長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-154.武装船(改訂決定稿)

 三姉妹の船が旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船とジャワ(インドネシア)の船を連れてやって来た。メイユー(美玉)は今年も来なかった。娘のロンジェン(龍剣)は健やかに育っていると聞いて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は会いに行きたいと思った。
 ソンウェイ(松尾)は約束を守って武装船を持って来てくれた。今帰仁(なきじん)攻めに間に合ってよかったとサハチたちは喜んだ。キラマ(慶良間)の島に置いてきたというので、明日、見に行く事にして、三姉妹と旧港の使者たちを『天使館』に、ジャワの使者たちを『那覇館(なーふぁかん)』に案内した。五隻の船が同時に入って来たので、浮島(那覇)は急に賑やかになって、首里(すい)の役人たちも久米村(くみむら)の唐人(とーんちゅ)たちも大忙しだった。
 久米村には十年前に永楽帝(えいらくてい)が送って来た役人たちがいた。従者として進貢船(しんくんしん)に乗って、琉球の状況を定期的に永楽帝に報告していた。三姉妹たちは旧港から来た商人という事になっているので問題はないが、武装船を手に入れた事は隠しておかなければならなかった。明国(みんこく)は火薬の取り引きを禁止しているので、火薬を使う鉄炮(てっぽう)(大砲)を積んだ船を手に入れた事が永楽帝に知られたらまずい事になる。浮島に近づけるわけには行かなかった。
 ササ(運玉森ヌル)たちもやって来て、シーハイイェン(施海燕)たち、スヒターたちと再会を喜んでいた。
 そろそろ来るだろうと準備をして待っていたのだが、ジャワの船も一緒に来るとは思ってもいなかった。歓迎の宴(うたげ)の料理を作るのも間に合わず、手の空いている女たちは皆、総動員された。マチルギは首里から女子(いなぐ)サムレーと侍女たち、思紹(ししょう)(中山王)の側室たちも連れて来て手伝っていた。島添大里(しましいうふざとぅ)、佐敷からも女子サムレーたちがやって来て手伝った。ササたちも再会を喜んでいる場合ではないので、与那原(ゆなばる)の女子サムレーたちを呼んで手伝っていた。ウニタキも『よろずや』の者たちや配下の者たちを手伝わせた。
 浮島の住民たちにも手伝ってもらって、何とか歓迎の宴を開く事ができて、サハチたちもホッとした。メイファン(美帆)の屋敷でサハチたちも歓迎の宴を開いた。
「来年、冊封使(さっぷーし)たちが来るでしょう。その前の予行演習になりましたね」とファイチ(懐機)が笑った。
「今回、不備だった所を直して、冊封使たちを迎えなければなりません」
「そうだな」とサハチはうなづいて、「冊封使が来るとなると、来年、三姉妹たちが来るのはうまくないんじゃないのか」とメイファンとメイリン(美玲)を見た。
「丁度いいわ」とメイファンが言った。
「向こうも危険になってきて、今、メイユーは引っ越しの準備をしているの。来年は琉球に来るのをやめて、ムラカ(マラッカ)に本拠地を移すわ」
「それがいい」とファイチが言って、サハチとウニタキを見ると、「リンジョンシェン(林正賢)が戦死したそうです」と言った。
「なに?」とサハチもウニタキも驚いた。
「奴が死んだのか」とウニタキが隣りにいるメイリンに聞いた。
永楽帝が送ったスンシェン(孫弦)という宦官(かんがん)にやられたのよ。鉄炮で攻撃して、リンジョンシェンが乗っていた船は沈没したらしいわ。スンシェンは生け捕りにしようとしたようだけど、見つけた時には、すでに死んでいたみたい」
「奴が死んだか」と言って、サハチはウニタキを見た。
「湧川大主(わくがーうふぬし)は待ちぼうけを食らうな」とウニタキは笑った。
「奴の配下の者たちがソンウェイを頼って逃げて来たのよ」とリェンリー(怜麗)が言った。
「そいつらの船を持ってきました」とソンウェイが言った。
鉄炮が十二、付いています。火薬もたっぷりと積んであります」
鉄炮が十二か。山北王(さんほくおう)(攀安知)の武装船と一緒だな」とウニタキはサハチを見て嬉しそうに笑った。
「火薬には充分に気をつけて下さい。リンジョンシェンの船が沈んだのも、積んでいた火薬に敵の鉄炮の玉が当たって爆発したのです。火薬は敵を倒すのに有効な武器になりますが、下手をすると自滅してしまいます」
 サハチとウニタキは真剣な顔をして、ソンウェイにうなづいた。今回、ソンウェイは妻のリンシァ(林霞)を連れて来ていた。リンジョンシェンの従妹(いとこ)で、女海賊だったというリンシァは美人だが気の強そうな女だった。
冊封使が来るとなると、ヂャン師匠(張三豊)も危険だわ」とメイファンが言った。
「お師匠が琉球にいる事がばれたのか」とサハチはメイファンに聞いた。
武当山(ウーダンシャン)で噂になっているらしいわ。今、武当山では道教寺院の再建をしていて、大勢の人たちが働いているの。その人たちが噂していて、それが永楽帝の耳にも入ったようだわ」
「湧川大主に違いない」とウニタキが言った。
「奴がお師匠の事を海賊どもに話して、それが噂になったんだ」
「そうかもしれんな」とサハチはうなづいた。
永楽帝はお師匠を探すために宦官を送り込むはずよ。しばらく琉球から離れた方がいいわ」
「山グスクにいたらわからないんじゃないのか」とウニタキは言ったが、メイファンは首を振った。
「もし捕まってしまえば、お師匠は永楽帝のもとに送られてしまうわ。琉球もお師匠を隠していた責任を取らされるかもしれないわよ。あたしたちが帰る時、一緒に杭州(ハンジョウ)まで行って、そのままムラカまで行った方がいいわ」
「ムラカか。ムラカまで行けば確かに安全だな。しかし、お師匠がいなくなったら寂しくなるな」
 ウニタキの言う通りだった。ヂャンサンフォンがいなくなるなんて考えた事もなかった。明国で出会ってから七年余りが経っていた。お師匠から様々な事を教わって、弟子になった者たちも数多くいた。これから先もお師匠から教わる事が色々とあるだろう。お師匠がいるというだけで安心だったが、危険が迫っているのに引き留めるわけにはいかなかった。
 ササたちがシーハイイェンたちとスヒターたちを連れて来て、急に賑やかになった。シュミンジュン(徐鳴軍)とワカサも一緒に来た。メイユーがいないので、サハチは寂しかったが、夜遅くまで酒盛りを楽しんだ。
 翌日、ヒューガ(日向大親)の船に乗って、サハチ、ウニタキ、ファイチ、ソンウェイはキラマの島に向かった。首里から思紹と苗代大親(なーしるうふや)も来て船に乗り込んだ。
 鉄炮を装備した武装船は座間味島(ざまんじま)の深い入り江(安護の浦)の中に浮かんでいた。進貢船より一回り小さい船で、琉球の海で活躍するにはその方が都合がよかった。
 座間味島はかつて、宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期(たち))が密かに兵を鍛えていた島で、ウミンチュ(漁師)たちの多くは進貢船の船乗りとして活躍していた。また、泰期がサミガー大主のもとで修行させた鮫皮(さみがー)作りの職人たちもいて、カマンタ(エイ)捕りも盛んだった。
 武装船に乗り込んだサハチたちはさっそく沖に出て、鉄炮の試し撃ちをした。
「こいつを陸に上げても使えるか」と思紹がソンウェイに聞いた。
「勿論、使えます。もともと、鉄炮はグスク攻めに使われていた武器です」
 思紹はサハチを見てニヤッと笑った。
今帰仁グスクの石垣を狙うのですね?」とサハチは聞いた。
「あの石垣はそう簡単には崩れないと思うが、敵兵は驚くじゃろう」
「山北王もグスク内に鉄炮を持ち込むかもしれませんよ」
「それはありえるな。山北王には唐人の軍師がいると言っていたな」
リュウイン(劉瑛)という唐人です。島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスク攻めの時の『丸太車』を考えた奴です」とウニタキが言った。
リュウインの事を調べてみました」とファイチが言った。
「山北王が進貢船を出していた頃、リュウインは久米村に来ています。会った事があるという役人から聞きましたが、洪武帝(こうぶてい)に使えていた『リュウボウエン(劉伯温)』という軍師の倅のようです。リュウボウエンは明国では有名な軍師です。兄の『リュウジン(劉璟)』は永楽帝の弟の谷王(グーワン)(朱橞)に仕えていたようです。永楽帝が皇帝になった時、リュウジンは出仕を断って牢獄に入れられて、そこで亡くなっています。それに関係しているのかわかりませんが、リュウインは琉球に逃げて来て、山北王に仕えたようです」
リュウインの親父は有名な軍師だったのか」とウニタキが聞いた。
洪武帝が元(げん)を倒して明(みん)を建国できたのも、リュウボウエンのお陰だと誰もが思っています。わたしが生まれた年に亡くなっていますので会った事はありませんが、わたしも彼の噂はよく聞いていました」
「そんな男の倅が山北王に付いているとなると、今帰仁攻めも一筋縄ではいかんようじゃな」と思紹が厳しい顔付きで言った。
「山北王から切り離しますか」とウニタキが言った。
「そうじゃな。できれば切り離して、味方に引き入れたいものじゃな」
「奴の事を調べてみます。奴はヤマト(日本)の扇子(せんす)がお気に入りで、何度か『まるずや』に来ています。俺は会った事はありませんが、店の者に聞けば何かわかるかもしれません」
「わたしも会ってみたいです」とファイチが言った。
 その頃、首里にいた『油屋』の主人のウクヌドー(奥堂)が浮島に来ていた。今帰仁からの知らせで、リンジョンシェンがまだ来ないので、浮島に来た唐人が何か知らないか調べてくれと頼まれていた。ウクヌドーは久米村に行って調べたがわからず、通事(つうじ)を雇って、『天使館』と『那覇館』に滞在している者たちに聞いて回った。旧港から来た船乗りがリンジョンシェンの事を知っていて、官軍にやられて戦死したと言った。ウクヌドーは驚いた。詳しく聞いて首里に帰ると、書状をしたためて今帰仁に送った。


