長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-103.送別の宴(改訂決定稿)

 佐敷ヌルとササ(馬天若ヌル)が安須森(あしむい)の山頂で、神様の声を聞いていた頃、馬天(ばてぃん)ヌルは首里(すい)グスクの『キーヌウチ』で、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミーと一緒にお祈りを捧げていた。突然、カミーが悲鳴のような大声を出したので、馬天ヌルも麦屋ヌルも腰を抜かすほどに驚いた。
 カミーは目を丸くして宙を見つめ、口をパクパク動かしていた。
「どうしたの? 大丈夫?」と馬天ヌルが言って、「何かに取り憑かれたのかしら」と麦屋ヌルがカミーの両肩をつかんで体を揺らせた。
「大丈夫です」とカミーは言った。
 馬天ヌルと麦屋ヌルを交互に見たが、視点は定まっていて、正気のようだった。
「あなた、声が出るの?」と馬天ヌルが驚いた顔でカミーを見つめた。
「耳も聞こえます」とカミーは言った。
「何が起こったの?」と麦屋ヌルが信じられないと言った顔で、カミーを見てから馬天ヌルを見た。
「神様のお陰かしら?」と馬天ヌルはお祈りしていたウタキ(御嶽)を見つめた。
「佐敷ヌル様です」とカミーは言った。
「今、佐敷ヌル様が安須森の封印を解いてくださいました。あたしは新しい安須森ヌル様を助けるために生まれましたが、封印のお陰で、しゃべる事も聞く事もできませんでした。今、ようやく、しゃべる事も聞く事もできるようになりました。あたしはお婆の跡を継いで『アフリヌル』になって、安須森ヌルとなる佐敷ヌル様を助けなければなりません。馬天ヌル様、あたしにヌルの修行をさせてください」
「佐敷ヌルが安須森の封印を解いた?」
 カミーは馬天ヌルを見つめて、うなづいた。
 馬天ヌルは驚いた顔でカミーを見ていたが、納得したようにうなづいた。
「あなたはアフリヌル様の孫娘だったの?」
「そうです。馬天ヌル様が辺戸(ふぃる)に来られた時、教えを受けなければならないと思いましたが、あたしはまだ六歳でした。まだ早いと思って諦めたのです。そして、十歳の時、慈恩禅師(じおんぜんじ)様と出会って、一緒に首里に来たのです」
「慈恩禅師様が首里に行く事がわかったのね?」
「慈恩禅師様が馬天ヌル様の所に連れて行ってくれるってわかったのです」
「そうだったの。あなたがアフリヌルを継ぐのね。そして、佐敷ヌルを助けるのね。わかったわ。あなたを立派なヌルにするわ」
 カミーは馬天ヌルに両手を合わせて感謝した。
 驚いた顔をして、成り行きを見ていた麦屋ヌルは、「信じられない事が起こるものなのね」とカミーを見てから馬天ヌルを見て、「わたしにもお手伝いさせてください」と言った。
「あなたがここに来たのも、何か、お役目があると思うわ。それは、カミーと関係があるのかもしれない。わたしは付きっきりで指導できないから、カミーの事はあなたにお願いするわ」
「えっ、わたしでいいのですか」
「麦屋ヌル様、お願いします」とカミーは麦屋ヌルに頭を下げてから、嬉しそうに笑った。
「わかりました」と麦屋ヌルもカミーを見て笑った。


 佐敷ヌルたちが首里に帰って来たのは、梅雨も明けた五月の三日で、奥間(うくま)のサタルーも一緒だった。
 サタルーはウニタル(ウニタキの長男)とシングルー(佐敷大親の長男)と一緒にヤマトゥ(日本)に行く事になっていた。若い二人だけでは心配なので、誰を一緒に行かせようかと考えていた去年の暮れ、サタルーが現れた。お前、ヤマトゥに行かないかとサハチが聞いたら、少し考えてから、行くと言った。奥間の親父(長老のヤザイム)が健在なうちに行って来ようと言ったので、二人の事を頼んだのだった。
 百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)の二階にいたサハチ(中山王世子、島添大里按司)は佐敷ヌルたちを迎えて、佐敷ヌルから安須森の事を聞いた。朝盛法師(とももりほうし)によって、安須森のマジムン(怨霊)が封印されていたと聞いて驚いた。そして、その封印を解いたのが佐敷ヌルだと聞いて、改めて佐敷ヌルの凄さを知った。
「お前は凄いよ」とサハチが感心して言うと、
「あたしは何もしてないのよ」と佐敷ヌルは手を振った。
「何もしなくても、佐敷ヌルがいるだけで凄い事が起こるなんて、まさに、神様じゃないか」
 佐敷ヌルが辺戸で神様扱いされた事を聞くとサハチは笑った。
「ササがトカラの宝島の神様で、マシュー(佐敷ヌル)が安須森の神様か。でも、封印が解かれたら、マジムンが出て来たんじゃないのか」
 サハチが心配すると、「大丈夫よ」とササが言った。
「恨みや怒りというのは、そんなにも持続できないのよ。二百年以上も前の事を怒ったってしょうがないでしょう。それよりも、新しい安須森ヌルの出現を神様たちは喜んでいたわ」
 ササの言う事ももっとものような気がするが、サハチには信じられず、「本当なのか」と念を押した。
「大丈夫」と佐敷ヌルも言った。
「もし、マジムンが現れたとしても、あたしとササ、馬天ヌルの叔母さんにサスカサ(島添大里ヌル)、この四人が揃えば怖い物なしのはずよ」
「成程、豊玉姫(とよたまひめ)様の四つのガーラダマ(勾玉)が揃ったら、凄いシジ(霊力)になりそうだな。神様の事はお前たちに任せるよ」
 サハチはササたちが腰に下げている瓢箪(ちぶる)を見て、「お前たち、酒をぶらさげて安須森まで行って来たのか」と聞いた。
「旅にお酒は付き物よ」とササは笑った。
「行く時はお酒が入っていたけど、今は聖なるお水が入っているの。安須森の麓(ふもと)に流れるウッカー(大川)のお水なのよ。古くから神聖なお水としてヌルたちが汲んでいたらしいわ」
「ほう、そんな水があるのか」
「儀式に使うようだけど、お母さんに聞いてみるわ」
 次の日の朝早く、サハチはサイムンタルー(早田左衛門太郎)、イトとユキとミナミ、サキとミヨ、ユリとマキクを連れて、『ハーリー』を見に行った。見に行ったといっても、豊見(とぅゆみ)グスクに行ったわけではなく、一般の者たちと一緒に川縁(かわべり)から眺めた。豊見グスクの物見台から見ればよく見えるが、サハチはシタルー(山南王)を信用してはいなかった。
 久し振りに行ったハーリーは、物凄い人混みだった。国場(くくば)川の川沿いは、どこも人で埋まっていた。今年は天気に恵まれて、三人の王様の龍舟(りゅうぶに)が揃って出るというので、余計に人々が集まって来たようだ。豊見グスクには中山王(ちゅうさんおう)(思紹)の代理として、佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)に行ってもらった。
 中山王の龍舟は一昨年(おととし)に優勝した慶良間之子(きらまぬしぃ)に任せたが、残念ながら二位に終わり、優勝したのは山南王(さんなんおう)だった。
 ハーリーを見たあと、サハチたちは浮島〈那覇〉に渡り、ヒューガ(日向大親)の船に乗り込んで、キラマ(慶良間)の島に向かった。佐敷ヌルが娘のマユを連れて合流した。ササ、シンシン(杏杏)、ナナもいて、サタルーまで一緒にいた。
「お前も来たのか」とサハチが言うと、
「若い者たちを鍛えている島というのを見てみたかったんです」とサタルーは言った。
「本当は、ナナと一緒にいたいだけよ」とササが横から顔を出して笑った。
「お前‥‥‥」と言って、サハチはサタルーとナナを見た。
 ナナの素振りからサタルーが好きな事がわかったが、サタルーは奥間ヌルとサハチの事を知っているので、文句も言えなかった。
「お前たちも若い者たちを鍛えてやれ」とサハチは言った。
 浮島を出て国場川の方を見ながら、この船に乗って、海からハーリーを見ればよかったとサハチは後悔した。晴れ渡った空の下、キラキラ輝いている海をヒューガの船は気持ちよく走った。キラマの島々が近づいて来ると、その美しさに、皆、歓声を上げて喜んだ。
「懐かしいのう」とサイムンタルーは感慨深げに言った。
 十六年前、サイムンタルーは米と武器を届けるためにキラマの島に行き、その美しさに感動した。そして、その翌年、朝鮮(チョソン)の水軍に囲まれて投降し、長い年月を朝鮮で過ごす事になった。サイムンタルーは景色を眺めながら、十六年の月日を思い出していた。
 十六年前と同じように、島では大勢の若い者たちが武芸の稽古に励んでいて、十六年前と同じように、マニウシ夫婦が迎えてくれた。お互いに年を取ったなと言い合いながら、再会を喜んだ。
 ミナミとマキクとマユは楽しそうに砂浜を走り回っていた。
 サハチたちは若い者たちを鍛えて一汗かいたあと、海に潜って魚を取り、星空の下で酒盛りを始めた。呑兵衛(のんべえ)になったササ、シンシン、ナナの三人も女たちに勧めて酒を飲んでいた。佐敷ヌルはこの島のヌルから質問攻めにされていた。
 島ヌルのタミーは佐敷の生まれで、佐敷ヌルに憧れて島添大里(しましいうふざとぅ)の女子(いなぐ)サムレーになり、その後、ヌルの修行をして、首里のヌルになった。三年前に、馬天ヌルに命じられて、この島に来たが、一人になってみるとわからない事が色々と出て来た。憧れの佐敷ヌルがやって来たので、タミーは様々な事を聞いては、うなづいていた。
 島には今、男の修行者が二百人、女の修行者が百人いた。つい最近、ここから五十人の男がサムレーとなり、女二十人が女子サムレーや侍女となって、チューマチのミーグスクに入り、同じように、五十人の男と十五人の女が、クルーの手登根(てぃりくん)グスクに入った。去年は百人の男女が『三星党(みちぶしとー)』に入って、ヤンバル(琉球北部)に行って活躍している。
 武芸を教えているのは六人の男の師範と三人の女の師範で、師範たちは皆、ヂャンサンフォン(張三豊)のもとで一か月の修行を積んでいて、武当拳(ウーダンけん)も身に付けていた。武芸だけでなく、読み書きを教える師範や、娘たちに機織(はたお)りや裁縫を教える師範もいた。東行法師(とうぎょうほうし)になって若者を探し回っている者もいて、若者たちを島に連れて来るための専用の船もあった。以前のように倭寇(わこう)が兵を集めているのではなく、中山王のために働きたい若者を集めていた。首里の女子サムレーの噂は地方まで広まっていて、女子サムレーに憧れる娘たちも多かった。
「あの時、奥間で生まれた子供が二人も、今ここにいるとは驚きじゃのう」とサイムンタルーはサタルーとユリを見ていた。
 サタルーとユリは同じ年に奥間で生まれ、去年の暮れ、島添大里グスクで久し振りに再会した。サタルーは若様として長老の屋敷で育てられ、ユリは側室になるために、親元を離れて、行儀作法や芸事を仕込まれた。同じ年頃の子供と遊ぶ事もなく、ユリはサタルーの存在も知らなかった。サタルーとユリを内緒で会わせたのはヒューガだった。サタルーの武術師範として度々、奥間に来ていたヒューガはユリとも会っていた。その場にサタルーもいて、何度かユリと会い、可愛い娘だと思っていたが、ユリは十六歳の時、側室として浦添(うらしい)に行ってしまった。奥間のために頑張ってくれと見送って以来、九年振りの再会だった。
 佐敷ヌルの屋敷から出て来たユリを見ても、サタルーは気づかなかったが、「若様」と声を掛けられて、ユリの笑顔を見て思い出し、再会を喜んだのだった。
 ユリはユキと仲よく話をしていた。
「あんな綺麗な妹がいたなんて、知りませんでしたよ」とサタルーがユキを見ながらサハチに言った。
「ユキの母親が美人じゃったからのう」とサイムンタルーが言った。
「浦一番の美人を琉球から来た男に取られてしまい、浦の男どもがサハチに決闘を申し込んだ事もあったんじゃ。そして、娘のユキも浦一番の美人になった。その美人を射止めたのがわしの倅だったんじゃよ。二人が一緒になったのは、わしが朝鮮にいる時じゃった。二人を祝福してやる事もできなかったんじゃよ」
「お互いに孫娘と一緒に、この島に来るとは思っていなかったのう」とヒューガは笑った。
「確かにな、孫娘に姪っ子までいる。シンゴ(早田新五郎)の奴と佐敷ヌルが結ばれるなんて、夢にも思っていなかったぞ」
「あの時は驚きましたよ」とサハチも言った。
「佐敷ヌルが妊娠するなんて、まったく考えてもいませんでした」
「しかし、シンゴの奴が毎年必ず、琉球に来たのも佐敷ヌルのお陰じゃろう。わしの留守中、よく頑張ってくれたよ。シンゴだけじゃなく、イトもよくやってくれた。サキもたくましい女になっていたので驚いたよ」
「女船長ですからね、二人とも。大したもんですよ。マチルギも対馬(つしま)に行った時、イトから船の操縦法を習ったんですよ」
「そうだってな、聞いたよ。マチルギが対馬に来たなんて、まったく信じられん事じゃった。お前がマチルギと出会って、剣術の試合をした時の事を思い出すと、今はまるで夢の中にいるようじゃのう」
「あの時、大口を叩いて、中山王を倒すと言いましたが、我ながら、それが実現したなんて、夢を見ているような気がします」
「しかし、お前が大口を叩かなかったら、何も始まらなかったかもしれんのう」とヒューガが言った。
「皆が、お前の大口を実現させるために動き出したんじゃ」
「佐敷按司殿は隠居して東行法師(とうぎょうほうし)になって、この島で若い者たちを鍛え、ヒューガ殿は海賊になって暴れ回った」
 そう言って、サイムンタルーは楽しそうに笑った。
「のんびり琉球に行っている暇などないと思っていたんじゃが、焦ってみても始まらんと思い直して、琉球に来たんじゃよ。やはり、来てよかった。長い間、朝鮮にいて、忘れてしまっていた若い頃の事を色々と思い出した。それに、今、お前がやっている事も大いに参考になったぞ」
「何ですか」とサハチは聞いた。
「山北王(さんほくおう)攻めじゃよ。対馬の守護の宗讃岐守(そうさぬきのかみ)と山北王はよく似ている事に気づいたんじゃ。讃岐守は一族の者をあちこちに配置しているが、交易で儲けているのは讃岐守だけなんじゃ。琉球で手に入れた明国(みんこく)の商品で、一族の者たちを寝返らせる事ができるかもしれんと考えたんじゃよ。それに、お前の真似をして六郎次郎が裏の組織を作って、守護の動きを探っている。わしも対馬に帰ったら忙しくなりそうじゃ。来年も三隻の船で来るつもりじゃ。もっとも、一隻はお前の船じゃがのう。よろしく頼むぞ」
「こちらこそ。南蛮(なんばん)(東南アジア)の者たちが琉球に来そうなので、ヤマトゥの刀を大量にお願いします」
「ヤマトゥの戦(いくさ)も治まって来たからのう。以前よりは刀も手に入れやすくなっている。任せておけ」
 サタルーがナナたちの所に行ったあと、サイムンタルーはここだけの話なんじゃが、と小声で言った。
「実は、中グスクの久場(くば)ヌルと何だ、その‥‥‥」と言って、口ごもった。
 ヒューガがサイムンタルーを見てニヤニヤ笑った。
「久場ヌルがどうかしたのですか」とサハチは聞いて、ハッと気づいた。
 クマヌ(先代中グスク按司)の葬儀のあと、サイムンタルーはしばらく、中グスクから帰って来なかった。サイムンタルーなりにクマヌの事を偲んでいるのだろうと思っていたが、原因は久場ヌルのようだ。
「いい年をして、みっともない事なんじゃが、久場ヌルに惚れちまったらしいんじゃ」
 サイムンタルーは照れくさそうな顔をして、酒を飲んだ。
 サハチは思わず笑い出しそうになったのを、じっと我慢した。
「ヌルに惚れたら大変じゃぞ」とヒューガが言った。
「何もかも忘れて、ずっと一緒にいたいと思うんじゃ。わしもそうじゃった」
 サハチも奥間ヌルとの出会いを思い出して、その通りだと思ったが、口には出さなかった。奥間ヌルとの事は、ヒューガにも内緒にしておかなければならなかった。
「ウニタキ(三星大親)が久高島(くだかじま)のフカマヌルに惚れて、何もかも捨てて、フカマヌルと一緒にいたいと言って、久高島にずっといましたよ。そのお陰で、奴の三弦(サンシェン)は上達しましたがね」
「なに、ウニタキもヌルに惚れたのか」とサイムンタルーは驚いた顔してサハチに聞いた。
「丁度、マユと同い年の娘がいます」
「そうじゃったのか、奴がのう」
「よく帰って来られましたね」
「辛かったが、何とか、別れて来たんじゃよ。だが、今も会いに行きたい心境じゃ」
「慈恩禅師殿も越来(ぐいく)ヌルと仲よくなって、今、島添大里の城下で一緒に暮らしていますし、ヂャンサンフォン殿も運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)と一緒に暮らしています」
「ヂャンサンフォン殿と運玉森ヌル、慈恩禅師殿と越来ヌルが仲がいいのを見て、羨ましく思っていたが、まさか、わしがヌルに惚れるなんて思ってもいなかった。まったく、出会った途端、夢でも見ているような気持ちになってしまったんじゃよ」
「わしの場合は出会った途端ではなかったな」とヒューガが言った。
「馬天ヌルが久高島に籠もって、帰って来た姿を見た時、急に惚れてしまったんじゃよ」
 今度、いつ来られるかわからんが、久場ヌルの事をそれとなく見守ってくれとサイムンタルーはサハチに頼んだ。中グスクの様子を見て、落ち着いたら、久場ヌルを首里に呼ぼうかとサハチは考えていた。
 キラマの島から帰ったあと、首里でサイムンタルーたちの送別の宴(うたげ)が開かれ、その翌日には島添大里で送別の宴が開かれた。サハチは久場ヌルも呼んで、宴に参加させた。
 別れの前日、サハチはイトと一緒に物見櫓(ものみやぐら)に登って、景色を眺めながら別れを惜しんだ。
「いよいよお別れだな」
「楽しかったわ。来て本当によかった。ミナミにとっても、琉球は第二のふるさとになるでしょう。ミナミは女船長になって琉球に来るって言っているわ」
「そうか。そいつは楽しみだな」
「二十五年前、あなたが対馬から琉球に帰る時、一緒に来ないかと言ってくれた。あたし、随分と迷ったのよ。あの頃は若かったし、言葉が通じない所に一人で行っても寂しいだけだって諦めたの。でも、琉球に来てみてわかったの。この島の人たちは皆、親切で、あたしが勇気を出して、あの時、来たとしても何とかやって行けたかもしれないってね。もし、あの時、あたしが来ていたらどうなっていたのかしら?」
「多少は違うかもしれないけど、そんなに変わらないんじゃないのか」とサハチは言った。
 イトは首を振った。
「あたしが琉球に来たら、あなたはマチルギさんと一緒にはならなかったわ。そうなれば、今のように女子サムレーはいないし、娘たちも剣術を習ったりはしなかったでしょう。そして、ウニタキさんにも出会わなかったはずよ」
 イトの言う通り、マチルギとウニタキがいなかったら、今のサハチはいないかもしれなかった。サハチとマチルギが一緒にならなかったら、マチルギはウニタキと一緒になっていたかもしれない。マチルギは望月党に殺され、ウニタキは生きていたとしても佐敷には来ないだろう。
「あの時、あたしは来なくてよかったのよ。ユキが生まれて、ユキが六郎次郎と結ばれて、ミナミが生まれた。そして、ようやく、ユキとミナミを連れて琉球に来た。琉球に来るのに二十五年も掛かったけど、それでよかったんだと思うわ」
 サハチはイトを見つめて、うなづいた。
対馬に帰ったら忙しくなりそうだわ」とイトは笑った。
「男たちが帰って来たからといって、あたしたちが船から降りたわけじゃないのよ。お屋形様(サイムンタルー)から、琉球の商品を積んで、対馬の浦々を回ってくれって頼まれたの。商売は男よりも女の方がうまく行くだろうってね」
「守護の一族を寝返らせるのか」
「そうよ。宗讃岐守を孤立させて、最後には滅ぼすのよ。対馬を統一するって、お屋形様は張り切っているわ」
「無理はするなよ」
「ヂャンサンフォン様から、武当拳を習ったから大丈夫よ」とイトは笑った。
「ミナミったら真剣な顔をして、武当拳のお稽古をしていたのよ。あの子、武芸の才能があるってヂャンサンフォン様が言っていたわ。先が楽しみだわ」
「あの呼吸法は本当に凄いよ。毎朝、静座と套路(タオルー)(形の稽古)をやっていれば、知らないうちに、体が自由に動かせるようになる。ミナミの年からやっていたら、最強の女になるだろう」
「最強の女だなんて、ミナミが怪物みたいじゃない」とイトは楽しそうに笑った。
「ミナミがどんな女に育って行くのか、楽しみだな。今度、会う時はいい女になっているだろう」
 次の日、イトたちを乗せたサイムタルーの船は、シンゴとマグサ(孫三郎)の船と一緒に馬天浜をあとにした。マグサの船には、サタルー、ウニタル、シングルーが乗っていた。勝連(かちりん)で、朝鮮に行く船と合流して、伊平屋島(いひゃじま)でヤマトゥに行く交易船と合流して、南風に乗って北上して行った。
 今回のヤマトゥ旅の責任者は与那原大親(ゆなばるうふや)(マタルー)で、正使はジクー(慈空)禅師、副使はクルシ(黒瀬大親)、サムレー大将は三番組の久高親方(くだかうやかた)だった。ヌルたちはササ、シンシン、ナナ、シズ、ユミー、クルーの六人に佐敷ヌルが加わって、女子サムレーの隊長は首里のマナミーが務めた。
 朝鮮に行く勝連船は、三姉妹が奪い取った船だった。進貢船(しんくんしん)を一回り小さくした大きさで、去年は二隻のヤマトゥ船で行ったが、今年はその一隻で間に合った。正使として本部大親(むとぅぶうふや)、副使は越来大親(ぐいくうふや)、通事はチョルとカンスケで、倭寇によって連れさられた高麗人(こーれーんちゅ)が八人乗っていた。チョル夫婦が探し回って見つけた人たちで、皆、年老いていて、故郷で死にたいと言ったのだった。
 五日後、馬天ヌルは麦屋ヌル、カミー、奥間大親(うくまうふや)を連れて、ヤンバルのウタキ巡りの旅に出掛けた。カミーがしゃべるようになったという噂を聞いて、運玉森ヌルも安須森に行ってみたくなり、ヂャンサンフォンと修行中のマチとサチを連れて首里に来て、馬天ヌルたちと一緒に旅立った。
 ヂャンサンフォンが一緒ならサハチも安心だった。そして、久し振りに見た運玉森ヌルは随分と若返ったように思えた。もう六十歳に近いはずなのに、どう見ても三十代にしか見えない。ヂャンサンフォンと一緒にいて、運玉森ヌルも仙人になったのだろうかとサハチは不思議に思った。

