長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-108.舜天(改訂決定稿)

 奥間(うくま)ヌルが首里(すい)に来た。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は驚いて、焦った。一昨年(おととし)の冬、ウニタキ(三星大親)と一緒に伊平屋島(いひゃじま)に行く途中、奥間に寄って会った時、奥間ヌルは、いつか首里に行きたいと言っていた。しかし、娘のミワがまだ幼いので、五年後くらいだろうと思って安心していた。勘のいいマチルギが奥間ヌルと会って、すべてがばれてしまうのではないかと恐れた。
 サハチは首里グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)の二階で、亡くなったクマヌ(先代中グスク按司)から頼まれていた孫娘の嫁ぎ先を探していた。ウニタキの配下や奥間大親(うくまうふや)(ヤキチ)の配下に頼んで、各地の按司の子供たちを調べさせた書類を見ていた。
 知らせを持って来た侍女は、マチルギが迎えに出たと言っていた。サハチも迎えに行きたいが、余計な事を勘ぐられるような気がして、やめた。しかし、出迎えに行かなければ、逆に怪しまれるような気がして、サハチは立ち上がった。
 どやどやと階段を登って来る音がして、マチルギが奥間ヌルを連れて来た。馬天(ばてぃん)ヌル、運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)、マチとサチとカミー、見た事もない若いヌルもいた。ヂャンサンフォン(張三豊)と奥間大親も一緒だった。
「お久し振り」と奥間ヌルはサハチに手を上げた。
 やけに陽気だった。
「ようこそ」とサハチは笑って、
「サタルーが留守なのに、出て来て大丈夫なのですか」と奥間ヌルに聞いた。
「長老がいるから大丈夫ですよ」
「いい旅だったわ」と馬天ヌルが言った。
「あたしが南部のウタキ(御嶽)を巡ると言ったら、一緒に行くと言って、奥間ヌルも付いて来たのよ」
「その娘は誰です?」とサハチは知らない若ヌルを見た。
「読谷山(ゆんたんじゃ)の東松田(あがりまちだ)の若ヌルよ。一緒に安須森(あしむい)まで行って来たの。南部も一緒に巡るわ」
 東松田の若ヌルは恥ずかしそうな顔をして、サハチに挨拶をした。マチやサチよりも若くて、綺麗な目をした娘だとサハチは思った。
 侍女にお茶を出すように命じて、サハチはみんなから旅の話を聞いた。
 運天泊(うんてぃんどぅまい)の勢理客(じっちゃく)ヌルの屋敷に突然、湧川大主(わくがーうふぬし)が現れて、ヂャンサンフォンは十日間、湧川大主と勢理客ヌルに武当拳(ウーダンけん)を指導したという。湧川大主から明国(みんこく)の海賊の耳に入って、ヂャンサンフォンが琉球にいる事がばれないかとサハチは心配した。
 安須森の麓(ふもと)の辺戸(ふぃる)村で馬天ヌルは、佐敷ヌルと同じように神様扱いをされて参ったと言った。安須森は凄いウタキで、馬天ヌルと運玉森ヌルは神様たちから色々な事を教わってきたらしい。安須森には三日間滞在して、奥間に戻って、ゆっくり休んでから運天泊に行って、ヂャンサンフォンと合流して帰って来たという。勝連(かちりん)に寄った時、山伏姿のテーラー(瀬底之子)と会ったと言った。
テーラーが山伏?」とサハチは不思議そうに聞いた。
「最初、わからなかったのよ。向こうから近づいて来て名乗ったわ。どうして、そんな格好をしているのって聞いたら、若い頃、今帰仁(なきじん)にいるアタグ(愛宕)という山伏と一緒に旅をした事があって、山伏の格好をしていれば気ままに旅ができるので、そうしているって言っていたわ」
「中部のグスクを調べているんですかね?」
「多分、そうでしょうね。山北王(さんほくおう)(攀安知)もやるべき事はちゃんとやっているという事ね。ウニタキの『まるずや』は、どこに行っても喜ばれているわよ。今帰仁と名護(なぐ)には『よろずや』があったけど、恩納(うんな)、羽地(はにじ)、国頭(くんじゃん)、金武(きん)にはなかったから、みんな、助かっているって言っていたわ。ウニタキに負けられないから、あたしもヌルたちと仲よくなってきたわよ」
 暗くならないうちに帰ると言って、ヂャンサンフォンと運玉森ヌルはマチとサチを連れて、与那原(ゆなばる)グスクに帰って行った。
「ちょっとわからない事があるのよ」と馬天ヌルは言った。
「安須森の神様たちは殺された恨みからマジムン(怨霊)になってしまったので、朝盛法師(とももりほうし)に封印されてしまったわ。安須森ヌルを継ぐ者が現れた時に、封印は解けると言ったらしいの。そして、佐敷ヌルが安須森に行って、封印は解けたわ。封印されていた二百年の間に神様の怒りも恨みも治まって、神様は皆、喜んでいるわ。そんな凄いシジ(霊力)を持っていた朝盛法師のウタキが、どこかに必ずあるはずなんだけど、それがどこだかわからないのよ」
「朝盛法師は舜天(しゅんてぃん)(初代浦添按司)に仕えて、浦添(うらしい)で亡くなったんじゃないのですか」とサハチは言った。
「久高島(くだかじま)の大里(うふざとぅ)ヌルの神様の話だと、琉球の娘と一緒になって子供もできたって言っていたわ。子孫もいるはずなのよ」
「二百年も前の話ですからね。朝盛法師の子孫たちも、舜天の一族と一緒に滅ぼされてしまったんじゃないですか」
「そうかもしれないけど、ウタキはあるはずだわ」
「朝盛法師のウタキを探すつもりなのですね」とサハチが聞くと、馬天ヌルは神妙な顔をしてうなづいて、「お礼を言わなければならないわ」と言った。
「あたし、若い頃に、先代の奥間ヌル様と屋嘉比(やはび)のお婆と一緒に、旅をした事があるんです」と奥間ヌルが言った。
「その時、浦添にヤマトゥンチュ(日本人)のウタキがあったのを覚えています。どうしてこんな所にヤマトゥンチュのウタキがあるんだろうと不思議に思って覚えているんです」
「そのウタキが朝盛法師のウタキなの?」と馬天ヌルは目の色を変えて聞いた。
 奥間ヌルは首を傾げた。
「あたしには神様の声は聞こえませんでした。先代に聞いたら、昔の浦添按司の御先祖様だろうと言っていました。奥間の御先祖様もヤマトゥンチュなので、ヤマトゥンチュのウタキにお祈りを捧げたようです」
「その場所、覚えている?」
浦添グスクの西(いり)の方の小高い丘の上にありました。行けばわかると思います」
 馬天ヌルは満足そうにうなづいて、「明日、行ってみましょう」と言った。
 前回のウタキ巡りの旅の時、浦添のウタキも巡ったけど、馬天ヌルにはヤマトゥンチュのウタキの記憶はなかった。
「叔母さん、また、南部のウタキを巡るのですか」とサハチは馬天ヌルに聞いた。
「巡るわ。ヌルたちの世代が代わっているのよ。新しいヌルたちに挨拶に行ってくるわ」
「亡くなったクマヌに頼まれている事があるんです。孫娘のマナミーの嫁ぎ先を考えてくれって言われたんです。候補に挙がったのが二人いて、叔母さんにどっちがいいか見極めてきてほしいのですが」
「いいわよ。誰と誰なの?」
「一人は垣花(かきぬはな)の若按司の長男のマグサンルー。もう一人は米須(くみし)の若按司の長男のマルクです。二人とも十六で、マナミーと同い年なんです。来年、婚礼を挙げたいと思っています」
「垣花と米須ね。わかったわ。会って来るわ」
「お願いします」
 水を浴びて、さっぱりしましょうと言って、ヌルたちは帰って行った。
「マナミーの相手が見つかったのね」とマチルギがサハチに言った。
「ああ、疲れたよ。クマヌの頼みだからな。将来、按司になる者に嫁がせたかったんだ。何とか、二人、見つかった」
「垣花と米須か‥‥‥」とマチルギは少し考えてから、「どちらかと言えば、米須の方がいいかもね」と言った。
「俺もそう思うが、相手の都合もあるからな。すでに相手が決まっているかもしれない」
「そうね。でも、中グスク按司の娘なら誰も文句は言わないわよ」
「神様の思し召しに任せよう」
 マチルギはニヤニヤしながら、
「奥間ヌルに初めて会ったけど、妖艶な人ね。あなた、惑わされなかったの?」と聞いた。
「何となく、雰囲気が変わったような気がしたよ。奥間で見た時は、近寄りがたい雰囲気があったけど、馬天ヌルと旅をしたせいか、以前よりも明るくなったような気がする」
「佐敷ヌルの影響かもね。二人は同い年で、仲良しになったって言っていたわ」
「ほう、二人は同い年だったのか」
「今晩、お屋敷にみんなを呼んで飲みましょう」とマチルギは笑って去って行った。
 ササの影響か、マチルギも最近は酒を飲んでいるようだった。
 その夜、奥間ヌルも一緒に飲んだが、奥間ヌルもわきまえていて、娘の父親はマレビト神だと言っただけで誰とは言わず、うまくごまかしていた。そして、マチルギ、麦屋ヌル、奥間ヌルの三人は同年配で意気投合して、馬天ヌルだけがはじき出された感じで、カミーと東松田の若ヌルが待っていると言って早々と引き上げて行った。
 サハチも三人の話にはついて行けず、その場から去って早めに休んだ。


