長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-186.二つの婚礼(改訂決定稿)

 山北王(さんほくおう)(攀安知)の使者たちを乗せた中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の進貢船(しんくんしん)が船出した翌日、ようやく、ヤマトゥ(日本)に行った交易船が帰って来た。同じ日に、シンゴ(早田新五郎)、マグサ(孫三郎)、ルクルジルー(早田六郎次郎)の船も馬天浜(ばてぃんはま)に来たので忙しかった。
 交易船の出迎えはマチルギ(サハチの妻)に任せて、前回の進貢船が帰国した時と同じように、浮島(那覇)から首里(すい)まで行進させた。総責任者の手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)、正使のジクー(慈空)禅師、副使の黒瀬大親(くるしうふや)(クルシ)が馬に乗って先頭を行き、小旗を振る民衆たちに歓迎された。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は馬天浜に行って、シンゴたちを出迎えて、そのまま、『対馬館(つしまかん)』での歓迎の宴(うたげ)に加わった。佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)の次男のヤキチ、中グスク按司(ムタ)の長男のマジルー、シビーの兄のクレーも無事に帰って来て、いい旅だったと満足そうに言った。
 佐敷大親が妻のキクと一緒に来ていて、ヤキチの無事の帰国を喜んだ。
 サハチはクレーからヤマトゥの戦(いくさ)の事を聞いた。
将軍様足利義持)が伊勢の神宮参詣から帰って来てから京都に兵が集まって来ました。凄かったです。京都は兵たちで埋まりました。噂では五万人の兵が集まったと言っていました」
「なに、五万人の兵?」
 サハチには五万人の兵がどれだけなのか想像もできなかった。
「今にも戦が始まる状況でした。戦が始まったら帰れなくなってしまうかもしれないので、俺たちは『一文字屋(いちもんじや)』の船に乗って京都を離れました。十月の半ば頃です。その後は対馬にいたので、京都の事はわかりませんが、交易船が博多に来たのは十二月の半ばを過ぎた頃でした。無事に京都を出られてよかったとホッとしました。結局、戦は起こらなかったようです」
「本当に凄かったです。あの兵たちを見られただけでもヤマトゥに行ってきてよかったと思います」とマジルーは目を輝かせて言った。
 サハチはシンゴたちの所に行って、クレーたちがお世話になったお礼を言った。
「京都の戦の原因は何なんだ?」とサハチはシンゴに聞いた。
南北朝(なんぼくちょう)の戦のけりがまだついていないんだよ。天皇家南朝北朝に分かれて戦ったのが、南北朝の戦なんだ。将軍家は北朝方として戦って、南朝勢力を滅ぼしていき、南朝が支配していた九州は壊滅した。しかし、まだ南朝方の武将は生きている。その代表が伊勢の北畠(きたばたけ)なんだよ。南北朝の戦が終わる時、南朝北朝が交互に天皇になるという約束をしたんだ。でも、北朝天皇南朝天皇に譲る事なく、北朝天皇に跡を継がせたんだ。約束を破ったと言って北畠は怒ったんだよ」
「どうして約束を破ったんだ?」
「将軍家にとって、もはや、天皇は飾り物に過ぎない存在なんだよ。南朝方は天皇を中心とした政治をやりたがっているようだ。将軍家としては天皇が力を持っては困るんだよ」
南朝天皇になると、北畠が将軍になるのか」
「その可能性はあるな。将軍を任命するのは天皇だからな」
「それで、将軍様天皇の座を南朝に譲らないのか」
「このままでは終わるまい。将軍様にしろ、北畠にしろ、けりをつけなければならない。もしかしたら、今頃、戦が始まっているかもしれない」
「今年、送る交易船も戦に巻き込まれそうだな」
「博多は大丈夫だよ。博多で様子を見てから京都に行けばいい。話は変わるが、宗讃岐守(そうさぬきのかみ)の使者が朝鮮(チョソン)の塩浦(ヨンポ)(蔚山)で騒ぎを起こしたようだ」
「塩浦とはどこだ?」
「富山浦(プサンポ)(釜山)より少し北に行った港だ。詳しい事はわからんが、富山浦を叔父(五郎左衛門)が仕切っているので、塩浦に拠点を築こうと考えたのだろう。塩浦にも対馬の人たちが住んでいて、叔父の配下の者が仕切っているんだ。そこに割り込もうとして争いになったようだ。朝鮮の役人たちもやって来たが、叔父の味方をして、宗讃岐守の使者たちは追い返されたようだ」
「相変わらず、五郎左衛門殿も活躍しているな」
「活躍しているんだが、年齢(とし)には勝てんと言っていた。もう、六十の半ば過ぎだろう。そろそろ。隠居するかと言っていたよ」
「隠居したら琉球に来るように伝えてくれ。大歓迎するってな。ところで、サイムンタルー(早田左衛門太郎)殿はどうしている?」
「着実に勢力を広げているよ。琉球から持って帰る商品が威力を発揮して、うまく行っている。琉球の船が毎年、ヤマトゥに行くようになって明国の陶器が出回った。今まで明国の陶器なんて知らなかった者たちが欲しがるようになったんだ。対馬の者たちも明国の陶器を宝物のようにありがたがっているんだよ」
「そうか。そいつはよかった。旧港(ジゥガン)(パレンバン)とジャワ(インドネシア)の船もやって来るようになったので、陶器はたっぷりとある。南蛮(なんばん)(東南アジア)の人たちが欲しがっているのは刀だ。これからも刀を頼むぞ」
「わかっている。そろそろ、今帰仁(なきじん)攻めだろう。今回は鎧(よろい)も積んで来た」
「そいつは助かる。ありがとう」
 サハチはルクルジルーから、イト、ユキ、ミナミ、三郎の事を聞いて、あとの事はマサンルーに任せて、暗くならないうちに首里に向かった。
 首里の会同館(かいどうかん)では帰国祝いの宴が始まっていた。サハチはマチルギと入れ替わって、使者たちをねぎらった。思紹(ししょう)も来ているので、マチルギは首里グスクに帰って行った。
「とんだ目に遭いましたね」とサハチが言うと、
「参ったよ」とジクー禅師は苦笑した。
「京都は武装した兵で埋まって、等持寺(とうじじ)を守る兵も増えて、わしらは外に出られなくなってしまったんじゃよ」
将軍様の力をまざまざと見せつけられたような気がする」とクルシは言った。
将軍様が一声掛けたら五万もの兵が集まってくる。あれだけの兵で攻めたら北畠も敗れるじゃろう」
「タミー(慶良間の島ヌル)ですが、高橋殿に頼まれて、京都に残してきました」とクルーは言った。
 サハチはうなづいて、ヂャンサンフォン(張三豊)が琉球から去った事を教えた。
「親父から聞きました。馬天浜で盛大な送別の宴をしたそうですね。俺も参加したかったですよ」
「ヂャン師匠はムラカ(マラッカ)に行くと言っていたから、今帰仁攻めが終わったらムラカに行く船を出そう」
「等持寺に閉じ込められた時、ヂャン師匠と親父と一緒に明国の険しい山々を走り回っていた事を思い出したんです。外に出られなくて退屈していたので、みんなに武当拳(ウーダンけん)を教えていましたよ」
「そうだったのか」とサハチはクルーを見て笑った。
 サハチはヌルたちの所に行った。馬天ヌルがヌルたちから旅の話を聞いていて、サハチの顔を見ると、「ねえ、『ギリムイ姫様』がヤマトゥに行ったの?」と聞いた。
「サスカサ(島添大里ヌル)がヤマトゥに行った人たちの無事をお祈りしたら、ギリムイ姫様がヤマトゥまで行って様子を見てきてくれたのです」
「あら、そうだったの。わたしも神様にお願いしたのよ。『真玉添(まだんすい)姫様』がヤマトゥまで行って来てくれたわ」
「なんだ、叔母さんもみんなの無事を知っていたのですか」
「あなたたちにも知らせようと思ったんだけど、年末年始は忙しくて知らせられなかったわ。でも、新年の挨拶に来たあなたは知っていたから、誰かから聞いたんだろうと思っていたのよ」
「真玉添姫様も京都まで行ったのですか」
「いいえ。博多でユミーから話を聞いて帰って来たわ」
「そうでしたか。ギリムイ姫様は京都まで行って、タミーと会って来たようです」
「タミーさんは凄い人です」とハマ(越来ヌル)が言った。
「京都に着いてから、タミーさんは毎日、『船岡山(ふなおかやま)』に通っていました。ササ(運玉森ヌル)に言われて、スサノオの神様に御挨拶をするためです。スサノオの神様はいらっしゃいませんでしたが、雨の日も風の日も休まずに行って、色々な神様のお話を聞いていたようでした。わたしには神様の声は聞こえませんでしたが、毎日、タミーさんに付き合いました。一月くらい経って、わたしも神様の声が聞こえるようになりました。初めて聞いた神様の声は、恐ろしい事を言っていました。わたしは怖くなって、その場から逃げたいと思いましたが、タミーさんは少しも恐れずに話を聞いていました。神様の姿は見えませんが、恐ろしい声で、お前たちを殺すと言ったのです。わたしは神様が刀を振り上げている姿を想像して悲鳴を上げたくなりました。タミーさんは少しも動ぜず、神様の怒りを見事に静めていました。凄い人だと、わたしは尊敬しました」
「『ユンヌ姫様』から話を聞いたよ。ハマもスサノオの神様の声が聞こえるようになったって言っていた。よかったな」
 ハマは嬉しそうにうなづいた。
「そういえば、ササはユンヌ姫様と一緒に南の島(ふぇーぬしま)を探しに行ったのですか」
「ああ。無事にミャーク(宮古島)に着いて、近くにある島々を巡っているようだよ」
「そう」と言って、ハマは笑った。
「わたし、ササに追い着こうと必死でした。でも、ササはいつもわたしの先を行っています。毎日、船岡山に通っていて、わたし、わかったのです。ササはササの道を歩いている。わたしはわたしの道を歩かなければならないって。今のわたしにはまだ、自分の道はわからないけど、越来(ぐいく)ヌルとしてやるべき事をやろうと思いました。まずは越来周辺の古いウタキ(御嶽)を巡ってみようと思います」
「そうだな。ウタキ巡りはヌルの基本だ。古い神様と出会えば、やるべき事が見つかるだろう。ハマはタミーと一緒に高橋殿の屋敷にいたのか」
「そうです。わたしたちが等持寺から船岡山に通っているのを高橋殿が知って、高橋殿のお屋敷の方が近いと言って、移る事になりました。ササが滞在していたので遠慮はいらないと言われましたが、凄いお屋敷だったので、びっくりしました。そして、高橋殿に連れられて将軍様の御所にも行って、御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)に御挨拶をしました。御台所様はササの事を聞いて喜んでおりました。ササが将軍様の奥方様とあんなにも親しかったなんて驚きました」
「中山王と将軍様の取り引きがうまく行っているのも、ササと御台所様が仲がいいからなんだとも言えるんだよ」
 ハマはうなづいてから、「高橋殿のお酒好きには参りました」と言って笑った。
「高橋殿のお陰で、ササも安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)もサスカサもお酒好きになってしまった。困ったもんだよ」
「タミーさんもお酒好きで、高橋殿のお屋敷にはおいしいお酒があるって喜んでいました」
「なに、タミーもお酒好きだったのか」
「キラマ(慶良間)の島にいた時、師範たちとよく飲んでいたそうです」
「そうだったのか。それで、高橋殿と一緒に『伊勢の神宮』に行ったのか」
「はい。将軍様と大勢の兵も一緒でした。高橋殿はわたしたちと行動を共にしていましたが、高橋殿の配下の人たちがあちこちにいるみたいで、様々な格好をした人たちが高橋殿に報告に来ていました。そして、タミーさんはお城の近くを通ると、あそこで戦の準備をしていると高橋殿に告げていました」
「タミーは遠くの物が見えるのか」
「遠くの景色が頭の中に浮かんでくると言っていました」
「凄いシジ(霊力)だな」
「それで、京都に残る事になったのです。わたしも残りたかったけど、越来の事も心配だったので帰ってきました」
「タミーの事を調べたのよ」と馬天ヌルが言った。
「普通の娘じゃないような気がしてね。そしたら、タミーのお祖母(ばあ)さんが『須久名森(すくなむい)ヌル』だってわかったのよ」
「えっ、須久名森にヌルがいたのですか」
 サハチは昔、クマヌ(先代中グスク按司)と一緒に須久名森に登った事があるが、ウタキには気づかなかった。
「わたしも知らなかったのよ。タミーのお祖母さんは二十年も前に亡くなっていて、娘さんが跡を継いだんだけど、若くして亡くなってしまって、今は絶えてしまっているのよ。タミーのお母さんはヌルを継いだ娘と双子だったの。姉がヌルを継いで、妹は佐敷のウミンチュ(漁師)に嫁いで、タミーが生まれたの。お母さんもタミーが十歳の時に亡くなってしまったわ。タミーはお祖母さんもヌルを継いだ伯母さんも知らないけど、自分でも知らないうちに、須久名森ヌルを継ぐ道を歩み始めたんだと思うわ」
須久名森のウタキは古いのですか」
「多分ね。タミーが神様とお話をすればわかると思うわ」
 福寿坊(ふくじゅぼう)が知らない連中たちと一緒にいるので、サハチは行ってみた。
按司様(あじぬめー)、職人たちを連れてきましたよ」と福寿坊は口をもぐもぐさせながら言った。
「そうか、ありがとう」と言いながら、サハチは職人たちの顔触れを見た。