 四日後、ウニタキは今帰仁の『まるずや』に来ていた。店主のマイチにリュウインの事を聞くと、洪武帝の軍師だったリュウボウエンの倅らしいと言った。
リュウボウエンは今帰仁にいる唐人(とーんちゅ)なら誰でも知っている有名な軍師です。倅のリュウインは永楽帝の弟に仕えていましたが、その弟が殺されて琉球に逃げて来たようです。奥さんは島添大里のミーグスクにいた仲尾大主(なこーうふぬし)の娘です」
「なに、仲尾大主の娘が奥さんなのか」
「『よろずや』のイブキさんから聞いたのですが、リュウインが今帰仁に来た時、山北王は武術の師範として迎えたようです。立派な屋敷を建てて、侍女も付けて、浮島から通事も呼んで琉球の言葉を教えたそうです。リュウインの屋敷の近くに『天使館』ができて、周辺に唐人たちが住み着いて、今の唐人町ができたのです。仲尾大主の娘は今帰仁グスクの侍女でしたが、リュウインのお世話をするためにリュウインの屋敷で暮らす事になって、二年後に結ばれました。リュウインは仲尾大主と同い年なので、最初は反対したようですが、娘がどうしても一緒になりたいと言い張って、ついには許したようです。二人の可愛い子供がいて、奥さんは『まるずや』のお得意さんです。父親との手紙のやり取りも『まるずや』を通して行なっています」
「ほう、そうだったのか」
リュウインがどうかしたのですか」
「敵の軍師がどんな男なのか一度、会ってみたいと思ったんだよ」
「静かな男ですよ。軍師と呼ばれるだけあって、色々な事を知っています。琉球の言葉も一年もしないうちに覚えて、今ではヤマトゥ言葉もしゃべれるようです。ヤマトゥの書物も読んでいて、『平家物語』を手に入れてくれと頼まれました」
平家物語か。山北王の御先祖様の事を調べるつもりなのかな」
「そうだと思います。敵に回したら手ごわい相手になるでしょう」
 ウニタキはうなづいて、売り子のサラの案内で、リュウインの屋敷に向かった。『天使館』の少し先に屋敷はあった。広い庭もあって、軍師にふさわしい立派な屋敷だった。
 リュウインはまだ帰宅していなかった。いつもなら帰っている時刻なので、もうすぐ帰って来るだろうと奥さんは言って、ウニタキたちを屋敷に上げた。二人の子供が嬉しそうな顔をしてサラに近づいて来た。十二歳の男の子リュージー劉基)と九歳の女の子リューリン(劉鈴)で、二人とも混血のせいか可愛い顔をしていた。
「『まるずや』さんのご主人様が、うちの主人に何か御用なのでしょうか」と奥さんが聞いた。
「中山王(ちゅうさんおう)の軍師にファイチという男がいます。ファイチからリュウイン殿の父上の話を聞いたものですから、会ってみたくなってやって参りました。今、中山王と山北王は同盟を結んでいます。先の事はわかりませんので、今のうちに会っておこうと思ったのです」
「そうでしたか。ファイチ様というお方も唐人なのですか」
「そうです。明国で内乱が起こった時に、命を狙われて琉球に逃げて来たのです」
「まあ、うちの主人と一緒ですわね。明国では政変が起こると何万もの人たちが殺されると聞いております。恐ろしい事ですわ」
 奥さんが出してくれたおいしいお茶を飲みながら、ウニタキはリュウインの帰りを待った。サラは子供たちと遊んでいたが帰って行った。
 半時(はんとき)(一時間)ほど待って、リュウインは帰って来た。ウニタキの顔を見てリュウインは少し驚いた顔をした。お互いに初対面のはずだが、リュウインはウニタキを知っているようだった。
 奥さんがウニタキを『まるずや』の御主人ですと紹介するとリュウインはうなづいて、
三星大親(みちぶしうふや)殿ですな」と言った。
「噂は『油屋』から聞いております」
 ウニタキは笑って、「初めまして」と挨拶をした。
「すでに御存じかと思いますが、山北王と取り引きをしていた明国の海賊が戦死しました。その事で今後の対策を相談していたのです」
 リュウインは着替えてくると言って部屋から出て行った。奥さんが酒と料理を運んできた。豚肉料理が出て来たので、
今帰仁では豚(うゎー)を飼っているのですか」とウニタキは奥さんに聞いた。
「五、六年前から唐人が飼い始めたようです。主人が好きなものですから塩漬け(すーちかー)の肉(しし)を手に入れて、時々、料理に使っております」
「そうでしたか。豚の肉を食べると力が湧いてくるような気がします」とウニタキが言うと奥さんは楽しそうに笑った。
 リュウインが戻って来て、一緒に酒を飲んだ。酒は明国の強い酒だった。
三星大親殿は地図を作っていると聞いているが、どうして、『まるずや』の主人もやっているのですかな」とリュウインは聞いた。
「地図を作るには旅をしなければなりません。あちこち旅をしてわかったのですが、貧しい人たちは布を手に入れるのも難しくて、ぼろぼろの着物をまとっていました。浦添(うらしい)の城下に行った時、古着を売っている店がありまして、それを真似して島添大里の城下に開いてみたのです。思っていた以上にお客さんが来てくれたので、店を増やす事もできました。それらの店は旅をする時の拠点にもなりますし、各地の情報も集められます」
三星大親殿の仕事は、やはり情報集めだったのだな」
「地図を作るという事は地形を知るだけでなくて、そこに住んでいる人たちを知る事も含まれていると思っています」
「油屋が中山王の事を調べているように、そなたが山北王の事を調べているようだな」
「そういう事になります」
「リンジョンシェンが亡くなったので、山北王の様子を見に来たというわけか」
 ウニタキは笑って、「図星です」と言った。
 リュウインも笑って、「実に困った事になった」と言った。
「明国の商品はリンジョンシェンに頼り切っていた。リンジョンシェンが来なくなると明国の商品が足らなくなってしまう。山北王も湧川大主も困っておった」
「材木と米を中山王が明国の商品と交換しますよ」とウニタキは言った。
「そうしてもらえると助かるが、材木も米も冬にならないと浮島に送れない。そして、明国の商品が来るのは来年の夏になるだろう。それでは、今年の冬にやって来るヤマトゥンチュ(日本人)たちとの取り引きに間に合わんのだ」
「確かにそうですね。今のうちに運んでおかなくてはなりませんね」
「そういう事だ」
「わたしの一存では決められませんが、中山王と相談してみましょう。米と材木は冬に運ぶとして、明国の商品は今のうちに運べるかもしれません」
「そうしてもらえると本当に助かる」とリュウインは言ったあと、「もしかして、その事で、わしを訪ねて来たのか」と聞いた。
「まさか。リンジョンシェンが来なくなって、山北王がそれほど困っていたなんて知りませんでした。リンジョンシェン以外の海賊たちも来ていたのでしょう」
「以前はいくつもの海賊たちが来ていたんだが、皆、リンジョンシェンの父親の『リンジェンフォン(林剣峰)』の配下になってしまったんだよ。リンジェンフォンが来る前は、『ヂャンルーチェン(張汝謙)』が来ていたんだが、ヂャンルーチェンは捕まって処刑されたらしい。わしはヂャンルーチェンの船に乗って琉球に来たんだよ」
 ヂャンルーチェンは三姉妹の父親だった。三姉妹の父親が今帰仁に来ていたなんて知らなかったが、メイファンは運天泊(うんてぃんどぅまい)で、ジォンダオウェンと再会して、明国に帰ったと言っていた。
「ヂャンルーチェンの配下のジォンダオウェンを御存じないですか」
「ジォンダオウェン?」
「多分、船頭(しんどぅー)(船長)だったと思いますが」
 リュウインは思い出したように、「そうだ。船頭はジォンダオウェンだった」と言った。
「ヂャンルーチェンには娘が三人いて、娘たちが跡を継いで海賊をやっています。表向きは旧港の商人という事になっていて、今、浮島に来ています。ジォンダオウェンも一緒です」
「なに、娘たちが跡を継いだのか。そいつは知らなかった」
「ヂャンルーチェンが捕まったのは、リンジェンフォンが裏で糸を引いていたのです。ヂャンルーチェンの縄張りはリンジェンフォンに奪われて、娘たちは福州から出て、旧港に拠点を移したのです」
「そうだったのか。それで、ヂャンルーチェンの娘たちは中山王と取り引きをしているのだな」
「そうです。ところで、ヂャンルーチェンはどうして運天泊に来たのですか。浮島ではなくて」
「それは単なる偶然だろう。ヂャンルーチェンはあの時、初めて琉球に来たんだよ。琉球には三つの国があると聞いていて、中山がもっとも栄えているとも聞いていた。琉球に着いた時、北(にし)に流されて伊是名島(いぢぃなじま)まで行ってしまったんだ。その島の者に運天泊の事を聞いて、運天泊に入ったんだ。山北王は歓迎してくれた。それで、ヂャンルーチェンも毎年、運天泊に来るようになったのだろう」
リュウイン殿は山北王に仕える事になったのですね」
「わしは明国にいた時、洪武帝の息子の湘王(ジィァンワン)(朱柏)に仕えていたんだ。武芸好きな若い王様だった。山北王も若くて、武芸好きだった。亡くなってしまった湘王と山北王が重なって見えて、お仕えする事に決めたんだよ」
「そうでしたか。ヂャンルーチェンの船が浮島に着いたら、先代の中山王(武寧)に仕えていたかもしれませんね」
 リュウインは楽しそうに笑った。
「人生なんて、偶然の積み重ねだな」
「そうですね。一歩間違えれば、会うべき人とは会えなくなってしまう。人との出会いによって、生き方は変わってしまいます」
 リュウインはうなづいて酒を飲むと、「三星大親殿は明国に行ったのだったな」と言った。
「何でも御存じのようですね。七年前に行って来ました。明国の広さには驚きましたよ。応天府(おうてんふ)(南京)から武当山(ウーダンシャン)まで行きましたが、その遠さは琉球にいたなら考えつかない程の距離でした」
「ほう、武当山に行かれたのか。しかし。また、なんで武当山に行ったのだ?」
「その時に一緒に行ったファイチという唐人がいるのですが、御存じですか」
「油屋から名前だけは聞いておる。明国から逃げて来た唐人なんだろう」
 ウニタキはうなづいた。
「ファイチの武芸のお師匠がヂャンサンフォン殿だったので、ヂャンサンフォン殿に会うために武当山に行ったのです」
「なに、ファイチのお師匠がヂャンサンフォン殿なのか」
「ヂャンサンフォン殿を御存じですか」
「わしのお師匠はヂャンサンフォン殿の弟子なんじゃよ」
「えっ!」とウニタキは驚いた。
「それで、ヂャンサンフォン殿とは会えたのか」
「会えました。その頃、永楽帝が送った宦官が武当山に来ていたので、ヂャンサンフォン殿は武当山には登りませんでしたが、わたしたちは山頂まで行って真武神(ジェンウーシェン)を拝んできました。その後、山の中でヂャンサンフォン殿の指導を受けたのです」
永楽帝もヂャンサンフォン殿を探しているのか」
「そのようです。永楽帝は今、武当山を再建しているそうです。山の中に破壊されたままの道教寺院がいくつも放置されていて無残な姿でした。立派な寺院を建てたら、ヂャンサンフォン殿が現れると永楽帝は思っているのかもしれません」
「しかし、ヂャンサンフォン殿はもう相当な年齢(とし)だろう。生きているのかどうかもわからん」
「今、この琉球にいますよ」とウニタキが言ったら、リュウインは口をポカンと開けたままウニタキを見ていた。
琉球にいる?」
 ウニタキはうなづいた。
「湧川大主が会ったはずですが」
「その話は聞いた。しかし、ヂャンサンフォンと名乗った男は五十代だったと言ったんだ。わしは別人に違いないと思ったが、本物だったのか」
「本物です。実際の年齢は百六十歳を越えていますが、見た感じでは五十代の半ばくらいにしか見えません」
「なんと‥‥‥本物だったのか」
「本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)を御存じだと思いますが、テーラーもヂャンサンフォン殿の弟子になりました」
テーラーがか‥‥‥ヂャンサンフォン殿が琉球にいるのなら、何としてでも会わなければならん」
「御案内しますよ」とウニタキは言った。
 リュウインはうなづいた。
「進貢船を復活させようという話も出たんだ。久米村の様子を見てくると言って、山北王の許可を得よう」
「わかりました。先程の明国の商品を送る話ですが、うまく行くかもしれません」
 リュウインが酒を飲む手を止めて、ウニタキを見た。
リュウイン殿がヂャンサンフォン殿の孫弟子なら、きっとうまく行きます。中山王も世子(せいし)(跡継ぎ)の島添大里按司もヂャンサンフォン殿の弟子なのです。同門の弟子の頼みなら必ず聞いてくれるでしょう」
「中山王が武芸の名人だとは聞いているが、中山王もヂャンサンフォン殿の弟子だったのか」
「中山王はヂャンサンフォン殿と一緒に明国に行って、武当山にも登っています。そこで奇跡を起こして、永楽帝武当山の再建へとなったのです」
「ほう、中山王も武当山に行っているとは驚いた」
 その後は、中山王とヂャンサンフォンの旅の様子などを話して、ウニタキはリュウインと楽しい夜を過ごした。

 

 

 

洋河大曲 海之藍 52度 480ml

2-153.神懸り(改訂決定稿)

