長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-94.熊野へ(改訂決定稿)

 三姉妹の船が浮島(那覇)に着いた頃、ヤマトゥ(日本)に行ったササ(馬天若ヌル)たちは、京都から熊野に向かっていた。
 五月十四日に与論島(ゆんぬじま)から交易船に乗り込んだササたちが、薩摩の坊津(ぼうのつ)に着いたのは五月三十日だった。坊津で交易船を降りたササたちは、『一文字屋』の船に乗って博多に向かった。去年、自由に行動ができなかったので、交易船から降りたのだった。一文字屋の船に乗ったのは、ササ、シンシン(杏杏)、ナナ、シズ、サスカサ(島添大里ヌル)の五人で、シンゴ(早田新五郎)の船に乗っていたチューマチ(サハチの四男)と越来若按司(ぐいくわかあじ)のサンルーは京都に行くために交易船に移った。
 一文字屋の船は交易船のあとを追って博多に向かい、六月八日に博多に着いた。朝鮮(チョソン)に行く勝連(かちりん)の二隻の船も一緒だった。交易船に乗っていた者たちと勝連の船に乗っていた者たちは『妙楽寺』に入り、ササたちは『一文字屋』に向かった。
 一文字屋に中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)の娘の奈美が訪ねて来た。去年よりかなり遅いので心配していたという。高橋殿と御台所様(みだいどころさま)に早く知らせなければならないと言って、奈美は京都に向かった。
 玉依姫(たまよりひめ)に挨拶をしようと、ササたちは豊玉姫(とよたまひめ)のお墓に行ったが、玉依姫はいなかった。去年、ササたちが掃除をしたあと、誰かが草刈りをしてくれたのか、綺麗になっていた。
 玉依姫はどこに行ったのだろう、伊勢に行ったのかしらと考えながらお祈りをしていると、
「京都にいるわ」と神様が言った。
 何となく、どこかで聞いた声のような気がした。
「あなたはどなたですか」とササは聞いた。
「ユンヌ姫よ」と言って神様は楽しそうに笑った。
 ササは首から下げたガーラダマ(勾玉)を見た。
「あなた、憑(つ)いて来たの?」とササは聞いた。
「だって、お祖父(じい)様に会いたかったんですもの」
 一言言ってくれればいいのにと思いながらも、「玉依姫様が京都にいるって本当なの?」とササはユンヌ姫に聞いた。
「出雲(いづも)の奥さんがいるから京都には行かなかったんだけど、そろそろ仲よくしなけりゃねって言っていたわ。お祖父様に会いに行ったのよ」
「そう。京都で会えるわね」
「楽しみだわ」とユンヌ姫は嬉しそうに言った。
 交易船よりも先に博多を発ったササたちは上関(かみのせき)で、あやとの再会を喜び、村上又太郎に歓迎された。
 あやの船に先導されて、兵庫に着いたのは六月二十七日で、兵庫の港には明国の船が泊まっていた。噂では上陸の許可が下りなくて、もう半月余りもいるという。
 あやと別れて、ササたちは陸路で京都に向かい、高橋殿の屋敷に入った。
 高橋殿にサスカサを紹介すると、高橋殿は驚いた顔をしてサスカサを見た。
「サハチ殿とマチルギ殿の娘さんなのね?」
「そうです。長女で島添大里(しましいうふざとぅ)のヌルを務めています」
「そう。こんなにも大きな娘さんがいらしたのですね。あなたのお父様が京都まで来てくれたお陰で、将軍様足利義持)はとても助かっているのよ。これからもよろしくね」
 サスカサは綺麗な人だと思いながら高橋殿を見ていた。父から踊りの名人だと聞いていた。踊りだけでなく、武芸の腕も一流のようだとサスカサは思った。
 ササたちは船岡山に行って、スサノオの神様に挨拶をした。玉依姫も一緒にいた。
「待っておったぞ。玉依姫琉球まで連れて行ってくれたそうじゃのう。わしからもお礼を言うぞ」
 ササが『新宮(しんぐう)の十郎』の事を聞こうとしたら、ユンヌ姫が邪魔をした。スサノオは孫娘との出会いを喜んで、ササの事など忘れて、ユンヌ姫を連れてどこかに行ってしまった。
「あなた、ユンヌ姫を連れて来たの?」と玉依姫が聞いた。
「勝手に憑いて来たのです」
「そう。でも、どうして、あなたがユンヌ姫を知っているの?」
「ヤマトゥに来る前に与論島に寄って来たのです」
「ユンヌ姫があなたを呼んだのかしら?」
 今、思えばそうかもしれないとササは思った。与論島を攻め取ったという話を聞いた時、今のうちに与論島に行かなければならないと思った。どうしてそう思ったのかはわからなかったが、ユンヌ姫に呼ばれたのかもしれなかった。
玉依姫様は、新宮の十郎っていう人を知っていますか」とササは聞いた。
「新宮の十郎? 何者なの?」
「源氏の武将のようです」
「知らないわね。新宮って熊野の新宮かしら?」
「そうです。その人は熊野水軍お船に乗って琉球に行ったようです」
「熊野なら稲田姫(いなだひめ)様の子供たちが作った国よ」
「えっ、熊野もスサノオの神様と関係があったのですか」
「熊野に祀られているのは父なのよ。わたしの義弟(おとうと)のイタケルと義妹(いもうと)のオオヤツヒメツマツヒメの三人が熊野に木の種を蒔いて木(きい)の国(紀伊国)を造ったのよ」
「そうだったのですか」
「出雲に熊野という山があって、山の上に父が祀られているらしいわ。熊野という名前は出雲の熊野山から取ったのよ。義弟たちは熊野の山の上に父を祀って、その地を新宮って名付けたらしいわ」
スサノオの神様が祀られている山は、新宮にあるのですか」
「最初に祀られた山は新宮にあるわ。今は本宮(ほんぐう)にも祀られているわよ。義弟たちは新宮を拠点にして、船の材料になる楠木(くすのき)を熊野の山々に植えたのよ」
「船になる木を植えたのですか」
「そうよ。その木が増えて、船をどんどん造って、熊野は水軍として活躍するようになったのよ」
「そうでしたか。スサノオの神様をお祀りしているのなら、是非とも、熊野まで行かなければなりませんね」
「あそこには古い神様がいっぱいいるわ。あなたが探している人を知っている神様もいるかもしれないわね」
玉依姫様、あなたが琉球に行った時、サスカサヌルはいたのでしょうか」とサスカサが聞いた。
 ササは驚いてサスカサを見た。
 サスカサはスサノオの声も玉依姫の声も聞いていた。サスカサが身に付けている勾玉(まがたま)は、豊玉姫スサノオからもらった勾玉の一つなので、声が聞こえたようだった。勾玉を身に付ければ、誰でも神様の声が聞こえるというものでもない。サスカサもヂャンサンフォン(張三豊)のもとで一か月の修行をしたお陰で、潜在能力が目覚めて、シジ(霊力)が高まったのだった。
「わたしが琉球に行ったのは十五の時だったけど、サスカサは大里(うふざとぅ)にいたわよ。母の従妹(いとこ)が初代のサスカサだったわ」
「その時の大里グスクは、『月の神様』を祀っているウタキ(御嶽)のある所でしたか」
「いいえ。あのウタキには按司と言えども男の人は入れないわ。グスクはあのウタキの手前にあったのよ」
「ありがとうございます。これで謎が解けました」
「あなたがサスカサを継いだのね。月の神様をお願いね」
「はい」とサスカサは言って両手を合わせた。
 ササも両手を合わせて、玉依姫を見送ったあと、「あんた、凄いじゃない」とサスカサの肩をたたいた。
 サスカサは嬉しそうな顔をして、「ササ姉(ねえ)のお陰ですよ」と言った。
 高橋殿の屋敷に帰ると、ササは高橋殿に新宮の十郎の事を聞いた。高橋殿も知らなかったが、新宮の孫十なら知っていると言った。
「新宮の孫十は熊野の水軍の大将よ」
「新宮の十郎は二百年も前の人なんです。もしかしたら、孫十という人は十郎の子孫かもしれないですね」
 新宮の十郎の事を調べるために熊野に行きたいとササが言うと、高橋殿は少し考えてから、「熊野に行きましょう。御台所様(みだいどころさま)と一緒にね」と楽しそうに言った。
 高橋殿は北山殿(きたやまどの)(足利義満)が健在だった頃、熊野に六回も行っていた。表向きは熊野信仰による参詣だったが、裏では熊野の山伏や比丘尼(びくに)(尼僧)、熊野水軍を味方に付けるための熊野行きだった。北山殿が亡くなってからは行っていない。山伏たちの動向を確認するためにも、行った方がいいかもしれないと高橋殿は思った。
「先達(せんだつ)に頼んでみるわ」と高橋殿は言った。
「先達って何ですか」とササは聞いた。
「熊野の山伏よ。熊野に行くには先達に従わなければならないの。色々と決まりがあってね、行く前にも精進屋(しょうじんや)という所に籠もって、身を清めなければならないのよ」
「そうなんですか」
 軽い気持ちで熊野まで行って来ようと思っていたササは、面倒くさそうだと思いながらも、ヤマトゥに来たのだからヤマトゥの作法に従わなければならないと思い、高橋殿に任せる事に決めた。
「熊野まで何日くらい掛かりますか」
「十日くらいね。行って帰って来て二十日余りってところよ」
「二十日ですか‥‥‥」
 思っていたよりも熊野は遠いようだった。
 熊野には本宮、新宮、那智(なち)と三つの聖域があって、その三つをお参りする事を『熊野詣で』と言った。熊野は古くから山伏たちの修行の山だった。京都から遙かに遠い異国の地ともいえる熊野まで、苦しい思いをしてまでもお参りに行くというのを流行(はや)らせたのは、藤原氏から政権を取り戻した白河上皇(じょうこう)だった。
 白河上皇は御先祖様の『スサノオ』を祀っている熊野に十二回も行っている。白河上皇の孫の鳥羽上皇(とばじょうこう)は二十二回、鳥羽上皇の息子の後白河上皇は三十四回、後白河上皇の孫の後鳥羽上皇は二十九回と、実権を握った上皇たちは驚くほど何回も熊野御幸(ごこう)をしていた。上皇に従って熊野に行った大勢の貴族たちは、京都に帰って熊野の素晴らしさを伝え、貴族たちがこぞって熊野参詣に赴く事になる。
 承久(じょうきゅう)の乱(一二二一年)で、鎌倉幕府の北条氏に敗れた後鳥羽上皇は、権力の基盤だった荘園を奪われて、以後、上皇の熊野参詣はなくなってしまう。しかし、熊野の山伏や比丘尼たちの活躍と、時衆(じしゅう)の聖(ひじり)たちの宣伝によって、熊野信仰は広まり、貴族たちに代わって、武士や庶民たちが参詣するようになる。南北朝の争いの時は、熊野の山伏や水軍たちも争いに巻き込まれて戦っていたが、南北朝の争いも終わって、熊野参詣は再び活気を帯び、先達に連れられて参詣する人たちが増えていた。
 ササたちより三日遅れて、琉球の交易船が兵庫に着き、ササたちは奈美から知らせを受けて、行列に参加した。三弦(サンシェン)と笛と太鼓の音楽は琉球らしいと評判になって、三弦が欲しいという者が大勢現れた。平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)は来年、必ず持って来ると約束した。新助と相談しながら描いた栄泉坊の龍の旗も評判はよかった。琉球というのは龍宮(りゅうぐう)の事ではないのかと噂になっていた。
 ヤグルーの話だと、兵庫港にいた明国の船は結局、上陸の許可は下りずに追い返されたという。その船に冊封使(さっぽうし)が乗っていて、将軍様冊封を受けるわけにはいかないので追い返したようだった。
 等持寺(とうじじ)に着くと高橋殿が迎えに来て、ササたちは将軍様の御所に入り、御台所様と再会した。
 御台所様の日野栄子は、「来るのが遅いから心配していたのよ」と言って嬉しそうに笑った。
「高橋殿から聞いたわよ。今年は熊野参詣に行くんですってね。楽しみだわ」
 御台所様はササのために、歴史に詳しいお公家(くげ)さんを呼んでくれた。
 新宮の十郎は鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の叔父で、父親は保元(ほうげん)の乱(一一五六年)で敗れて、船岡山で首を斬られた源為義(みなもとのためよし)だという。
 船岡山で首を斬られたと聞いてササは驚いた。しかも、首を斬ったのは息子の義朝(よしとも)だという。
 まだ幼かった十郎はその戦(いくさ)には参加していない。熊野別当(べっとう)の行範(ぎょうはん)に嫁いだ姉の丹鶴姫(たんかくひめ)と一緒に新宮で暮らしていた。父の死から三年後、平治の乱が起こって、十郎は長兄の義朝と一緒に戦うが敗れてしまう。勝利した平清盛(たいらのきよもり)は実権を握って、以後、平家の全盛時代となる。義朝は戦死して、十郎は熊野に逃げて、二十年間にも及ぶ潜伏生活を送る。
 二十年後、京都に呼ばれた十郎は三条宮(さんじょうのみや)(以仁王(もちひとおう))と会い、平家打倒の令旨(りょうじ)を各地にいる源氏の武将たちに伝える。