 皆、一癖ありそうで、頑固そうな顔をしていた。福寿坊がサハチを紹介すると急にかしこまって頭を下げた。福寿坊は一人づつ紹介した。鋳物師(いもじ)の三吉、紺屋(こうや)の五助、畳(たたみ)刺しの義介(ぎすけ)、桶(おけ)作りのタケ、革作りの重蔵(しげぞう)、酒造りの定吉(さだきち)、櫛(くし)作りの文吉(ぶんきち)、竹細工のトシの八人だった。
「よく琉球まで来てくれた。今晩は旅の疲れを取ってくれ。あとで技術を見せてもらう」
「鋳物師の三吉は梵鐘(ぼんしょう)も造れます。琉球のお寺に鐘楼(しょうろう)を造って、鐘を鳴らしたらいかがでしょう」と福寿坊は言った。
「鐘楼か。気がつかなかった。お寺には鐘楼が必要だったな。うむ、それはいい考えだ。鐘の音が響けば、都らしくなるな」
 サハチは満足そうな顔をして三吉を見て、「頼むぞ」と言った。
「まずは職人を育てなければなりません」と三吉は言った。
「わかっている。すぐに造れとは言わん。職人を育ててくれ」
 翌日、サハチは思紹と一緒に職人たちの腕を見た。皆、人並み外れた腕を持っていた。『職人奉行』という役職を新たに作って、職人たちを管理させ、彼らを親方として、弟子たちを育てる事を命じた。
 朝鮮に行っていた使者たちが勝連(かちりん)から帰って来た。朝鮮の様子を聞くと世子(せいし)のヤンニョンデグン(譲寧大君)の女遊びが宮廷で問題になっていて、そのうち、廃嫡されるかもしれないと噂されているという。その話は以前にも聞いた事があった。以前は妓女が相手だったが、最近は重臣の妾(めかけ)に手を出して大騒ぎになったという。
 サハチは武寧(ぶねい)(先代中山王)の側室だった高麗美人(こーれーちゅらー)を奪い取った山南王(さんなんおう)を思い出していた。その山南王も家臣の妻に手を出したと聞いている。結局は汪英紫(おーえーじ)(先々代山南王)に攻められて、王の座を奪われ、朝鮮に逃げて行った。その世子が王様になったら、朝鮮でも戦が起こって、王様が入れ替わるかもしれないと思った。
 その晩、朝鮮に行っていた者たちを遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』でねぎらった。
 二月になって浮島の『那覇館(なーふぁかん)』の拡張工事が始まった。『天使館』には冊封使(さっぷーし)たちが入るので、旧港とジャワの使者たちを『那覇館』に入れなければならない。今までの倍の規模に拡張しなければならなかった。首里でジクー寺を造っている一徹平郎(いってつへいろう)たちにも、ジクー寺を中断して手伝ってもらう事になっていた。
 九日には首里グスクのお祭りが行なわれ、ハルとシビーの新作のお芝居『ササと御台所様』が上演された。ササたちが交易船に乗ってヤマトゥに行き、御所に行って御台所様と再会する。高橋殿と御台所様と一緒に熊野に向かう珍道中が描かれていた。山賊退治で大暴れして、新宮(しんぐう)の神倉山(かみくらやま)ではスサノオの神様も現れた。まるで喜劇だった。観客たちはササのやる事に腹を抱えて笑っていた。面白いお芝居だったが、ササが観たら怒るような気もした。
 その頃からナツのお腹が大きくなってきた。ナツにとっては二人目の子供で、サハチにとっては十五人目の子供だった。本当は奥間(うくま)ヌルが産んだミワも入れると十六人目になる。我ながら随分と子供を作ったものだと驚いた。
 首里にいたユリたちが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに戻って来て、本格的に婚礼の準備が始まった。
 安須森ヌルがいないので、サスカサは一人で頑張るつもりでいたが、馬天ヌルが麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミー(アフリ若ヌル)を連れて手伝うと言い、佐敷ヌルと平田ヌルも将来のために婚礼の儀式を経験したいと言ってきた。ハルとシビーに手伝ってもらっても三人だけで舞うのは寂しいと思っていたサスカサは喜んで、ユリと一緒に儀式の時のヌルの舞を考えた。
 二月十五日、神様も祝福しているのか、朝からいい天気だった。南風原(ふぇーばる)の兼(かに)グスクからマウミ(ンマムイの長女)が乗ったお輿(こし)がヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)の先導で、島添大里グスクへと向かった。ヤタルー師匠は慈恩寺(じおんじ)にいたが、可愛いマウミの婚礼に参加したいと言って先導を務めていた。マウミが生まれた時から知っていて、幼いマウミに剣術の指導をしたのもヤタルー師匠だった。
 マウミは旗を振って見送ってくれる城下の人たちに手を振りながら、マグルー(サハチの五男)との出会いを思い出していた。
 新(あら)グスクから兼グスクに移った頃、マグルーは兼グスクにやって来た。当時、マウミに会いに按司たちの息子が何人も訪ねて来ていた。マグルーもその手の男だろうと弓矢の試合をして追い返した。その後、マウミはマグルーの事は忘れた。
 翌年、従姉(いとこ)のマナビーが今帰仁(なきじん)から島添大里に嫁いできた。マウミはマナビーがいるミーグスクに度々遊びに行った。ミーグスクには的場があって、マグルーがそこで弓矢の稽古に励んでいる事を知った。初めて試合をしてから二年後、マウミはマグルーと弓矢の試合をして負け、マグルーを好きになっている自分に気づいた。その後、マグルーはヤマトゥに行き、明国にも行って来た。そして、今、マグルーのもとへ嫁いで行く。マウミは幸せ一杯だった。
 佐敷グスクからはお輿に乗ったマチルー(サハチの次女)が、サグルーとジルムイの先導で島添大里グスクに向かっていた。マチルーは島添大里グスクで暮らしていたが、生まれたのは佐敷グスクだった。山グスクにいたサグルーとジルムイは、可愛い妹の婚礼のために先導を買って出ていた。マチルーの花嫁行列は小旗を振る人たちに見送られて島添大里グスクへと向かった。
 マチルーがウニタル(ウニタキの長男)と婚約している事を知ったのは十三歳の時だった。島添大里グスクのお祭りの時、ウニタルが姉のミヨンと三弦(サンシェン)を弾いて歌を歌った。うまいわねとマチルーが褒めると、お前の婚約者だと父は言った。マチルーは驚いて、どうして今まで黙っていたのと父を責めた。お嫁に行くのはまだ先の事だし、お前がいやなら断ってもいいと父は言った。
 お嫁に行く事なんて考えてもいなかったマチルーは、断るなら早い方がいいだろうと思って、兄のマグルーからウニタルの事を聞いた。ウニタルはマグルーより一つ年上なので、あまり話はした事はないが、三弦がうまいだけでなく、剣術も強いと言った。親父の片腕とも言える三星大親(みちぶしうふや)の息子なら、お嫁に行ってもいいんじゃないのかと兄は笑った。
 島添大里グスクのお祭りから二か月後、兄のイハチが婚礼を挙げて、具志頭(ぐしちゃん)からチミーが嫁いできた。弓矢の名人のチミーに憧れて、マチルーは弓矢の稽古に励んだ。翌年には兄のチューマチのもとへ今帰仁からマナビーが嫁いできた。マナビーも武芸の達人だった。マチルーは武芸の稽古に夢中になって、ウニタルの事は忘れた。その年の五月、ウニタルがヤマトゥ旅に出る前、マチルーはファイリン(懐機の娘)に誘われて、佐敷グスクに行った。
 ファイリンはマチルーより二つ年上で、島添大里グスクの娘たちの剣術の稽古に通っていて、チミーの弟子でもあった。ヤマトゥに行くウニタルがマチルーに会いたがっていると言われて、マチルーはウニタルに会って、親が決めた縁談なんて、やめにしようとはっきり言おうと思った。
 佐敷グスクの裏にある的場で、シングルー(佐敷大親の長男)とウニタルが待っていた。ウニタルから弓矢の試合をしようと言われて、試合をしてマチルーは負けた。勝ったら縁談を断ろうと思っていたのに、断る事はできなかった。その後、的場にある小屋の中で世間話をして、シングルーがファイリンにヤマトゥ旅から帰ってくるまで待っていてくれと言って、ファイリンはうなづいた。ウニタルはマチルーに待っていてくれと言った。うなづくつもりはなかったのに、ウニタルに見つめられて胸が熱くなって、うなづいてしまった。ウニタルは喜んだ。シングルーとファイリンもよかったねと喜んでいた。
 ウニタルとシングルーがヤマトゥ旅に出たあと、マチルーはファイリンと一緒に二人の無事を祈った。ファイリンとウニタルは幼なじみだった。ファイリンからウニタルの事を色々と聞いて、マチルーは少しづつウニタルが好きになっていった。
 ヤマトゥ旅から無事に帰ってきたウニタルからお土産をもらって、ヤマトゥの話を聞いた。旅から帰ってきたウニタルは頼もしくなっているように感じた。シングルーはファイリンと一緒になり、ウニタルは兄のマグルーと一緒に明国に行った。マチルーはマウミと一緒に二人の無事を祈った。十七歳になったマチルーは、ウニタルとの事は親が決めた縁談ではないと思っていた。自分で決めた縁談で、神様のお導きによって、ウニタルと一緒になるのだと思っていた。マチルーも幸せ一杯だった。
 大勢の見物人を引き連れてきたマチルーの花嫁行列は島添大里グスクの東曲輪(あがりくるわ)に入った。東曲輪は開放されて、見物人たちも入って来た。マチルーは安須森ヌルの屋敷に入って休憩した。しばらくするとマウミの花嫁行列もやって来て、東曲輪は見物人たちで埋まった。
 マウミが安須森ヌルの屋敷に入って四半時(しはんとき)(三十分)後、法螺貝が鳴り響いて、二人の花嫁が出てきた。二人ともヤマトゥ風の美しい着物を着ていた。サムレーたちが通路を開けて、馬天ヌルとサスカサに先導された二人の花嫁は二の曲輪に入って行った。
 二の曲輪では家臣たちと新郎新婦の兄弟たちが並んでいた。正面にある舞台の上に、サハチとマチルギとナツを中央に、左側にウニタキ(三星大親)とチルーの夫婦、右側にンマムイ(兼グスク按司)とマハニの夫婦が、ヤマトゥ風の礼服を着て座っている。舞台の下にある椅子に座っていた二人の花婿、マグルーとウニタルが立ち上がって花嫁を迎えた。馬天ヌルに導かれたマチルーと、サスカサに導かれたマウミは、それぞれ花婿の所に行って、花婿の隣りに腰を下ろした。
 法螺貝が鳴り響いて、一の曲輪から女子(いなぐ)サムレーたちが現れて、整列すると掛け声を合わせて、武当拳(ウーダンけん)の套路(タオルー)(形の稽古)を演じた。白い着物に白い袴を着けて、赤い明国風の上着を着た女子サムレーたちは一糸乱れずに見事に演じた。套路が終わると女子サムレーたちは脇に控え、幻想的な笛の音が響き渡って、ヌルたちが現れた。
 ヌルたちは袖の大きな白い着物を着ていて、両手を広げて、まるで白鳥が飛んでいるような舞を披露した。馬天ヌル、サスカサ、麦屋ヌル、若ヌルのカミー、佐敷ヌル、平田ヌル、そして、ハルとシビー、八羽の白鳥が華麗に飛び回って、二組の新郎新婦を祝福した。
「おめでとう」という『ギリムイ姫』の声をサハチは聞いた。馬天ヌルとサスカサも聞いたらしく、一瞬、舞が止まったように思えた。サハチはギリムイ姫に感謝した。
 ヌルたちの舞が終わると、馬天ヌルとサスカサによって、二組の新郎新婦は固めの杯(さかずき)を交わした。杯を交わす時もユリが吹く笛の音が流れていて、見ている者たちを感動させた。
 サハチもマチルギも、マグルーとマチルーが生まれた時の事を思い出していた。マグルーとマチルーは一つ違いだった。
 マグルーが生まれたのは大きな台風が来て、首里天閣(すいてぃんかく)が倒れた三日後だった。その年には宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様(泰期)と明国の洪武帝(こうぶてい)が亡くなっていた。翌年は密貿易船が続々とやって来て、毎年恒例の旅で浮島に行ったサハチたちは、泊まる宿がなくて松尾山で野宿をした。ウニタキに頼んで、浮島に『よろずや』を開いたのが、その年だった。ウニタキの配下のトゥミが島添大里按司だったヤフスの側室になったのも、その年の七月で、八月には八重瀬按司(えーじあじ)のタブチから使者が来て、マタルーの縁談が決まった。そして、十一月にマチルーが生まれたのだった。
 マグルーはサハチが知らないうちに、南部一の美人と言われていたマウミに惚れて、弓矢の修行に励んで、マウミの心をつかむ事に成功した。マグルーがヤマトゥ旅から帰って来て、二人の婚約は決まった。
 マチルーはマチルギが産んだ七番目の子供で次女だった。長女のミチ(サスカサ)が生まれたあと、マチルギは女の子を望んでいたが、男の子ばかりが続いて、ようやく生まれた女の子だった。ミチがヌルになるための修行を始めてからは、お姉さんとして弟や妹の面倒をよく見てくれた。ナツともうまくやっていた。幼い頃からウニタルと婚約していたが、お嫁に行くなんて、もっと先の事だと思っていた。いつの間にか、マチルーは十七歳になっていた。
 幼い頃のマチルーを思い出していたら目が潤んできた。サハチはごまかすためにマチルギを見て笑った。マチルギも笑って、あれを見てというように、ンマムイの方を示した。サハチがンマムイを見たら、くしゃくしゃな顔をして涙を拭いていた。みっともない奴だと思いながらも、素直に泣いているンマムイがうらやましかった。サハチはこぼれる涙をそっと指で拭いた。
 固めの杯が終わると拍手が沸き起こって、新郎新婦たちは東曲輪に退場した。
 東曲輪では酒と餅が配られて、新郎新婦たちは集まった人たちに祝福された。二の曲輪にいた家族と家臣たちは一の曲輪の大広間に移って、お祝いの宴が開かれた。

