長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-231.逃亡(改訂決定稿)

 運天泊(うんてぃんどぅまい)に帰った湧川大主(わくがーうふぬし)は武装船に積んである鉄炮(てっぽう)(大砲)の半分、六つをはずして、今帰仁(なきじん)グスクに運ぶようにサムレー大将のナグマサに命じると、そのまま馬にまたがって、玉グスク村に向かった。
 玉グスクヌルのユカは湧川大主が来る事を知っていて待っていたが、何となく、顔付きが変わったような気がした。
「ミサキがあなたに会いたがっているわよ」とユカは言った。
「どこに行ったんだ?」
「長老の所に行って、読み書きを習っているわ。あの子、あなたに似て賢いのよ」
「ミサキが賢いか」と湧川大主は嬉しそうに笑った。
「今、今帰仁が大騒ぎになっているのを知っているだろう」
「中山王(ちゅうざんおう)が攻めて来るらしいわね」
「どっちが勝つんだ?」と湧川大主はずばりと聞いた。
「今の山北王(さんほくおう)は帕尼芝(はにじ)から数えて三代目よ。初代のヤマトゥ(日本)の武将は四代で百年近く続いたけど、五代目の湧川按司(わくが-あじ)は一代で滅んだわ。六代目の本部大主(むとぅぶうふぬし)も、七代目の千代松(ちゅーまち)も一代で滅んだのよ。三代で四十五年も続けば立派だわ。そろそろ、交代の時期が来たんでしょう」
「山北王が負けるというのか」と湧川大主は信じられないといった顔でユカを見た。
 前回に来た時は山北王が勝つと言ったのに、どうして考えを変えたのだろう。
 ユカは水晶玉をじっと見つめてから、「山北王は負けるわね」とはっきりと言った。
「あの今帰仁グスクが攻め落とされるというのか」
「一の曲輪(くるわ)にある立派な御殿(うどぅん)は崩れ落ちて、山北王も戦死するわ」
「信じられん。あのグスクが落ちるはずはない」
「この世に完全な物なんてないのよ。永遠に続く物なんてないし、山北王も寿命が尽きたのよ」
 湧川大主はユカをじっと見つめながら、身内とも言えるヤンバル(琉球北部)の按司たちに裏切られたのだから、確かに寿命が尽きたのかもしれないと思った。
「俺の寿命も尽きるのか」
「山北王に従えば尽きるわ」
「従わなければ?」と聞いたらユカは笑った。
「あなたの口からそんな言葉が出て来るなんて思わなかったわ。何事も山北王のために働いていたあなたはどこに行ったの?」
「昔の俺は奄美大島(あまみうふしま)に捨ててきた」
「鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めがあなたを変えたのね?」
 鬼界島攻めではなく、マジニ(前浦添ヌル)が変えたのだったが、湧川大主はその事は口にしなかった。
「もし、あなたが山北王に従わなかったら、あなたの寿命は十年は延びるでしょう」
 今、四十歳なので五十歳までは生きられるか‥‥‥五十まで生きられれば上等だろう。四十で壮絶な死を迎えるか、五十まで生きるか、どっちを選ぶかだった。
 湧川大主は長老の屋敷までミサキを迎えに行って、ミサキと一緒に過ごした。嬉しそうに笑っているミサキのためにも、まだ死ねないと思った。


 今帰仁城下が全焼したとの噂が広まって、城下にいた人たちの家族や知人が心配してやって来た。外曲輪(ふかくるわ)に避難していた人たちは、迎えに来た人たちに連れられて城下を去って行った。外曲輪には身寄りのない人たちと家臣の家族たち二百人余りが残った。
 城下が焼け野原になったのも、ヤンバルの按司たちが寝返って中山王が攻めて来るのも、すべて、志慶真(しじま)ヌル(ミナ)の仕業に違いないと勢理客(じっちゃく)ヌルと今帰仁ヌルは志慶真村に行って、志慶真ヌルを責めた。
「あなた、中山王が攻めて来る事を知っていたわね?」と勢理客ヌルは志慶真大主(しじまうふぬし)と同じ事を聞いた。
 志慶真ヌルが知らなかったと言っても信じてはもらえなかった。
「ヤンバルの長老たちが二月に南部に行ったわ。あなた、会ったんでしょ?」
「長老様たちは島添大里(しましいうふざとぅ)のミーグスクのマナビー様に会いにいらっしゃいました。前回、松堂(まちどー)様がいらっしゃったので、松堂様が連れていらしたと思っただけです」
「その時、ヤンバルの按司たちは裏切ったのよ。そして、中山王の今帰仁攻めが決まって、あなたを送り込んで来たのよ。あなた、中山王が攻めて来たら志慶真曲輪を中山王に明け渡すつもりなんでしょう」
「それは神様の思し召しに従います」
「神様が中山王の味方をしろと言ったら寝返るのね?」と今帰仁ヌルが言った。
 志慶真ヌルが答えずにいると、勢理客ヌルは連れて来たサムレーに命じて、志慶真ヌルを連れ去って行った。
 村人たちも志慶真ヌルが中山王の回し者だと思っているので、止める者もいなかった。幼馴染みのタキだけが、二人のヌルに志慶真ヌルの潔白を訴えたが聞いてはもらえなかった。城下の屋敷が焼けてしまい、志慶真村に避難していた諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)の妻、マカーミも見ていて、いい気味だわと言って薄ら笑いを浮かべていた。
 志慶真ヌルは外曲輪内にある今帰仁ヌルの屋敷の物置に閉じ込められた。
 薄暗い物置の中で、どうしたら村の人たちに信用してもらえるのだろうかと志慶真ヌルは考えていた。『屋嘉比(やはび)のお婆』が生きていたら、こんな事にはならなかったのに、亡くなってしまったのが残念だった。女子(いなぐ)サムレーだった志慶真ヌルにとって、ここから抜け出して志慶真村に帰るのは簡単だったが、帰ったとしてもまた捕まってしまうのは目に見えていた。今度、捕まったら縛られて、厳重な警備も付くに違いなかった。
 志慶真ヌルが物置の中でヂャンサンフォン(張三豊)の呼吸法をしていると、誰かがやって来た。ウニタキ(三星大親)だった。
「いつまで、ここにいるつもりなんだ?」とウニタキは聞いた。
「戻ってもまた捕まりますから」と志慶真ヌルは言った。
「村の人たちを味方に付けるんだ」
「それがわからないから悩んでいるのです」
「神様の力だと言って、お前の力を見せてやればいい」
「えっ?」と志慶真ヌルはウニタキを見た。
 ウニタキは両手を出して、手のひらで押す仕草をした。
 志慶真ヌルは笑ってうなづくと、ウニタキと一緒に物置から出た。もうすぐ夜が明ける頃だった。非常時ではないので、見張りも少なく、外曲輪の石垣は一丈(約三メートル)余りの高さなので、難なく飛び越えられた。
 何事もなかったかのように志慶真村に帰ると、志慶真ヌルはヌルの着物に着替えてクボーヌムイ(クボー御嶽)に朝のお祈りに出掛けた。
 お祈りを済ませて村に帰ると、今帰仁ヌルが四人のサムレーを連れて待っていた。
「逃げ出したのね?」と怖い顔をして今帰仁ヌルが聞いた。
「朝のお務めがありますから」と志慶真ヌルは平然として答えた。
「覚悟しなさい。今度は逃げられないようにするわ」
 今帰仁ヌルはサムレーたちに捕まえるように命じた。
「わたしは神様にお仕えしております。捕まえる事はできません」
 二人のサムレーが志慶真ヌルを捕まえようと近づいて来た。志慶真ヌルは両手を差し出して、手のひらで軽く押す真似をした。近づいて来たサムレーは風に吹き飛ばされたかのように倒れ込んだ。別の二人が掛かって行ったが、同じように吹き飛ばされて、志慶真ヌルに近づく事はできなかった。
「何をやっているの? 早く捕まえて!」と今帰仁ヌルはわめいたが、サムレーたちは恐れた顔をして志慶真ヌルを見て、両手を合わせて頭を下げると引き上げて行った。
 志慶真ヌルの姿はまるで後光が差しているかのように神々しく見えた。今帰仁ヌルもその姿に神様を見て、慌ててひざまずくと両手を合わせた。
 成り行きを見ていた村の人たちも、志慶真ヌルが神様になったと両手を合わせずにはいられなかった。タキは涙を流しながら両手を合わせていた。志慶真ヌルを疑っていたマカーミも両手を合わせていた。
 今帰仁ヌルが帰ると、村の人たちは志慶真ヌルを囲んで、本物のヌル様じゃと感激していた。具足師(ぐすくし)のシルーが、『ウトゥタル様』も今のように悪い奴らを追い払ったと記録に書いてあったと言うと、ウトゥタル様の再来じゃと村人たちは大喜びをした。


