長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-148.山北王が惚れたヌル(改訂決定稿)

 中山王(ちゅうさんおう)(思紹)が女たちを連れて久高島参詣(くだかじまさんけい)をしていた頃、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクでは山北王(さんほくおう)の代理として本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)が、山南王(さんなんおう)の他魯毎(たるむい)に戦勝を祝福して、援軍を送った事に対する報酬として、二つの条件を提示していた。
 一つは島添大里(しましいうふざとぅ)のミーグスクにいる仲尾大主(なこーうふぬし)を山南王の重臣として迎える事。二つめは山北王の長男のミンを他魯毎の婿として迎えて、世子(せいし)(跡継ぎ)とする事だった。
 四年前、先代の山南王の汪応祖(おーおーそ)(シタルー)が山北王の攀安知(はんあんち)と同盟した時、ミンと他魯毎の妹のママチーの婚約が決まって、ママチーは母親と一緒に今帰仁(なきじん)に行っていた。ミンもママチーもまだ十三歳だった。
 一つめの条件は受けられるが、二つめは難しい問題だった。他魯毎には十一歳の長男、シタルーがいて、シタルーはサハチの娘のマカトゥダルと婚約していた。シタルーが世子になる予定なのに、妹婿のミンを世子にするわけにはいかなかった。
 他魯毎重臣たちと相談した。重臣たちは悩んだ末に、山北王の条件を呑むしかないと結論を出した。今、南部には山北王の兵が三百人いて、条件を蹴った場合、その兵が騒ぎを起こすかもしれない。どこのグスクも兵糧(ひょうろう)を使い果たしているので、これ以上、戦を続けるわけにはいかなかった。
 他魯毎は山北王の条件を呑む事をテーラーに告げて、その経緯を説明した書状を義兄のサハチ(中山王世子、島添大里按司)に送った。
 首里(すい)グスクで留守番をしていたサハチは他魯毎の書状を読んで、ミンとママチーが婚礼を挙げる三年後には世の中も変わっているだろう。シタルーが世子に返り咲くだろうから心配するな、と返事を送った。


 その頃、山北王の攀安知は沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島(こうりじま))にいた。先月の三日、中山王の久高島参詣を真似して、山北王は妻や側室、侍女や城女(ぐすくんちゅ)たちを連れて沖の郡島に来ていた。沖の郡島も久高島と同じように聖なる島と呼ばれていて、古いウタキ(御嶽)がいくつもあった。女たちは浜辺で遊んで、楽しい時を過ごして息抜きをした。
 攀安知が沖の郡島に来るのは久し振りだった。山北王になる前の若い頃、側室になる前のクンと一緒に来て以来だった。今回もクンは来ているが、当時十六歳だったクンは三十の半ばを過ぎて、娘のマサキは南部の保栄茂按司(ぶいむあじ)に嫁いでいた。クンは当時を思い出して、若返ったようにはしゃいでいた。
 姉の今帰仁(なきじん)ヌルと叔母の勢理客(じっちゃく)ヌルも一緒に来ていて、クーイヌルが歓迎してくれた。クーイヌルはクンと一緒に来た二十年前にも歓迎してくれた。その時にはいなかったが、若ヌルがいた。
 攀安知は若ヌルの『マナビダル』を一目見て惹かれてしまった。妻や側室たちが一緒にいたので、マナビダルと親しくはなれなかったが、今帰仁に帰ってからもマナビダルの事が忘れられなかった。もうすぐ四十歳になる攀安知にとって、十九歳のマナビダルは娘のようなものだが、会いたいという気持ちを抑える事はできなかった。
 沖の郡島の山の上に見張り台を作って、行き来する船を見張ると、いい加減な事を言って、数人の家臣を連れてやって来た。家臣たちを山に行かせて、攀安知はマナビダルと会っていた。
 マナビダルの方も一目見た時からマレビト神に違いないと感じたが、山北王だと知って驚き、雲の上の人だと諦めていた。ところが、山北王は会いに来てくれた。やはり、運命の人だったんだと感激していた。
 攀安知とマナビダルは浜辺を散歩しながら、お互いの事を語り合った。
 マナビダルは父親というものを知らなかった。父親は海で遭難して沖の郡島に流れ着いて、母に助けられたヤマトゥンチュ(日本人)だった。そのヤマトゥンチュはマナビダルが三歳の時にヤマトゥに帰ってしまい、二度と現れる事はなかった。母はこの島で生まれたが、祖母は今帰仁の方からやって来たという。マナビダルが生まれた時は、すでに祖母は亡くなっていて、どうして祖母がこの島に来たのかはわからない。母は知っていると思うが教えてくれなかった。
 マナビダル攀安知の話を聞いて、賑やかに栄えている今帰仁の都を見てみたいと言った。小舟(さぶに)に乗れば、すぐに対岸の運天(うんてぃん)に行けるのに、マナビダルは今まで一度も島から出た事はないという。
「一緒に今帰仁に行こう」と攀安知が誘ったら、マナビダルは首を振って、
「お母さんが許さないわ」と悲しそうな顔をした。
 攀安知が母親のクーイヌルに頼んだら、クーイヌルは顔を曇らせた。
「決して、今帰仁に行ってはならないと母が亡くなる時に言ったのです。何があって母が今帰仁からこの島に来たのかわかりませんが、母が亡くなったあと、父から聞いた話によると、母は今帰仁の武将に連れられて、この島に来たようです。母はこの島の長老に預けられ、長老の息子だった父と結ばれて、わたしが生まれました。母がこの島に来た時、今帰仁で戦(いくさ)が起こって、按司が入れ替わったようです。母もその戦に巻き込まれて、この島に来たようですが、詳しい事は何も話しませんでした。母が亡くなって、もう二十年以上が経ちます。わたしは母の言い付けを守りますが、娘は今帰仁に行ってもいいような気がします。この島の発展の事を思うと、今帰仁の都は見ておいた方がいいでしょう。どうか、娘をよろしくお願いいたします」
 攀安知は喜んで、マナビダルを連れて今帰仁に帰った。マナビダルは何を見ても驚いた。親泊(うやどぅまい)(今泊)に泊まっている何隻ものヤマトゥ船に驚いて、今帰仁の城下に着くと、行き来している大勢の人々に驚いた。ヤマトゥンチュのサムレーを見ると、父親の面影を探しているようだった。高い石垣で囲まれた今帰仁グスクを見ると、まるで、夢の世界にいるようだと目を丸くしていた。
 攀安知もマナビダルも知らなかったが、マナビダルの祖母は今帰仁若ヌルだった。叔父の帕尼芝(はにじ)(羽地按司)に攻められて、父の今帰仁按司と兄の若按司は殺され、二人の弟は逃げたようだが無事なのかどうかはわからなかった。捕まった若ヌルは帕尼芝の命令で沖の郡島に流され、島の長老の世話になって、長老の息子と結ばれた。男の子が生まれたら父と兄の敵討ちを託そうと思った。女の子が生まれたらヌルとして育てて、敵討ちの事は忘れようと決心した。
 生まれたのは女の子だった。神様は敵討ちを望んではいないと悟った祖母は、過去の事は封印して娘に話す事なく亡くなった。そして、祖母が沖の郡島に流されてから五十年余りが経って、何も知らない孫娘のマナビダルは、敵(かたき)の孫である攀安知と仲よく今帰仁に行ったのだった。
 祖母の二人の弟は伊波按司(いーふぁあじ)と山田按司(やまだあじ)で、マナビダルの母親はマチルギの従姉(いとこ)だった。
 今帰仁に五日間滞在して、都見物を楽しんだマナビダルは沖の郡島に帰って行った。攀安知は引き留めたが、
「あたしは島のヌルを継がなければなりません。王様(うしゅがなしめー)と別れるのは辛いけど、あたしは島から出て暮らすわけにはいきません」とマナビダルは目に涙を溜めながら言った。
 攀安知はうなづいて、「俺がお前に会いに行くよ」と言ってマナビダルを島に送らせた。