 

 

 

秘法超能力仙道入門―天地に充満する気を練成し超人になる (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)   気功革命―癒す力を呼び覚ます

2-102.安須森(改訂決定稿)

 去年の十一月、ヤンバル(琉球北部)に旅だったウニタキ(三星大親)の旅芸人たちは、浦添(うらしい)、中グスク、北谷(ちゃたん)、越来(ぐいく)、勝連(かちりん)、安慶名(あぎなー)、伊波(いーふぁ)、山田と各城下でお芝居を演じ、周辺の村々(しまじま)でも演じて人々に喜ばれ、ヤンバルに入った。
 恩納(うんな)の城下で演じて、恩納から名護(なぐ)へは荷車を引いて行けないので、小舟(さぶに)に乗って名護に向かった。名護の城下、羽地(はにじ)の城下、運天泊(うんてぃんどぅまい)の港町でお芝居を演じて、今帰仁(なきじん)に着いたのは年の暮れになっていた。今帰仁の城下で新年を迎え、羽地に戻って、国頭(くんじゃん)、奥間(うくま)へと行った。
 奥間のサタルーから、奥間の者たちにもお芝居を教えてくれと頼まれて、奥間に一月滞在して、今帰仁に戻り、本部(むとぅぶ)から名護に出て、名護から小舟で山田まで渡り、浦添に帰って来たのは四月の五日だった。
 今年から浦添グスクでも四月十日にお祭り(うまちー)をやる事に決まり、浦添ヌルのカナから、お祭りには是非とも参加してほしいと頼まれていた。旅芸人たちは浦添で旅の疲れを取りながら、お祭りの準備を手伝った。
 カナは佐敷ヌルから『舜天(しゅんてぃん)』の台本をもらって、女子(いなぐ)サムレーたちと稽古に励んできた。
 お祭りの当日、首里(すい)や佐敷からもお客が集まり、浦添を舞台にした『舜天』のお芝居と、旅芸人たちのお芝居『瓜太郎(ういたるー)』は観客から喝采(かっさい)を浴びた。旅をしながら何度も演じられた『瓜太郎』は改良が重ねられて、以前よりも楽しいお芝居になっていた。佐敷ヌルもユリ、シビー、ハルを連れて来ていて、旅芸人たちの『瓜太郎』に感心して、お芝居は生きていると実感した。ササたちと一緒に、イト、ユキ、ミナミも来ていて、お祭りを楽しんだ。
 浦添グスクの初めてのお祭りは天気にも恵まれて、大勢の人たちが集まって来て大成功に終わった。
 後片付けをしている時、旅芸人の座頭(ざがしら)のクンジは佐敷ヌルに、『小松の中将(くまちぬちゅうじょう)様』のお芝居を作ってくれと頼んだ。佐敷ヌルは、小松の中将様を知らなかった。
「誰なの?」と聞くと、今帰仁按司の御先祖様で、そのお芝居を今帰仁で演じたら喜ばれるに違いないという。
 佐敷ヌルはササに、小松の中将様の事を聞いた。
「聞いた事ある名前だわ」とササは言った。
「確か、平家の大将だった六波羅殿(ろくはらどの)(平清盛)の孫じゃなかったかしら。六波羅殿の長男が小松殿で、小松殿の長男が小松の中将様だったような気がするわ。源氏の事は色々と調べたんだけど、平家の事はよく知らないのよ」
今帰仁按司の御先祖様らしいわよ」と佐敷ヌルが言うと、
「久高島(くだかじま)の神様の話だと、辺戸岬(ふぃるみさき)から上陸した平家の者たちが、安須森(あしむい)(辺戸御嶽)を滅ぼしてから今帰仁に落ち着いたって言っていたわ」とササは言った。
「平家が安須森を滅ぼしたの?」
「そうらしいわよ」
「あたし、佐敷のお祭りが終わったら、安須森に行こうと思っていたの。ササも一緒に行ってくれる?」
「いいわよ。安須森には前に行った事があるから案内するわ」
「ありがとう。ササが一緒なら心強いわ」
「そのガーラダマ(勾玉)の事を調べるのね」とササは佐敷ヌルのガーラダマを示した。
 佐敷ヌルはうなづいて、「あたしのお役目だからね」と笑った。
 クンジは志慶真(しじま)の長老から聞いたと言って、小松の中将様の事を佐敷ヌルに話した。長老もその事を知ったのは二年前で、湧川大主(わくがーうふぬし)と本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)が奄美大島(あまみうふしま)で聞いて来たという。小松の中将(平維盛(たいらのこれもり))が御先祖様だと聞いた長老は驚いて、持っていた書物をあさって平維盛の事を調べた。
 平維盛平清盛の嫡男、重盛(しげもり)(小松殿)の長男に生まれた。母親の身分が高くなかったため、幼い頃は異母弟の資盛(すけもり)が嫡男だったが、成長するにつれて、光源氏の再来と噂されるほどの美貌が評判となり、歌や舞にも優れていたので、嫡男の座を取り戻した。
 しかし、維盛が二十歳の時、妻の父親が平家打倒を企てて捕まり、流刑地(るけいち)で亡くなった。その二年後には、父の重盛が病死してしまう。平家の嫡流は叔父の宗盛(むねもり)に移ってしまい、維盛は微妙な立場に立たされる事になる。
 翌年に後白河法皇(ごしらかわほうおう)の皇子(おうじ)、以仁王(もちひとおう)が平家打倒の令旨(りょうじ)を発して、各地の源氏が蜂起する。総大将に任じられた維盛は、大軍を率いて駿河(するが)(静岡県)や北陸に出陣して源氏の兵と戦うが、時の勢いには勝てず、平家は京都を追われてしまう。
 平家は一ノ谷の合戦のあと、壇ノ浦の合戦で滅びるが、維盛はそれらの戦(いくさ)には参戦していない。一ノ谷の合戦の前に戦線から離脱して、熊野に向かい入水(じゅすい)自殺を図ったと伝わっている。志慶真の長老は、熊野の水軍の助けによって、維盛は琉球に来たのに違いないと言ったという。
 大体の話はわかったが、お芝居にするにはもっと詳しい事を知らなければならなかった。ヤマトゥ(日本)旅で京都に行って、小松の中将様の事を調べようと佐敷ヌルは思った。
 浦添グスクのお祭りの次の日、梅雨に入ったようで、雨降りの日が続いた。
 四月十八日、ジルムイの妻のユミが女の子を産んだ。可愛い孫娘の誕生で、サハチ(中山王世子、島添大里按司)はようやく、クマヌ(先代中グスク按司)の死から立ち直る事ができた。孫娘は祖母の名をもらって、『マチルギ』と名付けられた。
 その三日後、佐敷グスクのお祭りが行なわれた。幸いにも雨は降らなかった。お芝居は『察度(さとぅ)』が演じられ、旅芸人たちもやって来て、『瓜太郎』を演じた。『瓜太郎』の鬼退治の話は、どこでやっても子供たちが喜んだ。
 佐敷グスクのお祭りが終わると、佐敷ヌルはササ、シンシン(杏杏)、ナナ、シビー、ハルを連れて、ヤンバルに旅立った。ナツが言うように、ハルには側室になったという自覚はまったくなかった。常に佐敷ヌルと行動を共にしていた。サハチも好きにさせていた。
 立ち直ったサハチは、ヤマトゥと朝鮮(チョソン)に送る交易船の準備で忙しかった。明国(みんこく)に送る進貢船(しんくんしん)は、今の時期に送ると泉州まで行けないので、今年はやめにした。永楽帝(えいらくてい)は気にしていないとサングルミー(与座大親)は言っていたが、あまり役人を怒らせない方がいいだろう。去年は四回も送って、三姉妹も三隻の船で来たので、浮島(那覇)の蔵の中には商品がたっぷりと溜まっている。今年は二月、十月、十一月の三回にしようと思紹(ししょう)(中山王)と決めていた。
 四月の末、交易船の準備も一段落したサハチが、小雨の降る中、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに帰るとウニタキが現れた。
「ハルは佐敷ヌルに取られたようだな」とウニタキは楽しそうに笑った。
「側室というよりも、わがままな娘が一人増えたという感じだよ。シビーと一緒に、佐敷ヌルの留守を守らなければならないと必死になっているんだ。可愛いもんだよ」
「佐敷ヌルはヤマトゥに行くのか」
「佐敷ヌルは京都で本場のお芝居を見たいんだよ。名人と言われる増阿弥(ぞうあみ)や道阿弥(どうあみ)の芸を観たら、琉球のお芝居も大発展するだろう」
 ウニタキはニヤッと笑うと、
「佐敷ヌルと高橋殿、意気投合しそうだな」と言った。
「ササも一緒に行くと言ってくれたから、高橋殿と必ず会うだろう。どんな出会いになるのか見てみたいものだな」
「お互いに相手を見ただけで、何かを感じるんじゃないのか。それにしても、ササがよく行くと行ったな。そろそろ、ヤマトゥ旅も飽きてくる頃だと思っていたんだが」
「そうなんだよ。俺も助かっている。旅芸人のお陰だよ」
「『小松の中将様』だな」
 サハチはうなづいた。
「ササが平家に興味を持ったようだ。山北王(さんほくおう)を倒すには、敵の御先祖様の事を知らなければならないと言っていたよ」
「御先祖様と戦(いくさ)が関係あるのか」とウニタキは首を傾げた。
「ササはヤンバルの神様たちを味方に付けようとしているんだよ」
「成程、それは必要だな。俺たちには考えもつかない事だ」
「馬天(ばてぃん)ヌルも、ヤンバルのウタキ(御嶽)巡りの旅をもう一度やると言っているんだ」
「そうか、神様とヌルたちを味方に付ければ、山北王はお手上げだな。馬天ヌルと言えば、サワさんと仲良しになったようだな」
「ああ、馬天ヌルの屋敷に滞在して、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とも仲よくしているようだ」
「言葉をしゃべれない娘も一緒にいるようだな。ところで、テーラーも戻って来たそうだな」
「ンマムイ(兼グスク按司)夫婦とチューマチ夫婦を連れて今帰仁に行ったんだが、また戻って来て、『ハーリー』の稽古に励んでいるよ。今年も優勝するつもりでいる」
「まもなく、ハーリーか。今年は三人の王様の龍舟(りゅうぶに)が久し振りに揃うんだったな。何年振りの事だ?」
「何を言っている。三人の王様の龍舟が揃うのは今回が初めてだよ」
「えっ、そうだったのか。山北王の龍舟は去年のテーラーが最初だったのか」
「そうさ。ンマムイの嫁さんに付いて来た山北王のサムレーが何人かいたようだけど、ハーリーには出なかったようだ」
「そうだったのか。俺は山北王が、テーラーに鬼界島(ききゃじま)(喜界島)を攻めさせると思っていたんだが、前の与論按司(ゆんぬあじ)父子(おやこ)にやらせるようだぞ」
「なに、前の与論按司を行かせるのか」
「叔父に従弟(いとこ)だからな。もう一度、機会を与えてやるんだろう。見事に鬼界島を平定したら、鬼界按司(ききゃあじ)になるのだろう。だが、鬼界島を平定するのは難しいようだ」
「手ごわい領主がいるのか」
「志慶真の長老の話だと、あの島は古くからヤマトゥとのつながりがあったようだ」
「お前、志慶真の長老に会ったのか」
「ああ。座頭のクンジと一緒に会って、『小松の中将様』の事を聞いたんだよ。首里からやって来たと言っても、長老は歓迎してくれた。そして、色々と教えてくれたんだ。亡くなってしまったなんて残念だ。しかし、俺たちから見れば、長老がいなくなって、山北王を諫(いさ)める者がいなくなったとも言える。仲尾大主(なこーうふぬし)もミーグスクに追いやられたしな。今の山北王の周りには諫める者は誰もいない。やりたい放題の事をやれば、ヤンバルの按司たちは離反するだろう」
「成程な。志慶真の長老の死は、俺たちにとっては都合がよかったのか」
「そういう事だ。長老が言うには、昔、博多に『鴻臚館(こうろかん)』という外交施設があって、鬼界島には鴻臚館の役所があって、遣唐使(けんとうし)を送る時の中継基地になっていたという。鴻臚館がなくなったあとも、その役所に勤めていた者たちによって島の支配が続いて、平家が宋(そう)の国と交易していた時も、鬼界島は中継基地として使われたようだ。宋の国というのは、明の国の前が元(げん)の国で、その前の国が宋なんだ。今、琉球で使われている銭(じに)も、宋の国が作った銭だと長老は言っていた。そして、壇ノ浦で平家が滅ぼされた時、平家の流れを汲む天皇が鬼界島に逃げて来て、隠れ住んでいたという」
「平家の流れを汲む天皇とは何だ?」
「平家の大将だった清盛は、自分の娘を天皇の后(きさき)にして、その娘が産んだ子を天皇にしたんだよ。その天皇は壇ノ浦の合戦の時、まだ十歳で、鬼界島で平家の残党たちに守られて成長したという。今も、その天皇の子孫が島を支配しているようだ」
「平家の残党の島か」
「ただの残党ではない。中心に天皇の子孫がいる。団結は固いだろう」
「前の与論按司父子には手に負えそうもないな。来年はテーラーが行く事になりそうだ。ところで、テーラーから『クユー一族』の事を聞いたのか」
「聞いたよ。奴らは『望月党』に間違いない」
「何だって!」
 サハチは驚いて、ウニタキの顔を見つめた。
「クユー一族のクユーは『九曜紋』の事だそうだ。九曜紋は望月党の家紋だ。そして、やつらは勝連の残党だとテーラーに言ったんだよ。首領のウトゥミという女は、俺の姉だよ」
「なに、お前の姉が望月党の首領なのか。望月党が奄美大島にいたとは驚いた。いつの日か、勝連を攻めるな」
「ああ」とウニタキはうなづき、「居場所がわかっただけでもよかったよ。配下の者を奄美大島に送って、動きを探らせる」と言った。
「危険じゃないのか」
「奴らは、俺の事は知らない。死んだと思っているだろう。奴らは今、仲間を増やすのに躍起になっている。ウミンチュ(漁師)が迷い込めば、歓迎してくれる。女に惚れたとか言って、奴らの所に住み込めばいい」
「つなぎはどうする?」
「そいつを探しに来たウミンチュを行かせる」
「そうか。うまくやれよ」
「望月党の事は任せてくれ。最悪の時は、山北王の兵に扮して、総攻撃を掛けて全滅させる」
「その時は、ヒューガ(日向大親)殿の鉄炮(てっぽう)(大砲)を使ってもいいぞ」とサハチが言うと、
鉄炮今帰仁攻めのために取っておけ」とウニタキは言った。