 湧川大主は悩んでいた。
 兄貴のために中山王と戦うか‥‥‥
 ユカは山北王は負けると言ったが、罠(わな)を仕掛けて待ち構えれば、中山王の兵を追い返せると思っていた。
 追い返したあとはどうなるのか?
 焼け野原となった城下を再建しなければならない。そして、兄貴は裏切った羽地(はにじ)、名護(なぐ)、国頭(くんじゃん)の按司たちを許さないだろう。三人の按司を攻めれば、中山王は助けるために援軍を出す。また戦(いくさ)が始まる。山南王(さんなんおう)の他魯毎(たるむい)は高みの見物をしていて、有利な方と手を結び、中山王が不利とみたら首里(すい)グスクを奪い取るだろう。距離的に遠い山北王が首里グスクを奪い取るのは難しい。中南部支配下においた他魯毎は山北王を倒して琉球を統一するという筋書きになる。
 どっちにしろ、味方のいない山北王は滅ぼされるだろう。グスクがどんなに強固でも、裏切り者が出れば、グスクは攻め落とされる。山北王の家臣たちは山北王を恐れているが、心から慕っている者はほとんどいない。奥間(うくま)の事で側室のウクとミサは兄貴を見限った。奥間を攻めたサムレー大将の仲宗根大主(なかずにうふぬし)と並里大主(なんじゃとぅうふぬし)は、家族を連れて故郷に帰ったまま戻っては来ないし、叔父の屋我大主(やがうふぬし)(前与論按司)も家族を連れて、娘婿の兼久之子(かにくぬしぃ)を頼って名護に逃げて行った。戦が始まって、不利な展開になれば、裏切り者が出るだろう。ユカが言った通り、兄貴は殺されるのかもしれなかった。
 武装船からはずした鉄炮今帰仁に運んだナグマサが怪我を負って戻って来た。
「何者かに襲われて、鉄炮を奪われました」とナグマサは怪我をした腕を押さえながらうなだれた。
「なに、鉄炮を奪われただと?」
 ナグマサはひざまずいて謝った。
「何という事だ‥‥‥」と湧川大主は天を仰いだ。
「護衛の兵は連れて行かなかったのか」
「皆、戦の準備に追われていたので、十人連れて行っただけです」
「襲ったのは何人だ?」
「五十人近くはいたと思います」
 迂闊だったと湧川大主は後悔した。厳重な警護のもとに運ばせるべきだった。奪ったのは中山王の配下の三星大親(みちぶしうふや)(ウニタキ)に違いない。
 この事が山北王に知られたら、たとえ弟だろうと許さないだろう。
 湧川大主は突然、大笑いをした。驚いたナグマサは顔を上げると湧川大主を見た。
「俺は逃げる事に決めた」と湧川大主は言った。
 ナグマサは耳を疑った。湧川大主から、逃げるなんて言葉が出るなんて信じられなかった。
「お前らは好きにするがいい。俺と一緒に行きたい奴は連れて行く」
 ナグマサは唖然として言葉も出なかったが、やっとの思いで、「どこに行くのですか」と聞いた。
「そうだな。とりあえずは与論島(ゆんぬじま)にでも行って様子を見るか。久し振りにヘーザ(与論按司)と会って、酒でも飲もう」
 湧川大主は急に身軽になったような気分で、家臣たちを集めると、
「山北王の兄貴とは縁を切る事に決めた。お前たちも今後の身の振り方を考えろ」と言って旅支度を始めた。
 マチ、メイ、ハビー、三人の側室たちも、山北王を見限って逃げると言った湧川大主には驚いた。それでも、運天泊も戦に巻き込まれそうだし、どこに逃げようかと考えていた側室たちは、与論島に逃げると聞いて喜んだ。
「お前は中山王の所に帰ってもいいぞ」とハビーに言うと、ハビーは首を振った。
「トゥミを父親と離すのは可哀想です。わたしも連れて行って下さい」
 湧川大主はハビーを見つめた。俺と一緒に来て、俺の居場所を中山王に知らせるつもりかと思ったが、山北王から離れた俺には中山王も興味はないだろうと思った。
「よし、一緒に行こう」
 ハビーは嬉しそうにうなづいた。
 長女の若ヌルは勢理客ヌルと一緒に今帰仁にいるので連れていけなかった。ヌルを殺す事はあるまいと思って諦めた。
 荷物を船に積み終わると湧川大主は馬にまたがって、玉グスク村に行った。ユカに一緒に逃げようと誘うとユカは首を振った。
「わたしはウタキ(御嶽)を守らなければなりません。御無事をお祈りしています。ミサキに別れを告げて下さい」
 湧川大主は庭で遊んでいたミサキに別れを告げた。
「また、来てね」と涙を溜めながらミサキは言った。
 後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、湧川大主は馬を走らせた。
 湧川大主の配下、百二十人の内、湧川大主と一緒に行くのは二十七人で、四十八人は故郷に帰り、四十五人は山北王の兵として運天泊に残った。四十五人は親兄弟とのしがらみを断ち切れず、山北王に従っていた。
 二十七人の配下とその家族、船乗りたちの家族、側室と子供たちを乗せた武装船は運天泊を離れた。
 夕日に輝く海を眺めながら、湧川大主は本部(むとぅぶ)で遊んでいた子供の頃を思い出していた。
 本部大主の子供に生まれた兄貴も俺も、本部でのびのびと暮らしていた。二人の夢は今帰仁のサムレー大将になる事で、武芸の稽古にも励んでいた。運命が変わったのは二十五年前の今帰仁合戦だった。山北王だった祖父(帕尼芝)が戦死して、跡を継ぐべき若按司も戦死して、父(珉)が山北王を継ぐ事になった。
 山北王になった父は焼け跡になった城下を見事に再建して、中山王(察度)と同盟を結んで亡くなった。兄貴が山北王になったのは二十歳の時だった。祖父や父に仕えていた重臣たちを遠ざけて、自分に従う者たちを重臣に取り立てた。俺は兄貴の補佐役として活躍した。山北王の弟の俺に逆らう者はいなかった。兄貴も俺も若くして頂点に立ったため、周りの状況がよく見えていなかったのかもしれない。ヤンバルの按司たちを見下して、逆らう事などあり得ないと決めて掛かっていた。ヤンバルの按司たちに見限られた兄貴は滅びるしかない。俺は逃げるのではなく、再出発をするだけだと湧川大主は自分に言い聞かせていた。
 武装船は沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)を右に見ながら北へと向かって行った。


 その頃、ユラとサラを連れた旅芸人たちは無事に島添大里グスクに到着した。途中で中山王の山北王攻めを聞いたサラは、真相を確かめるために、ユラと一緒に祖父がいるミーグスクに行った。
 被慮人(ひりょにん)探しをしている李芸(イイエ)たちは無事に首里に帰って来た。今帰仁で見つけた三十一人の被慮人を連れていた。


 翌朝、湧川大主の逃亡を知った今帰仁グスクは騒然となった。
「あの馬鹿が。鬼界島攻めに失敗して、腑抜(ふぬ)けになってしまったのか。逃げるのはかまわんが、鉄炮を渡さずに逃げたのは許せん」
 攀安知(はんあんち)(山北王)は怒りにまかせて、高価な茶碗を投げつけた。
 二の曲輪の屋敷で寝泊まりしていたテーラー(瀬底大主)は、「二人のサムレー大将は戻って来ないし、ジルータ(湧川大主)まで逃げるなんて、まったく信じられん事じゃ」と溜め息をついた。
 湧川大主の離反は兵たちの不安を煽った。いつも山北王の隣りにいた湧川大主が抜けたという事は、山北王の敗北を意味しているのではないかと思う者が多くいた。テーラーと諸喜田大主は兵たちを引き連れて罠をいくつも作り、今帰仁グスクは絶対に攻め落とせないと強く言って士気を高めた。それでも、密かに逃げ出す兵があとを絶たなかった。
 勢理客ヌルと今帰仁ヌルの進言によって、志慶真曲輪の守りが変えられた。諸喜田大主が率いる五十人の兵と謝名大主(じゃなうふぬし)の五十人の兵が志慶真曲輪を守り、志慶真村の百人の兵は外曲輪の守りに回された。志慶真曲輪は代々、志慶真村の者が守ってきたと志慶真大主は嘆願したが、攀安知は聞き入れなかった。


 この日、三月二十八日、中山王の思紹(ししょう)は正式に各按司たちに出陣命令を出していた。
 島添大里グスクを佐敷大親とマグルーに任せて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、サスカサ(島添大里ヌル)、シンシン(杏杏)、ナナを連れて首里グスクに来ていた。
 島添大里にヌルがいなくなるので、ササ(運玉森ヌル)が若ヌルたちを連れて与那原(ゆなばる)から移っていた。お腹に子供がいるササは、戦に行くと言い出さなかったので、サハチは安心した。シンシンとナナを行かせる事にして、ササは玻名(はな)グスクヌルと一緒に若ヌルたちを指導しながら安須森ヌルの屋敷に滞在していた。
 庭園造りに励んでいたキラマ(慶良間)から来た五百人の若者たちも首里グスクに入って、武器や鎧(よろい)が配られて、五つの隊に編成された。総大将のサハチが率いる兵もキラマの若者たちで、第二隊はサグルー(山グスク大親)、第三隊はジルムイ(島添大里之子)、第四隊はシラー(久良波之子)、第五隊はキラマの師範のタク(小渡之子)が大将として率いる事に決まった。マウシ(山田之子)は山グスクで岩登りの訓練を積んだ兵百人を率いていた。
 総副大将は苗代大親(なーしるうふや)で、首里の一番組を率いて出陣し、久高親方(くだかうやかた)が率いる首里三番組、外間親方(ふかまうやかた)が率いる首里五番組、苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)が率いる首里十番組が出陣し、外間親方は小荷駄隊(こにだたい)を担当する事に決まった。
 島添大里三番組を率いる慶良間之子(きらまぬしぃ)(サンダー)と与那原大親(ゆなばるうふや)(マウー)も与那原の兵を率いて出陣する事になった。島添大里と与那原は東方(あがりかた)なので、南部を守る予定だったが、マウーが戦に参加させてくれと哀願して思紹が許したのだった。
 マウーは思紹が久高島(くだかじま)で若者たちを鍛え始めた時の最初の弟子で、キラマの島に行ってからは師範代を務めていた。すべては今回の戦のためだったと言うマウーを行かせないわけにはいかなかった。島添大里のサムレーたちは首里のサムレーたちが明国(みんこく)やヤマトゥに行っている時、首里グスクの警護を担当していた事もあったので、一組の出陣が許された。
 出陣する首里の兵は総勢一千二百人で、八百人はサハチが率いて陸路を行き、四百人は苗代大親が率いて海路で行く事となった。
 金武按司(きんあじ)、伊波按司(いーふぁあじ)、安慶名按司(あぎなーあじ)、勝連按司(かちりんあじ)、越来按司(ぐいくあじ)、中グスク按司、山南王、伊敷グスクにいる羽地と名護の兵、総勢七百五十人が東海岸を進軍する。山南王は水軍だけでなく、波平大主(はんじゃうふぬし)が率いるサムレーたちも参加してくれた。
 恩納按司(うんなあじ)、山田按司、北谷按司(ちゃたんあじ)、浦添按司(うらしいあじ)、サハチが率いる首里の兵、総勢一千百五十人が西海岸を進軍する。
 東海岸の兵と西海岸の兵は名護で合流して、名護の兵を連れて羽地の仲尾泊(なこーどぅまい)に行き、羽地と国頭の兵と合流する。
 水軍はヒューガ(日向大親)が率いる中山王の水軍のほか、山南王の水軍、瀬長按司(しながあじ)の水軍、小禄按司(うるくあじ)の水軍、愛洲(あいす)ジルーと早田(そうだ)ルクルジルーも参加してくれた。水軍の務めは兵糧(ひょうろう)と資材、兵の運搬だけでなく、敵対する山北王の水軍を倒して、親泊(うやどぅまい)(今泊)と運天泊を占領しなければならなかった。
 今帰仁攻めに参加する中山王の兵、三千余りが各地で戦の準備に追われていた。
 翌日の夕方、今帰仁にいたウニタキが首里に来て、龍天閣(りゅうてぃんかく)にいたサハチと思紹に今帰仁の様子を知らせた。
 今帰仁城下の全焼を聞いたサハチと思紹は驚いた。
「サタルーがやったのか」とサハチが聞いた。
「相談された時、あの城下を燃やすのは勿体ないと思ったんだが、戦が始まれば、邪魔な家々は破壊されるのだから、奥間の者たちも仕返しがしたいだろうと思って許したんだ」
「みんな、燃えたのか」と思紹が聞いた。
「サタルーも全部を燃やすつもりはなかったようだけど、強風が出て来て火の勢いを止める事はできず、みんな燃えてしまいました。『まるずや』も『よろずや』も『綿布屋(めんぷや)』もです。『まるずや』と『綿布屋』は撤収の準備をしていたので、大した被害はありませんが、『よろずや』は戦が始まったあとも、必要な資材を供給するために残す予定だったので、その資材は皆、灰になってしまいました」
「店の者たちは無事なんだな?」
「全員、無事です。みんな、羽地に逃げています。『よろずや』のイブキ、ムトゥ、ウミの三人は外曲輪に避難しています」
「なに、イブキたちはまた、グスク内にいるつもりなのか」とサハチは驚いた。
「イブキはもう七十歳に近い。無理をするなと言ったんだが、最後の仕事だと言って聞かなかったんだ。イブキの奥さんは羽地にいる」
「研ぎ師のミヌキチたちは無事なのか」と思紹が聞いた。
「無事です。『まるずや』の者たちと一緒に今帰仁を去りました。今頃は伊波に着いていると思います」
「そうか、よかった。先代のミヌキチもわしらの戦いを見守ってくれるじゃろう」
 奥間の避難民たちが奥間に戻った事を知らせるとよかったと皆で喜んだ。
「国頭の人たちが焼け跡の片付けに加わっているようです」
「そうか。戦が終わったら、みんなで片付けよう」と思紹が言った。
 湧川大主が武装船で逃げたと言ったら、サハチも思紹も唖然とした顔でウニタキを見ていた。
「湧川大主が逃げた‥‥‥」とサハチが信じられないといった顔で言った。
「一体、どうなっているんじゃ。本当に逃げたのか。罠ではないのか」と思紹が言った。
「側室や子供たちを連れて行ったので、本当だと思います。山北王が負けるのを見越して、道連れはごめんだと逃げて行ったのでしょう」
「どこに逃げるつもりなんだ?」とサハチが聞いた。
「ヤマトゥまで行ってくれればいいが、奄美辺りでうろうろされていたら、今後、厄介(やっかい)な事になりそうだ」
鉄炮は積んだままなのか」と思紹が聞いた。
「半分ははずして今帰仁グスクに運ばせましたが、半分は残っています。山北王は全部はずせと命じたようですが、湧川大主は半分だけはずして逃げたのです」
「半分と言うと六つの鉄炮がグスク内にあるという事じゃな?」
 ウニタキは笑いながら首を振った。
「六つの鉄炮は玉と火薬も含めて、いただきました」
「なに、鉄炮を奪い取ったのか」と思紹とサハチが同時に言った。
「山北王が湧川大主を今帰仁に呼んだ時、鉄炮の事だなとピンときて、待ち構えていたのです。湧川大主も油断したと見えて、護衛の兵も付けずに運ばせたので、奪い取るのはわけない事でした。今、仲宗根泊(なかずにどぅまい)の近くの山の中に隠してあります」
「でかしたぞ。敵に鉄炮がないというのは大いに有利になった。六つの鉄炮があれば、ヒューガの船からはずす必要もないな」
鉄炮を奪われた事を山北王に言えなくて、湧川大主は逃げたんじゃないのか」とサハチが言った。
「そうかもしれんな。戦の前の血祭りにされると思ったのかもしれん」
「ハビーも一緒に行ったのか」
「一緒に行った。三星党(みちぶしとう)の者は奄美の島々にもいるから、そのうち、知らせが届くだろう。まだ六つの鉄炮が積んであるから、海賊にでもなって、ヤマトゥに行く交易船を襲撃されたら大変な事になる」
「まずい事になったな」とサハチが言った。
「先の事はあとで考えればいい。今は今帰仁攻めに集中じゃ。敵の鉄炮を奪い取って、湧川大主がいなくなったのは上出来じゃ」と思紹は言って、
「湧川大主が抜けたら、真似して抜け出す兵がいるのではないのか」とウニタキに聞いた。
「奥間の炎上後、サムレー大将の並里大主と仲宗根大主は、城下の人たちに責められて地元に帰ったまま戻って来てはいません。副大将が指揮を執って任務に就いていたようですが、城下が焼け落ちた翌日、二人が率いていた兵たちは姿を消しています。ほかのサムレー大将六人は残っていますが、密かに逃げる兵の数は増えているようです。山北王の叔父で与論按司だった屋我大主も逃げています。今の所、グスクに残って戦う兵は七百人前後ではないかと思われます」
テーラーはそのまま今帰仁にいるんじゃな?」
「います」
「ヂャン師匠(張三豊)の名を出して寝返らせるか。うまい具合に湧川大主が抜けた。湧川大主はヂャン師匠の弟子たちと戦うのを避けて逃げて行ったと話せばいい」
「それで寝返りますかね?」とサハチが言った。
「好きだと言う山北王の側室も助けて、テーラーグスク(平良グスク)の主(あるじ)として按司に任命すると言えば寝返らんかのう。最悪の場合は家族を人質にするしかないな」
「本部にいる家族は見張っています」とウニタキが言った。
 三人は今帰仁グスクの絵図を広げて、最後の確認を行なった。