 翌日、馬天ヌル、麦屋ヌル、奥間ヌル、東松田の若ヌルとカミーは浦添に行き、浦添ヌルのカナと会って、ヤマトゥンチュのウタキに向かった。奥間大親は付いては行かず、配下の者たちに陰ながらの護衛を頼んだ。
 カナはチフィウフジン(聞得大君)の神様からヤマトゥンチュのウタキの話は聞いていて、場所を知っていた。古いウタキなんだけど、詳しい事はチフィウフジンの神様にもわからないらしい。カナも時々、お祈りをしているが、そこで神様の声は聞いた事がないという。
「そのウタキは何て呼ばれているの?」と馬天ヌルが聞くと、
「トゥムイダキです」とカナは答えた。
「えっ!」と馬天ヌルは驚いて、麦屋ヌルと奥間ヌルを見た。
「トゥムムイ(朝盛)がトゥムイになまったに違いないわ」
 カナの案内でトゥムイダキに行った一行は、小高い山に登って、山頂にある岩にお祈りを捧げた。馬天ヌルも初めて来たウタキだった。
「そなたはチフィウフジンか」と言う神様の声を馬天ヌルは聞いた。
「違います。わたしの神名(かみなー)はティーダシル(日代)です」
「どうして、チフィウフジンのガーラダマ(勾玉)を持っているんだ?」
「神様のお導きです」
「そうか。そなたは中山王(ちゅうさんおう)を守っているのだな」
「そうです。神様は朝盛法師殿ですか」
「ほう。わしの名を知っておるのか。すでに忘れ去られたものと思っていた」
「神様のお陰で、安須森の封印が解けました。ありがとうございます」
「なに、封印が解けた? 安須森ヌルを継ぐ者が現れたのか」
「はい。わたしの姪の佐敷ヌルです」
「そうか。封印が解けたか。それはよかった。すでに、マジムンはおらんじゃろう」
「はい。マジムンは消えて。神様たちが復活しました」
「よかったのう」
「このガーラダマは、理有法師(りゆうほうし)から取り戻したのですか」
「そうじゃ。真玉添(まだんすい)ヌルのガーラダマじゃったが、真玉添ヌルは殺されて、ガーラダマは奪われた。理有法師が連れて来た巫女(みこ)が持っていたんじゃが、奪い返して、舜天の妹の浦添ヌルのものとなった。舜天の妹は、真玉添ヌルの神名の『チフィウフジン』を継いで、そのガーラダマも受け継いだんじゃ。舜天の一族が滅ぼされて、英祖(えいそ)の時代になっても、浦添ヌルは代々、チフィウフジンを名乗って、そのガーラダマを身に付けていた。英祖の時代から察度(さとぅ)(先々代中山王)に変わる時に、行方知れずになってしまったようじゃ。見つかってよかった。それはかなり古い貴重なガーラダマじゃよ」
「舜天様とその妹の初代浦添ヌル様にも挨拶をしたいのですが、ウタキはどこにあるのでしょうか」
「舜天の墓は浦添グスクの裏にあったんじゃが、英祖に滅ぼされた時、当時の浦添按司、義本(ぎふん)の弟の仲順大主(ちゅんじゅんうふぬし)によって、遺骨は中グスクの北(にし)にある仲順に移されたんじゃよ。ナシムイという丘の上にある。ただし、女子(いなぐ)は入れんよ」
「どうして、女子が入れないのですか」
「仲順大主はヤマトゥ(日本)に行った事があって、ヤマトゥにある女人禁制(にょにんきんぜい)の山の真似をしたんじゃよ。山の中のウタキに入って来るのはヌルたちじゃからな。ウタキが荒らされないように、女子が入れないようにしたんじゃろう」
「今でも女人禁制なのですか」
「仲順大主の子孫が守っているから、女子は入れんよ」
 馬天ヌルは思い出していた。前回のウタキ巡りの時、中グスクヌルに案内されて、中グスクの北にある集落に行った時、女子が入れないウタキがあった。中グスクヌルの話だと、仲順の御先祖様を祀っている神聖な山だと言った。入れないなら仕方がないと行かなかったが、まさか、あれが舜天の墓だったなんて思いもしなかった。
浦添ヌルのウタキは、男が入れん普通のウタキじゃよ」と神様は言った。
浦添ヌル様のウタキはどこにあるのですか」
「舜天の墓と山続きじゃ。一番高い所が喜舎場森(きさばむい)というウタキで、舜天時代の代々の浦添ヌルを祀っている。これも浦添グスクの裏にあったのを、按司の弟の喜舎場大主(きさばうふぬし)が向こうに移したんじゃよ」
「ありがとうございます。さっそく、挨拶に行って参ります。ところで、このウタキを守る子孫の方はいらっしゃらないのですか」
「残念ながら、滅ぼされてしまったんじゃよ」
「そうでしたか。新しい浦添ヌルに守らせます」
「そうか。すまんのう。それにしても、二百年も続いた浦添の都がこんなにも静かになるなんて思わなかったぞ」
「わたしが以前のように栄えさせます」とカナが言った。
 馬天ヌルは驚いて、カナを見た。
「あなた、聞こえるの?」と馬天ヌルはカナに聞いた。
 カナはうなづいた。
 馬天ヌルは麦屋ヌルと奥間ヌルを見た。麦屋ヌルも奥間ヌルも首を振った。
 ササが言った通り、カナは凄いシジを持っているようだった。
 朝盛法師の神様と別れて、一行は喜舎場森に向かった。カナも一緒に付いて来た。
 歩きながらカナは、
「やっぱり、馬天ヌル様は凄いですね」と言った。
「実はあのウタキにササたちを連れて行ったんです。でも、神様は何もおっしゃいませんでした。今回もそうだろうと思ったのに、神様は現れました」
「あら、ササもあそこに行ったの? そうだったの。神様は留守だったのかしら?」
 カナは楽しそうに笑った。
「馬天ヌル様、英祖様なんですけど、父親が誰だか知っています?」とカナは真顔に戻って聞いた。
浦添グスクの近くにあった伊祖(いーじゅ)グスクの按司が英祖様の父親でしょ」と馬天ヌルは答えた。
「わたしも佐敷ヌル様からそう聞きました。でも、違うようなのです」
「何が違うの?」
「英祖様の母親は伊祖按司の娘の伊祖ヌルなんです。英祖様の母親も『ユードゥリ(浦添ようどれ)』に眠っていて、その母親の話によると、英祖様の父親は玉グスク按司の息子で、『サクライノミヤ』というヤマトゥから来た山伏と一緒にヤマトゥに行ったきり帰って来なかったと言うのです」
「えっ!」と馬天ヌルは驚いて立ち止まった。
「すると、英祖様の父親はマレビト神だったの?」
「そういう事になります。マレビト神がティーダ(太陽)の神様に変わって、英祖様はティーダの子だと言われるようになったようです」
「成程ね‥‥‥父親が玉グスク按司の息子なら天孫氏(てぃんすんし)だわね」
「それは、そうとも限らないようです。肝心なのは母親が天孫氏かどうかなんです。玉グスク按司天孫氏ではない娘を妻に迎えると、生まれてくる子供は天孫氏ではありません」
「母親の血筋を重んじるという事ね」
「そうなんです。神様は母親の血筋を重んじるので、父親がヤマトゥンチュでも、母親が天孫氏なら、その子は天孫氏なんだそうです」
「すると、舜天様も母親が大里ヌルだから天孫氏って事なのね」
「そうです。察度様の母親は英慈(えいじ)様(英祖の孫)の孫娘ですから、多分、察度様も天孫氏です。武寧(ぶねい)(先代中山王)は母親が高麗人(こーれーんちゅ)ですから天孫氏ではありません。中山王(うしゅがなしめー)(思紹)は母親が大(うふ)グスク按司の娘なので、天孫氏だと思います。島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(サハチ)様の母親は越来按司(ぐいくあじ)(美里之子)のお姉さんなので、天孫氏だと思います。奥方様(うなじゃら)(マチルギ)の母親は伊波大主(いーふぁうふぬし)の娘さんで、天孫氏かどうかはわかりません。伊波大主の御先祖様が玉グスクとつながりがあれば、天孫氏になります。男の人が天孫氏だったとしても、天孫氏以外の女の人を妻に迎えると、その子は天孫氏ではなくなってしまいます」
「その逆も言えるわね。男の人が天孫氏でなくても、天孫氏の女を妻に迎えれば、子供は天孫氏になるわ」
「そうなんです。ただ、自分が天孫氏かどうかを調べるのは難しい事です。母親の出自を調べなければなりません。わたしの母は大グスクの武将の娘です。一族は皆、戦死してしまったので、出自はわかりません」
「そうね。母親の出自をたどるのは難しいわね」
 カナはうなづいた。
 馬天ヌルの母親は大グスク按司の娘だが、その母親が天孫氏だったかどうかはわからない。父(サミガー大主)の母親は我喜屋(がんじゃ)ヌルだが、やはり、天孫氏かどうかはわからなかった。でも、豊玉姫(とよたまひめ)様が守ると約束したので、兄もサハチも天孫氏に違いないと思った。
「そうか。父親の血筋でいったら、玉依姫(たまよりひめ)様もアマン姫様もヤマトゥンチュになってしまうものね。豊玉姫様の血を引く娘たちを母親に持った人たちが天孫氏なのね」
「そうなんです。それで、英祖様の父親の事なんですけど、母親の伊祖ヌル様から、ヤマトゥに行ったあと、どうなったのか調べてほしいと言われたのです」
 馬天ヌルはカナを見て笑った。
「神様から願い事を頼まれるなんて、凄いじゃない。ササと一緒に調べるといいわ。ササに、その事を言ったの?」
「その事を神様から頼まれたのは、ササがヤマトゥに行ったあとでした」
「来年、ササと一緒にヤマトゥに行ってらっしゃい」
「でも、どうやって調べるのですか」
「何か手掛かりはないの?」
「名前はグルー(五郎)で、玉グスク按司の息子さんなんだけど、若按司じゃなかったようです。旅をするのが好きで、大雨が降っている晩に雨宿りに来て、一夜を共にして、その後、三度会っただけで、ヤマトゥに行ってしまったそうです。別れる時に、ヤマトゥ歌を一首、残したそうで、伊祖ヌル様はそのヤマトゥ歌をずっと守り神のように大切にしていたようです」
「ヤマトゥ歌?」
「今でも、そのヤマトゥ歌を覚えておりました」
 カナは懐から紙切れを出して、馬天ヌルに見せた。ひらがなでヤマトゥ歌(和歌)が書いてあった。
「うむかぎぬ わすらるまじき わかりかな なぐりをひとぅぬ つきにとぅどぅみてぃ」と馬天ヌルは読んだ。
「面影が忘れられない別れかな。名残を人の月にとどめて‥‥‥恋の歌みたいね」
西行法師(さいぎょうほうし)というヤマトゥのお坊さんのヤマトゥ歌だそうです」
「えっ、西行法師?」
「馬天ヌル様は知っているのですか」
 馬天ヌルは笑った。
「兄が好きな歌人よ。旅をしながら歌を詠んだお坊さんで、兄は西行法師のように旅がしたいと言って隠居したのよ。兄は『東行法師(とうぎょうほうし)』って名乗っていたわ」
「そうだったのですか。でも、西行法師の歌だけでは探しようがないですね」
「一緒に行ったというヤマトゥの山伏を調べればわかるんじゃないの。どこの山伏だかわからないの?」
「熊野(くまぬ)の山伏です。浮島(那覇)の波之上(なみのえ)に熊野権現(くまぬごんげん)を建てたのが、その山伏だったそうです」
「そうだったの。熊野権現を建てたという事は、偉い山伏だったのかもしれないわね。波之上の護国寺(ぐくくじ)には行って来たの?」
「まだなんです」
「行けば何かわかるに違いないわ。喜舎場森に行ったら、次に浮島に行きましょう」
「いいんですか」
「あたしたちは今、旅の途中なの。その時の成り行きで動くのが、旅の楽しいところなのよ」
 馬天ヌルは楽しそうに笑って、「そうか。母親の血筋だったのか」ともう一度、言った。
「ちょっと待って、あなた、察度様の母親が英慈様の孫娘って言っていたわね。天女じゃなかったの?」
「察度様の母親のウタキが謝名(じゃな)にあって、神様からお話を聞いたのです。察度様の母親は二人の子供を残して、察度様が幼い頃に亡くなってしまいました。察度様は母方の祖父の敵(かたき)を討って、浦添按司になったのです」
「そうだったの。という事は、察度様にも英祖様の血が流れているのね」
「そうなんです。舜天様から今の中山王まで、ずっとつながっているのです」
「舜天様と英祖様もつながっているの?」
「英祖様の祖父の伊祖按司様は舜天様の息子さんです。伊祖にグスクを築いて、伊祖按司を名乗りました」
「あら、そうだったの。それで、今の中山王にも英祖様の血が流れているの?」
「サミガー大主様の父親は、島尻大里(しまじりうふざとぅ)按司の次男の与座按司(ゆざあじ)の若按司だったと按司様(あじぬめー)(サハチ)から聞きました。初代の島尻大里按司は、英祖様の息子ですから血がつながっているはずです」
「成程ね。舜天様からずっと続いていたのか‥‥‥あなたも色々と調べているのね」
浦添ヌルとして当然の事です」とカナは言った。
 カナは浦添ヌルである事に誇りを持っているようだと馬天ヌルは頼もしく思った。もしかしたら、馬天ヌルが今持っている豊玉姫のガーラダマは、カナが持つべきものなのではないかと思い、カナのガーラダマを見た。カナも立派なガーラダマを持っていた。
「ねえ、あなたのガーラダマは、運玉森ヌル様からいただいたものなの?」と馬天ヌルはカナに聞いた。
「そうなのです。実はこのガーラダマは英祖様のお母様が持っていたガーラダマだったのです」
「えっ、本当なの?」
「わたしも驚きました。わたしがこのガーラダマを持っていたので、神様もわたしにお願い事をしたのだと思います」
「でも、どうして、運玉森ヌル様が伊祖ヌル様のガーラダマを持っていたの?」
「伊祖ヌル様は、英祖様の娘が島添大里按司に嫁いだ時に、ガーラダマを渡したそうです。英祖様が浦添按司になったあと、伊祖グスクは浦添グスクの出城となって、伊祖按司は廃止されてしまいます。伊祖ヌルも必要なくなったので、孫娘にお守りとして渡したそうです。そのガーラダマが代々のサスカサに伝わって、わたしのもとに来たようです」
「運玉森ヌル様は、あなたと出会って、そのガーラダマをあなたに渡すべきだとわかったのね」
「運玉森ヌル様は何も言いませんでしたが、きっと、そうだと思います」
 話を聞いていた奥間ヌルも麦屋ヌルも、不思議な事があるものなのねと感心していた。
 中グスクに寄って中グスクヌルを連れて、久場(くば)に寄って久場ヌル(先代中グスクヌル)を連れて、喜舎場森に着いたのは正午(ひる)を少し過ぎた頃だった。
 喜舎場の集落の後ろにある山が喜舎場森だった。前回、来た時、久場ヌルはあの山には何もないと言った。久場ヌルにその事を聞くと、「すみませんでした」と謝った。
「あの時、馬天ヌル様は舜天様が真玉添のヌルたちを滅ぼしたと言っていたので、仲順と喜舎場の根人(にっちゅ)(長老)たちが怒って、舜天様に関係のあるウタキに、馬天ヌル様を近づけてはならんと言ったのです。それで、御案内できませんでした」
「そうだったの。そんな事があったなんて知らなかったわ。あたしも迂闊(うかつ)だったわね。悪気があって言ったんじゃないけど、舜天様の子孫たちが聞けば気分を害するわね。今は大丈夫なの?」
「『舜天』のお芝居のお陰で、誤解は解けたようです」
「この辺りの人が、あのお芝居を観たの?」
「お芝居好きはどこにもいますよ。『舜天』のお芝居をすると聞いて、浦添まで観に行った人が何人もいるのです。舜天が悪者を倒したので、大喜びしておりました」
「そうだったの。お芝居の力って、思っていたよりも凄いのね。ここで『舜天』のお芝居をやれば、みんな、大喜びするわね」
「旅芸人の一座がここにも来て、『瓜太郎(ういたるー)』を演じたんですけど、今度は『舜天』をやってくれって頼んでいました」
「そうだったの。旅芸人の人たちも大変だわね」
 細い山道を登って行くと見晴らしのいい頂上に出た。大きな木の下にウタキがあった。
 お祈りをすると神様の声が聞こえてきた。
「よくいらしてくれました。母からあなたの娘さんの事は聞きました。わたしたちの父の事を調べてくれたそうですね。父が平家を倒したと言って、母はとても喜んでいました。ありがとうございます」
「いいえ。わたしこそ、いい加減な事を言いふらしてしまって申しわけございませんでした」
「いいえ、あなたが言いふらしたのではありません。真実が隠されてしまっていたので、誰にもわからなかったのです。この村(しま)の人たちも長い間、肩身の狭い思いをしてきましたが、ようやく解放されたと喜んでおります。ありがとうございました」
 馬天ヌルはカナを見た。
 カナはうなづいて、初代浦添ヌルの神様に挨拶をした。
「わたしたちが造った浦添の都も時の流れで寂れてしまいましたが、あなたのお陰で、賑わいを取り戻せそうです。頑張ってくださいね」
 頑張りますとカナは約束した。
 舜天の妹の浦添ヌルと別れて、山を下りると村の人たちが待っていて、歓迎してくれた。前回の旅の時、会ってくれなかった仲順ヌルと喜舎場ヌルもいた。根人たちの案内で、舜天のウタキもお参りした。柵に囲まれていて、女子は中に入れないが、柵の手前で拝むと、神様の声が聞こえてきた。
「わしは知っておったんじゃよ」と舜天は言った。
「鎌倉殿(源頼朝)が亡くなったとの噂を聞いて、朝盛法師殿がヤマトゥに行ったんじゃ。もう六十を過ぎていたので、無理をするなと言ったんじゃが、やり残した事があるから行かなければならないと言って、法師殿はヤマトゥに行って来た。そして、親父の事を調べてきたんじゃよ。鎌倉殿が平家を倒すために兵を挙げた事を知ると、親父は熊野の兵を引き連れて出陣した。しかし、負け戦が続いて、甥の木曽次郎(義仲)と一緒に京都に攻め込むが、木曽次郎と対立して、結局は鎌倉殿に追われる身となって、討ち死にしたと聞いたんじゃ。平家が滅亡した壇ノ浦の合戦にも親父は参戦していない。あまりに惨めで、わしは母には言えなかった。妹にも言っていない。朝盛法師殿は無理なヤマトゥ旅が祟ったのか翌年、亡くなってしまった。親父の事はわしの胸にずっとしまっておいたんじゃ。しかし、母から真相を聞いて、わしは驚いた。鎌倉殿が蜂起したのも、各地の源氏が蜂起したのも、親父が三条宮様(さんじょうのみやさま)(以仁王(もちひとおう))というお方の平家打倒の命令の書を持って、各地を回ったからだと知った。平家打倒の原因を作ったのは、親父だったんだ。親父がそれをしなかったら、平家を滅ぼす事はできなかっただろう。わしは親父を誇りに思う事ができた。本当にありがとう」
 馬天ヌルは何も言えなかった。
 舜天の声を聞いていた根人たちが泣いていた。
 馬天ヌルたちは村の人たちにお礼を言って帰ろうとしたが、村人たちは帰してくれなかった。根人の屋敷に招待されて、歓迎の宴(うたげ)が開かれた。
「成り行きに任せましょう」と馬天ヌルは楽しそうに笑った。
 楽しい宴がお開きになったあと、
「ありがとうございました」と久場ヌルが馬天ヌルにお礼を言った。
「仲順と喜舎場は昔から閉鎖的な所で、中グスク按司に心を開いてくれなかったのです。何とかしようと、わたしは仲順ヌルと喜舎場ヌルを何度も訪ねていたのですが、心を通わす事はできませんでした。馬天ヌル様のお陰で、何とかなりそうです。本当にありがとうございます」
「神様のお陰ですよ」と馬天ヌルは言った。
 翌日、久場ヌルと中グスクヌルと別れ、馬天ヌルたちは浮島に向かった。
 ヤマトゥの船も帰って、浮島は閑散としていた。波之上の熊野権現をお参りして、護国寺を訪ねた。熊野権現を創建した人の事を訪ねると、少し待たされて、住職の頼善和尚(らいぜんおしょう)が現れた。
護国寺を創建したのは、坊津(ぼうのつ)の一乗院の頼重法印(らいじゅうほういん)殿です。わたしは二代目の住職として、一乗院より参りました。熊野権現様がこの地に勧請(かんじょう)されたのは、護国寺が創建される百年以上も前の事だそうです。どなたが勧請されたのかは、残念ながらわかりません。当時、ヤマトゥの国は宋(そう)の国と盛んに交易をしていたようなので、宋に行く途中、熊野の山伏がここに立ち寄って、勧請されたものと思われます」
熊野権現を建てたお人は、『サクライノミヤ』という名前の山伏だったらしいのですが、心当たりはありませんか」と馬天ヌルは聞いた。
「サクライノミヤ?」と言って、和尚は首を傾げた。
法親王(ほうしんのう)様が何とかの宮を名乗る事はありますが、まさか、法親王様が琉球に来られる事はありますまい」
法親王様とは何ですか」
天皇の息子さんが出家なさると法親王様と呼ばれるんじゃよ」
「そんな偉いお人が琉球には来ませんね。ヤマトゥにサクライノミヤという神社はありませんか。そこの山伏かもしれません」
「さあのう。あるかもしれんが、わからんのう」
「熊野にそんな神社はありませんか」とカナが聞いたが、和尚は首を傾げた。
「やっぱり、ヤマトゥに行かなければわからないわよ」と馬天ヌルはカナに言った。
「あとの手掛かりは玉グスクね。行ってみる?」
 カナはうなづいた。
 浮島の『よろずや』に寄って、父の浦添按司に手紙を渡すようにカナは頼んで、馬天ヌルたちと一緒に南部のウタキ巡りの旅を続けた。

 

 

 

日本陰陽道史話 (平凡社ライブラリー)   図説 日本呪術全書

2-107.屋嘉比のお婆(改訂決定稿)