 久高島参詣から皆が帰って来て、サハチに久高ヌルの事を話した。小渡(うる)ヌルが久高ヌルを継いだなんて思ってもいない事だった。
「不思議な事が起こるもんだな」とサハチが驚くと、
「ほんと、驚いたわ。あたし、小渡ヌルを安須森(あしむい)に連れて行こうと思っていたのよ。久高島の神様に取られてしまったわ」と安須森ヌル(先代佐敷ヌル)が悔しそうに言った。
「でも、小渡ヌルが久高ヌルになったお陰で、大里(うふざとぅ)ヌルは太陽(てぃーだ)が拝めたのよ」とササが言った。
「なに、大里ヌルが太陽を見たのか」
「とても感激していたわ。一生、太陽が拝めないなんて可哀想な話よ」
 ササたちとヂャンサンフォン(張三豊)と運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)が与那原(ゆなばる)に帰るというので、サハチも一緒に行く事にした。戦のために、お客様のルクルジルー(早田六郎次郎)と愛洲(あいす)ジルーをほったらかしたままだった。ヂャンサンフォンの留守中は二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)がルクルジルーたちの指導をしているという。みんなが帰る前にキラマ(慶良間)の島に連れて行こうとサハチは思っていた。
 与那原グスクにいたサグルー(山グスク大親)、ジルムイ(島添大里之子)、マウシ(山田之子)、シラー(久良波之子)たちは山グスクに引っ越しして、首里のサムレー大将だった伊是名親方(いぢぃなうやかた)(マウー)が配下のサムレーたちを引き連れて移って来ていた。
「俺がグスク持ちになるなんて、まるで夢でも見ているようです」とマウーは嬉しそうにサハチに言った。
「マウーは親父の最初の弟子だからな。お前がグスク持ちになれば、ほかの者たちの励みになる。サムレー大将として明国(みんこく)には行けなくなってしまったが、それでよかったのか」
「三回も行って来ましたから、もう充分です。俺が唐旅(とうたび)に出る度に妻のユウが心配していたようで、これで唐旅に行く事はないだろうと安心しています」
「そうか。与那原大親(ゆなばるうふや)として、与那原の者たちの面倒を見てくれ。それと、伊是名島(いぢぃなじま)の者たちを呼んでもかまわんぞ。才能のある奴はどんどん使ってくれ」
「わかりました。久し振りに伊是名島に帰って、グスク持ちになった事を自慢して来ます。次男坊や三男坊でサムレーになりたい奴を連れて来て、ここで鍛えます」
「そうしてくれ」
 マウーと別れて、サハチは『ヂャンヌムイ』と呼ばれているヂャンサンフォンの武術道場に向かった。山頂の東側にある眺めのいい所で、ルクルジルーたちと愛洲ジルーたちが修行に励んでいた。驚いた事に、愛洲ジルーは家臣のサムレーたちをみんな呼んで修行させていた。武当拳(ウーダンけん)は船の上での戦で、非常に役に立つので皆にも習わせたと愛洲ジルーは言った。
 サムレーたちを指導している右馬助を見たサハチはかなり強いと思った。琉球に来て三年余りが経って、ずっと修行三昧(ざんまい)だった。何を求めて修行を続けているのかわからないが、右馬助が家臣になってくれたらいいと願った。
 サハチもみんなと一緒に稽古をして汗を流し、夜はみんなと一緒に酒盛りを楽しんだ。
 翌日、首里に戻ったサハチは進貢船(しんくんしん)とヤマトゥに送る交易船の準備を始めた。思紹(ししょう)と相談して、ヤマトゥの交易船は五月の半ば、進貢船は六月に出す事に決めて、交易船の総責任者は去年と同じ手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)で、進貢船の正使はサングルミー(与座大親)に決まった。
 四月十日、浦添(うらしい)グスクでお祭りが行なわれ、ササたちがルクルジルーたちと愛洲ジルーたちを連れて行った。浦添グスクのお祭りは安須森ヌルやユリたちは関与しないので、浦添ヌルのカナが女子(いなぐ)サムレーたちと一緒に頑張っていた。武術師範の飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)も何かとカナを助けていた。お芝居は女子サムレーの『察度(さとぅ)』と旅芸人たちの『かぐや姫』だった。
 四月の半ばに梅雨に入ったが、二十一日の佐敷グスクのお祭りは曇ってはいても雨は降らなかった。ササたちはルクルジルーたちと愛洲ジルーたちを連れて佐敷に行った。サハチもナツと子供たちを連れて見に行った。お芝居はシビーとハルの新作『馬天(ばてぃん)ヌル』と旅芸人の『小松の中将様(くまちぬちゅうじょうさま)』だった。
 若い馬天ヌルがツキシル(月代)の石にお祈りをしている場面から『馬天ヌル』は始まった。ツキシルの石が光って、隣りに建っている粗末な小屋の中から赤ん坊の泣き声が聞こえて来る。馬天ヌルは生まれたばかりの赤ん坊を祝福する。
 光る石は黒っぽい石が黄色い石に変化する事で表現していた。夜なら張りぼての石の中に蝋燭(ろうそく)を入れればいいが、昼間だとよくわからないので、そうやったらしい。黄色い石に黒っぽい布を掛けておいて、一瞬のうちに黒い布をはずしたようだった。
 場面が変わって、十七年後の馬天ヌルがハチルー夫婦とヤマトゥのサムレー、ミユシと一緒に久高島に行く。フボーヌムイ(フボー御嶽)に籠もっているサスカサヌルと会って、一緒にウタキに籠もる。ウタキに神様が現れて、馬天ヌルに琉球の歴史を教える。白い薄絹をまとった美しい女の神様で、空中に浮かんでいるように見えた。サハチは神様の姿を見た事はないが、馬天ヌルやササには見えるのだろうかと不思議に思った。
 馬天浜に帰って来た馬天ヌルのお腹が大きくなって、やがて、ササが生まれる。
 それから何年か経って、佐敷グスクに移されたツキシルの石の前で、馬天ヌルがお祈りをしていると石が光って、馬天ヌルはウタキ巡りの旅に出る。旅の途中で馬天ヌルは数々の奇跡を起こす。病気の年寄りを治したり、魚を呼び寄せてウミンチュ(漁師)たちを喜ばせたり、古いウタキを見つけて地元のヌルを驚かせたりした。山賊に襲われて、馬天ヌルが華麗に山賊を倒す場面では観客たちが大喜びをした。
 島添大里按司になったハチルーと一緒に首里グスクを攻め落として、首里グスクのマジムン(悪霊)退治をして、めでたしめでたしでお芝居は終わった。マジムン退治では奇妙なマジムンが次々に出て来て子供たちを喜ばせた。
 旅芸人の『小松の中将様』は以前見た時よりも、わかりやすく楽しいお芝居になっていた。前回、フクが演じていた中将様は、二代目のフクが演じていた。猛特訓に耐えたとみえて、先代に劣らない素晴らしい演技を見せていた。
 お芝居を見終わって、十歳のマカトゥダルが、馬天ヌルになりたいと言い出した。
「あなたはお嫁さんになるのよ」とナツが言ったら、「やだ、ヌルになる」と言って聞かなかった。
「あたしはアキシノみたいな女子サムレーになりたい」と十二歳のマシューが言った。
 アキシノもヌルなのだが、お芝居を観た限りではヌルではなくて、勇ましい女武者だった。
「あなたもお嫁さんになるのよ」とナツは言ったが、二人とも、「やだ、やだ」と首を振って、意味もわからず、三歳のマカマドゥも、「やだ、やだ」と言っていた。
 お芝居を観た佐敷の娘たちがヌルや女子サムレーになりたいと言い出すに違いないとサハチは思った。
 お芝居のあと、ウニタキ(三星大親)とミヨンが舞台に上がって歌と三弦(サンシェン)を披露した。戦が続いていたので、二人の歌を聴くのは久し振りだった。久高島の恋の歌を聴きながら、サハチは久高島に行った小渡ヌルの事を思い出した。
 ちょっと変わったヌルだったが、安須森ヌルやササとは気が合っていた。ンマムイ(兼グスク按司)の妻のマハニとは従姉妹同士で、会うのは初めてだったが、年齢も同じ位だったので、すぐに仲よくなったと聞いている。きっと、フカマヌルとも仲よくやっているだろう。可愛い娘がいたが、父親は誰なのだろうとふと気になった。
 辰阿弥(しんあみ)と福寿坊(ふくじゅぼう)の念仏踊りをみんなで踊って、お祭りは終わった。ウニタキに話があると言われて、サハチはナツと子供たちを先に帰した。
 東曲輪(あがりくるわ)の屋敷の縁側に腰を下ろして、女子サムレーたちが後片付けをしているのを眺めた。
「ここはお前たちの新居だったな」とウニタキが言った。
「マチルギが嫁いで来るので、この東曲輪を作ったんだ。お前と初めて会った頃だったな」
「ああ、あれから何年が経つのだろう。月日が経つのは速いものだ」
「今は若按司夫婦が住んでいる」
「ファイチ(懐機)が心配して、時々、顔を出しているようだ」とウニタキが笑った。
「ファイチがか」とサハチも笑った。
「ここでヘグム(奚琴)を弾いたそうだ。村(しま)の人たちが集まって来て、皆、うっとりとした顔で聴いていたようだ」
「そうか。昔はこのグスクは賑やかだった。笛の音が毎晩、流れていた」
「ファイチのヘグムに刺激されて、シングルーが三弦を始めたようだ。ファイリンから教わってな」
「シングルーが三弦か。いいかもしれん。奴はいい声をしている」
 ウニタキは軽く笑ったあと、「鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めは延期になったようだ」と言った。
「なに? 何かあったのか」とサハチはウニタキを見た。
「湧川大主(わくがーうふぬし)の奥さんが倒れたようだ。もともと病弱な人だったらしい。三月に山北王の奥さんや側室たちと一緒に沖の郡島に行ったらしい。その時は元気だったようだが、帰って来てから具合が悪くなって倒れてしまったようだ」
「そうか。しかし、湧川大主はもう鬼界島に行くつもりだったのか」
「梅雨明けまで待っていると、鬼界島の奴らはヤマトゥに行く船を出してしまう。ヤマトゥに行く船が出る前に行って、総攻撃を掛けるつもりだったようだ。鬼界島の奴らはヤマトゥから援軍を呼んで、島を取り戻したと湧川大主は思っているようだ」
「成程な。鬼界島の奴らは琉球にも来ているのか」
「調べさせたら浮島(那覇)に来ていた。ただ、鬼界島から来たとは名乗っていないで、薩摩(さつま)から来た倭寇(わこう)を装っている。背の高い大男がいると聞いたので、すぐにわかった。松田(まちだ)というサムレー大将で『青鬼(うーうに)』と呼ばれているようだ。奴らは十日程前に帰って行った」
「なに、もう帰ったのか」
「ヤマトゥまで帰るわけではないからな。風待ちをしながら島伝いに鬼界島まで行くのだろう。そして、荷物を積み直して、六月頃に薩摩に行くに違いない」
「それなら五月に行っても間に合うだろう」
 ウニタキはうなづいて、「湧川大主の奥さん次第だな」と言った。
「新しい鬼界按司は誰なんだ?」
「殺された鬼界按司の兄貴のようだ。国頭按司(くんじゃんあじ)の弟だよ。殺された鬼界按司は国頭の兵を率いて行った。殺された者たちの敵(かたき)を討つと言って、志願したようだ。鬼界島攻めでは多くの兵が戦死している。国頭だけでなく、名護(なぐ)や羽地(はにじ)の兵たちもいる。国頭は弟の敵を討つと張り切っているが、名護も羽地も鬼界島攻めには反対しているんだ。次の鬼界島攻めに失敗したら、二人の弟を失った国頭按司は勿論の事、名護按司も羽地按司も山北王を見放すだろう」
「うまい具合になりそうだな」とサハチはニヤッと笑った。
「もう少し決定的なものが欲しい」とウニタキは言った。
「まだ時はある。南部は思い通りになった。今の状況のままで行けば、安心して今帰仁攻めができるだろう。じっくりと考えて、ヤンバル(琉球北部)の按司たちを山北王から切り離すんだ」
「もうすぐ、名護にピトゥ(イルカ)が来るだろう。今年は去年よりも多く買い取ろう」
「ピトゥの肉で思い出したが、三姉妹と旧港(ジゥガン)(パレンバン)、ジャワ(インドネシア)の者たちに豚(うゎー)を連れて来るように頼んだんだ。七月に大量の豚が来るはずだ。豚を飼育する場所を確保しておかなくてはならない」
「どこで飼うつもりなんだ?」
「豚の肉を使うのは『天使館』だ。浮島のチージ(辻)辺りでいいんじゃないのか」
「そうだな。最近は人買い市場も誰もいなくなったからな。豚を飼うにはいい場所だ」
「役人も決めなければならん」
「豚と馬は違うかもしれんが、宇座按司(うーじゃあじ)に相談してみたらいいんじゃないのか。大量の豚を飼育するのは素人(しろうと)では無理だろう。死なせてしまったらどうしようもないぞ」
「そうか。豚も生き物だからな。宇座の牧場から経験者を連れて来た方がよさそうだな」
 そう言ってからサハチは馬天浜のシタルーを思い出した。シタルーは宇座の牧場にしばらく滞在していた。豚の飼育を任せられそうな人を知っているかもしれなかった。
「話は変わるが、先代の島尻大里ヌルのマレビト神がヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)だったとは驚いたな」とウニタキが笑った。
「俺も驚いたよ。今は喜屋武(きゃん)ヌルを名乗って、ヤタルー師匠と仲よく喜屋武グスクを守っている」
「その喜屋武ヌルがヤタルー師匠を連れて、戦場となった島尻大里グスクの周辺で、戦死した兵たちの供養をしているんだ。かなりの戦死者が出たからな。そこに玻名(はな)グスクヌルが加わって一緒に戦死者を供養している」
「なに、玻名グスクヌルがか‥‥‥玻名グスクヌルは安須森ヌルが八重瀬(えーじ)に連れて行ったはずだが」
「タブチ(先々代八重瀬按司)の奥さんは玻名グスクヌルの叔母だが、按司になったマタルーはお前の弟だからな。玻名グスクを滅ぼしたお前の弟の世話になりたくないと出て行ったようだ」
「そうか。玻名グスクヌルと喜屋武ヌルは以前から知り合いだったのか」
「その辺の事はよく知らんが、島尻大里の儀式を手伝ったりしていたんだろう。父親も兄弟も戦死して、お前を恨んでいるだろう。気をつけた方がいいぞ」
「俺を呪い殺すとでも言うのか」
「一人で山の中にでも籠もったら、その可能性もあったが、喜屋武ヌルと一緒にいれば、やがては恨みも治まるだろう」
「そうだな。喜屋武ヌルも随分と変わったからな。喜屋武ヌルに任せよう」
「喜屋武グスクは喜屋武ヌルに任せておくのか」
「もともとタブチの隠居グスクだ。場所的にも重要なグスクではない。山グスクの出城として喜屋武ヌルに管理してもらうつもりだ。先の事はわからんが、喜屋武按司が帰って来るかもしれんしな」
「喜屋武按司はタブチの次男だったな。タブチとチヌムイは八重瀬グスクで戦死した事になっているが、喜屋武按司はどうなったんだ?」
「タブチたちが戦死したあと、ナーグスク大主(うふぬし)たちと一緒にどこかの島に逃げた事になっている」
「そうか。タブチとチヌムイは他魯毎がいる限り戻っては来れんが、喜屋武按司は戻って来られるか」
久米島(くみじま)で楽しく暮らしていれば戻って来る事はないと思うが、先の事はわからんからな」
久米島か‥‥‥一度、様子を見に行った方がいいな」
「そうだな。進貢船とヤマトゥの交易船を送り出したら、ヒューガ(日向大親)殿に頼んで行って来よう」
「ファイチも連れて、三人で行こうぜ」とウニタキは楽しそうに笑った。
「久し振りに三人で旅をするか」とサハチも楽しそうだった。
「その前に、俺は旅芸人たちを連れて旅に出るよ。二代目のフクがようやく一人前になったからな。半年間も首里で稽古を続けていたから、みんな、旅に出たくてうずうずしている。俺もそうなんだ」
「お前が羨ましいよ。俺も旅に出たい」
「中山王の世子は気楽な旅なんてできない宿命なんだよ。まあ、年を取って隠居してから考えるんだな。その時はつき合ってやるよ」
「ふん」とサハチは鼻を鳴らして、「楽しみにしているよ」と皮肉っぽく言った。

 

 

2-147.久高ヌル(改訂決定稿)