 

 

 

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2-230.混乱の今帰仁(改訂決定稿)

 今帰仁(なきじん)でお祭り(うまちー)が最高潮の頃、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクではトゥイ(先代山南王妃)の母親ウニョン(先々代中山王妃)を偲ぶと称して、家族たちが集まっていた。トゥイの夢枕に母が出て来て、急遽、家族を呼び集めたのだった。その中には保栄茂按司(ぶいむあじ)夫婦と子供たちもいて、保栄茂按司の家族は保栄茂グスクに帰る事なく、そのまま島尻大里グスクで暮らす事になる。
 島尻大里の城下の屋敷で暮らしていた仲尾大主(なこーうふぬし)は島添大里(しましいうふざとぅ)のミーグスクにいるヤンバル(琉球北部)の長老たちに呼ばれて、妻と娘を連れてミーグスクに行った。我部祖河(がぶしか)の長老は仲尾大主の叔父で、喜如嘉(きざは)の長老は妻の叔父だった。ミーグスクは以前に暮らしていた所なので気楽な気持ちで出掛けたが、仲尾大主は中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の山北王(さんほくおう)(攀安知)攻めを知らされ、羽地(はにじ)、名護(なぐ)、国頭(くんじゃん)も中山王に従うと聞いて、驚きのあまり腰が抜けたようになった。仲尾大主の家族はそのまま、ミーグスクに滞在した。この時点で、ミーグスクの主(あるじ)のチューマチとマナビー(攀安知の次女)はまだ何も知らない。マナビーにはマチルギが直接知らせるというので、長老たちも内緒にしていた。


 お祭りの翌日、後片付けを済ませた旅芸人たちは、油屋のユラと喜如嘉の長老の孫娘のサラを連れて、今帰仁をあとにした。旅芸人たちはサラも連れて帰る予定でいたが、ユラに頼む前にサラの方から、マナビーに会いたいので島添大里に行きたいと言い出していた。喜如嘉の長老が南部にいるので、両親も許してくれた。
 山北王の側室のクンはクミたちと一緒に国頭に帰った。最近、父親の具合がよくないと言って、クミはクンの帰郷を促していた。
 武芸試合に参加した者たちも、サムレーに取り立てる者たちには改めて知らせると言われ、皆、引き上げて行った。優勝したウシャは腰にヤマトゥの刀を差し、馬に乗って得意顔でクミたちと一緒に帰って行った。
 湧川大主(わくがーうふぬし)も側室のメイとハビーと子供たちを連れて運天泊(うんてぃんどぅまい)に帰った。山北王の攀安知(はんあんち)は城下の屋敷でクーイの若ヌルと仲良くやっていた。
 お祭りに来た人たちが皆、帰った昼過ぎ、静けさを取り戻した今帰仁の城下に、中山王の大軍が攻めて来るという噂がどこからともなく流れてきた。
 羽地、名護、国頭の按司たちが、中山王の今帰仁攻めとヤンバルの按司たちも中山王に従う事を家臣たちに知らせ、それぞれの城下の人たちにも公表した。家臣たちも城下の人たちも驚いたが、今までの山北王の仕打ちを考えたら、それも当然だと納得する者が多かった。
 各按司たちは今帰仁に住んでいる同郷の人たちを呼び戻すために配下の者を送り、山北王の兵が攻めて来た時に城下の人たちをグスク内に収容するための準備と、中山王の兵たちを迎え入れるための準備も始めた。
 今帰仁の城下は大混乱に陥った。中山王が攻めて来るだけでなく、羽地、名護、国頭、恩納(うんな)、金武(きん)の按司たちが皆、裏切って、中山王と一緒に攻めて来るという。
 二十五年前の中山王(察度)の今帰仁攻めを知っている人たちは当時の事を思い出して慌てた。城下は焼かれて、グスクは敵兵の大軍に囲まれ、九日間もの籠城の末、按司と若按司が殺された。当時、グスク内に避難した人たちは、恐ろしくて夜も眠れなかったと言った。早く城下から逃げた方がいいと人々は荷物をまとめて逃げる準備を始めた。
 今帰仁の城下には羽地、名護、国頭から移住した人たちも多かった。昨日、仲良くお祭りを楽しみ、共に酒を飲んでいた者たちが、「この裏切り者め!」とあちこちで殴り合いの喧嘩が始まった。城下の騒ぎを静めるサムレーたちの中にも羽地、名護、国頭出身の者たちはいて、噂の真実を確かめるために故郷へと向かった。
 城下にいた攀安知は噂に驚き、クーイの若ヌルを連れてグスクに戻った。グスク内でも、その噂に振り回されて大騒ぎしていた。攀安知がクーイの若ヌルを連れたまま一の曲輪(くるわ)の御殿(うどぅん)に行くと、義弟の愛宕之子(あたぐぬしぃ)が待っていた。クーイの若ヌルを別の部屋で待たせて、攀安知愛宕之子から話を聞いた。
「噂は本当のようです。羽地、名護、国頭の按司たちが送った者たちが、同郷の者たちに今帰仁を離れて帰るように説得して回っています。三人の按司たちは裏切ったようです」
「何だと!」と攀安知は真っ赤な顔をして怒鳴った。
「あの三人が寝返っただと? 一体、いつ、寝返ったんだ?」
「それはわかりませんが、長老たちが首里(すい)見物に出掛けたのは、それに関係があるのだと思います」
「お前は中山王には戦(いくさ)をする気配などまったくないと言ったが、あれは嘘だったのか」
「あの時点ではありませんでした。その後の話だと思います」
 山北王は悪態をついて怒りまくり、「重臣たちを集めろ」と命じた。
 城下にいたテーラー(瀬底大主)やサムレー大将たちも慌ててグスクにやって来ていた。二の曲輪の屋敷に集まった重臣たちは青ざめた顔を見合わせながら、「信じられん事じゃ」と言っていた。
 怒った顔の攀安知が現れると皆、黙って俯いた。
 攀安知重臣たちの顔を見回すと、「三人の按司たちが裏切ったそうだ。誰もその事に気づかなかったのか」と聞いた。
 答える者は誰もいなかった。
「中山王がいつ攻めて来るのかを調べて、それに備えて戦の準備をするのが肝要かと思います」とテーラーが言った。
「三人の按司たちを放っておいて、戦の準備をするというのか」
「一千人、あるいは二千人で攻めて来たとしても、このグスクを攻め落とす事は不可能です。前回、先代の中山王(武寧)が総大将になって攻めて来た時も、落とす事はできずに引き上げて行きました。今回もきっとそうなるでしょう。半月後には梅雨の季節になります。中山王が引き上げたあと、三人の按司たちを始末すればいいのです」
 攀安知テーラーをじっと見てから、うなづいた。確かにテーラーの言う通りだった。中山王の大軍が攻めて来ても、このグスクが落とせるわけがなかった。外曲輪(ふかくるわ)ができて、二十五年前の時よりグスクは強化されているし、兵糧(ひょうろう)の蓄えも充分にある。梅雨になれば中山王も諦めて引き上げるに違いない。
「中山王に一泡吹かせてやるか」と攀安知はニヤニヤと笑った。
 三人の按司たちが裏切ったと聞いて頭に来たが、冷静に考えてみれば、今帰仁グスクを守るのに三人の按司たちは何の兵力にもならなかった。裏切らなかったとしても、自分のグスクに籠もっているだけに違いない。中山王が今帰仁まで攻めて来てくれるのなら、痛い目に遭わせて追い返せば、今後の展開にいい結果を及ぼす事になるだろう。
 来るなら来い。待ち構えてやると攀安知は強気になっていた。
 サムレー大将たちに戦の準備をさせ、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)を奥間(うくま)から撤収させ、湧川大主を呼べと攀安知は命じた。
 志慶真(しじま)村でも噂を聞いて大騒ぎになっていた。志慶真大主は志慶真ヌルを問い詰めた。
「中山王が山北王を攻めるなんて、わたしは知りません。わたしは島添大里グスクで女子(いなぐ)サムレーを勤めていただけです。そんな重要な事を知る立場にはいませんでした」
「お前がここに来たのは戦とは関係ないと言うのだな」
「関係ありません。志慶真ヌル様がお亡くなりになったあと、若ヌルを助けるために来たのです」
「そうか」と言って志慶真大主は納得したが、名護、羽地、国頭が寝返った今、志慶真村として、どうしたらいいのかわからなかった。志慶真大主の妻は国頭按司の妹だった。妹のマカーミは諸喜田大主の妻だった。次男のジルーは湧川大主の娘を妻に迎えて、湧川大主の配下になっていた。妻には悪いが、志慶真村を守るには、やはり山北王に従うしかないかと志慶真大主は思った。
 その頃、今帰仁の城下から親泊(うやどぅまい)(今泊)に向かうハンタ道は、荷物を担いで城下から逃げる人たちが列をなしていた。城下の人たちは外曲輪内に避難できるが、敵兵に囲まれたグスク内にいるのは恐怖感があった。親戚や知人を頼って、今帰仁から離れた方が安全だった。
 湧川大主の側室のマチも娘のチルーを連れて、人混みに押されながら運天泊を目指していた。油屋のユラの兄も家族を連れて、油の蔵がある本部(むとぅぶ)の渡久地(とぅぐち)を目指していた。『まるずや』も撤収し、商品を積んだ荷車を引いて、研ぎ師のミヌキチの家族を連れて、羽地に向かっていた。
 運天泊で噂を聞いた湧川大主は自分の耳を疑った。三人の按司たちが裏切って、中山王が攻めて来るなんて信じる事ができなかった。
 湧川大主は割目之子(わるみぬしぃ)を呼んで、
「一体、どうなっているんだ?」と聞いた。
 割目之子は目を丸くして首を振った。
「中山王が攻めて来るなんて信じられません。誰かがでまかせを流しているのではないかと‥‥‥」
「誰がそんな噂を流すんだ? それより、油屋の者たちからの報告で、何か異常はなかったのか」
「別に変わった事はありません。ただ、北谷(ちゃたん)と勝連(かちりん)からの報告がまだで、二、三日遅れる事もあるので、気にもしませんでしたが」
「北谷と勝連? 配下の者を送って、すぐに調べろ。もしかしたら、殺されたのかもしれん」
「えっ?」と驚いている割目之子に、「早く行け!」と湧川大主は追い出した。
 中山王が攻めて来れば、運天泊でも戦が起こる。ハビーと娘のトゥミは羽地に避難させた方がよさそうだと思った。いや、羽地に避難させたら、メイと一緒に捕まってしまう事も考えられた。
 日が暮れる頃、マチとチルーがやって来て、道がとても混んでいて疲れたと言って倒れ込んだ。同じ頃、山北王の使いもやって来て、至急、今帰仁グスクに来るようにと伝えた。湧川大主は、明日、行くと答えた。


