長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-226.見果てぬ夢(改訂決定稿)

 ウニタキ(三星大親)はヤンバル(琉球北部)の按司たちの書状を持って、真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)とキンタ(奥間大親)を連れて首里(すい)に向かった。今後の作戦を思紹(ししょう)(中山王)と練るために、サハチ(中山王世子、島添大里按司)も一緒に行った。
 首里グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)に行くと、思紹と一緒に早田(そうだ)五郎左衛門も彫り物に熱中していた。何気なく役行者(えんのぎょうじゃ)像の顔を見たサハチは呆然となって立ち尽くした。
「親父、これはクマヌ(先代中グスク按司)なんですか」とサハチは聞いた。
「自然にこうなってしまったんじゃよ」と思紹は笑った。
 山伏姿のクマヌと一緒に旅をした若い頃が鮮明に思い出されて、知らずにサハチの目は潤んでいた。クマヌと一緒に旅をしなかったら、『琉球の統一』なんて考えなかったかもしれなかった。
「うまく行きましたよ」とウニタキが思紹に言った。
 思紹はうなづいて、上の階を指差した。
 サハチたちは三階に上がって景色を眺めた。家々が建ち並んでいる城下が見えた。十年前はグスクしかなかったのに、すっかり都に変わっていた。大通りの両側には樹木(きぎ)が生い茂っていたが、樹木はなくなって、所狭しと家々が建っていた。
「二年半、ヤマトゥ(日本)にいて、琉球に帰って来た時、浮島(那覇)に着いたんです」と真喜屋之子が浮島の方を見ながら言った。
「明国(みんこく)から帰国して、すぐに事件を起こしてヤマトゥに逃げたので、俺は中山王(ちゅうざんおう)が変わった事を知らなかったのです。首里に来て驚きました。立派なグスクがあって、あちこちで家を建てていました。そして、山北王(さんほくおう)(攀安知)の義父だった中山王(武寧)が殺されて、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の父親が中山王になったと知ったのです。失礼ながら、俺はその時、島添大里按司を知りませんでした。あとで、俺が馬天浜(ばてぃんはま)にいた頃の佐敷按司が中山王だと聞いて、腰を抜かさんばかりに驚きましたよ。俺は若狭町(わかさまち)の宿屋に滞在して、何度も首里に来て、お祭り(うまちー)も見ました。新しい中山王がみんなから慕われている事を知って、俺も首里で暮らそうかとも思ったんですよ」
「でも、首里では暮らさなかった」とウニタキが言った。
「ええ。若狭町のヤマトゥンチュ(日本人)から阿波根(あーぐん)グスクで、腕の立つ武芸者を探しているという噂を聞いて、行ってみたんです。居心地がよかったので、そこに居着いてしまいました。でも、兼(かに)グスク按司(ンマムイ)の奥方が山北王の妹だと知って驚きました。マハニさんが先代の中山王の息子に嫁いだ事は知っていましたが、中山王が滅んだので、その息子も殺されたのだろうと思っていました。マハニさんは弟のサンルータは病死したと言っていましたが、危険を感じて逃げたのです」
「ヤマトゥでは何をしていたんだ?」とサハチが聞いた。
「明国の言葉ができたので、博多で唐人(とーんちゅ)の商人の護衛をしていました」
「明国の言葉もヤマトゥの言葉もしゃべれるなんて羨ましいよ」とウニタキが言った。
「ヤマトゥの言葉は遊女(じゅり)に教わったのです」
「なに。馴染みの遊女がいたのか」
 真喜屋之子は笑った。
「三春(みはる)という可愛い女子(いなぐ)でしたが、勢力のある武将に身請けされました。それで、俺は琉球に帰って来たのです」
「遊女に振られて帰って来たのか」とウニタキは笑った。
 女子(いなぐ)サムレーのクニがお茶を持って上がって来た。
「侍女はどうした?」とサハチはクニに聞いた。
「今年から、ここには侍女はいなくなりました。ここにいても食事の用意をするくらいしか仕事がないのです。食事は侍女が運びますが、食事が終わると引き上げます。お客様が来た時に、お茶を入れて出すのは、わたしたちの仕事になったのです」
「ほう、そうだったのか」
「わたしたちもただ立っているだけでは退屈するので、丁度いいのです」
「そうか」とうなづいて、サハチたちは部屋に入ってお茶を受け取った。
 クニが出て行くのと入れ違いに思紹が入って来た。
「よくやった」と言って、思紹は真喜屋之子を見た。
 佐敷の美里之子(んざとぅぬしぃ)の道場にいたというが、思紹には思い出せなかった。
 ウニタキから渡された五つの書状を読んだ思紹は、改めて真喜屋之子を見ると、「御苦労じゃった」と満足そうに笑った。
「ヤンバルの按司たちが寝返ったという事は、今回の戦(いくさ)の半分は成功したと言える。大手柄じゃ。サムレー大将として戦に参加するか」
 真喜屋之子ならサムレー大将も務まるだろうとサハチもウニタキも思った。
 意外にも真喜屋之子は首を振った。
「山北王と湧川大主(わくがーうふぬし)は倒したいのですが、今帰仁(なきじん)のサムレーの中には一緒に明国に行った奴もいます。奴らとは戦いたくはありません。久し振りにヤンバルに行ってわかったのですが、伊波(いーふぁ)あるいは山田から北(にし)へ行く道は険しくて、誰もが気楽に通れる道ではありません。できれば、戦のあと、道を整備したいのです。普請奉行(ふしんぶぎょう)に任命して下さい」
 真喜屋之子が進貢船(しんくんしん)のサムレーを辞めたあと、ヤンバルの道を整備したいと言っていたのをサハチは思い出した。
「面白い奴じゃのう。戦よりも道普請か。いいじゃろう。戦が終われば、ヤンバルとの行き来をする人も多くなる。道を整備するのは必要じゃ。お前に頼む事にしよう」
 サハチとウニタキ、キンタも書状を読んだ。按司たちは皆が中山王に忠誠を誓っていた。
「みんなを呼んで、戦評定(いくさひょうじょう)を開きますか」とサハチは思紹に聞いた。
「いや。二、三日待とう。御内原(うーちばる)には山北王が送った侍女がいるからな。ここでやると怪しまれると思って、『まるずや』でやっていたが、マチルギと馬天ヌルがいなくなったので怪しまれたようじゃ。戦の相談をしていた事までは知らんようだが、気を付けなくてはならん。毎年、二十日頃、久高島参詣(くだかじまさんけい)のための評定を開いている。久高島参詣のための評定という事で、ここに集まろう」
「俺たちが今、ここにいる事も怪しまれていますかね?」
「真喜屋之子を連れて来たから何者だと疑っているじゃろう。戦のあとと言わず、今、道普請奉行に任命しよう。とりあえずは、首里と島添大里を結ぶ道の整備を頼む。どうじゃ?」
「ありがとうございます。見果てぬ夢だと諦めていました。まさか、実現するなんて夢を見ているようです。本当にありがとうございます」
 真喜屋之子は顔をくしゃくしゃにして頭を下げた。
「親父、道普請奉行になるのはいいが、真喜屋之子の名前ではまずい」とサハチが言った。
「そうじゃのう。名前を変えなければならんな」
 真喜屋之子は涙を拭うと、「与和之子(ゆわぬしぃ)にして下さい」と言った。
「与和は俺が殺した妻が生まれた永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)の地名です。妻は与和の浜(ゆわぬはま)から船に乗って今帰仁に来たそうです。妻に詫びるつもりで、命懸けで頑張ります」
「よし。与和大親(ゆわうふや)にしよう」と思紹が言った。
「三春大親ではないのか」とウニタキがからかった。
 真喜屋之子はやめてくれと言うように手を振った。
「永良部島で思い出したが、永良部按司の奥方はまだ今帰仁にいるのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「まだいるよ。もう帰らないんじゃないのか。越来按司(ぐいくあじ)の妻だった義理の妹と一緒に暮らしている。トゥイ様(先代山南王妃)の姉さんだから助け出さなくてはならんな」
「マナビーの母親が今帰仁にいるのですか」と真喜屋之子が聞いた。
按司が亡くなったあと今帰仁に来て、そのまま今帰仁で暮らしているんだよ。察度(さとぅ)(先々代中山王)の娘で浦添(うらしい)グスクで育ったから島暮らしより都暮らしの方がいいのだろう」
「そうでしたか。俺は会った事はありませんが、島の人たちに読み書きを教えていたようです。それをマナビーも見倣って近所の子供たちに読み書きを教えていたのです。謝って済む問題ではありませんが、母親に謝らなければなりません」
「お前のためにも必ず、救い出すよ」とウニタキは言った。
「具体的な作戦はこれから練る事になるが、ウニタキには救出作戦を担当してもらう事になるだろう。救出すべき者たちを選んで助け出してくれ」
「かしこまりました」とウニタキはうなづいた。
 サハチは道普請奉行に任命された真喜屋之子を連れて北の御殿(にしぬうどぅん)に行き、安謝大親(あじゃうふや)と会わせると、あとの事は安謝大親に任せて、ウニタキと一緒に島添大里に帰った。キンタは玻名(はな)グスクに行った。


 その日、ササ(運玉森ヌル)たちは東松田(あがりまちだ)の若ヌルのタマと屋賀(やが)ヌルと恩納(うんな)ヌルを連れて、『ミントゥングスク』に向かった。二人の娘はナツが預かっていた。
 ミントゥングスクより先にアマミキヨ様が上陸した『浜川(はまがー)ウタキ』に行った。ユンヌ姫に連れられて浜川ウタキに来たのは三年前の年の暮れ、南部の戦が始まった頃だった。浜川ウタキで『アマミキヨ様』の存在を知って、南の島(ふぇーぬしま)を探す旅に出た。南の島で『瀬織津姫(せおりつひめ)様』を知って、瀬織津姫様を探すために富士山まで行ってきた。ここに来なかったら何も始まらなかっただろう。ササは改めてユンヌ姫に感謝した。
 玉グスクヌルが管理しているので、ウタキ(御嶽)は綺麗になっていた。『ヤファラチカサ』でお祈りをして、『スーバナチカサ』でお祈りをすると『百名姫(ひゃくなひめ)』の声が聞こえた。
瀬織津姫様にお会いしたわ。ありがとう」
「百名姫様が色々と教えてくださったお陰です」とササは言って、「ピャンナ(百名)というのは、アマミキヨ様のお名前ですか」と聞いた。
「何ですって? 瀬織津姫様がそうおっしゃったの?」
 そう言われて、瀬織津姫様なら知っているかもしれないと思った。
「そうではありませんが、そんなような気がしたのです」
「ピャンナがアマミキヨ様のお名前だったら素敵ね。もっと、この地を大切にしなければならないわ」
「『コモキナ』って御存じですか」
「『コモキナ』はヤンバルにあるウタキでしょ」
「ミントゥングスクのウタキで、シネリキヨ様が『コモキナ』って言ったそうです」
「えっ、シネリキヨ様の声が聞こえたの?」と百名姫は驚いた。
「安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が聞いたのです」
「安須森ヌルはここにも来たわよ。アマミキヨ様の事を調べているって言っていたわ。シネリキヨ様がどうして、『コモキナ』って言ったのかしらね。アマミキヨ様はシネリキヨ様と出会って、ここからミントゥングスクに移ったのよ。シネリキヨ様は『コモキナ』から来られた人だったのかしら」
 ササたちは百名姫にお礼を言って別れた。百名姫の声はタマと屋賀ヌルには聞こえなかったが、マサキ(兼グスク若ヌル)には聞こえた。
 浜川ウタキからヤファサチムイ(藪薩御嶽)に行って、お祈りをした。ここの神様たちはアマンの言葉をしゃべっていて意味はわからなかった。
 『ミントゥングスク』も綺麗になっていた。石段を登って上に着くと、いい眺めなので若ヌルたちが騒いだ。ササたちも眺めを楽しんでから、順番にウタキを巡った。
 最後のウタキで、神様の声が聞こえた。『アマミキヨ様』の声は何を言っているのかわからなかった。『シネリキヨ様』の声は安須森ヌルが言っていたように、『コモキナ』『ネノパ』『ピャンナ』『ムマノパ』という四つの言葉が聞き取れたが、それ以上はわからなかった。
 ササたちはお礼を言ってお祈りを終えた。
「何か聞こえた?」とササはタマと屋賀ヌルとマサキに聞いた。
 タマとマサキは何も聞こえないと言ったが、屋賀ヌルはシネリキヨの声が聞こえたと言った。
「四つの言葉以外に何か聞こえましたか」
「古い言葉なのでよくわかりませんが、シネリキヨ様は『コモキナ』からここに来て、アマミキヨ様と出会ったような気がします」
「『コモキナ』は地名という事ね」
「『コモキナ』はシネリキヨ様のお名前で、亡くなってから生まれ故郷に祀られて、ウタキの名前があの辺りの地名になったのではないでしょうか」
「誰が祀ったの?」とナナが聞いた。
「それはお二人の娘さんだと思います」
「娘さんがお父さんを生まれ故郷(うまりじま)に祀ったのね。充分に考えられる事だわ」とササがうなづいた。
「すると、その娘さんが初代のスムチナムイヌルかしら」とナナが言った。
「二人の娘なら天孫氏(てぃんすんし)じゃないの?」とシンシン(杏杏)が言った。
「そうよね。アマミキヨ様が産んだ娘なら天孫氏だわ。天孫氏の娘がシネリキヨのお父さんを生まれ故郷に祀ったのかしら」
 みんなして首を傾げた。
「真玉添(まだんすい)(首里にあったヌルたちの都)ができて『安須森参詣』が盛んになった頃、『コモキナ』がシネリキヨの聖地になったんだと思うわ」というユンヌ姫の声が聞こえた。
 ヤマトゥから帰って来て、ユンヌ姫の声を聞くのは初めてだった。
スサノオ様と一緒にいたの?」とササは聞いた。
「アカナ姫をミャーク(宮古島)まで送って行って、瀬織津姫様をトンド(マニラ)やターカウ(台湾の高雄)まで連れて行ったのよ。帰って来たら、与論島(ゆんぬじま)で戦の騒ぎをしていたので驚いたわ」
与論島で戦があったの?」
「そうじゃないわ。国頭按司(くんじゃんあじ)が兵を率いて来いって与論按司(ゆんぬあじ)に言ったみたい。島の若い者たちを集めて武芸の稽古に励んでいたわ。でも、国頭按司からまだ来なくてもいいって知らせが入って、若い者たちも引き上げて行ったわ」
「国頭按司は山北王を攻めるつもりだったのかしら」
「そうみたいね。兵力が足りないんで若い者たちを鍛えたけど、中山王が動く事を知って、与論按司は二十人を率いてくればいいって言ったみたい」
「他の島々はどうなの?」
「永良部島も徳之島(とぅくぬしま)も動きはないわ。今度はシネリキヨ様を調べているの?」
「近いうちに『コモキナ』に行こうと思っているんだけど、見守っていてね」
「わかったわ」
アマミキヨ様とシネリキヨ様がここで暮らしていたのね」とタマが海を眺めながら言った。
「あなた、ユンヌ姫様の声が聞こえた?」とササが聞くとタマは首を振った。
 屋賀ヌルも聞こえないと言った。
「どうして、マサキには聞こえるんだろう」とササは不思議に思った。
「ササの弟子だから聞こえるのよ」とシンシンが言った。
 ミントゥングスクを下りて、垣花(かきぬはな)の都の跡地にある『垣花森(かきぬはなむい)』のウタキに行くと、ここも玉グスクヌルによって綺麗になっていた。以前に聞こえた極楽寺(ごくらくじ)で戦死した玉グスクヌルの声は聞こえず、別の神様の声が聞こえた。
 知念姫(ちにんひめ)の跡を継いで垣花姫になった、知念姫の娘だった。
 『垣花姫』は伯母の瀬織津姫に会えた事のお礼をササに言った。ササは神様たちが見守ってくれたお陰ですと言って、『コモキナ』の事を聞いた。
「昔、仲宗根泊(なかずにどぅまい)の辺りは大きな沼になっていて、その沼のほとりに貝殻の工房があったわ。そこから川を遡(さかのぼ)った山の上に『コモキナ』のウタキがあったの。アマミキヨ様の夫になったシネリキヨ様を祀っていたのよ」
「『コモキナ』というのはシネリキヨ様のお名前ですか」
「さあ、それはわからないわ。シネリキヨ様がお亡くなりになってから二百年は過ぎていたと思うわ。当時は文字もないし、お名前は伝わっていないわ」
「誰がそのウタキを造ったか伝わっていましたか」
「シネリキヨ様の娘さんよ。当時は通い婚だったから故郷にも娘がいたのよ。娘がミントゥングスクまで行って、遺骨を分けてもらって祀ったらしいわ」
「その娘さんがコモキナのヌルになったのですか」
「そうよ。娘さんの子孫がコモキナムイヌルを継いでウタキを守っていたわ」
「当時はアマミキヨのヌルたちも、コモキナのウタキに入れたのですか」
「入れたわよ。御先祖様ですからね。『コモキナ』がどうかしたの?」
「古いウタキだと聞いたので行ってみたいと思ったのです。当時、安須森のウタキもあったのですか」
「伯母によってヤマトゥとの交易が盛んになって、わたしの娘が『安須森姫』として安須森に行ってからウタキができたのよ。辺戸岬(ふぃるみさき)の近くの宇佐浜(うざはま)に貝殻の工房があって、安須森姫の屋敷もそこにあったわ。当時の船は丸木舟(くいふに)だったから海が荒れたら、静まるまで待っていなければならなかったの。あちこちの砂浜が拠点になっていて、宇佐浜は最後の拠点だったのよ」
「コモキナのウタキが荒らされて、お宝が盗まれたと聞きましたが、何が盗まれたのですか」
「当時のお宝といえば、翡翠(ひすい)のガーラダマ(勾玉)と黒石(くるいし)(黒曜石)で作った刀や斧だったから、そういう物が盗まれたんじゃないかしら。もしかしたら、大陸から手に入れた青銅の刀や鏡もあったかもしれないわね」
 ササたちはお礼を言って、垣花姫と別れた。垣花姫の声はタマと屋賀ヌルには聞こえなかったが、マサキには聞こえた。
 マサキは瀬織津姫様の声も聞いている。瀬織津姫様にササの弟子と認められて、瀬織津姫様の子孫の声は聞こえるのかもしれないとササは思った。


