のお頭だったニッチェーは按司を助けて重臣となりました。当時のニッチェーから四代目のニッチェーが山北王の兵と戦ったのです。残念ながら戦死してしまいましたが、山北王の兵たちもかなりの犠牲が出たはずです。サムレー大将だったニッチェーと弓矢の名手だった妹のインジュルキは、伝説となって語り継がれています」
「今はどうなんだ? ちゃんと守りを固めているのか」
「今の按司様はここに来るとすぐにグスクを石垣で囲って強化しました。勝連の兵が取り戻しにやって来ると思っていたのでしょう。しかし、勝連の兵が攻めて来る事もなく、あれから十年以上が経っています。今では山北王は永良部島(いらぶじま)、徳之島(とぅくぬしま)も支配下に置いて、奄美大島(あまみうふしま)を攻めています。山北王を恐れて、誰もここには攻めて来ないと安心しているのではないでしょうか」
「そうか」とウニタキはうなづいて、「子供たちは皆、元気か」と聞いた。
「はい、元気です。長男も次男も海に潜るのが好きで、立派に跡を継いでくれるでしょう」
「娘はもう嫁いだのか」
「はい、二人とも嫁ぎました」
「この島から出て行ったのか」
「いえ、次女はカマンタ(エイ)捕りに嫁いだのでこの浜にいます。長女は‥‥‥」と言って、親方は口ごもった。
「フニちゃんがどうかしたのか」
「実はグスクの中にいるのです」
「えっ、按司の倅に嫁いだのか」
「そうではなくて、無理やり、按司の側室にされたのです。わしがこの島から出て行かないように、人質として連れて行かれたのです」
「そうだったのか。フニちゃんが側室になったのか」
「当時はフニも悲しんでおりましたが、今では二人の子供もできて、何とか楽しくやっているようです」
「そうか。時々、会ってはいるのか」
「はい。わしらがグスクに行く事もありますし、フニが子供を連れてやって来る事もあります」
按司もフニの事を信用しているのだな」
「側室になってからもう十年以上も経ちますからね」
「そうか。俺も会ってみたいものだ」
「ところで、若様はどうして、この島にいらしたのです?」とサミガー親方は聞いた。
 ウニタキは本当の事を話していいものか迷った。与論按司の側室になった娘によって、サミガー親方は与論按司とつながっているのかもしれなかった。
 妻と娘を殺されて、生きているのがいやになって、死のうとしたが死にきれずにウミンチュに助けられた。その後はウミンチュとして暮らしていたが、ちょっとした騒ぎを起こしてしまい、仲間と一緒に逃げて来たとウニタキは説明した。
「すまんが、ほとぼりが冷めるまで、しばらく、ここに置いてくれ」
「勝連には戻らなかったのですか」とサミガー親方は聞いた。
「帰れないと思ったんだよ。俺の妻は中山王(察度)の孫娘だった。妻と娘を殺され、自分一人だけが生きて帰ったら、中山王から責められるだろう。兄貴たちも俺を責めるに違いない。そんな所に帰っても、俺の生きる道はないと思ったんだよ」
「そうでしたか‥‥‥わかりました。ほとぼりが冷めるまで、お世話いたします」
 サミガー親方に連れられて、ウニタキは与論ヌルに会いに行った。与論ヌルの名は与論按司の娘に譲って、今は『麦屋(いんじゃ)ヌル』と名乗っているという。
 サミガー親方の作業場のある瀬利覚の東側は、切り立った崖がずっと続いていて、与論グスクは崖の上にあった。麦屋ヌルはグスクの向こう側にある麦屋の集落にいるらしい。与論島はほとんど平らで、山というものはなかったが、なぜか坂道が多かった。崖が途切れる所まで行き、右に曲がってグスクの方に向かった。石垣で囲まれたグスクの周りには家々が建ち並び、その集落の東側に麦屋の集落があった。
「グスクの周りには按司の家臣たちが住んでいます」とサミガー親方は歩きながら言った。
「麦屋に住んでいる者たちは、古くからこの島に住んでいる者が多く、麦屋ヌルは先代の麦屋ヌルに頼まれて跡を継ぐ事になったのです」
「麦屋ヌルだけ、どうして助かったんだ?」とウニタキは聞いた。
「麦屋ヌルも捕まって殺されそうになりましたが、先代の麦屋ヌルの命乞いがあって助かったのです。そして、新しい与論按司の娘を立派なヌルに育てて、麦屋ヌルを継いだのです」
「麦屋ヌルはこの島の者たちに慕われていたのだな」
「そうです。新しい按司としても、島の人たちを敵に回したくはなかったので、麦屋ヌルを助けたのでしょう」
 麦屋ヌルの家は、周りの家と変わらない粗末な家だった。声を掛けたが返事はなく、麦屋ヌルはいなかった。近所の者に聞くと、浜辺だろうと言った。近くの浜辺に行ってみると、麦屋ヌルは子供たちと遊んでいた。
「麦屋ヌルは子供たちに読み書きを教えているのです」とサミガー親方は言った。
 よく見ると子供たちは棒きれを持って砂に字を書いていた。麦屋ヌルはウニタキたちに気づくと軽く頭を下げて、子供たちに、ひと休みしましょうと言って近づいて来た。
 子供たちが「わーい!」と言いながら海の方に走って行った。
「親方、何か御用ですか」と言いながら麦屋ヌルはウニタキを見た。
 ウニタキも麦屋ヌルを見ながら、十一歳の頃の面影が残っていると思った。当時も可愛かったが、今も美人だった。ただ、家族を殺されたせいか、暗い影が漂っていた。
「お久し振りです、マトゥイ」とウニタキは言った。
「えっ?」と麦屋ヌルは驚いた顔で、ウニタキを見た。両親と兄が亡くなってから、マトゥイと呼ばれる事は一度もなかった。
 麦屋ヌルはウニタキの顔をじっと見つめて、「ウニタキなの?」と聞いた。
 ウニタキは笑ってうなづいた。
「本当なの? 生きていたのね」と言いながら、麦屋ヌルの目から涙が急に溢れ出した。
 麦屋ヌルは子供たちを帰して、ウニタキを家に連れて行くと、どうして生きているの、今まで何をしていたのと質問攻めにした。話が長くなりそうだと思ったサミガー親方は先に帰って行った。
 ウニタキはサミガー親方に説明したのと同じ事を麦屋ヌルに言った。麦屋ヌルを信用したいが、今はまだ本当の事は言えなかった。
 ウニタキがウミンチュだと知って麦屋ヌルは驚いた。自分を助けに来てくれたのに違いないと思っていた麦屋ヌルはがっかりした。
「ちょっとした騒ぎって、人を殺(あや)めてしまったの?」と麦屋ヌルは聞いた。
「いや、殺してはいないよ」
「そう‥‥‥」と言って麦屋ヌルはウニタキを見て、軽く笑った。
 ウニタキが生きていたのは嬉しいが、以前のウニタキではなかった。妻と娘を殺されて、立ち直る事ができなかったようだと麦屋ヌルは思った。
 暗くなる前に、ウニタキは麦屋ヌルと別れた。あまり長居をすると噂になってしまい、与論按司に怪しまれてしまう。
 次の日、麦屋ヌルはサミガー親方の作業場にウニタキを訪ねて来た。ウニタキは麦屋ヌルを浜辺に誘って、歩きながら昔の思い出を話した。
「あたしもよく覚えているわ。勝連に行ったのはあの時が最初で最後になりそうね。あの時、会った人たちはほとんど亡くなってしまったのね」
「勝連は呪われているって噂になっていたよ。今は中山王の一族が按司になったようだ」
「そうなの‥‥‥あなたの噂も流れて来たのよ。中山王の孫娘があなたのお嫁さんになったって聞いた時は、あたし、ちょっと嫉妬したのよ。あなたが今帰仁(なきじん)の合戦で活躍したって聞いた時は、あたし、嬉しかったわ。あなたがいれば勝連も安泰だと思ったんだけど、あなたは山賊に襲われて亡くなってしまった‥‥‥あたし、ずっと悲しんでいたのよ。きっと、あなたがいなくなったから、山北王はこの島に攻めて来たんだわ」
「もう昔の事さ。今の俺は勝連とは関係ない。ただのウミンチュに過ぎないんだ」
「でも、あなたにもあたしにも勝連の血は流れているわ」
「血なんて関係ないよ。俺には高麗(こーれー)の血も流れている」
 麦屋ヌルは黙ってウニタキを見つめ、やがて海に視線を移した。
「お前だってわかるだろう。家族を失って、たった一人、生き残った者の気持ちは」
「わかるわ。あたしも死のうと思ったわ。でも、神様に止められたの。あたしはこの島のために生きていかなければならないってね」
「この島のために?」
「あたしはこの島で生まれて、この島で育ったの。ほかに行く所はないわ。この島のために生きていくしかないのよ」
「家族の敵(かたき)を討ちたいと思った事はないのか」
「あなたはどうなの? 家族の敵は討たないの?」
「討ちたかったさ。でも、相手は高麗の山賊で、さんざ暴れ回って高麗に帰っちまったんだ。怒りをぶつける相手はいなくなっちまったんだよ」
「あたしの敵は山北王よ。一体、どうやって、敵を討つの?」
「与論按司だって敵だろう」
「敵よ。でも、あの時、兄たちは戦死したけど、捕まった母や兄たちの家族、妹の家族を殺せと命じたのは湧川大主(わくがーうふぬし)だったのよ。幼い子供たちが殺されるのを平気な顔をして見ていたわ。若いけど残忍な男だった。山北王の弟だからって威張っていて、与論按司も湧川大主には逆らえなかったわ。与論按司なんかより、湧川大主を殺さなければ、家族たちは浮かばれないわ」
「湧川大主か‥‥‥名前は聞いた事があるが、そんなひどい男なのか」