 南部でも中山王の山北王攻めは、山南王(さんなんおう)と東方(あがりかた)の按司たちに知らされた。昼過ぎ、首里グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)に山南王の他魯毎(たるむい)、玻名(はな)グスク按司(ヤキチ)、八重瀬按司(えーじあじ)(マタルー)、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)(イハチ)、兼(かに)グスク按司(ンマムイ)、玉グスク按司、知念按司(ちにんあじ)、垣花按司(かきぬはなあじ)、糸数按司(いちかじあじ)、大(うふ)グスク按司、新(あら)グスク按司、米須按司(くみしあじ)(マルク)がお忍びで集まって、思紹(ししょう)(中山王)から詳しい説明を聞いた。
「南部にいる山北王の兵を抑えればいいのですね」と他魯毎が思紹に聞いた。
「よろしく頼む。テーラーは今、今帰仁にいるようだ。戻って来るかどうかはわからんが、テーラーグスク(平良グスク)と保栄茂グスクを包囲してくれ」
「俺たちはただ待機しているだけですか」とンマムイが不満顔で言った。
今帰仁グスク攻めは簡単な事ではない。梅雨になるまでの半月が勝負じゃ。もし落とせなかった場合、山北王が追撃して来る事も考えられるんじゃ。何事が起きても対処できるように待機していてくれ。それにお前には重要な任務がある。妻のマハニを説得してくれ」
 それが一番難しいとンマムイは思っていた。中山王が兄を倒すために出陣するなんて、マハニにはとても言えなかった。
「俺たちも戦に参加できないのですか」と娘婿(むすめむこ)の玉グスク按司が言って、同じく娘婿の知念按司も、「戦に参加させて下さい」と言った。
「前回、タブチ(先々代八重瀬按司)が騒ぎを起こした時、東方の按司たちは活躍した。今回は中部の按司たちに活躍の場を与えてやってくれ。島添大里按司のサハチは総大将として出陣するが、佐敷大親(さしきうふや)、平田大親たち兄弟は出陣しない。わしも首里に残る。もし、負け戦になったとしても、南部が盤石なら立て直しができる。今回はグスクを守って待機していてくれ」
「水軍の者たちを参加させて下さい」と他魯毎が言った。
「兵糧を運ぶのに船が足らなかったんじゃ。そうしてもらえると助かる」
小禄按司(うるくあじ)と瀬長按司(しながあじ)の水軍も参加させましょう」
「すまんな。よろしく頼む」
 山南王と東方の按司たちは守りを固めるために引き上げて行った。
 島添大里グスクでは佐敷大親(マサンルー)、平田大親(ヤグルー)、手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)、ミーグスク大親(チューマチ)、与那原大親(ゆなばるうふや)(マウー)、上間大親(うぃーまうふや)が集まって、サハチから説明を聞いていた。
 マサンルーとヤグルーとクルーは自分たちが知らないうちに、そんな重要な事が決まっていた事に驚いた。
「どうして、俺たちに内緒にしていたのです?」とマサンルーが聞いた。
「お前たちを信じないわけではないが、今帰仁のお祭りが終わるまでは絶対に秘密にしなければならなかったんだ」
今帰仁のお祭り?」
「油屋の娘がお芝居の台本を書いて、そのお芝居が演じられる事になっていた。戦のあと、油屋を味方に引き入れるためには、どうしてもお芝居を成功してほしかったんだ」
「それにしたって、俺たちも作戦に加わりたかった」とマサンルーが悔しそうな顔をした。
「わかっている。すまなかったと思っている」
「俺たちは今帰仁攻めにも参加できないのですね?」とクルーが言った。
「お前たちには南部の事を頼む。今帰仁攻めは山北王を倒して、琉球を統一する事が目的だが、あの今帰仁グスクを攻め落とすのは容易な事ではない。もし、攻め落とせなかった場合、山北王は山南王と手を結ぶ事も考えられるんだ」
「えっ、義弟の他魯毎が裏切るというのですか」とヤタルーが驚いた顔で聞いた。
他魯毎は義弟には違いないが、シタルー(先代山南王)の息子だという事を忘れるな。中山王が不利だと思えば、山北王にそそのかされて、父親が築いた首里グスクを奪い取ろうと考えるかもしれない。玉グスク按司と知念按司他魯毎の義兄でもあるし、糸数按司は叔父だ。東方の按司たちが山南王の味方に付いたら、中山王は挟み撃ちにされて滅びる事も考えられる。そうならないように、按司たちをよく見張っていてくれ」
 六人の大親たちはサハチを見つめて、厳しい顔付きでうなづいた。
「マナビーの事だが」とサハチはチューマチに言った。
「今、マチルギがマナビーを説得している。中山王が父親を攻めるというのだから、簡単には納得しないだろう。父を助けに今帰仁に行くと言い出すかもしれない。どんな事があっても、マナビーをグスクから出すなよ」
 チューマチはマナビーに何と言ったらいいのか、ずっと悩んでいた。マナビーが別れると言い出すのが怖かった。母がうまく説得してくれればいいと願った。
 その頃、マナビーはマチルギの話を聞いて泣いていた。
「どうして、ヤンバルの按司たちは父を裏切ったのですか。みんな、親戚なのに信じられない」
「鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めで多くの人たちが戦死して、按司たちも戦だから仕方がないと諦めていたけど、山北王が奥間を焼き払った事で、按司たちも山北王を見限ったみたいだわ」
「父はどうして、奥間を焼き払ったのですか」
「奥間の人たちが中山王と親しくしていたからでしょう」
「わたしに武芸を教えてくれたのは奥間から来た父の側室でした。仲のよかったサラとマルと一緒に馬に乗って奥間まで行った事もあります。奥間を焼いてしまうなんて、父はどうかしてしまったのかしら」
 マナビーは涙を拭うとマチルギを見た。
「父と中山王がいつか戦う事はわかっていました。父はわたしが嫁ぐ時、琉球を統一したら、必ず、お前を助け出すと言いました。わたしは父の言葉を信じて、南部に嫁いで来ました。いやな事があったら馬に乗って逃げ出そうとも考えていたのです。でも、島添大里に来て、驚く事ばかりで、わたしは嫁いで来てよかったと思いました。今まで一度も逃げようなんて考えた事はありません。ここに来て四年になりますが、わたしは幸せでした。娘も生まれましたし、わたしはもう中山王の孫だと思って下さい」
「ありがとう。そう言ってもらえると本当に助かるわ。父親は無理でも、あなたの母親は必ず助け出すって、按司様(あじぬめー)は言っていたわ」
「えっ、母を助け出すのですか」とマナビーは信じられないと言った顔をした。
「あなたの母親は兼グスク按司の妹だし、山南王の従姉(いとこ)でもあるから助け出すわ。それに、女子(いなぐ)や子供は皆、助け出すはずよ」
 マナビーが聞き分けてくれてよかったとマチルギは胸を撫で下ろした。馬にまたがると女子サムレーたちを引き連れて、マハニを説得するために兼グスクに向かった。
 その日の午後、山南王の兵によって保栄茂グスクとテーラーグスクは包囲された。伊敷グスクはヤンバルの長老たちの知らせで、伊差川大主(いじゃしきゃうふぬし)と古我知大主(ふがちうふぬし)は中山王に従う事になっていた。
 伊差川大主は若按司のミンの重臣を務めていて、名護按司の叔父で、松堂の甥だった。古我知大主は羽地按司の弟でサムレー大将を務めていた。
 古我知大主が率いて来た百人の兵たちは羽地と名護の出身者で、一昨年の冬、ミンの護衛として南部にやって来た。夏になったら帰れるという約束だったのに、船は知らないうちに帰ってしまい、一年以上も伊敷グスクに置き去りにされていた。テーラーグスクのように、山北王が家族を送ってくれる事もなく、食糧も送ってはくれなかった。兵たちは農作業を手伝いながら、自らの食い扶持を稼いでいた。ヤンバルの按司たちが山北王から離反して、中山王と共に山北王を攻めると聞くと大喜びをして、わしらも山北王攻めに加わりたいと言ってきた。他魯毎から話を聞いた思紹は伊敷グスクの兵たちが加わる事を許した。