 

 

 

フォーエヴァー・ウェディング~ハッピー・ソングス   12のラヴ・ストーリー~ウェディング・ソングス・オン・ヴァイオリン

2-185.山北王の進貢(改訂決定稿)

 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌル(前豊見グスクヌル)と出会って、どこかに行ってしまったマガーチ(苗代之子)が、首里(すい)の自宅に帰って来たのは三日後の事だった。浮島(那覇)にはヤマトゥ(日本)の商人たちが続々とやって来ていて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)も何かと忙しくて首里にいた。
 サハチはマガーチを呼んで、西曲輪(いりくるわ)の物見櫓(ものみやぐら)に誘って話を聞いた。
「島尻大里ヌルと出会って、その目を見た途端に頭の中は真っ白になってしまいました。何が何だかわからなくなって、気がついたら久米村(くみむら)の中の宿屋で、島尻大里ヌルと一緒にいました」
「なに、久米村にいたのか」とサハチは首を傾げてマガーチを見た。
「島尻大里ヌルの名前はマナビーというのですが、マナビーは幼い頃、両親と一緒に久米村に行ったそうです。なぜか、その時の事が思い出されて、行きたくなったと言っていました」
「マナビーはシタルー(先代山南王)とトゥイ様(先代山南王妃)と一緒に久米村に行ったのか‥‥‥何かうまい物でも御馳走になったのだろう」
「そのようです。明国(みんこく)の料理を嬉しそうに食べていました」
「そうか。マナビーのマレビト神がマガーチだったとは驚いた」
「俺も驚きましたよ。サンダー(慶良間之子)からマナビーの美しさは聞いていました。でも、マナビーは山南王(さんなんおう)の娘ですからね。雲の上の人だと思っていましたよ」
「お前だって中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の甥だ。庶民たちから見れば雲の上の人だぞ」
「俺が?」と言ってマガーチは笑った。
「奥さんにはばれなかったのか」
「浮島で積み荷の検査をしていたと言って誤魔化しました」
「そうか。人の事は言えんが、奥さんを悲しませるなよ」
「わかっています。親父の事も聞きましたよ。親父が南の島(ふぇーぬしま)から来たヌルと親しくなったと聞いて驚きましたが、まさか、俺も親父と同じ事をやるなんて、夢にも思っていませんでした。親父から話を聞いた次の日ですよ、マナビーと出会ったのは」
「マナビーと出会う運命だったのだろう。それにしても、よく三日で別れられたな」
「別れは辛かったですよ。島尻大里グスクまで送って行ったんですけど、別れられず、またどこかに行こうと誘ったんです。マナビーもうなづきましたが、考え直して別れました。これ以上、隠れていたら騒ぎになってしまいますからね」
「お互いに大人だったという事だな」
按司様(あじぬめー)もヌルに惚れた事があるのですか」とマガーチが聞いた。
「そいつは内緒だ」と言って、サハチは笑った。
 三日後、島添大里グスクに帰ったサハチは、サスカサ(島添大里ヌル)にヤマトゥに行った者たちの無事を祈ってくれと頼んだ。いつもなら、もう帰って来ているはずなのに、今年は遅かった。京都で戦(いくさ)が起こって、それに巻き込まれてしまったのだろうかと心配だった。サスカサはうなづいて、ウタキ(御嶽)の中に入って行った。
 サハチは自分の部屋に行くと、サタルーから話を聞いてイーカチが描いた今帰仁(なきじん)グスクの絵図を広げて眺めた。サハチが今帰仁に行った頃はなかった外曲輪(ふかくるわ)は思っていた以上に広かった。城下の人たち全員が避難できる広さがあった。まず、その外曲輪を突破しなければ、以前のグスクを攻める事はできなかった。グスクの東側に志慶真(しじま)川が流れていて、志慶真川から険しい絶壁をよじ登って、かつて先代の山田按司がグスク内に潜入した。それを真似するために、今、サグルーたちが山グスクで岩登りの訓練をしている。グスク内に潜入できれば、落とす事はできそうだが、外から攻めるだけでは落とせない。敵の兵糧(ひょうろう)が尽きるのを待つ長期戦になりそうだった。戦が始まる前に、グスク内の兵糧を減らした方がいいなと思って、サハチがうまい方法はないものかと考えていたら、サスカサがやって来た。
「『ギリムイ姫様』がヤマトゥに行って、様子を見てくるって出掛けて行ったわ」とサスカサは言った。
「ギリムイ姫様っていうのはギリムイグスクの神様か」
「そうじゃないわ。ここが『大里(うふざとぅ)』って呼ばれる前、ここは『ギリムイ』と呼ばれる聖なるお山だったのよ。スサノオの神様が琉球にいらして、ヤマトゥとの交易が始まると、このお山にグスクを築いたの。それがギリムイグスクなのよ。やがて、ギリムイグスクの城下に人々が大勢移り住んできて、大里と呼ばれるようになったわ。ギリムイグスクはこちらに移って、大里グスクって呼ばれるようになるの。島尻にも大里グスクができると、区別するために島添大里グスクって呼ばれるようになったのよ」
「へえ、昔は『ギリムイ』って呼ばれていたのか」
「『ギリムイ姫様』はアマン姫様の娘さんで、ユンヌ姫様のお姉さんなの。ユンヌ姫様がササ姉(ねえ)と一緒にヤマトゥに行ったり、南の島に行ったりしているから、自分も行ってみたくなったって言っていたわ」
「ほう。そこのウタキにユンヌ姫様のお姉さんがいたとは知らなかった。ギリムイ姫様はヤマトゥに行った事があるのか」
「一度、行った事があるらしいわ。お祖母(ばあ)様の豊玉姫(とよたまひめ)様がヤマトゥで亡くなってから何年か経った頃に行ったみたい」
「そうか。行った事があるなら大丈夫だろう。帰って来られなくなったら大変だからな」
「大丈夫よ。年が明ける前に戻って来るって言っていたわ」
「あと三日で年が明けるぞ。そんなに速くに戻って来られるのか」
 サスカサは首を傾げた。
 サスカサが帰ると入れ違いのように、ウニタキ(三星大親)が顔を出した。
「おっ、今帰仁グスクの絵図か。イーカチが描いた奴だな」
「内部の様子が大分わかってきたが、今帰仁グスクを攻め落とすのは難しい。長期戦になりそうだと考えていた所だ」
「長期戦か。シタルーがいなくなったから長期戦になっても大丈夫だろう」
「それはそうだが、長期戦になったら兵糧が足らなくなってしまうかもしれん」
「兵糧なら羽地按司(はにじあじ)に出させればいい」
「そいつはいい考えだ。羽地按司は寝返りそうか」
「まだ一年あるからな、何としてでも寝返らせる。羽地按司だけでなく、名護按司(なぐあじ)と国頭按司(くんじゃんあじ)もな」
「そうだ。そこまでしないと山北王(さんほくおう)(攀安知)は倒せん。兵糧の事なんだが、羽地按司から買い取った兵糧を貯蓄しておく蔵をヤンバル(琉球北部)に作れないか。向こうに置いておいた方が運ぶ手間が省けるぞ」
「そうか。それもそうだな。首里まで運んで、また運ぶのは二度手間だ。山北王の目の届かない場所を見つけて保管して置こう」
「頼んだぞ」
 ウニタキはうなづいてから、「倅(せがれ)の事で迷っているんだ」と言った。
「来年、お前の娘をお嫁にもらってから、ウニタルをどうしようかと迷っているんだよ」
「何を迷っているんだ?」
「普通なら重臣の倅として、ここか首里のサムレーになる。それもいいと思っている」
「『三星党(みちぶしとう)』の事か」
「そうだ。山北王を倒せば『三星党』はもういらないだろうと思っていたんだが、敵はいなくなっても、各地の情報を集める事は必要だと考え直したんだ。そうなると、俺の跡を継ぐ者が必要になる」
「ウニタルに継がせればいいだろう」
 ウニタキはうなづいたが、「お前の娘が危険な目に遭うかもしれないぞ」と言った。
「お前の倅に嫁がせると決めた時から、覚悟はしているよ」
「マチルーは俺の正体を知っているのか」
「『三星党』の事は知らない。でも、地図作りのおじさんで、『まるずや』の主人でもあり、各地の情報を集めている事は知っている。マチルーはウニタルと一緒になったら、二人で各地にある『まるずや』を巡ってみたいと言っているよ。剣術の修行も幼い頃からしているので、身を守る術(すべ)も心得ている。ウニタルがお前の跡を継いでも、ウニタルを助けて、うまくやって行くだろう」
「そうか。『まるずや』巡りか‥‥‥今、ウニタルは山グスクにいる。サグルーに預けてきた。マチルーの言う通り、二人に『まるずや』巡りをさせてみるか。そして、ウニタルが跡を継ぎたいと言ったら、跡を継がせる事にするよ」
「それがいい」とサハチは笑って、「ウニタルなら跡を継ぐと言うだろう」とうなづいた。
 大晦日(おおみそか)の日、『ギリムイ姫』は帰って来た。サハチはサスカサに呼ばれてついて行った。ウタキに入るのかと思ったら東曲輪(あがりくるわ)に行って物見櫓に上がった。
「どうして、ここに登るんだ?」とサハチはサスカサに聞いた。
「きっと、お父様が内緒話をする時に、ここに登るって知っているのよ」
 サハチは苦笑して空を見上げた。
「サハチですね。噂はユンヌ姫から聞いています。ヤマトゥの様子を知らせるわ」とギリムイ姫の声が聞こえた。
「みんな、無事なのですね?」とサハチは聞いた。
「無事です。今、博多にいるわ」
「なに、まだ博多にいるのですか」とサハチは驚いた。
「伊勢の方で戦が起こる気配があって、戦の準備で将軍様も忙しかったようだわ。各地から大勢の兵が京都に集まって来て、琉球の人たちは等持寺(とうじじ)から身動きができなかったみたい。結局、戦は起こらず、十一月の末になって、ようやく、将軍様から返書をいただいて帰る事ができたの。十二月の半ば過ぎに博多に着いたら、朝鮮(チョソン)に行っていた勝連(かちりん)のお船が待っていて、すぐに帰ろうとしたんだけど、琉球に着く前に年が明けちゃうから、博多で新年を迎えてから帰った方がいいって渋川道鎮(どうちん)に言われたの。それで、年が明けてから帰るようにしたみたいよ」
「十一月の末まで京都にいたとは大変だったな。京都にいる兵たちは引き上げたのですか」
「引き上げたけど、年が明けたら戦が始まるかもしれないって高橋殿は言っていたわ」
「高橋殿って、ギリムイ姫様は京都まで行ったのですか」
「行ってきたわよ。タミー(慶良間の島ヌル)が京都に残っているのよ」
「何だって? どうして、タミーが残っているんです?」
「高橋殿に頼まれたみたい。伊勢の北畠(きたばたけ)という武将が反乱を企てたんだけど、タミーのお陰でその事を知る事ができて、将軍様は早い対応ができたのよ。北畠の方はまだ戦の準備が整っていなくて、息子を人質として将軍様に送って頭を下げたみたい。でも、北畠は時間稼ぎのために頭を下げただけだって、高橋殿は言っていたわ。年が明けたら反乱を起こすだろうから、その時のために、タミーの力が必要らしいわ」
「ほう。タミーが高橋殿に頼られるとは大したヌルになったもんだな」
「タミーと一緒にクルーが残っているわ」
「そうか。クルーが一緒なら安心だ。ありがとう。これで心置きなく新年が迎えられます」
「お客様を連れて来たわ」とギリムイ姫は言って、従兄(いとこ)の『ホアカリ』を紹介したが、サハチには誰だかわからなかった。ホアカリをお祖母様に会わせてくると言って、ギリムイ姫はセーファウタキ(斎場御嶽)に向かった。
「タミーさんも高橋殿に気に入られたみたいね」とサスカサは楽しそうに笑った。
「ササの代わりを立派に務めたようだな」とサハチも笑って、「ホアカリ様って知っているか」とサスカサに聞いた。
「ササ姉から聞いた事あるわ。伊勢の神宮にいる神様で、『玉依姫(たまよりひめ)様』の息子さんらしいわ」
玉依姫様はヤマトゥの女王様だから、その息子ならヤマトゥの王様だった人かな?」
「京都の近くに南都(なんと)と呼ばれる奈良という所があって、そこは今でも大和(やまと)の国って呼ばれているわ。ホアカリ様は九州から東に攻めて行って、そこにヤマトゥの国を造ったんじゃないかしらってササ姉は言っていたわ」
「大和の国が今でもあるのか‥‥‥また、ヤマトゥに行ってみたくなってきた」
 そう言ってサハチは北の方に視線を移した。
「ササ姉は今、どこにいるのかしら?」とサスカサが言った。
「きっと、ドゥナン島(与那国島)で従妹(いとこ)のナーシルと会っているんだろう」
「あたしも行ってみたいわ」
「ササが南の島の人たちの船を連れて来るだろう。そうすれば南の島との交易が始まる。南の島から毎年は無理でも一年おきに船がやって来るようになる。誰でも気軽に南の島に行けるようになるよ」
「でも、二年も留守にできないわ」
「そうだな。来年は冊封使(さっぷーし)が来るから忙しい。再来年は今帰仁攻めだ。それが終わったら琉球から南の島に行く船を出してもいい」
「ほんと? 楽しみにしているわ」
「それより、明日は頼むぞ」
「わかっているわ。ハルとシビーを連れて行ってくるわ」
 サハチはうなづいて、物見櫓から降りた。