 二日後、首里グスクの龍天閣で六度目の戦評定が開かれた。まずは『久高島参詣』の事を話し合ってから、今帰仁攻めの話に移った。
 琉球の絵図を眺めながら、大まかな作戦を練った。陸路は二手に分かれて、東側は金武按司(きんあじ)の先導で、宜野座(ぎぬざ)まで行って名護(なぐ)に向かい、西側は恩納按司(うんなあじ)の先導で、海岸沿いに北上して名護に行く。名護から羽地(はにじ)に行き、仲尾泊(なこーどぅまい)で国頭(くんじゃん)の兵と水軍の船を待つ。全軍が揃ったら運天泊(うんてぃんどぅまい)を制圧して、今帰仁を目指して進軍するという作戦だった。
 中部の按司たちには三月一日に今帰仁攻めを内密に知らせて戦の準備をさせる。山南王(さんなんおう)(他魯毎)と南部の按司たちに知らせるのは、今帰仁のお祭りが終わった三月二十五日で、チューマチ(ミーグスク大親)の妻のマナビーとンマムイ(兼グスク按司)の妻のマハニに知らせるのも、その日に決まった。
 今帰仁のお祭りに参加する旅芸人たちによって、油屋のユラと喜如嘉(きざは)の長老の孫娘のサラを今帰仁から連れ出す。奥間(うくま)の側室と中山王が送った側室、トゥイ様(先代山南王妃)の姉のマティルマとンマムイの妹の山北王妃は、戦が始まってからウニタキが助け出す。そして、神様の事はササたちが解決する事に決まった。
 二月二十九日の島添大里グスクのお祭り、三月三日の久高島参詣、三月十九日の中グスクのお祭り、三月二十二日の丸太引きのお祭りは通常通りに行なう。丸太引きのお祭りは二十日だったが、ユリたちが中グスクのお祭りを手伝いに行くので、二日ずらす事に決まっていた。
 その日、恩納岳(うんなだき)の山中で李芸(イイエ)はナコータルーの下で働いている五人の朝鮮人(こーれーんちゅ)と会っていた。高麗(こーれー)から朝鮮(チョソン)に変わる頃、倭寇(わこう)に連れられて親泊(うやどぅまい)(今泊)に来た若者たちで、当時の材木屋の親方だった謝花大主(じゃふぁなうふぬし)に買われてヤマンチュ(杣人)になっていた。五人とも四十歳前後で、琉球人(りゅうきゅうんちゅ)の娘を妻に迎えて子供もいるが、李芸の話を聞いて故郷が懐かしくなっていた。ナコータルーに相談すると、五人がいなくなるのは残念だが、今まで充分に働いてくれたので、本人の意思に任せると言った。五月頃に帰るので、帰りたくなったら浮島の『那覇館(なーふぁかん)』に来てくれと李芸は言った。
 翌日、ウニタキとキンタは中山王の書状を持ってヤンバルに向かった。
 書状は『まるずや』によって、それぞれの按司に渡された。出陣日は四月一日で、喜如嘉の長老の孫娘がお芝居をやる今帰仁のお祭りが済むまで、山北王には絶対に気づかれてはならないと書いてあるが、余計な動きをしないように按司たちを監視しなければならなかった。
 李芸は恩納岳の山中で五人の被慮人(ひりょにん)を見つけて、北部にはまだいるに違いないと期待した。その後、名護、羽地、運天泊と探したが見つからず、今帰仁に着いたのは二月の二十七日だった。
 今帰仁グスクに行くと重臣の平敷大主(ぴしーちうふぬし)が出て来て、李芸一行を『天使館』に案内してくれた。一休みしたら、山北王に会うためにグスクに連れて行くと言って平敷大主は帰って行った。平敷大主はヤマトゥとの交易を担当していて、ヤマトゥ言葉がしゃべれた。
 荷物を整理していたら、『まるずや』の主人のマイチがやって来て、ウニタキが待っていると知らせた。李芸は『まるずや』に行って、ウニタキと再会した。
「ウニタキさん、どうして、今帰仁にいるのですか」と李芸は驚いた。
「山北王との取り引きで今、こっちにいる事が多いんだ」とウニタキは言った。
朝鮮人を探しているんだろう。山北王の側室にパクという朝鮮人がいる。パクは朝鮮人を探しては中山王が朝鮮に送っている船に乗せて返している。去年は三人を送り返したが、新たに見つけたかもしれない。会ってみろ」
「側室のパクも倭寇にさらわれて来た女ですか」
「そのようだが、パクは帰らんだろうな。今晩は山北王が歓迎の宴(うたげ)を開いてくれるだろう。明日の晩、一緒に飲もうぜ」
 ウニタキと別れて天使館に帰ると、しばらくして、平敷大主が迎えに来て、李芸は山北王と会った。前日に沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)から帰って来たばかりの山北王は、機嫌よく李芸を迎えた。李芸は領内で被慮人を探して、朝鮮に連れて帰る許可を山北王から得た。
 側室のパクとも会え、パクに連れられて、天使館の近くにある『高麗館(こーれーかん)』という屋敷に行った。十一人の老人たちがいた。五組の夫婦と一人の男だった。名護の屋部(やぶ)にある瓦焼き場で働いていて、去年、名護按司から相談があって、朝鮮に帰すために引き取ったという。
「五月に中山王が朝鮮に送る船に乗せるつもりでしたが、早い方がいいので連れて行って下さい」とパクは朝鮮の言葉で言った。
「あなたは帰らないのか」と李芸が聞くと、
「わたしの知らない所に、まだいるかもしれません。探し出して故郷に送ります。わたしは帰っても身内はいないので、ここに残ります」とパクは言った。
 李芸は十一人を連れて行くと約束して、ヤンバルを去るまで預かっていてくれと頼んだ。
 その夜、山北王はヤマトゥ町にある遊女屋(じゅりぬやー)で、歓迎の宴を開いてくれた。唐人町(とーんちゅまち)にも遊女屋はあるが、李芸がヤマトゥ言葉がわかるというので、ヤマトゥ町の遊女屋が選ばれた。山北王は来なかったが、平敷大主が接待役として世話をした。
 遊女たちはヤマトゥの着物を着ているがヤマトゥの娘ではなく、琉球の娘たちだった。その中に朝鮮の言葉を話す娘がいた。話を聞くと倭寇にさらわれて来た娘だった。その遊女屋には三人の朝鮮の娘がいるという。その場では騒がずに宴を楽しんで、翌日、李芸は平敷大主と相談した。
 山北王が許可したと言っても、遊女屋が商売道具の遊女を簡単に手放すはずがない。平敷大主の交渉によって、朝鮮の綿布(めんぷ)と交換する事に決まった。朝鮮の綿布は高価な商品で、ヤマトゥの商人たちとの取り引きにも使えるので、遊女屋も満足してくれた。
 他の遊女屋も探して、李芸は十三人の娘を確保した。武寧によって浮島での被慮人の売買は禁止されたが、今帰仁では行なわれていたようだ。十三人の娘たちは三、四年前に連れて来られた者たちで、その後は今帰仁にも被慮人は来ていないようだった。

 

 

 

役行者―修験道と海人と黄金伝説

2-225.祝い酒(改訂決定稿)

 ミーグスクでヤンバル(琉球北部)の長老たちの歓迎の宴(うたげ)をしていた頃、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの一の曲輪(くるわ)の屋敷の二階で、サハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)が、キンタ(奥間大親)と真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)の手柄話を肴(さかな)に酒を飲んでいた。
「奥間(うくま)の炎上を聞いたのは翌日の事でした」と真喜屋之子が言った。
今帰仁(なきじん)の城下でお芝居を上演していたら、急に騒がしくなって、奥間炎上の噂が流れたのです。奥間が大火事になって、大勢の人たちが亡くなったという噂で大騒ぎになって、お芝居も中断されました。その時は何でそんな事になったのかわからず、しばらくして、山北王(さんほくおう)(攀安知)の仕業だとわかって、また大騒ぎになったのです。お芝居どころではないので、次の日は休んで、その翌日、志慶真(しじま)村で上演していたら、『まるずや』のマイチさんが来て、国頭(くんじゃん)の『まるずや』に行けと言われて、国頭に向かったのです」
「羽地(はにじ)にいたら一緒に行こうと思ったんだが、今帰仁に行ったと聞いて、配下の者を今帰仁に送ったんだよ」とウニタキが言って、松堂(まちどー)のお土産のピトゥ(イルカ)の塩漬け(すーちかー)を食べた。
 サハチとキンタもピトゥの塩漬けに手を出した。程よい塩加減でうまかった。
「国頭に行って、クミに会ったんだな?」とサハチが真喜屋之子に聞いた。
「まずは『まるずや』のダキさんから国頭の状況を聞きました。俺が中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の使者だと証明する書状もダキさんから受け取りました。国頭按司は奥間に使者を送って、村は焼けたけど全員が無事だったという事を知っていました。それでも、奥間の人たちにはお世話になっているので、山北王の仕打ちを怒っているという事がわかりました。クミと相談して、俺は正体を明かす覚悟を決めたのです。クミの家の隣りに湧川大主(わくがーうふぬし)の側室が住んでいると聞いて驚きました。湧川大主に知られたら、何もかもが終わってしまう。細心の注意を払って、クミと一緒に喜如嘉之子(きざはぬしぃ)と会いました。ヤマトゥンチュ(日本人)の格好していたので気づきませんでしたが、俺が名乗ると喜如嘉之子は俺をじっと見つめて、生きていたのかと言いました。俺がわけを話して、中山王の使いで来たと言ったら、腰を抜かさんばかりに驚いて、喜如嘉の長老の所に連れて行ったのです」
「喜如嘉之子というのは長老の孫なのか」とサハチは聞いた。
「そうです。長老の跡を継いで水軍の大将になった喜如嘉大主(きざはうふぬし)の息子です。水軍のサムレーなので、国頭の城下から少し離れた水軍の本拠地の喜如嘉にいます。長老は隠居したあと、按司の相談役になって国頭の城下に住んでいます。十年余り前、喜如嘉之子と一緒に明国(みんこく)に行ったあと、俺は長老に会っているのです。俺が馬天浜(ばてぃんはま)にいた頃の剣術の師匠だった人を長老は知っていて、夜遅くまで武芸の話に熱中しました」
「苗代大親(なーしるうふや)だな。当時は苗代之子(なーしるぬしぃ)と言っていた」とサハチは言った。
「そうです。今もあの道場はあるのですか」
「ある。当時の道場主は越来按司(ぐいくあじ)になって、苗代之子は首里(すい)のサムレーの総大将になっている。越来按司の息子が道場主になって、佐敷のサムレーたちを鍛えているんだ」
「そうでしたか」と言って、真喜屋之子は酒を一口飲んだ。
 当時を懐かしく思い出しているようだったが、サハチは話の続きを促した。
「喜如嘉の長老は俺を見て驚いて、よく生きていてくれたと言いました。中山王の書状を見せて、中山王が山北王を攻める事を伝えると、長老は喜びました。国頭按司から内密に山北王を攻める事を知らされていたそうです。鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めで多くの兵を戦死させてしまい、じっと我慢していたが、奥間を焼き払った事で、もう我慢の限界を超えたと按司は言ったそうです。しかし、国頭だけでは駄目だ。羽地と名護(なぐ)も裏切らせなければならないので、これから作戦を練ろうと考えていたそうです。中山王が動いてくれるのなら、喜んで、それに乗ろうと言ってくれました。長老と一緒に国頭按司と会って、国頭按司もうなづいてくれましたが、『屋嘉比(やはび)のお婆』の許しを得なければならないと言いました。屋嘉比のお婆はヌルたちを連れてウタキ(御嶽)に入りました。丁度、その時、旅芸人たちが国頭にやって来て、広場でお芝居を上演しました。俺は打ち合わせのために、旅芸人たちより先に来たという事になっていたので、湧川大主の側室にも怪しまれませんでした。子供たちと一緒にお芝居を観ながら、屋嘉比のお婆がウタキから出て来るのを待っていたのです」
「神様のお許しが出たのだな?」とサハチは聞いた。
「はい。屋嘉比のお婆の許しが出て、国頭按司の離反は決まりました。
 屋嘉比のお婆は『アキシノ様』の子孫だった。アキシノ様が『中山王と一緒に山北王を攻めろ』と言ってくれたのかもしれないとサハチは思った。
「俺は喜如嘉之子と一緒に羽地に行きました。ヤマトゥのサムレー姿だと怪しまれるので、喜如嘉之子の荷物持ちに扮しました。『まるずや』に行って状況を聞いて、按司を初めとして、みんなが怒っている事がわかりました。羽地にも湧川大主の側室がいる事を聞いたので、注意しながら我部祖河(がぶしか)の長老と会いました。一緒に明国に行った饒平名大主(ゆぴなうふぬし)に会おうかと思いましたが、奴は口が軽いので会うのはやめました。我部祖河の長老は喜如嘉の長老の義弟で、喜如嘉之子もよく知っていたのです。我部祖河の長老は中山王の書状を見せたら驚きましたが、国頭按司が山北王攻めに加わる事を伝えると、羽地按司の母親は奥間出身なので、皆、怒ってはいるが、山北王を裏切る事ができるかどうかは難しいと言いました。先々代の今帰仁按司(帕尼芝)はわしの兄で、今の今帰仁按司は兄の孫だ。今帰仁按司と羽地按司は同族だから寝返るには余程の覚悟がいるだろうと言いました。我部祖河の長老が羽地按司に話すというので、長老に任せました。そんな時、キンタさんが羽地に来て、今、湧川大主が羽地にいると教えてくれました。あの時は本当に生きた心地がしませんでした」
「『まるずや』に行って、真喜屋之子がどこにいるのか聞こうと思ったら、『まるずや』から湧川大主が出て来たので驚きましたよ」とキンタが言った。
「湧川大主は何を買いに来たんだ?」とウニタキが聞いた。
「息子の着物を買いに来たようです」
「なに、奴が倅の着物をか」とサハチは驚いた。
「特別な着物を頼んでいたようです。湧川大主の側室のメイはよく来るそうですが、湧川大主が来たのは初めてだとチマさんは言っていました」
「そうか」とサハチはうなづいて、真喜屋之子に続きを促した。
「俺はキンタさんと一緒に鍛冶屋(かんじゃー)の家に隠れていました。次の日、サタルーさんが来て、湧川大主が側室と子供を連れて運天泊(うんてぃんどぅまい)に行ったと知らせてくれたのです。ホッと胸を撫で下ろしましたよ」
「お前の腕なら湧川大主も倒せるだろう」とウニタキが言った。
「湧川大主一人が相手なら倒せるかもしれませんが、護衛の者たちがいれば、逆にやられるかもしれません」
「お前にも陰の護衛は付いていたんだ」とウニタキが笑った。
「それで、返事はもらえたのか」とサハチが真喜屋之子に聞いた。
「羽地按司も最後の決断はヌルに頼ったようです。仲尾(なこー)ヌル(先代羽地ヌル)と羽地ヌルがウタキに籠もりましたが、結論が出せず、羽地ヌルが国頭まで行って、『屋嘉比のお婆』にお伺いを立てたようです。羽地ヌルが帰って来て、ようやく、羽地按司も決心を固めました」
「屋嘉比のお婆というのは凄いヌルらしいな」とウニタキが言った。
「九十歳を過ぎたお婆で、歩くのもやっとだったのに、安須森(あしむい)に着いたら曲がっていた腰もシャキッとして誰の手も借りずに登ったと言っていたよ。ヤンバルのヌルたちは皆、屋嘉比のお婆には逆らえないようだ」とサハチは奥間ヌルから聞いた話をした。
「国頭と羽地が寝返れば、名護は簡単だっただろう」とサハチは真喜屋之子に聞いた。
「我部祖河の長老が一緒に来てくれたので、松堂殿と会う事ができました。松堂殿は俺を見て驚いていましたよ。中山王の使者として来たと言ったら信じられないと言った顔をしていました。松堂殿は山北王の奥間攻めにかなり怒っていて、中山王が山北王を倒すのなら、勿論、大賛成じゃと言ってくれました。名護には湧川大主の側室がいないと聞いて、ホッとしましたよ。我部祖河の長老と松堂殿と一緒に名護按司にも会いました。名護按司も、国頭按司と羽地按司が山北王を見限ったのなら、話に乗らないわけにはいかないと言いました。一応、ヌルにお伺いを立てて、話はまとまりました」
「名護ヌルは屋嘉比のお婆に会いに行かなかったのか」とウニタキが聞くと、
「仲尾ヌルが一緒に来て、お婆の言葉を名護ヌルに伝えたようです」と真喜屋之子は言った。
「うまく行ったのは、屋嘉比のお婆のお陰だな」
「屋嘉比のお婆はシジマも助けている。シジマが志慶真ヌルになれば、志慶真村も寝返る事になって完璧だ。戦(いくさ)の準備は整った。祝い酒と行こう」
 サハチは楽しそうに笑って、みんなと乾杯をした。


