長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-134.玻名グスク(改訂決定稿)

 島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの包囲陣が壊滅したあと、戦(いくさ)は膠着(こうちゃく)状態に入っていた。他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)は島尻大里グスクを攻める事をやめて、糸満(いちまん)の港を守るために、照屋(てぃら)グスクと国吉(くにし)グスクの間に杭を打って、防壁を築き始めた。さらに、国吉グスクから海岸までも防壁を築いて、摩文仁(まぶい)(島尻大里の山南王)の兵が糸満の港に入れないようにしていた。
 摩文仁は大(うふ)グスクと真栄里(めーざとぅ)グスクに兵を送って、防壁造りの邪魔をしているが、防壁は日を追う毎に完成に近づいていった。
 総攻撃に参加しなかった李仲(りーぢょん)の若按司を退治しようと、摩文仁は次男の摩文仁按司に攻撃させた。李仲グスクはもぬけの殻になっていて誰もいなかった。城下の村(しま)には家臣の家族たちが暮らしていたのに誰もいない。いつの間に全員が消えたのか、まったくわからなかった。
 摩文仁グスクがまだ完成していないので、本拠地のない摩文仁按司は李仲グスクに入って、そこを本拠地とした。
 島尻大里の城下は閑散としていた。前回、攻撃を受けた時、摩文仁は御門(うじょう)を開かず、逃げて来た城下の人たちを受け入れなかった。城下の人たちは摩文仁を見捨てて、豊見(とぅゆみ)グスクや首里(すい)、島添大里(しましいうふざとぅ)に逃げて行った。城下にあった『よろずや』も店を閉めて豊見グスクの城下に移り、『まるずや』は、すでに豊見グスクの城下にあるので、八重瀬(えーじ)の城下に移っていた。
 八重瀬按司になったマタルーは家族と家臣たちを引き連れて、与那原(ゆなばる)グスクから八重瀬グスクに引っ越しをした。焼け落ちた屋敷の残骸を片付けて、再建をしなければならないので大変だった。
 妻のマカミーは焼け落ちた屋敷を見て呆然と立ち尽くした。生まれ育ったグスクに戻って来られたのは嬉しいが、思い出がたっぷりと残っていた屋敷はもうない。長兄のエータルーは戦死して、父と若ヌルとチヌムイは久米島(くみじま)に行ってしまった。いつの日か、父たちが戻って来られる日まで、このグスクを守り通さなければならなかった。気持ちを入れ替えて、マタルーと一緒に素晴らしい屋敷を築こうとマカミーは決心した。
 サグルーは妻と子とヤールーを連れて島添大里グスクから与那原グスクに移り、首里からジルムイ(島添大里之子)とマウシ(山田之子)が家族を連れて、シラー(久良波之子)がウハ(久志之子)を連れてやって来た。ウハは一緒に連れて行ってくれと頼み、シラーの副隊長を務める事に決まっていた。
 ヤマトゥ(日本)から帰って来て、浦添(うらしい)グスクの伊祖(いーじゅ)ヌルの神様とセーファウタキ(斎場御嶽)の豊玉姫(とよたまひめ)の神様に挨拶に行ったササ、シンシン(杏杏)、ナナの三人も与那原グスクに引っ越しをした。
 女子(いなぐ)サムレーの隊長として、首里からウラマチー、島添大里(しましいうふざとぅ)からニシンジニー、佐敷からイリカーが与那原に異動になって、キラマ(慶良間)から来る娘たちを鍛える事になる。
 サグルーを助ける重臣として、島添大里の重臣だった屋比久大親(やびくうふや)がついてきた。倅に跡を継がせて、若い者ばかりの与那原にやって来たのだった。
 サグルー、ジルムイ、マウシ、シラーがお互いの顔を見て喜んだのは勿論だが、サグルーの妻のマカトゥダル、ジルムイの妻のユミ、マウシの妻のマカマドゥもササたちと一緒になれたと喜んでいた。


 マタルーとサグルーが引っ越しをしていた頃、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は東方(あがりかた)の按司たちを率いて玻名(はな)グスクを攻めていた。
 玻名グスクは具志頭(ぐしちゃん)グスクの西、四丁(ちょう)(約四四〇メートル)程の所にあり、東西に細長く、具志頭側の東は崖に囲まれていて、城下の村(しま)がある西側からしか攻められなかった。サハチは率いて来た七百人の兵をグスクの西側に展開した。
 城下の人たちはすでにグスク内に避難したとみえて、誰もいなかった。
 高い石垣が少しくぼんだ所に大御門(うふうじょー)(正門)があって、門の上の櫓(やぐら)から弓を構えた兵が五人、サハチを狙っていた。石垣の上にも弓を構えた兵が何人もいた。見渡した所、守りは万全で、百人以上の兵がいるようだった。
 サハチは城下にある重臣の屋敷を本陣にして、按司たちを集めて戦評定(いくさひょうじょう)を開いた。集まったのは玉グスク按司、知念若按司(ちにんわかあじ)、垣花按司(かきぬはなあじ)、糸数按司(いちかじあじ)、大(うふ)グスク按司、新(あら)グスク按司、佐敷大親(さしきうふや)、平田大親、手登根大親(てぃりくんうふや)だった。手登根大親はヤマトゥから帰って来たばかりなのに出陣して来た。ミーグスク大親のチューマチは明国(みんこく)に行っているので初陣(ういじん)を飾る事はできなかった。
 サハチはウニタキ(三星大親)が描いたグスク内の見取り図を広げた。まだ、守りが厳重でない時に忍び込んで調べたのだった。詳細な見取り図を見て、按司たちは驚いた。内部の様子がこれだけわかれば、グスクを落とすのも可能だろうと思えた。
 大御門の先には広い三の曲輪(くるわ)があって、その東に二の曲輪がある。二の曲輪の北側に一の曲輪があって、一の曲輪内に按司の屋敷と御内原(うーちばる)もあった。グスクへの出入り口は西側にある大御門の他に、三の曲輪の南側と二の曲輪の南側に二か所あり、一の曲輪から直接、外には出られなかった。
 三つの御門(うじょう)を重点的に見張ると共に、後方から攻めて来る敵にも注意を払わなければならなかった。皆、世代が変わってしまって、島添大里グスクを攻めた時に参戦したのはサハチだけだった。サハチは当時の陣地造りを皆に教えて、昼夜交替で守りを固めるように頼んだ。
 按司たちが出て行くと入れ替わるように奥間大親(うくまうふや)とサタルーが現れた。
「うまく行ったか」とサハチは奥間大親に聞いた。
「上出来です。グスク内に十七人が入っています」
「なに、十七人も入っているのか」
「玻名グスクは以前はかなり栄えていました。山南王(さんなんおう)が最初に明国に送った正使は玻名グスク按司の息子だったのです」
「なに、ここの倅が正使として明国に行ったのか」
「はい。シラーという名で、四回、正使を務めました。それ以前にも、宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様(泰期)の従者として何度も明国に行っております」
「ほう、そんな男がいたのか」
「シラーのお陰で玻名グスクは栄えて、奥間の鍛冶屋(かんじゃー)も多く住み着いて、木地屋(きじやー)も店を出しています。鍛冶屋が十人と木地屋が七人、入っています。それと三か月ほど前に贈られた奥間の側室も御内原にいます」
「中座大主(なかざうふぬし)(先代玻名グスク按司)が隠居したあとに贈られたんだな。すると、米須(くみし)にも贈ったのか」
「はい。米須グスクにも入っています」
「助け出さなくてはならんな」と言ってから、
「十七人もいれば大丈夫だろう」とサハチは満足そうにうなづいた。
「ウニタキ殿の配下の者も島尻大里から避難して来たと言って城下にいたのですが、よそ者は入れてもらえませんでした。それと、辰阿弥(しんあみ)もいましたが、入れてもらえませんでした」
「なに、辰阿弥もいたのか」
「辰阿弥は戦で亡くなった者たちを供養していたようです。島尻大里から玻名グスクにやって来て、念仏踊りをやって、城下の人たちに喜ばれていたようです」
「そうか。辰阿弥が戦死した者たちを供養していたのか」
「弟子も二人できたようです」
「そうか。それで、敵の兵力は何人だ?」
「二百人前後です。玻名グスク按司が中にいます。弟の中座按司(なかざあじ)と父親の中座大主は島尻大里グスクにいます」
「二百人もいるのか。兵糧(ひょうろう)はどれだけあるかわかるか」
「二百人の兵と五十人前後の女子衆(いなぐしゅう)、家臣たちの家族が二百人余り、それに城下の者も二百人余り入っていますので、三か月は持たないでしょう。二か月持つかどうかだと思います」
 サハチはうなづいてサタルーを見ると、「サンルーはどこに行った?」と聞いた。
「ウニタキさんと一緒に先に行っています。今頃は山グスク辺りだと思います。米須グスクの城下には鍛冶屋も木地屋もいますけど、山グスクにはいませんから、グスク内に潜入する策を考えているのだと思います」
「山グスクか‥‥‥そこまで行くのはいつの事になるやら、今の状況ではわからんな」
「島尻大里グスクに抜け穴があったなんて驚きましたな」と奥間大親がサハチに言った。
「予定では按司たちが皆、島尻大里グスクに閉じ込められて、留守兵五十人ばかりのグスクを攻めると思っていたんだがな、やはり、思った通りにはいかんようだ。玻名グスクを助けるために大軍が攻めて来るかもしれん。なるべく、犠牲者は出さないようにしないとな」
「キンタが按司たちの動きを探っています。こちらに向かって来るようなら、すぐに知らせが来るはずです」
「そうか」とサハチはうなづいて、「頼むぞ」と奥間大親に言った。
 奥間大親が出て行ったあと、サタルーはサハチを見てニヤニヤ笑って、「ちょっと、佐敷に行ってもいいですか」と聞いた。
 サハチはサタルーを睨んだが、「気になって仕事も手に付かんのだろう。ナナは今、与那原にいる。会って来い」と笑った。
「ありがとうございます」と頭を下げるとサタルーは嬉しそうに走って行った。
 サハチはクルー(手登根大親)と新グスク按司を連れて、グスクの周辺を調べた。クルーと新グスク按司は同い年で、兵を率いている大将の中で最も若かった。
「まず、戦場(いくさば)となる地をよく知る事が大事だ。敵の立場に立って、どこから攻めるかをよく考えるんだ」とサハチは二人に言った。
 玻名グスクは小高い丘の上にあって、南側は急斜面になっていて、その下は海だった。
「あそこから上陸できそうですよ」とクルーが海辺を見下ろしながら言った。
 砂浜が続いているのが見えた。
「上陸したとして、ここまで登れるかだな」とサハチは言った。
 サハチたちは砂浜に下りる道を探した。道はなかったが何とか砂浜まで下りる事ができた。
「俺ならここから上陸して、包囲陣を背後から攻めますよ」とクルーがグスクを見上げながら言った。
 サハチはうなづいて、「ここに伏兵(ふくへい)を置こう」と辺りを見回した。
 クルーも周りを眺めて、「俺に任せてください」と言った。
「よし、手登根の兵に任せよう」
 サハチたちは急斜面を登って上に戻ると、さらに周辺を歩いて、敵が攻めて来そうな場所を調べた。
 夕方には楯(たて)をずらりと並べた陣地もほぼ完成して、高い櫓も二つできあがり、櫓の上からグスク内の様子がよく見えた。
 サハチが櫓に登ると三の曲輪内の隅に建つ物見櫓から弓矢が何本も飛んで来たが、皆、楯によって防がれた。
 グスク内は島添大里グスクと同じくらいの広さがあって、三の曲輪には城下の避難民たちが、二の曲輪には家臣たちの家族がいるようだった。一の曲輪は少し高い所にあって、屋敷がいくつも建っているが、二階建てはないようだ。
 二の曲輪にも大きな屋敷が建っていた。山南王の正使を務めたシラーの屋敷だったのかもしれない。奧の方は狭くなっていて岩場があって、ウタキ(御嶽)のようだった。
 サハチは島添大里グスク攻めの時のように兵たちと一緒にいようと思っていたのに、サムレー大将の慶良間之子(きらまぬしぃ)に止められた。サハチがいると兵たちが気を使ってしまうので、本陣にいてくれという。サハチは以前と同じ気持ちでいても、中山王(ちゅうさんおう)の世子(せいし)であるサハチは雲の上の人だと兵たちは思っているようだった。仕方なく、サハチは本陣の屋敷にいる事にした。
 その夜、敵の奇襲があった。玻名グスク按司の弟の中座按司が五十人の兵を率いて背後から襲撃したが、まんまと罠(わな)にはまって逃げて行った。月のない夜に松明(たいまつ)も持たず、ただ東方の陣地の篝火(かがりび)を目当てに攻めて来て、足下(あしもと)も確認せずに落とし穴に落ちたのだった。落とし穴には尖った杭が何本も打ってあり、十数人の兵が串刺しにされた。味方の悲鳴に驚いて、敵は攻める事なく逃げ散った。
 そして、早朝、中座按司はまた攻めて来た。今度は海岸からだった。待ち構えていたクルーの兵に、二十人近くがやられて海へと逃げて行った。
 東方の按司たちは陣地造りに精を出すだけで、グスクを攻める事はなく、グスクからも攻撃はなかった。寒さも厳しくなり、雨も多くなるので、小屋をいくつも建てていた。島添大里グスク攻めの時とは違って、必要な資材は各地から八重瀬グスクに集められ、陣地まで運ばれて来た。丈夫な朝鮮(チョソン)の綿布(めんぷ)は陣地造りに非常に役に立ち、兵たちに喜ばれた。
 二日目の夜は夜襲もなく、翌朝の攻撃もなかった。三日目に奥間大親の倅のキンタが来て、玻名グスクを救援するための準備をしている按司はいないと言って、各グスクの兵力を教えてくれた。
 米須グスクと真壁(まかび)グスクにそれぞれ二百人の兵がいた。それらの兵が攻めて来たら、挟み撃ちにされる可能性があった。
摩文仁は玻名グスクはしばらく放っておいて、何か別の事をたくらんでいるようです」とキンタは言った。
「何をたくらんでいるんだ?」
「離間策(りかんさく)ではないかと思います。摩文仁の倅の摩文仁按司が豊見グスクの侍女と頻繁に会っています。その侍女は間者(かんじゃ)だと思われます。豊見グスクには保栄茂按司(ぶいむあじ)がいます。保栄茂按司を味方に引き入れようとしているのか、あるいは本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)と何かをたくらんでいるのか、兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)を寝返らせようとしているのかわかりませんが、仲違(なかたが)いさせようとたくらんでいるようです」
「保栄茂按司も兼グスク按司も山南王妃の息子だ。母親を裏切る事はあるまい」
「そうかもしれませんが、山南王の座というのは人を狂わせますから何とも言えません。保栄茂按司テーラーにおだてられたら山南王になろうと考えるかもしれません。それと、兼グスク按司ですが、妻は滅ぼされた中グスク按司の娘です。中山王を敵(かたき)だと思っています。摩文仁から保栄茂按司を山南王にして、山北王(さんほくおう)を味方に付けたら、中山王を倒すのも夢ではない。中山王を倒して、お前が中山王になればいいとでも言われたら、母親を裏切るかもしれません」
「皆、若いからな。おだてられて踊るかもしれんな。摩文仁も一筋縄ではいかん曲者(くせもの)だな」
「察度(さとぅ)(先々代中山王)の倅ですから、そう簡単には倒せないでしょう。それと、新垣按司(あらかきあじ)が長嶺按司(ながんみあじ)に接近しています」
「長嶺按司は高麗(こーれー)に逃げた山南王の弟だったな。お前が山南王になれとおだてられているのか」
「それもありますが、新垣按司が動いたのが不思議だったので調べてみたのです。島尻大里の城下に住んでいる鍛冶屋が理由を知っていました。長嶺按司は兄が高麗に逃げたあとも、母親と一緒に城下に住んでいました。その時、新垣按司も近所に住んでいて、長嶺按司は新垣按司の娘といい仲になったようです。誰もが二人は一緒になるものと思っていたのですが、山南王の命令で、娘婿になってしまい、その娘はその後、お嫁には行かずにヌルになったようです」
「ほう、好きだった女子(いなぐ)を捨てて、山南王の婿を選んだのか」
「そのようです。長嶺按司はまだその娘には未練があるようで、側室にしようとしたけど断られたようです」
「新垣按司はシタルーの娘なんか捨てて、自分の娘と一緒になれと言っているのか」
「そうかもしれません。そして、山南王になれとおだてているのかもしれません。自分の娘が王妃になれば、新垣按司の地位も上がりますから必死に口説いているのかもしれません」
「山南王の座か‥‥‥摩文仁と新垣按司が何をしようとしているのか、よく見張っていてくれ」とサハチはキンタに頼んだ。
 キンタが帰ったあと、陣地を見回っているとマウシとシラーが与那原の兵を率いてやって来た。
「キラマから来た兵か」とサハチが兵たちを見ながら聞くと、マウシはうなづいて、
「皆、張り切っています」と大将らしい顔付きをして言った。
 大将も若く、兵たちも若いが、マウシとシラーなら立派なサムレー大将になってくれるだろうとサハチは思った。
「ジルムイは留守番か」と聞くと、
「あいつはいつも籤運(くじうん)が悪いようです」とマウシとシラーは笑った。
 最後尾に見慣れないサムレーがいると思ったらササたちだった。ササとシンシンとナナが鎧(よろい)を着て、馬に乗っていた。そして、鎧を着ていないサタルーも一緒にいた。
「あたしたちが来たからには、この戦は必ず勝つわ」とササは自信たっぷりに言った。
「あたしもいるわ」と誰かが言った。
 サハチは空を見上げて、
「ユンヌ姫様も連れて来たのか」とササに聞いた。
 ササは笑って、「ユンヌ姫様の方が先に来ていたのよ。戦見物が好きみたい」と言った。
「ユンヌ姫様はいてもいいが、お前たちは引き上げろ。三人の美人(ちゅらー)が陣地内をうろうろしていたら兵たちの士気が乱れるからな」
「そんな、せっかく来たのに」
「戦が終わったらグスクのお清めを頼むよ」
 帰れと言っても素直に帰りそうもないので、陣地の事は佐敷大親に任せて、サハチはササたちを具志頭グスクに連れて行った。具志頭グスクに古いウタキがあると言ったら興味を持ったようだった。サタルーも付いて来たが、具志頭グスクを見ておくのも今後のためになるだろうと思って何も言わなかった。
 具志頭グスクは島添大里のサムレー大将、古堅之子(ふるぎんぬしぃ)が率いる百人の兵が守っていた。古堅之子は二番組の副大将だったが、大将の兼久之子(かにくぬしぃ)が父親の跡をついで首里のサムレー大将になったので、大将に昇進していた。サハチは古堅之子に話があると言って、ササたちを先に行かせた。
 一の曲輪の屋敷でイハチを見たササは、
「お前が具志頭按司になったとは驚いた」と言って笑った。
「ササ姉(ねえ)、ヤマトゥから帰って来たのですね。お帰りなさい」とイハチは笑ったあと、「その格好はどうしたのです。戦に行くのですか」と聞いた。
「戦に来たんだけどね、美人は駄目だって言われたのよ」
「誰なの?」とナカーがイハチに聞いた。
「馬天ヌルの娘のササです」とイハチはササを紹介した。
「えっ、ササちゃんなの?」とナカーは驚いた顔をしてササを見ていた。
 ササちゃんと呼ばれても、ササには誰だかわからなかった。
「あなたが赤ん坊だった時、わたしは具志頭に嫁いで来たのよ。嫁いだと言ってもここじゃないわ。城下に住んでいたサムレーのもとに嫁いだのよ」
「佐敷の人なんですか」
 ナカーはうなづいて、「佐敷グスクで、あなたのお母さんと一緒に奥方様(うなじゃら)から剣術を習っていたのよ」
「そうだったのですか」
「チミーからあなたの噂は聞いていて、立派なヌルだって事は知っていたけど、まさか、鎧姿で現れるなんて思わなかったわ。あなたのお母さんも型破りなヌルだったけど、あなたも相当なものね」
 ナカーはササを見ながら楽しそうに笑った。
 ササはシンシンとナナを紹介した。
 女たちが楽しそうに話しているのを聞いて、長老の寄立大主(ゆったちうふぬし)が顔を出した。長老の顔を見て、ササの脳裏に、祖父のサミガー大主と長老が楽しそうに酒を飲んでいる場面が映し出された。
「お爺があなたに贈ったヤマトゥの刀を覚えていますか」とササは長老に聞いた。
「お爺とは誰じゃ?」と長老は聞いた。
「サミガー大主様のお孫さんのササさんです」とナカーが言った。
「サミガー大主の孫?」
「馬天ヌル様の娘さんです」
「ほう、そうじゃったのか。勇ましい姿じゃのう」と長老はササを見て笑ってから、「サミガー大主からもらった刀はわしの守り刀として大事にしておるよ」と言った。
「しかし、あれはかなり前の事じゃ。そなたがどうしてそんな事を知っているんじゃ?」
 ササは笑って、「長老様の顔を見た途端、お爺が長老様に刀を贈った場面が見えたのです」と言った。
「ほう」と言って、長老はササを見つめた。
「大事にしていただき、お爺に代わってお礼を申します」
 ササはそう言って、ヤマトゥ旅の話の続きを話し始めた。
 ササたちは具志頭ヌルの案内で、グスク内のウタキを拝むと帰って行った。
 寄立大主はササがどうして、刀の話をしたのか気になって、刀掛けに飾ってある刀を改めてよく見た。時々、手入れはしているが、実戦に使っていないので、研ぎには出していなかった。
 もしや、茎(なかご)に何か隠されているのかと思って、目釘を抜いて柄(つか)をはずすと、小さな紙が茎に巻いてあった。紙を開いてみると、サミガー大主の字で、『いつの日か、倅か、孫がそなたのお世話になるかもしれない。その時はよろしくお願い申す』と書いてあった。
 寄立大主は懐かしいサミガー大主の字を見ながら目が潤んでいた。
 この刀をもらったのは、サミガー大主の息子が佐敷按司になったお祝いに行った時だった。大した物を贈ったわけでもないのに、立派な刀をお返しにくれた。喜んで受け取ったが、この刀にはこういう意味があったのかと、今、ようやくわかった。倅でも孫でもなく、曽孫(ひまご)が具志頭にやって来るなんて、サミガー大主もあの世で驚いている事だろう。
 寄立大主は紙を元に戻して目釘を打つと、刀を刀掛けに置いて、両手を合わせた。