 戦後処理も片付いた四月の三日、一月遅れの『久高島参詣(くだかじまさんけい)』が行なわれた。
 グスク内に閉じ込められている女たちにとって、久高島参詣は年に一度の楽しみだった。それが戦(いくさ)のために中止になってしまったので、思紹(ししょう)(中山王)の側室たちや侍女たちが騒ぎ出して、行く事に決まったのだった。
 戦のあとで、残党どもが襲って来るかもしれないので、充分な警戒をして出掛けた。生憎、小雨が降っていたが、女たちはウキウキしていた。いつものように、中山王(ちゅうさんおう)のお輿(こし)にはヂャンサンフォン(張三豊)が乗って、思紹は馬に乗って最後尾だった。
 ヂャンサンフォンは安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)の娘のマユとササの四人の弟子たちを預かって一か月の修行をさせていたが、中断してやって来た。マユとササの弟子たちは丸太引きのお祭りで、丸太の上を華麗に飛び跳ねているササたちを見て、自分たちもいつかはやってみたいと言った。今のうちからヂャンサンフォンの呼吸法と静座を身に付けておいた方がいいと判断した安須森ヌルとササは、ヂャンサンフォンに預けたのだった。マユとササの弟子たちはヂャンサンフォンと一緒に久高島参詣に従った。
 マチルギ、馬天(ばてぃん)ヌル、運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミー(アフリ若ヌル)、安須森ヌル、小渡(うる)ヌルと娘のユイ、そして、ササたちも加わっていた。
 安須森ヌルが久高島に行くのは、神様から英祖(えいそ)の宝刀探しを頼まれた時以来の五年振りだった。小渡ヌルは初めてで、マユとササの弟子たちも始めてだった。
 何事もなく与那原泊(ゆなばるどぅまい)に着いて、ヒューガ(日向大親)の船に乗って久高島に渡った。
 小渡ヌルは久高島の事は以前から気になっていて、行ってみたいと思っていた。安須森ヌルから誘われた時、いよいよ、その時が来たわと思った。遠くに見える島影を眺めながら、期待と不安を併せ持った気持ちで船に乗っていた。
 小雨が降る中、船は気持ちよく海上を走った。途中、船は揺れたが、女たちはキャーキャー言いながらも楽しそうだった。
 久高島の南にある港に着くと、ウミンチュ(漁師)たちが小舟(さぶに)で迎えに来た。砂浜に上陸して、思紹とヂャンサンフォン、女たちはフカマヌルの屋敷に向かったが、ヌルたちは『アカラムイのウタキ(御嶽)』に行って神様に挨拶をした。
 アカラムイは古いウタキで、フカマヌルは儀式を執り行う時には必ず、アカラムイの神様にお祈りをしていた。ササも馬天ヌルも久高島に来た時はアカラムイにお祈りをしてからフカマヌルに会っていた。でも、最初の頃は神様の声は聞こえなかった。神様の声が聞こえるようになったのは、ササがセーファウタキ(斎場御嶽)で豊玉姫(とよたまひめ)の神様と会ったあとだった。
 アカラムイの神様はアマン姫の孫の『キーダカ姫』で、ササと馬天ヌルを歓迎してくれた。去年の久高島参詣の時には、スサノオ様に会えたとキーダカ姫は大喜びして、ササにお礼を言った。
 今回は十六人もぞろぞろと来たので、キーダカ姫も驚いていた。
「今年は来ないかもしれないってフカマヌルが寂しそうだったわよ」とキーダカ姫は言った。
「一月遅れになってしまいましたけど、今年もよろしくお願いします」とササは挨拶をした。
「女子(いなぐ)たちの息抜きね。楽しんでいらっしゃい。あら、安須森ヌルも来たのね。あなたのお陰で神様たちはみんな、喜んでいるわ。わたしからもお礼を言うわね」とキーダカ姫は機嫌よく言ったあと、急に驚いたような声で、「あなたは誰なの?」と言った。
 ササも驚いて、振り返って皆の顔を見回した。神様が言ったあなたとは誰の事なのかわからなかった。
「わたしの事かしら?」と小渡ヌルが言った。
「わたしが来てはいけなかったのね」
「そんな事はないはずよ」とササは小渡ヌルに言って、「あなたとは誰の事ですか」とキーダカ姫に聞いた。
「女の子を連れているヌルよ」とキーダカ姫は言った。
 やはり、小渡ヌルだった。
「小渡ヌルと申します」と小渡ヌルが名乗った。
 ササは驚いて小渡ヌルを見た。馬天ヌルと安須森ヌルも驚いていた。
「あなた、神様の声が聞こえるの?」と馬天ヌルが聞くと、小渡ヌルはうなづいた。
 キーダカ姫の声が聞こえるのはササとシンシン(杏杏)、馬天ヌルと安須森ヌルと運玉森ヌルだけだと思っていたのに、小渡ヌルにも聞こえるなんて信じられなかった。
「あなた、そのガーラダマ(勾玉)はどうしたの?」とキーダカ姫が小渡ヌルに聞いた。
 小渡ヌルは着物の下からガーラダマを出して、じっと見つめた。立派な翡翠(ひすい)のガーラダマだった。
「これは、小渡の海に潜っていた時に見つけました。海の底で綺麗に光っていました。わたしは越来(ぐいく)を去る時にガーラダマを越来ヌル様に返して、ヌルを辞めました。でも、このガーラダマを見つけてから、またヌルになる決心をして小渡ヌルになりました」
「小渡の海の底にあったのね」とキーダカ姫は言って、少し間を置いてから、「そのガーラダマは、わたしが祖母のアマン姫様からいただいた物なのよ。わたしはそのガーラダマを首に掛けて、この島にやって来て、この島のヌルを継いだのよ」と言った。
「どうして、キーダカ姫様のガーラダマが小渡の海の底にあったのですか」とササは聞いた。
「不思議な事だわ」と言ってキーダカ姫は、久高島の歴史を話してくれた。
 久高島は昔、『フボー島』と呼ばれた聖なる島だった。『ミントゥングスク』にいたアマミキヨの一族はヌルを送ってフボー島を守らせた。それから約七百年後、玉グスクからやって来たキーダカ姫がフボー島のヌルを継いだ。やがて、フボー島は『キーダカ島』と呼ばれるようになって、それがなまって『久高島』となった。キーダカ姫の子孫は『久高ヌル』と呼ばれて島を守って来た。
 三百年程前に大きな地震が起こって、大きな津波がやって来た。久高島は津波に呑み込まれて島人(しまんちゅ)たちは全滅した。久高ヌルも行方知れずとなって、以後、久高ヌルは絶えている。
 島人たちが全滅したために久高島は呪いの島になってしまい、およそ百年の間、誰も近づかなかった。そんな呪いの島だった久高島を再興したのは初代『久高島大里(うふざとぅ)ヌル』だった。舜天(しゅんてぃん)の母親の大里ヌルは、滅ぼされた真玉添(まだんすい)、運玉森、安須森のヌルたちの霊を弔うために久高島に来て、亡くなった島人たちの霊も弔って、久高島を再興した。それからまた百年が経って、浦添按司(うらしいあじ)の英祖の孫娘が久高島に来て、『フカマヌル』となった。
 大里ヌルが『月の神様』を祀って、フカマヌルが『太陽(てぃーだ)の神様』を祀った。これで、久高島も大丈夫だろうとキーダカ姫もあえて久高ヌルの再興は望まなかった。しかし、今、久高ヌルのガーラダマを持った小渡ヌルが久高島にやって来た。古い神様は久高ヌルの再興を望んでいるに違いないとキーダカ姫は思い始めた。
「久高ヌルは三百年前に津波に呑み込まれてしまったのですね?」とササが聞いた。
「そのガーラダマと一緒に行方知れずになってしまったのよ。そのガーラダマに再び会えるなんて、思ってもいなかったわ」
「海の中をさまよって小渡まで行ったのですね」と言って、ササは小渡ヌルのガーラダマを見た。
 奇跡のような話だった。三百年も海の中で眠っていたガーラダマを小渡ヌルが見つけたのだった。ウミンチュではなく小渡ヌルが見つけた事に、神様の大きな力が加わっているような気がした。
「久高ヌルは『星(ふし)』を祀っていたヌルなの。フカマヌルの『太陽』、大里ヌルの『月』、これで三つが揃ったわね」とキーダカ姫は言った。
「わたしが久高ヌルを継ぐのですか」と小渡ヌルがキーダカ姫に聞いた。
「勿論よ。それが神様のお導きなのよ」
「でも、わたしの母は今帰仁按司(なきじんあじ)の娘です。安須森ヌル様から天孫氏(てぃんすんし)のお話は聞きました。久高島のヌルは天孫氏でなくてはならないのではないのですか」
「勿論、天孫氏でなくてはならないわ。でも、あなたがそのガーラダマを身に付けている事が天孫氏の証(あか)しなのよ。天孫氏でなければ、そのガーラダマを身に付ける事はできないわ。身に付けた途端に具合が悪くなるはずよ。それに、たとえ天孫氏だったとしても、そのガーラダマにふさわしくない人が身に付けると、やはり具合が悪くなるのよ」
 今帰仁按司はヤマトゥ(日本)系だった。今帰仁にも天孫氏がいたのかとササは不思議に思った。
「あたしも不思議に思って調べてみたのよ」とユンヌ姫の声がした。
「あら、叔母様もいらしたのね」とキーダカ姫が嬉しそうに言った。
 ユンヌ姫とキーダカ姫が挨拶を交わしたあと、「小渡ヌルの母親は天孫氏だったわ」とユンヌ姫は言った。
「お祖母(ばあ)さんも天孫氏よ。お祖母さんの母親は伊祖按司(いーじゅあじ)の娘で、今帰仁按司に嫁いだの。勿論、伊祖按司の奥さんも天孫氏だったわ。そして、さらに驚いたのは、母親をずっとたどって行ったら、津波で亡くなった久高ヌルの双子の妹にたどり着いたのよ」
「えっ!」とキーダカ姫が驚いた。
「そう言えば思い出したわ。そっくりな顔をした双子の妹がいて、玉グスク按司に嫁いだのよ。今、はっきりと思い出したけど、あなたはあの双子にそっくりだわ」
「えっ!」と今度は小渡ヌルが驚いた。
「あなたは久高ヌルを継ぐために、この島に来たのよ」とユンヌ姫が言った。
 急にそんな事を言われても、どうしたらいいのか小渡ヌルは混乱していた。
 ササ、馬天ヌル、安須森ヌル、運玉森ヌル、シンシンが小渡ヌルを見ていた。何が起こっているのかわからない娘のユイは、心配そうな顔をして母を見ていた。マチルギ、ナナ、麦屋ヌル、若ヌルたちは何も知らずにお祈りを続けていた。
「キーダカ姫様にお聞きしたい事がございます」と馬天ヌルが言った。
「何かしら?」
「先代のフカマヌル様ですが、シラタル親方(うやかた)様の娘さんです。シラタル親方様は浦添の武将だったと聞いております。どうして、シラタル親方様の娘さんがフカマヌルを継いだのでしょうか」
「ササは知っていると思うけど、シラタル親方はわたしの姉の『百名姫(ひゃくなひめ)』の子孫なのよ」
 百名姫はアマミキヨ様が上陸した『浜川(はまがー)ウタキ』を守っていた神様だった。
「シラタル親方の奥さんになったウミチルは浦添按司だった西威(せいい)の妹で、ウミチルの祖母は初代フカマヌルの妹なのよ。その二人から生まれたウトゥガニはフカマヌルを継ぐのにふさわしいと先々代が跡継ぎに決めたのよ」
「そうだったのですか。フカマヌル様の母親が浦添按司の妹だったなんて知りませんでした」と馬天ヌルは言って、娘のササを見た。
 あたしもよ、と言うようにササは首を振った。
「あなたが守るべきウタキがあるわ。ついていらっしゃい」とキーダカ姫が小渡ヌルに言った。
 小渡ヌルは娘の手を引いてキーダカ姫に従った。ササたちもぞろぞろと小渡ヌルのあとを追った。砂浜に沿って南に進むと、こんもりとした森があった。人が入った事がないかのように樹木(きぎ)が生い茂っていた。倒れたままの木がいくつもあって歩くのも大変だった。
「大津波があってから誰もここには来ないわ」とキーダカ姫が言った。
「大津波が来る前、ここはちょっとした広場になっていて、ヌルたちがお祈りを捧げていたのよ。この先の崖にあるガマ(洞窟)がヌルたちのお墓だったの。久高ヌルの御先祖様のお墓よ。ここは『スベーラムイ』というウタキなの。大切にしてね」
 小渡ヌルがお祈りをすると神様の声が聞こえてきた。時々、小渡ヌルが耳にしていた声だった。
「ようやく、来てくれたのね。ありがとう」と神様は言った。
「あなたはもしかしたら、津波で亡くなった久高ヌル様ですか」と小渡ヌルは聞いた。
「そうよ。早く、あなたに来てもらいたかったのだけど、あなたは父親の敵(かたき)を討とうとしていて、ほかの事には耳を貸さなかったわ。わたしはあなたの悩みが解決するまで待っていたのよ」
「そうだったのですか。申し訳ありませんでした。あの頃のわたしには、あなたの言っている事はまるで理解できませんでした。ササ様と再会して、色々な事を教わって、ようやく、理解できるようになったのです」
「ここは久高島で最初の祭祀場(さいしば)であって、玉グスクの遙拝所(ようはいしょ)でもあって、御先祖様のお墓でもある重要なウタキなのよ。久高ヌルとして、しっかりと守ってね」
「かしこまりました」とつい言ってしまったが、小渡ヌルはまだ決心を固めてはいなかった。そんな重要なお勤めを果たせる自信がなかった。
 久高ヌルの神様とキーダカ姫の神様と別れて、一行はフカマヌルの屋敷に向かった。
 いつの間にか雨もやんでいた。先に来ていた思紹とヂャンサンフォン、王妃と側室たち、侍女たち、城女(ぐすくんちゅ)たちは浜辺で楽しそうに宴(うたげ)を開いていた。
 ヌルたちはフカマヌルに歓迎された。
「久高ヌルよ」と安須森ヌルは小渡ヌルをフカマヌルに紹介した。
「えっ、久高ヌル?」とフカマヌルは驚いた。
 安須森ヌルはフカマヌルに事の成り行きを説明した。
 フカマヌルは母親から聞いていて、久高ヌルの事は知っていた。三百年も途絶えていると聞いた時、「どうして誰も跡を継がないの?」と母親に質問した。
「久高ヌルはアマミキヨ様の一族で、二千年近くも前から続いていたヌルなのよ。誰もが継げるわけではないの。選ばれた人しか継げないのよ。その人が現れるのを待つしかないわ」と母親は言った。
 フカマヌルは小渡ヌルを見ながら、この人が選ばれた人なのねと思った。可愛い娘もいるし、仲よくやれそうな気がした。
「フカマヌルよ。よろしくね」とフカマヌルは笑った。
按司様(あじぬめー)の妹さんよ」とササが言った。
「えっ!」と小渡ヌルは驚いた。
「母親は違うけど、わたしのお姉(ねえ)なのよ」と安須森ヌルが笑った。
「そしてね、若ヌルのお父さんはウニタキさんなのよ」
「えっ!」と小渡ヌルはまた驚いた。
「あなたは山北王(さんほくおう)(攀安知)の従妹(いとこ)でしょ。わたしは中山王の娘。そんな二人が久高島のヌルになるなんて不思議な縁ね」とフカマヌルが小渡ヌルに言った。
「わたしにも未だに信じられません」
 急に賑やかになったので、浜辺の方を見ると、竹の棒を持った安須森ヌルの娘のマユとフカマヌルの娘のウニチルが剣術の試合を始めていた。
 二人とも思紹の孫で、幼い頃から母親に剣術を習っていて、どっちが強いか見せてくれと思紹が言ったのだった。マユの方が一つ年上だが、実際は四か月しか違わなかった。
 マユとウニチルはいい勝負だった。カミーとササの弟子たちは二人を凄いと思いながらも、負けるものかと竹の棒を持って一緒に稽古を始めた。カミーも麦屋ヌルと一緒に馬天ヌルから剣術を習っていた。
 カミーとンマムイ(兼グスク按司)の娘のマサキを除いて、五人は思紹の孫娘だった。思紹は目を細めて、娘たちの稽古を眺めていた。
 星空の下、女たちの宴は続いていた。西の空に三日月も出ていた。ササ、シンシン、ナナ、馬天ヌル、安須森ヌル、フカマヌルは小渡ヌルを連れて、大里ヌルを訪ねた。
 大里ヌルはササたちを待っていた。神様から久高ヌルの事を聞いたという。大里ヌルは小渡ヌルを見ると笑って、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
 小渡ヌルは恐縮して、「こちらこそ」と頭を下げた。
「久高ヌルを継ぐヌルが現れたと聞いて、御先祖様も大喜びしておりました。初代の大里ヌルは荒れ果てた久高島に来て苦労して、久高島を再興しました。二代目の大里ヌルは初代の大里ヌルを手伝っていた若者と結ばれて、三代目を産みます。若者の正体はわかりません。久高島の神様ではないかと伝わっております。最初の頃の大里ヌルは太陽の神様も月の神様も星の神様も祀っておりました。六代目の大里ヌルの時に、フカマヌルがいらっしゃいました。六代目はフカマヌルと相談して、フカマヌルが太陽の神様を祀って、大里ヌルが月と星の神様を祀ると決めたのです。以来、大里ヌルは夜に生きるヌルとなってしまいました。久高ヌル様が星の神様を祀っていただければ、わたしは夜の世界から解放されます。太陽を拝む事もできるようになるのです」
「すると、久高ヌルが夜の世界に生きる事になるの?」と馬天ヌルが大里ヌルに聞いた。
「心配しなくても大丈夫です」と大里ヌルは不安そうな顔をした小渡ヌルに言った。
「星を祀る儀式の時だけで大丈夫です。六代目の大里ヌルが突然、やって来たフカマヌルに意地悪をして、昼間は外に出なくなったのです。それが慣例となってしまって、代々、大里ヌルは夜の世界に籠もってしまったのです」
「六代目はどうしてフカマヌルに意地悪したの?」とササが聞いた。
「フカマヌルが来るまでの百年余り、久高島を守ってきたという誇りがあったのだと思います。フカマヌルに太陽を祀る儀式を奪われて悔しかったのではないでしょうか。六代目は子孫たちに、フカマヌルが島から出て行くか、久高ヌルが復活するまでは、太陽のもとに出てはならないと遺言を残します。七代目、八代目、九代目は太陽を拝む事なく亡くなりました。わたしもきっとそうなのだろうと諦めていましたが、久高ヌルが復活したので、わたしは太陽を拝む事ができるようになりました。ありがとうございます」
「これからは昼間も動けるのね?」と馬天ヌルが聞くと、大里ヌルは嬉しそうにうなづいた。
「明日の朝、太陽を拝みましょう」とササが言った。
 大里ヌルはうなづいて、「楽しみだわあ」と嬉しそうに笑った。
 ササたちは大里ヌルをみんながいる浜辺に連れて行って、お祝いよと言って酒盛りを始めた。
「わたしに久高ヌルが務まるかしら?」と小渡ヌルが心配した。
「大丈夫よ。小渡にいた時のように小舟に乗って海に潜っていればいいのよ」と馬天ヌルが言った。
「楽しそうね」とフカマヌルが笑った。
「大里ヌルも昼間に動けるようになったし、三人で仲よくやりましょう」
「昼間の海を見てみたいわ。綺麗でしょうね」と大里ヌルが夜の海を見ながら言った。
「太陽を見た事がない人がいたなんて、とても信じられないわ」と安須森ヌルが言って、大里ヌルを見た。
 透き通るような白い肌をしていて、太陽の光を浴びていないのは本当のようだった。
「あなたが安須森ヌル様なのですね。お噂は神様から聞いております」
「今年も安須森参詣をするつもりなので、一緒に行きましょうね」
「はい」と大里ヌルは喜んだ。
「昼間、動けるという事は、今年の十五夜(じゅうぐや)の時、前日の昼に島添大里(しましいうふざとぅ)に来られるのね」とササが聞いた。
「そうです。夜にならなくても昼間のうちに行けます。色々な景色を見るのが楽しみだわ」
「そう言えば、サスカサ(島添大里ヌル)は久高島に来た事がないんじゃないの?」と安須森ヌルが聞いた。
「来ているわよ」とフカマヌルが答えた。
「まだサスカサになる前に運玉森ヌル様と一緒に来て、フボーヌムイ(フボー御嶽)で修行を積んだのよ。それに、三年前にヤマトゥから帰って来た時、ササたちと一緒にお土産を持って来てくれたわ」
「ああ、そうか。来ていたのね」
「わたしも会いました」と大里ヌルが言った。
十五夜の時、サスカサに迎えに来てもらったらいいんじゃないの」とササが言った。
「そうね。大里ヌルはサスカサの御先祖様でもあるわけだし、迎えに来てもらいましょ」と安須森ヌルが賛成した。
 翌朝、まだ暗いうちから浜辺に行って、朝日が昇るのを待った。
 東の空が明るくなって海が輝き、海から太陽が顔を出すと、大里ヌルは感動して涙を流していた。ササ、シンシン、ナナ、安須森ヌル、フカマヌル、小渡ヌルは顔を見合わせて、よかったわねとうなづき合った。若ヌルたちは両手を合わせて太陽を拝み、ヂャンサンフォンから習った呼吸法を実践していた。
 その日、ヌルたちが若ヌルたちを引き連れて、フボーヌムイに行くと、神様たちは小渡ヌルを歓迎して迎えた。
 父親を望月党に殺されて、弟たちも戦死して、越来グスクを奪われて、生まれ故郷(うまりじま)を離れた。父親の敵討ちだけを生きがいに生きて来たのに、知らないうちに敵は死んでいた。そして、今回の戦では伯父の摩文仁(まぶい)は戦死して、ユイの父親(摩文仁按司)も処刑された。安須森ヌルたちと一緒にいるお陰で、悲しみは癒やされたが、心の中にぽっかりと空いた虚しさを埋める事はできなかった。
 わたしは一体、何のために生まれたのだろう。この先、何をして生きて行けばいいのだろうと悩んでいた小渡ヌルは、自分がやるべき事、やらなければならない事がようやく見つかったと胸の奥が熱くなっているのを感じていた。
 小渡ヌルは神様たちに祝福されて、『久高ヌル』に就任した。