 年が明けて永楽(えいらく)十三年(一四一五年)になった。
 例年のごとく、首里グスクの新年の儀式に参加したあと、サハチは島添大里グスクに帰って新年の儀式を行なった。サスカサは儀式が済むと馬にまたがり、ハルとシビーを連れて山グスクに向かった。
 安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)とササ(運玉森ヌル)がいないので、与那原(ゆなばる)グスクの新年の儀式は麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)がカミー(アフリ若ヌル)と一緒に執り行なって、八重瀬(えーじ)グスクの儀式は喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)に頼み、玻名(はな)グスクの儀式は隠居したフカマヌルに頼み、手登根(てぃりくん)グスクの儀式は佐敷ヌルに任せた。
 二日にはサハチの兄弟たちが首里グスクに集まったので、サハチも首里に行った。ヤマトゥに行った末の弟のクルー(手登根大親)がまだ帰って来ないので、皆が心配していた。サスカサが神様に頼んでヤマトゥの様子を見に行ってもらい、無事に博多にいる事がわかったというと皆、安心した。ミチ(サスカサ)も立派なヌルになったなと皆が感心した。
 マタルーは上の兄たちを差し置いて、自分が按司になった事を恐縮していた。
「そんな事を気にする事はない」とマサンルー(佐敷大親)もヤグルー(平田大親)も言った。
「タブチ殿があんな事になってしまった。タブチ殿のためにも立派な按司になってくれ」
 マタルーは兄たちを見て、うなづいた。
 二日はグスクを守っている大親(うふや)たちが思紹(ししょう)(中山王)に挨拶に来る日で、按司になったマタルーは三日に来ればよかったのだが、いつも通りに二日に来て兄たちと会っていたのだった。与那原大親になったマウーと上間大親(うぃーまうふや)も来ていた。サハチは上間大親に長嶺按司(ながんみあじ)の動きに注意を払ってくれと頼んだ。
 翌日、按司たちが新年の挨拶にやって来て、首里は賑わった。知念按司(ちにんあじ)は隠居して、サハチの義弟の若按司按司になっていた。マタルーの義弟の新(あら)グスク大親が新グスク按司となって、サハチの三男のイハチが具志頭按司(ぐしちゃんあじ)になり、奥間大親(うくまうふや)が玻名グスク按司になり、若按司だったマルクが米須按司(くみしあじ)になって、今年、初めて、按司として挨拶に来ていた。勿論、昨日から来ていたマタルーも按司として父の思紹に挨拶をした。
 挨拶が終わったあとの祝いの宴(うたげ)に集まった顔ぶれを見ると、世代が入れ替わった者も多く、越来按司(ぐいくあじ)、伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司、玻名グスク按司の四人だけが五十代だった。サハチよりも若い者たちが多いが、去年の戦を経験したせいか、皆、頼もしくなっているように見えた。
 山グスク攻めで跡継ぎを失った勝連按司のサムは、悲しみを乗り越えたとみえて機嫌がよかった。ただ、朝鮮に行った者たちがまだ帰って来ないと心配していた。サハチはサスカサの話をして安心させた。
 それから二日後、サハチが島添大里グスクに帰っていると、トゥイ様が島尻大里ヌルと一緒に挨拶に来た。隠居したとはいえ、先代山南王妃(さんなんおうひ)が訪ねて来るなんて信じられなかった。サハチは大御門(うふうじょう)(正門)まで迎えに出た。
「新年の御挨拶に参りました」とトゥイは笑った。
 旅から帰って来たトゥイ様は何だか若返ったように思えた。マガーチと出会えた島尻大里ヌルも以前よりも輝いていた。護衛として女子(いなぐ)サムレーが一緒にいた。
 女子サムレーには二の曲輪で待っていてもらって、サハチはトゥイ様と島尻大里ヌルを一の曲輪の屋敷に案内した。
「ここに来たのは何年振りの事でしょう」とグスク内を見回しながらトゥイが言った。
「義父(ちち)(汪英紫)がここにいらした時は、毎年、シタルーと一緒に新年の御挨拶に参りました。義父が山南王になってからは来なくなりました。もう二十年も前の事ですわね」
 屋敷の廊下に飾ってある絵や置物をトゥイは懐かしそうに眺めて、「あの頃とあまり変わっていないようですわね」と言った。
「わたしにはこういう物はよくわかりませんが、先々代の山南王が集めた物は皆、素晴らしい物ばかりなので、そのまま飾っております」とサハチは言った。
「義父は鋭い目を持っておりました」とトゥイは言った。
「本物か偽物かをすぐに見分けられる目です。絵や壺などに限った事ではありません。人を見る目もありました。義父があなたを潰さなかったのは、あなたを認めていたのかもしれませんね」
「まさか?」とサハチは笑った。
 サハチは二階の会所(かいしょ)に案内して、ナツにお茶を頼んだ。
 トゥイは飾ってある水墨画を見てから、サハチに目を移すと、「去年の暮れの事です」と言った。
「この娘(こ)が三日間、行方知れずになりました。座波(ざーわ)ヌルの話だと、このグスクでマレビト神様と出会って、どこかに行ったけど心配はいらないと言いました。帰って来た娘は幸せ一杯の顔をしていて、わたしは怒る事も忘れて、祝福してやる事にしました。相手は誰なのかと聞いたら、『マガーチ』という名前を知っているだけで、何をしている人なのかも知らないと言うのです。まったく、呆れてしまいました。それで、按司様がマガーチという人を御存じなのかを聞きに参ったのでございます」
 サハチは島尻大里ヌルを見て笑った。しっかりしているように見えるが、抜けている所もあるらしい。
「マガーチはわたしの従弟(いとこ)です。首里のサムレーの総大将、苗代大親(なーしるうふや)の息子です」
 そう言ったら、トゥイも島尻大里ヌルも驚いたあとに安心したような顔になった。
「苗代大親様の名前は存じております。中山王の弟さんですよね。そうでしたか。苗代大親様の息子さんと聞いて安心いたしました」とトゥイが言った。
「進貢船(しんくんしん)のサムレー大将として明国に行って、帰って来たばかりです。以前はここのサムレー大将でした。あの日は、ここのサムレー大将をしている弟に会いに来ていたのです」
「そういえば思い出しました」と島尻大里ヌルが言った。
「マガーチ様は明国のお話を色々と聞かせてくれました」
「この娘(こ)ったら、マガーチ様と一緒にいるのが嬉しくて、どこで何をしていたのかも覚えていないのですよ」とトゥイが娘を見ながら言って、「すると、今は首里にいるのですか」と聞いた。
「そうです。『苗代之子(なーしるぬしぃ)』と名乗って首里でサムレー大将を務めています」
「そうでしたか。勿論、奥さんはいるのでしょう?」
「ええ、妻も子供もいます」
 トゥイはうなづいて、島尻大里ヌルを見た。
 その話はそれで打ち切って、トゥイは去年の旅の話をした。
「宇座(うーじゃ)の叔父(泰期)が亡くなる前、わたしはお見舞いに参りました。その時、馬天浜(ばてぃんはま)の若夫婦が時々、遊びに来ると叔父は楽しそうに言っておりました。その時はウミンチュの夫婦が遊びに来ていたのかと思って気にも止めませんでした。今回の旅で、宇座に寄って、馬天浜の若夫婦が按司様とマチルギ様だと知って、わたしは驚きましたよ。佐敷の按司だったあなたがどうして、叔父と親しく付き合っていたのですか」
「佐敷に『クマヌ』という山伏がいたのを御存じではありませんか」
「存じております。中グスク按司になられたお方でしょう」
「クマヌは各地を旅していて、宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様を知っていました。わたしが初めて、クマヌと一緒に旅をした時、クマヌが連れて行ってくれたのです。その後、マチルギと一緒に旅をした時も何度かお世話になっています」
「そうだったの‥‥‥叔父の息子のクグルーを引き取ったそうですね」
「御隠居様が亡くなったあと、ナミーさんがクグルーを連れて佐敷に来ました。クグルーがサムレーになりたいと言うので、恩返しのつもりで預かる事にしました」
「ナミーは、息子はウミンチュにするって言って出て行ったと聞いております」
「そのつもりでいたようですが、クグルーがサムレーになりたいと言ったようです」
「でも、どうして佐敷に行ったのでしょう?」
「御隠居様が、もし、クグルーがサムレーになりたいと言ったら佐敷に行けと言ったようです」
「そう‥‥‥浦添(うらしい)や小禄(うるく)じゃなくて、佐敷を選んだのね。クグルーは今、どうしているの?」
「毎年のように明国に行っています。今に立派な使者になるでしょう」
「そうだったの。あのクグルーが使者に‥‥‥父親の血を立派に引いているのね‥‥‥叔父に代わってお礼を言うわ。ありがとう」
「クグルーは今、ここの城下にいるはずです。呼びましょうか」
 トゥイは首を振って笑うと娘を促して立ち上がった。サハチが送って行こうとしたら、「そのままで結構です」と手で押さえる仕草をした。
 サハチは控えている侍女に送るように命じた。
 伊波(いーふぁ)に行っていたウニタキが帰って来たのは、それから半月後だった。サハチはナツと一緒に、来月半ばに行なわれるマグルー(サハチの五男)とウニタル(ウニタキの長男)の婚礼の準備で忙しかった。安須森ヌルはいないし、ユリたちは首里のお祭りの準備で首里に行っている。ユリたちが帰って来るまでに、やるべき事が色々とあった。
 安須森ヌルの屋敷で、女子サムレーたちと一緒に作業していたサハチは、一休みしようと言って一の曲輪の屋敷に戻った。二階の会所で、ウニタキはナツと話をしていた。
「伊波の『まるずや』は大盛況だったんですって」とナツが言って、「お茶の用意をするわ」と出て行った。
「うまく行ったようだな」と言って、サハチは座った。
「これからは山田まで行かなくて済むって、みんなが喜んでくれたよ。マチルギの実家があるのに、店を出すのが遅れてしまった」
「マチルギに言われたのか」
「そうじゃない。去年の暮れ、ウニタルとマチルーに『まるずや』巡りをさせればいいって言っただろう。それで、改めて『まるずや』の事を調べたんだ。そしたら、伊波にない事に気づいたんだよ。敵地の金武(きん)や恩納(うんな)にあるのに、伊波にないのはうまくないと思って、年が明けたら早速、準備に行ったというわけだ。うまい具合に丁度いい空き家も見つかって、思っていたより早くに開店できたんだ」
「そうか。マチルギも喜ぶだろう」
「伊波にいた時、金武まで行って来たんだ。金武按司が困っていたので助けてやったよ」
「何があったんだ?」
「金武按司の奥さんは国頭按司の娘なんだ。国頭から杣人(やまんちゅ)や炭焼きを連れてきて、恩納岳(うんなだき)の木を伐ったり、炭を焼いたりしていたようだ」
「材木や炭は今帰仁に持って行くのか」
「いや、金武から今帰仁まで行くのは大変だ。辺戸岬(ふぃるみさき)を超えて行かなければならない。そこで、金武按司は勝連按司と取り引きを始めたようだ」
「なに、勝連と取り引きをしていたのか」
「勝連でも材木は必要だったんだ。今まではヤンバルまで木を伐りに行っていたようだ」
「勝連には山北王の『材木屋』はいないのか」
「いなかった。ところが、最近になって山北王は宜野座(ぎぬざ)に『材木屋』の拠点を造ったらしい」
宜野座とはどこだ?」
「東側を通って今帰仁に向かう時、途中から山道に入って名護(なぐ)に向かうだろう。山道に入る手前の辺りだ。そこで木を伐り出して、勝連に運んだようだ。金武の材木よりも質がいいので、勝連は『材木屋』と取り引きをしてしまって、金武の材木はいらないと言ったようだ。材木の処理に困った金武按司は『まるずや』に泣きついて来たというわけだ」
「山北王も考えたものだな」
「今まで一手に材木の取り引きをしていたのが、『まるずや』が加わって、材木の仕入れ値も上がった。それに、国頭按司も独自に材木の取り引きを始めた。それで、中山王だけでなく、東側の按司とも取り引きをしようと考えたのだろう。やがては、中グスクや佐敷とも取り引きをしようと考えているに違いない」
「金武按司の取り引きを奪うなんて、山北王は自分で自分の首を絞めているようだな」
「お陰で、金武按司は山北王を恨んで、中山王に近づこうとするだろう」
「うまく切り離してくれよ」
「買い取った材木の代価を弾んでやるさ」とウニタキは楽しそうに笑った。
 その日の夕方、ファイチ(懐機)から連絡があって、今帰仁からリュウイン(劉瑛)が来たので、久米村に来てくれと言ってきた。
 サハチはウニタキと一緒に久米村に向かった。メイファン(美帆)の屋敷で、ファイチとリュウインが待っていて、サハチたちは新しくできたという遊女屋(じゅりぬやー)に向かった。
 『慶春楼(チンチュンロウ)』という遊女屋は豪華な造りだった。立派な庭園には大きな池まであった。
「応天府(おうてんふ)(南京)の『富楽院(フーレユェン)』を思い出すな」とウニタキが言った。
「富楽院か‥‥‥懐かしい」とリュウインは言った。
リュウイン殿も行きましたか」とファイチが笑った。
 明国風の着物を着た女に案内された洒落た部屋で待っていると、遊女(じゅり)というよりも妓女(ジーニュ)と呼ぶのにふさわしい娘たちが現れた。明国の娘たちかと驚いたが、琉球の言葉をしゃべったので安心した。話を聞くと皆、琉球の娘たちだった。
「旧港(ジゥガン)(パレンバン)から来た商人が、この遊女屋を始めたのです」とファイチが言った。
若狭町(わかさまち)には遊女屋がいくつもありますが、言葉が通じません。琉球は益々栄えて行くだろうと考えて、その商人は久米村に高級な遊女屋を造ったのです。久米村としても土地を提供して、その商人を助けました。今年、やって来る冊封使たちも、これを見たら驚くでしょう」
「芸も一流なのですか」とリュウインが聞いた。
「旧港にある一流の妓楼から引退した妓女を呼んで仕込んだようです。勿論、明国の言葉もしゃべれます」
 リュウインが明国の言葉で何事か言うと、妓女は見事に答えていた。
「得意な芸を聞いたら、二胡(アフー)と舞、絵も嗜むそうです」とリュウインは言った。
 妓女たちが奏でる明国風の音楽を聴きながら、
「明国に帰るのは十五年振りになります」とリュウインは言った。
「山北王が進貢船を出すのも十年振りです。どうして、十年も来なかったのかと聞かれるでしょう。うまく説明して、海船を賜(たま)わらなくてはなりません」
「礼部のヂュヤンジン(朱洋敬)に会って下さい。何とかしてくれるでしょう」とファイチは言った。
「今年も順天府(じゅんてんふ)(北京)まで行く事になると思います。長い旅ですが気をつけて行って来てください」
 リュウインはうなづいて、
「順天府は永楽帝(えいらくてい)の本拠地ですからね。うるさい重臣たちに応天府を任せて、新しい都を造りたいのでしょう」と言った。
永楽帝に会った事はあるのですか」とサハチはリュウインに聞いた。
「会った事はあります。わたしが仕えていた湘王(ジィァンワン)と、当時、燕王(イェンワン)と呼ばれていた永楽帝は仲がよかったのです。燕王は戦の報告をしに応天府に帰って来ると必ず、湘王を呼んで戦の話をしていました。一度、富楽院で一緒に飲んだ事もあります」
「『酔夢楼(ズイモンロウ)』ですか」とウニタキが言った。
 リュウインが驚いた顔をしてウニタキを見た。
「確かに『酔夢楼』です。行った事があるのですか」
「そこで、お忍びの永楽帝と会いました」
 ウニタキがそう言うと、リュウインはサハチとファイチを見て、ニヤニヤと笑った。
「何という人たちだ。永楽帝に会ったなんて信じられん。ファイチ殿は永楽帝にとっても大切な人だったようですな」
永楽帝リュウイン殿の事も覚えているかもしれませんよ」とサハチが言うと、リュウインは首を振った。
「わたしは湘王の従者として会っていただけです。それに、わたしの兄は永楽帝に殺されました。わたしの正体がわかれば、わたしも殺されるかもしれません。まあ、直接、永楽帝と話をする機会なんて、ないとは思いますがね」
 五日後、リュウインは山北王の正使として、中山王の進貢船に乗って明国に旅立った。中山王の正使は南風原大親(ふぇーばるうふや)で、南風原大親は前回の時も順天府まで行っていた。サムレー大将は久高親方(くだかうやかた)で、中グスクのサムレーたちも乗っていた。山北王のサムレー大将は十年振りに明国に行く本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底大主)だった。

