長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-111.寝返った海賊(改訂決定稿)

 中山王(ちゅうさんおう)(思紹)の使者たちが京都に着いて、ササたちが京都の街を行列していた頃、琉球では二月に行った進貢船(しんくんしん)が無事に帰国した。
 正使の具志頭大親(ぐしかみうふや)、従者のクグルーと馬天浜(ばてぃんはま)のシタルー、サムレー大将の苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)、十番組のサムレーのジルムイ(島添大里之子)、マウシ(山田之子)、シラー(久良波之子)、ウハ(久志之子)、みんな、元気に帰って来た。
 初めて明国(みんこく)に行ったマガーチは何を見ても驚き、二度目のジルムイとマウシ、三度目のシラーとウハに連れられて、応天府(おうてんふ)(南京)の都見物を楽しんで来たと嬉しそうに言った。
 鄭和(ジェンフォ)の大船団はまだ船出をせず、応天府には各国から来た使者たちが滞在していて賑やかだったという。
「応天府の噂では、武当山(ウーダンシャン)の再建も始まって、武当山には何万人もの人たちが集まり、道教寺院の再建に従事しているようです。北(にし)の順天府(じゅんてんふ)(北京)でも、大規模な宮殿造りをしていて、永楽帝(えいらくてい)は都を順天府に移すのではないかと人々は噂していました」とクグルーは言った。
 クグルーとシタルーの話を聞いて、サハチはもう一度、明国に行ってみたいと思っていた。
 馬天ヌルと一緒に南部のウタキ(御嶽)巡りをしていた奥間(うくま)ヌル、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)、浦添(うらしい)ヌル、東松田(あがりまちだ)の若ヌル、そして、カミーも旅から帰って来ると運玉森(うんたまむい)に行って、ヂャンサンフォン(張三豊)のもとで修行を始めた。シジ(霊力)を高めて、神様の声をちゃんと聞き取るためだった。
 馬天ヌルの話だと、浦添ヌルのカナが神様から頼み事をされて、来年、ヤマトゥ(日本)に行きたいと言っているらしい。カナがヤマトゥに行けば、ササも一緒に行くだろう。サハチは、カナに願い事をした神様に感謝をした。
 進貢船が帰って来た十日後には、三姉妹の船がやって来た。今年も三隻の船でやって来たので、また、船を奪ってきたのかと思ったら、三隻めの船に乗っていたのは、驚いた事に、リンジェンフォン(林剣峰)の配下だったソンウェイ(松尾)だった。
 メイファン(美帆)の屋敷に行って詳しい話を聞くと、リンジェンフォンが今年の二月に亡くなったという。時々、頭が痛いと顔をしかめてはいたが、まさか、亡くなるなんて誰も思ってもいなかった。突然、倒れて、そのまま意識が戻る事もなく亡くなった。丁度、六十歳だったという。
 突然の事だったので、皆、呆然となって、これからどうしたらいいのかわからない状況だった。とりあえずは、次男のリンジョンシェン(林正賢)が跡を継ぐ事に決まった。長男のリンジョンルン(林正輪)はメイファンと琉球に駆け落ちして、久米村(くみむら)を仕切っていたアランポー(亜蘭匏)と組んで、密貿易で大いに稼いだ。しかし、永楽帝が皇帝になったあと、永楽帝琉球に送った使者に捕まって、応天府で処刑されていた。三男もいたが、幼い頃に病死してしまい、跡を継ぐのは次男しかいなかった。
 泉州の海賊で、リンジョンシェンの妻の父親のジュウリンシュ(周霖旭)が、偉そうな顔をして出しゃばって、今後の対策を練っていた。リンジェンフォンに従ってきた老将たちは隠居させられ、世代交代が行なわれて、リンジェンフォンに忠実だったソンウェイも遠ざけられた。今まで、船長として琉球に何度も行き、配下の者たちもいたのに切り離されて、倉庫番に格下げされた。いやなら日本に帰れとまで言われ、ソンウェイは妻と相談して、日本に帰る決心をした。
 ソンウェイの妻はリンジェンフォンの弟のリンジェンウー(林剣武)の娘、リンシァ(林霞)だった。リンジェンウーは八年前に戦死して、リンシァは従兄(いとこ)のリンジョンシェンと仲が悪く、あんな奴の下で働くなんて、絶対にいやよ。日本に行って倭寇(わこう)になりましょうと言った。
 ソンウェイが日本に帰る準備をしていると、かつての配下の者たちが集まって来た。皆、ソンウェイと一緒に日本に行くと言い出した。ソンウェイは涙が出るほど嬉しかった。配下の者たちを連れて帰るとなれば船が必要だった。ソンウェイの配下の者たちはジュウリンシュをうまくだまして、荷物を満載にした船を奪い取り、ソンウェイの家族を乗せて福州を去った。舟山群島の島影に隠れていた時、三姉妹のために裏の組織を作ったウニタキ(三星大親)の配下のマニとイサがソンウェイを訪ねて来た。
「張(ヂャン)三姉妹を知っているか」とマニはソンウェイに聞いた。
「知っている」とソンウェイは答えた。
 チェンイージュン(陳依俊)を裏切らせて、役人を仲間に引き込み、三姉妹の父親、ヂャンルーチェン(張汝謙)を倒した時、ソンウェイも一役買っていた。チェンイージュンの死後、三人の娘が集まって、杭州(ハンジョウ)を拠点に海賊稼業をやっている事も知っていた。ヂャンシーチォン(張士誠)の遺児であるヂャンルーチェンは、各地の海賊たちから尊敬されていた男で、ヂャンルーチェンを売ったのは、リンジェンフォンではないのかと噂されていた。その事を否定するためにも、三姉妹に手を出す事ができず、今まで放っておいたのだった。
「この辺りは張三姉妹の縄張りだ」とイサが言った。
「わしらを倒すつもりなのか」とソンウェイは聞いた。
「倒すつもりなら、わざわざ、こうやって出ては来ない。すでに、この船は俺たちの船に囲まれている。どうだ、俺たちの仲間に入らないか」とマニは言った。
「わしは三姉妹の親父を倒した時の作戦に参加していたのだぞ。三姉妹から見れば、敵(かたき)の一味だ。そんなわしを仲間に入れるというのか」
「リンジェンフォンに命を救われたので、逆らう事はできなかったのだろう」
「確かに逆らう事はできなかった。海で戦うならまだしも、役人に売るなんて最低だと思ったが仕方がなかった。ヂャンルーチェンが亡くなったあと、娘たちが跡を継いだと聞いた時は、陰ながら応援していたんだ。リンジェンフォンは広州(グゥァンジョウ)の海賊たちをまとめて、いよいよ、三姉妹を始末しようと思っていた矢先、急死してしまった。きっと、罰(ばち)が当たったのだろう」
「あたしは賛成よ」とソンウェイの妻のリンシァが言った。
「何となく、張三姉妹とは気が会うような気がするわ」
 配下の者たちに聞くと、「日本に帰る前に、リンジョンシェンの奴に一泡吹かせてやりましょう」と言った。
 ソンウェイは三姉妹と会って、配下になる事に決まった。
「ソンウェイから聞いたんだけど、あたしの別れた夫が、リンジェンフォンの娘を妻に迎えて、リンジェンフォンの配下になったんですって」とメイユー(美玉)がサハチに言った。
「あの人、お頭(かしら)になる器じゃないけど、誰かのために働くのは得意みたい。リンジェンフォンの娘婿という地位を与えられて、リンジェンフォンのために、広州の海賊たちを皆、リンジェンフォンに従わせたみたい。虎の威を借る狐そのものね。リンジェンフォンが亡くなった途端、海賊たちに反撃されて、広州を追い出されたらしいわ」
「すると、広州の海賊たちはリンジョンシェンから離反したんだな」とサハチが聞くと、メイユーはうなづいた。
「リンジョンシェンもお頭になる器ではありません」とソンウェイはヤマトゥ言葉で言った。
「リンジェンフォンが苦労して拡大した勢力範囲も、今では壊滅状態です。しかも、リンジェンフォンがいなくなったので、皆、勝手に動き出して、永楽帝の反感も買っています。やがて、福州の本拠地も官軍の襲撃を受けるでしょう」
杭州から順天府まで大運河が開通したんだけど、リンジェンフォンの配下になった海賊が、永楽帝の荷物を積んで順天府に向かう船を襲ったのよ。結局、捕まったんだけど、リンジョンシェンに命じられてやったと言ったらしいわ。永楽帝に睨まれたら、リンジョンシェンの命もそう長くはないわね」とメイファンが言った。
「去年、リンジェンフォンは攻めて来た官軍の船を奪い取りました。鉄炮(てっぽう)(大砲)を積んだその船を今帰仁(なきじん)に持って行くと言っていました。倅の奴が親父の言う通りに持って行ったかどうかはわかりませんが」とソンウェイが言った。
鉄炮を積んだ船が今帰仁に‥‥‥」とサハチは驚いて、ウニタキとファイチ(懐機)を見た。
「まだ、リンジョンシェンは来ていないぞ」とウニタキは言った。
「いつもなら六月の半ばには来ているそうだ。何かあったのだろうかと湧川大主(わくがーうふぬし)が心配している」
「親父がいなくなって、琉球との取り引きもやめるつもりなのかな」とソンウェイが言った。
「そうしてもらえると助かる。山北王(さんほくおう)(攀安知)が鉄炮を手に入れたら大変な事になる」
 そう言って、サハチは首を振った。
「この島に鉄炮を撃たれたら、交易の機能が止まってしまいます」とファイチが言った。
「浮島(那覇)は何としてでも守らなければならん」とウニタキも言った。
「中山王も鉄炮を持っていると聞いたので、火薬を持って来ました」とソンウェイが言った。
「なに、本当か。そいつは助かる。鉄炮の稽古ができるな。ありがとう」とサハチがお礼を言うと、
「リンジョンシェンが運天泊(うんてぃんどぅまい)に来れば、すぐに知らせが入るはずだ。鉄炮が来ない事を祈ろう」とウニタキは言った。
「来年、鉄炮を積んだ船を持ってきます」とソンウェイは言った。
「そんな事ができるのか」とサハチは聞いた。
「リンジェンフォンが使った手を使います。官軍の船をおびき出して、地の利を利用して、攻め取ります」
「そうか。頼むぞ」
 ソンウェイは不適な笑みを浮かべて、うなづいた。
 今年も旧港(ジゥガン)(パレンバン)まで行って来たメイユーは、ムラカ(マラッカ)に行って来たと言った。
「取り引きはしなかったけど、地元の船に乗って、ちょっと様子を見に行って来たの。思っていたよりも遠かったわ。行きは問題なかったんだけど、帰りは風待ちで、十日以上も掛かってしまったの。でも、行ってよかったわ。凄く栄えていたのよ。遠い国からやって来た人たちが大勢、住み着いていたわ。港を見下ろす丘の上に王様の宮殿があって、タージー(アラビア人)の大きなお寺(回教寺院)もあったわ。勿論、明国の商人たちもいて、かなり稼いでいるようだったわ。ソンウェイはムラカに行った事があるので、今年の冬はムラカに行ってもらうつもりなの」
「メイユーが旧港で、ソンウェイがムラカか。ジャワの船も来る事になったし、南蛮(なんばん)(東南アジア)の品々が豊富になる。本当に助かるよ」
「旧港を去る時、シーハイイェン(施海燕)たちが乗った船と一緒に来たのよ。杭州で別れて、シーハイイェンたちはヤマトゥに行ったわ」
「そうか。年末にササたちと一緒に来るな」
「南蛮の者たちが琉球に来ていたんですね」とソンウェイは感心したあと、「松浦党(まつらとう)の者たちも来ますか」と聞いた。
「勿論、松浦党も来ています。でも、五島(ごとう)の者は浮島には来ません。五島の者たちは今帰仁に行っているようです」
 ソンウェイは怪訝(けげん)な顔をして、「どうして、わしが五島の者だと知っているのです?」とサハチに聞いた。
 サハチは笑って、「福州で道に迷った時、お世話になりました」と言った。
 サハチの顔を見つめていたソンウェイは思い出したらしく、「あの時の琉球人か」と言った。
「ちょっと待て。道に迷ったとか言っていたが、もしかして、チェンイージュンの店を探っていたのですか」
「そういう事です。三姉妹の敵討ちを助けようとしていたのです。しかし、チェンイージュンは殺されました。それで、三姉妹は福州を出て、杭州に拠点を移したのです」
 うーんと唸ってから、ソンウェイは笑った。
 その夜、いつものように歓迎の宴(うたげ)が開かれ、ソンウェイから明国の海賊の事を色々と聞いた。海賊の事に詳しいソンウェイが、三姉妹の配下に加わったのは、今後の事を思うと頼もしかった。
「ソンウェイの奥さんのリンシァなんだけど、一目見て、わたしたちと同類だと思ったわ」とメイユーが言った。
 ソンウェイが笑って、「リンシァは女海賊でした」と言った。
「二十歳を過ぎてもお嫁にも行かず、剣を振り回して海賊働きをしていました。そんなリンシァが、わしが死にかけていた時、寝ずの看病をしていたと、あとになって聞いて、わしはリンシァに惹かれていったのです。リンシァのお陰で明国の言葉も覚え、一年後には一緒になりました。子供がまだ小さいので、今回は諦めましたが、リンシァも琉球に来たいと言っていました」
按司様(あじぬめー)の奥方様(うなじゃら)はあたしたちの姉御なのよ。きっと、大歓迎してくれるわ」
 ソンウェイはリュウジャジン(劉嘉景)たちと一緒に『天使館』に入ったが、ンマムイ(兼グスク按司)が会いに来て、兼(かに)グスクに連れて行った。運天泊でソンウェイと会った事は聞いていたが、わざわざ会いに行くなんて、余程、気が合ったのだろう。ソンウェイはまだ何を考えているのかわからないが、ンマムイと親しくなれば、裏切る事もないだろうとサハチは思った。
 メイユーたちは去年と同じように首里(すい)のサハチの屋敷に入った。今年は佐敷ヌルがいないので、メイユーも島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに行きたいとは言わなかったが、ナツのお腹が大きくなっていると聞くと心配して、側室としてお手伝いしなければならないと言った。ハルはお祭りの準備に熱中していて、今、与那原にいるので、サハチも大丈夫だろうとメイユーたちを連れて、島添大里グスクに帰った。
 メイファンがチョンチ(誠機)を連れて島添大里グスクに来ていた。一人で遊んでいるチョンチを見て、マチルギが連れて来たという。チョンチはナツが産んだナナルーより一つ年下で、みんなと一緒に楽しそうに遊んでいた。
 メイユーはナツのお腹を見て、「あたしにナツの代わりは務まらないけど、できるだけの事はするわ」と言った。
「ありがとう。でも、まだ、大丈夫なのよ」とナツは笑った。
 チョンチはここが気に入って、帰りたがらず、メイファンもリェンリー(怜麗)、ユンロン(芸蓉)、スーヨン(思永)と一緒に佐敷ヌルの屋敷に泊まり、メイユーは久し振りに自分の部屋に落ち着いた。
 佐敷ヌルの屋敷は、主人の佐敷ヌルもユリもシビーもいないが、メイファンたちが泊まり込んで賑やかになっていた。
 メイユーたちが琉球に来てから五日後、ウニタキが島添大里グスクにやって来た。
「リンジョンシェンが来た」とウニタキは言った。
鉄炮を積んだ船も一緒なのか」とサハチが聞くと、ウニタキはうなづいた。
「進貢船より一回り小さい船で、十二の鉄炮を積んでいるという。湧川大主はさっそく、その船に乗って沖に出て、鉄炮を撃ってきたようだ」
「十二の鉄炮か‥‥‥凄いな。火薬もたっぷりと持ってきたのか」