 その頃、山北王の攀安知(はんあんち)は沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)でクーイの若ヌルを相手に酒を飲んでいた。
 この島を去って今帰仁に帰ってからの一月は、一年とも思えるほど長かった。
 帰った途端、奥間ヌルの娘の父親が島添大里按司だと知らされて、かっとなって奥間を攻めろと命じた。中山王と通じている鍛冶屋の村を焼き払った所で大した事にはなるまいと思っていたが、これが大間違いだった。民衆たちが大騒ぎをして、奥間を攻めた並里大主(なんじゃとぅうふぬし)と仲宗根大主(なかずにうふぬし)は石を投げられたという。
 あまりの反応に驚いた攀安知は、中山王が攻めて来ないかと不安になって、義弟の愛宕之子(あたぐぬしぃ)を首里に送った。叔父の国頭按司、従弟の名護按司と湧川大主の義弟の羽地按司の様子も調べさせた。三人の按司たちも怒っているようだが、怒った所で、山北王に逆らうほどの度胸はあるまいと思った。問題は中山王だった。中山王が動けば、三人の按司も寝返る可能性があった。三人の按司たちは何度も使者を送って来たが、会う事もなく、皆、追い返していた。
 騒ぎが治まるまではグスクから出る事もできず、十歳になった次男のフニムイを相手に弓矢の稽古に励むしかなかった。
 愛宕之子が帰って来たのは二月十二日だった。愛宕之子の顔付きを見て、何の問題もなさそうだと安心した攀安知は、愛宕之子から南部の様子を聞いた。
首里の城下も奥間の事で大騒ぎしていました。しかし、中山王が動く気配はありません。玻名(はな)グスクは一番奥間とつながっているので、戦の準備をしているかもしれないと行ってみましたが驚きました。高い石垣に囲まれた立派なグスクなのですが、中にいるのは兵たちではなくて、若い職人たちでした。あそこは職人を育てる稽古場なんです」
「何だと?」と攀安知はポカンとした顔で言った。
「一応、御門番(うじょうばん)はいるのですが、見物をしたいと言ったら簡単に中に入れました。若い者たちが鍛冶屋、木地屋(きじやー)の修行をしていて、弓矢の稽古をしている者がいたので、やはり、兵もいるのかと思ったら、猟師(やまんちゅ)の修行をしている者たちでした。近くの森では木を伐る稽古と炭を焼く稽古もしていると言っていました」
「何というグスクだ」と攀安知は呆れた。
「辺土名(ふぃんとぅな)に避難している奥間の奴らもみんな、そこに行けばいい」
「玻名グスクの城下に滞在して、奴らの様子を探ってみましたが、みんなが奥間の事を怒っているのは確かです。やけ酒を飲んで、中山王はどうして山北王を攻めないんだと愚痴っていました。自分たちで攻めようとは思っていないようでした。首里に戻ったら、朝鮮(チョソン)から使者が来たと騒いでいました」
「朝鮮の使者?」
倭寇(わこう)にさらわれた朝鮮人(こーれーんちゅ)を探しに来たようです。琉球中を探すみたいで、そのうち、今帰仁にも来ると思います。朝鮮の使者は中山王がヤマトゥに送った交易船と一緒に来たようで、浮島(那覇)の『那覇館(なーふぁかん)』で朝鮮人たちの歓迎の宴をやって、首里の『会同館』でヤマトゥに行った者たちの帰国祝いの宴をやってと、中山王も大忙しだったようです。二月になって、新しくできたお寺(うてぃら)の完成の儀式をして、会同館の近くに大きな池を造るらしくて、人足たちが集まって来て、木を伐り始めました。二月九日には例年通り、首里グスクのお祭り(うまちー)が賑やかに行なわれましたし、戦を始めるような気配はどこにもありません」
「そうか。そうだろうな。いくら、奥間の者たちと親しくしていようが、奥間のために戦を始めるわけにもいくまい。南部の按司たちが納得するわけがない」
 奥間攻めから一月が経って、城下の騒ぎも治まり、攀安知はクーイの若ヌルのマナビダルに会いに行ったのだった。
「お前の顔を見て、やっとホッとしたよ」
「本当に奥間を攻めるなんて思ってもいませんでした」とマナビダルが言った。
「俺も驚いたよ」と攀安知は笑った。
「あなたは山北王ですよ。何でもできるのです。ねえ、わたしのために、正妻のマアサ様と側室のクン様を追い出して」
「何だと?」
「二人がいなくなれば、わたしは今帰仁グスクに入れるわ」
「ここじゃあ不満だというのか」
「だって、あなたが来るのを待っているのが、とても辛いのよ。ずっと、一緒にいたいわ」
「俺も一緒にいたいさ」
「マアサ様と一緒になったのは先代の中山王(武寧)と同盟したからでしょ。先代の中山王はもういないのに、一緒にいる必要はないわ。クン様の子供たちは二人とも南部に行っちゃったし、もう子供も産めないし用はないわ。二人がいなくなれば、わたしは今帰仁に行けるのよ」
 確かにマナビダルの言う通りだが、マアサには十三歳の娘、ウトゥタルがいた。ウトゥタルをお嫁に出すまでは無理だろう。お嫁で思い出したが、ウクの娘のママキが十七歳になっていた。母親と一緒にお芝居に夢中になっているが、ママキを南部にお嫁に出そうか。そうすれば、また南部に兵が送れる。手頃な相手がいるかどうか調べさせようと思った。
「マアサを追い出さなくても、来年の今頃は首里にいる。お前は中山王になった俺の正妻だよ」
「それなら、いいわ」とマナビダルは嬉しそうに酒を口に運んだ。


 その頃、湧川大主は玉グスク村の玉グスクヌルの屋敷の庭で、村人たちに囲まれて、楽しそうに祝い酒を飲んでいた。
 奥間炎上の噂を聞いて、兄貴が怒りに任せて、やっちまったかと嘆いた湧川大主は、割目之子(わるみぬしぃ)を奥間に送って様子を探らせた。家々は全焼したが、戦死者は出ていないようだと聞いて、少し安心した。亡くなった者がいなければ、時が経てば民衆の怒りも治まるだろう。
 羽地、名護、国頭の三人の按司たちの動きも探らせた。奥間炎上の噂を聞いた按司たちは怒っていたが、使者を奥間に送って、全員無事だと聞いてからは怒りも少しは治まったようだった。首里から旅芸人たちが来ていて、各地を回ってお芝居を演じていたのも、奥間から目をそらせる効果があったのかもしれない。旅芸人たちは中山王のために各地の情報を集めているが、今回はいい時に来てくれたと湧川大主は密かに感謝していた。
 『油屋』にいる配下からの情報によると、朝鮮から使者が来たので中山王は忙しく、新たに大規模な庭園造りも始めたという。首里グスクのお祭りも例年通りに行なわれたし、戦をするような気配はないという。去年、首里見物をした松堂夫婦が喜如嘉の長老夫婦と我部祖河の長老夫婦を連れて、『まるずや』の船に乗って首里見物に出掛けたようだが、三人はすでに隠居しているし、義兄弟の間柄なので、別に気にする事もないと思った。
 兄貴がどうして急に奥間を攻めたのか、その理由はわからなかったが、一月が経って、ようやく、今帰仁グスクにいる配下の侍女が探り出した。やはり、奥間ヌルの娘の父親が島添大里按司だと知って、かっとなったようだ。湧川大主は奥間ヌルに会った事はないが、攀安知が若い頃、奥間に行って、奥間ヌルはいい女だと言ったのを覚えていた。その時、ヌルというのはマレビト神と結ばれるそうだと攀安知は言っていた。奥間ヌルのマレビト神が島添大里按司だと聞いて、今まで抑えていた怒りが爆発してしまったに違いなかった。
 昔の事を思い出していたら、十年前に出会った玉グスクヌルの事を思い出した。
 あれは中山王(思紹)が先代の中山王(武寧)を殺して、完成したばかりの首里グスクを奪い取った年だった。明国から帰って来た真喜屋之子が弟のサンルータを殺して逃亡した。真喜屋之子を探し回っていた湧川大主は、玉グスク村で玉グスクヌルのユカと出会った。
 ユカは湧川大主が来るのを待っていたと言って、屋敷に連れて行った。二十代半ばの妖艶な女だった。屋敷の文机(ふづくえ)の上に大きな水晶玉があって、これを見て、あなたが来るのがわかったとユカは言った。
「俺に何か用か」と湧川大主が聞くと、
「用があるのはあなたでしょ」と言って、湧川大主が真喜屋之子を探している事を知っていた。
 若ヌルの時、湧川大主の祖父が戦死して、湧川大主の父親が山北王になる事もわかったし、先代の山北王が病死して、湧川大主の兄が山北王になる事も、前もってわかっていたとユカは言った。そして、真喜屋之子は倭寇の船に乗ってヤマトゥに行ったから、当分は戻って来ないでしょうと言った。その後の事はよく覚えていない。運天泊に帰ったら三日が過ぎていて、夢でも見ていたようだと驚いた。
 その時、運天泊に明国の海賊が来ていて忙しく、中山王が山北王に贈った側室のハビーを兄貴から譲り受けたので、ユカの事は忘れた。
 そう言えば、マジニが浦添(うらしい)から逃げて来たのもその年だった。その頃の湧川大主はマジニに何の興味もなかった。ユカに限らず、ヌルの言う事を信じてはいなかった。神様の存在は否定しないが、ヌルが神様と話ができるなんてあり得ないと思っていた。皆、でまかせを言っているに違いない。ユカは若ヌルの時に様々な事を予見したと言ったが、嘘をついているに違いないと思っていた。奄美大島(あまみうふしま)でマジニといい仲になってからは、シジ(霊力)の高いヌルは神様の声が聞こえるようだと考えを改めていた。
 思い出したついでに、湧川大主は十年振りにユカに会いに行った。
 前回と同じように、ユカは湧川大主を待っていた。
「俺が来るのがわかったのか」
「随分とつれないわね。あのあと、あなたはきっとまた来ると待っていたのに全然来なかったわ」
「あの頃の俺はヌルを信じていなかったんだ。お前の言う事はみんなでまかせだと思っていたんだよ」
 ユカは笑って、「今日はどういう風の吹き回しなの?」と聞いた。
「お前の言う事を信じてみようと思って、久し振りに会いに来たんだ」
「まあ、嬉しい事を言うわね」
 以前と同じように水晶玉があったので、
「真喜屋之子が今、どこにいるのかわかるか」と湧川大主は聞いてみた。
「真喜屋之子?」
 ユカは覚えていなかった。
「俺の弟を殺した奴で、ヤマトゥに逃げたと言っただろう」
「ああ、そんな事があったわね。まだ、その人を探しているの?」
「弟の敵(かたき)だからな」
「ヤマトゥに行って、向こうで武将になって活躍しているんじゃないの。将軍様にお仕えしているかもしれないわ」
「でまかせを言うな」
 ユカは楽しそうに笑った。
「今のはでまかせよ。そんな昔の人には興味がないわ。それに遠いヤマトゥにいる人の事なんてわからないわ」
「もう戻って来ているかもしれないだろう」
「あなたが探しているのに戻って来るわけないわ。あなたが死んだら戻って来るかもね」
 湧川大主はユカの顔を見て笑った。あれから十年が経っているので、ユカは三十の半ばのはずだが、そんな年齢(とし)には見えなかった。自分だけが年齢を取ったように感じた。
「先に起こる事が見えるんだろう。何か大事件でも起きそうか」
「山北王と中山王の戦が起きそうね」とユカは真面目な顔をして言った。
「それはいつだ?」
「まだはっきりとはわからないけど、今年中よ」
 今帰仁グスクの侍女の話によると、去年の九月、兄貴は南蛮(なんばん)(東南アジア)の王女たちと会ったあと、来年は中山王を攻めるかとぽつりと言って、作戦を練っていたようだという。今年、攻めるとすれば、冬だろう。それまでに、南部にいる若按司のミンを山南王(さんなんおう)にするつもりなのか‥‥‥
「どっちが勝つ?」
「勿論、山北王よ」とユカは笑いながら言った。
 十歳くらいの可愛い娘が現れて、
「お父さんがヤマトゥから帰って来たわよ」とユカが娘に言った。
 湧川大主は驚いて、娘とユカを見た。
「本当にお父さんなの?」と娘がユカに聞いた。
「ヤマトゥは遠い国だから、やっと帰って来られたのよ」と娘に言ってから湧川大主を見て、「ミサキよ」と名前を教えた。
「お父さん?」とミサキが湧川大主を見つめた。
 湧川大主は笑って、「ミサキか。大きくなったな」と言った。
「十年振りに帰って来たんだから、ゆっくりしていってね。ミサキのためにも」
 今は謹慎中だし、それもいいかもしれないと湧川大主は思った。
 ユカが御馳走を作っている間、湧川大主はミサキと一緒に村を散歩した。出会う人に、お父さんが帰って来たとミサキが言うので、村人たちは驚いた。本名を名乗るわけにいかないので、ヤマトゥの将軍様に仕えている川上次郎(かわかみじるー)と名乗った。川上というのは薩摩(さつま)の島津家の家臣で、毎年、今帰仁に来ているサムレーだった。たまたま頭に浮かんだので、川上を名乗って、童名(わらびなー)のジルータのジルーを付けたのだった。
 ミサキのお父さんが帰って来たと村中の人たちが集まって来て、ヌルの屋敷の庭で川上次郎の帰国祝いの宴が開かれた。
 村人たちと一緒になって、楽しそうに酒を飲んでいる湧川大主を見ながら、随分と変わってしまった事にユカは気づいていた。

 

 

 

【おめでたいときにおすすめ】月桂冠 特撰 本醸造角樽 [ 日本酒 京都府 1800ml ]

2-224.長老たちの首里見物(改訂決定稿)