 今帰仁(なきじん)をあとにした馬天(ばてぃん)ヌルの一行は運天泊(うんてぃんどぅまい)に行って、勢理客(じっちゃく)ヌルに歓迎された。
 勢理客ヌルは、馬天ヌルがヤンバル(琉球北部)のウタキ(御嶽)巡りをしている事を知っていて、首を長くして来るのを待っていた。
「名護(なぐ)に来たって聞いたので、こっちに来るかと待っていたのに、本部(むとぅぶ)の方に行っちゃったじゃない。もう、待ちくたびれたわよ」
 そう言って勢理客ヌルは怒った顔をしたが、すぐに笑って、「会いたかったわ」と再会を喜んだ。
「あたしも会いたかったわよ」と馬天ヌルも言って、手を取り合った。
「名護ヌルに会いに行ったら屋部(やぶ)にいて、それで、そのまま本部の方に行っちゃったのよ。それに、今帰仁のクボーヌムイ(クボー御嶽)の神様に会いたかったの」
「クボーヌムイの神様?」
「そうよ。前回に行った時、神様のお話の意味がよくわからなかったので、もう一度、行ってみたのよ」
「それで、今回はわかったの?」
 馬天ヌルはうなづいて、神様の話をしようとしたら、目付きの鋭い三十年配の偉そうな男が現れた。
「お師匠!」と男は叫んで、ヂャンサンフォン(張三豊)の前にひざまづいて、「武当拳(ウーダンけん)を教えて下さい」と頼んだ。
「湧川大主(わくがーうふぬし)よ」と勢理客ヌルは馬天ヌルに教えた。
「えっ!」と馬天ヌルは驚いた。
 まさか、湧川大主が現れるなんて思ってもいなかった。明国(みんこく)の海賊が来るのは来月だとウニタキ(三星大親)から聞いていた。今の時期はヤマトゥ(日本)の商人たちが帰るので、その見送りをするために親泊(うやどぅまい)にいるだろうと言っていた。どうして運天泊に現れたのか、どうしてヂャンサンフォンがここにいる事を知っているのか、馬天ヌルにはわからなかった。湧川大主は五年前、自分を殺そうとした男だった。
 麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)は息が止まるかと思うほどに驚いていた。十六年振りに見る湧川大主は、すっかり貫禄がついて、一角(ひとかど)の武将に見えた。両親と兄の敵(かたき)が目の前に突然、現れて、麦屋ヌルは恐ろしさで体が震え、隠れようと思っても体は動かなかった。
テーラー(瀬底之子)からそなたの事は聞いている。教えてもかまわんが、どうしようかのう」とヂャンサンフォンが馬天ヌルを見た。
「あたしたちが安須森(あしむい)まで行って、戻って来るまで教えたらいかがですか」と馬天ヌルは言った。
「そうじゃのう。何日くらいで戻って来るかな」
 馬天ヌルは少し考えて、「十日くらいでしょう」と言った。
「十日間の修行じゃがよろしいかな」とヂャンサンフォンは湧川大主に聞いた。
「十日間で結構です。わしもそれほど暇ではないので、十日間で充分です」
 ヌルの屋敷に男は泊められないからと言って、湧川大主はヂャンサンフォンと奥間大親(うくまうふや)とゲンを自分の屋敷に連れて行った。
 湧川大主が出て行くと、麦屋ヌルはめまいがして倒れそうになり、運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)に支えられた。
「旅の疲れが出たみたい」と運玉森ヌルが言うと、勢理客ヌルは、「ゆっくり休むといいわ」と言って、麦屋ヌルを屋敷の奥の間に案内した。
 マチ、サチ、東松田(あがりまちだ)の若ヌル、カミーは、勢理客の若ヌルと一緒に近所の散策に出掛けた。勢理客の若ヌルは湧川大主の娘のランで、マチとサチと同い年の十七歳だった。
 若ヌルたちが出て行くと、
「湧川大主様ってどんな人なの?」と馬天ヌルは勢理客ヌルに聞いた。
「兄の山北王(さんほくおう)(攀安知)をうまく補佐しているわ。今回、中山王(ちゅうざんおう)(思紹)と同盟を結ぼうと言い出したのは湧川大主なのよ。その話を聞いた時、わたしも驚いたわ。山南王(さんなんおう)と同盟を結んでから一年も経っていないのに、中山王と同盟を結ぶなんて、普通は考えられない事よ。普通の人が考えないような事をするのが湧川大主ね。まだ、大きな戦(いくさ)の経験はないけど、思いもしないような作戦を立てるかもしれないわ。そして、今の姿を見たでしょ。自分がやりたいと思った事は、周りの目を気にする事なく実行するわ。若い頃、今帰仁グスクではなくて、本部で自由に育ったからよかったのかもしれないわね。あまり、堅苦しい事は好きじゃないみたい。明国の海賊たちやヤマトゥの倭寇(わこう)と付き合うのが性(しょう)に合っているようね」
「敵に回したら恐ろしそうね」と馬天ヌルは言った。
「そうかもしれないわね。でも、同盟を結んだから、当分は戦もないでしょう。お嫁に行ったマナビーだけど、島添大里(しましいうふざとぅ)が気に入ったみたいね」
「ええ、いい娘さんだわ。朝から武芸の稽古に励んでいるわよ」
「油屋から聞いたけど、島添大里の奥方様(うなじゃら)は武芸の名人なんですってね」
「あたしのお師匠様ですよ」と馬天ヌルは笑った。
「そうだったの。奥方様が武芸の名人なら、娘たちが武芸に励むのも当然だわね」
「あたしの娘なんだけどね、ヌルの修行と剣術の修行を一緒に積んでいたの。だから、ヌルというのは武芸もできなければならないって、ずっと思っていたらしいわ」
「そうだったの」と勢理客ヌルは楽しそうに笑った。
「あたしの娘だけじゃなくて、佐敷のヌルも島添大里のヌルも、みんな、強いわよ。さっきの話の続きなんだけど」と言って、馬天ヌルは安須森の事を話した。
 勢理客ヌルは志慶真(しじま)の長老から聞いて、初代の今帰仁按司が小松の中将(ちゅうじょう)と呼ばれていた平維盛(たいらのこれもり)だと知っていたが、その維盛が安須森を滅ぼした事は知らなかった。
「先代の今帰仁ヌルから安須森の話は聞いていて、先代に連れられて行った事はあるわ。見るからに凄い山で、古いウタキがいっぱいあるんだろうと思っていたけど、妙に静かで、神様はいらっしゃらなかった。わたしの神名(かみなー)の『アオリヤエ』は安須森ヌルの神名だったって聞いていたけど、安須森がこんな所なら、今帰仁のクボーヌムイの方がずっと凄いウタキだと思ったのよ。そんな事情があったなんて、全然知らなかったわ。あなたの娘がヤマトゥまで行って、豊玉姫(とよたまひめ)様の事を調べたのね。凄いヌルなのね」
「ヂャンサンフォン様の修行なんだけどね、あたしも娘も受けたのよ。呼吸法とか静座(せいざ)とかあってね、それを身に付けるとシジ(霊力)も高くなるし、体が軽くなって、若返りもするのよ。せっかくだから、あなたも一緒に修行した方がいいわ」
「あたしみたいな者でも受けられるの?」
「大丈夫よ。基本を身に付ければ、あとはそれを持続するだけなのよ。難しい事なんて何もないわ。運玉森ヌル様なんだけど、何歳だかわかる?」
「そうねえ」と勢理客ヌルは運玉森ヌルを見て、「三十代の後半でしょ」と言った。
「マトゥイヌル(麦屋ヌル)さんと同じくらいじゃないの」
 馬天ヌルも運玉森ヌルもクスクス笑った。
「あたしたちよりも年上なのよ」と馬天ヌルが言うと、
「えっ!」と勢理客ヌルは驚いて、口をポカンと開けていた。
「信じられないわ。あなたも前回会った時から、ちっとも変わってないって驚いていたんだけど、運玉森ヌル様があたしよりも年上だなんて、どう見ても考えられないわ」
「運玉森ヌル様はヂャンサンフォン様と出会ってから、どんどん若くなっていくの。あたしも会うたびに驚いているわ。ところで、ヂャンサンフォン様はいくつだと思う?」
「男の人は若返るといっても、そんなに変わらないでしょ。五十代の半ばよ」
 馬天ヌルと運玉森ヌルは顔を見合わせて笑った。
「正解は百六十六歳」
「百六十‥‥‥まさか?」
「本当よ。生まれたのは元(げん)の国ができる前だったそうよ。武芸の名人だけでなく、道士としても凄い人なの。唐人(とーんちゅ)でヂャンサンフォン様の名を知らない人はいないでしょう」
「そんな凄い仙人みたいな人が、どうして琉球にいるの?」
「明国の皇帝がヂャンサンフォン様に会いたいと言って探しているの。会えば皇帝に仕えなければならない。断れば殺されるかもしれない。それで、琉球に逃げて来たのよ」
「明国の皇帝が会いたいというほどのお人だったの?」
「そうなの。凄いお人なのよ。あなたも湧川大主様と一緒に修行した方がいいわ。若ヌルも一緒にした方がいいわね」
「わかったわ」と言って、勢理客ヌルは運玉森ヌルを見て首を傾げ、「わたしも若返るわ」と言った。
 次の日、勢理客ヌルは若ヌルと一緒に、ヂャンサンフォンの修行に加わった。馬天ヌルたちはヂャンサンフォンを運天泊に残して、羽地(はにじ)へと向かった。
 羽地ヌルは前回に来た時は愛想がなく、ウタキの案内もしてくれなかったのに、今回はやけに愛想よく迎えてくれた。おかしいと思っていたら、どうやら、湧川大主がヂャンサンフォンに会いに来たのを、馬天ヌルたちを迎えに行ったものと勘違いしたようだった。湧川大主の行動は皆が注目していて、その意に沿うようにと心掛けているらしい。
 まるで人が変わったような羽地ヌルの案内で、羽地のウタキを巡り、羽地ヌルと別れて国頭(くんじゃん)に向かった。麦屋ヌルは、湧川大主が追って来ないかと恐れ、運天泊から早く遠くに行きたいようだった。
 塩屋湾を小舟(さぶに)で渡り、山の中に入って、日が暮れる前に何とか、国頭に到着した。間もなく暗くなるので、国頭ヌルを訪ねるのは明日にして、奥間(うくま)の杣人(やまんちゅ)の親方で、国頭を仕切っているトゥクジ(徳次)の屋敷にお世話になる事にした。トゥクジは猪鍋(やまししなべ)で持て成してくれた。山道を歩いて疲れていたので、おいしい猪鍋は疲れをいっぺんに取ってくれた。
 トゥクジは、国頭按司が中山王と材木の取り引きを始めたので忙しくなったと言っていたが、それを喜んでいた。山北王のために木を切るよりも、中山王のために木を切った方が稼ぎになるという。以前は山北王の『材木屋』が一手に引き受けていたので、相手の言いなりだったが、中山王の『まるずや』が加わってきたので、『材木屋』も材木の値を上げてくれたという。
「『まるずや』が材木の取り引きに加わって、山北王は怒っていないの?」と馬天ヌルはトゥクジに聞いた。
「今の所は怒ってはおりません。『まるずや』のお陰で、羽地、名護、国頭の三人の按司が、中山王と取り引きを始めたのを喜んでおります。三人の按司たちは明国の海賊たちと取り引きができないので、進貢船(しんくんしん)を出してくれとうるさいように山北王に言っておりましたから、それが黙ったので、よかったと思っているのでしょう」
「三人の按司たちはどうして、海賊たちと取り引きができないの?」
「初めの頃はやっていたようです。三人の按司たちは山北王からヤマトゥの商品を買って、海賊と取り引きをしておりましたが、海賊の方が面倒くさくなったのでしょう。山北王から買えばいいと言って、取り引きをやめてしまったのです。海賊たちから見れば、珍しい商品を持っているわけではなく、山北王の商品と同じですからね。一々、三人の按司と取り引きする必要もないわけです。それに、三人の按司たちが欲しがっているのはヤマトゥの刀です。ヤマトゥの刀は海賊との取り引きに使うので、山北王が独り占めしてしまって、三人の按司たちは手に入れられません。中山王は刀も売ってくれると言って喜んでおります」
 三人の按司たちが中山王とのつながりを強くすれば、いつかは山北王が怒るような気がした。馬天ヌルはハッとなって、それが狙いなのかと気が付いた。そうなると、羽地、名護、国頭のヌルたちとは仲よくしておいた方がいいと思った。愛想がよくなった羽地ヌルと、もっと親しくなるべきだったと後悔した。
 翌日、出掛ける時、「お船が見えます」と東松田の若ヌルが突然、言った。
お船?」
「あたしたち、みんながお船に乗っています」
 馬天ヌルは首を傾げた。船と言えば、水軍の大将のヒューガ(日向大親)を思い浮かべたが、ヒューガが来るとは思えない。どこかの川の渡し舟だろうと思って、「お船に乗るのを楽しみにして出掛けましょう」と馬天ヌルは東松田の若ヌルに言った。
 国頭ヌルを訪ねると歓迎してくれた。前回に来た時も、こんな遠くまでよく来てくれたと歓迎してくれた。馬天ヌルと一つ違いの年齢なので、話も合って、気も合った。国頭ヌルとウタキを巡って、安須森の話をすると、安須森の事なら屋嘉比(やはび)のお婆がよく知っているというので、会いに行った。屋嘉比のお婆の屋敷は屋嘉比川(田嘉里川)の向こう側にあり、筏(いかだ)に乗って渡った。
 屋嘉比のお婆はかなりの高齢だった。自分でも年齢(とし)がわからず、多分、八十歳は過ぎているだろうと言った。以前は屋嘉比ヌルだったが、三十年も前に娘に譲っている。その娘はお婆より先に亡くなってしまい、今は孫娘の代になっていた。ヌルを引退してからも、お婆はお祈りは欠かさずに続けているという。
 お婆は馬天ヌルのガーラダマ(勾玉)をじっと見つめて、
「それはチフィウフジン(聞得大君)のガーラダマではないのか」と驚いた顔をして馬天ヌルを見た。
「そうです」と馬天ヌルは答えた。
「そなたが持っておられたのか。久し振りに見させてもらった」と言って、お婆はガーラダマに両手を合わせた。
 お婆は若い頃、浦添(うらしい)に行って、浦添ヌル(チフィウフジン)と会い、そのガーラダマを見ていた。凄いガーラダマだと感心したので覚えていた。今帰仁浦添ヌルが来たと聞いた時、会いに行ったが、浦添ヌルのガーラダマはそれではなかった。浦添ヌルは自分が身に付けているガーラダマが、先代から譲り受けた物だと言った。お婆はあの凄いガーラダマは、どうしてしまったのだろうとずっと気になっていた。突然、現れた馬天ヌルが、そのガーラダマを身に付けていたので驚いたが、馬天ヌルを見て、そのガーラダマにふさわしいヌルだと納得していた。
「お婆、安須森のお話を聞かせてよ」と国頭ヌルが言った。
「安須森は凄いウタキだったそうじゃ。しかし、何者かによって、神様たちは封じ込められてしまったんじゃよ。屋嘉比森(やはびむい)の神様の話によると、まだここにグスクができる前、屋嘉比森には御宮(うみや)があって、南部から安須森に向かうヌルたちが立ち寄って賑やかだったそうじゃ」
「ここにも御宮があったのですか。名護にもあったようですね」と馬天ヌルは言った。
「今はすっかり忘れ去られてしまったが、安須森はヤンバルを代表する凄いウタキだったんじゃよ。ヌルだけでなく、あちこちの村々(しまじま)から大勢の女子(いなぐ)たちがヌルに連れられてお祈りに行っていたそうじゃ」
「安須森の封印は解けました」と馬天ヌルは言った。
「なに?」とお婆は目を大きくして、馬天ヌルを見つめた。
「わたしの姪の佐敷ヌルによって、封印は解かれました」
「そうじゃったのか。最近、ここの神様がおらんようになったのは、安須森に行っているんじゃな。わしも行かなくてはならん」
「えっ!」と馬天ヌルたちは驚いた。
 ぺたっと座っている姿から歩くのもやっとのように思えたが、お婆は立ち上がると杖をついて、腰を曲げたまま、よたよたと歩いて、火の神様(ひぬかん)を拝みに行った。
 その後のお婆の行動は素早かった。国頭按司に命じて船を用意させて、馬天ヌルたちも一緒に船に乗って安須森に向かった。国頭ヌルも孫娘の屋嘉比ヌルも、お婆に命じられて付いて来た。途中で奥間(うくま)ヌルも呼んで来て、一緒に行った。
 奥間ヌルは屋嘉比のお婆に呼ばれてやって来たら、その船に馬天ヌルがいたので驚き、再会を喜んだ。
「凄いお婆ね」と馬天ヌルが奥間ヌルに言うと、奥間ヌルはうなづいて、
「先代の奥間ヌルと仲がよかったのです」と言った。
「先代と一緒に山の中で厳しい修行を積んだのです。ガマ(洞窟)の中に籠もってお祈りを続けたり、滝に打たれたり、わたしも一緒に行った事がありますが、険しい山の中を平地のように走っていて、とても付いては行けませんでした。今はもう九十を過ぎているので、そんな事はないとは思いますけど、本当に凄いお婆です」
「えっ、九十を過ぎているの?」
「先代が亡くなった時、八十一歳でした。あれから十四年が過ぎています。先代より二歳年下だと聞いていますから、九十三じゃないですかね」
「九十三‥‥‥凄いお婆だ」と馬天ヌルは甲板(かんぱん)の上に座り込んで、遠くをじっと見つめているお婆を見た。
「馬天ヌル様はどうして、国頭按司お船に乗っているのですか」
 馬天ヌルは奥間ヌルに事の成り行きを説明した。
「そうだったのですか。先月、わたしも佐敷ヌル様と一緒に安須森に行きました。佐敷ヌル様は神様扱いされていました。お婆に知らせようと思ったのですが、あの年齢(とし)では安須森に登るのは無理だろうと思って黙っていたのです」
「登る気でいるわよ」と馬天ヌルは笑った。
「ところで、あのお婆は按司も動かせるほど、偉い人なの?」
「親戚なんですよ。三代目の今帰仁按司の次男が国頭按司になって、その次男が屋嘉比大主(やはびうふぬし)になったようです。それに、お婆は子供の頃から按司の事を知っているから、何か弱みを握っているんじゃないかしら」
「ヌルとしての貫禄もあるから、誰も逆らえないわね」
「そうですよ。わたしだって、わけもわからずに呼ばれて、やって来たんですから。お婆に呼ばれたのなら仕方がないと皆、思っているから大丈夫ですけど」
 奥間から険しい山道を歩いて、たっぷり一日掛かるのに、船だとあっという間に、安須森が見えてきた。一時(いっとき)(二時間)余りで宜名真(ぎなま)に着いて上陸した。険しい山道を登って崖の上に出て、安須森へと向かった。国頭ヌルも屋嘉比ヌルも気を使っていたが、お婆は平気な顔をして歩いていた。
 安須森の麓(ふもと)にある村(しま)に近づくと、カミーは我が家へと駆け寄って行った。カミーの姿に気づいた母親が「カミー」と叫んで、駆け寄って来たカミーを抱きしめた。カミーがしゃべれる事に驚いて、
「お前、しゃべれるようになったのかい」と涙を流しながら喜んでいた。
 辺戸(ふぃる)ヌルは一行を歓迎して迎えたが、お婆は休む間もなく、安須森に登ると言い出して、馬天ヌルたちもお婆に従った。辺戸ヌルも付いて来た。
「お婆は前にもここに来た事があるのですか」と馬天ヌルは歩きながら辺戸ヌルに聞いた。
「以前は十二年に一度、必ず、来ておりました。最後に来られたのは十五年くらい前でしょうか。この前の子年(ねどし)に来られなかったので、もう亡くなってしまわれたのかと思っておりました。まさか、まだ生きておられて、馬天ヌル様と御一緒にやって来るなんて驚きました。それに、カミーの事も驚きです。どうして、しゃべれるようになったのですか」
「佐敷ヌルが安須森の封印を解いたのと同時にしゃべれるようになったのです。カミーが自分でそう言いました。自分は新しい安須森ヌルを助けるために生まれたけど、封印のお陰でしゃべる事も聞くこともできなかったと言っていました」
「あの子、ヌルになる気なのですか」
「わたしから教えを受けるつもりで、首里(すい)までやって来たようです。アフリヌルを継がなければならないと言っていました」
「そうだったのですか。あの子がそんな事を考えていたなんて‥‥‥やはり、アフリヌル様の孫なのですね」
 まるで奇跡のようだった。安須森に入った途端、お婆は若返ったかのように、しゃきっとして、ウタキにお祈りを捧げながら、険しい山道を誰の手助けもなく登って行った。
 安須森は前回来た時とすっかり変わっていた。神々しい霊気に満ちていて、まさしく、ヤンバルを代表する凄いウタキになっていた。誰もが真剣な顔付きになって、真摯(しんし)な気持ちで神様にお祈りを捧げた。
 山頂で『安須森姫』の神様が待っていた。
「ありがとう」と神様は馬天ヌルにお礼を言った。
「アフリヌル様から、あなたのガーラダマを渡された時、あの時から、この日が来るのを待っておられたのですね。あの時、わたしは何も知りませんでした。あれから十二年も掛かってしまって、申しわけございませんでした」
「いいのよ。あなたはちゃんとやるべき事をやったわ。二百年以上も封じ込められていたのだから、十二年なんて短いものよ」
「ありがとうございます。アフリヌル様が神様のお告げがあって、あなたのガーラダマをわたしに渡したと言いましたが、そのお告げはあなたのお告げだったのでしょうか」
「そうですよ。封じ込められて声を出す事はできませんが、ガーラダマを通してお告げを言う事ができるのです。とても難しい事なのですが、何とかアフリヌルに伝える事ができたのです」
 馬天ヌルのガーラダマも時々、しゃべっていた。ただ漠然と神様の声だと思っていたが、あの声はチフィウフジンの声に違いないと思った。でも、いつの時代のチフィウフジンなのだろうか。真玉添(まだんすい)(首里)の最後のチフィウフジンは運玉森で亡くなったと聞いている。そのチフィウフジンの声なのだろうか。確認しなくてはならないと思った。
「ありがとう」と別の神様がお礼を言った。
「久し振りに妹の安須森姫に会えたわ。あなたの娘が伯母様(玉依姫)をヤマトゥから連れて来てくれたんですってね。わたしも会ったのよ。懐かしかったわ」
「あなたはアマン姫様の娘さんですね」
「そうです。あなたの娘さんは、妹のユンヌ姫をヤマトゥに連れて行って、お祖父(じい)様(スサノオ)に会わせてくれたんですってね。色々とありがとう」
 馬天ヌルはササが与論島(ゆんぬじま)で、ユンヌ姫に会ったという話は聞いているが、ユンヌ姫をヤマトゥに連れて行った事は知らなかった。
「わたしの娘がお役に立つのでしたら、どんどん使ってやって下さい」と馬天ヌルは神様に言った。
「わたしは安須森姫とユンヌ姫の姉の『真玉添姫』です」と神様は名乗った。
「もしかして、このガーラダマの持ち主だった神様ですか」と馬天ヌルは胸に下げたガーラダマをさわった。
「そうです。神名はチフィウフジンです。安須森の封印が解けたと聞いて、首里からやって来たのです
「えっ、首里?」
 首里グスクの『キーヌウチ』には、真玉添姫のウタキはなかった。首里のどこにあるのだろうと聞こうとしたら、
「わたしのウタキは首里グスクを造る時に破壊されてしまったのよ」と神様は言った。
「そんな‥‥‥」と馬天ヌルはあまりの驚きで言葉がでなかった。真玉添の中心になっていた真玉添姫のウタキが破壊されたなんて信じられなかった。
「無理もないのよ。首里グスクを建てた時、ここと同じように、わたしたちは封じ込められていたのよ。当時の浦添ヌルにはわからなかったのよ。あなたが『キーヌウチ』に新しいウタキを造ってくれれば、わたしはそこに降りて行くわよ」
「わかりました。ウタキを造ります。これからもわたしたちをお守り下さい」
「わたしのウタキも作って下さい」と別の神様が言った。
 安須森姫の妹の『運玉森姫』だった。運玉森姫のウタキも、島添大里按司が側室のための屋敷を建てた時に破壊されたという。
「それはわたしが造ります」と運玉森ヌルが言った。
「あなたはサスカサだったわね。あなたが久高島(くだかじま)のフボーヌムイ(フボー御嶽)から出てから、すべてがうまい具合に動き始めたわ。ありがとう」
 運玉森姫が運玉森ヌルと話している時も、馬天ヌルは別の神様から話し掛けられていた。
 神様たちと話をして、神様たちからお礼を言われている馬天ヌルを見ながら、屋嘉比のお婆は生き神様に違いないと、馬天ヌルに両手を合わせていた。
 馬天ヌルは佐敷ヌルと同じように、ぐったりと疲れて安須森を下りた。屋嘉比のお婆のお陰で、馬天ヌルは神様として祀られ、村人たちが皆、集まって来て、歓迎の宴(うたげ)が開かれた。