「詳しくはわからんが、湧川大主の喜びようから、たっぷり持ってきたのだろう」
「そうか。その火薬を奪い取るか、最悪の場合は爆破させるしかないな」
「ああ、わかっている。だが、船に積んである火薬を盗むのは難しい。海水に濡れたら使えなくなってしまう。船ごと頂ければいいんだが、それも難しいだろう」
「その船の動きは、確実に抑えておけよ」
「ああ、見張りを付けたよ」
「その鉄炮で浮島を攻められたら大変な事になる。ヒューガ(日向大親)殿にも知らせなくちゃならんな」
「知らせたよ。もう知っている頃だろう」
「そうか。ありがとう」
「ンマムイの奴、ソンウェイを連れて運玉森に行ったぞ」とウニタキが言った。
「ソンウェイも拳術をやるのか」
「さあ、知らんが、ヂャンサンフォン殿の名前は知っているのだろう。有名な仙人を拝みに行ったに違いない」
「ヂャンサンフォン殿と言えば、そろそろ、奥間ヌルと麦屋ヌルたちの一か月の修行が終わるんじゃないのか」
「ヂャン師匠も忙しいな。ようやく終わったと思ったら、今度はソンウェイか」
「奴だが、どう思う?」とサハチはウニタキに聞いた。
「信用できると思うか」
「大丈夫だろう。奴に話を付けたのはマニとイサだ。充分に奴の事を調べ上げた末に、味方に引き入れたのだろう。亡くなったリンジェンフォンは大した海賊だったようだが、あとを継いだリンジョンシェンは大した男ではない。補佐役のソンウェイがいたから、山北王ともうまくやって来られたのだろう。ソンウェイを追い払ったのは自滅したようなものだ」
「ソンウェイが偽って、三姉妹の配下になったとは考えられないか」
「三姉妹を倒すために、偽って近づいたというのか」
「奴は頭がよさそうだから、そのくらいな事はやりそうだ」
「リンジェンフォンが生きていたなら、わざと追い払われた振りをして、三姉妹に近づく事も考えられるが、亡くなってしまった今、ソンウェイが倅のために、そこまでやるとは考えられない。それに、急死だったのは確かなようだ。遺言さえなかったという。もし、ソンウェイがリンジェンフォンから、倅の事を頼むとでも言われていたなら、馬鹿な倅に尽くしただろうが、そんな事を頼まれる事もなく、突然、亡くなってしまったのだろう。まあ、それとなく、奴の動きは調べている」
「そうか、頼むぞ。三姉妹がやられる所は見たくないからな」
 ウニタキは帰って行ったが、すぐに戻って来た。奥間ヌル、麦屋ヌル、東松田の若ヌル、カミーも一緒にいた。
「ねえ、あたし、若返ったでしょう」と奥間ヌルがサハチに言った。
 サハチが首を傾げると、
「体が本当に軽くなったのよ。それに、暗闇でも物が見えるようになったのよ」と奥間ヌルは嬉しそうに言った。
「わたしも体が軽くなって、十歳も若返った気分だわ」と麦屋ヌルも言った。
「あたしたちも十歳若返ったわね」と東松田の若ヌルがカミーを見ながら笑った。
「あたしは一歳、タマ(東松田の若ヌル)は五歳ね」とカミーは言って、皆を笑わせた。
 一緒に修行をしていた浦添ヌルは長い間、留守にしたので心配だと言って、浦添に帰ったようだった。
 ナツとメイユーがお茶を持って入って来た。
「皆さん、無事に修行が終わったのですね」とナツが言って、メイユーに奥間ヌルたちを紹介した。
「あらまあ、異国の女子(いなぐ)まで側室にしたのですか」と奥間ヌルがサハチを睨んだ。
「明国に行った時にお世話になったんだよ」とサハチは説明した。
「明国で出会って、今は旧港という所にいるのですか」と奥間ヌルがメイユーに聞いた。
「明国は一般の者が交易をするのを許さないので、旧港に移ったのです。旧港には明国から逃げて来た商人たちが大勢、住んでいるのですよ。奥間ヌル様は按司様と随分と親しいようですけど、どういう関係なのですか」
「サタルーの父親が按司様だから、親戚みたいなものですよ」
「親戚ですか‥‥‥」とメイユーは言ったが、疑っているようだった。
「奥間の人たちは中山王のためによく働いてくれるんだ。各地にいる鍛冶屋(かんじゃー)や木地屋(きじや)が色々と情報を届けてくれる。とても、助かっているんだよ。奥間の人たちの親玉が奥間ヌルなんだ。奥間ヌルの言う事には誰も逆らえない。恐ろしい女子(いなぐ)なんだよ」とサハチが言うと、
「何ですって、どこが恐ろしいのよ」と奥間ヌルが怒った顔をして、サハチを睨んだ。
「恐ろしくなんかないですよ。とても素直で可愛い人です」と麦屋ヌルが言った。
「その通りよ」と奥間ヌルが真面目な顔して言ったので、東松田の若ヌルとカミーがクスクス笑っていた。
 一緒に厳しい修行を積んで、年の差はあるが、四人は仲良しになったようだった。
 その夜、修行を終えたお祝いの宴を開き、佐敷ヌルの屋敷にいるメイファンたちやサスカサ(島添大里ヌル)、サグルー夫婦、イハチ夫婦、チューマチ夫婦も呼んで、遅くまで楽しい一時を過ごした。
 次の日は朝から雨降りで、奥間に帰ろうとしていた奥間ヌルは帰ろうかためらっていた。カミーが突然、雨が降る中に飛び出して、空をじっと見つめた。カミーが手招きするので、奥間ヌルも雨降る中に出て、空を見上げた。
 二人は顔を見合わせて、「台風が来るわ」と言った。
「とても大きな台風よ」とカミーは言った。
 二人の姿を見たサスカサも出で来て空を見上げた。
「間違いないわ。大きな台風が来るわ」
 ヌルたちから台風の事を聞いたサハチは、サムレーたちを佐敷、平田、手登根(てぃりくん)、与那原、首里、兼グスク、上間(うぃーま)、浮島、中グスク、越来(ぐいく)、勝連(かちりん)に飛ばして、台風対策を取らせた。
 石垣は修繕したので問題はない。屋敷の周りも調べて、補強すべき所は補強させた。慈恩禅師(じおんぜんじ)にも知らせなければならないと思い、サハチは城下に向かった。
 ジウン(慈恩)寺(でぃら)は静かだった。越来ヌルが出て来たので台風の事を知らせると、イハチから聞いて、子供たちを皆、帰したという。自分が出る幕ではなかったかと、サハチは気を付けるようにと言って、越来ヌルと別れてグスクに向かった。途中で土砂降りになってきて、屋敷の軒下で雨宿りをしていたら、奥間ヌルが駈け込んで来た。
 サハチは驚いて、「こんな所で何をしていたんだ?」と聞いた。
「『まるずや』に行って古着を買ってきたの」と奥間ヌルは手に持っている風呂敷包みを見せた。
「古着?」
「雨戸の隙間から雨が入ってくるでしょ」
「古着で塞ぐのか」
「そうよ。按司様の着物や女子サムレーたちの着物を使うわけにはいかないでしょ」
「確かにそうだが‥‥‥ひどい降りになって来たな」
「一緒に濡れて帰りましょう」と奥間ヌルが楽しそうに言った。
「そうするか」とサハチは奥間ヌルの手を引いて土砂降りの中に飛び出した。
 何軒か先にある屋敷の軒下に飛び込むと、戸を開けて、中に入った。
「ここは誰のお屋敷なの?」
「ここはお客様用の屋敷だよ。ついこの間まで、ヤマトゥから来たお客さんが泊まっていたんだ」
「イトさんたちね?」
 サハチはうなづいて、「小降りになるまで、ここで雨宿りをしよう」と言った。
 奥間ヌルはうなづくと、びしょ濡れの着物を脱ぎ始めた。奥間の浜辺で着物を脱ぎ捨てた奥間ヌルを思い出して、サハチも濡れている着物を脱いだ。お互いに裸になって見つめ合い、まるで、夢でも見ているような気持ちになって抱き合った。
 雨は半時(はんとき)(一時間)ほどでやんだが、風が強くなってきた。サハチと奥間ヌルは何もなかったような顔付きで、島添大里グスクに帰ると、皆と一緒に台風対策に励み、戸締まりをしっかりとして、屋敷の中に籠もった。メイファンたちも奥間ヌルたちも佐敷ヌルの屋敷から一の曲輪の屋敷に移った。
 申(さる)の刻(午後四時)だというのに外は暗くなって、雨も風も強くなってきた。雨戸を閉め切って、暗い部屋の中に蝋燭(ラージュ)(ろうそく)がいくつも灯り、風の音と雨の音を聞きながら、退屈な時を過ごした。
 子供たちが笛を吹き始めた。サスカサが酒の用意を始めた。
「また、酒盛りか」とサハチが聞くと、「熊野参詣の時、雨降りで動けなかった時があったの。一日中、お酒を飲んでいたのよ」とサスカサは笑った。
「困ったもんだ」と言いながらも、サハチはサスカサが注いでくれた酒を飲んで、「台風退散の酒盛りを始めるぞ」と言った。
 子供たちの笛を聞きながら酒を飲んで、子供たちが眠ってしまうと、メイユーたちが笛を吹いた。船の上で稽古に励んでいるとみえて、皆、去年よりもずっとうまくなっていた。南蛮風の調べが心地よく流れ、サハチはまだ見ぬムラカの国を想像して、いつの日か、ウニタキ、ファイチと一緒に行ってみたいと思った。ふと、ンマムイの顔が浮かんで、あいつも連れて行ってやるかと思った。
「佐敷ヌルから聞いたわ。按司様も笛の名人なんですってね。聞かせて」と奥間ヌルが言った。
 サハチはうなづいて、一節切(ひとよぎり)を吹いた。
 さわやかな風が吹き抜けて行くような優しい調べが流れた。奥間ヌルはサハチの一節切を聴きながら、サハチと初めて会った時の事を思い出していた。
 十六歳だったサハチがクマヌ(先代中グスク按司)に連れられて奥間に来た時、奥間ヌルはサハチがマレビト神に違いないと悟った。でも、十四歳だった奥間ヌルはサハチの相手をする事ができなかった。サハチがフジと仲よくしているのを見ながら、奥間ヌルは密かに泣いていた。その時、一言も話をする事もなくサハチを見送って、次にサハチがやって来るのをずっと待っていた。
 サハチの父親が来て、サハチの祖父も来て、叔母の馬天ヌルも来たのに、サハチは来なかった。そして、三十一歳になった春、ようやく、サハチはやって来た。あの時の夢のような日々は決して忘れないだろう。サハチの娘も授かって、もう二度とサハチに会えなくても大丈夫だと自分に言い聞かせてきた。
 ところが二年前、何の前触れもなく、サハチが奥間にやって来た。会うとやはり嬉しかった。そして、今年の四月、佐敷ヌルがやって来た。佐敷ヌルからサハチの事を色々と聞くとまた会いたくなった。五月に屋嘉比(やはび)のお婆に呼ばれて行くと、そこに馬天ヌルがいて、一緒に旅をして首里まで来た。もう待つのはやめようと奥間ヌルは思っていた。会いたくなったら、いつでも会いに来ようと思っていた。
 なぜか、知らぬ間に涙が流れていて、奥間ヌルは恥ずかしそうに涙を拭った。
 サハチが一節切から口を離すとシーンと静まり返った。不思議と雨の音も風の音も聞こえなかった。
 奥間ヌルは顔を上げて耳を澄ました。なぜか、皆が泣いていた。
按司様の笛はいつ聞いても感動するわ」とナツが言って涙を拭いて笑った。
「素晴らしいわ。台風も逃げて行っちゃったみたいね」とメイユーが言った。
「ほんと、凄いわ」と言いながら麦屋ヌルも涙を拭いた。
 突然、雨の音と風の音が鳴り響いた。台風はまだ去ってはいなかった。雨戸の隙間から雨が入って来て、奥間ヌルが買って来た古着が役に立った。
 夜中過ぎまで暴風雨が続き、ようやく静かになってきたので、サハチたちも安心して横になったが、蒸し暑くて眠る事はできなかった。
 夜が明けると風はやんで、小雨が静かに降っていた。グスクの中に折れた木の枝は散らかっていたが、特に被害もなかった。サハチはサムレーたちに命じて、周りの状況を調べさせた。
 前もって対策をしていたので、佐敷も馬天浜も大きな被害はなかった。ただ、農作物の被害は大きいようだ。こんな時のために、シンゴ(早田新五郎)に頼んで、大量の米を持って来てもらってあるし、羽地(はにじ)の米もあるので、何とかなるだろう。
 サムレーたちが戻って来て、与那原が被害を受けた事がわかり、サハチはサムレーと女子サムレーを連れて、与那原に向かった。メイユーたちや奥間ヌルたちも付いて来た。雨もやんで日が差して来た。
 思っていたよりも悲惨な状況だった。海辺の家はほとんど、つぶれていた。海には家と船の残骸が浮かんでいる。サハチはサムレーたちに命じて、つぶれた家の中に生存者がいないか調べさせた。女子サムレーたちは怪我人や病人の治療に当たった。マタルー(与那原大親)の妻のマカミーがサムレーたちを指揮して、つぶれた家の片付けをしていた。ヂャンサンフォンと一緒に右馬助(うまのすけ)とソンウェイもいて、泥だらけになって働いていた。
「勇ましい姿だな」とサハチはマカミーに言って、
「ここの人たちは避難していたのか」と聞いた。
「はい。大丈夫です。島添大里から知らせが入ったので、海辺の人たちは皆、グスクに避難させました」
「そうか。よかった。それにしてもひどいな。馬天浜は大した被害はなかったのに、ここは直撃されたようだな」
「再建は大変ですけど、与那原を守る者としてやらなければなりません」
「そうだな。マタルーは留守だが、頑張ってくれ。こういう時にちゃんとしないと、みんなが付いて来なくなるからな」
 首里からも苗代大親(なーしるうふや)がサムレーを引き連れ、マチルギが女子サムレーを引き連れてやって来た。
首里は大丈夫か」とサハチはマチルギに聞いた。
「大丈夫よ。普請中の北曲輪(にしくるわ)の石垣も崩れなかったわ」
「そうか。よかった」
 奥間ヌルが奥間が心配なので帰ると言い出して、東松田の若ヌルも読谷山(ゆんたんじゃ)が心配なので帰ると言った。
 ヒューガに頼んで船で送らせると言って、マチルギが奥間ヌル、東松田の若ヌル、麦屋ヌル、カミーを連れて首里に戻った。
 一日中、壊れた家の残骸を片付けて、島添大里グスクに帰ると、ウニタキが子供たちと遊びながら待っていた。
「ヤンバル(琉球北部)から帰って来たのか」とサハチが聞くと、
「台風の時は浮島にいたんだよ」とウニタキは言った。
「なんだ、メイリン(美玲)と一緒だったのか」
「ヤンバルに行くつもりだったんだけど、雲行きが怪しくなってきたんでな。浮島に渡って、みんなは島添大里にいるから安心しろってメイリンに教えたんだよ」
「浮島は大丈夫だったか」
「大丈夫だ。つぶれた家もないし、船も皆、避難していて無事だ」
「そうか、よかった」
「与那原がひどい有様でな、今までずっと片付けをしていたんだよ」
「聞いたよ。糸満(いちまん)もひどいぞ。それと、中グスクと勝連もやられた。ウミンチュ(漁師)たちの家はみんなつぶれている」
「中グスクと勝連か‥‥‥助っ人を送らなければならんな。糸満もやられたか。シタルー(山南王)も忙しくなりそうだな」
「三王同盟以来、シタルーも大分、落ち込んでいるようだ。復興対策に熱中すれば気も紛れるだろう。俺はヤンバルの状況を調べてくるよ」
「頼むぞ。今から行くのか」
「いや。お前の子供を見ていたら、子供に会いたくなってきた」
「おうちに帰るのか」
「チルーの所じゃないよ。チルーはヂャンウェイ(ファイチの妻)とうまくやっている。たまに帰っても、最近は邪魔者扱いされるんだ。リリーの娘のウミトゥに会いに行くんだよ」
「ウミトゥはタチと同い年だったな。今、三つか」
「可愛い娘だよ。きっと美人(ちゅらー)になるだろう」
「美人になったら、お嫁に出せなくなるだろう」
「お嫁になんか行かなくてもいい」
 サハチは笑って、「チルーには知らせないのか」と聞いた。
「恐ろしくて、知らせられるか」
 ウニタキはそう言って、帰って行った。