 首里(すい)グスクの北、会同館(かいどうかん)の西側には赤木が生い茂った森があった。赤木を伐り倒して整地をして、そこに大きな穴を掘って大池を造り、庭園として整備する事に決まった。
 キラマ(慶良間)の島から次々に来る若者たちが、掘っ立て小屋を建てて暮らしながら、奥間(うくま)のヤマンチュ(杣人)たちの指示に従って、赤木を伐り倒していた。炊き出しをしている娘たちもいて、新しい村ができたかのように賑やかだった。
 二月三日に旅から帰って来たファイテ(懐機の長男)とジルーク(浦添按司の三男)は各地を巡って、やるべき事は色々と見つかったが、最初にやるべき事は、「首里の城下の御門(うじょう)を造る事だ」と言った。明国(みんこく)の都は城壁で囲まれていて、入り口には立派な門がある。琉球の都に城壁は必要ないが、ここからが都だという印の御門は必要だ。琉球らしい御門を造ると言って、一徹平郎(いってつへいろう)たちと相談していた。
 ファイテとジルークは中山王(ちゅうざんおう)(思紹)に仕える事になって、島添大里(しましいうふざとぅ)から首里に引っ越しをした。ファイテの母のヂャンウェイ(張唯)も一人になってしまうので、一緒に移る事になった。ウニタキ(三星大親)の妻のチルーは無理に笑って、ヂャンウェイとミヨン(ファイテの妻、ウニタキの長女)を見送った。
 二月九日、首里グスクのお祭り(うまちー)が行なわれた。例年通り、北曲輪(にしくるわ)と西曲輪(いりくるわ)が開放されて、龍天閣(りゅうてぃんかく)も開放された。この日だけは思紹(ししょう)も龍天閣を出て、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)で暮らす事になっていた。
 お芝居はハルとシビーの新作『千代松(ちゅーまち)』だった。
 シジマが『志慶真(しじま)のウトゥタル』から聞いた話を元に台本を書き始めたが、『千代松』が今帰仁(なきじん)グスクを追い出されてから、二十二年後に今帰仁グスクを攻め取るまでの間、何をしていたのかよくわからなかった。
 ハルとシビーは安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)と一緒に浦添(うらしい)に行って、『ユードゥリ』と呼ばれている英祖(えいそ)のお墓に行った。浦添ヌルのカナのお陰で『ユードゥリ』は見違えるように綺麗になっていた。ガマ(洞窟)の入り口に立派な木戸があり、ガマの中で朽ち果てていた御殿(うどぅん)も再建されていた。御殿の中に華麗な厨子(ずし)があって、お祈りをすると機嫌のいい神様の声が聞こえた。
 安須森ヌルが千代松の事を聞くと、三代目の英慈(えいじ)が詳しく知っていて教えてくれた。
 潮平大主(すんじゃうふぬし)に連れられて今帰仁グスクから逃げた千代松は、叔父の北谷按司(ちゃたんあじ)を頼って北谷に逃げた。しかし、本部大主(むとぅぶうふぬし)の刺客(しかく)が現れて、身の危険を感じ、従兄(いとこ)の八重瀬按司(えーじあじ)(英慈)を頼って八重瀬に逃げた。伯父の浦添按司(うらしいあじ)(大成)と叔父の勝連按司(かちりんあじ)によって、本部大主の刺客たちは倒された。千代松は八重瀬の城下で、敵討(かたきう)ちのために武芸の稽古に励みながら成長した。
 十四歳の時、浦添按司の大成(たいせい)が亡くなって、英慈が浦添按司を継いだ。浦添按司は浦々を支配する按司で『世の主(ゆぬぬし)』と呼ばれ、中南部按司たちの上に立っていた。
 八重瀬で暮らしていた千代松は十八歳になって、英慈の娘を妻に迎えた。千代松は『世の主』の娘婿となり、『世の主』の力を借りれば、今帰仁攻めも夢ではなくなった。ところが翌年、英慈が急に亡くなってしまい、若按司が跡を継ぐべきなのに、玉グスクに婿(むこ)に入っていた若按司の弟の玉城(たまぐすく)が反乱を起こした。若按司を殺し、千代松がいた八重瀬にも攻めて来て、義兄の八重瀬按司も殺された。千代松は妻を連れて、叔父の勝連按司を頼って逃げた。
 四男だった玉城が兄たちを倒して『世の主』になったので、各地で戦(いくさ)が始まって、戦乱の世となってしまった。九年間、勝連で暮らしながら今帰仁の様子を探っていた千代松は、潮平大主の活躍で、かつての家臣たちを集め、従兄の勝連按司と義兄の北谷按司の援軍を借りて、今帰仁グスクを攻めた。見事に敵の本部大主を討ち取って、今帰仁按司になったのだった。
「千代松はわしの娘のマナビダルが選んだ男だけあって、素晴らしい奴じゃった。弟の玉城は兄の若按司を倒して浦添按司になったが、義兄の千代松には頭が上がらなかったんじゃよ。千代松は本当に賢い奴で、人望のある男じゃった。千代松が『世の主』だったと言ってもいいほど、千代松の力は強かったんじゃよ」
 安須森ヌルが神様から千代松の事を聞いてくれたお陰で、ハルとシビーの台本作りはうまく行って、年が明けると女子(いなぐ)サムレーたちの稽古が始まった。
 稽古は順調に行っていたが、ハルもシビーも何か物足りないと思っていた。二月になってササが若ヌルたちを連れて、お祭りの準備の手伝いにやって来た。千代松が本部大主に追い出された時、姉の今帰仁ヌルは本部大主の謀反(むほん)を察知して、千代松を逃がしたとササから聞いたハルとシビーは手を打って喜び、今帰仁ヌルの『カユ』を台本に書き加えた。武芸の達人のカユの登場によって、お芝居は格段と面白くなった。カユは千代松を逃がした時だけでなく、二十二年後に千代松が今帰仁を攻める時も鎧(よろい)を身に着けて活躍していた。
 お芝居『千代松』は大成功に終わり、観客たちの喝采はいつまでも続いた。
 ウニタキと一緒に帰って来た旅芸人たちは『ウナヂャラ』を演じた。『千代松』を観て感激した旅芸人たちは、今帰仁のお祭りに『千代松』を演じようと張り切っていた。
 西曲輪の舞台で『千代松』が上演されていた時、百浦添御殿では五度目の戦評定(いくさひょうじょう)が開かれていた。奥間炎上から二十日余りが経ったヤンバル(琉球北部)の状況がウニタキから説明された。
「真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)の活躍によって、国頭按司(くんじゃんあじ)、羽地按司(はにじあじ)、名護按司(なぐあじ)の山北王(さんほくおう)(攀安知)からの離反が決まりました」とウニタキは言った。
「なに、そいつは本当か」と思紹が驚いた顔でウニタキを見てから、皆の顔を見回した。
 皆がじっとウニタキを見つめていた。
「名護の松堂(まちどー)殿、国頭の喜如嘉(きざは)の長老、羽地の我部祖河(がぶしか)の長老が夫婦連れで、各按司の書状を持って、『まるずや』の船に乗って来ます」
「長老たちが来るのか」と思紹が満足そうにうなづいて、「よくやったぞ」とウニタキに言うと、皆もうなづき合って、ヤンバルの按司たちの寝返りを喜んだ。
「『まるずや』の船がまだヤンバルにいたのか」と思紹がウニタキに聞いた。
「去年の三月に山北王に貸した商品のお返しが載っています。湧川大主(わくがーうふぬし)が謹慎しているので、役人たちがもたもたしていて、やっと商品が揃ったのです。あまり急ぐと怪しまれるので、今月の半ば頃には浮島(那覇)に着くと思います」
「山北王に怪しまれてはいないのじゃな?」
「怪しまれないように、三人の按司たちは再三、山北王に奥間から兵を撤収するように頼んでいます。山北王は会ってはいないようですが。それに、中山王(ちゅうざんおう)から手に入れた明国の商品を親泊(うやどぅまい)で、ヤマトゥの商人たちと取り引きもしています。奥間の事で怒ってはいても、離反するなんて山北王は思ってもいないでしょう」
「離反するに当たって、按司たちは条件を出さなかったか」とサハチ(中山王世子、島添大里按司)がウニタキに聞いた。
「中山王に従えば、従者として進貢船(しんくんしん)に乗って明国に行けるし、以前のごとく、材木、米、ピトゥ(イルカ)の取り引きは続けると言ったら文句はないようでした。ただ、山北王を倒したあとの今帰仁按司の事ですが、名護按司と国頭按司は、『千代松』の血を引いている者になってほしいと言い、羽地按司はできれば、『帕尼芝(はにじ)』の血を引いた者も按司代として置いてほしいと言っていました」
「千代松の血を引いているといえば、伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司の一族じゃな」と思紹が言うと、
「マチルギが産んだ息子たちもです」とサハチが言った。
「初代の今帰仁ヌルだった『アキシノ様』に、マチルギの息子を今帰仁按司にすると約束しました」
「神様と約束したのなら守らなくてはならんな。サグルーを今帰仁按司にするか。サグルーも今年、二十七になった。サムレー大将のジルムイとマウシとシラーが一緒ならヤンバルを治める事ができるじゃろう。ジルムイもマウシも千代松の血を引いているからのう」
「ジルムイも今帰仁に送るのですか?」とマチルギが思紹に聞いた。
「サグルーが中山王になった時、ジルムイはサムレーたちの総大将になる事を願っている。一緒にいた方がいいじゃろう」
「帕尼芝の血を引いた者は誰かおるのか」とヒューガ(日向大親)が聞いた。
「南部にいるのは山南王(さんなんおう)の世子(せいし)になったミンだけじゃろう」と思紹が言った。
「山北王の若按司今帰仁に送るわけにはいかん。騒ぎの元になる」と苗代大親(なーしるうふや)が首を振った。
「マハニ(ンマムイの妻、攀安知の妹)さんとマナビー(チューマチの妻、攀安知の次女)も帕尼芝の血を引いています」とマチルギが言った。
「ンマムイ(兼グスク按司)の倅を送れば問題ないな」とサハチは言ったが、
「チューマチ夫婦を送るのが一番いいのではありませんか」とファイチ(懐機)が言った。
「チューマチ(ミーグスク大親)は千代松の血を引いていて、マナビーは帕尼芝の血を引いています」
「おお、そいつはいい考えじゃ」と思紹が言って、皆がファイチの意見に賛成した。
「その前にマナビーに今帰仁攻めを納得させるのが問題です」とマチルギが言って、溜め息をついた。
 ンマムイも納得させなければならないとサハチも思った。
「大変な事じゃが、その事はマチルギに任せるしかないな。今帰仁に知らせると言い出すかもしれん。説得するのはもう少し待ってくれ」と思紹が言った。
「ヤンバルの三人の按司たちには、チューマチ夫婦を今帰仁按司にすると伝えればいいのですか」とウニタキが思紹に聞いた。
「チューマチだけでは頼りないので、他の武将も付けると付け加えておいてくれ」
「わかりました。三人の長老たちですが、戦(いくさ)が終わるまで南部にいます。いわば人質です。真喜屋之子とキンタ(奥間大親)が恩納(うんな)と金武(きん)に向かっているので、恩納按司と金武按司の人質も連れて来る手筈になっています」
「東方(あがりかた)の按司たちと山南王(他魯毎)には戦の事をいつ知らせるんじゃ?」と苗代大親が思紹に聞いた。
「そうじゃのう。按司たちに知らせれば山北王にも伝わる。そうなると、山北王は今帰仁のお祭りを中止してしまうじゃろう。今帰仁のお祭りが終わってから知らせよう」
「三月二十五日に出陣命令を出して四月一日に出陣か。忙しいですな」
「なに、南部の按司たちは守りを固めて、南部にいる山北王の兵たちの動きを封じるだけじゃ。何とかなるじゃろう。ただ、中部の按司たちには山北王に気づかれないように、一月前には知らせておいた方がいいじゃろう」
 皆が思紹にうなづいたあと、安須森ヌルが、
「奥間の様子はどうなのですか」とウニタキに聞いた。
「国頭の『まるずや』から送っているし、按司たちも送っているので、食糧と物資は充分にある。避難生活は長引いているが、中山王が取り戻してくれる事を信じて、通常の生活に戻って来ている。奥間にいる諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)は裏山を整地して、グスクを築き始めた」
「焼け跡はそのままなの?」とササが聞いた。
「そのままだ。片付けるのは大変だが、今帰仁攻めが終わったら、みんなで片付ければすぐに終わるだろう」
「湧川大主の動きはないのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「本人は動いていない。今帰仁にも行っていない。鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めで傷ついた武装船の修理をしていて、時々、武装船に乗って気晴らしをしているようだ」
「山北王も動きはないのか」
「奥間を攻める前に、沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)から帰って来てからグスクを出た様子はないんだ。ただ、義弟の愛宕之子(あたぐぬしぃ)に南部の様子を調べさせている。愛宕之子はヤマトゥに帰ったがアタグ(愛宕)と言う山伏の倅で、山北王の妹を妻に迎えているんだ。親父に仕込まれて山伏の修行をしたのか、足の速い奴で、今帰仁から首里まで一日で行ってしまうそうだ。今、南部をうろうろしている。中山王が山北王を攻めるかどうかを探っているのだろう。庶民の格好をしているが、なぜか、赤い手拭い(てぃさーじ)を首に巻いている。赤い手拭いを首に巻いた奴に出会ったら気を付けた方がいい」
「ちゃんと見張っているんだな?」
「見張ってはいるんだが、時々、見失ってしまうそうだ」
 サハチにそう言ってから、ウニタキは思紹を見た。
「三人の長老たちですが、中山王は会わない方がいいと思います。愛宕之子や『油屋』の者たちが動きを見張っているでしょう。首里見物をして、島尻大里(しまじりうふざとぅ)に行って仲尾大主(なこーうふぬし)と会ったあとは、マナビーがいるミーグスクに滞在する事になるでしょう。サハチを通して書状のやりとりをした方がいいと思います」
「わかった。そうしよう」と思紹はうなづいた。
「今、思い出したんじゃが、喜如嘉の長老というのは水軍の大将だった男ではないのか」と苗代大親がウニタキに聞いた。
「そうです。知っているのですか」
「昔、一緒に飲んだ事があるんじゃよ」と苗代大親が言ったので、皆が驚いていた。
「ヤンバルの水軍の大将が佐敷に来たのか」と思紹が聞いた。
 苗代大親はうなづいた。
「あれは大(うふ)グスクの戦が終わったあとじゃった。わしが内原之子(うちばるぬしぃ)を倒したという噂を聞いて会いに来たらしい。明国に送る山北王の使者を浮島まで送って来たんじゃが、夏まで帰れないと言っていた。『前田の棍(めーだぬくん)』とか『白樽の棍(しらたるぬくん)』とか知っていて、一緒に飲んで武芸の話をしたんじゃよ。来年、また来ると言って別れたんじゃが、結局、一度会っただけじゃった」
「ほう、そんな事があったとは知らなかった」
「あの頃の兄貴は大グスク按司になったシタルー(先代山南王)の事で頭を悩ませていたから、いちいち言う事でもあるまいと思って言わなかったんじゃよ。何年振りじゃろう。三十年か。会うのが楽しみじゃ」
「そういえば、苗代大親殿は真喜屋之子を知っているのではありませんか」とウニタキが聞いた。
「奴は十八の時、美里之子(んざとぅぬしぃ)の道場に一年余り通っていました」
「何じゃと?」と苗代大親と思紹が同時に言ってウニタキを見た。
「奴は佐敷で修行したお陰で、進貢船のサムレーになったんです。サミガー大主の離れに滞在して、カマンタ(エイ)捕りをしながら道場に通っていたようです。当時はジルーと名乗っていたと思います」
「それはいつの事なんじゃ?」
「ファイチが琉球に来た頃です」とサハチが言った。
「奴はリュウイン(劉瑛)の弟子だったので、明国の武芸を身に付けていたはずです」とウニタキが言ったら、
「おう、思い出したぞ」と苗代大親は言った。
「奇妙な太刀さばきをする奴がいた。確かにジルーという奴だった。あいつが真喜屋之子だったのか」
 苗代大親は思紹に説明したが、思紹は思い出せないようだった。
 首里のお祭りにはンマムイ夫婦もチューマチ夫婦も来ていたが、今帰仁攻めを内緒にしているのが辛かった。