 久米島(くみじま)から帰って来たサハチ(中山王世子、島添大里按司)は、クイシヌ(ニシタキヌル)と出会ったあとの出来事が、夢だったのか現実だったのかわからなかった。ウニタキ(三星大親)に連れられてクイシヌの屋敷に行って、クイシヌの顔を見た途端に、頭の中は真っ白になった。どうやって、ニシタキ(北岳、後の宇江城岳)の山頂まで行ったのか覚えていない。まるで、一瞬のうちに山頂まで飛んで行ったようだ。あの夜、スサノオの神様が来たと言ったら、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)もササ(運玉森ヌル)も、「まさか?」と言って笑った。
 サハチがニシタキから下りて、みんなの前に顔を出したのは三日目の夕方だった。サハチがクイシヌと一緒にいた事はみんな知っていて、心配はしていなかった。二日目の夜もスサノオの神様とユンヌ姫が現れて、クミ姫の娘のアラカキ姫、アーラ姫、ウフタキ姫も現れて、一緒に酒盛りをした。昼間はクイシヌに武当拳(ウーダンけん)を教えていたような記憶があるがはっきりしない。
 久米島を去る前にもう一度、クイシヌに会いたかったが、クイシヌはニシタケに籠もったまま出ては来なかった。新垣(あらかき)ヌルと別れを惜しんでいるファイチ(懐機)、堂(どう)ヌルと別れを悲しんでいるウニタキを眺めながら、本当にクイシヌに会ったのだろうかとサハチは不思議な気分だった。それにしても、あの時、神様たちと一緒に飲んだ酒は、二晩も飲んでいたのに空にならなかった。今思えば不思議な事だった。
 ナツが子供たちと女たちを連れて津堅島(ちきんじま)に行って来ると言い出した。首里(すい)の女たちが久高島(くだかじま)に行くように、ここの女たちも気分転換をした方がいいという。久米島に行った時、ナツとサスカサ(島添大里ヌル)に留守番を頼んだので、サハチはナツの言われるままに、女たちの津堅島行きを許した。
 サハチと安須森ヌルが留守番をして、ナツとサスカサ、ユリとハルとシビー、侍女五人と女子(いなぐ)サムレー十二人が子供たちを連れて、馬天浜(ばてぃんはま)のウミンチュ(漁師)の小舟(さぶに)に乗って津堅島に出掛けた。玻名(はな)グスクヌルも誘ったが、修行に励むと言って行かなかった。
 六月二十四日、手登根(てぃりくん)グスクのお祭りが行なわれて、先代山南王妃(さんなんおうひ)のトゥイがお忍びで、マアサたちと一緒にやって来た。手登根大親の妻、ウミトゥクからの知らせで、サハチは手登根グスクに行ってトゥイと会った。
 初めて見るトゥイは噂通りの美人だった。サハチよりも十歳近く年上のはずなのに、そんな年齢(とし)には見えなかった。以前、ウニタキが亡くなった先妻のウニョンに似ていると言っていたが、こんな美人だったら、マチルギを諦めたのもうなづけた。馬乗り袴(はかま)をはいていて、刀は差していないが、女子サムレーのような格好だった。
「初めまして」とサハチが挨拶をすると、
「噂は主人から色々と聞いていましたが、会うのは初めてですね」とトゥイは笑った。
「今、思えば不思議です。シタルー(先代山南王)はどうして、あなたを隠していたのでしょう。十年ほど前に、婚礼に招待されて島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに行った事があります。その時もあなたに会ったという記憶はありません。どうしてでしょう?」
「次男(ジャナムイ)の婚礼の時ですね。あの時は婚礼の儀式は身内だけで別の場所でやって、お祝いの宴(うたげ)に皆様方を招待いたしました。南部の按司たちを皆、招待した盛大な婚礼だったので、粗相(そそう)のないように、わたしは侍女たちの指図をしていて、表には出ませんでした」
「そうだったのですか。あの時、行き届いた手配りに皆、満足しておりました。あなたのお陰だったのですね」
「いいえ、侍女たちがよくやってくれたのです。わたしは浦添(うらしい)グスクの御内原(うーちばる)で育ちました。母が侍女たちを指図しているのを見て育ったのです。わたしは母の真似をしただけです」
「賢いお母さんだったのですね」
「母は高麗人(こーれーんちゅ)でしたが、わたしが生まれた時には琉球の言葉をしゃべっていました。母の父親は儒学者(じゅがくしゃ)だったそうで、母は漢字も書けました。父に頼んで、倭寇(わこう)にさらわれて来た高麗人たちも助けていたようです」
「御内原にいたナーサを知っていますか」とサハチが聞くとトゥイは驚いた顔をしてサハチを見た。
「ナーサを御存じなのですか」
 サハチはうなづいて、「今、首里で遊女屋(じゅりぬやー)をやっております」
「えっ、ナーサが遊女屋を? ナーサが遊女屋をやっているなんて信じられませんが、生きていたのですね。よかったわ」
「ちょっとした縁がありまして、ナーサが首里に遊女屋を開く時に援助したのです。ナーサの遊女屋は、重要なお客様の接待に非常に役に立っています」
「そうでしたか。ナーサは人を使うのがうまいですからね。わたしもナーサから色々な事を学びました。ナーサから学んだ事は嫁いでからも、とても役に立ちました。話は変わりますが、わたしはあなた方御夫婦を羨ましいと思っていたのですよ。毎年、仲よく旅をなさっていて。わたしは一度も、主人と一緒に旅なんてできませんでした。もう王妃ではありませんので、これからは気ままに旅をしたいと思っております」
首里にも行って下さい。妻のマチルギが歓迎するでしょう。ナーサにも会って下さい」
 お芝居が始まったので、「楽しんでいって下さい」とサハチは言ってトゥイと別れた。
 お芝居はシビーとハルの新作で『王妃様(うふぃー)』だった。勿論、トゥイを主役にしたお芝居で、それを観せるためにウミトゥクが呼んだのだった。
 サハチはササたちの所に行ってお芝居を観た。ササたちは昼間から酒を飲んでいて、サハチも加わった。
 サーター島のお姫様、チルーが小舟に乗ってマーシュ島の王様の次男シュタルに嫁いで行く場面から『王妃様』のお芝居は始まった。チルーが新しいグスクを島人(しまんちゅ)たちと一緒に築いたり、ハーリーの龍舟(りゅうぶに)に乗ったり、戦(いくさ)に出て勇ましく戦ったりと活躍して、歌あり踊りありの楽しいお芝居だった。観客たちは喜んでいたが、シュタルの敵役(かたきやく)の兄のターバチはすっかり悪者にされていた。ターバチには可哀想だが、チルーから見たら、ターバチは憎らしい義兄だったのだろうと改めて、サハチは感じていた。旅芸人たちのお芝居は『瓜太郎(ういたるー)』で子供たちが喜んでいた。
 お芝居が終わったあと、佐敷の若按司夫婦の歌と三弦(サンシェン)が披露されて、最後は『念仏踊り(にんぶちうどぅい)』をみんなで踊ってお祭りは終わった。
 トゥイは馬に乗って、マアサたちに守られて帰って行った。トゥイを見送ったあと、
「お母さん、楽しそうだったわ」とウミトゥクがサハチに言った。
「王妃としての役目を終えて、ホッとしているのかしら」
「そうかもしれんな。他魯毎(たるむい)も戦を経験したので、立派な山南王になるだろう。クルーがまたヤマトゥ(日本)に行ってしまったが、留守を頼むぞ」
「はい」とうなづいてから、「わたしもヤマトゥに行ってみたい」とウミトゥクは笑った。
「そうだな。子供がもう少し大きくなったら、女子サムレーとして行ってくるがいい」
「本当ですか」とウミトゥクは目を輝かせた。
「マチルギたちがヤマトゥに行く前は、女子(いなぐ)がヤマトゥに行くなんて考えられなかった。しかし、その後は毎年、女子たちもヤマトゥに行っている。旧港(ジゥガン)(パレンバン)やジャワ(インドネシア)からも女子が琉球に来ている。琉球の女子もどんどん異国に飛び出して、見聞を広めた方がいい。そうすれば、子供たちも親を真似して海に出て行くだろう。琉球は益々発展する事になる」
 ウミトゥクは嬉しそうな顔をしてうなづいた。
 サハチは翌日、首里に行って久米島の役人の交代を重臣たちと相談した。久米島の役人たちを伊平屋島(いひゃじま)に送って、新しい役人を久米島に送る事に決まった。新しい役人はタブチ(先々代八重瀬按司)やナーグスク大主(先々代伊敷按司)を知らない者たちを選んだ。
 次の日には浮島(那覇)のチージ(辻)に行って、豚(うゎー)の飼育場を視察した。世話をする役人たちの屋敷も完成していて、あとは豚が来るのを待つばかりだったので安心した。役人は宇座按司(うーじゃあじ)と相談して、長年、馬の世話をしてきた男を譲ってもらった。真面目な男で、久米村(くみむら)に行って通事と一緒に、唐人(とーんちゅ)たちから豚の事を聞き回っていた。役人の下に五人の若者を付けて豚の世話をさせるつもりだった。
 その後、サハチはジクー(慈空)禅師のために造るお寺(うてぃら)をどこに建てようかとあちこち歩き回った。『大聖寺(だいしょうじ)』と『慈恩寺(じおんじ)』は首里グスクの北にあり、『報恩寺(ほうおんじ)』は首里グスクの東にあった。どのお寺も大通りからは見えなかった。今度のお寺は、首里に来た人たちにすぐにわかるように城下の入り口に建てようと思った。立派なお寺を見れば、首里は今以上に都らしくなるだろう。そして、いつの日か城下が広がって、この辺りにも家々が建ち並ぶ事を願った。
 ジクー禅師はまだお寺はいらないと言うが、毎年、正使を務めてヤマトゥに行っているので、感謝の気持ちを込めて立派なお寺を建てなければならなかった。ジクー寺はヤマトゥとの交易の拠点にして、ヤマトゥの情報を集めたり、ヤマトゥに行く使者を育てたりしようと考えていた。
 七月七日、去年に引き続いて、ヌルたちの『安須森参詣(あしむいさんけい)』が行なわれた。南部のヌルたちが浮島の『那覇館(なーふぁかん)』に勢揃いして、ヒューガ(日向大親)の船に乗って北へと向かった。久高島からは久高ヌルと大里(うふざとぅ)ヌルが参加して、フカマヌルは留守番だった。
 初めて久高島を出た大里ヌルは前日に首里に来て、その賑わいに目を丸くした。こんなにも大勢の人を見たのは初めてだった。首里グスクの高い石垣に驚き、龍天閣(りゅうてぃんかく)に登って景色を眺め、まるで夢の世界にいるようだと感激していた。
 安須森ヌルもサスカサも安須森に行ってしまい、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで留守番をしていたサハチはナツとお茶を飲みながら、玻名グスクヌル(マフー)の事を話していた。
「マフーは敵討(かたきう)ちに夢中になっていますよ。敵って按司様(あじぬめー)の事でしょ? 放っておいていいんですか」とナツが心配そうな顔をしてサハチに聞いた。
「安須森ヌルに考えがあるんだろう」とサハチは言いながらも、玻名グスクヌルがサハチを睨む目が気になっていた。
「それにしたって危険ですよ。ササもわざわざ連れて来なくてもいいのに」
「危険な奴は近くに置いて見張っていた方がいいだろう。どこにいるのかわからなければ、返って危険だ。津堅島には行かなかったけど、安須森には行ったんだろう?」
「行ったようです」
「妹(ナーグスク按司の妻)が久米島にいる事を知らせてやりたいが、まだ時期が早過ぎるな」
「いっその事、マフーも久米島に送ったらどうですか」
「もう少し様子を見よう。俺の寝首を掻こうとしたら捕まえて久米島に送ろう」
久米島で思い出したけど、クイシヌ様というヌルと一緒にお山に籠もったんだそうですね? クイシヌ様はとても美人だって安須森ヌル様が言っていましたよ」
「美人だけじゃない。久米島を守っているのがクイシヌ様なんだよ。あの島には按司はいないんだ。ヌルが島の人々を統治しているんだ。昔の状態を未だに維持しているんだよ」
「そんな偉いヌル様とお山に籠もって何をしていたんです?」
 ナツは疑いの眼差しでサハチを見ていた。
「よく覚えていないんだ」とサハチは言った。
「ほんとかしら? 山の中に三日もいたそうですけど、どこで眠ったのですか。山の中にガマ(洞窟)でもあったのですか」
「ガマ?」
 ガマと聞いて、サハチは思い出した。確かにガマがあった。そして、そのガマに古い神様がいたのだった。
「クメーだ」とサハチは言った。
「何ですか、クメーって?」
「ガマの中にいた神様がしきりに、クメー、クメーって言っていたんだよ。クイシヌ様も神様の言葉はわからなかったけど、クメーという国から来た人たちが、この島にお米(んくみ)を伝えたんじゃないかって言っていた」