 

 

 

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2-110.鳥居禅尼(改訂決定稿)

 八月の一日、ササ(馬天若ヌル)たちは熊野新宮(しんぐう)の神倉山(かみくらやま)に来ていた。
 ササたちが大原から京都に戻ると、南蛮(なんばん)(東南アジア)から使者が来たとの噂で持ち切りだった。四年前に若狭(わかさ)(福井県)に来て、台風にやられた南蛮人だと言っていたので、旧港(ジゥガン)(パレンバン)の使者たちに違いなかった。シーハイイェン(施海燕)とツァイシーヤオ(蔡希瑶)が来たんだわとササたちは、旧港の使者たちの宿舎となっているお寺に飛んで行った。
 シーハイイェンとツァイシーヤオとの再会を喜んだササたちは、二人を高橋殿の屋敷に連れて行って、歓迎の酒盛りを始めた。
 五日後に、琉球の使者たちも京都に到着して、ササたちは行列に加わった。琉球の使者たちの宿舎はいつもの等持寺(とうじじ)で、等持寺に落ち着くと、佐敷ヌルは副使のクルシ(黒瀬大親)から、硫黄(いおう)の採れる島の事を聞いた。
硫黄島は永良部島(いらぶじま)(口永良部島)から坊津(ぼうのつ)に行く途中にある島じゃよ。その時の航路にもよるが、煙を上げている島が見えるはずじゃ。昔は『鬼界島(きかいがしま)』と言って、鬼が棲んでいる島だと思われていたようじゃ。流刑地(るけいち)になって、重罪人をその島に流した事もある。奄美大島の隣りにも鬼界島があって、そこは壇ノ浦の合戦の時、安徳天皇が逃げたという伝説のある島じゃよ」
「クルシ様は奄美大島の隣りの鬼界島に行った事はありますか」と佐敷ヌルは聞いた。
「一度だけ行った事がある。天皇の子孫だか知らんが、横柄な奴らが多くてな、二度と行きたくない島じゃった」
「今頃、山北王(さんほくおう)が横柄な奴らを攻めているでしょう」とササが言った。
「あの島は簡単には攻め落とせんじゃろうな。海岸は岩場が多くて、上陸する場所は限られている。ほとんど平らな島で、中央に高台があって、そこに『御所殿(ぐすどぅん)』と呼ばれている領主の屋敷がある。その屋敷から島の周りはよく見えて、敵が近づいて来るのがわかるんじゃ。待ち構えていて、上陸する前にやられるじゃろう」
奄美大島に平家の落ち武者が住み着いた所があるようですけど、知っていますか」と佐敷ヌルは聞いた。
「浦上(うらがん)じゃろう」とクルシは知っていた。
「右近(うこん)殿と呼ばれている男がいた。噂ではもう亡くなって、倅の代になっているようじゃ。平家の大将だった平清盛(たいらのきよもり)の孫が壇ノ浦の合戦から逃げて来て、浦上に住み着いたという。右近殿は悪い奴ではないんじゃが、寄るたびに、今帰仁(なきじん)に行けと勧めるんでな、だんだんと寄らなくなってしまった。浦上とは反対側の東の方に戸口(とぅぐち)という浦があって、そこにも左馬頭(さまのかみ)殿というのがいる。そこも鬼界島に行った時に一度だけ行った。トカラの宝島から奄美大島に行って、わざわざ、奄美大島の東側に出るのは面倒なので、その後は行ってはおらんな。それと、加計呂麻島(かきるま)の諸鈍(しゅどぅん)にも小松殿というのがおるのう。小松殿は博学でな、倭寇(わこう)たちにも慕われておる。小松殿に会ってから、琉球に行く者もいるはずじゃ」
「クルシ様は寄って行かないのですか」
「わしらが諸鈍に行った時は、今の小松殿ではなくて、先代の小松殿だったんじゃよ。先代はおっとりとした男で、それほど取り柄もなく、わざわざ会いに行くほどの男ではなかったんじゃ。今の小松殿なら会ってみたいとは思うが、あの辺りは島が多くてな、潮の流れも変わるし、風待ちをしなければならなくなるかもしれん。面倒なので、いつも素通りしてしまうんじゃよ」
 クルシが絵地図を持っていたので、佐敷ヌルたちは、硫黄島、鬼界島、奄美大島の浦上と戸口、加計呂麻島の諸鈍の位置を教わった。
 等持寺に、高橋殿がシーハイイェンとツァイシーヤオを連れてやって来て、ササたちは将軍様の御所に移った。
 佐敷ヌルは豪華な御所に驚き、侍女に案内されて行った広い部屋に、驚く程の書物があるのに驚いた。漢字ばかりの書物が多くて、読む事はできないが、ひらがな混じりの書物もあった。『平家物語』はひらがな混じりで、何とか読めそうだった。ただ、十二巻もある長い物語なので、滞在中に読めるかどうか自信がなかった。
 御所に移ってから三日後、将軍様伊勢の神宮参詣が行なわれて、佐敷ヌルとササたちは御台所様(みだいどころさま)(将軍義持の妻、日野栄子)に従って、お伊勢参りに出掛けた。シーハイイェンたちも師匠のシュミンジュン(徐鳴軍)を連れて一行に加わった。
 将軍様のお供をするサムレーたちの多さに、佐敷ヌルは驚いた。武装したサムレーが大勢従って、まるで戦(いくさ)にでも行くようで、中山王(ちゅうさんおう)(思紹)の久高島(くだかじま)参詣とは桁違いな規模だった。将軍様が一緒だと、高橋殿も自重しているのか、あまりお酒も飲まなかったので、ササたちも助かった。
 佐敷ヌルはササと一緒に、外宮(げくう)で玉依姫(たまよりひめ)の息子の『ホアカリ』に挨拶をして、小俣(おまた)神社で、ホアカリの姉の『トヨウケ姫』に挨拶をした。月読(つきよみ)神社で月の神様に挨拶した時、去年、サスカサ(島添大里ヌル)をここに連れて来ればよかったとササは思った。代々、月の神様を祀ってきたサスカサなら、月の神様とお話ができたかもしれなかった。
 内宮(ないくう)をお参りした時、「龍神(りゅうじん)様が封じ込められているわ」と佐敷ヌルは言った。その事はササも古い神様から聞いて知っていた。
「その龍神様は琉球と関係あるみたい」と佐敷ヌルは言った。
龍神様の声が聞こえたの?」とササは聞いた。
 佐敷ヌルは首を振った。
「感じたの。よくわからないけど、南の方から来た神様みたい」
 それ以上の事は佐敷ヌルにもわからないようだった。
「どうして、龍神様は封じ込められてしまったの?」と高橋殿が佐敷ヌルに聞いた。
安徳天皇様が封じ込められてしまったように、何か重大な事が隠されているんでしょうね」
「封印を解いたら天変地異が起こるのね」
「きっと、恐ろしい事が起こるのよ」
 伊勢から帰って来ると、住心院(じゅうしんいん)の御精進屋(ごしょうじんや)に入って心身を清め、熊野へと向かった。御台所様の熊野参詣の噂を聞いたサタルーたちが住心院までやって来て、荷物持ちでもいいから連れて行ってくれと頼んだ。サハチ(中山王世子)の息子とウニタキ(三星大親)の息子なら連れて行かないわけにはいかないと高橋殿は笑って、一緒に行く事になった。
 七月二十一日の夜中に京都を発って、夜が明ける頃に船津に着いて、船に乗り込んで淀川を下った。去年は酔い潰れてしまったササたちも、今年は景色を充分に楽しんだ。
「酒は飲むものだ。飲まれるものじゃねえ」と大口をたたいていたサタルーも簡単に酔い潰れて、酒なんてあまり飲んだ事のないウニタルとシングルーは、おいしいと言って飲み過ぎて、何度も吐いていた。
 シーハイイェンとツァイシーヤオも酔い潰れたが、さすがに、シュミンジュンは酔い潰れる事はなく、楽しそうにお酒を飲んでいた。
 佐敷ヌルは、まともに高橋殿に付き合っていたらかなわないと悟ったのか、景色を眺めて感じた事を笛を吹いて表現していた。佐敷ヌルの笛の調べを聞きながらの風流な船旅だった。
 去年と同じように、天王寺(てんのうじ)と住吉大社をお参りして、藤代(ふじしろ)の鈴木庄司に歓迎され、二十六日に田辺に着いた。土地の有力者たちの出迎えは、うっとうしかったが、シーハイイェンたちとサタルーたちがいるので、去年より賑やかで楽しい旅だった。
 シーハイイェンたちもサタルーたちも高橋殿のお酒好きには参っていた。ウニタルとシングルーは毎日、二日酔いで、頭が痛いと唸りながら、フラフラした足取りで歩いていた。
 シンシン(杏杏)のガーラダマ(勾玉)に憑(つ)いて来たアキシノによって、小松の中将(ちゅうじょう)(平維盛)が上陸した場所を知り、熊野権別当(ごんのべっとう)だった湛増(たんぞう)の屋敷跡にも行った。屋敷跡の近くにある新熊野(いまくまの)神社は、源氏に付くべきか、平家に付くべきかを占うために、湛増が闘鶏(とうけい)をしたとの伝説が残っていた。占いは源氏と出て、湛増熊野水軍を率いて壇ノ浦に向かい、源氏の勝利を導いたのだった。
湛増なら、わたしも知っているわ」と御台所様が言った。
熊野水軍の大将で、源氏に味方したんでしょう」
「そうなんです。湛増のお陰で、壇ノ浦で源氏が勝ったのです」とササが言うと、
「ここで白い鶏(にわとり)と赤い鶏が戦ったのね。もし赤い鶏が勝っていたら、壇ノ浦で平家が勝っていたのかしら」と御台所様は首を傾げた。
「白い鶏が勝つって決まっていたのですよ」と高橋殿が言った。
「えっ?」と御台所様が驚いた顔をして高橋殿を見た。ササと佐敷ヌルも高橋殿の言った事には驚いた。
湛増はずっと平家の味方だったのです。でも、平家が都落ちして苦戦しているのを見て、生き残るには源氏に寝返らなければならないと思ったのです。湛増がそう決めても、平家に恩を感じている者たちも多くいて、寝返るのは容易な事ではなかったのです。それで、神様に手伝ってもらったのです。神様のお告げとなれば、皆、従わなければなりませんからね」
「それも兵法(ひょうほう)の一つじゃ」と中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)が言った。
 そうだったのかと御台所様もササも佐敷ヌルも納得して、大きな戦の時は、神様の力を借りるのも兵法なのだという事を知った。
 小松の中将は湛増の屋敷に五日間滞在して、精進してから山伏姿になって熊野に向かった。中将の一行にはアキシノの他にも女たちが二十人もいて、武装したサムレーが三十人、総勢五十人もいたという。
 佐敷ヌルもササも驚いたが、安須森(あしむい)の村(しま)を全滅させたのだから、それくらいはいただろうと納得した。
 全員が熊野参詣をしたわけではなく、小松の中将とアキシノの他八人だけで、あとの者たちは船で那智に向かった。田辺から中辺路(なかへち)を通って本宮(ほんぐう)に向かい、本宮から船で新宮に向かい、新宮から那智に行って、色川左衛門佐(いろかわさえもんのすけ)に会うまで、誰かに会ったという事もなく、怪しまれる事もなかったという。
鳥居禅尼(とりいぜんに)様には会わなかったのですか」とササがアキシノに聞いた。
鳥居禅尼様って誰ですか」
「新宮の十郎様のお姉さんですよ」
「えっ、そんな人が熊野にいたのですか」
「熊野の別当の奥さんだったはずです。それに、湛増様の奥さんは鳥居禅尼様の娘さんだったはずです」
「そんな人がいたなんて知りませんでした。中将様は知っていたのでしょうか」
「大原で、聞けばよかったわね」と佐敷ヌルが言った。
 小松の中将は悩みながら、この道を歩いたのだろうと考えながら佐敷ヌルは中辺路を歩いていた。
 ササから話には聞いていたが、実際に来てみると熊野は凄い所だった。熊野の山々全体が大きなウタキのようで、霊気がみなぎっていた。今更ながら、佐敷ヌルはスサノオという神様の偉大さを思い知っていた。
 去年と同じように、高原谷(たかはらだに)の石王兵衛(いしおうひょうえ)に歓迎された。石王兵衛は高橋殿が来るのを待っていて、完成した面(おもて)を見せると、舞ってくれと頼んだ。
 佐敷ヌルが笛を吹いて、高橋殿が面を掛けて舞った。ササが見た所、去年の翁(おきな)の面とまったく同じではないかと思っていたが、全然違った。不思議な事に、高橋殿の舞に合わせて、面の表情が微妙に変わるのだった。木でできてる面が、まるで生きているようだった。これが名人芸と言われるものだろうかとササは感動していた。
 石王兵衛も今回は満足して、子供のように喜んでいた。夜遅くまで酒盛りをして、翌朝、ササたちが起きると、石王兵衛はすでに面を打っていた。昨夜、話していた『玉藻前(たまものまえ)』という美女の面を打ち始めていた。去年と同じように熱中してしまうと、周りの声も聞こえない。ササたちはお礼を言って石王兵衛と別れた。
 本宮に着くと神様に挨拶をして、湯の峰に登って湯垢離(ゆごり)をして旅の疲れを取り、夜になってから、本宮大社の神様たちにお祈りを捧げた。そして、昨日、熊野川を舟で下って新宮に着いて、新宮孫十に歓迎され、速玉大社(はやたまたいしゃ)をお参りして、今朝、神倉山に登ったのだった。
「中将様もここに来たのですか」とササがアキシノに聞くと、
「来ました」とアキシノは答えた。
「京都の六波羅(ろくはら)のお屋敷の近くに新熊野(いまくまの)神社があります。あの神社は後白河法皇(ごしらかわほうおう)のために、中将様のお父様が建てたものです。中将様は子供の頃から新熊野神社によく行かれて、スサノオの神様は馴染み深い神様でした。速玉大社をお参りした時、このお山の事を聞いて、熊野の発祥の地ならば行かなければならないとやって参りました」
 佐敷ヌル、ササ、シンシンがお祈りをするとユンヌ姫の声が聞こえてきた。
「待ちくたびれて、お祖父(じい)様(スサノオ)は京都に帰ってしまったわ。でも、鳥居禅尼はちゃんと見つけたから大丈夫よ」
「ありがとう」とササはユンヌ姫にお礼を言った。
鳥居禅尼と申します」と落ち着いた声が聞こえた。
琉球で生まれた十郎の子が、按司(あじ)というお殿様になって活躍したと聞いて喜んでおります。わたしがお役に立つのでしたら、知っている事はお話しいたします」
 佐敷ヌルはお礼を言ってから、小松の中将の事を聞いた。
「見栄えのいい殿御でしたから、勿論、存じております。初めて会ったのは二十歳をいくらか過ぎた頃でした。噂通りの美男子で、巫女(みこ)たちが大騒ぎしておりましたので、よく覚えております」
「小松の中将様は父親と一緒にいらしたのですか」
「そうです。その年の二月に法皇様(後白河法皇)がいらっしゃって、三月に小松殿(維盛の父)の御一行がいらっしゃいました。中将様だけでなく弟様方も御一緒でした。小松殿は大分具合が悪いようでした。子供たちが交替で面倒を看ておりました。小松殿は父親の福原殿(平清盛)と法皇様の間に挟まれて、随分と苦労なさったようです。その心労が祟ったのか、小松殿は熊野から帰るとお亡くなりになりました。小松殿が亡くなると、法皇様と福原殿の対立は激しくなって、平家は滅亡への道をたどる事になるのです」
「壇ノ浦の合戦の前に、小松の中将様が熊野に来た事を御存じですか」
「田辺の湛増から知らせを受けたので、知っております」
「えっ、湛増様が鳥居禅尼様に知らせたのですか」
「当時、湛増は悩んでおりました。今まで通りに平家に付いているか、寝返って源氏に付くか、悩んでいたのです。長年、平家に仕えておりましたから裏切るのは辛い事でしょう。しかし、平家が敗れてしまえば、一族郎党は田辺におれなくなってしまいます。湛増は中将様の事をわたしに告げて、わたしの反応を見たのでしょう」
鳥居禅尼様は、中将様を捕まえようとなさったのですか」
「いいえ。助けなさいと湛増に言いました。熊野の神様は、助けを求めた者を決して見捨てはいたしません。敵味方、貴賤(きせん)、男女を問わず、皆を救うのが熊野の神様なのです。わたしは密かに、中将様を守りましたが、会う事はしませんでした。中将様は本宮をお参りして、新宮、那智と行き、色川殿の助けで、冬まで色川村に隠れてから琉球に向かいました」
「色川村の事まで御存じだったのですか」と驚いた声でアキシノが聞いた。
「あなたは中将様と御一緒に来られた厳島(いつくしま)神社の内侍(ないし)ですね」
「アキシノと申します。わたしの事まで御存じだったなんて、驚きました」
「熊野の山伏たちは各地におります。どこで何が起こっているのか、すべて、わたしの耳に入るようになっておりました」
湛増様から知らせがなくても、中将様が来られた事がわかっていたのですか」と佐敷ヌルは聞いた。
「わかっておりました。湛増がもし、わたしに知らせず、中将様を匿(かくま)っていたら、湛増は追放されていたかもしれません。湛増はわたしの娘の婿殿ですからね、わたしの説得で寝返ってくれました。中将様は琉球に行って、成功したのでしょうか。その事がずっと気になっておりました」
「十郎様の息子が琉球の中部の按司になったように、中将様は北部の按司になりました」とササが答えた。
「そうでしたか。逃げてよかったのですね」
「十郎様を京都に送ったのは鳥居禅尼様だと聞きましたが、京都の事も詳しく知っていたのですか」とササが聞いた。
法皇様は毎年のように熊野に御幸(ごこう)なさっておりました。京都の事はよくわかりましたよ。勿論、京都にも熊野の山伏は大勢いますが、御所での事はわかりません。御所での事を知るのは、法皇様と一緒にいらした女房様から知る事が多いですね。女房様たちは、普段は言えない不満や愚痴をわたしにしゃべって、すっきりして都に帰って行かれます。わたしが出家しているので安心して、何でもしゃべるようです。それに、中将様がお父様と一緒にいらっしゃった前の年、法皇様の妹の八条院様が法皇様と御一緒にいらっしゃいました。八条院様がいらっしゃったのは二度目で、最初に来られた時はまだ十三歳の時でした。お母様の美福門院(びふくもんいん)様と御一緒に来られたのです。久し振りに見た八条院様はお母様に面影がよく似ておりました。美福門院様も鳥羽法皇様と御一緒に、何度も熊野に来ておりました。三十年振りの再会を喜んで、八条院様と色々とお話をいたしました。八条院様は鷹揚(おうよう)なお方で、細かい事にはまったくこだわらない面白いお方でございました。そのお人柄を慕って、八条院様の周りには大勢の人たちが集まっておりました。その中には、平家を快く思っていない人たちもいました。わたしは十郎を八条院様のもとへ送ろうと考えて、八条院様に相談したのです。八条院様は快く引き受けて下さいました。それで、十郎は八条院様の蔵人(くろうど)になれたのです」
「その時、三条宮(さんじょうのみや)様(以仁王)が『平家打倒』の令旨(りょうじ)を出す事を知っていたのですか」
「いいえ。その頃はまだ、福原殿と法皇様もそれほど険悪な状態になってはおりませんでした。十郎が京都に行った年の暮れには、高倉天皇様に嫁いだ福原殿の娘さんが皇子を産みます。のちの安徳天皇様です。福原殿も法皇様も共にお喜びになりました。その翌年、福原殿の娘の白河殿(平盛子)がお亡くなりになります。摂関家(せっかんけ)に嫁いだ白河殿は莫大な荘園を持っておりましたが、法皇様によって没収されてしまったのです。さらに、小松殿が亡くなると、その所領も法皇様は没収してしまうのです。怒った福原殿は京都を攻めて、法皇様を幽閉してしまいます。その時、福原殿は三条宮様の荘園を没収してしまいます。そして、翌年、福原殿は自分の孫を天皇にしてしまいます。あまりの横暴に、八条院様も怒ったのでしょう。三条宮様の『平家打倒』に賛同して、十郎に令旨を持たせて旅立たせたのです」
「三条宮様は八条院様の息子さんだったのですか」
「いいえ。三条宮様の父親は後白河法皇様で、八条院様の甥でございます。幼い頃に出家なさいましたが、師と仰いだ法親王(ほうしんのう)様がお亡くなりになったので還俗(げんぞく)して、八条院様の猶子(ゆうし)となられたのです。八条院様は生涯、独身を通しましたから、三条宮様の兄の二条天皇様もお育てになり、ほかにも何人か、母親代わりとして育てております。八条院様は父親の鳥羽法皇様と母親の美福門院様から莫大な荘園を相続しておりまして、殿上人(てんじょうびと)たちに一目置かれた存在だったのです。八条院様を天皇に即位させるというお話も、何度か持ち上がったようです」
八条院様の力というのは凄かったのですね」
「そうです。あの時、八条院様が熊野にいらっしゃらなかったら、こんなにもうまくは行かなかったでしょう。八条院様はその時、四十二歳でした。母親の美福門院様は四十四歳でお亡くなりになっております。もうすぐ、母親が亡くなった四十四歳になるので、今のうちに熊野参詣をしようと思い立って、兄の法皇様と一緒に来たと申しておりました。きっと、熊野の神様が八条院様を呼んでくださったものと信じております。三条宮様の令旨を持った十郎は各地の源氏だけでなく、各地にある八条院様の荘園も巡って、在地の武士たちも動かしたのです。在地の武士たちが源氏の旗のもとに集結したので、勝利を得る事ができたのです。それに、八条院様のお陰で、八条院様の姉の上西門院(じょうさいもんいん)様も動いてくれました。かつて、上西門院様に仕えていた真言僧の文覚(もんがく)が、伊豆の佐殿(すけどの)(頼朝)を説得して、蜂起させたのです。佐殿はとても慎重なお方で、三条宮様の令旨だけでは動かなかったのです。上西門院様も加わっているのなら、法皇様の『平家打倒』の院宣(いんぜん)も出るに違いないと思って、ようやく立ち上がったのです。佐殿は伊豆に流される前、上西門院様に仕えておりました。平治(へいじ)の乱の時、佐殿が殺されずに流罪で済んだのも、池禅尼(いけのぜんに)様と上西門院様のお陰だったのです」
「建春門院(けんしゅんもんいん)を連れて来たぞ」とスサノオの声がした。
「京都に探しに行っていたのですか」とササが聞いた。
「そうじゃ。丹鶴姫(たんかくひめ)(鳥居禅尼)が会いたいと言ったのでな」
 スサノオが言った通り、鳥居禅尼は建春門院との再会を喜んでいた。
「突然、亡くなってしまうんですもの。驚きましたよ」と鳥居禅尼は建春門院に言っていた。
「わたしだって驚きました。まだ若かったのに、亡くなるなんて思ってもいませんでした」
 建春門院は後白河法皇の妃(きさき)で、高倉天皇の母親だった。上西門院に女房として仕えていて、後白河法皇に見初められた。姉の時子は平清盛の正妻だったため、後白河法皇平清盛を結ぶ役目も果たしていた。後白河法皇と一緒に何度も熊野参詣に来ていて、鳥居禅尼と仲よくなっていた。来年、また会おうと約束して別れたのに、建春門院は突然、病死してしまったのだった。
 懐かしそうに思い出話をしている鳥居禅尼と建春門院に、佐敷ヌルは声を掛けた。
「失礼いたします。建春門院様にお聞きしたいのですが、小松の中将様を御存じでしたか」
「あら、ごめんなさいね。お客様を放っておいてしまったわ」と言ったのは建春門院だった。
「勿論、存じておりますよ。わたしが亡くなった年の三月に、法皇様の五十歳を祝う式典が盛大に行なわれました。小松の中将様、その頃はまだ少将でしたが、見事な舞を披露なさいました。あまりの美しさに、『桜梅少将(おうばいしょうしょう)』と呼ばれるようになったのです。桜梅少将様の奥方様は、わたしの御所に仕えていた新大納言(しんだいなごん)です。新大納言は十五歳だった桜梅少将様に嫁いで、跡継ぎの六代を産んでおります」
「あなたの突然の死は、とても大きかったのよ」と鳥居禅尼が建春門院に言って、二人はまた話し始めた。
 ササがスサノオとユンヌ姫に声を掛けたが返事はなかった。ササと佐敷ヌルは鳥居禅尼と建春門院にお礼を言って、お祈りを終えた。
 次の日、新宮孫十の船に乗って那智に行き、那智の滝をお参りした。
 次の日は、小松の中将が入水(じゅすい)したように見せかけたという山成島(やまなりじま)に行った。山成島は小さな無人島で、その周りにも小さな島がいくつもあった。
「中将様はこの海に大切な家宝の太刀を沈めたのです」とアキシノが言った。
「中将様の太刀はその後、見つかったのですか」とササが孫十に聞くと、太地(たいじ)の飛鳥(あすか)神社に、海から拾った太刀が奉納されているという。
 近くだというので飛鳥神社まで行って、その太刀を見たが、かなりぼろぼろで、アキシノに聞いても、小松の中将の太刀かどうかはわからなかった。
 また船に乗って太地の岬を越えて南側に出て、太田川をさかのぼって行った。途中から山道を歩いて、小松の中将が冬まで隠れていたという色川村に着いた。
 色川村は山に囲まれた小さな村で、小松の中将を神様として祀る神社があって、小松の中将の子孫だと名乗る色川左兵衛尉(さひょうえのじょう)がいた。左兵衛尉は村人たちを集めて、御台所様と高橋殿を大歓迎で迎えた。
「あの女たちから中将様の子供が産まれたのね」とアキシノが怒ったような口調で言った。
 シンシンもササも佐敷ヌルも聞かなかった振りをした。
 色川左兵衛尉は遠くからよく来てくれたと喜んでくれたが、小松の中将が琉球に行った事は知らなかった。村に伝わる伝説では、この村に隠れていた小松の中将は、源氏の追っ手が来たと聞いて、さらに山奥の龍神(りゅうじん)村に逃げて行ったという。小松の中将が琉球に逃げて、殿様になったと教えても、まさかと言って信じてくれなかった。
 孫十にお礼を言って別れ、ササたちは左兵衛尉のお世話になって村に泊まった。この村から大雲取(おおぐもとり)越えをして本宮に行けるという。
 左兵衛尉の屋敷に若い山伏がいて、ササたちの話を真剣な顔をして聞いていた。
「すると、源氏の新宮の十郎が平家の追っ手から逃げるために琉球に行って、平家の小松の中将が源氏の追っ手から逃げるために琉球に行ったという事ですね」と山伏の福寿坊(ふくじゅぼう)が言った。
「そうです。源氏は滅ぼされてしまいましたが、平家は今も残っています」
「源氏は滅びましたか」と言って、福寿坊は唸った。
「我が国では平家が滅んだあと、鎌倉の源氏の世の中となり、源氏の政権を奪って、平家の北条(ほうじょう)の天下となり、北条を滅ぼして、今は源氏の足利の世の中となっております」
「平家と源氏が交替で、ヤマトゥを治めていたのですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「ヤマトゥ? ヤマトゥとは随分と古風な事を言いますね」
琉球では、この国をヤマトゥと呼んでいます」
「面白いですね。わしは歴史に詳しくはないが、ヤマトゥと呼ばれていたのはかなり昔の事でしょう。その頃から琉球とヤマトゥは交易していたという事ですか」
スサノオ様がタカラガイを求めて琉球に来ています」とササが言った。
スサノオ? スサノオといったら熊野の神様じゃないですか。スサノオ琉球に?」
 話を聞いていた左兵衛尉が笑った。
 福寿坊は笑わずに唸って、「実に面白い」と言った。
 次の日、福寿坊の案内で、大雲取越えをして本宮に出た。福寿坊は琉球に行ってみたいと言って、京都まで付いて来た。