 二月十一日、浦添グスクでジルークと女子(いなぐ)サムレーのミカの婚礼が行なわれた。ジルークは大げさな婚礼はいらないと言ったが、父親の浦添按司は三男のジルークを自慢して、みんなに紹介したかった。明国に留学していた秀才の婚礼だと、浦添城下はお祭りのような騒ぎとなって、ジルーク夫婦を祝福した。従弟の婚礼なので、サハチもマチルギと一緒に参加した。
 ファイテとミヨンの婚礼も首里グスクで盛大に行なおうとの話も出たが、二人は遠慮した。実際に奥間に行って苦労している避難民たちを見てきた二人は、奥間の人たちが村に戻れるまでは延期すると言った。二人の父親のファイチとウニタキもその方がいいだろうと納得した。
 十五日には平田グスクで平田按司の長男のサングルーと垣花按司(かきぬはなあじ)の長女のマフイの婚礼が行なわれ、サハチはマチルギと一緒に平田に行って祝福した。
 平田ヌルと一緒に須久名森(すくなむい)ヌルのタミーも婚礼の儀式を執り行なっていた。ヌルの格好をしたタミーを久し振りに見たサハチは、その神々しさに驚き、キラマ(慶良間)の島で見たタミーとは別人のようだと感じた。
 その翌日、島添大里にいたサハチのもとに、ヤンバルの長老たちが浮島に着いたと知らせが入った。迎えに行きたかったがウニタキに任せて、島添大里に来るのを待った。
 翌日の正午(ひる)前に長老たちはウニタキに連れられてやって来た。松堂夫婦と喜如嘉の長老夫婦、我部祖河の長老夫婦と『油屋』のウクヌドー(奥堂)夫婦も一緒にいた。クチャ(名護按司の妹)とスミ(松堂の孫娘)も一緒にいて、御隠居(ぐいんちゅ)様たちの護衛役ですと言って笑った。
 ウクヌドーの正妻は今帰仁にいるので、連れて来たのは側室で、ユラの母親だった。ユラの母親は、娘が大変お世話になったとサハチにお礼を言った。ウクヌドーは今年の正月、首里の店の主人を次男に譲って隠居したという。
 松堂夫婦は、また来ましたと言って笑った。
 サハチは長老たちを一の曲輪(くるわ)の屋敷に連れて行って、昼食を御馳走した。
 喜如嘉の長老の事はウニタキから聞いているので、水軍の大将だった事は知っているが、我部祖河の長老の事は何も知らなかった。二人とも武将らしい面構えで、二十五年前の今帰仁合戦の時に活躍したのかもしれないとサハチは思った。
 話を聞いて、我部祖河の長老が羽地のサムレーたちの総大将を務めていた事がわかった。去年の暮れ、鬼界島攻めに行っていた倅の我部祖河之子(がぶしかぬしぃ)が帰って来た。十六人も戦死したと聞いて、責任を取って総大将を辞任したという。妻が喜如嘉の長老の妹なので、喜如嘉の長老の義弟だった。そして、我部祖河の長老の姉が松堂の妻のシヅなので、松堂の義弟でもあった。
 食事が済んで、サハチは長老たちをミーグスクに連れて行って、マナビーと会わせた。マナビーは喜如嘉の長老との再会を喜んでいた。
 喜如嘉の長老の孫娘のサラとナコータルーの娘のマルとマナビーの三人は幼馴染みで仲がよく、一緒に武芸の稽古に励んだ仲だった。三人で馬を飛ばして国頭まで行って、喜如嘉の長老のお世話になっていた。水軍の船に乗って沖の郡島に行ったのは、今でも鮮明に覚えている楽しい思い出だった。
 驚いた事にミーグスクを守っている山北王の兵たちの大将の呉我大主(ぐがーうふぬし)は我部祖河の長老の息子だった。突然、両親がやって来たので呆然としていた。
「隠居したので、孫たちに会いに来たんじゃよ」と我部祖河の長老は笑った。
 長老たちと別れて、サハチが島添大里グスクに戻ると、ウニタキが改築したばかりの物見櫓(ものみやぐら)の上で待っていた。
 サハチが登ると、
「前より高くなったんじゃないのか」と景色を眺めながらウニタキは言った。
「ナコータルーがいい丸太を用意してくれたからな。前より立派な物見櫓になった」
 ウニタキは笑うと、「三人の按司たちの書状は俺が預かっている」と言った。
「お前に直接渡す予定だったんだが、油屋夫婦が急に一緒に行く事になって、もしもの事を考えて俺に預けたんだ」
「油屋は何も知らないんだな?」
「知らない。仲よくやっているが、長老たちも油屋は敵だと心得ている。返って、油屋夫婦が一緒にいた方が山北王も怪しまんだろう」
「そうだな。油屋にも今帰仁のお祭りが終わったら、寝返ってもらわなければならんからな」
「ユラを無事に連れて帰れば寝返るだろう」
「三人の按司たちを寝返らせたのは、真喜屋之子の活躍だったのか」
「俺もまだ詳しい話は聞いていないんだ。奴もそろそろ来るだろう。今晩は奴の手柄話を肴(さかな)に一杯やろうぜ」
「楽しみだな」
「おい、ササたちが来たぞ」
 サハチが下を見るとササたちが若ヌルたちを連れて、ぞろぞろとやって来た。
「若ヌルが増えたんじゃないのか」
「そのようだな」とサハチは笑った。
 サハチとウニタキが下に下りると、
「新しくなったのね」と言って、ササは物見櫓に登り始めた。
 シンシンとナナもササのあとを追った。若ヌルたちも登ろうとしたので、
「あなたたちはお師匠たちが下りてきてからよ」と玻名(はな)グスクヌルが止めた。
「何人まで登れます?」と玻名グスクヌルはサハチに聞いた。
「四人。若ヌルたちなら五人は大丈夫だろう」
 ササに似て、みんな、高い所が好きなようだ。羨ましそうな顔をして上を見上げていた。
「あれ、お前はサムの娘のマカトゥダルじゃないのか」とウニタキが娘を見ながら言った。
「お久し振りです」とマカトゥダルはサハチとウニタキに頭を下げた。
「ヌルになったのか」とウニタキが聞くと、
「勝連ヌル(ウニタキの姉)様の指導を受けてヌルになったのですが、まだ修行が足りないと気づいて、ササ姉(ねえ)の弟子になったのです」
「なに、お前もササの弟子なのか」とサハチは驚いた。
「中グスクのマチルー姉さんもササ姉の弟子になったんですよ。でも、お祭りがあるので、お祭りが終わってから修行をするのです」
「なに、中グスクヌルもか」とサハチはまた驚いた。
 中グスクのマチルーは若ヌルではなく、一人前のヌルだった。それなのにササの弟子になるなんて信じられない事だった。
「お久し振りです」と知らない娘がサハチを見て笑った。
 その目に見覚えがあった。サハチは思い出した。
「以前、馬天(ばてぃん)ヌルと一緒に旅をした若ヌルだな。見違えたよ。すっかり大人になったな」
 サハチが覚えていてくれたので、タマは嬉しそうに、
「東松田(あがりまちだ)の若ヌルのタマです」と名乗った。
 物見櫓から下りてきたササたちが、サハチとタマを見ながらニヤニヤしていた。
 サハチがマレビト神だと言った事を酔っ払ったタマは覚えていなかった。ササたちは聞かなかった振りをしていた。
 チチー(八重瀬若ヌル)、ウミ(運玉森若ヌル)、ミミ(手登根若ヌル)、マサキ(兼グスク若ヌル)の四人が物見櫓に登って行った。
「お祭りの準備を手伝いに来たのか」とサハチはササに聞いた。
「もうすぐ、『屋賀(やが)ヌル』が来るはずなの」
「屋賀ヌル?」とサハチは首を傾げた。
 聞いた事もないヌルだった。
「タマは先に起こる事が見えるのよ。屋賀ヌルが島添大里に来る事を知って、運玉森(うんたまむい)までやって来たのよ。それで、一緒に来たというわけよ」
「その屋賀ヌルというのは、どこのヌルなんだ?」
「金武の近くみたい」
「金武のヌルがどうして、ここに来るんだ?」
 ササは首を傾げて、「恩納ヌルも一緒にいるみたい」と言った。
 それを聞いて、サハチは納得した。恩納も金武も初代の按司なので、人質に送る長老はいなかった。それで、ヌルたちを送ったのだろうと思った。
「金武の屋賀ヌルに何か用があるのか」
「タマが神様の事で話があるみたい」
「そうか。神様の事はお前たちに任せるよ」
「マカトゥダル以外にも弟子が増えたようだな」とウニタキがササに言った。
「沢岻(たくし)ヌルを継ぐキラと宇座(うーじゃ)ヌルを継ぐクトゥよ」
「宇座ヌル?」とサハチは知らない娘を見た。
「宇座按司様のお孫さんよ」
「ほう」と言ってサハチは若ヌルたちを見て、一緒にいる玻名グスクヌルに、
「みんなの面倒、よろしくお願いします」と頼んだ。
「わたしはみんなの母親代わりです」と玻名グスクヌルは笑った。
 玻名グスクヌルもササと一緒に旅をして、すっかり変わっていた。敵(かたき)だと言ってサハチを睨んでいた頃とは、顔付きまでも変わったようだった。
 物見櫓の上では若ヌルたちが楽しそうにキャーキャー騒いでいた。
 娘たちの剣術の稽古が始まる頃、真喜屋之子とキンタが恩納ヌルと屋賀ヌルを連れて来た。二人とも娘を連れていて、恩納ヌルの娘の父親は恩納按司、屋賀ヌルの娘の父親は金武按司だという。
 ヌルたちを安須森ヌルに預けて、キンタと真喜屋之子はサハチとウニタキに会いに一の曲輪に行った。
 若ヌルたちは集まって来た娘たちと一緒に修行をさせて、安須森ヌル、サスカサ(島添大里ヌル)、ササ、シンシン、ナナ、タマは恩納ヌルと屋賀ヌルに会った。
 二人とも三十前後で、屋賀ヌルの娘のパリーは九歳、恩納ヌルの娘のチマは七歳だった。ナツが子供たちを連れて来たので、二人の娘はナツに預けた。
 恩納ヌルは安須森参詣に参加していたので、安須森ヌルは知っていたが、屋賀ヌルは初めて見るヌルだった。タマから話を聞いて、屋賀ヌルはシネリキヨのヌルだから安須森参詣はしないという事はわかったが、シネリキヨのヌルが金武にいたなんて驚きだった。
 タマが自分もシネリキヨのヌルで、『スムチナムイ』に参詣に行った事を告げると、屋賀ヌルは驚いた顔をしてタマを見た。
「玉グスクヌル様を御存じなのですね?」と屋賀ヌルはタマに聞いた。
 タマはうなづいた。
「玉グスクヌル様の案内で、スムチナムイに登って神様の声も聞きました」
「そうでしたか。スムチナムイを参詣したヌルが南部にもいたなんて驚きました」
「わたしは読谷山(ゆんたんじゃ)のヌルです。御先祖様は屋良(やら)ヌルだったようです」
「読谷山でしたか。読谷山なら屋賀(屋嘉)とも近いですね。御先祖様は同じかもしれませんね」
「あなたは屋賀ヌル様の娘さんなのですか」
 屋賀ヌルは首を振った。
「わたしが生まれた時、屋賀ヌルはいませんでした。遙か昔に絶えたと聞いています。わたしは十二歳の時に神懸かりになりました。屋賀からスムチナムイまでどうやって行ったのか覚えていませんが、気がついたらスムチナムイにいて、玉グスクヌル様と会っていたのです。玉グスクヌル様は神様のお告げがあったので、お前をヌルに育てなければならないと言いました。わたしは五年間、玉グスクヌル様のもとで修行を積みました。五歳年上の若ヌルのユカ様がいて、一緒に厳しい修行をした事もあります。今はユカ様が玉グスクヌルを継いでいます。十七歳になったわたしは一人前のヌルになって、絶えていた屋賀ヌルを継いで、村に帰りました。わたしは神隠しに遭って死んだ事になっていました。わたしの姿を見た両親は、夢でも見ているのかと喜んでくれました。屋賀にある『ユリブサヌウタキ』でお祈りをしたら、神様の声が聞こえて、わたしがその神様に導かれて、スムチナムイに行った事がわかりました。神様はずっと昔の屋賀ヌル様でした。わたしは屋賀ヌルの神様にお仕えして、年に一度はスムチナムイに参詣しました。二十三歳の時に今帰仁から金武按司様が来て、金武にグスクを築きました。馬に乗って屋賀に来た金武按司様と出会い、わたしたちは結ばれて娘を授かったのです。今回、金武按司様から理由は聞かずに、恩納ヌルと一緒に南部に行ってくれと言われました。わたしは神様に伺いました。神様は、『行って来い。お前のためになる』とおっしゃいました。このグスクに入った途端、凄い気を感じました。凄いと言っても、とても心地のいい気です。このグスクに古いウタキ(御嶽)があるのですか」
「あります。『月の神様』を祀るウタキがあります」とサスカサが言った。
「月の神様ですか‥‥‥わたしがお祈りしても大丈夫でしょうか」
 サスカサはササと安須森ヌルを見た。
「大丈夫よ」と安須森ヌルが言った。
「今日は十七日だから、日が暮れてからそれほど経たないうちにお月様は出て来るでしょう。そしたらウタキに入ってお祈りしましょう」
 東の空に月が出て、安須森ヌル、サスカサ、ササ、シンシン、ナナ、タマ、屋賀ヌル、恩納ヌルは一の曲輪内のウタキに入ってお祈りをした。
瀬織津姫(せおりつひめ)様はお祖父様(スサノオ)と一緒に帰って行ったわ」と『ギリムイ姫』の声が聞こえた。
「まだいらっしゃったのですか」とササは驚いた。
「南の島(ふぇーぬしま)まで行ってきたらしいわ。『ヤキー退治』はうまく行ったって、ササに伝えてくれってお祖父様が言っていたわよ」
「そうでしたか。よかった」
 スサノオがイシャナギ島(石垣島)のヤキー(マラリア)を退治したのは、一年半前の事だった。ウムトゥ姫とマッサビ(於茂登岳のフーツカサ)が喜んでいるだろうとササは安心した。
「サラスワティ様は南の島から帰って行ったようだけど、ビンダキ(弁ヶ岳)の弁才天堂の落慶供養には来るって言っていたらしいわ」
 サラスワティから大陸の神様に、『コモキナ』という神様がいるか聞くのを忘れていた事にササは気づいた。ビンダキに来た時に必ず聞かなければならないと肝に銘じた。
「ギリムイ姫様はヤンバルにある『スムチナムイ』というウタキを御存じですか」
「シネリキヨの聖地でしょ。昔は誰でも入れたんだけど、ウタキを荒らされてからシネリキヨのヌルしか入れなくなったって、母から聞いた事があるわ」
「ウタキが荒らされたのですか」
「詳しい事はわからないけど、埋めてあった『コモキナ様』の遺品が盗まれたらしいわ。この前もマシューからコモキナ様の事を聞かれたわよ」
「えっ?」とササは安須森ヌルを見た。
「マシュー姉(ねえ)もコモキナ様を調べていたの?」
「ミントゥングスクのシネリキヨ様が『コモキナ』って言っていたのよ。意味がわからなかったので、ギリムイ姫様に聞いたのよ」
「えっ! マシュー姉はミントゥングスクのシネリキヨ様の言葉がわかったの?」とササが驚いた顔で、安須森ヌルに聞いた。
「『アマミキヨ』の台本を書くために、何度もミントゥングスクに通ったのよ。アマミキヨ様の言葉は全然わからないけど、シネリキヨ様の言葉は少しわかったの。『コモキナ』『ネノパ』『ピャンナ』『ムマノパ』という四つの言葉が何となく聞き取れたのよ。『ネノパ』は『子(ね)の方』だから『北(にし)』の事でしょ。『ムマノパ』は『午(んま)の方』だから『南(ふぇー)』でしょ。『ピャンナ』は『百名』の事だと思うのよ。でも、『コモキナ』が何の事だかわからなかったの。ギリムイ姫様から教わって、『コモキナ』がスムチナムイの神様だってわかったので、『コモキナ』が北から来て、『ピャンナ』が南から来たって言いたかったのかしらって思ったのよ。それで、『コモキナ』と『ピャンナ』は二人のお名前かもしれないって思ったわ。アマミキヨ様が『ピャンナ』で、シネリキヨ様が『コモキナ』じゃないかしらってね」
「それが正解かもしれないわよ」とギリムイ姫が言った。
「『浜川ウタキ』から『ミントゥングスク』までの一帯は、確かに『ピャンナ』って呼ばれていたわ。でも、そのいわれは誰も知らなかったの。アマミキヨ様のお名前だったのかもしれないわね」
「『コモキナ』がシネリキヨ様のお名前だとしたら、スムチナムイはシネリキヨ様の生まれ故郷(うまりじま)だったのかもしれないわ」とササが言った。
「スムチナムイに行かなければならないわね」とシンシンが言った。
「あたしたちが行っても、ウタキには入れないんじゃないの」とナナが言うと、
「屋賀ヌルなら入れます」とタマが言った。
 皆が屋賀ヌルを見た。
「それで、あなたは屋賀ヌルに会いに来たのね」とササたちは納得した。
 屋賀ヌルはギリムイ姫から『月の神様』の事を聞いた。月の神様がここに祀られたのは、ギリムイ姫がここに来るずっと前の事なので、誰が祀ったのかわからないと言った。
「月の神様は満月の時に降りていらっしゃるわ。その時にまたいらっしゃい」
 ササたちはギリムイ姫にお礼を言って、お祈りを終えた。
「わたしには神様の声は聞こえなかったわ」と恩納ヌルが寂しそうに言った。
「大丈夫ですよ。時が来れば聞こえるようになります」と屋賀ヌルが励ました。
 その夜、ミーグスクで長老たちと恩納ヌル母子、屋賀ヌル母子の歓迎の宴(うたげ)が開かれて、お祭りの準備をしていた安須森ヌル、サスカサ、ユリ、ハル、シビー、マグルー夫婦、そして、ササたちも加わって、楽しい酒盛りとなった。

