長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-158.漲水のウプンマ(改訂決定稿)

 昨夜(ゆうべ)、目黒盛豊見親(みぐらむいとぅゆみゃー)が開いてくれた歓迎の宴(うたげ)で遅くまでお酒を飲んでいたのに、ミャーク(宮古島)に来て心が弾んでいるのか、翌朝、ササ(運玉森ヌル)は早くに目が覚めた。まだ夜が明ける前で、外は薄暗かった。
 空を見上げて、ユンヌ姫とアキシノを呼んだが返事はなかった。無事にミャークに着けたお礼を言おうと思ったのに、どこに行ったのだろう。ササは首を傾げると、縁側に座り込んでヂャンサンフォン(張三豊)の呼吸法を始めた。
 静かに座りながら、改めて神様たちに感謝をした。祖父のサミガー大主(うふぬし)を知っている人がミャークにいるなんて思ってもいなかった。亡くなってからも助けてくれる祖父に大いに感謝した。
 シンシン(杏杏)とナナが起きてきて、ササの隣りに座って静座を始めた。ササは二人に気づくと笑った。
「漲水(ぴゃるみず)のウプンマが来たわ」とナナが言った。
 ササが目を開くと、娘を連れたウプンマの姿が見えた。頭の上に水桶を乗せていた。ウプンマは水桶を下ろすと、挨拶をして近づいて来た。
「昨日はごめんなさいね。琉球の王様(うしゅがなしめー)の娘さんだって聞いたので、きっと名前だけのヌルだと思ったの。昨夜の宴であなたたちのお話を聞いて、神様の事を調べるためにヤマトゥまで行ったと知って驚いたわ。わたしもミャークの神様の事は色々と調べたのよ。でも、わからない事が多くて、あなたたちから教えてもらおうと思ってやって来たの。今は水汲みの途中なんだけど、また、お伺いしてもよろしいかしら」
「わたしたちこそ、教えてもらいたいですよ」とササは言って、ウプンマを縁側に迎えた。
琉球の神様のアマミキヨ様は南の国(ふぇーぬくに)から琉球に来ました。それで、ミャークにもアマミキヨ様の痕跡が残っていないか調べに来たのです」
アマミキヨ様のお名前は狩俣(かずまた)の神様から聞きました。アマミキヨ様の一族が『赤崎』に上陸して、その近くで暮らしていたようです」
「赤崎ってどこですか」とササは目の色を変えて聞いた。
「南の方(ふぇーぬかた)です。わたしも赤崎のウタキ(御嶽)に行って神様の声を聞きましたが、その神様はアマミキヨ様の一族ではありませんでした。その神様がおっしゃるには一千年以上も前に、大きな津波がやって来て、アマミキヨ様の一族は全滅したそうです」
「何ですって‥‥‥」
 ササは驚いてウプンマの顔をじっと見つめていた。シンシンとナナも驚いていた。
「多分、その時の大津波で漲水のウタキもやられたのだと思います。あそこに祀られているコイツヌ様とコイタマ様もどこか南の国からやって来たのだと思いますが、子孫たちは全滅してしまったのです。名前だけは伝えられていますが、詳しい事を知っている人は皆、亡くなってしまったのです」
「という事は、今、ミャークに住んでいる人たちの御先祖様は、その大津波のあとにやって来た人たちなのですね?」とナナが聞いた。
「そうだと思います」
「赤崎にいらっしゃる神様は、どこから来られた神様なのですか」とササは聞いた。
池間島(いきゃま)です。池間島には『ウパルズ様』という神様がいらっしゃいます。その娘さんが赤崎と漲水と百名(ぴゃんな)(東平安名)を守っています」
「ウパルズ様というのは、『ネノハ姫様』と関係あるのですか」とササが聞いたら、ウプンマは驚いた顔をして、
「どうして、ネノハ姫様を御存じなのですか」と聞いた。
大神島(うがんじま)の神様からネノハ姫様の事は聞きました。ネノハ姫様は琉球から来た神様です」
「そうなのですか」とウプンマは首を傾げてから、「ウパルズ様はネノハ姫様の娘さんです」と言った。
「えっ!」とササは驚いて、大きく息を吐いた。
 ウムトゥ姫(ネノハ姫)がイシャナギ島(石垣島)に行く前に娘を産んで、その娘が池間島の神様になって、孫娘たちがミャークの神様になっていたなんて驚きだった。ウムトゥ姫の娘のウパルズに会いに行かなければならないとササは思った。
「ネノハ姫様が琉球から来た事は知らなかったけど、狩俣の神様は琉球から来た神様ですよ」とウプンマは言った。
「えっ?」とササはウプンマを見た。
「狩俣の神様は琉球から久米島(くみじま)に行く途中で嵐に遭って、ミャークまで流されてしまったようです。一千年前の大津波のあとで、ミャークには人がほとんど住んでいなかったらしいわ。大浦(うぷら)の浜辺に着いたらしいけど、水を求めて狩俣まで行って、そこに落ち着いて、狩俣の御先祖様になったみたいです」
 狩俣には行ったのに、神様に挨拶はしていなかった。失敗だったとササは悔やんだ。そして、久米島からミャークに来た兄弟の事を思い出した。せっかくだから会ってみようと思った。
「狩俣に戻るわ」とササはシンシンとナナに言った。
「わたしも一緒に行ってもいいかしら」とウプンマが言った。
「一緒に行きましょう」とササはうなづいた。
 朝食を済ませたあと、ササ、シンシン、ナナ、安須森(あしむい)ヌル、漲水のウプンマ、クマラパと娘のタマミガは馬に乗って狩俣に向かった。ウプンマは知り合いに預けたと言って、娘は連れて来なかった。
 出発してすぐに、寄って行く所があると言ってウプンマが『船立(ふなだてぃ)ウタキ』に案内した。こんもりとした森の中にある小さなウタキだった。クマラパに待っていてもらって、ササたちはウプンマと一緒にお祈りをした。
琉球からいらしたお客様です」とウプンマが神様に告げると、神様の声は聞こえたが、ミャークの言葉で理解できなかった。
「ごめんなさい。こちらの言葉に慣れてしまって、久米島にいた頃の言葉をうまく話せないの」と神様はたどたどしく言った。
 ササはウプンマの通訳で神様と話した。
 神様は久米按司の娘で、兄嫁と喧嘩して小舟(さぶに)に乗って久米島を飛び出した。心配した兄が追って来て、小舟に飛び乗って説得したが、娘はずっと泣いていた。兄は久米島に帰ろうとしたのに、どんどん沖に流されてしまった。二日間、海の上をさまよった末にミャークに着いた。兄は自分で刀を作ろうと思って、鍛冶屋(かんじゃー)のもとで修行していたので、ミャークに来てからは鉄の農具を作って皆に喜ばれた。妹は住屋里世の主(すみやだてぃゆぬぬし)と夫婦になって多くの子孫を残した。亡くなったあと、兄は鍛冶屋の神様、妹は豊穣の神様として祀られたという。いつ、ミャークに来たのかと聞いたら、百年以上も前だと思うとウプンマは言った。
 その頃、久米島按司がいたのかしらと不思議に思ったが、ササたちは、「ミャークの人たちを守ってあげて下さい」と言って神様と別れた。
「あの神様のお兄さんのお陰で、鉄の農具がみんなに行き渡って、この辺りは豊かになったのです」とウプンマは言った。
 久米島からミャークに来る人が多いような気がした。もしかしたら、久米島からミャークに向かう潮の流れがあるのかしらとササは思った。
 船立ウタキから少し行った高台の上に、『糸数(いとぅかず)グスク』の跡地があった。
「ここに妹の敵(かたき)だった糸数按司のグスクがあったんじゃ。この辺りには城下の家々が建ち並んでいたんじゃが、糸数按司が亡くなると皆、他所(よそ)に移ってしまって、この有様じゃ。一時は大按司(うぷあず)と呼ばれて、この辺りで一番の勢力だったんじゃが哀れなもんじゃのう」
 そう言って、クマラパは樹木が生い茂った高台を見上げた。ササたちも見上げると崩れかけた石垣が見えた。
「糸数按司が滅んだのは佐田大人(さーたうふんど)が来る前の事なのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「そうじゃ。確か、糸数按司が六月頃に亡くなって、その年の十月頃に佐田大人がやって来たんじゃよ。糸数按司が生きていたら佐田大人ももっと早くにやられたかもしれんな。しかし、戦のあと、目黒盛と糸数按司は対立したじゃろう。目黒盛から見れば、糸数按司はいい時期に亡くなったと言えるのう」
「糸数按司は病で亡くなったのですか」
「噂では、簪(かんざし)で耳の掃除をしていたら肘にアブベエ(虻蝿)が止まって、アブベエを殺そうと肘をたたいたら簪が耳の奥まで刺さって死んだという」
「まあ、やだ」とササたちは想像して身震いした。
 そこから一気に大浦(うぷら)まで行って、『ウプラタスグスク』の跡地を見た。ウプラタスグスク跡は小高い丘の上にあった。あちこちに石垣が残っていて、割れた陶器の破片も落ちていた。眺めがよくて、右側の海も左側の海も見渡せた。丘の下に家々が建ち並ぶ城下があったらしいが、荒れ地になっていた。
「ウプラタス按司は福州の商人だったんじゃよ。鉄を持ってミャークに何度も来ていたんじゃ。元(げん)の国が騒乱状態になって商売ができなくなり、家族や使用人たちを連れて、ミャークにやって来たんじゃよ。ここはまるで、桃源郷(とうげんきょう)のようじゃと幸せに暮らしていたんじゃが‥‥‥」
 クマラパは苦笑してから海を眺めた。ウプラタス按司の事を思い出しているようだった。しばらくして、
「奴らはウプラタス按司の船を奪い取ったんじゃよ」とクマラパは言った。
「ウプラタス按司様はミャークに来てからも交易をしていたのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「一度、明国の様子を見に行ったんじゃが、ターカウ(台湾の高雄)まで行って引き上げて来たんじゃ。明国は建国したが、倭寇(わこう)や海賊がいるので、危険だというので諦めたんじゃよ。その頃のターカウはキクチ殿はまだいなくて、明国の海賊がいた。その海賊と取り引きをして帰って来たんじゃ。その後は明国には行っていない。ウプラタス按司はウミンチュ(漁師)たちのために、イシャナギ島から太い丸太を運んでいたんじゃ。舟(ふに)を造るための丸太じゃよ」
「ウプラタス按司を助けられなかったのですか」とササは聞いた。
 クマラパはササを見てから海を見つめた。
「奴らはあの頃、南部を攻撃していたんじゃよ。大嶽按司(うぷたきあず)を倒して、大量の食糧も手に入れた。北部に攻めて来るなんて思ってもいなかった。わしは知らなかったんじゃが、奴らは高腰按司(たかうすあず)を倒して、馬を手に入れたんじゃ。その馬に乗って北部にやって来て、あっという間にウプラタスを攻撃した。知らせを聞いて駆け付けた時には、グスクも城下も焼かれていた。狩俣に来るかもしれないと思って、引き返して守りを固めたんじゃよ」
「高腰按司は馬を飼っていたのですか」とナナが聞いた。
「かなりの馬を飼育していたんじゃ。昔、百名崎(ぴゃんなざき)(東平安名崎)の近くの保良(ぶら)という村(しま)に女按司(みどぅんあず)がいて、ヤマトゥ(日本)と交易をして栄えていたんじゃ。女按司が亡くなったあと、保良は野城按司(ぬすくあず)に滅ぼされてしまった。高腰按司は保良で馬の飼育を任されていたサムレーだったらしい。保良が攻められた時、馬を連れて逃げて、その馬を飼育して栄え、グスクを築いて按司になったんじゃ」
「今でも、そこで馬の飼育をしているのですか」
「高腰按司は佐田大人に滅ぼされたんじゃが、上比屋(ういぴやー)に嫁いでいた娘がいたんじゃ。その娘が牧場を再開して、今でも育てておるよ。わしらが乗って来た馬も高腰の牧場で育てられた馬じゃろう」
 狩俣に着いたのは正午(ひる)前だった。ササたちは女按司のマズマラーと一緒に、石垣で囲まれた集落の北にある『ニシヌムイ』と呼ばれるウタキに入った。ササたちが最初に狩俣に来た時、浜辺に上陸して通り抜けた森だった。
 細い坂道を登って行くと古いウタキがあった。ササたちはお祈りをした。
「戻って来たわね」と神様の声が聞こえた。
「挨拶が遅れて申しわけありませんでした」とササは謝った。
大神島の娘からあなたたちの事は聞いているわ。ユンヌ姫様からもね」
「ユンヌ姫様を御存じなのですか」