 甥の頼朝(よりとも)(長兄義朝の三男)が伊豆で挙兵して、十郎も美濃(みの)(岐阜県)、三河(みかわ)(愛知県)で平家軍と戦うが大敗を喫し、鎌倉にいる頼朝を頼る。しばらく鎌倉に滞在するも、頼朝と対立して信濃(しなの)(長野県)の木曽に行き、甥の義仲(次兄義賢の次男)と行動を共にする。北陸で平家軍を破って、義仲と共に入京を果たすが、義仲と対立して京都を離れる。播磨(はりま)(兵庫県)で平家軍と戦うが敗れて、河内(かわち)(大阪府)に逃げる。義仲が義経(頼朝の弟)率いる頼朝軍に討たれ、壇ノ浦で平家が滅ぼされたあと、十郎は京都に戻って義経に接近する。義経と共に頼朝に対抗するがかなわず、義経と別れて半年間の逃亡の末、和泉(いずみ)(大阪府)で敵兵に囲まれて戦死した。
 新宮の十郎は平家を倒すために、妻と子を置いて琉球から去って行ったのだろう。平家を滅ぼす事には成功したが、甥の頼朝との戦に負けて戦死してしまった。戦はあまりうまくはなく、協調性もあまりないようだが、源氏の武将として、それなりの一生を送ったようだとササは思った。
 二日後、先達の住心院(じゅうしんいん)殿が迎えに来て、ササたちは京都の外れの山の中にある住心院内の精進屋に入った。
 ササ、サスカサ、シンシン、シズ、ナナの五人と高橋殿、御台所様、対御方(たいのおんかた)、平方蓉(ひらかたよう)、奈美の五人が一緒に精進屋に入って身を清めた。肉や魚を断った質素な食事を食べて、大声を出したり騒いだりする事もできず、お経を読んだり、真言(しんごん)と言われる不思議な言葉を唱えたり、水垢離(みずごり)をしたりと退屈な時を過ごし、ササはうんざりしていたが、なぜか毎晩、酒盛りがあって、騒がず静かにお酒を楽しんだ。高橋殿はお酒が好きで、いくら飲んでも酔う事はなかった。
 精進屋に入って四日目、お輿(こし)に乗って、御霊社(ごりょうしゃ)、今宮神社、北野天満宮、佐女牛八幡宮(さめうしはちまんぐう)、新(いま)熊野神社祇園社(ぎおんしゃ)をお参りした。久し振りに外に出たので楽しかったが、お参りのあとには必ず酒盛りがあって、ササたち五人は皆、途中で酔い潰れ、気がついた時には精進屋に戻っていた。
 次の日、ササたちは二日酔いで頭ががんがんしていたのに、高橋殿は平気な顔をして、夕方になると、うまそうにお酒を飲んでいた。
 夜中の旅立ちだった。ササたちは皆、山伏の格好になり、杖(つえ)を突いて暗い夜道を進んだ。精進屋を出て苦行の参詣が始まり、身分の高い者でもお輿(こし)に乗ったり、馬に乗ったりして参詣する事は許されなかった。
 本来、女性は垂れ絹を付けた市女笠(いちめがさ)をかぶって行くのだが、そんなのをかぶっていたら景色もろくに見えないし邪魔なので、山伏姿で行く事を高橋殿が主張して、先達としても逆らえなかったのだった。
 将軍様も見送りに来て、「無理はするなよ」と妻の栄子をいたわり、「わしも一緒に行きたいのう」と羨ましそうな顔をした。
 住心院の山伏たちが松明(たいまつ)を持って先導し、中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)が弟子を二人連れ、将軍様の側近の赤松越後守(えちごのかみ)が警護の兵を率いて従っていた。他に御台所様の侍女が二人、高橋殿の侍女が二人、対御方の侍女が二人従い、荷物持ちの男が十人、重い荷物を背負って従っていた。
 夜が明ける頃、淀川のほとりにある船津に着いて船に乗り込んだ。景色を眺めながらの楽しい船旅だったが、船の中でも酒盛りが始まった。高橋殿のお酒好きにはササは閉口していた。去年、伊勢に一緒に行った時もお酒を飲んではいたが、こんなにも強いとは知らなかった。お酒を飲んだら眠くなってしまい、目が覚めたら夕方近くになっていた。日暮れ前に渡辺津に着いて、迎えに来てくれた摂津(せっつ)の守護代、奈良弾正(だんじょう)の案内で大きなお寺に行って、そこに宿泊した。
 二日目は天王寺(てんのうじ)と住吉大社にお参りして、和泉(いずみ)の国府まで行って、また大きなお寺に泊まった。和泉の守護代、宇高安芸入道(うだかあきにゅうどう)が途中で出迎えて、案内してくれた。立派なお寺に泊まるのはいいが、厳重に警護されて、何となく窮屈だった。
「仕方ないのよ」と高橋殿が言った。
「御台所様にもしもの事があったら責任を取らなくてはならないわ。あの人たちも必死なのよ。気にしないで、楽しい旅にしましょう」
 三日目は樫井(かしい)の王子という神社で、お神楽(かぐら)を奉納した。ササが笛を吹いて、高橋殿が華麗な舞を披露した。川辺川(かわなべがわ)(紀ノ川)という大きな川で水垢離をした。熊野への参詣道には、王子と呼ばれる熊野権現御子神(みこがみ)を祀った神社がいくつもあって、道中の安全を祈願した。
 渡し舟に乗って川を渡り、和佐峠(わさとうげ)でひと休みして、例のごとく、お酒を飲んでいると、熊野水軍の大将、藤代(ふじしろ)の鈴木庄司が兵を引きつれて迎えに来た。高橋殿は鈴木庄司を呼んでお酒を勧めた。鈴木庄司は恐縮してひざまずき、高橋殿のお酒を頂くと、
「お久し振りでございます。相変わらずなので、安心いたしました」と言った。
 鈴木庄司の案内で大きなお寺に行き、その夜はささやかな宴(うたげ)が開かれた。参詣の途中なので、贅沢な料理は食べられない。それでも珍しい木の実や果物があって、おいしかった。鈴木庄司はササたちが琉球から来たと聞くと驚いて、色々と聞いて来た。ナナが朝鮮(チョソン)から来たと聞くとさらに驚き、シンシンが明の国から来たと聞くと目を丸くして高橋殿を見た。
「恐れ入りました」と鈴木庄司は頭を下げた。
「御台所様の周りには色々な御方がおりますのう。天下無敵の高橋殿だけでなく、琉球、朝鮮、明国などと、わしら田舎者にはとても考えられん御方たちじゃ。大したもんじゃのう」
「何をおっしゃいます。天下無敵などと。それは昔の事でございますよ」と高橋殿は謙遜したが、鈴木庄司は手を振って、
「今でも熊野の山伏、比丘尼、そして、わしら水軍の者たちは高橋殿を慕っております。高橋殿が一声掛ければ、熊野の者たちは皆、喜んで馳せ参じましょう」と言った。
「嬉しい事を。将軍様もさぞ喜ぶ事でございましょう」
 ササは鈴木庄司に、新宮の十郎の事を聞いた。
琉球の御方が新宮の十郎殿を御存じなのですか」と鈴木庄司は驚いて、「新宮の十郎殿は熊野の英雄でございます」と自慢した。
「今から二百年余り前、平家の全盛期でございました。新宮の十郎殿は平家打倒の三条宮様の令旨を持って各地の源氏の大将を訪ねて、決起を促しました。十郎殿の活躍のお陰で平家は滅んで、十郎殿の甥の頼朝殿が鎌倉に幕府を開いたのでございます。十郎殿は戦死されてしまいましたが、今も子孫たちが新宮を拠点に水軍として活躍しております」
「孫十殿ですね」
「ほう、よく御存じで。孫十はわしらと一緒に南朝方として戦っておりましたが、今では高橋殿に口説かれて将軍様に従っております。奴に聞けば、十郎殿の事も詳しい事がわかるに違いありません」
 次の日、鈴木庄司の案内で、藤代の王子を参拝した。藤代峠は眺めがよく、美しい眺めを堪能しながらお酒を飲んだ。山をいくつか越えて、川を渡ると玉置左衛門尉(たまきさえもんのじょう)が待っていた。鈴木庄司は玉置左衛門尉にあとの事を頼むと、挨拶をして引き上げて行った。
 玉置左衛門尉は御台所様と高橋殿に慇懃(いんぎん)に挨拶をすると、引き連れて来た兵たちを配置に付けて案内に立った。翌日は湯川宮内少輔(ゆかわくないしょうゆう)、その翌日は山本中務丞(やまもとなかつかさじょう)と地元の武将たちが代わる代わる現れて、警護と案内役を務めた。覚悟はしていたが、御台所様と一緒では気楽な旅はできなかった。
 京都を発ってから六日目、切目王子(きりめおうじ)では面白い習わしがあった。ここを通る者は皆、顔にきな粉を塗って、「稲荷(いなり)の氏子、こう、こう」と言わなければならなかった。ササたちは勿論の事、高橋殿や御台所様まで、顔にきな粉を塗って、お互いの顔を見て、笑い合いながら通過した。馬鹿げた事をと言いながらも、中条兵庫助も顔にきな粉を塗って、狐の真似をしたのはおかしかった。
 切目王子から田辺までは海辺近くの道をのんびりと歩いて、時々、海に入って潮垢離(しおこり)をした。勿論、潮垢離のあとはお清めの酒盛りだった。
 七日目に稲葉根王子(いなばねおうじ)にお参りして、中辺路(なかへち)と呼ばれる熊野参詣道に入った。岩田川(富田川)で水垢離をして、山本中務丞が用意してくれたお昼を食べながらお酒を飲んだ。
「岩田川は三途(さんず)の川でございます」と住心院殿が言った。
「熊野は浄土(じょうど)でございます。本宮は阿弥陀如来(あみだにょらい)様の極楽浄土、新宮は薬師如来(やくしにょらい)様の浄瑠璃浄土(じょうるりじょうど)、那智は観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)様の補陀落浄土(ふだらくじょうど)でございます。浄土に行くには、まず、死ななければなりません。三途の川を渡って一旦、死んで、浄土に行って成仏(じょうぶつ)して、生まれ変わって現世に戻って来るのでございます」
 川の中を腰まで水に浸かって歩いて渡り、岩田川に沿って山の中へと入って行った。山本中務丞は川を渡らず、兵たちを連れて帰って行った。高橋殿もうっとうしいと思って、追い返したようだ。
 何度も川の中を歩いて滝尻王子(たきじりおうじ)に着き、お神楽を奉納して、お酒を飲んだ。滝尻王子には宿坊(しゅくぼう)がいくつも建っていて、大勢の山伏たちがいた。
 大きな鳥居をくぐって山道に入って行った。その日は、山の中の高原谷(たかはらだに)にある石王兵衛(いしおうびょうえ)の屋敷にお世話になった。山奥に来たという感じがして、ササたちはようやく熊野に来たという事を実感していた。
 石王兵衛は一流の面(おもて)打ち師だという。高橋殿の突然の来訪を大歓迎してくれた。
 石王兵衛が打った翁(おきな)の面を掛けて高橋殿が舞った。幽玄な舞で、まるで、高橋殿は神様のように見えた。ササたちは思わず両手を合わせていた。
 ササは凄いと感激していたが、石王兵衛は満足していなかった。
「そなたが来てくれてよかった。最高の面ができたと自惚れていたが、そなたの舞に完全に負けておる。やり直しじゃ」
 そう言って、面を鉈(なた)で割ってしまった。
 ササたちは驚いて石王兵衛を見たが、石王兵衛は面の事などすっかり忘れたような顔をして、高橋殿に京都の様子などを聞いていた。
 夜遅くまで飲んでいて、翌朝、目を覚ますと石王兵衛は面を打っていた。
「面を打ち始めたら、もう何を言っても耳に入らないわ」と高橋殿は首を振った。
 ササたちは一心不乱に面を打っている石王兵衛と別れて、険しい山道を熊野へと向かった。御台所様も武当拳(ウーダンけん)の稽古を怠りなくやっているとみえて、弱音は吐かなかった。
 急な下り坂を下りると宿坊がいくつも建っている近露(ちかつゆ)という所に出て、そこでお昼を食べてお酒を飲んだ。ササたちもお酒のうまさがわかるようになって、楽しい一時を過ごして、また山道を進んだ。曲がりくねった道を登ったり下りたりして、着いた所は湯川と呼ばれる山の中の村だった。湯川宮内少輔の本家があって、村に住んでいるのは湯川一族で、参詣者のための宿坊をやっていた。ササたちは湯川の長老の宿坊のお世話になった。長老は高橋殿との再会を喜び、歓迎してくれた。
 次の日、『発心門(ほっしんもん)』という大きな鳥居をくぐった。ここから熊野本宮の神域に入るという。今まで突いていた杖を発心門王子に奉納して、金剛杖(こんごうづえ)という四角に削られた杖に変えられた。金剛杖を突きながら山道を進んで行くと、山の上から川の中洲にある本宮大社が小さく見えた。山々がずっと連なっている中に見えるその姿は神々しく、まさしく神様の社(やしろ)に見えた。ササたちは知らずに両手を合わせていた。
 山道を下って行くと宿坊が建ち並ぶ門前町に出て、音無川(おとなしがわ)を杖を突いて渡り、中洲に建つ『本宮大社』の門前にひざまづいて両手を合わせた。
 本宮大社の中には入らず、また川を渡って門前町に戻った。宿坊に入って恒例の酒盛りが始まるのかなと思っていたら、また山道に入った。『湯の峰』という所で湯垢離(ゆごり)をするという。
 ササたちは初めて温泉に入って感激した。温泉から出るとちょっと一杯やって、山を下りた。宿坊に入ってまた一杯やって、夜になって本宮大社に行き、月明かりの下で、いくつもある社殿にお参りした。
 古い神様がいっぱいいるようだったが、ササに話し掛けて来る神様はいなかった。サスカサもシンシンもシズもナナも神様の声は聞かなかった。