 

2-184.トンド(改訂決定稿)

 十二月七日、ササ(運玉森ヌル)たちはアンアン(安安)の船と一緒にトンド王国(マニラ)に向かっていた。何度もトンドに行っているムカラーも、ターカウ(台湾の高雄)からトンドに行った事はなく、アンアンの船が先導してくれるので助かっていた。
 アンアンの船は琉球の進貢船(しんくんしん)と同じくらい大きい船で、形もよく似ているが、海賊を追い払うために鉄炮(てっぽう)(大砲)を積んでいた。ターカウからトンドまでの海域は女海賊『ヂャンジャラン(張嘉蘭)』の縄張りなので、滅多に海賊は現れないが、広州のならず者『チェンジォンジー(陳征志)』が現れるかもしれないという。
 チェンジォンジーは旧港(ジゥガン)(パレンバン)で暴れていて、鄭和(ジェンフォ)に捕まって処刑されたチェンズーイー(陳祖義)の息子だった。パレンバンから広州に逃げたチェンジォンジーはメイユー(美玉)の前夫だったヤンシュ(楊樹)を頼って、ヤンシュのもとで働いていた。メイユーに逃げられたヤンシュはリンジェンフォン(林剣峰)に近づいて、娘のリンチョン(林冲)を妻に迎えて勢力を広げ、広州の海賊たちを一つにまとめた。リンジェンフォンの傘の下での親分気取りも長くは続かなかった。リンジェンフォンが亡くなると、広州の海賊たちはヤンシュから離反して、さらに、妻のリンチョンとチェンジォンジーに裏切られて広州から追い出された。チェンジォンジーはリンチョンを妻に迎えたという。ヤンシュの配下だった者たちはチェンジォンジーを嫌って、メイユーを頼った者も多いらしい。チェンジォンジーのもとにはならず者たちが集まって来て、海賊同士の掟も無視して暴れているという。
 ターカウの港を出た愛洲(あいす)ジルーの船は北風を受けて南下して、その日は島の最南端まで行って船の中で休んだ。二日目の早朝、夜が明ける前の暗いうちにターカウの島を離れて、南へと進んだ。東側に黒潮が流れているので注意しなければならなかった。
 目が覚めたササは甲板(かんぱん)に出た。丁度、朝日が昇る時刻だった。ササは朝日に両手を合わせて、航海の無事を祈った。タマミガがやって来て、朝日に両手を合わせた。
 朝日に照らされて海が輝き、遙か遠くまで海が広がっているのが見えた。琉球を旅立ってから、すでに三か月が過ぎていた。琉球を旅立つ時、ターカウもトンドも知らなかった。随分と遠くまで来てしまったとササは思いながら空を見上げた。多少の不安はあるけど、スサノオの神様も一緒だし、ユンヌ姫様とアキシノ様も一緒なので安心だった。
 ササはタマミガを見ると、「ミャーク(宮古島)からトンドに行く時は、どうやって行くの?」と聞いた。
 トンドに行った事があるのはクマラパとタマミガだけだった。ミッチェもサユイもナーシルも行った事はなかった。
「ミャークから多良間島(たらま)に行って、イシャナギ島(石垣島)に行くんだけど、イシャナギ島から南下して、フシマ(黒島)に寄って、パティローマ(波照間島)まで行くのよ。パティローマで風待ちをして南下するの。途中で黒潮を越えるんだけど、それが難しいみたい。下手(へた)をするとターカウまで流されちゃうらしいわ。ミャークの人たちはもうトンドに着いているんじゃないかしら」
「そうか。トンドに行けばミャークの人たちと会えるのね」
「トンドにも『宮古館』があるのよ。お父さんがアコーダティ勢頭(しず)様と一緒に、初めてトンドに行ったのは、もう四十年近くも前の事なの。当時、宰相(さいしょう)だった『ヂャンアーマー(張阿馬)』が歓迎してくれて、ヂャンアーマーが『宮古館』を建ててくれたそうだわ」
「クマラパ様はヂャンアーマーと親しかったの?」
「元(げん)の国が滅びる時の混乱時に、戦(いくさ)をしていた者同士だったので意気投合したみたい」
「一緒に戦をしていたの?」
「そうじゃないわ。詳しい事はわからないけど、その頃、王様を名乗っていた人が何人もいたみたい。お父さんが仕えていた王様も洪武帝(こうぶてい)にやられて、ヂャンアーマーが仕えていた王様も洪武帝にやられたのよ」
「クマラパ様とヂャンアーマーは同じ位の年齢(とし)だったの?」
「お父さんの方が二つ年上だったらしいわ」
「そうなんだ‥‥‥」
「お父さんはお嫁に行く前のジャランさんに会っていて、嫁いでからもターカウで会っているのよ。ヂャンアーマーは娘のジャランは海賊には絶対に嫁がせないと言って、本人も太守(タイショウ)の奥さんとして、海賊とは縁がない生活をしていたの。それなのに、女海賊になったなんて、とても信じられないって、お父さんは言っていたわ」
「ジャランさんが女海賊になったのは、メイユーさんの影響かしら?」
「お父さんから聞いたんだけど、ジャランさんはメイユーさんと一緒に広州に行ったらしいわ。そこで海賊の事を学んだんじゃないかしら。そして、亡くなった父親の跡を継ごうと決めたんだと思うわ」
 海賊の世界の事はよくわからないけど、ターカウのためにもヂャンジャランに頑張ってほしいとササは思っていた。
「トンドってどんな所なの?」
「ターカウの日本人町をもっとずっと大きくしたような所よ。町全体が高い城壁に囲まれているの。その中に高い城壁に囲まれた宮殿があるのよ。マフニさんと一緒に宮殿に行って王様と会ったわ。会ったと言っても挨拶をしただけだけどね。歓迎の宴(うたげ)も開いてくれたけど、王様は来なかったわ。ターカウと違って、一国の王様だから何かと忙しいみたい。その時、アンアンは旧港に行っていて、いなかったのよ」
「王様って山賊だった人なんでしょ?」
「アンアンから話を聞くまで、そんな事は知らなかったわ。あたしたちが行った時は政権が替わってから七年も経っていたから、前の王様を従弟(いとこ)が倒したという事しか知らなかったの。お父さんがお母さんと行った時は、まだ、ヂャンアーマーもいたらしいわ。ヂャンアーマーの一族がいなくなってしまったので、お父さんは不思議がっていたのよ。でも、ヂャンアーマーは王様を飾り物にして好き勝手な事をしていたから、いつか必ず転ぶだろうと思っていたって言ったわ」
「城壁の中の町はどうなっているの?」
「町の中には川も流れていて、宮殿へと続く大通りには大きなお屋敷が建ち並んでいるわ。日本人町もあって、ターカウの人や倭寇(わこう)たちがいるわ。『宮古館』は日本人町の近くにあるのよ。大きなお寺がいくつもあって、天妃宮(てぃんぴぐう)もあるわ」
熊野権現(くまぬごんげん)様もあるんでしょ?」
日本人町の中にあるけど、ターカウの方が大きいわね。タージー(アラビア)という国の人たちのお寺や、インドゥ(インド)という国の人たちのお寺もあるのよ」
「タージーにインドゥ? その国はどこにあるの?」
「遙か西の方にあるみたい。鼻が高くて、目が青い人もいるのよ。髪の毛が黄金色(くがにいる)の人もいて驚いたわ。勿論、言葉は全然わからないわ」
「へえ、面白そうな所ね」
「五月頃まで滞在しなければならないけど、決して飽きないと思うわ」
 もう一眠りしようとササたちは船室に戻った。
 十二月だというのに日差しは強くて暑かった。日が暮れる頃、ようやく島影が見えて来た。崖に囲まれた島だった。
 上陸できない事はないが、この島にも首狩り族がいるとクマラパが言った。ミャークからトンドに向かう時もこの島を目指して来るという。
 島の近くに船を泊めて夜を明かして、翌日、南下して行くと島がいくつも見えてきた。小さな無人島に上陸して一休みした。そこから島伝いに南下して行き、ターカウを出てから六日目、ようやく『トンド』がある『ルソン島』に着いた。
 ルソン島はターカウの島よりも大きく、高い山々が連なっていた。ルソン島の北部にも首狩り族が住んでいるので上陸する事はできなかった。ルソン島の西側を南下して、四日後にようやく、トンドに到着した。途中、悪天候に見舞われて、揺れる船の中で一晩を過ごしたが、若ヌルたちが具合が悪くなる事もなく、何とか無事にトンドに着いた。
 島が大きく窪んだ湾内の奥に『トンド』はあった。港には大小様々な船が泊まっていて、琉球の浮島(那覇)よりも栄えているように思えた。大きな川が流れていて、その北側に高い城壁に囲まれた町が見えた。その大きさにササたちは驚いた。ターカウの日本人町の数倍の大きさだった。
「トンドは宋(そう)の国の都だった杭州(こうしゅう)を真似して造った町なんじゃよ」とクマラパが言った。
杭州って言えば、メイユーたちのおうちがある所だわ」と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が言った。
「綺麗な湖の近くにおうちがあるって言っていたわ。メイファン(美帆)から聞いたんだけど、本拠地をムラカ(マラッカ)に移しても、そのおうちは拠点として残すって言っていたわ。いつか、行ってみたいわね」
「トンドにも大きな湖があるわよ」とタマミガが河口を指差して、「あの川の上流にあるのよ。みんなで行きましょう」と楽しそうに言った。
 アンアンのお陰で、煩わしい手続きもなく、ササたちは上陸した。
 港は賑やかだった。商人らしい唐人たち、荷物運びをしているのは現地人のようだった。そして、見た事もない肌の色の黒い人たちや髪の色が黄金色をした人たちもいた。ササたちは驚いた。若ヌルたちは驚きのあまり言葉も出ないようだった。いつものようにキャーキャー騒ぐ事もなく、目をキョロキョロさせていた。
 アンアンに従って、ササたちは大きな門を抜けて城壁の中にある町に入った。広い広場があって、その先に大通りがあり、大通りの右側に『天妃宮』があった。ターカウの天妃宮よりも大きくて、その建物の華麗さにササたちは驚いた。いたる所に黄金色に輝く飾り物があった。御本尊の天妃様も黄金色に輝いていた。ササたちは無事の航海のお礼を告げた。広い境内の中には様々な神様を祀っているお堂がいくつもあって、その中に『メイユー』を祀っているお堂もあった。
 シンシンが通訳してくれたアンアンの話によると、アンアンの父、今の王様がここにメイユーのお堂を建てて祀ったのが初めで、それをターカウの天妃宮にも勧請(かんじょう)したという。剣を振り上げているメイユーの像も黄金色に輝いていた。ターカウの像はあまりメイユーに似ていなかったが、ここのはよく似ていた。ササたちはメイユーの神様にお祈りを捧げた。
 大通りの両側には商人たちの大きな屋敷が建ち並んでいた。それぞれの屋敷が大きな看板を掲げていて、看板に書かれている字は黄金色に輝いていた。
 大通りを歩いている人たちは様々な格好をしていて、しゃべっている言葉も様々だった。ミャークやイシャナギ島、ターカウに行った時でさえ、異国という感じはしなかったが、トンドはまさに異国だった。はるばる異国までやって来たと皆が実感していた。
 何を見ても驚いていたササたちは気づかなかったが、日本の侍(さむらい)のような格好をして腰に刀を差しているササたちは好奇の目で見られていて、王女様がまた奇妙な人たちを連れて来たと噂されていた。
 しばらく行くと広い十字路に出た。左を見ると高い城壁に囲まれた宮殿の立派な門が見えた。右を見ると大通りの遙か先に城壁の門が見えた。
「昔は向こうに港があって、向こうの門から入ったんじゃよ」とクマラパが右の方を見ながら言った。
「向こうの門から入ると正面に宮殿が見える。南薫門(なんくんもん)と呼ばれる向こうが正門だったんじゃが、西側に新しい港ができて、皆、順天門(じゅんてんもん)から入るようになったんじゃ」
 ササたちは左に曲がって宮殿に向かった。門の上には朱雀門(しゅじゃくもん)と黄金色で書かれた扁額(へんがく)を掲げた大きな建物が建っていた。
 アンアンが一緒なので、簡単な手続きをして宮殿内に入れた。順天門にいた門番も、ここの門番も皆、日本の刀を腰に差していた。トンドの兵たちは皆、日本の刀を差しているのかもしれなかった。
 正面にまた城壁に囲まれた宮殿があった。宮殿へと続く大通りの両側には役所が並んでいて、明国(みんこく)の官服(かんぷく)のような着物を着た役人たちが忙しそうに行き来していた。
「凄いわね」と安須森ヌルがササに言った。
 ササは辺りを見回しながらうなづいた。
「この宮殿も宋の国の宮殿を真似して作ったらしい」とクマラパが言った。
「『トンド』というのは『東の都』という意味なんじゃよ。宋の国がここに移ったという意味が込められているんじゃ。しかし、元の国も明の国も、トンドとは認めず、島の名前をとって『ルソン国』と呼んでいるようじゃ」
 宣徳門(せんとくもん)でまた簡単な手続きをして門内に入ると、そこは広場になっていて、正面に首里(すい)グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)のような宮殿が建っていた。百浦添御殿よりも一回り大きくて、あちこちに黄金色に輝く彫刻が施されていて、凄く豪華に見えた。
 アンアンに従って宮殿に入って、一室で待たされたあと、ササと安須森ヌルとクマラパは王様に拝謁した。
 黄金色の装飾があちこちに輝く豪華な部屋で、王様は高い所にある黄金色の玉座(ぎょくざ)に座っていた。王様の頭の上にも黄金色に輝く王冠が載っていた。厳(いか)めしい顔をした重臣たちが並んでいて、重苦しい雰囲気だった。
 近くに寄れと王様が言ったので、ササたちは玉座の近くまで行って、クマラパの通訳で王様の話を聞いた。
 王様は琉球からよく来てくれたと歓迎してくれ、メイユーが琉球の王子の側室になった事に驚いていた。夫と別れたあとメイユーはトンドに来なくなってしまった。あとで琉球でのメイユーの事を聞かせてくれと言った。その後、王様はクマラパと話をしていたが、ササと安須森ヌルには何を話しているのかわからなかった。
 アンアンから山賊だったと聞いているが、そんな面影はまったくなかった。時々、見せる鋭い目つきが武芸の心得がある事を物語っているが、生まれついての王様という気品が漂っていた。
「引き上げよう」とクマラパに言われて、ササと安須森ヌルは王様に頭を下げて引き上げた。
 豪華な部屋を出て、王様と何を話していたのかとササがクマラパに聞いたら、クマラパは笑って、
「わしは王様に誤解されていたようじゃ」と言った。
「わしがヂャンアーマーと親しくしていたので、敵だと思って警戒していたそうじゃ」
「誤解は解けたのですか」と安須森ヌルが聞いたら、
「わかってくれたようじゃ」とうなづいた。
 皆が待っている部屋に戻って王様の事を話しているとアンアンが来て、一緒に宮殿を出た。役所の間を抜けて行くと立派な庭園のある御殿に出た。先代の王様が側室のために建てた御殿で、今は客殿として使っているので、ここに滞在してくれという。
 宮殿の敷地内に滞在するのは堅苦しいような気がするが、『宮古館』にはミャークの人たちがいるので泊まれない。町の様子がわかったら、どこか宿泊施設を見つけて、そちらに移ろうと思い、それまでは王様の好意に甘える事にした。
 客殿は広く、一階には食事をする広い部屋があって、二階には部屋がいくつもあった。各部屋には寝台が四つづつあって、ササたちは分散して部屋に納まった。ササは安須森ヌル、シンシン、ナナと一緒の部屋に入ろうとしたら、
「あなたはジルーと一緒よ」と安須森ヌルに言われた。
 ササは苦笑して、ジルーと一緒に部屋に入った。ミッチェとガンジュー(願成坊)も一緒に入り、ゲンザとミーカナ、マグジとアヤーも一緒に入った。若ヌル五人だけを一部屋に入れるのは心配なので、二つの寝台を運び入れて、玻名(はな)グスクヌルが一緒に入った。タマミガ、サユイ、ナーシルが一緒に入り、クマラパとムカラーが一緒に入った。
 客殿には何人もの侍女たちがいて、ササたちの世話をしてくれたが言葉が通じないので、いちいちシンシンかクマラパを呼ばなければならず面倒だった。
 その夜、別の御殿で歓迎の宴が開かれて、豪華な料理を御馳走になった。何人かの重臣たちを紹介されたが王様は現れなかった。舞台では歌やお芝居が演じられて、言葉はわからないが面白かった。安須森ヌルは真剣な目をしてお芝居を観ていた。
 そろそろ宴がお開きになる頃、ササはユンヌ姫の声を聞いた。
お船が狙われているわ」とユンヌ姫は言った。
 ササは驚いて、「どういう事なの?」と聞いた。
「チェンジォンジーという海賊が、ジルーのお船を奪い取ろうと企んでいるのよ。今夜、襲撃するわ」
「あたしたちを追って来たの?」
「そうらしいわ。ターカウにはヂャンジャランがいるので襲えなくて、トンドまで追って来たのよ」
 今、ジルーの船には二十人の船乗りしかいなかった。半数は船から下りて、王様が用意してくれた港の近くの宿舎で休んでいた。
「敵は何人いるの?」とササは聞いた。
「五十人くらいいるわ。でも、船乗りは襲撃に加わらないから三十人といった所ね」
 ササはユンヌ姫にお礼を言った。
 ユンヌ姫の声を聞いた安須森ヌル、シンシン、ナナがササを見た。
お船を守らなくてはならないわ」とササは言った。
 皆はうなづいたが、
「宮殿の門はみんな閉まってしまったわ」とシンシンが言った。
「アンアンに頼めば何とかなるわよ」とササは言った。
 シンシンはうなづいて、アンアンの所に行って相談した。
 宴が終わると玻名グスクヌルと若ヌルたちを客殿に返して、ササたちはアンアンと一緒に宮殿の東門から外に出た。
 空には満月が出ていて明るかった。宮殿の横に川が流れていて、荷船が泊まっていた。ササたちはアンアンと一緒に荷船に乗って水門から城壁の外に出た。水門も閉まっていたが王様の許可を得ているので大丈夫だった。順天門から出たらチェンジォンジーの配下の者が見張っている可能性があるが、荷船に隠れて水門から出ればわからなかった。
 川岸でムカラーを下ろして、ジルーの配下の船乗りたちがいる宿舎に向かわせた。町中を流れていた川は大きな川に合流して海へと出た。荷船に乗ったまま港に向かって、ジルーの船まで行った。敵の襲撃はまだないようだった。
 船に乗ったササたちは見張りの船乗りに襲撃の事を告げて、敵を待ち伏せるための準備をした。
 一時(いっとき)(二時間)近くが過ぎて、本当に敵の襲撃はあるのかしらと待ちくたびれた頃、静かに近づいて来る船があった。進貢船を一回り小さくしたような船だった。敵船はジルーの船に横付けすると、船と船の間に梯子(はしご)を何本も渡した。敵船の甲板(かんぱん)の方がジルーの船よりも四尺(約一二〇センチ)ほど高かった。
 次々と敵が船に乗り移ってきた。敵の一人が船室を覗こうとした時、法螺貝が鳴り響いた。ガンジューが吹く法螺貝が合図で、ササたちの攻撃が始まった。
 ミッチェとサユイが屋形の屋根の上から弓矢を撃ち、ナーシルが槍を投げた。突然の反撃に敵はひるんでいた。ササ、シンシン、ナナ、タマミガ、ミーカナ、アヤーは敵船に乗り込んで暴れ回った。敵船に残っていた者たちはササたちの敵ではなかった。刀を抜くまでもなく、武当拳(ウーダンけん)によって皆、簡単に倒された。
 ササたちがジルーの船に戻ると、すでに戦闘は終わっていた。大将らしい男はナーシルの槍で絶命していた。
「こいつはチェンジォンジーではないようじゃ」とクマラパが言った。
「チェンジォンジーは妻のリンチョンと一緒に隠れ家にいるらしい。簡単に奪えると思っていたんじゃろう」
「怪我人は出たの?」とササが聞いた。
「大丈夫よ。みんな、無事よ」と安須森ヌルが言った。
「強そうな五人はナーシルの槍とミッチェとサユイの弓矢にやられたわ。あとはみんな大した腕はなかったわ」
 ムカラーの知らせを聞いて、宿舎で休んでいた船乗りたちが小舟に乗ってやって来た。ジルーは倒れている者たちを縛り上げろと命じた。
 ササ、安須森ヌル、シンシン、ナナ、ミッチェ、サユイ、ナーシル、クマラパは敵の一人に案内させて、チェンジォンジーの隠れ家に向かった。隠れ家に残っているのはチェンジォンジーとリンチョンと二人の見張りだけだという。
 チェンジォンジーの隠れ家は港の北側にある遊女屋町の中にあった。真夜中だというのに酔っ払った男たちがうろうろしていた。小さな遊女屋が建ち並ぶ通りの裏側にある古い家が隠れ家だった。見張りの姿は見当たらなかった。連れて来た男に声を掛けさせたが、隠れ家から返事はなかった。
 警戒しながら戸を開けて中に入ると、土間に二人の見張りが倒れていて、部屋の中で男と女が血まみれになって倒れていた。それを見て、連れて来た男が何事か叫んだ。
「チェンジォンジーとリンチョンか」とクマラパが聞くと、連れて来た男はうなづいた。
「一体、どうなっているの?」と安須森ヌルが言って、
「誰の仕業なの?」とナナが言った。
 ササは警戒しながら二人の死骸に近づいた。酒を飲んでいたとみえて、酒の入った酒壺(さかつぼ)が転がっていて、料理が散らかっていた。死骸のそばに何かを書いた紙切れが落ちていた。シンシンがそれを取って読んで、
「ヂャンジャランの仕業よ」と言った。
「『海賊の恥となるチェンジォンジーとリンチョンを退治した。ヂャンジャラン』て書いてあるわ」
「ジャランさんはチェンジォンジーを追って来たのかしら?」とササは言った。
「そのようじゃな」とクマラパは言って、「ジャランも立派な海賊になったもんじゃ」と苦笑した。
 翌朝、王様の命令を受けた役人たちがやって来て、チェンジォンジーの配下たちを捕まえて、船を没収した。チェンジォンジーとリンチョンの首は、見せしめとして港に晒(さら)された
 チェンジォンジーを倒したのがヂャンジャランだと知ると、王様は生かしておいてよかったなと笑ったという。
 ササたちは宮殿の東側にある『宮古館』に行って、マフニと再会した。上比屋(ういぴやー)のツキミガと来間島(ふふぁま)のインミガも来ていて再会を喜んだ。
 日本人町に行くとトンドの太守として南遊斎(なんゆうさい)の息子の小三郎がいて歓迎してくれた。ササたちがチェンジォンジーを倒した事は噂になっていて、日本人町の人たちも喜んでいた。チェンジォンジーにやられた倭寇たちも多いという。
 言葉が通じる日本人町に来るとホッとした。できれば日本人町に滞在したいと太守に相談したら、これから倭寇たちがやってくるので難しいだろうと言われた。
 『弁才天宮(べんざいてんぐう)』は朝陽門(ちょうようもん)と呼ばれる東門の近くにあった。イシャナギ島の石城按司(いしすかーず)が描いた『サラスワティ』の像があった。その像は思っていたよりも大きくて神々しかった。ササたちはイシャナギ島で会ったサラスワティを思い出しながらお祈りを捧げた。