「あなたの顔を見た時、あなたがこの島を取り戻しに来てくれたんだと思ったのよ」と言って麦屋ヌルは力なく笑った。
「俺にそんな力なんてないよ」
「そうよね。あなたも苦しんできたんですものね」
 ウニタキたちはサミガー親方の作業場で働きながら、目立たないように行動して与論島の内情を探っていた。
 交易が行なわれる港は北西にあるアガサ泊(とぅまい)(茶花)で、冬になると琉球に向かうヤマトゥの船が何隻も入って来るという。
 与論グスクの石垣は二重になっていて、一の曲輪(くるわ)に按司の屋敷があり、二の曲輪にはサムレーたちの屋敷とヌルの屋敷があった。与論按司は四十半ばの年配の穏やかな人で、威張る事もなく、島人(しまんちゅ)たちとも仲よくやっている。子供は五人いて、長女は与論ヌル、長男は若按司、次女は重臣の倅に嫁いで、十八歳の次男と十五歳の三女がいる。若按司の妻は永良部按司(いらぶあじ)の娘で、幼い子供が三人いた。
 与論按司の兵力は百人前後で、三つの組に分かれていて、一組はグスクを守り、一組はアガサ泊を守り、一組は非番で、それを四日交替でやっていた。二の曲輪内に的場があって、弓矢の稽古は怠りなくやっているらしい。
 ウニタキたちが与論島に来て、二か月が過ぎた。初めの頃、喧嘩をして琉球から逃げて来たウミンチュが、サミガー親方のお世話になっているという噂が流れた。そんな噂もいつしか消えて、ウニタキたちは島人たちと楽しく過ごしていた。サミガー親方の所にいるウミンチュたちは出入りが激しく、夏になればカマンタを捕るために各地からやって来ていた。そういうウミンチュがちょっと早くやって来ただけの事なので、島人たちもそれほど気にしてはいなかった。勿論、与論按司もウミンチュの事など一々気にも留めなかった。
 流れ者のウミンチュの噂はすぐに消えたが、奇妙な楽器を鳴らして歌を歌うウミンチュとしての噂が広まって、ウニタキは有名になっていた。
 長い滞在になるので、ウニタキは三弦(サンシェン)を持って来ていた。仕事が終わったあと、浜辺で三弦を弾いて歌うと島人たちが集まって来て、一緒に酒を飲み、歌ったり踊ったりして楽しんでいた。
 麦屋ヌルも噂を聞いてやって来て、ウニタキの歌に驚いた。胸がジーンと来るような素晴らしい歌をウニタキは歌っていた。麦屋ヌルは涙を流しながらウニタキの歌に感動したり、島人たちと一緒に踊ったりして楽しい時を過ごした。
 麦屋ヌルは子供たちを連れて、よく遊びに来た。まだ海水が冷たくて、カマンタ捕りはできないので、仕事もそれほど忙しくはなく、ウニタキは子供たちに歌を聴かせてやっていた。麦屋ヌルも楽しそうに笑っていて、明るさを取り戻せてよかったとウニタキは思った。
 二ヶ月間、サミガー親方と麦屋ヌルもそれとなく探ってみたが、二人とも与論按司とのつながりはないようだった。サミガー親方の娘が側室になっているとはいえ、サミガー親方は鮫皮作りに専念していて、必要以上に与論按司に近づく事はなかった。麦屋ヌルはグスク内で儀式がある時に、与論ヌルを助けるためにグスクに行くが、それ以外は麦屋の集落から出る事は滅多になかった。麦屋ヌルはヌルとして、麦屋の人たちから尊敬されていた。
 そろそろ本当の事を話してもいいだろうとウニタキは思って、麦屋ヌルを訪ねた。麦屋ヌルは海の近くの岩場にあるウタキ(御嶽)でお祈りをしていた。気配で気づいたのか、麦屋ヌルは振り返ってウニタキを見た。お祈りを終えて立ち上がると、「そろそろ、帰るのですか」と聞いた。
「いや、もう少しいるよ」とウニタキは答えた。
 麦屋ヌルは軽く笑って、岩場から砂浜の方に降りて行った。ウニタキはあとに従った。
「ここは遙か昔に、麦屋に住んでいる人たちの御先祖様が上陸した所なの」
「そうか。南方(ふぇーぬかた)から来たんだな」と言ってウニタキは海の向こうに見える辺戸岬を眺めた。
「先代の麦屋ヌルから聞いた話では、『真玉添(まだんすい)』という所から逃げて来た人たちらしいわ」
「なに、真玉添だって?」
 真玉添の事はウニタキもササから聞いて知っていた。
「その人たちの他にも、大里(うふざとぅ)という所から来た人たちもいて、その人たちは朝戸に住んでいるわ」
 その事はサミガー親方からも聞いていた。大里というのは島添大里(しましいうふざとぅ)で、先代の山南王(さんなんおう)(汪英紫)に滅ぼされた島添大里の残党が、この島まで逃げて来たのだろうかとウニタキは考えていた。
「大里から来たというのは三十年位前の事か」とウニタキは聞いた。
「もっとずっと昔よ。あれだけの集落になったんだから百年以上は前の事よ」
「そうか」
 百年前にも島添大里では争いが起こったのかもしれなかった。
「ありがとう」と麦屋ヌルが突然、お礼を言った。
 何のお礼だろうと怪訝(けげん)な顔をして、ウニタキは麦屋ヌルを見た。
「あなたの歌に感動したわ。まるで、神様の声のようだったわ。あんな素晴らしい歌を歌えるなんて凄いわ。きっと、あの悲しみを乗り越えた結果なのね。あたし、家族が亡くなってから、本当の笑顔は忘れてしまったの。心の底から笑った事はなかったわ。でも、あなたの歌に合わせて踊った時、何もかも忘れて、心の底から笑う事ができたの。よくわからないけど、あの時、あたし、生まれ変わったような気がするの。何か新しい生き方ができるような気がするわ。あなたは、あたしを助けに来てくれたんじゃないってがっかりしたけど、間違っていたわ。あなたはあたしを助けに来てくれたのよ」
 麦屋ヌルはもう一度、ウニタキにお礼を言った。
「俺の歌がお前の心を開いてくれたなんて驚きだよ。俺が三弦を始めてから十年になる。始めた頃はみんなに笑われたけど、続けていてよかった」
「三弦て明国(みんこく)の楽器なんでしょ。そんな高価な物をどうやって手に入れたの?」
「浮島(那覇)にある唐人(とーんちゅ)の村で手に入れたんだよ」
「へえ、そうだったの」
「マトゥイ、この島に来た馬天(ばてぃん)ヌルを覚えているか」とウニタキは麦屋ヌルに聞いた。
「馬天ヌル様‥‥‥覚えているわ。凄いヌルだと思ったわ。あたしもあんなヌルになりたいと思ったの。馬天ヌル様を知っているの?」
「馬天ヌルは中山王の妹なんだよ」
「えっ!」
 ウニタキは海を眺めながら、山賊に襲われて佐敷に逃げ、その後、何をやって来たのかを麦屋ヌルに話した。麦屋ヌルは驚いた顔をして、ウニタキの話を聞いていた。
「そうだったの。そんな事があったの。お兄さんに命を狙われたなんて‥‥‥お兄さんはあなたの活躍を妬んでいたのね」
「俺を妬んでいた奴らは、みんな死んでしまったよ」
「それじゃあ、あなたは今、中山王に仕えているのね?」
「そうだ。勝連按司も今は中山王の身内なんだ。今回、この島に来たのは、この島を奪い取るためなんだよ」
 麦屋ヌルはウニタキをじっと見つめて、「やっぱり、そうだったのね」と言った。
「勝連按司がこの島を取り戻すのね?」
「そうしたいんだが、それはもう少し待ってくれ。中山王は五年後に山北王を倒すつもりだ」
「えっ、山北王を倒すの?」
「そうだ」とウニタキはうなづいた。
「敵(かたき)を討ってくれるのね」
「山北王を倒せば、この島は勝連のものになる。今、山北王は伊平屋島(いひゃじま)と伊是名島(いぢぃなじま)を攻め取ろうとしているんだ。伊平屋島伊是名島には中山王の親戚がいる。それを防ぐために与論島を奪い取って、与論島は返すから、伊平屋島伊是名島から手を引くように約束させるためなんだ」
「えっ、奪い取ったあとに、また返すの?」
「そういう事だ。できれば与論按司もその一族も生け捕りにしたい。殺してしまうと山北王もうなづかなくなるからな」
「そんな事できるかしら?」
「できるように、お前に力を貸してもらいたいんだ」
「あたしに何ができるの?」
「お前はグスクに入れるだろう」
「入れるけど‥‥‥」
「裏門を開けて、俺を中に入れてくれ。そうすれば、あとは何とかする」
「味方の兵をグスク内に入れるのね」
「そういう事だ」
 麦屋ヌルはウニタキの顔を見つめて、「やっぱり、あなたはあたしが思っていた通りのウニタキだったのね」と言った。
「あなたとこうして会っているなんて、まるで、夢のようだわ」
 麦屋ヌルは嬉しそうに笑ってから、真顔に戻って、「兵はいつ攻めて来るの?」と聞いた。
「五月だ。梅雨が明けた頃だろう」
「五月九日にお祭り(うまちー)があるわ」
「お祭り?」
「与論按司の祖父だった今帰仁按司(なきじんあじ)(千代松)が亡くなった日で、毎年、グスクを開放してお酒やお餅を配っているわ。歌や踊りもあって、島人(しまんちゅ)たちも楽しみにしているお祭りなのよ。ヤンバル(琉球北部)の人たちもやって来るわ」
「グスクを開放するのか」
「二の曲輪を開放して、舞台もできるのよ」
「そいつは都合がいい」とウニタキはニヤリと笑った。
「あなたの三弦も舞台で弾けばいいわ」
「飛び入りもいいのか」
「大歓迎よ」
 ウニタキはサミガー親方にも本当の事を話して、与論島の絵図と書状を持たせて、配下のサティを首里に送った。