 

 

 

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)   熊野詣 三山信仰と文化 (講談社学術文庫)

2-93.鉄炮(改訂決定稿)

 側室のハルはほとんど佐敷ヌルの屋敷に入り浸りで、二人の侍女も佐敷ヌルを尊敬したようで、真剣に武当拳(ウーダンけん)を習っていた。
 石屋のクムンは職人たちと一緒に、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの石垣を見て回って修繕していた。職人の中に腕のいい老人がいて、若い者たちに教えていた。
「タラ爺(じい)はわしの祖父の弟子で、親父や叔父よりも腕のいい石屋です。タラ爺だけは、わしを裏切らずにずっと、わしを助けてくれました」とクムンは言った。
 タラ爺は、「石の声を聞け」とよく言っていた。石もしゃべるのかとサハチ(中山王世子、島添大里按司)は感心し、タラ爺の見事な仕事振りを見ながら、首里(すい)グスクの北曲輪(にしくるわ)の石垣をクムンたちに頼もうかと考えていた。今の北曲輪は石垣ではなく、そこだけが場違いのように土塁に囲まれていた。
 ウニタキ(三星大親)は本当に久高島(くだかじま)に行って来ていた。進貢船(しんくんしん)の帰国祝いの宴(うたげ)の次の日、ウニタキは旅芸人たちを送り出した。まずは東方(あがりかた)を巡って、観客たちの反応を見て、直すべき所を直してから敵地に送り込むという。旅芸人たちを見送ったあと、妻のチルーと娘のミヨン、ファイチ(懐機)の妻のヂャンウェイ(張唯)と娘のファイリン(懐玲)を連れて久高島に行き、フカマヌルと娘のウニチルと一緒に、海に潜って遊んできたと楽しそうに言った。
「ファイチは連れて行かなかったのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「ファイチも誘ったんだが、忙しいから妻と娘を頼むって言われたよ」
「ワンマオ(王茂)が国相(こくしょう)になったから、久米村(くみむら)に新しい組織を作るって言っていたな。進貢船が増えたからファイチも大変なのだろう。そう言えば、リリーが産んだ娘は元気なのか」
「ああ、元気だよ。リリーは早く仕事に復帰したいようだが、今は子育てに専念している」
「そうか。きっと、母親に似て、足の速い娘になるだろう」
「そうだな。お前の息子はまだ首里にいるのか」
「乳離れしたら、こっちに連れて来るそうだ」
「可愛い側室が来たそうだな」とウニタキは笑った。
「会ったのか」
「いや、シチルーから聞いたんだよ。配下の者に見張らせているが、今の所、怪しい素振りはないようだ」
「石屋の方はどうだ?」とサハチは聞いた。
「石屋も今の所は島尻大里(しまじりうふざとぅ)に行った者はいない」
「そうか。侍女から石屋を通して、シタルー(山南王)に知らせるという流れだな」
「側室なんだが、シタルーはタブチ(八重瀬按司)にも贈っているぞ。ハルと同じように粟島(あわじま)(粟国島)から来た娘だ」
「なに、シタルーは兄貴に側室を贈っているのか」
「中山王(ちゅうざんおう)と山南王(さんなんおう)が同盟を結んだのを機に、八重瀬(えーじ)グスク内を探るつもりなんだろう」
「タブチは受け取ったのか」
「ああ、喜んで受け取ったようだ。そして、タブチもシタルーに側室を贈っている」
「兄弟で何をやっているんだ」
「タブチも山南王の座を諦めていないのだろう。島尻大里グスクに味方を送り込めば、シタルーの隙を見て、グスクを奪い取る事もできるからな」
「シタルーが贈った側室は刺客(しかく)かもしれんぞ。タブチを殺して、東方を狙っているに違いない」
「同盟を結んだお陰で、あちこちで動きが始まった。仲直りしようと笑いながら、裏では相手を倒す計画を練っている。面白くなって来たな」
「シタルーで思い出したんだが、お前に聞きたい事があったんだ。座波(ざーわ)ヌルというのを知っているか」
「シタルーの側室だろう」とウニタキは知っていた。
「ハルは幼い頃、両親を亡くして、座波ヌルの世話になっていたらしい」
「ほう、そうだったのか。すると、シタルーはハルの才能を見抜いて粟島に送ったのかな」
「ハルが粟島に行ったのは四年前だ。その前に、シタルーは座波ヌルを側室にしたという事になる」
「いや、もっと前だぞ。あれは確か、ンマムイ(兼グスク按司)の阿波根(あーぐん)グスクを築いている頃だ。武寧(ぶねい)(先代中山王)に頼まれて、シタルーも阿波根グスクの普請(ふしん)に関わっていたようだ。阿波根に行く途中、座波で会ったのだろう。当時はまだ若ヌルだった。シタルーは若ヌルを側室にしたが、グスクには入れずに、そのまま座波に置いていた。座波ヌルに反対されたのかどうかは知らんが、シタルーが通っていた。子供も二人いるはずだよ。阿波根グスクにも出入りしていて、ンマムイの奥さんとも仲がよかったようだ」
「シタルーは今も座波ヌルのもとに通っているのか」
「去年、座波ヌルが亡くなって、若ヌルは座波ヌルを継いだんだ。先代が亡くなった後は頻繁に出入りしているようだ。グスクにも側室は何人もいるんだが、中山王と同じように、王様になるとグスクから出たくなるらしいな」
 ウニタキは笑って、「今帰仁(なきじん)に送る『まるずや』の人選をしなくてはならん」と言って帰って行った。
「タブチを守ってくれよ」とサハチはウニタキの背中に声を掛けた。
 ウニタキは、「わかっている」と言うように手を振った。
 ウニタキが帰ったあと、サハチはナツを連れてグスクを出た。子供たちは佐敷ヌルの屋敷で遊んでいるという。
「散歩にでも行くか」とサハチが言うと、
「どういう風の吹き回しですか」とナツは怪訝(けげん)な顔をして聞いた。
「お前に子供たちの面倒を任せっきりだからな、たまには息抜きした方がいいと思ったんだよ」
「まあ」と笑って、ナツは嬉しそうにサハチに付いて来た。
「二人だけで散歩するなんて久し振りですね」
「ただの散歩じゃないんだよ」とサハチは言った。
「えっ?」とナツはサハチの顔を見た。
「チューマチの事なんだ。来年、山北王(さんほくおう)の娘がお嫁に来るだろう。親父もマチルギも東曲輪(あがりくるわ)に屋敷を建てればいいと言ったんだが、よく考えたら、それではまずい事に気づいたんだ。山南王は、嫁いで来た山北王の娘のために『保栄茂(ぶいむ)グスク』を築いて、山北王は五十人の兵を送ってよこした。もし同じ事が起これば、山北王の兵を島添大里グスクに入れなくてはならなくなる。それはうまくない。チューマチのために、新しいグスクを築かなければならないんだよ」
「でも、ジルムイやイハチがグスクを持っていないのに、チューマチだけがグスクを持つなんて、おかしくないですか」
「ジルムイは首里のサムレーになっていて、イハチは島添大里のサムレーになっている。チューマチも島添大里のサムレーにするつもりだったんだが、お嫁さんが山北王の娘となるとそうもいくまい」
「クルーの奥さんは山南王の娘だけど、佐敷グスクの東曲輪にいますよ」
「そうか。チューマチにグスクを築くのなら、クルーにも築かなければならんな」
「そうですよ。チューマチより先に、クルーのグスクを築くべきです」
 サハチとナツは話をしながら、島添大里グスクの東側にある見張り小屋の所に来た。馬天浜(ばてぃんはま)を見下ろせる眺めのいい所で、シンゴ(早田新五郎)の船が来る頃にはここに見張りを置いていた。
「ここに建てたらどうかと思ったんだ」とサハチはナツに言った。
「ここにチューマチのグスクを?」
「そうだ。島添大里グスクの出城だな」
 サハチは周辺を歩いてみた。所々に岩が出ているが、整地をすればグスクが築けそうだと思った。
津堅島(ちきんじま)が見えるわ」とナツが言った。
 サハチも海の方を見た。
「今度、子供たちを連れて津堅島に行くか」
「ほんと?」
「ああ。次の進貢船の準備が終わったらな」
「お婆が歓迎してくれるわ」
 サハチは笑って、「もう一カ所あるんだ」と言った。
 サハチはナツを連れて、来た道を戻った。
 グスクまで戻って、城下の村を通り越して行くと小高い山がある。『ギリムイグスク』と呼ばれて、島添大里按司が玉グスク按司と争っていた百二十年ほど前、大グスクに対する守りとして築かれたグスクだった。玉グスクの若按司浦添按司(うらしいあじ)になったあと、島添大里按司と玉グスク按司は同盟を結んで、ギリムイグスクの役割は終わって廃城となった。山の中に古いウタキ(御嶽)があって、サスカサ(島添大里ヌル)がお祈りをしているので道はあった。
 細い道を登って行くと古い石垣が残っていて、それなりの広さもあったが、眺めはあまりよくなかった。
「サスカサが神様から聞いた話によると、このグスクは島添大里グスクよりも古いらしい。島添大里グスクには『月の神様』を祀ったウタキがあるので、男は入る事ができず、最初はここにグスクを築いたのかもしれないとサスカサは言っていた」とサハチはナツに説明した。
「ここよりは見張り小屋の所の方がいいわよ」とナツが言った。
「そうだな」とサハチはうなづいて、「この石垣の石は使えそうだな」と言った。
 翌日、サハチは首里に行き、思紹(ししょう)(中山王)とマチルギに相談して、見張り小屋の所にチューマチのグスクを築く事に決めた。その足で佐敷まで行き、クルーと会って、グスクを築かないかと聞いた。クルーは驚いて、使者になりたいので、グスクはいらないと言った。
「佐敷グスクの東曲輪には、やがて、マサンルーの子供たちが入る事になる。いつまでも、あそこにいるわけにはいかないんだ。お前もどこかに拠点を持って独立した方がいい」
 サハチがそう言うと、クルーは少し考えてから、手登根(てぃりくん)がいいと言った。
「手登根?」
「ササが『セーファウタキ(斎場御嶽)』に行く時、手登根から山を越えて知念(ちにん)に抜けたんです。あそこに道があればいいと言っていました。俺が山の麓(ふもと)にグスクを築いて、知念に抜ける道を作ります」
「お前が道を作るのか」とサハチは意外な答えに驚いてクルーを見ていた。
「セーファウタキは御先祖様がいらっしゃる重要なウタキだとササは言っていました。セーファウタキまでの道をちゃんと作って、セーファウタキを守らなければなりません」
「そうだな。御先祖様の豊玉姫(とよたまひめ)様を守らなくてはならんな。よし、手登根にグスクを築いて、お前は『手登根大親(てぃりくんうふや)』を名乗れ」
 サハチはクルーと一緒に手登根まで行って、グスクを築く場所を決めて、「縄張りを考えて、親父の所に持って行け」と言った。
 七月になって、九月に送る進貢船の準備でサハチも忙しくなり、首里にいる事が多くなった。
 久し振りに島添大里に帰ると、佐敷ヌルとユリはシビーを連れて、与那原(ゆなばる)のお祭り(うまちー)の準備に行っていた。何と、ハルと二人の侍女も付いて行ったという。
 ハルと侍女が刺客(しかく)かもしれないから気を付けろと佐敷ヌルには言ってあるが、マタルー(与那原大親)が心配だった。マタルーの妻のマカミーはタブチの娘なので、シタルーがマカミーの命を狙っているかもしれなかった。
「おしゃべりばかりしていて、時々、うるさいって思ったけど、いなくなると寂しいわね」とナツは言った。
「ハルは刺客だと思うか」とサハチはナツに聞いた。
「違うと思います。あの娘(こ)、隠し事なんかできませんよ」
「侍女の二人はどうだ?」
「あの二人も違います。ハルと違って、あの二人が按司様(あじぬめー)を殺すには、このお屋敷に忍び込まなければならないけど、あの二人はそんな技術は持っていません。ハルが言っていましたけど、粟島には特別なお稽古をする場所があって、そこは選ばれた人だけが行けるようです。ハルも来年は、そこでお稽古をする予定だったみたい。急にお嫁に行けって言われて、がっかりしていたんだけど、ここに来てよかったって言っていました」
「その特別なお稽古というのが、刺客を育てている所だな」
「多分、そうでしょう。侍女の二人は選ばれなかったらしいですよ」
「成程な、自分でも言っていたが、侍女たちよりも強いというのは本当らしいな」
「シビーと剣術の試合をしたんだけど、簡単に勝っていました。シビーは悔しがって、夜遅くまでお稽古に励んでいますよ」
「そうか。いい競争相手ができたな。シビーも強くなるだろう」
 七月の半ば、今年も三姉妹がやって来た。今年は三隻の船で来て、一隻は鄭和(ジェンフォ)と一緒にタージー(アラビア)まで行って来た船だった。荷物を積んだまま船ごと奪い取って、そのまま琉球まで持って来たという。
 サハチたちは驚いて、一体、どうやってそんな事ができたのかを聞いた。
 三年前、ウニタキが明国(みんこく)に送ったマニとイサの二人が、三姉妹のために裏の組織を作って、各地の情報を集めていた。一か月前、鄭和と一緒にタージーまで行った船が次々に帰って来て、杭州(こうしゅう)の街はお祭り騒ぎになっていた。
 タージーから帰って来た船の一隻が、報酬の事で船主と船乗りが争い、船乗りが怒って船を降りてしまい、街から離れた川縁(かわべり)に置きっ放しにされていた。その事を知ったマニとイサは三姉妹に知らせ、ジォンダオウェン(鄭道文)が海賊たちを率いて襲撃したのだった。
 船を守っている兵は二十人ほどいたが、無事の帰国を喜んで、酒を飲んで酔い潰れていた。思っていたよりも簡単に奪い取る事ができたという。
「凄いお宝がたっぷりと積み込まれているわ」とメイファン(美帆)は笑った。
 メイファンは今年もチョンチ(誠機)を連れてやって来た。メイリン(美玲)はスーヨン(思永)を連れ、メイユー(美玉)とリェンリー(怜麗)は今年も旧港(ジゥガン)(パレンバン)まで行っていた。ユンロン(芸蓉)も今年は来ていて、リュウジャジン(劉嘉景)の長男のミンウェイ(鳴威)が、奪った船の船長になって来ていた。
 そして、奪った船に乗っていたという鉄炮(てっぽう)(大砲)を二つ持って来てくれた。鉄炮はヒューガ(日向大親)の船に積み込んで、沖に出て試し打ちをした。
 物凄い爆発音がして鉄の玉が遠くに飛んで行き、海の中に落ちて行った。
 その船にはサハチ、思紹、苗代大親(なーしるうふや)、ウニタキ、ジォンダオウェンが乗っていて、初めて鉄炮を見たヒューガと苗代大親は目を丸くして驚いていた。思紹はヂャンサンフォン(張三豊)と一緒に海賊の島に行った時に見ていた。
「凄いのう。こいつがあれば敵の船を沈めるのはわけないのう」とヒューガは言った。
「敵を脅す効果はありますが、敵の船に当てるのは難しい」とジォンダオウェンは言った。
「飛ぶ距離は鉄炮の角度で決まります。思い通りの所に玉を飛ばすには、稽古を重ねるしかありませんが、火薬が貴重なので、稽古も思い通りにはできません」
 ジォンダオウェンが持って来た火薬は二十回分くらいだという。
「敵の船に当たらなくても、充分に脅しとして使えるじゃろう」とヒューガは言った。
「こいつはグスク攻めにも使えるな」と苗代大親が言った。
「船よりグスクの方が大きいから、どこかに当たるじゃろうな」と思紹は言った。
 思紹はジォンダオウェンに火薬を手に入れるように頼んだ。
 タージーまで行って来た船には、見た事もないお宝がいっぱい積んであった。象の牙だという象牙(ぞうげ)、動物の毛でできている分厚い敷物、様々な色に輝く宝石、鮮やかな色の布、様々な香辛料と布を染める染料は大量に積んであり、変わった形をした剣や色々な国の酒もあった。ヤマトゥ(日本)の将軍様に贈ったら喜びそうな品々が色々とあり、サハチはジォンダオウェンに感謝した。
 メイユーは島添大里グスクには来なかった。メイユーとハルを会わせたら危険だとマチルギが言って、メイユーは首里にある島添大里按司の屋敷に入った。
 三姉妹は旧港から来た商人という事になっているが、明国の海賊だという事がシタルーにばれてしまうと、シタルーから明国の役人に伝わり、三姉妹の本拠地が永楽帝に狙われる恐れがある。それに、中山王が密貿易をしている事がばれれば、進貢もできなくなるかもしれなかった。
 サハチが首里の屋敷に顔を出すと、メイユーだけでなく、リェンリーとユンロンもいた。
「佐敷ヌルと一緒にお祭りの準備ができないのは残念だったな」とサハチが言うと、
「楽しみにしていたのよ」とメイユーは言った。
「マシュー(佐敷ヌル)に会いにも行けないなんて寂しいわ。ナツにも子供たちにも会えないの?」
「子供たちの口はふさげないからな。メイユーが子供たちに会うと子供たちも喜ぶんだが、ハルにメイユーの事を色々と話してしまうかもしれないんだ。俺も今は忙しくて、なかなか島添大里には帰れない。メイユーがここにいてくれた方がいい」
「奥方様(うなじゃら)はここには来ないの?」
「マチルギはタチの面倒を見なければならないので、今はグスク内の御内原(うーちばる)で寝泊まりしているよ」
「そう。今年はここで、笛のお稽古をしながら、のんびりする事にするわ」とメイユーは笑って、腰に差していた横笛をサハチに見せた。
「船の上でお稽古したのよ」
「メイユーも笛を始めたか」とサハチは笑った。
「あたしたちも始めたのよ」と言って、リェンリーとユンロンも笛を見せた。
「笛があると長い船旅も楽しくなるだろう」とサハチが言うと、三人は笑ってうなづいた。
「メイユー」と呼ぶ佐敷ヌルの声がして、縁側の方を見ると、佐敷ヌルとシビーが顔を出した。
「マシューにシビー」と言って、メイユーは縁側まで行って再会を喜んだ。
 シビーがヂャンサンフォンのもとで修行を積んだ事を聞くと、「もう、あなたはあたしの弟子ではないわ。ヂャン師匠の弟子よ」とメイユーはシビーに言った。
「あたし、やりたい事がみつかったんです」とシビーは言った。
「女子(いなぐ)サムレーになりたいって夢見ていたんですけど、佐敷ヌルさんを助けてお祭りの準備をしていて、このお仕事があたしのやるべきお仕事じゃないかしらって思うようになりました」
「シビーがあたしの跡を継いでくれるって言ったのよ」と佐敷ヌルが嬉しそうに言った。
「あたしはあと何年かしたらヤンバル(琉球北部)に行かなければならないの。シビーがあとを継いでくれれば安心してヤンバルに行けるわ」
「どうしてヤンバルに行くの?」とメイユーが聞いた。
 佐敷ヌルはガーラダマ(勾玉)を見せて、その由来を話した。
 佐敷ヌルの話が一段落すると、サハチは佐敷ヌルにハルの事を聞いた。
「ハルはヂャン師匠の武当拳に夢中になっているわ。あの娘、体は柔らかいし、物覚えはいいし、素質は充分にあるわ。何より、心が綺麗だから、眠っている才能を呼び覚ます事もできるかもしれないってヂャン師匠が言っていたわ」
「心が綺麗か‥‥‥侍女たちも夢中になっているのか」
「侍女たちは武当拳よりもお祭りの準備が好きみたい。二人とも縫い物が得意なのよ。お芝居の衣装を作ってもらっているの。色々と手伝ってくれるので助かっているわ」
「そうか。三人の事、よろしく頼むぞ」
「ええ、大丈夫よ」
 その夜、ヤマトゥ酒を飲みながら、女たちは遅くまで語り合っていた。前日の寝不足がたたって眠くなり、サハチは先に休んだ。