 

 

 

侠客国定忠次一代記   国定忠次外伝 嗚呼美女六斬

2-133.裏の裏(改訂決定稿)

 島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクが他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の兵に包囲された日の翌朝、信じられない事が起きていた。
 グスク内に閉じ込められているはずの按司たちが兵を率いて、昨日の早朝と同じように攻めて来たのだった。他魯毎の兵たちは見張りの者を除いて、皆、安心して眠っていた。見張りの者たちもグスクの方を見ているので、近づいて来る敵には気づかなかった。
 法螺貝(ほらがい)が鳴り響いて、何事だと驚いた時には、すでに敵の先鋒が攻めて来ていた。武装もしていない他魯毎の兵たちは戦うどころではなく、混乱に陥って、我先にと逃げ散って行った。討ち取られた兵は二百人近くにも及び、あちこちに無残な姿をさらしていた。


 その頃、八重瀬(えーじ)グスクを攻めた東方(あがりかた)の按司たちの兵が具志頭(ぐしちゃん)グスクを包囲していた。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)が指揮を執って、マチルギと馬天(ばてぃん)ヌル、イハチ(サハチの三男)とチミーの夫婦も加わっていた。具志頭グスクは崖の上にあって、おまけにグスクを囲むように川が流れていて、容易に落とせるグスクではなかった。
 豊見(とぅゆみ)グスク攻めで、抜け穴に入って行った具志頭按司と五十人の兵が戦死して、以後、喪(も)に服していて戦(いくさ)には参加していない。百人前後の兵でグスクの守りを固めているはずだった。
 馬天ヌルとマチルギとチミーが馬に乗って大御門(うふうじょー)(正門)の前に進み出た。
 大御門の上の櫓(やぐら)から守備兵が見ていたが、弓は構えていなかった。
「奥方様(うなじゃら)(ナカー)にお話があるの。出て来てくれないかしら」とマチルギが言った。
 しばらくして大御門が開いて、馬に乗ったナカーと具志頭ヌルが現れた。
 五人は馬上で四半時(しはんとき)(三十分)近く話し合っていた。
 ようやく戻って来たマチルギは、
「長老と相談してから答えを出すって言ったけど、長老はチミーを可愛がっていたので、大丈夫だろうって言っていたわ」とサハチに言った。
「イハチを具志頭按司にするって言ったら驚いていたわ。そう言ったら二人の顔色も和らいで、話はうまく行きそうよ。それと、按司の母親が亡くなったらしいわ」と馬天ヌルは言った。
按司の母親というのはヤフスの奥さんだった女だな?」
「そうよ。タブチ(先代八重瀬按司)に頼み込んで、先代の按司を倒して、息子を按司にした母親よ。息子の戦死を聞いて、頭がおかしくなってしまったみたい。グスクの石垣から飛び降りて亡くなったらしいわ」
「そんな事があったのか。ところで、長老というのは誰なんだ?」
「チミーのお父さんの叔父さんよ。もう八十を過ぎているらしいわ」とマチルギが答えた。
「その長老次第というわけか。その長老にも息子はいるんだろう」
「息子は戦死して、孫がサムレー大将を務めているらしいわ」
「その孫が邪魔しなければいいんだがな」と言って、サハチは空を見上げた。
 サシバが鳴きながら飛んでいた
 長老の許しが出て、具志頭グスクは開城した。まず、グスク内に避難していた城下の人たちが解放された。城下の人たちはチミーを見ると、「お嬢様(とーとーぐゎー)が帰っていらした」と皆が嬉しそうな顔をした。
 城下の人たちが出たあと、守りを固めていた兵たちが武器を手放して、二の曲輪(くるわ)に整列した。百人余りの兵の見守る中、サハチはイハチとチミー、馬天ヌルとマチルギだけを連れて、具志頭ヌルの案内で、一の曲輪の屋敷に入った。
 屋敷の中で長老が待っていた。
「寄立大主(ゆったちうふぬし)でござる」と長老は低い声で言って頭を下げた。
 八十歳を過ぎているとはいえ、武将としての貫禄があった。
「わしの親父と兄貴は中山王(ちゅうざんおう)の察度(さとぅ)に殺された」と長老は言った。
「わしの妻の親父は八重瀬按司だった。与座按司(ゆざあじ)だった汪英紫(おーえーじ)に、義父も甥の若按司も殺された。わしの倅も汪英紫に殺されたんじゃよ」
 長老はそう言って、昔を思い出しているのか宙をぼんやりと見ていた。
「辛い事や悲しい事があると、わしは馬天浜に行ったんじゃよ」
「えっ!」とサハチは驚いて、馬天ヌルと顔を見合わせた。
 マチルギも驚いた顔して長老を見ていた。
「サミガー大主(うふぬし)に会いに行ったんじゃ。海を見ながら一緒に酒を飲むと、なぜか、心が落ち着いたんじゃよ」
「父を御存じだったのですか」と馬天ヌルが聞いた。
「そなたが五、六歳の頃に会っているはずじゃ。可愛い女の子じゃった。今でも美人(ちゅらー)じゃのう。わしは三男だったので、フラフラとあちこちに行って、馬天浜でサミガー大主と出会ったんじゃよ。その頃、美里之子(んざとぅぬしぃ)も馬天浜にいて、三人で将来の夢など語り合ったものじゃった。風の噂で、サミガー大主の倅が佐敷按司になったと聞いた時も、驚いて会いに行った。サミガー大主の孫のそなたが島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)になったと聞いた時には本当に驚いた。その時の島添大里按司はヤフスじゃった。ヤフスが婿養子として具志頭に入って来てから、ここはおかしくなってしまったんじゃ。そなたがヤフスを討ってくれたと聞いて、わしは大喜びしたんじゃよ。しかし、ヤフスの子供がグスク内にいて、災いを呼び込んでしまった。その子供も戦死して、具志頭もやっと元に戻れるじゃろう。サミガー大主の曽孫(ひまご)であるチミーの婿殿を歓迎する。具志頭を以前のように繁栄させてくれ」
 馬天ヌルは両手を合わせてお礼を言った。父のサミガー大主がこんな所で活躍するなんて思ってもいなかった。サハチも祖父に感謝していた。
 長老が家臣たちにイハチを按司として迎えると言ったので、反対する重臣たちはいなかった。うまく行ってよかったとサハチたちは一安心した。
 驚いたのはチミーの人気だった。チミーが家臣たちの前で挨拶をすると皆が大喜びして、お嬢様と叫んでいた。チミーが戻ってくれた事をみんなが喜んでいた。そんなチミーを見ながら、イハチも按司になる決心を固めているようだった。
 具志頭の家臣たちはそのままで、重臣として首里(すい)のサムレー大将だった兼久親方(かにくうやかた)をイハチの補佐役に付ける事と、女子(いなぐ)サムレー十八人を入れる事を条件に出して受け入れてもらった。まだ二十歳のイハチには按司という地位は重荷かもしれないが、立派にやり遂げてほしいとサハチとマチルギは願った。
 その夜、懇親(こんしん)の宴(うたげ)が開かれて、具志頭の重臣たちと東方の按司たちは仲よく酒を酌み交わした。
 ナカーの話だと、ナカーの夫だった具志頭按司の二人の妹が、山グスク大主(先代真壁按司)と中座大主(先代玻名グスク按司)の妻になっているという。島添大里按司の息子が具志頭按司になったと聞いたら、攻めて来るかもしれないと心配した。
「このグスクはそう簡単には落とせないから大丈夫だろうが、敵に内通する者が現れるかもしれない。米須(くみし)や玻名(はな)グスク、真壁(まかび)とつながりのある者たちは注意した方がいい」とサハチは助言した。
 ナカーはうなづいて、「一人一人調べて、危険な者は出て行ってもらうようにします」と言った。
「あたしも手伝うわ」とマチルギはナカーを見て、うなづいた。