 

 

2-146.若按司の死(改訂決定稿)

 山南王(さんなんおう)に就任した他魯毎(たるむい)は豊見(とぅゆみ)グスクから島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに引っ越しを始めた。すぐ下の弟、兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)が豊見グスクに移って、豊見グスク按司を名乗り、四男のシルムイが阿波根(あーぐん)グスクに入って、阿波根按司(あーぐんあじ)を名乗った。今まで阿波根グスクの当主は兼グスク按司を名乗っていたが、ンマムイも兼グスク按司を名乗っていて、紛らわしいので阿波根按司を名乗る事にしたのだった。
 先代王妃のトゥイは島尻大里グスクに戻りたくはなかったが、王妃のマチルーに頼まれて、マチルーが王妃の職務に慣れるまで島尻大里グスクにいる事にした。家臣やその家族たちも引っ越しをするので、豊見グスクと島尻大里を結ぶ街道は行き来する人々で溢れていた。
 避難していた城下の人たちも戻って来て、長い戦が終わった事を喜び合って、以前のごとく、城下は賑わいを取り戻していた。豊見グスクの城下に避難していた『よろずや』も戻ったが、八重瀬(えーじ)の城下に避難していた『まるずや』は戻らず、そのまま八重瀬の城下に店を開いていた。


 山グスクの大岩の上で、サハチ(中山王世子、島添大里按司)から『ミャーク(宮古島)』の事を聞いたササ(馬天若ヌル)たちは泊(とぅまい)に行って、『ミャーク』の事を調べた。泊の黄金森(くがにむい)にミャークの人たちが利用していた屋敷が残っていて、近所の老人に聞くと、二十年くらい前まで、ミャークの人たちが夏に来て、冬まで滞在していたが、その後、来なくなって、今は物置になっているという。
 大将はミャークの大戦(うふいくさ)で活躍したサムレーで、その戦で大怪我を負って、あの世へ行って舞い戻って来た。背中に大きな刀傷があって、よく生き返ったものだと老人は感心したという。大将の妹のヌルは色白の美人で、神々しいヌルだった。タカマサリという歌のうまい人がいて、海を見ながら歌っていたのを今でも思い出す、と老人は海を眺めながら言った。
「ミャークの人で、琉球で亡くなった人はいませんか」とササが聞くと、老人は少し考えてから、
「そう言えば、船頭(しんどぅー)さんが亡くなった事がありました」と言った。
「お酒を飲んでいて、突然倒れて、そのまま亡くなったそうです。皆、悲しんでおりました。ヌル様がミャークが見える南の地に葬りましょうと言って、南部の喜屋武(きゃん)の方に葬ったって聞きました」
 ササたちはその話を聞いてうなづき合った。山グスクの南の海辺の崖の上にあったウタキ(御嶽)に違いなかった。
 ササたちは老人にお礼を言って、首里(すい)に向かった。首里グスクの北の御殿(にしぬうどぅん)に行って、交易担当の安謝大親(あじゃうふや)と会った。安謝大親に『ミャーク』の人たちの事を聞くとよく覚えていた。
 安謝大親が担当になって、ミャークの人たちの世話をしたという。大将は与那覇勢頭(ゆなぱしず)という武将で、およそ五十人を連れてやって来た。言葉が通じないので、泊に屋敷を建てて滞在して、言葉を覚えてから中山王(ちゅうさんおう)の察度(さとぅ)と会って、交易をして帰って行った。その翌年、近くにあるという八重山(やいま)と呼ばれる島々から、その首長たちを連れてやって来た。それからは一年おきに来ていたが、察度が亡くなって、武寧(ぶねい)(先代中山王)の代になると来なくなってしまったという。
「ミャークの近くにも島があるのですか」とササは安謝大親に聞いた。
「いくつも島があるようじゃな」と言って、安謝大親は絵図を広げて見せてくれた。
「与那覇勢頭から聞いて、わしが書き加えたんじゃよ」
 絵図を見ると、琉球の南西にミャーク(宮古島)があり、その西にイラウ(伊良部島)、タラマ多良間島)、イシャナギ(石垣島)、クンジマ(西表島)、ドゥナン(与那国島)、小琉球(台湾)とあって、小琉球の隣りに明国(みんこく)の大陸があった。イシャナギとクンジマの間にも小さな島がいくつもあった。
 ササは絵図を見ながら、行ってみたいと思っていた。
「アマンの国はないの?」とササは聞いた。
「アマンの国?」と安謝大親は首を傾げた。
アマミキヨ様の国です。アマミキヨ様は南の島(ふぇーぬしま)からやって来られました」
「この絵図には描いてないが、小琉球の南にもいくつも島があるらしい。その中の島が、昔、アマンと呼ばれていたのかもしれんな」
 小琉球の下の方に、ジャワの島と旧港(ジゥガン)(パレンバン)がある島が描いてあった。スヒターたちとシーハイイェン(施海燕)たちは元気でいるかしらと思いながら、視線を上げて、ミャークを見た。
「ミャークまで、どのくらいで行けるのですか」
「風に恵まれれば、一昼夜で来られるようじゃ。ただ、途中に島は一つもない。方向を間違えば遭難してしまう危険があるという」
「ミャークの人たちはどうやって琉球に来たのですか」
「昼は『サシバ』が行く方角を目指して、夜になったら星を見て方角を確認したと言っておったのう」
「成程、『サシバ』か。サシバは九月に南の島に行って、四月に琉球を通ってヤマトゥ(日本)の方まで行くのね」
「ミャークに行くつもりなのですか」と安謝大親は聞いたが、ササは答えず、
「どうして、ミャークの人たちは来なくなったのですか」と聞いた。
「先代の王様(うしゅがなしめー)(武寧)が彼らを怒らせてしまったのじゃよ。先々代の王様(察度)は、遠くからよくやって来てくれたと歓迎したんじゃが、先代は船乗りの気持ちなどわからず、貝殻しか持って来ないのなら、わざわざ来る必要もないと酔った勢いで言ってしまったんじゃ。十五夜(じゅうぐや)の宴(うたげ)の時で、宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)様から小言を言われた腹いせに、そんな事を言ってしまったんじゃろう。わしは気にするなと言ったんじゃが、それ以来、来なくなってしまったんじゃよ」
「そうだったの。貝殻ってシビグァー(タカラガイ)の事?」
「そうじゃ」
「朝鮮(チョソン)に持っていけば売れるのに。朝鮮の娘たちの間でシビグァーが流行っているのよ」
「そうなのですか。シビグァーは明国でも喜んで取り引きしてくれます。何でも、シャム(タイ)という国ではシビグァーが銭(じに)の代わりに使われているようじゃ」
「えっ、シビグァーが銭なの?」とササたちは驚いた。
「シャムの国ではシビグァーは採れないらしくてのう、市場ではシビグァーを使って物の売り買いをしているようじゃ」
「へえ、そんな国があるんだ。シャムの国にシビグァーを持って行けば稼げるわね。シャムの国ってどこにあるの?」
 安謝大親が示した所を見ると、明国の南に飛び出した半島があって、その付け根の辺りにシャムの国があった。旧港の北の方にあるので、シーハイイェンなら詳しい事を知っていそうだった。
 ササたちは安謝大親と一緒に書庫(しょこ)に行って、ミャークに関する記録を見せてもらった。
 安謝大親が去ったあと、
「ねえ、ササ、ミャークに行くつもりなの?」とナナが聞いた。
「行かなければならないような気がするの」
アマミキヨ様がミャークから来たの?」とシンシン(杏杏)が聞いた。
「それは行ってみないとわからないわ」
お船はどうするの。王様(うしゅがなしめー)に出してもらうの?」とナナが聞いた。
「シビグァーのために王様がお船を出してはくれないわよ。愛洲(あいす)のジルーに頼んでみるわ」
「でも、ミャークに行くとしたら九月なんでしょ。ジルーは五月に帰ってしまうんじゃないの?」
「何とか、引き留めなくちゃね」
 ナナは笑って、「女子(いなぐ)サムレーのミーカナとアヤーも一緒に行くって言えば、ゲンザ(寺田源三郎)とマグジ(河合孫次郎)は一緒に行くわね」と言った。
「えっ、どうして?」とササが聞くと、
「ササは気づかないの?」とシンシンが笑った。
「ゲンザはミーカナが好きで、マグジはアヤーが好きなのよ。仲よく、お互いの言葉を教え合っているわ」
「そうだったの。それで、ジルーは誰なの?」
 ナナとシンシンは顔を見合わせて、「ササに決まっているじゃない」と言った。
「ジルーはササに負けてから、ササの態度が変わってしまったので、ササより強くなろうと右馬助(うまのすけ)様に師事して厳しい修行をしているのよ」とナナが言った。
「愛洲の人たちが修行しているのは知っているけど、ジルーはそんな修行をしていたの?」
「ジルーはササのマレビト神だと思うわ」とシンシンが言った。
「そうなのかしら?」とササはナナとシンシンを見た。
 二人ともササを見て、力強くうなづいた。