 

 

 

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2-92.ハルが来た(改訂決定稿)

 六月になってウニタキ(三星大親)が与論島(ゆんぬじま)から帰って来た。
「麦屋(いんじゃ)ヌルは馬天(ばてぃん)ヌルに預けたけど、会って来たか」とサハチ(中山王世子、島添大里按司)が聞くと、ウニタキはうなづいた。
「慈恩禅師(じおんぜんじ)殿がヤンバル(琉球北部)から連れて来た、しゃべれない娘と一緒にいたよ。一緒に『キーヌウチ』にあるウタキ(御嶽)を拝んでいるそうだ」
「なぜか、麦屋ヌルになついてしまったようだな。もしかしたら、母親に似ているのかもしれんな」
「名前もわからないので、カミーと呼ばれている」
「馬天ヌルが名付けたのか」
「そうらしい。耳も聞こえないようだからカミーと呼ばれてもわからないはずなんだが、そう呼ぶと笑うそうだ。本当にカミーという名前なのかもしれないな。ところで、『三王同盟』になったんだってな。今帰仁(なきじん)で聞いて驚いたよ」
「なに、今帰仁に行ったのか」
「ついでだから、ちょっと寄ってみたんだ。そしたら城下はお祭り騒ぎだった。お前の親父から事の成り行きを聞いたが、面白い展開になったもんだな」
「忙しくなるぞ。特にお前はな」
「ああ。王様(うしゅがなしめー)が『三星党(みちぶしとー)』のために、キラマ(慶良間)の若い者を百人くれると言った。その百人を使って、ヤンバルをバラバラにしなくてはならん。キンタ(奥間大親の息子)にも協力してもらって、拠点をいくつも作らなければならんな」
今帰仁と名護(なぐ)にある『よろずや』は中山王(ちゅうざんおう)とは関係ないという事になっているが、どことつながりがあるんだ?」とサハチは聞いた。
「『よろずや』は先代の山南王(さんなんおう)(汪英紫)が情報を集めるために作ったが、今は山南王とのつながりはなく、商売に専念しているという事になっているんだよ」
「『よろずや』は今、いくつあるんだ?」
「八店だ。『まるずや』は五店ある」
「今度、今帰仁に作るのは『まるずや』で、『よろずや』とは交流は持たないのか」
「商人同士の付き合い程度だな。山北王(さんほくおう)を倒すまでは、別々に行動した方がいいだろう。もし、同盟が壊れた時、『まるずや』は引き上げなくてはならなくなるが、『よろずや』はそのままいられるからな」
「成程、それもそうだな。先の事はどうなるかわからんからな」
「話は変わるが、シタルー(山南王)は首里(すい)に使者を送って同盟しようと言って来たのか」
「いや、本人がここに来たのさ。二人の供を連れただけでな」
 ウニタキは楽しそうに笑った。
「お前はなめられているんだよ」
「そうかもしれんな。でも、昔のシタルーを見たような気がして、何だか嬉しくなったんだよ。物見櫓(ものみやぐら)の上で話したんだ。帰りに石垣を見ながら、直すべき所が何カ所かある。『石屋』を送るから直した方がいいと言っていた」
「シタルーが石屋を送ると言ったのか」
「ああ。首里には側室を贈ったので、内情はわかるが、ここの事はわからない。石屋を城下に置いて、俺の動きを探るつもりなんだろう。しかし、石屋が来るのはありがたい。そいつを通じて、石屋の頭領と会えるかもしれない。石屋は味方に付けなければならないからな」
「石屋だって商売だ。シタルーに付いているより中山王に付いた方が稼げるだろう。焦らなくても向こうから近づいて来るさ」
「そうなればいいがな。今回は長い間、御苦労だった。早く、帰った方がいいぞ。チルーが首を長くして待っているだろう」
「チルーは対馬(つしま)でアワビ捕りをしたと楽しそうに言っていた。俺は与論島(ゆんぬじま)でカマンタ(エイ)捕りをしたって自慢してやるよ」
「久高島(くだかじま)にでも行って、フカマヌルも一緒に海に潜ってくればいい」
「それもいいかもしれんな」とウニタキは笑うと帰って行った。
 六月十日、正月に明国(みんこく)に行った進貢船(しんくんしん)が無事に帰って来た。正使を務めた程復(チォンフー)は、永楽帝(えいらくてい)からたっぷりとお土産をもらって、故郷に帰って行ったと副使の具志頭大親(ぐしかみうふや)は言った。そして、久米村(くみむら)のワンマオ(王茂)が予定通り『国相(こくしょう)』に任命されたという。
 ワンマオを国相に任命するように頼んだのはファイチ(懐機)だった。以前、アランポー(亜蘭匏)が国相に任じられていたが、アランポーの死後、久米村には国相がいなかった。明国から使者が来た場合、国相がいないと久米村の言い分が通らず、使者の思い通りにされてしまう。それでは具合が悪いので、ワンマオを国相に任じるように頼んだのだった。国相の地位は使者たちよりも高く、琉球に来た使者たちは国相の言い分を聞かないわけにはいかなかった。ワンマオを国相に任じると共に、長年、琉球のために尽くしてくれた程復も名誉職として国相に任じられていた。
 マウシ(山田之子)は興奮した顔で帰って来て、「明国は凄い」と何度も言っていた。外間親方(ふかまうやかた)と一緒に応天府(おうてんふ)(南京)まで行って、明国の都の素晴らしさを堪能してきたという。浦添(うらしい)の若按司のクサンルーと垣花按司(かきぬはなあじ)の次男のクーチも従者として応天府まで行き、非番の時は三人で都を歩き回っていたらしい。
 いつものように会同館(かいどうかん)で帰国祝いの宴(うたげ)があり、遅くまで酒を飲んで、翌日の正午(ひる)頃、首里グスクに顔を出すと、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに山南王から側室が贈られて来たとマチルギから言われた。
「シタルーが俺に側室をか」とサハチは驚いて、マチルギに聞き返した。
「ついさっき、ナツから知らせが来たのよ。どうしたらいいのかわからないので、島添大里に来てくれって」
「石屋を送るというのは聞いているが、側室の話なんてシタルーから聞いていないぞ」
「贈られたものを送り返すわけにはいかないでしょ」とマチルギは言って、サハチとマチルギは龍天閣(りゅうてぃんかく)にいる思紹(ししょう)(中山王)を訪ねた。
「シタルーもやるな」と思紹は笑った。
「島添大里グスクの内情を探るために側室を贈ったのだろう。あそこには御内原(うーちばる)がないから、何でも筒抜けになるぞ」
「まいったなあ」とサハチは頭を掻いた。
「御内原を建てるほどの土地はないし、間者(かんじゃ)が一緒にいると思ったら、のんびりくつろぐ事もできなくなる」
「御内原は無理でも小さなお屋敷なら建てられるんじゃない。そこに侍女(じじょ)と一緒に入れておけば?」とマチルギが言った。
「小さな屋敷か‥‥‥それもいいが、あそこに龍天閣みたいなのを建てるか。俺がそこで暮らせばいい」
 思紹が笑って、「それもいいが、一の曲輪(くるわ)内に建てるのは危険だぞ」と言った。
「普請(ふしん)中に大工や職人が一の曲輪内に出入りする事になる。敵の間者が紛れ込んで来るじゃろう」
「そうか。そうなると東曲輪(あがりくるわ)に建てるしかないな」
「完成するまで一年近く掛かるぞ」
「いっその事、隠居して、島添大里グスクはサグルーに譲るか」とサハチが言うと、
「馬鹿な事、言ってないでよ」とマチルギが睨んだ。
「わしが隠居する。お前がここに来ればいい」と思紹が言った。
「二人とも何を言っているんですか、まったく」とマチルギは二人を交互に睨んでいた。
 サハチはマチルギと一緒に島添大里グスクに向かった。
 シタルーから贈られた側室と二人の侍女は、佐敷ヌルの屋敷にいるとナツは言った。
「お屋敷で待ってもらっていたのですが、東曲輪で女子(いなぐ)サムレーたちが武当拳(ウーダンけん)のお稽古をするのを見て、見に行ったまま、まだ帰って来ないのです」
「ほう。武芸に興味があるのか」
 サハチとマチルギは東曲輪に向かった。武当拳の稽古はしていなかった。佐敷ヌルの屋敷に入ると、側室のハルは女子サムレーたちと楽しそうに話をしていた。
 サハチとマチルギが来たので、女子サムレーたちは急に静かになった。佐敷ヌルがサハチとマチルギの事をハルに教えた。
 ハルは二人に頭を下げて、「島尻大里(しまじりうふざとぅ)から参りましたハルと申します。よろしくお願いいたします」と言った。
「本当は島尻大里じゃなくて、粟島(あわじま)(粟国島)から来たの」と付け加えた。
 サハチとマチルギはハルと侍女を連れて、一の曲輪の屋敷に戻って、ハルから話を聞いた。
 ハルは粟島で女子サムレーになるための修行を積んでいた。それが、突然、島添大里按司の側室になれと言われて、侍女になる事に決まったタキとマサと一緒に島を出て、島尻大里グスクに行って山南王と会い、五日間、行儀作法などを仕込まれただけで、ここに送られて来たという。
「あなた、側室が何だかわかっているの?」とマチルギがハルに聞いた。
按司様(あじぬめー)のお嫁さんになる事だって言われました。でも、按司様には正式な奥さんがいるので、二番目の奥さんだと言われました」
「二番目じゃないわよ。あなたは四番目よ」
「えっ?」とハルは目を丸くしてサハチを見ると、「按司様は三人も奥さんがいるのですか」と聞いた。
「山南王はもっといっぱいいるでしょ」とマチルギが言った。
 ハルは首を傾げて、「よく知りません」と言った。
「島尻大里グスクにも女子サムレーがいるの?」とマチルギは聞いた。
 ハルはまた首を傾げて、「見た事ありません」と答えた。
「あたし、ここに来て初めて女子のサムレーを見ました。あたしもあんなサムレーになりたいと思いました」
「だって、あなた、女子サムレーになるために粟島で修行していたんでしょ」
「そうなんですけど、あたしにはよくわかりません。時々、アミーさんに呼ばれて島を出て行く人はいます。でも、どこに行ったのかわかりません」
「アミーがお前の師匠だったのか」とサハチが聞いた。
「そうです。あたしが十三の時、アミーさんが来て、あたしを島に連れて行ったんです。按司様はアミーさんを知っているのですか」
「ああ、昔、会った事がある」
「そうですか。アミーさんは強いですよ。アミーさんのお父さんは、若い頃の山南王の護衛を務めていたと言っていました。戦(いくさ)で怪我をして、今は隠居しているそうです」
 サハチはシタルーが若い頃に連れていた二人のサムレーを思い出していた。あのサムレーのどちらかがアミーの父親だったのだろうか。
「侍女の二人も一緒に修行していたのか」とサハチはハルに聞いた。
「そうです。タキ姉(ねえ)もマサ姉も一緒に島に行って修行を積みました」
 サハチが二人の侍女を見ると二人とも俯いていた。ハルが何でもペラペラとしゃべるので困っているようだった。
「粟島には何人の修行者がいるの?」とマチルギが聞いた。
「いっぱいいますよ。男の人は三百はいます。女子は三十人くらいです。前はもっといたんですけど、去年、二百人が島から出て行きました。阿波根(あーぐん)グスクと保栄茂(ぶいむ)グスクに入ったそうです」
「お前、そんな事までしゃべってもいいのか」とサハチはハルに聞いた。
「えっ?」とハルは驚いた顔をして侍女を見た。
 二人ともちょっと怖い顔をしてハルを見たが何も言わなかった。
「大丈夫ですよ」とハルは陽気に笑った。
「山南王と中山王は同盟を結んだんでしょ。二人の王様が仲よくするために、あたしはここにお嫁に来たのです。よろしくお願いいたします」
 あとの事をナツに任せて、サハチとマチルギは屋敷を出ると、東曲輪の物見櫓に登った。
「シタルーはどうしてあんな娘をここに入れたのだろう」とサハチは海を眺めながらマチルギに聞いた。
「油断させるためじゃないかしら。あの娘(こ)、アミーに仕込まれた刺客(しかく)かもしれないわよ」