 

 

 

泡盛 丸田 1800ml 一升瓶 30度×6本 田嘉里酒造所

2-106.ヤンバルのウタキ巡り(改訂決定稿)

 ウタキ(御嶽)巡りの旅に出た馬天(ばてぃん)ヌルの一行は、山田グスクに行く途中、読谷山(ゆんたんじゃ)の喜名(きなー)で東松田(あがりまちだ)ヌルと会っていた。
 馬天ヌルが東松田ヌルと会うのは十四年振りだった。馬天ヌルは再会を喜び、ササがガーラダマ(勾玉)を見つけた山の事を東松田ヌルに聞いた。
「座喜味森(じゃきみむい)っていうのです」と東松田ヌルはその山を見ながら言った。
「いわくがありそうな山なんですけど、あそこには古いウタキはないのですよ」
「やはり、そうだったのね」と馬天ヌルはうなづいた。
「座喜味森がどうかしたのですか?」
「三年前に地震(ねー)があったのを覚えている?」
「ええ、久し振りの大きな揺れだったので覚えていますけど」
「あの時、わたし、あの山にいて、地震のあと、古いガーラダマを見つけたの」
「あの時、あそこにいたのですか。どうして寄ってくれなかったのです?」
「ごめんなさい。連れがいたものだから、宇座(うーじゃ)の牧場に行っちゃったのよ」
「そうだったの。でも、どうして、あの山から古いガーラダマが出てきたのかしら?」
 東松田ヌルは不思議そうに座喜味森を見てから、
「今回もお連れさんが多いわね」と笑った。
 馬天ヌルは運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)、ヌルの修行中のマチとサチ、ヤンバル(琉球北部)の娘のカミー、ヂャンサンフォン(張三豊)と奥間大親(うくまうふや)(ヤキチ)を紹介した。
 東松田ヌルは十五歳になる若ヌルを紹介した。
「あら、跡継ぎができたのね」と馬天ヌルは可愛い娘を見た。
「残念ながら、わたしの娘じゃないんです。姪なんですよ。小さい頃から、不思議なシジ(霊力)を持っているのです」
「どんなシジなの?」
「時々、先に起こる事が見えるようなのです。馬天ヌル様がいらっしゃる事も、この子、昨日のうちからわかっておりました」
「えっ、そうだったの?」
「馬天ヌル様の名前までは知りませんでしたが、明日、大切なお客様がいらっしゃると言っていました」
「そうだったの」と馬天ヌルは若ヌルを見た。
 ササと同じようなシジを持っているとしたら、ヂャンサンフォンのもとで修行を積めば、そのシジを最大限に伸ばす事ができるに違いないと思った。
 半時(はんとき)(一時間)ほど、東松田ヌルの屋敷で休んで、出発しようとしたら、東松田ヌルから、若ヌルも一緒に連れて行ってくれと頼まれた。若ヌルも、お願いしますと馬天ヌルに頭を下げた。
 馬天ヌルは運玉森ヌルを見た。運玉森ヌルは笑ってうなづいた。馬天ヌルは若ヌルを一緒に連れて行く事にした。
 せっかく来たのだからと、馬天ヌルはみんなを引き連れて座喜味森に入ってみた。三年前にガーラダマを見つけた場所はわからなくなっていて、『ティーダシル(日代)の鏡』が埋まっている場所も勿論わからなかった。山頂も木が生い茂っていて眺めはよくなかった。
「あなた、何か見える?」と馬天ヌルは東松田の若ヌルに聞いた。
 若ヌルは驚いた顔をして、首を振った。
「あなたたちは?」と馬天ヌルはマチとサチに聞いた。
 二人とも首を振った。馬天ヌルがカミーを見るとカミーも首を振り、麦屋ヌルも首を振った。
「ヂャンサンフォン殿と運玉森ヌル様は何か感じますか」
「東松田ヌルが言っていたように、ここにはウタキはなさそうね」と運玉森ヌルは言った。
「でも、何か大きな力を感じるわね」
「きっと、豊玉姫(とよたまひめ)様の鏡が埋まっているからでしょう」
「そうね。でも、どうして、この山に埋めたのかしら?」
 馬天ヌルは首を傾げた。
「グスクを築くには、いい場所じゃな」とヂャンサンフォンが笑った。
 座喜味森を下りた一行は多幸山(たこーやま)を越えて、山田グスクに行って山田ヌルに歓迎された。
 次の日は恩納岳(うんなだき)の木地屋(きじや)の親方、タキチを訪ねて、馬天ヌルは恩納按司(うんなあじ)の事を聞いた。
按司といっても実情はかなり苦しいようです。グスクが完成したら、あとは自分の才覚でやれと言って、山北王(さんほくおう)(攀安知)は助けてくれなかったようです。中山王(ちゅうさんおう)(思紹)と山北王が同盟を結んで、城下に『まるずや』ができて、安富祖(あふす)の竹の取り引きが決まって、按司は大喜びしております」
「『まるずや』が竹を買い取っているのですか」
「買い取っているというか、恩納按司が欲しがっている明国(みんこく)の陶器とか、ヤマトゥ(日本)の刀とかと交換しております。竹は弓矢の矢が作れますし、お寺の普請(ふしん)にも役に立つと言っておりました」
「『まるずや』もやるわね。金武按司(きんあじ)はどうなの? 金武按司からも何かを買っているの?」
「金武グスクの城下にも『まるずや』ができて、金武按司と取り引きをしておりますが、農産物が多いようです」
「そう。みんな、『まるずや』のお陰で重宝しているのね。ところで、恩納ヌルは健在なの?」
「恩納ヌル様は去年、お亡くなりになりました。若ヌルが跡を継ぎましたが、その若ヌルは恩納按司と結ばれて、娘を授かりました。その娘は三歳になっています」
「そうだったの。あの子が恩納按司の娘を産んだの‥‥‥それじゃあ、恩納ヌルはグスクの中にいるの?」
「いえ、以前の屋敷におります」
 馬天ヌルはタキチにお礼を言って、恩納ヌルに会いに行った。前回、今帰仁(なきじん)に行った時のように、ゲンが案内に立ってくれた。ヂャンサンフォンはタキチの案内で、運玉森ヌル、マチ、サチを連れて恩納岳に登り、ほかの者たちは馬天ヌルと一緒に来た。
 恩納の村(しま)はすっかり変わっていた。海を見下ろす丘の上に石垣に囲まれたグスクが建って、その前にサムレーたちの屋敷が並んでいた。そこから少し離れた所に以前の村があり、恩納ヌルの屋敷もあった。サムレーたちの屋敷と以前の村の中程に『まるずや』があった。小さい店だが、店内には古着を初めとして様々な物が山のように置いてあった。
 恩納ヌルは屋敷にはいなかった。近所の人に聞くと、ウタキの近くの海辺にいるだろうと言った。馬天ヌルたちは海辺に行ってみた。
 恩納ヌルが女の子と貝殻を拾っていた。馬天ヌルに気づくと恩納ヌルは驚いて、娘に一言言ってから近寄って来た。
「馬天ヌル様、お久し振りでございます」と恩納ヌルは挨拶をしたあと、供の者たちを見て、「また旅をなさっているのですか」と聞いた。
「中山王と山北王が同盟を結んだので、また、ヤンバルのウタキを巡ろうと思ってやって来たのです」
「そうだったのですか。ここも随分と変わったでしょう」と恩納ヌルは笑った。
「小さなウミンチュ(漁師)の村だったのに、今帰仁から恩納按司がやって来て、ここは山北王の領内になってしまいました。サムレーたちが大勢、家族を連れて移って来て、賑やかな所になりました。サムレーたちは山を切り開いて畑も作ったんですよ。中山王と同盟してからは、『まるずや』もできて、とても便利になりました。村に『まるずや』ができる前、ウミンチュたちは山田の『まるずや』まで通っていたのです」
「山田まで通っていたの?」と馬天ヌルは驚いた。
 『まるずや』は各地の情報を集めるために、ウニタキ(三星大親)が作った店だと思っていたが、すっかり地域に根付いて、その地域に必要な店になっていた事に馬天ヌルは気づき、今更ながら、ウニタキは凄いと思っていた。
「あなたにもマレビト神が現れたようね」と一人で遊んでいる娘を見ながら馬天ヌルは笑った。
「跡継ぎができました」と恩納ヌルは嬉しそうな顔をして言った。
「恩納按司様ってどんな人なの?」
「優しい人です。サムレーたちと一緒に畑仕事にも精を出しています」
按司様(あじぬめー)が畑仕事をなさっているの?」
「グスクを建てている時は今帰仁から食糧が送られて来たのですけど、完成したら、それがなくなってしまって、食べていくためには畑を開墾しなくてはならなかったのです。若按司だった親父が戦死しなければ、親父が山北王になって、俺はその息子として、今帰仁にいただろう。こんな田舎に来て、畑仕事をやっているなんて情けないと時々、わたしのおうちに来て愚痴をこぼしております」
 馬天ヌルは恩納ヌルと一緒に、いくつかのウタキを巡って、タキチの屋敷に戻った。その夜はタキチの屋敷に泊まって、ヤンバルの様子を聞いた。
 中山王との同盟が決まった時、名護按司(なぐあじ)も羽地按司(はにじあじ)も国頭按司(くんじゃんあじ)も、敵と勝手に同盟するとは何事だと文句を言っていたが、中山王と取り引きができる事がわかると皆、密かに喜んでいるという。以前、山北王が明国に進貢船(しんくんしん)を送っていた時、名護も羽地も国頭も従者を送って、明国で取り引きをしてきた。明国の海賊が毎年、来るようになって、山北王は進貢船を送るのをやめてしまい、山北王だけが明国の商品を手に入れている。三人の按司たちが文句を言うと、お前たちも自分の才覚で取り引きをすればいいと言ったという。取り引きをしろと言っても、明国の海賊が欲しがるヤマトゥの商品はないし、ヤマトゥの商人が欲しがる明国の商品もない。仕方なく、羽地は米を、国頭は材木を、名護は海産物を山北王に売って、明国の商品やヤマトゥの商品を手に入れていた。手に入れたと言っても、取り引きの元手になるほどの量ではなかった。
 ところが同盟後、首里(すい)から商人がやって来た。『まるずや』という店を城下に開いて、古着や雑貨類を売り始めた。そして、中山王と取り引きをしないかと持ちかけた。山北王よりも高い値で買い取ると言うので、三人の按司たちは喜んで話に乗った。三人の按司たちは明国の商品やヤマトゥの商品を中山王から手に入れる事ができて、とても喜んでいる。山北王も、『綿布屋(めんぷや)』で売っている朝鮮(チョソン)の綿布が気に入って、大量に仕入れたという。
 話を聞いて、さすが、ウニタキねと感心しながら、わたしも負けられないと馬天ヌルは思っていた。
 次の日、名護に行くと、名護ヌルも世代が代わって、若ヌルが名護ヌルになっていた。
「伯母は屋部(やぶ)にいます。『屋部ヌル』になって、若ヌルの指導をしています」と名護ヌルは言った。
 名護ヌルに連れられて、馬天ヌルたちは屋部に行き、屋部ヌルと会った。途中、綺麗な白い砂浜が続いていて、カミーはマチとサチ、東松田の若ヌルと一緒にキャーキャー言いながら波打ち際で遊んだ。
「先月、ピトゥ(イルカ)がやって来ました」と名護ヌルは言った。
「毎年、ピトゥは群れをなしてやって来ます。神様の贈り物です。ピトゥがやって来るとウミンチュたちが沖に出て、ピトゥを浜の方に追い込みます。浜に打ち上げられたピトゥをみんなで分けるのです。ピトゥのお肉は塩漬け(すーぢきー)にされて、首里にも運ばれました。馬天ヌル様もお召し上がりになりました?」
「ええ、おいしかったわよ。でも、ここで取れたなんて知らなかったわ」
 去年、ウニタキがヤンバルのお土産(みやげ)と言って、ピトゥの塩漬けを首里に持って来た。馬天ヌルはその時、初めてピトゥを食べた。魚というよりも猪(やましし)の肉に似ているような感じで、みんな、おいしいと言って食べていた。ピトゥの塩漬けはチューマチの婚礼の時にも使われ、南部の按司たちも美味だと言って喜んでいた。
「この砂浜はピトゥの血で真っ赤に染まるんですよ。名護にはピトゥしかありません。ピトゥのお肉を中山王が買ってくれたので、父はとても喜んでおります。ピトゥのお肉が明国の陶器やヤマトゥの刀に代わって名護にやって来ました。新品の刀を手にしてサムレーたちも喜んでおります」
 屋部には名護按司の弟の屋部大主(やぶうふぬし)がいて、屋部ヌルは屋部大主の娘を一人前のヌルにするために指導していた。屋部ヌルは馬天ヌルより一つ年下で、十二年振りの再会を喜んだ。
「前回、会った時、あなたは南部の小さな按司の叔母だったけど、今は中山王の妹なのね。中山王の妹なのに、また、旅をしているの?」
「中山王と山北王が同盟したので、昔、お世話になったあなたたちに会いたくなったのですよ」と馬天ヌルは笑った。
「あたしたちももうすぐ六十になるわ。もう先もあまりないし、歩けるうちに、みんなに会っておこうと思ったのよ」
「そうよね。月日の経つのは速いわ。すでに亡くなってしまったヌルも多いわ」
 屋部ヌルの屋敷に泊めてもらい、次の日、屋部ヌルと一緒に名護のウタキを巡った。十二年前に来た時、気になっていたウタキがあった。こんもりとした丘の上にある古いウタキで、屋部ヌルもそのウタキのいわれを知らなかった。ウミンチュたちから『クサティの神様』として大切に扱われているウタキだった。
 その神様が『真玉添(まだんすい)(首里)』の事を言っていたが、十二年前の馬天ヌルは真玉添の事をよく知らなくて、神様が言っている話が理解できなかった。今なら、きっとわかるだろうと馬天ヌルはお祈りを捧げた。
「安須森(あしむい)を助けてくれて、ありがとう」と神様はお礼を言った。
「佐敷ヌルがうまくやってくれたようです。神様は安須森のヌルだったのですか」
「いいえ、真玉添のヌルよ。真玉添のヌルは毎年、安須森に通っていたのよ。お祈りをするためとスデ水(聖なる水)を汲むために行っていたの。お船に乗って行ったんだけど一日では行けないわ。それで、ここに中継地を作ったの。当時はここまで海があったのよ。この丘は海に飛び出ていて、『御崎の御宮(うさきぬうみや)』って呼ばれていたのよ。真玉添のヌルたちが何人かここの御宮にいて、安須森に行くヌルたちのお世話をしていたの。安須森も真玉添もなくなってからは、ここも使われなくなってしまって、ウタキとして残ったのよ」
「そうだったのですか。当時はここも賑わっていたのですね」
「そうよ。真玉添だけでなく、玉グスクや知念(ちにん)からもヌルたちがやって来たのよ」
「もしかしたら、ここにも『ツキシル(月代)の石』と『ティーダシルの鏡』があったのですか」
「あったわ。『ツキシルの石』は今でも、ここに埋まっているはずよ。『ティーダシルの鏡』は名護ヌルが持っているはずだわ。安須森が復活すれば、以前のように、ヌルたちが安須森に行く事になるでしょう。そうすれば、ここも賑わって来るわ。ずっと、忘れられた存在だったけれど、ここにもヌルたちがやって来るわね。忙しくなりそうだわ」
 神様は嬉しそうに笑った。
 馬天ヌルはお祈りを終えると、神様の話を屋部ヌルに話した。真玉添の事も豊玉姫の事も昨夜、話してあったので、このウタキが真玉添と安須森に関係があった事に驚いていた。
 屋部ヌルと一緒に名護ヌルを訪ねて、『ティーダシルの鏡』を見せてもらった。古い銅鏡で、直径が五寸(約十五センチ)ほどの大きさだった。
「この鏡は代々、名護ヌルに伝えられた家宝だけど、あのウタキにあったなんて、まったく知らなかったわ」と屋部ヌルが言って、名護ヌルにクサティ神のウタキのいわれを説明した。
 お世話になったお礼を言って屋部ヌルたちと別れ、馬天ヌルたちは本部(むとぅぶ)へ行って本部ヌルと会った。本部ヌルはテーラー(瀬底之子)の妹だった。
「兄から馬天ヌル様のお噂は色々と聞いております」と本部ヌルは言った。
「あなたがテーラーの妹さんだったなんて知らなかったわ。テーラーは中山王と山北王の同盟をまとめてくれたのよ。お陰で、またヤンバルまで来る事ができたわ」
「そういえば、馬天ヌル様が前にいらした時も、山北王は中山王と同盟していましたわね。あの時、馬天ヌル様からマレビト神のお話を聞いて、わたしにも現れるかしらと期待したのですよ」
「現れたの?」と聞くと、本部ヌルは嬉しそうな顔をしてうなづいた。
「娘が生まれて、もう十歳になりました」
「あら、そうだったの。よかったわね。マレビト神はどんな人だったの?」
「旅のお坊様なんです。あれから十年も経つのに今も旅を続けています」
「へえ、変わった人ね。ヤマトゥのお坊様なの?」
「いいえ。はっきりとは言わないんだけど、中山王とつながりがあるような気がします。東行法師(とうぎょうほうし)っていうお坊様です。馬天ヌル様は御存じですか」
「えっ!」と馬天ヌルは驚いた。
 一瞬、祖父のサミガー大主(うふぬし)かと疑ったが、今も旅をしているというので、祖父の跡を継いだ者だった。ヒューガ(日向大親)の配下のタムンという者が東行法師を継いで、旅をしながら若い者たちを集めていると聞いている。タムンに違いないと思った。
「東行法師の名前は聞いた事があるわ」と馬天ヌルは答えた。
「旅をしながら貧しい人たちを助けているって聞いたわ」
「そうなんです。薬草に詳しくて、病気の人にお薬をあげて治したり、川に橋を架けたり、水を引いて田んぼを作ったりもしているんですよ」
「そんな事もしていたの」と馬天ヌルは感心していた。
 兄が名乗った『東行法師』が、今も貧しい人たちのために働いていると聞いて嬉しかった。
「ここにも時々、帰って来るの?」
「一年に一回は来ます。娘と一緒にのんびりと過ごして、また旅に出て行きます」
「そう。いいマレビト神と出会ったわね」
「はい。神様のお陰です」
 馬天ヌルたちはウタキを巡ったあと、本部ヌルの屋敷でのんびりと過ごしてから、翌日、今帰仁に向かった。
 今帰仁に着いたが、直接、今帰仁ヌルの屋敷は訪ねず、『まるずや』に顔を出すと、ウニタキがいた。
「ちょうどよかったわ」と馬天ヌルはウニタキを見て笑った。
今帰仁ヌルを訪ねても大丈夫かしら?」
「やめた方がいいと思いますよ」とウニタキは言った。
今帰仁ヌルの屋敷には、武寧(ぶねい)(先代中山王)の娘の浦添(うらしい)ヌルもいます。浦添ヌルがきっと騒ぐでしょう」
「そうだったの。何となく、いやな予感がしたのよ。わたしが旅をしている事は、山北王は知っているの?」
「知っているようです。湧川大主(わくがーうふぬし)が各地に網を張っていますからね。湧川大主が山北王に知らせたでしょう」
「また、命を狙われるのかしら?」
「それは大丈夫です。前回、中山王が与論島(ゆんぬじま)を奪い取った事で、山北王も中山王を警戒しています。中山王を怒らせたら、何をするかわからないと思っています。ヌルがウタキを巡っているだけなら放っておけと言ったようです」
「そう。助かったわ。でも、今帰仁ヌルに会うのはやめておきましょう」
「わたしの事も知っているの?」と麦屋ヌルがウニタキに聞いた。
 ウニタキは首を振った。
「馬天ヌルの連れは首里のヌルだと思っているようだ。お前の顔を知っている者はいないだろうが、麦屋ヌルを名乗るのは危険だ。名前を変えた方がいい」
「マトゥイヌルでいいわ」と馬天ヌルが言った。
「わしの事は知っているのか」とヂャンサンフォンが聞いた。
「まだ知らないようです。知っていたら、湧川大主は必ず、師匠に教えを請うでしょう。奴も少林拳(シャオリンけん)をやっていて、師匠の名は海賊どもから聞いています」
「この城下には明国の者もいる。なるべく早く、ここから出た方がよさそうじゃな」
「そうですね。ここより、志慶真(しじま)に移った方がいいかもしれません」
「志慶真には志慶真ヌルがいるわ」と馬天ヌルは思い出した。
「長老は亡くなってしまいましたが、歓迎してくれると思いますよ」
 ウニタキが言ったように、志慶真ヌルは馬天ヌル一行を歓迎してくれた。
 亡くなった長老は、山北王が羽地按司、名護按司、国頭按司をないがしろにして、自分だけが交易をしている事を憂(うれ)いていたという。
「中山王のお陰で、三人の按司たちも中山王と交易ができて、本当によかったと申しておりました。これで、今帰仁だけでなく、ヤンバル全体が潤って行くだろうと喜んでおりました。わたしからもお礼を申します」
 志慶真ヌルは馬天ヌルたちにお礼を言って、馬天ヌルたちは村人たちに歓迎され、宴(うたげ)まで設けてくれた。
 志慶真ヌルの話によると、二代目の今帰仁按司の三男が、グスクの搦(から)め手を守るために村を造って、志慶真大主(しじまうふぬし)を名乗ったという。亡くなった長老は五代目の志慶真大主で、今は七代目になる。今帰仁按司は何度か入れ替わったが、志慶真大主は滅ぼされる事なく、代々、グスクの搦め手を守って、今帰仁按司を補佐して来たと言った。
「平家の血を引く今帰仁按司は、英祖(えいそ)の息子の湧川按司(わくがーあじ)に滅ぼされたと聞いているけど、その時、どうして、志慶真大主は滅ぼされなかったの?」と馬天ヌルは志慶真ヌルに聞いた。
「その時の戦(いくさ)で、志慶真大主も戦死したそうです。跡を継ぐ息子はまだ五歳で、人質となってグスクで育てられたのです。そして、湧川按司の娘を妻にもらって、志慶真に戻って来たのです」
「成程、湧川按司の娘婿になったのね」
「娘婿になったのは志慶真だけではありません。羽地も名護も国頭も皆、娘婿になったのです」
「そうだったの」
「その後、湧川按司が亡くなったあと、湧川按司に滅ぼされた先代の息子、本部大主(むとぅぶうふぬし)がグスクを奪い取って、今帰仁按司になります」
「その本部大主というのは、本部のテーラーと関係あるの?」
テーラー様の御先祖様です。グスクを取り戻した本部大主も、湧川按司の息子の千代松(ちゅーまち)にグスクを奪われてしまって、本部大主の孫息子は何とか逃げて、本部の山の中に隠れました。四十年近くも隠れて暮らしていたのです。羽地按司が千代松の息子を倒して今帰仁按司になったあと、ようやく山から出て来て、今帰仁按司に仕えました。山に隠れたのがテーラー様の曽祖父で、隠れたまま亡くなってしまいます。山の中で育った祖父は、サムレー大将として今帰仁按司に仕えました。山の中で必死に武芸の修行に励んでいたそうです。そして、テーラー様の父親もテーラー様も、サムレー大将を務めています」
今帰仁按司も色々な事があったのね」
 次の日、馬天ヌルたちは志慶真ヌルの案内で、今帰仁グスクの近くにあるクボーヌムイ(クボー御嶽)に入った。安須森と同じように山全体がウタキになっていて、男は入れなかった。ヂャンサンフォン、奥間大親、ゲンの三人は志慶真村に残って、若い者たちを鍛えていた。
 前回に来た時、馬天ヌルは先代の志慶真ヌルに連れられてクボーヌムイに入ったが、神様が言っている事はよく理解できなかった。今回は神様の言う事がはっきりと理解できた。
 クボーヌムイにいる神様は、安須森ヌルの娘の若ヌルだった。安須森が平家の落ち武者に滅ぼされた時、若ヌルだけが生き残って、今帰仁に連れて来られた。琉球の言葉を教えるためと、今帰仁ヌルを育てるためだった。母が殺され、一族も殺され、深い悲しみに耐えながら、按司の娘を一人前のヌルに育て上げた。その後、若ヌルはクボーヌムイに籠もって、母たちの冥福を祈りながら亡くなった。
「封印された安須森を救っていただき、ありがとうございます」と若ヌルは馬天ヌルにお礼を言った。
「お礼は佐敷ヌルに言って下さい。今、ヤマトゥに行っておりますが、来年、ここに来ると思います」
「佐敷ヌルが安須森ヌルを継いでくださるのですね」
「はい。神様の思し召しで、佐敷ヌルが継ぐ事になりました。佐敷ヌルを守ってあげて下さい」
「勿論、お守りいたします。佐敷ヌルのお陰で、久し振りに母とお話をする事ができました。本当にありがとうございます。安須森が滅ぼされてから十五年後、わたしは安須森に行った事がございます。麓(ふもと)の村(しま)は跡形もなく、アフリヌルが若ヌルと二人で、粗末な小屋で暮らしておりました。安須森に登ってみましたが、母の声も聞こえず、神様の声も聞こえませんでした。アフリヌルの話だと、あのあと、殺されたヌルたちがマジムン(怨霊)になって暴れていて、安須森には近づけなかったそうです。南部から、凄いシジ(霊力)を持った朝盛法師(とももりほうし)というお方がやって来て、マジムンを封じ込めたそうです。その後、マジムンは消えましたが、神様も消えてしまったのです。アフリヌルは母の形見のガーラダマ(勾玉)をわたしに返してくれました。でも、その時のわたしには安須森ヌルを継ぐ自信がありませんでした。改めて、受け取りに来ると言って、ガーラダマを預けました。わたしはその後、ガーラダマを受け取りには行かず、このウタキに籠もったまま亡くなります。母から聞きましたが、アフリヌルはそのガーラダマを二百年もの間、代々守ってきたと聞いて驚きました。そして、そのガーラダマはあなたの手に渡って、佐敷ヌルに届けられたと聞きました。安須森が復活したなんて、まるで、夢のようです。以前のように栄えさせてください。佐敷ヌルもあなた方もお守りいたします」
 馬天ヌルは神様にお礼を言った。
 話を聞いていた運玉森ヌルは、よかったわねと言うように笑った。

 

 

 

沖縄女性史 (平凡社ライブラリー)   沖縄の聖地  沖縄拝所巡り300

2-105.小松の中将(改訂決定稿)