 島尻大里グスクでも戦勝祝いの宴が開かれていた。山南王(さんなんおう)就任の儀式の時は皆、偽者だったので、本物の按司たちが揃って祝い酒を楽しんでいた。
「今回の勝ち戦(いくさ)はすべて、慶留(ぎる)ヌルのお陰じゃのう」と摩文仁(まぶい)(島尻大里の山南王)が機嫌よく笑って慶留ヌルを見た。
 慶留ヌルは島尻大里ヌル(先代米須ヌル)と真壁ヌルと一緒にいた。
「十年以上もこのグスクにいるが、抜け穴があったなんて、まったく知らなかったのう」と新垣按司(あらかきあじ)が言った。
「わたしもすっかり忘れていたのです」と慶留ヌルは言った。
「きっと、先代の山南王(シタルー)が塞いでしまったものと思っておりました。二の曲輪の隅にあるウタキ(御嶽)にお祈りした時、ふと思い出して、ウタキの裏に行ってみたのです。まったく当時のままでした。伯父(汪英紫)が亡くなってから誰も触っていないように思えました。もしかしたら抜け穴はまだ生きているのかもしれないと思って、真壁殿に知らせたのです」
「しかし、あのウタキが偽物だったとは驚いたのう」と真栄里按司(めーざとぅあじ)が言った。
「先代のヌルが、このグスクの守り神だと言って、毎朝、拝んでいたからのう」
「わたしがそのように教えたのです」と慶留ヌルは言った。
「伯父はあそこに物見櫓(ものみやぐら)を建てるつもりだったのです。柱を立てるために穴を掘ったら大きなガマ(洞窟)にぶつかって、そのガマを調べたら抜け穴として使える事がわかったのです。石垣の向こう側、東曲輪(あがりくるわ)にウタキがあるので、そこのウタキとつながっているように装って、大きな石を置いてウタキにしたのです」
「その細工をした者は殺されたのか」
「いえ、伯父が信頼していた大工です。幸い、普請(ふしん)が始まる前に発見したので、その大工しか知りません。伯父はその大工と二人だけでガマを調べて抜け穴にしたのです。その大工は伯父が亡くなる以前に亡くなりました。抜け穴の事を知っているのは伯父とわたしの二人だけになりましたが、伯父が亡くなる時、当然、息子たちに伝えたと思っておりました。先代の山南王は警戒心が強いので、危険な抜け穴は塞いでしまったものと思っておりました」
「抜け穴がある限り、わしらをここに閉じ込める事はできん」と摩文仁は楽しそうに笑った。
「真壁殿、よいヌルを側室に迎えたのう」と新垣按司が真壁按司を見た。
「わしもつい最近まで知らなかったんじゃ」と山グスク大主(うふぬし)が言った。
「わしが隠居した時に、初めて教えてくれたんじゃよ。倅は義弟の与座按司に会いに与座によく行っていた。余程、馬が合うのだろうと思っていたら、与座ではなく、慶留に行っていたとはのう。しかも、二人も子供がいると聞いて本当に驚いた。わしの姉の名嘉真(なかま)ヌルに慶留ヌルの事を聞いたら、姉は倅と慶留ヌルの関係を知っていて、子供たちがよく遊びに来ていたと言った。まったく、わしだけのけ者にされておったんじゃよ。倅が慶留ヌルといい仲になったお陰で、今回の戦に勝った。わしは倅の奴を見直したぞ」
「慶留ヌルは先代の王様(うしゅがなしめー)の従妹(いとこ)でしたから、知られたら一大事になると思って隠していたのです」と真壁按司は言った。
「慶留ヌルも慶留から離れたくないと言うし、俺が通って行けばいいと思って、通い続けて、早いもので十年余りが過ぎました。王様が突然、亡くなって、摩文仁殿が王様になって、慶留ヌルがそれを助けてくれるなんて、夢にも思っていませんでした」
「新垣殿も真栄平(めーでーら)ヌルを側室に迎えておるのう。先代の王様は座波(ざーわ)ヌルを側室にしておったし、賀数大親(かかじうふや)は大村渠(うふんだかり)ヌルを側室にしておる。そう言えば、大村渠ヌルはどうしたんじゃ。顔が見えんようじゃが」と真栄里按司が誰にともなく聞いた。
「前回の宴の時、按司たちが皆、偽者じゃと気づいてしまったんで、蔵に閉じ込めてある」と摩文仁が言った。
「いくら敵になったとはいえ、大村渠ヌルはそなたの姪じゃろう。あの時、閉じ込めたのなら、抜け穴の事は知るまい。返してやったらどうじゃ。ヌルを干し殺しにしたら祟(たた)られるぞ」
「そうじゃのう。賀数大親に返してやるか。それより、テハの配下の者たちはまだ見つからんのか」
「テハとの連絡をしていた侍女は見当たりません。すでに出て行ったと思われます」と波平按司(はんじゃあじ)が答えた。
「それと、御内原(うーちばる)にいた侍女と城女(ぐすくんちゅ)がいると思われますが、誰だかわかりません。側室たちがほとんど出て行ったので、テハの配下も一緒に出て行ったのかもしれません」
「テハは王様の側室たちを見張っていたのか」と摩文仁は聞いた。
「中山王から贈られた側室、八重瀬按司から贈られた側室、ヤンバル(琉球北部)の材木屋から贈られた側室がおりました。一緒に来た侍女たちが怪しい動きをしないか見張っていたのです」
「成程な。もし、テハの配下が残っていて、抜け穴の事を知らせたら大変な事になる。抜け穴の入り口は厳重に見張っておけよ」
「かしこまりました」と波平按司はうなづいた。
「戦が終わったら、そなたも若い側室たちに囲まれて暮らす事になるのう」と中座大主が羨ましそうな顔をして摩文仁に言った。
「贈られて来るものを送り返すわけにも行くまい」と摩文仁はニヤニヤと笑った。
 一旦、城下に戻って、着替えて来た『若夏楼(わかなちるー)』の遊女(じゅり)たちが賑やかに登場して、宴は華やかになっていった。
 摩文仁の次男の摩文仁按司が来て、八重瀬グスクが炎上して、タブチが戦死した事を伝えた。
「何じゃと?」と摩文仁は驚いた顔して息子を見つめた。
「どうして、タブチが八重瀬グスクにいるんじゃ。どこかの島に逃げたのではないのか」
「俺もわけがわからなかったので、城下の者たちに聞いてみたのです。タブチが山南王を辞めた事を知った東方の按司たちは、長嶺(ながんみ)グスクの包囲をやめて撤収しました。すると、なぜか、八重瀬グスクを攻めていた兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)と瀬長按司(しながあじ)も撤収したようです」
「なぜ、撤収したんじゃ?」
 摩文仁按司は首を傾げて、「わかりません」と言った。
「グスクを包囲していた敵がいなくなったので、タブチは八重瀬グスクに戻ったようです。八重瀬グスクにいたチヌムイを連れに戻ったのか、何か忘れ物でも取りに行ったのかわかりませんが、グスクから出る前に、東方の按司たちが八重瀬グスクに攻めて来たようです。タブチの長男の八重瀬按司はグスクを開城すると言って、城下の人たちや家臣や侍女たちを解放して、その後、東方の按司たちと戦って破れ、屋敷に火を放って戦死したようです」
「東方の按司たちはどうして八重瀬グスクを攻めたんじゃ。仲間ではないのか」
「騒ぎを起こした者たちを東方の按司たちが退治すると言っています。八重瀬、具志頭、玻名グスク、米須、真壁と攻めて行くようです」
「何じゃと? 米須も攻めるじゃと?」
「どうも、その事で、他魯毎と手を打って、八重瀬攻めから手を引かせたようです。タブチが戦死したのは、丁度、山南王の就任の儀式があった日で、すでに新しい按司も決まっていました」
「誰が八重瀬按司になるんじゃ?」
「島添大里按司の弟の与那原大親(ゆなばるうふや)です。与那原大親の妻はタブチの娘で、新(あら)グスク按司の姉なので、すんなり決まったようです」
「中山王の倅が八重瀬按司になったのか。くそっ、タブチがいなくなって、八重瀬グスクが中山王の物となるとはのう。具志頭グスクは何としても守らなくてはならん。とりあえずは、お前と中座按司が明日の朝、具志頭に向かって守りを固め、東方の按司たちから守れ。すぐに救援を送って、奴らを追い返してやる」
「わかりました」と摩文仁按司はうなづいて、父が注いでくれた祝い酒を一息に飲んで、嬉しそうに笑った。


 翌日、摩文仁按司と中座按司が兵を率いて具志頭グスクに行った時、グスクには中山王の家紋『三つ巴』の旗がいくつもなびいていて、守っているのは東方の兵たちだった。百人の兵ではとても戦えないと摩文仁按司と中座按司は玻名グスクまで退却した。
 具志頭グスクの戦後処理を終えたサハチは報告のために首里に戻って、島尻大里グスクの包囲陣が壊滅した事を知って驚いた。
「信じられん。一体、何が起こったのです?」とサハチは思紹(ししょう)(中山王)とファイチ(懐機)に聞いた。
「どうも、抜け穴があったようじゃ」と思紹が言った。
「シタルーがまた抜け穴を造ったのですか」
「シタルーではなく、親父の汪英紫かもしれません。でも、摩文仁がどうして抜け穴の事を知ったのか。それが不思議です」とファイチが首を傾げた。
「誰が造ったにしろ、抜け穴があるという事は、奴らを閉じ込める事はできんという事じゃ。玻名グスク攻めは厳しい戦になりそうじゃ」と思紹は言った。
 具志頭グスクを奪われた事を知った摩文仁は今頃、玻名グスクの守りを固めているに違いなかった。
 具志頭グスクは、サミガー大主のお陰でうまくいったとサハチが話していると、ヤマトゥ(日本)から交易船が帰って来たと麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)が知らせに来た。
 皆、驚いた顔で麦屋ヌルを見た。いつもより一か月近くも早い帰国だった。
伊平屋島(いひゃじま)の我喜屋大主(がんじゃうふぬし)からの知らせです。まもなく、浮島(那覇)に着くようです」
 サハチはファイチと一緒に浮島に向かった。
 すでに多くの人たちが集まっていて、サハチたちが浮島に着いた頃、小舟(さぷに)による上陸が始まっていた。
 ササたちが小舟から降りて来て、サハチの所に駆け寄って来た。
「戦(いくさ)が始まったのね?」とササはサハチに聞いた。
「早耳だな。南部で戦をやっている」
「山南王が亡くなったのは本当だったのですね」とカナ(浦添ヌル)が聞いた。
伊平屋島でも噂になっているのか」とサハチが聞くと、
「あたし、山南王がチヌムイに斬られる場面を対馬(つしま)で見たの。それで、早く帰って来たのよ」とササが言った。
「そうだったのか。それで早く帰って来たのか。お前、チヌムイを知っていたのか」
首里や佐敷のお祭りに、八重瀬の若ヌルと一緒によく来ていたわ。ンマムイの兼グスクに行った時にも会ったわ。それで、チヌムイは無事なの?」
「無事だよ。若ヌルもな」
「もしかして、山南王はチヌムイの敵(かたき)だったの?」
 サハチはうなづいて、「話が長くなるから今晩、詳しく話すよ」と言った。
「今年もお土産があるわよ」と言って、ササは福寿坊(ふくじゅぼう)と一緒にいる僧侶を指差した。
「呑兵衛(のんべえ)のお医者さんよ。無精庵(ぶしょうあん)ていうの。腕は確かだわ」
「なに、医者を連れて来たのか。ありがとう」
 サハチはササにお礼を言って無精庵を見た。名前の通りに見た目を気にするような人ではなさそうだが、何となく親しみのある顔付きで、腕のある医者のような気がした。
「今回の旅はまったくついていなかったわ。ついていたのはカナだけよ」とササはカナを見て苦笑した。
 総責任者の手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)、正使のジクー(慈空)禅師、副使のクルシ(黒瀬大親)、サムレー大将の宜野湾親方(ぎぬわんうやかた)と小谷之子(うくくぬしぃ)、女子サムレーの隊長のカナビー、福寿坊、皆、元気に帰って来た。
「御苦労だった」とサハチはクルーをねぎらった。
「見事な七重の塔を見てきました。前回行った時はまだ普請中だったので、完成した姿を見たかったのです。凄かったです」
「登ったか」とサハチが聞くと、嬉しそうな顔をしてうなづいて、「高橋殿が連れて行ってくれました」と言った。
 ジクー禅師とクルシにお礼を言っているとマグルーが現れた。シンゴ(早田新五郎)の船で帰って来るはずのマグルーとサングルーとクレーも一緒に帰って来た。
「いい旅でした」とマグルーが嬉しそうに言った。
「そうか。お前の留守中、色々とあってな。お前のお嫁さんが決まったんだ」
「えっ!」とマグルーは驚いた。
「今晩、詳しく教える」
 マグルーは何か言いたそうだったが、何も言わなかった。
 会同館での帰国祝いの宴で、サハチはササから高橋殿の父親、道阿弥(どうあみ)が亡くなった事を知らされた。ササは道阿弥の猿楽(さるがく)を観たようだが、サハチは観ていなかった。高橋殿が得意とする『天女の舞』は道阿弥が作ったという。亡くなる前に一度観てみたかったと思った。
「御台所様(みだいどころさま)のお腹が大きかったので、今年は遠出はしなかったの。でも、京都の街中を歩き回ったのよ。古い都だけあって、色々な神様に会って来たわ。それに、京都に行く前、備前(びぜん)の児島(こじま)で、英祖(えいそ)様のお父様も見つけられたのよ。ユンヌ姫様と一緒に琉球に来て、伊祖(いーじゅ)ヌル様と会っているはずだわ」
「そうか。カナの頼まれ事も解決したのか」
 そう言ってサハチはササを見た。来年はもうヤマトゥに行かないかもしれないと思った。
「また大きな台風が来てね、京都は大変だったのよ。梅雨に雨が降らなくて、あちこちで雨乞いの祈祷(きとう)をしていたわ。台風が来て大雨を降らせたのはいいんだけど、あちこちで川が氾濫して、多くの人が流されてしまったのよ。避難民たちの炊き出しで大忙しだったわ」
「炊き出しを手伝っていたのか」
「当然よ。高橋殿と一緒に避難民たちのお世話をしていたの。スサノオの神様も出雲(いづも)の方に行っていて留守だったんだけど、台風のあとに帰って来てね、助けてくれたわ」
スサノオの神様が何を助けたんだ?」
「京都中の神様に命令したみたい。困っている人たちを助けなさいって。神様のお告げがあったと言って、どこの神社も進んで食糧を出すようになったのよ。お告げがなかったら、きっと隠していたに違いないわ。慈恩禅師(じおんぜんじ)様が言っていたけど、仏教も神道(しんとう)も組織ができると、その組織を守ろうとして、仏様や神様の事は二の次になってしまって、だんだんとその組織は腐ってしまうんですって。京都のお寺や神社は古いから、その組織はみんな腐っているのよ。組織の上の者たちが手に入れた富を手放そうとしないんだわ」
「組織は腐るか‥‥‥慈恩禅師殿がそんな事を言っていたのか」
「無精庵様なんだけどね、慈恩禅師様の知り合いなのよ」
「なに、弟子なのか」
「お弟子じゃないみたい。昔、一緒に旅をしたらしいわ。慈恩禅師様のお話をしたら懐かしがって琉球まで来たのよ」
「そうだったのか」
「台風の避難民たちを助けている時に出会ってね、昔は将軍様にも仕えていた名医だったらしいわ。高橋殿も知っていて、その変わり様に驚いていたわ。奥さんが悪い病に罹ってね、それを治す事ができなかったからって、お医者を辞めてしまって、お酒浸りの日々を過ごしていたらしいわ。そんな時、慈恩禅師様と出会って、一緒に旅をして立ち直ったみたい。また、お医者に戻ったけど、偉い人たちには近づかないで、庶民たちの病や怪我を治しているのよ」
「そうか」と言って、サハチはジクー禅師とクルシと一緒に楽しそうに酒を飲んでいる無精庵を見た。本当にうまそうに酒を飲んでいた。
「いい人を連れて来てくれた。ありがとう」
 留守中に旧港(ジゥガン)(パレンバン)のシーハイイェン(施海燕)たち、ジャワ(インドネシア)のスヒターたちが来た事を教えると、ササたちは会いたかったわねと悔しがった。
 サハチはササたちに今の状況を説明した。
「えっ、サグルーが与那原大親になるの?」とササは驚いた。
「サムレー大将はジルムイ、マウシ、シラーの三人だ」
「えっ、あの三人がサムレー大将? 大丈夫かしら」と心配したあと、「ねえ、あたしたちも与那原に行こうかしら」とササはシンシンとナナの顔を見た。
「面白そうね」とナナが言った。
「行きましょうよ」とシンシンが笑った。
「お前たちが与那原に行ったら、佐敷はどうする?」
「マチ(佐敷若ヌル)がいるから大丈夫よ。ファイリン(懐玲)もいるし、それに、あたしのガーラダマ(勾玉)は運玉森(うんたまむい)ヌルのガーラダマよ。運玉森にいるのが当たり前なのよ。あれ、あたし、チチーを運玉森ヌルに育てなければならないんだけど、チチーは八重瀬ヌルになっちゃうの? サグルーにはまだ娘はいないし、誰が運玉森ヌルになるの?」
「ヌルの事は運玉森ヌル(先代サスカサ)様と相談しろよ」とササに言って、サハチはマグルーの所に行った。
 マグルーはマチルギと馬天ヌルに旅の話をしていた。マチルギと馬天ヌルも具志頭の家臣たちの身元調べが終わって、首里に戻っていた。
「半数近くの者が具志頭グスクから出て行く事になりそうだわ」とマチルギは言った。
「そうか、仕方がないよ」とサハチは言ってから、「お嫁さんの事は話したのか」と聞くと、「まだよ」とマチルギは首を振った。
「お嫁さんの事なんですけど」とマグルーは言って、少し口ごもり、「実は好きな人がいるんです」と言った。
「相手の気持ちはまだわからないんですけど」
「あら、そんな人がいたの?」とマチルギはとぼけた。
「ヤマトゥ旅に出る前に、待っていてくれって言ったんですけど、半年も待っていたかどうかはわかりません」
「何だ、自信がないのか」とサハチは聞いた。
「だって、相手は有名な美人(ちゅらー)だし‥‥‥」
「大丈夫よ」とマチルギは笑った。
「ちゃんと、あなたの無事を祈りながら待っていたわ」
「えっ!」とマグルーは驚いた顔して母親を見た。
「誰だか知っているんですか」
 サハチが手を上げた。ンマムイ(兼グスク按司)がマウミを連れて入って来た。
「花嫁の御入来だ」とサハチが言って、マウミの方に手を差し出した。
 サハチの手の先の方を見たマグルーは目を丸くして、マウミを見つめた。
「本当にマウミが俺の花嫁に‥‥‥」
 サハチとマチルギは笑ってうなづいた。
 指笛が鳴り響いた。拍手が沸き起こった。会場にいる皆がマグルーとマウミを見て祝福してくれた。
「お帰りなさい」とマウミが言った。
「ただいま」とマグルーが言った。
 二人はじっと見つめ合っていた。二人の目はあまりの嬉しさで涙に濡れていた。
「話したい事がいっぱいあるだろう。二人で庭でも散歩してこい」とサハチが言った。
 マグルーとマウミはみんなに頭を下げて、仲よく出て行った。
「あなたがヤマトゥから帰って来た時の事を思い出したわ」とマチルギが言った。
「あの時、お前がいたので驚いた。でも、馬天ヌルと佐敷ヌルと一緒にいる姿が、当たり前のように目に映ったんだ。二人で馬天浜を歩きながら話をしたっけな」
「あなたは大きくなってヤマトゥから帰って来たわ。マグルーもきっと大きくなっているはずだわ」
「マグルーは大きくなって帰って来ましたよ」とンマムイが言った。
「一寸(約三センチ)は伸びたんじゃないですか」
 サハチとマチルギはンマムイを見て笑った。