「アマン姫様の娘さんでしょ。わたしはアマン姫様にお仕えしていたヌルだったのです。ユンヌ姫様と最後にお会いしたのは、ユンヌ姫様が十歳の時でした。まさか、ユンヌ姫様がミャークに来られるなんて夢にも思っていませんでした。再会できて本当に嬉しかったです。わたしはシビグァー(タカラガイ)を求めて久米島に行く途中、嵐に遭ってミャークまで流されてしまいました。わたしが来る数年前にミャークは大津波にやられて、住んでいた人たちは全滅したそうです。わたしは狩俣にたどり着いて、この森で暮らし始めました。翌年、生き残っていた男の人と巡り会いました。言葉は通じませんでしたが、一緒に暮らして子供も生まれました。その人はミャークを巡って、生き残った人たちを集めました。生き残った人たちによって、狩俣の村はできたのです」
大神島の神様は娘さんだったのですね?」
「長女の『マパルマー』です。ヤマトゥの刀を持った女子(いなぐ)のサムレーがやって来たって騒いでいたわよ」と神様は笑った。
「わたしは時々、琉球に帰るので、アマン姫様からあなたたちの事は聞いております。アマン姫様のお姉さんの玉依姫(たまよりひめ)様をヤマトゥから琉球に連れていらした事も聞いています。わたしもあなたたちをお迎えできて嬉しく思っております」
 ササはお礼を言って、アマミキヨ様の事を聞いた。
「一千年前の大津波で、古いウタキは皆、流されてしまいました。ウタキを守っていたヌルたちも亡くなってしまって、ウタキの場所もわからず、再建する事もできなかったのです。わたしがミャークに来て七十年後、琉球の百名(ひゃくな)からヌルたちがやって来て、南部に百名という村を造ります。百名崎の近くに『パナリ干瀬(びし)』があって、そこでも大量にシビグァーが採れたのです。百名のヌルたちによって赤崎のウタキが見つけられました。その時、わたしはすでに亡くなっていましたが、赤崎の神様とお話ししました。アマンの言葉なのでさっぱりわかりませんでしたが、アマミキヨ様の一族が赤崎にいた事は確かです。三百年ほど前にも大津波が来て、南部の村々はやられてしまいます。百名もやられて、住んでいた人たちのほとんどは流されてしまいました。生き残った人たちによって村は再建されました。ミャークにいたアマミキヨ様の一族は一千年前の大津波で滅びてしまいましたが、アマミキヨ様の子孫たちは名前を変えて、度々、ミャークにやって来ています。唐人(とーんちゅ)たちは彼らを『倭人(わじん)』と呼んで、ヤマトゥンチュ(日本人)は彼らを『隼人(はやと)』と呼びました。倭人や隼人と呼ばれる海に生きる人たちは唐の大陸から八重山(やいま)、ミャーク、琉球奄美の島々、ヤマトゥの九州を股に掛けて活躍していたのです」
倭人というのはヤマトゥンチュの事ではなかったのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「のちに隼人はヤマトゥに吸収されてしまったので、唐人たちはヤマトゥンチュと倭人を同じ者と見ていますが、倭人というのは海で活躍していた勇敢なアマミキヨ様の子孫なのです。ヤマトゥだけでなく、朝鮮(チョソン)や大陸に住み着いた者たちも多いはずです」
「どうして隼人と呼ばれたのですか」とササは聞いた。
 ジルーの父親の名前は愛洲(あいす)隼人だった。何かつながりがあるのだろうかと思った。
「南風(はえ)に乗って来た人だから『ハエヒト』と呼ばれて、それがなまって『ハヤト』になったようね」
「ヤマトゥの水軍たちや明国の海賊たちは隼人なんでしょうか」
「すべてがそうとは限らないけど、隼人の子孫たちも多いはずです」
 ジルーもアマミキヨ様の子孫なのかしらとササは何だか嬉しくなっていた。
「わたしたちの御先祖様も隼人なのですか」と漲水のウプンマが聞いた。
「一千年前の大津波のあとに南の国から来た人たちは少ないので、きっと、隼人だと思うわ」
「保良という村の女按司がヤマトゥと交易をしていたとクマラパ様から聞きましたが、その村と百名は関係あるのですか」とササは聞いた。
「保良の人たちは三百年前の大津波のあとにヤマトゥからやって来た人たちです。ヤマトゥの平泉(ひらいずみ)という所のサムレーが熊野水軍の船に乗って逃げて来たようです」
「平泉の藤原氏ですか」とササが聞いた。
 舜天(しゅんてぃん)(初代浦添按司)の父親の新宮(しんぐう)の十郎が平泉に行って、京都のように賑やかな都だったと言っていた。その頃、熊野水軍によって、大量のヤコウガイ琉球から平泉に運ばれていた。平泉は源氏に滅ぼされたと聞いている。
「そうです。戦に敗れて逃げて来たのです。藤原氏のお姫様が按司になって保良の村を造って、熊野水軍によって、ブラゲー(法螺貝)の交易が行なわれました。あの辺りで大量のブラゲーが採れたようです。ブラゲーの産地なので、ブラと呼ばれるようになったようです。保良村はヤマトゥと交易をして栄えていたのですが、野城按司(ぬすくあず)に滅ぼされてしまいます。野城按司の跡を継いだ若按司は保良按司(ぶらーず)の末娘のマムヤに夢中になって、按司としての務めも果たさず、大嶽按司(うぷたきあず)に滅ぼされます。そして、大嶽按司は佐田大人に滅ぼされたのです」
「ウムトゥ姫様の事を教えて下さい」とナナが言った。
 ササはナナを見て笑った。
「ウムトゥ姫様がいらっしゃったのは、わたしがミャークに来てから五十年が経った頃でした。わたしが亡くなってから十数年が経っていました。あなたたちと同じように、大神島に寄ってから狩俣に来ました。アマン姫様の曽孫(ひまご)だと聞いて驚きましたよ。ウムトゥ姫様は池間島に行ってシビグァーを採って琉球に送りました。勿論、わたしの子供たちも手伝いました。琉球との交易で池間島も狩俣も栄えたのです。池間島にいた頃はネノハ姫様と呼ばれていて、池間島には二十年間いらっしゃいました。長女に池間島の事を任せて、次女を連れてイシャナギ島に行ったのです。イシャナギ島に行ってからは、舟を造る材木を送ってくれました。ウムトゥ姫様がミャークに来たのは二十二歳の時で、美しいお姫様でした。琉球の御殿(うどぅん)で育ったお姫様なので、わたしの子供たちは立派な御殿を建てて、そこで暮らしてもらおうと思っていたようです。でも、ウムトゥ姫様はヤピシ(八重干瀬)に行ったまま帰って来ませんでした。心配になって様子を見に行ったら、池間島の人たちを指図してシビグァーを採らせていました。島人(しまんちゅ)たちと一緒に掘っ立て小屋で暮らして、一緒にシビグァーを採っていたのです。そして、島の男たちを引き連れて琉球に行って、交易をして帰って来ました。大したお姫様でしたよ」
 ササは神様にお礼を言ってお祈りを終えた。
「神様のお名前は何というのですか」とシンシンがマズマラーに聞いた。
「『マヤヌマツミガ様』です。マツミガ様は狩俣の祖神(うやがん)ですが、中興の神様もいらっしゃいます」
 そう言って、マズマラーは別のウタキに案内してくれた。森の中を尾根づたいに南に行くとそのウタキはあった。ちょっとした広場になっていて、隅の方に石の祠(ほこら)があった。
「昔、ここにお寺(うてぃら)があったそうです」とマズマラーは言った。
「お寺ですか」とササたちは驚いて辺りを見回した。
「三百年前にヤマトゥから平家のサムレーが狩俣に流れ着きました。宋(そう)という国に行く途中、嵐に遭って船は沈んでしまい、そのサムレーは板きれにすがってミャークまで流れ着いたのです。雁股(かりまた)の矢を板きれに突き刺して、それに捕まって生き延びたそうです。ここから北に行くと二本の飛び出た岬があって、丁度、雁股の矢に似ています。それで、村の名前をカリマタに決めたようです。そのサムレーは海で亡くなった仲間たちを弔うために、ここにお寺を建てました。『ティラヌブース(寺の武士)様』と呼ばれて、亡くなったあと、神様になりました」
「平家の落ち武者だったのですね」と安須森ヌルが聞いた。
 マズマラーは首を振って、「そうではないようです」と言った。
「わたしはヤマトゥの歴史をよく知りませんが、上比屋に平家の落ち武者たちがやって来て、グスクを築きました。それよりも五十年も前に、ティラヌブース様はやって来ています」
 ササたちはマズマラーと一緒にお祈りを捧げた。
 ティラヌブース様は平忠盛(たいらのただもり)の家来(けらい)だった。安須森ヌルは忠盛が平清盛(たいらのきよもり)の父親だった事を知っていた。ティラヌブース様は忠盛の命令で宋と交易をするために博多から船出して、帰りに遭難したのだった。ティラヌブース様は狩俣の人たちに読み書きを教え、剣術も教えた。今でも子供たちに読み書きを教える風習が残っているのは嬉しい事だとティラヌブース様は言った。
 ウタキから出て、マズマラーの屋敷に戻って、一休みした。
「ミャークには色々な人たちが来ていたのね」と安須森ヌルが言った。
「平家の落ち武者だけでなく、平泉の落ち武者もいたなんて驚いたわ」
熊野水軍はやっぱりミャークにも来ていたのね」とナナが言うと、
「どこかに『熊野権現(くまぬごんげん)様』が祀ってあるはずだわ」とササが言った。
熊野権現様って何ですか」と漲水のウプンマが聞いた。
「ヤマトゥの熊野の神様です。わたしたちの御先祖様でもあるスサノオの神様の事です」
スサノオ‥‥‥聞いた事があるわ」と言って漲水のウプンマは思い出そうとしていた。
「ターカウだわ。市場の近くに熊野権現の神社があったわ。わたしが聞いたら、航海の神様で、ヤマトゥで一番偉いスサノオの神様を祀っていると教えてくれました」
「ターカウに行ったのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「十年くらい前にマズマラーさんと一緒に行って来たのよ。賑やかな所で驚いたわ」
「あたしたちもターカウに行くんでしょ?」とシンシンがササに聞いた。
「勿論、行くわよ」とうなづいてから、「あっ!」とササは言って、
「神様に聞くのを忘れちゃったけど、三十年前に来たという久米島の兄弟の事を知っていますか」とクマラパに聞いた。
「知っておるよ」とクマラパは笑った。
「その頃、琉球の言葉がしゃべれるのは、わししかいなかったからのう。わしを訪ねて来たんじゃよ」
「そうか。与那覇勢頭(ゆなぱしず)様が琉球に行く前だったのですね」
 クマラパはうなづいて、「その兄弟はミャークに流されて来た進貢船(しんくんしん)に乗っていた船乗りだったんじゃよ」と言った。
「進貢船が来た時、わしは呼ばれて通訳をしたんじゃ。使者はアランポー(亜蘭匏)という明国の男じゃった。その時、久米島の兄弟とは会わなかったが、わしが琉球の言葉がしゃべれて、狩俣に住んでいる事も知ったんじゃろう。二年後にミャークにやって来て、わしを訪ねて来たんじゃよ」
「船乗りの兄弟が何のためにミャークに来たのですか」とシンシンが聞いた。
 クマラパは楽しそうに笑った。
「奴らは女子(いなぐ)に会うためにやって来たんじゃ。進貢船は船の修理と風待ちで、一月近くミャークにいたんじゃよ。その時、仲よくなった娘がいたようじゃ。お土産をたっぷりと小舟に積んでやって来た。しかし、遅かった。二人とも、すでに決まった男がいて、一人はお腹が大きかったそうじゃ」
「情けないわね」とナナが言った。
「それで二人はどうしたのですか」とササが興味深そうに聞いた。
「しばらく、ここにいて、ミャークの言葉を覚えていたんじゃが、佐田大人の戦が始まって、池間島に行ったんじゃよ。池間按司(いきゃまーず)の娘が美人(ちゅらー)だという噂を聞いて、飛んで行ったんじゃ。その後、弟が一人で伊良部島(いらうじま)にやって来た。兄はその美人と仲よくなって、一緒にイシャナギ島に行ったと言った。その頃、わしは伊良部島で兵たちを鍛えていたんじゃ。佐田大人を倒すためにな。弟は兵たちと一緒に武芸を習って、戦にも参加した。戦のあと、伊良部島に帰って、可愛い娘と巡り会ったようじゃ。弟の方はその後も家族を連れて何度かやって来た。今も伊良部島で楽しく暮らしているようじゃ」
「お兄さんはどうしてイシャナギ島に行ったのですか」
「池間按司の娘がシジ(霊力)の高いヌルで、イシャナギ島の神様に呼ばれたと言って、兄が連れて行ったそうじゃ」
 兄弟の名前を聞いたら阿嘉(あーか)のグラーとトゥムだという。久米島の堂村からアーラタキに行く途中に阿嘉という村があったのをササたちは思い出していた。
池間島に行きましょう」とササは立ち上がった。