 昼間の喧噪が嘘だったかのように、夕暮れの今帰仁の城下は静まり返っていた。ヤマトゥ(日本)町の遊女屋(じゅりぬやー)の前の縁台に、三人のヤマトゥのサムレーが座って話し込んでいた。
「大戦(おおいくさ)が始まるとは驚いた。わしらはどこに逃げたらいいんじゃ?」
伊江島(いーじま)に逃げろと山北王からお触れが出たようじゃ」
伊江島か。戦に参加する奴はいないのか」
「山北王が勝とうが、中山王が勝とうが、わしらにはどうでもいい事じゃ」
「そうは行くまい。山北王がいなくなったら、わしらは取り引きができなくなるぞ」
「新しい山北王が南部から来るんじゃろう。そいつと取り引きをすればいいだけじゃ。それに、まだ山北王が負けたと決まったわけではない。今帰仁グスクはそう簡単には落とせん。中山王は諦めて引き上げるかもしれん」
「しかしのう、伊江島には遊女屋はあるまい。わしらが帰ってから、戦を始めてくれたらよかったのにのう」
「遊女屋も逃げるようじゃ。今晩が最後の夜となりそうじゃ」
「最後の夜か。それなら充分に楽しむとするか」
 三人のサムレーが立ち上がった時、東の方がやけに明るいように感じた。
「あれは何じゃ?」とサムレーが行った時、誰かが「火事だ! 火事だ!」と叫んでいた。
 サタルーとサンルーが率いる『赤丸党』の者たちが、奥間の敵討ちだと、油屋が残して行った油を撒きながら空き家に火を付けていた。
 天も味方をしたのか、突然、強風が吹いてきて、火は見る見る大きくなって、家々を飲み込んでいった。まだ、城下に残っていた人たちは悲鳴を上げながら逃げ惑った。グスクからサムレーたちが出て来て、消火活動をしたが火の勢いは強く、消す事はできなかった。ヤマトゥ町や唐人町(とーんちゅまち)にも延焼して、逃げ惑う人々は開放された外曲輪へと逃げ込んだ。


 翌日、久し振りにサムレー姿になった湧川大主が供を連れて馬に乗り、今帰仁を目指していた。馬に揺られながら、中山王を追い返す作戦を練っていた。
 城下に着いて愕然となった。辺り一面、焼け野原になっていた。まだ燃えている所もあった。黒焦げに焼けた柱があちこちに倒れている大通りを通ってグスクに行くと、大御門(うふうじょう)が開いていて、外曲輪には焼け出された大勢の避難民たちがいた。
 城女(ぐすくんちゅ)たちが炊き出しをしていて、怪我人たちの手当てをしている城女もいた。
 湧川大主は連れて来た供の者たちに避難民たちの世話を命じて、中御門(なかうじょう)に向かった。
 二の曲輪の屋敷に行くと疲れ切った顔付きの重臣たちがいた。テーラーがいたので、湧川大主は何があったのかを聞いた。
「奥間の奴らが仕返しをしたようじゃ」
「なに、奥間の奴らが火を付けたのか」
「そういう噂じゃ。本当の所はわからん」
「それにしたって、城下が全焼するなんてありえるのか」
「火の勢いが強すぎて、止める事はできなかったんじゃ」
「戦が始まれば、どうせ焼かれてしまう。それが少し早すぎたと諦めるしかないな」と湧川大主は苦笑した。
「ハーン(攀安知)が待っている」とテーラーは一の曲輪の方を指差した。
 湧川大主はうなづいて、一の曲輪の御殿に向かった。
 攀安知はうなだれていた。湧川大主を見ると、「久し振りだな」と言って軽く笑った。
「親父が苦労して造った城下が一晩で燃えちまった」
 そう言って攀安知は溜め息をついた。
「中山王の出陣は四月一日のようだ」と湧川大主は言った。
 顔を上げた攀安知は指折り数えて、「あと五日か」と言った。
今帰仁に着くのは三日か四日だろう。それまでに、罠(わな)を仕掛けておいた方がいい」
「そうだな」と攀安知はうなづいた。
「お前を呼んだのは、戦で活躍してもらうのは勿論だが、武装船に積んである鉄炮(てっぽう)(大砲)の事で呼んだんだ。敵を一泡吹かせるには鉄炮が必要だ。船から降ろして、グスクに運び入れてくれ」
「いくつはずすんだ?」
「勿論、全部だ」
「全部はずしたら、海戦ができなくなる」
「海戦などいい。敵の兵糧を奪い取ったとしても、羽地が寝返っているんだ。羽地按司が送るだろう。船など放っておいて、ここでの勝負に重点を置くんだ。かなわんと言って、敵が逃げるようにな。時間がない。早く鉄炮を持って来て、罠を作らなければならんぞ」
 湧川大主はうなづいて、引き下がった。
 外曲輪に来て、この避難民たちはどうするつもりなのだろうと思った。見た所、五、六百人はいそうだった。兵糧に余裕があるとしても、こんなにも避難民がいたら、兵糧は見る見る減って行くだろう。それよりも、武装船の鉄炮をすべてはずして持って来るかどうか、湧川大主は悩んでいた。兄貴は海戦は必要ないと言うが、戦もせずに運天泊を敵に奪われるのは癪(しゃく)に障った。
 湧川大主は供のサムレーたちを呼ぶと、馬にまたがって今帰仁をあとにした。
 その頃、奥間では諸喜田大主が兵を引き連れて撤収したので、辺土名(ふぃんとぅな)に避難していた奥間の人たちが村に戻って、歓声を上げていた。

 

2-229.今帰仁のお祭り(改訂決定稿)