 

 

 

陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如   陰の流れ 愛洲移香斎 第四部 早雲登場

2-132.二人の山南王(改訂決定稿)

 八重瀬(えーじ)グスクが炎上している頃、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクでは山南王(さんなんおう)の就任の儀式が盛大に行なわれていた。
 山南王になった摩文仁大主(まぶいうふぬし)(先代米須按司)は、シタルー(先代山南王)が冊封使(さっぷーし)から賜(たま)わった王様の着物を着て王冠をかぶり、感無量の顔付きだった。兄の武寧(ぶねい)が中山王(ちゅうさんおう)になった時、いつか必ず山南王になってやると心に密かに誓っていた。諦めかけていた、その夢が今、現実のものとなったのだった。
 王妃になった摩文仁大主の妻も嬉し涙で目が濡れていた。島尻大里按司の兄が、初代の山南王になったのは、長男のジャナ(米須按司)が生まれた年だった。夫婦揃ってお祝いに行き、その晴れがましい兄の姿は、今も瞼(まぶた)に焼き付いている。兄が亡くなって、甥の若按司が跡を継いだが、甥は中山王(武寧)から奪った高麗(こーれー)の美女と一緒に高麗に逃げてしまい、叔父の島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)に山南王の座を奪われた。あれから二十年という長い歳月が流れ、今、ようやく取り戻す事ができた。まるで、夢を見ているかのように幸せだった。これで、御先祖様に顔向けができると思うと嬉しくて、涙が知らずにこぼれてきた。
 山南王と王妃が島尻御殿(しまじりうどぅん)(正殿)の前に座って、御庭(うなー)には家臣たちがずらりと並んだ。島尻大里ヌルになった米須(くみし)ヌル、大村渠(うふんだかり)ヌル、慶留(ぎる)ヌル、真壁(まかび)ヌル、玻名(はな)グスクヌル、与座(ゆざ)ヌル、真栄平(めーでーら)ヌルによって儀式は執り行なわれ、摩文仁大主は『摩文仁』という名で、山南王に就任した。
 儀式のあとは南の御殿(ふぇーぬうどぅん)の大広間で祝宴が行なわれ、城下にある遊女屋(じゅりぬやー)『若夏楼(わかなちるー)』の遊女(じゅり)たちも参加して賑やかな宴(うたげ)となった。
 宴が始まって半時(はんとき)(一時間)後、島尻大里グスクは他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の一千人の兵に包囲された。城下の人たちがグスクに入れてくれと殺到したが、御門(うじょう)が開く事はなく、追い返された。城下の人たちが諦めて散って行くと、総大将の波平大主(はんじゃうふぬし)は兵を配置に付けて、攻撃する事なく陣地造りを始めた。
 守備兵から他魯毎の総攻撃を知った摩文仁は慌てる事なく、いつも通りの守備をしていればいいと言っただけで、遊女を相手に機嫌よく酒を飲んでいた。
 摩文仁は敵の総攻撃を知っていた。大村渠ヌルと慶留ヌルが山南王の就任の儀式をやろうと言って来た時、おかしいと感じた。大村渠ヌルも慶留ヌルも以前、島尻大里ヌルだった。今までどこにいたのか姿を見せなかった二人が、突然、現れて、そんな事を言うのが不自然だった。摩文仁は二人を歓迎して、それはいい考えだと二人に任せたが、次男のクグルー(摩文仁按司)に豊見(とぅゆみ)グスクの様子を探らせた。
 摩文仁が幼い頃、養子になって米須に来た時、護衛役として一緒に来たタルキチというサムレーがいた。タルキチは察度(さとぅ)(先々代中山王)が倭寇(わこう)として壱岐島(いきのしま)で暴れていた時の配下で、察度が浦添按司(うらしいあじ)になる時もサムレー大将として活躍した。
 クグルーはお爺と呼んでタルキチといつも一緒にいた。タルキチから武芸を習い、小舟(さぶに)の操り方も習ってキラマ(慶良間)の島に行ったり、一緒に旅に出てヤンバル(琉球北部)までも行っていた。クグルーが十七歳の時、タルキチは七十五歳で亡くなった。タルキチが亡くなったあとも、クグルーは一人で旅に出たりしていた。そんなクグルーに、摩文仁は各地の情報を集めてくれと頼んだ。それは面白そうだとクグルーは配下の者を集めて情報集めを始めた。じっとしているのが苦手なクグルーにとって、あちこちに行って情報を集めるのは自分に合っている仕事で熱中できた。
 思紹(ししょう)が中山王になった時に側室を贈ったのもクグルーの提案で、側室に付いて行った侍女はクグルーの配下の者だった。父がタブチ(先代八重瀬按司)からシタルー(先代山南王)に寝返った時も、シタルーに側室を贈ったが、他魯毎には贈っていなかった。その代わり、侍女が豊見グスクに入っていた。クグルーが情報集めを始めてからすでに十年が経っているので、豊見グスクの城下に住み着いた配下の女が、奥方様(うなじゃら)(マチルー)の目に止まって、侍女になれたのだった。
 豊見グスクの守りは厳重になっているが、敵が攻めて来ているわけではないので、用があれば侍女たちは城下に行く事ができた。その侍女から山南王就任の儀式の時、他魯毎が総攻撃を掛ける事を知ったのだった。
 その事を知ったのはクグルーだけではなかった。真壁按司も慶留ヌルのフシから聞いていた。フシには二人の子供がいて、父親は真壁按司だった。
 真壁按司は若按司だった頃、フシに一目惚れをした。しかし、山南王のヌルとして島尻大里グスク内に住んでいるフシに近づく事もできず、気軽に声を掛ける事もできなかった。山南王(汪英紫)が亡くなって、シタルーが山南王になった時、フシはシタルーの妹に島尻大里ヌルの座を譲って、慶留ヌルとなってグスクから出た。
 若按司はフシに会いに行って、八年前に一目惚れをした事を告げた。フシは自分をからかっていると思って相手にしなかった。若按司は何度も会いに行って、世間話などをして帰って行った。
 フシが島尻大里ヌルだった時、ウタキ(御嶽)巡りをしている馬天(ばてぃん)ヌルが訪ねて来て、フシは古いウタキを案内した。先代の島尻大里ヌル(大村渠ヌル)よりも色々な事を知っている馬天ヌルをフシは尊敬した。フシは当時、二十七歳で、マレビト神に出会えない事を心配して、馬天ヌルに相談した。馬天ヌルも三十を過ぎてから出会ったから大丈夫よと言った。でも、心を閉ざしていると気づかない場合があるから気を付けてねと言った。
 フシは馬天ヌルの言葉を思い出して、自分はずっと心を閉ざしていたのかもしれないと思った。山南王の伯父は厳しい人だった。伯父に弱みは見せられないと常に気を張っていて、心も閉ざしてしまったのかもしれなかった。心を落ち着けて思い出してみると、真壁按司の視線を時々、感じていたのは確かだった。でも、ヌルとしての自分に自信がなくて、早く一人前のヌルにならなければならないと焦っていて、マレビト神の事を考える余裕はなかった。
 若按司と何度も会って話をして、ようやく、マレビト神だった事に気づいたフシは若按司と結ばれた。翌年、娘が生まれて、その三年後には男の子も生まれた。島尻大里ヌルを辞めて、ようやく、自分らしい生き方ができるようになったと感じていた。
 何だかよくわからないが山南王のシタルーが亡くなったという噂が流れて、しばらくして、豊見グスクヌルと座波(ざーわ)ヌルがやって来た。二人は王妃のために豊見グスクに来てくれと言った。何で王妃のためにと思ったが、豊見グスクに入れば何か重要な事がわかるかもしれない。その重要な事をお土産に真壁按司に会おうと慶留ヌルは思った。二人の子供は真壁按司の伯母、名嘉真(なかま)ヌルに預けてあった。二人の子供は名嘉真ヌルを本当の祖母のように慕っていた。
 豊見グスクに入って一月近くが経った頃、重要な任務を任されて島尻大里グスクに来たのだった。慶留ヌルは真壁按司と会って、他魯毎の作戦を教えた。
 他魯毎の総攻撃を知った摩文仁は、五人の重臣たちを御庭の中央に集めて、総攻撃に対する作戦を練った。
「敵の狙いは按司たちを皆、このグスクに閉じ込める事じゃな」と新垣按司(あらかきあじ)が言った。
「大村渠ヌルはなるべく多くの人が参加した方が縁起がいいと言っていた。兵たちも閉じ込める魂胆じゃ」と山グスク大主(先代真壁按司)が言った。
「敵がその気なら逆手を取るしかないですね」と波平按司(はんじゃあじ)が言った。
「グスクに入れる兵をなるべく少なくして、敵の総攻撃を待ち伏せしよう」と真栄里按司(めーざとぅあじ)が言った。
 皆がうなづいて、綿密な作戦を練った。それから六日後、山南王の就任の儀式が行なわれ、予定通りに島尻大里グスクは他魯毎の兵に包囲された。
 遊女屋の女将が心配そうな顔でやって来て、
「王様(うしゅがなしめー)、グスクが敵に包囲されたと聞きましたが、大丈夫なのですか」と摩文仁に聞いた。
「その王様という響き、いいのう」と摩文仁は嬉しそうな顔をして女将を見た。
「王様」と女将は色っぽい目付きでもう一度言った。
「いいのう」と摩文仁は笑って、「心配ない」と言って機嫌よく酒を飲んだ。
「敵の攻撃は計算済みじゃ。今夜は楽しく飲み明かそうぞ。朝になれば、この戦も終わっているじゃろう」
「あら、本当ですの? そんな秘策がおありなのですか」
「二人も山南王はいらんからのう。偽者はさっさと退治しなければならん」
 摩文仁は愉快そうに笑って、女将の前に酒盃(さかづき)を差し出した。