 

 

 

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2-109.ヌルたちのお祈り(改訂決定稿)

 六月の半ば、山南王(さんなんおう)のシタルーの娘が真壁(まかび)の若按司に嫁いで行った。先代の真壁按司が隠居して山グスク大主(うふぬし)となって、中山王(ちゅうさんおう)(思紹)の船に乗って明国(みんこく)に行ったのを牽制(けんせい)するつもりだろう。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は招待されなかったが、山南王の支配下按司たちが真壁グスクに集まって祝福したという。花嫁の祖父となる山グスク大主も当然という顔をして出席して、孫の婚礼を祝ったらしい。
 その頃、ウタキ(御嶽)巡りをしている馬天(ばてぃん)ヌルたちは久高島(くだかじま)にいた。
 浮島の護国寺(ぐくくじ)で、英祖(えいそ)の父親と一緒にヤマトゥ(日本)に行った山伏の事を聞いたあと、浦添(うらしい)ヌルのカナも連れて、馬天ヌルたちは小禄(うるく)ヌルと会って、豊見(とぅゆみ)グスクヌルと会って、座波(ざーわ)ヌルと会って、島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌルと会って、ヌルたちの案内でウタキを巡って、神様にお祈りを捧げた。
 先代の小禄ヌルは高齢になり、姪に跡を譲って隠居していた。
「中山王と山南王が同盟を結んで、本当によかった」と先代の小禄ヌルはほっとした顔をして馬天ヌルに言った。
 中山王と山南王が戦(いくさ)を始めたら、親子が対立して戦う事になったかもしれない。小禄按司は山南王に従い、若按司は中山王に従うという。若按司の妻は北谷按司(ちゃたんあじ)の妹で、按司の弟の安次嶺大親(あしんみうふや)と一緒に中山王を贔屓(ひいき)にしていた。按司も本音は中山王に従いたいが、小禄グスクの場所柄、山南王には逆らえないという。
 シタルー(山南王)の娘の豊見グスクヌルは大歓迎で馬天ヌルたちを迎え、一緒に行きたいと言って付いて来た。豊見グスクヌルは父親の本心を知っていて、同盟もそう長くは続かないだろうと思っていた。今のうちに、尊敬している馬天ヌルから色々な事を学ぼうと思った。馬天ヌルと一緒に、ヤンバル(琉球北部)の奥間(うくま)ヌルがいるのを見て、ヤンバルのヌルからも慕われるなんて凄いと思っていた。
 豊見グスクヌルが一緒なので、座波ヌルも快く会ってくれた。先代の座波ヌルは二年前に亡くなって、若ヌルが跡を継いでいた。座波ヌルには十歳と八歳の子供がいて、二人とも男の子だった。
「お父さんは山南王なのね?」と馬天ヌルが聞くと、座波ヌルは恥ずかしそうにうなづいた。
「出会った時、あの人、正体を隠していたんですよ。山南王に仕えていて、普請(ふしん)を担当している役人だって言ったのです。子供ができてから、正体を明かして、わたしは驚きましたよ」
 ハルの事を聞いたら、遠い親戚だという。シタルーが山南王になった時の戦(いくさ)で、ハルの父親は戦死して、その翌年、母親も病死してしまったので、先代が引き取って育てた。十三歳になった時、シタルーが新たに作る女子(いなぐ)サムレーになるために粟島(あわじま)(粟国島)に行ったという。
「あの子、暇さえあれば阿波根(あーぐん)グスクに行って、武芸者たちから武芸を習っていたんです。それで、女子サムレーになれるって、喜んで粟島に行ったんですよ。まさか、島添大里(しましいうふざとぅ)に側室として送られたなんて驚きました。どうして、ハルを側室にしたのか、あの人に聞いたら、島添大里グスクには強い女子がいっぱいいるから、ハルにぴったりだと言っていました。ハルは元気にしていますか」
「楽しくやっているようです。佐敷ヌルを手伝って、お祭りの準備などもしております」
「そうですか。陽気な子ですから、どこに行っても大丈夫だと思いますが、よろしくお願いします」
 座波ヌルと一緒にウタキを巡り、途中で別れて、島尻大里に行って、シタルーの妹の島尻大里ヌルと会った。
 島尻大里ヌルは変わっていた。顔付きが以前よりも優しくなって、穏やかな雰囲気が漂っていた。
 馬天ヌルが島尻大里ヌルのウミカナに初めて会ったのは、もう三十年も前の事だった。
 当時、十六歳だったウミカナは、島添大里按司だった父親(汪英紫(おーえーじ))に命じられて大(うふ)グスク按司の側室になった。二年後、大グスクは汪英紫によって攻め落とされた。ウミカナは救い出されて、大グスク按司になったシタルーのために、大グスクヌルになった。
 父親が山南王になって島尻大里グスクに移ると、島添大里按司になった兄のヤフスを守るために、島添大里ヌルになった。父親が亡くなると、兄のタブチ(八重瀬按司)とシタルーが家督を争って戦になった。島添大里グスクは敵兵に囲まれ、サハチが島添大里グスクを攻め落とした時に捕まった。
 馬天ヌルによって助けられて、島尻大里グスクに送られ、以後、山南王のシタルーを守るために島尻大里ヌルを務めている。戦ばかりやっていた父親を見て育ち、父親や兄たちのために、自分を犠牲にするのは当然の事と思い込んで生きて来たのだった。
「平和な世の中が一番です」と島尻大里ヌルは言って、軽く笑った。
 死を覚悟した事も何度もあった。大グスクに側室に入った時、兄のシタルーは必ず助けると言ったが、手違いがあれば殺されるかもしれなかった。島添大里グスクが敵兵に囲まれて、食糧が底を突いた時も死を覚悟した。落城寸前の所で、敵兵はいなくなって命拾いをしたが、それも一瞬の事で、サハチに攻め落とされた。兄のヤフスは殺され、今度こそは生きてはいられないと覚悟を決めた。ところが、馬天ヌルに助けられた。馬天ヌルは『やるべき事をやりなさい』と言った。自分がやるべき事は、兄のシタルーを守る事だと信じて疑わなかった。
 五年前、母親が八重瀬(えーじ)グスクで亡くなった。ウミカナはシタルーの代理も兼ねて八重瀬グスクに行った。
 八重瀬グスクに来たのは久し振りだった。生まれたのは与座(ゆざ)グスクだったが、翌年、父が八重瀬按司になると八重瀬に移り、父が島添大里按司になった十三歳まで、八重瀬グスクで過ごしていた。その後は八重瀬按司のタブチとシタルーが対立したので、八重瀬に来る事はなかった。
 母親の葬儀を済ませたあと、ウミカナは子供の頃を思い出しながらグスクの周辺を散歩した。タブチとシタルーが家督争いをした時、城下は焼けて、その後、再建された。グスクへと続く道が広くなって、建物が変わっていても、全体的な景色はそれほど変わってはいなかった。母が亡くなった年にタブチは初めて明国に行って交易を始め、城下は年を追う毎に発展するが、その時はまだ、幼い頃の情景が残っていて、ウミカナは様々な事を思い出していた。
 城下の外れに、それほど古くはないウタキがあって、年老いたヌルがお祈りを捧げていた。同じ光景を子供の頃にも見たような気がして、ウミカナは老ヌルに声を掛けた。
 老ヌルは富盛(とぅむい)のヌルだったが、すでに引退していた。ウタキは四十年近く前に殺された八重瀬ヌルのお墓だという。
「可哀想に二十五の若さで亡くなってしまったんじゃよ」と老ヌルは言った。
 四十年近く前、八重瀬按司を滅ぼしたのはウミカナの父だった。二歳だったウミカナは当時の事情はまったく知らなかった。老ヌルから話を聞いて驚いた。
 父は八重瀬按司に絶世の美女を贈り、その美女は父親の按司と息子の若按司を誘惑して、親子で争いを始めた隙を狙って、攻め滅ぼしたという。八重瀬按司の一族は皆殺しにされ、八重瀬岳(えーじだき)のガマ(洞窟)の中に葬られた。城下の人たちは何が起こったのかわからず、一夜にして、按司が入れ替わってしまった。老ヌルは八重瀬ヌルを心配したが、どうなったのかはわからなかった。無事に逃げてくれればいいと願ったが、ある夜、八重瀬ヌルが夢に出て来て、ガマの中の遺体を発見して、丁寧に弔ったという。
 ウミカナは父親のやった事を聞いて愕然(がくぜん)となった。父親が殺した大勢の人たちを弔わなければならないと思った。ふと、馬天ヌルの言葉を思い出した。
 『やるべき事をやりなさい』
 やるべき事とはこの事だったのかもしれないとウミカナは悟った。その後のウミカナは、父親に滅ぼされた八重瀬按司の一族、島添大里按司の一族、大グスク按司の一族、島尻大里按司の一族たちを弔ってきたのだった。
「馬天ヌル様の言った言葉の意味が、ようやくわかりました」とウミカナは晴れ晴れとした顔で言った。
「わたしもあなたを見習わなくてはいけないわね。今の中山王も大勢の兵たちを殺してしまったわ。南風原(ふぇーばる)で戦死した人たちを弔わなければならなかったのに、すっかり忘れていたわ。思い出させてくれて、ありがとう」
 麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)は島尻大里ヌルの話を聞いて、気がつく事があった。今まで、両親を殺されて、その敵(かたき)を討つ事ばかり考えてきたが、祖父が与論按司(ゆんぬあじ)になった時、滅ぼされた人たちがいたのだった。詳しい事はわからないが、殺された人たちは祖父を恨んでいるに違いなかった。与論島(ゆんぬじま)に戻ったら、それらの人たちを弔わなければならないと思った。
 島尻大里ヌルと別れた馬天ヌルたちは、大村渠(うふんだかり)ヌル、伊敷(いしき)ヌル、李仲(りーぢょん)ヌル、真壁ヌル、米須(くみし)ヌルと会った。米須では若按司の息子とも会った。マルク(真六)という名の息子は、弓矢の稽古に励んでいた。母親はタブチの娘だという。クマヌ(先代中グスク按司)の孫娘の嫁ぎ先には悪くないと馬天ヌルは思った。
 米須ヌルの紹介で、小渡(うる)ヌルと会った。以前は越来(ぐいく)の若ヌルだったが、越来グスクを奪われて、伯父の米須按司を頼って米須に来て、今は小渡(大度)のヌルになっているという。娘と一緒に小舟(さぶに)に乗って、海に潜って魚を捕っている変わったヌルだった。鉢巻きをして袖のない丈(たけ)の短い着物を着て、トゥジャ(モリ)を持って海に潜っていた。
 娘と一緒に小舟から降りて来たので、馬天ヌルが挨拶をすると、噂は聞いていると笑った。その笑顔が何ともさわやかで、馬天ヌルは一瞬で小渡ヌルが好きになった。
 話を聞いて驚いた。五年前に小渡ヌルは島添大里グスクの佐敷ヌルの屋敷に半年間、住み着いて、剣術を習っていたという。さらに、去年の六月には運玉森(うんたまむい)に行って、ヂャンサンフォン(張三豊)のもとで一か月の修行も積んだと言った。
「佐敷ヌルから、あなたの事は聞いた事ないわ」と馬天ヌルが言うと、
「だって、あの頃のわたしはまったくの素人で、木剣の持ち方も知らなかったのです。佐敷ヌル様に憧れて、わたしも強くなりたいと思って、教えてくださいと頼み込んだのです。雑用をしながらお稽古に励みました。きっと、佐敷ヌル様はもう忘れている事でしょう」と言った。
「ヂャンサンフォン様の事はどうして知ったの?」
「八重瀬の若ヌルから聞きました。あの子、時々、遊びに来るのです。一緒に剣術や弓矢のお稽古をするのです。一緒に海にも潜ります。あの子が、ヂャンサンフォン様のもとで一か月の修行を積んだら、体が軽くなって、剣術も上達したって言ったので、わたしも訪ねて行ったのです。ヂャンサンフォン様は快く引き受けてくれて、遊女屋(じゅりぬやー)の女将さん(ナーサ)と遊女(じゅり)のマユミさんと一緒に修行をしたのです」
「そうだったの。首里(すい)に来る事があったら、わたしを訪ねてね。歓迎するわよ」
 小渡ヌルと別れて、真栄平(めーでーら)ヌル、与座ヌル、慶留(ぎる)ヌル(先代島尻大里ヌル)と会い、八重瀬に行って、ウミカナの姉の八重瀬ヌルと会った。八重瀬ヌルと一緒に、タブチの側室になった奥間のミミがいて、奥間ヌルとの再会を喜んでいた。
「ヌル様、どうしてこんな所にいらっしゃるのです?」
「馬天ヌル様が奥間に来てね、それからずっと一緒にウタキ巡りの旅をしているのよ」
「そうだったのですか。驚きましたよ」
「どう、元気でやっている?」
「ええ、楽しくやっております。按司様(あじぬめー)は毎年、明国にいらっしゃって、珍しいお土産を持って来てくれます」とミミは楽しそうに笑った。
 八重瀬の城下は活気に満ちて賑わっていた。大通りには色々な店が並んでいて、『まるずや』ではないが、古着を扱っている店もあり、『唐物屋(とーむんや)』という明国の品々を売る店もあった。タブチが明国から持って来た銅銭が流通していて、城下は豊かになっていた。
 八重瀬から玻名(はな)グスク、具志頭(ぐしちゃん)、糸数(いちかじ)を巡って玉グスクに着いた。馬天ヌルたちは玉グスク按司の奥方、マナミーに歓迎された。
「叔母様、お久し振りです」
「そうね。本当に久し振りだわ。見違えてしまうわね。マナミーが奥方様(うなじゃら)になったなんてねえ」
「叔母様は相変わらず、若いですね。昔とちっとも変わらないわ」
「そんな事ないのよ。気持ちは若いんだけど、体が付いて行かないのよ」
 麦屋ヌルが馬天ヌルを見ながら首を振った。
「一緒に旅をしてわかりました。馬天ヌル様は若いですよ。山の中のウタキに行った時なんて、わたしが息切れしても、馬天ヌル様はさっさと行ってしまうわ」
「本当ですよ」と奥間ヌルも言った。
「あら、そうかしら。きっと、ヂャンサンフォン様のお陰ね。あなたたちもヂャンサンフォン様のもとで修行をするといいわ」
「妹のウミタルもヂャンサンフォン様のもとで修行を積んで、今は女子サムレーたちを鍛えているのですよ」とマナミーが言った。
「そうですってね。佐敷ヌルから聞いたわ」
 馬天ヌルは一緒にいるヌルたちをマナミーに紹介して、玉グスクヌルを呼んでもらった。
 玉グスクヌルはマナミーの義姉で、マナミーの長女は若ヌルになっていた。
「二百年くらい前の話なんだけど、玉グスク按司の息子でヤマトゥに行ったきり、帰って来ない人がいるんだけど知らない?」と馬天ヌルは聞いたが、玉グスクヌルは驚いた顔をして、首を振った。
「二百年も前の事なんて、わかりませんよ。何年か前に佐敷ヌル様が来て、英祖様の宝刀を探していたけど、それと関係があるのですか」
「宝刀とは関係ないけど、英祖様とは関係あるわ。その人が英祖様のお父様かもしれないのよ」
「英祖様は、玉グスク按司と同じ御先祖様を持つ天孫氏(てぃんすんし)だと、先代から伺っておりますが、英祖様のお父様が玉グスク按司の息子だったなんて聞いた事がありません」
 馬天ヌルたちは玉グスクヌルと一緒に、歴代の玉グスクヌルのお墓に行って、神様に聞いてみた。豊玉姫(とよたまひめ)のお陰か、神様たちは進んで話をしてくれ、二百年前にヤマトゥに行ったきり帰って来ない者がいた事がわかった。でも、それは玉グスク按司の息子ではなく、玉グスク按司の三男の志喜屋大主(しちゃうふぬし)の次男だった。
「その人、伊祖(いーじゅ)ヌルに嘘をついたようね」と馬天ヌルが言うと、
「それは違います」とカナは言った。
「伊祖ヌル様は玉グスク生まれのグルーという名前しか知らなかったのです。伊祖ヌル様が妊娠したあと、父親の伊祖按司が玉グスクに人をやって調べさせて、玉グスク按司の息子だったと伊祖ヌルに言ったようです。きっと、玉グスク按司の三男の次男だったなんて言えなかったのでしょう。玉グスク按司の息子だったら、何も隠す必要はありません。三男の次男だったので隠してしまって、父親はティーダ(太陽)だったという事にしたのだと思います」
「そうかもしれないわね」と馬天ヌルも納得した。
 その夜は玉グスク按司のお世話になって、次の日、垣花(かきぬはな)に行った。垣花ヌルと会い、若按司の息子、マグサンルー(孫三郎)とも会った。
 マグサンルーは来年、従者として明国に行くと言って、叔父のクーチから教わった明国の言葉を必死になって覚えていた。使者になるために、クーチは今、四度目の唐旅(とーたび)に出ている。マグサンルーも悪くはないと馬天ヌルは思った。
 米須のマルクも垣花のマグサンルーも甲乙つけがたかった。あとは政治的な問題だった。東方(あがりかた)には玉グスクと知念(ちにん)に、サハチの妹がいる。山南王を押さえつけるには、米須に中グスク按司の娘を送った方がいいような気がした。
 垣花から志喜屋(しちゃ)に行って、志喜屋ヌルと会ったが、豊玉姫のガーラダマ(勾玉)を預かっていた先代は亡くなっていた。前回のウタキ巡りの旅の時、馬天ヌルが志喜屋に来て、お礼を言った翌年に亡くなったという。跡を継いだ先代の姪が馬天ヌルたちを歓迎してくれた。志喜屋ヌルと一緒にウタキを巡って、神様の話から、志喜屋大主の次男でヤマトゥに行ったきり帰って来ない者がいた事が確認された。
 知念に行って、若按司の妻のマカマドゥに歓迎され、知念ヌルと一緒に古いウタキを巡った。久手堅(くでぃきん)ヌルと一緒にセーファウタキ(斎場御嶽)に行って、豊玉姫とアマン姫に挨拶をして、翌日、久高島に渡ったのだった。
 佐敷ヌルから話に聞いていた『セーファウタキ』は凄いウタキだった。ここに来られただけでも、馬天ヌルと一緒に旅をしてよかったと奥間ヌルは感激した。麦屋ヌルも豊見グスクヌルも東松田(あがりまちだ)の若ヌルもカミーも凄いウタキだと感動していた。
 カナは三年前、運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)に連れられてセーファウタキに来て、ここで儀式を行なって浦添ヌルになった。その時、運玉森ヌルも豊玉姫の事は知らなかった。このウタキが豊玉姫を祀っている事を探り出したのはササだった。今更ながら、カナはササの凄さを思い知っていた。
 久高島でフカマヌルのお世話になって、大里(うふざとぅ)ヌルとも会って、フボーヌムイ(フボー御嶽)でお祈りを捧げた。フカマヌルがサハチの妹だと知ると、奥間ヌルは密かに、あたしの妹でもあるわけねと思った。十歳になる可愛い娘がいて、カミーと仲よく遊んでいた。二人を見ながら、娘のミワも連れて来ればよかったと後悔した。
 久高島をあとにした一行は平田、手登根(てぃりくん)、佐敷、大(うふ)グスクとウタキ巡りをして、島添大里グスクに行った。奥間ヌルは馬天ヌルに紹介されて、サハチの弟の佐敷大親(さしきうふや)、平田大親、手登根大親と会った。あともう一人、弟が与那原(ゆなばる)にいて、今、ヤマトゥ旅に出ているという。立派な弟が随分いたのねと奥間ヌルは驚いた。
 島添大里グスクではサハチの娘のサスカサ(島添大里ヌル)と会い、ユリとも再会した。ユリが無事なのは、奥間に来たヒューガ(日向大親)から聞いていたが、会うのは十年振りだった。
「去年の末、サタルー様と再会して、今度は奥間ヌル様に会えるなんて、まるで、夢のようです。奥間からはるばるやって来たのですね」
「馬天ヌル様のお陰で、楽しい旅ができたわ。セーファウタキで、豊玉姫様にお会いして、わたしも天孫氏だってわかったのよ」
天孫氏?」
豊玉姫様の子孫だっていう事よ。わたしは奥間生まれだから、ヤマトゥの血を引いているものと思っていたんだけど、安須森(あしむい)がヤマトゥのサムレーに滅ぼされた時、奥間まで逃げて来たヌルがいたの。そのヌルが奥間大主(うくまうふぬし)と結ばれて、三人の娘を産んだのよ。その娘たちの血を引く女たちが奥間にも何人もいて、わたしの母親も天孫氏だったって豊玉姫様はおっしゃったわ」
「そうなんですか」とユリには何の事だか、さっぱりわからなかったが、奥間ヌルが喜んでいるのだから、きっと素晴らしい事なのだろうと一緒になって喜んだ。
 サハチは島添大里グスクにいなかった。今、首里グスクの北曲輪(にしくるわ)の石垣を普請中なので、首里にいる事が多いという。奥間ヌルはサハチの側室のナツと会った。もう一人の側室のハルは佐敷ヌルの屋敷で、ユリとシビーと一緒にお芝居の事を考えていた。
 ナツには六歳の息子がいると聞いて、わたしの方が先だわと心の中で喜んだ。その心の中を覗こうとしているかのように、ナツは奥間ヌルをじっと見つめて、
按司様(あじぬめー)がいつもお世話になって、ありがとうございます」と言った。
「お世話だなんて、そんな‥‥‥按司様のお世話になっているのはわたし共、奥間の者たちです。按司様のお陰で、毎年、たくさんの鉄が奥間にやって来て、皆、喜んでおります」
 ナツは女の勘で、サハチと奥間ヌルの関係を見破っていた。しかし、奥間の人たちはサハチを必要としているし、サハチも奥間の人たちの力を必要としている。お互いに結び付きを強めるためには仕方がない事なんだと悟った。
按司様にはもう一人、側室がおります」とナツは言った。
「来月、旧港(ジゥガン)(パレンバン)からやって来ます。唐人(とーんちゅ)です」
「えっ、唐人の側室がいるのですか」
「明国に行った時に、お世話になったようです。それに、ヤマトゥにも側室ではありませんが、按司様の娘を産んだ人がいて、今年の正月に琉球にやって来ました。先月、帰ったばかりです」
「そうなのですか」と言いながら、あの『龍』は意外にも、女たらしだわと奥間ヌルは思っていた。
 サスカサの案内で、島添大里の古いウタキを巡ってお祈りをして、六年前に決戦が行なわれた南風原の戦場跡に向かい、大勢の戦死者たちを弔ってから、馬天ヌルの一行は首里へと帰った。