「シタルーは俺を殺そうとしているというのか」
「あなたがいなくなれば、中山王を倒すのも楽になるって考えたんじゃないかしら」
「冗談じゃないぜ。刺客が三人もグスク内にいたんじゃ、安心して眠る事もできないじゃないか」
「しばらく様子を見て、眠れないようだったら首里のお屋敷で休めばいいわ」
「まったく、シタルーも余計な事をしやがって‥‥‥」
 一応、佐敷ヌルによって婚礼の儀式を行ない、ハルは側室として迎えられ、二階の一部屋が与えられた。儀式が終わるとマチルギは首里に帰って行った。
 儀式のあと、歓迎の宴が開かれて、サグルー夫婦とイハチ夫婦、ユリとシビー、主立った重臣たち、侍女と女子サムレーも呼んで、祝い酒を飲み、子供たちの笛を聞いたりして楽しんだ。
 サグルーの妻、マカトゥダルは六日前に、赤ん坊のサハチを連れて戻って来ていた。孫のサハチは女子サムレーたちの人気者になっていた。
 ユリは与那原(ゆなばる)の修行から戻ってからは佐敷の屋敷に帰る事はなく、佐敷ヌルの屋敷に住んでいた。娘のマキクが帰りたくないと駄々をこね、佐敷ヌルがここで暮らせばいいわと言って、ユリも佐敷ヌルの言葉に甘える事にした。お祭りの準備で佐敷ヌルと行動を共にしているので、一緒にいた方が何かと便利だった。
 シビーはメイユー(美玉)の弟子になってから、メイユーと一緒にお祭りの準備を手伝うようになり、音楽やお芝居に興味を持つようになっていた。勿論、武芸の稽古には励んでいるが、横笛や踊りの稽古も始めていた。
 ハルは子供が大勢いる事に驚いて、子供たちが吹く笛にも驚いた。さらに、ユリの笛に驚いて、佐敷ヌルが笛を吹く事にも驚き、サハチの一節切(ひとよぎり)には感動して涙を流していた。
 ヤマトゥで増阿弥(ぞうあみ)の一節切を聴いてから、サハチの一節切はさらに上達して、聴く者、皆を感動させた。ハルの侍女、タキとマサの二人も感動して目に涙を溜めていた。
「凄いわ」とハルが目を輝かせて言った。
「笛の音を聴いて泣いたの、あたし、初めてですよ。どうしてなの?」
按司様の笛にはみんな、感動するのよ」とナツが言った。
「ナツ様も按司様の笛に感動して、側室になったのですか」
「えっ?」とナツは言って、昔を思い出した。
 今まで気づかなかったが、ナツが佐敷グスクに通って剣術の稽古をしていた頃、サハチは笛を吹き始め、だんだんとうまくなっていった。サハチの妹のマカマドゥと一緒に、本曲輪から流れてくる笛の音を東曲輪で聴いていたのを思い出していた。
「そうかもしれないわね。あの頃は一節切じゃなくて、横笛だったけど感動したんだわね、きっと」
「あたし、いい所にお嫁に来たのね。あたし、幼い頃に両親を亡くして、座波(ざーわ)ヌル様のお世話になっていました。若ヌル様には子供がいて、時々偉そうなおサムレー様が訪ねていらっしゃいました。あとになって知ったのですけど、そのおサムレー様は島尻大里の王様でした。王様はあたしを島に送って剣術の修行させてくれました。そして、お嫁にも出してくれました。あたしがお嫁に行くなんて、まるで、夢のようなお話です。しかも、こんな立派なグスクに住んでいらっしゃる按司様のもとへお嫁に来るなんて、あたし、とても幸せです」
 ハルは祝い酒を飲みながら、自分の過去の事を話して、ついには酔い潰れてしまった。侍女に聞いたら酒を飲んだのは初めてだという。
 シタルーが送った刺客かもしれないと思いながらも、憎めない娘だとサハチは思っていた。
 次の日、サハチが起きた時、ハルはナツに連れられてグスク内を見て歩き、今は佐敷ヌルの屋敷にいるという。
 酔い潰れた振りをしたハルが、夜中に襲って来るかもしれないと思うと、サハチはなかなか寝つけず、ちょっとした物音にも目が覚めて、ゆっくり休む事もできなかった。
「あそこが気に入ったみたいね」とナツは笑った。
 サハチはあくびをしながら、「ハルは朝までぐっすり眠っていたのか」と聞いた。
「眠っていましたよ。二日酔いで起きられないと思ったけど、ちゃんと起きて、挨拶に来ました。素直で可愛い娘ですよ」
「侍女たちも怪しい動きはなかったんだな?」
「大丈夫ですよ。侍女のお屋敷に入ってから朝まで出て来ませんでした。女子サムレーがちゃんと夜中も見張っています」
「そうだな。気にしすぎたようだ」
 ハルは朝食の時、サハチに挨拶をして、一緒に食事を取ったが、また佐敷ヌルの屋敷に行った。
「好き勝手にさせていいのか」とサハチはナツに聞いた。
「まず、この環境に慣れてもらおうと思っているんですよ。みんなと仲よくなれば、裏切る事はできなくなるでしょ。あの娘、ユリさんから笛を習っているんですよ。シビーとチミー(イハチの妻)と同い年なんです。三人で仲よくやっていますよ」
「そうか、シビーとチミーと同い年か。そんな若い娘を側室に迎えるとは思わなかったよ」
「先の事を考えたら子供は多い方がいいと奥方様(うなじゃら)がおっしゃっていました。南部が安定しているのも、按司様の妹様方がお嫁に行ったからだと言っておりました。琉球を統一するためには、按司様の娘様方を中部や北部に嫁がせなくてはならないと言っておりました」
「マチルギがそんな事を言っていたのか」
 マチルギは男の子は七人も生んだが、女の子は四人だった。長女はサスカサになり、次女はウニタキの長男と婚約している。お嫁に出せる娘は二人しかいなかった。
「あなたも女の子を産みなさいって言われました」とナツは言って、嬉しそうな顔をしてサハチを見た。
「マチルギの命令なら従わなくてはならんな」とサハチは笑った。
 その夜、ハルがサハチの部屋にやって来て、「昨夜は酔ってしまって申しわけありませんでした」と謝った。
「お酒がおいしくて、つい飲み過ぎてしまいました」
「初めて飲んだのか」とサハチが聞くと、ハルは驚いたような顔をして、「内緒ですよ。実は島でも飲んでいました。お酒が好きなお姉さんがいて、師範たちの所からちょっといただいて飲んでいました。でも、あんなおいしいお酒ではありませんでした」と言った。
「師範の酒を盗み飲みしていたのか」
 サハチはハルの顔を見て、思わず笑っていた。
「侍女のタキに怒られました。お床入りの晩に酔っ払うなんて情けないと言われました。今晩、よろしくお願いします」
 サハチはハルの部屋に行って酒の用意をさせて、床入りの前に、ハルと一緒に酒を飲みながら聞きたい事を聞いた。
「はっきりと聞くが、お前は刺客なのか」
「刺客? 刺客って何ですか」とハルは聞いた。
「俺を殺すためにここに来たのか」
「えっ?」とハルは驚いて、「どうして、按司様を殺すのですか」と聞いた。
「山南王は俺の命を狙っているからな」
「どうしてですか。同盟を結んだんでしょ」
「同盟というのは、先に進むための手段なんだよ」
按司様も島尻大里の王様の命を狙っているのですか」
「いや、狙ってはいないよ」
「そうなんですか」
「お前は俺の命を狙っていないようだが、侍女たちはどうだ?」
「わかりません。でも、あの二人が按司様の命を狙ったら、あたしが倒します」
「なに、お前が倒す?」
「あたし、あの二人よりも強いのです」
「本当なのか」
「本当です。ナツ様の強さも、奥方様の強さも、佐敷ヌル様の強さもわかりました。勿論、按司様の強さもわかっています」
「ほう、ナツやマチルギ、佐敷ヌルの強さがわかるのか」
 サハチはハルを見直していた。戦いもせずに相手の強さがわかるというのは、ハルもかなり強いという事だった。
「隊長のカナビーさん、リナーさん、カリーさんも強いです。あの島ではあたしより強い女子は師匠のアミーさんだけでした。でも、ここにはあたしより強い人がいっぱいいます。こんな凄い所に来られて幸せです」
「お前は面白い娘だな」とサハチは言った。
「それ、褒め言葉ですか」
「ああ、褒め言葉だ」
「嬉しい」と言って笑った笑顔は可愛かった。
 サハチはハルを抱いた。
 ハルが来てから三日後、『石屋』がやって来た。クムンと名乗った親方(うやかた)は、七人の職人を連れていた。サハチが思っていたよりも若く、サハチと同年配に見えた。
 サハチは用意しておいた屋敷に案内して、石屋の事をクムンから聞いた。
「親方、そなたが島添大里グスクの石垣を築いたのですか」とサハチが聞くと、クムンは首を振って、「あの頃、わしはまだ子供でした。叔父が築いたのでございます」と言った。
「そうか。すると、そなたの叔父は豊見(とぅゆみ)グスクも築いたのだな」
「さようでございます」
首里グスクもか」
「さようでございます」
「そなたの叔父が色々とやっているようだが、そなたの父親は何をしておったんだ?」
「わしの親父は五代目の頭領でしたが、親父が亡くなった時、わしは二十二歳だったのです。頭領になるのは若すぎると言われて、叔父に頭領の座を奪われてしまったのでございます。実際、当時のわしはまだ未熟で、頭領を務めるのは無理でした。親父は中山王に仕えて、叔父は山南王に仕えておりました。首里グスクを築く時、叔父が中心になって石垣を築いて、親父に仕えていた職人たちもほとんど、叔父に取られてしまいました。台風で石垣が壊れましたが、それもわしのせいにされて、さらに職人たちがわしのもとから去って行きました。先代の中山王が亡くなった時、わしは数人の職人を連れて叔父のもとに行き、頭を下げて仲間に加えてもらったのです。叔父も三年前に亡くなって、従兄(いとこ)が七代目の頭領になっております」
「頭領の座を叔父に奪われて、頭領になった従兄のもとで、肩身の狭い思いをしているというわけだな」
「さようでございます」
「どうして、新しい中山王に仕えようとしなかったのだ?」
「数人の職人を引き連れて行っても、どうにもならないと思ったのです。それと、頭領の座を何とかして取り戻したいという気持ちもありました。でも、従兄と山南王は強い絆で結ばれていて、頭領の座を取り戻す事はできませんでした」
「そうだったのか。今回、そなたをここによこしたのは山南王なのか」
「いいえ、頭領です。邪魔者を追い出したのでしょう」
「頭領と山南王は仲がいいのか」
「豊見グスクの石垣を築いた時に、意気投合したようです」
「そうか。そなたの親父が五代目だと言ったな。初代はどこから来たんだ?」
「高麗(こーれー)です。もう百年以上も前の事です。当時、高麗の国は元(げん)の国に攻められて混乱状態だったそうです。琉球の船が高麗に来ていて、石屋を探しているという話を聞いた初代は、職人たちを引き連れて琉球にやって来たようです」
「ほう、百年以上も前に、琉球の船が高麗に行っていたのか」
「瓦(かわら)を求めてやって来たようです」
「成程、瓦か」
「初代が築いた石垣は、今帰仁(なきじん)グスクの石垣なのか」
「いいえ、浦添グスクです。初代の次男が今帰仁按司に仕えて、今帰仁グスクの石垣を築きました」
「そうだったのか。当時、浦添今帰仁はつながっていたのか」
浦添按司は英祖(えいそ)という人で、今帰仁按司は英祖の息子だったと聞いております」
「成程。すると、今帰仁の石屋は、初代の次男から代々今帰仁按司に仕えているんだな」
「そうです。長男の家系は浦添按司に仕えてきました」
「今も浦添の家系と今帰仁の家系は交流があるのか」
「昔は交流があったようですが、今はありません」
「そうか。玉グスクの石屋とはつながっているのか」
「玉グスクは三代目の時に分かれたようです。玉グスクの石屋も首里グスクの石垣造りを手伝っていましたので交流はあります」
「色々と聞いてすまなかった。今まで石屋と付き合いがなかったものでな。島添大里グスクの石垣の修理をよろしく頼む」
「かしこまりました」とクムンは頭を下げた。
 石屋として、どれほどの腕を持っているのかわからないが、生真面目そうな男だとサハチは思った。