 梅雨空の中、ヤンバルに向かった佐敷ヌルたちは、初日は山田グスクに行って山田按司のお世話になった。マウシ(山田之子)の姉の山田ヌルも一緒に行きたいと言ったので、連れて行く事にして、二日目は名護の木地屋(きじやー)の親方、ユシチのお世話になった。三日目は奥間(うくま)に行って、奥間ヌルに歓迎された。
 四日目は大雨が降り続いて、奥間に滞在した。次の日は雨も上がって、久し振りに太陽も顔を出した。奥間ヌルも一緒に行く事になって、いい話し相手ができたと佐敷ヌルは喜んだ。佐敷ヌルと奥間ヌルは同い年で、会ったのは初めてだったが気が合った。
 女ばかり八人の一行は、道なき険しい山の中を安須森(あしむい)を目指した。雨が降らなかったので大分助かり、日が暮れるかなり前に、安須森の麓(ふもと)にある辺戸(ふぃる)の集落に着いた。
 前回、安須森に登ったササたちは、山頂まで四半時(しはんとき)(三〇分)もあれば登れると言うが、じっくりとウタキを拝みながら登りたいので、安須森に登るのは明日にして、辺戸ヌルに会う事にした。ササたちは前回に来た時も辺戸ヌルのお世話になっていて、遠くからよくいらしたと村人(しまんちゅ)たち総出で、歓迎してくれた。
 佐敷ヌルは辺戸ヌルに、安須森ヌルの事を聞いた。
「安須森は古いウタキで、神聖なるウタキです。昔、この辺りには、安須森ヌル様を中心としたヌルたちの村(しま)があったとアフリヌル様から聞いております。二百年余り前、ヤマトゥのサムレーが攻めて来て、安須森ヌル様は殺され、ヌルたちの村も全滅したそうです。唯一、生き残ったのがアフリヌル様で、亡くなったヌルたちの霊を弔いながら、安須森ヌル様のガーラダマ(勾玉)を守って来たのです」
 そう言って、辺戸ヌルは佐敷ヌルのガーラダマに気づいて、ハッとなり、佐敷ヌルを見つめた。
「あなただったのですね?」
 佐敷ヌルはうなづいた。
 辺戸ヌルは急にかしこまって、佐敷ヌルに両手を合わせ、何やら、神歌(かみうた)を唱えていた。
 辺戸ヌルの一族は百年ほど前に、宇佐浜(うざはま)から移って来て、ここに集落を造ったので、それ以前の事はアフリヌルから聞いた話しか知らなかった。
 辺戸ヌルはアフリヌルの家族なら、もう少し詳しい事を知っているかもしれないと言って、連れて行ってくれた。辺戸ヌルたちの一族がここに移って来る前、ここに住んでいたのはアフリヌルだけだったという。
 アフリヌルは娘に跡を継がせて、代々続いて来たのだったが、七年前に亡くなった最後のアフリヌルは息子を産んでしまった。息子に嫁をもらって、娘ができたら跡を継がせるつもりだったのに、生まれた娘はしゃべれなかった。アフリヌルは焦ったが、神様からのお告げがあって、もう跡継ぎはいらないと安心していたという。
 アフリヌルの息子はウミンチュで、子供は三人いた。男の子が一人と女の子が二人いたが、口がきけない女の子は去年の二月、神隠しに遭って、いなくなってしまったという。
 ササが詳しく聞くと、慈恩禅師(じおんぜんじ)がヤンバルから連れて来た女の子に違いなかった。
「その子なら無事です。わたしの母が預かっています」とササは言って、状況を説明した。
 死んでしまったと思っていた娘が無事だと聞いて、母親は泣き崩れて、ササに感謝した。
「あの人見知りのカミーが、知らない人たちに付いて行くなんて考えられん事じゃ」と父親は言った。
「やはり、名前はカミーだったのですね。名前もわからなかったんだけど、母がカミーと呼んだら笑ったそうです。首里ではカミーと呼ばれて、みんなに可愛がられています」
「あの子が可愛がられている‥‥‥」
 そう言って、母親はまた泣いた。
「その子は以前、わたしの母に会った事はありますか」とササが聞くと、父親も母親も首を振った。
「会っていれば、母もここの娘だって気づきますね」
「あなたのお母さんが初めて、ここにいらした時、あの子はまだ生まれていませんでした。母が亡くなったあとに来られた時は、辺戸ヌル様と一緒に来られましたが、子供たちとは会ってはいません。遊んでいる姿は見たかもしれませんが、言葉がしゃべれない事は知らないでしょう」
 ササはうなづいて、「あの子が母のもとに行ったのは、何か神様のお導きのような気がします」と娘の両親に言った。
 アフリヌルの息子夫婦は安須森の事は何も知らなかった。アフリヌルが代々、安須森ヌルのガーラダマを守って来たという事さえ知らない。
「帰ったら母に知らせて、娘さんを戻すように伝えます」と言って、ササたちは息子夫婦と別れた。
 その夜は辺戸村の広場に村人たちが集まって、歓迎の宴(うたげ)を開いてくれた。佐敷ヌルは新しい安須森ヌルだと紹介されて、まるで、神様のように扱われ、祭壇の上に座らされた。
「わたしなんて、まだまだです。そんな扱いをされるヌルではありません」と佐敷ヌルは必死になって謙遜するが、「いいえ、あなたは凄いヌルです。安須森を復活させてください」と辺戸ヌルは聞かなかった。
 ササに助けを求める佐敷ヌルを、ササは楽しそうに眺めていた。ササが助けてくれないので、佐敷ヌルは奥間ヌルを道連れにして、一緒に祭壇に座った。村の人たちが次々にお酒を注ぎに来るので、佐敷ヌルは参っていた。
「こんな事になるなんて」と奥間ヌルが佐敷ヌルを見ながら笑った。
「まったくよ、もう」と佐敷ヌルは口をとがらせた。
「あたし、ちょっと思い出した事があるの」と奥間ヌルは言った。
「先代の奥間ヌルから聞いたんだけど、昔、安須森ヌルがいた頃、安須森は聖地として賑わっていて、ヤンバルのヌルたちは必ずお祈りに行ったって言っていたわ。そして、安須森の麓に流れる川から、聖なるお水を汲んで帰って来たらしいわよ」
「二百年も前の事が言い伝えられて来たの?」
「お水を汲んで来たという瓢箪(ちぶる)が残っているのよ。本物じゃないと思うけど」
「明日、その川に行ってみましょう」
 次の日、佐敷ヌルたちは安須森に登った。梅雨はもう明けたのかと思うほど、いい天気だった。辺戸ヌルが案内すると言ったが、佐敷ヌルは断った。時間を掛けてじっくりとウタキ巡りをしたかった。
 思っていたよりも安須森は静かだった。山の中には古いウタキがいっぱいあるのに静かすぎた。霊気は感じるが、セーファウタキ(斎場御嶽)のように、霊気がみなぎっているという感じはない。おかしいと佐敷ヌルは思って、ササに聞いた。
「前に来た時、神様の声は聞いたの?」
「聞いたけど、古い神様はいなかったのよ。スサノオの神様を知っている神様はいなかったわ。あの時はスサノオの神様の事を調べに来たので、気づかなかったけど、古いウタキなのに、何か、おかしいわね」
「でも、凄い所ね」と山田ヌルは言った。
「十六年前に来た時と少しも変わらないわ」と奥間ヌルは言った。
 奥間ヌルは先代に連れられて、一度だけ安須森に来ていたが、先代が亡くなってから来るのは初めてだった。
 佐敷ヌルたちは登り道の途中にあるウタキを拝みながら、険しい山道を登って行った。
 お祭りに熱中していたので、シジ(霊力)がなくなってしまったのかしらと佐敷ヌルは自分を責めていた。辺戸ヌルからあんな事を言われて、多少はいい気分だったけど、やっぱり、ヌルとしてはまだまだだわ。
 頂上に着いた。ウタキがいくつかあった。
「すごーい」とハルとシビーが景色を眺めながら騒いだ。
 確かに凄い景色だった。北を見れば辺戸岬(ふぃるみさき)が見え、輝く海の向こうに与論島(ゆんぬじま)が見えた。西には伊平屋島(いひゃじま)と伊是名島(いぢぃなじま)が見える。南を見ればヤンバルの山々が連なっていた。皆、黙って景色に見とれた。
「来てよかったわ」と山田ヌルが言った。
「ほんと、いい眺めね」と佐敷ヌルも素晴らしい景色に感動していた。
「アキサミヨー(キャー)!」とハルが悲鳴を上げた。
 ハルが怯えた顔をして指さす方を見ると、鎌首を上げた大きなハブがいた。
「ハブは神様のお使いよ」と佐敷ヌルが言った。
 ハブがいる所をよく見ると、かなり古いウタキのようだった。
「ここだわ」と言って、佐敷ヌルはハブの前に座り込んで、お祈りを始めた。
 ハブは鎌首を上げたまま佐敷ヌルを見ていたが、やがて、頭を垂れるとゆっくりと去って行った。
 ササ、シンシン、ナナ、奥間ヌル、山田ヌルも佐敷ヌルに従ってお祈りを始めた。ハルとシビーも顔を見合わせて、みんなの真似をしようとした時、突然、辺りが暗くなった。二人が空を見上げると、どこから湧いて来たのか黒い雲に覆われていた。雨が降らなければいいけどと心配しながら二人が座ろうとした時、突然、大きな雷が落ちたような音が鳴り響いて、二人は悲鳴を上げた。奥間ヌルと山田ヌルとシンシンとナナが振り返って、ハルとシビーを睨んだ。
 ハルとシビーは小声で謝って座ったが、また大きな雷が落ちて、悲鳴を上げた。
 雨が勢いよく降って来て、二人の悲鳴も消された。山頂にいるので、隠れる場所もなかった。大雨の中、険しい道を下りて行くのは危険だった。
 雨に濡れながらも佐敷ヌルとササはお祈りを続け、奥間ヌルと山田ヌルとシンシンとナナも必死になってお祈りを続けている。雷鳴が鳴り響いて、稲光が光り、滝のような雨が降る中、ハルとシビーはあまりの恐ろしさに抱き合って泣いていた。
 どれだけの時が経ったのかわからない。雨がやんで、辺りが急に明るくなった。ハルとシビーが顔を上げて、空を見上げた。そこに神様の姿があった。二人は感動して、慌てて両手を合わせて、お祈りを捧げた。
 佐敷ヌルとササは神様の声を聞いていた。
「あなたのお陰で、ようやく、開放されたわ。ありがとう」と神様は言った。
 佐敷ヌルにもササにも何の事だかわからなかった。
「あなたは安須森ヌル様(アオリヤエ)ですか」と佐敷ヌルは神様に聞いた。
「そうよ。長い間、封じ込まれていたのよ。あの時、ヤマトゥのサムレーが突然、やって来たわ。宇佐浜から上陸して、安須森に登ろうとしたの。安須森は神聖なウタキだから男の人は入れませんと言ったけど、言葉が通じないのよ。身振り手振りでやったけど駄目で、わたしが無理やり止めようとしたら、斬られてしまったのよ。わたしが殺されてしまったので戦になってしまい、わたしたちは皆、殺されてしまったわ。わたしの娘はなぜか助かって、今帰仁に連れて行かれたの。娘がどうなったのかわからない。わたしたちの恨みの思いが、マジムン(怨霊)になってしまったのね。浦添から朝盛法師(とももりほうし)がやって来て、わたしたちの霊を封じ込めてしまったのよ。安須森ヌルを継ぐ者が現れるまで、封印は解けないって言っていたわ。わたしたちは諦めていたんだけど、馬天ヌルがやって来たわ。もしかしたら、封印は解けるかもしれないと期待したけど、その時はなかなかやって来なかった。でも、待っていた甲斐があったわ。今日、ようやく、封印は解かれたのよ」
「封印が解かれて、マジムンたちが暴れたりしないのですか」と佐敷ヌルは心配して聞いた。
「それは大丈夫よ。安須森ヌルが復活すれば、亡くなったヌルたちも喜んで、マジムンにはならないわ」
スサノオの神様を知っていますか」とササが聞いた。
「わたしの出番ね」と別の神様が言った。
「勿論、知っているわよ。スサノオ琉球に来た時、安須森に登ろうとしたので、止めたのはわたしよ。あの時も言葉は通じなかったけど、スサノオはわかってくれたわ。いい男だったけど、玉グスクヌル(豊玉姫)に取られてしまったわ。わたしの孫が跡継ぎに恵まれなくてね、玉グスクヌルの孫娘を跡継ぎに迎えたの。玉グスクヌルがヤマトゥから持って来たガーラダマをその娘が持って来て、代々、安須森ヌルのガーラダマとして伝えて来たのよ」
「久し振りにそのガーラダマを見たわ」と別の神様が言った。
「封印が解けたので、みんな、嬉しくてしょうがないのよ」と最初の神様が言った。
「これで、安須森も昔のように栄えるでしょう。でも、わたしの娘がどうなったのか、あなた、調べてちょうだい。それと、わたしを殺したヤマトゥンチュ(日本人)が誰だったのかも調べてね。あなたが安須森ヌルを継ぐヌルだったら、そんな事は調べられるはずだわ。お願いね」
 その後も解放された神様たちは、佐敷ヌルとササに話し掛けてきた。耳をふさぎたくなる心境だったが、二人ともじっと我慢して神様の話を聞き続けて、どっと疲れて山を下りた。びしょ濡れだった着物も、いつの間にか乾いていた。
 昨日の奥間ヌルの話を思い出して、麓にある川に行ってみたら、今度はアフリヌルの声が聞こえた。
 アフリヌルは佐敷ヌルにお礼を言ったあと、今帰仁にいるアオリヤエの事を説明した。今帰仁のアオリヤエは偽者で、安須森とはまったく関係ない。今帰仁ヌルを次代に譲ったあと、勢理客(じっちゃく)ヌルを継いで、アオリヤエを名乗っているだけで、正式な神名(かみなー)ではないと言っていた。佐敷ヌルは疲れ切って、ぼんやりと話を聞いているだけだった。
 辺戸村に帰ったら、村人たちは大騒ぎして、佐敷ヌルを迎えた。佐敷ヌルが安須森に登っていた時、安須森の上に笠雲(かさぐむ)が掛かっていたという。古くからの言い伝えで、安須森に笠雲が掛かった時、神様が降りて来ると言われていた。
 辺戸ヌルも初めて笠雲を見て感激して、佐敷ヌルは神様に違いないと確信を持って言ったが、佐敷ヌルは疲労が極限に達して倒れてしまった。