 

 

 

Exotic India ZBU74 女神サラスヴァティ、16.5インチ、ブラウン

 

2-183.龍と鳳凰(改訂決定稿)

 遊女屋『飛馬楼(フェイマーロウ)』に行って松景寺(しょうけいじ)の慶真和尚(きょうしんおしょう)とお酒を飲んでいたササ(運玉森ヌル)たちだったが、日が暮れると日本人町唐人町も門が閉まってしまうとカオルに言われて、和尚とクマラパを遊女屋に残して唐人町に戻った。ミッチェたちも若ヌルたちも、まだ宮殿にいて、アンアン(安安)の勧めもあって、みんなで宮殿に泊まる事になった。
 池の周りにいくつも建っている家は、先代の太守(タイショウ)の側室たちが住んでいた家だった。今の太守は側室を持っていないので、お客様の滞在用に使っていた。ササたちは三軒の家を借りて、分散した。アンアンの兄の太守が歓迎の宴(うたげ)を開いてくれると言うので、アンアンと一緒に宮殿の一階にある大広間に行った。
 蝋燭(ろうそく)がいくつも灯されて明るい大広間には円卓がいくつもあった。二つの円卓に料理が並んでいて、太守と奥さんが待っていた。ササたちはお礼を言って円卓を囲んだ。
「メイユー(美玉)さんが琉球の王子様の側室になったと妹から聞いて驚きましたよ」と太守はヤマトゥ(日本)の言葉で言った。
 ササたちは驚いて、「日本の言葉がしゃべれるのですね?」と聞いた。
「わたしの妻は日本人なのです」と言って、隣りにいる奥さんを紹介してくれた。
 ユウという名前の奥さんはササと同じくらいの年齢で、太守の方が五歳くらい年上に見えた。明国(みんこく)風の着物を着ているので、言われなければ日本人だとは気づかなかった。
「トンド(マニラ)にも日本人がいるのですか」とナナが聞いた。
「トンドにも日本人町があります。でも、ユウと出会ったのはターカウ(台湾の高雄)なんです。当時、兄が太守を務めていて、わたしは交易をするためにトンドから来たのです。わたしはその時、初めてターカウに来て、あちこち歩き回りました。ターカウ川の向こうに造船所があるのですが、そこでユウと出会ったのです」
「造船所があるのですか」と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が驚いた顔をして聞いた。
「わたしも驚いて行ってみたのです。その頃のわたしは日本の言葉がわかりません。門番が何を言っているのかまったくわからず困っていたら、ユウが現れて、通訳してくれたのです。ユウは船大工の娘で、明国の海賊たちの船も修理するので、明国の言葉がしゃべれたのです。ユウのお陰で造船所を見学する事ができました。ユウと一緒に造船所内を見て歩いているうちに、わたしはユウが好きになってしまいました。でも、前年に妻を亡くしていたわたしは、ユウに自分の気持ちを打ち明ける事はできませんでした。翌年もわたしはターカウに来ました。ユウはお嫁に行ってしまったかもしれないと思いましたが、会いに行くとユウはいました。わたしは自分の気持ちを打ち明けて、ユウもうなづいてくれて、一緒になったのです。わたしはユウをトンドに連れて帰りましたが、四年前に太守に任命されて、ターカウで暮らす事になりました。ユウも故郷に帰れて喜んでいます」
 ササたちは次々に出て来るトンドの料理を御馳走になった。明国の料理に似ているが、香辛料が効いていておいしかった。
 ササたちは太守から、トンドの王様の交代劇を詳しく聞いた。
「メイユーさんが山の砦にやって来るまで、父も敵討(かたきう)ちの事は半ば諦めていたようです」と太守は話し始めた。
「父が山に逃げて来てから二十年余りが過ぎていて、トンドは相変わらず栄えていました。山の中で兵を鍛えてはいても、トンドの兵と戦って勝てる見込みなんてなかったのです。メイユーさんは非道な事をしているターカウの太守を倒すと言いました。父はトンドと戦(いくさ)になるからやめろと言ったようです。その頃のわたしはまだ父親の素性は知りません。女海賊が父と取り引きをしに来たのだと思っていました。メイユーさんは二年後にも山の砦にやって来ましたが、父の気持ちは変わらなかったようです。ところが翌年の夏、王様が亡くなって、長男のヂャンソンシュン(張松迅)が王様になりました。当時のターカウの太守の兄です。似たもの兄弟で、父親が亡くなった途端に側室を集めて、日夜、宴を催すようになったのです。ヂャンアーマー(張阿馬)の息子のヂャンシェンリー(張咸里)が宰相(さいしょう)として政務を執っていて、王様は飾り物に過ぎなかったのです」
「ヂャンシェンリーというのは、メイユーが倒した太守の奥さんのお兄さんね?」と安須森ヌルが聞いた。
「そうです。メイユーさんは太守の奥さんも退治すると言っていたようです。そんな事をしたら、ヂャンシェンリーはターカウを滅ぼしてしまうでしょう。でも、父は新しい王様の無能振りを見て、王様を倒す覚悟を決めたようです。メイユーさんと一緒に作戦を練って、時期が来るのを待ったのです。翌年、明国で政変が起きました。北から燕王(えんおう)が応天府(おうてんふ)(南京)に攻めて来て、皇帝になったのです。永楽帝(えいらくてい)です。その時、明国に行っていたヂャンシェンリーの配下の者たちが戦に巻き込まれて戦死したようです。その船には百人の兵が乗っていましたが、戻っては来ませんでした。その年の暮れ、メイユーさんがやって来ました。その時、兄とわたしは呼ばれて、父から素性を聞かされて驚きました。自分が先々代の王様の孫だったなんて信じられませんでした。翌年の夏、いつものように百人の兵を乗せた船がターカウに行きます。そして、十月に二隻の船がそれぞれ百人の兵を乗せて、チャンパ(ベトナム中部)とパレンバン(旧港)に向かいました。残っている兵は二百人だけとなったのです。しかも、百人は非番で、城壁を守っているのは百人です。その百人の兵はジュウ(周)将軍に説得させて、戦には参加しませんでした。ジュウ将軍というのはもう亡くなってしまいましたが、祖父が殺された時、父を助けて山の中に隠した将軍です。山の砦を造ったのも、若い者たちを鍛えたのもジュウ将軍でした。父の軍師として働いてくれました。ジュウ将軍は祖父に最も信頼されていた将軍で、宮殿に抜け穴がある事を知っていました。祖父が殺された時、多くの重臣たちも殺されたので、抜け穴の事を知っているのは、ジュウ将軍だけでしょう。王様もヂャンシェンリーも知らなかったはずです。ジュウ将軍はその抜け穴を利用して、時々、宮殿に行っては、敵の動きを探っていたようです」
「その抜け穴を使って、宮殿を攻めたのですね?」とササが聞いた。
「そうです。宮殿を守っていたヂャンシェンリーの配下の者たちを倒して、宴席に突入して、王様を討ち取ったのです。勿論、ヂャンシェンリーも討ち取りました。父は十六歳の時、ジュウ将軍と一緒に抜け穴から抜け出して、二十七年後、抜け穴から宮殿に戻って、王様になったのです」
「そして、その頃、ここではメイユーが太守を討ち取ったのね?」と安須森ヌルが聞いた。
「それは翌年の事です。ターカウに向かった船が、メイユーさんに作戦が成功した事を告げて、メイユーさんは決行したのです。わたしの亡くなった妻はジュウ将軍の孫娘でした。幼い頃から武芸に励んで、メイユーさんと会ってからは、メイユーさんに憧れて、さらに武芸に励みました。わたしも妻には負けられないと武芸に励んだのです。強い女でしたが、病には勝てず、二十歳の若さで亡くなってしまいました。ユウと出会った時、雰囲気が亡くなった妻と似ていると感じました。メイユーさんの事を聞いたら、ユウもメイユーさんに憧れて、メイユーさんと話がしたくて明国の言葉を覚えたと言いました。メイユーさんがよく出入りしていた唐人町の松景寺に通っていたようです」
「えっ、あの和尚さんから習ったのですか?」とササがユウに聞いた。
 ユウはうなづいた。
「面白い和尚さんです。あの頃、和尚さんも日本人町の南光院で子供たちと一緒に日本の言葉を習っていました。わたしは和尚さんに頼んで、松景寺に通うようになったのです。そしたら、メイユーさんが松景寺に来たのでびっくりしました。メイユーさんはよく松景寺にやって来て、子供たちと遊んでくれました。わたしはメイユーさんとお話をする事ができるようになりました。主人と出会えて、お話ができたのもメイユーさんのお陰なのです」
「女の子はみんな、メイユーに憧れたのね」と安須森ヌルが言った。
「あたしも初めて会った時、憧れたのよ」とササが言うと、
「あたしもよ」とシンシン(杏杏)が言った。
「そうだったの?」と安須森ヌルは驚いて、
「そんなメイユーが憧れた兄は、大した男なのかもしれないわね」と言って笑った。
 次の日は宮殿内で、のんびりと過ごした。
「ターカウはアマミキヨ様に関係ないと思っていたけど、アマミキヨ様の御先祖様が、この島からアマンの国に行ったなんて驚いたわね」と安須森ヌルが池にせり出した縁側に座って、池の中で泳いでいる魚を眺めながらササに言った。
「パランさんは『龍』が守護神だって言っていたわね」とササも池を眺めながら言った。
「『龍』なら首里(すい)グスクにいっぱいいるわ」と安須森ヌルは楽しそうに笑った。
 ササも笑ったが、「でも、アマミキヨ様と『龍』のつながりはわからないわ」と言って空を見上げた。
スサノオの神様と『龍』は関係あるのかしら?」
スサノオ様は出雲(いづも)で『八岐大蛇(やまたのおろち)』を退治したんでしょう。八岐大蛇って龍の事じゃないの?」
スサノオ様は守護神の龍を退治しちゃったの?」
「龍にもいい龍と悪い龍がいて、スサノオ様が退治したのは悪い龍だったんじゃないの?」
「それよりも、『阿蘇津姫(あそつひめ)様』の事が気になるわ。阿蘇津姫様のガーラダマ(勾玉)を見つけて、阿蘇山に行かなければならないわ」
「来年、ヤマトゥに行くつもりなの?」
「できれば行きたいわね」
「あたしも阿蘇津姫様の事は気になるけど、来年も旅に出られるかどうかわからないわ。冊封使(さっぷーし)が来たら、何かと忙しくなりそうだし」
「そうだったわ。冊封使が来るのよね。マシュー姉(ねえ)(安須森ヌル)は無理ね。あたしが行って調べてくるわ」
「まず、ガーラダマを探さなくちゃね。スサノオ様は琉球にあるかもしれないって言ったけど、伊勢で亡くなったのなら伊勢にあるのかもしれないわ」
「あの広い神宮の中を探すのは難しいわ。たとえ、御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)が一緒でも、古くから伝わるお宝を見せてはくれないわよ」
「そうね、難しいわね。伊勢を守っていた『ホアカリ様』なら何かを知っているかもしれないわ」
「ねえ、トンドにはいつ行くの?」とユンヌ姫の声が聞こえた。
「明日、行くわ」とササはユンヌ姫に答えて、「古い神様に出会えたの?」と聞いた。
「この島で一番高いお山に古い神様はいらしたわ。でも、言葉がわからないの。お祖父(じい)様はわかるみたいで仲よくお話をしていたわ」
「古い神様って、大陸からこの島に来た神様なの?」
「そうみたい。イャォジェン(瑤姫)という神様で、みんなを率いて、この島に来たみたいよ」
「戦(いくさ)から逃げて来たそうじゃ」とスサノオの声がした。
スサノオ様も戻って来たのですね。スサノオ様に聞きたい事があったのです」
「何じゃ?」
「マカタオ族の首長から聞いたのですが、大陸からこの島に来た人たちは『龍』を守り神にしていたそうです。スサノオ様も『龍』を守り神にしていたのですか」
「それは何かの間違いじゃろう。イャォジェン様も言っていたが、大陸から来た人たちの守り神は『鳥』じゃよ」
「えっ、『鳥』ですか」
「太陽の化身として『鳥』を守り神にしていたんじゃよ。昔の人は鳥が太陽を連れて来ると信じていたようじゃ。今でも、熊野に『八咫烏(やたがらす)』として残っているし、色々な鳥が合わさって『鳳凰(ほうおう)』という霊鳥にもなっている」
「『鳳凰』って言えば、北山第(きたやまてい)にあった金閣の屋根の上にあった鳥だわ」と安須森ヌルが言った。
「宇治にある平等院(びょうどういん)の阿弥陀堂(あみだどう)(鳳凰堂)の屋根にもあるぞ。昔は風の神様でもあったようじゃ」
「風の神様だから、海で生きる人たちの神様になったのですね?」
「そのようじゃな。イャォジェン様たちは大陸の長江(ちょうこう)(揚子江)の周辺で暮らしていたらしい。ある時、北から異民族が攻めて来たんじゃよ。天候の異変で北の地が砂漠になってしまったそうじゃ。それで、新天地を目指して南下して来たんじゃよ。長江までやって来て、イャォジェン様たちを追い出してしまったんじゃ。北から来た者たちは馬を乗り回して、弓矢も得意だったそうじゃ。北から来た異民族の神様が『龍』だったんじゃよ。その異民族が作った国では、『龍』が皇帝の守り神になった。そして、日本や琉球にも伝わって行ったんじゃ。この島のマカタオ族にも伝わってきて、いつしか『蛇』が『龍』に変わってしまったんじゃろう。長江にいた者たちも、『蛇』は古くから神様の使いとして崇めてきたようじゃからな」
「この島から各地に散って行った人たちは、みんな『鳥』を守り神にしていたのですね?」とササは聞いた。
「そういう事じゃ。日本の神社の入り口に『鳥居』という物があるじゃろう。あれは昔、神様が降りて来る場所を示していたんじゃよ」
「アマンの人たちも『鳥』を守り神にしていたのかしら?」と言って、ササは安須森ヌルを見た。
アマミキヨ様のウタキに『鳥居』はないわ」と安須森ヌルは言った。
「何を言っておるんじゃ。お前たちが首から下げているのが『鳥』じゃよ」
「えっ、ガーラダマは『鳥』だったの?」
 ササも安須森ヌルも驚いて、ガーラダマを手に取って眺めた。『鳥』だと言われれば『鳥』に見えない事もないが、二人は首を傾げた。
「昔はもっと鳥に見えたんじゃろう。木や貝殻や動物の骨で作っていたのが、日本で翡翠(ひすい)という綺麗な石で作るようになって、琉球にも渡って行ったんじゃ」
「アマンの人たちもガーラダマを身に付けていたのですね?」
「その頃は石ではなかったじゃろうが、身に付けていたはずじゃ。子孫のお前たちが身に付けているんじゃからな」
「この島に住んでいる人たちも身に付けているのですか」
「今は身に付けていないようじゃ。もっとも、日本でも勾玉(まがたま)は廃れてしまっている。神社のお宝として眠っているだけで、身に付けている者はおらん。今でも身に付けているのは琉球のヌルたちだけじゃろう」
 そう言われてみれば、ヤマトゥでガーラダマを見た事はなかった。贅沢な装飾品を売っている店に行っても、髪飾りがあるだけで、首から下げる飾り物なんて何もなかった。
「ちょっと待って下さい」と安須森ヌルが言った。
「この島の人たちは『首狩り族』だって聞きましたけど、アマンの人たちも首狩り族だったのですか」
 ササが驚いた顔をして安須森ヌルを見て、空を見上げた。
「いや、大陸からこの島に来た頃は首狩りの風習はなかったようじゃ。この島で暮らして何百年か経った頃、島の北にある山が噴火したらしい。大きな地震が何日も続いて、その山は毎日、火を噴いていたという。ほとんどの者たちは恐れて、この島から逃げて行ったんじゃ。残った者たちが、山の神様の怒りを鎮めるために、斬り取った頭を捧げるようになったようじゃ」
「どうして、頭を捧げるのですか」
「人の首を斬るとどうなると思う?」
「えっ? 首を斬ったら血が噴き出すんじゃないの? 見た事ないけど」とササが言った。
「昔の人は、山にも頭があって、頭が斬られたので、血を噴き出していると思ったんじゃろう。それで、人の頭を捧げて、その頭で蓋(ふた)をしてもらおうと考えたんじゃろうとイャォジェン様は言っておった。よほど恐ろしかったんじゃろう。その時の事を忘れる事ができず、何か悪い事が起こると首狩りの儀式をやるようになって、それが今までずっと続いているんじゃよ。噴火の前に、この島から出て行った者たちには、その風習はないはずじゃ」
「アマンの人たちは違ったのね。よかったわ」
「わしも知らなかったんじゃが、この島から日本に行った者たちが『倭人(わじん)』と呼ばれていた、わしらの御先祖様じゃったとは驚いた」
スサノオ様が生きていた頃は『日本』という国はなかったのでしょう?」とササが聞いた。
「わしが亡くなって五百年くらい経ってからじゃよ、『日本』という国ができたのはな。わしが生きていた頃は、大陸には『漢』という国があって、九州にも朝鮮(チョソン)にも小さな国がいくつもあったんじゃ。今の朝鮮は違う言葉をしゃべっているが、当時は朝鮮の南部に、同じ言葉をしゃべる者たちの国がいくつもあったんじゃよ。奄美の島々も琉球も同じ言葉をしゃべっていた。みんな同じ倭人だったんじゃ。大陸にも倭人の国があったとイャォジェン様は言っていた」
「すると、この島の人たちも同じ言葉をしゃべっていたのですか」
「いや、倭人の言葉はこの島から出て行った者たちが九州に行って、すでに九州に住んでいた者たちの言葉と混ざり合ってできたようじゃ。その言葉が交易によって各地に広まって、琉球にも伝わったんじゃよ。今では日本の言葉も変わってしまったがのう」
 賑やかな声が聞こえてきた。みんなが帰って来たようだ。
「明日、トンドに行きますので見守っていてください」とササはスサノオに頼んだ。
「明日、出掛けるとなると、イャォジェン様に挨拶に行かなければならんのう」
 そう言ってスサノオはどこかに行った。
「イャォジェン様って、綺麗な人のようね」とササはユンヌ姫に言った。
「大昔の神様だから粗末な着物を着ていたけど、綺麗な人だったわ。それに、首からガーラダマを下げていたのよ。そんな昔からガーラダマがあったのかって驚いたわ」
「イャォジェン様のガーラダマって石なの?」
「違うわね。動物の骨だと思うわ。お祖父様が言ったように、そのガーラダマは『鳥』に見えたわ」
「鳥か‥‥‥明日はお願いね」
「あたしも知らない所に行けて楽しいわ」
 ササはユンヌ姫にお礼を言って別れた。
 ミッチェ、サユイ、タマミガ、ナーシル、シンシン、ナナ、ガンジュー(願成坊)、玻名(はな)グスクヌルと若ヌルたちが、愛洲(あいす)ジルーたちを連れて帰って来た。ミッチェはターカウに来た時はいつも、日本人町の娘たちに剣術を教えていた。みんなを連れて南光院まで行っていたのだった。ジルーたちはキクチ殿と交易の相談をしていた。
「うまく行ったよ」とジルーはササに言った。
 ササは笑って、「お散歩をしましょう」と言って、ジルーと一緒に庭園内を散策した。
「この宮殿は先代の太守が建てたそうだな。キクチ殿から聞いたよ。ひどい男だったようだな、先代の太守は」
「側室が十人もいたようだわ」とササは言ってジルーを見ると、「あなたも側室がいるの?」と聞いた。
「側室なんていないよ。妻が一人いるだけだよ」
「子供は?」
「二人いる」
「そう‥‥‥」
「夏には帰って来るって言って出て来たんだ。今頃は心配しているかもしれんな」
「悪かったわね。こんな所まで付き合わせてしまって」
「いや、来てよかったと思っているよ。祖父の事も色々とわかったし。一年前の俺よりも、一回りも二回りも成長したような気がするんだ」
「そう言ってもらえると助かるわ」
「先代の太守なんだけど、唐人たちの取り引きを仕切っていたようなんだ。明国の海賊たちとキクチ殿との直接の取り引きはさせずに、上前をはねていたらしい。先代の太守が殺されたあと、蔵の中を調べたら、溜め込んだ財宝が山のように積んであったらしい。トンドの王様はキクチ殿に返そうとしたようだけど、キクチ殿も受け取らず、結局は半分に分けて、先代の太守の悪行を水に流したようだ」
「財宝って何だったの?」
「金や銀、真珠とか様々な宝石、日本の金屏風(きんびょうぶ)や名刀、高価な陶器類、象牙や毛皮、香辛料などだよ。そういえば、トンドの国では金が採れるって言っていたな」
「金?」
 ジルーはうなづいて、「砂金だよ」と言った。
 ササは砂金なんて見た事はなかった。
「砂金は銭と同じように高価な物と交換できるんだ。砂金を持って帰れば、愛洲のお屋形様も喜んでくれるだろう」
「砂金をヤマトゥに持って行けば喜ばれるの?」
「昔は奥州(東北地方)で金が採れたようだけど、今は聞かない。将軍様に贈れば喜ばれると思うよ」
 ササは金閣を思い出して、龍天閣(りゅうてぃんかく)を金色にしたら素晴らしいだろうと思った。
「『ヂャンアーマー』って海賊を知っている?」とジルーがササに聞いた。
「先代の太守の奥さんのお父さんでしょ」
 ジルーはうなづいた。
「交易を担当している人から聞いたんだけど、唐人町を作ったのはヂャンアーマーなんだ。ヂャンアーマーはトンドに行く前、博多にいたんだよ」
「えっ、博多にいたの?」
 ササは驚いた。池のほとりに縁台が置いてあったので、二人はそれに腰掛けた。
「ヂャンアーマーはキクチ殿とも面識があったんだ。当時の博多は南朝の都として栄えていて、博多に住んでいる唐人も多かったようだ。ヂャンアーマーはキクチ殿と再会を喜んで、唐人町を作る許可を得たんだよ」
「どうして、博多からトンドに行ったの?」
北朝今川了俊(りょうしゅん)が攻めて来て、南朝と組んでいたヂャンアーマーは身の危険を感じて逃げたようだ。トンドの事は海賊仲間から聞いていたんだろう。洪武帝(こうぶてい)は海禁政策を取っていたから、明国に帰れば捕まってしまう。それで、トンドに行ったんだろう。ヂャンアーマーはトンドの王様の弟をそそのかして、兄を殺させて王様にして、自分は宰相として、王様を操ったんだ。ここの唐人町ができてから七年後、先代の太守がやって来た。トンド王の息子であり、ヂャンアーマーの娘婿だ。海賊たちにも一目置かれて、王様気取りで、この宮殿を建てたようだ」
「ヂャンアーマーは明国の官軍に捕まったんでしょ?」
「キクチ殿が南遊斎(なんゆうさい)殿と一緒に日本に行って、そして、琉球に行った年だったらしい。明国の海賊と取り引きをするために出掛けたんだが、そこを官軍に襲われたらしい。ヂャンアーマーは捕まって首を斬られたそうだ。息子のヂャンシェンリーはトンドにいたので助かって、宰相を継いだんだよ。ヂャンアーマーは海賊の中でも大物だったらしい。ヂャンアーマーが唐人町に関わっていれば、海賊たちも集まって来るだろうと先代のキクチ殿は考えたんだ。思惑は当たって、海賊たちが続々やって来るようになったようだ。今は大物の海賊がいなくなってしまったとキクチ殿は嘆いていたよ。明国の商品が足らなくなったら、倭寇(わこう)たちも来なくなってしまうだろうと言っていた」
「メイユーさんはどうして、ターカウに来なくなってしまったんだろう」
「ここは琉球を小さくしたような所だよ。ここに来れば、日本の商品も明国の商品も南蛮(なんばん)(東南アジア)の商品も手に入る。でも、大きな取り引きをするには琉球に行った方がいいのだろう」
「そうか。ここは琉球と同じ事をしていたのね」
「そうだよ。倭寇たちは明国の商品と南蛮の商品を求めてやって来る。明国の海賊とトンドの人たちは日本の商品を求めてやって来るんだ。明国の商品が減れば、倭寇たちはやって来なくなる。倭寇たちが来ないと日本の商品が減ってしまう。そうなると、日本の商品を求めてやって来る者たちも来なくなってしまうんだよ」
「今のターカウは明国の海賊たちに懸かっているのね」
「そうなんだ。だから、先代の太守の奥さんを殺さなかったらしい」
「えっ、奥さんが生きている事をキクチ殿は知っているの?」
「メイユーさんが松景寺の和尚と一緒にやって来て、先代のキクチ殿と相談したようだ。ヂャンアーマーの娘を殺してしまったら海賊たちが来なくなってしまうだろう。表向きは殺した事にして、息子と一緒に生かせてほしいと頼んだようだ。キクチ殿としても、太守さえいなくなればいいので、手を打ったんだよ。奥さんはトンドで殺された兄貴の配下の者たちを引き継いで海賊になったんだ」
「配下の者たちは皆、殺されたんじゃなかったの?」
「トンドにいた者たちは殺されたけど、明国にも拠点があったようだ」
「という事は、あの遊女屋は海賊になった奥さんの新しい拠点だったのね」
「遊女屋?」
「奥さんは今、遊女屋の女将をやっているのよ」
「へえ、そうだったのか」
「海賊になった奥さんが、ターカウに海賊たちを連れて来ているのね」
「そうなんだよ。何年か前に、リンジェンフォン(林剣峰)という大物の海賊が亡くなったらしい。その配下の者たちも集めたようだ。ヂャンアーマーは海賊たちの間で伝説になっていて、その娘なら従おうという海賊も多いようだ。奥さんの名は『ヂャンジャラン(張嘉蘭)』というんだが、キクチ殿も女海賊ヂャンジャランに感謝しているようだ」
「女海賊ヂャンジャラン‥‥‥」
 ササは遊女屋の女将だったヂャンジャランを思い出して、メイユーのような格好を想像してみた。なかなか貫禄のある女海賊だった。
「息子さんも海賊をしているの?」
「メイユーさんのもとで海賊修行をしていて、最近、戻って来たようだってキクチ殿は言っていたよ」
「メイユーさんの所にいたのか。すると、琉球にも来たかもしれないわね」
 ササたちが借りていた家に戻ると、クマラパと慶真和尚も来ていた。
「いい思いをして来たの?」とササがクマラパに聞いたら、
「なに、振られたんじゃよ」と笑った。
「クマラパ殿は女将を口説いておったんじゃ」と慶真和尚が言った。
「えっ、女海賊ヂャンジャランを口説いていたのですか」とササは驚いた。
「何の事じゃ?」とクマラパはわけがわからないと言った顔でササを見た。
「有名な女海賊ですよ」とササが言うと、
泣く子も黙る恐ろしい女海賊じゃと評判じゃ」と慶真和尚が笑った。