  

  

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2-157.ミャーク(改訂決定稿)

 ササ(運玉森ヌル)たちを石垣に囲まれた狩俣(かずまた)の集落に入れてくれた白髪白髭の老人は、女按司(うなじゃら)の『マズマラー』の夫の『クマラパ』という明国(みんこく)の人だった。正確に言えば、クマラパが琉球に行った時、まだ明国は建国されていなかったので、元(げん)の国の人だった。
 クマラパは元の国が滅びる時の騒乱に巻き込まれて命を狙われ、十歳違いの妹、フォーヤオを連れて琉球に逃げて行った。全真道(ぜんしんどう)の道士で、険しい山の中で厳しい修行を積んで、様々な霊力を身に付けていた。
 泉州(せんしゅう)の商人の船に乗って琉球に行ったクマラパとフォーヤオは、船の中で出会ったカルーと一緒に津堅島(ちきんじま)に渡った。船乗りとして乗っていたカルーは片言(かたこと)だが元の国の言葉がしゃべれ、年齢が同じ位だったので仲よくなっていた。
 津堅島に来たクマラパとフォーヤオは琉球の言葉を学びながら平和な時を過ごしていた。フォーヤオはみんなから可愛がられて、チルカマという名前で呼ばれた。津堅島に来た時、十三歳だったチルカマも年頃になって、島の男たちに騒がれるようになった。すると仲のよかった娘たちがチルカマを嫉妬するようになって、チルカマは家に閉じこもるようになってしまった。
 そろそろ津堅島を離れた方がいいかもしれないとクマラパは思って、カルーに相談した。カルーがミャーク(宮古島)という南の島に行くと聞いて、一緒に行く事に決め、ミャークにやって来たのだった。
 カルーはクマラパ兄妹をミャークに連れて行った五年後、泉州からの帰りに倭寇(わこう)の襲撃を受けて殺されてしまう。カルーはサハチの側室、ナツの祖父だった。
 ミャークに来た翌年、チルカマは『石原按司(いさらーず)』の若按司に見初められて嫁いだ。異国から来た娘でも城下の人たちに歓迎されて嫁いだので、クマラパも安心した。
 その年、明国の福州から家族を連れて逃げて来た商人が大浦(うぷら)に落ち着いた。クマラパは彼らを助けてグスク造りを手伝った。その商人は『ウプラタス(大浦多志)按司(あず)』を名乗って土地を開墾して、井戸を見つけたりしたので人々が集まって来て、城下は栄えて行った。
 十年間、大浦にいたクマラパは旅に出て、各地の有力者たちを訪ねた。不思議な術を使う男としてクマラパの名は有名になっていて、有力者たちも歓迎してくれた。
 ミャークに来て十七年が経った時、クマラパは狩俣で女按司のマズマラーと出会った。ヌルでもあるマズマラーは霊力も高く、クマラパと気が合った。居心地がいいので、狩俣に落ち着いて三十年余りが経ったという。
 マズマラーは女按司だけあって、威厳のある人だった。美しい顔をしているが、目付きは鋭く、男たちにも恐れられているようだった。年の頃はササの母親、馬天(ばてぃん)ヌルと同じ位で、雰囲気も母に似ているとササは思った。
 マズマラーも琉球の言葉がしゃべれた。クマラパから教わり、神様からも教わったという。
「大きな戦(いくさ)があったと聞きましたが、それで村を石垣で囲んでいるのですか」とササは聞いた。
「三十年前にひどい戦があったのよ」とマズマラーは顔をしかめた。
倭寇じゃった」とクマラパが言った。
「わしが元の国にいた頃、倭寇が元の国の沿岸を荒らし回っていたんじゃ。反乱を起こした方国珍(ファングォジェン)や張士誠(ヂャンシーチォン)も倭寇を味方に付けていたという。元の国が滅んだのも倭寇が関わっていたんじゃよ。三十年前にミャークに来た倭寇は船団を率いてやって来たんじゃ。その頃、ヤマトゥ(日本)は南北朝(なんぼくちょう)の争いをしていて、敗れた南朝の水軍が逃げて来たようじゃ。大将は『佐田大人(さーたうふんど)』と呼ばれていた。大勢の配下を引き連れてミャークにやって来たのは佐田大人だけではない。明国から大浦に来たウプラタス按司もそうだし、南部の上比屋(ういぴやー)に住み着いた平家の残党たちもいる。この島に住み着いて、交易に励んでくれれば何の問題もなかった。ところが悲劇が起こったんじゃ」
「平家がミャークにも来ていたのですか」と安須森(あしむい)ヌルが驚いた顔をしてクマラパに聞いた。
「平家も来ておるし、藤原氏も来ておるよ。なぜか、源氏の話は聞かんのう。佐田大人の奴らは南部の与那覇(ゆなぱ)の入り江に船を泊めたんじゃが、あそこは浅いんじゃよ。たまたま、満潮の時に入ってしまったようじゃ。潮が引いたら皆、座礁してしまった。おまけに台風が来て船は壊れてしまったんじゃ。船がなくなって、奴らは交易ができなくなってしまった。一千人もいたら食うにも困って、奴らは盗賊となってしまったんじゃよ。鋭いヤマトゥの刀を振りかざして、あちこちを荒らし回った。奴らが最初に狙ったのは、この島で一番栄えている野崎(ぬざき)(久松)じゃった。しかし、野崎には知将と言われる『野崎按司』がいたので諦めたようじゃ。野崎の東方(あがりかた)にあった美野(みぬ)という村(しま)は襲われて、娘たちは連れ去られて、他の者たちは皆殺しにされた。家々は焼かれ、食糧は奪われたんじゃ。知らせを聞いてわしも見に行ったが、言葉に表せないほど悲惨なものじゃった。幼い子供たちも皆、無残に殺されていた。その後、村が再建される事もなく、今も荒れ地になったままじゃよ。ウプラタス按司も奴らにやられてしまった。明国から平和を求めてやって来たのに、皆殺しにされてしまったんじゃ。まったく、許せん奴らじゃ。狩俣にも奴らは攻めて来たが、石垣のお陰で追い返す事ができた。大嶽按司(うぷたきあず)、高腰按司(たかうすあず)、内里按司(うちだてぃあず)、久場嘉按司(くばかーず)、みんな、奴らにやられてしまった。その時、立ち上がったのが根間(にーま)の『目黒盛(みぐらむい)』だったんじゃ。目黒盛の誘いに、野崎按司、荷川取(んきゃどぅら)の北宗根按司(にすずにあず)、南部の上比屋按司(ういぴやーず)、そして、わしらも加わって、奴らを倒したんじゃ。今までバラバラだったミャークの者たちが、奴らを倒して一つにまとまったんじゃよ」
「すると、その目黒盛という人がミャークの王様なのですか」と安須森ヌルが聞いた。
 クマラパは笑った。
「王様ではないのう。だが、『豊見親(とぅゆみゃー)』と呼ばれている。琉球で言う『世の主(ゆぬぬし)』と同じようなものじゃろう。根間豊見親とか、目黒盛豊見親と呼ばれている」
琉球に来た『与那覇勢頭(ゆなぱしず)』様も健在なのですね?」とササが聞いた。
「ああ、健在じゃ。与那覇勢頭は目黒盛豊見親の重臣で、目黒盛の命令で琉球に行ったんじゃよ。佐田大人との戦で大怪我をしたんじゃが、見事に役目を果たして琉球に行って来たんじゃ」
 与那覇勢頭に会いたいと言ったら、クマラパは会わせてやると約束してくれた。
 ササたちはクマラパとマズマラーにお礼を言って別れ、小舟(さぶに)に乗って、夕日を背にしながら愛洲(あいす)ジルーの船に戻った。帰りが遅いので、皆、心配していた。
 ササたちは順調よと言って、ミャークに無事に着いたお祝いの宴(うたげ)を開いた。お酒を飲みながら、狩俣で出会ったクマラパの事を皆に話した。津堅島にいた人がミャークにいたと聞いて、皆、驚いていた。さらに、クマラパがササと安須森ヌルの祖父、サミガー大主(うふぬし)を知っていたと聞いて、皆、信じられないといった顔をした。きっと、神様のお導きに違いないと皆で神様に感謝した。
 翌日、珊瑚礁(さんごしょう)に気をつけながら船を南下させて、『白浜(すすぅばま)』という砂浜の近くまで行った。白浜は少し窪んだ所にあって、二隻の船が浮かんでいた。ヤマトゥ船ではなく、進貢船(しんくんしん)を小さくしたような明国の船だった。
 ササたちが小舟に乗って白浜に上陸すると、クマラパが娘のタマミガを連れて待っていた。クマラパがウミンチュ(漁師)たちに頼んで小舟を出してくれたので、最低限の船乗りたちを残して、皆がミャークに上陸した。
 タマミガはササより二つ年上で、琉球の言葉が話せた。ササがお母さんの跡を継ぐのねと聞いたら、ヌルの跡は継ぐけど、按司は兄が継ぐだろうと言った。昔は女の按司が多かったけど、だんだんと男の按司が多くなってきたと言ってタマミガは笑った。
 ササはクマラパとタマミガにみんなを紹介した。若ヌルたちは砂浜で武当拳(ウーダンけん)の套路(タオルー)(形の稽古)をやっていた。それを見たクマラパは驚いて、
「明国の拳術ではないのか」とササに聞いた。
武当拳です」
武当拳といえばヂャンサンフォン(張三豊)殿が編み出した拳術ではないか。どうして、武当拳を身に付けているんじゃ」
「わたしたちは皆、ヂャンサンフォン様の弟子なのです」
「なに、どういう事じゃ? ヂャンサンフォン殿が琉球にいるというのか」
 ササはうなづいた。
 クマラパは驚いたあと、「そうじゃったのか」と一人で納得したようにうなづいた。
「わしは若い頃、少林拳(シャオリンけん)をやっていて、師匠からヂャンサンフォン殿の噂を聞いて、武当山(ウーダンシャン)に行ったんじゃ。武当山はひどい有様じゃった。寺院は破壊されて、誰もいなかったんじゃよ。まさか、ヂャンサンフォン殿が琉球に行ったとは知らなかった」
 琉球に行ったのは、その時ではないと言おうとしたが、説明が長くなるので、ササはやめた。
「刀を差しているので、剣術はできそうだと思っていたが、武当拳までやるとは恐れ入ったのう」
 若ヌルたちは玻名(はな)グスクヌルに任せて、安須森ヌル、ササ、シンシン(杏杏)、ナナ、愛洲ジルーとゲンザ(寺田源三郎)が与那覇勢頭に会いに向かった。
 タマミガはシンシンが明国から来た事を知ると、しきりに明国の事を聞いていた。父親の故郷に興味があるようだった。
 ほとんど平らな島だが、左の方に山らしいのが見えたのでササはクマラパに聞いた。
「あの山は大嶽(うぷたき)(野原岳)じゃよ。ミャークで一番高い山じゃ。あそこにグスクがあったんじゃが、佐田大人の奴らに滅ぼされてしまったんじゃよ」
「あとで連れて行って下さい」とササは言った。
 クマラパは笑ってうなづいた。
「大嶽按司の長男は戦を嫌って農民(はるさー)になったお陰で助かった。戦が終わったあと、大嶽の裾野を開墾して新しい村を造って、その村の長老になっている。長老になっても毎日、野良仕事に励んでいる面白い男じゃよ」
「この辺りにもグスクはあったのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「この辺りは北銘(にしみ)(西銘)と呼ばれていて、北銘按司がいたんじゃよ。だが、石原按司に滅ぼされてしまった。わしの妹は石原按司の倅に嫁いだんじゃよ。幸せに暮らしていたんじゃが、北銘按司の従兄(いとこ)の糸数按司(いとぅかずあず)に滅ぼされてしまったんじゃ」
「妹さんは無事だったのですか」
「無事じゃった。わしに夫と息子の敵(かたき)を討ってくれと言ってきたが、わしが手を出すまでもなく、バチが当たって、突然、亡くなってしまったんじゃよ」
 そう言ってクマラパは楽しそうに笑った。
 しばらく行くと小高い丘の上に集落があって、その先に石垣で囲まれたグスクが見えた。それほど大きなグスクではなかった。
「与那覇(ゆなぱ)スクじゃ」とクマラパが言った。
「ミャークではグスクの事を『スク』と呼んでいるんじゃよ。按司の事は『アズ』じゃ。昔はティダとか大殿(うぷどぅぬ)と呼ばれていたらしい。女子(いなぐ)の按司は『ミドゥンアズ』と言う。ヌルの事は『チカサ』と呼んでいるが、村を代表するヌルは『ウプンマ』と呼ばれている。ここは『イナピギムイ』といって、目黒盛が両親から譲られた土地なんじゃ。しかし、両親は目黒盛が三歳の時に亡くなってしまって、この土地は七兄弟という悪い奴らに奪われてしまった。目黒盛はここで七兄弟と決闘をして勝って、土地を取り戻したんじゃよ。そして、グスクを築いて、与那覇勢頭に守らせたんじゃ」
「三十年前の戦の時も、与那覇勢頭様はここを守っていたのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「守っていた。佐田大人が来る二年前に琉球の進貢船がミャークに来たんじゃよ。嵐に遭って流されて来たらしい。進貢船の大きさにミャークの者たちは皆、驚いた。目黒盛は琉球が明国と交易をしている事を知って、琉球に行かなければならないと思ったんじゃ。そして、与那覇勢頭、当時はマサクと呼ばれていたが、マサクをこのグスクに入れて、白浜で船を造らせたんじゃよ。船造りは八重山(やいま)まで行って材木を手に入れる事から始まった。ウプラタス按司の船を真似して、琉球まで行く船を造ったんじゃ。その時、わしも手伝ったんじゃよ。その船もようやく完成して、琉球に行こうとした年、目黒盛と佐田大人の戦が起こったんじゃ。マサクは大怪我を負ってしまったが無事に回復して、翌年、琉球に行ったんじゃよ」
 グスクの御門番(うじょうばん)は不思議そうな目付きでササたちを見ていたが、クマラパが何かを言うと驚いた顔をしてからグスク内に入れてくれた。石垣の中は仕切られていないで、曲輪(くるわ)は一つだけだった。奥の方に垣根に囲まれた屋敷があって、入り口の所に背の高い男が立っていた。
 男はクマラパを笑顔で迎えた。クマラパが与那覇勢頭だとササたちに教えた。
 与那覇勢頭は五十代半ばくらいで、鎧(よろい)姿が似合いそうな貫禄のある男だった。日に焼けた顔をしていて、今でも船頭(船長)として船に乗っている事を物語っていた。琉球中山王(ちゅうさんおう)の娘が使者としてミャークに来たと聞いて驚き、クマラパから詳しい事情を聞いていた。
「中山王の武寧(ぶねい)が滅ぼされたとは驚いた」と与那覇勢頭はササたちに言った。
「与那覇勢頭様が琉球に行った頃は、中山王は浦添(うらしい)グスクにいましたが、今は首里(すい)が琉球の都です。あの頃の浦添よりも首里の城下は栄えています」とササは言った。
首里?」と与那覇勢頭は首を傾げたが、「首里天閣(すいてぃんかく)が建っていた小高い丘の事ですか」と聞いた。
「そうです。首里天閣はもうありませんが、あそこに首里グスクができて、その城下が都になったのです」
「ほう、そうだったのですか。察度(さとぅ)殿に招待されて首里天閣に登って、素晴らしい眺めを楽しみました。あれから、もう二十年余りが経ったんじゃのう」
 与那覇勢頭は当時を思い出していたようだが、ササたちを歓迎して屋敷に入れてくれた。通された会所(かいしょ)らしい部屋に、ヤマトゥの屏風(びょうぶ)と南蛮(なんばん)(東南アジア)の大きな壺(つぼ)が飾ってあった。
大神島(うがんじま)のガーラさんから、与那覇勢頭様は『ターカウ(台湾の高雄)』に行っていると聞きましたが、そこで倭寇と交易をしているのですか」とササは聞いた。
琉球との取り引きをやめてから、ヤマトゥの商品を手に入れるためにターカウまで行ったのです。倭寇の拠点だと聞いていたので、捕まってしまう恐れもあったのですが思い切って行ってみたのです。クマラパ殿も一緒に行ってくれました。野崎按司(ぬざきあず)はターカウと交易をしていたので、野崎按司の配下のヤマトゥンチュ(日本人)も連れて行きました。行ってみて驚きましたよ。港には様々な船がいくつも泊まっていて、まるで、都のような賑わいだったのです。倭寇に連れ去られて来たのか、朝鮮(チョソン)や明国の女たちもいました。倭寇の首領は『キクチ殿』と言って、豪華な屋敷で王様のように暮らしています。一緒に行ったヤマトゥンチュが話を付けてくれたので、わしらは歓迎されて、その後、ずっと交易を続けているのです。今は二代目がキクチ殿を継いでいます」
「ミャークから何を持って行くのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「シビグァー(タカラガイ)、ヤクゲー(ヤコウガイ)、ブラゲー(法螺貝)、ガラサーガーミー(タイマイ)の甲羅、ザン(ジュゴン)の干し肉と塩漬け(すーちかー)、干しシチラー(ナマコ)、ミャークで取れるのはこんな物です。あとは南蛮の商品を持って行きます」
「南蛮の商品もあるのですか」と安須森ヌルは驚いてササたちを見た。
「野崎按司が南蛮と取り引きをしています。ターカウの南に『トンド(マニラ)』という国があります。野崎の『アコーダティ勢頭(しず)』が若い頃、トンドまで行って取り引きを始めたのです。もう四十年も前の事で、今でもトンドとの取り引きは続いています」
 トンドの国というのはシーハイイェン(施海燕)から聞いたような気もするが、ササはよく覚えていなかった。
「すると、琉球に行っていた時も南蛮の商品を持って行ったのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「勿論です。中山王の察度殿は喜んでくれました」
「それなのに、どうして琉球に行かなくなったのですか」
「詳しい事は知りませんが、察度殿は若い頃にヤマトゥに行った事があるらしくて、船乗りの気持ちをよくわかってくれました。遠くからよく来てくれたと歓迎してくれたのです。しかし、察度殿が亡くなって、跡を継いだ武寧はわしらを見下したような目で見て、わしらの事は家臣たちに任せっきりで、わしらに会おうともしなかったのです。船乗りたちがあんな男のために危険を冒してまで琉球に行く必要はないと言い出して、行くのをやめてしまったのですよ」
「そうだったのですか。察度様で思い出しましたが、察度様から刀をいただきませんでしたか」
「見事な刀をいただきました。目黒盛殿が大切にしているはずです」
 英祖(えいそ)の宝刀を目黒盛が持っていると聞いて、安須森ヌルはササと顔を見合わせて喜んだ。
「話は変わりますが、古いウタキ(御嶽)はどこにありますか。ミャークに来た事を神様に挨拶しなければなりません」とササが言った。
「古いウタキと言えば『漲水(ぴゃるみず)ウタキ』でしょう。目黒盛殿の根間グスクの近くにあります。御案内しますよ」
 与那覇勢頭が馬を用意してくれたので、馬に乗って漲水ウタキに向かった。景色を眺めながらゆっくりと行ったが半時(はんとき)(一時間)もしないうちに根間の城下に着いた。石垣で囲まれたグスクの周りには家々が建ち並んでいて、ここがミャークの都のようだった。その城下を通り越して、海岸の近くにクバの木が生い茂った森があった。森の隣りにヌルの屋敷があって、『漲水のウプンマ』と呼ばれているヌルがいた。
 漲水のウプンマは三十代半ばくらいのヌルで、七歳くらいの娘と庭で遊んでいた。ササたちを見ても驚くわけでもなく、歓迎してくれた。
 漲水のウプンマは琉球の言葉がしゃべれた。琉球に行ったのですかと聞いたら、神様から教わったのよと言って笑った。
 男たちはヌルの屋敷で待っていてもらった。ササたちは刀を預けて、森の裏にある海辺で禊(みそ)ぎをして、ウプンマと一緒に漲水ウタキに入った。森の中に広場があって、神様が降りて来る石が置いてあった。久高島(くだかじま)のフボーヌムイ(フボー御嶽)とよく似ていた。
 ササたちはウプンマと一緒にお祈りを捧げた。神様の声は聞こえたが、ミャークの言葉で理解できなかった。お祈りを終えたあと、ヌルの屋敷に戻って、ウプンマから神様の事を聞いた。
 南の国からやって来た『コイツヌ』と『コイタマ』という夫婦の神様を祀っている。二人はこの辺りに住んでいる人たちの御先祖様だけど、詳しい事はわからないという。アマミキヨ様の事を聞いたが、ウプンマは知らなかった。
 漲水のウプンマと別れて、ササたちは根間グスクに行って目黒盛豊見親と会った。
 目黒盛豊見親は与那覇勢頭より三つくらい年上で、大将という貫禄があった。目の上に目立つ黒いアザがあったが、決して醜くなく、なにか特別な人という感じがした。
 言葉が通じないので、与那覇勢頭の通訳で話をした。目黒盛豊見親はササたちが滞在する屋敷を用意してくれ、昼食も用意してくれた。今晩、歓迎の宴を開くので、それまでゆっくりしていてくれと言った。
 日が暮れるまで、まだたっぷりと時間があるので、ササたちはクマラパの案内で野崎に向かった。トンドの国と取り引きをしているというのが気になっていた。
「今は根間が都のように栄えているが、以前は野崎が一番栄えていたんじゃよ」とクマラパが馬に揺られながら言った。
「トンドの国に行ったというアコーダティ勢頭様を御存じですか」と安須森ヌルが聞いた。
「よく知っておるよ。奴は若い頃、ウプラタス按司のグスクに出入りしていたんじゃ。その頃、わしもウプラタスにいたんで、奴に明国の話をしてやった。奴は興味を持って、いつか必ず、明国に行くと言って、明国の言葉を学び始めたんじゃ。十八歳の時、奴は小舟に乗って明国を目指したんじゃよ」
「小舟で明国に行ったのですか」と安須森ヌルは驚いた。
「残念ながら明国には行けなかったんじゃ。ドゥナン(与那国島)まで行って引き返して来たんじゃよ。ドゥナンの者に小舟では黒潮(くるす)を乗り越える事はできないと言われたようじゃ。しかし、奴は諦めなかった。小舟でドゥナンまで行って来た事が認められて、野崎按司の援助で船を造る事になったんじゃ。その船を造ったのがわしなんじゃよ。その時、わしは初めて船を造ったんじゃが、それが後に与那覇勢頭の船を造るのに役立ったというわけじゃ。奴はその船に乗って、黒潮を乗り越えてターカウまで行った。わしも一緒に行ったんじゃよ。明国に行くつもりだったんじゃが、明国は海禁政策をやっていて、下手に近づけば捕まってしまうぞと倭寇たちに脅されたんじゃ。わしもやめた方がいいと言って、トンドに向かう事にしたんじゃよ。トンドは元の国に滅ぼされた宋(そう)の国の商人たちが作った国じゃった。言葉も通じて交易もうまく行った。南蛮の商品をたっぷりと積んで帰って来て、野崎按司を喜ばせたんじゃよ」
 野崎は港の周りに発達した集落で、家々も多く建ち並んでいて賑やかな所だった。アコーダティ勢頭の屋敷は海の近くにあった。屋敷の周りには田んぼが広がっていて、稲穂が伸びていた。
「赤米(あかぐみ)じゃ」とクマラパが言った。
「アコーダティ勢頭がトンドから持って来て植えたんじゃよ。もう少ししたら稲穂が赤くなる。アコーは赤い穂の事で、ダティは里の事じゃ。いつしか、この辺りはアコーダティと呼ばれるようになったんじゃよ」
 アコーダティ勢頭は白髪頭の老人だったが、体格のいい海の男だった。琉球から来たというと、遠くからよく来てくれたと歓迎してくれた。アコーダティ勢頭は明国の言葉はしゃべれるが、琉球の言葉もヤマトゥ言葉もしゃべれなかった。シンシンが通訳をして、トンドの国の事を聞いた。
 トンドには広州の海賊が来て、明国の商品を持って来る。旧港(ジゥガン)(パレンバン)やジャワの船も来て、南蛮の商品を持って来る。ターカウの倭寇も来て、ヤマトゥの商品を持って来るという。シーハイイェンとスヒターの事を聞くと、アコーダティ勢頭は名前は聞いた事があるという。その二人は王様の娘なのに、ヤマトゥまで行って来たと一時、商人たちの間で話題になっていたらしい。
「今は二人とも琉球にいます」とササが言うと、アコーダティ勢頭は知っているというようにうなづいた。
 ササたちの歓迎の宴にアコーダティ勢頭と野崎按司も招待されたようで、一緒に根間に向かった。
 城下の屋敷に帰ると、玻名グスクヌルと若ヌルたち、マグジ(河合孫次郎)、女子サムレーのミーカナとアヤーが待っていた。目黒盛の家臣が白浜まで迎えに来たという。船乗りたちは白浜に残っているが、近所の女たちが炊き出しをしているので心配ないと言った。