 下のグスクを奪い取った山グスクでは、上のグスクを攻め落とす準備が着々と進んでいた。
 ウニタキ(三星大親)が率いる『三星党(みちぶしとー)』と奥間(うくま)のサンルーが率いる『赤丸党(あかまるとー)』の者たちが、上のグスクへと続いている崖に鉄の杭を打って、足場を作って登り、一番上の杭に綱を縛り付けて下に垂らした。その綱を登って行けば兵たちも上に登れるようになっていた。
 下のグスクと上のグスクをつなぐ通路は崖の左側にあって、石段が続いていた。上のグスクへの入り口は厳重に警戒されて、近づけば弓矢が雨のように降って来た。下のグスクには井戸があるが、上のグスクには井戸はないので、今の状態のまま放っておいても、上のグスクは落城するが、のんびりと干上がるのを待ってもいられなかった。戦のけりを早く付けて、進貢船(しんくんしん)とヤマトゥへ行く交易船の準備を始めなければならなかった。
 下のグスクが落城してから三日後の十八日の早朝、総攻撃が行なわれた。
 北谷按司(ちゃたんあじ)の兵が下のグスクを守って、ンマムイ(兼グスク按司)の兵が崖をよじ登る。苗代大親(なーしるうふや)の兵と勝連(かちりん)若按司(ジルー)の兵は、上のグスクを包囲している外間親方(ふかまうやかた)、小谷之子(うくくぬしぃ)、浦添(うらしい)若按司(クサンルー)の兵と合流した。
 山グスクにいた兵はおよそ百人で、三十人は女子供を護衛して抜け穴から出ている。下のグスクで三十人が戦死しているので、上のグスクにいる兵は四十人だった。四十人の兵を倒すのに、何百もの兵が突入したら、返って味方の兵が邪魔になるので、突入するのは苗代大親の兵五十人と外間親方の兵五十人だけにした。残りの兵はグスクを包囲したまま待機していて、サハチの指示によってグスク内に突入する事になっていた。
 サハチは大御門(うふうじょー)(正門)の前に立つ櫓(やぐら)の上にいて、中の様子を見ながら兵たちを指揮した。サハチと一緒に馬天(ばてぃん)ヌルと安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、若ヌルのマユもいた。
「ようやく、戦も終わるわね」と馬天ヌルが言った。
「山グスク按司(真壁按司の弟)はどうして投降しないのかしら?」と安須森ヌルが兄のサハチに聞いた。
「親父と兄貴は殺された。自分も殺されると思っているんだろう。どうせ死ぬのならサムレーらしく戦って死のうと思ったのに違いない。それに、中座按司(玻名グスク按司の弟)も一緒にいる。中座按司も親父と兄貴は死んでいるし、奴には帰る場所もない。中座按司が山グスク按司を道連れにしたのかもしれんな」
 東の海が明るくなってきた。マユがひざまづいて、朝日に向かってお祈りを始めた。マユを見ながら安須森ヌルと馬天ヌルは笑って、一緒にお祈りをした。
 お祈りはヌルたちに任せて、サハチはグスク内を見つめた。
 東曲輪(あがりくるわ)の大御門の上の櫓に二人、石垣の上に六人、曲輪内の中程にある岩の上に二人の兵がいた。中央の曲輪の石垣の上に五人、西曲輪(いりくるわ)の石垣の上に五人の兵がいた。合わせて二十人、あとの二十人は休んでいるのだろう。
 東曲輪の裏の石垣にいた敵兵二人が倒れた。ウニタキたちが崖を登って侵入したようだった。中程の岩の上にいた敵兵の一人が倒れて、もう一人が弓矢を構えて反撃をした。
 サハチは合図の旗を振った。苗代大親の兵と外間親方の兵が楯を構えながら大御門に近づいて行った。石垣の上の敵兵が弓矢を撃ち始めた。味方の兵も石垣の上の兵を狙って弓矢を撃った。敵兵が法螺貝を吹いて総攻撃を知らせた。東曲輪の中程にある岩の上に赤丸党の者が現れて敵を倒し、弓矢を構えて石垣の上の兵を狙った。赤丸党の者が屋敷の陰から現れて、大御門に向かった。一人が弓矢にやられて倒れたが、三人の者が大御門の所まで来た。屋敷の中から敵兵が現れて、赤丸党の者たちと戦闘が始まった。
 早く大御門を開けなければ赤丸党の者たちが危ないとサハチは気を揉んだ。ンマムイが率いる兵が現れて、乱戦となった。
 ようやく、大御門が開いた。味方の兵がグスク内になだれ込んだ。敵兵は次々に倒されていった。
 八重瀬(えーじ)グスクのように屋敷が炎上する事もなく、戦は終わった。サハチはヌルたちと一緒に櫓から下りて、グスク内に向かった。
「ジルー、大丈夫か!」と誰かが叫んでいた。
 サハチは不吉な予感がして駆け寄った。大御門のそばでジルーが倒れていて、クサンルーが、「しっかりしろ!」と叫んでいた。ジルーの首の下、鎧(よろい)の真上に弓矢が深く刺さっていた。
「ジルー!」とサハチは叫んで、ジルーの上体を起こしたが、すでにぐったりとしていて、息はなかった。
「どうしてこんな事になったんだ?」とサハチはクサンルーに聞いた。
「もう戦は終わったと思って、ジルーと一緒にここまで来たら、突然、弓矢が飛んできて、よける間もなかったんです。その敵は俺が倒しました。あの岩の上から狙ったんです」
 クサンルーは涙を拭いて、岩の上を指差した。
 ジルーはサハチの息子のイハチより一つ年下で、チューマチより一つ年上だった。姉のユミが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの東曲輪で剣術の稽古をしている時、一緒に付いてきて、稽古が終わるまでイハチたちと一緒に遊んでいた。父親のサムが勝連按司の後見役になって勝連に移り、ウニタキの姪のマーシを嫁に迎えて、去年、長男が生まれたばかりだった。死ぬにはあまりにも早すぎた。
 サハチは馬天ヌルと安須森ヌルにジルーの事を頼んで、警戒しながら岩に近づいて倒れている敵兵を見た。まだ十七、八の若者で、右目に深く弓矢が刺さって死んでいた。他に二人の敵兵も倒れているので、ここの守備兵ではなく、屋敷から出て来た兵のようだった。身に付けている立派な鎧から、もしかしたら山グスクの若按司かもしれなかった。
 サハチは屋敷の中に入って、山グスク按司と中座按司の遺体を確認した。二人とも血だらけになって無残な姿で死んでいた。
「二人ともなかなか手ごわい奴じゃった」と苗代大親は顔に付いた返り血を拭きながら言った。
 サハチはうなづいて、苗代大親に勝連若按司の死を伝えた。
 苗代大親は驚いた顔をして、「何じゃと?」と聞き返した。
 サハチは首を振って、「若按司を戦死させてしまって、サムに会わせる顔がない」と苦しそうに言った。
「何と言う事じゃ」
 苗代大親は辛そうな顔をして屋敷から出て行った。
「ジルーが戦死したのか」とウニタキが聞いた。
 サハチはうなづいて、「御苦労だったな」とウニタキをねぎらった。
「『赤丸党』の者が一人戦死した」とウニタキは言った。
「サタルーは無事か」と聞くと、
「俺は大丈夫ですよ」とサタルーの声がした。
 振り返るとサタルーとサンルーがいた。
「お前たちのお陰で、戦は終わった。御苦労だった」
「これで胸を張って玻名(はな)グスクに行けます」とサタルーは言った。
 敵は全滅して、味方の兵の八人が戦死して、十一人が負傷した。戦には勝ったが、勝連若按司の戦死は非常に痛かった。


 二日後、勝連グスクで若按司の葬儀が行なわれた。突然の若按司の戦死に、城下の人たちも悲しんでいた。
 父親のサムは若按司の死にひどい衝撃を受けて呆然として、母親のマチルーは泣き崩れた。妻のマーシは悲しみのあまり寝込んでしまった。姉のユミもジルムイと一緒に来て、弟が戦死するなんて信じられないと泣き続けた。
 サハチとマチルギはみんなを慰める言葉を見つける事ができなかった。
 馬天ヌルは勝連の呪いはまだ解けていないのかもしれないと思って、翌日、安須森ヌルとササとサスカサ(島添大里ヌル)を呼んで、マジムン(悪霊)退治を行なったが、やはり、マジムンはいないようだった。
 若按司の息子はまだ二歳だった。サムの次男のサンルータを若按司にしようという意見も出たが、サムと同じ名前の孫には勝連按司の血が流れているので、重臣たちに推されて若按司となった。孫のためにも悲しみを乗り越えて、孫のサムが一人前になるまで頑張らなければならないとサムは言った。
 勝連で葬儀が行なわれた日、首里は丸太引きのお祭りで賑わった。長かった戦も終わって人々は陽気にお祭りを楽しんだ。
 安須森ヌルとユリを手伝って小渡(うる)ヌルもいた。小渡ヌルは娘のユイの父親だった摩文仁按司(まぶいあじ)を亡くしていて、ユイには父親はお船に乗って遠い所に行ったと説明していた。
 佐敷はナナに代わって佐敷ヌル(マチ)が出場した。佐敷ヌルは猛特訓を積んで丸太の上で華麗に飛び跳ねて頑張ったが、優勝したのはササの首里で、五年振りの優勝だった。この時、安須森ヌル、ユリ、小渡ヌルの三人は旧港のシーハイイェンから贈られた立派な馬に乗っていた。琉球の馬よりも大きく、観客たちは驚いて、それを見事に乗りこなしている三人に喝采を送った。
 山グスクは苗代大親今帰仁(なきじん)攻めのあと、山グスク按司になる事に決まって、それまでは首里の兵が交替で守る事になった。
 サハチは山グスクを遊ばせておくのは勿体ないので、今帰仁攻めのために特別な兵を編成して、山グスクで特訓させればいいと思紹(ししょう)(中山王)に言った。
 戦死した兵たちの葬儀を大聖寺(だいしょうじ)で行なったあと、サハチは思紹を連れて山グスクに行った。思紹は山グスクが気に入って、まさしく、ここはいい修行場になるとサハチの意見に賛成した。
 思紹は鉄の杭で作った足場を伝わって大岩に登った。その姿を見ながら、親父は若いなとサハチは笑って、思紹のあとを追った。
「先代の山田按司今帰仁グスク攻めの時、険しい崖をよじ登ってグスク内に潜入したと聞いている。ここで兵たちに崖をよじ登る訓練をさせよう」
 思紹は岩だらけの景色を眺めながら、そう言った。
「キラマ(慶良間)の島から身の軽い者たちを集めますか」とサハチが言うと、思紹は首を振って、
「与那原(ゆなばる)の者たちをそっくりここに移そう」と言った。
「えっ、サグルーたちをですか」とサハチは驚いた。
「そうじゃ。サグルーが『山グスク大親』になり、ジルムイ、マウシ、シラーの三人のサムレー大将が兵たちを鍛えるんじゃよ。ヂャンサンフォン(張三豊)殿にも手伝ってもらおう」
「お師匠もここが気に入ると思いますよ」
「そうじゃな。ここは明国の修行の山に似ているからのう」
「サグルーがここに来たら、与那原はどうします?」
「そうじゃのう。わしの一存では決められんが、伊是名(いぢぃな)のマウーはどうじゃろう。奴がグスク持ちになれば、伊是名の者たちもわしらに仕えてくれるじゃろう」
 伊平屋島(いひゃじま)は祖父のサミガー大主(うふぬし)の故郷なので、首里の城下に住み着いている者も多いが、伊是名島の者たちは遠慮をしているのか、あまり多くはなかった。マウーが与那原大親になれば、伊是名島の人たちも与那原の城下にやって来るかもしれなかった。
「伊是名親方なら安心して与那原を任せられます」とサハチは思紹の意見に同意した。

 

2-145.他魯毎(改訂決定稿)