 

 

 

沖縄の聖地

2-101.悲しみの連鎖(改訂決定稿)

 中山王(ちゅうさんおう)(思紹)の孫、チューマチと山北王(さんほくおう)(攀安知)の娘、マナビーの婚礼は大成功に終わった。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)たちが会同館(かいどうかん)でお祝いの宴(うたげ)をやっていた時、開放された首里(すい)グスクの西曲輪(いりくるわ)と北曲輪(にしくるわ)では、城下の人たちが祝い酒を飲んで、御内原(うーちばる)では、高橋殿のお陰で呑兵衛(のんべえ)になったササたちに勧められて、女たちが祝い酒を楽しんでいた。西曲輪内のサムレー屋敷でも、任務を終えたサムレーたちが祝い酒を飲み、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクでも、佐敷グスクでも、平田グスクでも、与那原(ゆなばる)グスクでも祝い酒を飲んでいた。そして、各按司たちのグスクでも、家臣たちが婚礼を祝って酒を飲み、今帰仁(なきじん)グスクでも、山北王が重臣たちを集めて祝い酒を飲んでいた。
 新郎新婦は宴の途中で会同館をあとにして、マチルギと佐敷ヌルの案内で、島添大里按司の屋敷に入って初夜を迎え、翌日、島添大里グスクの近くにできた『ミーグスク(新グスク)』に入った。
 小さなグスクだとマナビーは思った。でも、グスクからの眺めはよかった。そして、グスク内に的場(まとば)があって、近くには馬場もあった。今帰仁から連れて来た愛馬のカーギーも馬場にいて、マナビーが来るのを待っていた。マナビーはカーギーに乗って馬場を走った。
 島添大里グスクに行って、女子(いなぐ)サムレーと剣術の試合もした。剣術では負けたが、弓矢では勝った。しかし、マナビーよりも弓矢がうまい者がいた。信じられなかったが、マナビーよりも凄い腕を持っていた。兄嫁のチミーだった。チミーに負けたマナビーはミーグスクに帰って、悔し涙を流しながら弓矢を射続けた。
 いつの間に来たのか、義母となったマチルギが声を掛けて来た。
「わたしも負けた時は悔しかったわ」とマチルギは言った。
「でもね、競争相手がいるというのは素晴らしい事なのよ。お互いに腕を磨き合えるわ。あなたは才能があるのだから、その才能を伸ばしなさい。ここには武芸の名人たちが揃っているわ。島添大里グスクには佐敷ヌル、佐敷グスクにはササ、島添大里の城下には慈恩禅師(じおんぜんじ)殿がいるし、与那原グスクにはヂャンサンフォン(張三豊)殿がいるわ」
「ヂャンサンフォン‥‥‥」
 マナビーはヂャンサンフォンの事はテーラー(瀬底之子)から聞いていた。明国(みんこく)の拳術の名人のテーラーが、師匠と仰いでいる人だった。
「ヂャンサンフォン殿が編み出した『武当拳(ウーダンけん)』は女子サムレーたちも毎朝、お稽古をしているわ。あなたも一緒にお稽古をしてみるといいわ」
 夕方、もう一度、島添大里グスクに行ったマナビーは驚いた。東曲輪(あがりくるわ)に大勢の娘たちが集まって、剣術の稽古をしていた。皆、マナビーと同じ年頃の娘たちばかりだった。その中に、チミーもいた。
「一緒にやりましょう」とチミーは言った。
「弓矢は得意なんだけど、剣術はあたしよりも強い人がいっぱいいるの。去年の四月に、あたしはここに嫁いで来たんだけど、ここは凄い所よ」
 マナビーはチミーに誘われるまま、剣術の稽古に参加して、稽古のあとは娘たちから質問攻めにあった。うっとうしいと思いながらも、楽しい一時でもあった。
 帰り道、侍女たちから、「あんな娘たちと一緒に剣術のお稽古をなさってよろしいのですか」と言われた。
「山北王の王女様(うみないび)が庶民の娘たちと一緒にお稽古するなんて、今帰仁では考えられない事ですよ」
今帰仁にはあんな娘たちはいないわ」とマナビーは言った。
「あたし、知っているのよ。今帰仁の人たちはあたしの事をお転婆娘(あばーさー)って陰口を言っていたわ。母でさえ、娘に武芸は必要ないって言っていた。でも、ここでは違うわ。奥方様(うなじゃら)が先頭に立って、お転婆娘だったのよ。今帰仁にいた時、あたし、いつも回りの目を気にしていたわ。王女様って呼びながらも、陰に隠れて、しょうがないお転婆娘だって言っていた。ここでは回りを気にしないで生きていけるわ。自分の好きなように生きて行けるような気がするのよ。あなたたちも明日から一緒にお稽古するのよ。いいわね」
「わかりました」と返事をしながら、内心では、侍女たちも面白い所に来たと少し喜んでいた。
 その晩、ササたちがミーグスクにやって来た。明国の娘や南蛮(なんばん)(東南アジア)の娘、ヤマトゥンチュ(日本人)の娘も一緒にいて、マナビーはササたちに圧倒された。今帰仁にも唐人(とーんちゅ)やヤマトゥンチュはいるが、娘は見た事がなかった。明国の娘は琉球の言葉もしゃべれ、南蛮の娘の話を通訳していた。マナビーはササたちにお酒を飲まされて、酔い潰れてしまった。
 翌朝、ササに起こされ、みんなで『武当拳』の稽古をした。ササと一緒に来た女たちは皆、武当拳の名人だった。一緒に稽古をしながら、凄い所に来たとマナビーは改めて思っていた。稽古のあと、マナビーはササたちと一緒に、島添大里グスクに行って、佐敷ヌルたちと一緒に、お祭り(うまちー)の準備を手伝った。島添大里グスクのお祭りは十日後なので、忙しかった。
 その翌日、浮島(那覇)から進貢船(しんくんしん)が出帆した。正使は具志頭大親(ぐしかみうふや)、サムレー大将は十番組の苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)で、十番組のジルムイ、マウシ、シラー、ウハが仲よく一緒に明国に行った。クグルーと馬天浜(ばてぃんはま)のシタルーも従者として行った。ジャワ(インドネシア)の船も進貢船に付いて行き、ササたちはスヒターたちと再会を約束して別れた。
 島添大里のお祭りの前日、クマヌが奥さんを連れて首里にやって来た。クマヌは十日前に、中グスク按司を養子のムタに譲って隠居していた。奥さんに首里の賑わいを見せるためと、孫娘のユミに会わせるためにやって来たのだった。マチルギはクマヌの奥さんとの再会を喜んだ。マチルギが初めて佐敷に来た時、お世話になったのがクマヌの奥さんだった。マチルギは、お腹の大きくなったユミがいる御内原に案内した。クマヌは龍天閣(りゅうてぃんかく)で、思紹(ししょう)と昔話に花を咲かせた。
 翌日、マチルギがクマヌ夫婦を島添大里グスクに連れて来て、クマヌ夫婦はお祭りを楽しんだ。ンマムイ(兼グスク按司)夫婦もサキとミヨの母子(おやこ)を連れてやって来た。サキとミヨはンマムイに呼ばれて、兼(かに)グスクに滞在していた。サハチは心配したが、ンマムイとサキは勘ぐるような仲ではなく、土寄浦(つちよりうら)で武当拳を二人に教えていただけだったらしい。ンマムイの妻のマハニも二人に刺激されて、武当拳を始めたという
 お芝居は『かぐや姫』だった。かぐや姫を演じたのは、何とハルだった。首里グスクのお祭りのあと、チューマチの婚礼があったため、島添大里の女子サムレーも何かと忙しく、充分にお芝居の稽古をする事ができなかった。それで、ハルが主役をやる事に決まったのだった。主役のかぐや姫さえしっかりしていれば、あとは何とかなりそうだった。首里で婚礼が行なわれていた時も、ハルは島添大里で留守番をしながら、お芝居の稽古に励んでいた。
 小柄で可愛い顔をしたハルのかぐや姫は、まさに、はまり役だった。言い寄る男たちを手玉に取って、観客を笑わせ、その時々の表情を微妙に変えて、目の動きや手の動きで感情を表現していた。そして、月に帰る場面では、物見櫓(ものみやぐら)に吊り上げられたが、まったく自然に演じていて、本当に空中に浮き上がって行くように見えた。観客たちの拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
 お芝居を観ていたサスカサ(島添大里ヌル)も、素直にハルに拍手を送って、久高島(くだかじま)の大里(うふざとぅ)ヌルにも観せてあげたいと思っていた。マナビーも侍女たちも、初めてお芝居を観て感動していた。サハチもクマヌ、サイムンタルー(早田左衛門太郎)と酒を飲みながら、ミナミたちと一緒に観て、ハルの演技には感心していた。
 お祭りの翌日、山北王の兵五十人がやって来て、マナビーを守るためにミーグスクに入った。大将として兵を率いて来たのは『仲尾大主(なこーうふぬし)』だった。マナビーは仲尾大主をお爺と呼んで再会を喜んだが、お爺が来た事に驚いた。
 仲尾大主は羽地按司(はにじあじ)の弟で、十六歳の時に今帰仁に行って、伯父の山北王(帕尼芝(はにじ))に仕えた。帕尼芝の死後は珉(みん)に仕えて、珉の死後は攀安知(はんあんち)を補佐して来た重臣の一人だった。攀安知が山北王になって、うるさい事を言う重臣たちは次々に遠ざけられた。最後に残ったのが仲尾大主で、とうとう、仲尾大主も遠ざけられてしまったのだった。
「お爺がどうして、こんな所に来るの?」とマナビーは不思議に思って聞いた。
「世代交代というやつじゃよ。わしは倅に跡を譲ったんじゃ。かといって隠居するほど老いぼれてはおらんので、王女様を守るために南部までやって来たんじゃよ。どうじゃな、新しい土地の居心地は?」
「ここはあたしにぴったりの所よ。毎日が楽しいわ」
「ほう」と仲尾大主は驚いた顔を見せた。
「寂しがっておいでじゃと思っておったが、それはよかったのう」
 マナビーはうなづいて、「ここにはお転婆娘がいっぱいいるのよ」と楽しそうに笑った。
 三月三日、恒例の『久高島参詣(くだかじまさんけい)』が行なわれ、イト、ユキ、ミナミも一緒に行った。留守番のサハチは石屋のクムンと一緒に、首里グスクの北曲輪の土塁を見て歩き、石垣に変更するための指示を与えた。
 クムンたちは島添大里のミーグスクの石垣を見事に積み上げて、サハチが思っていた以上の出来映えだった。サハチは思紹と相談して、北曲輪の石垣をクムンたちに任せる事に決めたのだった。土塁を崩さなければならないので大仕事だが、将来の事を思えば、今のうちに石垣にした方がよかった。領内から人足(にんそく)を集め、特別手当を与えて、半年間で完成させる予定でいた。クムンたちだけでは石屋が足りないので、玉グスクの石屋にも手伝ってもらう事になっていた。
 久高島から帰って来たササたちは、今回は特に騒ぐ事もなかった。久高島の神様から頼まれた事もなかったようで、今年はヤマトゥ(日本)へは行かないとササが言い出しはしないかとサハチは心配した。ササたちはこの時期だけ別れて行動し、『丸太引き』のお祭りのための稽古を始めた。
 今年のサスカサは張り切っていた。ヤマトゥ旅に行って自信を付けたのか、綱を引くサムレーたちに檄(げき)を飛ばしていた。その姿が母親によく似ていて、サハチは頼もしいやら恐ろしいやら、複雑な思いで娘を見ていた。
 三月の半ば、去年の十一月に行った進貢船が無事に帰って来た。タブチ(八重瀬按司)は正使を立派に務め、副使を務めた越来大親(ぐいくうふや)は、タブチから色々と教わって勉強になったと喜んでいた。初めて明国に行ったナーグスク大主(うふぬし)(先代伊敷按司)と山グスク大主(先代真壁按司)は、辛い旅だったが、行って来てよかったと感激していた。
 応天府(おうてんふ)(南京)から帰って来たら、泉州の来遠駅(らいえんえき)で山南王(さんなんおう)の従者たちと会ったとタブチは言った。
 山南王(汪応祖)は去年の暮れ、ようやく進貢船を出していた。正使は大(うふ)グスク大親で、大グスク大親は正使の座が欲しくて、宇座按司(うーじゃあじ)の倅のタキを追い出したに違いなかった。大グスク大親とは入れ違いになったようで、会う事はなかったという。同盟を結んだお陰か、来遠駅では、みんな、仲よくやっていたらしい。
 いつものように、会同館で帰国祝いの宴をやって帰国者たちをねぎらった。ヂャンサンフォンも二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)を連れてやって来て参加した。ヂャンサンフォンの顔を見ると、永楽帝(えいらくてい)が武当山(ウーダンシャン)の再建を始めるようだとタブチは言った。
 サハチは建物の残骸だらけだった武当山を思い出して、「本当なのですか」とタブチに聞いた。
「ヂャンサンフォン殿が武当山に帰って来たと、何年か前に大騒ぎになったそうじゃ。ヂャンサンフォン殿は何とかという偉い道士を一緒に連れていて、ヂャンサンフォン殿の弟子たちとその偉い道士の弟子たちが大勢集まって来て、武当山を再建しようとしたらしい。その噂を聞いた永楽帝は、武当山の再建を考えたようじゃ。何でも、永楽帝は『真武神(ジェンウーシェン)』の化身だと言われていて、真武神を祀る武当山を再建するのは、自分の役目だと思ったようじゃな」
「真武神か‥‥‥」
 サハチはファイチ(懐機)の家で見つけた小さな真武神の木像を思い出し、そして、武当山の山頂に鎮座していた神々しい真武神も思い出した。
「お山の者たちも喜んでおるじゃろう」とヂャンサンフォンは笑った。
「そなたからヂャンサンフォン殿が琉球にいる事は黙っていてくれと言われたので、黙っておったが、一緒に行った者たち全員の口をふさぐ事はできんからな。いつの日か、わかってしまうんじゃないかのう」
「なに、見つかったら、また、どこかに逃げるさ」とヂャンサンフォンは笑っているが、サハチはヂャンサンフォンを琉球から離したくはなかった。
 右馬助は琉球に来て一年余りが過ぎたのに、ずっと運玉森(うんたまむい)の山の中で修行を積んでいた。髪も髭も伸びて、若いくせに仙人のような顔をしている。ササより一つ年上なので、二人がうまくいけばいいとサハチは願っていたのだが、お互いに興味がないらしい。
「修行は順調ですか」とサハチが聞くと、右馬助は首を振って、「うまくいきません」と答えた。
「気分転換のつもりで、首里に出て来たのです」
「サハチ殿、こいつを綺麗どころがいる所に連れて行ってくれんか。奴は今、修行というものに囚われておるんじゃ。何事も囚われの身となったら上達はせん。何もかも忘れ去る事も必要なんじゃよ。綺麗な女子(いなぐ)と酒を飲みながら馬鹿な事を言って笑えば、心も解放されるじゃろう」
 サハチはうなづいて、「このあと、『宇久真(うくま)』にくり出しましょう」と言って、マユミを見た。
「まあ、嬉しい」とマユミは喜んだ。
 次の日の午後、島添大里に帰ると、玉グスク按司が倒れたと騒いでいた。今朝、玉グスクの若按司から知らせがあって、平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)夫婦がお見舞いに出掛けて行ったという。
「玉グスク按司はいくつなんだ?」とサハチはナツに聞いた。
「六十三だそうです」
「六十三か‥‥‥寿命かもしれんな」
 そう言いながら、サハチは初めて玉グスク按司と出会った時の事を思い出していた。
 玉グスクのお姫様だったウミチルがヤグルーに嫁いだあと、サハチは玉グスクに挨拶に行った。今思えば、あの時、完全に孤立していた佐敷按司のもとに娘を嫁がせるなんて、無謀とも思える事をよく決心したものだった。あの時、玉グスク按司と結ばなければ、今のサハチはいなかったかもしれない。玉グスクヌルのお告げがあったと言っていた。サハチはふと、豊玉姫(とよたまひめ)を思い出した。豊玉姫は玉グスクのヌルだった。お告げを下した神様は豊玉姫だったのかもしれないと思い、サハチは改めて豊玉姫に感謝した。
 次の日、玉グスク按司は亡くなった。サハチは弔問(ちょうもん)に行った。玉グスク按司は中山王に感謝して、安らかに眠るように亡くなったという。毎年、従者として、倅や家臣たちを明国まで連れて行ってもらい、交易をして、玉グスクも以前のように賑わってきた。これからも中山王に従って行くようにと若按司を諭したという。サハチはヤグルー夫婦にあとの事を任せて帰って来た。
 島添大里グスクに帰ると、クマヌが倒れたと騒いでいた。サハチには信じられなかった。島添大里グスクのお祭りの時、あんなにも元気だった。山伏姿になって、昔の仲間に会いに行くと言っていた。あれからまだ一月と経っていなかった。
 サハチはすぐに中グスクに向かった。
 勝連(かちりん)から按司夫婦が来ていた。首里から東行法師(とうぎょうほうし)姿の思紹、マチルギ、ジルムイの妻のユミも来ていた。ユミは大きなおなかをしていたが、馬に揺られてやって来ていた。サイムンタルーとヒューガ(日向大親)も来ていた。馬天ヌルも来ていて、中グスクヌル、久場(くば)ヌル(先代中グスクヌル)と一緒にお祈りをしているという。
「旅から帰って来て、旅の疲れが出たみたい」とマチルギは言った。
 サハチはうなづいて、クマヌが休んでいる部屋に行った。クマヌは横になったまま、娘のマチルーと話をしていたが、サハチの顔を見ると上体を起こして、軽く笑った。
「懐かしい顔に会って来たぞ」とクマヌは楽しそうに言った。
「伊波(いーふぁ)に行って伊波按司を偲んだんじゃ。山田に行って、三年前に亡くなったクラマ(鞍馬)を偲んで、毘沙門天(びしゃむんてぃん)のお堂に籠もった。今帰仁に行って、『よろずや』のイブキ(伊吹)と酒を飲み、山北王に仕えているアタグ(愛宕)とも酒を飲んだ。アタグはわしが中グスク按司になったと聞いて、目を丸くして驚いておったわ。そして、奥間(うくま)に行って、アサと会った。お互いに年を取っていて、再会を喜び合ったよ。アサが産んだわしの息子と娘にも会った。息子はサタルーのために、裏の組織『赤丸党』というのを作って活躍しているようじゃ。娘は武寧(ぶねい)の側室になって、息子を一人産んだんだが殺されて、奥間に戻って来た。今では側室になる娘たちの指導をしているという。アサから聞いたんじゃが、王様(うしゅがなしめー)の娘も生まれていて、今、山北王の側室になって、今帰仁にいるようじゃ」
「親父の娘が山北王の側室になっているのか」とサハチは驚いた顔でクマヌを見つめた。
「わしも驚いたわ。三年前、山北王が徳之島(とぅくぬしま)を占領した時、お祝いとして贈ったようじゃ」
「親父の娘が今帰仁グスクにいたとは驚いた。親父には話したのですか」
 クマヌはうなづいた。
「王様も口をポカンと開けて驚いていた。そして、今帰仁攻めに使えると言っておった。それと、マサンルー(佐敷大親)の倅も生まれていて、サタルーに仕えているそうじゃ」
「マサンルーの倅もいたのか」
「王様の娘はミサ、マサンルーの倅はクジルーという名じゃ。奥間からさらに北に行くつもりだったんじゃが、年齢(とし)には勝てん。奥間から引き返して来て、帰ったらどっと疲れが出てきたんじゃよ。浮島のハリマ(播磨)にも会いたかったんじゃがのう」
「浮島はすぐですよ。疲れを取ったら行ってくればいい」
 クマヌは笑って横になった。
 大丈夫そうだとサハチは安心した。眠ったようなので、マチルーに任せて、サハチは部屋から出た。
 みんなのいる部屋に戻ると、クマヌの思い出話をして笑っていた。サハチも話に加わった。
「クマヌはわしの師匠じゃった」と思紹は言った。
 サハチにとってもクマヌは師匠だった。物心ついた頃からクマヌはずっとそばにいた。色々な事を教わった。クマヌに連れられて、サイムンタルーとヒューガと一緒に旅をした時の事が、まるで、昨日の事のように思い出された。マチルギと出会ったのも、クマヌが伊波按司と親しくしていたからだった。そして、サハチがヤマトゥに行っている留守に、マチルギが佐敷に来たのも、クマヌがいたからだった。クマヌが琉球に来なかったら、今のサハチはいなかったに違いない。祖父の跡を継いで、馬天浜で鮫皮(さみがー)を作っていたかもしれなかった。
 次の日の朝、クマヌは目覚めなかった。眠ったまま亡くなってしまった。サハチはあまりの衝撃に呆然となったまま、言葉も出なかった。
「主人は死を悟っていたのだと思います」とクマヌの奥さんが言って、サハチにクマヌが残した手紙を渡した。
「わしは幸せだった」と言っておりました。
 そう言って、涙を拭うと奥さんは去って行った。
 サハチは屋敷から出て、海を眺めた。
「中グスクはいい所じゃ。毎朝、綺麗な海が眺められるだけで幸せじゃよ」とクマヌが口癖のように言っていたのをサハチは思い出していた。
 サハチは手紙を広げた。しっかりした字で書いてあった。
「そなたは人を引き付ける不思議な力を持っている。そなたには自覚はないだろうが、そなたのその力によって大勢の者たちが、そなたの周りに集まって来ている。ヒューガ、ウニタキ、ファイチ、ヂャンサンフォン殿、ジクー禅師、慈恩禅師、八重瀬按司(えーじあじ)、兼グスク按司、海賊の三姉妹、数え上げたらきりがない。わしもその中のひとりだ。そなたが生きている間は今のままでも大丈夫だが、そなたが亡くなったあとの事も考えておけ。子供たちのために災いはすべて取り除け。人の上に立つ者は、時には鬼になる事も必要だ。楽しい日々をありがとう」
 サハチはクマヌの最期の教えを読みながら泣いていた。
 サハチは海に向かって、「クマヌ」と叫んだ。
 翌日は『丸太引き』のお祭りだった。思紹、馬天ヌル、マチルギは首里に帰って行った。
 サスカサの気合いがサムレーたちに通じたのか、今年は島添大里が優勝した。丸太引きのお祭りを初めて見たイハチの妻のチミー、チューマチの妻のマナビー、そして、サハチの側室のハルは、丸太の上で跳んだり跳ねているサスカサたちを見て驚いていた。
 サハチは島添大里グスクに帰っても呆然としていて、クマヌの死からなかなか立ち直れなかった。
 丸太引きのお祭りの二日後、ンマムイの兼グスクに今帰仁から使者が来て、志慶真(しじま)の長老の死を伝えた。ンマムイ夫婦とチューマチ夫婦がテーラーと一緒に今帰仁に向かった。クマヌの死を知って帰って来たウニタキ(三星大親)に、チューマチたちの護衛をサハチは頼んだ。
 立て続けに三人が亡くなったが、それだけでは終わらなかった。四月の七日、ンマムイの母親が八重瀬(えーじ)グスクで亡くなった。タブチが中心になって姉の葬儀を行なった。弟のシタルー(山南王)は代理の者を送っただけで、本人は現れなかったという。
 サハチは行かず、マタルー(与那原大親)夫婦に任せた。マタルーの妻のマカミーが生まれた時、すでに伯母は浦添(うらしい)に嫁いでいたが、里帰りをした伯母と何度か会っていた。中山王(武寧)の王妃なのに、野良着(のらぎ)を着て、野良仕事をしているのを見て、驚いた事があった。気さくな伯母で、マカミーは好きだった。伯母の死は悲しいが、伯母のお陰で、久し振りに兄弟たちに会えたのはマカミーにとって嬉しい事だった。
「遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真』の女将さん(ナーサ)も来ていて、悲しそうにしょんぼりとしていました」とサハチはマタルーから聞いた。