 思紹が見ていた絵図はそれだった。
「うまく行きましたかね?」とサハチは思紹に言った。
「そうじゃのう。計画通りに行けば、今頃はもう、与論グスクを奪い取ったかもしれんのう」
与論島に行ってみたいのですが、行ってもいいですか」
 思紹は顔を上げてサハチを見ると、ニヤッと笑って、「どうせ、すぐに山北王に返す事になるから、今のうちに行ってこい。いい島だぞ」と言った。
 サハチは思紹にお礼を言うと、部屋から飛び出して行った。北曲輪(にしくるわ)の厩(うまや)に行くと、ササ、シンシン(杏杏)、ナナの三人がいた。
「ねえ、どこに行くの?」とササが笑いながら聞いた。
与論島だ」
「あたしたちも行く」とササは言った。
「お前たちはヤマトゥ旅に行くんだろう」
与論島から乗り込むわ」
「平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)には言ってあるのか」
「奥方様(うなじゃら)(マチルギ)に言ってあるから大丈夫よ」
 サハチは笑って、「行くぞ」と言った。
 三人は喜んで馬に跨がって、サハチのあとに従った。

 

 

 

 

奄美黒糖焼酎 有泉 (ゆうせん) 25度 1800ml (1.8L) 瓶 2本セット  与論島―琉球の原風景が残る島

2-87.サグルーの長男誕生(改訂決定稿)