 その頃、座波ヌルの屋敷では、山南王のシタルーが座波ヌルと一緒に酒を飲みながら、今後の事を考えていた。
「ようやく、新しい進貢船(しんくんしん)を下賜(かし)してもらったので、来年は二度、進貢船を送れる」とシタルーは言った。
「中山王を倒す事ばかり考えていて、交易に関して、中山王にすっかり遅れを取ってしまった。三人の王が同盟して、それぞれ、やりたい事をやっている。わしもしばらくは領内をまとめる事に力を入れる事としよう」
「それがいいですよ。攻めるだけでなく、時にはじっと待つ事も必要です」
「今はじっと待つ時期か」
「そうです。数日前に馬天ヌル様が見えました」
「また、ウタキ巡りをしているそうじゃな。ウタキを拝むのがヌルの仕事だが、そんな事をして何が面白いのじゃろう。わしにはわからんよ」
「豊見グスクヌルも一緒にいましたよ」
「そうらしいな。あいつは以前から、馬天ヌルを尊敬していた。一緒に旅をするのもいいじゃろう」
「ウタキを巡るには、その土地のヌルに会わなければなりません。馬天ヌル様は各地のヌルたちに慕われております。馬天ヌル様はヤンバルの奥間ヌル、読谷山(ゆんたんじゃ)の東松田の若ヌル、なぜか、十歳くらいのヤンバルの娘も連れていました。各地のヌルたちが皆、馬天ヌル様に従うようになったらどうなると思います?」
「ヌルたちを従えたからといって、どうもなるまい」
「そうかしら? あなたは明国に留学して、進歩的なお考えをお持ちで、ヌルたちの力を信じないようだけど、各地の按司たちは何か重要な事が起こった時には、必ずヌルに相談します。戦が起こった時も当然、ヌルに伺いを立てます。ヌルが中山王に従えと言ったら、按司たちは従うのです」
「そうか。そこまで考えなかった」
「あなたの娘の豊見グスクヌルは、馬天ヌル様に敵対する事はないでしょう」
「豊見グスクヌルだけではない。妹の島尻大里ヌルも馬天ヌルを尊敬している。わしは中山王を相手に戦ができんという事か」
「そういう事です」
「馬天ヌルを何とかしなくてはならんな」とシタルーは言った。
「馬天ヌル様は大きな力に守られています」
「倒す事はできんというのか」
「無理です。倒せたとしても、あなたの周りに災いが起こるでしょう。今はじっと待っている時なのです」
「待っていて、何が変わるというのじゃ。馬天ヌルの天命が尽きるのか。それとも、中山王の天命が尽きるか。中山王が亡くなっても、サハチがいる。やはり、サハチを倒さなければならんのか。タルムイ(豊見グスク按司)のためにも、サハチは倒さなくてはならん」
「タルムイのためには、島添大里按司はいた方がいいわ。タルムイを守ってくれるでしょう」
「わしはタルムイを中山王にしてやりたかったんじゃ。そのためにあんな立派なグスクも築いた。苦労して造った首里グスクをサハチに奪われちまった。何もしませんと言った顔をしながら、島添大里グスクを奪い取り、首里グスクも奪い取った。思い出しただけでも腹が立ってくる」
 シタルーは苦虫をかみ殺したような顔で酒を飲み干した。座波ヌルは酒を注いでやり、
「ハルは島添大里で楽しく過ごしているそうですよ」と笑った。
「ふん」とシタルーは鼻を鳴らした。
「ハルで安心させて、刺客(しかく)を送るつもりじゃったのに、お前に言われて中止した。あの時、実行していたら、どうなっていたじゃろう」
「失敗していたでしょう。そして、ここに中山王の刺客が現れて、あなたもわたしも殺されたかもしれません」
「サハチが俺を殺すのか。あいつにはできんじゃろう。兄貴を殺そうとした時も、お前はやめさせた」
「八重瀬按司様は放っておいても、あなたよりも先に亡くなります」
「そうかな。兄貴もしぶといからな。兄貴と米須按司と玻名グスク按司、この三人が亡くなれば、南部も平定しやすくなる」
「それまで、じっと待つのです」と座波ヌルは言って、酒を一口なめた。

 

 

 

沖縄二高女看護隊 チーコの青春   天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記

2-108.舜天(改訂決定稿)