 琉球の交易船の警護をしなければならないと言って、あやは上関(かみのせき)に帰って行った。
 ササ(馬天若ヌル)たちはあやにお礼を言って別れ、京都へと向かった。
 六月三十日、ササたちは京都に着いて、いつものように高橋殿の屋敷に入った。男はだめよと言って、サタルーたちは『一文字屋』に預けた。
「ねえ、ササ、今年はどこに行くの?」と高橋殿は聞いた。
「御台所様(みだいどころさま)(足利義持の奥方、日野栄子)がまた熊野に行きたいって言っているわよ」
「熊野ですか‥‥‥」と言ってササは佐敷ヌルを見た。
「あたしも行ってみたいわ」と佐敷ヌルは言った。
「決まりね」と高橋殿は喜んで、
「もう、先達(せんだつ)に頼んであるのよ」と笑った。
「去年はサハチ殿の娘さんが来て、驚いたけど、今年も驚かされそうね」と高橋殿は佐敷ヌルを見た。
 佐敷ヌルは高橋殿を一目見て、その美しさに見とれ、兄のサハチと関係があったに違いないと思った。高橋殿は佐敷ヌルを一目見て、その美しさに驚き、ササ以上に凄い人が来たと思っていた。
 その夜、お決まりの酒盛りが始まった。ササたちが御所に来るのが待ちきれないと言って、御台所様も奈美と一緒にお忍びでやって来た。去年一緒に熊野に行った対御方(たいのおんかた)と平方蓉(ひらかたよう)もやって来て、賑やかな宴(うたげ)となった。
 高橋殿は佐敷ヌルが琉球でお芝居をやっていると聞いて驚いた。佐敷ヌルが熱心に話すお芝居の話を聞きながら、わたしも負けてはいられない。女猿楽(おんなさるがく)をやらなければならないと強く心に思った。佐敷ヌルは高橋殿から猿楽の事を興味深く聞きながら、高橋殿の舞を是非とも観たいと思っていたが、いつしか酔い潰れてしまった。
 次の日、ササたちは船岡山に行って、スサノオの神様に挨拶をした。御台所様は用があるので帰らなければならないと寂しそうな顔をして帰って行った。奈美が御台所様を送って行き、高橋殿はササたちと一緒に来た。
「今年もやって来たな」とスサノオは言って、「おや、凄い美人を連れて来たのう」と嬉しそうに言った。
 ササは佐敷ヌルを紹介した。
「御先祖様にお会いできて光栄です」と佐敷ヌルが言うと、
「ユンヌ姫から聞いたぞ。小松の中将(ちゅうじょう)とやらを探しているそうじゃのう」とスサノオは言った。
「御存じなのですか」
「残念ながら、知らんのじゃよ。あの頃で知っていると言えば、建春門院(けんしゅんもんいん)(後白河上皇の妃)くらいかのう。あの女子(おなご)は美しい女子じゃった。美しいだけでなく、舞もうまいし、賢い女子でもあった。熊野にも何度も行っておるし、信心深い女子じゃった」
「建春門院様というのは、小松の中将様と関係がある御方なのですか」
「小松の中将と関係あるかは知らんが、建春門院の倅(せがれ)が高倉天皇で、その倅が安徳天皇じゃよ」
安徳天皇様はどこにいらっしゃるのですか」
「それも知らんのう。小松の中将とやらは、都でも有名な美男子だったから、必ず、誰かが知っているに違いないと言って、ユンヌ姫が今、探し回っておる。見つかれば知らせてくれるじゃろう」
「ユンヌ姫様が探しているのですか」とササが聞いた。
「お前にお世話になったお返しだと言っていた。気まぐれな奴じゃが、義理堅い所もある。いい孫娘じゃよ」
「そうだったのですか」
 ササはユンヌ姫を見直し、ユンヌ姫が見つけてくれる事を祈った。でも、小松の中将はアキシノが会わせてくれると言っていた。どうせなら、小松の中将ではなく、安徳天皇を探してくれればいいのにとも思っていた。
スサノオ様、お願いがあるんですけど、鳥居禅尼(とりいぜんに)様に会わせていただけませんか。小松の中将様は熊野から琉球に向かいました。鳥居禅尼様なら、小松の中将様の事を知っているかもしれません」
「また、熊野に行くのか」
「はい、行きます」
「いいじゃろう。鳥居禅尼に会わせてやろう。去年と同じように、新宮(しんぐう)の神倉山(かみくらやま)に来るがいい。待っておるぞ」
 ササたちはスサノオにお礼を言って別れると平野神社に向かった。平野神社に来たのは一昨年(おととし)の台風の時以来だった。
 境内は閑散としていた。参道を真っ直ぐ本殿の方に向かおうとしたら、アキシノの声が聞こえた。アキシノの声に従って、本殿の脇にある小さな神社の前で、ササたちはお祈りをした。
「小松の中将様の居場所がわかりました」とアキシノは言った。
「大原の山の中に寂光院(じゃっこういん)という古いお寺があるのですが、そこにおりました。新三位(しんざんみ)の中将(平資盛(たいらのすけもり))様も建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)様と御一緒におりました」
建礼門院右京大夫様というのはどなたですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「有名な歌人です。当時、新三位の中将様との仲が噂されておりました」
「女の方なのですね」
「そうです。美しいお方で、殿方たちの憧れの的だったようです。建礼門院様(安徳天皇の母、平徳子)にお仕えしておりました」
「大原ってここから近いのですか」とササが高橋殿に聞いた。
「大原? 今から大原に行くつもりなの?」
「できれば行きたいのですが」
「住心院(じゅうしんいん)よりも遠いわよ。ここから二時(にとき)(四時間)は掛かるわね」
 ササは佐敷ヌルを見て、「行きましょう」と言った。
「今から大原に行きます」と佐敷ヌルがアキシノに言うと、
「御案内します」とアキシノは言った。
 ササたちはアキシノにお礼を言って、大原に向かった。
「去年は源氏で、今年は平家を調べるなんて、あなたたちも大変ね」と言いながらも、高橋殿も一緒に付いて来てくれた。
「平家を知るなら『平家物語』ね」と高橋殿は言った。
「琵琶(びわ)法師が語っている長い物語なのよ。最近は書物にもなって、将軍様足利義持)もお読みになっているはずだわ」
 佐敷ヌルが目の色を変えて、「そんな書物があるのなら是非、読ませてください」と言った。
「御所に移ったら、好きなだけ読めるわよ」と高橋殿は笑った。
 戦(いくさ)の話なんて、女の人はあまり読みたがらないけど、佐敷ヌルはお芝居のためなら何でもやりそうだった。佐敷ヌルの情熱に、高橋殿は昔の自分を思い出していた。芸のためなら何でもやった若い頃を思い出し、そろそろ、将軍様のために働くのを引退して、女だけの猿楽座を作ろうかと本気で考え始めていた。
 歩きながらササは、壇ノ浦で滅んだ平家の残党が琉球に来て、今帰仁按司(なきじんあじ)になった。その今帰仁按司になったのが、小松の中将様という人らしいので、これからその人に会いに行くと高橋殿に説明した。
「わたしも『平家物語』は聴いているので、小松の中将の事は知っているわよ。平維盛(たいらのこれもり)という名前で、光源氏と言われたほどの美男子だったんでしょ」
「高橋殿も知っていたのですか」
平家物語では、平維盛は熊野の那智で入水(じゅすい)した事になっているわ」
「それなんですよ。あの頃、熊野水軍琉球に来ていたのです。新宮の十郎様と同じように、熊野水軍お船に乗って琉球に行ったのだと思います。それを確認するために、もう一度、熊野に行かなければなりません」
「確かに、それは考えられるわね。もし、維盛が今帰仁按司になったとしたら、その子孫は美男子のはずよ」
「あたしは見た事はないけど、噂では、今の今帰仁按司も美男子らしいですよ。今帰仁按司の娘が、島添大里(しましいうふざとぅ)に嫁いで来たけど、美人だったわ」
「サハチ殿の息子さんに嫁いで来たの?」
「そうなんです。去年、ヤマトゥに来たチューマチですよ」
「あら、チューマチさんがお嫁さんをもらったの。それはおめでたいわね」
 シンシン(杏杏)のガーラダマ(勾玉)に憑(つ)いたアキシノの案内で、大原の山の中の寂光院に着いたのは、正午(ひる)過ぎだった。
 寂光院は荒れ果てていた。本堂の屋根は傾いて、板戸は破れている。庭には池もあったようだが、水は涸れて、夏草が生い茂っている。完全に世間から忘れ去られた存在のようだが、誰かが草刈りをしているとみえて、山門から本堂までの参道だけは綺麗になっていた。
「小松の中将様が笛を聴かせてくれと言っております」とアキシノが言った。
「えっ!」と佐敷ヌルとササは驚いた。
「マシュー姉(ねえ)、頼むわ」とササが佐敷ヌルに言った。
 佐敷ヌルはうなづいて、腰に差していた横笛を袋から取り出した。半ば朽ちかけた本堂を見ながら、佐敷ヌルは笛を構えて吹き始めた。
 何も考えなかった。今、感じている事を素直に音として表現した。
 幽玄な調べが山の中に響き渡った。
 辺りが急に暗くなった。
 幻(まぼろし)が現れた。
 幻はきらびやかな衣装を身にまとった美しい男で、佐敷ヌルの笛に合わせて、華麗な舞を披露した。
 夢でも見ているのだろうかと思いながらも、佐敷ヌルは笛を吹き続けた。
 ササが佐敷ヌルの笛に合わせて、笛を吹き始めた。佐敷ヌルとササは、まったく別の調べを吹いているのに、うまく調和して、さらに幽玄さを増していた。
 高橋殿が舞い始めた。高橋殿は幻の貴公子を相手に華麗に舞っていた。
 シンシン、シズ、ナナの三人も幻を見ていて、高橋殿との華麗な舞を夢でも見ているかのような気持ちで、呆然と佇んだまま見つめていた。
 佐敷ヌルとササの笛に、もう一つの笛が加わった。誰が吹いているのかわからないが、低音で響くその笛は、幽玄な調べを荘厳な調べに変えていた。
 素晴らしい夢の世界が永遠に続くかと思われたが、佐敷ヌルとササの笛が静かに終わりを告げると幻は消え去って、もとの明るさに戻った。
 高橋殿は呆然とした顔付きで、佐敷ヌルとササを見た。
「わたし、どうしたのかしら?」と高橋殿は言った。
「素晴らしい舞でした」と佐敷ヌルが言って、拍手をした。
 ササ、シンシン、シズ、ナナも、「凄い」と言って拍手を送った。
「わたしじゃないわ」と高橋殿が言った。
「佐敷ヌルとササの笛よ。あんな曲、聴いた事もないわ。まるで、神様が奏でているような曲だったわ。わたしの体は自然に動いてしまったのよ。そして、一緒に舞っていたのは、もしかして、平維盛様だったの?」
「多分、小松の中将様に違いないわ」とササが言って、
「凄い美男子だったわ」とナナが言った。
「歓迎するよ」と神様の声が聞こえた。
「小松の中将様です」とアキシノが言った。
 ササ、佐敷ヌル、シンシンは、その場にひざまづいて両手を合わせた。高橋殿、ナナ、シズもササたちに従って、神様にお祈りを捧げた。
「話はアキシノから聞いている」と小松の中将は言った。
「安須森(あしむい)の事は後悔している。しかし、あの時のわしは、相手の事を考えるほどの余裕はなかったんだ。とにかく、落ち着く場所が欲しかった。謝って済む事ではないが、すまなかった」
「あなたは初代の今帰仁按司なのですね」と佐敷ヌルは聞いた。
「そうだ。わしは平家を棄てて、今帰仁按司になった。琉球に行って、わしは祖父(平清盛)や親父(平重盛)や叔父たちから解放されて、ようやく、自由になったんだよ」
屋島(やしま)から逃げ出した時、最初から琉球に行くつもりだったのですか」
「いや、あの時は琉球という島の事は知らなかった。どこでもいいから南の島に逃げたかったんだ」
屋島から熊野に向かったのですか」
「そうだ。紀伊国(きいのぐに)(和歌山県)の田辺に行った。田辺には熊野権別当(ごんのべっとう)の湛増(たんぞう)がいたんだ。湛増は親父と親しかった。湛増は京都に屋敷を持っていて、六波羅(ろくはら)の屋敷にも出入りしていたんだ。わしも熊野の話など湛増から聞いていた。親父は亡くなった年に熊野参詣に行ったんだが、その時、わしら息子たちも一緒に行って、湛増のお世話になったんだ。湛増は突然のわしの出現に驚いたが、話を聞いてくれた。湛増から那智に行けと言われて、わしたちは熊野を参詣して那智に向かった。男は皆、山伏の格好になって行ったんだ」
那智に行くのにどうして、熊野参詣をしたのですか。船でまっすぐ行った方が安全だったのではありませんか」とササが聞いた。
「確かにそうだ。湛増から新宮の者たちは源氏贔屓(びいき)だと聞いていた。しかし、あの時のわしは、まだ迷っていたんだ。本当に、親父が言った通り、生き残る事が正しいのか、わからなかったんだよ」
「中将様のお父様は、もう亡くなっていたのでしょう?」
「ああ。五年前に亡くなっていた。親父は亡くなる前、わしたちを熊野に連れて行って、今後の事を話したんだ。あの時のわしたちには、親父が言った事は理解できなかった。親父は平家が滅びる事を予見していたのかもしれない。何が起こっても、一族と一緒に滅びる事なく、お前たちは必ず、生き延びろと言ったんだ」
「お父様がそう言ったので、琉球に逃げたのですか」
「そうだよ。それが親父の遺言だったんだ。京都に帰ってからは、その事には触れなかったけど、亡くなる前にも、熊野の事は決して忘れるなと言った。最初に親父の遺言に従ったのは弟の清経(きよつね)だった。奴は京都を落ちて九州に行った時、九州の奴らに裏切られて、横笛を吹いたあと、入水(じゅすい)したんだ。わしにはわかっていた。奴は入水したように見せかけて、どこかに逃げたに違いないと。わしも清経のあとを追って、南の島に行こうと思って、屋島から逃げたんだけど、まだ迷っていたんだよ。本当に逃げてもいいのか。それとも、熊野の水軍を引き連れて、屋島に戻った方がいいのか‥‥‥わしは心を決めるために、もう一度、親父と歩いた熊野参詣の道をたどってみたんだ」
「そして、答えが出たのですね」