 

 

 

粟国の塩 500g

2-91.三王同盟(改訂決定稿)

 ンマムイ(兼グスク按司)が山北王(さんほくおう)(攀安知)の書状を持って今帰仁(なきじん)から帰って来たのは、伊是名島(いぢぃなじま)の戦(いくさ)が終わった三日後だった。
 山北王の書状には同盟のための条件が三つ書いてあった。
 一、伊平屋島(いひゃじま)と伊是名島は中山王(ちゅうさんおう)の領地とし、与論島(ゆんぬじま)以北の島々は山北王の領地とする事。
 二、山北王の次女マナビーと中山王の孫チューマチの婚礼、山北王の次男フニムイと中山王の孫娘の婚約の事。
 三、以前のごとく、材木の取り引きを続ける事。
 中山王の思紹(ししょう)はその条件に、鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)とトカラの宝島は中山王の領地とする事を付け加えた。チューマチとマナビーの婚礼は来年の二月を提案して、五歳のフニムイと婚約する娘は、四歳の与那原大親(ゆなばるうふや)(マタルー)の次女のカナに決めた。
 次の日の夕方、サハチが麦屋(いんじゃ)ヌルを連れて首里(すい)に帰って来た。炊き出しをするために与論島に送った女子(いなぐ)サムレーと城女(ぐすくんちゅ)が乗って来たヒューガ(日向大親)の船に乗って帰って来たのだった。女子サムレーの中に与論島出身のウトゥがいて、十二年振りの帰郷を喜んでいた。
 サハチは祖父のサミガー大主(うふぬし)が与論島に来たのは知らなかったが、サミガー親方(うやかた)に聞いたら、東行法師(とうぎょうほうし)を名乗って若い者を連れて来たと言う。与論島に滞在中、親方の世話になって、二人の娘を連れて帰って行った。貧しい娘たちをキラマ(慶良間)の島に送ってクバ笠やクバ扇を作らせていると言っていたが、その娘が中山王に仕える女子サムレーになって戻って来るなんて信じられないと言って驚いていた。
 サミガー親方はサミガー大主が亡くなったという噂を聞くと、ウミンチュ(漁師)たちと一緒に馬天浜まで行ったらしい。行くのはよかったが、北風(にしかじ)に逆らって帰って来るのは大変だったと笑った。
 もう一人の娘はどうなったのかとサハチがウトゥに聞いたら、侍女になって島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに務めていると言った。知っていたなら里帰りさせてやったのにとサハチは悔やんだ。
 麦屋ヌルは島人(しまんちゅ)のためにも与論島にいなければならないと言い張ったが危険だった。五年後には必ず戻れるからと説得して連れて来た。麦屋ヌルを馬天(ばてぃん)ヌルに預けて、龍天閣(りゅうてぃんかく)に登ったサハチは、思紹から山北王との同盟の話を聞いて驚いた。
「親父が考えたのですか」とサハチは聞いた。
「いや、ンマムイが今帰仁に着く前に、本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)が山北王の書状を持ってやって来たんじゃ。その書状に同盟の事が書いてあったんじゃよ」
「向こうから言って来るとは以外ですね」
「まったくじゃ。去年、山南王(さんなんおう)と同盟したばかりなのに、山南王を裏切るような事を平気でやるとはのう」
 思紹はテーラーが持って来た書状と、ンマムイが持って来た書状をサハチに見せた。
「チューマチの嫁さんが決まったか」とサハチは笑って、「ヤマトゥ(日本)から帰って来たら驚くだろう」と言った。
「大役(うふやく)たちと相談して同盟する事に決めて、テーラーに書状を持たせたんじゃ。ンマムイはテーラー今帰仁に着くのを待ってから戻って来た」
「そうでしたか。山北王と同盟とは驚きました。マチルギも賛成しましたか」
「敵を解体するための同盟じゃと言ったら納得してくれた」
「敵を解体?」
「そうじゃよ。同盟を結べば、今帰仁にも行けるようになる。『油屋』のような商人を各城下に置いて、按司たちを山北王から離反させるんじゃ」
「成程。ンマムイの話だと、ヤンバルの按司たちは今帰仁だけが栄えていると反感を持っているようです。皆、親戚には違いないけど、うまくやれば離反させる事ができるかもしれませんね」
「まだ五年ある。五年間で、名護按司(なぐあじ)、羽地按司(はにじあじ)、国頭按司(くんじゃんあじ)、恩納按司(うんなあじ)、金武按司(きんあじ)を味方に付けるんじゃよ」
「面白くなって来ましたね。ウニタキ(三星大親)が忙しくなりそうだ」
「ウニタキの『まるずや』は勿論、出してもらうが、それとは別に、中山王の店として朝鮮(チョソン)の綿布(めんぷ)を売る店を出そうと思っているんじゃが、どうじゃろう?」
「山北王は朝鮮とは交易していないので、今帰仁にも綿布はないでしょう。ちょっと高価ですけど、丈夫な綿布は売れるかもしれませんね」
 思紹は満足そうにうなづいた。
「詳しい事はあとで決める事にして、とりあえずは返事を送らなければならん」と思紹は言って、山北王の三つの条件に付け足した条件と、婚礼と婚約に関する事をサハチに話した。
「もう一つ付け足してください」とサハチは言った。
「何じゃ?」
与論島の島人の事です。今回、ウニタキに協力してくれた島人がいますが、島人たちは知らずに手伝ったので罰しないという項目です」
「サミガー親方の事じゃな?」
「そうです。ウニタキはサミガー親方たちを与論島から引き上げさせようとしています。しかし、山北王としても鮫皮(さみがー)を作る者たちが与論島からいなくなったら困る事になるでしょうし、サミガー親方としても長年住んできた土地を離れたくはないでしょう」
「よし、その事も付け加えよう」
「ンマムイがもう一度、今帰仁に行って、戻って来たら、与論島の兵を撤収させるのですか」
「そうなるじゃろうな」
「炊き出しをするのも大変です。早く、撤収させた方がいい」とサハチは言った。
 翌日、思紹の書状を持って再び今帰仁に行ったンマムイは五日後に戻って来て、中山王と山北王の同盟は決まった。
 その次の日、思紹は家臣たちに山北王と同盟を結んだ事を告げた。その日、首里(すい)の城下は山北王との同盟の話で持ちきりとなった。山南王と山北王が同盟してからというもの、敵が攻めて来るかもしれないと怯えていた城下の人たちは、これで山北王は攻めて来ないと安心して、まるで、お祭りのように騒いでいた。
 サグルー(島添大里若按司)はウニタキの配下のヤールーと一緒にヒューガの船に乗って与論島に行き、同盟の事をウニタキと苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)に知らせた。同盟の話を聞いてウニタキは驚き、サミガー親方を連れ去るのはやめて、山北王の出方を見る事にした。
 そして次の日、苗代之子は兵を率いて与論島を去り、炊き出しをしていた女子サムレーと城女もサグルーたちと一緒に与論島を去った。与論島を奪い取ってから十六日が経っていた。
 湧川大主(わくがーうふぬし)が新しい与論按司(ゆんぬあじ)を連れて、与論島にやって来たのは、中山王の兵が引き上げた翌日だった。新しい与論按司は国頭按司の次男のヘーザで、長い間、湧川大主の配下として交易の仕事に携わっていた。按司に抜擢されるなんて、まるで夢のようだと張り切っていた。
 中山王の兵が引き上げたあと、グスク内に閉じ込められていた家臣たちの家族によって、手足を縛られて屋敷に閉じ込められていた兵たち、按司とその家族、重臣たちは助け出された。食べ物は与えられていたとはいえ、糞尿は垂れ流し状態で悪臭を放ち、悲惨な状態だった。皆、やせ細って骨と皮だけになって、立つのもやっとの状態だった。
 島人たちにも手伝ってもらって、屋敷の掃除をして、湧川大主が来た頃には綺麗になってはいたが、悪臭はまだ漂っていた。
 見るも無惨な姿になっている叔父の与論按司を見て、湧川大主は怒鳴る気力もなくなり、「しばらくは今帰仁に帰って謹慎していてください」と言っただけだった。
 兵たちの話から二月頃にサミガー親方の所にやって来た三弦(サンシェン)を弾くウミンチュが怪しい事がわかり、そのウミンチュが麦屋ヌルと何度か会っていたらしいという。湧川大主はそのウミンチュと麦屋ヌルを探させたが、二人とも島にはいなかった。サミガー親方も怪しいという者もいたが、湧川大主はサミガー親方を責める事はなかった。
「もし、サミガー親方が中山王の味方だったとしても、山北王は中山王と同盟を結んだ。中山王は敵ではないという事をはっきりと肝に銘じておけ」と湧川大主は与論島の兵たちに言った。
 ウニタキは三人の配下と一緒にまだ与論島にいた。隠れて、サミガー親方を守っていたのだった。湧川大主が引き上げたあと、何日か様子を見て、サミガー親方の安全を確認してから、ウニタキたちは与論島をあとにした。


 中山王と山北王の同盟を山南王のシタルーが知ったのは、ンマムイが同盟を決めて首里に戻って来た次の日だった。首里の噂が島尻大里(しまじりうふざとぅ)にも流れて来て、シタルーは自分の耳を疑った。
 一体、どういう事じゃ‥‥‥
 山北王はわしとの約束を破って、中山王と同盟したのか‥‥‥
 シタルーは山北王が伊是名島を攻め、中山王と戦っていると聞いて、同盟を結んだからには傍観しているわけにもいかず、裏切った米須按司(くみしあじ)を攻めるための準備をしていた所だった。
 何という事じゃ‥‥‥山北王と挟み撃ちにして中山王を倒すという計画も、これで終わってしまった。首里グスクをサハチに奪われてからというもの、ツキからすっかり見放されてしまったようだ。
 シタルーは何もかもがいやになって、米須攻めを中止させると馬に跨がり、たった一人で座波(ざーわ)に向かった。座波には側室の座波ヌルがいた。側室に迎えたのは十年前で、座波ヌルは二人の息子を産んで育てていた。去年の十一月、伯母の座波ヌルが亡くなって、若ヌルから座波ヌルになった。うるさい伯母がいなくなって、シタルーとしても訪ね易くなり、気分転換のために座波に行く事が多くなっていた。
 グスク内にいる側室たちと違って、座波ヌルは歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで、時には腹が立つ事もあるが、本音で話せる相手だった。
「噂を聞いて逃げて来たのですね」と座波ヌルは乾いた洗濯物をたたみながらシタルーに言った。
「ああ、重臣どもがうるさいから逃げて来たんじゃ」とシタルーは縁側に横になって空を見上げた。
「どうするつもりなのです?」と座波ヌルは聞いた。
「どうするも何もない。こうなったからにはしばらく様子を見ているしかあるまい」
「何もしなくてもいいのですか」
「何をしろって言うんだ?」
「このままじゃ、のけ者にされますよ」
「何の事を言っているんだ?」
「同盟ですよ。あなたも中山王と同盟した方がいいわ」
「何だって?」
「三人の王様が同盟を結べば、戦が起こる事もないでしょ。みんなが安心して暮らせるようになります」
「中山王と同盟か‥‥‥」
 シタルーは島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)のサハチとは同盟を結んでいた。去年、進貢船(しんくんしん)を送る事ができず、ヤマトゥンチュ(日本人)との取り引きで、明国(みんこく)の商品が不足したが、サハチのお陰で助かっていた。わざわざ中山王と同盟しなくても、サハチと同盟していれば、それでいいと思っていたが、中山王と山北王が同盟した今、このままだと座波ヌルが言うようにのけ者になってしまうかもしれなかった。山南王に従っている按司たちも寝返ってしまうかもしれない。早いうちに、中山王と同盟した方がいいとシタルーは考え直した。