 

 

 

修験道 (講談社学術文庫)   感じるままに生きなさい ―山伏の流儀

2-100.華麗なる御婚礼(改訂決定稿)

 二月九日、首里(すい)グスクのお祭り(うまちー)が行なわれた。
 首里に滞在していたイトたちは勿論の事、与那原(ゆなばる)で武術修行をしていたスヒター(ジャワの王女)たちも戻って来て、お祭りを楽しんだ。
 お芝居は『鎮西八郎為朝(ちんじーはちるーたみとぅむ)』だった。ササとサスカサ(島添大里ヌル)から話を聞いて、佐敷ヌルが作った新しいお芝居だった。戦(いくさ)の場面が多く、背の高い女子(いなぐ)サムレーのウフハナが為朝を演じて喝采を浴び、為朝の強弓から射られた矢が二人の武将を貫く場面は、観客が悲鳴を上げるほど見事な演出だったらしい。
 お芝居のあと、サングルミー(与座大親)が二胡(アフー)を披露して喝采を浴び、ササの横笛との合奏は皆が感動したという。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はチューマチの婚礼と進貢船(しんくんしん)の準備で忙しく、お芝居もサングルミーの二胡も観られなかった。いつもなら翌日、御内原(うーちばる)でお芝居の再演をするのだが、御内原も婚礼の準備で忙しく、再演は婚礼が終わってからとなった。
 お祭りの翌日、ジルムイの妻、ユミのお腹が大きくなって、五歳になった長男のジタルーを連れて御内原に入った。御内原では王妃を中心に側室や侍女たちが、婚礼で着る重臣たちの衣装を縫っていた。明国(みんこく)の官服(かんぷく)を真似したお揃いの衣装だった。ユミも体をいたわりながら手伝った。
 首里グスクのお祭りの五日後、『油屋』の船に乗って、花嫁が浮島(那覇)にやって来た。花嫁の護衛役は本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)だった。花嫁のマナビーは女子サムレーの格好で、付いて来た五人の侍女も女子サムレーだった。一行は新しくできた宿泊施設『那覇館(なーふぁかん)』に入った。
 サハチは『天使館』を使うつもりでいた。しかし、「ヤマトゥ(日本)に行った交易船が旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船を連れて来たらどうするの?」とマチルギに言われた。
 去年は来なかったので、今年は来るかもしれなかった。『天使館』に旧港の人たちが入っていれば使えない。若狭町(わかさまち)にある宿屋にはヤマトゥの商人たちが滞在していて、どこも一杯だった。それで、新たに宿泊施設を建てる事に決めたのだった。『那覇』というのは、その辺りの古い地名で、老ウミンチュ(漁師)から聞いて、何となく響きがいいので施設の名前にした。
 旧港の船は来なかったが、ジャワ(インドネシア)の船が来て、『天使館』を使っていた。マチルギの先見の明にサハチは感謝した。
 怖いもの知らずの花嫁だった。『那覇館』にじっとしていないで、さっそく、侍女たちを連れて浮島を散策していた。テーラーは休む暇もなく、花嫁に従って浮島を案内した。
「ヤンバル(琉球北部)から女子サムレーの花嫁がやって来た」と噂が広まって、人々が集まって来た。見物人たちに囲まれながら、花嫁は楽しそうに若狭町(わかさまち)を見たり、久米村(くみむら)を見て回った。
「ヤンバルのお姫様は美しい」という噂も広まり、野次馬の数は増えるばかりで、知らせを聞いたサハチは、浮島の警護に当たっている三番組のサムレーたちに見物人の整理を命じた。
 噂を聞いて、首里にいたンマムイ(兼グスク按司)もやって来た。ンマムイはテーラーとの再会を喜び、花嫁のマナビーは、
「伯父様、南部にやって参りましたわ。よろしくお願いします」とンマムイに挨拶をした。
「おやまあ、相変わらずの格好ですね」とンマムイは笑った。
 乗馬が好きなマナビーはいつも馬乗り袴をはいていた。一緒に来た五人の侍女たちもマナビーに従うには馬に乗れなければならず、武芸の稽古もマナビーと一緒にやっていた。
 マナビーの母親はンマムイの妹のマアサだった。そして、ンマムイの妻のマハニはマナビーの叔母であり、義理の伯母でもあった。
「マハニ叔母さんはお元気ですか」とマナビーはンマムイに聞いた。
「ああ、元気だよ。一時は今帰仁(なきじん)にはもう帰れないと嘆いていたけど、同盟を結んだお陰で、今帰仁に帰れると喜んでいるよ」
「父から中山王(ちゅうさんおう)のもとへお嫁に行けと言われた時は驚きました。でも、伯父様と叔母様がいらっしゃるので、安心して参る事ができました」
「マナビーのお婿さんになる男は、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の倅のチューマチだ。先月、ヤマトゥから帰って来て、婚礼の話を聞いたばかりだ。島添大里の奥方様(うなじゃら)は武術の名人で、女子サムレーたちを仕切っている。マナビーの嫁ぎ先にぴったりの所だよ」
「女子サムレーの噂は叔母様から聞きました。早く、見てみたいわ」
 その頃、首里は婚礼の準備で大忙しだった。各地から婚礼に出席する按司たちが家臣を引き連れてやって来た。北は伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司、安慶名按司(あぎなーあじ)、宇座按司(うーじゃあじ)、北谷按司(ちゃたんあじ)、勝連按司(かちりんあじ)、越来按司(ぐいくあじ)、中グスク按司浦添按司(うらしいあじ)、南は知念按司(ちにんあじ)、垣花按司(かきぬはなあじ)、玉グスク按司、糸数按司(いちかじあじ)、兼(かに)グスク按司、大(うふ)グスク按司、八重瀬按司(えーじあじ)、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)、玻名(はな)グスク按司、米須按司(くみしあじ)、山グスク大主(うふぬし)(先代の真壁按司(まかびあじ))、ナーグスク大主(先代の伊敷按司(いしきあじ))が来た。八重瀬按司、玻名グスク按司、米須按司、山グスク大主、ナーグスク大主は今、明国に行っているので、若按司あるいは跡継ぎが来ていた。山南王(さんなんおう)の代理としては豊見(とぅゆみ)グスク按司が来た。
 会同館(かいどうかん)の宿泊施設だけでは足らず、城下の宿屋も借り切って、空いている屋敷も使用した。首里の城下はサムレーたちで溢れた。遊女屋(じゅりぬやー)『喜羅摩(きらま)』には昼間からサムレーたちが押し寄せて、酒盛りを始め、最近できたいくつかの料理屋でも、祝い酒を飲んでいた。遊女屋『宇久真(うくま)』は明日の婚礼で使用するため、門は閉まっていた。
 ヤンバルに行っていたウニタキ(三星大親)も戻って来て、城下に曲者(くせもの)が侵入しないように配下の者たちを配置に付けた。
 二月十五日、天候に恵まれて、浮島から首里へ花嫁行列が華やかに行なわれた。先導するのは五番組のサムレー大将、外間親方(ふかまうやかた)で、配下の者たちは揃いの赤い腹巻き(鎧)を身に付けて、テーラー率いる十人のサムレーとお輿(こし)に乗った花嫁を前後で守った。
 沿道は見物人で溢れ、七番組と八番組のサムレーたちが通り道に縄を張って、警護に当たった。
 花嫁は陽気だった。お輿のすだれを上げて、ニコニコ笑いながら見物人たちに手を振ったりしていた。美しい高価な着物を着て、髪には光り輝く簪(かんざし)を挿し、気品のある顔立ちは、どう見ても雲の上のお姫様だが、その人懐っこい笑顔は、誰もが好感が持てると感じていた。
 花嫁行列は首里の大通りまで来て、中程にある遊女屋『宇久真』の前で止まり、花嫁一行は『宇久真』に入って休憩した。役目を終えた外間親方は配下の兵を連れて、首里グスクに引き上げた。
 四半時(しはんとき)(三十分)後、首里グスクの太鼓が鳴り響いた。『宇久真』からゆったりとした音楽が流れてきた。やがて門が開いて、馬に乗った佐敷大親(さしきうふや)と平田大親が現れた。二人とも鎧(よろい)は身に付けず、明国渡りの豪華な緞子(どんす)で作った直垂(ひたたれ)を着て、きらびやかな太刀を佩いていた。
 次に現れたのは楽隊で、笛と太鼓と三弦(サンシェン)を演奏しながら、佐敷大親と平田大親の馬の後ろに並んだ。横笛を吹いているのは女子サムレーで、太鼓も三弦も京都で行列をした者たちだった。皆、烏帽子(えぼし)をかぶって、ヤマトゥのお公家さんが着ている直衣(のうし)を着ていた。
 次に佐敷ヌル、馬天(ばてぃん)若ヌルのササ、島添大里ヌルのサスカサ、三人のヌルが正装をして現れた。黄金色に輝く扇を持ち、首からガーラダマ(勾玉)を下げ、頭に巻いた白い鉢巻きには、見事な鷲(わし)の羽根を挿していた。
 三人のヌルの後ろに、涼傘(リャンサン)(大きな日傘)を持った男が三人並び、そのあとに、十人の女子サムレーが続いた。女子サムレーたちは白い鉢巻き、白い着物に白い袴、白柄白鞘(しろつかしろさや)の刀と白づくめだった
 女子サムレーのあとにようやく、花嫁のお輿が現れた。お輿も先程よりも華麗になって、お輿を担ぐ男たちも烏帽子をかぶり、直垂姿になっていた。お輿のすだれは上げられ、花嫁は白地の緞子の着物を着て、にこやかに笑っていた。お輿の回りに着飾った侍女たちが従った。その後ろに女子サムレー十人、馬に乗ったテーラーとサムレーが十人、最後尾には馬に乗った与那原大親(ゆなばるうふや)と手登根大親(てぃりくんうふや)がいた。
 クルーは手登根にグスクを築いて、手登根大親を名乗っていた。グスクの主(あるじ)になって、喜んだのはクルーよりも妻のウミトゥクだった。娘たちに剣術を教えて、女子サムレーを作ると張り切っていた。
 笛の調べが変わって、行列がゆっくりと動き出した。沿道に溢れている見物人たちから指笛が飛んだ。あちこちから飛んでくる指笛に歓迎されながら、花嫁行列はゆっくりと大通りを進んで行った。
 笑顔とは裏腹に、マナビーの心の中は不安で一杯だった。今帰仁を発つ時、母は泣いていた。敵(かたき)のもとに嫁ぐなんて、あまりにも可哀想過ぎると言った。姉が山南王(さんなんおう)のもとへ嫁いだ時も泣いていたが、泣き方は全然違った。
 去年の五月のお祭りの時、父は志慶真大主(しじまうふぬし)の倅に嫁ぐかと聞いた。羽地(はにじ)も名護(なぐ)も国頭(くんじゃん)もお前と釣り合う相手はいない。志慶真なら近くていいだろう。お前を遠くにはやりたくないと言った。志慶真のタルーはよく知っていた。ちょっと頼りないけど、近くだから、まあいいかと思っていた。
 ところが、その五日後、中山王のもとへ嫁げと言われた。マナビーにはわけがわからなかった。伊是名島(いぢぃなじま)で戦(いくさ)をしている敵のもとへ嫁ぐなんて考えられない事だった。
「中山王と同盟する事に決めた」と父は言った。
「マサキは山南王に嫁いだ。お前は中山王に嫁ぐ。わしが琉球を統一するまで我慢してくれ。お前たちは必ず助け出す」
 母は先代の山北王(珉)と先々代の中山王(察度)が同盟した時に嫁いで来た。今度は娘のわたしが嫁いで行く。運命のようなものをマナビーは感じていた。
 中山王との同盟を知ると羽地按司(はにじあじ)、名護按司(なぐあじ)、国頭按司(くんじゃんあじ)がやって来て、そんな重大な事を独断で決めるなんて許せないと怒った。父は平気な顔をして、成り行きを説明していた。城下の人たちは噂を聞いて、戦が終わった事を喜んでいた。伊是名島の戦から発展して、大戦(うふいくさ)になるのではと皆が心配していた。
 喜んでいる人たちを眺めながら、マナビーは中山王のもとへ嫁がなければならないと覚悟を決めた。
 馬に乗ってヤンバルを駈け回ってはいても、船に乗って遠くに行くのは初めてだった。マナビーは飽きずに景色を眺めていた。もし、いやな事が起こったら、馬に乗って帰って来ようと密かに決めていた。
 浮島に着いて、その賑わいに驚いた。今帰仁よりも栄えている所はないと聞いていた。しかし、浮島には大勢のヤマトゥンチュ(日本人)がいて、唐人(とーんちゅ)でもない異国の人たちもいた。遠くに来た不安よりも好奇心の方が勝り、マナビーは浮島を散策した。
 ヤマトゥには行った事はないが、若狭町はまるでヤマトゥの国のようだと思った。行き交う人たちはヤマトゥ言葉をしゃべり、ヤマトゥの着物を着た琉球の娘たちを連れていた。
 土塁に囲まれた久米村には大勢の唐人が住んでいて、唐の言葉が行き交い、まるで唐の国だった。そして、『天使館』には南蛮(なんばん)(東南アジア)から来た人たちがいた。
 花嫁行列の時、マナビーは初めて女子サムレーを見た。白づくめのその姿は格好よかった。皆、武芸の腕も相当ありそうだが、馬術と弓矢は負けないとマナビーは強気だった。女子サムレーを仕切っているという花婿の母親に、早く会いたいと思った。
 中山王の都、首里今帰仁ほどは栄えていなかった。賑わっているのは首里グスクへと続く大通りの周辺だけのようだった。
 城下の人たちの大歓迎を受けながら、もう今帰仁には帰れないのではないかという不安がよぎった。自分のわがままで逃げ出したら、戦が起こるかもしれない。父が助けに来るまでは、何があっても我慢しなければならないとマナビーは思い始めた。でも、我慢できるか自信はなかった。