 三月十五日、勝連(かちりん)グスクでサムの息子、若按司のジルーと勝連ヌルの妹の娘、マーシの婚礼が行なわれた。サハチ(中山王世子、島添大里按司)とマチルギ、馬天(ばてぃん)ヌル、ジルムイ夫婦が四歳になったジタルーを連れて勝連に行き、新婚夫婦を祝福した。新婚夫婦に男の子が生まれれば、勝連の血を引く若按司となるので、家臣たちも城下の者たちも喜んでいた。
 マーシの父親は武寧(ぶねい)(先代中山王)の長男のカニムイ(金思)だった。十歳の時、浦添(うらしい)グスクが焼き討ちに遭って、二人の兄と一人の弟が殺された。三人の妹がいたが、生き別れとなって、今、どうしているのかわからない。マーシは母と侍女とサムレーたちに守られて勝連に逃げて来た。
 マーシは浦添グスクの御内原(うーちばる)で生まれ、大勢の侍女たちに囲まれて、お姫様として育った。やがては父が中山王(ちゅうさんおう)となって、母は王妃になり、長女のマーシは浦添ヌルになるか、中山王と同盟を結んでいる、どこかの若按司のもとに嫁ぐはずだった。
 浦添グスクが焼け落ちても、首里(すい)に新しいグスクが完成した。必ず、首里から迎えが来るに違いないと勝連で待っていたのに、父も祖父も戦死して、首里グスクは敵に奪われたと知らされた。平和だった日々が、あの日、浦添グスクが焼け落ちると共に消え去った。
 勝連グスクにも父を殺した新しい中山王(思紹)の家臣が後見役としてやって来た。マーシと母は悲しみに暮れながら、城下の屋敷で心細く暮らしていた。
 去年の二月、若按司が突然、病死してしまった。城下の者たちは勝連の呪いはまだ解けていないと騒いだ。マーシは『勝連の呪い』なんて知らなかった。話を聞いてみると、五年前の六月、奇病に罹って勝連按司と若按司夫婦が亡くなった。七月には、勝連按司を継いだ弟が若按司と一緒に、やはり奇病で亡くなった。そして、その跡を継いだ弟は翌年の二月、首里南風原(ふぇーばる)で戦死した。一族の者が次々に亡くなって、最後に残った若按司までが亡くなってしまった。勝連の呪いはまだ解けていないという。
 マーシは心配になって、伯母の勝連ヌルに呪いの事を聞いた。もう呪いはないと伯母ははっきりと言った。恐ろしいマジムン(悪霊)は退治したので大丈夫、若按司が亡くなったのは呪いとは関係ない、ただの病(やまい)だと言った。マーシはホッと安心したが、とんでもない話が舞い込んできた。
 首里から来ている後見役の息子と一緒になってくれと大叔父の平安名大親(へんなうふや)から言われた。父と兄の敵(かたき)である中山王の家臣の息子に嫁ぐなんて考えられない事だった。マーシは耳をふさいで断った。
 マーシは母に説得された。あなたがお嫁に行かないと勝連の血は滅んでしまうと言われた。
「百年以上も代々続いて来た勝連按司の一族は滅んでしまうのよ。一族のために、あなたが男の子を産んで、その子を按司にしなければならないの。あなたは按司の母親として、勝連を守っていかなければならないのよ」
 按司の母親として勝連を守っていくという言葉にマーシの心は動かされた。勝連に来てから、何の望みもなく生きて来た。勝連に来たのは、一族を守るためだったのかもしれないと思ったマーシは、お嫁に行く事を決心した。
 後見役は勝連按司になり、マーシの婚約相手は若按司となった。そして一年が過ぎて、婚礼の日を迎えたのだった。
 婚礼の日までの一年間で、マーシはジルーと仲よくなっていた。婚約が決まって、初めてジルーに会いに行った時、後見役の屋敷の庭では、娘たちが剣術の稽古に励んでいた。マーシは驚いて、木剣を振っている娘たちを見ていた。
 娘たちがどうして剣術の稽古をしているのか、マーシにはわからなかった。浦添にはそんな娘はいなかった。
 娘たちに剣術を教えている女武芸者が、「あなたも一緒にやりますか」とマーシに声を掛けて来た。
 マーシはうなづいた。剣術を習って強くなれば、今まで諦めていた父や兄の敵(かたき)が討てるかもしれないと思った。
 マーシは初めて木剣を手にして、女武芸者に教わりながら木剣を振って汗を流した。
 娘たちは皆、家臣たちの娘で、マーシと同じくらいの年の子もいて、すぐに仲よくなった。娘たちの話から、女武芸者が後見役の奥方だと知って驚いた。奥方の方も、突然現れた娘が息子の婚約者だと知って驚き、ジルーに会わせてくれた。
 ジルーは城下のはずれにある読み書きの師匠のクーシの屋敷に住み込んで勉学に励んでいた。今までもクーシから読み書きを習っていたが、急遽、若按司になったため、一人前の若按司になるために読み書きだけでなく、様々な事を教わっていた。
 マーシが初めて見たジルーは弓矢の稽古をしていた。勝連按司は代々弓矢の名手で、勝連按司になった後見役も今、弓矢の稽古に励んでいるという。母親からマーシを紹介されたジルーは、驚いた顔をしてマーシを見て、「よろしくお願いします」と言って笑った。
 さわやかな笑顔だとマーシは思った。敵の息子を一目見てやろう。いやな奴でも勝連のためにじっと我慢しなければならないと思ってやって来たのだが、驚きの連続で、そんな事はすっかり忘れ、マーシは素直な気持ちで、「こちらこそ、よろしくお願いします」と言っていた。
 マーシは毎日、ジルーの母親のマチルーのもとに通って、娘たちと一緒に剣術を習い、時々、クーシの屋敷に顔を出して、ジルーと色々な事を話して過ごした。
 ジルーは若按司になる事に戸惑ったという。父は後見役に過ぎず、若按司按司になったら勝連を離れて首里に戻るはずだった。ジルーは船乗りになって、明国(みんこく)やヤマトゥ(日本)に行こうと心に決めていたという。でも、若按司になったからには、この勝連の地を繁栄させなければならない。もっと交易に力を入れて、首里に負けない都にしなければならないと力を込めて言った。ジルーの話を聞きながら、マーシは過ぎた事は忘れて、ジルーと一緒に勝連のために生きようと思うようになっていった。
 婚礼の日、ジルーとマーシは仲睦まじく、祝福してくれる城下の人たちに挨拶をして回った。サハチとマチルギも、中グスク按司のクマヌも、いいお嫁さんをもらったなと喜んだ。
 勝連の婚礼から五日後の二十日、首里で『丸太引き』のお祭り(うまちー)があり、シンシン(杏杏)が活を入れたお陰か、今年は久米村(くみむら)が優勝した。
 二十四日には、去年の十月に明国に行った進貢船(しんくんしん)が帰って来た。副使を務めたタブチ(八重瀬按司)は立派に役目を果たして、米須按司(くみしあじ)と玻名(はな)グスク按司も満足した顔付きで帰って来た。山南王(さんなんおう)(汪応祖)は山北王(さんほくおう)(攀安知)と同盟を結んだが、米須、玻名グスク、八重瀬(えーじ)は攻めなかったと言うと、三人はホッとした顔で笑った。
 会同館(かいどうかん)で帰国祝いの宴(うたげ)が開かれ、タブチが明国から持ち帰った『獅子舞(しーしまい)』が披露された。明国の正月は、あちこちで獅子が舞っているという。二人が一組になって獅子を演じ、大きな口を開けたり閉じたりしながら舞っている。笛と太鼓の音に合わせて、雄と雌の二匹の獅子が体をくねらせて舞い、尻尾を動かしたり、時にはひっくり返ったりして、見事なものだった。
「あれと同じ物をいくつも作って、来年の正月は大通りで舞わせればいい」とタブチは言った。
 サハチはタブチにお礼を言って、「来年は都らしい正月になりそうだ」と喜んだ。
 新(あら)グスクを貸してくれたお礼も言って、タブチから旅の様子を聞いた。永楽帝(えいらくてい)は去年の十一月に順天府(じゅんてんふ)(北京)から応天府(おうてんふ)(南京)に戻って来た。今、杭州(ハンジョウ)から順天府へ向かう大運河を造っていて、それが完成すれば船に乗ったまま、順天府まで行けるだろうという。歩いて一か月も掛かる距離を運河を掘ってつなげるなんて、とても考えられない事だとサハチは思った。タブチもその話を聞いた時に驚いたが、永楽帝がすべてを掘るわけではなく、元(げん)の時代に造られた運河を浚渫(しゅんせつ)して、再び使用できるようにするとの事だった。
 シンシンはシラーとの再会を喜んで泣いていた。シンシンがヤマトゥ旅に出る時に別れ、帰って来たら、シラーは明国に行っていた。一年近く会っていなかった二人は、改めて相手の存在の大きさを知って、別れる前よりも相手を大切に思うようになっていた。
 タブチが帰って来た事により、イハチ(サハチの三男)と具志頭按司(ぐしちゃんあじ)の娘、チミーとの縁談は急速に進んで、婚礼は四月十二日と決まった。すでに二人の新居は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの東曲輪(あがりくるわ)に完成していた。
 四月五日、首里の御内原でサグルーの長男が誕生した。待望の息子は祖父であるサハチの名前をもらって、『サハチ』と名付けられた。自分と同じ名前の孫を抱きながら、お前のために、何としてでも琉球を統一しなければならない、とサハチは改めて肝に銘じていた。
 十日には今年二度めの進貢船が出帆した。正使は本部大親(むとぅぶうふや)で、サムレー大将は又吉親方(またゆしうやかた)だった。クグルーと馬天浜のシタルーの二人が従者として行った。二人とも二度目の唐旅(とーたび)だった。
 その二日後、イハチの婚礼が島添大里グスクで行なわれ、具志頭から花嫁のチミーが嫁いで来た。花嫁の先導役はタブチが務めて、島添大里グスクまで連れて来た。島添大里では久し振りの婚礼だったので、花嫁行列を見るために沿道は人々で埋まり、城下の人たちに大歓迎されて花嫁は東曲輪に入った。東曲輪で一休みした花嫁は、二の曲輪に移って婚礼の儀式を行なった。佐敷ヌルとサスカサ(島添大里ヌル)によって、家臣たちが居並ぶ中、厳かに儀式は行なわれ、イハチとチミーは夫婦となった。