 奥間(うくま)ヌルが首里(すい)に来た。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は驚いて、焦った。一昨年(おととし)の冬、ウニタキ(三星大親)と一緒に伊平屋島(いひゃじま)に行く途中、奥間に寄って会った時、奥間ヌルは、いつか首里に行きたいと言っていた。しかし、娘のミワがまだ幼いので、五年後くらいだろうと思って安心していた。勘のいいマチルギが奥間ヌルと会って、すべてがばれてしまうのではないかと恐れた。
 サハチは首里グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)の二階で、亡くなったクマヌ(先代中グスク按司)から頼まれていた孫娘の嫁ぎ先を探していた。ウニタキの配下や奥間大親(うくまうふや)(ヤキチ)の配下に頼んで、各地の按司の子供たちを調べさせた書類を見ていた。
 知らせを持って来た侍女は、マチルギが迎えに出たと言っていた。サハチも迎えに行きたいが、余計な事を勘ぐられるような気がして、やめた。しかし、出迎えに行かなければ、逆に怪しまれるような気がして、サハチは立ち上がった。
 どやどやと階段を登って来る音がして、マチルギが奥間ヌルを連れて来た。馬天(ばてぃん)ヌル、運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)、マチとサチとカミー、見た事もない若いヌルもいた。ヂャンサンフォン(張三豊)と奥間大親も一緒だった。
「お久し振り」と奥間ヌルはサハチに手を上げた。
 やけに陽気だった。
「ようこそ」とサハチは笑って、
「サタルーが留守なのに、出て来て大丈夫なのですか」と奥間ヌルに聞いた。
「長老がいるから大丈夫ですよ」
「いい旅だったわ」と馬天ヌルが言った。
「あたしが南部のウタキ(御嶽)を巡ると言ったら、一緒に行くと言って、奥間ヌルも付いて来たのよ」
「その娘は誰です?」とサハチは知らない若ヌルを見た。
「読谷山(ゆんたんじゃ)の東松田(あがりまちだ)の若ヌルよ。一緒に安須森(あしむい)まで行って来たの。南部も一緒に巡るわ」
 東松田の若ヌルは恥ずかしそうな顔をして、サハチに挨拶をした。マチやサチよりも若くて、綺麗な目をした娘だとサハチは思った。
 侍女にお茶を出すように命じて、サハチはみんなから旅の話を聞いた。
 運天泊(うんてぃんどぅまい)の勢理客(じっちゃく)ヌルの屋敷に突然、湧川大主(わくがーうふぬし)が現れて、ヂャンサンフォンは十日間、湧川大主と勢理客ヌルに武当拳(ウーダンけん)を指導したという。湧川大主から明国(みんこく)の海賊の耳に入って、ヂャンサンフォンが琉球にいる事がばれないかとサハチは心配した。
 安須森の麓(ふもと)の辺戸(ふぃる)村で馬天ヌルは、佐敷ヌルと同じように神様扱いをされて参ったと言った。安須森は凄いウタキで、馬天ヌルと運玉森ヌルは神様たちから色々な事を教わってきたらしい。安須森には三日間滞在して、奥間に戻って、ゆっくり休んでから運天泊に行って、ヂャンサンフォンと合流して帰って来たという。勝連(かちりん)に寄った時、山伏姿のテーラー(瀬底之子)と会ったと言った。
テーラーが山伏?」とサハチは不思議そうに聞いた。
「最初、わからなかったのよ。向こうから近づいて来て名乗ったわ。どうして、そんな格好をしているのって聞いたら、若い頃、今帰仁(なきじん)にいるアタグ(愛宕)という山伏と一緒に旅をした事があって、山伏の格好をしていれば気ままに旅ができるので、そうしているって言っていたわ」
「中部のグスクを調べているんですかね?」
「多分、そうでしょうね。山北王(さんほくおう)(攀安知)もやるべき事はちゃんとやっているという事ね。ウニタキの『まるずや』は、どこに行っても喜ばれているわよ。今帰仁と名護(なぐ)には『よろずや』があったけど、恩納(うんな)、羽地(はにじ)、国頭(くんじゃん)、金武(きん)にはなかったから、みんな、助かっているって言っていたわ。ウニタキに負けられないから、あたしもヌルたちと仲よくなってきたわよ」
 暗くならないうちに帰ると言って、ヂャンサンフォンと運玉森ヌルはマチとサチを連れて、与那原(ゆなばる)グスクに帰って行った。
「ちょっとわからない事があるのよ」と馬天ヌルは言った。
「安須森の神様たちは殺された恨みからマジムン(怨霊)になってしまったので、朝盛法師(とももりほうし)に封印されてしまったわ。安須森ヌルを継ぐ者が現れた時に、封印は解けると言ったらしいの。そして、佐敷ヌルが安須森に行って、封印は解けたわ。封印されていた二百年の間に神様の怒りも恨みも治まって、神様は皆、喜んでいるわ。そんな凄いシジ(霊力)を持っていた朝盛法師のウタキが、どこかに必ずあるはずなんだけど、それがどこだかわからないのよ」
「朝盛法師は舜天(しゅんてぃん)(初代浦添按司)に仕えて、浦添(うらしい)で亡くなったんじゃないのですか」とサハチは言った。
「久高島(くだかじま)の大里(うふざとぅ)ヌルの神様の話だと、琉球の娘と一緒になって子供もできたって言っていたわ。子孫もいるはずなのよ」
「二百年も前の話ですからね。朝盛法師の子孫たちも、舜天の一族と一緒に滅ぼされてしまったんじゃないですか」
「そうかもしれないけど、ウタキはあるはずだわ」
「朝盛法師のウタキを探すつもりなのですね」とサハチが聞くと、馬天ヌルは神妙な顔をしてうなづいて、「お礼を言わなければならないわ」と言った。
「あたし、若い頃に、先代の奥間ヌル様と屋嘉比(やはび)のお婆と一緒に、旅をした事があるんです」と奥間ヌルが言った。
「その時、浦添にヤマトゥンチュ(日本人)のウタキがあったのを覚えています。どうしてこんな所にヤマトゥンチュのウタキがあるんだろうと不思議に思って覚えているんです」
「そのウタキが朝盛法師のウタキなの?」と馬天ヌルは目の色を変えて聞いた。
 奥間ヌルは首を傾げた。
「あたしには神様の声は聞こえませんでした。先代に聞いたら、昔の浦添按司の御先祖様だろうと言っていました。奥間の御先祖様もヤマトゥンチュなので、ヤマトゥンチュのウタキにお祈りを捧げたようです」
「その場所、覚えている?」
浦添グスクの西(いり)の方の小高い丘の上にありました。行けばわかると思います」
 馬天ヌルは満足そうにうなづいて、「明日、行ってみましょう」と言った。
 前回のウタキ巡りの旅の時、浦添のウタキも巡ったけど、馬天ヌルにはヤマトゥンチュのウタキの記憶はなかった。
「叔母さん、また、南部のウタキを巡るのですか」とサハチは馬天ヌルに聞いた。
「巡るわ。ヌルたちの世代が代わっているのよ。新しいヌルたちに挨拶に行ってくるわ」
「亡くなったクマヌに頼まれている事があるんです。孫娘のマナミーの嫁ぎ先を考えてくれって言われたんです。候補に挙がったのが二人いて、叔母さんにどっちがいいか見極めてきてほしいのですが」
「いいわよ。誰と誰なの?」
「一人は垣花(かきぬはな)の若按司の長男のマグサンルー。もう一人は米須(くみし)の若按司の長男のマルクです。二人とも十六で、マナミーと同い年なんです。来年、婚礼を挙げたいと思っています」
「垣花と米須ね。わかったわ。会って来るわ」
「お願いします」
 水を浴びて、さっぱりしましょうと言って、ヌルたちは帰って行った。
「マナミーの相手が見つかったのね」とマチルギがサハチに言った。
「ああ、疲れたよ。クマヌの頼みだからな。将来、按司になる者に嫁がせたかったんだ。何とか、二人、見つかった」
「垣花と米須か‥‥‥」とマチルギは少し考えてから、「どちらかと言えば、米須の方がいいかもね」と言った。
「俺もそう思うが、相手の都合もあるからな。すでに相手が決まっているかもしれない」
「そうね。でも、中グスク按司の娘なら誰も文句は言わないわよ」
「神様の思し召しに任せよう」
 マチルギはニヤニヤしながら、
「奥間ヌルに初めて会ったけど、妖艶な人ね。あなた、惑わされなかったの?」と聞いた。
「何となく、雰囲気が変わったような気がしたよ。奥間で見た時は、近寄りがたい雰囲気があったけど、馬天ヌルと旅をしたせいか、以前よりも明るくなったような気がする」
「佐敷ヌルの影響かもね。二人は同い年で、仲良しになったって言っていたわ」
「ほう、二人は同い年だったのか」
「今晩、お屋敷にみんなを呼んで飲みましょう」とマチルギは笑って去って行った。
 ササの影響か、マチルギも最近は酒を飲んでいるようだった。
 その夜、奥間ヌルも一緒に飲んだが、奥間ヌルもわきまえていて、娘の父親はマレビト神だと言っただけで誰とは言わず、うまくごまかしていた。そして、マチルギ、麦屋ヌル、奥間ヌルの三人は同年配で意気投合して、馬天ヌルだけがはじき出された感じで、カミーと東松田の若ヌルが待っていると言って早々と引き上げて行った。
 サハチも三人の話にはついて行けず、その場から去って早めに休んだ。


 翌日、馬天ヌル、麦屋ヌル、奥間ヌル、東松田の若ヌルとカミーは浦添に行き、浦添ヌルのカナと会って、ヤマトゥンチュのウタキに向かった。奥間大親は付いては行かず、配下の者たちに陰ながらの護衛を頼んだ。
 カナはチフィウフジン(聞得大君)の神様からヤマトゥンチュのウタキの話は聞いていて、場所を知っていた。古いウタキなんだけど、詳しい事はチフィウフジンの神様にもわからないらしい。カナも時々、お祈りをしているが、そこで神様の声は聞いた事がないという。
「そのウタキは何て呼ばれているの?」と馬天ヌルが聞くと、
「トゥムイダキです」とカナは答えた。
「えっ!」と馬天ヌルは驚いて、麦屋ヌルと奥間ヌルを見た。
「トゥムムイ(朝盛)がトゥムイになまったに違いないわ」
 カナの案内でトゥムイダキに行った一行は、小高い山に登って、山頂にある岩にお祈りを捧げた。馬天ヌルも初めて来たウタキだった。
「そなたはチフィウフジンか」と言う神様の声を馬天ヌルは聞いた。
「違います。わたしの神名(かみなー)はティーダシル(日代)です」
「どうして、チフィウフジンのガーラダマ(勾玉)を持っているんだ?」
「神様のお導きです」
「そうか。そなたは中山王(ちゅうさんおう)を守っているのだな」
「そうです。神様は朝盛法師殿ですか」
「ほう。わしの名を知っておるのか。すでに忘れ去られたものと思っていた」
「神様のお陰で、安須森の封印が解けました。ありがとうございます」
「なに、封印が解けた? 安須森ヌルを継ぐ者が現れたのか」
「はい。わたしの姪の佐敷ヌルです」
「そうか。封印が解けたか。それはよかった。すでに、マジムンはおらんじゃろう」
「はい。マジムンは消えて。神様たちが復活しました」
「よかったのう」
「このガーラダマは、理有法師(りゆうほうし)から取り戻したのですか」
「そうじゃ。真玉添(まだんすい)ヌルのガーラダマじゃったが、真玉添ヌルは殺されて、ガーラダマは奪われた。理有法師が連れて来た巫女(みこ)が持っていたんじゃが、奪い返して、舜天の妹の浦添ヌルのものとなった。舜天の妹は、真玉添ヌルの神名の『チフィウフジン』を継いで、そのガーラダマも受け継いだんじゃ。舜天の一族が滅ぼされて、英祖(えいそ)の時代になっても、浦添ヌルは代々、チフィウフジンを名乗って、そのガーラダマを身に付けていた。英祖の時代から察度(さとぅ)(先々代中山王)に変わる時に、行方知れずになってしまったようじゃ。見つかってよかった。それはかなり古い貴重なガーラダマじゃよ」
「舜天様とその妹の初代浦添ヌル様にも挨拶をしたいのですが、ウタキはどこにあるのでしょうか」
「舜天の墓は浦添グスクの裏にあったんじゃが、英祖に滅ぼされた時、当時の浦添按司、義本(ぎふん)の弟の仲順大主(ちゅんじゅんうふぬし)によって、遺骨は中グスクの北(にし)にある仲順に移されたんじゃよ。ナシムイという丘の上にある。ただし、女子(いなぐ)は入れんよ」
「どうして、女子が入れないのですか」
「仲順大主はヤマトゥ(日本)に行った事があって、ヤマトゥにある女人禁制(にょにんきんぜい)の山の真似をしたんじゃよ。山の中のウタキに入って来るのはヌルたちじゃからな。ウタキが荒らされないように、女子が入れないようにしたんじゃろう」
「今でも女人禁制なのですか」
「仲順大主の子孫が守っているから、女子は入れんよ」
 馬天ヌルは思い出していた。前回のウタキ巡りの時、中グスクヌルに案内されて、中グスクの北にある集落に行った時、女子が入れないウタキがあった。中グスクヌルの話だと、仲順の御先祖様を祀っている神聖な山だと言った。入れないなら仕方がないと行かなかったが、まさか、あれが舜天の墓だったなんて思いもしなかった。
浦添ヌルのウタキは、男が入れん普通のウタキじゃよ」と神様は言った。
浦添ヌル様のウタキはどこにあるのですか」
「舜天の墓と山続きじゃ。一番高い所が喜舎場森(きさばむい)というウタキで、舜天時代の代々の浦添ヌルを祀っている。これも浦添グスクの裏にあったのを、按司の弟の喜舎場大主(きさばうふぬし)が向こうに移したんじゃよ」
「ありがとうございます。さっそく、挨拶に行って参ります。ところで、このウタキを守る子孫の方はいらっしゃらないのですか」
「残念ながら、滅ぼされてしまったんじゃよ」
「そうでしたか。新しい浦添ヌルに守らせます」
「そうか。すまんのう。それにしても、二百年も続いた浦添の都がこんなにも静かになるなんて思わなかったぞ」
「わたしが以前のように栄えさせます」とカナが言った。
 馬天ヌルは驚いて、カナを見た。
「あなた、聞こえるの?」と馬天ヌルはカナに聞いた。
 カナはうなづいた。
 馬天ヌルは麦屋ヌルと奥間ヌルを見た。麦屋ヌルも奥間ヌルも首を振った。
 ササが言った通り、カナは凄いシジを持っているようだった。
 朝盛法師の神様と別れて、一行は喜舎場森に向かった。カナも一緒に付いて来た。
 歩きながらカナは、
「やっぱり、馬天ヌル様は凄いですね」と言った。
「実はあのウタキにササたちを連れて行ったんです。でも、神様は何もおっしゃいませんでした。今回もそうだろうと思ったのに、神様は現れました」
「あら、ササもあそこに行ったの? そうだったの。神様は留守だったのかしら?」
 カナは楽しそうに笑った。
「馬天ヌル様、英祖様なんですけど、父親が誰だか知っています?」とカナは真顔に戻って聞いた。
浦添グスクの近くにあった伊祖(いーじゅ)グスクの按司が英祖様の父親でしょ」と馬天ヌルは答えた。
「わたしも佐敷ヌル様からそう聞きました。でも、違うようなのです」
「何が違うの?」
「英祖様の母親は伊祖按司の娘の伊祖ヌルなんです。英祖様の母親も『ユードゥリ(浦添ようどれ)』に眠っていて、その母親の話によると、英祖様の父親は玉グスク按司の息子で、『サクライノミヤ』というヤマトゥから来た山伏と一緒にヤマトゥに行ったきり帰って来なかったと言うのです」