 ササ(運玉森ヌル)たちが乙羽山(うっぱやま)で『マジムン(悪霊)退治』をしていた頃、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに珍しい客がサハチ(中山王世子、島添大里按司)を訪ねて来た。瀬長按司(しながあじ)だった。
 わざわざ訪ねて来るなんて、瀬長按司の娘のマカジと苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)の長男のサジルーの婚約に何か問題でも起きたのだろうかと思いながら、サハチは大御門(うふうじょう)(正門)まで迎えに出た。
 瀬長按司はサハチの顔を見ると手を上げて、
「ここに来たのは二十年振りじゃ」と笑った。
「二十年というと、汪英紫(おーえーじ)殿がいた頃ですか」とサハチは聞いた。
「そうじゃ。汪英紫殿は姉(トゥイ)の義父だったので、よく出入りしていたんじゃよ。あの二階建ての屋敷ができた時のお祝いの宴(うたげ)にも参加した。汪英紫殿が山南王(さんなんおう)になって、倅のヤフスがここの按司になってからは来なくなったのう。あの頃とあまり変わっていないようじゃな」
「石垣の修繕をしたくらいです。汪英紫殿が改築したこのグスクは完璧です。直す所はありませんよ」
汪英紫殿はグスク造りの名人じゃった。瀬長グスクを築く時も汪英紫殿の意見を参考にしたと親父(察度)が言っていた」
「そうだったのですか」
 汪英紫のグスク造りの才能はシタルー(汪応祖)が継いで、豊見(とぅゆみ)グスク、首里(すい)グスクを築いている。サハチにしろ思紹(ししょう)(中山王)にしろ、汪英紫父子が築いたグスクで暮らしているのだった。
 サハチは瀬長按司を一の曲輪(くるわ)の屋敷の一階の会所(かいしょ)に案内して話を聞いた。瀬長按司は息子の縁談について相談に来たという。
「姉に相談したら、そなたに相談しろって言われてな。本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底大主)が持って来た縁談なんじゃが、何と山北王(さんほくおう)(攀安知)の娘をわしの三男の嫁に迎えろと言うんじゃよ」
「山北王の娘を?」とサハチは驚いた顔をして瀬長按司を見た。
 嫁入りが決まっていない十七の娘がいるとウニタキ(三星大親)から聞いたのをサハチは思い出した。その娘を南部に嫁入りさせるなんて思ってもいなかった。
「わしが思うに、嫁入りにかこつけて、瀬長島に山北王の兵を送り込もうと考えているに違いない。わしの一存では決められないので、相談に来たというわけじゃ」
「婚礼の予定は言っていましたか」
「九月頃の予定じゃと言っておったな」
 九月に瀬長島に娘を嫁入りさせて兵を送り、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクを制圧して、世子(せいし)のミン(攀安知の長男)を山南王にするつもりだろうとサハチは思った。
「よく知らせてくれました。九月までに何とか対処します。テーラーには喜んで、山北王の娘を嫁に迎えると返事をして下さい」
「そんな事を言って大丈夫なのか」
「もし、断った場合、テーラーグスクにいる兵と水軍を送り込んで、武力で瀬長島を奪い取るかもしれません。そんな事になれば多くの犠牲者が出ます」
 瀬長按司はサハチの顔を見つめてから、「九月までに何とかするんじゃな?」と念を押した。
「任せておいて下さい」とサハチは自信を持って答えた。
 瀬長按司はうなづいて、帰って行った。後ろ姿を見送りながら、サハチはもう少し待ってくれと心の中で言っていた。
 ササたちがヤンバル(琉球北部)から帰って来たのは、二日後の夕方だった。安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)と一緒にサハチの部屋に来たササ、シンシン(杏杏)、ナナは、『シジマの志慶真(しじま)ヌル就任』と、『屋嘉比(やはび)のお婆の死』と、『マジムン退治』の事を報告した。
 皆、驚くべき事だったが、サハチが一番驚いたのは屋嘉比のお婆の死だった。名護(なぐ)、羽地(はにじ)、国頭(くんじゃん)の按司たちが寝返りを決めたのは、屋嘉比のお婆の一言だった。そのお婆が亡くなってしまって、三人の按司たちの意思が揺らぐのを心配した。
「お婆の跡を継いだヌルはいるのか」とサハチは聞いた。
「お婆の孫の『屋嘉比ヌル』がいるから大丈夫よ」とササが言った。
「お婆の陰になって目立たなかったけど、お婆のすべてを受け継いでいるわ。『アキシノ様』の子孫だし、屋嘉比ヌルと志慶真ヌルがいれば大丈夫よ。シジマは志慶真ヌルを継いだのと同時に、『クボーヌムイヌル』も継いだのよ」
「ヌルの修行をしていないのに、クボーヌムイヌルまで継いで大丈夫なのか」
「アキシノ様が見守っているから大丈夫よ」
「そうだな」とサハチはうなづいて、マジムン退治の事を聞いた。
 ササは『スムチナムイ』の『コモキナ様』という神様がアマミキヨ様の夫だった事を説明して、幼い千代松を追い出して今帰仁按司(なきじんあじ)になった本部大主(むとぅぶうふぬし)の娘の今帰仁ヌルに取り憑いていたマジムンを退治したと言った。
「初めてマジムン退治をやったんだけど、うまく行ったわ。きっと、『瀬織津姫(せおりつひめ)様のガーラダマ(勾玉)』のお陰よ。今帰仁グスクを攻め落としたあとも、今帰仁グスクで『マジムン退治』をしなければならないわ。今帰仁グスクは昔、シネリキヨの一族たちのウタキ(御嶽)だった所に造ったの。グスク内にあるウタキにはシネリキヨの神様が祀られているわ。シネリキヨのヌルであるタマ(東松田の若ヌル)を連れて行かなければならないわ」
「タマもマジムン退治をやったのか」
「あたしとシンシンとナナとタマの四人でやったのよ」
「ほう。あの若ヌルも大したもんだな」
「タマは先に起こる事がわかるのよ。今帰仁攻めの時、按司様(あじぬめー)のそばに置いておくべきよ」
 サハチは十年前、鎧(よろい)を着てサハチに従っていた馬天(ばてぃん)ヌル、マチルギ、安須森ヌル、フカマヌルを思い出した。駄目だと言っても付いて来るに違いない。
「ヌルを連れて行ってもいいが、戦には参加させないぞ」
「それはわかっているわ。あたしたちが相手にするのはマジムンたちよ」とササは言った。
 お茶を持って来たナツがササを見て、
「ねえ、ササ、お腹が大きくなってきたんじゃないの?」と言った。
「えっ?」と驚いた顔をしてササはナツを見た。
「ヤンバルで食べ過ぎたかしら」とササはとぼけたが、ナツに気づかれてしまったと慌てた。
「お前、もしかして?」とサハチはササのお腹を見た。
 ナツの言う通り、少し大きくなっているように思えた。
「大丈夫よ」とササは恥ずかしそうな顔をして、逃げるように出て行った。
 シンシンとナナがあとを追って行った。
「やっぱり、おめでたなのね?」と安須森ヌルが言った。
「ササの跡継ぎができたか」とサハチは笑って、
「相手は勿論、愛洲(あいす)ジルーだな?」と安須森ヌルに聞いた。
「ササのマレビト神はジルーよ。南の島で結ばれたのよ」
 サハチは満足そうにうなづいた。
「子供が生まれれば、ジルーも毎年、来てくれるな。よかった。しかし、あの体じゃ、戦に行かせるわけにはいかんな」
「言う事を聞いてくれればいいんだけど」と安須森ヌルは溜め息をついた。
 ササはサハチを避けるように若ヌルたちを引き連れて、中グスクのお祭り(うまちー)の準備の手伝いに出掛けた。
 その頃、首里グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)で思紹、苗代大親(なーしるうふや)、ヒューガ(日向大親)、ファイチ(懐機)の四人が今帰仁攻めの作戦を練っていた。サハチも参加したいが、ヤンバルの長老たちがミーグスクに滞在しているので、やたらと首里に行くのは避けていた。
 ヒューガはキラマ(慶良間)の島から五百人の若者たちを運び終わって、若者たちは人足(にんそく)となって庭園造りに励んでいた。今帰仁グスクを攻め落としたあと、今帰仁グスクの侍女や女子(いなぐ)サムレーになる娘たち五十人も来ていて、炊き出しをやっていた。
 三月十九日のクマヌ(先代中グスク按司)の命日に、中グスクのお祭りが行なわれた。三の曲輪(後の西の曲輪)と二の曲輪まで開放されて、城下に住む人たちや近在の村の人たちが大勢集まって来ていた。三の曲輪には屋台が並び、舞台は二の曲輪にあった。
 クマヌが亡くなって一年目に旅芸人たちを呼んで、クマヌを偲ぶお祭りをやったが、それは城下の広場で行なわれた。クマヌの奥さんは島添大里の武将の妻だった頃、島添大里グスクを攻められて、幼い娘を連れて必死に逃げた恐ろしい記憶を忘れる事ができず、グスクを開放して、お祭りをする事ができなかった。養子のムタ(中グスク按司)は義母の気持ちを察して、お祭りをする事はなく、クマヌの命日は身内だけで静かに偲んでいた。去年の冊封使(さっぷーし)が来て忙しかった頃、奥さんは亡くなった。亡くなる時、クマヌの命日に賑やかなお祭りをやってくれと遺言した。ムタはうなづいて、今年からグスクを開放して、お祭りをする事に決めたのだった。
 舞台では中グスクヌルの進行で、地元の娘たちの歌や踊りが披露され、女子サムレーたちの剣舞、シンシンとナナの武当拳(ウーダンけん)も披露された。
 お芝居は女子サムレーたちによる『瓜太郎(ういたるー)』と旅芸人たちの『千代松(ちゅーまち)』だった。旅芸人たちの『千代松』は首里グスクで初演された『千代松』とは少し違っていた。子供たちにわかりやすくするために、難しい事は省いて、より面白くなっていた。子供を産んで踊り子を引退した先代のフクが、旅をしながら演じてきた経験を生かして、台本を大衆向けに直したのだった。
 その日、人混みに紛れて、東行法師(とうぎょうほうし)に扮した思紹もやって来た。サハチも安須森ヌルと一緒に来た。浦添按司(うらしいあじ)、越来按司(ぐいくあじ)、北谷按司(ちゃたんあじ)、勝連按司(かちりんあじ)、安慶名按司(あぎなーあじ)、伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司もお忍びでやって来た。勝連按司のサムは山伏の格好をして現れて、皆を驚かせた。
「一度、義父(おやじ)の格好がしてみたかったんだ」とサムは笑った。
 按司たちは一の曲輪の屋敷の二階の眺めのいい部屋に集まって、クマヌを偲ぶと称して、戦評定(いくさひょうじょう)が行なわれた。
 按司たちは思紹の書状を見ただけなので、詳しい事情がわからなかった。サハチが今までの経緯(いきさつ)を説明して、思紹が絵図を示しながら、実際の作戦を説明した。
「出陣は四月一日で、梅雨に入る前に決着を付けたい。半月の予定で兵糧(ひょうろう)を用意してくれ。戦に勝利した暁には消費した兵糧は保証するし、戦で活躍した者にはそれなりの報償が出る。今回が最後の大戦(うふいくさ)だと思って、皆、気を張って戦に挑んでくれ」
 思紹の言葉に按司たちは厳しい顔付きでうなづいて、勝利を祈願して祝杯を挙げた。
 翌日、旅芸人たちは今帰仁のお祭りに参加するために今帰仁に向かった。そして、その翌日、首里で丸太引きのお祭りが行なわれた。ササたちは裏方に回って守護神として出る事はなく、若い者たちに任せた。
 首里の守護神は女子サムレーのミリーだった。ミリーは伊是名島(いぢぃなじま)の仲田大主(なかだうふぬし)の娘で、十五歳の時に伊是名親方(いぢぃなうやかた)(マウー)を頼って首里に来て、首里グスクの剣術の稽古に通っていた。マチルギの勧めで、キラマの島で修行してから首里の女子サムレーになった。去年、守護神を務めたクニの指導で丸太乗りの稽古に励んでいた。
 浦添(うらしい)もカナ(浦添ヌル)に代わって、女子サムレーのシチが守護神を務め、若狭町(わかさまち)はシズに代わって、『よろずや』の売り子のカラが守護神を務めた。カラはシズと同じように父親はヤマトゥンチュ(日本人)だった。島添大里はサスカサ(島添大里ヌル)、佐敷は佐敷ヌル、久米村(くみむら)はファイリン(懐玲)だった。
 守護神たちは皆、うまく丸太を乗りこなした。首里の大通りに入って、佐敷と島添大里がいい勝負をして、勝ったのは佐敷だった。丸太を引いている男たちの中にルクルジルー(早田六郎次郎)たちもいて優勝を喜んでいた。八年前の最初の丸太引きで、当時、佐敷ヌルだった安須森ヌルが守護神を務めて優勝して以来の快挙だった。
 その日はサハチも首里に来ていて、龍天閣で思紹と一緒に今帰仁攻めの作戦を練った。絵図を眺めながら、
「南部にいる山北王の兵はどう抑えるのです?」とサハチは思紹に聞いた。
「『三星党(みちぶしとう)』のアカーが調べた所、伊敷(いしき)グスクにいる兵は羽地と名護の兵だという。大将は羽地按司の弟の古我知大主(ふがちうふぬし)じゃ。羽地と名護が寝返った事を知れば動く事はあるまい」
「うまい具合にミーグスクの兵たちも羽地の兵で、大将は我部祖河(がぶしか)の長老の息子でした。ミーグスクも動かないでしょう」
 思紹はうなづいて、「問題は保栄茂(ぶいむ)グスクじゃ」と言った。
「大将は小浜大主(くばまうふぬし)で、守っているのは今帰仁の兵じゃ。小浜大主というのは鬼界島(ききゃじま)(喜界島)で戦死した備瀬大主(びしうふぬし)の弟で、テーラーの配下だったらしい。もう一人兄がいて、備瀬大主の名を継いで、今帰仁のサムレー大将を務めているようじゃ。小浜大主がわしらの出陣に気づく前に、保栄茂按司夫婦を脱出させなくてはならない」
「島尻大里の城下に住んでいる仲尾大主(なこーうふぬし)の家族も危ない」とサハチは言った。
他魯毎(たるむい)(山南王)に頼んで、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに入れてもらうしかない」
「保栄茂按司夫婦が脱出したあと、保栄茂グスクとテーラーグスク(平良グスク)を包囲するのですね」
 思紹はうなづいて、「それも他魯毎に頼むしかないな」と言った。
「東方(あがりかた)の按司たちは守りを固めて、様子を見守っているだけですか」
「そうじゃ。もしも、今帰仁の戦で、わしらが負けた場合、他魯毎は山北王と手を結んで、東方を攻めるじゃろう。最悪の事態も考えて、東方の按司たちには守りを固めて見守っていてもらう。そして、今回の戦じゃが、今帰仁攻めの総大将はお前じゃ」
「えっ、親父は行かないのですか」
「わしはここにいて、南部に睨みを効かせている。『琉球の統一』を言い始めたのはお前じゃ。お前がけりをつけるんじゃ」
 サハチは思紹を見つめた。総大将は思紹だと思い込んでいた。まさか、自分が総大将を務めるなんて考えてもいなかった。しかし、自分がやらなければならないという使命感がふつふつと湧いてきていた。
「わかりました。総大将を勤めます」
 思紹は満足そうにうなづいた。
琉球を統一して、平和な世の中にするための戦じゃ。難しいじゃろうが、なるべく戦死者は出すなよ。味方は勿論じゃが、敵も降参して来た者たちは殺すな。山北王と湧川大主(わくがーうふぬし)以外はな」
 サハチは決心を固めて、思紹にうなづいた。