 花嫁行列は高い石垣に囲まれた首里グスクに入って行った。北曲輪(にしくるわ)から坂道を登って西曲輪(いりくるわ)に入った。北曲輪と西曲輪は城下の人たちに開放されて、祝い酒と餅を配る屋台がいくつも出ていた。
 法螺貝(ほらがい)の音が響き渡って、中御門(なかうじょう)が開いた。佐敷ヌル、ササ、サスカサの先導で、馬から下りた佐敷大親と平田大親、お輿から降りた花嫁が侍女を連れて中御門から御庭(うなー)に入った。三つの涼傘が続き、テーラーが五人のサムレーを連れて従い、与那原大親と手登根大親が御庭に入ると、警護の兵によって中御門に縄が張られた。
 西曲輪に残された楽隊と女子サムレーは西曲輪から北曲輪に下り、テーラーが連れて来た五人のサムレーは、西曲輪内のサムレー屋敷に入って休憩した。
 御庭の中では、揃いの官服(かんぷく)を着た按司たちと中山王の重臣たちが、両側に並んで花嫁を迎えた。
 正面の百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の唐破風(からはふ)の下には、中山王の思紹(ししょう)と王妃、世子(せいし)のサハチと世子妃のマチルギが並んで座り、左側には山北王の代理として兼グスク按司夫婦が座って、右側には山南王の代理として豊見グスク按司夫婦が座っていた。
 山北王の代理はテーラー夫婦が務める予定だったが、テーラーの妻は王妃の代理なんて、恐れ多くて、とてもできないと言って来なかった。急遽、ンマムイ夫婦に頼んだのだった。王様の格好をしたンマムイは妙にかしこまって、落ち着きがなく、きらびやかな着物に完全に負けていた。王妃の格好をしたマハニは気品が漂い、よく似合っていた。
 豊見グスク按司夫婦は、「やがて、お前たちは山南王と王妃になる。今のうちに稽古をしておけ」とシタルー(山南王)に言われて送り出された。
「どうして、親父が行かないのです」と豊見グスク按司が聞くと、「花嫁の親の山北王(攀安知)が来ないのに、山南王が出て行くわけにもいくまい」とシタルーは言ったという。
 豊見グスク按司と妻のマチルーも緊張した面持ちで、御庭に居並ぶ按司たちを見下ろしていた。山南王と山北王が同盟した時の婚礼よりも、集まっている按司の数は多かった。父は中山王を倒すと言っているが、それは難しいと豊見グスク按司は思った。戦をするよりも、今のまま同盟を結んでいた方がいいと思っていた。
 花嫁が入場して来ると、石段の下に座っていた花婿のチューマチが、立ち上がって花嫁のマナビーを迎えた。花婿と花嫁が向かい合って立った時、幽玄な笛の調べが流れ、馬天ヌルがヌルたちを率いて登場して、華麗な儀式が始まった。佐敷ヌルが新郎新婦に寄り添って、侍女たちが新郎新婦の後ろにひざまづき、他の者たちは去って行った。ササとサスカサは馬天ヌルが率いて来たヌルたちと合流した。
 馬天ヌルが神歌(かみうた)を唱えて、それに和すようにヌルたちが歌った。ヌルたちの声が美しく響き渡って、今にも神様が降りて来るような気がした。目の錯覚か、太陽の光が馬天ヌルに集中して照らしているように見えた。やがて、一人のヌルが華麗な舞を舞い始めた。それに続くように一人、二人と舞い始めた。十二人のヌルたちが薄絹をなびかせて舞う姿は、まるで、蝶々が飛び回っているようだった。ササとサスカサも華麗に舞っていた。新郎新婦は蝶々たちに祝福されていた。
 チューマチはヌルたちの舞を眺めながら、ちらちらと横に立つマナビーを見ていた。マナビーは思っていたよりもずっと綺麗で、可愛かった。見るからにお姫様という上品さがあって、こんな娘と一緒になれるなんて、俺は果報者(くゎふーむん)だと神様に感謝していた。ちらっと横を見た時、マナビーと目が合った。マナビーはニコッと笑った。チューマチはドキッとして慌てて視線をそらせた。
 マナビーはチューマチを見て、がっかりしていた。見たところ武芸の腕もそこそこで、顔付きも冴えない。高価な着物を着ていなかったら、どこにでもいるウミンチュと変わらないと思った。はるばる遠くまで来て、こんな男に嫁ぐのかと情けなくなっていた。我慢できなくなったら、やっぱり逃げ出そうと決めた。
 蝶々たちがいなくなると、馬天ヌルと佐敷ヌルによって儀式は続けられ、新郎と新婦が固めの杯(さかづき)を交わして、御婚礼(ぐくんりー)の儀式は終わった。
 馬天ヌルが下がると太鼓の音が響き渡って、佐敷ヌルの先導で、新郎新婦は中山王、山北王の代理、山南王の代理と挨拶をして回り、その後、按司たちに挨拶をして回って、御庭から西曲輪に出た。新郎新婦は大勢の城下の人たちに祝福されながら、挨拶をして回った。
 中御門は閉じられ、御庭にいた人たちは会同館へと移動した。
 サハチ夫婦も着替えて、ンマムイ夫婦、豊見グスク按司夫婦と一緒に会同館に移った。
 思紹が挨拶をして、サハチが挨拶をして、山北王の代理としてマハニが挨拶をした。ンマムイが馬鹿な事を言わなければいいがとサハチは心配していたが、マハニだったので、ほっとした。マハニは今帰仁に帰った時、マハニの母親から聞いたマナビーの子供の頃の話をして、中山王と山北王の同盟はめでたいと言って挨拶を終えた。
 マハニを初めて見た各地の按司たちは、マハニの美しさに見惚れて、花嫁が美しいのも無理はないと納得し、わしの倅もヤンバルから嫁を迎えるかとささやき合っていた。
 新郎新婦が挨拶したあとは無礼講となって、サハチは按司たちに挨拶をして回った。
 中グスク按司のクマヌはしばらく見ないうちに随分と老け込んでいた。
「素晴らしい婚礼じゃったのう」とクマヌは感激していた。
「中山王が山北王と同盟を結ぶなんて考えてもいなかった。しかし、これでよかったのかもしれんのう。戦がないのが一番じゃ。年を取ったせいか、最近、やたらと昔の事が思い出されるんじゃよ」
「もしかして、ヤマトゥに帰りたくなったのではないですか」とサハチは聞いた。
 クマヌは笑って首を振った。
「軽い気持ちで琉球に来て、居心地がいいので長居して、そなたと出会って、今では按司になっている。もう、琉球がわしの故郷じゃよ」
「そう言っていただけると助かります。まだまだ、クマヌの力が必要です」
「クマヌと呼ばれるのも久し振りじゃ」とクマヌは笑った。
「わしが琉球に来た時、そなたはまだ三つじゃった。月日の経つのは早いもんじゃのう。あの頃のわしは若かった。年を取る事など考えてもいなかったが、すでに六十七になった。近いうちに、わしは隠居して、ムタに按司を譲ろうと思っているんじゃ」
「えっ、クマヌが隠居?」
「ムタは三十八になった。いつまでも若按司でいるわけにも行くまい。わしは隠居してのんびりするつもりじゃ。かみさんには世話になったからのう。かみさんに首里や勝連の賑わいを見せてやりたいと思っておるんじゃよ」
「奥さんに、首里にいるユミと勝連にいるマチルーを会わせたいのですね」
「そうじゃ。中グスクに移ってから、中グスクから出ておらんからのう」
「ユミもマチルーも喜ぶでしょう」
 クマヌはうなづいて、「実は、そなたに頼みがあったんじゃよ」と言った。
「何ですか」と聞きながら、サハチはクマヌに酒を注いだ。
「孫娘の事なんじゃよ。次女のマナミーが十六になったんじゃ。そろそろお嫁に出さなくてはならんが、いい相手を探してくれんか」
「ムタの娘がもう十六ですか」
「上の娘は修行を終えて、立派なヌルになった」
「そうでしたか。先代のヌルは奥間(うくま)に帰ったのですか」
「いや、久場(くば)に移って、『久場ヌル』を名乗っている。役目を終えたので、奥間に帰ろうとしたんじゃが、わしが引き留めたんじゃよ。もう少し見守っていてほしいとな」
「そうですか。わかりました。中グスク按司の娘にふさわしい相手を探してみます」
「頼むぞ」
 ヒューガ(日向大親)がサイムンタルー(早田左衛門太郎)を連れて来て、クマヌと昔話に花を咲かせた。サハチも加わりたかったが、挨拶が終わったら、また来ると言って別れた。
 宇座按司も来てくれた。山南王の正使として、明国に三度行った長男のタキは、去年の暮れ、宇座に帰っていた。タブチ(八重瀬按司)と喧嘩して首里を飛び出し、山南王に仕えた大(うふ)グスク大親と喧嘩したという。大グスク大親はタキを陥れるために、山南王にある事ない事を讒言(ざんげん)したらしい。タキもいたたまれなくなって辞めた。二人の弟は、妻が山南王の重臣の娘なので大丈夫だろうと置いて来た。ウニタキの配下のアカーからその話を聞いたサハチは、すぐにタキに会いに宇座に行き、タキを説得して中山王に仕えてもらう事に成功した。サハチはタキに、今年の進貢船の使者を務めてもらうつもりだった。
「昨夜は婿殿と飲んだ」と楽しそうに宇座按司は言った。
「明国の話を聞きながら、うまい酒じゃった。まさか、マジニの婿と明国の話をするとは思ってもいなかった。わしらが行った時と、明国も大分変わったようじゃのう」
「わたしも驚きましたよ。鄭和(ジェンフォ)のお陰で、応天府(おうてんふ)(南京)はかなり賑わっているようです」
「婿殿は毎年、明国に行きたいと言っておった。なかなか頼もしい奴じゃよ。それと、タキの事もよろしく頼む」
「タキ殿が来てくれるというので、助かっているのはこちらの方です。頼りにしてますよ」
 宇座按司と別れて、叔父の越来按司浦添按司、義兄の勝連按司、安慶名按司、山田按司、伊波按司に挨拶をして回って、北谷按司の所に行った。
 何となく、場違いのように北谷按司は、『宇久真』の遊女(じゅり)のお酌を受けていた。
「同年配の者がいなくて退屈そうだな」と言って、サハチは北谷按司に酒を注いでやった。
「あまりしゃべらないんですよ」と遊女が言った。
「何もかも驚く事ばかりで緊張しているのです」と北谷按司は言った。
「親父が戦死して、うるさい叔母さんたちが戻って来て大変だったそうだな」とサハチは言った。
「桑江(くぇー)の叔父から聞いたのですね」
 サハチがうなづくと、
「叔父のお陰で、叔母たちもようやく静かになりました」と北谷按司は笑った。
 北谷按司の叔母は三人いて、中グスク、勝連、越来に嫁いでいた。三人は按司が代わったため実家に帰され、戦死した夫や倅の敵を討ってくれと、当時、十七歳だった北谷按司に迫っていた。父親が戦死して、按司になったばかりの北谷按司は、叔母たちの小言に絶えながら、叔父の桑江大親(くぇーうふや)と一緒に、北谷を建て直して来たのだった。
首里グスクのお祭りの時、桑江の叔父と一緒に行った妹のフクなんですが、お祭りから帰って来て、女子サムレーになりたいって騒いでいるのです。首里で修行させていただけないでしょうか」
「その妹はいくつなんだ?」
「十五です」
「そうか。首里では娘たちに剣術を教えている。才能があれば女子サムレーになれるだろう。首里で修行を積んで、北谷に帰って娘たちを鍛えればいい」
「妹が喜びます。お願いいたします」
 サハチはうなづくと、北谷按司を連れて、息子たちがいる所へ連れて行った。サグルー、ジルムイ、イハチと花婿の兄たちが、花嫁のマナビーから今帰仁の事を聞いていた。サスカサもマナビーの五人の侍女たちも一緒にいて賑やかだった。
「北谷按司だ。仲よくしてやってくれ」とサハチが言うと、
「母さんの妹が、北谷按司の叔父さんに嫁いでいるんだよ」とジルムイが言った。
「それじゃあ、親戚じゃないか。一緒に飲もうぜ」とサグルーが言って、北谷按司は仲間に加わった。
「花婿はどこに行った?」とサハチが聞くと、
「叔父さんたちの所です」とイハチが答えた。
 イハチの視線を追って行くと、チューマチはマサンルー(佐敷大親)たちにからかわれているようだった。マサンルーたちの所に、ンマムイと豊見グスク按司もいて、マチルギはどこに行ったと探すと、マハニとマチルーと佐敷ヌルと一緒に笑っていた。
 サハチは南部の按司たちに挨拶して回って、重臣たちにもねぎらいの言葉を掛けてから思紹の所に戻った。
 思紹はヂャンサンフォン(張三豊)の昔話を聞いていた。一緒にいたのは慈恩禅師(じおんぜんじ)、ジクー(慈空)禅師、ファイチ(懐機)、ウニタキ、テーラーだった。山北王の家臣なのに、テーラーはすっかりこの場に馴染んで、何の違和感もなかった。サハチも加わって、仙人が住んでいるという明国の山奥の話を聞いた。話が一段落した時、サハチがウニタキに、
「ササたちはどこに行った?」と聞いた。
「御内原で女だけのお祝いをやるそうだ。麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)も一緒に行ったよ。麦屋ヌルは馬天ヌルと一緒にずっと、婚礼の準備をしていたらしい。うまく行ってよかったと喜んでいたよ」
「そうか。馬天ヌルも麦屋ヌルがいて助かっただろう」
首里グスクのお祭りの六日後だったからな。色々と大変だったようだ。イトたちもスヒターたちも御内原に行ったようだぞ」
 イトたちとスヒターたちは百浦添御殿の二階から婚礼の儀式を見ていた。儀式が終わったあとは会同館に移って、ミナミとマユ(佐敷ヌルの娘)とマキク(ユリの娘)の三人が一緒にいるのを見たが、またグスクの方に戻ったようだった。
「挨拶は終わったのね」と遊女のマユミがお酒を持ってやって来た。
「お客が多すぎて、疲れたよ」とサハチは笑って、マユミが注いでくれた酒を飲み干した。