「えっ!」と馬天ヌルは驚いて立ち止まった。
「すると、英祖様の父親はマレビト神だったの?」
「そういう事になります。マレビト神がティーダ(太陽)の神様に変わって、英祖様はティーダの子だと言われるようになったようです」
「成程ね‥‥‥父親が玉グスク按司の息子なら天孫氏(てぃんすんし)だわね」
「それは、そうとも限らないようです。肝心なのは母親が天孫氏かどうかなんです。玉グスク按司天孫氏ではない娘を妻に迎えると、生まれてくる子供は天孫氏ではありません」
「母親の血筋を重んじるという事ね」
「そうなんです。神様は母親の血筋を重んじるので、父親がヤマトゥンチュでも、母親が天孫氏なら、その子は天孫氏なんだそうです」
「すると、舜天様も母親が大里ヌルだから天孫氏って事なのね」
「そうです。察度様の母親は英慈(えいじ)様(英祖の孫)の孫娘ですから、多分、察度様も天孫氏です。武寧(ぶねい)(先代中山王)は母親が高麗人(こーれーんちゅ)ですから天孫氏ではありません。中山王(うしゅがなしめー)(思紹)は母親が大(うふ)グスク按司の娘なので、天孫氏だと思います。島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(サハチ)様の母親は越来按司(ぐいくあじ)(美里之子)のお姉さんなので、天孫氏だと思います。奥方様(うなじゃら)(マチルギ)の母親は伊波大主(いーふぁうふぬし)の娘さんで、天孫氏かどうかはわかりません。伊波大主の御先祖様が玉グスクとつながりがあれば、天孫氏になります。男の人が天孫氏だったとしても、天孫氏以外の女の人を妻に迎えると、その子は天孫氏ではなくなってしまいます」
「その逆も言えるわね。男の人が天孫氏でなくても、天孫氏の女を妻に迎えれば、子供は天孫氏になるわ」
「そうなんです。ただ、自分が天孫氏かどうかを調べるのは難しい事です。母親の出自を調べなければなりません。わたしの母は大グスクの武将の娘です。一族は皆、戦死してしまったので、出自はわかりません」
「そうね。母親の出自をたどるのは難しいわね」
 カナはうなづいた。
 馬天ヌルの母親は大グスク按司の娘だが、その母親が天孫氏だったかどうかはわからない。父(サミガー大主)の母親は我喜屋(がんじゃ)ヌルだが、やはり、天孫氏かどうかはわからなかった。でも、豊玉姫(とよたまひめ)様が守ると約束したので、兄もサハチも天孫氏に違いないと思った。
「そうか。父親の血筋でいったら、玉依姫(たまよりひめ)様もアマン姫様もヤマトゥンチュになってしまうものね。豊玉姫様の血を引く娘たちを母親に持った人たちが天孫氏なのね」
「そうなんです。それで、英祖様の父親の事なんですけど、母親の伊祖ヌル様から、ヤマトゥに行ったあと、どうなったのか調べてほしいと言われたのです」
 馬天ヌルはカナを見て笑った。
「神様から願い事を頼まれるなんて、凄いじゃない。ササと一緒に調べるといいわ。ササに、その事を言ったの?」
「その事を神様から頼まれたのは、ササがヤマトゥに行ったあとでした」
「来年、ササと一緒にヤマトゥに行ってらっしゃい」
「でも、どうやって調べるのですか」
「何か手掛かりはないの?」
「名前はグルー(五郎)で、玉グスク按司の息子さんなんだけど、若按司じゃなかったようです。旅をするのが好きで、大雨が降っている晩に雨宿りに来て、一夜を共にして、その後、三度会っただけで、ヤマトゥに行ってしまったそうです。別れる時に、ヤマトゥ歌を一首、残したそうで、伊祖ヌル様はそのヤマトゥ歌をずっと守り神のように大切にしていたようです」
「ヤマトゥ歌?」
「今でも、そのヤマトゥ歌を覚えておりました」
 カナは懐から紙切れを出して、馬天ヌルに見せた。ひらがなでヤマトゥ歌(和歌)が書いてあった。
「うむかぎぬ わすらるまじき わかりかな なぐりをひとぅぬ つきにとぅどぅみてぃ」と馬天ヌルは読んだ。
「面影が忘れられない別れかな。名残を人の月にとどめて‥‥‥恋の歌みたいね」
西行法師(さいぎょうほうし)というヤマトゥのお坊さんのヤマトゥ歌だそうです」
「えっ、西行法師?」
「馬天ヌル様は知っているのですか」
 馬天ヌルは笑った。
「兄が好きな歌人よ。旅をしながら歌を詠んだお坊さんで、兄は西行法師のように旅がしたいと言って隠居したのよ。兄は『東行法師(とうぎょうほうし)』って名乗っていたわ」
「そうだったのですか。でも、西行法師の歌だけでは探しようがないですね」
「一緒に行ったというヤマトゥの山伏を調べればわかるんじゃないの。どこの山伏だかわからないの?」
「熊野(くまぬ)の山伏です。浮島(那覇)の波之上(なみのえ)に熊野権現(くまぬごんげん)を建てたのが、その山伏だったそうです」
「そうだったの。熊野権現を建てたという事は、偉い山伏だったのかもしれないわね。波之上の護国寺(ぐくくじ)には行って来たの?」
「まだなんです」
「行けば何かわかるに違いないわ。喜舎場森に行ったら、次に浮島に行きましょう」
「いいんですか」
「あたしたちは今、旅の途中なの。その時の成り行きで動くのが、旅の楽しいところなのよ」
 馬天ヌルは楽しそうに笑って、「そうか。母親の血筋だったのか」ともう一度、言った。
「ちょっと待って、あなた、察度様の母親が英慈様の孫娘って言っていたわね。天女じゃなかったの?」
「察度様の母親のウタキが謝名(じゃな)にあって、神様からお話を聞いたのです。察度様の母親は二人の子供を残して、察度様が幼い頃に亡くなってしまいました。察度様は母方の祖父の敵(かたき)を討って、浦添按司になったのです」
「そうだったの。という事は、察度様にも英祖様の血が流れているのね」
「そうなんです。舜天様から今の中山王まで、ずっとつながっているのです」
「舜天様と英祖様もつながっているの?」
「英祖様の祖父の伊祖按司様は舜天様の息子さんです。伊祖にグスクを築いて、伊祖按司を名乗りました」
「あら、そうだったの。それで、今の中山王にも英祖様の血が流れているの?」
「サミガー大主様の父親は、島尻大里(しまじりうふざとぅ)按司の次男の与座按司(ゆざあじ)の若按司だったと按司様(あじぬめー)(サハチ)から聞きました。初代の島尻大里按司は、英祖様の息子ですから血がつながっているはずです」
「成程ね。舜天様からずっと続いていたのか‥‥‥あなたも色々と調べているのね」
浦添ヌルとして当然の事です」とカナは言った。
 カナは浦添ヌルである事に誇りを持っているようだと馬天ヌルは頼もしく思った。もしかしたら、馬天ヌルが今持っている豊玉姫のガーラダマは、カナが持つべきものなのではないかと思い、カナのガーラダマを見た。カナも立派なガーラダマを持っていた。
「ねえ、あなたのガーラダマは、運玉森ヌル様からいただいたものなの?」と馬天ヌルはカナに聞いた。
「そうなのです。実はこのガーラダマは英祖様のお母様が持っていたガーラダマだったのです」
「えっ、本当なの?」
「わたしも驚きました。わたしがこのガーラダマを持っていたので、神様もわたしにお願い事をしたのだと思います」
「でも、どうして、運玉森ヌル様が伊祖ヌル様のガーラダマを持っていたの?」
「伊祖ヌル様は、英祖様の娘が島添大里按司に嫁いだ時に、ガーラダマを渡したそうです。英祖様が浦添按司になったあと、伊祖グスクは浦添グスクの出城となって、伊祖按司は廃止されてしまいます。伊祖ヌルも必要なくなったので、孫娘にお守りとして渡したそうです。そのガーラダマが代々のサスカサに伝わって、わたしのもとに来たようです」
「運玉森ヌル様は、あなたと出会って、そのガーラダマをあなたに渡すべきだとわかったのね」
「運玉森ヌル様は何も言いませんでしたが、きっと、そうだと思います」
 話を聞いていた奥間ヌルも麦屋ヌルも、不思議な事があるものなのねと感心していた。
 中グスクに寄って中グスクヌルを連れて、久場(くば)に寄って久場ヌル(先代中グスクヌル)を連れて、喜舎場森に着いたのは正午(ひる)を少し過ぎた頃だった。
 喜舎場の集落の後ろにある山が喜舎場森だった。前回、来た時、久場ヌルはあの山には何もないと言った。久場ヌルにその事を聞くと、「すみませんでした」と謝った。
「あの時、馬天ヌル様は舜天様が真玉添のヌルたちを滅ぼしたと言っていたので、仲順と喜舎場の根人(にっちゅ)(長老)たちが怒って、舜天様に関係のあるウタキに、馬天ヌル様を近づけてはならんと言ったのです。それで、御案内できませんでした」
「そうだったの。そんな事があったなんて知らなかったわ。あたしも迂闊(うかつ)だったわね。悪気があって言ったんじゃないけど、舜天様の子孫たちが聞けば気分を害するわね。今は大丈夫なの?」
「『舜天』のお芝居のお陰で、誤解は解けたようです」
「この辺りの人が、あのお芝居を観たの?」
「お芝居好きはどこにもいますよ。『舜天』のお芝居をすると聞いて、浦添まで観に行った人が何人もいるのです。舜天が悪者を倒したので、大喜びしておりました」
「そうだったの。お芝居の力って、思っていたよりも凄いのね。ここで『舜天』のお芝居をやれば、みんな、大喜びするわね」
「旅芸人の一座がここにも来て、『瓜太郎(ういたるー)』を演じたんですけど、今度は『舜天』をやってくれって頼んでいました」
「そうだったの。旅芸人の人たちも大変だわね」
 細い山道を登って行くと見晴らしのいい頂上に出た。大きな木の下にウタキがあった。
 お祈りをすると神様の声が聞こえてきた。
「よくいらしてくれました。母からあなたの娘さんの事は聞きました。わたしたちの父の事を調べてくれたそうですね。父が平家を倒したと言って、母はとても喜んでいました。ありがとうございます」
「いいえ。わたしこそ、いい加減な事を言いふらしてしまって申しわけございませんでした」
「いいえ、あなたが言いふらしたのではありません。真実が隠されてしまっていたので、誰にもわからなかったのです。この村(しま)の人たちも長い間、肩身の狭い思いをしてきましたが、ようやく解放されたと喜んでおります。ありがとうございました」
 馬天ヌルはカナを見た。
 カナはうなづいて、初代浦添ヌルの神様に挨拶をした。
「わたしたちが造った浦添の都も時の流れで寂れてしまいましたが、あなたのお陰で、賑わいを取り戻せそうです。頑張ってくださいね」
 頑張りますとカナは約束した。
 舜天の妹の浦添ヌルと別れて、山を下りると村の人たちが待っていて、歓迎してくれた。前回の旅の時、会ってくれなかった仲順ヌルと喜舎場ヌルもいた。根人たちの案内で、舜天のウタキもお参りした。柵に囲まれていて、女子は中に入れないが、柵の手前で拝むと、神様の声が聞こえてきた。
「わしは知っておったんじゃよ」と舜天は言った。
「鎌倉殿(源頼朝)が亡くなったとの噂を聞いて、朝盛法師殿がヤマトゥに行ったんじゃ。もう六十を過ぎていたので、無理をするなと言ったんじゃが、やり残した事があるから行かなければならないと言って、法師殿はヤマトゥに行って来た。そして、親父の事を調べてきたんじゃよ。鎌倉殿が平家を倒すために兵を挙げた事を知ると、親父は熊野の兵を引き連れて出陣した。しかし、負け戦が続いて、甥の木曽次郎(義仲)と一緒に京都に攻め込むが、木曽次郎と対立して、結局は鎌倉殿に追われる身となって、討ち死にしたと聞いたんじゃ。平家が滅亡した壇ノ浦の合戦にも親父は参戦していない。あまりに惨めで、わしは母には言えなかった。妹にも言っていない。朝盛法師殿は無理なヤマトゥ旅が祟ったのか翌年、亡くなってしまった。親父の事はわしの胸にずっとしまっておいたんじゃ。しかし、母から真相を聞いて、わしは驚いた。鎌倉殿が蜂起したのも、各地の源氏が蜂起したのも、親父が三条宮様(さんじょうのみやさま)(以仁王(もちひとおう))というお方の平家打倒の命令の書を持って、各地を回ったからだと知った。平家打倒の原因を作ったのは、親父だったんだ。親父がそれをしなかったら、平家を滅ぼす事はできなかっただろう。わしは親父を誇りに思う事ができた。本当にありがとう」
 馬天ヌルは何も言えなかった。
 舜天の声を聞いていた根人たちが泣いていた。
 馬天ヌルたちは村の人たちにお礼を言って帰ろうとしたが、村人たちは帰してくれなかった。根人の屋敷に招待されて、歓迎の宴(うたげ)が開かれた。
「成り行きに任せましょう」と馬天ヌルは楽しそうに笑った。
 楽しい宴がお開きになったあと、
「ありがとうございました」と久場ヌルが馬天ヌルにお礼を言った。
「仲順と喜舎場は昔から閉鎖的な所で、中グスク按司に心を開いてくれなかったのです。何とかしようと、わたしは仲順ヌルと喜舎場ヌルを何度も訪ねていたのですが、心を通わす事はできませんでした。馬天ヌル様のお陰で、何とかなりそうです。本当にありがとうございます」
「神様のお陰ですよ」と馬天ヌルは言った。
 翌日、久場ヌルと中グスクヌルと別れ、馬天ヌルたちは浮島に向かった。
 ヤマトゥの船も帰って、浮島は閑散としていた。波之上の熊野権現をお参りして、護国寺を訪ねた。熊野権現を創建した人の事を訪ねると、少し待たされて、住職の頼善和尚(らいぜんおしょう)が現れた。
護国寺を創建したのは、坊津(ぼうのつ)の一乗院の頼重法印(らいじゅうほういん)殿です。わたしは二代目の住職として、一乗院より参りました。熊野権現様がこの地に勧請(かんじょう)されたのは、護国寺が創建される百年以上も前の事だそうです。どなたが勧請されたのかは、残念ながらわかりません。当時、ヤマトゥの国は宋(そう)の国と盛んに交易をしていたようなので、宋に行く途中、熊野の山伏がここに立ち寄って、勧請されたものと思われます」
熊野権現を建てたお人は、『サクライノミヤ』という名前の山伏だったらしいのですが、心当たりはありませんか」と馬天ヌルは聞いた。
「サクライノミヤ?」と言って、和尚は首を傾げた。
法親王(ほうしんのう)様が何とかの宮を名乗る事はありますが、まさか、法親王様が琉球に来られる事はありますまい」
法親王様とは何ですか」
天皇の息子さんが出家なさると法親王様と呼ばれるんじゃよ」
「そんな偉いお人が琉球には来ませんね。ヤマトゥにサクライノミヤという神社はありませんか。そこの山伏かもしれません」
「さあのう。あるかもしれんが、わからんのう」
「熊野にそんな神社はありませんか」とカナが聞いたが、和尚は首を傾げた。
「やっぱり、ヤマトゥに行かなければわからないわよ」と馬天ヌルはカナに言った。
「あとの手掛かりは玉グスクね。行ってみる?」
 カナはうなづいた。
 浮島の『よろずや』に寄って、父の浦添按司に手紙を渡すようにカナは頼んで、馬天ヌルたちと一緒に南部のウタキ巡りの旅を続けた。