 夜も更けて、島尻大里グスクの周りはいくつもの篝火(かがりび)で囲まれていた。天も摩文仁を祝っているのか、空には満天の星が輝いていた。高い石垣に囲まれたグスクの中は見えないが、祝宴は続いているとみえて、時折、賑やかな笑い声が風に運ばれて聞こえて来た。
 まだ夜が明けきらぬ早朝、東の空がいくらか明るくなり始めた頃、大(うふ)グスク、与座(ゆざ)グスク、新垣グスクの三か所から摩文仁の兵が、島尻大里グスクを包囲している他魯毎の陣地を目指して出撃した。敵はまだ眠りについている。起きていたとしても戦支度はしていない。皆殺しだと、摩文仁の兵は敵陣目掛けて突撃した。
 ところが、不思議な事に敵陣に敵兵は一人もいなかった。消えた篝火と所々に杭が打ってあるだけだった。どこの陣地も同じで、一体、敵はどこに消えたのだと摩文仁の兵は辺りを見回していた。
「夜中に逃げやがった」と誰かが言って、
「怖じ気づいたに違いない」と別の兵が言って、数人が笑った。
 総大将の新垣按司は副大将の真栄里按司を呼んで、「敵はどこに消えたんじゃ?」と聞いた。
 真栄里按司は首を傾げて、
「そういえば、大グスクを包囲していた敵もいなかったぞ」と言った。
「もしや、また裏をかかれたのではないのか」と新垣按司が言った時、法螺貝(ほらがい)の音が鳴り響いた。
 法螺貝の鳴った南の方を見ると敵が攻めて来るのが見えた。北の方からも法螺貝の音が聞こえた。北からも敵が攻めて来た。
「皆、配置に付け!」と新垣按司は叫んで、合図の法螺貝を吹いた。しかし、間に合わなかった。
 一旦、崩れてしまった態勢を立て直す事はできず、敵の攻撃に押し負け、兵が次々に倒れていった。摩文仁の兵たちは我先にと島尻大里グスクの御門(うじょう)へと向かった。新垣按司の命令で御門が開けられ、摩文仁の兵たちはグスク内へと逃げ込んだ。
 他魯毎の包囲陣を攻撃したのは、およそ一千人の兵で、兵たちを指揮していたのは按司たちだった。儀式に参加したのは皆、偽者の按司たちで、その事に気づいた大村渠ヌルは儀式のあと、捕まって蔵の中に閉じ込められていた。勿論、テハの配下の者もグスクから出さないように、厳重に見張っていた。
 摩文仁の兵たちがグスク内に逃げ込むと他魯毎の兵たちは昨日と同じように、グスクを包囲して陣地造りを再開した。ほとんどの按司も兵も島尻大里グスクに閉じ込められた。それぞれの本拠地のグスクには、グスクを守っている五十人前後の兵がいるだけなので、他魯毎の包囲陣を攻撃する力は持っていなかった。
 山南王の執務室で、新垣按司から話を聞いて、摩文仁は信じられないと言った顔で宙を見ていた。
 急に笑い出すと、「李仲按司(りーぢょんあじ)め、なかなかやるのう。わしが裏をかいたら、その裏をかきおった」と摩文仁は言って、苦虫をかみ殺したような顔をして、「何人、やられたんじゃ?」と聞いた。
「二百はやられたかと。しかし、敵も百はやられているはずじゃ」
「わしらの半分か。そして、按司たちは皆、グスクに入ってしまったんじゃな」
「玻名グスク按司摩文仁按司の姿がありません。グスクに入らずに本拠地に逃げたものと思われます」
「なに、クグルーが逃げたか」
 摩文仁は満足そうに笑った。
「それと、イシムイ(武寧の三男)も見当たりません。どこかに逃げたものと思われます」
「イシムイも逃げたか」と摩文仁はうなづいて、ニヤッと笑った。
「これからどうしますか」
「まずは炊き出しじゃ。兵たちに飯を食わせなければなるまい。そのあと、御庭で戦評定(いくさひょうじょう)じゃ」
 新垣按司が去ると、島尻大里ヌル(先代米須ヌル)と慶留ヌルが入って来た。
「慶留ヌル様にグスク内を案内してもらったのよ」と島尻大里ヌルは楽しそうに言った。
「先代が随分と改装したようで、かなり変わっていました。このお部屋もすっかり変わっています」と慶留ヌルは言った。
 部屋の中を見回してから、
「お父様が山南王になったなんて、今でも信じられないわ」と島尻大里ヌルは嬉しそうに笑った。
「これからが大変じゃ」と摩文仁は苦笑した。
 刀掛けに飾ってある刀を見て、
「まだあったのね」と慶留ヌルが言った。
「先々代の伯父(汪英紫)が中山王の察度からいただいた御神刀(ぐしんとう)です。この刀があれば、王様を守ってくれるでしょう」
 慶留ヌルから御神刀のいわれを聞いた摩文仁は、自分の刀と交換して、察度の御神刀を腰に差し、これで山南王の座も安泰じゃと自信を持った。


 総大将の波平大主からの知らせを聞いて、作戦がうまく行った事を知ると、李仲按司は満足そうにうなづいた。
 慶留ヌルのマレビト神が真壁按司だった事は李仲按司も知らなかったが、豊見グスクに敵の間者(かんじゃ)が紛れ込んでいる事は知っていた。儀式の最中の総攻撃は必ず、敵の知る所となろう。それを知った敵がどう出るかを予想して、夜になってから陣地に使者を送って、国吉(くにし)グスクと照屋(てぃら)グスクに密かに撤収させた。敵が夜明けに包囲陣を攻撃したら、その敵を包囲してグスク内に閉じ込めろと命じた。もし、攻めて来なかったら、包囲陣に戻って陣地造りを再開しろと言ったのだった。
 敵は予想通りに夜明けに攻めて来て、グスクに閉じ込められた。あとは長期戦を覚悟して、敵の兵糧(ひょうろう)が尽きるのを待つだけだった。敵を閉じ込めておけば、山南王として、ヤマトゥ(日本)の商人たちと取り引きができるし、来年になったら進貢船(しんくんしん)を送って、先代の死を知らせて、冊封使を迎える事もできるだろう。冊封使が来る前に、島尻大里グスクは攻め落とさなければならなかった。李仲グスクにいる若按司には動くなと言ってあった。
 王妃のトゥイに呼ばれて、李仲按司が王妃の部屋に行くと他魯毎と豊見グスクヌル、照屋大親(てぃらうふや)も来ていて、見慣れない鎧櫃(よろいびつ)が部屋の中央に置いてあった。
「うまくいったわね」とトゥイは笑って、
「島添大里按司(サハチ)からの贈り物よ」と李仲按司に書状を渡した。
 書状には、タブチとチヌムイが八重瀬(えーじ)グスクに戻って来たため、八重瀬按司(エータルー)はグスクを開城せずに戦い、最後は屋敷に火を付けて、屋敷もろとも炎上した。焼け跡から三つの遺体が並んで見つかり、タブチ、八重瀬按司、チヌムイのものと思われるので、三つの首を送る。確認してほしいと書いてあった。
「首を確認したのですか」と李仲按司はトゥイに聞いた。
「そなたが来るのを待っていたんじゃ」と照屋大親が言った。
 李仲按司はうなづいて、トゥイを見た。
 トゥイはお願いと言うようにうなづいた。
 李仲按司は鎧櫃の蓋を開けた。三つの首は布でくるまれて、塩の中に埋まっていた。塩をよけて布を開いてみると焼けただれて真っ黒な顔が現れた。髪の毛は焼け落ちて、目玉も焼け落ちたのか、ほとんど骸骨(がいこつ)同然で、誰なのかわからなかった。トゥイも覗いたが、ちらっと見ただけで目をそむけた。三つとも同じような骸骨で、どれが誰の首なのか、まったくわからなかった。
「昨日、八重瀬グスクが燃えたのは本当らしいわ」とトゥイが言った。
「魚売り(いゆうやー)のおかみさんが言っていたわ。そして、八重瀬按司が戦死したという噂が流れていたらしいわ。八重瀬按司が息子なのか父親なのかわからないけど、島添大里按司は二人とも戦死したって言いたいようね。本当だと思う?」
 李仲按司は首を傾げた。
「本当かどうかはわかりませんが、山南王を殺したチヌムイとタブチが八重瀬グスクで戦死した事にすれば、一応、けじめは付きます。喜屋武(きゃん)グスクに隠れているとすれば、テハが何とかしてくれるでしょう。敵討ちの事はテハに任せて、島尻大里グスクをなるべく速く、攻め落とす事です」
「来月になったらヤマトゥの商人たちがやって来ます。そろそろ、準備を始めた方がよろしいかと思います」と照屋大親が言った。
 トゥイはうなづいて、「糸満按司(いちまんあじ)と相談して、うまくやってね」と照屋大親に言った。
「この首はどうするのですか」と豊見グスクヌルがトゥイに聞いた。
「あなたに頼むわ。それで呼んだのよ」
「頼むって言われても、体と別れた頭だけを埋めたら祟(たた)るわ」
「三人に祟られたら恐ろしいわね。八重瀬グスクに返しましょう」
「それがいいわ」と豊見グスクヌルはうなづいた。


 首里(すい)の龍天閣(りゅうてぃんかく)では、サハチ(中山王世子、島添大里按司)、思紹(ししょう)(中山王)、マチルギ、馬天ヌルの四人が八重瀬グスクをどうするかを考えていた。与那原大親(ゆなばるうふや)のマタルーを八重瀬按司にする事はすんなりと決まった。マタルーの妻のマカミーは新(あら)グスク按司の姉なので、新グスク按司も納得するだろう。
 問題は誰に与那原グスクを任せるかだった。サハチはマサンルー(佐敷大親)を与那原大親にして、長男のシングルーを佐敷大親にすればいいと言ったが、十七歳のシングルーではまだ無理だと皆に反対された。
 マチルギはジルムイに任せようと言った。ジルムイは首里の十番組のサムレーで、マウシ(山田之子)とシラー(久良波之子)と一緒に楽しくやっているようだった。一緒にヤマトゥ旅をしてから三人は仲がよく、ジルムイだけを離してしまうのはうまくないような気がするとサハチは思っていた。
「具志頭(ぐしちゃん)グスクを開城したら、イハチは具志頭按司になるわ」とマチルギは言った。
「おい、そんな事、まだ決めていないぞ」とサハチはマチルギを見た。
「イハチの妻のチミーは具志頭按司の娘よ。チミーの母親のナカーがいるから、イハチでも按司は務まるわ」
「まあ、そうじゃな」と思紹はうなづいた。
「イハチが具志頭按司になって、チューマチがミーグスク大親なのに、兄のジルムイが首里のサムレーだなんておかしいわ」
「ジルムイは将来、サムレー大将になって、兄のサグルーを助けるって言って、サムレーになったんだ。ジルムイは苗代大親(なーしるうふや)のようになりたいと思っているんだよ。グスクを持たせたら、その夢を奪う事になってしまうぞ」とサハチはマチルギに言った。
「そうだったのか」と思紹が驚いた顔をした。
「ジルムイも考えているんじゃのう。サグルーが中山王になった時、ジルムイがサムレーの総大将か。うむ、それはいい考えじゃ」
「ジルムイ、マウシ、シラーの三人はサムレー大将になるために必死に修行を積んで頑張っています。今のまま見守った方がいいと思います」
 サハチはそう言ったが、マチルギは納得しかねているようだった。
「サグルーを与那原大親にして、その三人を与那原のサムレー大将にするというのはどうじゃ?」と思紹が言った。
「えっ!」とサハチもマチルギも馬天ヌルも驚いて思紹を見た。
「サグルーは島添大里の若按司ですよ」と馬天ヌルが言った。
「中山王の世子(せいし)はどこにいる?」
 思紹がそう言うとマチルギと馬天ヌルがサハチを見てから、顔を見合わせて笑った。
「確かに、世子は首里にはいないわね」と馬天ヌルが言って、「サグルーにその三人を付けるのも面白いかもね」と賛成した。
「でも、その三人にサムレー大将が務まるかしら」とマチルギが心配した。
「与那原にはヂャンサンフォン殿がいる。ヂャンサンフォン殿に鍛えてもらえばいい」
「そうですね」とマチルギが賛成して、サグルーが与那原大親になる事に決まった。
「サグルーが出て行って、イハチも出て行ったら、島添大里グスクの留守を守る者がいなくなるな」とサハチが言うと、
「マグルーがいるわ」とマチルギが言った。
「おっ、そうだった。南部一の美人(ちゅらー)のマウミを嫁に迎えるんだったな。サグルーの屋敷に入れよう」
 ウニタキ(三星大親)がやって来て、島尻大里グスクの状況を知らせた。
摩文仁大主が山南王になって、配下の按司たちは皆、島尻大里グスクに閉じ込められたのか」と思紹は喜んだ。
「これで、玻名グスクも米須グスクもわしらのものとなるのう」
「李仲按司の作戦ですかね」とサハチが言った。
「シタルーの軍師じゃったというからのう。摩文仁大主の裏の裏をかいたのじゃろう。さすがじゃのう」
 これで他魯毎の勝利だなとサハチたちは喜び合った。

 

 

 

陰の流れ 愛洲移香斎 第一部 陰流天狗勝   陰の流れ 愛洲移香斎 第二部 赤松政則

2-131.エータルーの決断(改訂決定稿)