 島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクが落城した翌日、大(うふ)グスク、与座(ゆざ)グスク、真壁(まかび)グスクが降伏して開城した。
 長嶺按司(ながんみあじ)と瀬長按司(しながあじ)の兵に包囲されていた大グスクでは、サムレー大将の真壁之子(まかびぬしぃ)が捕まって、他の兵たちは許されて、そのまま大グスクの警固に当たった。
 兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)と小禄按司(うるくあじ)に包囲されていた与座グスクでは、タブチ(先々代八重瀬按司)の娘婿の与座按司は捕まって、他魯毎(たるむい)の妹と婚約していた若按司が跡を継いだ。
 真壁グスクは他魯毎のサムレー大将、波平大主(はんじゃうふぬし)が包囲していたが、兼グスク按司と長嶺按司の兵が加わった。真壁按司は投降して、他魯毎の妹婿の若按司が跡を継ぐ事に決まった。
 中山王(ちゅうさんおう)の兵が包囲していた波平グスクでは、波平大親(はんじゃうふや)が裏切っていなかった事がわかって、思紹(ししょう)(中山王)は兵の撤収を命じた。波平大親は久し振りに妻や子と再会して、長い戦が終わった事を喜んだ。
 李仲按司(りーぢょんあじ)が包囲していた伊敷(いしき)グスクは、島尻大里グスクが落城したあと、他魯毎重臣たちの兵が合流して、真壁グスクが落城したあと、兼グスク按司と長嶺按司も加わった。伊敷グスクには摩文仁(まぶい)の娘婿の伊敷按司摩文仁の次男の摩文仁按司がいて、その日のうちに投降する事はなかったが、翌日には覚悟を決めて投降した。
 伊敷按司は捕まって、妻は米須按司(くみしあじ)になったマルクの叔母なので、六歳の若按司と一緒に米須グスクに送られた。摩文仁按司も捕まった。ナーグスクにいる伊敷ヌルが産んだ他魯毎の息子、タルマサが伊敷按司を継ぐ事に決まったが、タルマサはまだ五歳だった。成人するまで母と一緒にナーグスクで暮らし、伊敷グスクは李仲按司が管理する事になった。
 残るは山グスクだけとなった。サハチ(中山王世子、島添大里按司)は馬天(ばてぃん)ヌルと安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)を連れて山グスクに行き、山グスクにいる真壁ヌルと名嘉真(なかま)ヌルと交渉させた。山グスク按司(真壁按司の弟)は隠居して、若按司が跡を継げばいい。中座按司(なかざあじ)(玻名グスク按司の弟)もいるようだが同じように隠居して、息子に継がせればいいと言ったが、いい返事は得られなかった。
 妹の真壁ヌルと伯母の名嘉真ヌルから降伏の条件を聞いて、山グスク按司には信じられなかった。隠居して済む問題ではなかった。山北王(さんほくおう)の兵が来る前の総攻撃では、敵も味方も多くの犠牲者を出していた。敵も味方も半年前は、共に山南王(さんなんおう)の兵だった。敵の中に知っている顔も多かった。
 弟の東江之子(あがりーぬしぃ)は他魯毎の幼馴染みで、豊見(とぅゆみ)グスクのサムレー大将だった。今まで仲よくやって来たのに、敵味方に分かれて戦っている。弟と戦うのは避けてきたが、戦死した知人も多かった。摩文仁を山南王にするために、そんな敵を倒して来たのだった。
 思い返せば、親兄弟が敵味方に分かれて戦うのは今に始まった事ではなかった。山グスク按司が島尻大里のサムレーになったばかりの頃、初代の山南王(承察度)が亡くなって、跡を継いだ二代目の山南王は大叔父の島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)に攻められた。その時も家臣たちは敵味方に分かれて戦い、島添大里按司が三代目の山南王になった。
 三代目の山南王が亡くなった時も、八重瀬按司(えーじあじ)のタブチと豊見グスク按司のシタルーの家督争いがあって、家臣たちは二つに分かれた。豊見グスクにいた弟はシタルー側となり、山グスク按司と父の真壁按司はタブチ側になった。シタルーが勝利して山南王になり、島尻大里のサムレーだった山グスク按司はシタルーに仕えた。その後も父はタブチ側として、シタルーに敵対していたが、タブチが中山王の船に乗って明国(みんこく)に行っている留守に寝返って、シタルーに仕える事になった。ようやく親子が一つになれたと安心したのに、それもつかの間、父は隠居して、タブチと一緒に中山王の船に乗って明国に行った。
 そして、今回の戦だった。父は戦死して、兄の真壁按司は捕まり、甥の若按司が真壁按司になった。長男の妻は波平大主の娘なので、他魯毎に仕える事も可能だろう。弟がうまくやってくれるに違いない。弟や息子のためにも裏切り者として生きて行くわけにはいかなかった。山南王を夢見て敗れたタブチのように壮絶な死に方をして幕を引きたかった。
 中座按司と相談すると、ふざけるなと吐き捨てた。
「玻名グスクを奪われて、親父と兄貴は戦死した。おめおめと隠居などできるか」
「そうだ」と山グスク按司は力強くうなづいた。
「俺が造ったこのグスクで、立派な最期を飾ってやる」
「山グスク殿、お供しますぞ。見事な死に花を咲かせましょう」
 山グスク按司と中座按司が死の覚悟を決めた翌日、島尻大里グスクの北の御殿(にしぬうどぅん)の重臣の執務室で、他魯毎、照屋大親(てぃらうふや)、李仲按司、本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)が、捕まっている与座按司、真壁按司摩文仁按司、伊敷按司、新垣按司(あらかきあじ)、真栄里按司(めーざとぅあじ)、真壁之子、新垣之子(あらかきぬしぃ)の処罰を考えていた。
「今後の事を考えたら、全員、打ち首にするべきだろう」とテーラーは言った。
 犠牲者を出さずに降伏した新垣之子は助けたいと他魯毎は思ったが、敵対してきたサムレー大将を許すわけにはいかなかった。テーラーに異議を唱える者もなく、全員が打ち首と決まった。
 諸喜田大主が引き連れて来た山北王の兵は夏になるまで、伊敷グスクに滞在する事に決まり、伊敷の兵はナーグスクに移動する事になった。
 翌朝、島尻大里グスクの西曲輪(いりくるわ)で、与座按司、真壁按司摩文仁按司、伊敷按司、新垣按司、真栄里按司、真壁之子、新垣之子の八人が処刑された。
 グスク内で戦死した兵たちの遺体は抜け穴のガマ(洞窟)の中に葬られ、処刑された八人もガマの中に葬って、抜け穴の入り口は塞がれた。豊見グスクヌル、座波(ざーわ)ヌル、大村渠(うふんだかり)ヌルによって死者たちの冥福が祈られ、グスク内のお清めがされた。
 島尻大里ヌルになっていた米須ヌルと慶留(ぎる)ヌルは、豊見グスクヌルによって許された。馬天ヌルが叔母のウミカナ(先代島尻大里ヌル)を許した事を知っている豊見グスクヌルは馬天ヌルに倣って許し、二人が立ち直ってくれる事を願った。
 父と二人の弟を失った米須ヌルは生きる気力も失って、甥のマルクを頼って米須グスクに向かった。マレビト神だった真壁按司を失った慶留ヌルは、悲しみに打ちひしがれながらも、子供たちを迎えに名嘉真ヌルに会いに行った。名嘉真ヌルも子供たちもいなかった。近所の人に聞くと山グスクに行ったまま戻って来ないという。慶留ヌルは子供たちの無事を祈りながら山グスクに向かった。
 摩文仁の妻、山グスク大主の妻、中座大主の妻も許された。摩文仁の妻は夫と二人の息子を失って、米須グスクに帰った。中座大主の妻は実家の具志頭(ぐしちゃん)グスクも嫁ぎ先の玻名(はな)グスクも奪われて帰る場所がなかった。姉の山グスク大主の妻と一緒に真壁グスクに向かった。


 山グスクに行った慶留ヌルはンマムイ(兼グスク按司)の兵に捕まった。サハチがいた東の本陣に連れて来られ、サハチと一緒に上のグスクまで行って、名嘉真ヌルと会った。
 サハチは慶留ヌルに、島尻大里グスクで主犯者たちが処刑された事を知らせて投降するように頼んだが、慶留ヌルは名嘉真ヌルと一緒に山グスクに入ってしまった。
 その夜、無精庵(ぶしょうあん)とクレー(サハチの従弟)が苗代大親(なーしるうふや)の配下のサムレーと一緒に東の本陣に現れた。本陣にいたサハチ、苗代大親、ウニタキ(三星大親)、ンマムイ、勝連若按司(かちりんわかあじ)(ジルー)、北谷按司(ちゃたんあじ)は驚いて、無精庵とクレーを見た。
「逃げ出したのですか」とサハチは無精庵に聞いた。
「ようやく、出してもらえました」と無精庵は笑った。
 二人の話によると、下のグスクに抜け穴があって、グスク内にいた女子供たちと一緒に抜け穴から外に出たという。
「なに、抜け穴があったのか」と苗代大親は驚いた顔をして、サハチを見た。
 サハチもウニタキも驚いていた。
「ここより二丁(約二百メートル)ほど先に出口があります。自然にできたガマ(洞窟)です」とクレーは言った。
「何人、外に出たんじゃ?」と苗代大親が聞いた。
按司の妻と子供、家臣たちの妻や子供、ヌルたちも出ました。妻や子供を守るために三十人ほどの兵も一緒に出ています。百人余りが外に出ました」
「妻や子供たちはどこに行ったんじゃ?」
「俺たちは米須に行くと行って途中で別れたのですが、逆の方に向かったので、ナーグスクではないかと思われます。山グスクの妻は伊敷按司の娘ですから、伊敷ヌルを頼ったものと思われます」
「ナーグスクか」と苗代大親はつぶやいた。
「女子供をグスクから出して、決戦を挑むつもりですかね」とサハチが苗代大親に聞いた。
「そうかもしれんのう」
「山グスク按司と中座按司は死ぬ覚悟をしているようじゃ」と無精庵が言った。
「山グスク按司は若按司も逃がすつもりでしたが、若按司も裏切り者として他魯毎に仕える事はできないと言って残りました」とクレーが言った。
「敵兵は減ったが、明日の戦(いくさ)は厳しくなりそうだな」とウニタキが言った。
 翌朝、クレーの案内で、サハチとウニタキは抜け穴に入った。抜け穴が使えれば苦労して大岩をよじ登る必要はないが、思っていた通り、入り口は塞がれてあった。
「抜け穴を塞いだという事は、奴らは死ぬ気で掛かってくる」とウニタキは言ってサハチを見た。
 サハチはうなづいて、「このガマは修行に使えるな」と言った。
「修行?」とウニタキは怪訝な顔をしてサハチを見た。
「山グスクを落としたあと、山グスクを武術道場にしたらいいんじゃないかと思ったんだよ。今帰仁(なきじん)グスク攻めのために、山グスクで兵たちを鍛えるんだ。このガマは『胎内くぐり』に使える」
「ここを灯りもなしに歩かせるのか」
「そういう事だ」
「先代の山田按司今帰仁グスクの崖をよじ登ってグスクに潜入したようだからな。ここで岩登りの訓練をさせるのもいいかもしれんな」
 抜け穴から出たサハチたちが本陣に戻ると、キンタが連れて来た辰阿弥(しんあみ)と福寿坊(ふくじゅぼう)が待っていた。そこまでは予定通りだったが、ササたちも一緒に来ていた。
「何しに来た?」とサハチはササに聞いた。
「グスクを落としたあとのお清めに決まっているじゃない」とササは当たり前の事のように言った。
 グスクを落としてから安須森ヌル(先代佐敷ヌル)を呼ぶつもりでいたサハチは、ササを見て笑った。
「戦には参加するなよ」と釘を刺したが、ササが何かをしでかしはしないかとサハチは心配した。
「わかっているわ。若ヌルたちが一緒だから危険な事はしないわ」
 サハチは四人の若ヌルを見た。皆、目がキラキラしていてササの弟子になった事に誇りを持っているようだった。
「このグスクから南の方(ふぇーぬかた)に行くと海に出る。凄い崖が続いているんだが、何となく古いウタキ(御嶽)があるような気がする。念仏踊り(にんぶちうどぅい)が始まる前に見て来たらいい」
「あら、ほんと?」とササは目を輝かせて、「行ってみるわ」と言った。
 サハチはササたちを見送ってから、辰阿弥と福寿坊に作戦を伝えて、戦の準備を始めた。


 その頃、島尻大里グスクでは、他魯毎の山南王就任の儀式が行なわれていた。島尻御殿(しまじりうどぅん)の前に他魯毎と王妃になるマチルー、先代の王妃(トゥイ)と世子(せいし)になる他魯毎の長男のシタルーが並んで座り、御庭(うなー)に按司や家臣たちが勢揃いした。
 集まった按司他魯毎の弟の兼グスク按司(ジャナムイ)、保栄茂按司(ぶいむあじ)(グルムイ)、義弟の長嶺按司(クルク)、李仲按司、瀬長按司小禄按司、与座按司、真壁按司で、与座按司と真壁按司はまだ十八歳の若さだった。
 重臣たちは以前のごとく、照屋大親糸満大親(いちまんうふや)、兼グスク大親、賀数大親(かかじうふや)、国吉大親(くにしうふや)、波平大親、新垣大親、真栄里大親の八人で、新垣大親と真栄里大親は、親が責任を取って処刑されたので、長男が跡を継いでいた。
 就任の儀式は『喜屋武(きゃん)ヌル』となった先代の島尻大里ヌルと大村渠ヌルの指導で、島尻大里ヌルになった豊見グスクヌルと座波ヌルが中心になって執り行なわれた。豊見グスクヌルと座波ヌルは同い年だった。座波ヌルはシタルーの側室だったので、シタルーの生前はお互いに交流はなかった。シタルーの死後、二人は仲よくなって、座波ヌルは豊見グスクヌルの補佐役になっていた。
 配下の按司が集まったように、領内のヌルたちも勢揃いした。小禄ヌル、与座ヌル、瀬長ヌル、李仲ヌル、照屋ヌル、糸満ヌル、兼グスクヌル、賀数ヌル、国吉ヌル、真栄里ヌル、新垣ヌル、真栄平(めーでーら)ヌル、波平ヌル、伊敷ヌル、真壁ヌル、慶留ヌルが参加して、他魯毎を祝福した。真壁ヌルと慶留ヌルは前夜、山グスクから出たばかりだったがやって来ていた。
 伊敷ヌルと初めて会った他魯毎の妻のマチルーは嫉妬の念に駆られた。伊敷ヌルは背がすらっとしていて、マチルーが思っていた以上に美人だった。
 マチルーが他魯毎から伊敷ヌルの事を聞いたのは二か月前だった。山北王の兵がやって来て島尻大里グスク攻めに加わって、李仲按司がナーグスクを攻めた。そこにいたのが子供を連れた伊敷ヌルだった。ナーグスク大主(先代伊敷按司)とナーグスク按司(伊敷按司の弟)は家族を連れて、どこかの無人島に逃げて行ったという。そして、伊敷ヌルの子供の父親が他魯毎だとわかり、李仲按司が自ら豊見グスクに来てトゥイ(先代山南王妃)に告げた。他魯毎は出陣中だったが、トゥイに呼ばれて伊敷ヌルの事を認めた。もはや、隠せる事ではないと悟ったトゥイはマチルーに告げた。
 マチルーは話を聞いて驚いた。他魯毎が浮気をしていたなんて、今まで考えた事もなかった。しかも、子供が二人もいるという。上の娘は三男のトゥユタと同い年で、下の息子は次女のマチと同い年だった。他魯毎に裏切られた怒りと伊敷ヌルに対する怒りで、マチルーは大きな衝撃を受けていた。
 他魯毎は謝ったが許す事はできなかった。七年間も内緒にしていて、マチルーの知らない所で二人が会っていたと思うと、はらわたが煮えくり返るような思いがした。マチルーは我知らずに木剣を振り回して、他魯毎を追い掛けていた。
 他魯毎が島尻大里の陣地に戻ったあと、マチルーはトゥイにたしなめられた。
「まだ、王妃だという自覚がないようね」とトゥイは言った。
他魯毎が山南王になれば、あちこちから側室が贈られて来るのよ。贈られた側室を追い返すわけにはいかないの。あなたは他魯毎正室として毅然として、側室たちの面倒を見なければならないのよ」
 先代の山南王にも何人も側室がいた事をマチルーは思い出した。父も中山王になった時に何人もの側室を贈られていた。兄の島添大里按司も三人の側室がいた。
「そうは言っても、簡単に受け入れられないわね」とトゥイは笑った。
「わたしも嫉妬したわ。でも、王妃として自信と誇りを持って、生きて行くしかないのよ。領内の人たちすべての母親になったつもりで、大きな心を持ちなさい。伊敷ヌルが他魯毎の心の一部を奪ったとしても側室にすぎないの。あなたは伊敷ヌルを許して、伊敷ヌルを味方に付けなければならないのよ。先代の山南王が座波ヌルを側室にした時、わたしも嫉妬したのよ。わたしは座波ヌルに会いに行ったわ。会って話をして、許す事ができたわ。戦が終わったら、あなたも伊敷ヌルと会って、ちゃんと話をしなさい」
 トゥイからそう言われて、自分でも納得していたが、実際に会ってみるとまた怒りが込み上げて来た。伊敷ヌルは二人の子供を連れていた。上の女の子がルル、下の男の子がタルマサだと紹介した。二人の子供は行儀よくマチルーに挨拶をした。二人とも可愛い子供だった。マチルーは無理に笑顔を作って、子供たちに挨拶を返した。侍女に連れられて子供たちが去ったあと、伊敷ヌルはマチルーに謝った。そして、伊敷ヌルは他魯毎との出会いをマチルーに話した。
 マチルーは黙って聞いていた。伊敷ヌルが言った『運命の出会い』という言葉にカチンときたが顔には出さずに、必死に堪(こら)えた。マチルーが他魯毎に嫁いだのは、兄のサハチとシタルー(先代山南王)が同盟した時の政略結婚だった。伊敷ヌルが言う『運命の出会い』なんて経験した事がなかった。でも、他魯毎と一緒になって幸せだった。『運命の出会い』ではなかったが、他魯毎と一緒になったのは『運命の結び付き』だと思っていた。
 トゥイに言われたように毅然とした気持ちで伊敷ヌルの話を聞いていたが、心の中は悔しさで泣いていた。他魯毎に嫁いだ時から、王妃になる覚悟はしていたつもりだが、実際に王妃になるのは大変な事だと実感した。義母のような立派な王妃にならなくてはならないと思いながら、感情を抑えて、「他魯毎のために尽くしてください」とマチルーは伊敷ヌルに言った。
 伊敷ヌルは目に涙を溜めて、マチルーを見つめてうなづいた。
 大勢のヌルたちによって、山南王の就任の儀式が華麗に執り行なわれ、他魯毎は山南王に、マチルーは山南王妃に就任した。