「ああ、迷いは消えたよ。わしは中辺路(なかへち)を歩きながら、どうして親父があんな事を言ったのか、ずっと考えていたんだ。親父が亡くなったあと、祖父と後白河法皇(ごしらかわほうおう)は対立して、祖父は法皇を鳥羽に幽閉してしまった。そして、法皇の息子の以仁王(もちひとおう)が、『平家打倒』の令旨(りょうじ)を出して、各地の源氏が蜂起した。親父が源氏の蜂起まで、予見していたとは思えないけど、祖父と法皇の対立はわかっていたのだろう。そして、平家の嫡流が叔父の内府(だいふ)(平宗盛)に移ってしまう事もわかっていたのだろう。親父が亡くなったあと、小松家(重盛の子供たち)の者たちは孤立したような感じになった。わしたちが親父の喪(も)に服していた時、様々な事が起こったんだ。祖父が法皇を幽閉したのも、安徳天皇が即位したのも、祖父が都を京都から福原(神戸市)に移したのも、喪に服している時で、わしらは蚊帳(かや)の外に置かれたんだ。わしらには何の相談もなかった。そして、源氏が蜂起して、わしは総大将として関東に出陣した。あの時、祖父はわしを信頼していると喜んだけど、よく考えてみると、平家の棟梁(とうりょう)になった叔父のために、邪魔者のわしを総大将にして、戦死してくれればいいと思ったのかもしれないと疑った。北陸攻めの時もそうだった。あの時はもう祖父は亡くなっていて、叔父の内府が名誉挽回の機会を与えてくれたとわしは喜んだけど、内府はわしたちが戦死するのを願っていたに違いない。あの時、小松家の者たちは出陣して、内府の身内は京都を守っていたんだ。その事に気づいて、わしは改めて、逃げようと決心を固めたんだよ。内府のために戦死するなんて馬鹿げている。それに、一ノ谷の合戦で、平家が源氏に敗れて、大勢の武将が戦死したとの噂が熊野に流れて来た。すでに手遅れだと悟ったよ。わしは熊野で生まれ変わって、新しい生き方をしようと決めたんだ。わしたち小松家の兄弟は、親父の言いつけをちゃんと守って、みんな、生き延びたんだよ」
「熊野参詣をして、那智まで行って、それから琉球に行ったのですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「いや、琉球に向かったのは、その年の冬になってからだ。北風が吹かないと琉球には行けないと言われて、冬まで隠れていたんだよ。那智に行くと熊野水軍の色川左衛門佐(いろかわさえもんのすけ)が待っていた。左衛門佐の船に乗って山成島(やまなりじま)に渡り、追っ手から逃れるために、入水したように見せかけたんだ。家宝の太刀を手放すのは残念だったけど、仕方がなかった。そのあと、左衛門佐の拠点がある山奥に行ったんだ。船に乗って太田川をさかのぼって、途中から険しい山道をどんどん進んで行った。山に囲まれた小さな村で、冬までの一年近くを隠れて暮らしていたんだよ」
「いい思いもしたんでしょ」とアキシノが言った。
「何を今更、言っているんだ」
「すっかり忘れていたのに、当時を思い出したら悔しくなったわ」
「あれは仕方がなかったんだよ。助けてもらったんだ。左衛門佐の願いを聞いてやるしかなかった」
「あたしに内緒で、都の話を聞かせてやるとか言って出掛けて、あちこちに女をこさえていたのよ」
「だから、仕方なかったんだよ。山の中の村だから、新しい血が欲しかったんだ」
「それにしたって、何人も相手にする事もないじゃない」
「夫婦喧嘩はやめてください」と佐敷ヌルが言った。
 二人とも黙った。
「山奥の村で冬まで待って、それから琉球に行ったのですね」と佐敷ヌルは小松の中将に聞いた。
「そうだよ。南には思っていた以上に、いくつもの島があった。わしは生まれ変わった気持ちになって南の島々を巡って、琉球にたどりついたんだよ」
「平家の御曹司(おんぞうし)という地位を捨てても惜しいとは思わなかったのですか」
「平家の御曹司か‥‥‥祖父や親父の時代だったら、面白おかしく暮らせただろうけど、わしの頃は、うるさい叔父や大叔父が何人もいて、何一つ思うようには行かなかったんだよ。十九歳の時に、法皇の御前で舞を舞って評判になったけど、わしに近づいて来る女子(おなご)はいなかった。わしの顔を見るとキャーキャー騒いでいるのに、文(ふみ)を送って来るような娘はいなかったんだよ。わしは雲の上の人で、近寄りがたかったようだ。山奥の娘たちは文字も知らんし、歌など作れんが、わしを雲の上の人ではなく、地上にいる男として接してくれたんだ。そんなの初めてだったので、嬉しかったんだよ」
「奥さんはいたのでしょう?」
「十五の時に、親が決めた娘を嫁にもらった。可愛い娘だったよ」
「奥さんは琉球に連れて行かなかったのですか」
都落ちの時に、京都に残したんだ。わしの事は忘れてくれと言ってな」
「そんなのひどいわ」とササが言った。
「ああ、ひどい。でも、一緒に連れて行ったら、妻はもっとひどい目に遭ったかもしれない」
「どうしてですか」
「わしが二十歳の時、妻の父親(藤原成親(ふじわらのなりちか))は謀叛(むほん)を企てて捕まり、流刑地(るけいち)で殺されたんだ。妻は裏切り者の娘という烙印(らくいん)を押されてしまったんだよ。都落ちしたら、妻はうるさい叔母たちと行動を共にしなければならなくなる。叔母たちにいじめられるのは目に見えている。きっと、妻には耐えられないだろう」
「中将様は大丈夫だったのですか」
「わしもさんざ陰口をたたかれたよ。妻の父親が殺されて、その二年後には、親父が病死してしまった。親父の喪が明けたあと、わしは関東攻めの総大将に任命された。わしは張り切っていた。伊豆の三郎(源頼朝)の首を取ってくるつもりでいた。しかし、侍大将の上総介(かずさのすけ)(伊藤忠清)のお陰で、すべてが台無しになってしまった。上総介はわしの乳父(めのと)だったんだ。いつまで経っても、わしを子供扱いして、わしのやる事に一々文句を言ってきた。福原を発ったあと京都に入ると、上総介は日が悪いだのと言って、十日近くも京都から動かなかったんだ。その隙に、平家を裏切って、源氏に寝返った者たちが数多くいたはずだ。富士川に着いてからも、わしは攻めると言ったのに、上総介は戦わずして退却すると決めた。士気は落ちて、皆、逃げる事しか考えていなかった。その夜、敵が夜襲を仕掛けて来たのか、水鳥が一斉に飛び立った。その音に驚いた兵たちは慌てふためいて、我先にと逃げ出したんだ。まったく惨めな戦(いくさ)だった。戦いもしないのに、わしは負け戦の大将になってしまったんだよ。祖父は鬼のような顔をして怒鳴った。宮中の者たちは、わしの顔を見ると、こそこそと陰口を言っていた。いたたまれない気持ちだったよ。その翌年、祖父が平家の行く末を見る事もなく、熱病に罹って亡くなってしまった。祖父の死は大きかった。祖父がいれば、源氏なんか倒せると誰もが思っていた。祖父が亡くなって、平家の行く末に暗雲が立ち込めたんだ」
 小松の中将は昔を思い出しているのか、黙ってしまった。
 佐敷ヌルは中山王(ちゅうざんおう)だった察度(さとぅ)を思い出していた。佐敷ヌルは察度に会った事がなかったので、察度のお芝居を作る時、ンマムイ(兼グスク按司)から察度の話を聞いた事があった。祖父が偉大過ぎたので、父(武寧)も俺も、祖父と比べられて大変だったとンマムイは言っていた。
「今思えば、祖父は物凄い人だったんだなと思うよ」と小松の中将は言った。
「祖父は福原に新しい都を造ろうとしていたんだ。源氏の蜂起がなかったら、福原は素晴らしい都になって、宋(そう)の国との交易で栄えた事だろう。富士川の負け戦のあと、祖父は福原を諦めて、また京都に戻ったんだよ。福原は半年足らずの都だった」
「中将様が富士川からお帰りになったあと、源氏は京都に攻めて来たのですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「いや、まだだよ。祖父が亡くなったあと、わしはまた戦に出たんだ。叔父の三位中将(さんみちゅうじょう)(平重衡(たいらのしげひら))と一緒だった。叔父と言っても、わしより一つ年上で、三位中将とは気が合ったんだ。今もここに一緒にいる。その時の戦は美濃(みの)(岐阜県)まで行ったんだけど、勝ち戦だったんだ。祖父が亡くなったあとの勝ち戦だったから、京都はお祭り騒ぎになった。源氏なんて大した事はない。田舎者が平家に逆らうなんて、神様がお許しにならないだろうって、みんなの意気は上がったんだ。その時の勝ち戦で、わしは中将に昇進して、『小松の中将』と呼ばれるようになったんだよ。でも、喜んでばかりもいられなかった。大飢饉(だいききん)が襲って、京都には食糧がなくなって、大勢の餓死者(がししゃ)が出たんだ。祖父が亡くなる前の年、三位中将が南都(奈良)を焼き払ったんだけど、その祟(たた)りだと京都の人たちは騒いでいた。都中に死臭(ししゅう)が漂っていて、まったく悲惨だったよ。あちこちで源氏の蜂起は続いていたけど、戦をやれる状況ではなかった。一年が過ぎて、ようやく飢饉も下火となって、また戦が始まった。わしはまた総大将に任じられて、北陸へと向かったんだ。まず、越前(えちぜん)(福井県)で火打城(ひうちじょう)を攻め落として、加賀(石川県)に入った。木曽の山猿が越中富山県)にいると知らせが入ったので、わしらは二手に分かれて、越中との国境に向かったんだ」
「木曽の山猿って何ですか」とササが聞いた。
「木曽の次郎(源義仲)だよ。わしらは倶利伽羅峠(くりからとうげ)で、奴の夜襲に遭って敗れてしまったんだ。あの戦で多くの兵を失って、平家は再起不能になってしまった。あの負け戦のすべての責任がわしにあるわけではないが、いや、総大将だったわしの責任だろう。敵の動きをもっとよく調べればよかったんだ。わしは、あの負け戦から立ち直る事はできなかった」
「アキシノさんとはいつ出会ったのですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「アキシノと出会っていなかったら、わしは倶利伽羅峠で戦死していたかもしれんな。あの時、大勢の兵が戦死するのを見て、わしは京都に帰るのが恐ろしくなった。富士川の戦の時のように、負け戦の大将と陰口をたたかれるのに耐えられないだろうと思ったんだ。あの時とは違って、大勢の者たちが戦死した。宮中の者たちだけでなく、戦死した兵たちの家族からも責められるだろう。生きて京都には帰れないと思ったんだよ。供の者たちに、早く逃げようと言われた時、アキシノの顔が浮かんだんだ。わしは京都ではなく、アキシノがいる厳島神社(いつくしまじんじゃ)に帰ろうと思って、必死に逃げて来たんだよ。アキシノと初めて出会ったのは、富士川の合戦に行く前だった。戦勝祈願のために大叔父の薩摩守(さつまのかみ)(平忠度(たいらのただのり))と一緒に厳島神社に行った。迎えてくれた内侍(ないし)(巫女)の中にアキシノがいたんだ。一目見て、何か惹かれるものを感じたよ。でも、その時は言葉も交わさなかった。二度目に会ったのは、富士川の負け戦のあとだった。福原にいるのに耐えられず、わしは馬に乗って厳島神社に向かった。その時はアキシノの顔が浮かんだわけではない。負け戦の事で頭はいっぱいで、神様にすがる気持ちだったんだ。ところが、厳島神社に来て、ばったりとアキシノと出会った。アキシノはわしを覚えていてくれた。アキシノと一緒に弥山(みせん)に登って、わしは戦の事を話した。アキシノに話したら、なぜか、気が軽くなったんだ。周りの者が何と言おうと気にするなとアキシノは言った。そのあとは、戦勝祈願のためと言っては、何度も厳島神社に通って、アキシノと会ったんだ。倶利伽羅峠の戦から帰って来て、わしは戦死した者たちの平安を祈るために、厳島神社に行った。そして、都落ちのあとは、アキシノを連れて一緒に行動して、屋島に落ち着いた時、脱出の計画を練って、熊野に向かったんだよ」
「弟の新三位の中将様が安徳天皇様をお連れして、南の島へと逃げましたが、その天皇は偽者だったとアキシノ様から聞きました。本物の安徳天皇様がどこにいらしたのかご存じないのですか」
「わしも探しているんだが、どこにもおらんのだよ。何者かが結界(けっかい)を張ってしまったのかもしれんな」
「結界ですか。誰がそんな事をするのですか」
安徳天皇が壇ノ浦では亡くならず、どこかで生きていたという事が公表されたらまずいと思っている奴らだろう」
「その事が公表されたら、まずい事になるのでしょうか」
安徳天皇は本物の三種の神器(じんぎ)を持っておられたんだよ。壇ノ浦で沈んだのは偽物だ。鏡と勾玉(まがたま)は回収されたそうだが、あれは偽物だ。今の天皇は偽物を大切に持っているというわけだ。その事が公表されたら大変な事になるだろう。それで、安徳天皇は本物の三種の神器と一緒に隠されてしまったのだろう」
「探す事はできないのですか」
「どこにあるのかわからんが、その結界を破ると天変地異が起こるかもしれんな」
 突然、笛の調べが聞こえてきた。静かで優しい調べだった。小松の中将が吹いているようだ。佐敷ヌルはその笛に合わせて、笛を吹き始めた。
 源平の戦が始まる前の平和な京都の情景が思い浮かぶような曲だった。
 やがて笛の音は消えた。佐敷ヌルは笛から口を離すと、両手を合わせて、お礼を言った。
「小松の中将様はお帰りになられたのですか」と佐敷ヌルがアキシノに聞いた。
六波羅の方にお移りになられました。弟たちがあちらで酒盛りを始めたようです」
「弟たちと言いますと、新三位の中将様や小松の少将様たちですか」
「新三位の中将様はここにいらっしゃいました。左の中将様(平清経)、小松の少将様(平有盛(たいらのありもり))、丹後侍従(たんごじじゅう)様(平忠房(たいらのただふさ))、土佐侍従(とさじじゅう)様(平宗実(たいらのむねざね))、備中侍従(びっちゅうじじゅう)様(平師盛(たいらのもろもり))が六波羅に集まっておられるようです。それと、琵琶の名人の但馬守(たじまのかみ)様(平経正(たいらのつねまさ))もいらっしゃるようです」
「賑やかそうですね」と佐敷ヌルは笑ったあと、「アキシノ様、熊野まで一緒に行っていただけないでしょうか」と頼んだ。
「まだ、何か、調べるのですか」
「小松の中将様の事をお芝居にして、今帰仁の人たちに見せたいと思っております。中将様の足跡を確かめたいのです」
「お芝居ですか。それは楽しそうですね。中将様もまだ帰りそうもないし、熊野に行っても構いませんよ」
 佐敷ヌルはアキシノにお礼を言って、小松の中将の神様から聞いた話をササ、シンシンと一緒に、高橋殿、ナナ、シズに話して聞かせた。