 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はウニタキ(三星大親)と一緒に喜屋武(きゃん)グスク(後の具志川グスク)に行って、琉球を去るタブチ(先代八重瀬按司)たちを見送った。
 喜屋武グスクは海に飛び出た岬の上にあって、思っていたよりも小さなグスクだった。石垣に囲まれた二つの曲輪(くるわ)があり、二の曲輪には海岸へと抜ける穴が空いていた。一の曲輪は二の曲輪よりも低く、そこに屋敷が建っていた。
 タブチは欲を捨て去った禅僧のようなさっぱりとした顔付きで、サハチとウニタキを迎えた。
「迷惑を掛けてすまなかったのう」とタブチは頭を下げてから、サハチとウニタキを見て微かに笑った。
「ここに来て、海を眺めながら、今までの事を思い出していたんじゃ。色々な事を思い出したよ。そなたたちを恨んだ時もあった。だが、そなたたちに会えてよかったとしみじみと思った。そなたたちに会わなかったら、わしは弟のシタルー(先代山南王)と争いを続けて戦死していたかもしれんのう。何もかも捨て去って、久米島(くみじま)でやり直すつもりじゃ。わしは刀も捨てる事にした。前回の戦(いくさ)で二百人近くを戦死させてしまった。もう戦は懲り懲りじゃ。久米島に行って、静かに暮らそうと思っている。ただ一つ、長年連れ添ってきた妻を残して行くのが心配なんじゃ」
「奥さんは送り届けますよ」とサハチは約束した。
「すまんのう。そうしてもらえると助かる」
「側室たちはいいのですか」とウニタキが聞いた。
「隠居した坊主に側室はいるまい」とタブチは笑ったが、「できれば、ミカの母親のトゥムも送ってほしい。チヌムイの母親同然じゃからのう」と頼んだ。
「側室たちに聞いて、久米島に行きたいと言った者たちは皆、送りますよ」とウニタキは言った。
「すまんのう」とタブチは笑って、頭を下げた。
 タブチ、チヌムイ、ミカ、八重瀬(えーじ)ヌル、次男の喜屋武按司夫婦と五人の子供たち、五人のサムレーと五人の侍女が従って、ナーグスク大主(うふぬし)(先代伊敷按司)夫婦と次男のナーグスク按司夫婦と二人の子供たち、五人のサムレーと五人の侍女が従って、ブラゲー大主の船に乗って久米島に向かった。
 喜屋武グスクには島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌルと五人の侍女と十人の城女(ぐすくんちゅ)、五十人のサムレーが残った。
 島尻大里ヌルに、どうして一緒に行かないのかと聞くと、今回の戦で亡くなった人たちの冥福を祈らなければならないと言った。馬天(ばてぃん)ヌルから聞いていたが、島尻大里ヌルは昔と随分変わっていた。ヌルとしての貫禄も備わっていて、神々しさも感じられた。
「ここまで敵は攻めて来ないだろうが、タブチとチヌムイを殺すために刺客(しかく)が潜入して来るかもしれない。充分に気を付けるように」とサハチは島尻大里ヌルに言って、ウニタキと一緒に引き上げた。
 翌日、サハチは手登根大親(てぃりくんうふや)の妻、ウミトゥクに書状を持たせて、豊見(とぅゆみ)グスクの山南王妃(さんなんおうひ)のもとへ送った。ウミトゥクが豊見グスクに着いた頃を見計らって、長嶺(ながんみ)グスクを包囲している東方(あがりかた)の按司たちの兵を撤収させ、新(あら)グスクに移動させた。
 山南王妃が話に乗って来れば、八重瀬グスクを包囲している兵は撤収するはずだった。
 書状には、タブチが山南王の座を降りて、喜屋武グスクに引き上げた事。喜屋武グスクにはチヌムイと若ヌルも一緒にいる事。タブチが山南王の座を降りたので、長嶺グスクを攻めている東方の按司たちは撤収する事。世間を騒がせた八重瀬按司、玻名(はな)グスク按司、米須按司(くみしあじ)、真壁按司(まかびあじ)、伊敷按司(いしきあじ)は皆、隠居したが、東方の按司たちだった。東方の按司たちが引き起こした騒ぎは、東方の按司たちで決着を付ける。八重瀬按司、玻名グスク按司、米須按司、真壁按司、伊敷按司は全員、退治するので、八重瀬グスクから手を引いてほしい。喜屋武グスクも攻めて、タブチとチヌムイを生け捕りにしたら、豊見グスクに送り届ける。二人の処分は王妃に任せる。なお、島尻大里グスクでは、先代の米須按司が山南王になったようだ。偽者の山南王を退治するために島尻大里グスク攻めに専念してほしいと書いた。
 サハチからの書状を読んだ山南王妃のトゥイは、タルムイ(豊見グスク按司)と李仲按司(りーぢょんあじ)と照屋大親(てぃらうふや)を呼んだ。三人が来るとサハチの書状を見せて、「どう思う?」と聞いた。
「タブチとチヌムイは喜屋武グスクにいるのか」とタルムイが驚いた。
「それが本当なのかどうか確かめなくてはなりません」と李仲按司が言った。
「そうね」と言って、トゥイは石屋のテハを呼んだ。
「もし、本当だったら、八重瀬グスクを攻めるのは無駄な事です」とタルムイが言った。
「引き上げさせて、島尻大里グスクを包囲した方がいい。照屋グスクと国吉(くにし)グスクが味方になったのだから、邪魔なのは大(うふ)グスクだけです。大グスクを三百の兵で封鎖して、残りの兵で島尻大里グスクを包囲するべきです」
「長期戦になりますぞ」と照屋大親が言った。
「島尻大里グスクにはたっぷりの兵糧(ひょうろう)が蓄えられております。グスクから出て行った者たちも多いので、半年は持ちそうじゃ」
「半年は長すぎますね」と李仲按司は言った。
「テハの配下の者がまだ残っているはずだわ」とトゥイは言った。
「しかし、テハはもうあそこに入れんのじゃろう。連絡が取れなければ使えんな」と照屋大親が言った。
 テハが現れた。トゥイはテハにタブチの行方を聞いた。
「八重瀬ヌルと島尻大里ヌルを連れて島尻大里グスクを出て行きましたが、どこに行ったのかはわかりません。馬に乗って、南の方に行きました。配下の者があとを追って行ったのですが戻って来ないのです。タブチの配下の者にやられたようです」
「タブチもあなたたちのような者を使っているの?」
「八重瀬の城下にある『唐物屋(とーむんや)』の行商人(ぎょうしょうにん)たちが密かに動いています」
「タブチは喜屋武グスクにいるらしいわ。チヌムイも一緒にね。あそこまで兵を率いて出陣する事はできないわ。あなた、密かに二人を始末してくれないかしら」
「忍び込めと言うのですか」
「無理かしら?」
「タブチも守りを固めているでしょうから、忍び込むのは難しいと思いますが、何とかやってみましょう」
「粟島(あわじま)(粟国島)から来た若い者を連れて行くといいわ。刺客になるための訓練を受けている者もいるらしいから、波平大主(はんじゃうふぬし)とよく相談して連れて行ってね。頼むわよ」
 テハはうなづいて、「タブチはどうして喜屋武グスクに行ったのですか」と聞いた。
「山南王になるのは諦めたようだわ」
「すると、戦は終わるのですね?」
 トゥイは首を振って、「わたしの兄の摩文仁大主(まぶいうふぬし)が山南王になったようだわ」と言った。
「何と‥‥‥」とテハは驚いた顔でトゥイたちを見た。
「テハ、島尻大里グスク内に配下の者はいるのか」と李仲按司が聞いた。
「五人はいるはずなのですが、連絡が取れないのでわかりません。もしかしたら、皆、殺されてしまったかもしれません」
「そうか」
 テハが頭を下げて出て行くと、
「刺客を使うのですか」とタルムイが苦々しい顔をしてトゥイを見た。
「いつまでも敵討ちに関わってはいられないわ。偽者の山南王を倒さなくちゃね。タブチとチヌムイの事はテハに任せて、八重瀬の兵は撤収させましょう」
 トゥイが李仲按司と照屋大親を見ると、二人はうなづいた。
 李仲按司は絵地図を広げて、
「大グスクを封鎖して、島尻大里グスクを包囲しても、真壁、伊敷、米須の兵が邪魔をするだろうな」と言った。
「真壁、伊敷、米須、玻名グスクの兵も島尻大里グスクに閉じ込められればいいんじゃがのう」と照屋大親が言った。
「それじゃ」と李仲按司が手を打った。
「何かいい方法があるのですか」とトゥイが聞いた。
「山南王の就任の儀式をやらせるんじゃ。就任の儀式となれば、配下の按司たちは皆、集まるじゃろう。兵を引き連れて来るかどうかはわからんが、按司だけでも閉じ込めてしまえば、指揮官がいなくなるからのう。大分、有利となろう」
「でも、どうやって、その儀式をさせるのです?」
「儀式と言えばヌルじゃ。今の島尻大里ヌルはタブチと一緒に出て行った。先代のヌルはおらんのか」
「先々代のヌルは大村渠(うふんだかり)ヌルになって島尻大里の城下にいたんだけど、豊見グスクヌルに頼んで味方に引き入れて、今、豊見グスクの城下にいるわ」とトゥイは言った。
「初代の山南王(承察度)の娘だから、二代目の山南王の就任の儀式をやっているはずだわ。摩文仁大主の奥さんの姪だから、摩文仁大主も疑わないでしょう。それに、亡くなった山南王(シタルー)の従妹(いとこ)の慶留(ぎる)ヌルもいるわ。先代の山南王(汪英紫)の就任の儀式をやっているわ。慶留ヌルは大村渠ヌルの助手として行かせればいいわ」
「その二人のヌルに任せよう。摩文仁大主がその話に乗ってきたら儲けもんじゃ」と照屋大親がニヤッと笑った。
「必ず、乗って来るはずだわ」とトゥイは自信たっぷりに言った。
 その時、長嶺グスクから使者が来て、なぜか、東方の按司たちが皆、引き上げて行ったと知らせた。
 トゥイはうなづいて、タルムイにサハチ宛ての書状を書かせた。差出人は『山南王、他魯毎(たるむい)』となっていた。李仲按司が考えたタルムイの明国名(みんこくめい)だった。


 長嶺グスクを包囲していた東方の按司たちが撤収する時、指揮を執っていたのはサハチだった。按司たちを納得させて撤収させるには、やはり、サハチが出て行かなければならなかった。タブチとチヌムイが久米島に逃げた事は東方の按司たちには話さず、二人は今、喜屋武グスクにいると伝えた。
 新グスクに東方の兵がやって来た時、新グスク按司は驚いた。敵の大軍が攻めて来たと勘違いして、慌てて守りを固めさせた。先頭に来る兵が持った『三つ巴紋』の旗を見て、さらに驚いて、中山王(ちゅうざんおう)が出陣して来たのかと思った。
 サハチは新グスクの近くまで来ると兵たちの進軍を止めて、玉グスク按司、知念(ちにん)若按司、垣花按司(かきぬはなあじ)、糸数按司(いちかじあじ)、大グスク按司と一緒に、大御門(うふうじょー)(正門)まで行った。サハチが声を掛けると大御門が開いて、新グスク按司のエーグルー(八重五郎)がサムレー大将と一緒に出て来た。サハチは長嶺グスクから撤収して来た事を話し、相談があると言って、一人でグスク内に入った。
 一の曲輪にある屋敷の会所(かいしょ)で、サハチはエーグルーにタブチとチヌムイと若ヌルが久米島に逃げた事を告げた。エーグルーは信じられないといった顔でサハチを見ていた。
 サハチはこれまでの経緯を説明して、騒ぎを起こしている東方の按司たちを退治すると言った。エーグルーは納得して、逃げて行った親父のためにも、これからも東方の按司として活躍すると約束した。
 サハチがエーグルーと話している最中、八重瀬グスクを包囲していた敵兵が撤収したと知らせが入った。
 サハチはエーグルーと一緒に八重瀬グスクに向かった。
 一か月に及ぶ籠城戦の残骸がグスクの周りに散らかっていた。高い櫓(やぐら)が三つも建っていて、防御の楯(たて)がずらりと並んでいる。サハチは十一年前の島添大里(しましいうふざとぅ)グスク攻めを思い出した。
 大御門が開いて、八重瀬按司のエータルー(八重太郎)が出て来た。
「一体、何が起こって、敵は去ったのですか」とエータルーはサハチに聞いた。
「親父が山南王の座から降りたんだよ」とエーグルーは兄に言った。
「何だと?」
「詳しい話はあとだ」とサハチは言った。
「皆、疲れているだろう。もう敵は攻めて来ない。城下の人たちを解放して、兵たちも休ませろ」
 エータルーはうなづいて、御門番(うじょうばん)に指示を与えた。城下の人たちがぞろぞろと出て来て、我が家へと帰って行った。皆、疲れ切った顔をしているが、ようやく終わったという安堵感に溢れていた。
 城下の人たちが出て行ったあとのグスク内もゴミが散らかっていて、一か月の籠城の長さを物語っていた。武装を解いた兵たちは思い思いの所で休み、ホッとした顔で仲間と笑い合っていた。
 サハチは一の曲輪内の屋敷の一室に案内された。タブチが使っていた部屋だという。明国から持って来たのか、明国や南蛮(なんばん)(東南アジア)の国々が描かれた地図が飾ってあり、水墨画や高価な壺(つぼ)なども飾ってあった。サハチがそれらを見ている時、エーグルーがエータルーにタブチの事を説明していた。
 高価な品々を眺めながら、何もかも捨てて、一からやり直しだと言ったタブチの言葉が改めて思い出された。
 エーグルーの説明が終わると、サハチは今後の作戦をエータルーに告げた。
 東方の兵は具志頭按司(ぐしちゃんあじ)、玻名グスク按司、米須按司、真壁按司、伊敷按司を退治する。まず、最初に八重瀬グスクを攻めなければならない。山南王妃の手前、八重瀬グスクを包囲して攻撃する振りをする。何日かの抵抗後、グスクを開城して降参してくれ。しばらくの間は、新グスクに移ってもらおうと思うが、様子を見て、ほとぼりがさめたら、八重瀬グスクはエータルーに返すとサハチは言った。
「戦の振りは何日間ですか」とエータルーは聞いた。
「三日くらいでいいだろう。東方の按司たちは皆、そなたと親戚じゃ。皆に説得されて開城したと言えば、世間も納得するだろう」
 エータルーはうなづいて、「城下の人たちをまたグスクに入れるのですか」と聞いた。
「せっかく出られたのにまた入れるのも可哀想だ。新グスクに避難してもらおう。同じ避難でも、敵兵に囲まれていなければ安心だろう」
「わかりました」
「東方の按司たちは今、新グスクにいるが、率いている兵たちも一か月近く、長嶺グスクを包囲していて疲れている。三日間、休ませるつもりだ。四日後の正午、ここに攻め寄せるので、よろしく頼む」
 サハチはエータルーと別れて、新グスクに戻ると、按司たちを本拠地に帰した。
 サグルーと一緒に兵たちを引き連れて島添大里グスクに帰ると、ウミトゥクがタルムイの書状を持ってサハチを待っていた。
 山南王、他魯毎(たるむい)と書いてあるのを見て、
「お前の兄貴も山南王になったな」とサハチはウミトゥクを見て笑った。
 書状には、サハチの条件を呑んで、島尻大里グスクに居座っている偽者の山南王を倒すと書いてあった。サハチはウミトゥクにお礼を言って、豊見グスクの様子を聞いた。
「わたしは姉の豊見グスクヌルと一緒にいましたが、弟の保栄茂按司(ぶいむあじ)と妹のマアサも顔を出しました。姉はまだ、父上の死が信じられないと言っていました。保栄茂按司は豊見グスクに閉じ込められてしまったと苦笑していました。マアサはチヌムイは絶対に許せない。そして、チヌムイを好きになった自分はもっと許せないと自分を責めていました」とウミトゥクは言った。
「やはり、マアサはチヌムイが好きだったのだな。ンマムイ(兼グスク按司)が二人はいい感じだったと言っていた。こんな事になるなんてな。チヌムイも悩んでいたに違いない」
「でも、きっと、マアサなら乗り越えられるでしょう。強い子ですから」
 そう言って微かに笑ったあと、「母(山南王妃)のお部屋には李仲按司様と照屋大親様が呼ばれたようでした」とウミトゥクは言った。
「李仲按司か‥‥‥シタルーの軍師だったそうだな。李仲按司摩文仁大主を倒してくれるといいが」
「李仲按司様は具合が悪そうでした。明国で病を患って、国子監(こくしかん)にいる息子に福州まで送ってもらったらしいって姉が言っていました。帰って来たら、父上が亡くなったと聞いて、さらに体調を崩したみたいです」
「そうか。大事に至らなければいいがな。度々、使いを頼んで悪かった。クルーがいたら怒られそうだな」
「そんな事はありません。わたしでお役に立てるのであれば、何度でも行きますよ。姉や弟たちにも会えますし」
 ウミトゥクが帰るとサハチは首里(すい)に向かった。