「そのガマでクイシヌ様と仲よくやっていたんですね?」
「何を言っているんだ。朝までずっと神様たちと一緒に酒盛りをしていたんだ。酔っていたし、疲れ切って眠ってしまったよ。目が覚めたら日が暮れていて、また、神様と朝まで酒盛りをしていたんだ」
「神様って、その言葉のわからない神様と?」
「違うよ。スサノオの神様とその孫娘のユンヌ姫様と久米島の神様のクミ姫様だよ」
「ほんとかしら?」とナツがサハチを睨んだ時、救いの神が現れた。
 今帰仁(なきじん)に行っていたウニタキが帰って来たのだった。ナツはウニタキを迎えると、お茶の用意をすると言って部屋から出て行った。
今帰仁グスクでマジムン(悪霊)退治が行なわれたようだ」とウニタキは言った。
今帰仁にマジムンがいるのか」
「湧川大主(わくがーうふぬし)の奥さんが亡くなったのは、鬼界島(ききゃじま)(喜界島)で戦死した兵たちがマジムンになって、湧川大主の奥さんに取り憑いて殺したという噂が流れたらしい。二回の攻撃で二百人余りの兵が亡くなっているようだ。戦死した兵の家族たちが湧川大主を恨んで、そんな噂を流したのだろう。噂を抑えるために、領内のヌルたちを集めて、グスク内にあるウタキ(御嶽)でお祈りを捧げたようだ。先代の浦添(うらしい)ヌルだが、今帰仁にはいないようだぞ。奄美大島(あまみうふしま)に行ったらしい」
「何だって? どうして、奄美大島に行ったんだ?」
「詳しい事情はわからんが、今帰仁ヌルに追い出されたんじゃないのか。いつまでも敵討ちにこだわっているから、うっとうしくなったんだろう」
「そうか。しかし、また、なんで奄美大島なんかに行ったんだ?」
奄美大島按司の娘をヌルに育てるためらしい」
「そういう事か。奄美大島で頭を冷やして、敵討ちを忘れてくれればいいんだがな」
「たった一人では敵討ちもできまい」
「兄貴のイシムイがいるだろう」とサハチが言うと、ウニタキは首を振った。
「どうやら、イシムイも諦めたようだぞ」
「なに、本当か」とサハチは驚いた。
「イシムイが一緒にいる娘の父親、我如古大主(がにくうふぬし)が亡くなったらしい。跡を継ぐ者がいなくて、イシムイが跡を継いだようだ。奴は察度(さとぅ)の孫だからな、村の者たちも歓迎したようだ。配下の者たちも解散して故郷に帰して、刀も捨てて真っ当な暮らしに戻ったようだ」
「信じられんな」
「頼りにしていた摩文仁(まぶい)(先々代米須按司)が戦死したのが応えたのだろう」
「我如古大主か‥‥‥我如古とはどこにあるんだ?」
浦添の北原(にしばる)の北にある。浦添の奥間(うくま)の近くだ。奥間にいる配下の者に見張らせている」
「そうか。奴も諦めたか」
「武寧(ぶねい)(先代中山王)が死んでから、すでに八年が経っている。憎しみを持続させるのは難しいだろう。ところで、リンジョンシェン(林正賢)の奴がまだ運天泊(うんてぃんどぅまい)に来ていないぞ。湧川大主が気を揉んでいる」
「とうとう捕まったのかな」
「そうだといいんだが、一昨年(おととし)は七月の半ば過ぎに来たから安心はできん。湧川大主は鬼界島攻めで、かなりの火薬を使っただろうから、火薬が来ないと困るだろう」
「火薬だけでなく、明国(みんこく)の商品が来なくなれば、ヤマトゥの商人たちとも取り引きができなくなるぞ」
「また進貢船(しんくんしん)を送るようになるかな」
「進貢船は壊れたのだろう」
「そうだ。島伝いに鬼界島くらいなら行けるだろうが、黒潮(くるす)を乗り越える事はできまい。中山王(ちゅうざんおう)に泣きついて来るかもしれんな」
「泣きついてきたら乗せて行ってやるさ。こっちもお寺を建てるのに、材木が必要だからな」
「材木と言えば、山北王(さんほくおう)(攀安知)が今、沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)にグスクを築いているようだ」
「沖の郡島にか。あの島に按司を置くつもりなのか」
「俺もそう思ったんだが、噂によるとグスクというよりもヌルの屋敷を建てているようだ」
「ヌルの屋敷?」
「山北王は沖の郡島の若ヌルに惚れたようだ」とウニタキは笑った。
「俺たちも山北王の事を笑えんが、若ヌルのために立派な御殿(うどぅん)を建てているらしい」
 ナツがお茶を持って来た。
久米島に行ったり、今帰仁に行ったりと御苦労様です」とナツはウニタキに言って笑った。
今帰仁も以前よりは近くなったよ」とウニタキは言った。
「中山王と山北王が同盟を結んでから、行き来する者も増えて、道もちゃんとできてきた。以前よりもずっと楽になったよ」
「初めて今帰仁に行った時は苦労したな」とサハチが言うと、
「俺も道に迷った」とウニタキは笑った。
「ここに来る前に旅芸人の所に寄って来たんだが、ハルとシビーがまた新作のお芝居を作ったようだな」
「『王妃様』だ。先代の山南王妃も観に来て、喜んでいたようだ。今度はお師匠を書くと言って、今、山グスクにいるよ」
「なに、今度はヂャンサンフォン(張三豊)殿をお芝居にするのか」
「『武当山の仙人(ウーダンシャンぬしんにん)』だそうだ。そのうち、お前もお芝居になるかもしれんぞ」
「馬鹿を言うな。俺がお芝居になったら、裏の仕事ができなくなる」
今帰仁攻めが終わったら、裏の仕事もやめるんじゃないのか」
「落ち着くにはまだ早すぎる。今帰仁攻めが終わったら、シャム(タイ)に行くんだろう。旧港(ジゥガン)やジャワにも行ってみたいしな。引退するのはそのあとだ」
「ササは南の島(ふぇーぬしま)を探しに行くって張り切っているし、あたしもヤマトゥに行ってみたいわ」とナツが言った。
「マカマドゥはまだ三歳だろう。もう少し大きくなってからだ」とサハチが言うと、
「そんな事を言ったら、いつ行けるかわからないわ。また、子供ができるかもしれないし」とナツは首を振った。
「そう言えば、タチはまだ首里にいるのか」とウニタキが聞いた。
首里の御内原(うーちばる)には子供がいないから、女たちに可愛がられているようだ。マチルギもそうだが、親父の側室たちも手放したくはないようだ」
「いつまでも女たちの中で暮らしていたら、ろくな奴に育たないぞ。こっちに連れて来て、兄弟たちと一緒に遊ばせた方がいい」
「俺もそう思うんだがな」
「タチをこっちに連れて来て、代わりに女の子を首里に連れて行けばいいんじゃないか。女の子なら御内原にいれば花嫁修業になるだろう」
「それはいい考えだ。マチルギに言ってみよう」
 旅芸人を連れて南部を巡って、按司たちの様子を見てくると言ってウニタキは帰って行った。
 六日後、安須森参詣から帰って来たササたちは、サハチの言った通り、スサノオの神様は琉球に来ていたと言った。
按司様の一節切(ひとよぎり)を聴いて久米島に行ったスサノオの神様は、セーファウタキ(斎場御嶽)に行って豊玉姫(とよたまひめ)様と会って、安須森に寄って帰って行ったらしいわ」とササは言った。
「やっぱり、あれは夢ではなかったんだな」とサハチは言って、思い出したニシタキのガマにいた古い神様の事をササに話した。
「えっ、ニシタキにそんなガマがあったの?」とササは驚いた。
「クイシヌ様は連れて行ってくれなかったわ」
「ササがクミ姫様とウムトゥ姫様の事を聞いたから、それに関係あるウタキに連れて行ってくれたのよ。ササが古い神様の事を聞いたら連れて行ってくれたと思うわ」とシンシン(杏杏)が言った。
「そうね、残念だったわ。お米を持って来た古い神様はクメーという国から来たのね?」
「言葉が通じないので、クイシヌ様もよくわからないようだけど、お米を作るには水が必要で、水をもたらせてくれるニシタキを神様として祀って、代々の首長をニシタキのガマの中に葬ったのではないかと言っていたよ」
「その人たちが島の名前を『クメー島』にして、それがなまって『クミ島』になったのね」
「多分、そうだろう」
「クメーってどこかしら?」
「南の島じゃないのか」
アマミキヨ様たちよりも先に来ているのよね?」
「ユンヌ姫様がそう言っていたな。そういえば、ユンヌ姫様に会ったけど、可愛いかったぞ」
「ユンヌ姫様が姿を現したの?」
「一緒に酒を飲んだんだ。スサノオの神様も一緒にな」
「あたしはまだ姿を拝んでいないわ」とササは悔しがった。
「南の島に行って、一番高い山の上で笛を吹いてみろ。スサノオの神様がやって来るかもしれない」
「それは無理よ。琉球熊野権現(くまぬごんげん)とヤマトゥの熊野はつながったので、スサノオの神様は来られるようになったけど、南の島とはつながっていないわ」
熊野権現で思い出した」とサハチは言った。
「クイシヌ様から聞いたんだけど、堂の村(どうぬしま)には昔、熊野権現堂があったらしい。それで、堂の村と呼ばれるようになったんだ」
熊野水軍久米島にも行ったのね?」
「貝殻を求めて行ったんだろう。スサノオの神様が久米島に行ったので、堂の村と浮島の波之上権現もつながった。ミャーク(宮古島)にも熊野権現があれば、ミャークともつながるだろう。それと、気づいた事があるんだけど、スサノオの神様は琉球の言葉をしゃべっていたぞ。ヤマトゥ言葉ではなかった」
 ササはハッとした顔をして、「確かにそうだわ」とうなづいた。
「今までどうして気づかなかったんだろう。スサノオの神様が琉球に来た一千年前は、琉球とヤマトゥの九州は同じ言葉をしゃべっていたんじゃないかしら。勿論、対馬もよ。でも何百年か経って、小松の中将(くまちぬちゅうじょう)様が琉球に来た時は言葉が通じなくなっていた。ヤマトゥに色々な人たちが入って来て、言葉が変わってしまったんじゃないかしら。京都の御所にいた時、偉いお公家(くげ)さんからヤマトゥの歴史を聞いたけど、仏教が入って来た時に、朝鮮(チョソン)から大勢の技術者も入って来たって言っていたわ。それに、ヤマトゥで使っている漢字も、大陸にあった『漢』という国から入って来たらしいわ」
「成程、昔は同じ言葉だったけど、変わってしまったんだな」
 ササはうなづいてから、「玻名グスクヌルが安須森で神懸(かみがか)りになったのよ」と話題を変えた。
「安須森に登って、『シヌクシヌル』の神様に歓迎されたんだけど、お山から下りて、みんなで宴(うたげ)をやっていた時、突然、苦しそうな顔をして倒れたのよ」
「シヌクシヌルの神様というのは、どこの神様なんだ?」
「安須森ヌル様を助けていたヌルなのよ。安須森ヌル様を助けていたヌルは何人もいたんだけど、その中でも特別な三人が、『シヌクシヌル』、『アフリヌル』、『シチャラヌル』なの。玻名グスクヌルはアマン姫様からシヌクシヌルを継ぎなさいって言われたの。でも、敵討ちにこだわっていて迷っているのよ」
「アフリヌルはカミーが継ぐんだな?」
「そうよ。そして、シチャラヌルを継ぐのは奥間(うくま)ヌルよ」
「えっ!」とサハチは驚いた。
「奥間ヌルがシチャラヌルなのか」
「だって、シチャラヌルのガーラダマ(勾玉)を持っているもの」
「すると、安須森が滅ぼされた時に、奥間に逃げた安須森ヌルの妹がシチャラヌルだったのか」
「そういう事よ。それで、玻名グスクヌルなんだけど、倒れたあと、急に立ち上がったと思ったら、酔っ払ったようにフラフラした足取りで村の外れの小高い丘の中ほどまで行ったのよ。そして、『ここよ』と地面を指差して、また倒れちゃったの。そこに何かが埋まっているに違いないと思って掘ってみたら、白骨が出て来たわ。そして、白骨の首の辺りに立派なガーラダマがあったのよ」
「安須森が滅ぼされた時に亡くなったシヌクシヌルだったのか」
 ササはうなづいた。
「お骨(うふに)を綺麗に洗って甕(かーみ)に入れて、また、そこに埋めて、ヌルたち全員でお祈りを捧げたわ」
「ガーラダマは玻名グスクヌルが身に付けたのか」
「付けたわ。玻名グスクヌルも覚悟を決めたようだったわ。次の日、安須森に登って、神様と長い間、お話ししていたのよ」
「そうか。敵討ちは諦めたか」
「敵討ちはやめたけど、ヂャンサンフォン様のもとで修行をするって言っているわ。これから山グスクに連れて行くのよ」
「お前たちも山グスクに行くのか。ハルとシビーも山グスクに行ったまま帰って来ないよ」
「そう言えば、次の新作はお師匠を書くって言っていたわね」
 ササたちはお茶を飲むと山グスクへと向かった。
 それから四日後、チューマチ(ミーグスク大親)の妻、マナビーが首里グスクの御内原で娘を産んだ。母親に似て可愛い娘だった。チューマチの長女は『チルギガニ(剣金)』と名付けられた。