 イハチもチミーも相手を見るのはこの時が初めてで、イハチはチミーを想像していたよりも可愛い娘だと満足し、チミーはイハチを見て、何となく頼りない男だと少し不満に思っていた。それでも、女子(いなぐ)サムレーたちを束ねている佐敷ヌルはかなり強いとの噂だし、イハチの母親はチミーの母親が尊敬している師匠だった。そんな強い女がいる所に、お嫁に来られたのだからよかったと思っていた。
 儀式が終わると東曲輪が開放されて、城下の人たちに酒や餅が振る舞われ、新郎新婦は挨拶をして回った。
「頼もしいお嫁さんが来たわね」とマチルギは嬉しそうだった。
「女子サムレーたちの弓矢の指導を頼んだらいい」とサハチは言った。
「そうね。首里に連れて行こうかしら」
「おいおい、新婚さんの邪魔をするなよ」
「冗談よ」とマチルギは笑った。
 イハチの婚礼が終わったあと、梅雨に入ったようで雨降りの日が続いた。サハチは忙しい日々を送っていた。進貢船の準備とヤマトゥに行く交易船の準備、それに伊平屋島(いひゃじま)と与論島(ゆんぬじま)の問題もあり、思紹(ししょう)がいるにも関わらず、休む間もないほど忙しかった。
 佐敷グスクのお祭りは、幸いに雨は降らなかった。お芝居の演目は『舜天(しゅんてぃん)』だった。
 久高島(くだかじま)の神様から、舜天(初代浦添按司)の誤解を解いてくれと頼まれたササは、みんなの誤解を解くには、お芝居にして見せればいいんだと思い、佐敷ヌルと相談して筋書きを考えたのだった。
 神様が心配するほど、『舜天』の名は知られてはいなかった。一部のヌルが知っている程度だったが、間違ったまま後世に伝えられたら歴史が歪んでしまうので、今のうちに訂正しておいた方がよかった。
 ササは舜天の父親の『シングーの十郎』の事を中グスク按司のクマヌに聞いていた。熊野の山伏だったクマヌは新宮(しんぐう)の十郎を知っていた。鎌倉に幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の叔父に当たる人で、頼朝によって殺されたという。その人が琉球に来たかどうかはクマヌは知らなかった。戦に敗れたあと、二十年間、熊野の山中に隠れていたようだから、琉球に行く気になれば、熊野水軍の船に乗って来られるかもしれないと言った。
 舜天の父親の事はまだよくわからないので、お芝居には出さずに、舜天が陰陽師(おんようじ)の理有法師(りゆうほうし)を倒す話を中心にまとめた。
 ヤマトゥから理有法師がやって来て、妖術を使って真玉添(まだんすい)のヌルたちを倒す。妖術に掛かったヌルたちは、理有法師の思い通りになって酒の相手をさせられる。真玉添に腰を落ち着けた理有法師は、近くの村々を襲って食べ物を盗んだり、娘をさらったりとやりたい放題の事をしている。浦添按司の舜天は理有法師を倒そうとするが、妖術にはかなわない。どうしたものかと悩んでいると天の助けか、理有法師を追って来た朝盛法師(とももりほうし)が浦添に来る。舜天は朝盛法師と一緒に理有法師を倒して、めでたしめでたしでお芝居は終わった。
 島添大里グスクのお祭りで演じた『酒呑童子(しゅてんどうじ)』の鬼退治の話と似ている話になってしまったが、観客たちは喜んでくれた。旅芸人たちの『浦島之子(うらしまぬしぃ)』も評判はよかった。
 佐敷のお祭りが終わると佐敷ヌルとユリは与那原(ゆなばる)に行って、ヂャンサンフォン(張三豊)の指導を受けた。新年の儀式からずっとお祭りの準備で忙しかった二人は、次の与那原のお祭りまでは間があるので、その間を利用して、ヂャンサンフォンから武当拳(ウーダンけん)を学ぼうと決めていたのだった。
 ササやサハチからヂャンサンフォンのもとで一ヶ月間、修行を積めば体が軽くなって、以前よりも自由に体が動かせるようになると聞いていて、早く教えを受けたかったのだが、ヂャンサンフォンは一昨年はサハチと一緒にヤマトゥに行き、去年は思紹と一緒に明国に行ってしまい、教えを受けられなかった。今年こそは念願がかなえられる、と佐敷ヌルとユリは娘をナツに預けて与那原グスクへと飛んでいった。佐敷ヌルがメイユー(美玉)から預かっているシビーも一緒に行った。シビーは去年の十一月に、サスカサと一緒に新(あら)グスクに行って、一か月の修行を受けていて、今回が二度目だった。
 その頃、ンマムイ(兼グスク按司)の新しいグスクが南風原に完成して、『兼(かに)グスク』と名付けられた。ンマムイたちの引っ越しが終わった四月の末に、新しいグスクで完成祝いの宴が開かれた。兼グスクができた事で、山南王に対する守りが強化された。ンマムイたちが出た『新グスク』には、タブチの三男のエーグルーが入った。
 今年の『ハーリー』はまだ梅雨が明けていなかった。雨が降る中、行なわれたが、相変わらず大勢の人が集まって賑わったという。中山王の龍舟(りゅうぶに)の代わりに山北王の龍舟が参加して、見事に優勝していた。本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)は明国で本場のハーリーを見た事があり、出るからには勝たなくてはならんと必死になって、サムレーたちを鍛えたようだった。
 その事を知らせに来たウニタキ(三星大親)の配下のシチルー(七郎)は、山北王の娘を嫁にもらった山南王の三男が、完成した保栄茂(ぶいむ)グスクに入って『保栄茂按司』を名乗ったと言った。
 シチルーは『三星党(みちぶしとー)』の四天王の一人で、以前は島尻大里(しまじりうふざとぅ)の『よろずや』の主人だった。初代の主人はカマンタ(エイ)捕りの名人だったキラマで、キラマの跡を継いで、山南王の情報を集めていた。イーカチが絵師になって抜けたので、シチルーは四天王に昇格した。イーカチが担当していた島添大里と佐敷を受け持つ事になって、敵の間者(かんじゃ)の侵入を防いでいた。
 ウニタキの配下の四天王はシチルーの他に、チュージ(忠次)、アカ-(赤)、タキチ(太吉)がいて、チュージが首里、アカ-が島尻大里、タキチが今帰仁(なきじん)を拠点にして活躍していた。それぞれ二十人の配下を率いて情報を集め、時には敵の間者の始末もしている。集まって来た各地の情報の中から重要な情報をサハチに伝えるのはウニタキの役目だが、ウニタキが留守なので、シチルーが来たようだった。
今帰仁から来て保栄茂グスクに入った兵たちの大将は知名大主(じんにゃうふぬし)といって、永良部按司(いらぶあじ)の三男で、母親は察度(さとぅ)(先々代中山王)の娘のようです」とシチルーは言った。
「察度の娘が永良部按司に嫁いでいたのか」とサハチは驚いた。
「俺も驚きましたが、山南王の王妃(うふぃー)の姉のようです。知名大主は山南王の甥に当たるというわけです」
「シタルー(山南王)と永良部按司がつながっていたとは知らなかった。本部のテーラーも保栄茂グスクに入ったのか」
「いいえ、入ってはいません。テーラーは梅雨が明けたら今帰仁に帰ると思います」
 テーラー今帰仁に帰ったあと、伊平屋島を攻めて来たら面倒な事になりそうだとサハチは思った。
「ところで、慈恩禅師(じおんぜんじ)殿が今、どこにいるか知っているか」とサハチは聞いた。
 首里の城下に屋敷を用意したのだが、久高島参詣から帰って来ると与那原グスクに行ってしまった。ヂャンサンフォンの指導を受けるという。運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)がいるので、ヂャンサンフォンが与那原に住み、ヂャンサンフォンが与那原にいるので慈恩禅師まで与那原にいる。思紹も時々、お忍びで与那原に出掛けているらしい。マジムンたちがいた運玉森は武芸者たちの聖地になりそうだった。
 佐敷グスクのお祭りには、慈恩禅師もヂャンサンフォンと一緒にやって来た。二、三日前、ンマムイが来て、慈恩禅師が一人で旅に出たらしいと言った。サハチが驚いて詳しく聞くと、ヂャンサンフォンは今、佐敷ヌルとユリとシビーと右馬助(うまのすけ)の指導に当たっていて、慈恩禅師はフラッと旅に出て行った。どこに行ったのか誰も知らなかったという。旅慣れた慈恩禅師の事だから無事に帰って来るとは思うが、どこにいるのかわからないのは心配だった。
「慈恩禅師殿は今、越来(ぐいく)グスクにおります」とシチルーは言った。
「越来グスク?」
 意外な答えに戸惑ったが、越来按司も美里之子(んざとぅぬしぃ)と呼ばれた武芸者だった。前回の旅の時、武芸の話で盛り上がって、気が合ったのかもしれないと思った。
 それから四日後、五十人の兵を乗せた船が二隻、小雨の降る中、伊平屋島に向かった。梅雨が明けるのを待ってはいられなかった。山北王の兵たちより先に着かなければならない。伊是名親方(いぢぃなうやかた)率いる五十人は伊是名島を守り、田名親方(だなうやかた)率いる五十人は伊平屋島にいるムジルが率いる九十人の兵と合流する。武器や食糧もたっぷりと積んであった。それとは別に、ヒューガ(日向大親)が率いる水軍も三隻が伊平屋島に向かい、敵の出方によっては海戦にも備えた。
 同じ日、勝連からは五十人の兵を乗せた船が二隻、与論島に向かった。苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)を大将にした与論島攻めの兵百人は、新たに集められた者たちで、首里の十番組になる。その中にはジルムイ、マウシ、シラーも入っていた。マウシは今、明国に行っているが、帰って来たら合流する。今まで別の組にいて一緒に行動できなかったジルムイとシラーは、一緒になれた事を喜び、絶対に与論島を奪い取ろうと気合いを入れた。