 

 

 

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2-99.ミナミの海(改訂決定稿)

 慈恩禅師(じおんぜんじ)と別れて、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに帰るとサスカサが(島添大里ヌル)待っていた。
 ナツと話をしていたサスカサは、サハチ(中山王世子、島添大里按司)を見ると急に目をつり上げて、「あたしよりも年下の娘を側室に迎えるなんて許せない」と鬼のような顔をして騒いだ。
 その顔は母親のマチルギにそっくりだと思いながら、山南王(さんなんおう)(汪応祖)から贈られたから仕方がないんだとサハチは説明した。何を言ってもサスカサの怒りは治まらず、「絶対に許せない」と言って飛び出して行った。
「サスカサの気持ちになってみれば当然の事ですよ。あたしだって、サスカサに認めてもらうまで時間が掛かったもの」
「そうだったのか」とサハチはナツの顔を見ていた。
 サスカサの気持ちなんて、今まで考えてもいなかった。
「あたしが側室になった時、サスカサはヌルの修行中でいなかったわ。サスカサになって戻って来た時も、口に出して言わなかったけど、あたしを憎んでいるようだったのですよ。時が解決してくれて、今では仲良しになれましたけど、サスカサもまだ若かったし、心の中で葛藤(かっとう)があって、それを乗り越えて来たのだと思いますよ。メイユー(美玉)の時はすんなりと認めて、佐敷ヌルさんと一緒に婚礼の儀式をやっていました。その姿を見て、サスカサも大人になったなと思ったのです。でも、今回のハルはサスカサよりも年下です。受け入れるのには時間が掛かると思いますよ」
 サハチはサスカサに会いに行ったが、サスカサは一言も口を利いてはくれなかった。
 次の日、ササたちが久高島(くだかじま)に行こうとサスカサを誘いに来た。サスカサはハルの事をササに告げた。ササも驚いて、佐敷ヌルの屋敷にいるハルに会いに行った。
 佐敷ヌルがハルにササたちを紹介した。
「従妹(いとこ)のササよ。馬天(ばてぃん)ヌルの娘さん。右にいるのが明国(みんこく)から来たシンシン(杏杏)で、左にいるのが朝鮮(チョソン)から来たナナ、朝鮮から来たけど、朝鮮人(こーれーんちゅ)じゃないのよ。ヤマトゥンチュ(日本人)よ。後ろにいる三人はジャワ(インドネシア)から来た人たちよ」
 ササがスヒターとシャニーとラーマを紹介した。
 噂には聞いていたが、外国から来た娘たちを目の当たりにして、ハルは声が出ないほどに驚いていた。
 ササはハルを誘って外に出た。決闘でも始まるのかと、みんながぞろぞろとあとを追うと、二人は物見櫓(ものみやぐら)に登って行った。二人はしばらくの間、上で話をしていた。
 ササが物見櫓から飛び降りると、ハルも負けじと飛び降りた。二人とも見事に着地して笑い合った。
「大丈夫よ」とササはサスカサに言って笑った。
 サグルーの屋敷から、奥間(うくま)のサタルーが出て来て、
「ササ、帰って来たのか」と近づいて来た。
「どうして、サタルーがここにいるの?」とササは驚いた顔で聞いた。
「お前に会いたくなってな」とサタルーは笑ってから、「ナナさん、お久し振りです」とナナに挨拶をした。
「何を言っているのよ。ナナに会いたくて来たんでしょ」
「ササったら何を言っているの」とナナが顔を赤らめた。
「これから久高島に行くのよ。帰って来るまで待っていてね」
「久高島か、いいな。俺も一緒に行くよ。女だけだと心配だからな」
 ササは笑いながら、「いいわ。あたしたちの護衛を頼むわね」と言った。
 兄の出現で、話が中断してしまった。サスカサには何が大丈夫なのかわからなかった。ハルと何を話したのか、ササに聞いた。
「あんたのお父さんの事が好きかって、聞いたのよ。そしたら、あの娘(こ)、はっきりと好きだって言ったわ。嘘をついている目じゃなかったから大丈夫よ」
 好きか嫌いかの問題じゃないけどとサスカサは思った。
「幼い頃に両親を亡くして、座波(ざーわ)ヌルに育てられたって言っていたわ。十三の時に粟島(あわじま)(粟国島)に行って武芸のお稽古に励んだらしいわ。そして、ある日、突然、山南王から、島添大里按司の所にお嫁に行けって言われて、二人の侍女を連れてやって来たのよ。あの娘には断る事はできないわ。不安な気持ちで島添大里に来たけど、来てよかったって言っていたわ。ここには強い女子(いなぐ)がいっぱいいて、修行の励みになるし、マシュー姉(ねえ)(佐敷ヌル)と一緒に、お祭り(うまちー)の準備をやるのも楽しいって言っていた。ヤマトゥ(日本)のお話が聞きたいって言っていたから、久高島から帰ったら、お酒を飲みながら、あの娘に旅のお話をしてあげましょ」
 サスカサはうなづいて、ササたちと一緒に久高島に向かった。
 サタルーは荷物持ちをやらされた。ササはフカマヌルへのお土産を馬の背に積んで来たのだが、その荷物をサタルーに背負わせた。サタルーは任せておけと引き受けた。奥さんがいるのに、ナナと楽しそうに話をしているサタルーを見ながら、お父さんに似たのかしらとサスカサは思っていた。
 サスカサは久高島のフボーヌムイ(フボー御嶽)で、御先祖様の大里(うふざとぅ)ヌル(サスカサ)の神様に、舜天(しゅんてぃん)(初代浦添按司)の父親、新宮(しんぐう)の十郎の事を話した。
「あの人は、平家を倒さなければならないと、いつも言っていました。願いがかなったのですね。本当によかった」と大里ヌルは涙声で言って、ササとサスカサに感謝した。
 今の大里ヌルにも挨拶をして、フカマヌルに旅の話を聞かせた。スヒターたちも久高島に来て喜んでいた。神人(かみんちゅ)のラーマは、フボーヌムイにはジャワの神様もいると言った。遠い昔、ジャワから久高島にやって来た人がいたようだ。
 サタルーは女たちに囲まれて、始終、ニコニコして楽しそうだった。気持ちが素直というか、ナナが好きなのが見え見えで、ナナもサタルーが好きなようで、あんな女らしいナナを見たのは初めてだった。
 サスカサがサタルーに会ったのは一昨日(おととい)の事だった。ササたちと別れて、島添大里グスクに帰り、佐敷ヌルに挨拶をしに行ったら、そこにハルがいた。話を聞いて、父に対する怒りで頭の中が真っ白になり、自分の屋敷の前で、呆然と立ち尽くしていたら、御門番(うじょうばん)が来て、奥間のサタルーという人が訪ねて来たと言った。
 サタルーの名は兄のサグルーから聞いていた。サスカサはサタルーを迎えて、サグルーの屋敷に連れて行った。妻のマカトゥダルがサグルーを呼びに行って、サグルーはすぐに現れた。サグルーはサタルーとの再会を喜んでいた。サスカサはサタルーを兄だと認めたが、母と出会う前に、父が二人も子供を儲けたなんて許せないと、さらに父に対する怒りが募った。
 久高島から帰るとサスカサはハルを連れて、佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)のササの屋敷に行った。一緒にお酒を飲みながら、ササたちはハルに旅の話を聞かせた。ハルは目を丸くして、ササたちの話に何度も驚いて、興味深そうに話を聞いていた。ハルは素直で可愛い娘なので、友達として付き合うのなら問題ないが、父親の側室になるなんて、やはり許せなかった。
按司様(あじぬめー)はやがて、王様(うしゅがなしめー)になるわ。王様になったら次々に側室が贈られて来るのよ。みんな、サスカサよりも若い娘たちなのよ。そんなの一々怒っていたら、どうしようもないわ。大きな心を持って見守りなさい」
 そうササに言われて、頭ではわかっていても、心では許せなかった。
 翌日、サスカサがハルと一緒に島添大里グスクに帰ると、サタルーは奥間に帰ったとサグルーから聞いた。
「楽しい思い出ができたと喜んでいたよ」とサグルーは言った。
 年が明けて、永楽(えいらく)十年(一四一二年)となった。去年、三人の王様が同盟したお陰か、城下の人々も晴れやかな顔付きで、新しい年を迎えていた。タブチ(八重瀬按司)が明国から持って来た獅子舞(しーしまい)が大通りを練り歩いて、子供たちがキャーキャー騒ぎながら楽しんでいた。
 例年のごとく新年の儀式が行なわれ、サハチは首里(すい)と島添大里を行ったり来たりと忙しかった。ハルも側室として儀式に参加して、ヌルとしてのサスカサの姿に驚いていた。相変わらず、佐敷ヌルの屋敷に入り浸りだが、ササとも仲よくなって、佐敷にも出掛けているようだった。最近は侍女たちを伴う事もなく、ハルは一人で行動していた。
 ジャワの三人娘は与那原(ゆなばる)に行って、ヂャンサンフォン(張三豊)の指導を受けていた。シンシンからヂャンサンフォンの凄さを聞いて、明国の武術をジャワの武術のプンチャックに取り入れようとしていた。ナナも一緒に加わった。
 正月の十八日、去年の九月に送った進貢船(しんくんしん)が帰って来た。これで、二月に進貢船が送れるとサハチはホッと胸を撫で下ろした。去年は十二月が閏月(うるうづき)で二回あったので、何とか間に合ったようだった。
 使者のサングルミー(与座大親(ゆざうふや))、副使の末吉大親(しーしうふや)、サムレー大将の田名親方(だなうやかた)、従者として行った重臣たちの息子たちが元気な姿で帰って来た。サングルミーは三弦(サンシェン)を三十丁も持って来てくれた。そして、永楽帝が造ったという永楽通宝(えいらくつうほう)という新しい銭(じに)も大量に持って来た。できたての銭は光り輝いていた。
 鄭和(ジェンフォ)と一緒に来た各国の使者たちはまだ応天府(おうてんふ)(南京)にいるのかと聞くと、遠くから来た使者たちは、鄭和の次の航海の時に帰るらしいとサングルミーは言った。
「いつもだと夏に帰って来ると、その冬には次の航海に出掛けていたのですが、今回は少し間を置くようです。三回も続けざまに行ったので、船も大分、傷んできたのでしょう。まだ、いつ行くとは決まっていないようですが、四度目の航海はさらに西の国を目指すようです」
「ムラカ(マラッカ)の王様が来たと聞いたが、その王様もまだ応天府にいるのか」
「いえ、永楽帝から進貢船を賜わって、その船に乗って帰ると聞いています。もう帰ったんじゃないでしょうか」
「そうか。今、ヤマトゥに行ったジャワの使者たちが『天使館』に滞在しているんだ。ファイチ(懐機)が話をつけて、次に来る時はヤマトゥまで行かずに琉球に来る事になったんだ」
「それはよかったですね。琉球も南蛮(なんばん)(東南アジア)にある港のように、中継貿易で栄えなければなりません」
「中継貿易?」
「そうです。たとえば、シュリーヴィジャヤ国の旧港(ジゥガン)(パレンバン)は天竺(ティェンジュ)(インド)やタージー(アラビア)から来る商人たちに唐(とう)の国の商品を売って、唐の国から来る商人に天竺やタージーの商品を売って栄えたのです。琉球も南蛮から来る者たちにヤマトゥの商品を売って、ヤマトゥから来る者たちに南蛮の商品を売れば、益々、栄える事でしょう」
「成程な、中継貿易か。ヤマトゥからは何もしなくても来るからいいが、南蛮の国々に、琉球に行けばヤマトゥの刀が手に入ると宣伝しなければならんな」
「明国に行く使者たちにも、応天府の会同館(かいどうかん)で宣伝させた方がいいですね」
「そうだな。そう言えば、礼部のヂュヤンジン(朱洋敬)殿は元気でしたか」
「忙しいと言って走り回っておりました。聞いた事もないような国から使者が来て、言葉がまったく通じない事もあると言って困った顔をしていましたよ。そして、跡継ぎが生まれたと言って喜んでおりました」
「なに、リィェンファ(蓮華)殿が子供を産んだのか。そいつはめでたい。よかったなあ」
「ヂュヤンジン殿から言われたのですが、なるべく泉州に着くようにしてほしいとの事です。永楽帝はさほど気にしていないようですが、琉球の船が入った港の役人から苦情が殺到すると言っておりました」