 

2-152.クイシヌ(改訂決定稿)

 安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、ササ(運玉森ヌル)、シンシン(杏杏)、ナナはクイシヌ様と一緒にニシタキ(北岳、後の宇江城岳)に登った。新垣(あらかき)ヌル、堂ヌル、ミカ(八重瀬若ヌル)と八重瀬(えーじ)ヌルも一緒に行った。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)、ウニタキ(三星大親)、ファイチ(懐機)の三人は馬を借りて、チヌムイ(タブチの四男)の案内で島内を巡った。
 堂の村(どうぬしま)はかなり高台にあって、東側は崖がずっと続いていた。海を見ると渡名喜島(とぅなきじま)、粟島(あわしま)(粟国島)、キラマ(慶良間)の島々が見えた。奥武島(おーじま)とオーハ島の先にある御願干瀬(うがんびし)(はての浜)の白い砂浜は綺麗だった。青い海に真っ白な砂浜が浮かんでいて、幻想的な光景だった。
「あの砂浜の上で昼寝がしたいな」とウニタキが言った。
「気持ちいいだろうな」とサハチは笑った。
「ウミンチュ(漁師)に頼めば、あそこまで連れて行ってくれますよ」とチヌムイが言った。
「よし、行こうぜ」とウニタキがチヌムイの肩をたたいた。
 真謝泊(まーじゃどぅまい)のウミンチュに頼んで、御願干瀬の砂浜に渡った。海に潜ったりして遊んだあと、砂浜の上に寝そべった。
「ササたちも連れて来ればよかったな」とウニタキが空を見上げながら言った。
「そうだな。男だけで来ても面白くないな。明日、また、女たちを誘って来よう」
「新垣ヌルも誘えよ」とウニタキが上体を起こしてファイチを見た。
「勿論、誘いますよ」とファイチは楽しそうに笑った。
「不思議な気持ちです。一目惚れというやつです。会った瞬間に好きになってしまいました」
「わかるよ」とウニタキは言って、サハチを見た。
「ヌルに惚れたら、夢の世界にいるようなんだ。ここにいる間は充分にその夢を楽しんだ方がいい」
 島の南部は山ばかりで道もないので行くのはやめて、白瀬川(しらしがーら)を渡って兼(かに)グスクの大港(うふんなとぅ)に戻った。サハチが役人たちと会って、タブチ(先々代八重瀬按司)たちの事を口止めしようとしたら、
「役人たちは入れ替えた方がいいですよ」とファイチが言った。
「黙っていろと言っても、酔っ払ったりしたらしゃべってしまうでしょう。タブチさんが生きていると誰かが知れば、その噂はあっという間に広まります」
「そうだな。入れ替えた方がいい」とウニタキも言った。
「しかし、あいつらを首里(すい)グスクに入れるわけにはいかんぞ。首里でもタブチは死んだ事になっているからな」
「キラマの島にでも連れて行くか」とウニタキが言った。
「キラマの島に送ってもやる事がないだろう」
伊平屋島(いひゃじま)はどうです?」とファイチが言った。
 伊平屋島伊是名島(いぢぃなじま)は伊平屋親方(いひゃうやかた)となったムジルが守っているが、役人を置いてはいなかった。山北王(さんほくおう)(攀安知)も役人を置いていたのだから、役人を置いた方がいいかもしれなかった。
「あの六人を伊平屋島に送って、新しい役人をここに送ろう」とサハチは言って、役所には寄らずに西の方へと向かった。ハンニー崎から島を囲むように長い珊瑚礁が伸びていた。水深はわからないが、ヤマトゥ(日本)船ならば、この中に入れば台風をやり過ごせるだろうと思った。
「腹が減ったなあ」とウニタキが言うと、チヌムイが知り合いの所に行こうと言って、馬を走らせた。
 ニシタキの山並みを右に見ながら馬を走らせて、堂の村に行く途中の海の近くに小さな集落があって、チヌムイはその集落に入って行った。一番奥にある屋敷の前でチヌムイは馬から下りると、屋敷の中に声を掛けた。可愛い娘が出て来て、笑顔でチヌムイを迎え、サハチたちを見た。
琉球にいた頃にお世話になった人たちなんだ」とチヌムイが娘に言った。
「具志川(ぐしちゃー)の若ヌルです」とチヌムイが娘を紹介した。
「お前もか」とウニタキが言って笑った。
 『具志川ヌル』の屋敷で昼食を御馳走になって、海辺に出て一休みした。母親の具志川ヌルはクイシヌ様と一緒にニシタキに登っているという。
「お前、どこで若ヌルと出会ったんだ?」とウニタキがニヤニヤしながらチヌムイに聞いた。
「堂の村で暮らし始めてから十日くらい経った頃、ここの近くにある『ミーフガー』という岩場で出会いました。マアサの事を思いながら海を見ていたら若ヌルがやって来たのです。どこから来たのって聞かれたので、琉球の事など話して、その時は別れました。お互いに名乗りもしなかったのですが、次の日、また会いたくなってミーフガーに行きました。海を眺めながら若ヌルの事を思っていたら、本当に現れたのです。そして、若ヌルと一緒にここに来ました」
「マアサの事は諦めたんだな?」とサハチは聞いた。
「マアサの父親を殺してしまった時に諦めました。でも、未練が残っていて‥‥‥若ヌルと出会って、その未練も薄れました。俺はこの島で生きて行く事に決めました」
「そうか。若い者たちを鍛えているそうだな。この島のために生きてくれ」
「はい」とうなづいたあと、「ウシャ兄(にい)もヌルといい仲になっているんです」とチヌムイは言った。
「なに、兄貴もか」とウニタキは驚いた。
「奥さんも子供もいるのに、ヌルといい仲になっているんです。ウシャ兄はこんな島から早く出たいと言っていたんですけど、そのヌルと出会った途端、ここはいい島だ。俺はこの島で生きる事に決めたと言って、カマンタ捕りを始めたのです」
「兄貴はどこのヌルに惚れたんだ?」とウニタキが聞いた。
「『大岳(うふたき)ヌル』です。どこで出会ったのか知りませんが、ウシャ兄は琉球に帰ると言って、親父を困らせていたので、大岳ヌルに感謝しなければなりません」
「ウシャは戦死した事になっていないので、戻る事はできるが、今はまだ時期が早すぎる。四、五年は大岳ヌルに引き留めてもらった方がいいな」
 海の近くに四方を険しい崖に囲まれた森があって、それが『具志川森(ぐしちゃーむい)』という古いウタキ(御嶽)だという。ササが喜びそうなウタキだとサハチは思った。
 久米島(くみじま)を一周してタブチの屋敷に帰ったが、ヌルたちはまだ帰っていなかった。タブチが用意してくれた酒を飲みながら待っていると、新垣ヌルだけが帰って来て、みんなはウタキに籠もる事になったと伝えた。
「安須森ヌル様も運玉森(うんたまむい)ヌル(ササ)様も凄いヌルですね。お山の神様に二人が引き留められて、みんなも付き合っています。その事を知らせるために、わたしだけが下りて来ました」
 新垣ヌルはファイチを連れて新垣に帰って行った。
「何で、ファイチだけがいい思いをするんだ?」とウニタキは言って、やけ酒を飲んだ。
「ファイチ殿は久米村を仕切っている。この島のヌルがファイチ殿と親しくなるのは、この島のためにもなるじゃろう」とタブチは笑った。
 翌日の正午(ひる)頃、ササたちは帰って来た。
「クミ姫様の神様に豊玉姫(とよたまひめ)様とスサノオの神様のお話をしたら、もっと聞かせてって言われて、一晩中、話していたのよ。もう疲れちゃったわ」とササは疲れ切った顔をして言った。
「クミ姫様は豊玉姫様の孫の子供か」とサハチが聞くと、
「孫の孫よ」とササは言った。
豊玉姫様の娘がアマン姫様、アマン姫様の娘が真玉添(まだんすい)姫様、真玉添姫様の娘がビンダキ姫様、ビンダキ姫様の娘がクミ姫様なの。クミ姫様も時々、琉球に帰って豊玉姫様には会っているんだけど、豊玉姫様も昔の事を一々話してくれないから、豊玉姫様がヤマトゥで何をしていたのかは知らなかったのよ。お話をしたら感激してね、今度、ヤマトゥに行く時、一緒に連れて行ってって頼まれちゃったわ。スサノオの神様に会いたいんですって」
「そうか。神様から頼まれたのならヤマトゥに行かなくてはならんな。来年は行って来いよ」
 サハチは嬉しそうな顔をして言ったが、
「来年は無理よ」とササはそっけなく言った。
「九月に南の島(ふぇーぬしま)に向かって船出して、帰って来るのは六月か七月になると思うわ」
「本気でミャーク(宮古島)とイシャナギ島(石垣島)に行くのか」
「勿論よ。マシュー姉(ねえ)(安須森ヌル)も英祖(えいそ)様の宝刀を探しに行くって行っているわ」
「愛洲(あいす)ジルーの船で行くのか」
「そうよ」
「神様が守ってくれると思うけど心配だよ」
「大丈夫よ。ミャークとイシャナギ島の人たちを琉球に連れて帰るわ」
 サハチが振り返ってウニタキを見たら、ウニタキの姿がなかった。
「ウニタキはどこに行った?」とササに聞くと、
「あそこにいるわ」と手で示した。
 見ると縁側に座って、ヌルと仲よく話をしていた。
「誰だ?」とサハチはササに聞いた。
「『堂(どう)ヌル』よ。なかなか色っぽい美人(ちゅらー)よ」
「ウニタキ、お前もか‥‥‥」
 堂ヌルは後ろ姿だけで顔は見えなかった。ウニタキのでれっとした顔は、すでに魂(まぶい)を奪われていた。二人から視線をササたちに戻すと、
「マシュー(安須森ヌル)はどうしたんだ?」とサハチは聞いた。
「クイシヌ様とお話をしているわ。同じくらいの年齢(とし)だから気が合うみたいよ」
按司様(あじぬめー)、あたしも神様の声が聞こえたのよ」とナナが嬉しそうに言った。
「ナナも立派な神人(かみんちゅ)になったな」とサハチは笑った。
 ウニタキは堂ヌルと一緒に出て行った。サハチだけが取り残されて、やけ酒を飲み始めた。
 ササたちも疲れたとみえて、隣りの部屋で横になっていた。サハチもうとうとしていたら、子供たちの声で目が覚めた。ササたちも起きてきて、これから『具志川森』に行くと言う。サハチも一緒に行く事にした。
 案内してくれたのは大岳ヌルだった。ウシャといい仲の大岳ヌルは、目鼻立ちのくっきりとした美人だった。ウシャがこの島に残る決心をしたのもわかる気がした。
 具志川森に行く前に『ミーフガー』に寄った。海辺に穴のあいた大きな岩があった。よく見ると二つの岩がぶつかっていた。サハチは知らないが、ササたちはセーファウタキ(斎場御嶽)の岩みたいと言っていた。
「女子岩(いなぐいわ)です」と大岳ヌルが言った。
「古いウタキなんですけど、今では子宝を祈願するウタキになっていて、いわれとかは伝わっていません。ササ様なら何かわかるのではありませんか」
 ササは穴の近くまで行ってお祈りを捧げた。シンシン、ナナ、大岳ヌルも従った。サハチもみんなの後ろでお祈りをした。
 サハチには神様の声は聞こえなかった。ササにも聞こえなかったらしく、お祈りを終えたあとに大岳ヌルを見て首を振った。
「クミ姫がこの島に来る前から信仰されていた岩よ。形がホー(女陰)に似ているから、創造と豊穣を祈ってきたの。特に神様はいないわ」とユンヌ姫の声が聞こえた。
「ありがとう」とササはユンヌ姫にお礼を言った。
「ユンヌ姫様も来ていたのか」とサハチはササに聞いた。
「昨日の夜、ニシタキの頂上で笛を吹いたの。そしたら、ユンヌ姫様がやって来て、クミ姫様も再会を喜んでいたのよ。ユンヌ姫様はクミ姫様の大叔母で、クミ姫様がお姉さんと一緒にこの島に来た時、ユンヌ姫様が付き添って来たらしいわ」
「ユンヌ姫様がいらしたのですか」と大岳ヌルがササに聞いた。
「はい。ここは古くから信仰されていたウタキだけど、特に神様はいらっしゃらないと言いました」
「そうでしたか」と言ったあと、大岳ヌルはサハチを見て、
按司様もユンヌ姫様の声が聞こえるのですか」と不思議そうに聞いた。
按司様は神人なんです」とササが笑いながら言った。
 大岳ヌルは驚いた顔してサハチを見つめた。
「女子岩があるという事は男子岩(いきがいわ)もあるのですか」とサハチが大岳ヌルに聞いた。
「あります。丁度、島の反対側の兼グスクの大港の近くにあります。小さな島で、『チーミムイ(知仁御嶽)』というウタキになっています」
「帰る時にお祈りをしよう」とサハチはササたちに言った。
 シンシンとナナは顔を見合わせて笑っていた。
 具志川ヌルの屋敷に寄ったら、ササたちは大歓迎された。
「昨夜(ゆうべ)のお話はとても為になりました。神様の事を調べるために何度もヤマトゥに行ったと聞いて、とても驚きました。昔のヌルはお船に乗って遠い国まで行ったようですが、今もそんな凄いヌルがいたなんて本当に驚きました。具志川森の神様たちも、きっとお喜びになると思います」
 ササたちは具志川ヌルの案内で、『具志川森』のウタキに向かった。サハチは大岳ヌルに誘われたが、ウタキには行かなかった。たとえ神人であっても具志川ヌルが守って来たウタキに男が入るべきではないと思っていた。
 サハチが縁側に座って空を眺めていると、
「具志川森は具志川ヌルの御先祖様のお墓なのよ」とユンヌ姫の声がした。
「具志川ヌルの御先祖様もクミ姫様とつながりがあるのか」とサハチはユンヌ姫に聞いた。
「クミ姫の孫娘よ。でも、具志川森はもっと古い神様も祀られているのよ」
「もっと古い神様というのはアマミキヨ様の一族なのか」
アマミキヨ様も琉球に行く前にこの島に来たけど、アマミキヨ様はウミンチュ(海人)だから、ここまでは来ないわ。『御願干瀬』の近くに一族が住み着いたのよ。ここに住み着いたのはお米(んくみ)を持って来た人たちよ」
「北目之大主(にしみぬうふぬし)が言っていたけど、やはり、お米は久米島から琉球に伝わって、奄美の島々を通ってヤマトゥまで行ったんだな」
「そうよ。この島にお米が伝わったのはアマミキヨ様が来るよりもずっと前の事みたい。でもね、お米を持って来た人より前に、シビグァー(タカラガイ)を求めて唐人(とーんちゅ)が来ていたのよ。その頃はこの辺りも海で、唐(大陸)から来た人たちの中継地になっていたみたい。ここで一休みしてから御願干瀬に行っていたのよ」
アマミキヨ様より古いとなると二千年以上も前の話か。そんな昔の事は想像もできないよ。ところで、ササたちがミャークに行くって張り切っているけど、本当に行けると思うか」
「行けるわ」とユンヌ姫は自信たっぷりに言った。
「どうやって?」
「イシャナギ島にいる『ウムトゥ姫』を呼んで、案内してもらうのよ」
「どうやって呼ぶんだ?」
「ビンダキ(弁ヶ岳)にいるお母さんに呼んでもらうのよ」
「成程、お母さんが呼べばウムトゥ姫はイシャナギ島から来るのか」
「来るわ。でも、この事はササには言わないでよ」
「どうして?」
「自分で考えなけりゃ駄目なのよ。この前、古いウタキをササに教えたら、お祖母(ばあ)様に怒られちゃったわ」
「ユンヌ姫様が豊玉姫様に怒られたのか」
 サハチが笑うと、ユンヌ姫は怒って、どこかに行ってしまった。
 蹄(ひづめ)の音が聞こえたと思ったら女子(いなぐ)サムレーの格好をした若ヌルが帰って来た。背中に木剣を背負った勇ましい姿だった。サハチがいるのに驚いて、軽く頭を下げた。馬を馬小屋に入れるとサハチの隣りに腰掛けて、
「チヌムイ様から聞きました。按司様もお強いんですってね」と言って笑った。
 可愛い笑顔だった。チヌムイもいい相手を見つけたなとサハチも嬉しくなった。
「チヌムイは弟弟子だよ」
「馬に揺られながら考えていたんですけど、武当拳(ウーダンけん)でわからない所があるんです。ご指導お願いします」
 サハチは喜んで、若ヌルに武当拳の指導をした。
 ササたちがウタキから戻って来た。具志川ヌルが夕食を御馳走すると言ったが、明日の朝が早いのでとササは断って、具志川ヌル母子(おやこ)と別れた。大岳ヌルも自分の屋敷に帰って行った。
 タブチの屋敷にファイチもウニタキも帰って来なかった。サハチはタブチを相手に酒を飲んだ。昨夜も食べたが、採れたてのヤコウガイはうまかった。
 翌朝、ササに起こされた。南部にあるアーラタキ(阿良岳)に登るという。案内をするのは堂ヌルで、ウニタキも一緒だった。
 ウニタキはサハチの顔を見るとニヤニヤしながら、「久米島は最高だ」と言った。
「俺にとっては面白くない」とサハチは言った。
 安須森ヌル、ササ、シンシン、ナナ、堂ヌル、ウニタキ、サハチが馬に乗って、島の南部にある儀間(じま)という村に行って『アーラヌル』と会った。アーラヌルは美人かもしれないとサハチは期待をしたが、五十歳を過ぎた威勢のいいヌルだった。
 アーラヌルの案内で、小舟(さぶに)に乗ってアーラタキの裾野にあるアーラ浜に行き、そこから上陸した。この浜の近くにアーラ崎という村があったが、三百年前に津波にやられてしまったという。当時はアーラヌルの屋敷もその村にあったらしい。古い村の跡地にあるウタキでお祈りしてからアーラタキに登った。
「ここを襲った津波って、久高島(くだかじま)を襲った津波と同じかしら?」とシンシンがササに聞いた。
「三百年前だから、きっと同じ津波だわね」とササは言って、
津波で村の人たちも亡くなってしまったのですか」とアーラヌルに聞いた。
「神様のお告げがあって、皆、お山に登って助かったのですよ」
「そうでしたか。よかったわ」とササはシンシンを見て笑った。
 アーラヌルと一緒に、ウニタキは堂ヌルと仲よく先頭を行き、サハチは最後尾に従った。安須森ヌルが振り返って、
「ファイチさんもウニタキさんも美人のヌルには弱いのね」と笑った。
「まったく情けないよ」とサハチは首を振った。
「お兄さんには現れなくてよかったわね。お姉さんに嘘をつかなくて済みそうだわ」
「大丈夫だよ。俺はあの二人とは違う」
 山頂近くにウタキがあって、サハチとウニタキは見晴らしのいい所で、ヌルたちのお祈りが終わるのを待った。
「フカマヌルに言ってやろうかな」とサハチは海を眺めながらウニタキに言った。
「やめろよ。大人げない」とウニタキは手を振った。
「男三人で楽しい旅をしようって来たのに、どうなってんだ。お前もファイチもヌルに魂(まぶい)を抜かれちまって」
「仕方ないだろう。出会ってしまったんだからな。お前だってわかるはずだ。ヌルに惚れられたらどうする事もできないんだ」
「まったく面白くないよ」
 お祈りが終わってサハチたちの所に来たササは、
「ここにはウムトゥ姫様は来ないわ」と言った。
「クミ姫様の娘の『アーラ姫様』がいて、ウムトゥ姫様はここからイシャナギ島に行ったあと、ここには一度も来ていないと言ったの。イシャナギ島まで行かなければ、ウムトゥ姫様には会えないわ」
 ユンヌ姫から聞いた事が喉元まで出掛かっていたが、サハチはじっと堪(こら)えて、「ウムトゥ姫様を呼べばいいんじゃないのか」と言った。
「どうやって呼ぶの? 名前を叫んだって、イシャナギ島まで聞こえないわ」
「クミ姫様に呼んでもらえば?」とシンシンが言った。
「妹が呼んだら、お姉さんが来るかしら?」とナナが言った。
「お姉さんは妹に追い出されたような感じだから、呼んでも来ないかもしれないわね」とササが言った。
「お母さんが呼んだら来るんじゃないの?」と安須森ヌルが言った。
 ササは安須森ヌルを見て、「それよ」と手をたたいた。
「ビンダキのお母さんに呼んでもらえばいいのよ。そして、一緒に行けばイシャナギ島まで行けるわ」
 ササとシンシンとナナは手を取り合って大喜びした。それを見ながら安須森ヌルも笑っていた。
「うまく行ったわね」とユンヌ姫の声がサハチに聞こえた。
「この山にはウムトゥ姫様よりも古い神様がいたわ」と安須森ヌルがサハチに言った。
アマミキヨ様の一族の人たちがこの山を拠点にしていたみたい。アーラ浜でシビグァーを採っていたのかしら」
「二千年も前の事だからな。どこの浜でも採れたんだろう」
「古い神様から南の方(ふぇーぬかた)にシビグァーが採れる島がある事を聞いたウムトゥ姫様は、イシャナギ島を目指して船出したのよ」
「そうか。ウムトゥ姫様も神様の案内で南の島まで行ったんだな」
「きっと、そうだと思うわ」
 アーラタキから帰って、チヌムイの武術道場でサハチが若い者たちを鍛えていたら、ウニタキが堂ヌルと一緒にやって来た。
「お前に会いたいという人がいる」とウニタキがサハチに言った。
「誰だ? お祖父(じい)(サミガー大主)の所にいたというウミンチュか」
 ウニタキは笑って、「そうじゃない。クイシヌ様だよ」と言った。
「クイシヌ様?」
「堂ヌルと一緒にさっき会ったんだ。思っていた通りの美人だったよ。四十過ぎだと聞いていたけど、とてもそんな年齢(とし)には見えない。もっとも、安須森ヌルも四十過ぎには見えないけどな。見た感じは堂ヌルより少し年上といった所だ。俺にはよくわからんが、ヌルとしての貫禄というか、存在感というか、言葉ではうまく言い表せないが、やはり、ほかの人とは違う何かが感じられた。お前に会わせてくれって安須森ヌルに頼んだようだけど、連れて来てくれないとぼやいていたよ」
 サハチはウニタキたちと一緒にクイシヌの屋敷に向かった。
 一目会った瞬間、サハチはクイシヌに魂を奪われた。その後、どうなったのかはわからない。気がついたら星空の下、ニシタキの山頂で一節切(ひとよぎり)を吹いていた。
 吹き終わって一節切から口を離すと、
「素晴らしいわ」とクイシヌが言って、酒の入った瓢箪(ちぶる)を差し出した。
 サハチは瓢箪を受け取って、一口飲んだ。うまいヤマトゥ酒だった。
「あなたの妹さん、こうなる事がわかっていて、会わせてくれなかったのよ」とクイシヌは笑った。
「もっと早く会いたかったよ」とサハチは瓢箪をクイシヌに返した。
 クイシヌは笑って、酒を一口飲むと風呂敷包みを広げた。中には籠(かご)が入っていて、蓋(ふた)を開けるとおいしそうな料理が詰まっていた。
「いつか、こんな時が来るって、わたし、いつも夢に見ていたのよ」とクイシヌは言った。
 クイシヌはサハチを見つめると、「やっと、夢がかなったわ」と嬉しそうに笑った。
「わしも仲間に入れてくれ」と声がした。
 空耳かと思ったサハチは、
「今の声、聞こえた?」とクイシヌに聞いた。
「聞こえたけど、誰なの?」
スサノオの神様のような声だった」とサハチが言うと、
「えっ!」と驚いて、クイシヌは空を見上げた。
 サハチも首を傾げながら空を見上げると、突然、まぶしい光に包まれた。とっさに目をつむって、目を開けると、目の前にスサノオとユンヌ姫の姿があった。
琉球の近くにこんな美しい島があったとは知らなかったぞ」とスサノオが言った。
「びっくりするわ、もう。突然、現れるんですもの」とユンヌ姫がスサノオに言った。
 スサノオはサハチが思い描いていた通りの威厳のある神様だったが、ユンヌ姫は思っていたよりもずっと可愛かった。
「サハチの一節切が聞こえたんじゃよ。ユンヌ姫も一緒にいたんで、やって来たんじゃ」
 スサノオの神様を見たクイシヌは感激して、姿勢を正して両手を合わせていた。
「無礼講じゃ。いちいち挨拶などいらん」とスサノオはクイシヌに言った。
 クイシヌは笑って、スサノオに瓢箪を差し出した。スサノオは受け取ると一口飲んで、「うまいのう」と言って、ユンヌ姫に瓢箪を渡した。
 ユンヌ姫も一口飲んで、「おいしい」と笑った。
 また、光ったと思ったら、今度はクミ姫が現れた。
「大叔母様、わたしにも飲ませてください」とクミ姫が手を伸ばした。
 ユンヌ姫は笑って、クミ姫に瓢箪を渡した。クミ姫はユンヌ姫を大叔母と呼んだが、二人は姉妹のように見えた。
「御先祖様のスサノオ様に会えるなんて、まるで夢のようです」とクミ姫が嬉しそうに言った。
「わたしなんて感激しすぎて、何が何だかわからない状態です」とクイシヌが言って、料理をみんなの前に差し出した。
「サハチよ。一節切を聴かせてくれんか」とスサノオが言った。
 サハチはうなづいて一節切を吹き始めた。
 夜の更けた山の中に幻想的な笛の調べが流れて、神様たちの周りを蛍が光りながら飛び回っていた。