 

 

 

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2-182.伝説の女海賊(改訂決定稿)

 熊野権現(くまのごんげん)の広場から大通りを真っ直ぐ行くと、高い土塁で囲まれた唐人(とうじん)の町が見えた。
 大通りの両側にも大きな屋敷があったので、ササ(運玉森ヌル)がカオル(キクチ殿の娘)に聞いたら、船乗りたちの宿舎だと言った。キクチ殿の町にも唐人の町にも船乗りの宿舎はあるが、それだけでは間に合わなくなって、ここにも造ったらしい。初めてターカウ(台湾の高雄)に来た船の船乗りたちは土塁の中の町には入れないで、ここの宿舎に入れるという。
 唐人町も水をたたえた堀に囲まれていて、堀に架かる橋の向こうにある門は開いていた。門番もいないし、人々は自由に出入りしていた。門の上には櫓(やぐら)があって、非常時にはそこから攻撃するようだが、今は武装した兵の姿もなかった。
「どうして門番もいないの?」とシンシン(杏杏)がカオルに聞いた。
「門番はいます」とカオルは門の脇にある小屋を示した。
「でも、一々、身元を調べたりはしません。誰でも入れるのです。トンド(マニラ)の王様が替わってから、今のようになりました。それ以前は武装した兵が守っていて、出入りは厳重でした」
 真っ直ぐの大通りが、向こう側の土塁にある門まで続いていて、通りの両側には明国(みんこく)風の家々が建ち並んでいた。右側に『天妃宮(てぃんぴぐう)』があったので寄ってみた。お参りしている唐人が何人かいて、お宮の中に航海の神様の『天妃様(媽祖)』の像があった。ササたちはシンシンに倣ってお参りした。
 天妃様とは別に、何人もの唐人たちがお参りしている神様がいたので、シンシンに聞いてみたが、シンシンも知らない神様だった。
「『楊嫂(ヤンサオ)様』という神様で、『メイユー(美玉)』さんの事です」とカオルが言った。
「えっ?」とササが驚いて祭壇の中を見た。剣を振り上げた勇ましい女の像があった。
「あれがメイユーなの?」と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)も驚いてカオルに聞いた。
「メイユーさんはこの町の守り神になっているのです」
「メイユーが守り神? どうしてなの?」
「先代のトンドの王様の弟が太守(タイショウ)として、この町を仕切っていました。町に住んでいた人たちを奴隷(どれい)のようにこき使って、やりたい放題の事をしていたのです。許可なく町から逃げて行った人は捕まって、残酷な処刑が行なわれました。綺麗な娘は無理やり、太守の側室にされたのです」
「ひどい事をするわね。キクチ殿は黙って見ていたの?」
「相手はトンドの王様の弟です。追い出したら、トンドの国と戦(いくさ)になります。でも、祖父は戦を覚悟して、城下の町を土塁で囲んだのです」
「えっ、トンドと戦をするつもりで土塁を築いたの?」
「そのようです。トンドと戦をするためとは言えないので、ミャーク(宮古島)を襲った佐田又五郎のような奴が現れるかもしれないから町を守ると言って土塁を築いたのです。でも、結局、メイユーさんが太守を退治してくれました。町の人たちはメイユーさんに感謝するために、神様としてお祀りしたのです」
「驚いたわあ。メイユーが悪者(わるむん)を退治したなんて‥‥‥そして、神様になっていたなんて‥‥‥本人は知っているの?」
「メイユーさんは太守を退治してからターカウには来ていませんが、アンアン(安安)様がパレンバン(旧港)で会っています。アンアン様が話したと思います」
 安須森ヌルとササたちはメイユーの神様に両手を合わせた。
 安須森ヌルはメイユーからターカウの話を聞いた事はなかった。前夫がよほど嫌いだったとみえて、嫁いでいた頃の話は一切しなかった。
「メイユーさんが神様として祀られているなんて凄いわね」とナナが言った。
 ササもシンシンもメイユーの像を見つめながら呆然とした顔でうなづいた。
 天妃宮を出て大通りに戻ると、腰に刀を差した日本人がぞろぞろと通って行った。
「日本人が唐人町に何の用があるの?」とナナがカオルに聞いた。
 カオルは笑って、「あれは日本人ではありません」と言った。
「唐人ですよ。最近は明国の海賊たちは日本人に扮して明国を襲っているらしいわ」
「どうして、日本人に化けるの?」
倭寇(わこう)に化けた方が仕事がやりやすいんでしょ。博多を拠点にしている明国の海賊もいるようです。そういう海賊の船には唐人も日本人も一緒に乗っているって聞いたわ」
「ねえ、どうして唐人だってわかるの?」とササが聞いた。
「よく見ればわかりますよ。髷(まげ)の結い方とか、着物の着方とかね。袴を前と後ろを間違えて付けている人もいるんですよ。日本人では考えられない事だわ」
 そう言われてみると、どことなく変だった。
「この先に宿舎があるから、遊女屋で遊んだ帰りでしょう」とカオルは言った。
 偽者の倭寇たちは左側の路地に曲がって見えなくなった。大通りをしばらく行くと十字路に出た。右側を見て、ササたちは驚いた。石垣に囲まれた立派な宮殿が建っていた。
「トンドの宮殿を真似して、先代の太守様が建てたのです」とカオルが言った。
「凄いわね」と若ヌルたちが驚いていた。
 首里(すい)グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)と似ていて、二階建ての瓦葺(かわらぶ)きだった。
「今は誰がいるの?」とササが聞いた。
「今の王様の息子さんが太守としています。アンアン様のお兄さんです」
「すると、アンアンもあの宮殿にいるのね?」
「そうです」
 宮殿の門には門番がいた。門番はカオルの顔を知っているらしく、笑顔で何かを言って通してくれた。石畳を敷き詰めた広い庭があって、その先にある石段を登ると宮殿がある。宮殿の中央が通路になっていて、そこを抜けると樹木が植えられた綺麗な庭園があった。大きな池もあって、その池を囲むように、洒落た家がいくつも建っていた。その中の一軒から笑い声が聞こえてきたので行ってみると、クマラパ、タマミガ、ナーシル、サユイがアンアンたちと一緒にいた。
 ササたちを見ると、「阿蘇津姫(あそつひめ)様の事はわかったかね?」とクマラパが聞いた。
「まだはっきりとをわからないんだけど、琉球と関係ありそうな気がするわ」とササは言った。
「天妃宮の楊嫂様は見てきたかね?」
「驚きましたよ。メイユーが神様になっていたなんて」と安須森ヌルが興奮しながら言った。
「今、メイユーの活躍をアンアンから聞いていたんじゃよ。生まれつきの王女様かと思っていたが、アンアンも色々と苦労して来たようじゃ」
 クマラパは五回もトンドに行っているが、アンアンとは会っていなかった。初めて行った時から四度目までは先々代の王様の頃で、五度目の時はアンアンの父親が王様になっていた。政変があって王様が替わったという事はアコーダティ勢頭(しず)から聞いていても、詳しい事は知らなかった。アンアンの父親には会っているが挨拶をしただけで、その時、アンアンはパレンバンに行っていて留守だった。
 クマラパはアンアンから聞いた話をササたちに話してくれた。
 トンドの国は百三十年ほど前に、元(げん)に滅ぼされた宋(そう)の商人たちがトンドに逃げて来て造った国だった。宋が滅ぼされた時に活躍して戦死した張(ヂャン)将軍の息子が初代の王様になった。トンドに移った商人たちは以前のごとく、チャンパ(ベトナム中部)、ブルネイカリマンタン島)、パレンバン、ジャワと交易をして、さらに、自分たちを追い出した元の国とも交易をして栄えて行った。
 初代から四代目までは問題なく、嫡子が跡を継いで王様になった。四代目の王様の時、『ヂャンアーマー(張阿馬)』という海賊がトンドにやって来た。ヂャンアーマーは倭寇と取り引きをしていて、ヤマトゥ(日本)の刀を持って来たので、王様は大歓迎した。ヂャンアーマーは密かに王様の弟に近づいた。弟は船長として、チャンパやパレンバンに行っていた。王様になろうなんて考えた事もなかったが、ヂャンアーマーにそそのかされて王様になる夢を見た。
 ヂャンアーマーがトンドに住み着いてから四年後、弟は兄の王様とアンアンの伯父だった王子を殺した。アンアンが生まれる前の出来事なので、どうやって殺されたのか、詳しい事はアンアンは知らない。
 弟は五代目の王様になり、四代目の次男だったアンアンの父親は山の中へと逃げ込んだ。山の中の砦(とりで)で、アンアンは生まれた。父親の素性を知らないアンアンは、父親は山賊のお頭だと思っていた。砦の中には父親の配下の者が大勢いて、同じくらいの年頃の子供たちも何人もいた。アンアンはユーチー(羽琦)とシャオユン(小芸)と一緒に、山の中を駈け回りながら育った。
 九歳の時、父の配下の者が女海賊の『メイユー』を砦に連れてきた。その勇ましい姿にアンアンは憧れて、わたしも女海賊になると言って、武芸の稽古に励んだ。メイユーは一年おきにやって来て、父と難しい話をしていた。もしかしたら、父は山から出て海賊になるのかなとアンアンは思っていた。
 十四歳になった時、父親から素性を聞かされてアンアンは驚いた。父親は二人の兄と配下の者たちを引き連れて戦に出掛けた。アンアンは父親たちの心配をしていたが、次兄が無事に帰って来た。そして、次兄と一緒にトンドに行って、宮殿に入って王様になった父と会い、アンアンは王女になったのだった。翌年、メイユーが来て、父親が王様になった事を喜び、ターカウにいた先代の王様の弟を退治したと報告した。その後、メイユーはトンドには来なくなってしまった。
 十八歳の時、アンアンは次兄と一緒にパレンバンに行った。パレンバンに滞在中、琉球から来たメイユーと再会した。その後も一年おきにパレンバンに行っていて、去年はメイユーと会えなかったが、シーハイイェン(施海燕)とジャワのスヒターと会っていた。
 ササはアンアンを見て、「山賊の娘だったなんて驚いたわ」と笑った。
 シンシンが通訳するとアンアンは笑って、「時々、山の砦が懐かしくなって、行ってみるのよ」と言った。
「今も山の砦はあるの?」
「今は兵たちの訓練所になっているわ。若い兵たちがそこで武芸の稽古に励んでいます」
 中山王(ちゅうさんおう)にとってのキラマ(慶良間)の島のようなものねとササは思った。
 昼食を御馳走になったあと、ササ、安須森ヌル、シンシン、ナナ、クマラパはカオルの案内で、マカタオ族の村に行った。若ヌルたちは玻名(はな)グスクヌルに頼んで宮殿に残した。
 唐人町を出て市場まで戻って北に向かった。市場の北側には遊女屋が建ち並んでいた。
倭寇に連れ去られて来た娘たちがいる遊女屋ですよ」とカオルは言った。
「誰が遊女屋をやっているの?」と安須森ヌルが聞いた。
「最初に遊女屋を始めたのは、祖父が博多から連れてきた遊女屋の息子だと聞いています。独身の船乗りたちのために造ったのです。今はそうでもないけど、ここに来た当初は女の人が少なくて、年頃になってもお嫁さんに迎える娘がいなかったみたい。倭寇が連れて来た娘たちを遊女にして、男たちの相手をさせたのです。気に入った遊女を奥さんに迎えた人も多いようです」
「その頃はここではなくて、日本人町の中にあったんじゃよ」とクマラパが言った。
「まだ、土塁で囲まれる前の事じゃ。唐人町にも遊女屋はあった。熊野権現様ができてから、ここに遊女屋を集めたようじゃな」
「クマラパ様も遊んだのですね?」と安須森ヌルが横目で睨んだ。
「若い頃は遊んだが、マズマラーやタマミガと一緒に来た時は遊んではおらんよ。今はどうだか知らんが、昔は倭寇にさらわれたと言っても、自ら進んでターカウに来た娘もいたんじゃよ。明の国も朝鮮(チョソン)も辺鄙な漁村は貧しくて、口減らしのためにやって来るんじゃ。そんな娘はキクチ殿の家臣と一緒になって幸せに暮らしておるんじゃよ」
 遊女屋が建ち並ぶ一画を抜けると竹林が続いた。
「昔は熊野権現様の辺りまで竹林が続いていたのですよ。マカタオ族の言葉で、竹林の事を『ターカウ』って言うの。それで、ここがターカウって呼ばれるようになったのです」とカオルは言った。
 竹林に囲まれたマカタオ族の村はターカウ山の裾野にあった。小さな家が建ち並び、顔に入れ墨をした女たちがササたちを物珍しそうに眺めていた。子供たちも集まって来て、ササたちを見ていた。男たちの姿はなかった。男たちは海に出ているとカオルが言った。村の中央に広場があって、広場の正面に女首長の家があった。
 マカタオ族の女首長は先代のキクチ殿の側室になったパランだった。パランはヤマトゥ言葉がしゃべれたので、ササたちは助かった。パランの顔には入れ墨はなかったが、手の甲に入れ墨があった。
 首長とはいえ、パランの家はほかの家と大差はなく、ドゥナン島(与那国島)の家と同じように竹でできていた。豪華な宮殿を見てきたあとなので、余計に質素に見えた。
 クマラパはパランをよく知っていて、「久し振りじゃのう」と手を上げた。
 パランは笑って、「キクチ殿が亡くなった年、以来ですわね」と言った。
 クマラパのお陰で、ササたちはパランに歓迎された。
「パランに初めて会ったのはパランがまだ十歳の時じゃった」とクマラパは言った。
「あの時はお互いに言葉が通じなかったが、賢そうな娘じゃった。次に会った時、キクチ殿の側室になっていて、娘のキンニが生まれていたので驚いた。その時、パランはヤマトゥ言葉をしゃべっていた。しかし、わしにはヤマトゥ言葉はわからなかった。わしがヤマトゥ言葉がしゃべれるようになったのは、キンニと一緒に言葉を覚えたからなんじゃよ」
「懐かしいですわね」とパランは笑った。
「あの頃からターカウは随分と変わりました。キクチ殿のお城ができて、唐人たちの町もできて、城下を囲む高い土塁もできました。この村の人たちも変わりました。以前は食べるだけのお魚を捕っていたのに、高く売れるタイマイを捕って、その甲羅を売って銭を手に入れて、贅沢な着物や装飾品を身に付けています。侍(さむらい)に憧れて、キクチ殿の家来になった者もいます。キクチ殿の側室になったわたしがあれこれと言える立場ではありませんが、村が変わっていくのを神様は心配しているようです」
「この村の神様は御先祖様なのですか」とササが聞いた。
「遠い昔の御先祖様もおりますが、言葉がわかりません。言葉がわかるのは、ここに住み着いた頃、一千年くらい前の御先祖様からです」
「えっ、一千年も前からここに住んでいたのですか」
「ずっとここにいたわけではありません。ターカウ山の周辺を移動していたようです。ターカウ山に来る前は向こうの山にいたようです」
 パランは遠くに見える高い山を指差した。
「この島には色々な人たちが住んでいると聞きましたが、皆、別々の所からやって来たのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「詳しい事はわかりませんが、一千年前の神様の話によると、遙か昔、御先祖様たちは大陸の方からやって来たようです。この島に来た人たちは各地に広がって繁栄します。それから数百年が経って、この島から出て行く人たちが現れたようです」
「どうして出て行ったのですか」とナナが聞いた。
「お舟の技術が進歩したのだと思います。海の向こうに何があるのか見て見たくなったのでしょう」
 ずっと船旅を続けてきたササたちには、その気持ちはよくわかった。
「この島を出て行った人たちはどこに行ったのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「南の方に行った人たちもいれば、黒潮に乗って北の方に行った人たちもいたみたいです」
「北の方と言うと日本ですか」
「日本や朝鮮に行った人たちもいたでしょう。南はトンドやパレンバンやジャワまで行った人たちもいたでしょう。御先祖様たちはお舟を自由に操ってあちこちに行ったのです」
「日本に行った人たちは日本に住み着いたのですか」
「日本の各地に住み着いたと思います。そして、島伝いに南下して琉球に行った人たちもいるでしょう。まだ、日本という国ができる前、彼らは『倭人(わじん)』と呼ばれて、お舟に乗って、日本、朝鮮、琉球、そして、大陸にも行き来していたのです」
琉球の御先祖様も日本の御先祖様もパレンバンやジャワの人たちも皆、この島から出て行った人たちだったのですか」