 

 

 

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2-156.南の島を探しに(改訂決定稿)

 十五夜(じゅうぐや)の宴(うたげ)の翌日、台風が来た。それほど大きな台風ではなかったが海は荒れて、大里(うふざとぅ)ヌルとフカマヌルは久高島(くだかじま)に帰れなかった。
 大里ヌルは二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)と一緒にどこかに行ってしまい、三日後に島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに戻って来て、右馬助を連れて久高島に帰って行った。
「右馬助は大里ヌルに骨抜きにされるな」とウニタキ(三星大親)はニヤニヤ笑ったあと、「羽地按司(はにじあじ)が亡くなった」とサハチ(中山王世子、島添大里按司)に言った。
 羽地按司は体調を崩して二か月近く寝込んでいて、急に苦しみ出したと思ったら、そのまま亡くなってしまったらしい。六十一歳だった。湧川大主(わくがーうふぬし)の義弟の若按司が跡を継いだ。義弟といっても湧川大主の妻はすでに亡くなっているので、強いつながりがあるわけではない。若按司の妻は恩納按司(うんなあじ)と金武按司(きんあじ)の姉なので、二人を利用すれば寝返らせる事もできるかもしれないとウニタキは言った。
「羽地按司、名護按司(なぐあじ)、できれば、国頭按司(くんじゃんあじ)も寝返らせたい」とサハチは言った。
「わかっている。焦らずにやるつもりだ」とウニタキはうなづいた。
 八月の末、旅芸人たちがキラマ(慶良間)の島に行った。ササたち、シーハイイェン(施海燕)たち、スヒターたち、リェンリー(怜麗)たちも一緒に行った。もうすぐササたちは南の島(ふぇーぬしま)を探しに行くので、シーハイイェンたちとのお別れの旅でもあった。
 キラマの島から帰って来たササから、アミーのお腹が大きくなっていると聞いてサハチは驚いた。相手は誰だと聞いても教えてくれなかったという。相手が修行者だったら放ってはおけないと思い、サハチはウニタキに相談した。
「修行者の男とそんな仲になるなんて、アミーを見損なったよ」とサハチが言うと、
「相手は修行者じゃない」とウニタキは言った。
 困ったような顔をしているウニタキを見ながら、
「まさか‥‥‥」とサハチは言った。
 ウニタキはうなづいて、「俺なんだ」と白状した。
「お前、アミーとそんな仲になっていたのか」
 ウニタキは首を振った。
「アミーは子供が欲しかったんだよ。自分の跡を継ぐ娘がな。たまたま、俺が選ばれてしまったんだ。正月にシタルー(先代山南王)の死を知らせに行った時だ。俺は二人を連れて帰るつもりだった。ユーナは女子(いなぐ)サムレーに戻して、アミーは配下にしようと思っていたんだ。ユーナは喜んで帰ると言ったが、アミーは島に残ると言った。それでも俺は諦めずにアミーを口説いた。アミーを今帰仁(なきじん)の『まるずや』に入れて、山北王(さんほくおう)(攀安知)の離間策に使おうと思っていたんだ。アミーは俺を隠れ家に連れて行った。快適なガマ(洞窟)だったよ。そこで、酒を飲みながら『三星党(みちぶしとー)』に入ってくれって頼んだんだ。そしたら、アミーが子供が欲しいって言い出して、あとは成り行きで抱いてしまったんだよ」
「成り行きで抱いたのか」
「アミーはいい女だ。アミーから言い寄られたら、お前だって抱いただろう」
 確かに、ウニタキの言う通りだった。アミーに言い寄られて断る勇気はサハチにもなかった。
 サハチは溜め息をついて、
「これからどうするつもりなんだ?」と聞いた。
「アミーのお腹の子供の父親が、修行者たちではないという事をはっきりさせておかなければならないだろう」
「父親は俺なんだが、島の者たちに知られたらうまくない。いつの日か、チルーの耳に入ってしまうだろう」
「お前、正月に島に行った時、一人だったのか」
「いや、配下の者を二人連れて行った。与論島(ゆんぬじま)に連れて行ったウクシラーとサティだ」
「二人のうちのどっちかを父親にしたらどうだ?」とサハチは言った。
「子供が生まれたあと、そいつを島に連れて行って、父親だと名乗らせるんだ」
「しかしなあ、俺の子だぞ。父親だと名乗れないのは辛い」
「それなら名乗り出ればいい」
 参ったなあといった顔をしてウニタキは首を振った。
 その翌日、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)のイハチの妻、チミーが男の子を産んだ。イハチの長男は『マハチ(真八)』と名付けられて、跡継ぎが生まれてよかったと具志頭の人たちに祝福された。
 九月になって、ササたちはビンダキ(弁ヶ岳)に行って、『ビンダキ姫』の神様にイシャナギ島(石垣島)の『ウムトゥ姫』を呼んでほしいと頼んだ。ビンダキ姫は呼んでくれたが、娘のウムトゥ姫は来なかった。
「蚊(がじゃん)の退治で忙しいのかもしれないわね」とビンダキ姫は言った。
「蚊の退治?」とササは聞いた。
「イシャナギ島では蚊に刺されると熱病に罹って、大勢の島人(しまんちゅ)が亡くなったって、この前に来た時に言っていたわ」
 ウムトゥ姫が来てくれないので、ミャーク(宮古島)に行く『サシバ』を頼りに行かなければならない。一緒に行ってくれるユンヌ姫とアキシノに活躍してもらうしかなかった。
 ヤマトゥ(日本)から帰って来たユンヌ姫はヤマトゥの様子をササたちに教えてくれた。
 御台所様(みだいどころさま)(将軍義持の妻、日野栄子)は去年の十月に女の子を無事に産んで、健やかに育っている。将軍様は二日前に伊勢の神宮参詣に出掛けたけど御台所様は行かなかった。高橋殿は行ったという。
「タミーはどうしているの?」とササは聞いた。
「お祖母(ばあ)様(豊玉姫)のお墓に行ったけど、伯母様(玉依姫)はいなかったわ。京都に着いて、船岡山に行ったけど、お祖父(じい)様(スサノオ)もいなかったの。次の日もタミーはハマ(越来ヌル)と一緒に行ったけど、お祖父様はいなかったわ。それから毎日、タミーとハマは船岡山に通ったのよ。雨の日も休まずにね。一か月が経った頃、高橋殿が気の毒がって、等持寺(とうじじ)にいた二人を高橋殿の屋敷に移したのよ」
「タミーは一か月も船岡山に通ったの?」
「一か月どころじゃないわ。七月の初めに京都に着いて、お祖父様の声が聞こえたのは八月の半ば過ぎだったわ」
スサノオの神様はどこに行っていたの?」
「出雲(いづも)に帰っているんだと思って探したんだけどいなかったのよ。出雲の奥さんの『稲田姫(いなだひめ)様』に聞いたら六月に出掛けたきり、どこに行ったのか帰って来ないって言っていたわ。やっと帰って来たお祖父様に聞いたら、久米島(くみじま)にいたっていうから驚いたわ。サハチの一節切(ひとよぎり)を聞いて久米島に行って、それからずっと久米島にいたのよ」
「えっ!」とササは驚いて、「久米島で何をしていたの?」と聞いた。
「クミ姫とその三人の娘たちと一緒にお酒を飲んでいたんですって。お祖父様は言わなかったけど、もしかしたら、クイシヌも一緒にいたんじゃないかしら」
「まったく、何をやっているのよ」とササは言って、十五夜の宴(うたげ)の時、スサノオの神様の声を聞いたのを思い出した。あの時、帰って行ったんだわと思った。
スサノオの神様の声を聞いてから、タミーはどうしたの?」
「タミーがお祖父様の声を聞く事ができるってわかって、高橋殿はタミーとハマを御所に連れて行って、御台所様と会わせたの。二人は恐縮して顔も上げられなかったけど、御台所様は二人から琉球の話やササの事を聞いて喜んでいたわ。その後は高橋殿の屋敷に滞在して、京都見物を楽しんでいたみたい。八月の末に、戦(いくさ)が起こるってタミーは高橋殿に言ったの。高橋殿は驚いて、タミーから話を聞いて、将軍様伊勢の神宮参詣が決まったのよ。伊勢にいる北畠(きたばたけ)という武将が反乱を起こす気配があるので、それを偵察するために将軍様は兵を率いて出掛けたのよ。高橋殿もタミーとハマを連れて一緒に行ったわ」
「タミーが戦を予言したの?」
「そうよ。タミーは先に起こる事がわかるようね。それだけじゃなくて、面倒見もいいわ。お祖父様の声を聞くまでの一か月半、タミーは色々な神様に声を掛けられて、それに一々応えていたのよ。船岡山は流行り病(やまい)で亡くなった人たちが葬られていたから、そういう人たちがタミーに声を掛けてきたの。タミーは親身になって話を聞いてやっていたわ。あの山で殺された源氏の武将も出て来たようだけど、タミーは恐れることなく話を聞いていたのよ。ハマもしぶとかったわね。神様の声が聞こえないのに、毎日、タミーにつき合ってお祈りを捧げていたのよ。一か月が過ぎた頃、ハマにも神様の声が聞こえるようになって、あたしの声も聞こえるようになったわ」
「ハマも神人(かみんちゅ)になれたのね」とササは喜んだ。
 美里之子(んざとぅぬしぃ)の娘だったハマはササより一つ年上で、父親が越来按司(ぐいくあじ)になった時、ヌルになるための修行を始めた。すでに十七歳になっていた。越来ヌルの指導のもと修行を積んでヌルになったが、神様の声を聞いた事はなかった。十九歳から修行を始めたタミーが神様の声を聞いたと聞いて、ハマはタミーと行動を共にして神人になれたのだった。
「ヤマトゥの戦は大きな戦なの?」
「今の所はまだ起きていないわ。でも、大きな戦になるかもしれないって高橋殿は警戒しているみたい」
「そう。無事に治まってくれるといいわね」
 九月八日の朝、ササたちを乗せた愛洲(あいす)ジルーの船は『サシバ』を追って、ミャークを目指して浮島(那覇)を船出した。ササと一緒に行ったのはシンシン(杏杏)、ナナ、ササの弟子のチチー(八重瀬若ヌル)とウミ(運玉森若ヌル)とミミ(手登根若ヌル)とマサキ(兼グスク若ヌル)、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)と若ヌルのマユ、玻名(はな)グスクヌル、与那原(ゆなばる)の女子サムレーのミーカナとアヤー、愛洲ジルーとその家臣たち、そして、ユンヌ姫とアキシノだった。
 玻名グスクヌルは『シヌクシヌル』になる決心を固めていて、安須森ヌルと一緒に行った。南の島から帰ってきたら、セーファウタキ(斎場御嶽)で就任の儀式を行なう予定だった。
 ササたちを見送ったサハチは遭難しないかと心配していたが顔には出さず、ユンヌ姫に、「迷ったら無理をしないで戻って来てくれ」と頼んだ。
「任せてちょうだい」とユンヌ姫は調子よく言った。
「心配しないで下さい」と別の声が言った。
 アキシノの神様のようだった。
「必ず、無事に帰れるように見守っています」
 アキシノは山北王の御先祖様だった。山北王の御先祖様に守ってもらうのは気が引けたが、マチルギの御先祖様でもある事に気づいて、
「よろしくお願いします」とサハチはアキシノを頼った。
 サシバは南西へと飛んで行き、愛洲ジルーの船は帆に東風(くち)を受けながらサシバを追って行った。
 船は順調に進んで行ったが、正午(ひる)頃になると、どこを見回しても島影は見えなくなった。今、どの辺りにいるのかわからず、このまま進んでいいのだろうかと不安がよぎった。ジルーが大丈夫だと言うので、ササはジルーを信じた。
「ジルー、伊勢の北畠って武将を知っている?」とササはジルーに聞いた。
「北畠殿は『多気(たげ)の御所様』と呼ばれていて、愛洲家も北畠殿に従っているんだよ」
「北畠殿が戦を始めるみたいよ」
「やはり、そうか。南北朝(なんぼくちょう)の戦が終わった時、北朝天皇のあとは南朝天皇が即位するという約束だったのに、二年前、北朝天皇が続けて即位したんだ。北畠殿が黙ってはいないだろうと思っていたけど、やはり、兵を挙げるのか」
「愛洲家も戦をするの?」
「愛洲家は伊勢の国の南端だから、戦に巻き込まれないとは思うけど、援軍を送らなければならない。それと、戦が始まると伊勢参りや熊野詣での人たちも減ってしまうので、稼げなくなってしまう」
「あなたは帰らなくても大丈夫なの?」
「親父も兄貴も健在だから大丈夫だよ。お土産をたんまりと積んで帰れば、親父も喜んでくれるだろう」
「そう。あなたがいてくれて本当に助かったわ」
「見知らぬ島に行く事ができて、俺も心が弾んでいるんだ」
 午後になって風が止まってしまった。ヤマトゥ船には艪(ろ)が付いているので漕ぐ事もできるが、旅に出たばかりで焦る事もないと酒盛りを始めた。旅に酒は付き物なので大量に積んで来ている。ほかにヤマトゥの商品、明国(みんこく)の商品、南蛮(なんばん)(東南アジア)の商品も積んでいて、南の島で交易もするつもりでいた。ミャークの人たちは壊れた鍋(なべ)や釜(かま)などの鉄屑(てつくず)も喜ぶと安謝大親(あじゃうふや)から聞いているので、それも積んでいる。ヤマトゥの刀はどこに持って行っても喜ばれるので、勿論、大量に積んであった。
 酒が飲めない若ヌルたちは笛の稽古に励んでいた。へたくそな笛がピーピー鳴っていたが、誰も文句は言わない。船乗りたちも笑いながら娘たちを見ていた。