 同盟の噂が流れてから二日後、与論島を奪い取った苗代之子、伊是名島を守った伊是名親方(いぢぃなうやかた)と田名親方(だなうやかた)が兵を率いて凱旋(がいせん)して来た。首里の城下は再び、お祭り騒ぎに浮かれた。ウミンチュの姿で戦をした苗代之子の兵たちもきちんと武装して行進し、城下の人たちから喝采(かっさい)を浴びていた。
 伊平屋島伊是名島の問題も無事に解決して、サハチは久し振りに島添大里グスクに帰った。
 ナツが入れてくれたうまいお茶を飲みながら、やはり、ここが一番落ち着くなと思っていた。
「佐敷ヌルさんとユリさんとシビーが帰って来ましたよ」とナツが言った。
「そうか。もう一月が経ったのか」
「三人ともさっぱりとした顔付きで、前よりも美人(ちゅらー)になって帰って来ましたよ」
「そうか。もともと美人の三人がさらに美人になって帰って来たか。体の中の毒気を出して、より一層美人になったのだろう」
「女子サムレーたちもヂャン師匠の所に行きたいと言い出して、佐敷ヌルさんがみんなに教えてあげるって言ったら、みんな大喜びしていました」
「そうか」とサハチはうなづいた。
 暗闇の洞窟歩きをやらなくても、断食と静座をやって、呼吸法を取り入れた套路(タオルー)(武当拳の形の稽古)をやれば、毒素が取れて、皆、美人になるだろうと思った。
「ササたち、またヤマトゥに行ってしまいましたねえ」とナツが言った。
「ああ、与論島で見送ったよ。ササが行くって言ったんで助かったよ。ジクー(慈空)禅師には悪いが、ヤマトゥ旅はササで持っているようなものだからな。将軍様足利義持)の奥方様はササが来るのを首を長くして待っているだろう」
豊玉姫(とよたまひめ)様の事はもう終わったんでしょ。ササは将軍様の奥方様に会いに行ったの?」
「それもあるが、ササは別の神様から頼まれ事をされたらしい」
「神様から頼まれるなんて、ササも大したものね」
「何といっても、豊玉姫様の娘の玉依姫(たまよりひめ)様を琉球まで連れて来たからな。その事は神様たちの噂になって広まって、ササなら頼みをかなえてくれるに違いないと思ったのだろう」
「今度の頼みって何なの?」
「舜天(しゅんてぃん)(初代浦添按司)の父親探しだそうだ」
「そんな昔の事がわかるの?」
「ヤマトゥに行って神様に聞いて回るんだろう。それが解決するまでは、ササのヤマトゥ行きは続く。あまり早く解決しない事を願うよ」
「サスカサ(島添大里ヌル)もそれに巻き込まれるのね」
「サスカサにもいい経験になるだろう」
「チューマチも一緒に行くのかしら?」
「いや、チューマチは将軍様の奥方様には呼ばれないだろう。越来(ぐいく)の若按司と行動を共にすると思うが、ちょっと年が離れすぎているからな、うまくやってくれればいいが」
「ヤマトゥ旅から帰ったら驚くでしょうね。山北王の娘さんをお嫁に迎えるなんて、夢にも思っていないでしょう」
「ヤマトゥに行く時、中山王と山北王は伊是名島で戦をしていたんだからな。まさか、山北王の娘がお嫁に来るとは思うまい。驚く顔が目に浮かぶよ」
 侍女が顔を出して、「シタルーという人が訪ねて来ました」と言った。
「馬天浜(ばてぃんはま)のシタルーか」とサハチが聞いたら、
「シタルーは明国ですよ」とナツが言った。
「昔馴染みだと言えばわかると言っていましたけど」と侍女は言った。
 昔馴染みのシタルーと言えば、山南王しかいなかった。山南王が来たのかとサハチは大御門(うふうじょー)(正門)まで迎えに出た。
「やあ」と右手を上げてシタルーは笑った。
 サハチはまるで、昔に戻ったような錯覚を覚えた。連れている供のサムレーは二人だけだった。
 サハチは山南王のシタルーを迎え入れた。
「前回、来たのは五年前だったな」とシタルーは言った。
 サハチとシタルーは東曲輪(あがりくるわ)の物見櫓(ものみやぐら)に登った。
「山北王との同盟の話、聞いたぞ。お前が仕組んだのか」とシタルーは海を見ながら聞いた。
「同盟の話は山北王から言って来たのです」とサハチは答えた。
「なに、山北王からか」とシタルーは驚いたようだった。
「こっちの作戦では、与論島を奪い取って、伊平屋島伊是名島を交換する事だったのですが、中山王が与論島を奪って、さらに永良部島(いらぶじま)や徳之島(とぅくぬしま)も狙っていると勘違いしたようです」
「成程な。自分たちが奄美を従えようとしているから、中山王も同じ事を考えていると思って、奄美から手を引けと言って同盟の話を持ち出したというわけじゃな」
「そのようです」
「去年の十月、山南王と山北王が同盟した。そして、今年の五月、中山王と山北王が同盟した。次は山南王と中山王の番だな」
「えっ、中山王と同盟すると言うのですか」
 シタルーは笑って、「中山王と山北王に攻められたら、山南は簡単につぶれてしまう。それを防ぐには、中山王と同盟を結ぶしかあるまい」
「わかりました。わたしの一存では決められませんが、きっと、中山王も賛成するでしょう」
「頼むぞ。そなたとわしは二重の婚礼で結ばれているが、改めて、中山王と同盟するからには、やはり、婚礼は必要じゃろう。豊見(とぅゆみ)グスクの若按司はまだ八歳じゃが、そなたの娘と婚約したい。そして、わしの五歳の娘とそなたの息子の婚約もしたい」
 サハチの四女のマカトゥダルは七歳だった。そして、ナツが産んだナナルーは五歳だった。
「わかりました」とサハチはうなづいた。
「世の中、思い通りにはならんもんじゃのう」とシタルーはしみじみと言った。
 首里に帰ったサハチは思紹と大役たちと話し合って、山南王と同盟を結ぶ事に決まり、弟のクルーを使者として島尻大里グスクに送った。クルーの妻はシタルーの娘のウミトゥクだった。
 米須按司、八重瀬按司(えーじあじ)、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)、玻名(はな)グスク按司、及び東方(あがりかた)の按司たちの領地は、中山王の領内と認める事を同盟の条件として山南王に告げたが、山南王は承諾した。自分から言い出した同盟だったため、承諾するしかなかったのだろう。その代わり、以前のごとく、交易のために必要な品々は、それ相応の価格で用意すると告げた。
 中山王と山南王の同盟が決まると、首里の城下はまたお祭り騒ぎとなった。
 島尻大里の城下でも、中山王と山北王の同盟を聞いて不安になっていた城下の人たちは喜んで、お祭り騒ぎとなった。
 油屋によって、中山王と山南王の同盟を知らされた山北王はニヤリと笑って、「三王同盟だな」と言った。
 山北王が、三王同盟を家臣たちに知らせると、その噂はすぐに城下に広まって、山北王と山南王が同盟して以来、いつ戦が始まるのだろうと心配していた城下の人たちは、戦はないと大喜びして、お祭り騒ぎとなった。
 その頃、本部のテーラー奄美大島攻めの大将として、新しい奄美按司と一緒に二百人の兵を率いて進貢船に乗って、奄美大島に向かっていた。

 

 

 

金武 龍 30度 1800ml   金武 龍3年(100%)古酒 43度 1.8L

2-90.伊是名島攻防戦(改訂決定稿)

 サハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)が与論島(ゆんぬじま)の海に潜ってカマンタ(エイ)捕りに熱中している頃、伊是名島(いぢぃなじま)では戦(いくさ)が始まっていた。
 伊是名親方(いぢぃなうやかた)が伊是名島に、田名親方(だなうやかた)が伊平屋島(いひゃじま)に五十人の兵を率いて行ったのは五月八日だった。そして、山北王(さんほくおう)の兵が攻めて来たのは十一日の正午前(ひるまえ)だった。
 山北王の兵は伊平屋島を攻める事なく、伊是名島を攻めて来た。伊平屋島に中山王(ちゅうさんおう)の兵がいる事を知っているので、まず、伊是名島を攻め取ってから伊平屋島を攻めようと思ったのに違いない。敵は四隻の船でやって来て、小舟(さぶに)に乗り移って、島の東側にある仲田(なかだ)の浜から上陸しようとした。
 一隻に五十人の兵が乗っているとして、二百人の兵力だった。五十人で二百人を相手にするのは難しいが、やらなければならないと伊是名親方は兵たちに檄(げき)を飛ばした。兵たちは勇ましく鬨(とき)の声を上げた。皆、キラマ(慶良間)の島で、思紹(ししょう)(中山王)に鍛えられた兵たちだった。たとえ、敵が四倍いようとも怖じ気づく者などいなかった。
 伊是名島伊平屋島も、珊瑚礁に囲まれているので大型の船は近づけない。礁池(いのー)よりも外に船を泊めて、小舟に乗り移らなければ島に上陸できなかった。
 伊是名親方は弓矢を持たせた兵たちをアダンの木陰に隠して、小舟が近づいて来るのを待ち、敵が射程圏内に入った時点で一斉に矢を放った。楯(たて)も構えずに油断していた敵兵は次々に倒れ、生き残った者たちは慌てて引き上げて行った。
 敵船から弓矢の反撃があったが距離が遠すぎて、届く事は届いても大した効果はなかった。敵も諦めたようで、弓矢の攻撃も終わった。
 敵船が動き出した。一隻が北上して、二隻が南下して、一隻だけがその場に残った。伊是名親方は兵を十人づつ五隊に分けて、それぞれの船を陸から追わせ、一隊は遊軍として本陣に置いた。北(にし)に向かった船は島の北側の沖に泊まり、南(ふぇー)に向かった船の一隻は島の南側の沖に泊まり、もう一隻はさらに南下して屋那覇島(やなふぁじま)に向かっていた。
 伊是名島の南東の海に面して小高い山があり、そこに古いグスクの跡が残っていた。伊平屋島にあるグスクと同じように百年前、今帰仁(なきじん)の兵と戦った時のグスクだった。山頂は見晴らしがいいので、伊是名親方はその山の麓(ふもと)に本陣を敷いて、敵を待ち構えた。
 法螺貝(ほらがい)の合図が鳴り響いて、北、東(あがり)、南の三方向から同時に敵は攻めて来た。今回は敵も慎重で、楯を構えて漕いで来るので弓矢の効果は薄く、上陸を阻止するのは難しかった。
 敵は次々に上陸して、海辺で戦が始まった。守る兵よりも上陸する兵の方が多く、味方は窮地に陥った。しかし、伊平屋島からの援軍がやって来た。田名親方に率いられた兵が島の北から上陸して、北の敵を倒して南下し、仲田に上陸した兵も倒した。南側では苦戦していたが援軍が間に合って、敵は海へと逃げ去って行った。
 同じ頃、屋那覇島の南を回って伊是名島の西側に出た敵船は、ヒューガ(日向大親)の率いる水軍の船と戦っていた。動きの素早い三隻の水軍の船から撃たれる火矢にやられて敵船は炎上して、ついには座礁した。乗っていた者たちは海に飛び込み、屋那覇島を目指して泳いで行った。
 その後、敵が攻めて来る事はなく、三隻の敵船は屋那覇島の西側に停泊した。
 一日の戦で、味方の戦死者が四人と負傷者が十一人も出た。敵の戦死者は少なくとも二十人はいるだろう。ヒューガによって敵船一隻がなくなったのは上出来だったが、明日には今帰仁から敵の援軍が来るかもしれなかった。伊是名島はいくつかの山があっても割と平坦な島なので、上陸するつもりならどこからでも上陸する事ができる。敵の上陸を食い止めるのは難しかった。
 その夜、敵の夜襲があった。月夜に小舟に乗って上陸した敵兵十人が、仲田大主(なかだうふぬし)の屋敷を襲撃したが仲田大主はいなかった。叔父の伊是名親方の進言によって避難していて助かった。敵兵は待ち構えていた伊是名親方の兵の攻撃を受け、四人が戦死して、六人は捕虜となった。
 次の日も敵の攻撃はあったが、二隻の船だけだったので、二カ所からの敵の上陸を食い止める事ができた。もう一隻の船は、ヒューガが率いる水軍の船からしつこい攻撃を受けて逃げ、戦線から離脱してしまった。
 正午過ぎに雨が降って来て、風も強くなり、敵船は屋那覇島に引き上げて行った。離脱した船も戻って来て、屋那覇島沖に泊まった。
 三日目、雨も上がっていい天気になり、敵も懲りずに攻めて来るだろうと思われたが、攻めて来る事はなく、今帰仁へと引き上げて行った。
 グスクのある山の上から敵船を見ていた伊是名親方と田名親方は、「うまく行ったようだな」と喜び、兵たちに勝ち鬨(どき)を上げさせた。