 

 

 

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2-151.久米島(改訂決定稿)

 六月五日、今年最初の進貢船(しんくんしん)が出帆した。南部の戦(いくさ)騒ぎで半年も遅れた船出だった。
 正使はサングルミー(与座大親)、副使は久米村(くみむら)の唐人(とーんちゅ)の韓完義(ハンワンイー)で、クグルー(泰期の三男)と馬天浜(ばてぃんはま)のシタルーが従者として乗り、各按司の家臣たちも従者として乗っていた。戦で活躍した褒美(ほうび)に、いつもより倍の商品を手に入れた按司たちは、泉州の『来遠駅(らいえんえき)』で上手い取り引きをして来ようと張り切っていた。
 島添大里(しましいうふざとぅ)の従者はサハチ(中山王世子、島添大里按司)の五男のマグルーとウニタキ(三星大親)の長男のウニタルだった。二人とも唐旅(とーたび)から帰って来たら婚礼を挙げる事になっている。マグルーの花嫁はンマムイ(兼グスク按司)の長女のマウミ、ウニタルの花嫁はサハチの次女のマチルーだった。
 長男のサグルーが山グスクに行って、三男のイハチが具志頭(ぐしちゃん)グスクに行ったので、島添大里グスクにいるのはマグルーだけだった。マグルーが明国(みんこく)に行くとサハチが島添大里グスクを守らなければならなくなるが、シタルー(先代山南王)がいなくなった今、大丈夫だろうと送り出したのだった。
 サムレー大将は首里(すい)十番組の苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)で、浦添(うらしい)一番組のサムレーも一緒に行った。浦添のサムレーたちを率いていたのは飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)だった。
「しばらく浦添に落ち着いていたので、旅がしたくなりました」と言って修理亮は笑った。
「ヤマトゥ(日本)は明国との交易をやめてしまった。明国に行った事があれば、ヤマトゥに帰った時に、何かと役に立つだろう。俺は何を見ても驚いたが、ヤマトゥンチュ(日本人)の修理亮が見ても驚く事がいっぱいあるだろう。見聞を広めて来い」とサハチは修理亮を送り出した。
 いつも強気の浦添ヌルのカナが心配そうな顔をして見送っていた。
 進貢船が旅立った二日後、サハチはウニタキ(懐機)、ファイチと一緒にちょっとした旅に出た。三人で旅をするのは五年前のヤマトゥ旅以来で、行き先は久米島(くみじま)だった。
 七年前に明国に行く時、久米島には寄ったが、港の周辺を見ただけだった。旅の目的はタブチ(先々代八重瀬按司)たちの様子を見に行くのとタブチの奥さんを送り届ける事だが、ついでに、島内を散策するつもりだった。
 一緒に行くのは安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)とササ(運玉森ヌル)たちだった。ササたちを連れて行くつもりはなかったが、ササが感づいて、一緒に行くと言い出した。
久米島には『アマン姫様』の曽孫(ひまご)の『クミ姫様』がいらっしゃるのよ。挨拶に行かなければならないわ」とササは言った。
 アマン姫の娘に『真玉添(まだんすい)姫』がいて、真玉添姫の娘に『ビンダキ姫』がいる。ビンダキ姫には三人の娘がいて、長女は母親の跡を継ぎ、次女はイシャナギ島(石垣島)に行って『ウムトゥ姫』になり、三女は久米島に行って『クミ姫』になったという。
 ササは首里のビンダキ(弁ヶ岳)のウタキ(御嶽)で、ビンダキ姫の神様の声を聞いて、その事を知ったという。イシャナギ島に行く前に、久米島にはどうしても行かなければならないと言った。
 久米島には死んだはずのタブチがいるので、若ヌルたちは連れて行けなかった。彼女たちを信じないわけではないが、ついうっかりとしゃべってしまう危険があった。ササは若ヌルたちをサスカサ(島添大里ヌル)に預ける事にした。サスカサは安須森若ヌルも預かっていたので、五人の若ヌルの面倒を見なければならない。さらに、島添大里グスクの留守も、ナツと一緒に守らなければならなかった。
 ヒューガ(日向大親)の船に乗り込んだサハチ、ウニタキ、ファイチは久し振りの旅にウキウキしていた。
琉球に来る時、密貿易船に乗って来たのですが、久米島にも密貿易船が何隻か泊まっていました」とファイチが言った。
久米島に密貿易船?」とサハチは不可解に思って、「久米島で何を仕入れるんだ?」と聞いた。
「シビグァー(タカラガイ)ですよ。明国の僻地に雲南(ユンナン)という所があります。そこではシビグァーが銭(じに)の代わりに使われているそうです。密貿易船はシビグァーを大量に積んで帰って、雲南に持って行って稼ごうとしたのです。久米島は古くからシビグァーの産地として、明国でも有名なようです」
永楽帝(えいらくてい)がシビグァーを欲しがっているのも、そのためだったのか」とサハチは納得した。
雲南は『大理(ダーリー)』という国だったのですが、洪武帝(こうぶてい)に滅ぼされたのです。雲南には銀が採れる山があるので、領内に組み入れたようです。採れた銀とシビグァーを交換しているのでしょう」
「シビグァーは今でも有力な商品というわけだな」
 話を聞いていたササが、
「シビグァーは『シャム(タイ)』の国でも銭の代わりとして使われているのよ」と言った。
「なに、シャムの国でもか」とサハチは驚いた。
「武寧(ぶねい)(先代中山王)の頃、シャムの船が琉球に来て、大量のシビグァーを積んで帰ったって、安謝大親(あじゃうふや)が言っていたわ」
「シャムの国か。いつかは行かなくてはならんな」とサハチが言うと、
今帰仁(なきじん)攻めが終わったら行こうぜ」とウニタキが楽しそうに言った。
「あたしたちも行くわ」とササが言って、ナナとシンシンを見た。
 二人は嬉しそうにうなづいた。
 断っても無駄だと思ったサハチは笑うだけで何も言わなかった。
 ササたちが、ヒューガと話をしている安須森ヌルの所に行くと、
「昨夜(ゆうべ)、知らせが来たんだが、湧川大主(わくがーうふぬし)の奥さんが亡くなって、鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めは来年に延期になったようだ」とウニタキが言った。
「亡くなったか‥‥‥」とサハチは驚いた。
「病弱な人だったが、面倒見のいい人だったようだ。鬼界島で戦死した兵たちの家族たちにも一人一人きちんと挨拶に回っていたという。奥さんが亡くなった日、今帰仁の城下はシーンとなって、皆が悲しんでいたそうだ」
「そうか。会った事はないが、遠くから冥福(めいふく)を祈ろう」
 サハチは北を向くと両手を合わせた。
 天気はよかったが風に恵まれず、その日はキラマ(慶良間)の島に泊まった。サハチがまた来たので、マニウシたちは驚いた。サハチはマニウシに、長男の外間親方(ふかまうやかた)が今帰仁攻めが終わったら、この島に来て、マニウシの跡を継ぐと言った事を伝えた。
「なに、シラタルが跡を継ぐと言ったのか」とマニウシは驚いた。
「外間親方も久高島(くだかじま)の事を心配していて、今帰仁攻めが終わったら、久高島に帰ろうかと考えていたようです。親父が帰るのなら、俺がこの島に来て、親父の跡を継ぐと言いました」
「そうか。シラタルが来てくれるか」
 マニウシは妻と一緒に喜んだ。
 サハチは何も気づかなかったが、ウニタキとアミーの様子が変だとファイチが言った。ファイチに言われて二人を見ると、確かに何となく変だった。
「アミーと何かあったのか」とサハチが聞くと、
「何もない」とウニタキは言ったが、サハチは気になってアミーにも聞いてみた。
 アミーはしばらく黙っていたが、「何もないわ」と笑った。
 ウニタキがアミーを口説いて、ふられたのかもしれないとサハチは思った。
 次の日の正午(ひる)頃、久米島に着いた。サハチは一節切(ひとよぎり)、ウニタキは三弦(サンシェン)、ファイチはヘグム(奚琴)を持って来ていて、船の上で演奏をして船乗りたちに喜ばれた。安須森ヌルとササたちも負けるものかと横笛を吹いて、楽しい船旅となった。
 島の西側、兼(かに)グスクの大港(うふんなとぅ)に着くと役人を乗せた小舟(さぶに)が近づいて来た。翁長之子(うながぬしぃ)と名乗った役人はヒューガを知っていて、サハチがいる事に驚いた。
「大げさな出迎えはいらない。ただ、隠居してこの島に来た者たちに会いに来ただけだ」とサハチは言った。
 翁長之子は恐縮して、サハチたちが上陸すると、『兼グスク之比屋(ぬひや)』という長老のもとへ連れて行ってくれた。ヒューガは五日後に迎えに来ると言って帰って行った。
「進貢船の正使を務めていた八重瀬(えーじ)殿(タブチ)が隠居して、この島に来るなんて驚きました」と翁長之子は歩きながら言った。
「八重瀬殿の家族たちは『堂之比屋(どうぬひや)』殿に頼んで、ナーグスク大主(先々代伊敷按司)殿の家族たちは兼グスク之比屋殿に頼みました」
「この辺りを兼グスクと呼んでいるのは、兼グスクというグスクがあるのか」とサハチは翁長之子に聞いた。
「昔、あったようです。浦添から来た役人がグスクを築いて、大港を管理していたようです。その役人の子孫が兼グスク之比屋です」
「そのグスクを築いたのは、いつ頃の事なんだ?」
「今の兼グスク之比屋は七代目だと言っていますので、百年、いや、もっと前の事だと思います」
 ここにグスクを築かせたのは英祖(えいそ)かもしれないとサハチは思った。
 兼グスク之比屋は長老らしい立派な屋敷に住んでいた。長老と呼ばれる程の年齢ではなく、五十歳前後の男だった。サハチが中山王(ちゅうさんおう)の世子(せいし)(跡継ぎ)だと知ると一瞬驚いたようだったが、にこやかに笑って歓迎してくれた。
 サハチが思っていた通り、兼グスクを築いたのは英祖の家臣だった。その頃、久米島には宋(そう)の国の商人たちがタカラガイヤコウガイを求めてやって来ていて賑わっていたという。やがて、宋の国が元(げん)の国に滅ぼされると商人たちも来なくなった。そして、琉球が戦世(いくさゆ)になると、久米島にいた役人たちも忘れ去られてしまって、この島に土着したらしい。
 サハチが久米島の歴史をもっと知りたいと言ったら、『北目之大主(にしみぬうふぬし)』を紹介しますと言った。北目之大主は先代の北目之比屋(にしみぬひや)で、隠居して、過去の事を色々と調べているという。
 サハチたちは兼グスク之比屋の案内で、ナーグスク大主たちが住む屋敷に行った。思っていたよりも立派な屋敷で暮らしていたので、サハチは安心した。
 ナーグスク大主は留守だったが、奥さんが出て来て、タブチの奥さんと再会を喜んだ。ナーグスク大主はお世話になっている村(しま)の人たちのために、野良(のら)仕事を手伝っているという。
按司の息子に生まれたために按司になってしまったけど、若い頃から田畑で働きたかったと言っていました。按司だった頃はいつも難しい顔をしていましたが、この島に来てからは毎日、楽しそうに笑っています。毎晩のように村の人たちがやって来て、一緒にお酒を飲んで騒いでいますよ」
 そう言って奥さんは楽しそうに笑った。
 安須森ヌルから玻名(はな)グスクの事を聞いたナーグスク按司(ナーグスク大主の次男)の妻は、泣き叫びながら屋敷の中に入って行った。ナーグスク按司の妻は玻名グスク按司の妹で、父と二人の兄を失い、生まれ育った玻名グスクも失っていた。
 ナーグスク大主の奥さんも長男の伊敷按司(いしきあじ)が戦死したと聞いて悲しんだ。真壁按司(まかびあじ)の娘だった奥さんは、二人の兄、山グスク大主(先々代真壁按司)と真壁大主(武術師範)も失っていた。
 日が暮れないうちに、タブチに会いたかったので、また改めて来ると言って、サハチたちはナーグスク大主の屋敷をあとにして、兼グスク之比屋の案内で、北目之大主に会いに向かった。タブチのいる堂の村(どうぬしま)は北目(西銘)の村よりもさらに北にあるらしい。
 北目の村には四半時(しはんとき)(三十分)も掛からなかった。右側に山々が連なっているのが見えて、「あの山がニシタキかしら?」とササが言った。
「手前にあるのが富祖古岳(ふーくたき)、その奥が大岳(うふたき)、右の方にある一番高い山がニシタキ(北岳、後の宇江城岳)です」と兼グスク之比屋が説明して、「どの山も神聖な山ですので、ヌルの許可がなくては山には入れません」と言った。
「ニシタキに『クミ姫』の神様がいらっしゃるのですね?」とササが聞いたら、兼グスク之比屋は首を傾げてから、
「クミ姫様かどうかは存じませんが、この島の神様はニシタキにいらっしゃいます。堂の村はニシタキの向こう側にあります」と言った。
 古いウタキらしいこんもりとした森の裾野に北目之大主の屋敷はあった。その屋敷の隣りに『新垣(あらかき)ヌル』の屋敷があって、安須森ヌルとササたちは新垣ヌルに挨拶に行った。サハチたちは北目之大主に歓迎されて、久米島の歴史を聞いた。
「あまりにも昔の事なので、本当かどうかはわかりませんが、南の国(ふぇーぬくに)からこの島にお米(んくみ)が伝わって、それが琉球に伝わって、さらに北上して、奄美の島々に伝わって、ヤマトゥの国にも伝わったようです」と北目之大主はシワに囲まれた目を輝かせて言った。
「それで、米の島(くみぬしま)と呼ばれるようになったのですね」とサハチが言うと、北目之大主は首を振った。
「そうではないようです。お米の事を昔はユニ(ヨネ)と言っていました。お米がユニと呼ばれていた頃も、この島はクミ島と呼ばれていたようです。クミにはお米とは別の意味があるようですが、今となってはわかりません。稲作を始めたのと同時に、貝の交易もして、この島は栄えて行きます。島で採れるシビグァーやヤクゲー(ヤコウガイ)を求めて唐人(とーんちゅ)たちが大勢やって来て、唐の品々と交換していたのです。ヤマトゥからも貝殻を求めてやって来たようです。あちこちの海辺で、古い土器や古い銭(じに)が見つかっています」
「それほど栄えていたのに、王様とかは現れなかったのですか」とファイチが聞いた。
「王様も按司も現れません。昔からこの島はニシタキの『クイシヌ様』が治めております。クイシヌ様のお告げに従って、この島を守って参りました」
「この島の主(ぬし)になって、シビグァーを独り占めにしようとする悪い奴は来なかったのですか」とウニタキが聞いた。
「そんな輩(やから)もいたようですが、皆、神罰が下って退散しました」