 

 

 

泡盛 北谷長老酒造 北谷長老 13年古酒 43度 720ml

2-223.大禅寺(改訂決定稿)

 二月一日、ジクー寺の落慶供養(らっけいくよう)が行なわれ、ジクー(慈空)禅師によって、『大禅寺(だいぜんじ)』と名付けられた。
 龍の彫刻がいくつもある立派な山門に、ジクー禅師が書いた『大禅寺』という扁額(へんがく)が掲げられ、本堂には新助が彫った釈迦如来(しゃかにょらい)像が本尊として祀られた。境内には法堂、庫裏(くり)、僧坊があり、『漢陽院(かんよういん)』という朝鮮(チョソン)交易の拠点もあった。
 鐘撞(かねつ)き堂もあって、子供たちが楽しそうに鐘を撞いていた。去年の正月に琉球に来た鋳物師(いもじ)の三吉が造った梵鐘(ぼんしょう)で、あまり大きくはないが、いい音が響き渡っていた。
 首里(すい)の城下の入り口に立派なお寺ができたので、城下の人たちも喜んで、鐘の音に誘われて大勢集まって来た。
 お寺なんかいらないと言っていたジクー禅師も、ヤマトゥ(日本)と朝鮮の交易の拠点として、浮島の久米村(くみむら)に負けないように頑張ろうと張り切っていた。覚林坊(かくりんぼう)と福寿坊(ふくじゅぼう)は今、旅に出ているが、とりあえずは、ここの僧坊を山伏の拠点にしてもらおうとサハチは思っていた。
 次に造るのは熊野権現(くまのごんげん)を祀った山伏のお寺だが、まだ場所は決めていなかった。去年の暮れから正月に掛けて、一徹平郎(いってつへいろう)たちはビンダキ(弁ヶ岳)の山頂に『弁才天堂(びんざいてぃんどー)』を造っていて、それも完成した。覚林坊たちが帰って来たら落慶供養をするつもりだった。弁才天堂には思紹(ししょう)(中山王)が彫った弁才天像と役行者(えんのぎょうじゃ)像も祀るので、ビンダキの裾野に山伏のお寺を建てようかとも考えていた。


 その頃、ササ(運玉森ヌル)たちは若ヌルたちを引き連れて、首里グスク内のキーヌウチ(後の京の内)で、馬天(ばてぃん)ヌルが造った『真玉添姫(まだんすいひめ)』のウタキ(御嶽)の前でお祈りを捧げていた。
「母(アマン姫)に呼ばれてセーファウタキ(斎場御嶽)に行って、『瀬織津姫(せおりつひめ)様』と会って来たわ」と真玉添姫の声が聞こえた。
「姉の玉グスク姫から、『アマツヅウタキ』に埋まっていた『瀬織津姫様のガーラダマ(勾玉)』をあなたが譲り受けたって聞いたわよ。あなた、瀬織津姫様の跡継ぎになったのね」
瀬織津姫様の跡継ぎとはどういう意味なのですか」とササは真玉添姫に聞いた。
「わたしにもわからないわ。でも、あなたの名前が琉球中の神様に知れ渡った事は確かだわね」
「シネリキヨの神様にもですか」
「シネリキヨの神様?」
「はい。最近、シネリキヨの一族の事を知りました。琉球を統一するにはシネリキヨの神様も味方にしなければなりません」
「確かにシネリキヨの神様を祀っているシネリキヨのヌルもいるわね。シネリキヨの神様たちは瀬織津姫様に会いに来なかったわ。古い神様から聞いたんだけど、アマミキヨ様が琉球に来た頃は、シネリキヨだけじゃなくて、色々な人たちが各地に住んでいたらしいわ。でも、皆、同じ言葉をしゃべっていたみたい。アマミキヨの人たちも交易のために、その言葉を覚えたのよ」
「その言葉というのは、今の琉球の言葉と同じなのですか」
「多少は違うと思うけど、元になっている言葉だと思うわ。詳しい事はよくわからないけど、アマミキヨ様が琉球に来る五百年くらい前に、北(にし)から『矢の根石(やぬにーいし)(黒曜石)』を持った人たちがやって来て、矢の根石を手に入れるために、北から来た人たちの言葉をみんなが使うようになったらしいわ。まだ、ヤマトゥという国はなかったけど、ヤマトゥの方から来た人たちでしょう。のちに『倭人(わじん)』と呼ばれるようになるんだけど、倭人の言葉を話す人たちは琉球から奄美の島々、ヤマトゥ一帯、朝鮮(チョソン)の南部、大陸の海岸地域まで及んでいたの。アマミキヨの子孫たちも倭人の言葉を覚えて、倭人たちの世界に入って行ったのよ」
「同じ言葉をしゃべっていたから、瀬織津姫様は交易のためにヤマトゥに行ったのですね」
「そういう事よ。瀬織津姫様がヤマトゥに行ってから、ヤマトゥとの交易が盛んになって、『翡翠(ひすい)のガーラダマ』や『矢の根石』を持っているアマミキヨの女たちは、あちこちの村から首長になってくれって誘いが掛かるのよ。やがて、その首長がヌルになるんだけど、ほとんどの村がアマミキヨのヌルだったわ。わたしが真玉添の都を造ったのは、ヤマトゥとの交易で手に入れた翡翠のガーラダマをヌルたちに配るためだったの。瀬織津姫様が始めた交易は、なぜだかわからないんだけど、百年くらいで終わってしまったらしいわ。四百年近く経って、お祖父(じい)様(スサノオ)がやって来て、交易が再開するのよ。ヌルたちも古いガーラダマを大切に使っていたから、みんなが新しいガーラダマを欲しがっていたのよ」
「真玉添でガーラダマをヌルたちに配っていたのですか」
「そうなのよ。お陰で、どこに何というヌルがいるという事がわかって、真玉添はヌルたちを管理する事ができたのよ。管理するといっても、真玉添のヌルが偉いという意味じゃないのよ。ヌルたちは皆、平等というのが真玉添の決まりだったのよ」
「シネリキヨのヌルたちにも配ったのですか」
「勿論、配ったわよ。南部にはシネリキヨのヌルはそんなにいなかったけど、中部や北部には多かったわ。シネリキヨのヌルたちは皆、シネリキヨの子孫だという事に誇りを持っていたわ」
「美浜(んばま)ヌルと沢岻(たくし)ヌルもいたのですね?」
「いたわ。中部では他に、勝連(かちりん)ヌル、越来(ぐいく)ヌル、北谷(ちゃたん)ヌル、屋良(やら)ヌルもそうだったわ。北部ではスムチナムイヌル、志慶真森(しじまむい)ヌル、羽地(はにじ)ヌル、国頭(くんじゃん)ヌルがいたわ。北部のヌルたちはヤマトゥから来た今帰仁按司(なきじんあじ)の一族と一緒になっているから、今はもうシネリキヨではなくなっているでしょう。玉グスクヌルと名前を変えたスムチナムイヌルが残っているだけじゃないかしら」
「『スムチナムイ』は古いウタキなのですね」
「『安須森(あしむい)』よりもずっと古いって、スムチナムイヌルは自慢していたわ。アマミキヨのヌルたちが安須森に参詣したように、シネリキヨのヌルたちはスムチナムイに参詣していたらしいわ。今はどうだか知らないけど、昔はアマミキヨのヌルはスムチナムイには入れなかったわ」
「今もそのようです。母はウタキ巡りの旅で、ヤンバル(琉球北部)の玉グスクに行きましたが、玉グスクヌルはスムチナムイの事は何一つ教えてくれなかったそうです」
「あら、未だに、そんな事をしているの」
アマミキヨの人たちは女首長に率いられて琉球に来たので、女首長がアマミキヨ様として崇められています。シネリキヨの人たちはバラバラにこの島に来て、何人も首長がいたようですけど、共通の神様はいるのですか」
「『スムチナ』という女神らしいわ。昔は『コモキナ』って言っていたのよ。大陸にいた頃の神様らしいわ」
「『コモキナ』って神様の名前だったのですか」
 大陸の神様ならサラスワティ様が知っているかもしれないとササは思った。
 何か聞きたい事はある?といった顔で、ササはシンシン(杏杏)とナナを見た。
「スムチナムイにも按司がいたのですか」とナナが聞いた。
「初代の今帰仁按司の息子が羽地にグスクを築いて羽地按司になった頃、スムチナムイヌルの息子も按司を名乗って、グスクを築こうとしたんだけど、羽地按司の姉の『勢理客(じっちゃく)ヌル』に止められたらしいわ。勢理客ヌルは弓矢の名人で剣術も強かったのよ。自分の事を棚に上げて、スムチナムイヌルに、ヌルはヌルらしくしていなさいって言ったらしいわ。勢理客ヌルは太刀(たち)を佩(は)いたヌルだって有名だったのよ。そのヌルが、ヌルはヌルらしくしなさいって言ったものだから、セーファウタキ(斎場御嶽)にも伝わって、みんなが大笑いしていたわ。真玉添が滅ぼされたあと、セーファウタキにヌルたちは集まっていたのよ。でも、もう按司の時代になっていたから、真玉添のようにヌルたちの都になる事はなかったわ。お祖母様(豊玉姫)を祀る聖地として定期的に集まっていたの。その後、英祖(えいそ)の次男が沢岻の若ヌルを連れて、スムチナムイヌルを訪ねたの。スムチナムイヌルの案内で、アフリ川(大井川)を遡(さかのぼ)って行って、グスクを築く場所を決めたのよ。豊富な水が出ている湧泉(わくがー)があって、『湧川(わくがー)グスク(シイナグスク)』と名付けて、『湧川按司』を名乗ったの。スムチナムイヌルの娘の若ヌルが湧川按司の側室になって、息子を産んだのよ。湧川按司は大喜びして、息子のために立派なグスクをスムチナ村に築いたの。でも、息子は十歳で亡くなってしまったわ。グスクは玉グスクと名付けられて、スムチナムイヌルの弟が玉グスク按司になろうとしたけど、今帰仁按司になった湧川按司から、だめだって言われて、玉グスクが地名として残ったけど、結局、按司は生まれなかったのよ」
「志慶真森はシネリキヨのウタキだったけど、近くにあるクボーヌムイ(クボー御嶽)もそうだったのですか」とシンシンが聞いた。
「クボーヌムイはアマミキヨよ。瀬織津姫様の妹の知念姫(ちにんひめ)様の孫娘が『安須森姫』になって、安須森姫様の娘が『クボーヌムイ姫』になってクボーヌムイに来たのよ。ササが瀬織津姫様を探してくれたお陰で、古い事が色々とわかったのよ。安須森とクボーヌムイはつながりがあるのだろうとは思っていたけど、詳しい事はわからなかったの。ササにはみんなが感謝しているわ。ありがとう」
瀬織津姫様と出会えたのは、神様たちが守っていてくれたお陰です。わたしはやるべき事をやっただけです。話を戻しますが、クボーヌムイに安須森姫様の娘さんが来て、争いは起きなかったのですか」
「争いなんて起きないわ。わたしの頃もそうだったけど、アマミキヨとシネリキヨが争った事はないわ。仲良くやっていたのよ。シネリキヨは稲を作っていたから一カ所に落ち着いていたけど、アマミキヨはお舟に乗って移動する人たちだから、あちこちに行って子孫を増やしたの。あちこちでアマミキヨとシネリキヨの混血が続いて、誰がアマミキヨで、誰がシネリキヨなのかわからなくなっていたのよ。山奥で暮らしていたシネリキヨだけが未だに残っているんじゃないかしら」
 ササたちは真玉添姫にお礼を言って、お祈りを終えた。
「本部大主(むとぅぶうふぬし)の娘の『アビー様』を止めさせるには、アビー様よりも古い神様に会わなければならないわ」とササは言った。
「スムチナムイに行くつもりなの?」とシンシンがササに聞いた。
「行ってもわたしたちには神様の声は聞こえないわ。タマ(東松田若ヌル)とマサキ(兼グスク若ヌル)を連れて行ったとしても、アビー様の声が聞こえるだけだわ。きっと、アビー様が古い神様に会わせないようにしているのよ」
「アビー様は今帰仁ヌルだったんでしょ。アビー様の前の今帰仁ヌルは誰だったの?」とナナが誰にともなく聞いた。
「本部大主は幼い千代松(ちゅーまち)を追い出して今帰仁按司になったんだから、その時の今帰仁ヌルよ」とササが言った。
「すると、千代松のお姉さんね」とナナが言うと、
「ちょっと待って」とシンシンが思い出そうとしていた。
「確か、湧川按司が連れて行った沢岻の若ヌルが産んだ娘が、今帰仁ヌルになったはずよ」とササが言った。
「そうよ」とシンシンがうなづいた。
「でも、その今帰仁ヌルは本部大主に追い出されたんじゃないの」とナナが言った。
「その辺の所はわからないわね。誰に聞いたらいいのかしら?」とササが言うと、
「沢岻ヌル様かしら」とシンシンが言って、
「志慶真(しじま)のウトゥタル様も知っているんじゃないの」とナナが言った。
今帰仁ヌルの事ならアキシノ様も知っているはずだわ」とシンシンが言った。
「一番近いのは沢岻ね」とササは笑った。
 首里グスクを出て、城下の大通りを西に進んだ。初めて首里に来たキラとクトゥは何を見ても目を丸くして驚いていた。『まるずや』の先を右に曲がると浦添(うらしい)に続く道だった。
 沢岻は首里浦添の中程にあって、半時(はんとき)(一時間)ほどで着いた。キラは沢岻と首里があまりにも近いのに驚いていた。
 ササたちがキラを連れてやって来たので村の人たちは驚いた。キラが何か粗相(そそう)でもしたのかと心配して、沢岻大主も慌ててやって来た。
「神様に聞きたい事があったので、また来たのです」と言ったら、皆が安心してササたちを迎えた。
 ウタキに行ってお祈りをすると前回と同じ沢岻ヌルの声が聞こえた。ササが湧川按司と一緒にヤンバルに行った沢岻ヌルの事を聞くと、
「『イナ』はこの村を再興したヌルとして祀られているわよ。東に五間(けん)(約十メートル)ほど行った所にウタキがあるわ」と教えてくれた。
 沢岻ヌルにお礼を言って、そのウタキに行こうとしたが道がなかった。ササたちは島添大里(しましいうふざとぅ)の『まるずや』で手に入れた山刀(やまなじ)を刀の代わりに腰に差していたので、
「さっそく出番がやって来たわね」と山刀で草を刈りながら進んだ。
「これだわ!」と見つけたのはマサキだった。
「神様の声が聞こえたの?」とササが聞くと、マサキはうなづいた。
「あなたの御先祖様だから、あなたにしか聞こえないかもしれないわね。もし、そうだったら、頼むわよ」
 マサキは真剣な顔をして、ササにうなづいた。
 ウタキの周りを綺麗にして、お祈りを捧げると、
「あなたたちの事は御先祖様から聞いたわ」という神様の声が聞こえた。
 ササたちにも聞こえたので、ササはマサキに大丈夫というようにうなづいた。
「マサキの御先祖様のイナ様でしょうか」とササは聞いた。
「わたしはイナよ。沢岻ヌルの娘として生まれたけど、湧川ヌルになって、今帰仁ヌルになって、沢岻に戻って来たのよ」
「本部大主の娘で今帰仁ヌルになったアビー様という人を御存じですか」
「本部大主が千代松を追い出して、今帰仁按司になった時、わたしは沢岻に帰っていたので知らないわ。でも、今帰仁ヌルを継いだ娘の『カユ』から話は聞いているわよ。アビーがどうかしたの?」
「近いうちに中山王(ちゅうざんおう)と山北王(さんほくおう)の戦(いくさ)が始まります。神様たちには見守っていてもらうつもりなのですが、アビー様が戦に介入しようとしているのです。それを何としてでも止めたいのです」
「また戦が始まるのね。どうして、人間は同じ事を繰り返すの?」
「今回の戦を最後の戦にしたいのです。琉球が統一されれば、戦はなくなります」
「そうなれば、素晴らしい事だけど、本当に琉球の統一なんてできるの?」
「やらなければならないのです」
「わかったわ」と言って、イナはアビーの事を話してくれた。
 本部大主が千代松を追い出して今帰仁按司になった時、今帰仁ヌルだったカユは追い出される事はなかった。本部大主の妻は湧川按司の長女で、カユは腹違いの妹だった。カユは十三歳だったアビーを預かって、ヌルになるための指導をした。アビーが二十歳になった時、今帰仁ヌルをアビーに譲って、娘を連れて湧川に戻った。
 湧川はカユの生まれ故郷だったが、すでに村はなかった。八歳まで暮らしていたグスクも草茫々で、屋敷は朽ち果てていた。湧川按司が家臣たちを引き連れて今帰仁に移ったために村はなくなり、当初、配下のサムレーに守らせていたグスクも、必要ないと言って引き上げさせた。カユは娘と一緒に掘っ立て小屋を建てて村で暮らし始め、湧川ヌルを名乗った。
「カユのマレビト神は浦添から来た大工だったのよ。今帰仁グスクの屋敷を建て直すために湧川按司浦添から呼んだの。その大工は五年くらい今帰仁にいて、カユは二人の娘を授かったのよ。カユは男みたいに弓矢をやったり、剣術をやったりしていたから、大工仕事も見様見真似で覚えてしまったようね」
「カユ様がアビー様を指導したのなら、アビー様はカユ様の言う事を聞くでしょうか」とササは聞いた。
「どうかしらね。ただ、カユは怒らせたら怖いわよ。湧川で暮らし始めたカユは、『悪者(わるむん)退治』をしていたのよ。人々を困らせている悪者がいると聞くと飛んで行って、やっつけていたのよ。困った事があったら、湧川ヌルに相談すればいいって噂になって、あちこちから人々が相談に来ていたみたいだわ。その噂を聞いた勢理客(じっちゃく)ヌルは跡継ぎがいなかったので、カユに跡を継いでくれって頼んで、亡くなったらしいわ。カユは『勢理客ヌル』を継いで、勢理客村に移ったけど、亡くなるまで悪者退治を続けていたのよ。跡を継いだ娘がカユを湧川グスクに葬って、今はウタキになっているわ」
「湧川グスクに行けば、カユ様に会えるのですね」
「会えるわよ。今はもう村はないし、グスクも草木に埋もれているけど、カユの次女の息子が勢理客大主(じっちゃくうふぬし)の婿(むこ)になってね、今はその孫の代になっていて、勢理客大主はカユのお墓参りは欠かさないわ」
「今の勢理客ヌルはお墓参りはしないのですか」
「しないと思うわ。今の勢理客ヌルも先代も、今帰仁から来たヌルだからね。カユの孫の代でヌルは絶えてしまったのよ。勢理客大主の婿になった息子の妹がとっても美人(ちゅらー)でね、千代松の側室になったのよ」
「勢理客大主を訪ねれば、カユ様に会えるのですね」
「あなたたちが会いに行けば、カユも喜ぶでしょう。みんな、武芸が得意そうだしね。きっと、話が合うわよ」
「カユ様はどうして武芸を習ったのですか」とシンシンが聞いた。
「湧川按司は男の子に恵まれなかったのよ。湧川按司は男の子が生まれる事を願って、子供用の弓や刀を用意していたの。七歳の時、カユはその弓を持って矢を射ったの。湧川按司が怒るかと思ったんだけど喜んでね。カユも父親が喜ぶので、熱心に弓矢の稽古に励んだのよ。十二歳になって、ヌルになるための修行を始めたけど、同時に剣術の修行も始めたのよ。父親譲りの素質があったのか、剣術も見る見る上達していったわ。父親からもらったヤマトゥの刀を腰に差して、颯爽(さっそう)と今帰仁の城下を歩いていたのよ」
「シジ(霊力)も高かったのですか」とナナが聞いた。
「高かったわよ。本部大主の反乱を察知して、千代松を逃がしたのはカユだったのよ。本部大主に疑われて、殺されそうになったようだけど、ヌルを殺したら、本部大主の一族は皆、滅びるって脅したようだわ。そして、本部大主の娘のアビーをヌルにするための指導を命じられたのよ。アビーもカユの噂は知っていて、カユに憧れていたようだわ。アビーはカユから武芸も仕込まれたのよ。アビーは厳しい修行にも耐えたようだわ」
「アビー様も武芸の達人だったのですか」
「成長した千代松が攻めて来た時、弓矢を射って、刀を振り回して活躍したらしいわ。追っ手を振り払って、玉グスクに逃げて行ったのよ」
「初代の今帰仁ヌルの『アキシノ様』を御存じですか」とササが聞いた。
今帰仁ヌルになる時に、先代の今帰仁ヌルから聞いたわ。ヤマトゥンチュ(日本人)のヌルで弓矢の名人だったらしいわね。わたしも弓矢のお稽古をやらされたわ」
「えっ、アキシノ様は弓矢の名人だったのですか」
 ササもシンシンもナナも驚いた。
「先代の話だと、アキシノ様は古い神社の巫女(みこ)の娘で、弓矢の腕前を認められて、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の弓取りの儀式をやる巫女に選ばれたって言っていたわ」
「そうだったのですか。アキシノ様の次女が初代の勢理客ヌルになったのですが、勢理客ヌルも武芸の名人だったそうです」
「えっ、そうなの? だから、カユが勢理客ヌルを継いだのね」とイナは納得したように笑った。
 ササたちはお礼を言って、イナと別れた。
「カユ様ならきっと、アビー様を止めてくれるわ」とナナが言った。
「そうね」とササはうなづいて、
「悪者退治をしていたんだから、悪者になったアビー様を退治してくれるわね」と笑った。
「今から勢理客村に行くの?」とシンシンが聞いた。
「シジマを連れて志慶真村に行く時に行きましょう」
「それがいいわ」とシンシンとナナはうなづいた。
「それにしても、アキシノ様が弓矢の名人だったなんて驚いたわね」とナナが言った。
「ほんとよ。アキシノ様はそんな事は何も言わないし、お姿を現した時も優しそうな人で、武芸なんかに縁がないと思っていたわ」とササが言うと、
「旅芸人の『小松の中将様(くまちぬちゅうじょうさま)』に出て来るアキシノ様が実物に近かったのよ」とシンシンが言った。
「あのお芝居を見たらアキシノ様は驚くだろうって思っていたけど、実際に弓矢を持って戦に出ていたのかもしれないわ」
「奥方様(うなぢゃら)(マチルギ)の御先祖様に相応しいお方だったのよ」とササが笑うと、
「それは逆よ。アキシノ様の子孫だから、奥方様は女子サムレーを作ったのよ」とナナが言って、
「そうね」とみんなで笑った。
 ササは急に真顔になると、「今、改めて思うけど、奥方様の存在は大きいわ」と言った。
「奥方様が佐敷に来なかったら、今のあたしはいなかったかもしれない。子供の頃、奥方様を見て、あたしは奥方様に憧れたわ。あたしも奥方様みたいに強くなりたいって」
「あたし、ササと出会う前、奥方様から剣術の指導を受けたのよ。琉球にこんなにも強い女の人がいるなんて驚いたわ。あたしも奥方様に憧れたのよ」とナナが言った。
「あたし、琉球に来た時、ヂャン三姉妹と一緒に来たんだけど、皆、一癖もある人たちで、その三人を簡単に手懐けてしまった奥方様には驚いたわ。当時、言葉はわからなかったけど、凄い人だと思ったわ」とシンシンは言った。
「ヤマトゥから琉球に来て、今帰仁按司の基礎を作ったアキシノ様の子孫だから、奥方様は凄い人なのよ」と三人は納得した。
 村に戻ると村人たちが昼食を用意して待っていた。お腹が減っていたので喜んで御馳走になった。
 その頃、浦添では李芸(イイエ)たちが朝鮮人(こーれーんちゅ)を探していて、旅に出たファイテ(懐機の長男)とジルーク(浦添按司の三男)たちは名護(なぐ)から恩納(うんな)へと向かっていた。