 夕方に黒い雲が現れて、大雨が降ってきて雷も鳴り響いた。風も出て来て船は動いたが、波が高くなって船は大揺れした。船室に入った女たちは航海の神様に無事を祈った。若ヌルたちは真っ青な顔をして必死にお祈りを捧げた。
 半時(はんとき)(一時間)ほどで雨はやんで、波も静かになった。船室から出て空を見上げると、降るような星が出ていて、半月も浮かんでいた。
 星を見ていたマグジ(河合孫次郎)が、
「方角は大丈夫です」とササに言った。
「もう半分くらいは来たかしら?」
 マグジは首を振って、「まだ四分の一も来ていませんよ」と笑った。
「先は長いわね」とササは苦笑した。
 星を見ながら船は夜も走っていた。
 翌朝はいい天気だった。東から昇る朝日を眺めながら船が南西に向かっている事を確認した。
「夜の間、順調に進んだの?」とササがマグジに聞くと、マグジはうなづいた。
「もう半分は来ているはずです」
 ササは満足そうに笑って、「御苦労様」とねぎらった。
 その日の船旅は快適だった。ピトゥ(イルカ)が現れて歓迎してくれた。船の周りを泳ぎ回っているピトゥを見ながら、若ヌルたちはキャーキャー騒いで喜んでいた。
 午後になって船の左側を飛んで行くサシバの群れが小さく見えた。船の進む方角が少しずれていると感じたジルーは方角を少し修正した。その日は暗くなったら船を泊めた。真っ直ぐ進めば夜のうちに着くだろうが、ミャークの周辺には珊瑚礁があるので危険だった。
 三日目の朝、ササはユンヌ姫とアキシノに、
「まだ島影は見えないかしら」と聞いた。
「ちょっと調べてくるわ」と二人は言って先に進んで行った。
 戻って来た二人の神様は、
「もうすぐよ。でも、南に進路を変えた方がいいわ。このまま進むと大きな珊瑚礁にぶつかって座礁しちゃうわ」と言った。
 首里グスクにあった記録にも、ミャークの北には『ヤピシ(八重干瀬)』という大きな珊瑚礁があるので危険だと書いてあった。
 ササはジルーに知らせて進路を変更させた。
 正午近くになって、小さな島が見えてきた。
「あの島の向こうに大きな島があるわ。きっと、ミャークよ」とユンヌ姫が言った。
「あの島とミャークの間にも珊瑚礁があるから気をつけてね」とアキシノが言った。
「あの島だけど、古い神様がいるわ」とユンヌ姫が言った。
「行かなければならないわね」とササは安須森ヌルに言った。
「久高島みたいな島かしら?」とどことなく神秘的に見える島を見つめながら安須森ヌルが言った。
 珊瑚礁に気をつけながら島の近くまで行って、小舟(さぶに)を下ろして、ササ、シンシン、ナナ、安須森ヌル、ゲンザ(寺田源三郎)の五人が、小島に向かった。
 島の周りには奇妙な形をした岩がいくつも点在していた。南側の砂浜から上陸すると、小さなウタキ(御嶽)があったので、ササたちはひざまづいて挨拶をした。神様の声は聞こえたが、何を言っているのかわからなかった。
 ウミンチュ(漁師)のおかみさんらしい女が近づいて来て声を掛けたが、やはり、意味がわからなかった。
 初めて琉球に来た『与那覇勢頭(ゆなぱしず)』は言葉が通じなくて、琉球の言葉を学んでから察度(さとぅ)(先々代中山王)に会ったと聞いていたが、こんなにも言葉が通じないとは思ってもいなかった。何を言ってもお互いに首を傾げるばかりだった。やがて、人々が集まって来て、誰かが何かを思い出したように何事かを言うと、皆が賛成して誰かを呼びに行った。
 連れて来た五十年配の男は琉球の言葉をしゃべった。ガーラという名前で、二十年近く前まで、与那覇勢頭と一緒に琉球に行っていたという。
「与那覇勢頭様はお元気ですか」とササが聞くと、
「今でも船に乗っていて、『ターカウ(高雄)』まで行っています」とガーラは言った。
「ターカウとはどこですか」
「明国の近くにある大きな島(台湾)です。明国の人は小琉球(シャオリュウチュウ)と呼んでいます」
 ササは絵地図を思い出して、
「ドゥナン(与那国島)の西(いり)にある島ですね」と聞いた。
「そうです」
「何をしにターカウに行くのですか」
「取り引きですよ。ターカウは密貿易の拠点になっていて、各地から倭寇(わこう)や海賊がやって来て、取り引きをしています。賑やかな所ですよ」
 そんな所があったのかとササは驚いて、安須森ヌルと顔を見合わせた。
「この島は神様の島だと聞きましたが、ヌルはいるのですか」と安須森ヌルが聞いた。
 先ほど集まって来た人たちの中に、『ウプンマ(大母)』と呼ばれるこの島のヌルがいた。ガーラの通訳で、古いウタキでお祈りを捧げたいと言ったが、よそ者をウタキに入れるわけにはいかないと断られた。
 島の名前を聞くと、『大神島(うがんじま)』だという。古くから神様の島として信仰されているらしい。ウプンマは、刀を腰に差しているササたちを警戒しているようだった。仕方がないのでウタキに入るのは諦めようと思っていたら、ユンヌ姫の声が聞こえた。
「この島の神様は航海の神様で、狩俣(かずまた)から来たのよ」
「狩俣ってどこ?」とササは聞いた。
「ミャークよ。対岸にあるわ」
 ササたちは対岸に見えるミャークを見た。ほとんど平らな島だった。
「途中に珊瑚礁がいっぱいあるからジルーの船では行けないわ。小舟で行った方がいいわよ」
「ありがとう」とササはユンヌ姫にお礼を言ってから首を傾げて、
「ユンヌ姫様はミャークの言葉がわかるの?」と聞いた。
「昔はここも琉球も同じ言葉をしゃべっていたの。でも、長い間、交流がなくなったので、言葉が変化してしまったのよ。古い神様の言葉はササにもわかるはずよ」
「そうなんだ」とササは納得して、ガーラに狩俣に行く事を告げた。
「狩俣には『マズマラー』という女按司(うなじゃら)がいます。マズマラーはヌルでもあって、狩俣の按司でもあります」とガーラが言った。
「狩俣はヌルが統治しているのね」
「そうです。この島もそうですが、古くはどこの村(しま)でもヌルが統治していました。戦世(いくさゆ)になってから男の按司が現れたのです。マズマラーの甥に『マブクイ』という船頭(しんどぅー)がいて、わたしと一緒に琉球に行っていますので、琉球の言葉がしゃべれます」
「それは助かるわ」
 ササたちはガーラにお礼を言って、先ほど拝んだウタキで、無事にミャークに着いたお礼を告げた。
「ようこそ、いらっしゃいました」と神様の声が聞こえた。
 ササたちは驚いた。
「この島の神様なんですね?」とササは聞いた。
「そうです。琉球から神様を連れてやって来るなんて、あなたたちは何者なの?」
「ヌルです。琉球の南にミャークという島があると聞いてやって参りました」
「そういえば、琉球から来る人は久し振りね。三十年程前に久米島の兄弟がやって来て以来かしら」
「昔はもっと来ていたのですか」
「そうね。粗末な舟だったけど、今よりは往来はあったわね」
「そうだったのですか」
「あなたたちの目的は何なの?」
琉球の神様なんですけど、『アマミキヨ様』を御存じですか」
「名前は聞いているけど、随分と古い神様だわ」
アマミキヨ様がどこから来たのか調べているのです。ミャークにアマミキヨ様が来られた形跡はありませんか」
「あなたたち、そんな昔の事を調べるためにやって来たの?」
「そうです」とササが言ったら神様は笑った。
「ミャークを攻めるための偵察じゃないのね?」
「えっ?」とササは驚いた。
 そんな事を言われるなんて思ってもいなかった。
「ミャークを攻めるなんて、そんな事をするわけないじゃないですか。どんな人たちが暮らしているのか見に来ただけです。できれば、交易をしたいとは思っていますけど」
「三十年前、倭寇がミャークにやって来て、多くの人が殺されたのよ。二度とあんな悲惨な事を起こしたくはないわ」
「三十年前というと、久米島から兄弟がやって来た頃ですね。その兄弟が倭寇と関係があったのですか」
「その兄弟は関係ないわ。ミャークで戦が起きたので伊良部島(いらうじま)に逃げて、今も無事でいるわ。兄はイシャナギ島に行ったわよ」
「イシャナギ島の『ウムトゥ姫様』を御存じですか」
「勿論、知っているわ。ミャークに来た時は『ネノハ姫』って呼ばれていたわ」
「ネノハ姫?」
「子(ね)(北)の方から来た姫よ。ネノハ姫は『ヤピシ』を見て喜んで、池間島(いきゃま)にしばらく住んでいたわ。ヤピシで採ったシビグァー(タカラガイ)を琉球に送っていたのよ」
「イシャナギ島に行ってからウムトゥ姫になったのですね」
「そうよ」
「イシャナギ島で熱病が流行っていると聞きましたが、本当なのですか」
「『ヤキー(マラリア)』という熱病よ。蚊に刺されるとヤキーになって、大勢の人が亡くなったらしいわ」
「そうでしたか。色々と教えていただいてありがとうございます」
「歓迎するわ」と神様は言って消えてしまった。
 ササたちがお祈りを済ませて立ち上がると、ウプンマが驚いた顔をしてササたちを見ていた。警戒している目付きから優しい眼差しに変わっていた。ウプンマはササたちに向かって両手を合わせて頭を下げた。ササたちも頭を下げて、小舟に乗ると狩俣に向かった。
 半時程で狩俣に着いたが、海岸は岩場が続いていて上陸できなかった。やっと砂浜に上陸して、森と森の間にあった小道を抜けると左側に狩俣の集落が見えた。
 驚いた事に集落は高い石垣で囲まれていた。
大神島の神様が三十年前に大きな戦があったって言っていたけど、今も戦があるのかしら?」と安須森ヌルが言った。
「村全体がグスクみたいね」とナナが言うと、
「明国の都はみんな高い石垣で囲まれているわ」とシンシンが言った。
「明国から来た人が作ったのかしら?」と言ってからササは、「あそこに御門(うじょう)があるわ」と指差した。
 御門は閉ざされていて、たたいても何の返事もなかった。ササたちは諦めて石垣に沿って歩いた。しばらく行くと、先ほどよりも大きな御門が見えて、御門番(うじょうばん)が立っているのが見えた。
 ササたちが御門の方に行こうとしたら、ガジュマルの木陰にいた老人に声を掛けられた。白髪白髭の仙人のような老人がササたちを見ていた。
 腰に刀を差した女子(いなぐ)サムレーの格好は奇妙に見えるようだ。そして、一緒にいるゲンザは場違いなヤマトゥンチュ(日本人)のサムレーだった。
 声を掛けられても何を言っているのかわからず、ササは『琉球』と『マグクイ』を強調して言った。
琉球から来たのかね?」と老人は琉球の言葉をしゃべった。
 ササたちは驚いて、顔を見合わせた。
「あなたがマグクイ様ですか」とササが聞くと、老人は楽しそうに笑った。
「マグクイはこんな年寄りではないぞ」
「あなたも琉球に行った事があるのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「昔の事じゃ。もう五十年も前の事じゃよ」
「そうだったのですか」
「そなたたちは琉球から何をしにミャークに来たんじゃ?」
「二十年前まで、ミャークの人たちは琉球に来ていました。でも、来なくなってしまったので、様子を見に来たのです」とササが言った。
「ほう。琉球からの使者か。しかし、琉球は女子を送って来たのか」
「わたしたちはヌルです。誰も行った事がないミャークに行くには、わたしたちでなければ無理なのです」
「ヌルか。そう言えば津堅島(ちきんじま)にもヌルがいたのう」
津堅島にいたのですか」
「そうじゃ。津堅島でカマンタ(エイ)捕りをしておったんじゃよ」
「えっ!」とササと安須森ヌルは驚いた。
「もしかしたら、サミガー大主(うふぬし)を知っているのではありませんか」と安須森ヌルが聞いた。
「おう、懐かしいのう。確か、馬天浜(ばてぃんはま)じゃったのう。サミガー大主とは何度か、一緒に酒を飲んだ事がある」
「ええっ!」と安須森ヌルとササは腰を抜かさんばかりに驚いた。
「わたしとササはサミガー大主の孫です」
「何じゃと!」と老人は細い目を見開いて、安須森ヌルとササを見た。
「サミガー大主の孫娘がミャークにやって来たとは驚いた。サミガー大主は元気かね?」
「もう亡くなりました」
「そうか。そうじゃろうのう。あの頃、弓矢の稽古をしていた息子がいたが、その息子が跡を継いだんじゃな?」
「多分、それはわたしの父で、今は琉球の中山王(ちゅうさんおう)になっています」
「なに、サミガー大主の息子が中山王? 中山王は武寧(ぶねい)という察度の倅ではないのか」
「武寧を滅ぼして、父が中山王になったのです。武寧の頃よりも、今の琉球は栄えています。ミャークから使者が来れば大歓迎で迎えます」
「すると、中山王の娘が使者としてミャークに来たというわけか」
「娘と姪です」
 老人は改めて、安須森ヌルとササを見ると、
「よく来て下さった」と言って立ち上がった。
「そなたたちを歓迎する」
 老人は先に立って歩き、御門の所に行った。御門番は老人に頭を下げると、どうぞというように両脇に寄った。ササたちは老人と一緒に石垣の中に入った。狭い通りを挟んだ両側に家々がびっしりと建ち並んでいたので、ササたちは驚いた。
「石垣を築いた三十年前は、畑もあったんじゃが、人が増え過ぎて、この有様じゃ。拡張しなければならんのかもしれんのう」と老人は言った。

  

 

 