 

 

 

源平合戦事典   平家物語図典

2-104.アキシノ(改訂決定稿)

 無事に坊津(ぼうのつ)に着いた交易船から降りた佐敷ヌルとササたちは、『一文字屋』の船に乗り換えて博多に向かった。サイムンタルー(早田左衛門太郎)の船から降りたサタルー、ウニタル、シングルーも一文字屋の船に移った。
 六月の七日、博多に着くと、『一文字屋』で奈美が待っていた。ササたちを見て、奈美はホッとした顔をした。今年は来ないかもしれないと心配していたという。御台所様(みだいどころさま)(将軍の奥方、日野栄子)を喜ばせなくちゃと言って、奈美は京都に向かった。
 次の日、ササたちは佐敷ヌルを連れて、豊玉姫(とよたまひめ)のお墓に行った。来なくもいいと言ったのに、サタルーたちも付いて来た。
「女子(いなぐ)たちだけじゃ危険だろう」とサタルーは言った。
 その言い方が父親のサハチに似ていて、何となくおかしくて、ササは笑った。
「いいわ。あたしたちを守ってね」
 もし豊玉姫のお墓が草茫々(ぼうぼう)だったら、サタルーたちに草刈りをさせようとササは思った。
 こちらはまだ梅雨が明けていなくて、途中で大雨に降られたが、半時(はんとき)(一時間)程でやんだので助かった。
 豊玉姫のお墓は綺麗になっていた。誰かが守ってくれているようだった。
「これがヤマトゥ(日本)のお墓なのか」とサタルーはこんもりとした山を不思議そうに眺めた。
「昔のお墓よ。豊玉姫様はスサノオ様の奥さんだったから、こんな立派なお墓が残っているの」とササは説明した。
スサノオ様というのは誰なんだ?」
「あたしたちの御先祖様よ」
「なに、俺たちの御先祖様はヤマトゥンチュ(日本人)だったのか」とサタルーは驚いた顔をした。
 奥間(うくま)の者たちの御先祖様がヤマトゥンチュだったというのは義父のヤザイムから聞いているが、実父の島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の御先祖様もヤマトゥンチュだったなんて初耳だった。
豊玉姫様は琉球人(りゅうきゅうんちゅ)よ。玉グスクのお姫様だったのよ」
「玉グスクのお姫様のお墓が、どうしてこんな所にあるんだ?」
「話せば長いわ。あとで教えてあげるわよ」
 ササたちはお墓の前に座り込んで、お祈りを始めた。サタルーたちもササたちに従って、お墓に両手を合わせた。
 玉依姫(たまよりひめ)はいた。
「そろそろ来ると思ってね、待っていたのよ」と玉依姫は言った。
 ササが挨拶をしようとしたら、
「また来ちゃった」と誰かが言った。
 その声はユンヌ姫だった。
「あら、いらっしゃい」と玉依姫は嬉しそうに笑った。
「どうして、あなたがここにいるの? 与論島(ゆんぬじま)には寄って来なかったわよ」とササはユンヌ姫に言った。
与論島からお船が見えたの。あなたがいるのがわかって一緒に来たのよ。だって、与論島は退屈なんですもの。お祖父(じい)様と一緒に、またあちこちに行きたいわ」
「きっと、お祖父様も喜ぶわよ」と玉依姫はユンヌ姫に言って、「また、新しい人を連れて来たのね」とササに言った。
「安須森(あしむい)ヌルを継ぐ人です」とササは佐敷ヌルを紹介した。
「安須森ヌルの事は母から聞いたわ。真玉添(まだんすい)と同じように滅ぼされてしまったんですってね」
「そうなんです。平家に滅ぼされたらしいのですけど、琉球に渡った平家の人たちを御存じですか」
「平家は壇ノ浦で滅びたって聞いているけど、詳しい事は知らないわね」
「昔、平家のお船与論島に来て、琉球に行ったわ」とユンヌ姫が言った。
「小松の中将(ちゅうじょう)様(平維盛(たいらのこれもり))っていう人?」とササは聞いたが、ユンヌ姫は答えなかった。
「平家と言えば、『厳島(いつくしま)神社』ね」と玉依姫が言った。
厳島神社ってどこにあるのですか」とササは玉依姫に聞いた。
「安芸(あき)の国(広島県)よ。博多から京都に行く途中にあるわ。平家の大将だった平清盛(たいらのきよもり)が建てた神社よ。凄く立派な神社だけど、本当の御神体は神社の裏にある『弥山(みせん)』という山なの。山の頂上に古いウタキ(御嶽)があるわ。あなたに話し掛けてくる神様がいるかどうかわからないけど、行ってみる価値はあると思うわ」
「『厳島神社』と『弥山』という山ですね」
「今、思い出したわ。久留米(くるめ)に『水天宮(すいてんぐう)』という神社があるんだけど、壇ノ浦で亡くなった平家の天皇を祀っているわ。その水天宮を建てたのが、『スサノオの剣(つるぎ)』を祀っている石上神宮(いそのかみじんぐう)の神主(かんぬし)の娘だったの。壇ノ浦の生き残りで、出家して、亡くなった人たちを弔っていたわ」
「久留米ってどこなんですか」
「博多から一日で行ける距離よ。明日、いらっしゃい。わたしがその人を探しておくわ」
 ササはお礼を言って、佐敷ヌルを見た。
玉依姫様、あなたは安須森に行った事はありますか」と佐敷ヌルは聞いた。
「初めて琉球に行った時、母と一緒に安須森に登ったわ。あの時、母の故郷に来たって実感したのよ」
「ヌルたちの村にも行ったのですね」
「行ったわ。安須森ヌルとも会って、みんなが歓迎してくれたわ」
「どんな村だったのですか」
「みんな親切で、明るい顔をしていて、平和な村だったわ。各地からヌルたちも大勢、集まって来ていたわ。あの村が平家の落ち武者たちによって滅ぼされてしまったなんて悲しい事ね。あなたが安須森ヌルを継いで、昔のように栄えさせてね」
 佐敷ヌルは力強く返事を返して、「明日、また会いましょう」と言って玉依姫と別れた。
 ササがユンヌ姫に声を掛けると返事はなかった。
「勝手に憑(つ)いてきて、勝手にどこかに行ったみたい」とササは佐敷ヌルに言って笑った。
「誰が勝手に付いて来たんだ?」とサタルーがササに聞いた。
「気まぐれな神様よ」
 ササたちは一旦、博多に帰って、次の日、久留米の水天宮に向かった。一文字屋の三男、新四郎が久留米に用があるからと言って案内してくれた。
 筑後(ちくご)川沿いに建つ『水天宮』に着いたのは未(ひつじ)の刻(午後二時)頃だった。思っていたよりも小さな神社だった。南北朝の戦(いくさ)で焼け落ちてしまって、五年前にようやく再建されたと神主は言った。
 ササたちは社殿の前でお祈りをした。
「松の木の隣りにある小さな祠(ほこら)よ」と玉依姫の声がした。
 ササと佐敷ヌルは振り返って境内(けいだい)を見回した。境内のはずれに松の木があって、その下に小さな祠があった。ササと佐敷ヌルはうなづき合って、その祠に向かった。みんなも首を傾げながら二人のあとを追った。
 祠の前でお祈りを始めると、
「この祠は、水天宮を造った千代尼(ちよに)を祀っているの」と玉依姫が言って、千代尼を紹介した。
「わたしが千代尼です。南の方の島から来られたと聞きました。もしかしたら、主上(しゅしょう)が御無事だったのか御存じないでしょうか」
「シュショー?」とササは聞いた。
「安徳(あんとく)天皇の事よ」と玉依姫が言った。
安徳天皇様は壇ノ浦で亡くなったのではなかったのですか」
「源氏を欺いて、南の島に逃げたのでございます。新三位(しんざんみ)の中将様(平資盛(たいらのすけもり))が主上をお守りして、女官(にょかん)たちも従いました。わたしも従いたかったのですが、建礼門院(けんれいもんいん)様(安徳帝の母、平清盛の娘)にお仕えしていたわたしがいなくなると怪しまれると言われて、諦めました。敵の船に囲まれた時、二位尼(にいのあま)様(平清盛正室)が身代わりとなった小松の少将様(平有盛(たいらのありもり))の娘さんを抱いて海に飛び込みました。わたしも従って海に飛び込みましたが、死ねませんでした」
「娘が身代わりとはどういう意味ですか」
主上はまだ八歳で、小松の少将様の娘さんとよく似ていたのです」
「そんな幼い天皇だったのですか」とササは驚いていた。
「福原殿(平清盛)は建礼門院様が男の子をお産みになると、大層お喜びになられました。主上は三歳の時に天皇になられたのでございます」
「三歳で天皇ですか‥‥‥残念ながら、安徳天皇様が琉球に来られたという話は聞いた事がありません。どこか、別の島だと思います」とササは言った。
「小松の中将様を御存じですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「勿論、存じておりますとも。わたしどもの憧れの御方でございました。この世の者とは思えないほど美しく、凜々(りり)しい御方でございました」
「小松の中将様も安徳天皇様をお守りして、南の島に行かれたのですか」
「いいえ、違います。小松の中将様は総大将として北陸に出陣なさいましたが、負け戦になってしまいました。その負け戦のお陰で、わたしどもは京都を追われる事になってしまいました。あの負け戦のあと、小松の中将様は孤立してしまって、いたたまれなくなってしまったのでございましょう。一ノ谷の合戦の前に、お姿をお隠しになられてしまいました。一ノ谷の合戦の前、わたしどもは讃岐(さぬき)の国(香川県)の屋島(やしま)を拠点にしておりましたが、その時、小松の中将様は厳島神社の内侍(ないし)(巫女(みこ))をお連れになっていて、わたしどもは嫉妬いたしました。その内侍が原因で、小松の中将様はお逃げになったのに違いないと噂されました。そして、一ノ谷の合戦のあと、再び、屋島に戻っていた頃、小松の中将様が熊野で入水(じゅすい)してお亡くなりになったとの噂が流れて参りまして、わたしどもは悲しみました」
「小松の中将様は熊野から琉球に行ったかもしれません」と佐敷ヌルは言った。
「えっ!」と千代尼は驚いたようだった。
「わたしたちはそれを調べるために、ヤマトゥにやって来たのです」
琉球というのは南の島なのですか」
「そうです。当時、熊野水軍は交易のために琉球に来ていたのです」
「小松の中将様が生きておられた‥‥‥」
 そう言って、千代尼は泣いていた。
「できれば、主上の事も調べてください」と千代尼は泣きながら言った。
「わかりました」と佐敷ヌルは答えた。
 神様から頼まれて、やらなければならないと思っていた。
「わたしは安徳天皇様の事を知りません。調べるにはその人の事を知らなければなりません。話していただけますか」
 千代尼は話してくれた。
 安徳天皇の父親は高倉天皇で、母親は平清盛の娘の徳子(建礼門院)。高倉天皇の母親は、清盛の妻、時子(二位尼)の妹の滋子(建春門院)なので、高倉天皇と徳子は従姉弟(いとこ)同士だった。徳子は高倉天皇より六歳年上で、十八歳の徳子が、十二歳の高倉天皇に嫁いだ。清盛は徳子が皇子(おうじ)を産むのを切望するが、徳子はなかなか妊娠しなかった。嫁いでから六年目、ようやく、安徳天皇が生まれたのだった。
 安徳天皇は三歳で天皇になり、六歳になった七月、木曽義仲(きそよしなか)が率いる源氏の大軍が攻めて来て、京都を追われた。船に乗って九州まで行くが、九州でも裏切り者が多く出て、安住の地はなく、十月になって、やっと屋島に落ち着いた。その頃、大軍を率いて鎌倉から攻めて来た源義経(みなもとのよしつね)と、京都を守っていた木曽義仲が戦(いくさ)を始めた。その隙を狙って、平家は勢力を盛り返し、翌年の正月には福原(神戸市)に戻る事ができた。京都に戻れる日も近いと思われたが、二月に源氏軍に攻められ(一ノ谷の合戦)、多くの武将を失って屋島に逃げ帰った。
 屋島に行宮(あんぐう)もできて、約一年間は安徳天皇も平安な日々を過ごした。各地で、平家と源氏は戦っていたが、水軍を持たない源氏は屋島まで攻めては来なかった。京都にいた時よりも安徳天皇はのびのびとしていて、子供らしく楽しそうだったという。
 一年後、悪夢のように源氏が攻めて来た。安徳天皇は船に乗って屋島をあとにした。瀬戸内海の島々を転々として、最後には壇ノ浦で全滅してしまった。
安徳天皇様はどこで身代わりと入れ替わったのですか」と佐敷ヌルは千代尼に聞いた。
「壇ノ浦の近くにある彦島でございます。その島は中納言(ちゅうなごん)様(平知盛(たいらのとももり))が拠点にしておりました。そこで、主上とお別れしたのでございます。あのあと、どうなったのか、ずっと気になっております」
「南の島で、平家とつながりのある島はありますか」
「島の名前はわかりませんが、硫黄(いおう)が採れる島があって、その硫黄は宋(そう)の国との交易に使われていると聞いた事がございます」
 琉球奄美鳥島(とぅいしま)から硫黄を採っているが、他にも硫黄が採れる島があるのだろうかと佐敷ヌルは思った。佐敷ヌルは知らなかったが、何度もヤマトゥに来ているササは、口永良部島(くちのえらぶじま)から坊津に行く途中、煙を上げている島を何回か見ていて、あの島に違いないと思った。
「ヤマトゥから帰る時に調べてみます」と佐敷ヌルは言った。
「お願いいたします」と千代尼は頼んだあと、赤間関(あかまがせき)(下関)の阿弥陀寺(あみだじ)に安徳天皇のお墓がありますが、あれは偽物ですと言った。