 

 

西根打刃物製作所 叉鬼山刀(マタギナガサ) フクロナガサ (8寸)

2-222.東松田の若ヌル(改訂決定稿)

 美浜島(んばまじま)(浜比嘉島)に一泊して勝連(かちりん)に戻ったササ(運玉森ヌル)たちは、勝連若ヌルを連れて、『東松田(あがりまちだ)の若ヌル』に会うために読谷山(ゆんたんじゃ)の喜名(きなー)に向かった。
 美浜島でササの弟子の若ヌルたちが神様の声を聞いたのに驚いた中グスクヌル(マチルー)と勝連若ヌル(マカトゥダル)は、ササの弟子になりたいと言い出した。中グスクヌルのマチルーは二十二歳、勝連若ヌルのマカトゥダルは十八歳、二人は従姉妹(いとこ)で、サハチ(中山王世子、島添大里按司)の姪だった。十二歳のキラの妹弟子になるけど、それでもいいのとササが聞くと、二人は真剣な顔でうなづいた。
 一緒に南の島(ふぇーぬしま)に行ったチチー(八重瀬若ヌル)、ウミ(運玉森若ヌル)、ミミ(手登根若ヌル)、マサキ(兼グスク若ヌル)の四人にカミー(アフリ若ヌル)が加わり、キラも加わって六人になり、今、また二人も増える事になる。
 ササが玻名(はな)グスクヌルを見ると、
「大丈夫よ」と笑った。
 ササは二人を弟子に加えた。
「あたしもササの弟子になろうかしら?」と越来(ぐいく)ヌルのハマが言った。
「何を言っているのよ。あなたは教える方よ」とササはハマを見て口を尖らせた。
「どこかに寄る度に弟子が増えるわね」とナナがシンシン(杏杏)と顔を見合わせて笑った。
「勝連生まれではないから、勝連の御先祖様の神様の声は聞こえないでしょうって、勝連ヌル様から言われました」とマカトゥダルが歩きながらササに言った。
「そうよね。マカちゃんは佐敷で生まれて、島添大里(しましいうふざとぅ)に移ってから勝連に行ったのよね。勝連とはまったく縁がないわ」
「わたしもそう思っていたんですけど、縁があったんです。わたしの祖母は島添大里のサムレーの娘だったのですが、祖母の御先祖様のお姉さんが勝連に嫁いでいたのです。その人の娘が勝連ヌルになっていて、わたしにも勝連ヌル様の声が聞こえたのです」
「それはいつの勝連ヌル様なの?」
「二代目の勝連按司の娘だと言っていました。百年以上も前の人で、その人から勝連の歴史を学びました。色々な儀式も覚えましたし、もう一人前のヌルだと思っていたのです。でも、美浜島で衝撃を受けました。一人前だとうぬぼれていた自分が恥ずかしく思えました。マチルー姉さんが、ササ姉(ねえ)の弟子になる決心をしたって聞いて、わたしも弟子になろうって決心したのです」
「大丈夫よ。すぐに追いつけるわ」と言って、ササはマカトゥダルの肩をたたいた。
 話を聞いていたマチルーが、
「わたしも追いつけるでしょうか」と心配そうな顔をして聞いた。
「あなたも伊波(いーふぁ)で生まれて、中グスクに行ったんだったわね。神様の声は聞こえるの?」
「わたしの祖母が中グスク按司の娘だったので、祖母の姉の中グスクヌル様の声が聞こえます。祖母はわたしが五歳の時に越来グスクで亡くなりましたが、わたしの事を心配して、色々と助けてくれました」
「あなたのお祖母(ばあ)さんは中グスクから越来に嫁いだんだ」とササが言ったら、マチルーは首を振った。
「祖母は人質として安里(あさとぅ)に送られたそうです」
「人質?」
「察度(さとぅ)が浦添按司(うらしいあじ)になる前、中グスク按司は察度と同盟を結んだそうです。その時、祖母は安里にいた察度のもとへ送られたのです。察度が浦添按司になったあと、祖母は戦(いくさ)で活躍した武将の妻になって、その武将が越来按司になったのです」
「へえ、そんな事があったんだ」
 ササはマチルーを見て笑うと、「あなたも大丈夫よ」とうなづいた。
 マチルーは嬉しそうに笑ったが、突然、思い出したらしく、「お祭り(うまちー)の準備を忘れていた」と言った。
「あっ!」とササも気づいて、「三月だったわね。弟子になるのはお祭りが終わってからでいいわ」と笑った。
「今回の旅だけ同行します」
 越来グスクに寄って、昼食を御馳走になってから読谷山を目指した。
 喜名は思っていたよりも遠かった。一時(いっとき)(二時間)余りも掛かって、やっと着いた。東松田ヌルの屋敷に行くと、若ヌルがササたちが来るのを待っていた。
「わたしたちが来る事がわかっていたのね?」とササが聞くと若ヌルのタマはうなづいた。
 綺麗な大きい目をした娘で、シジ(霊力)が高いというのは一目でわかった。それだけでなく、タマは何か重要な役目を負っているような気がした。
「沢岻(たくし)ヌル様にお会いして来たのですね?」とタマはササに言った。
「沢岻ヌル様のお話を聞いて、美浜島にも行って来たわ」
「わたしも沢岻ヌル様にお会いしたあと、美浜島に渡りました」
「シネリキヨの神様の声は聞こえたの?」
「聞こえましたが、言葉が通じなくて、意味はわかりませんでした」
「そうだったの。美浜ヌルとも会ったのね?」
「はい。美浜ヌル様の御先祖様の神様のお話を聞いて、シネリキヨの一族が今帰仁(なきじん)の周辺に、かなりいた事がわかりました」
 ササはうなづくと、玻名グスクヌルに若ヌルたちに武当拳(ウーダンけん)の稽古をさせるように頼んで、シンシンとナナとハマの三人だけを残した。
「あなたが『シネリキヨ』の事を知ったのは、いつだったの?」とササはタマに聞いた。
「四年前に馬天(ばてぃん)ヌル様と一緒に旅に出る前は何も知りませんでした。馬天ヌル様から色々と教わって、アマミキヨ様の事や豊玉姫(とよたまひめ)様の事を知りました。旅から帰って来て、馬天ヌル様を見倣って、忘れ去られてしまったウタキ(御嶽)を探し始めたのです。あちこち探し回りましたが簡単には見つかりません。去年の夏、屋良(やら)の大川(うふかー)(比謝川)の周辺を探したら、古いウタキが見つかって、『屋良ヌル様』の声が聞こえたのです。わたしは屋良ヌル様の子孫だと言われて驚きました。屋良ヌル様に言われた通りに山の中に入って、ガマ(洞窟)の中で、このガーラダマ(勾玉)を見つけたのです。屋良ヌル様が沢岻ヌル様からいただいたガーラダマでした。屋良ヌル様は真玉添(まだんすい)(首里にあったヌルたちの都)から来たヌルにヌルの座を奪われて、大切なガーラダマを山の中に隠して、喜名に行って、ひっそりと暮らしたそうです。その子孫がわたしだったのです。屋良ヌル様は『シネリキヨの子孫たちを守ってくれ』とわたしに言いました」
「シネリキヨの子孫を守れって、どういう意味なの?」
「わたしもわかりませんでした。それで、『沢岻ヌル様』を訪ねたのです。沢岻ヌル様からシネリキヨの一族の事を聞いて、わたしもその一族だという事を知りました。先ほどの話の続きですが、ヤンバル(琉球北部)にはシネリキヨの子孫たちが大勢いました。アマミキヨの一族はヤマトゥ(日本)と交易するために海辺に拠点をいくつも造りましたが、内陸には入らず、シネリキヨの子孫たちが暮らしていたのです。仲宗根泊(なかずにどぅまい)の近くに『スムチナムイ』という古いウタキがあって、そこはシネリキヨの子孫たちの聖地になっていると聞きました」
「まさか、行ったんじゃないでしょうね?」とササが聞くと、
「行って来ました」とタマは平然とした顔で言った。
「馬天ヌル様と一緒にヤンバルのウタキ巡りをした時、そこには行っていないのです。馬天ヌル様はアマミキヨの子孫なので、知らないのかもしれません。シネリキヨの子孫のわたしが探さなければならないと思いました」
 ササは笑って、「あなた、気に入ったわ」と言った。
「一人で行ったんじゃないんでしょ?」
「長浜でウミンチュ(漁師)をしている従兄(いとこ)が心配して一緒に行ってくれました。それに、恩納岳(うんなだき)の木地屋(きじやー)のゲンさんも一緒に行ってくれました」
「あら、ゲンを知っていたの?」
「馬天ヌル様と一緒に旅をした時、ゲンさんも一緒だったのです」
「そうだったの。ゲンが一緒なら大丈夫ね」
「スムチナムイはゲンさんも知らなかったけど、そのウタキがある『玉グスク』という村(しま)は知っていて、ゲンさんが案内してくれました」
「えっ、ヤンバルにも玉グスクがあるの?」とササたちは驚いた。
「馬天ヌル様は以前に旅をした時、玉グスクにも行っていて、『玉グスクヌル』とも会ったと言っていました。村にあるウタキに行ったけど、神様の声は聞こえなかったそうです。前回、旅をした時は玉グスクには行っていません。今帰仁からまっすぐ運天泊(うんてぃんどぅまい)に行って勢理客(じっちゃく)ヌル様と会っています。多分、早く勢理客ヌル様に会いたくて、玉グスクには寄らなかったのだと思います。スムチナムイの神様から聞いてわかったのですが、昔はあの辺り一帯を『コモキナ』と呼んでいたようです。『コモキナ』が訛って、『スムチナ』になったのです。運天泊も『コモキナドゥマイ』だったようです」
「コモキナがスムチナになるのはわかるけど、コモキナがどうして運天になるの?」とナナが聞いて、首を傾げた。
「わたしも不思議に思ったので、神様に聞きました。舜天(しゅんてぃん)が浦添按司だった頃、ヤマトゥから熊野(くまぬ)の山伏が来て、各地を回って絵図を作ったそうです。その絵図に『コモキナドゥマイ』を漢字で『雲慶那泊』と書いたそうです。英祖(えいそ)の次男の湧川按司(わくが-あじ)は、その絵図を持ってヤンバルに来ました。湧川按司はその漢字を「ウンケナドゥマイ」と読みます。ウンケナがウンケンになって、ウンティンになって、湧川按司の息子の千代松(ちゅーまち)が『運天』という漢字を当てたようです。スムチナを玉グスクに変えたのは湧川按司です。スムチナの若ヌルが湧川按司の長男を産むと、湧川按司はとても喜んで息子のためにグスクを築いて、玉グスクと名付けたのです。湧川按司の母親は南部の玉グスクの人で、南部の玉グスクに古いウタキがある事を知っていたのでしょう。スムチナはヤンバルの玉グスクだと言って変えてしまったようです」
「湧川按司は沢岻の若ヌルの他に、スムチナの若ヌルも側室にしたの?」とシンシンが聞いた。
「沢岻の若ヌルもスムチナの若ヌルもシネリキヨの子孫です。湧川按司はシネリキヨの娘が好きだったようです」と言ってタマは笑った。
今帰仁は昔は何て呼んでいたの?」とナナが聞いた。
今帰仁は『志慶真森(しじまむい)』というウタキだったようです。ヤマトゥから平家(へいけ)がやって来て、志慶真森にグスクを築くと、『イマキシル』と呼ばれるようになります。『イマキ』は外来者の事で、『シル』は統治するという意味だそうです。『イマキシル』が『イマキジン』になって、『イ』が抜け落ちて、『ナキジン』になったようです。『今帰仁』という漢字を当てたのはやはり千代松です。今の志慶真村は、二代目の今帰仁按司の奥さんが志慶真森の人だったので、志慶真の名を残すために、グスクの裏側に新しく村を造って志慶真村と名付けたそうです」
「それじゃあ、志慶真森にはシネリキヨの子孫たちが住んでいたのね」
「そうなのです。今帰仁按司はシネリキヨの子孫たちと一緒になって発展して来たのです。志慶真森の女首長の娘が、二代目今帰仁按司の妻になって、二代目の弟は羽地(はにじ)にいたシネリキヨの女首長の娘を妻に迎えて、羽地按司になります。二代目の息子は名護(なぐ)のシネリキヨの女首長の娘を妻に迎えて、名護按司になって、三代目の息子は国頭(くんじゃん)のシネリキヨの女首長の娘を妻に迎えて、国頭按司になったのです。ヤンバルはシネリキヨの王国と言ってもいい状況だったのです。ところが、そこにアマミキヨの一族の『湧川按司』がやって来て、今帰仁按司になってしまいます。湧川按司が亡くなったあと、今帰仁按司になった『本部大主(むとぅぶうふぬし)』はシネリキヨです。本部大主は湧川按司の息子の『千代松』に倒されます。千代松はアマミキヨです。千代松の息子を倒して今帰仁按司になった『帕尼芝(はにじ)』もアマミキヨです」