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2-155.大里ヌルの十五夜(改訂決定稿)

 ウニタキ(三星大親)が山北王(さんほくおう)(攀安知)の軍師、リュウイン(劉瑛)を首里(すい)に連れて来た。
 一緒に来たのはリュウインの弟子の伊野波之子(ぬふぁぬしぃ)と東江之子(あがりーぬしぃ)だった。二人とも三十歳前後の年齢で、リュウインが今帰仁(なきじん)に来た時に弟子入りして、今では武術道場の師範を務めていた。
 島添大里(しましいうふざとぅ)にいたサハチ(中山王世子、島添大里按司)も、久米村(くみむら)にいたファイチ(懐機)も呼ばれて、思紹(ししょう)(中山王)と一緒に龍天閣(りゅうてぃんかく)でリュウインと会った。
 ファイチはリュウインを知らなかったが、リュウインはファイチを思い出していた。二十歳で科挙(かきょ)に合格したファイチとヂュヤンジン(朱洋敬)の名前は噂となってリュウインの耳にも入り、リュウインは密かにファイチを見ていたという。
「ヂュヤンジン殿は洪武帝(こうぶてい)が亡くなったあと、宮廷を去ったと聞いています。ファイチ殿もその後、いなくなったと聞きましたが、まさか、琉球にいたとは驚きました」とリュウインは言った。
永楽帝(えいらくてい)が挙兵したあと、幼い頃の永楽帝の師匠だった父が殺されました。わたしは身の危険を感じて琉球に逃げて来たのです」
「そうだったのですか。わたしが逃げて来たのは永楽帝の挙兵の前でした。仕えていた湘王(ジィァンワン)(永楽帝の弟)が殺されて、わたしも危険を感じて逃げて来たのです」
「ヂュヤンジンは武当山(ウーダンシャン)にいましたが、永楽帝が皇帝になったあと、宮廷に戻って来て、今も永楽帝に仕えています」
「そうでしたか。それはよかった。ファイチ殿は戻らないのですか」
 ファイチは笑って、「明国(みんこく)の宮廷は恐ろしい所ですからね。琉球の方がわたしに合っています」と言った。
 リュウインの話を聞いて、思紹は材木や米の代価として、明国の商品を先に送る事を承諾した。その夜、遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』で歓迎の宴(うたげ)を開いて、浮島(那覇)からジォンダオウェン(鄭道文)とリュウジャジン(劉嘉景)を呼んだ。リュウインはジォンダオウェンとの再会を喜んだ。
「ヂャンルーチェン(三姉妹の父)が殺されたと聞いた時、あなたも殺されてしまったと思っていました。あのあと、ずっと琉球に来ていたなんて、まったく知りませんでした」とリュウインはジォンダオウェンに言った。
「明国に来られた按司様(あじぬめー)と出会って、中山王(ちゅうさんおう)と取り引きをするようになったのです」とジォンダオウェンは言って、サハチを見た。
リュウイン殿はヂャンルーチェン殿の知り合いだったのですか」とサハチは聞いた。
「直接に知っていたわけではありません。あの頃、湘王の兄弟たちが次々に捕まって、王という身分を剥奪されて監禁されていました。湘王も身の危険を感じて、兵力を強化するためにヤマトゥの刀を手に入れようと考えて、わたしを福州(ふくしゅう)に送ったのです。わたしが福州で武器商人と会っていた時、湘王は官軍に攻められて、城に火を放って自殺してしまいました。わたしも襲撃されて命を狙われました。武器商人を頼ったらヂャンルーチェン殿を紹介されたのです。ヂャンルーチェン殿は琉球に行く準備をしていました。わたしはその船に乗って琉球に来たのです」
「家族は連れて来なかったのですか」とファイチが聞いた。
「妻は前年に亡くなりました。娘が二人いましたが、二人とも嫁ぎました。姉の方は洪武帝に仕えていた役人に嫁いだために、洪武帝が亡くなったあと殺されました。妹の方は湘王に仕えていた武将に嫁いだので、やはり、殺されてしまったでしょう」
「思い出させてしまってすみませんでした」とファイチは謝った。
「いいえ」とリュウインは笑った。
 思紹が父親の事を聞くと、リュウインは父親の活躍の事はほとんど知らないと言った。
 リュウインの母親は後妻で、リュウインが生まれた年に父は朱元璋(ジュユェンジャン)(洪武帝)に呼ばれて、朱元璋の軍師になった。リュウインが父に初めて会ったのは、父が宮廷を去って帰郷した十三歳の時だった。その時、父を訪ねて来たのがヂャンサンフォン(張三豊)の弟子の『フーシュ(胡旭)』だった。リュウインはフーシュの弟子になって武芸の修行に励んだ。フーシュはすでに七十歳を過ぎていて、髪も髭も真っ白な仙人のような人だった。リュウインにとってフーシュの印象は強く心に焼き付いていて、ヂャンサンフォンもそのような人だろうと思い込んでいたのだった。
 フーシュから武芸を習うと共に、父から様々な事を教わった。リュウインが十五歳の時、父は洪武帝に呼ばれて応天府(おうてんふ)(南京)に行き、半年後には帰って来たが、病に罹って一月後に亡くなってしまった。二十歳の時に腹違いの兄に呼ばれて、リュウインは応天府に行き、洪武帝に仕えた。二十七歳の時に湘王に仕える事になって、湘王に従って荊州(けいしゅう)(湖北省)に赴いた。そして、十四年後、湘王が殺されて、琉球に来たのだった。
琉球に来てから、もう十五年が経ちました」とリュウインはしみじみと言った。
「わたしは琉球に来た年に、『油屋』の船に乗って浮島に来ました。浮島に着いて、すぐに目についたのが首里の高台です。あの頃は樹木(きぎ)が鬱蒼(うっそう)と茂った山でしたが、そこがこのような立派な都になっていたなんて、噂には聞いていましたが、信じられない事です。首里のグスクも思っていた以上に立派だったので驚きました」
首里のグスクも都造りにもヤンバル(琉球北部)の材木が使われています。山北王が材木を送ってくれたお陰です」と思紹は言った。
「これからも寺院造りが続きます。材木はいくらあっても大歓迎です」とサハチは言った。
「そろそろ、綺麗所を呼びましょうね」と女将(おかみ)のナーサが言って、着飾った遊女(じゅり)たちが現れた。明国の言葉がしゃべれる遊女がいるので、リュウインは驚いて、明国の言葉で色々と聞いては笑っていた。
「お久し振り」とマユミがサハチの前に来て嬉しそうに笑った。
 前回、ここに来たのは慈恩寺(じおんじ)が完成した時で、二か月前だった。その時は確かに久し振りだった。今回はそれほどでもないだろうと思ったが、サハチは何も言わずに笑った。
「先代の山南(さんなん)の王妃様(うふぃー)が来ましたわよ」とマユミは言った。
「なに、ここに来たのか」
「今月の初めに昼間、訪ねて来たの。女将と会って、懐かしそうに昔のお話をして帰って行ったわ」
「そうか。王妃様は女将から色々と教わったと言っていた。王妃様も喜んでいただろう」
「女将が奥間(うくま)の話をしたら行ってみたいって言い出して、今度、一緒に行く事になったのよ」
「王妃様が奥間にか」
「旅をして色々な景色を見たいんですって」
「そうか。それで、いつ行くんだ?」
「まだはっきりと決まっていないけど、来月は十五夜(じゅうぐや)の宴があるし」
十五夜の宴? 首里グスクで行なう宴にお前たちも出るのか」
「そうじゃないわよ。それとは別に、安謝大親(あじゃうふや)様が旧港(ジゥガン)(パレンバン)とジャワ(インドネシア)の使者たちをここに招待して宴を開くのよ」
「南蛮(なんばん)にも十五夜があるのか」
「お月様を見ながら丸いお餅を食べるんですって。旧港とジャワの人たちがいるうちは何かと忙しいから、送別の宴が終わってからじゃないかしら」
「すると十月か。まだまだ先の話だな」
 サハチがリュウインを見るとジォンダオウェンと明国の言葉で何かを話していた。リュウジャジンは明国の言葉がしゃべれる遊女と楽しそうに話していた。ウニタキとファイチは馴染みの遊女と笑っていて、思紹は女将から山南王妃の事を聞いていた。
 次の日、サハチとウニタキはリュウインを連れて山グスクに行った。下のグスクで岩登りをしている兵たちを見せるわけにはいかないので、直接、上のグスクに連れて行って、ヂャンサンフォンと会わせた。
 ヂャンサンフォンは以前、無精庵(ぶしょうあん)が滞在していた屋敷で、『山グスクヌル』になった運玉森(うんたまむい)ヌルと一緒に暮らしていた。縁側に座って待っているとヂャンサンフォンがやって来た。リュウインはヂャンサンフォンを見ても何の反応を示さなかったので、サハチはヂャンサンフォン殿ですと教えてやった。
「えっ!」と言ってリュウインは立ち上がって、ヂャンサンフォンを見た時の顔は驚きを通り越して呆然としていた。どう見ても、自分と同年配の男にしか見えないと思っているようだった。
「わたしの師匠は老胡(ラオフー)と呼ばれていたフーシュ殿でした」とリュウインが言うと、
「フーシュ‥‥‥懐かしい名前じゃ」と言って、ヂャンサンフォンは目を細めた。
 サハチたちは屋敷に上がって、ヂャンサンフォンの話を聞いた。
「わしが武当山山麓の『玉虚宮(ユーシュゴン)』で、新しい拳術を考えている時じゃった。フーシュが弟子入りしたんじゃよ。まだ二十歳の若者じゃった。わしはフーシュを稽古台にして『武当拳(ウーダンけん)』を編み出したんじゃよ。わしに打たれて傷だらけになりながらも、奴は逃げなかった。わしの最初の弟子がフーシュなんじゃよ。わしは十年後に武当山を離れるが、奴は残って、弟子たちに武当拳の指導をしていた。武当拳が広まったのも奴のお陰と言ってもいいじゃろう。ラオファン(リェンリーの父親)の師匠もフーシュなんじゃよ。白蓮教(びゃくれんきょう)の奴らが攻めて来た時、わしは弟子たちを説得して逃がした。フーシュも武当山から下りて旅に出たようじゃ。そして、そなたと出会って弟子にしたのじゃろう」
「わたしが師匠に出会ったのは十三歳の時でした、二十歳になった時、わたしは応天府に行きました。師匠も一緒に来てくれと頼んだのでしたが断られました。師匠は武当山に帰ると言っていました。その後、会ってはいません」
「フーシュは武当山に戻って来たよ。わしもその頃、武当山にいたんじゃ。若い者たちを鍛えておったが二年後に亡くなってしまったんじゃ」
「そうだったのですか。師匠からヂャンサンフォン殿の話はよく伺いました。神様のようなお方だと言っていました。亡くなる前にもう一度お会いしたいと言っていました。願いがかなったのですね」
わしが育てた弟子たちは皆、わしより先に亡くなってしまう。辛い事じゃよ」
 ヂャンサンフォンに会って感激したリュウインは浮島に行って、久米村の役人たちと進貢船(しんくんしん)の相談をして、二日後、明国の商品を山積みにした油屋の船に乗って帰って行った。
 リュウインを見送ったあと、
「ヂャンサンフォン殿に会えたのは嬉しいけど、困った事になったとリュウインは言っていました」とファイチがサハチに言った。
「山北王はいつの日か、中山王を倒すつもりでいるが、中山王がヂャンサンフォン殿の弟子なので、敵対する事ができなくなってしまった。その時は琉球を去らなくてはならないかもしれないと言っていました」
琉球を去らなくても、中山王に寝返ったらいいんじゃないのか」
「恩のある山北王を裏切る事はできないのでしょう」
「そうか。戦の間はどこかに避難していてもらおうか」とサハチが言うと、
「山北王もまた進貢船を送るようですから、使者として明国に行ってもらいますか」とファイチは言った。
「おう、それがいい。リュウインの留守中に山北王を倒してしまえばいい」とサハチは賛成した。
 その後、思紹は中山王の船に明国の商品を積んで今帰仁に送った。その船は冬になったら米を積んで帰って来る事になっていた。
 八月八日、与那原(ゆなばる)グスクのお祭り(うまちー)が行なわれて、シビーとハルの新作のお芝居『武当山の仙人(ウーダンシャンぬしんにん)』が、ササ(運玉森ヌル)たちと女子(いなぐ)サムレーたちによって演じられた。シーハイイェン(施海燕)たち、スヒターたち、リェンリー(怜麗)たちによる『瓜太郎(ういたるー)』も演じられた。
 ヂャンサンフォンが崑崙山(クンルンシャン)と呼ばれる険しい岩山の山頂に座り込んで修行をしている場面から『武当山の仙人』は始まった。ヂャンサンフォンを演じているのはササだった。西王母(シーワンムー)という仙女が出て来て、ヂャンサンフォンに、「何があっても座り続けなさい。立ち上がったら修行は終わり。山を下りて行きなさい」と言う。
 ヂャンサンフォンの修行を邪魔するために、妖艶な仙女たちが誘惑したり、鎧(よろい)を着た武将が出て来てヂャンサンフォンに斬りつけたりするが、ヂャンサンフォンは惑わされずに座り続ける。チャンオー(嫦娥)という美しい仙女が出て来て、夫が浮気をしたので、一緒に逃げてくれと言う。ヂャンサンフォンはチャンオーの涙に負けて立ち上がってしまう。
 チャンオーと一緒に山を下りるヂャンサンフォン。チャンオーの夫のフーイー(后羿)が二人を追って来て、ヂャンサンフォンはフーイーの弓矢にやられてしまう。チャンオーは西王母からもらった不老長寿の薬である小さな桃を二つ持っていて、一つをヂャンサンフォンに飲ませて、もう一つは自分で飲む。
 桃を飲んだ途端、チャンオーの体は宙に上がって月に吸い込まれてしまう。チャンオーを追いかけて行くフーイー。しばらくして、ヂャンサンフォンは生き返る。チャンオーを探すがどこにもいない。ヂャンサンフォンは武当山に行って厳しい修行を積む。フーイーが武当山にやって来て、決闘をしてヂャンサンフォンはフーイーを倒す。
 ヂャンサンフォンが満月を見上げていると、月からチャンオーが降りて来て、二人は再会を喜ぶ。ヂャンサンフォンの弟子たちが現れて、二人を祝福してお芝居は終わった。チャンオーを演じたのはシンシン(杏杏)で、フーイーを演じたのはナナだった。身の軽いシンシンは月に昇って行く場面も、月から下りて来る場面も見事に演じていた。月は高い櫓(やぐら)の上にあって、綱を伝わって、シンシンは上り下りしていた。
 一緒にお芝居を観ていたヂャンサンフォンに、「これは本当の話なのですか」とサハチが聞いたら、
「チャンオーとフーイーの話は、古くから伝わる伝説なんじゃよ。そこにわしを入れただけじゃ」と笑った。
「わしの長い人生をお芝居にした所で、面白くもないからのう」
 そんな事はないだろうと思ったが、サハチは何も言わずに笑った。
 シーハイイェンたちの『瓜太郎』は明国の言葉で演じられたが、充分に楽しく、子供たちが喜んでいた。
 与那原グスクのお祭りの六日後、サスカサ(島添大里ヌル)が久高島(くだかじま)から大里(うふざとぅ)ヌルを連れて来た。フカマヌルも若ヌルを連れてやって来た。
 大里ヌルを初めて見たサハチは、日に焼けた顔を見て驚いた。安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)から聞いた話では、透き通ったように真っ白な肌をしているはずだった。サハチの驚いている顔を見て、
「太陽が拝めるようになってから、嬉しくて、久高ヌルさんと一緒に小舟(さぶに)に乗って遊んでいたら、日に焼けてしまったらしいわ」とサスカサが笑った。
 大里ヌルとフカマヌルは安須森ヌルと会って、十五夜の儀式の準備を始めた。
 夕方、大里ヌルの歓迎の宴を開くというので、サハチが安須森ヌルの屋敷に顔を出すと、女たちが集まっていて賑やかだった。ササたちもシーハイイェンたちもスヒターたちもリェンリーたちも与那原グスクのお祭りのあと、ここに来ていて十五夜の宴の準備をしていた。平田グスクのお祭りの準備に行っていたユリ、ハル、シビーも戻っていた。
「与那原グスクのお芝居に出ていたチャンオーは月の神様なのよ。唐人(とーんちゅ)は月にチャンオーが住んでいると信じているらしいわ」とササがサハチに言った。
「チャンオーは唐のかぐや姫というわけだな」
「そうなのよ。それで、明日の夜、ハルのかぐや姫とシンシンのチャンオーが共演するのよ。楽しみにしていてね」
「ほう、そいつは面白そうだな」
 大里ヌルはサスカサと一緒に楽しそうに酒を飲んでいた。
「大里ヌルは四年に一度、ここに来てウタキ(御嶽)を拝んでいたのか」とサハチは大里ヌルを見ながらササに聞いた。
「そうなのよ。でも、このグスクが汪英紫(おーえーじ)に奪われてからは来られなくなってしまったのよ」
「その時、先代のサスカサ(山グスクヌル)が久高島のフボーヌムイに籠もったんだったな」
「そうよ。でも、その時はまだ、大里ヌルは生まれていなかったわ。あれから三十四年振りのお参りのなるのよ」
「三十四年振りか。俺が島添大里按司になったあとなら来ても大丈夫だったのにな」
「そうなのよ。でも、あたしは大里ヌルの事を知らなかったし、お母さんは先代の大里ヌルに会った事があるんだけど、ここのウタキ参りの事は聞かなかったのよ。フカマヌルも大里ヌルと一緒に儀式をする事はあっても、親しく話をした事はなかったみたい。太陽が拝めるようになってから大里ヌルはすっかり変わったってフカマヌルが言っていたわ。以前は必要な事以外はしゃべらなくて、暗い性格だったけど、すっかり明るい性格になったって。久高ヌルのお陰よ。大里ヌルとフカマヌルは年齢が離れすぎているので親しくなれなかったけど、久高ヌルは丁度、二人の中間の年齢だから、三人がうまくいっているみたい」
「そうか。今回、久高ヌルは留守番なのか」
「フカマヌルのお母さんが平田から帰って来ているから大丈夫よ」
「そうか。ヌルを引退したのか」
「そうみたい。『根神(にーがん)様』と呼ばれているらしいわ。根人(にっちゅ)を守るウナイ神よ」
今帰仁攻めが終わったら、根人(マニウシ)も久高島に帰るだろう」
 翌日、日が暮れると厳かな儀式が始まった。去年と同じように二の曲輪(くるわ)を囲む石垣に赤い幕を垂らして、石垣の上に灯籠(ドンロン)を並べ、コの字形に茣蓙(ござ)を敷いた。サハチはナツとハルと一緒に西側の中央に座った。マチルギは今回も首里の宴に参加していた。佐敷大親(さしきうふや)夫婦、平田大親夫婦、手登根大親(てぃりくんうふや)の妻のウミトゥク、ミーグスク大親夫婦、ウニタキ夫婦とファイチの妻のヂャンウェイ(張唯)と嫁のミヨン、ンマムイ(兼グスク按司)夫婦と娘のマウミが並んだ。ファイチも首里の宴に参加していた。今年もサングルミー(与座大親)がいないので、思紹はファイチのヘグム(奚琴)を楽しみにしているらしい。首里に移った慈恩禅師(じおんぜんじ)夫婦も首里の宴に参加していた。
 山グスクにいた愛洲(あいす)ジルーたちもやって来ていた。珍しく二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)も一緒だった。ヂャンサンフォン夫婦は首里に行ったという。
「どうして、右馬助がいるんだ?」とウニタキが不思議そうな顔をしてサハチに聞いた。
「また壁にでもぶつかって、気分転換のつもりで来たんじゃないのか」とサハチは言った。
「奴はいくつの壁をぶち破れば気が済むんだ?」
「知らんよ。ヂャンサンフォン殿や慈恩禅師殿のように自分の剣術を作りたいんだろう」
「『二階堂流』か」と言ってウニタキは笑った。
 静かに笛の調べが流れて来た。一の曲輪内のウタキで儀式が始まったようだった。
 東の空に満月が顔を出した。サハチたちは月に向かって両手を合わせてお祈りを捧げた。
 ウタキでのお祈りは去年よりも長かった。大里ヌルが、ここに来れなかった三十四年分のお祈りをしているのだろう。大里ヌルの母親は若ヌルだった時に一度だけ来ている。今の大里ヌルは初めてここに来たのだった。三十四年間の思いを月の神様に告げているのかもしれなかった。
 神歌(かみうた)が聞こえてきた。ヌルたちが神歌を歌いながら二の曲輪に現れた。大里ヌルが中央に座って満月にお祈りを捧げて、その周りをヌルたちがゆっくりと回っていた。サスカサ、ササ、シンシン、ナナ、佐敷ヌル、平田ヌル、フカマヌルと若ヌル、安須森若ヌル、ササの四人の弟子たち、玻名(はな)グスクヌルもいた。
 玻名グスクヌルは『安須森参詣』から帰って来て変わった。個人的な敵討ちをやめて、琉球のために安須森ヌルを助けようと決めたようだった。
 笛の調べが変わって、ヌルたちが華麗に舞い始めた。若ヌルたちも頑張っていた。大里ヌルが立ち上がって舞い始めた。久高島で稽古を積んでいたのか見事な舞だった。
「麗(うるわ)しいのう」と声が聞こえた。
 サハチは驚いて空を見上げた。
 ササ、シンシン、ナナ、サスカサ、フカマヌル、玻名グスクヌルが一瞬、立ち止まって空を見上げた。
「続けてくれ」と声がして、ヌルたちはまた舞い始めた。
 スサノオの声だったが、笛の音を聞いてやって来たのだろうか。その後、声は聞こえなかった。
 儀式が終わって宴が始まった。笛を吹いていた安須森ヌルとユリ、ヌルたちも宴に加わった。
 子供たちの笛の合奏から始まって、リェンリー、ユンロン(芸蓉)、スーヨン(思永)、ソンウェイ(松尾)の妻のリンシァ(林霞)による明国の歌と舞、シーハイイェンとツァイシーヤオ(蔡希瑶)の旧港の舞、スヒター、シャニー、ラーマのジャワの舞が披露された。女子サムレーたちの笛と舞も披露された。
「おい、あれを見てみろ」とウニタキがサハチに言って、示す方を見ると大里ヌルと右馬助がいた。
 でれっとした顔の右馬助が大里ヌルが注いでくれた酒を嬉しそうに飲んでいる。大里ヌルも楽しそうだった。
「奴もやはり、男だったようだ」とウニタキは笑って、
「奴は大里ヌルに会いに来たのか」とサハチは聞いた。
「山グスクにいた奴が大里ヌルの事など知るまい。しかし、不思議な力に引かれて、ここに来たのかもしれんな」
 琉球に来てから女に見向きもしなかった右馬助が、大里ヌルに出会った途端にあんな姿になるなんて思ってもいない事だった。ササたちも気づいて、「右馬助は大里ヌルのマレビト神だわ」と言っていた。
 ハルの『かぐや姫』とシンシンの『チャンオー』の共演が始まった。ヤマトゥの月の神様と唐の月の神様の共演だった。琉球の月の神様はどんな姿なんだろうと、ふとサハチは思った。
 安須森ヌルが吹く幻想的な調べに合わせて、かぐや姫とチャンオーは満月の下で優雅に舞っていた。