 

 

 

日本陰陽道史話 (平凡社ライブラリー)   図説 日本呪術全書

2-107.屋嘉比のお婆(改訂決定稿)

 今帰仁(なきじん)をあとにした馬天(ばてぃん)ヌルの一行は運天泊(うんてぃんどぅまい)に行って、勢理客(じっちゃく)ヌルに歓迎された。
 勢理客ヌルは、馬天ヌルがヤンバル(琉球北部)のウタキ(御嶽)巡りをしている事を知っていて、首を長くして来るのを待っていた。
「名護(なぐ)に来たって聞いたので、こっちに来るかと待っていたのに、本部(むとぅぶ)の方に行っちゃったじゃない。もう、待ちくたびれたわよ」
 そう言って勢理客ヌルは怒った顔をしたが、すぐに笑って、「会いたかったわ」と再会を喜んだ。
「あたしも会いたかったわよ」と馬天ヌルも言って、手を取り合った。
「名護ヌルに会いに行ったら屋部(やぶ)にいて、それで、そのまま本部の方に行っちゃったのよ。それに、今帰仁のクボーヌムイ(クボー御嶽)の神様に会いたかったの」
「クボーヌムイの神様?」
「そうよ。前回に行った時、神様のお話の意味がよくわからなかったので、もう一度、行ってみたのよ」
「それで、今回はわかったの?」
 馬天ヌルはうなづいて、神様の話をしようとしたら、目付きの鋭い三十年配の偉そうな男が現れた。
「お師匠!」と男は叫んで、ヂャンサンフォン(張三豊)の前にひざまづいて、「武当拳(ウーダンけん)を教えて下さい」と頼んだ。
「湧川大主(わくがーうふぬし)よ」と勢理客ヌルは馬天ヌルに教えた。
「えっ!」と馬天ヌルは驚いた。
 まさか、湧川大主が現れるなんて思ってもいなかった。明国(みんこく)の海賊が来るのは来月だとウニタキ(三星大親)から聞いていた。今の時期はヤマトゥ(日本)の商人たちが帰るので、その見送りをするために親泊(うやどぅまい)にいるだろうと言っていた。どうして運天泊に現れたのか、どうしてヂャンサンフォンがここにいる事を知っているのか、馬天ヌルにはわからなかった。湧川大主は五年前、自分を殺そうとした男だった。
 麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)は息が止まるかと思うほどに驚いていた。十六年振りに見る湧川大主は、すっかり貫禄がついて、一角(ひとかど)の武将に見えた。両親と兄の敵(かたき)が目の前に突然、現れて、麦屋ヌルは恐ろしさで体が震え、隠れようと思っても体は動かなかった。
テーラー(瀬底之子)からそなたの事は聞いている。教えてもかまわんが、どうしようかのう」とヂャンサンフォンが馬天ヌルを見た。
「あたしたちが安須森(あしむい)まで行って、戻って来るまで教えたらいかがですか」と馬天ヌルは言った。
「そうじゃのう。何日くらいで戻って来るかな」
 馬天ヌルは少し考えて、「十日くらいでしょう」と言った。
「十日間の修行じゃがよろしいかな」とヂャンサンフォンは湧川大主に聞いた。
「十日間で結構です。わしもそれほど暇ではないので、十日間で充分です」
 ヌルの屋敷に男は泊められないからと言って、湧川大主はヂャンサンフォンと奥間大親(うくまうふや)とゲンを自分の屋敷に連れて行った。
 湧川大主が出て行くと、麦屋ヌルはめまいがして倒れそうになり、運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)に支えられた。
「旅の疲れが出たみたい」と運玉森ヌルが言うと、勢理客ヌルは、「ゆっくり休むといいわ」と言って、麦屋ヌルを屋敷の奥の間に案内した。
 マチ、サチ、東松田(あがりまちだ)の若ヌル、カミーは、勢理客の若ヌルと一緒に近所の散策に出掛けた。勢理客の若ヌルは湧川大主の娘のランで、マチとサチと同い年の十七歳だった。
 若ヌルたちが出て行くと、
「湧川大主様ってどんな人なの?」と馬天ヌルは勢理客ヌルに聞いた。
「兄の山北王(さんほくおう)(攀安知)をうまく補佐しているわ。今回、中山王(ちゅうざんおう)(思紹)と同盟を結ぼうと言い出したのは湧川大主なのよ。その話を聞いた時、わたしも驚いたわ。山南王(さんなんおう)と同盟を結んでから一年も経っていないのに、中山王と同盟を結ぶなんて、普通は考えられない事よ。普通の人が考えないような事をするのが湧川大主ね。まだ、大きな戦(いくさ)の経験はないけど、思いもしないような作戦を立てるかもしれないわ。そして、今の姿を見たでしょ。自分がやりたいと思った事は、周りの目を気にする事なく実行するわ。若い頃、今帰仁グスクではなくて、本部で自由に育ったからよかったのかもしれないわね。あまり、堅苦しい事は好きじゃないみたい。明国の海賊たちやヤマトゥの倭寇(わこう)と付き合うのが性(しょう)に合っているようね」
「敵に回したら恐ろしそうね」と馬天ヌルは言った。
「そうかもしれないわね。でも、同盟を結んだから、当分は戦もないでしょう。お嫁に行ったマナビーだけど、島添大里(しましいうふざとぅ)が気に入ったみたいね」
「ええ、いい娘さんだわ。朝から武芸の稽古に励んでいるわよ」
「油屋から聞いたけど、島添大里の奥方様(うなじゃら)は武芸の名人なんですってね」
「あたしのお師匠様ですよ」と馬天ヌルは笑った。
「そうだったの。奥方様が武芸の名人なら、娘たちが武芸に励むのも当然だわね」
「あたしの娘なんだけどね、ヌルの修行と剣術の修行を一緒に積んでいたの。だから、ヌルというのは武芸もできなければならないって、ずっと思っていたらしいわ」
「そうだったの」と勢理客ヌルは楽しそうに笑った。
「あたしの娘だけじゃなくて、佐敷のヌルも島添大里のヌルも、みんな、強いわよ。さっきの話の続きなんだけど」と言って、馬天ヌルは安須森の事を話した。
 勢理客ヌルは志慶真(しじま)の長老から聞いて、初代の今帰仁按司が小松の中将(ちゅうじょう)と呼ばれていた平維盛(たいらのこれもり)だと知っていたが、その維盛が安須森を滅ぼした事は知らなかった。
「先代の今帰仁ヌルから安須森の話は聞いていて、先代に連れられて行った事はあるわ。見るからに凄い山で、古いウタキがいっぱいあるんだろうと思っていたけど、妙に静かで、神様はいらっしゃらなかった。わたしの神名(かみなー)の『アオリヤエ』は安須森ヌルの神名だったって聞いていたけど、安須森がこんな所なら、今帰仁のクボーヌムイの方がずっと凄いウタキだと思ったのよ。そんな事情があったなんて、全然知らなかったわ。あなたの娘がヤマトゥまで行って、豊玉姫(とよたまひめ)様の事を調べたのね。凄いヌルなのね」
「ヂャンサンフォン様の修行なんだけどね、あたしも娘も受けたのよ。呼吸法とか静座(せいざ)とかあってね、それを身に付けるとシジ(霊力)も高くなるし、体が軽くなって、若返りもするのよ。せっかくだから、あなたも一緒に修行した方がいいわ」
「あたしみたいな者でも受けられるの?」
「大丈夫よ。基本を身に付ければ、あとはそれを持続するだけなのよ。難しい事なんて何もないわ。運玉森ヌル様なんだけど、何歳だかわかる?」
「そうねえ」と勢理客ヌルは運玉森ヌルを見て、「三十代の後半でしょ」と言った。
「マトゥイヌル(麦屋ヌル)さんと同じくらいじゃないの」
 馬天ヌルも運玉森ヌルもクスクス笑った。
「あたしたちよりも年上なのよ」と馬天ヌルが言うと、
「えっ!」と勢理客ヌルは驚いて、口をポカンと開けていた。
「信じられないわ。あなたも前回会った時から、ちっとも変わってないって驚いていたんだけど、運玉森ヌル様があたしよりも年上だなんて、どう見ても考えられないわ」
「運玉森ヌル様はヂャンサンフォン様と出会ってから、どんどん若くなっていくの。あたしも会うたびに驚いているわ。ところで、ヂャンサンフォン様はいくつだと思う?」
「男の人は若返るといっても、そんなに変わらないでしょ。五十代の半ばよ」
 馬天ヌルと運玉森ヌルは顔を見合わせて笑った。
「正解は百六十六歳」
「百六十‥‥‥まさか?」
「本当よ。生まれたのは元(げん)の国ができる前だったそうよ。武芸の名人だけでなく、道士としても凄い人なの。唐人(とーんちゅ)でヂャンサンフォン様の名を知らない人はいないでしょう」
「そんな凄い仙人みたいな人が、どうして琉球にいるの?」
「明国の皇帝がヂャンサンフォン様に会いたいと言って探しているの。会えば皇帝に仕えなければならない。断れば殺されるかもしれない。それで、琉球に逃げて来たのよ」
「明国の皇帝が会いたいというほどのお人だったの?」
「そうなの。凄いお人なのよ。あなたも湧川大主様と一緒に修行した方がいいわ。若ヌルも一緒にした方がいいわね」
「わかったわ」と言って、勢理客ヌルは運玉森ヌルを見て首を傾げ、「わたしも若返るわ」と言った。
 次の日、勢理客ヌルは若ヌルと一緒に、ヂャンサンフォンの修行に加わった。馬天ヌルたちはヂャンサンフォンを運天泊に残して、羽地(はにじ)へと向かった。
 羽地ヌルは前回に来た時は愛想がなく、ウタキの案内もしてくれなかったのに、今回はやけに愛想よく迎えてくれた。おかしいと思っていたら、どうやら、湧川大主がヂャンサンフォンに会いに来たのを、馬天ヌルたちを迎えに行ったものと勘違いしたようだった。湧川大主の行動は皆が注目していて、その意に沿うようにと心掛けているらしい。
 まるで人が変わったような羽地ヌルの案内で、羽地のウタキを巡り、羽地ヌルと別れて国頭(くんじゃん)に向かった。麦屋ヌルは、湧川大主が追って来ないかと恐れ、運天泊から早く遠くに行きたいようだった。
 塩屋湾を小舟(さぶに)で渡り、山の中に入って、日が暮れる前に何とか、国頭に到着した。間もなく暗くなるので、国頭ヌルを訪ねるのは明日にして、奥間(うくま)の杣人(やまんちゅ)の親方で、国頭を仕切っているトゥクジ(徳次)の屋敷にお世話になる事にした。トゥクジは猪鍋(やまししなべ)で持て成してくれた。山道を歩いて疲れていたので、おいしい猪鍋は疲れをいっぺんに取ってくれた。
 トゥクジは、国頭按司が中山王と材木の取り引きを始めたので忙しくなったと言っていたが、それを喜んでいた。山北王のために木を切るよりも、中山王のために木を切った方が稼ぎになるという。以前は山北王の『材木屋』が一手に引き受けていたので、相手の言いなりだったが、中山王の『まるずや』が加わってきたので、『材木屋』も材木の値を上げてくれたという。
「『まるずや』が材木の取り引きに加わって、山北王は怒っていないの?」と馬天ヌルはトゥクジに聞いた。
「今の所は怒ってはおりません。『まるずや』のお陰で、羽地、名護、国頭の三人の按司が、中山王と取り引きを始めたのを喜んでおります。三人の按司たちは明国の海賊たちと取り引きができないので、進貢船(しんくんしん)を出してくれとうるさいように山北王に言っておりましたから、それが黙ったので、よかったと思っているのでしょう」
「三人の按司たちはどうして、海賊たちと取り引きができないの?」
「初めの頃はやっていたようです。三人の按司たちは山北王からヤマトゥの商品を買って、海賊と取り引きをしておりましたが、海賊の方が面倒くさくなったのでしょう。山北王から買えばいいと言って、取り引きをやめてしまったのです。海賊たちから見れば、珍しい商品を持っているわけではなく、山北王の商品と同じですからね。一々、三人の按司と取り引きする必要もないわけです。それに、三人の按司たちが欲しがっているのはヤマトゥの刀です。ヤマトゥの刀は海賊との取り引きに使うので、山北王が独り占めしてしまって、三人の按司たちは手に入れられません。中山王は刀も売ってくれると言って喜んでおります」
 三人の按司たちが中山王とのつながりを強くすれば、いつかは山北王が怒るような気がした。馬天ヌルはハッとなって、それが狙いなのかと気が付いた。そうなると、羽地、名護、国頭のヌルたちとは仲よくしておいた方がいいと思った。愛想がよくなった羽地ヌルと、もっと親しくなるべきだったと後悔した。
 翌日、出掛ける時、「お船が見えます」と東松田の若ヌルが突然、言った。
お船?」
「あたしたち、みんながお船に乗っています」
 馬天ヌルは首を傾げた。船と言えば、水軍の大将のヒューガ(日向大親)を思い浮かべたが、ヒューガが来るとは思えない。どこかの川の渡し舟だろうと思って、「お船に乗るのを楽しみにして出掛けましょう」と馬天ヌルは東松田の若ヌルに言った。
 国頭ヌルを訪ねると歓迎してくれた。前回に来た時も、こんな遠くまでよく来てくれたと歓迎してくれた。馬天ヌルと一つ違いの年齢なので、話も合って、気も合った。国頭ヌルとウタキを巡って、安須森の話をすると、安須森の事なら屋嘉比(やはび)のお婆がよく知っているというので、会いに行った。屋嘉比のお婆の屋敷は屋嘉比川(田嘉里川)の向こう側にあり、筏(いかだ)に乗って渡った。
 屋嘉比のお婆はかなりの高齢だった。自分でも年齢(とし)がわからず、多分、八十歳は過ぎているだろうと言った。以前は屋嘉比ヌルだったが、三十年も前に娘に譲っている。その娘はお婆より先に亡くなってしまい、今は孫娘の代になっていた。ヌルを引退してからも、お婆はお祈りは欠かさずに続けているという。
 お婆は馬天ヌルのガーラダマ(勾玉)をじっと見つめて、
「それはチフィウフジン(聞得大君)のガーラダマではないのか」と驚いた顔をして馬天ヌルを見た。
「そうです」と馬天ヌルは答えた。
「そなたが持っておられたのか。久し振りに見させてもらった」と言って、お婆はガーラダマに両手を合わせた。
 お婆は若い頃、浦添(うらしい)に行って、浦添ヌル(チフィウフジン)と会い、そのガーラダマを見ていた。凄いガーラダマだと感心したので覚えていた。今帰仁浦添ヌルが来たと聞いた時、会いに行ったが、浦添ヌルのガーラダマはそれではなかった。浦添ヌルは自分が身に付けているガーラダマが、先代から譲り受けた物だと言った。お婆はあの凄いガーラダマは、どうしてしまったのだろうとずっと気になっていた。突然、現れた馬天ヌルが、そのガーラダマを身に付けていたので驚いたが、馬天ヌルを見て、そのガーラダマにふさわしいヌルだと納得していた。
「お婆、安須森のお話を聞かせてよ」と国頭ヌルが言った。
「安須森は凄いウタキだったそうじゃ。しかし、何者かによって、神様たちは封じ込められてしまったんじゃよ。屋嘉比森(やはびむい)の神様の話によると、まだここにグスクができる前、屋嘉比森には御宮(うみや)があって、南部から安須森に向かうヌルたちが立ち寄って賑やかだったそうじゃ」
「ここにも御宮があったのですか。名護にもあったようですね」と馬天ヌルは言った。
「今はすっかり忘れ去られてしまったが、安須森はヤンバルを代表する凄いウタキだったんじゃよ。ヌルだけでなく、あちこちの村々(しまじま)から大勢の女子(いなぐ)たちがヌルに連れられてお祈りに行っていたそうじゃ」
「安須森の封印は解けました」と馬天ヌルは言った。
「なに?」とお婆は目を大きくして、馬天ヌルを見つめた。
「わたしの姪の佐敷ヌルによって、封印は解かれました」
「そうじゃったのか。最近、ここの神様がおらんようになったのは、安須森に行っているんじゃな。わしも行かなくてはならん」
「えっ!」と馬天ヌルたちは驚いた。
 ぺたっと座っている姿から歩くのもやっとのように思えたが、お婆は立ち上がると杖をついて、腰を曲げたまま、よたよたと歩いて、火の神様(ひぬかん)を拝みに行った。
 その後のお婆の行動は素早かった。国頭按司に命じて船を用意させて、馬天ヌルたちも一緒に船に乗って安須森に向かった。国頭ヌルも孫娘の屋嘉比ヌルも、お婆に命じられて付いて来た。途中で奥間(うくま)ヌルも呼んで来て、一緒に行った。
 奥間ヌルは屋嘉比のお婆に呼ばれてやって来たら、その船に馬天ヌルがいたので驚き、再会を喜んだ。
「凄いお婆ね」と馬天ヌルが奥間ヌルに言うと、奥間ヌルはうなづいて、
「先代の奥間ヌルと仲がよかったのです」と言った。
「先代と一緒に山の中で厳しい修行を積んだのです。ガマ(洞窟)の中に籠もってお祈りを続けたり、滝に打たれたり、わたしも一緒に行った事がありますが、険しい山の中を平地のように走っていて、とても付いては行けませんでした。今はもう九十を過ぎているので、そんな事はないとは思いますけど、本当に凄いお婆です」
「えっ、九十を過ぎているの?」
「先代が亡くなった時、八十一歳でした。あれから十四年が過ぎています。先代より二歳年下だと聞いていますから、九十三じゃないですかね」
「九十三‥‥‥凄いお婆だ」と馬天ヌルは甲板(かんぱん)の上に座り込んで、遠くをじっと見つめているお婆を見た。
「馬天ヌル様はどうして、国頭按司お船に乗っているのですか」
 馬天ヌルは奥間ヌルに事の成り行きを説明した。
「そうだったのですか。先月、わたしも佐敷ヌル様と一緒に安須森に行きました。佐敷ヌル様は神様扱いされていました。お婆に知らせようと思ったのですが、あの年齢(とし)では安須森に登るのは無理だろうと思って黙っていたのです」
「登る気でいるわよ」と馬天ヌルは笑った。
「ところで、あのお婆は按司も動かせるほど、偉い人なの?」
「親戚なんですよ。三代目の今帰仁按司の次男が国頭按司になって、その次男が屋嘉比大主(やはびうふぬし)になったようです。それに、お婆は子供の頃から按司の事を知っているから、何か弱みを握っているんじゃないかしら」
「ヌルとしての貫禄もあるから、誰も逆らえないわね」
「そうですよ。わたしだって、わけもわからずに呼ばれて、やって来たんですから。お婆に呼ばれたのなら仕方がないと皆、思っているから大丈夫ですけど」
 奥間から険しい山道を歩いて、たっぷり一日掛かるのに、船だとあっという間に、安須森が見えてきた。一時(いっとき)(二時間)余りで宜名真(ぎなま)に着いて上陸した。険しい山道を登って崖の上に出て、安須森へと向かった。国頭ヌルも屋嘉比ヌルも気を使っていたが、お婆は平気な顔をして歩いていた。
 安須森の麓(ふもと)にある村(しま)に近づくと、カミーは我が家へと駆け寄って行った。カミーの姿に気づいた母親が「カミー」と叫んで、駆け寄って来たカミーを抱きしめた。カミーがしゃべれる事に驚いて、
「お前、しゃべれるようになったのかい」と涙を流しながら喜んでいた。
 辺戸(ふぃる)ヌルは一行を歓迎して迎えたが、お婆は休む間もなく、安須森に登ると言い出して、馬天ヌルたちもお婆に従った。辺戸ヌルも付いて来た。
「お婆は前にもここに来た事があるのですか」と馬天ヌルは歩きながら辺戸ヌルに聞いた。
「以前は十二年に一度、必ず、来ておりました。最後に来られたのは十五年くらい前でしょうか。この前の子年(ねどし)に来られなかったので、もう亡くなってしまわれたのかと思っておりました。まさか、まだ生きておられて、馬天ヌル様と御一緒にやって来るなんて驚きました。それに、カミーの事も驚きです。どうして、しゃべれるようになったのですか」
「佐敷ヌルが安須森の封印を解いたのと同時にしゃべれるようになったのです。カミーが自分でそう言いました。自分は新しい安須森ヌルを助けるために生まれたけど、封印のお陰でしゃべる事も聞くこともできなかったと言っていました」
「あの子、ヌルになる気なのですか」
「わたしから教えを受けるつもりで、首里(すい)までやって来たようです。アフリヌルを継がなければならないと言っていました」
「そうだったのですか。あの子がそんな事を考えていたなんて‥‥‥やはり、アフリヌル様の孫なのですね」
 まるで奇跡のようだった。安須森に入った途端、お婆は若返ったかのように、しゃきっとして、ウタキにお祈りを捧げながら、険しい山道を誰の手助けもなく登って行った。
 安須森は前回来た時とすっかり変わっていた。神々しい霊気に満ちていて、まさしく、ヤンバルを代表する凄いウタキになっていた。誰もが真剣な顔付きになって、真摯(しんし)な気持ちで神様にお祈りを捧げた。
 山頂で『安須森姫』の神様が待っていた。
「ありがとう」と神様は馬天ヌルにお礼を言った。
「アフリヌル様から、あなたのガーラダマを渡された時、あの時から、この日が来るのを待っておられたのですね。あの時、わたしは何も知りませんでした。あれから十二年も掛かってしまって、申しわけございませんでした」
「いいのよ。あなたはちゃんとやるべき事をやったわ。二百年以上も封じ込められていたのだから、十二年なんて短いものよ」
「ありがとうございます。アフリヌル様が神様のお告げがあって、あなたのガーラダマをわたしに渡したと言いましたが、そのお告げはあなたのお告げだったのでしょうか」
「そうですよ。封じ込められて声を出す事はできませんが、ガーラダマを通してお告げを言う事ができるのです。とても難しい事なのですが、何とかアフリヌルに伝える事ができたのです」
 馬天ヌルのガーラダマも時々、しゃべっていた。ただ漠然と神様の声だと思っていたが、あの声はチフィウフジンの声に違いないと思った。でも、いつの時代のチフィウフジンなのだろうか。真玉添(まだんすい)(首里)の最後のチフィウフジンは運玉森で亡くなったと聞いている。そのチフィウフジンの声なのだろうか。確認しなくてはならないと思った。
「ありがとう」と別の神様がお礼を言った。
「久し振りに妹の安須森姫に会えたわ。あなたの娘が伯母様(玉依姫)をヤマトゥから連れて来てくれたんですってね。わたしも会ったのよ。懐かしかったわ」
「あなたはアマン姫様の娘さんですね」
「そうです。あなたの娘さんは、妹のユンヌ姫をヤマトゥに連れて行って、お祖父(じい)様(スサノオ)に会わせてくれたんですってね。色々とありがとう」
 馬天ヌルはササが与論島(ゆんぬじま)で、ユンヌ姫に会ったという話は聞いているが、ユンヌ姫をヤマトゥに連れて行った事は知らなかった。
「わたしの娘がお役に立つのでしたら、どんどん使ってやって下さい」と馬天ヌルは神様に言った。
「わたしは安須森姫とユンヌ姫の姉の『真玉添姫』です」と神様は名乗った。
「もしかして、このガーラダマの持ち主だった神様ですか」と馬天ヌルは胸に下げたガーラダマをさわった。
「そうです。神名はチフィウフジンです。安須森の封印が解けたと聞いて、首里からやって来たのです
「えっ、首里?」
 首里グスクの『キーヌウチ』には、真玉添姫のウタキはなかった。首里のどこにあるのだろうと聞こうとしたら、
「わたしのウタキは首里グスクを造る時に破壊されてしまったのよ」と神様は言った。
「そんな‥‥‥」と馬天ヌルはあまりの驚きで言葉がでなかった。真玉添の中心になっていた真玉添姫のウタキが破壊されたなんて信じられなかった。
「無理もないのよ。首里グスクを建てた時、ここと同じように、わたしたちは封じ込められていたのよ。当時の浦添ヌルにはわからなかったのよ。あなたが『キーヌウチ』に新しいウタキを造ってくれれば、わたしはそこに降りて行くわよ」
「わかりました。ウタキを造ります。これからもわたしたちをお守り下さい」
「わたしのウタキも作って下さい」と別の神様が言った。
 安須森姫の妹の『運玉森姫』だった。運玉森姫のウタキも、島添大里按司が側室のための屋敷を建てた時に破壊されたという。
「それはわたしが造ります」と運玉森ヌルが言った。
「あなたはサスカサだったわね。あなたが久高島(くだかじま)のフボーヌムイ(フボー御嶽)から出てから、すべてがうまい具合に動き始めたわ。ありがとう」
 運玉森姫が運玉森ヌルと話している時も、馬天ヌルは別の神様から話し掛けられていた。
 神様たちと話をして、神様たちからお礼を言われている馬天ヌルを見ながら、屋嘉比のお婆は生き神様に違いないと、馬天ヌルに両手を合わせていた。
 馬天ヌルは佐敷ヌルと同じように、ぐったりと疲れて安須森を下りた。屋嘉比のお婆のお陰で、馬天ヌルは神様として祀られ、村人たちが皆、集まって来て、歓迎の宴(うたげ)が開かれた。

 

 

 

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