主上が壇ノ浦で入水する前に、法皇様(後白河法皇)は、主上の弟君(おとうとぎみ)(後鳥羽天皇)を即位させました。弟君を天皇にするには、先代が崩御(ほうぎょ)しなければなりません。主上が亡くなったという事にして、立派なお墓を造ったのでございます」
 佐敷ヌルとササは玉依姫に感謝して、千代尼と別れた。一行は水天宮をあとにして、一文字屋の知り合いの宿屋に泊まって、翌日に博多に戻った。
 六月十一日、交易船より先に博多を発ったササたちは、船の上から、平家の拠点となった『彦島』を見て、平家と源氏が決戦をした『壇ノ浦』を見ながら瀬戸内海に入った。上関(かみのせき)で村上水軍のあやと再会して、あやの案内で厳島神社に向かった。
 『厳島神社』は海の上に建つ美しい神社だった。『浦島之子(うらしまぬしぃ)』に出てくる龍宮(りゅうぐう)はこんな感じなのだろうとササたちは思った。
 あやに従って、海の上に続いている回廊を渡って、拝殿に参拝したあと、ササたちは『弥山』に登った。
 山の中にはあちこちに大きな石がゴロゴロしていた。そして、山頂にも大きな石がいくつもあって、古いウタキのようだった。ここはスサノオの神様とは関係なさそうだし、語り掛けてくる神様もいないだろうと思いながらも、ササと佐敷ヌルはお祈りを捧げた。
 思っていた通り、神様の声は聞こえなかった。ササと佐敷ヌルが顔を見合わせて首を振って、立ち上がろうとした時、
「ちょっと、待って」とシンシン(杏杏)が言った。
「神様が降りて来るわ」
「えっ!」とササと佐敷ヌルは驚いて、シンシンを見た。
 ナナとシズとあやも驚いていた。
 シンシンは無心にお祈りを続けていた。
 サタルーたちはお祈りには加わらず、あちこちにある大きな石を散策していた。
 シンシンのガーラダマ(勾玉)が一瞬、光ったような気がした。ササは佐敷ヌルにうなづくと、もう一度、お祈りを始めた。
「あなたは誰ですか」と神様の声が聞こえた。
「シンシンと申します」とシンシンが神様に答えた。
琉球から参りました。神様はどなたなのですか」
琉球‥‥‥やはり、間違いではなかったのですね。あなたが身に付けているガーラダマは、わたしが以前に身に付けていたガーラダマです。また、こうして会えるとは思ってもいませんでした。わたしは厳島神社の内侍、アキシノと申します」
「あなたはどうして、琉球に行かれたのですか」とシンシンは聞いた。
「どうしてなのか、わかりません。神様のお導きとしか申せません」
「あなたは小松の中将様と一緒に琉球に行ったのですね」と佐敷ヌルがアキシノに聞いた。
「どうして、それを知っているのですか」
 アキシノは驚いていた。
「わたしは琉球の安須森ヌル様に頼まれて、安須森を滅ぼした者を探しにヤマトゥに参りました。安須森を滅ぼしたのは、小松の中将様ではありませんか」
「それは‥‥‥」とアキシノは口ごもったが、力ない声で、「その通りです」と言った。
「言い訳に過ぎませんが、あれは言葉が通じなかったために起こってしまった悲劇なのです。ヤマトゥには女人禁制(にょにんきんぜい)の山はありますが、殿方が登れない山はありません。小松の中将様はただ山に登って、島の様子が知りたかっただけなのです。それを止めようとした安須森ヌルは、無礼者めと与三兵衛(よそうひょうえ)様に斬られてしまいました。山から降りて来たら、村の者たちが襲って来たので、仕方なく、戦になってしまったのです。戦わなければ、こっちが殺されてしまいます。実際、あの時は、わたしどもも恐ろしかったのです。南の島には人を喰う恐ろしい者たちがいると聞いておりましたから、呪いを掛けているに違いないと言って、お祈りをしているヌルたちも皆、殺してしまったのです。安須森ヌルの娘さんも殺されそうになりましたが、わたしが助けました。島の言葉をその娘から教えてもらうと言って助けたのです。他の人たちは皆、殺されてしまいました」
 言葉が通じなかったために、安須森が全滅されたなんてひどすぎる事だった。唖然として、佐敷ヌルは言葉も出なかった。
「安須森ヌルの娘さんはその後、どうなったのですか」とササが聞いた。
「小松の中将様が築いたお城で、わたしたちの娘を立派なヌルに育てたあと、古いウタキに籠もられ、その地でお亡くなりになりました」
「わたしたちの娘という事は、アキシノ様は小松の中将様と一緒になられたのですか」
「そうです。息子も生まれて、中将様の跡を継いで、按司(あじ)になりました。今ではわたしどもの子孫たちが、かなり琉球にいます」
「小松の中将様が築いたお城は、今帰仁(なきじん)グスクですね?」と佐敷ヌルが聞いた。
「そうです。お城の周りに島の人たちが住み着くようになって村ができて、いつしか、イマキシル(今来治ル、外来者が納める所)と呼ばれるようになりました。それがなまってナキジンとなったのです」
「あなたはどうして帰って来たのですか」とシンシンが聞いた。
「中将様を迎えに参ったのです。ヤマトゥに行ったまま、なかなか帰って来ないので、連れ戻しに参ったのです。京都に行く途中、ここに寄ってみたら、その懐かしいガーラダマを見つけたのです」
「中将様もこちらにいらっしゃるのですか」と佐敷ヌルは驚いて聞いた。
「昔のお仲間が懐かしいのでしょう。時々、帰って来るのですよ」
「中将様に会わせていただけないでしょうか」
「あなたたちは笛がお上手のようですね。中将様も笛がお上手で、舞の名人でした。きっと、喜んでお会いすると思います」
「今、どちらにいらっしゃるのですか」
「京都です。京都を追われるまで、贅沢な暮らしをしていたので忘れられないのです。六波羅(ろくはら)のお屋敷があった所か、あるいは大原の山の中かもしれません。今頃、昔のお仲間と楽しく過ごしているのでしょう」
「わたしたちも京都に行きます。是非、会わせてください」
「わかりました。京都に行ったら平野神社にいらしてください。御案内いたします」
「ありがとうございます」
 佐敷ヌルがお礼を言うと、
「このガーラダマは読谷山(ゆんたんじゃ)の山の中から出てきました。どうして、あなたのガーラダマがあそこから出てきたのですか」とシンシンが聞いた。
今帰仁に落ち着いて、しばらくしてから、わたしは島の様子を調べるために南部に行きました。わたしどもを琉球に連れて行ってくれた熊野水軍の者から、南部に栄えている都があると聞いていました。浦添(うらしい)のグスクを見て、真玉添のヌルたちの村を見て、大里(うふざとぅ)の城下を見て、玉グスクの城下を見て、また真玉添に戻って来た時、ヤマトゥから来た理有法師(りゆうほうし)に襲われたのです。わたしたちは真玉添のヌルたちと一緒に逃げました。逃げる途中、読谷山の山の中に、みんなのガーラダマを隠したのです」
「どうして、隠したのですか」
「わたしにはわかりません。神様のお告げがあったのではないでしょうか。わたしのガーラダマも一緒に埋められてしまったのです」
「理有法師は平家の陰陽師(おんようじ)だと聞いていますが、あなたは御存じでしたか」とササが聞いた。
「知っておりました。福原殿(平清盛)がお連れしているのを何度かお見かけしました。恐ろしい御方です。福原殿は理有法師を利用するつもりで、側近くに仕えさせたのですが、邪悪な心を見抜いて、遠ざけようとなさいました。しかし、逆に理有法師の妖術に掛かって、亡くなってしまわれたのです。福原殿が亡くなってからは姿を見ませんでしたが、琉球に来ていると知った時は背筋が凍り付く程、恐ろしくなりました。きっと、中将様を追って来たのに違いないと思いました。早く、中将様に知らせなければならないと、南風が吹くのを待っていたのですが、その前に、真玉添が襲撃されてしまったのです。わたしはヌルたちと一緒に与論島まで逃げました。もし、理有法師が追って来たら大変なので、今帰仁には寄らずに、与論島まで行ったのです。それでも、今帰仁が心配で、冬になったら今帰仁に帰りました。理有法師が来ていないので、ほっとしました。与三兵衛様が浦添まで様子を見に行って、浦添按司と朝盛法師(とももりほうし)という御方が、理有法師を倒したと聞いて、助かったと思い、わたしは神様に感謝いたしました」
「朝盛法師は知らなかったのですか」
「知りません。与三兵衛様から、理有法師を追って来た源氏の陰陽師だと聞きましたが、わたしは知りませんでした。それよりも、浦添按司の父親が新宮の十郎だと聞いた時は驚きました。新宮の十郎が、三条宮(さんじょうのみや)様(以仁王(もちひとおう))の令旨(りょうじ)を各地の源氏のもとへ伝えたのが、平家の悲劇の始まりとなったのです。中将様はそれをお聞きになって、笑いました。新宮の十郎は源氏の武将としては二流だったが、琉球に子孫を残していたとは見直した。あいつは戦死したし、琉球の倅には罪はあるまいと言っておられました」
「このガーラダマなのですが、あたしが身に付けていてよろしいのでしょうか」とシンシンが聞いた。
「わたしはあのあと、読谷山まで行って、そのガーラダマを探しましたが、見つかりませんでした。あなたが見つけたのなら、あなたが身に付けるべきです。それが神様の思し召しです」
「アキシノを継ぐという事ですか」
「アキシノは今帰仁ヌルの神名(かみなー)になっていますので、アキシノの名は継げません。そのガーラダマは、わたしが神様のお告げを聞いて、このお山の近くの浜辺で見つけたものです。綺麗な海の色をしていて、海の神様がわたしに授けてくださったものと思いました。そのガーラダマを手に入れて、しばらくして、中将様が京都から逃げて参りました。そして、琉球に行く事になったのです。そのガーラダマのお陰で、無事に琉球に着けたとわたしは信じております。きっと、あなたの航海を守ってくださるでしょう」
「ありがとうございます」とシンシンはお礼を言った。
「新三位の中将様(平資盛)を御存じですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「はい、存じております。小松の中将様の弟です。新三位の中将様が今帰仁に現れた時には驚きました。戦死してしまったと思っていましたので、小松の中将様も驚いたあと、再会を喜んでおりました」
「新三位の中将様が今帰仁に来られたのですか」と佐敷ヌルもササも驚いていた。
「新三位の中将様は奄美の大島(うふしま)にいると申しておりました。新三位の中将様だけでなく、小松の少将様(平有盛)も左馬頭(さまのかみ)様(平行盛(たいらのゆきもり))も奄美の大島にいると聞いて、小松の中将様は大層喜んでおりました」
「小松の少将様と左馬頭様も兄弟なのですか」
「小松の少将様は弟です。左馬頭様は従弟(いとこ)です。お三人は安徳天皇様を連れて、逃げて来たようですが、その天皇は偽者だったと言っておりました。まさか、偽者だったなんて思わず、種子島(たねがしま)に着いた時に偽者だと気づいたそうです。それでも、付き従って来た者たちに、今更、偽者とは言い出せず、そのまま旅を続けて、奄美の大島に落ち着いたそうです。偽者は大島の隣りの鬼界島(ききゃじま)にいると申しておりました」
「偽者だったのですか」と佐敷ヌルは驚くと同時に、がっかりした。ヤマトゥの帰りに、島々を巡って探そうと張り切っていたのに、偽者だったなんて、急に力が抜ける思いだった。
「本物の安徳天皇様はどこに行ったのですか」とササが聞いた。
「わかりません」
「神様にもわからないのですか」
「当時、平家の棟梁(とうりょう)だったのは内府(だいふ)殿(平宗盛(たいらのむなもり))でしたが、実際に戦の指揮を執っていたのは、中納言様(平知盛)でした。中納言様か、安徳天皇様、御本人から聞けばわかるのですが、どこにいらっしゃるのか見つからないのです。中将様もその事が気になっていて、度々、ヤマトゥに来るのかもしれません」
 ササは佐敷ヌルとシンシンを見て、まだ何か聞きたい事ある? という顔をした。佐敷ヌルもシンシンも首を振った。
「色々と教えていただいて、ありがとうございました」とササはお礼を言って、京都の平野神社での再会を約束した。
 神様が去って行ったあと、ササはシンシンに笑って、「凄いじゃない」と言った。
「あたし、神様とお話ししたわ」とシンシンは胸に下げたガーラダマをじっと見つめた。
「凄いわ」とナナとシズとあやも、シンシンを尊敬の眼差しで見ていた。
「シンシンがそのガーラダマを選んだのも、ちゃんと理由(わけ)があったのね」とササが言って、
「シンシンがそのガーラダマを身に付けていなかったら、アキシノ様にも会えなかったわ。アキシノ様のお陰で、小松の中将様とも会えるのよ。シンシンのお手柄だわ。ありがとう」と佐敷ヌルが言った。
 シンシンはササと佐敷ヌルからお礼を言われて照れていた。
「この山はすげえな」とサタルーが言いながらウニタルとシングルーを連れてやって来た。
「これは自然にできたもんじゃねえぞ。誰かがこんな大きな石を積み上げたんだ。一体、誰がそんな事をしたんだ?」
「神様のために、昔の人たちが必死になってやったのよ」とササが言って、一行は山を下りた。

 

 

 

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