 

 

 

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2-154.武装船(改訂決定稿)

 三姉妹の船が旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船とジャワ(インドネシア)の船を連れてやって来た。メイユー(美玉)は今年も来なかった。娘のロンジェン(龍剣)は健やかに育っていると聞いて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は会いに行きたいと思った。
 ソンウェイ(松尾)は約束を守って武装船を持って来てくれた。今帰仁(なきじん)攻めに間に合ってよかったとサハチたちは喜んだ。キラマ(慶良間)の島に置いてきたというので、明日、見に行く事にして、三姉妹と旧港の使者たちを『天使館』に、ジャワの使者たちを『那覇館(なーふぁかん)』に案内した。五隻の船が同時に入って来たので、浮島(那覇)は急に賑やかになって、首里(すい)の役人たちも久米村(くみむら)の唐人(とーんちゅ)たちも大忙しだった。
 久米村には十年前に永楽帝(えいらくてい)が送って来た役人たちがいた。従者として進貢船(しんくんしん)に乗って、琉球の状況を定期的に永楽帝に報告していた。三姉妹たちは旧港から来た商人という事になっているので問題はないが、武装船を手に入れた事は隠しておかなければならなかった。明国(みんこく)は火薬の取り引きを禁止しているので、火薬を使う鉄炮(てっぽう)(大砲)を積んだ船を手に入れた事が永楽帝に知られたらまずい事になる。浮島に近づけるわけには行かなかった。
 ササ(運玉森ヌル)たちもやって来て、シーハイイェン(施海燕)たち、スヒターたちと再会を喜んでいた。
 そろそろ来るだろうと準備をして待っていたのだが、ジャワの船も一緒に来るとは思ってもいなかった。歓迎の宴(うたげ)の料理を作るのも間に合わず、手の空いている女たちは皆、総動員された。マチルギは首里から女子(いなぐ)サムレーと侍女たち、思紹(ししょう)(中山王)の側室たちも連れて来て手伝っていた。島添大里(しましいうふざとぅ)、佐敷からも女子サムレーたちがやって来て手伝った。ササたちも再会を喜んでいる場合ではないので、与那原(ゆなばる)の女子サムレーたちを呼んで手伝っていた。ウニタキも『よろずや』の者たちや配下の者たちを手伝わせた。
 浮島の住民たちにも手伝ってもらって、何とか歓迎の宴を開く事ができて、サハチたちもホッとした。メイファン(美帆)の屋敷でサハチたちも歓迎の宴を開いた。
「来年、冊封使(さっぷーし)たちが来るでしょう。その前の予行演習になりましたね」とファイチ(懐機)が笑った。
「今回、不備だった所を直して、冊封使たちを迎えなければなりません」
「そうだな」とサハチはうなづいて、「冊封使が来るとなると、来年、三姉妹たちが来るのはうまくないんじゃないのか」とメイファンとメイリン(美玲)を見た。
「丁度いいわ」とメイファンが言った。
「向こうも危険になってきて、今、メイユーは引っ越しの準備をしているの。来年は琉球に来るのをやめて、ムラカ(マラッカ)に本拠地を移すわ」
「それがいい」とファイチが言って、サハチとウニタキを見ると、「リンジョンシェン(林正賢)が戦死したそうです」と言った。
「なに?」とサハチもウニタキも驚いた。
「奴が死んだのか」とウニタキが隣りにいるメイリンに聞いた。
永楽帝が送ったスンシェン(孫弦)という宦官(かんがん)にやられたのよ。鉄炮で攻撃して、リンジョンシェンが乗っていた船は沈没したらしいわ。スンシェンは生け捕りにしようとしたようだけど、見つけた時には、すでに死んでいたみたい」
「奴が死んだか」と言って、サハチはウニタキを見た。
「湧川大主(わくがーうふぬし)は待ちぼうけを食らうな」とウニタキは笑った。
「奴の配下の者たちがソンウェイを頼って逃げて来たのよ」とリェンリー(怜麗)が言った。
「そいつらの船を持ってきました」とソンウェイが言った。
鉄炮が十二、付いています。火薬もたっぷりと積んであります」
鉄炮が十二か。山北王(さんほくおう)(攀安知)の武装船と一緒だな」とウニタキはサハチを見て嬉しそうに笑った。
「火薬には充分に気をつけて下さい。リンジョンシェンの船が沈んだのも、積んでいた火薬に敵の鉄炮の玉が当たって爆発したのです。火薬は敵を倒すのに有効な武器になりますが、下手をすると自滅してしまいます」
 サハチとウニタキは真剣な顔をして、ソンウェイにうなづいた。今回、ソンウェイは妻のリンシァ(林霞)を連れて来ていた。リンジョンシェンの従妹(いとこ)で、女海賊だったというリンシァは美人だが気の強そうな女だった。
冊封使が来るとなると、ヂャン師匠(張三豊)も危険だわ」とメイファンが言った。
「お師匠が琉球にいる事がばれたのか」とサハチはメイファンに聞いた。
武当山(ウーダンシャン)で噂になっているらしいわ。今、武当山では道教寺院の再建をしていて、大勢の人たちが働いているの。その人たちが噂していて、それが永楽帝の耳にも入ったようだわ」
「湧川大主に違いない」とウニタキが言った。
「奴がお師匠の事を海賊どもに話して、それが噂になったんだ」
「そうかもしれんな」とサハチはうなづいた。
永楽帝はお師匠を探すために宦官を送り込むはずよ。しばらく琉球から離れた方がいいわ」
「山グスクにいたらわからないんじゃないのか」とウニタキは言ったが、メイファンは首を振った。
「もし捕まってしまえば、お師匠は永楽帝のもとに送られてしまうわ。琉球もお師匠を隠していた責任を取らされるかもしれないわよ。あたしたちが帰る時、一緒に杭州(ハンジョウ)まで行って、そのままムラカまで行った方がいいわ」
「ムラカか。ムラカまで行けば確かに安全だな。しかし、お師匠がいなくなったら寂しくなるな」
 ウニタキの言う通りだった。ヂャンサンフォンがいなくなるなんて考えた事もなかった。明国で出会ってから七年余りが経っていた。お師匠から様々な事を教わって、弟子になった者たちも数多くいた。これから先もお師匠から教わる事が色々とあるだろう。お師匠がいるというだけで安心だったが、危険が迫っているのに引き留めるわけにはいかなかった。
 ササたちがシーハイイェンたちとスヒターたちを連れて来て、急に賑やかになった。シュミンジュン(徐鳴軍)とワカサも一緒に来た。メイユーがいないので、サハチは寂しかったが、夜遅くまで酒盛りを楽しんだ。
 翌日、ヒューガ(日向大親)の船に乗って、サハチ、ウニタキ、ファイチ、ソンウェイはキラマの島に向かった。首里から思紹と苗代大親(なーしるうふや)も来て船に乗り込んだ。
 鉄炮を装備した武装船は座間味島(ざまんじま)の深い入り江(安護の浦)の中に浮かんでいた。進貢船より一回り小さい船で、琉球の海で活躍するにはその方が都合がよかった。
 座間味島はかつて、宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期(たち))が密かに兵を鍛えていた島で、ウミンチュ(漁師)たちの多くは進貢船の船乗りとして活躍していた。また、泰期がサミガー大主のもとで修行させた鮫皮(さみがー)作りの職人たちもいて、カマンタ(エイ)捕りも盛んだった。
 武装船に乗り込んだサハチたちはさっそく沖に出て、鉄炮の試し撃ちをした。
「こいつを陸に上げても使えるか」と思紹がソンウェイに聞いた。
「勿論、使えます。もともと、鉄炮はグスク攻めに使われていた武器です」
 思紹はサハチを見てニヤッと笑った。
今帰仁グスクの石垣を狙うのですね?」とサハチは聞いた。
「あの石垣はそう簡単には崩れないと思うが、敵兵は驚くじゃろう」
「山北王もグスク内に鉄炮を持ち込むかもしれませんよ」
「それはありえるな。山北王には唐人の軍師がいると言っていたな」
リュウイン(劉瑛)という唐人です。島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスク攻めの時の『丸太車』を考えた奴です」とウニタキが言った。
リュウインの事を調べてみました」とファイチが言った。
「山北王が進貢船を出していた頃、リュウインは久米村に来ています。会った事があるという役人から聞きましたが、洪武帝(こうぶてい)に使えていた『リュウボウエン(劉伯温)』という軍師の倅のようです。リュウボウエンは明国では有名な軍師です。兄の『リュウジン(劉璟)』は永楽帝の弟の谷王(グーワン)(朱橞)に仕えていたようです。永楽帝が皇帝になった時、リュウジンは出仕を断って牢獄に入れられて、そこで亡くなっています。それに関係しているのかわかりませんが、リュウインは琉球に逃げて来て、山北王に仕えたようです」
リュウインの親父は有名な軍師だったのか」とウニタキが聞いた。
洪武帝が元(げん)を倒して明(みん)を建国できたのも、リュウボウエンのお陰だと誰もが思っています。わたしが生まれた年に亡くなっていますので会った事はありませんが、わたしも彼の噂はよく聞いていました」
「そんな男の倅が山北王に付いているとなると、今帰仁攻めも一筋縄ではいかんようじゃな」と思紹が厳しい顔付きで言った。
「山北王から切り離しますか」とウニタキが言った。
「そうじゃな。できれば切り離して、味方に引き入れたいものじゃな」
「奴の事を調べてみます。奴はヤマト(日本)の扇子(せんす)がお気に入りで、何度か『まるずや』に来ています。俺は会った事はありませんが、店の者に聞けば何かわかるかもしれません」
「わたしも会ってみたいです」とファイチが言った。
 その頃、首里にいた『油屋』の主人のウクヌドー(奥堂)が浮島に来ていた。今帰仁からの知らせで、リンジョンシェンがまだ来ないので、浮島に来た唐人が何か知らないか調べてくれと頼まれていた。ウクヌドーは久米村に行って調べたがわからず、通事(つうじ)を雇って、『天使館』と『那覇館』に滞在している者たちに聞いて回った。旧港から来た船乗りがリンジョンシェンの事を知っていて、官軍にやられて戦死したと言った。ウクヌドーは驚いた。詳しく聞いて首里に帰ると、書状をしたためて今帰仁に送った。