「そうか。四月に行った船が杭州から上陸したからな。来年は気を付けよう」
 その夜、首里の会同館で帰国祝いの宴(うたげ)が行なわれ、サングルミーが『二胡(アフー)』という楽器の演奏を披露した。朝鮮のヘグムによく似た楽器だった。流れるような調べが心地よく、サハチは明国を旅した時の事を思い出していた。サングルミーが楽器の演奏をするなんて意外だったが見事なものだった。演奏が終わると指笛が飛んで、喝采が沸き起こった。
「二年前、首里グスクのお祭りで、按司様の一節切(ひとよぎり)を聴いて感動しました。自分でも楽器がやりたくなって、明国で二胡を手に入れて始めたのです。笛はとても按司様にはかないませんし、三弦も三星大親(みちぶしうふや)(ウニタキ)殿にはかないません。二胡をやる者は琉球にはおりませんからね。下手(へた)でもわかるまいと思って始めたのです。ようやく、他人様(ひとさま)に聴かせられる腕になりました」
「いやあ、大したものですよ。今度、お祭りの時、城下の人たちにも聴かせてやって下さい」
 サングルミーは照れながらも、嬉しそうにうなづいた。
 マユミに言われて、サハチはサングルミーと合奏した。広々とした明国の大地を心地よい風が吹き抜けて行くような調べが流れた。皆、うっとりしながら聞き惚れた。
 十日後、馬天浜にサイムンタルー(早田左衛門太郎)かやって来た。サイムンタルーの船とシンゴ(早田新五郎)の船とマグサ(孫三郎)の船と三隻の船がやって来た。ウミンチュ(漁師)たちが法螺貝を吹いて、何艘もの小舟(さぶに)が迎えに行った。
 サイムンタルーの船は朝鮮で新造した船で、サハチがヤマトゥに行った時に乗って行ったサンルーザ(早田三郎左衛門)の船を手本にして造ったという。進貢船を一回り小さくしたような船で、朝鮮の水軍もその船を真似して、同じような船が今、倭寇(わこう)の取り締まりをしているという。
 サイムンタルーの船に、イト、ユキ、ミナミの三人が乗っていた。サイムンタルーの妹のサキも娘のミヨを連れてやって来た。サワも一緒にいた。イトもユキも、サキもミヨも袴をはいて、刀を腰に差した女子(いなぐ)サムレーの格好で、ヤマトゥにも女子サムレーがいるのかと馬天浜のウミンチュたちは驚いていた。
 十六年振りに琉球に来たサイムンタルーだったが、主役の座はミナミに奪われた。九歳になったミナミはみんなの人気者になった。
 白い砂浜だと言って、目を丸くして驚いている姿や、楽しそうに笑っているその顔は、まるで、ニライカナイ(理想郷)からやって来た可愛い天女のようだとみんなから言われて、ミナミを見る人たちは皆、にこやかになっていた。
 そんなミナミを祖父となったサハチとサイムンタルーは目を細めて眺めていた。
「孫娘を連れて、琉球に来るなんて思ってもいなかったぞ」とサイムンタルーは笑った。
 サハチはイト、ユキ、ミナミを連れて来てくれたお礼を言った。
「お前が対馬(つしま)に来て、イトと出会って、ユキが生まれた。ユキがわしの倅の六郎次郎と一緒になって、ミナミが生まれた。ミナミは琉球対馬の架け橋じゃ。どうしても、ミナミに琉球を見せたくてな、連れて来たんじゃよ」
 シンゴの船から降りて来たチューマチ(サハチの四男)と越来(ぐいく)の若按司のサンルーは目を輝かせて、「いい旅でした」と満足そうに言った。
「驚く事がいっぱいありました。行って来て、本当によかったです」と言ったチューマチに、
「驚く事はまだあるぞ。あとで教える」とサハチは言った。
 チューマチは首を傾げてから、「作戦はうまく行ったのですね?」とサハチに聞いた。
与論島(ゆんぬじま)には『三つ巴』の旗はなくて、伊平屋島(いひゃじま)にはありました」
「おう、うまく行ったぞ。うまく行き過ぎたくらいだな」とサハチは笑った。
 知らせを聞いて、マチルギ、佐敷ヌル、ユリ、ササ、シンシン、マウシ(山田之子)が首里からやって来た。佐敷ヌルとユリは娘を連れていた。佐敷ヌルとユリ、ササとシンシンは首里のお祭りの準備のために首里にいた。非番だったマウシもお祭りの準備を手伝っていて、ミナミが来たと聞いて飛んで来たのだった。
 ササとシンシンはユキとミヨとの再会を喜び、佐敷ヌルの娘のマユ、ユリの娘のマキクは、ミナミとすぐに仲良しになった。マチルギはイトとの再会を喜んで、マウシは相変わらず、ミナミの家来になっていた。
 馬天浜の『対馬館』で歓迎の宴が開かれ、サハチはサイムンタルーから対馬の事を聞いた。
「わしが留守にしている間に、宗讃岐守(そうさぬきのかみ)(貞茂)は対馬に勢力を広げておった」とサイムンタルーは言った。
「一族の者たちを各地に配置して、郡守(ぐんしゅ)を名乗らせている。しかし、対馬の浦々は海でつながっている。陸を支配したところで、対馬を統一する事はできんじゃろう。今回、浅海湾(あそうわん)内の浦々を巡ってみてわかったんじゃが、相変わらず、貧しい浦々がいくつもあった。まずは奴らを食わせなければならん。それで、今回は三隻でやって来たんじゃ。わしの顔を見て、昔のように倭寇働きをしようという者も何人もいた。朝鮮に行けないのなら明国まで行こうと言っておった」
「行くのですか」とサハチは聞いた。
「行けば、以前より危険が伴う。しかし、行かなければならなくなるかもしれん」
 サイムンタルーは厳しい顔付きでそう言ったが、急に笑って、「琉球ではのんびりするつもりじゃ」と言った。
 サハチは今、浮島(那覇)にジャワの船が来ている事を話した。
「何年か前に、倭寇に襲われたジャワの船が朝鮮の島に漂着した事があった」とサイムンタルーは言った。
倭寇に襲われた?」
「荷物を奪われて、乗っていた者たちも皆、殺されたようじゃ。誰の仕業だかわからなかったんじゃが、宗讃岐守がジャワの船を襲った倭寇から奪い取ったと言って、南蛮の珍しい品々を朝鮮王に献上したんじゃよ。多分、宗讃岐守の配下の者たちの仕業じゃろう」
「宗讃岐守も倭寇働きをしていたのですか」
「宗氏は今、主家である少弐氏(しょうにし)のために軍資金を集めている。対馬に腰を落ち着けて、朝鮮との交易に励んでいるのもそのためじゃ。倭寇の首領で、宗讃岐守の配下になった者もいる。また、九州にいる倭寇の首領で、少弐氏のために働いている者もいるじゃろう。そいつらがジャワの船を襲ったのに違いない」
琉球の船も危険ですね」とサハチは言った。
「いや、琉球の船は将軍様足利義持)と取り引きをしている。襲えば、将軍様の怒りを買う事になる。安全とは言い切れんが、琉球の船だという目印をはっきりと付けておけば大丈夫じゃろう」
 『三つ巴紋』の旗と『八幡大菩薩』の旗は掲げてあるが、『龍』の旗も掲げた方がいいなとサハチは思った。
 サイムンタルーの話を聞いたあと、サハチはチューマチの所に行った。チューマチはマチルギに旅の話をしていた。
「例の話は話したのか」とサハチがマチルギに聞くと、「あなたが来るのを待っていたのよ」とマチルギは言った。
 サハチはうなづいて、「お前のお嫁さんが決まった」とチューマチに言った。
「えっ!」とチューマチは驚いた顔をして、サハチとマチルギを見た。
「お前、もしかして、対馬で好きになった娘がいたのか」とサハチは聞いた。
「いえ、そんな‥‥‥」とチューマチは首を振って、「好きになった娘がいたんですけど、琉球には行けないって言われて‥‥‥結局、振られたんです」と笑った。
「そうか。すぐには忘れられないだろうが、気持ちの整理をして、花嫁を迎えろ。婚礼は来月だからな」
「はい」とチューマチはうなづいて、「やはり、按司の娘なんですか」と聞いた。
按司の娘には違いないが、王様の娘でもある。山北王(さんほくおう)の娘だ」
「ええっ!」とチューマチは目を見開いて、口をポカンと開けて、サハチとマチルギを見ていた。何が何だかわからないような顔付きだった。
「意外な展開になったんだよ」とサハチは山北王と同盟をした経緯(いきさつ)を話した。
「信じられない事が起こったんですね。三人の王様が同盟を結ぶなんて‥‥‥」
「そういうわけだから、断るわけにはいかないんだ。噂では、その娘はかなりの美人(ちゅらー)らしいぞ。お前たちが住む事になるグスクも今、造っている」
「えっ、グスクに住むのですか」
「グスクといっても島添大里グスクの出城だがな」
「俺がグスクに住むなんて考えてもいませんでした。兄貴たちがグスクを持っていないのに、俺がグスクを持ってもいいのですか」
「その事は皆、納得済みだから心配するな。ジルムイもイハチもグスクはいらない。サムレー大将として船に乗ると言っている」
「俺もサムレー大将になりたかった」とチューマチは言った。
「サムレー大将にはなれんが、従者として明国やヤマトゥに行ける。従者を何度か務めれば、副使や正使にもなれるぞ」
「俺が正使ですか」と言って、チューマチは楽しそうに笑った。
「あなたのお嫁さんになる娘だけど、馬術と弓矢の名手らしいわよ」とマチルギが言った。
「ンマムイ(兼グスク按司)の奥さんに聞いたのか」とサハチがマチルギに聞くと、マチルギはうなづいた。
「山南王の息子に嫁いだ長女はおとなしい娘だったけど、次女のマナビーは男勝りで、子供の頃からお父さんと一緒に狩りに行っていたらしいわ。あなたも馬術と弓矢のお稽古に励んだ方がいいわ。お嫁さんに負けたらみっともないわよ」
 チューマチは剣術の稽古には励んでいるが、馬術と弓矢は自信がなかった。
「負けないように頑張ります」とチューマチは答えた。
 次の日、島添大里グスクで歓迎の宴が開かれ、サイムンタルー、イトとユキとミナミ、サキとミヨ、サワは、サハチが用意しておいた城下の屋敷に移った。
 島添大里グスクの高い石垣を見たサイムンタルーは、「よくこんなグスクを攻め落としたのう」と感心した。
 イトとユキもサハチから話は聞いていたが、実際に目にして、凄い城だと驚いていた。
 歓迎の宴にはハルもサスカサも参加した。サスカサはユキをお姉さんと呼んで、再会を喜んだ。ヤマトゥにも側室がいたのかとハルは驚いていた。サスカサはハルと普通に話をしていたが、相変わらず、サハチとは口を利かなかった。ミナミはサハチの娘たちと一緒に遊んでいた。
 次の日は、サハチが案内して首里に行った。首里グスクに入って北曲輪(にしくるわ)にいる孔雀(くじゃく)に驚いて、西曲輪(いりくるわ)の龍天閣(りゅうてぃんかく)に驚いて、広い庭の奥に建つ百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)を見て、まるで、龍宮(りゅうぐう)のようだと驚いていた。皆、呆然とした顔付きで、言葉もでないようだった。
「乙姫様がいらっしゃるのね」とミナミが言った。
 龍天閣の三階で、サイムンタルーは思紹(ししょう)とヒューガ(日向大親)に再会した。サイムンタルーが最後に思紹と会ったのはキラマ(慶良間)の島だった。あの時、若い者たちを鍛えていた思紹が、今は中山王(ちゅうさんおう)になっている。現実とはいえ、あの頃の事を思うと、まったく信じられない事だった。
 ヒューガとは一緒に琉球に来て、一緒に琉球内の旅をした。その後、ヒューガは琉球に腰を落ち着けて、思紹が中山王になるのを助けてきた。久し振りに見るヒューガは、すっかり琉球人(りゅうきゅうんちゅ)になりきって、水軍の大将という貫禄があった。
 思紹は酒を用意させて、酒盛りが始まった。サイムンタルーと思紹とヒューガは、昔の事を懐かしそうに話しては笑っていた。
 龍天閣からの景色を楽しんだあと、サハチは女たちを連れて百浦添御殿を案内して、ヌルたちと女子サムレーたちがいる南の御殿(ふぇーぬうどぅん)も案内した。マチルギはみんなを御内原(うーちばる)に連れて行って、女同士で歓迎の宴をやると言った。サハチはあとの事をマチルギに任せて、龍天閣の酒盛りに加わった。

 

 

 

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