 山グスクでは鉦(かね)と太鼓の音が響き渡って、賑やかに念仏踊りが行なわれていた。下のグスクを包囲している兵は苗代大親と勝連若按司の兵に、ンマムイと北谷按司の兵が加わって四百人になっていた。ンマムイの兵たちが鉦と太鼓を持って、辰阿弥と福寿坊と一緒に踊り、他の兵たちは所定の位置で守りを固めたまま、交替で念仏踊りに参加していた。
 鉦と太鼓の音に合わせて鉄の杭を岩に打ち込み、大岩の北にある二つの岩をウニタキの配下の者が攻略して、敵の見張りを倒した。ウニタキの配下の者は敵兵に成りすまして、念仏踊りを見物していて、大岩の上の見張り兵も気づかなかった。
 『赤丸党』の三人が鉄の杭を打ちながら大岩の北側を登って行った。鉦と太鼓の音がやかましくて、杭を打つ音はまったく聞こえない。海岸の崖で稽古を積んだお陰で、三人は見る見るうちに大岩の上にたどり着いた。三人が作った足場に、他の『赤丸党』の者たちが取り付いて三人のあとを追った。お頭のサンルーとサタルーも岩に取り付いていた。足場を作った三人は顔を見合わせて、同時に岩の上に飛び出して、敵兵を倒した。大岩の上には四人の敵兵がいたが簡単に倒された。
 大岩の敵兵が倒された事は東側にある岩の上にいた敵兵に見つかって、弓矢を撃って来た。サンルーの配下のクジルーが大岩にあった弓矢を使って、東側の敵兵二人を見事に倒した。その岩の南側の岩の上にも二人の敵兵がいて、弓矢を撃って来た。サタルーが弓矢で、その二人を倒した。
 グスク内では大岩が奪われたと大騒ぎしていて、弓矢を撃ってくるが、下から狙った矢は大岩を超えて飛んで行った。サタルーとクジルーと二人の者が弓矢で下にいる敵兵を狙い撃ちにした。敵兵は次々に倒れて逃げ散った。サンルーたちが縄梯子を使って下に降りて行った。サタルーたちはサンルーたちが弓矢で狙われないように援護した。グスク内の中程にある岩の上にも敵兵が二人いて、弓矢でサンルーたちを狙っていた。サタルーとクジルーはその二人も倒した。
 サンルーたちが無事に下に降りた。二手に分かれて、敵を倒しながら東と西にある御門(うじょう)に向かった。御門が開いて、味方の兵がグスク内になだれ込んで来た。六人の敵兵が刃向かって来て壮絶な戦死をとげたが、他に敵兵はいなかった。
 サハチはウニタキと苗代大親と一緒に東の御門からグスク内に入った。味方の兵が御門の前の岩に登って、敵兵の死体を降ろしていた。
 グスク内は味方の兵で溢れていた。二の曲輪(くるわ)から一の曲輪に入り、奥にある屋敷に入った。サムレーたちの屋敷のようだった。家臣たちの家族が避難していたようだが、今は誰もいなかった。屋敷から出て、裏にある崖を見上げた。この崖の上に上のグスクがあった。
 戦死した敵兵が西の御門の前に集められた。グスクの外の五つの岩の上に二人づつで十人、大岩の上に四人、グスク内に十六人で、締めて三十人の敵兵が戦死した。味方の損害は、『赤丸党』の三人が軽傷を負っただけで済んでいた。
 ンマムイの兵たちが念仏踊りを踊りながらグスク内に入って来た。ンマムイも陽気に踊っていて、そのまま戦勝祝いの念仏踊りとなった。
 サハチが大岩の上を見上げたら、ササたちの姿があった。大岩の上で念仏踊りを踊っていた。
「まったく‥‥‥」とサハチは呟いて、大岩の方に向かった。
 縄梯子を登って、大岩の上に顔を出すと、
按司様(あじぬめー)、ミャークって何だっけ?」とササが聞いた。
「ミャーク? ミャーク(宮古島)とは南の方(ふぇーぬかた)にある島の事じゃないのか」
「あっ、そうか。どこかで聞いた事があると思っていたんだけど、マシュー姉(ねえ)(安須森ヌル)から聞いたんだわ」
「ミャークがどうかしたのか」
「そんなに古くないウタキがあってね。神様の声が聞こえたんだけど、何を言っているのかわからないの。アマンの言葉かなって思ったんだけど、ミャーク、ミャークって何度も言っていて、気になっていたのよ。もしかしたら、ミャークから来た神様だったのかしら」
「あそこは琉球の最南端だから、ミャークから来た人のお墓だったのかもしれんぞ。二十年程前にミャークからやって来た者たちが、泊(とぅまい)に滞在していたはずだぞ。それと、安須森ヌルが探していた英祖(えいそ)様の宝刀を、察度(さとぅ)がミャークの者に贈ったって安須森ヌルが言っていた」
「英祖様の宝刀が南の島(ふぇーぬしま)に行ったって聞いたけど、それがミャークだったのね」
 サハチはうなづいて、四人の若ヌルたちを見て、
「お前たちもここに登ったのか」と聞いた。
「恐ろしかったわ」とミミが言った。
「下を見たら足が震えたわ」とマサキが言って、
「でも、降りる事もできないし、必死になって登ったのよ」とウミが言った。
 その時、弓矢が飛んで来る音が聞こえた。
 ナナが刀で弓矢を弾き落とした。
「あそこだわ」とシンシン(杏杏)が指差した。
 上のグスクの西側の崖の上に敵兵が見えた。
 サハチは弓を手に取ると敵兵を狙って矢を撃った。見事に敵兵に当たって、敵兵は崖から落ちて行った。落ちる前に敵兵が撃った矢が飛んで来たが、かなりそれて大岩の横を飛んで行った。
「凄い!」と言って若ヌルたちが手をたたいた。
「マグルーに負けてはおれんからな」とサハチは笑った。

 

 

2-144.無残、島尻大里(改訂決定稿)