 伊是名島で戦が始まった日の夕方、山北王のもとに与論島が奪われたと知らせが入っていた。用を命じられてグスクの外に出ていた兵が、グスク内の異変を知って与論島から逃げ、今帰仁までやって来たのだった。
「何だと? 与論島が中山王に奪われただと?」
 山北王の攀安知(はんあんち)は信じられないといった顔付きで、与論島の兵を見た。
「まことの事でございます」と言って、与論島の兵は懐(ふところ)から『三つ巴紋』の旗を出して見せた。
与論島のあちこちに、この旗が立っております」
 攀安知は旗を受け取ると、その旗をじっと睨んで、「いつの事だ?」と聞いた。
「二日前のお祭り(うまちー)の時でございます。中山王の兵はウミンチュ(漁師)に扮してグスク内に潜入して、味方の兵を倒して、按司を捕まえてしまったようです」
「ウミンチュ? 敵は武装もせずにグスクを攻めたというのか」
「そのようでございます」
「馬鹿者めが。武器も持たず、鎧(よろい)も着ておらん奴らにグスクを奪われたのか」
「お祭りだったので、油断していたのかもしれません」
「くそったれが!」と悪態をついて、攀安知は手にしていた旗を与論島の兵に投げ付けた。
 二日前は今帰仁グスクでもお祭りが行なわれていた。外曲輪(ふかくるわ)を開放して、酒や餅を配り、城下の人たちは舞台で演じられる歌や踊りを楽しんでいた。攀安知は中曲輪にある客殿で、招待したヤマトゥ(日本)の商人たちと機嫌よく酒を飲んでいた。その日に、与論島が奪われたなんて信じられなかった。中山王を甘く見ていた事が悔やまれた。
 与論島の兵を下がらせると、攀安知は弟の湧川大主(わくがーうふぬし)を呼んで与論島の事を話した。
「中山王に与論島を奪われた?」と湧川大主は信じられないといった顔で攀安知の顔を見つめた。
 まったく予想外な事だった。山北王と山南王(さんなんおう)(汪応祖)が同盟したとはいえ、中山王(思紹)が動くなんて湧川大主は思ってもいなかった。
「まずは、その話が本当なのかどうか確かめなくてはなりません」と湧川大主は言った。
 攀安知は三つ巴の旗を見せた。
「奴はこの旗が与論島のあちこちに立っていたと言っていた。嘘ではあるまい」
「成程」とうなづいて湧川大主は旗を見ながら、「中山王の狙いは材木ですな」と言った。
与論島を奪って、次に永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)、そして、徳之島(とぅくぬしま)を奪い取るつもりでしょう。山北王が山南王と同盟したので、ヤンバル(琉球北部)の材木は手に入らなくなると思ったのでしょう」
「山南王と同盟をしても、中山王に材木は送るつもりでいたんだ。まだまだ稼がせてもらうつもりだった」
「中山王はそうは受け取らなかったのでしょう。山北王から手に入らないのなら、奄美の島を奪い取ろうと考えたのに違いありません」
「せっかく手に入れた奄美の島々を奪われてたまるか。畜生め、すぐにでも兵を送って、与論島を取り戻せ」
「今、伊平屋島伊是名島を奪い取るために、二百の兵を送っています。与論島を奪い取るとなると、さらに二百の兵が必要です。敵が守りを固めた島を奪い取るのは容易な事ではありません。かなりの時間が掛かって、かなりの損害も出るでしょう。それよりも、中山王と同盟したらどうですか」
「なに、中山王と同盟だと?」
 とんでもない事を言い出した弟の顔を攀安知はじっと見つめた。幼い頃から時々、弟は奇抜な事を口にした。自分では思いつかない事を考えるので、口に出した事はないが、そんな弟を頼りにしていたのだった。
「わしらは今、中山王と戦っている場合ではありません。まだ、時期が早すぎます。中山王は今、伊平屋島伊是名島を守るのに必死です。奴らの生まれ島ですからね。その二つの島を中山王に渡して、与論島を返してもらうのです。そして、奄美の島には手を出すなと言うのです」
「なに、伊平屋島伊是名島を中山王に渡すのか」
「中山王を倒すまで預けておくだけですよ」
「成程‥‥‥中山王と同盟か‥‥‥しかし、そんな事をしたら山南王が怒るだろう」
「怒ってもいいじゃありませんか。山南王を怒らせても、今帰仁まで攻めて来る事はありますまい」
「それはそうだが、奴の倅に嫁いだマサキが可哀想だ」
「山北王が中山王と同盟したとしても、山北王と山南王の同盟は生きていると言えばいいでしょう。中山王に隙が生まれれば、山南王と呼応して中山王を滅ぼすと」
「そんなうまい具合に行くかのう」
「まずは中山王の反応を見ましょう。同盟に乗ってくれば、わしらにとってはいい結果となるでしょう。乗ってこなければ、山南王と呼応して中山王を攻める事になるかもしれません。今、南部にテーラー(瀬底之子)がいます。テーラーに中山王との交渉を頼みましょう」
テーラーに頼むのか」
テーラーならうまくやってくれるでしょう。ンマムイ(兼グスク按司)とも仲がいいようですし、ンマムイと一緒に中山王に会う事もできるでしょう」
「そう言えば、ンマムイは中山王に寝返ったそうだな」
「マサキの婚礼のあと、阿波根(あーぐん)グスクから家臣を引き連れて消えたようです。山南王から命を狙われていたのかもしれませんね」
「やはり、山南王はンマムイを殺そうとしたのか」
「ンマムイだけではありません。マハニも殺そうとしたのかもしれません」
「何だと?」
「マハニが殺されたら、兄貴はどうします?」
「殺した奴は絶対に許せん」
「それが狙いですよ。山南王はンマムイとマハニを殺したのを中山王の仕業にして、中山王を攻めさせようとたくらんだのです」
「何だと‥‥‥山南王という奴はそんな汚い手を使うのか」
「野望のためには手段は選ばずですよ。山南王は自らの手で首里(すい)グスクを築いた。首里グスクが完成したら中山王(武寧)から奪い取るつもりだったのでしょう。それを今の中山王に奪われてしまった。何としてでも首里グスクを奪い取って、中山王になりたいのでしょう」
「山南王の事などどうでもいい。中山王と同盟するぞ」と攀安知は言った。
 次の日、山北王の書状を持った使者が『油屋』の船に乗って糸満(いちまん)に向かった。
 その日の夕方、ンマムイが中山王の書状を持って今帰仁グスクに現れた。攀安知は驚いたが、ンマムイと会った。
「生きておったか」と攀安知は笑いながら、ンマムイを迎えた。
「マハニを悲しませるわけにはいきませんので」とンマムイは笑って、中山王の書状を渡した。
 攀安知は書状を受け取り、「今度は中山王の使者か。忙しい奴だな」と言って書状を読んだ。
 書状には、伊平屋島伊是名島から手を引け。その代わりに与論島は返すと書いてあった。こちらが望んでいる通りだったので、攀安知は喜んだが、顔には出さず、「与論島を返すとはどういう意味だ?」とンマムイに聞いた。
 ンマムイは懐から短刀を出すと、攀安知に渡した。
「これは‥‥‥」と言って攀安知は短刀を見つめた。
 その短刀は祖父の形見だった。叔父が与論按司になった時に、与論島を頼むと言って贈った物だった。
「与論按司の物です」とンマムイは言った。
「中山王は与論島を奪い取りました」
「与論按司は生きているのか」と攀安知は聞いた。
「生きております。家族も皆、無事です」
「そうか」と言って、ンマムイを見ると攀安知はニヤリと笑った。
「今頃、中山王に渡す書状を持った使者が、テーラーと会っているはずだ」
「えっ、その書状とは何ですか」
伊平屋島伊是名島は渡すから、与論島を返せ。そして、同盟を結ぼうと書いてある」
「山北王と中山王が同盟?」
「そうだ。わしらが争って、喜ぶのは山南王だけだからな。わしにも中山王にも今、やるべき事がある。お互いに同盟を結んで、やるべき事をやろうと思ったんだよ。どうだ、中山王はこの話に乗ってくると思うか」
 山北王が中山王と同盟するなんて考えてもいない事だった。去年、山南王と同盟したばかりの山北王が、敵である中山王と同盟を結ぶなんてあり得ない話だった。奇抜な事を考えるものだとンマムイは思った。
伊平屋島伊是名島を攻めている兵を引き上げさせれば、中山王はその話に乗ってくると思います」
「勿論、兵は引き上げさせる」と攀安知はうなづいた。
「明日、テーラーは中山王と会うだろう。そして、次の日、油屋の船に乗って帰って来るはずだ。中山王の返事を見てから、そなたに書状を渡す。テーラーが来るまで待っていてくれ」
「わかりました」
「油屋から聞いたが、そなたは新しいグスクを築いて移ったそうだな。マハニと子供たちは元気か」
「はい。子供たちは新しいグスクが気に入ったとみえて、グスク内を走り回っております。マハニもこれで安心して眠れると喜んでおります。もう今帰仁に帰れないと悲しんでおりましたが、山北王と中山王が同盟を結べば、マハニも今帰仁に帰れます。同盟が決まれば、マハニは大喜びする事でしょう」
「そうだな。マハニのためにも同盟が決まってほしいものだ。同盟するとなると婚礼を挙げなければならん。わしの次女のマナビーは十五になったが、中山王の孫に釣り合いの取れる倅はおるか」
「中山王の世子(せいし)、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の息子で十六になった者がおります。確か、今日、ヤマトゥ旅に出たはずです」
「なに、ヤマトゥ旅に出たのか。すると帰って来るのは年末だな」
「はい。チューマチという名で、なかなか賢そうな若者です」
「そいつはチューマチというのか」と攀安知は不思議そうな顔をしてンマムイに聞いた。
「変わった名前ですが、曽祖父の名をもらったようです」
「曽祖父は今帰仁按司だったのか」
「えっ?」とンマムイは驚いた。
「チューマチ(千代松)というのは、わしの祖母の父親の名前なんだよ。今帰仁の英雄として伝説にもなっている」
「そうだったのですか。島添大里按司の妻は伊波按司(いーふぁあじ)の娘ですから、そうかもしれませんね」
「そうか」と言って攀安知は腕を組んで考えた。
 島添大里按司の妻の祖父がチューマチだとすれば、島添大里按司の妻と自分は又従姉弟(またいとこ)の関係になるのだろうか。
今帰仁の血が流れている相手なら大歓迎だ。同盟が決まったら、マナビーをチューマチの嫁にする事にする。そのように話を進めてくれ」
「わかりました」とンマムイはうなづいた。


 翌日、山北王の命令で、伊是名島攻めは中止され、兵は撤収して行った。
 山北王の書状を見て驚いたテーラーは、兼(かに)グスクにンマムイを訪ねたが、ンマムイはいなかった。大事な用があって首里に呼ばれたまま帰って来ないという。仕方なく、テーラーは一人で首里に向かった。中山王が会ってくれるかどうか不安だし、もしかしたら捕まってしまうかもしれないと心配した。
 首里グスクの大御門(うふうじょう)(正門)で、山北王の使いの者だと言ったら、御門番(うじょうばん)は驚いたあと、不審な目つきでテーラーを見た。瀬底之子(しーくぬしぃ)と名乗って、山北王の書状を見せた。しばらく待たされたあと、刀を預けてグスク内に入った。北曲輪(にしくるわ)にいた孔雀(くじゃく)に驚き、坂道を登って西曲輪(いりくるわ)に入って、奥の方に立つ龍天閣(りゅうてぃんかく)に連れて行かれた。三階まで登って素晴らしい眺めに感動して、振り返って部屋の中を見て驚いた。案内して来たサムレーから中山王だと紹介された男は、以前、遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』で一緒に酒を飲んだサグルー師兄(シージォン)だった。
「よう来たのう」と中山王の思紹は笑いながらテーラーを迎えた。
「師兄が中山王だったのですか」とテーラーは腰を抜かしてしまうのではないかと思うほど驚いていた。あの時の話では中山王の武術師範のはずだった。まさか、中山王だったなんて、ンマムイは知っていて、俺をだましたのだろうか。
「まあ、座れ」と思紹は言って、テーラーはひざまずいて頭を下げた。
「山北王からの書状を持って来たそうじゃのう。今、ンマムイが今帰仁に行っているが、ンマムイに会う前に、山北王はその書状を書いたようじゃな」
「えっ、ンマムイは今帰仁に行ったのですか」
「山北王と交渉しに行ったんじゃが、山北王がそなたに書状を頼むという事は、与論島の事が余程、頭にきたと見えるのう。宣戦布告状でも持って来たのか」
 テーラーは山北王の書状を中山王に渡した。
 予想外の事が書いてある書状に思紹は驚いた。
「そなた、何が書いてあるのか知っているのか」と思紹は聞いた。
「おおよその事は」とテーラーは答えた。
「そうか。山北王から同盟を結ぼうと言ってくるとは思ってもいなかったぞ。なかなか、面白い男のようじゃな、山北王は。わしの一存では決められん。すまんが一時(いっとき)(二時間)ほど時間をくれ」
 テーラーは部屋の外で控えていたサムレーと一緒に龍天閣を出て、グスクからも出て、城下を見て回った。
 思紹は馬天(ばてぃん)ヌルとマチルギ、大役(うふやく)の三人と苗代大親(なーしるうふや)を龍天閣に呼んで、同盟の事を話し合った。
 山北王との同盟に反対したのはマチルギだった。敵(かたき)である山北王と同盟するなんて考えられない事だった。五年後に山北王を倒すという計画を知っている大役の三人も、与論島を返して伊平屋島伊是名島をもらうのは賛成だが、なにも同盟まで結ぶ必要はないと言った。
「わしも最初はそう思った」と思紹は言った。
「しかし、今の状況のまま、五年後に山北王を倒すのは難しい。今、同盟を結んで、敵の事をもっとよく知るべきじゃと思ったんじゃよ。同盟を結べば、中山王の者がヤンバルに行く事もできるようになる。ンマムイが調べた所によると、山北王と名護按司(なぐあじ)、羽地按司(はにじあじ)、国頭按司(くんじゃんあじ)、金武按司(きんあじ)、恩納按司(うんなあじ)は一枚岩ではないという。奴らを仲違いさせる事ができるかもしれん。できれば、山北王を孤立させてから倒したいんじゃ。武寧(ぶねい)(先代中山王)が今帰仁を攻めた時、名護(なん)グスク、羽地グスク、そして運天泊(うんてぃんどぅまい)に見張りの兵を置いて、敵が動けないようにした。今回は金武グスク、恩納グスクにも見張りを置かなくてはならない。さらに、南部の事もある。兵はいくらあっても足りないくらいじゃ。五年の間に、名護按司、羽地按司、国頭按司、金武按司、恩納按司を味方に付けるんじゃよ」
「そんな事ができるのか」と苗代大親が言った。
「やらなければならん」
「確かにのう。戦に勝つには敵の事をよく知らなければならないからのう」と大役の嘉数大親(かかじうふや)が言った。
「いくら、同盟したとはいえ、用もないのに、今帰仁の城下をうろうろかぎ回る事はできないでしょう」と大役の与那嶺大親(ゆなんみうふや)が言った。
「山北王は『材木屋』と『油屋』を首里の城下に置いている。わしらも何かを売る店を出したらいい。あちこちを行商して回っても文句は言わんじゃろう。油屋も同じ事をやっているんじゃからな」
「成程。商人を送り込むのですな」と与那嶺大親は思紹の言った事に納得した。
「詳しい事はあとで相談するとして、今は同盟すべきじゃとわしは思う。馬天ヌルはどう思う?」
「わたしがヤンバルのウタキ(御嶽)巡りをしたのは、早いもので、もう十年も前になるわ。亡くなってしまったヌルも多いでしょう。もう一度、ヤンバルを旅して、ヌルたちと親しくした方がいいような気がするわ」
 思紹はうなづき、「同盟すれば、ヌルたちも旅ができるようになるじゃろう」と言った。
「わかりました。同盟しましょう」とマチルギが言った。
「いいのか」と思紹は聞いた。
 マチルギはうなづいた。
「ンマムイの妻のマハニと会って、わたしも色々と考えたのです。マハニは敵である山北王の妹です。でも、わたしにはマハニは憎めないわ。マハニの祖父の今帰仁按司(帕尼芝)はわたしの祖父の敵だったけど、その孫の山北王もマハニも敵ではないのかもしれないって最近考えるようになったのです。同盟を結べば、戦はなくなる。みんなが平和に暮らせればそれでいいのかもしれないと思います」
「五年後の今帰仁攻めは決行するつもりじゃ。そのための同盟だと思ってくれ」
 結論が出て、思紹は山北王宛ての書状を書いて、テーラーはその書状を持って、今帰仁に帰った。

 

 

 

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