 

 

 

手造りシーサー 大立 素焼 (雌雄セット)

2-86.久高島の大里ヌル(改訂決定稿)

 ササは馬天(ばてぃん)ヌルと佐敷ヌルとサスカサ(島添大里ヌル)を連れてセーファウタキ(斎場御嶽)に行き、切り立った岩の上にあるウタキに登って、豊玉姫(とよたまひめ)と娘のアマン姫に会わせた。すでに玉依姫(たまよりひめ)はヤマトゥ(日本)に帰っていた。年末年始は神様も忙しいようだ。
 馬天ヌルは岩の上に祀られた大きな鏡を見て驚き、突然、ある事に気がついた。
 今までずっとティーダシル(日代)の石を探していたが、ティーダシルは石ではなく、鏡なのではないのだろうか。
 豊玉姫がヤマトゥから持って来たもう一つの小さい鏡が、『真玉添(まだんすい)』に祀られていたティーダシルの鏡なのではないのだろうか。
 馬天ヌルは豊玉姫から、『真玉添』の事を詳しく聞いた。
 真玉添はアマン姫の娘が真玉添ヌルになって、浮島(那覇)を見下ろす高台に、ヌルが治める村(しま)を造ったのが始まりだった。真玉添ヌルは太陽(てぃーだ)の神様として、豊玉姫からもらった鏡を『ティーダシルの鏡』として祀り、月の神様として、島添大里(しましいうふざとぅ)グスク内にあるウタキから石を分けてもらって、『ツキシル(月代)の石』として祀ったという。
 島添大里グスクの一の曲輪内の一番高い所にある岩が、『月の神様』を祀っているウタキで、ツキシルの石はその分身だった。首里(すい)グスクを攻め落として、勝連(かちりん)と同盟を結んだ時、サハチたちが勝連グスクからツキシルの石が光っているのを見たが、あの光は本体である島添大里グスクのウタキの岩が光っていた。佐敷にあったツキシルの石は故郷である島添大里に帰ってから、真玉添があった首里遷座(せんざ)したのだった。
 ティーダシルが鏡であるなら、ササが見つけたガーラダマ(勾玉)と同じように読谷山(ゆんたんじゃ)の山の中にあるのかもしれないが、土の中に埋められた鏡を探し出すのは不可能に近かった。
 佐敷ヌルは豊玉姫から、琉球の北端にある『安須森(あしむい)』の事を詳しく聞いて、途絶えてしまった安須森ヌル(アオリヤエ)を継ぐ事を決心していた。
 サスカサは豊玉姫から、『島添大里グスクのウタキ』の事を詳しく聞いていた。
 島添大里グスクのある山は古くから『月の神様』が祀られていて、そのウタキを中心に島添大里グスクは造られた。島添大里ヌルのサスカサは月の神様に仕えるヌルだったが、グスクができてからは按司を守るヌルに変わってしまった。以前のごとく、月の神様にお仕えしなさいとサスカサは言われたという。
 正月二十三日、今年最初の進貢船(しんくんしん)が船出して行った。正使は唐人(とーんちゅ)の程復(チォンフー)で副使は具志頭大親(ぐしかみうふや)、サムレー大将は五番組の外間親方(ふかまうやかた)で、五番組にはマウシ(山田之子)がいた。マウシはようやく明国(みんこく)に行けると喜んでいた。去年、生まれた可愛い娘と会えなくなるのは辛いが、シラー(久良波之子)もジルムイ(島添大里之子)も行って来た明の国には何としてでも行かなければならなかった。
 正使の程復は八十を過ぎた老人で、正使を務めたあと、そのまま帰郷する事になっていた。
 程復が琉球に来たのは五十年以上も前の事だった。浮島にはまだ久米村(くみむら)(唐人町)も若狭町(わかさまち)(日本人町)もなく、ウミンチュ(漁師)の家が数軒と、久米島(くみじま)から送られてくる米を蓄えておく高倉がいくつか建っているだけの寂しい島だった。
 大陸では元(げん)の国が滅びる寸前で、内乱があちこちで始まり、商売もままならない状況になっていた。南蛮(なんばん)(東南アジア)の商品を扱っていた商人だった程復は、思い切って琉球に拠点を移した。琉球から旧港(ジゥガン)(パレンバン)に船を出して南蛮の商品を手に入れ、その商品をヤマトゥの征西府(せいせいふ)に売る事にした。勿論、元の国の商品も扱った。九州を統一して太宰府(だざいふ)に征西府を置いた懐良親王(かねよししんのう)は、村上長門守(ながとのかみ)(義弘)を琉球に送って、程復と交易を始めた。
 征西府が今川了俊(りょうしゅん)に滅ぼされてしまうと、村上長門守も来なくなってしまうが、浦添按司(うらしいあじ)の察度(さとぅ)に頼まれて、ヤマトゥに向かう明国の使者と会い、琉球朝貢(ちょうこう)が許されたのだった。
 征西府との交易で成功した程復は、土塁で囲まれた久米村を造って、大陸から移って来た唐人たちを守り、朝貢のために働いてきた。孫も何人もでき、久米村の長老として皆から尊敬もされていたが、八十を過ぎて望郷の念にかられ、帰郷する事に決めたのだった。
 程復を乗せた進貢船は北風(にしかじ)を横に受けて、西(いり)へと旅立って行った。
 二月になって、浦添極楽寺跡地の整地が行なわれた。極楽寺を建てるのはまだ先の事だが、浦添ヌルのカナがサムレーたちと一緒に、六十年前に察度に焼かれた極楽寺の残骸を片付けた。浦添グスクの焼け跡を片付けたサムレーたちにとって、極楽寺の片付けはお手の物だった。
 極楽寺の跡地から古い鉄の剣(つるぎ)が発見された。錆びてぼろぼろの状態だったが、カナはかなり古い物だと直感した。大切に扱って、木箱に入れて首里に持って来た。馬天ヌルが見て、「豊玉姫様の剣だわ」と言った。ナンセン(南泉)禅師とジクー(慈空)禅師も見て、一千年以上も前の剣に違いないと判定した。思紹(ししょう)(中山王)は大切に保管するようにと命じた。
 シンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船が馬天浜(ばてぃんはま)に来たのは、二月に入ってからだった。随分と遅いので、途中で事故でもあったのかと心配していたら、何と、お屋形様のサイムンタルー(早田左衛門太郎)が朝鮮(チョソン)から帰って来たので、遅くなってしまったという。
 早田左衛門太郎(そうださえもんたろう)が家臣たちを引き連れて、対馬(つしま)に帰って来たのは正月の十二日だった。左衛門太郎たちが帰って来る事を富山浦(プサンポ)(釜山)の五郎左衛門が知らせたのは五日で、琉球に向かう準備をしていたシンゴは急遽、琉球に行くのを延期して左衛門太郎の帰りを待った。
 その日、土寄浦(つちよりうら)は左衛門太郎が率いて来た船で埋まり、太鼓や法螺貝が鳴り響いて、お祭り気分に浮かれた。女たちは着飾って男たちを迎え、子供たちは記憶もおぼろになった父親を迎えた。十四年振りの再会だった。
 船越にいたイトたちも皆、土寄浦に来ていた。上陸した左衛門太郎は息子の六郎次郎と一緒にいるユキとミナミを見て、嬉しそうに笑った。
 ミナミが「祖父(じい)ちゃま?」と聞くと、左衛門太郎は目を細めて、「会いたかったぞ」と言ってミナミを抱き上げた。
 マツ(中島松太郎)は妻のシノと三人の子供たちと再会した。マユは夫を迎え、娘のミツはほとんど記憶にない父親と再会した。サワの娘のスズも夫との再会を喜んだ。あちこちで涙の再会が演じられ、男たちが帰って来た土寄浦は以前の活気を取り戻していた。
 一昨年(おととし)の夏、開京(ケギョン)(開城市)でサハチと会った左衛門太郎は本気で帰郷を考えるようになり、何度も漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に出向いて帰郷の要請をして、ようやく許された。
 儒教(じゅきょう)の教えに『五十にして天命を知る』という孔子(こうし)の言葉がある。儒教を国教にしている朝鮮では、孔子の教えを尊んだ。左衛門太郎は去年、五十歳になり、自分の天命は対馬と朝鮮の繁栄のために尽くす事だと言った。左衛門太郎は十四年間、倭寇(わこう)の取り締まりに励んで、さらに、裏では『津島屋』を通して日本刀の取り引きを行ない、琉球から使者がやって来たのも、左衛門太郎と琉球との結び付きによるものだった。時勢も十四年前とは違って、倭寇が暴れ回る時代ではなくなってきている。左衛門太郎には対馬に帰ってもらい、朝鮮のために交易に力を入れてもらった方がいいと重臣たちも考え、朝鮮王の李芳遠(イバンウォン)に信頼されている将軍の李従茂(イジョンム)の進言もあって、左衛門太郎の帰国は許されたのだった。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はシンゴから話を聞いて、本当によかったと喜んだ。
「お屋形様が帰って来て、お前はどうなるんだ?」とサハチはシンゴに聞いた。
「俺は以前と変わらずさ。対馬琉球を行ったり来たりする」
「そうか、よかった。お前が来なくなったら佐敷ヌルと娘のマユが寂しがるからな。サイムンタルー殿は船越を拠点にするのか」
「船越を拠点にして、まずは浅海湾(あそうわん)内を一つにまとめると言っていた」
「そうか。十四年も留守にしていたから、まずは挨拶回りといった所か。やがては宗讃岐守(そうさぬきのかみ)(貞茂)と戦う事になるな」
 シンゴはうなづいた。
対馬を統一すると兄貴は言っていた。守護である宗讃岐守の後ろには将軍様足利義持)がいるからな。慎重にやらなければならないとも言っていたよ」
「そうか。対馬で戦(いくさ)が始まりそうだな。琉球でも戦が始まる」
伊平屋島(いひゃじま)に寄ったら、大勢の兵がいたんで驚いたよ」とシンゴは言った。
 サハチは伊平屋島で起こった事件をシンゴに話した。
「いよいよ、山北王(さんほくおう)が動き出したか。奄美大島はどうなったんだ?」
「平定には失敗したようだ。今年、また行くつもりだろう」
今帰仁(なきじん)攻めは五年後だったな。五年後には山北王はトカラの島々も支配下に置いてしまうのではないのか。宝島を取られたら、琉球に来られなくなるぞ」
「宝島は絶対に渡さない。山北王が手を出したら、伊平屋島のように兵を送って守るよ」
「頼むぜ」とシンゴは笑った。
 中グスクの若按司のムタと浦添按司の次男のクジルーも無事に帰ってきた。二人は薩摩の坊津(ぼうのつ)で交易船に乗り換えて京都まで行き、京都から博多に帰ってきたあと朝鮮に行き、富山浦の『倭館(わかん)』に二か月余りも滞在して、十一月の末に博多に戻り、その後、対馬に行ったという。
「どこに行っても驚きの連続でした。行ってきてよかったです」とクジルーは嬉しそうに言った。
「義父(ちち)(クマヌ)の生まれ故郷(うまりじま)に行けただけでなく、朝鮮の国も見る事ができて、本当に感謝しています」とムタは感慨深げに言った。
 サハチは笑って、「旅の経験を無駄にするなよ」と二人の肩をたたいた。
 『対馬館』で歓迎の宴(うたげ)が行なわれ、サハチは対馬の女たちと夫との再会の様子を詳しく聞いた。