「えっ、帕尼芝はアマミキヨの子孫なの? ヤマトゥンチュ(日本人)だと思っていたわ」とササが言った。
「初代の今帰仁按司はヤマトゥンチュですが、一緒に連れて来たヤマトゥンチュの女が少ないので、ヤマトゥンチュはそれほど増えないのです。それに、初代以外で、ヤマトゥンチュの女を妻に迎えた按司はいません」
 初代按司平維盛(たいらのこれもり)が連れて来た女は二十人だとアキシノ様が言ったのをササは思い出した。二十人の女はシネリキヨの男と結ばれて子孫を増やしただろうが、按司の妻にはなれなかったようだ。
「帕尼芝のあとに按司になった『珉(みん)』の母親は元(げん)(明の前の王朝)の人です。そして、今の『攀安知(はんあんち)』はシネリキヨです」
「今の山北王(さんほくおう)はシネリキヨだったの?」とササは驚いたが、マサキの母のマハニがシネリキヨなら、同じ母親から生まれた攀安知も湧川大主(わくがーうふぬし)もシネリキヨに違いなかった。
「千代松に滅ぼされた本部大主の娘の今帰仁ヌルが玉グスクに逃げてきて、スムチナムイヌルを継いで、その子孫が今の玉グスクヌルです。玉グスクヌルは代々、シネリキヨの子孫が今帰仁按司になる事を祈っていて、それが実現したので喜んでいます。今の状態がずっと続いてくれればいいと願っています」
「山北王の息子にシネリキヨはいるの?」とハマが聞いた。
「次男のフニムイがシネリキヨだそうです。玉グスクヌルはシネリキヨの子孫たちの配下を持っていて、シネリキヨの娘を山北王の側室に送り込んだようです。玉グスクヌルの思惑通りに男の子を産んだので、邪魔な長男を南部に送ったと言っていました」
「えっ、若按司のミンを南部に送ったのは玉グスクヌルだったの?」
「よくわかりませんが、玉グスクヌルは湧川大主と親しいようで、湧川大主をそそのかしたのかもしれません」
「その玉グスクヌルっていくつなの?」
「三十くらいじゃないかしら。何となく冷たい感じの美人(ちゅらー)です。十歳くらいの娘がいます」
「湧川大主の子供かしら?」とシンシンが言うと、タマは首を傾げた。
「今までの話は、スムチナムイの神様から聞いたのね?」とササはタマに聞いた。
「そうです。玉グスクヌルはわたしが訪ねて来た理由を聞いて、同族だとわかったようです。わたしをスムチナムイに連れて行ってくれたのです。山の上にあるウタキで、かなり古いウタキでした。わたしが聞いた神様の声は、玉グスクヌルの御先祖様の本部大主の娘の今帰仁ヌルでした。玉グスクヌルは『アビー様』と呼んでいました。もっと古い神様とお会いしたかったのですができませんでした」
「本部大主って、何人も側室を持った今帰仁按司でしょ」とササが言った。
「そうなのです。娘の今帰仁ヌルがシネリキヨの子孫を増やすために、シネリキヨの娘を探し出しては父の側室にしたのです。生まれた娘たちが羽地、名護、国頭の按司に嫁いだため、シネリキヨの子孫たちが増えていったのです」
「三人の按司たちの中にシネリキヨはいるの?」
「いません。先代の名護按司はシネリキヨでしたが、今の按司は違います。シネリキヨは山北王の兄弟たちです」
アマミキヨの子孫とシネリキヨの子孫は昔から対立していたの?」とハマが聞いた。
 タマは首を振った。
「今でも対立はしていないと思います。ヌルたちの世界ではアマミキヨの子孫たちが優勢のようですが、庶民たちは自分がアマミキヨなのか、シネリキヨなのか知りませんし、昔から仲良く暮らしてきたはずです。玉グスクヌルは百年前の御先祖様の本部大主が、アマミキヨの子孫に滅ぼされたのを未だに恨んでいて、シネリキヨが統治する世界を望んでいるようです。スムチナムイから下りる時、わたしにも仲間に入れと誘われました。わたしは仲間に入る振りをして、中部や南部にもシネリキヨのヌルがいるのか聞きました」
「南部にもいるの?」とササが興味深そうに聞いた。
「中部は『沢岻ヌル』と『美浜ヌル』の二人です。でも、沢岻ヌルは跡継ぎに恵まれなくて、今はいないようです。南部には『慶留(ぎる)ヌル』がいます」
「慶留ヌル?」
 ササたちはセーファウタキ(斎場御嶽)で会った慶留ヌルを思い出していた。
「アビー様が、国頭按司の娘を島尻大里(しまじりうふざとぅ)の若按司の妻として送ったそうです。その頃の浦添按司は玉グスク出身の玉城(たまぐすく)で、島尻大里按司は圧迫されていたようです。藁(わら)をもつかみたい状況で、遠い今帰仁按司と同盟を結んで、ヤンバルからお嫁さんを迎えたのです。その娘がシネリキヨの子孫で、生まれた子供たちはシネリキヨになります。次の代の島尻大里按司、山南王(さんなんおう)になった弟の『汪英紫(おーえーじ)』、与座(ゆざ)ヌルから八重瀬(えーじ)ヌルになって島添大里ヌルになった妹がそうです」
汪英紫がシネリキヨの子孫だったの」とササたちは驚いた。
「島添大里ヌルの娘が慶留ヌルです。慶留ヌルは汪英紫が山南王になった時に、島尻大里ヌルになったけど、汪英紫が亡くなって豊見(とぅゆみ)グスク按司(シタルー)が山南王になるとグスクから出て、慶留ヌルを継いだのです。玉グスクヌルは、慶留ヌルは古くからシネリキヨの子孫だったけど、アマミキヨにヌルの座を奪われたと言っていました。シネリキヨに戻ったのでよかったと喜んでいました」
「玉グスクヌルはシネリキヨの仲間を増やして、何をたくらんでいるの?」とナナが聞いた。
「近いうちに、中山王と山北王は戦うだろう。それはアマミキヨとシネリキヨの戦いだ。何としてでも山北王に勝ってもらわなければならないと言っていました」
「それで、あなたは仲間に入ったの?」とササが聞いた。
「考えさせて下さいと言って玉グスクヌルと別れました。わたしは最初から仲間に入る気はありません。シネリキヨの王様(うしゅがなしめー)だといっても、わたしは山北王に会った事はありませんし、山北王の味方をする気もありません」
「中山王には会ったの?」とハマが聞いた。
 タマは首を振った。皆の顔を見回してから、「でも、わたしのマレビト神様は中山王側にいます」と言った。
「えっ?」と皆が驚いた。
「誰なの?」とハマが聞いた。
 タマは恥ずかしそうに顔を赤らめて、
「向こうはまだ気づいていません。今はまだ内緒です」と首を振った。
「羨ましいわ」とハマが言った。
「わたしにはまだ現れないのよ」
「慶留ヌルにも会いに行って来たんでしょ?」とササはタマに聞いた。
「会って来ました。二人の子供と一緒に楽しそうに暮らしていました。慶留ヌルはシネリキヨの事を知りませんでした。アマミキヨ様の夫になった神様だろうって言いました。あなたはシネリキヨ様の子孫ですと言ったら、そうなのと言っただけで、興味も示しませんでした。当然、スムチナムイの玉グスクヌルも知りませんでした。先代の山南王が亡くなって、今の山南王は島添大里按司様の義弟だから、島添大里にある母親のお墓参りにいつでも行けると喜んでいました」
「玉グスクヌルは慶留ヌルを利用しようとたくらんでいるのかしら?」とナナが言った。
「玉グスクヌルというより本部大主の娘の今帰仁ヌルのアビー様です。中山王と山北王が戦を始めたら、アビー様は中山王の兵たちに襲いかかるかもしれません」
「あなた、知っているの?」とササは聞いた。
「えっ?」とタマはササたちを見た。
「とぼけないで。中山王が山北王を攻めようとしている事を知っているんでしょ?」
 タマはうなづいた。
「見てしまったのです。中山王が今帰仁を攻めて、苦戦している姿を‥‥‥中山王が勝つには、アビー様を止めなければなりません」
「人間の戦(いくさ)に神様たちを関わらせてはいけないわ」とササは言った。
「そうです。何としてでも、アビー様の動きを封じなければなりません」とタマは強い口調で言った。
 ササはマサキを呼んだ。
「この娘(こ)は沢岻ヌル様の子孫よ。きっと、この娘が役に立つと思うわ」
 マサキは何の事かわからず、ポカンとしていた。
 ササたちは東松田の若ヌルを連れて、宇座(うーじゃ)の牧場に行った。元気に走り回っている仔馬たちを見て、若ヌルたちはキャーキャー騒いだ。ササたちもかわいい仔馬の姿に心が和んだ。
 宇座按司はササたちを大歓迎で迎えてくれた。山南王に仕えていた次男のマタルーが牧場を継いでくれる事になったと言って宇座按司は喜んでいた。
 マタルーの妻は山南王の重臣だった新垣大親(あらかきうふや)の娘だった。戦が始まった時、マタルーは妻と子を宇座に避難させた。島尻大里に戻るつもりだったが、戦はサムレーたちに任せておけばいいと父親に言われて、妻も行くなと言ったので、宇座に残った。戦が終わって、新垣大親は処刑され、兄が跡を継いだが、妻はもう島尻大里には戻りたくないと言った。マタルーも使者を諦めて、牧場を継ぐ事に決めたのだった。
 大勢の若ヌルを連れているササに、宇座按司は孫娘のクトゥを紹介して、弟子にしてくれと頼んだ。
「宇座按司といっても、グスクを持っている按司ではないので、ヌルは必要ないと思っていたんじゃが、馬たちを守るのにヌルは必要じゃと考え直したんじゃよ。クトゥは十一になった。クトゥを仕込んで、宇座ヌルにしてくれんか」
 シンシンとナナとハマと玻名グスクヌルが笑っていて、愛洲ジルーたちも笑っていた。もう、開き直るしかなかった。
 ササはクトゥを見て、
「ヌルになりたいの?」と聞いた。
 クトゥはタマを見て、
「タマお姉ちゃんみたいになりたい」と言った。
 ササはうなづいて、
「お預かりします」と宇座按司に言った。
 宇座按司は喜んで、クトゥが若ヌルになるお祝いじゃと御馳走を用意してくれた。明国(みんこく)のお酒も用意してくれて、ササたちは酒盛りを楽しんだ。
 タマはお酒に慣れていないとみえて、すぐに酔っ払ってしまった。楽しそうに笑ってばかりいて、マレビト神が誰だか教えてとハマが聞いたら、
「あたしのマレビト神様はね、島添大里按司様なのよ」と嬉しそうに言った。
 それを聞いたササたちは唖然となった。
「何ですって? 島添大里按司はあなたのお父さんといってもいい年齢(とし)なのよ」とササは言った。
「年齢なんて関係ありません。一目会った時にわかりました。この人があたしのマレビト神様なんだって」
「島添大里按司には怖い奥方様(うなぢゃら)がいるのよ。知っているの?」とシンシンが聞いた。
「知っています。素敵な奥方様です。きっと許してくれますよ」
「タマのマレビト神様がサハチ兄(にい)だとは驚いたわ」とササは溜め息をついたが、
「これは神様の思し召しかもしれないわね」と言った。
「えっ、どういう事?」とシンシンが聞いた。
「あたしたちはアキシノ様と豊玉姫様が対立しなくてよかったって安心したけど、それだけではだめだったのよ。琉球を統一するには、シネリキヨの神様も味方につけなければならないっていう事よ。アマミキヨの子孫のサハチ兄とシネリキヨの子孫のタマが結ばれれば、うまくいくのかもしれないわ。タマとマサキの二人が、そのために働いてくれるに違いないわ」
 シンシンとナナとハマは、酔い潰れているタマと、若ヌルたちと騒いでいるマサキを見て、二人にそんな事が務まるのだろうかと不安に思っていた。

 

 

 

国台酒(コクダイシュ) 53度 750ml 中国茅台鎮 日本限定版 BlackGold 十五年貯蔵 醤香型 白酒