神罰とはどんな事が起こったのですか」とウニタキが興味深そうな顔をして聞いた。
「台風にやられて逃げて行った者もいたようです。雷に打たれて亡くなった者もいたようです。この島の東方(あがりかた)に『御願干瀬(うがんびし)(はての浜)』があって、そこはシビグァーの産地です。それを独占しようと近くの山にグスクを築いた塩原按司(すはらあじ)というのがいましたが、琉球から来た中山王の察度(さとぅ)の兵に滅ぼされました。その後は按司が現れる事もなく、平和に暮らしております」
「クイシヌ様というのはヌルですか」とサハチは聞いた。
「そうです。ニシタキにおられる久米島の神様にお仕えしています。昔はこの村(しま)にお屋敷があったそうですが、今は堂の村にお屋敷があります」
「クイシヌ様はいつからこの島にいるのですか」
「遙か昔からおられます」
「という事は代々、クイシヌ様を継いでいるという事ですね。娘さんが跡を継ぐのですか」
「実の娘とは限りません。選ばれた娘が跡を継ぐ事になります。クイシヌ様を継ぐには高いシジ(霊力)が必要です。神様の声が聞こえない者には務まりません。選ばれた娘は神様に導かれてニシタキに登ります。そして、厳しい修行の末に、クイシヌ様の跡を継ぐ事になります」
「今まで途絶えた事はないのですか」とファイチが聞いた。
「途絶えそうになった事はあったようです。でも、クイシヌ様がお亡くなりになったあと、クイシヌ様にお仕えしていたヌルが神懸(かみがか)りして、跡を継いだようです」
「クイシヌ様には夫はいるのですか」とウニタキが聞いた。
「神様に選ばれた男が夫になる事もあります。今のクイシヌ様は先代のクイシヌ様の娘です。今のクイシヌ様は四十歳を過ぎましたが、夫になる男は現れませんでした。跡を継ぐ若ヌルもいませんので、皆が心配していましたが、去年、琉球から来られた李白法師(りーばいほうし)(タブチ)殿の娘さんが跡継ぎになりそうです」
「なに、ミカ(八重瀬若ヌル)がクイシヌ様の跡継ぎなのか」とサハチは驚いた。
 ウニタキとファイチも驚いていた。
「まだ正式には決まっておりませんが、クイシヌ様はミカ様を大層可愛がっておられます」
 ヌルとしてのミカをサハチは知らないが、ヂャンサンフォン(張三豊)のもとで修行をしているので、シジも高いのかもしれなかった。
「クイシヌ様に会う事はできるのですか」とウニタキが聞いた。
「お山に入っていなければ会う事はできます。この島を治めているヌルですが、豪華な御殿(うどぅん)に暮らしているわけではありません。普通のヌルと同じような暮らしをしていますので、誰でも会う事はできます。琉球から来られたお方なら歓迎してくれるでしょう」
 サハチたちは北目之大主にお礼を言って別れ、隣りの新垣ヌルの屋敷に行った。
 安須森ヌルもササたちもいなかった。お婆が出て来て、ヌル様はお客様を連れて、新垣森(あらかきむい)のウタキに行ったと言った。ウタキに男は入れないので、サハチたちは帰って来るのを待った。
 しばらくして帰って来たササは、サハチを見ると、「凄い事がわかったのよ」と興奮した口調で言った。
「よほど重要な事らしいな」とウニタキが笑った。
「そうよ。すごく重要な事よ」
 そう言ってササは深呼吸をしてから話を続けた。
「この裏にある古いウタキは、琉球から来られた『クミ姫様』がしばらく暮らしていた場所なのよ。でも、クミ姫様は一人じゃなかったの。お姉さんの『ウムトゥ姫様』も一緒にいたのよ。やがて、クミ姫様はニシタキに登って、ウムトゥ姫様は南にあるアーラタキに登ったの。でも、アーラタキはニシタキよりも低いので、お姉さんとしては我慢できなかったみたい。それで、ウムトゥ姫様はイシャナギ島に行ったのよ」
 ササは興奮したままそう言うが、サハチたちには何が重要なのか、さっぱりわからなかった。
按司様(あじぬめー)、わからないの?」
 サハチはウニタキとファイチを見てから首を傾げた。
「ウムトゥ姫様はここからイシャナギ島に行ったのよ。その跡をたどって行けばイシャナギ島に行けるのよ」
「そうかもしれんが、どうやって、たどって行くんだ?」とサハチは聞いた。
「それはまだわからないけど、ここからイシャナギ島に行ける事は確かだわ。一歩、前進したのよ」
「そのイシャナギ島というのはミャーク(宮古島)の近くにあるのか」
「近くのはずよ。島がいくつもあって、島伝いに行けるはずだわ」
「そろそろ行きましょう」とファイチが言った。
「そうだな」とサハチがうなづいた時、ファイチをじっと見つめている新垣ヌルに気づいた。
 サハチはウニタキに新垣ヌルを見ろと目で合図をした。ウニタキは新垣ヌルを見て、そして、ファイチを見て笑った。
 安須森ヌルが新垣ヌルにお礼を言って別れようとしたら、新垣ヌルも一緒に行くと言った。
「久し振りにクイシヌ様にご挨拶に行くわ」と言ったので、兼グスク之比屋は新垣ヌルに案内を頼んだ。
 サハチたちは兼グスク之比屋にお礼を言って別れた。
 富祖古岳、大岳を右に見ながら北上して、大岳からニシタキに連なる山々を右に見ながら東へと向かった。
 ファイチは新垣ヌルと仲よく話をしながら歩いていた。
「ファイチは新垣ヌルのマレビト神だぞ」とウニタキがサハチに言った。
「間違いないな」とサハチは二人を見ながら笑った。
「年の頃は三十ちょっとといった所か。なかなかの美人(チュラー)だし、ファイチが羨ましいよ」
「しかし、ヌルに惚れられたらあとが怖いぞ。ファイチはこの島から帰れないかもしれないな」
「そいつはうまくないだろう」
「別れられなければ、一緒に琉球に連れて行くさ」
「それもまずいな。来月にメイファン(美帆)がやって来る。騒ぎになるぞ」
 景色を見ながらのんびりと歩いたが、一時(いっとき)(二時間)も掛からないうちに堂の村に着いた。
 新垣ヌルの案内で、堂之比屋の屋敷に向かい、堂之比屋の案内で、タブチたちが暮らしている屋敷に向かった。
 屋敷の庭に入って驚いた。大勢の子供たちがいて、タブチから読み書きを教わっていた。タブチは相変わらずの坊主頭で、サハチたちに気づくと目を丸くして驚き、嬉しそうな顔をして屋敷から庭に降りて来た。
「島添大里(しましいうふざとぅ)殿、よく来てくれたのう」
「奥さんをお連れしました」
「そうか。すまんのう」と言って、タブチは妻を見た。
「元気そうなので安心しました」と奥さんはタブチを見て嬉しそうに笑った。
「タブチ殿が読み書きのお師匠をしているとは驚きましたよ」とウニタキが言った。
「堂之比屋殿に頼まれてのう。わしの知っている事を子供たちに教えようと決めたんじゃ。いつの日か、この島から進貢船の使者になる者が出るかもしれん」
「期待していますよ。素晴らしい人材を育てて下さい」とサハチは言った。
 今日はこれでおしまいじゃと言ってタブチは子供たちを帰した。
 安須森ヌルとササたちは新垣ヌルと一緒に、ニシタキヌルのクイシヌ様に会いに行った。
 サハチたちは屋敷に上がって、タブチに山南王(さんなんおう)の戦(いくさ)の結末を話した。長男のエータルー(先代八重瀬按司)の戦死を知ると、
「馬鹿な奴じゃ」とタブチは目を潤ませた。
「タブチ殿もチヌムイ(タブチの四男)も、エータルーと一緒に戦死した事になっています。もし、エータルーが戦死しなかったら、他魯毎(たるむい)(山南王)はチヌムイを探すために、ここまで兵を送ったかもしれません。エータルーの決断によって、追っ手が来る事はないでしょう。ただ、この島には山南王の進貢船が来ます。ナーグスク殿は見つかっても大丈夫でしょうが、タブチ殿が生きている事は絶対に隠さなくてはなりません」とサハチは言った。
「兼グスクにいる役人たちは、わしの事を知っているからのう。口止めしなくてはならんのう」
「タブチ殿が生きている事を知っているのは数人だけです。中山王の家臣たちも戦死したと思っています。役人たちには俺からも口止めしておきましょう」
「迷惑を掛けてすまんのう」
「チヌムイはどうしています?」とウニタキが聞いた。
「村(しま)の若い者たちに武芸を教えているんじゃよ。ミカはこの島のヌルのクイシヌ様に気に入られてのう。クイシヌ様にお仕えしているんじゃ」
「安須森ヌルになった佐敷ヌルたちがクイシヌ様に会いに行っています」とサハチは言った。
「クイシヌ様というのは凄いヌルらしい。島の者たちは神様のように尊敬しているようじゃ。妹の八重瀬ヌルもクイシヌ様に仕えているんじゃよ。それで、八重瀬グスクは今、どうなっているんじゃ?」
「マタルーが八重瀬按司になりました」
「なに、マタルーが八重瀬按司か」
「エーグルー(タブチの三男)は新(あら)グスク按司のままです」
「そうか。マタルーなら大丈夫じゃろう。ところで、山南王になった摩文仁(まぶい)(先々代米須按司)じゃが、察度の御神刀(ぐしんとう)を持っていなかったか」
「察度の御神刀?」
 何の事だかサハチにはわからず、ウニタキを見たがウニタキも知らないようだった。
「わしの親父(汪英紫)が察度からもらったという刀で、山南王の執務室に飾ってあるんじゃよ。親父はその刀のお陰で、山南王になったと妹の八重瀬ヌルから聞いて、わしはその刀を腰に差して、山南王になる決意を固めたんじゃ。しかし、わしは負け戦をして、大勢の兵を死なせてしまった。あとになってわかったんじゃが、その刀は察度の孫である他魯毎を山南王にするために、わしを利用していたんじゃよ。親父が山南王になったのも、察度の倅の武寧を守るためだったんじゃ。摩文仁が山南王になろうと決心したのも、その刀のせいのような気がするんじゃよ」
他魯毎を山南王にするために、タブチ殿を利用したというのはどういう意味ですか」とファイチが聞いた。
他魯毎はずっと豊見(とぅゆみ)グスクにいたので、山南王になるための修行をしておらんのじゃよ。急に山南王になっても何もわからず、重臣たちの言いなりになってしまうかもしれん。それで、試練を与えるために、わしに敵対させたんじゃよ。結果を見れば、他魯毎に敵対していた勢力は一掃された事になる。察度の思い通りになったわけじゃ」
「いつも冷静だった摩文仁が、周りが見えなくなって山南王に執着したのも、察度の御神刀のせいかもしれませんね」とサハチは言った。
「ちょっと待て、摩文仁だって察度の息子だろう。どうして、息子よりも孫を選んだんだ?」とウニタキが聞いた。
摩文仁よりも山南王妃の方が察度にとっては可愛かったんじゃないですか」とファイチが言った。
「そうかもしれんな」とサハチも思った。
「山南王妃の母親は武寧と同じ高麗美人(こーれーちゅらー)だ。その高麗美人は、察度の最初の妻が亡くなったあと、王妃になっている。察度はその高麗美人に惚れていたのかもしれん。そして、山南王妃は母親によく似ていたのだろう」
 堂之比屋が酒と料理を持ってやって来た。酒はヤマトゥの酒だった。久米島は中山王と交易をしている。米やシビグァーなどを持って行って、ヤマトゥの品々や明国の品々と交換していた。ヤマトゥの酒もそうやって手に入れたのだろう。サハチたちは遠慮なく御馳走になった。
「ウシャ(タブチの次男、喜屋武按司)はどうしているのですか」とサハチはタブチに聞いた。
「ウシャはカマンタ(エイ)捕りをやっているんじゃよ」
「えっ!」とサハチは驚いた。
「この島に来た当初は退屈だと嘆いていたんじゃが、海に出て、カマンタ捕りをしているウミンチュ(漁師)と出会ってな。今は夢中になって海に潜っているんじゃ。ナーグスクの倅も一緒にやっておるんじゃよ。そのウミンチュは若い頃、馬天浜でカマンタ捕りをやっていたらしい。今でも、捕ったカマンタは馬天浜に持って行くそうじゃ」
「久し振りに俺たちも潜るか」とウニタキが楽しそうに言った。
「おや、これは豚の肉(うゎーぬしし)ではありませんか」とファイチが料理をつまんで言った。
「この島では古くから豚を飼っているんじゃよ」とタブチが言った。
「えっ!」とサハチは驚いて、料理に手を出した。確かに豚の肉だった。
「どうして、豚を飼っているのですか」とサハチは堂之比屋に聞いた。
 タブチの奥さんと話をしていた堂之比屋は振り向いてサハチたちを見た。
久米島は古くから唐人と取り引きをしておりましたので、唐人が持って来た豚を飼育するようになったのです。いつも、豚の肉を食べているわけではありませんが、お祝い事の時はいただいております。今回は突然の事でしたので、塩漬け(すーちかー)の豚の肉を使いました」
久米島で豚の飼育をしていたとは驚きました」とファイチは言って、うまそうに豚の肉を食べた。
 安須森ヌルたちが帰って来て、急に賑やかになった。ミカとチヌムイとミカの母親も一緒に来た。三人は近くの家で暮らしているという。少し遅れて、八重瀬ヌルも顔を出した。
 日に焼けて真っ黒な顔をしたウシャも帰って来て、サハチたちを見て驚いた。
 タブチがウシャとチヌムイ、ミカと母親、八重瀬ヌルにエータルーの戦死を知らせて、皆は驚き、悲しんだ。
「明日、ニシタキ(北岳)に登る事になったわ」と安須森ヌルがサハチに言った。
「そうか。俺たちは島を散策するよ。ミカも元気そうだな」
「弓矢を持って山の中を走り回っているみたい。ヌルというよりも猟師(やまんちゅ)みたいよ。でも、クイシヌ様にとても気に入られているわ。明日はミカも一緒に行くのよ」
「そうか。クイシヌ様というのはどんな人なんだ?」
「あたしと同じ位の年齢(とぅし)で、ヌルとしてのシジは相当なものよ。でも、偉そうな素振りはまったくないし、気さくに村(しま)の人たちと接しているわ。細かい事にはこだわらないみたいで、屋敷の中はいつも散らかっていて、村の女たちが掃除をしていたみたい。今は八重瀬ヌルが掃除や食事の面倒を見ているわ」
「今までは食事の面倒も村の女たちがやっていたのか」
「そうらしいわ。村の女たちが野良仕事が忙しくて、食事を持って来ないと何も食べないでいるみたい。二、三日は何も食べなくても平気な顔をしているんですって」
「面白そうなヌルだな」
 サハチがそう言うと安須森ヌルはサハチを見つめた。
「お兄さん、気をつけた方がいいわ。クイシヌ様に魂(まぶい)を奪われるかもしれないわ」
「馬鹿な事を言うな」
「だって、お兄さんが惚れそうな人よ」
「なに、お前もヌルに惚れるのか」とウニタキが笑った。
「ファイチの奴、新垣ヌルに魂を奪われたようだぞ」
 ファイチはでれっとした顔で、新垣ヌルと楽しそうに話をしながら酒を飲んでいた。
「あんなファイチさんを見るのは初めてだわ」と安須森ヌルが呆れた顔をした。