 それから二日後、旅に出ていた慈恩禅師(じおんぜんじ)、飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)、二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)、イハチ(サハチの三男)、チューマチ(サハチの四男)が帰って来た。ヤンバル(琉球北部)の山の中で拾ったと言って、十歳くらいの娘を連れていた。可愛い顔をしているが、言葉がしゃべれず、耳も聞こえないらしいので、どうして山の中にいたのかわからない。放っても置けず、連れて来たという。とりあえず、娘はマチルギに預けて、サハチと思紹は五人を連れて遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』に行って、酒を飲みながら旅の話を聞いた。
 慈恩禅師はほとんどの城下で銅銭が使える事に驚いていた。サハチが旅をした二十年余り前、銅銭が使えたのは浦添と島尻大里(しまじりうふざとぅ)、勝連、今帰仁だけだったが、今では南部の城下のほとんどで銅銭が使えた。中山王(ちゅうざんおう)が按司たちを従者として明国に連れて行ったお陰だった。
 今帰仁首里よりも栄えていたのにも驚いていた。今帰仁の城下には大勢のヤマトゥンチュ(日本人)がいて、まるで、守護大名がいる城下に来たような雰囲気だったという。そして、夏になったら伊平屋島で戦が始まりそうだと城下の人たちは噂をしていた。
 去年の暮れ、中山王の交易船を奪うために兵を引き連れて伊平屋島に向かった奄美按司(あまみあじ)は無残な姿で帰って来た。船倉に閉じ込められ、汚物にまみれた惨めな姿だった。山北王(攀安知)は激怒して奄美按司に会う事もなく、按司の座を剥奪した。代わりに奄美按司に抜擢されたのは志慶真(しじま)の長老の孫のシルータだった。シルータは按司になれた事を喜びながらも、先代と同じ轍(わだち)を踏まないように身を引き締めたという。
 長い間、旅をしていると地名に興味を持つようになり、慈恩禅師は今帰仁の意味が知りたくなって、土地の者に聞いて回ったら、志慶真の長老を紹介されて教えてもらった。
 古くは『今来(いまき)知る』と言われ、今来は外来者で、知るは治めると言う意味で、外から来た者によって治められた土地を意味している。イマキジルがイマキジンになり、ナキジンに変化していったのだろうと長老は言った。南部にある島尻大里のシリも同じで、島を治める大里という意味らしい。
 サハチたちは感心しながら、慈恩禅師の話を聞いていた。禅僧である慈恩禅師を遊女屋に連れて行ってもいいものだろうかとサハチは不安だったが、慈恩禅師は何も気にする事なく、綺麗どころが揃っておるのうと喜んで、遊女(じゅり)たちとも楽しそうに接していた。
 チューマチは初めて遊女屋に来て緊張していた。昔の自分を思い出して、酒を飲み過ぎなければいいがとサハチは心配した。やがて、ヒューガ(日向大親)がやって来て加わり、ヂャンサンフォン(張三豊)もやって来た。ンマムイ(兼グスク按司)とヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)もやって来て、慈恩禅師の旅の話は延々と続いていった。サハチが心配した通り、チューマチは飲み過ぎて嘔吐していた。これも修行だ、頑張れとサハチは心の中で言っていた。
 その二日後は首里グスクのお祭り(うまちー)だった。今年も龍天閣(りゅうてぃんかく)を開放して、城下の人たちを喜ばせた。舞台で演じるお芝居は二つあった。一つは首里の女子(いなぐ)サムレーたちによるお芝居で、もう一つはウニタキ(三星大親)が作った旅芸人たちのお芝居だった。女子サムレーたちは『瓜太郎(ういたるー)』を演じて、旅芸人たちは『浦島之子(うらしまぬしぃ)』を演じた。
 旅芸人たちも結成されてから一年近くが経ち、厳しい稽古の甲斐があって、ようやく他人様(ひとさま)に見せられるようになっていた。今日は初めて観客を前にして演じるので、フク、ラシャ、カリー、ユシ、マイの五人の舞姫も、笛と太鼓と三弦(サンシェン)を担当する五人囃子(ばやし)の娘たちも緊張していた。
 佐敷ヌルは新しい演目を考えていたのだが、城下の者たちから『瓜太郎』を観たいという要望が多かったため、新作は次の島添大里グスクのお祭りで披露する事にしたのだった。
 女子サムレーの剣術の模範試合のあと、シラーとウハが明国に行っていていないので、ササとシンシン(杏杏)が武当拳(ウーダンけん)を披露した。
 佐敷ヌルが五人の舞姫たちを紹介して、旅芸人たちの『浦島之子』が始まった。失敗する事なく見事に演じ、囃子方もうまくやり遂げた。木陰に隠れて密かに見ていたウニタキも、よくやったぞと喜んでいた。
 女子サムレーの『瓜太郎』も大成功だった。初演の時、ササとシンシンとナナが素晴らしい演技を見せたので、皆、負けるものかと頑張って、上演を重ねる度に見事な出来映えになって行った。
 敵の襲撃もなく、無事にお祭りも終わって、その翌日、お腹が大きくなっていたマカトゥダルが首里の御内原(うーちばる)に入った。ようやく、サグルーの子供が生まれるとサハチもマチルギも喜んで、無事に生まれる事を祈った。
 慈恩禅師と右馬助は、上間大親(うぃーまうふや)となって上間グスクに移った嘉数之子(かかじぬしぃ)の屋敷が空いていたので、その屋敷に入り、武術道場に通ってサムレーたちを鍛えていた。修理亮は浦添に行った。浦添のサムレーたちを鍛えてくれと浦添ヌルに頼まれたという。以前、ササから修理亮は浦添ヌルのカナが好きだと聞いた事があった。二人がうまく行って、このまま修理亮が琉球に残ってくれればいいとサハチは思った。
 ウニタキは配下の者三人を連れて、与論島(ゆんぬじま)に向かった。この時期は船では行けないので、最北端の辺戸岬(ふぃるみさき)まで行き、潮の流れと風向きを見計らって渡らなければならなかった。口に出しては言わないが、幼馴染みの与論(ゆんぬ)ヌルとの再会を楽しみにしているようだった。与論ヌルの助けで、与論グスクの弱点が見つかればいいとサハチは願った。
 二月二十八日、島添大里グスクのお祭りが行なわれた。お芝居は『酒呑童子(しゅてんどうじ)』だった。
 ヤンバルの山奥に酒呑童子という鬼が住んでいて、都の女たちが何人もさらわれた。王様は怒って、サムレー大将のライクーに鬼退治を命じる。ライクーは四天王と呼ばれるチナ、キントゥキ、ウシー、ウラビーを連れてヤンバルに向かう。
 途中で山の神様と出会って、飲めば鬼の力が弱まるという神酒を授かる。ライクーたちは神様にお礼を言って先に進む。山の入り口に川が流れていて、娘が洗濯をしている。話を聞くと鬼に捕まって、殺された女たちの着物を洗わされていると言って泣く。娘から山の様子を聞いて、ライクーたちは山の中に入る。
 山の中にガマ(洞窟)があって、松明(たいまつ)を持って入って行く。酒呑童子が五人の鬼と一緒に女を侍(はべ)らせて酒盛りを始めている。ライクーたちは、一晩泊めてくれと頼み、お礼に神様からもらった酒を差し出す。鬼たちは喜んで酒を飲み、力を失い眠ってしまう。ライクーたちは眠っている酒呑童子の首を斬って殺し、他の鬼たちも倒す。捕まっていた女たちを助けて都に戻り、めでたしめでたしでお芝居は終わった。
 物語はライクーたち五人の会話によって進んで行く。時には馬鹿な事を言って観客たちを笑わせた。見せ場は眠っている酒呑童子の首を斬ったあと、斬られた首がライクー目掛けて飛んでいく場面だった。観ている者たちは本当に首が斬られたと思って悲鳴を上げる者もいた。そのあと、残った鬼たちとの対決では華麗な剣舞を披露した。力を失った鬼たちはフラフラしながらもライクーたちと戦って、終(しま)いには斬られて倒れた。
 島添大里グスクのお祭りでも、旅芸人たちの『浦島之子』が演じられ、首里の時よりもうまくなっていた。
 舞台の最後には、ウニタキの代わりに息子のウニタル(鬼太郎)が姉のミヨンと一緒に三弦を披露した。十五歳になったウニタルは、父親のウニタキによく似ていた。来年はマサンルー(佐敷大親)の長男のシングルーと一緒にヤマトゥ旅に行かせようとサハチは思った。
 島添大里グスクのお祭りの五日後、思紹の久高島参詣(くだかじまさんけい)が行なわれ、いつもと同じようにヂャンサンフォンがお輿(こし)に乗って、思紹は馬に乗って最後尾を行った。いつもと違うのは思紹の側室たちがお輿には乗らず、女子サムレーの格好で侍女たちと一緒に歩き、お輿の中にはそれぞれの荷物が乗っていた。ササ、シンシン、ナナの三人もヌルとして行き、慈恩禅師と右馬助も一緒に行った。
 今年はマチルギも行ったので、サハチは留守番として首里グスクに行き、龍天閣の三階で絵地図を眺めながら過ごしていた。絵地図には、今築いているンマムイの新しいグスク(内嶺グスク)も、八重瀬按司(えーじあじ)のタブチの次男が築いている最南端に近い海辺のグスク(具志川グスク)も真壁按司(まかびあじ)が築いている山の中のグスク(山グスク)も、伊敷按司(いしきあじ)が築いている海辺のグスク(ナーグスク)も、山北王の娘を嫁にもらった三男のために、山南王(さんなんおう)が築いている保栄茂(ぶいむ)グスクも書いてあった。
 南部も賑やかになったものだと思いながら、山南王のシタルーがどう出るかを考えていた。
 久高島に行ったササたちはいつものように、馬天ヌルと一緒にフボーヌムイ(フボー御嶽)に籠もった。いつものようにお祈りをしていると、ササは今まで聞いた事がない神様の声を聞いた。
 神様は、「舜天(しゅんてぃん)の誤解を解いて下さい」と言った。
 舜天(初代浦添按司)はヤマトゥの武将と島添大里ヌルとの間に生まれたと佐敷ヌルから聞いていた。どうして、舜天の名が出てくるのかササにはわからなかった。
「舜天が真玉添(まだんすい)や運玉森(うんたまむい)のヌルたちを滅ぼしたというのは誤解です」と神様は言った。
「あなたはどなたですか」とササは聞いた。
「舜天の母の大里(うふざとぅ)ヌルです」
「もしかして、島添大里ヌルですか」
「そうです。当時はただの大里ヌルでした。あの頃から百年くらい経ったあと糸満(いちまん)の近くに大里グスクができて、二つの大里グスクを区別するために、東(あがり)の大里を『島添大里』と呼び、西(いり)の大里を『島尻大里』と呼ぶようになったのです」
「あなたはサスカサさんなのですね?」
「そうです。御先祖様はアマン姫様です」
 ササは理解した。ササが豊玉姫とアマン姫の母子と会った事を知った舜天の母親の大里ヌルが、ササに声を掛けてきたのだった。
「舜天はそんなひどい事はしません。真玉添ヌルも運玉森ヌルもわたしの一族なのです。母親の一族を滅ぼすような事は決していたしません」