 三月二十四日、何事もなく、無事に今帰仁のお祭りを迎える事ができた。
 山北王がお祭りの時に武芸試合をして、強い者はサムレーに取り立てると公表したので、羽地、名護、国頭の腕自慢の若者たちもサムレーになりたいと言って参加する者が数多くいた。お祭りが終わるまで中山王の今帰仁攻めを城下の者たちに言えない按司たちは、夢を語っている若者たちを止める事はできなかった。また、娘たちはお芝居の前に歌や踊りを披露するので、倅や娘の晴れ舞台を見に行こうと親たちもお祭りに出掛けて、例年以上に今帰仁に人々が集まっていた。城下の宿屋はどこも一杯で、前夜からお祭り騒ぎが始まっていた。
 山北王の攀安知(はんあんち)はクーイの若ヌルを城下の屋敷に呼んで、お忍びで若ヌルと会っていた。湧川大主も側室のメイとハビー、子供たちを連れて、側室のマチがいる屋敷に来ていた。国頭の側室のクルキはクミ(国頭按司の三女)と一緒に志慶真大主(しじまうふぬし)のお世話になっていた。志慶真大主はクミの叔父で、クルキとクミは娘を連れ、さらに国頭の娘たちも連れて来ていた。
 クルキとクミは、女子サムレーとして国頭に来たシジマが志慶真ヌルになっているのに驚いた。屋嘉比のお婆の葬儀の時もシジマは来ていたのだが、あの時はヌルの格好をしていたので気づかなかった。島添大里の女子サムレーだったシジマは数多くのお芝居に出ていたので、クミたちはシジマからお芝居の事を色々と聞いた。若ヌルだったミクはずっと好きだったサムレーのジューと一緒になれると喜んでいた。
 天気にも恵まれ、太鼓の音が響き渡って大御門(うふうじょう)が開かれると、待っていた人たちがどっと外曲輪(ふかくるわ)になだれ込んだ。広い外曲輪内に屋台がいくつもできていて酒や餅が配られ、料理を出す屋台もあり、唐人(とーんちゅ)の料理やヤマトゥ(日本)の料理を出す屋台まであった。舞台は左側にあって、武芸試合する場所は右側にあった。
 舞台の進行役は油屋のユラで、ヤマトゥの着物を着て着飾っていた。山北王の側室、クン、ウク、ミサの華麗な踊りで舞台は始まった。クンは自分の一言によって奥間(うくま)が攻められたので責任を感じて、山北王と会うのも気まずくなり、それを忘れるために踊りの稽古に熱中した。三人の側室たちは奥間炎上後、御内原(うーちばる)に行く事はなく、芝居小屋でユラと一緒に寝泊まりしていた。
 舞台の前には大勢の人たちが集まって、側室たちの踊りに拍手を送った。側室たちが引っ込むと、次に登場したのは城下の娘たちだった。山北王の娘のママキ、湧川大主の娘のチルー、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)の娘のアニー、喜如嘉(きざは)の長老の孫娘のサラもいた。十人の娘たちは古くから今帰仁に伝わる祈りの歌を歌って、それに合わせて優雅に舞った。その後、各村を代表する娘たちが次々に登場して、それぞれの村に伝わる歌と踊りを披露した。見物人たちは自分の村の娘たちが出ると指笛を鳴らして囃し立てた。
 武芸試合も始まっていた。試合は四か所で同時に行なわれた。三百人余りの若者たちが集まって武芸を競い合った。刀を持っている庶民はいないので、ほとんどの者が棒を持って戦った。中には小舟(さぶに)を漕ぐウェーク(櫂)で戦う者や素手で戦う大男もいた。山北王は百人の若者をサムレーとして取り立てると言ったので、皆、張り切っていた。勝抜戦で、最後まで勝ち残った四人にはヤマトゥの刀が贈られ、優勝した者には馬も贈られた。本部のテーラーも検分役を務めていた。見物人たちは男が多く、ヤマトゥのサムレーたちも酒を飲みながら見物していた。
 『まるずや』も屋台を出していて、テーラーの姿を見たウニタキは、テーラー今帰仁グスクに籠もりそうだと思った。
 舞台では娘たちの歌と踊りが終わって、今帰仁若ヌルと勢理客(じっちゃく)若ヌルが武当拳を披露して、いよいよ、お芝居が始まった。舞台の近くに油屋が確保した席があって、そこに庶民に扮した攀安知とクーイの若ヌルの姿があった。少し離れた所には側室と子供たちを連れた湧川大主もいたが、誰も気づいてはいなかった。
 ウトゥタルを演じたのは、やはりサラだった。女子サムレーのような格好をしたウトゥタルの山賊退治から物語は始まり、強いウトゥタルに子供たちが喜んだ。
 美人で強いというウトゥタルの噂が今帰仁按司の耳に入って、ウトゥタルはグスクに上がって按司と会う。側室になれという申し出に驚くウトゥタルは、ヌルの格好になってウタキに入って神様に問う。神様のお告げを聞いて、側室になるウトゥタル。側室になったウトゥタルは侍女たちに剣術を教え、馬鹿にしたサムレーを簡単に倒してしまう。按司の正妻のマナビーが男の子を産んで、やっと跡継ぎができたと喜ぶ按司。男の子は千代松と名付けられ、ウトゥタルも千代松を可愛がる。
 千代松が六歳になった時、按司が亡くなり、マナビーの弟の本部大主が反乱を起こして、千代松は殺されそうになる。ウトゥタルは千代松を助けて戦い、グスクから脱出する。千代松の母は足手まといになると言って、川に身を投げて亡くなってしまう。ウトゥタルは千代松を潮平大主(すんじゃうふぬし)に託して志慶真村に帰る。村人たちはウトゥタルの無事を喜ぶ。ウトゥタルは今帰仁按司になった本部大主に呼ばれて側室になれと言われるがきっぱりと断って、その代わりに按司の娘のマカミーをヌルにするために預かる。
 二十年の月日が流れ、立派に成長した千代松が兵を率いて攻めて来る。ウトゥタルは千代松の味方をして本部大主を倒し、千代松が今帰仁按司になった所でお芝居は終わった。
 成長した千代松を演じたのはママキで、憎らしい本部大主を演じたのはアニー、本部大主の娘のマカミーはチルーが演じていた。ウトゥタルの活躍にみんなが大喜びして、ユラが初めて作ったお芝居『志慶真のウトゥタル』は大成功に終わった。
 半時(はんとき)(一時間)ほどの休憩を挟んで、旅芸人たちのお芝居『千代松』が演じられた。題材は同じでも、千代松が主役で、ウトゥタルの代わりに今帰仁ヌルのカユが大活躍していて、子供たちが大喜びした。今帰仁の英雄、千代松の物語も大いに受けて、大喝采を浴びた。
 お芝居のあと、ユラに頼まれて、ウニタキが三弦(サンシェン)と歌を披露して、旅芸人たちと一緒に来ていた辰阿弥(しんあみ)による『念仏踊り』をみんなで踊って、舞台での演目は終わった。
 武芸試合では勝ち残った四人による試合が始まっていて、大勢の見物人が固唾(かたず)を飲んで試合を見守っていた。勝ち残った四人は仲宗根(なかずに)のサジ、国頭のウシャ、羽地のアカトゥ、並里(なんじゃとぅ)のサブルで、サジとウシャはウシャが勝ち、アカトゥとサブルはサブルが勝った。決勝戦は小柄で身の軽いウシャと力持ちで大男のサブルの戦いで、ウシャが二本の短い棒を巧みに操って、太い棍棒を振り回すサブルを倒した。小柄なウシャが見事に大男のサブルを倒したので、見ている者たちは感激して、指笛が飛び交った。
 お祭りが終わって、外曲輪の大御門が閉じられても、城下では人々がお祭りの話をしながら、お祭りの余韻を楽しんでいた。

 

 

 

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2-228.志慶真ヌル(改訂決定稿)