 

2-150.慈恩寺(改訂決定稿)

 五月四日、梅雨が明けた青空の下、国場川(くくばがー)で『ハーリー』が賑やかに行なわれた。戦(いくさ)の後始末も終わり、二年振りに三人の王様の龍舟(りゅうぶに)も揃う事もあって、観客たちが大勢やって来た。
 シタルー(先代山南王)はいなくなったが、新しい豊見(とぅゆみ)グスク按司は兼(かに)グスク按司だったジャナムイなので、思紹(ししょう)(中山王)は警戒して行かなかった。ジャナムイの妻は滅ぼされた中グスク按司の娘だった。父親は南風原(ふぇーばる)の合戦で戦死して、弟の若按司は中グスクで戦死して、中グスクを奪われた。思紹に恨みを持っているかもしれなかった。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はヒューガ(日向大親)に頼んで船を出してもらい、船の上から観戦した。ルクルジルー(早田六郎次郎)たちと愛洲(あいす)ジルーたちも乗っていて、ササ(運玉森ヌル)たちも一緒だった。やはり、海から見た方がよく見えた。若ヌルたちはキャーキャー騒ぎながら楽しんでいた。今年の優勝は久米村(くみむら)だった。南部で戦をやっている間に稽古に励んでいたようだ。
 ハーリーを観戦したあと、ヒューガの船はキラマ(慶良間)の島に向かった。
 島のヌル、タミーと交代するヌル、ジニーが乗っていた。ジニーは平田のサムレーの娘で、ヌルになりたいと言って、馬天(ばてぃん)ヌルのもとで修行に励んでいた。
 ジニーはササを見ると、
「お師匠、お久し振りです」と挨拶をしたが、ササには誰だかわからないようだった。ジニーが説明したら思い出したらしく、
「あなた、どうしてヌルになったの?」と聞いた。
「ササ様に憧れて、ヌルになったのです。今年はササ様たちがヤマトゥ(日本)に行かないので、首里(すい)のヌルたちが行く事になったのですが、わたしは選ばれませんでした。それで、キラマの島で修行を積もうと思ったのです」
「そうだったの。あの島のヌルになるのね。みんなを励ましてやってね」
「はい。ササ様のような立派なヌルになります」
「ササの弟子だったのか」とサハチが聞いた。
「最初は平田で剣術を習っていたんだけど、強くなりたいって言って、佐敷まで毎日通っていたのよ」と言ってササは笑った。
「あの頃は女子(いなぐ)サムレーになるって張り切っていたわね」
「普通の人はヌルにはなれないって諦めていたのです。でも、フカマヌル様に相談したら、馬天ヌル様に紹介してくれて、ヌルの修行をする事ができました。修行に励んだのですけど、やはり幼い頃から修行を積んだ人にはかなわなくて‥‥‥」
「あの島のヌルのタミーと一緒だな」とサハチが言った。
「タミーさんはキラマの島で、スサノオの神様の声を聞きました。わたしもタミーさんのようになりたいのです」
「島での暮らしは厳しいが、大勢の仲間がいる。頑張れよ」とサハチは励ました。
 キラマの島々に近づくと、その景色の美しさにルクルジルーたちと愛洲ジルーたちは感激していた。
「ユキからも、親父からもキラマの島には絶対に行って来いって言われました。言葉に表せないほどに美しい。来られてよかったです」とルクルジルーは嬉しそうに言った。
 島に上陸して、マニウシ夫婦に挨拶をした。ルクルジルーたちと愛洲ジルーたちは稽古に参加して、若者たちを鍛えた。シンシン(杏杏)とナナは若ヌルたちを連れて、娘たちの稽古に参加した。
 サハチとササはジニーを連れて、タミーと会った。新しい島のヌルを連れて来たと言ったら、タミーは驚いた顔をしてジニーを見てから、
「あたし、帰れるんですね」と大喜びをした。
 サハチはタミーにササを紹介した。
「立派になられましたね。ササ様の活躍は佐敷ヌル様(安須森ヌル)から伺いました。毎年、ヤマトゥに行っているそうですね」
「以前に会ったかしら?」とササはタミーに聞いた。
「わたしは佐敷の生まれで、ヌルになる前は島添大里(しましいうふざとぅ)の女子サムレーでした」
「あら、そうだったの」とササは首を傾げた。
「旅芸人のフクと同期だったな。フクは去年、この島に来たトラ(大石寅次郎)の息子を産んだぞ」とサハチが言った。
「えっ、フクが子供を産んだのですか?」とタミーは信じられないといった顔でサハチを見た。
「去年の暮れに産んだんだ」
「それじゃあ、旅芸人は辞めたのですか」
「いや、辞めてはいない。舞姫たちの指導的な立場にいる。やがてはお芝居の台本を書くって張り切っているよ」
「そうなのですか。帰ったらフクに会いに行きます」
「今、旅芸人たちは旅に出ているよ。お前も帰ったら旅に出なくてはならない」
「えっ、わたしはまたどこかに行くのですか」
「ヤマトゥ旅よ」とササが言った。
「えっ!」とタミーはまた驚いて、目を丸くしてササを見た。
「あたしは今年、ヤマトゥに行かないの。スサノオの神様の声を聞いたあなたがあたしの代わりにヤマトゥに行って、スサノオの神様に挨拶をしてね」
「えっ、そんな‥‥‥わたしにそんな重大な事なんてできません」
「大丈夫よ。スサノオの神様があなたを選んだのよ。あなたがヤマトゥに行けば歓迎してくれるわ」
「わたしがヤマトゥ旅‥‥‥いつかは行ってみたいと思って、ヤマトゥ言葉のお稽古は続けていました。この島から出るだけでも嬉しいのに、ヤマトゥ旅に行けるなんて、まるで、夢でも見ているようです」
「ササから色々と聞いて、楽しい旅をしてきてくれ」とサハチは言ってから、「あのあと、神様の声は聞いたのか」と聞いた。
「ユンヌ姫様は時々、いらっしゃいます」
「あっ!」とササが叫んだ。
「どうした?」とサハチはササを見た。
「あたしが行かないと、ユンヌ姫様もヤマトゥに行けないわ」
「大丈夫よ」とユンヌ姫の声が聞こえた。
「波之上(なみのえ)の熊野権現(ごんげん)はお祖父(じい)様(スサノオ)をお祀りしているわ。あそこに熊野権現を勧請(かんじょう)したのは桜井宮(さくらいのみや)で、二百年近くも前だけど、まだ熊野とはつながっていなかったの。でも、去年、お祖父様が琉球にいらしたので、波之上の熊野権現はヤマトゥの熊野とつながったわ。神様の通り道ができたのよ。お祖父様に関係のある神様はその道を通って、いつでも熊野まで行けるのよ」
「このガーラダマ(勾玉)に憑(つ)いて行かなくても大丈夫なのね」
「そうよ。ササが行かなくてもヤマトゥに行けるのよ」
「タミーを守ってやってね」
「任せてちょうだい」
「でも、九月には帰って来てね。一緒に南の島(ふぇーぬしま)を探しに行くのよ」
「わかっているわよ。あたしも楽しみにしているの。必ず、帰って来るわ」
「ありがとう」とササがお礼を言うと、
「お願いいたします」とタミーがユンヌ姫に言った。
 ササはタミーを見て笑った。
 サハチ、ササ、タミーが神様と話しているのを見ていたジニーは、ヂャンサンフォン(張三豊)に教わった呼吸法をしながら心を澄ませていたが、神様の声は聞こえなかった。
「今度、島のヌルになるジニーよ。見守ってやってね」とササはユンヌ姫に頼んだ。
「任せて。その娘はサーダカ生まれ(生まれつき高い霊力を持っている)よ。でも、使い方を忘れてしまっているの。ヂャンサンフォンのもとで修行を積んだので、あともう少しで取り戻せるわ。二、三年したら、ササの仲間に入れるわよ」
「よろしく、頼むわね。そう言えば、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)がユンヌ姫様のガーラダマを持っていたんだけど知っていたの?」
「勿論、知っているわ。麦屋ヌルも首里に行って、馬天ヌルのお陰で、大分、シジ(霊力)が高くなったわ。あともう少しで、あたしの声が聞こえるようになるわ」
 タミーはジニーを連れて、島を案内した。サハチとササは若者たちの指導をして一汗かいた。
 その夜、ジニーの歓迎と島を離れるタミーの送別の宴(うたげ)が開かれた。修行中の若者たちも加わって、タミーとの別れを惜しんだ。若者たちの面倒をよく見ていたらしく、泣きながら別れを告げている者も多かった。
 タミーは島で暮らした五年の月日を思い出していた。色々な事があったが、この島に来て、本当によかったと思っていた。去年、スサノオの神様の声を聞いてから、ヤカビムイの神様の声も聞こえるようになって、島の歴史も教わった。ササ様の代わりはできないけど、ヤマトゥに行って、スサノオの神様にお礼を言わなければならないと思っていた。
 若者たちが引き上げて行ったあと、サハチたちは師範たちと一緒に酒盛りを始めた。
按司様(あじぬめー)が毎年、来るようになって、修行者たちも張り切るようになっています」と女師範のレイが言って、サハチに酒を注いでくれた。
「そう言えば、ここのところ毎年来ているな」
「去年は旅芸人たちも来てくれたので、修行者たちもわたしたちも、いい息抜きができました」
「そうか。今年も来るように言っておこう」
「お願いします。修行者たちも喜びます」
「ユーナは元気にしてますか」とアミーがサハチに聞いた。
「みんなに歓迎されて島添大里の女子サムレーに戻ったよ。豊見グスクに行って、父親とも再会したんだ。父親はお前もユーナも死んだと思っていたらしい。生きていると知って喜んでくれたようだ」
「ユーナが父と会ったのね」
「お前だって、会う気になれば会えるぞ」
 アミーは笑って、「もうしばらく、ここにいます」と言った。
「ここにいるのが楽しいのです。何も知らないでこの島に来た娘が厳しい修行を積んで、成長して行く様子を見るのが楽しいのです。成長した娘たちを送り出す時は感激して涙が出る事もあります。娘たちに感謝されて、うれし涙が知らずに出て来るのです」
「それがあるから、わたしたちも辞められないのよ」とレイが笑った。
 マニウシから話があると言われて、サハチはマニウシと一緒にその場から離れて、海辺に行って腰を下ろした。
「わしも六十を過ぎてしまった」とマニウシは言った。
「そろそろ引退して久高島に帰ろうかと思っているんじゃ」
「えっ!」とサハチは驚いた。
「この島に来て、もうすぐ二十年になる。この島はいい所じゃ。ずっとここにいてもいいんじゃが、久高島の外間(ふかま)家を守らなくてはならんのじゃ。久高島の事は姪のフカマヌルに任せっきりじゃ。そろそろ、島に帰って、外間家としてのお勤めを果たそうかと思っているんじゃよ」
「そうでしたか。二十年も御苦労様でした」
「わしはこの島の師範を倅に継いでほしいと思っているんじゃが、二人の倅は首里のサムレー大将を務めているので、この島に来たがらないかもしれん。按司様から倅たちに聞いてみてくれんか」
「わかりました。聞いてみます。二人が駄目だったら、親父と相談して、誰かを任命しますよ。来年、この島に来る時、後継者を連れて来ます」
「頼む。そうと決まれば一年間、思い残す事がないように頑張れます」
「本当に二十年間も御苦労様でした。この島で修行した者たちは皆、集まれば懐かしそうに、この島の事を話しています。奴らにとって、ここは第二の故郷といえるでしょう。今の中山王(ちゅうざんおう)を支えているのはここで育った者たちです。首里重臣にもなれたのに、島に戻って来たマニウシ殿には本当に感謝しています」
「そんな丁寧にお礼を言われたら照れるわい。さて、みんなの所に戻って酒を飲もう」
 サハチたちは三日間、島でのんびりと過ごした。ルクルジルーは対馬の若者たちも、どこかの島で鍛えようと言っていた。


 キラマの島から帰って来たら、伊敷(いしき)グスクに滞在していた山北王(さんほくおう)(攀安知)の兵たちは今帰仁(なきじん)に帰っていた。ヤマトゥの商人たちもほとんどが帰っていて、浮島(那覇)は閑散としていた。
 そんな浮島に去年の九月に送った進貢船(しんくんしん)が帰って来た。チューマチ(ミーグスク大親)と浦添按司(うらしいあじ)の次男のクジルーが無事に帰国した。
 いい旅だったと喜んだ二人は、留守の間に戦があった事を教えると驚いた顔をして、チューマチは妻のマナビーを心配した。
「マナビーは元気だ。心配ない」とサハチは笑って、南部で起きた戦の事を簡単に話した。
 正使の南風原大親(ふぇーばるうふや)はタブチ(先々代八重瀬按司)が戦死したと聞いて、信じられないと何度も首を振っていた。タブチが二度目の正使を務めた時、副使を務めた南風原大親はタブチから色々な事を学び、まだ学びたい事がいっぱいあったのにとタブチの死を悲しんだ。
 その夜の会同館(かいどうかん)での帰国祝いの宴は、タブチを忍ぶ宴になった。誰もが惜しい人を失ったと悲しみ、タブチとの思い出を語り合って、夜遅くまで酒を酌み交わした。悲しんでいる人たちを見て、嘘を突き通すのは辛かったが、今はまだ、タブチが久米島(くみじま)にいる事は隠しておかなければならなかった。
 五月の半ば、ルクルジルーたちはヤマトゥに帰って行った。
琉球に来て、本当によかったです。学ぶべき事が色々とありました。帰ったら親父と一緒に対馬を統一します」とルクルジルーは目を輝かせて言った。
 サハチはうなづいた。
「お前ならやれるさ。俺も琉球を統一するために頑張るよ。イトとユキ、ミナミと三郎によろしく伝えてくれ」
 佐敷大親(さしきうふや)の次男のヤキチと中グスク按司の長男のマジルーが、去年も行ったシビーの兄のクレーと一緒にヤマトゥ旅に出た。
 愛洲ジルーは帰らなかった。九月にササと一緒に南の島を探しに行くという。そんなにのんびりしていて大丈夫なのかと聞くと、自分は次男なので気楽なものですと笑った。
 同じ日、ヤマトゥへ行く交易船と朝鮮(チョソン)に行く勝連船(かちりんせん)も船出した。交易船の総責任者は手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)で、正使はジクー(慈空)禅師、副使はクルシ(黒瀬大親)、サムレー大将は首里九番組の外間之子(ふかまぬしぃ)と島添大里二番組の古堅之子(ふるぎんぬしぃ)だった。
 ササたちが行かないので、ヌルは毎年行っているユミーとクルー、そして、越来(ぐいく)ヌルのハマ、タミー、首里のアサカヌルとタマカジヌルが行く事に決まった。タミーはササから、博多の近くにある豊玉姫(とよたまひめ)様のお墓と京都の船岡山の場所を教わって、この二つは絶対に行ってねと言われた。高橋殿の事も教わって、「あなたが御台所様(みだいどころさま)(将軍義持の妻、日野栄子)に会えるかどうかはわからないけど、あとは成り行きにまかせればいいわ。わからない事はユンヌ姫様に聞きなさい」と言われた。
 ヤマトゥの都を夢見ながら、希望に胸を膨らませてタミーは旅立って行った。
 馬天浜でルクルジルーたちを見送ると、サハチは佐敷グスクに行って、佐敷大親から八代大親(やしるーうふや)の事を聞いた。八代大親はサハチの弓矢の師匠だった。思紹が佐敷按司になった時から思紹に仕えて、佐敷の重臣を務めてきた。数年前に隠居したと聞いているが、サハチは頼みたい事があった。
 八代大親の名を倅に譲り、頭を丸めて『八代法師』を名乗って、気ままに旅をしているようだと佐敷大親は言った。倅の八代大親ならグスクの裏にある的場にいるだろうと言うので行ってみた。
 グスクの裏にある的場は、ヤマトゥから帰って来たサハチがマチルギのために作った的場だった。もう三十年近くも前の事だった。佐敷のサムレーたちが今でも、この的場を使っている事が嬉しかった。
 八代大親は的場で弓矢の稽古に励んでいた。八代大親はサムレー大将を務めていて、父親譲りの弓矢の名人だった。弓矢を弾く姿が、父親によく似ていて、玻名(はな)グスク攻めでも活躍していた。父親の事を聞くと、隠居した当初はあちこち旅に出ていたが、最近は旅もしなくなったという。
「毎日、海に出て釣りをしています。わたしにはよくわかりませんが、弓を射る呼吸と魚を釣る呼吸はよく似ていると言っています。今日は天気がいいので海に出ていると思います」
 サハチは八代大親にお礼を言って、また馬天浜に戻った。天気がいいので、海にはいくつもの小舟(さぶに)が浮かんでいた。ウミンチュ(漁師)たちに八代法師の事を聞くと、あの小舟だと教えてくれた。
 サハチは叔父のサミガー大主(うふぬし)から小舟を借りて、八代法師のそばまで行った。
「お師匠、久し振りです」とサハチが声を掛けると、八代法師は驚いた顔をして、
按司様も釣りをしに来たのですか」と聞いた。
「じっとしている釣りよりも、海に潜ってカマンタ(エイ)を捕る方が好きです」とサハチは笑って、「実はお師匠に頼みがあるのです」と言った。
「わしのような年寄りに頼みとは何ですかな」
「島添大里の子供たちに読み書きを教えてほしいのです。弓矢を教えてもかまいません」
「わしが子供たちにか‥‥‥島添大里では慈恩禅師(じおんぜんじ)殿が教えているのではないのか」
「まもなく『慈恩寺』が完成して、慈恩禅師殿は首里に行かなければならないのです」
「成程、慈恩禅師殿の後釜か。わしには務まらんぞ」
「お師匠はお師匠のやり方で教えてくれればいいのです」
「そう言われてものう。わしはすでに七十を過ぎている。あと何年生きられるかわからん」
「その何年かを子供たちのために使ってくれませんか」
 八代法師は少し考えたあと、「実を言うと毎日、退屈しておったんじゃ」と笑った。
「子供たちに読み書きを教えるのも楽しそうじゃのう。わしでよければやってもいいぞ」
 サハチは喜んで、八代法師にお礼を言った。その時、釣り糸がピーンと張って、八代法師が釣り糸をたぐると大きなイラブチャー(ブダイ)が釣れた。
 その晩、釣り上げたイラブチャーを肴にサハチは久し振りに八代法師と酒を酌み交わして、昔話に花を咲かせた。
 それから四日後、首里グスクの北にある武術道場の隣りに慈恩寺が完成した。
 立派な山門には力強い字で『慈恩寺』と書いてあった。一徹平郎(いってつへいろう)たちが作った三つ目のお寺なので、仕事に慣れて来たのか、この山門が一番立派だった。
 山門を抜けると広い境内が広がっていた。武術の修行をするのに充分な広さだった。正面に本堂があって、その横に庫裏(くり)があり、本堂の裏に法堂と僧坊があった。法堂は修行者たちが兵法(ひょうほう)を学ぶ所で、僧坊は修行者たちの宿舎だった。
 本堂の中には御本尊の『観音菩薩(かんのんぼさつ)』と武術の神様『真武神(ジェンウーシェン)』が鎮座していた。新助が彫った観音菩薩は片膝を立てて座っていて、見るからに色っぽい観音様だった。なぜか、腕が六本もあった。思紹が彫った真武神は鎧(よろい)を着て、剣を持って岩に腰掛けていた。武骨な真武神が観音様を守っているように見えた。
 真武神の顔はやはりヂャンサンフォンだった。観音様も誰かに似ているような気がした。じっと見つめていたら、高橋殿の顔が浮かんだ。新助は高橋殿に会った事があるのだろうかとサハチは首を傾げた。
 慈恩禅師、ソウゲン(宗玄)禅師、ナンセン(南泉)禅師によって開眼供養(かいげんくよう)が行なわれ、集まって来た人たちに餅と酒が配られた。
 ヂャンサンフォンと二階堂右馬助(うまのすけ)による『武当拳(ウーダンけん)』の模範試合が行なわれ、慈恩禅師と飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)による『念流(ねんりゅう)』の模範試合も行なわれた。どちらも華麗な舞を観ているようで、武芸というよりも神様に捧げる神事(しんじ)のように見えた。

 

 

 

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