 四日後の正午、東方の按司たちの八重瀬グスク攻めが始まった。うまく行くだろうと思ってサグルーに任せて、サハチは行かなかった。
 グスクを開城する約束の三日後、サハチは佐敷ヌルとサスカサ(島添大里ヌル)を連れて八重瀬グスクに向かった。
 すでに開城は始まっていて、侍女や城女(ぐすくんちゅ)たちがぞろぞろと出て来ていた。サグルーに聞くと作戦通りにうまく行っているという。女たちが出ると家臣たちも出て来た。皆、鎧(よろい)は着ているが武器は持っていなかった。タブチに従って明国に行っていた重臣の富盛大親(とぅむいうふや)が出て来て、サハチに書状を渡した。
「何だ?」とサハチは富盛大親に聞いた。
按司様(あじぬめー)はけじめをつけるとおっしゃっております」
「けじめ? 何のけじめだ?」
「山南王を殺したけじめです」
「エータルーは何を言っているんだ?」
按司様の覚悟が書いてあります」
 書状は二通あった。一つは略式で、もう一つは正式なものだった。略式の方から読んでみた。
 山南王を殺して琉球から逃げました、では世間が許しません。親父とチヌムイは八重瀬に戻って来て、ここで見事に戦死したという事にしてください。二人が死んだ事にしない限り、タルムイは二人を探し続けるでしょう。久米島にも追っ手が行くに違いありません。今、グスクに残っている者たちは、親父のために死を覚悟した者たちです。華々しい最期を飾らせてくださいと書いてあった。
 正式の書状には、降伏して開城するつもりだったが、隠居した父親が山南王の座から降りて、チヌムイを連れて帰って来たので降伏はできない。島添大里按司でも、親父とチヌムイの命を助けるのは難しいだろう。最期まで戦って二人を守ると書いてあった。
「あいつは何を言っているんだ?」とサハチは富盛大親に聞いた。
 富盛大親は苦しそうな顔をして首を振った。
「何を言っても無駄でした。誰かがけじめをちゃんとつけなければならない。親父とチヌムイを助けるためだったら、喜んで自分は犠牲になると言っておりました」
「何という事だ」
 大御門(うふうじょー)が閉められて、グスク内で法螺貝が鳴り響いた。突然、グスク内から弓矢が飛んで来た。
 サハチは刀で弓矢をはじいて、「戦闘態勢に付け!」と叫んだ。
 グスク内から次々に弓矢が飛んで来て、何人かが倒れた。法螺貝が鳴り響いて、東方の按司たちも戦闘態勢に入った。
 サハチは按司たちを集めて、事情を説明した。
「八重瀬殿が戻って来たのか」と糸数按司が聞いた。
「先日の豊見グスク攻めで、多くの兵を戦死させた事に責任を感じたようだ」とサハチは言って、エータルーの正式の書状を皆に見せた。
「八重瀬殿は死ぬつもりなのか?」と玉グスク按司が言った。
「倅が山南王を殺した責任を取るつもりなんだろう」と知念若按司は言った。
死に花を咲かせてやるしかないな」と糸数按司が言った。
「東方の按司としては、八重瀬グスクを落とさないと先には進めない。戦うしかないんだ」とサハチは言った。
 東方の按司たちはサハチにうなづいて散って行った。
 しばらく弓矢の応酬が続いて、火矢も放たれた。楯を持った糸数の兵と垣花の兵が石垣に向かったが、弓矢と石つぶての反撃が凄まじく、石垣に取り付く事はできなかった。
 サハチはタルムイの兵たちが造った櫓に登ってみた。櫓の上からグスク内がよく見えた。グスク内に人影はなく、石垣の上から攻撃している兵しかいなかった。死を覚悟した家臣だけが残っているとエータルーは言っていた。敵は思っているほど多くないに違いない。
 櫓から下りるとサハチは按司たちを集めて、
「敵は五十人足らずだ。一人づつ倒して行け。楯を持った兵を石垣に向かわせ、それを狙っている兵を確実に倒せ」と命じた。
 島添大里按司、玉グスク按司、知念若按司、垣花按司、糸数按司、大グスク按司の兵が六カ所から同時に攻めて、それを攻撃する兵を弓矢で狙った。石垣の上にいる兵が次々に倒れていった。
「大御門が開いているぞ」と誰かが叫んだ。
 見ると大御門が開いていた。信じられないが、かんぬきを掛けるのを忘れたらしい。いや、わざと掛けなかったのかもしれなかった。
「突撃だ!」と誰かが叫んで、東方の兵たちがグスク内に攻め込んだ。グスク内に入ったものの、敵を探すのが大変だった。グスク内は味方の兵で溢れた。
 二の曲輪から一の曲輪に行く途中、数人の敵が現れて、味方の兵に斬られた。
 突然、一の曲輪の屋敷から火の手が上がった。油を撒いたのか、火は勢いよく燃えて、屋敷に近づく事はできなかった。
 サハチが佐敷ヌルとサスカサを連れて、グスク内に入ると、味方の兵たちは呆然として、燃える屋敷を見つめていた。
「タブチの最期にふさわしいわね」と佐敷ヌルが言った。
「そうだな」と燃えている屋敷を眺めながらサハチはうなづいて、「エータルーは見事にけじめをつけたな」と厳しい顔付きで言った。

 

 

 

無住心剣流 針ヶ谷夕雲

2-130.喜屋武グスク(改訂決定稿)

 タブチ(先代八重瀬按司)の豊見(とぅゆみ)グスク攻めの二日後、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにンマムイ(兼グスク按司)が訪ねて来た。一緒に連れて来たのはチヌムイと八重瀬(えーじ)若ヌルのミカだった。チヌムイもミカもウミンチュ(漁師)の格好だった。
 山南王(さんなんおう)の進貢船(しんくんしん)が帰って来て、山南王妃がそれを奪い取った時と、豊見グスクが攻められた時、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は首里(すい)に呼ばれた。豊見グスクが反撃をして、タブチの兵を追い返したと聞いて、しばらく様子を見ようという事で島添大里に帰っていた。
 サハチの顔を見て、「いてよかった」とンマムイは嬉しそうに笑った。
首里に行こうか、ここに来ようか迷ったんだけど、ここに来てよかった」
 ンマムイはサハチにチヌムイとミカを紹介した。話には聞いているが、二人に会うのは初めてだった。チヌムイは目付きがタブチに似ていて、タブチの若い頃はこんな感じだったのだろうとサハチは思った。ミカは与那原(ゆなばる)のマカミーと少しも似ていなかった。母親に似たようだ。サハチはンマムイたちを二階の会所(かいしょ)に案内した。
「母親の敵(かたき)を見事に討ったそうだな」とサハチはチヌムイに言った。
「はい、師兄(シージォン)」とチヌムイは答えた。
 サハチは笑って、「サスカサ(島添大里ヌル)とシビーと一緒に修行を積んだのだったな」と言った。
「お師匠から按司様(あじぬめー)のお話はよく聞いております。明国(みんこく)で按司様と出会えて、琉球に来られてよかったとお師匠はよく言っておりました」
「お師匠がそんな事を言っていたのか」
按司様は不思議なお人だとも言っておりました」
「俺が不思議な人?」
「百六十年も生きて来たけど、按司様のような男は滅多にいないと言っておりました」
 サハチは首を傾げた。
「師兄はまさしく、不思議なお人ですよ」とンマムイが言った。
「俺は師兄に会う前、敵(かたき)だと狙っていました。ところが、実際に会ってみたら、敵どころか、尊敬すべき師兄でした。妻も師兄は不思議な人だと言っていました。マウミも師兄の息子に嫁ぐのなら幸せになれると安心しています」
「何を言っているんだ。おだてても何も出て来ないぞ」
 ナツがお茶を持って来た。
「おいしいお茶が出て来ましたよ」とンマムイは笑った。
 サハチはチヌムイと若ヌルから、シタルー(山南王)を討った時の詳しい様子を聞いた。
 話を聞いて、サハチは改めて二人を見た。弓矢の連射といい、抜刀術(ばっとうじゅつ)といい、二人は恐るべき腕を持っていた。タルムイ(豊見グスク按司)に捕まって、殺させるわけにはいかなかった。
 チヌムイは懐(ふところ)から書状を出してサハチに渡した。『島添大里按司殿へ 李白法師』と書いてあった。
李白法師(りはくほうし)とは誰だ?」とサハチは聞いた。
「父上です。隠居して、李白法師(りーばいほうし)と名乗りました」
「隠居した? 山南王ではないのか」
「山南王は辞めたようです」
「何だと?」とサハチは驚いて、ンマムイを見た。
 ンマムイはとぼけた顔をして、壁に飾ってある水墨画を眺めていた。
「父上は今、喜屋武(きゃん)グスクにいます」とチヌムイは言った。
「なに? 一体、どういう事なんだ?」
「そこに詳しく書いてあります」
 サハチは書状を開いて読んだ。
 世間を騒がせてしまってすまなかった。山南王になったが、やはり、天は許さなかった。山南王の座を降り、チヌムイとミカを連れて琉球を離れる事に決めた。島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクには、摩文仁大主(まぶいうふぬし)(先代米須按司)、山グスク大主(先代真壁按司)、中座大主(なかざうふぬし)(先代玻名グスク按司)が残っているが、やがて撤収するだろう。妻や子供たちの事が心配だが、八重瀬グスクは敵兵に包囲されているのでどうする事もできない。今までお世話になって、これ以上望むのは僭越(せんえつ)だが、妻や子供たちの事をよろしく頼む。東方(あがりかた)の按司たちにも迷惑を掛けてしまった。長嶺(ながんみ)グスクから速やかに撤収してほしい。もし、摩文仁大主が戦を続けた場合、阿波根(あーぐん)グスクと保栄茂(ぶいむ)グスクを狙うだろう。阿波根グスクに長年住んでいたンマムイを味方に引き入れようとするかもしれない。ンマムイの妻は山北王(さんほくおう)の妹なので、山北王を味方に付けるために、強引に引き入れようとするかもしれない。充分に気を付けるようにと書いてあり、最後にお世話になったお礼が書いてあった。
「お前の父上はお前たちを連れて琉球を去るのか」とサハチはチヌムイに聞いた。
 チヌムイはうなづいた。
「どこに行くつもりなんだ?」
「キラマ(慶良間)には無人島があるらしいので、そこに行くと言っていました」
「キラマか‥‥‥」とサハチは言って、修行者たちのいるあの島にタブチたちを匿(かくま)おうかと思ったが、ふと久米島(くみじま)が浮かんだ。進貢船の正使を務めたタブチを、進貢船の中継地の久米島に送るのがいいような気がした。久米島の長老たちをうまくまとめて按司になるのもいいし、按司にならなくても、チヌムイと若ヌルの武芸は島の者たちのためになるだろう。
久米島に行くように、父上に伝えろ」とサハチはチヌムイに言った。
久米島?」
「そう言えばわかるよ」とサハチは笑った。
久米島か。あそこはいい島だぞ」とンマムイはチヌムイに言った。
「お前の事も書いてあったぞ」とサハチはンマムイに言った。
摩文仁大主がお前を味方に引き入れようとするそうだ」
「叔父上が俺を味方に?」
「そうか。摩文仁大主はお前の叔父か」
「親父(武寧)が殺されたあと、瀬長按司(しながあじ)と一緒に何度か会って、親父の敵討ちの相談をした事があります。摩文仁大主はあまり乗り気ではありませんでした。中山王(ちゅうざんおう)よりも山南王の座を狙っているような気がしました。摩文仁大主の奥さんは山南王の妹だったのです。祖父(汪英紫)に奪われたのが悔しくて、とりあえずは叔父の八重瀬按司(タブチ)を山南王にして、その後、山南王の座を叔父から奪い取ろうとしていたような気がします」
摩文仁大主がそんな事をたくらんでいたのか」
「今回、八重瀬の叔父が出て行ったので、山南王になるかもしれません。それと、久高島参詣(くだかじまさんけい)の中山王を襲撃した俺の弟のイシムイを密かに援助しているようです」
「なに、イシムイとつながっているのか。イシムイは今、どこにいるんだ?」
「俺は知りませんが、摩文仁大主と瀬長按司は知っていると思います。浦添(うらしい)グスクが焼け落ちた時、イシムイは我如古大主(がにくうふぬし)の娘に会いに行っていて助かったのです。あいつは我如古の山の中で、百人の兵を鍛えて、中山王を襲ったのです。襲撃に失敗して、どこかに逃げたようですが、どこに逃げたのか俺は知りません」
「あの時、ウニタキ(三星大親)が追って行ったんだがヤンバル(琉球北部)まで逃げたようだった。その後もウニタキは探しているが、まだ見つかっていない」
今帰仁(なきじん)には行っていないようです。多分、読谷山(ゆんたんじゃ)の多幸山(たこーやま)辺りに潜んでいるのではないかと思います」
「多幸山か‥‥‥我如古の娘は我如古にいるのか」
「いないようです。イシムイと一緒にいるようです。もしかしたら、摩文仁大主はイシムイを呼ぶかもしれません」
「イシムイとはどんな奴なんだ?」
「あいつは俺より三つ年下の弟で、俺みたいにフラフラしていないで、書物を読むのが好きな静かな男でした。明国や朝鮮(チョソン)に行った時、何冊か書物を買ってきてやったら、あいつは物凄く喜んでくれました。あいつの婚礼は盛大でした。琉球中の按司が集まったのです。師兄も浦添に行ったのではありませんか」
 サハチは思い出した。初めて、浦添グスクに入った時だった。グスクの広さに驚いて、迷子にならないように必死に皆のあとについていた。一番末席だったので、花婿の顔は覚えていないが、あれがイシムイの婚礼だったのかとサハチは初めて知った。
「あんな盛大な婚礼に出たのは初めてだったよ」とサハチは言った。
「我如古大主の娘と出会ったのも書物が縁です。我如古大主は浦添グスクの書庫を管理していたのです。書庫にもない珍しい書物も我如古大主は持っていて、我如古大主が非番の時、あいつも一緒に我如古まで行っていたようです。久高島参詣の襲撃の前に久し振りに会いましたが、あいつはすっかり変わっていました。まるで、山賊のお頭のようでした。たった二年で、あれほど変わるなんて驚きましたよ。浦添にいた時、弓矢の稽古だけは親父に命じられて、嫌々ながらもやっていましたが、武芸なんかまるで興味のなかったあいつが、長い太刀を背中に背負っていましたよ。あいつは親父が殺された恨みよりも、書庫にあった大切な書物が燃えた事に腹を立てて、復讐を誓ったと言っていました」
「すべてとは言えんが、浦添グスクの書庫にあった書物は今、報恩寺(ほうおんじ)の書庫にあるはずだよ」
「えっ!」とンマムイは驚いた。
「ウニタキが運んだんだ。書物だけでなく、財宝もな」
「そうだったのですか。ウニタキ師兄が‥‥‥今でも、あいつが書物を読んでいるのかわかりませんが、それを知ったら喜ぶでしょう」
「話がそれてしまったが、摩文仁大主から声が掛かっても、決して動くなよ。お前が動けば、家族を巻き込む事になる。来年はマグルーとマウミの婚礼を挙げなくてはならんからな」
「わかりました。決して動きません」
 ンマムイはチヌムイとミカを連れて帰って行った。三人を見送るとサハチは首里に向かった。