 三月十日の早朝、他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の兵と山北王(さんほくおう)(攀安知)の兵によって島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの総攻撃が行なわれた。
 本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)率いる山北王の兵二百人が大御門(うふうじょー)(正門)の前に陣を敷いて、他魯毎が率いる豊見(とぅゆみ)グスクの兵二百人が東曲輪(あがりくるわ)の御門(うじょう)の前に陣を敷き、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)が率いる山北王の兵二百人が西曲輪(いりくるわ)の御門の前に陣を敷いた。裏御門のある北側は他魯毎重臣たちの兵三百人が、敵が逃げ出して来ないように見張っていた。
 グスク内に避難民たちがいないので、炊き出しの様子は見られないが、石垣の上を守っている兵たちは疲れ切っているようだった。すでに兵糧(ひょうろう)は尽きたものと判断した他魯毎テーラーは総攻撃に踏み切った。
 テーラーは新兵器を用意していた。頑丈な荷車に太い丸太を乗せて固定して、敵の弓矢を防ぐために鉄板を張った屋根を付け、その荷車の中に八人の兵が入って荷車を動かすのだった。新兵器は二台あって、大御門と西曲輪の御門の前に置かれた。
 それを見た他魯毎の兵たちは驚いた。あれで御門に突っ込めば御門は壊れるに違いないと誰もが思った。他魯毎は山北王があんな新兵器を隠し持っていた事に驚いたが、山北王に負けてなるものかと身を引き締めて、兵たちに活を入れた。
 法螺貝(ほらがい)の響きと同時に総攻撃が始まった。新兵器の丸太車が御門を目掛けて突っ込んで行った。御門の上の櫓(やぐら)から弓矢が雨のように飛んで来たが、鉄の屋根に当たってはじかれた。一度目の突撃では御門は壊れなかった。丸太車を援護するため、楯(たて)を持って兵が進み出て、櫓と石垣の上の兵を弓矢で狙った。丸太車に気を取られている敵兵は次々に倒れていった。
 二度目の突撃でも御門は壊れなかったが、三度目の突撃で西曲輪の御門が壊れて、丸太車はそのままグスク内に入って行った。諸喜田大主率いる兵たちが喊声(かんせい)を上げながら西曲輪に突入して行った。
 大御門も四度目の突撃で壊れた。テーラー率いる兵たちがグスク内になだれ込んで行った。
 他魯毎の兵たちはグスク内に攻め込む山北王の兵たちを横目で見て、敵の弓矢を楯で防ぎながら攻撃を続けていた。突然、敵の攻撃がやんだ。御門の上の櫓の敵も石垣の上の敵も姿を消した。
「突撃!」と他魯毎は叫んだ。
 梯子(はしご)を持った兵が飛び出して石垣に取り付いた。敵の攻撃はなかった。兵たちが梯子を上っていた時、御門が開いた。武器を捨てた敵兵が両手を上げて出て来た。
 他魯毎は出て来た敵兵を捕虜として確保するようにサムレー大将の我那覇大親(がなふぁうふや)に命じて、兵たちと一緒にグスク内に突入した。
 東曲輪内にいた兵たちはサムレー大将の新垣之子(あらかきぬしぃ)が率いていた兵たちで、皆、武器を捨てて投降した。成り行きから他魯毎に敵対する事になってしまったが、皆、他魯毎の父親に従っていた兵たちだった。すでに負け戦と決まった今、他魯毎に敵対する理由もなかった。新垣之子は新垣按司の甥だった。
 他魯毎は投降した者たちを一か所に集めた。百人近くの兵がいた。
 東曲輪には御内原(うーちばる)があり、侍女や城女(ぐすくんちゅ)たちの屋敷があった。他魯毎は女たちを保護した。御内原にいたのは摩文仁(まぶい)(島尻大里の山南王)の妻と山グスク大主(うふぬし)(先代真壁按司)の妻と中座大主(先代玻名グスク按司)の妻、摩文仁の娘の島尻大里ヌル(先代米須ヌル)と慶留(ぎる)ヌルだった。
「ここをどこと心得る。不届き者め、出て行け!」と摩文仁の妻はわめいた。
「ここはわたしの母の住まいだった。勝手に上がり込んで好き勝手な事をしておるのはどっちだ」
 摩文仁の妻たちは母が大事にしていた着物や髪飾りを身に付けていた。他魯毎は怒りが込み上げてくるのを必死に抑えて、「この者たちを捕まえろ」と兵たちに命じた。
 島尻大里ヌルと慶留ヌルは二の曲輪内にあるヌルの屋敷にいた。朝早くから法螺貝が鳴り響いて、御門に何かが当たる物凄い音がして、危険が迫ってきたのを察して御内原に逃げて来ていた。他魯毎は二人も捕まえた。
 東曲輪では戦う事なく制圧できたが、石垣を隔てた隣りの一の曲輪では地獄絵さながらの悲惨な状況に陥っていた。
 一の曲輪を守っていたのはサムレー大将の高良之子(たからぬしぃ)率いる百人の兵と、武術師範の真壁大主(まかびうふぬし)率いる五十人の兵だった。真壁大主が率いている兵は島尻御殿(しまじりうどぅん)や北の御殿(にしぬうどぅん)などの屋敷を警護していた。
 大御門から二の曲輪に突入したテーラー率いる山北王の兵たちは二の曲輪内の敵兵を倒して、一の曲輪の御門を破壊して一の曲輪に突入した。山北王の兵たちは刃向かって来る敵は勿論の事、逃げ回る敵も容赦なく殺し回った。グスクを守っていた高良之子率いる兵たちを倒した山北王の兵たちは、摩文仁がいる島尻御殿に突撃した。そこに立ちはだかったのは真壁大主だった。
 真壁大主の素早い太刀さばきによって、山北王の兵は次々に倒された。テーラーもかなわぬとみて、三人の兵に弓矢で狙わせた。同時に三か所から飛んで来る矢を真壁大主は見事に刀で払った。そして、懐(ふところ)から出した石つぶてを打って、弓を構えた三人の兵を倒した。
 テーラーは十人の兵に弓矢で狙わせた。真壁大主は素早く石つぶてを投げて四人の兵を倒し、三本の矢を払ったが三本の矢は防げなかった。次々に撃たれる弓矢が真壁大主の体に刺さった。頭にも顔にも刺さり、弓矢だらけとなった真壁大主は立ったまま息絶えた。
 真壁大主がやられると、敵兵は戦意をなくして武器を捨てたが、山北王の兵たちは投降を許さず、斬り捨てた。
 島尻御殿の二階に武装した摩文仁と山グスク大主と中座大主がいた。三人の老将はよく戦ったが、次から次へと掛かってくる敵兵には勝てず、皆、討ち死にした。摩文仁を討ったのはテーラーの弟の辺名地之子(ひなじぬしぃ)だった。
 摩文仁は腰に察度(さとぅ)(先々代中山王)の御神刀(ぐしんとう)を差していたが、それは使わずに敵から奪い取った刀を持って死んでいた。不思議な事に摩文仁が御神刀を抜こうとした時、抜く事ができなかったのだった。
 テーラーたちが島尻御殿の中で、摩文仁たちを倒していた時、諸喜田大主が率いる兵たちは西曲輪にいた敵を倒して、客殿の中に侵入していた。客殿の中には『若夏楼(わかなちるー)』の遊女(じゅり)たちが避難していた。遊女たちは悲鳴を上げて大騒ぎした。諸喜田大主は、女子(いなぐ)には手を出すなと命じて、客殿から出て、一の曲輪に攻め込んだ。御庭(うなー)に入って、テーラーが島尻御殿を攻めているのを見た諸喜田大主は北の御殿に突入した。
 北の御殿には新年の行事に参加していた役人たちがいた。グスクに閉じ込められてしまったため、ここで寝泊まりしながら仕事をしていた。役人たちは武装もしてなく、抵抗もしなかったが、すべての者が無残に斬られた。
 一の曲輪の南の御殿(ふぇーぬうどぅん)の大広間には正月半ばの合戦で負傷した兵たちがいたが、諸喜田大主も負傷兵を殺す事はなかった。
 東曲輪から他魯毎が兵を率いて一の曲輪に入った時、すでに戦は終わっていた。他魯毎は島尻御殿の裏側にある書斎の横から一の曲輪に入って行った。あちこちに敵兵の死体が悲惨な姿で転がっていた。島尻御殿の北側を通って御庭に出ると、島尻御殿の前に弓矢だらけの真壁大主が倒れていた。
「お師匠!」と叫んで数人の兵が真壁大主に近寄って、壮絶な死に様に涙した。
 島尻御殿の中は死体だらけだった。他魯毎は呆然として死体を眺めた。敵には違いないが、皆、父に仕えていた兵たちだった。
 テーラーが二階から降りて来た。
「偽者は倒したぞ」とテーラーは言った。
 他魯毎はうなづいて、二階に上がった。
 二階には玉座(ぎょくざ)があって、山南王(さんなんおう)が重臣たちに重要な命令を伝える時に使われた。その玉座の近くに摩文仁は倒れていた。首から斜めに斬られていて、辺りは血だらけだった。摩文仁の周りに十人近くの死体が転がっていた。皆、とどめを刺されたとみえて、うめいている者はいなかった。山グスク大主と中座大主の死体もあった。二人とも何か所も斬られて死んでいた。
 他魯毎はふと摩文仁が腰に差している刀に気づいた。父が大事にしていた祖父の刀だった。どうして、摩文仁が差しているのかわからなかったが、他魯毎摩文仁の腰から刀をはずして、鞘(さや)から抜いてみた。刃は綺麗だった。摩文仁を見ると別の刀を持っていた。どうして、この刀を使わなかったのかわからないが、刃が汚れていなくてよかったと安心した。
 他魯毎は山南王の執務室に行き、刀掛けにある刀をはずして、祖父の刀を元に位置に戻した。執務室には死体はなく、荒らされてもいなかった。
 他魯毎が御庭に戻ると、他魯毎の兵たちが整列していて、他魯毎を迎えて勝ち鬨(どき)を上げた。手を振り上げて叫んでいる兵たちを見ながら、長かった戦がようやく終わったと他魯毎は実感していた。
 テーラーが近づいて来て、書庫の床下に三人の死体があったと伝えた。
米蔵に火を掛けた三人ではないのか」とテーラーは言った。
 他魯毎テーラーと一緒に見に行った。書庫の脇に三人の死体はあった。一人の顔に見覚えがあった。李仲按司(りーぢょんあじ)の配下のサムレーだった。やせ細っていて餓死(がし)したようだった。他魯毎は三人に両手を合わせて冥福(めいふく)を祈った。
 テーラーが御庭に戻ったあと、サムレー大将の東江之子(あがりーぬしぃ)が来て、「北の御殿が大変です」と他魯毎に告げた。
「そう言えば、波平大親(はんじゃうふや)の姿がなかったな」と他魯毎は言った。
「北の御殿にいるかもしれません。ただ、役人たちは皆、殺されています」
「何だと!」
「武器を持っていない役人たちを山北王の奴らは殺したのです」
「何という事だ‥‥‥」
 他魯毎は島尻御殿の裏を通って、北の御殿に行った。見るに堪えないひどい有り様だった。戦とは関係なく働いていた者たちなのに、皆殺しにされていた。重臣たちの執務室を覗くと、ここまで逃げて来て殺されたのか、五人の死体が転がっていた。
「波平大親を探せ!」と他魯毎は東江之子に命じた。
 東江之子が転がっている死体を調べて執務室から出て行こうとしていた時、波平大親が現れた。
「おお、無事だったか」と他魯毎は波平大親に駆け寄った。
 波平大親は力なく笑って、「テハが使っていた隠し部屋に隠れていて助かりました」と言った。
「そうか。無事で本当によかった」
「しかし、ここで働いていた者たちを助けられなかった。山北王はひどい事をする。他魯毎殿が山南王になっても、勢力が弱まるように役人たちを皆殺しにしろと命じたようです」
「何だって?」
「ここに攻め込んだのは今帰仁(なきじん)から来たサムレー大将で、テーラーと言い争いをしていました。テーラーが兵以外の者は殺すなと言ったら、そのサムレー大将は山北王から命じられたと言ったのです」
「ひどい奴だ」と他魯毎は死体を見ながら首を振った。
 他魯毎は顔を上げて、波平大親を見ると、
「長い間、御苦労様でした」とねぎらった。
「蔵を守るのがわたしの仕事ですから」と波平大親は苦笑した。
 波平大親はシタルー(先代山南王)が大(うふ)グスク按司になった時からシタルーに仕えて、シタルーが山南王になった時に財政を管理する重臣になった。山南王の財政を管理していたので、タブチや摩文仁に従ったというよりも、山南王の財産を守るために島尻大里グスクから離れる事はできなかった。山南王妃もその事を理解していて、他魯毎に波平大親は必ず、助け出せと命じていた。


 島尻大里グスクが落城した翌日、山グスクにいたサハチ(中山王世子、島添大里按司)は八重瀬(えーじ)グスクの本陣に呼ばれた。サハチはウニタキ(三星大親)と苗代大親(なーしるうふや)と一緒に八重瀬に向かった。
 サハチたちは奥間大親(うくまうふや)から島尻大里グスクが落城して、摩文仁が戦死した事を聞いた。
テーラーが内緒で作っていた新兵器が活躍したようじゃ」と思紹(ししょう)(中山王)が言った。
「その兵器は話に聞いた事があります。かなり昔に使われた兵器です」とファイチ(懐機)が言った。
「山北王の軍師にリュウイン(劉瑛)という唐人(とーんちゅ)がいる。そいつが考えたのかもしれんな」と言ってウニタキがファイチを見た。
「その新兵器、今帰仁グスク攻めに使えるかもしれん。よく調べておいてくれ」と思紹がウニタキに言った。
「わかりました」とウニタキはうなづいた。
 奥間大親がグスク内にいた遊女から聞いた話だと、北の御殿にいた男たちは皆殺しにされて、隠れていた波平大親だけが助かったという。重臣のくせに役人たちを見殺しにして隠れていたなんて情けない。生き延びても、他魯毎に殺されるだろうと言っていたという。
「先に投降した新垣大親(あらかきうふや)と真栄里大親(めーざとぅうふや)は波平大親に誘われて仕方なく、摩文仁に従ったと言っていますから、波平大親も処罰されるでしょう」
他魯毎が山南王になっても、人材不足になりそうじゃのう」と思紹が心配した。
「山北王が重臣を送り込むかもしれません」とファイチが言った。
「なに、山北王が重臣を島尻大里グスクに入れるというのか」とサハチが驚いた。
「島尻大里グスクが落とせたのは山北王の新兵器のお陰ですから、そのくらいの事はやるでしょう。改めて同盟を結ぶと言って、他魯毎の長男に嫁を送って来るかもしれません」
他魯毎の長男のシタルーと俺の娘のマカトゥダルの婚約はすでに決まっているぞ」とサハチが言った。
「強引な事を言ってくるかもしれません」
「シタルーの娘で、山北王の長男と婚約した娘がいなかったか」と思紹が聞いた。
「奥間の側室が産んだ娘で、今帰仁グスク内に新しい屋敷を建てて、母親と一緒に暮らしています。まだ十三歳ですから婚礼は三、四年後になるでしょう」とウニタキが答えた。
「山北王の世子(せいし)は他魯毎の義弟となるわけじゃな。まあ、どっちにしろ、山北王の命はあと二年余りじゃ。好きな事を言わせておけ」
「そうだった」とサハチが笑った。
「強引な事を言ってきたとしても、山北王がいなくなれば、すべてが解決する」
 絵地図を眺めていた苗代大親が、「あとは波平グスク、真壁グスク、伊敷(いしき)グスク、山グスク、大(うふ)グスク、与座(ゆざ)グスクじゃな」と言った。
「島尻大里グスクが落ちて、摩文仁は戦死した。他のグスクも降伏するじゃろう。抵抗する理由はないからのう」
「石屋のテサンは戦死したのですか」とウニタキが奥間大親に聞いた。
「テサンは北の御殿にいたようですから戦死したはずです」
 ウニタキはうなづいて、「當銘蔵(てぃみぐら)グスクに行ってくる」とサハチに言った。
「頼むぞ。みんなを首里(すい)に連れて行ってくれ」
 ウニタキが出て行くのと入れ替わるように、浦添(うらしい)若按司のクサンルーが波平大親を連れて来た。
 サハチたちは驚いた。捕まっているはずの波平大親が、どうしてここに来られたのかわけがわからなかった。
 波平大親の顔を見て、サハチは思い出した。十年近く前に、島尻大里グスクの婚礼に行った時、何かと世話を焼いてくれた男だった。あの時、かなり、シタルーに信頼されている重臣だと思ったが、波平大親だったとは知らなかった。
 波平大親は頭を下げて名乗ったあと、
「わたしが島尻大里グスクに残ったのは、八重瀬殿(タブチ)のためでも、摩文仁殿のためでもありません。王妃様(うふぃー)のためだったのです。わたしは必ず戻って来るから、それまで蔵を守っていてくれと言われました。わたしは王妃様に言われた通り、蔵を守り通しました」と言った。
「もしかして、王妃様を逃がしたのは、そなただったのか」と思紹が聞いた。
 波平大親はうなづいた。
重臣たちが八重瀬殿を山南王にしようとしている事を知って、王妃様に知らせて、サムレー大将を務めている弟にも知らせて逃がしました。わたしが王妃様に会ったあと、照屋大親(てぃらうふや)殿も会いに行ったようです。王妃様が島尻大里グスクから出て行った時、照屋大親殿が裏切り者がいると言いました。重臣たちはわたしを疑っているようでしたが、兼(かに)グスク大親殿と賀数大親(かかじうふや)殿が出て行ったあと、波平グスクにいる妻や子を守るために残ると言ったら納得してくれました。照屋大親殿が裏切った事で、すべてが照屋大親殿の仕業に違いないと思ったようです」
「最初から残るつもりだったのですか」とサハチは聞いた。
「弟に頼んで王妃様を逃がしたあと、隙を見て、わたしも逃げるつもりでした。でも、王妃様から蔵を守れと言われて、残る覚悟を決めました」
「王妃様に恩でもあるのですか」とファイチが波平大親に聞いた。
 波平大親はファイチを見るとうなづいた。
「わたしの父はサムレー大将でした。東方(あがりかた)の大グスク攻めの戦で戦死しました。その戦のあと、わたしはシタルー殿に仕えるようになりました。父の跡を継いでサムレー大将にならなければならないと思いましたが、わたしは武芸は苦手なのです。どんなに稽古をしても強くはなりません。落ち込んでいたわたしを豊見グスクの普請奉行(ふしんぶぎょう)の補佐役に任じてくれたのは王妃様だったのです。普請のための資材を集めたり、その手配をするのが楽しくて、わたしは新しい生き方を見つける事ができました。わたしが財政の管理を任されるようになれたのも王妃様のお陰なのです」
「王妃様は人の才能を見抜く目も持っていたようじゃな」と思紹は笑って、「他魯毎のために、これからもよろしくお願いする」と波平大親に言った。
「かしこまりました」と波平大親は頭を下げた。
 思紹は浦添按司に波平グスクから撤収して、山グスクに行って、苗代大親と合流するように命じた。
 波平大親浦添按司が苗代大親と一緒に帰ったあと、
「波平大親が王妃のために残っていたとは驚いたのう」と思紹が言った。
「もし、波平大親がいなかったら、グスク内の財宝は皆、摩文仁に奪われていたかもしれませんね」とサハチが言った。
「照屋大親にしろ、波平大親にしろ、お芝居のうまい役者が揃っていますね」とファイチが言って、皆を笑わせた。
「確かにのう」と思紹がうなづいた。
「しかし、一番の主役は山南王妃じゃろうな。今まで、表に出て来なかったのが不思議なくらい立派な女子(いなぐ)じゃよ。王妃の手本と言えるじゃろう」
「次のお芝居は『山南王妃』ですね。糸満(いちまん)の港で演じたら、ウミンチュ(漁師)たちが大喜びしますよ」
「そいつは面白い。シビーとハルに台本を書かせよう」とサハチは笑いながら言った。
「山南王妃もお芝居は好きなようじゃから喜ぶじゃろう」と思紹も楽しそうに笑った。

 

 

 

三山とグスク―グスクの興亡と三山時代