 四日後、ウニタキは今帰仁の『まるずや』に来ていた。店主のマイチにリュウインの事を聞くと、洪武帝の軍師だったリュウボウエンの倅らしいと言った。
リュウボウエンは今帰仁にいる唐人(とーんちゅ)なら誰でも知っている有名な軍師です。倅のリュウインは永楽帝の弟に仕えていましたが、その弟が殺されて琉球に逃げて来たようです。奥さんは島添大里のミーグスクにいた仲尾大主(なこーうふぬし)の娘です」
「なに、仲尾大主の娘が奥さんなのか」
「『よろずや』のイブキさんから聞いたのですが、リュウインが今帰仁に来た時、山北王は武術の師範として迎えたようです。立派な屋敷を建てて、侍女も付けて、浮島から通事も呼んで琉球の言葉を教えたそうです。リュウインの屋敷の近くに『天使館』ができて、周辺に唐人たちが住み着いて、今の唐人町ができたのです。仲尾大主の娘は今帰仁グスクの侍女でしたが、リュウインのお世話をするためにリュウインの屋敷で暮らす事になって、二年後に結ばれました。リュウインは仲尾大主と同い年なので、最初は反対したようですが、娘がどうしても一緒になりたいと言い張って、ついには許したようです。二人の可愛い子供がいて、奥さんは『まるずや』のお得意さんです。父親との手紙のやり取りも『まるずや』を通して行なっています」
「ほう、そうだったのか」
リュウインがどうかしたのですか」
「敵の軍師がどんな男なのか一度、会ってみたいと思ったんだよ」
「静かな男ですよ。軍師と呼ばれるだけあって、色々な事を知っています。琉球の言葉も一年もしないうちに覚えて、今ではヤマトゥ言葉もしゃべれるようです。ヤマトゥの書物も読んでいて、『平家物語』を手に入れてくれと頼まれました」
平家物語か。山北王の御先祖様の事を調べるつもりなのかな」
「そうだと思います。敵に回したら手ごわい相手になるでしょう」
 ウニタキはうなづいて、売り子のサラの案内で、リュウインの屋敷に向かった。『天使館』の少し先に屋敷はあった。広い庭もあって、軍師にふさわしい立派な屋敷だった。
 リュウインはまだ帰宅していなかった。いつもなら帰っている時刻なので、もうすぐ帰って来るだろうと奥さんは言って、ウニタキたちを屋敷に上げた。二人の子供が嬉しそうな顔をしてサラに近づいて来た。十二歳の男の子リュージー劉基)と九歳の女の子リューリン(劉鈴)で、二人とも混血のせいか可愛い顔をしていた。
「『まるずや』さんのご主人様が、うちの主人に何か御用なのでしょうか」と奥さんが聞いた。
「中山王(ちゅうさんおう)の軍師にファイチという男がいます。ファイチからリュウイン殿の父上の話を聞いたものですから、会ってみたくなってやって参りました。今、中山王と山北王は同盟を結んでいます。先の事はわかりませんので、今のうちに会っておこうと思ったのです」
「そうでしたか。ファイチ様というお方も唐人なのですか」
「そうです。明国で内乱が起こった時に、命を狙われて琉球に逃げて来たのです」
「まあ、うちの主人と一緒ですわね。明国では政変が起こると何万もの人たちが殺されると聞いております。恐ろしい事ですわ」
 奥さんが出してくれたおいしいお茶を飲みながら、ウニタキはリュウインの帰りを待った。サラは子供たちと遊んでいたが帰って行った。
 半時(はんとき)(一時間)ほど待って、リュウインは帰って来た。ウニタキの顔を見てリュウインは少し驚いた顔をした。お互いに初対面のはずだが、リュウインはウニタキを知っているようだった。
 奥さんがウニタキを『まるずや』の御主人ですと紹介するとリュウインはうなづいて、
三星大親(みちぶしうふや)殿ですな」と言った。
「噂は『油屋』から聞いております」
 ウニタキは笑って、「初めまして」と挨拶をした。
「すでに御存じかと思いますが、山北王と取り引きをしていた明国の海賊が戦死しました。その事で今後の対策を相談していたのです」
 リュウインは着替えてくると言って部屋から出て行った。奥さんが酒と料理を運んできた。豚肉料理が出て来たので、
今帰仁では豚(うゎー)を飼っているのですか」とウニタキは奥さんに聞いた。
「五、六年前から唐人が飼い始めたようです。主人が好きなものですから塩漬け(すーちかー)の肉(しし)を手に入れて、時々、料理に使っております」
「そうでしたか。豚の肉を食べると力が湧いてくるような気がします」とウニタキが言うと奥さんは楽しそうに笑った。
 リュウインが戻って来て、一緒に酒を飲んだ。酒は明国の強い酒だった。
三星大親殿は地図を作っていると聞いているが、どうして、『まるずや』の主人もやっているのですかな」とリュウインは聞いた。
「地図を作るには旅をしなければなりません。あちこち旅をしてわかったのですが、貧しい人たちは布を手に入れるのも難しくて、ぼろぼろの着物をまとっていました。浦添(うらしい)の城下に行った時、古着を売っている店がありまして、それを真似して島添大里の城下に開いてみたのです。思っていた以上にお客さんが来てくれたので、店を増やす事もできました。それらの店は旅をする時の拠点にもなりますし、各地の情報も集められます」
三星大親殿の仕事は、やはり情報集めだったのだな」
「地図を作るという事は地形を知るだけでなくて、そこに住んでいる人たちを知る事も含まれていると思っています」
「油屋が中山王の事を調べているように、そなたが山北王の事を調べているようだな」
「そういう事になります」
「リンジョンシェンが亡くなったので、山北王の様子を見に来たというわけか」
 ウニタキは笑って、「図星です」と言った。
 リュウインも笑って、「実に困った事になった」と言った。
「明国の商品はリンジョンシェンに頼り切っていた。リンジョンシェンが来なくなると明国の商品が足らなくなってしまう。山北王も湧川大主も困っておった」
「材木と米を中山王が明国の商品と交換しますよ」とウニタキは言った。
「そうしてもらえると助かるが、材木も米も冬にならないと浮島に送れない。そして、明国の商品が来るのは来年の夏になるだろう。それでは、今年の冬にやって来るヤマトゥンチュ(日本人)たちとの取り引きに間に合わんのだ」
「確かにそうですね。今のうちに運んでおかなくてはなりませんね」
「そういう事だ」
「わたしの一存では決められませんが、中山王と相談してみましょう。米と材木は冬に運ぶとして、明国の商品は今のうちに運べるかもしれません」
「そうしてもらえると本当に助かる」とリュウインは言ったあと、「もしかして、その事で、わしを訪ねて来たのか」と聞いた。
「まさか。リンジョンシェンが来なくなって、山北王がそれほど困っていたなんて知りませんでした。リンジョンシェン以外の海賊たちも来ていたのでしょう」
「以前はいくつもの海賊たちが来ていたんだが、皆、リンジョンシェンの父親の『リンジェンフォン(林剣峰)』の配下になってしまったんだよ。リンジェンフォンが来る前は、『ヂャンルーチェン(張汝謙)』が来ていたんだが、ヂャンルーチェンは捕まって処刑されたらしい。わしはヂャンルーチェンの船に乗って琉球に来たんだよ」
 ヂャンルーチェンは三姉妹の父親だった。三姉妹の父親が今帰仁に来ていたなんて知らなかったが、メイファンは運天泊(うんてぃんどぅまい)で、ジォンダオウェンと再会して、明国に帰ったと言っていた。
「ヂャンルーチェンの配下のジォンダオウェンを御存じないですか」
「ジォンダオウェン?」
「多分、船頭(しんどぅー)(船長)だったと思いますが」
 リュウインは思い出したように、「そうだ。船頭はジォンダオウェンだった」と言った。
「ヂャンルーチェンには娘が三人いて、娘たちが跡を継いで海賊をやっています。表向きは旧港の商人という事になっていて、今、浮島に来ています。ジォンダオウェンも一緒です」
「なに、娘たちが跡を継いだのか。そいつは知らなかった」
「ヂャンルーチェンが捕まったのは、リンジェンフォンが裏で糸を引いていたのです。ヂャンルーチェンの縄張りはリンジェンフォンに奪われて、娘たちは福州から出て、旧港に拠点を移したのです」
「そうだったのか。それで、ヂャンルーチェンの娘たちは中山王と取り引きをしているのだな」
「そうです。ところで、ヂャンルーチェンはどうして運天泊に来たのですか。浮島ではなくて」
「それは単なる偶然だろう。ヂャンルーチェンはあの時、初めて琉球に来たんだよ。琉球には三つの国があると聞いていて、中山がもっとも栄えているとも聞いていた。琉球に着いた時、北(にし)に流されて伊是名島(いぢぃなじま)まで行ってしまったんだ。その島の者に運天泊の事を聞いて、運天泊に入ったんだ。山北王は歓迎してくれた。それで、ヂャンルーチェンも毎年、運天泊に来るようになったのだろう」
リュウイン殿は山北王に仕える事になったのですね」
「わしは明国にいた時、洪武帝の息子の湘王(ジィァンワン)(朱柏)に仕えていたんだ。武芸好きな若い王様だった。山北王も若くて、武芸好きだった。亡くなってしまった湘王と山北王が重なって見えて、お仕えする事に決めたんだよ」
「そうでしたか。ヂャンルーチェンの船が浮島に着いたら、先代の中山王(武寧)に仕えていたかもしれませんね」
 リュウインは楽しそうに笑った。
「人生なんて、偶然の積み重ねだな」
「そうですね。一歩間違えれば、会うべき人とは会えなくなってしまう。人との出会いによって、生き方は変わってしまいます」
 リュウインはうなづいて酒を飲むと、「三星大親殿は明国に行ったのだったな」と言った。
「何でも御存じのようですね。七年前に行って来ました。明国の広さには驚きましたよ。応天府(おうてんふ)(南京)から武当山(ウーダンシャン)まで行きましたが、その遠さは琉球にいたなら考えつかない程の距離でした」
「ほう、武当山に行かれたのか。しかし。また、なんで武当山に行ったのだ?」
「その時に一緒に行ったファイチという唐人がいるのですが、御存じですか」
「油屋から名前だけは聞いておる。明国から逃げて来た唐人なんだろう」
 ウニタキはうなづいた。
「ファイチの武芸のお師匠がヂャンサンフォン殿だったので、ヂャンサンフォン殿に会うために武当山に行ったのです」
「なに、ファイチのお師匠がヂャンサンフォン殿なのか」
「ヂャンサンフォン殿を御存じですか」
「わしのお師匠はヂャンサンフォン殿の弟子なんじゃよ」
「えっ!」とウニタキは驚いた。
「それで、ヂャンサンフォン殿とは会えたのか」
「会えました。その頃、永楽帝が送った宦官が武当山に来ていたので、ヂャンサンフォン殿は武当山には登りませんでしたが、わたしたちは山頂まで行って真武神(ジェンウーシェン)を拝んできました。その後、山の中でヂャンサンフォン殿の指導を受けたのです」
永楽帝もヂャンサンフォン殿を探しているのか」
「そのようです。永楽帝は今、武当山を再建しているそうです。山の中に破壊されたままの道教寺院がいくつも放置されていて無残な姿でした。立派な寺院を建てたら、ヂャンサンフォン殿が現れると永楽帝は思っているのかもしれません」
「しかし、ヂャンサンフォン殿はもう相当な年齢(とし)だろう。生きているのかどうかもわからん」
「今、この琉球にいますよ」とウニタキが言ったら、リュウインは口をポカンと開けたままウニタキを見ていた。
琉球にいる?」
 ウニタキはうなづいた。
「湧川大主が会ったはずですが」
「その話は聞いた。しかし、ヂャンサンフォンと名乗った男は五十代だったと言ったんだ。わしは別人に違いないと思ったが、本物だったのか」
「本物です。実際の年齢は百六十歳を越えていますが、見た感じでは五十代の半ばくらいにしか見えません」
「なんと‥‥‥本物だったのか」
「本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)を御存じだと思いますが、テーラーもヂャンサンフォン殿の弟子になりました」
テーラーがか‥‥‥ヂャンサンフォン殿が琉球にいるのなら、何としてでも会わなければならん」
「御案内しますよ」とウニタキは言った。
 リュウインはうなづいた。
「進貢船を復活させようという話も出たんだ。久米村の様子を見てくると言って、山北王の許可を得よう」
「わかりました。先程の明国の商品を送る話ですが、うまく行くかもしれません」
 リュウインが酒を飲む手を止めて、ウニタキを見た。
リュウイン殿がヂャンサンフォン殿の孫弟子なら、きっとうまく行きます。中山王も世子(せいし)(跡継ぎ)の島添大里按司もヂャンサンフォン殿の弟子なのです。同門の弟子の頼みなら必ず聞いてくれるでしょう」
「中山王が武芸の名人だとは聞いているが、中山王もヂャンサンフォン殿の弟子だったのか」
「中山王はヂャンサンフォン殿と一緒に明国に行って、武当山にも登っています。そこで奇跡を起こして、永楽帝武当山の再建へとなったのです」
「ほう、中山王も武当山に行っているとは驚いた」
 その後は、中山王とヂャンサンフォンの旅の様子などを話して、ウニタキはリュウインと楽しい夜を過ごした。

 

 

 

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