「全部がそうとも限らないようです。日本にしろ、パレンバンやジャワにしろ、すでに別の人たちが住んでいたようです。言葉が通じなくて、争い事もあったようですが、やがては仲よく暮らすようになったようです」
「もしかしたら、アマンの国の人たちもこの島から行ったのかもしれないわね」と安須森ヌルがササに言った。
「アマンの人たちが琉球に行ったのは二千年も前の事よ」とササは安須森ヌルに言って、パランを見ると、
「ここの島の人たちがあちこちに行ったのはいつの事なのですか」と聞いた。
「一千年前の御先祖様が遙か昔と言ったのだから、三千年も四千年も前かもしれないわね」
「やっぱり、アマンの人たちもこの島から行った人たちなのよ」と安須森ヌルはうなづいた。
「大陸からこの島に来た御先祖様は『龍』を守り神にしていたようです。この島には『ヒャッポダ』という毒蛇がいるのですが、龍の化身として、昔から殺してはならないと伝えられています。アマンの国というのがどこにあるのか知りませんが、『龍』を守護神として祀っていたら、この島から行った人たちでしょう」
 『龍』とアマミキヨ様との関係は、ササにも安須森ヌルにもわからなかった。琉球にあるアマミキヨ様のウタキには『龍』に関する物はなかった。
 ササたちはパランの案内で山の中にある御先祖様のウタキに行った。そのウタキは琉球のウタキとそっくりだった。ウタキの中は強い霊気がみなぎっていた。ササたちはお祈りを捧げたが、話しかけて来る神様はいなかった。
 ウタキからの帰り道、安須森ヌルがパランに、メイユーの事を聞いた。
「メイユーさんの噂は聞いておりますが、わたしは会ってはおりません。メイユーさんが来た時、わたしはこの村に戻っていたのです。キクチ殿のお城にいたなら、挨拶に来たメイユーさんと会っていたかもしれませんが、首長だった母が亡くなってしまって、わたしは首長を継ぐために村に戻って来たのです。メイユーさんは唐人町の太守を退治してくれました。あの太守はどうしようもない男でした。この村も随分と迷惑したのですよ。メイユーさんには感謝しています。唐人町の松景寺(しょうけいじ)に『慶真和尚(きょうしんおしょう)』というちょっと変わったお坊さんがいます。彼に聞いたらメイユーさんの事がよくわかると思います。わたしは知りませんでしたが、武芸の達人で、メイユーさんが太守を退治する時に助けています」
 ササたちはパランにお礼を言って別れ、唐人町に戻った。カオルは松景寺の慶真和尚を知っていた。
「和尚さんがターカウに来たのは、わたしが生まれた頃のようです。唐人町の太守に気に入られて、お寺を建ててもらって、太守の子供たちに読み書きを教えていました。それから何年かして、日本人町にある南光院に現れるようになって、わたしたちと一緒に、日本の言葉を学んだのです」
「どうして、日本の言葉を習ったの?」
「日本の商人と取り引きするためだと言っていました。四十歳を過ぎているのに、子供たちに混じって真剣に学んでいました。面白い人で、色々な事を知っていて、子供たちにも人気がありました。あとでわかったのですが、和尚さんはパランさんを口説くために日本語を習っていたのです」
「えっ!」とササたちは驚いた。
「キクチ殿の側室だって知らなかったの?」
「知らなかったようです。その事を知ってがっかりして、明国に帰ろうかと思っていた時、メイユーさんがターカウに来て、太守の事を色々と聞いたようです。そして、メイユーさんと一緒に戦うために明国に帰るのはやめたようです」
「キクチ殿が亡くなった今も、パランさんを口説いているの?」とナナが聞いた。
「そのようです」とカオルは笑った。
「和尚さんがパランさんを口説いた事は唐人町で噂になって、和尚さんはみんなの笑い物になっていました。和尚さんが武芸の達人だったなんて誰も知りませんし、間抜けな和尚だと思われていました。メイユーさんが松景寺に出入りしていても、誰も怪しむ事もなく、作戦がうまく行ったようです」
「面白そうな人ね」とササが言った。
 松景寺は唐人町の南の方にあった。それほど大きなお寺ではないが、立派な山門があって、瓦葺きの本堂もあった。
 慶真和尚は本堂の縁側で昼寝をしていた。坊主頭の髪は伸びて、無精髭も伸びていた。どう見ても武芸の達人には見えない間抜けな和尚だった。
 カオルが揺り起こすと寝ぼけた顔でササたちを見て、
「また、鬼退治でもするのかね?」とヤマトゥ言葉で言った。
「何を寝ぼけているのですか。琉球から来られた琉球の王女様たちです」
「なに、琉球?」と目を丸くして、目を細めると、「琉球の事は南遊斎(なんゆうさい)殿から聞いた事がある」と慶真和尚は言った。
「南遊斎殿を御存じなのですか」とササが聞いた。
「飲み仲間じゃよ。南遊斎殿は南光院の和尚と親しくてな。南光院でよく一緒に飲んだものじゃ。南遊斎殿が隠居してドゥナン島に行った時は、一緒に行って夢の島を満喫してきたんじゃ」
 慶真和尚は楽しそうに笑った。その顔を見て、ササたちはドゥナン島に慶真和尚の子供がいるに違いないと思った。
「和尚さん、メイユーさんの活躍を話して下さい。メイユーさんは今、琉球の王子様の側室になって、娘さんも生まれたんですよ」とカオルが言った。
「なに、メイユーが琉球の王子の側室?」
 ササたちがうなづくと、
「そうか。メイユーも幸せをつかんだようじゃな。よかった。よかった」と慶真和尚は嬉しそうに笑った。
「メイユーの前の夫はくだらん男じゃった。来る度に違った女を連れていて、にやけていたんじゃ。あんな奴とさっさと別れろと言ったんじゃが、親が決めた縁談だから逃げるわけには行かないとメイユーは言っていた。そうか、子供も生まれたか。よかったのう」
「どうやって、太守を倒したのですか。配下の者たちも大勢、いたのでしょう?」と安須森ヌルが聞いた。
「うむ」とうなづいた慶真和尚は、ササが腰に下げている瓢箪を見つめた。
 視線に気がついたササは瓢箪を腰からはずして、
「一杯やりますか」と聞いた。
 慶真和尚は嬉しそうに笑って、「話が長くなりそうじゃ。順を追って話そう」と言うと立ち上がって、ササたちを庫裏(くり)に案内して、お酒を飲む用意を始めた。
 ササたちは車座になって、お酒を飲みながら慶真和尚の話を聞いた。
「メイユーが初めてターカウに来たのは、洪武帝(こうぶてい)(朱元璋)が亡くなった年(一三九八年)じゃった。わしは洪武帝の粛清(しゅくせい)に巻き込まれて殺されそうになって逃げて来たんじゃよ。たまたま乗り込んだ船がターカウに着いたというわけじゃ。わしはこれでも明国で有名な禅寺で厳しい修行を積んだ禅僧なんじゃよ。太守はわしを歓迎して、この寺を建ててくれたんじゃ。わしは感謝したが、太守はだんだんと本性を現してきて、王様気取りで好き勝手な事をするようになったんじゃ。唐人町に住んでいた者たちも、こんな所にいたくないと逃げようとしたんじゃが、捕まって残酷な処刑をされたんじゃ。その後は警備も厳重になって、太守の配下の者たちが街中を徘徊するようになった。わしは太守の子供たちや重臣たちの子供たちに読み書きを教えていたんじゃよ。太守の機嫌を取りながら、五年が過ぎた頃、メイユーがやって来たんじゃ。メイユーは突然、この寺にやって来た。読み書きを習っていた子供たちがメイユーを見て騒いだんじゃ。女だてらに弓矢を背負って、腰に刀を差して颯爽(さっそう)としていたんじゃよ。海賊でもお頭と呼ばれる男は、それなりに貫禄がある。メイユーも女海賊としての貫禄があったんじゃ。まだ二十二、三の若さだったがのう。子供たちも最初は恐れていたが、メイユーが笑ったら、たちまちなついてしまったんじゃ。メイユーは子供たちと遊んで、子供たちが帰ったあと、わしに太守の事を色々と聞いてきたんじゃよ」
 慶真和尚は酒を一口飲んで、「今思えば、あの時、メイユーはわしの腕を悟ったのかもしれんのう」と言った。
「どうして、強い事を隠していたのですか」とシンシンが聞いた。
「あまり目立つ事をすると身の危険があると思ったんじゃよ」
「和尚さんは明国で、有名な人だったのですね?」
「ある程度はな」と笑って慶真和尚は酒を飲んだ。
 シンシンが酒を注いでやった。
「メイユーから太守を倒そうと言われたのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「いや、その時は太守の事を聞いただけじゃった。その後も何度か、ここに来たが、子供たちと遊んでいただけじゃった。二年後、メイユーはまたターカウに来た。前回に来た時、トンドに寄って帰ったと言った。トンドで面白い男と会ったと言ったんじゃ。その男は今のトンドの王様じゃよ。当時は山に隠れて山賊をやっていたようじゃ。メイユーは山賊の男を助けて敵討ちをさせて、ここの太守を退治すると言ったんじゃよ。そして、わしに助けてくれと頼んだんじゃ。驚いた事にメイユーはわしの事を知っていたんじゃよ」
「和尚さんの正体は何者なの?」とシンシンが聞いた。
「ただの禅僧じゃよ。知り合いの将軍に頼まれて戦に参加したら、その活躍が噂になって、メイユーの耳にも入ったようじゃ。わしとしては殺されないために必死になって戦っていただけなんじゃがのう。メイユーに頼まれて、わしとしても断れなかった。この町の人たちのためにも、あの太守は退治しなければならんと思ったんじゃ。二度目に来た時、メイユーは綺麗な娘を連れて来て、太守に側室として贈ったんじゃ。太守には何人も側室がいたんじゃが、メイユーが送ったイェンフォ(煙火)が一番のお気に入りになったようじゃ。敵を倒すには敵の事をよく知らなければならんので、メイユーは側室を贈ったんじゃよ。わしには宮殿内の詳しい絵図を描いてくれと言ったんじゃ。敵の兵力などもわしは調べたんじゃよ。二年後にまたメイユーは来た。メイユーはここで娘たちに剣術を教えたんじゃよ。その中には太守の長女もいて、真剣に稽古に励んでいた。その娘はトンドに嫁いで行ったが、今の王様が敵討ちをした時に戦死したようじゃ。可愛い娘じゃったよ」
 当時を思い出したのか慶真和尚は遠くを見るような目をしていたが、茶碗を見ると酒を飲んだ。
「そして、二年後にメイユーは来た。メイユーが来てから数日後、トンドの船も来た。トンドの船は毎年、来ていたんじゃが、その年はいつもと違う者たちが乗っていた。わしはメイユーから、トンドの王様が替わった事を知らされたんじゃ。その事は太守には知らせず、太守はいつものように十人の側室に囲まれて、この世を謳歌(おうか)していたんじゃよ」
「十人も側室がいたのですか?」と安須森ヌルが驚いた。
「奥さんは太守のやる事を黙って見ていたの?」
「太守の奥さんは『ヂャンアーマー』という海賊の娘なんじゃよ。太守もヂャンアーマーを恐れて、側室なんて持たなかったんじゃが、ヂャンアーマーは明国の官軍に捕まって殺されてしまうんじゃよ。ヂャンアーマーがいなくなって、太守は側室を何人も迎えるようになったんじゃ。勿論、奥さんは怒ったが、怒れば怒るほど、太守は反発して側室を迎えたんじゃ。奥さんには兄貴がいて、トンドでは宰相(サイシャン)と呼ばれているようじゃが、これがまた遊び人で、奥さんよりも太守の味方をする有様じゃ。奥さんももう太守の事など放っておいて、船に乗って、トンドやチャンパに行くようになったんじゃよ。メイユーの真似をしたのかもしれんな。父親がヂャンアーマーだから、海賊たちにも顔が利いたようじゃ」
「ヂャンアーマーなら、わしも知っておるぞ」とクマラパの声がした。
 マカタオ族の古いウタキに行った時、クマラパはパランの家に残っていた。パランから松景寺の事を聞いて、マカタオ族の村には寄らずに来てしまった。
「すみません。置いて来てしまいました」と安須森ヌルが謝った。
「いいんじゃ。パランと昔話をしておったんじゃよ」
「クマラパ殿もいらしていたのですか。お久し振りです」と和尚が言った。
「お知り合いなのですか」
日本人町の南光院で会ったんじゃよ」と言ってクマラパは上がって来て車座に加わった。
 慶真和尚が茶碗を用意してクマラパに渡して、シンシンがお酒を注いだ。
 クマラパはお礼を言って、「前回、来た時はドゥナン島で会ったんじゃよ」と言った。
「タマミガとナーシルを連れて来た時じゃ。初めて会ったのは与那覇勢頭(ゆなぱしず)と一緒にターカウに来た時じゃった。南光院で子供たちと一緒に日本の言葉を習っていた。メイユーの事を初めて聞いたのも慶真和尚からなんじゃよ」
「今、メイユーの活躍を聞いていた所なんです」と安須森ヌルはクマラパに言って、慶真和尚を見ると、「いよいよ、メイユーが太守を退治するのですね?」と聞いた。
 慶真和尚はうなづいた。
「トンドから来た者たちは皆、メイユーの味方だったんじゃよ。太守はいつものように十五夜の宴(うたげ)をやって騒ぎ、重陽(ちょうよう)の宴をやって騒いで、九月十九日、側室のイェンフォの誕生日のお祝いの宴を開いたんじゃ。宴が続いたので守備兵たちもだらけておった。宴は宮殿の二階で行なわれたんじゃが、わしも招待されて、そこにいた。メイユーもじゃ。太守がお祝いの言葉を述べて、イェンフォが太守に近づいてお礼を述べたんじゃが、そのあと、イェンフォが太守の首を刎ねたんじゃよ。その場にいた者たちはあまりの驚きで声も出なかった。太守の首が飛んだのを合図に、メイユーの配下の者たちが侵入して来て、太守の重臣たちを片付けて行った。勿論、わしとメイユーも前もって決めていた相手を倒した。逃げて行った者たちは宮殿を囲んでいたトンドの兵たちに捕まった。太守の子供たちも十歳以上の男の子は、イェンフォの侍女として宮殿に入っていたメイユーの配下の者たちによって殺されたんじゃ。側室たちは許されたが、太守の奥さんは殺された。太守の子供は十九人もいたが、長男から五男まで五人が殺された。皆、わしの教え子だったんじゃよ。子供たちにはすまない事をしてしまったと後悔しておるんじゃ」
「側室のイェンフォはメイユーの弟子だったのですか」
「そうじゃよ。剣術の達人だったようじゃ。一緒にいて情が移らなければいいがとメイユーは心配していたが、見事にやり遂げたんじゃ。太守が代わって、この町は平和になった。皆、メイユーに感謝しているんじゃよ」
「ヂャンサンフォン(張三豊)様を御存じですか」とシンシンが聞いた。
「ヂャンサンフォン殿といったら伝説の仙人じゃろう。わしも若い頃、仙人に会いに武当山(ウーダンシャン)に登ったんじゃが、会う事はできなかったんじゃ」
「わたしたちは皆、ヂャンサンフォン様の弟子です。メイユーさんも琉球に来て、ヂャンサンフォン様の弟子になりました」
「なに、ヂャンサンフォン殿は琉球にいるのかね?」
「今はもういません。ムラカ(マラッカ)に行ったようです」
「そうか。ムラカか‥‥‥」
 慶真和尚は皆の顔を見回した。
「会った時、達人たちじゃと思ったが、ヂャンサンフォン殿の弟子じゃったとは驚いた。よく、ターカウまで来てくれた。改めて、歓迎する」
 慶真和尚はササたちを連れて市場の近くにある遊女屋に行った。『飛馬楼(フェイマーロウ)』という立派な遊女屋だった。
「美人揃いの遊女屋じゃ」と和尚が楽しそうに言うと、
「ほう、楽しみじゃのう」とクマラパがにやけた。
 何も遊女屋で飲まなくてもいいのにとササたちは思ったが、和尚に従って遊女屋に入った。出迎えてくれた女将を見て、クマラパは目を丸くした。
 女将は笑って、「お久し振りです」と言った。
「そなた、生きておったのか‥‥‥」
 驚いた事に、女将は殺されたはずの太守の奥さんだった。奥さんはメイユーが夫の事で苦悩しているのを知って共感した。メイユーの夫と太守はよく似ていた。何もできないくせに威張っていて、小心者で女好きだった。
 長男は側室が産んだので殺してもかまわないが、次男は自分の息子なので助けるというのを条件に、奥さんはメイユーと手を組んだのだった。奥さんを味方にした事で、メイユーの配下の者たちは難なく配置に付く事ができ、作戦は成功したのだった。
「どうして、ターカウにいるのですか」とシンシンが聞いたら、
「ヂャンアーマーの娘として生きて行くには、ここしかないのよ」と言った。
 次男はどうしているのかと聞いたら、女将は微笑んで、「それは内緒」と言った。

 

 

 

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