 その頃、タブチは喜屋武グスク(後の具志川グスク)から海を眺めていた。いつまで見ていても飽きない眺めだった。
 山南王の座から降りたタブチは、八重瀬ヌルと島尻大里ヌルを連れて島尻大里グスクから喜屋武グスクに移っていた。ナーグスク大主(先代伊敷按司)も、わしも抜けると言って一緒に出て、ナーグスクに戻っていた。次男の喜屋武按司に頼んで、ブラゲー大主と連絡を取り、チヌムイとミカを呼んで、書状を持たせてンマムイのもとへ送ったのだった。
 明国への使者を引退したあと、ここで、のんびり暮らそうと思っていたのに、それはかなわぬ夢となってしまった。何事もなければ、今頃、チヌムイと一緒に進貢船に乗っていただろう。果てしなく広い明国を見たチヌムイが、敵討ちなんかやめて、新しい生き方を見つけてくれる事を願っていたが、手遅れになってしまった。
 済んだ事を悔やんでも仕方がないとタブチは首を振って、「一から出直しじゃ」と独り言をつぶやいた。
 ナーグスク大主が訪ねて来たと喜屋武按司が伝えた。タブチは会所に通すように言って屋敷に上がった。
 会所に行くと、ナーグスク大主はいたが、なんと頭を丸めていた。
「似合っておるぞ」とタブチは笑った。
 ナーグスク大主は坊主頭を撫でて、
「髪を剃ったら、何となく、すっきりした」と笑った。
「ちょっと、この辺りが涼しいがのう」とタブチは後頭部をたたいて笑った。
「倅の伊敷按司(いしきあじ)を説得したんじゃが、駄目じゃった」とナーグスク大主は力なく言った。
「奴は摩文仁大主の娘婿じゃからのう。すっかり嫁の尻に敷かれて、嫁の言いなりじゃ。美人(ちゅらー)なんじゃが、親父に似て気の強い女子(いなぐ)じゃ。摩文仁大主と一緒に戦って、必ず勝って、摩文仁大主を山南王にすると強気なんじゃよ。わしとナーグスク按司が動かなくても伊敷按司が参戦すれば、摩文仁大主が負けた時、わしら一族は皆殺しにされるじゃろう。わしもそなたと一緒に逃げようかと考えておるんじゃよ」
「何じゃと? すべてを捨てて逃げるというのか」
「殺されるよりもましじゃろう。実はのう、これは倅たちにも内緒なんじゃが、娘の伊敷ヌルがタルムイの子供を二人も産んでいるんじゃよ」
「何じゃと?」
 タブチは驚いて、ポカンとした顔で、ナーグスク大主を見ていた。
「わしもまったく知らなかったんじゃ。去年の暮れ、先代の伊敷ヌルが亡くなったんじゃが、亡くなる前に教えてくれたんじゃ。わしも驚いた。どうして隠していたのかと聞いたら、わしが山南王(シタルー)を毛嫌いしているから隠していたと言った。そして、若ヌルを責めないでくれと言った。神様のお導きで結ばれたのだから、いつか、必ずいい事が訪れるはずじゃと言ったんじゃよ」
「そなたの娘がタルムイとのう」と言ってタブチは信じられないと言った顔で首を振った。
「二人は一体、どこで出会ったんじゃ?」
「李仲按司(りーぢょんあじ)のグスクが完成した時、完成祝いと按司の就任の儀式があって、その手伝いに娘の若ヌルも伊敷ヌルと一緒に行ったんじゃ。その時は山南王もいたし、各地の按司たちもいたので、何もなかったようじゃ。次の日、若ヌルはなぜか、ナーグスクの近くの浜辺に行ったそうじゃ。そしたら、タルムイが海を見ていたというんじゃよ」
「何じゃと? どうして、タルムイがそんな所にいたんじゃ?」
「タルムイは前日に飲みすぎて李仲グスクに泊まったんじゃ。海風に当たろうと浜辺に行ったら、若ヌルがやって来たというわけじゃ。二人はそこで結ばれて、わしが明国に行っている留守に娘を産んだんじゃよ。明国から帰って来て、赤ん坊を抱いている若ヌルを見て、わしは驚いた。じゃが、嬉しくもあった。最初の孫じゃったからのう。相手は誰じゃと聞いたら、マレビト神じゃと言った。先代に聞いても相手は知らないと言った。跡継ぎが生まれてよかったと思って、わしは何も言わなかった。とにかく、可愛い孫娘だったんじゃよ。それから二年後、若ヌルのお腹が大きくなってきた。若ヌルはまたマレビト神だと言った。前の神様と同じ神様かと聞くと、そうだという。わしは近くにマレビト神がいるような気がして探してみたが、わからなかった。若ヌルと親しくしているような男はいなかったんじゃ。まさか、相手がタルムイだったなんて思いもしない事じゃった。それで、今回の戦もあまり乗り気じゃなかったんじゃよ。何とか理由を付けて抜け出したいと思っていたんじゃが、なかなか、うまい理由が見つからなかった。そなたが抜けると言ってくれたので、わしはホッとして一緒に抜け出して来たんじゃよ」
「伊敷ヌルをタルムイのもとに送るつもりなのか」
「わしはそのつもりだったんじゃが、ナーグスクを守ると言いおった。ここはタルムイとの思い出の場所なので、息子をここの按司にすると言ったんじゃよ」
「そうか。タルムイが山南王になれば、それも可能じゃろう」
「そうなってくれればいいが心配じゃ。もしもの時は舟に乗って逃げろとは言ったがのう」
 タブチはナーグスク大主と一緒に逃げる事に決めて、引き上げる準備を始めた。


 首里の龍天閣(りゅうてぃんかく)では、真武神(ジェンウーシェン)を彫っていた思紹(ししょう)(中山王)が、タブチが山南王の座から降りた事を知ると驚いて手を止め、サハチを見つめた。
「タブチが八重瀬ヌルと島尻大里ヌルを連れて、喜屋武グスクに行ったとウニタキから聞いていたが、単なる気分転換じゃろうと思っていた。まさか、山南王を辞めたとはのう。タブチが抜けたとなると状況も変わって来るな」
「長嶺グスクを攻めている東方の按司たちも撤収するようにとタブチは言っています」
「そうか。タブチがいなくなれば、攻める理由もなくなるか。しかし、長嶺グスクの攻撃をやめたとしても、八重瀬グスクを攻めているタルムイの兵は引かんじゃろうな」
 サハチはうなづいて、タブチの書状を思紹に見せた。思紹は書状を読むと、「戦評定(いくさひょうじょう)じゃ」と言って、みんなを招集した。
 一時(いっとき)(二時間)後、マチルギ、馬天(ばてぃん)ヌル、苗代大親(なーしるうふや)、奥間大親(うくまうふや)、ヒューガ(日向大親)、ウニタキ、ファイチ(懐機)、サタルーが顔を揃えて、戦評定が始まった。
「山南王のタブチが抜けたのに、まだやるつもりなのか」とヒューガが聞いた。
摩文仁大主か山南王になるようです」とウニタキが答えた。
「なに、摩文仁大主が山南王に?」と皆が驚いて、ウニタキを見た。
摩文仁大主は山南王妃の兄です。先代の山南王の義兄なのです。妻は初代の山南王(承察度)の妹です。資格は充分にあるとして重臣たちも認めたようです。今、残っている重臣は三人しかいませんがね」
「勝てると思っているのか」と苗代大親が聞いた。
「島尻大里グスクを抑えている限り、勝ち目はありと考えているようです」
「タブチがいなくなったので、東方の按司たちは長嶺グスクから撤収しようと思っています」とサハチは言った。
「長嶺按司がまた出て来ますね」とファイチが言った。
「八重瀬グスクが包囲されてから、もうすぐ一か月になるわ。山南王妃の兵を八重瀬から引かせる事はできないかしら」とマチルギが言った。
「チヌムイが目当てだからな。チヌムイを渡さない限り撤収しないだろう」
「チヌムイは喜屋武グスクにいると言ったらどうかしら?」
「言っても信じないかもしれんが、喜屋武グスクを攻めようとするかもしれんな」とサハチが言うと、
「そいつは無理じゃろう」と苗代大親が言って、絵地図を見た。
「喜屋武グスクは最南端じゃ。そこを攻めるには、島尻大里グスクを迂回したとしても伊敷グスク、真壁(まかび)グスク、波平(はんじゃ)グスク、山グスクを落とさなければ近づけまい」
「海から攻められませんか」とサハチは聞いた。
「無理じゃな」とヒューガが言った。
「あの辺りは絶壁が続いている。上陸できる場所は限られていて、どこから上陸しても、上から狙い撃ちされるじゃろう」
「タブチも凄い所にグスクを築いたのう」と思紹は感心して、
「タブチは船を持っているのか」とウニタキに聞いた。
「ヤマトゥ(日本)船が欲しいと言っていましたが、まだ手に入れてはいないようです。小舟(さぶに)を何艘か持っているだけです」
「小舟で逃げるつもりなのか」
「いえ、ブラゲー大主の船があります」
「成程。それなら大丈夫じゃな」
「東方です」と絵地図をじっと見ていたファイチが言った。
「東方がどうかしたのか」と思紹がファイチに聞いた。
「八重瀬、具志頭(ぐしちゃん)、玻名(はな)グスク、米須(くみし)、山グスク、ナーグスクは皆、東方の者たちです。反乱を起こした東方の按司たちを東方の按司たちが退治するという形にして、それらのグスクを攻め取るのです」
「東方の問題を東方の者たちが解決するというのじゃな」とヒューガが言った。
「そうです」とファイチはうなづいて、「中山王はまだ介入はしません」と言った。
「東方の者たちだけで、それらのグスクが落とせるかのう」と思紹が言った。
「今、長嶺グスクにいる五百の兵で、一つづつ落として行けばいいのです。まずは八重瀬グスクです。タブチが山南王の座から降りた事を知らせれば、降伏してグスクを明け渡すでしょう」
「八重瀬グスクは敵兵に囲まれているぞ」と苗代大親が言った。
「山南王妃に、タブチとチヌムイが喜屋武グスクにいる事を伝えて、騒ぎを起こしている東方の按司たちは、長嶺グスクを包囲している東方の按司たちが退治するので、八重瀬グスクから撤収して、島尻大里グスク攻めに専念してほしいと言うのです」
「山南王妃がそれで手を打ってくれるかのう」と思紹は首を傾げた。
「長嶺グスクから東方の按司たちが撤収すれば、山南王妃も手を打ってくれると思いますが」
「長嶺から撤収した兵を新(あら)グスクに移動させたらどうでしょう」とサハチが言った。
「それじゃ」と思紹が手を打った。
「挟み撃ちにされると思って、八重瀬の包囲陣を解くかもしれんな」
「撤収しなかったら、八重瀬は後回しにして、具志頭グスクを攻めましょう」とファイチが言った。
「あそこは按司が戦死して、先々代の奥方様(うなじゃら)が守っている。奥方様はマチルギの弟子だ。マチルギが話せば、グスクを明け渡すだろう」とサハチは言った。
 マチルギはうなづいて、「任せて」と言った。
「わたしも具志頭ヌルを説得するわ」と馬天ヌルが言った。
「次は玻名グスクじゃな」と苗代大親が言った。
「玻名グスク按司の妻は山グスク大主の娘です。かなりの抵抗を受けるでしょう」とウニタキが言った。
「玻名グスクと具志頭グスクじゃが、どうして、あんな近くに二つのグスクがあるんじゃ?」と思紹がウニタキに聞いた。
「地元の古老の話だと、具志頭グスクの方が古いようです。昔、玉グスクと島尻大里が争っていた時期があって、島尻大里按司が玉グスク側の具志頭グスクに対抗するために玻名グスクを築いたようです」
「すると、昔は敵同士だったわけじゃな」
「そのようです。玉グスク側の浦添按司の西威(せいい)が察度(さとぅ)に滅ぼされて、玉グスク側の八重瀬按司汪英紫(おーえーじ)に滅ぼされてからは、玻名グスクも具志頭も汪英紫に従うようになったようです」
「成程のう。玻名グスクには配下の者はおるのか」
 ウニタキは首を振った。
「米須の『まるずや』の行商人が時々、顔を出す程度です」
「そうか。あのグスクは大きいからのう。そう簡単には落とせまい」
「玻名グスクの城下には古くから奥間の鍛冶屋(かんじゃー)が数多くいます」と奥間大親が言った。
「先々代の玻名グスク按司が農具を作るために鍛冶屋を集めたのです。先代の中座大主も鍛冶屋を保護したので、按司に信頼されている鍛冶屋が多くいます」
 思紹は嬉しそうにうなづいて、「それは使えるな。うまく行くように運んでくれ」と奥間大親とサタルーに言った。
「今なら玻名グスクも油断しているかもしれません」とウニタキが言った。
「東方の按司たちは長嶺グスクを攻めているので、玻名グスクには来ないと安心しているでしょう。グスク内に潜入できるかもしれません。そして、島尻大里から避難して来たと行って城下にも配下の者を入れましょう」
「頼むぞ。奥間の者たちとうまくやってくれ」と思紹はウニタキに言った。
 ウニタキは奥間大親とサタルーを見てうなづいた。
「次は中座グスクか」と苗代大親が言った。
「中座グスクはまだ完成していません。摩文仁グスクもです。屋敷があるだけで、石垣はありません」とウニタキは言った。
「その石垣はどこの石屋が造るんだ?」とサハチはウニタキに聞いた。
「島尻大里にいる親方のテサンだよ」
「シタルーがよく許可したな」
「グスクの縄張り図を提出させる事を条件に許可したのだろう。奴らは職人だから仕事がなければ稼げんからな。たとえ、中山王に寝返った奴らのグスクだろうと稼ぎになれば動くのだろう。だが、山南王が急に亡くなったので、石垣の普請は中断されたままになっている」
「中座グスクと摩文仁グスクは放っておいて、次は米須グスクじゃな」と苗代大親が言った。
「米須の若按司の妻はクマヌ(先代中グスク按司)の孫娘じゃ。若按司夫婦を何とか助け出して、米須按司を継がせよう」と思紹が言った。
「うまい具合に米須按司が兵を引き連れて出陣して行けば、留守を守っているのは若按司じゃ。説得すれば何とかなりそうじゃな」とヒューガが言った。
「米須按司は今、島尻大里グスクにいます」とウニタキが言った。
摩文仁大主は山南王になって、王妃として妻を、世子(せいし)として米須按司を呼びました。娘の米須ヌルも呼んで、島尻大里ヌルを継がせました。今、米須グスクにいるのは次男の摩文仁按司と若按司です」
「すると、摩文仁按司をおびき出せばいいんじゃな」と苗代大親が言った。
「米須グスクにも配下の者を潜入させてくれ」と思紹はウニタキに頼んだ。
 ウニタキはうなづいて、「面白くなってきましたね」と笑った。
「玻名グスク、米須、真壁、伊敷、喜屋武、ナーグスク、山グスク、すべてのグスクに配下の者を潜入させます」
「頼むぞ」と思紹は厳しい顔付きで言って、ニヤッと笑った。

 

 

 

摩利支天の風 若き日の北条幻庵