「それでは誰が、真玉添と運玉森を滅ぼしたのですか」
「ヤマトゥから来た陰陽師(おんようじ)の理有法師(りゆうほうし)です」
 聞いた事もない名前だとササは思った。
「あの年はヤマトゥからサムレーが続々とやって来ました。鎧(よろい)を着て、鋭い刀を持った恐ろしい人たちが何人もやって来て、この島は恐怖に陥りました。平和だった島に血の雨が降ったのです。最初は安須森(あしむい)でした。安須森のヌルたちがヤマトゥのサムレーたちに襲われて、逆らった者は殺され、捕まった者はさらわれました。そのサムレーたちは今帰仁にグスクを築いて、そこに落ち着き、南部にはやって来ませんでした。わたしたちはホッと胸をなで下ろしたのですが、別のヤマトゥンチュが馬天浜にやって来たのです。それが理有法師の一行で、巫女(みこ)と呼ばれる女や武器を持ったサムレーたちを従えて、総勢五十人余りがやって来ました。島添大里は大騒ぎになって、城下の者たちは皆、グスクの中に隠れました。理有法師も五十人でグスクを攻めるのは不可能と思ったのか、攻める事はなく運玉森に向かいます。そして、運玉森のヌルたちを襲ったのです。抵抗したヌルたちは殺され、捕まったヌルたちはサムレーたちの慰(なぐさ)み者になりました。勿論、男たちは戦いましたが、鋭い刀にはかないません。ほとんどの者は殺されて、捕まった者たちは理有法師の妖術に掛かって魂(まぶい)を奪われ、理有法師の意のままに動かされました」
陰陽師とは何ですか」とササは聞いた。
「マジムン(悪霊)を退治したり、先に起こる事を予言したり、雨を降らせたり、重い病に罹っている人を治したりと様々なシジ(霊力)を持っている人です。ヌルと唐(とう)の道士(どうし)とヤマトゥの山伏を併せ持ったような人で、あの頃のヤマトゥの国では高い地位を得ていたようです。理有法師は滅ぼされた平家に仕えていた陰陽師で、戦(いくさ)に敗れて、この島まで逃げて来たのです。運玉森を滅ぼした理有法師は真玉添に行って、真玉添も滅ぼしてしまいます」
「真玉添ヌルのシジも理有法師のシジにかなわなかったのですか」
「ヌルは人を殺(あや)めたりするシジは持っていません。人々を守るシジはありますが、とてもかないませんでした。理有法師は真玉添を占領して、新しい国を造ります。自ら理有王と名乗って、呪いを掛けた男たちを兵として国を守らせ、美しい女をさらって来ては妻に迎えて、好き勝手な事をしていました」
「まるで、酒呑童子だわ」とササは言ったが、神様には何の事かわからないようだった。
「その頃、わたしの息子の舜天は按司になって浦添にいました。真玉添が理有に襲撃されたと聞いて救援に行きますが、妖術を使う理有にはとてもかないませんでした。島添大里按司と協力して、挟み撃ちにしようともしましたが無駄でした。戦死者が増えるばかりで、理有に近づく事さえできません。ところが、天の助けか、ヤマトゥから朝盛法師(とももりほうし)という陰陽師がやって来たのです。朝盛法師は源氏に仕えていた陰陽師で、理有を追って、この島にやって来ました。朝盛法師は舜天と協力して、理有を倒します。激しい妖術合戦が行なわれて、まるで、台風が来たように天は荒れ狂い、大雨が降って風が吹き、稲光がして雷が落ち、見た事もない雪も降りました。朝盛法師は理有に勝って、理有は海の彼方に飛ばされました。理有法師はいなくなりましたが、真玉添も運玉森も再興される事はありませんでした。どちらも理有に殺されたヌルたちの霊がマジムンとなって現れるようになって、人々は近づくのを恐れました。朝盛法師は真玉添と運玉森のマジムンを封じ込めました。理有の事を知っているヌルたちの霊が封じ込まれてしまったため、理有の存在は消えてしまい、舜天が真玉添と運玉森を滅ぼしたという、ありもしない事実が本当の事のように語り継がれて来てしまったのです。どうか、真実を伝えて下さい」
「わかりました」とササは返事をして、「朝盛法師はその後、どうなったのですか」と聞いた。
「舜天のために仕えてくれました。島の娘と一緒になって子供も生まれ、ヤマトゥに帰る事なく、この島で亡くなりました」
「真玉添ヌルのチフィウフジン(聞得大君)が運玉森で亡くなったと聞きましたが、本当でしょうか」
「本当です。チフィウフジンはみんなを助けるために、理有に投降しましたが、理有は攻撃をやめませんでした。理有はチフィウフジンに妻になるように迫りますが、チフィウフジンはかたくなに拒みます。チフィウフジンは焼け跡になった運玉森で、小屋に閉じ込められたまま亡くなってしまいました」
「運玉森にある古いウタキはチフィウフジンのお墓だったのですね」
「そうです。理有法師が滅んだあと、わたしは亡くなった大勢のヌルたちを弔うために久高島に来て、フボーヌムイに籠もりました。わたしが初代の久高島の大里ヌルで、娘が跡を継いで、代々と続いて今に至っています」
 大里ヌルの事はフカマヌルから聞いていたが、ササはまだ会った事はなかった。
「大里ヌルはフカマヌルよりも古いのですね」
「古いのです。フカマヌルは舜天の孫の義本(ぎふん)を滅ぼした英祖(えいそ)の孫娘から始まります。申し訳ありませんが、もう一つお願いしてもよろしいでしょうか。あなたは玉依姫様を琉球にお連れした偉大なるシジを持ったヌルです。あなたならわたしの願いを叶えてくれるに違いありません」
 偉大なるシジを持ったヌルと言われて、ササは驚き、照れもした。神様からそんな風に言われたら、願いを聞くしかなかった。
「わたしにできる事でしたらお力になります」
「ありがとうございます。舜天の父親がどうなったのか調べて下さい」
「えっ!」とササは驚いた。そんな事を頼まれるなんて思ってもいなかった。
「舜天の父親はヤマトゥの武将だと聞いていますが、わたしは名前まで知りません」
「シングーの十郎と名乗っていました。クマヌ(熊野)から来たのです。その頃、大里按司はヤマトゥと交易をしていました。毎年のようにクマヌから船がやって来て、大量のヤクゲー(ヤコウガイ)やシビグァー(タカラガイ)を積んで帰って行きました。それらの貝殻は奥州(おうしゅう)の平泉(ひらいずみ)という所に運ばれるそうです。平泉という所は京都のように賑やかな都で、黄金色(くがにいる)に輝くお寺(うてぃら)があって、まるで極楽浄土のようだと自慢しておりました。ヤマトゥからは絹や甕(かーみ)、ガーラダマ(勾玉)や鷲(わし)の羽根、毛皮など高価な物がもたらされました。その船に乗って十郎様はやって来たのです。わたしは一目見て、わたしのマレビト神に違いないと思いました。わたしは十郎様と結ばれて、舜天と娘のフジが生まれました。わたしたちは幸せに暮らしておりましたが、十四年目の夏、十郎様はクマヌに帰って行かれました。また来ると約束したのですが来る事はありませんでした。ヤマトゥに帰った十郎様がどうなったのか、知りたいのです。十郎様が京都に行った事は、クマヌから来た者から聞きましたが、その後、なぜかクマヌからの船も来なくなってしまいました。あの頃、源氏と平氏は常に戦っていたそうです。十郎様がこの島に来たのも、戦に敗れて逃げて来たと言っていました。十郎様も戦に巻き込まれて亡くなってしまったのではないかと、ずっと気になっているのです」
 ササは『シングーの十郎』の事を調べると神様に約束して、フボーヌムイから出ると、馬天ヌル、シンシン、ナナに神様の話を告げて、大里ヌルに会いに向かった。
 馬天ヌルは十五年前、ウタキ巡りの旅に出た時、大里ヌルに会っていた。馬天ヌルと同じ位の年頃で、フボーヌムイにずっと籠もっていたサスカサ(運玉森ヌル)を、あなたにはやるべき事があると言って、キラマ(慶良間)の島に送り出したのが大里ヌルだった。『月の神様』に仕えていて、昼間は屋敷に籠もったまま誰とも会わず、夜になるとヌルとしてのお勤めをしていた。
「その当時は変わったヌルだと思っていたの。でも、島添大里グスクのウタキが『月の神様』を祀っていると知った今、ようやくわかったわ。大里ヌルは古くからの教えを守り続けているヌルなのよ」と馬天ヌルは言った。
 すでに日暮れ間近になっていた。フカマヌルの屋敷の西側の少し離れた所に、大里ヌルの屋敷はあった。
「まだ早いわ」と馬天ヌルが言って、暗くなるのを待ってから大里ヌルを訪ねた。
 大里ヌルは透き通るような色白で、二十代半ば頃の妖艶な女だった。先代の母親は二年前に亡くなったという。
「一生、太陽に当たらないせいか、代々、寿命が短いのです」と大里ヌルは言って、微かに笑った。
 ササは神様から言われた事を大里ヌルに話した。
「御先祖様の願いを聞いてあげて下さい。わたしにはできない事ですので、お願いいたします」
 ササはうなづいた。
「舜天のお母さんが初代の久高島大里ヌルだと聞いたけど、それからずっと、代々続いているの?」と馬天ヌルが大里ヌルに聞いた。
 大里ヌルはうなづいた。
「わたしは先代の娘で、母親は先々代の娘です。わたしはまだ出会ってはいませんが、必ずマレビト神が現れて、跡継ぎを授かるそうです」
「男の子は生まれないの?」
「男の子が生まれた時は大里家に養子に入ります。二代目が男の子を産んで、大里家ができました」
「もしかして、ここにも『ツキシルの石』があるのですか」とササは聞いた。
「はい。初代の大里ヌルが島添大里グスクのウタキから分けていただいた石が『ツキシルの石』として祀ってあります。大里ヌルは四年に一度、八月の満月の日、島添大里グスクのウタキにお参りする習わしがありました。でも、島添大里グスクが八重瀬按司に奪われて以来、お参りはできなくなってしまいました。先代が若ヌルの時にお参りをして以来、三十三年間、お参りはしておりません。できれば、お参りをしたいのですがよろしいでしょうか」
 ササは馬天ヌルを見てから、「勿論、お参りをして下さい」と言った。
「今年の八月は是非とも、島添大里グスクにいらして下さい」
 大里ヌルは首を振った。
「寅(とら)、午(うま)、戌(いぬ)の年と決まっております。今度のお参りは三年後の甲午(きのえうま)の年になります」
「わかりました。三年後の十五夜(じゅうぐや)の日、お迎えに参ります」
「ありがとうございます」とお礼を言った大里ヌルの目は涙に潤んでいた。
 大里ヌルを見ながら、ササは『ツキヨミ』の事を思い出していた。太陽の神様のアマテラスに比べて、ツキヨミの影が薄いと感じるのは、人の目に触れなかったからに違いないと思った。太陽があって月があり、昼があって夜がある。夜に活動する者たちにとっては、太陽より月が大切に違いない。大里ヌルは夜の世界を仕切っているヌルなのだろうかとササは思っていた。

 

 

 

八咫鏡(やたのかがみ)緑青風(ろくしょうふう)