 庶民の格好に戻ったササ(運玉森ヌル)たちは、朝早く勢理客(じっちゃく)村を発って、充分に気を付けながら今帰仁(なきじん)に向かった。
 何事もなく、一時(いっとき)(二時間)足らずで今帰仁城下に着いた。城下の賑やかさにササたちは驚いた。交易に来ているヤマトゥ(日本)のサムレーたちが大勢行き交っていた。城下の人たちの表情は明るく、すでに奥間(うくま)の噂をしている人たちもいなかった。
 ササたちは『まるずや』に顔を出した。『まるずや』にもお客がいっぱいいて、欲しい物を買い求めていた。店主のマイチがササたちに気づいて、裏にある屋敷に案内した。
 屋敷にはウニタキ(三星大親)がいた。絵図を眺めていたウニタキはササたちを見ると、
「おっ、早いな」と笑った。
「城下が賑やかなので驚いたわ」とササはウニタキに言った。
「今の時期はいつもこんな風だよ」
 振り返って見ると、以前、今帰仁に来たのはヂャンサンフォン(張三豊)とシンシン(杏杏)が琉球に来た時で、随分と昔だった。あの時は夏だったので、ヤマトゥンチュ(日本人)たちはいなかった。その後、辺戸岬(ふぃるみさき)まで行った時も、安須森(あしむい)ヌルと一緒に安須森まで行った時も、危険を感じて今帰仁には来ていなかった。
「志慶真(しじま)ヌルは亡くなったのね?」とササが聞くとウニタキはうなづいた。
「昨夜(ゆうべ)、亡くなったよ」
「葬儀は今日なの?」
「今日か明日だろう。昨日から各地のヌルが集まって来ている」
「誰が来ているの?」
今帰仁ヌル、勢理客ヌル、屋部(やぶ)ヌル、仲尾(なこー)ヌル、本部(むとぅぶ)ヌル、今の所はその五人だ」
 一昨年(おととし)の『安須森参詣』の時、母から紹介されたので五人の顔は知っていた。今帰仁ヌルは山北王(さんほくおう)(攀安知)の姉で、勢理客ヌルは山北王の叔母、屋部ヌルは先代の名護(なぐ)ヌルで、仲尾ヌルは先代の羽地(はにじ)ヌル、本部ヌルはテーラー(瀬底大主)の妹だった。皆、母と仲がよさそうだったので、話せばわかってくれるだろうとササは思った。
「シジマと関係のないタマ(東松田の若ヌル)と屋賀(やが)ヌルは行かない方がいいだろう」とウニタキは言った。
「馬天(ばてぃん)ヌル様と一緒に旅をした時、わたしは志慶真ヌル様に会った事がありますし、ヌル様のお屋敷も知っています」とタマは言った。
 ウニタキは当時の事を思い出した。
「あの時、お前もいたんだったな。それなら、馬天ヌルの弟子という事にして行けばいい」
 屋賀ヌルをウニタキに預けて、ササたちはヌルの着物に着替えて志慶真村に向かった。愛洲(あいす)ジルーたちとゲンは島添大里(しましいうふざとぅ)のサムレーという事で一緒に来た。今帰仁グスクの高い石垣を左に見ながらグスクの裏へと続く道を進んだ。
 志慶真村に着くと、忙しそうに人々が行き交っていて、皆、小声で志慶真ヌルの事を話していた。タマの案内で志慶真ヌルの屋敷に向かうと、屋敷から出て来た今帰仁ヌルと出会った。ササたちを見た今帰仁ヌルは驚いた顔をした。
「あなたは確か、馬天ヌルの娘さんじゃないの?」
「運玉森(うんたまむい)ヌルのササです」
「どうして、あなたがここにいるの?」
「神様のお告げがあって、志慶真ヌルを継ぐべき人を連れてまいりました」
「何ですって?」と驚いた声を出して、今帰仁ヌルはササと一緒にいるヌルたちを見た。
 明国のヌルとヤマトゥのヌルは見覚えがあるが、二人のヌルは知らなかった。
「この村で生まれて、十一歳の時に村を出て行ったミナです」とササはシジマを紹介した。
「えっ、ミナ?」
 今帰仁ヌルはミナを見たが、わからないようだった。
「それより、どうして、志慶真ヌルが亡くなった事をあなたが知っているの? 亡くなったのは昨夜(ゆうべ)の事なのよ」
 今帰仁ヌルが大声を出したので、何事かと人々が集まって来た。
「あら、あなた、ササじゃないの?」と勢理客ヌルが言った。
「お久し振りです」とササは挨拶をした。
「志慶真ヌルを継ぐ人を連れて来たって言うのよ。ミナという、この女を御存じですか」と今帰仁ヌルは勢理客ヌルに聞いた。
 勢理客ヌルはミナを見たが知らないようだった。
「ミナなの?」という声が聞こえた。
 人々をかき分けて、ミナと同年配の女が現れた。
「もしかして、タキちゃん?」とミナが女に言った。
「そうよ。タキよ。あなた、無事に生きていたのね」
 タキはミナの手を取って、ミナを見つめた。
「タキちゃん」と言って、タキを見つめているミナの目から涙がこぼれ落ちた。
「この人は本当にこの村の生まれなの?」と勢理客ヌルがタキに聞いた。
「本当です。『ナハーピャーのお婆』の孫娘です」
「えっ、ナハーピャーのお婆の孫娘?」と勢理客ヌルは言ってミナの顔を見つめた。
 ナハーピャーのお婆は『志慶真のウトゥタル』の孫で、ヌルではなかったがシジ(霊力)の高いお婆だったので、勢理客ヌルも知っていた。ナハーピャーのお婆が亡くなった時、孫娘がいたのを勢理客ヌルは思い出した。その後、孫娘を見ていないが、どこかに預けたのだろうと気にも止めなかった。
「ナハーピャーのお婆の孫娘がどうして、南部にいるの?」
「ナハーピャーのお婆がミナの事を思って、旅のお坊さんに託したのです」
「姉を殺したのはあなたたちなのね?」と誰かが言った。
 怖い顔をした女がササたちを睨んでいた。
「マカーミ、何を言っているの?」と今帰仁ヌルが女に言った。
「だって、おかしいわ。姉は昨夜、亡くなったのに、亡くなるのがわかっていたかのように現れたわ。きっと、姉は呪い殺されたのよ」
「人を呪い殺すなんて、わたしたちにそんな力はありません」とササは言った。
「あなたがミナを連れて来たのもおかしいわ。どうして、ミナがあなたの所にいるのよ」
 マカーミは志慶真ヌルの妹で、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)の妻だとウニタキから聞いていた。ミナの事を知っているようだった。
「ミナは旅のお坊さんに連れられてキラマ(慶良間)の島に行きました。佐敷按司(さしきあじ)を隠居した今の中山王(ちゅうざんおう)(思紹)は、キラマの島で密かに兵を育てていました。ミナもその島で修行をして、女子(いなぐ)サムレーになって島添大里グスクに来たのです。志慶真生まれなので『シジマ』と呼ばれたミナは、自分が神人(かみんちゅ)だとは知らずに女子サムレーとして島添大里グスクを守っていました。去年の暮れ、油屋のユラと島添大里の娘が『志慶真のウトゥタル様』の事を調べるためにヤンバル(琉球北部)に行きました。その時、護衛としてシジマも一緒に行ったのです。『屋嘉比(やはび)のお婆』と出会って、シジマは幼い頃の事を思い出しました。シジマは屋嘉比のお婆の計らいで志慶真村を出て行った事がわかったのです」
「屋嘉比のお婆がミナに関わっていたの?」と勢理客ヌルが驚いた顔をしてササに聞いた。
「屋嘉比のお婆は志慶真ヌルとミナを守るために、二人を引き離したのです」
「どういう事なの?」
「志慶真ヌル様のガーラダマ(勾玉)は初代の今帰仁ヌルだった『アキシノ様』が、『クボーヌムイヌル』を継いだ時に受け継いだ古いガーラダマです。ミナが神人として目覚めた時、そのガーラダマは本当の主人であるミナのもとへと行きたがって、志慶真ヌル様は亡くなってしまうかもしれないのです。だから、屋嘉比のお婆は二人を引き離したのです。そして、今回、早めにやって来たのは、若ヌルがそのガーラダマを身に着ける前に来ないと大変な事になるからです。先代の志慶真ヌル様は今の志慶真ヌル様が身に付けられるように、ガーラダマを眠りに就かせましたが、若ヌルが身に付けると拒否反応を起こします。軽い拒否反応でしたら首から外せば治りますが、重いと首から外すこともできずに亡くなってしまいます」
「大変だわ。若ヌルはどこにいるの?」と勢理客ヌルが屋敷の方を振り返った。
 その時、「誰か、来て!」と本部ヌルが叫びながら駈け込んで来た。
 人垣をかき分けてササたちは本部ヌルの所に行って、本部ヌルが指差す方を見た。若ヌルの屋敷なのか、離れがあって、その縁側で若ヌルが苦しんでいた。屋部ヌルと仲尾ヌルが若ヌルの首からガーラダマをはずそうとしているがはずせないようだった。
 ササたちは若ヌルのそばに行った。ガーラダマの紐が若ヌルの首に食い込んでいて、若ヌルの顔は真っ青になっていた。
「あなたの出番よ」とササはミナに言った。
 ミナはうなづいて、若ヌルに近づいた。
 ミナがガーラダマに触ると、若ヌルの首を絞めていた紐は急に緩んで、若ヌルは激しい息をして、目を見開いた。ミナは若ヌルの首からガーラダマをはずした。
「大丈夫?」と今帰仁ヌルが若ヌルに聞いた。
 若ヌルは首を押さえながら、うなづいた。
「一体、何をしていたの?」と勢理客ヌルが仲尾ヌルに聞いた。
「凄いガーラダマねって見ていたんだけど、若ヌルが悲しんでいたから、あなたがこのガーラダマを継ぐのよって見せに行ったんです。若ヌルが志慶真ヌルを継ぐ自信がないって言ったので、このガーラダマを身に着ければ、力が湧いてきて、あなたにも務められるって励ましたのです。若ヌルもその気になって身に付けた途端、苦しみだしたのです。はずそうとしても首に食い込んでいて、はずせませんでした。誰だか知りませんが、あのガーラダマを簡単にはずしたなんて、とても信じられません」
「あなたもナハーピャーのお婆を知っているでしょ。お婆の孫娘のミナが帰って来たのよ」
「えっ、ナハーピャーのお婆の孫娘?」
 仲尾ヌルはガーラダマを持って呆然と立っているミナを見た。
「あなたがそのガーラダマを身に付ける事ができたら、あなたたちの言う事を信じるわ」と勢理客ヌルが言った。
 ミナは持っているガーラダマを見つめた。古い翡翠(ひすい)のガーラダマで、二寸(約六センチ)余りもある見事な物だった。
「大丈夫よ」とササがミナに言った。
 ミナはササを見つめてうなづいた。ガーラダマを捧げてから、ゆっくりと紐を頭に通して首から下げた。一瞬、ガーラダマが光ったように感じた。紐が首を絞める事もなく、ミナはホッと胸を撫で下ろした。
 ミナの様子をじっと見ていた勢理客ヌルが、「何ともないのね?」と聞いた。
 ミナはうなづいた。
 今帰仁ヌル、屋部ヌル、仲尾ヌル、本部ヌル、そして、若ヌルが驚いた顔をしてミナを見ていた。
「屋嘉比のお婆が来た!」と誰かが叫んだ。
「ええっ!」と勢理客ヌルが驚いた顔をして振り返った。
 ササたちも驚いた。九十歳を過ぎたお婆がわざわざやって来るなんて信じられなかった。
 人々がお婆のために道をあけた。根謝銘(いんじゃみ)ヌル(先代国頭ヌル)と屋嘉比ヌル(屋嘉比のお婆の孫)に両側を支えられて、お婆が杖を突きながら近づいて来た。
 ガーラダマを身に付けているミナを見て、
「お前が来ていたのか」とお婆は言った。
「ミナを御存じだったのですね?」と勢理客ヌルがお婆に聞いた。
 お婆は若ヌルを見て、「間に合ってよかった」と安心したように言った。
 ササたちを見たお婆は、「そなたたちがミナを連れて来てくれたのか」と聞いた。
「馬天ヌルの娘のササです。お婆の事は母から色々と伺っています」
「なに、ササ?」と言って、お婆はササをじっと見つめた。
「馬天ヌルの娘じゃったのか。『ササ』という名は神様からよく聞いている。凄いヌルだというので、会ってみたいと思っていたんじゃ。そうか、馬天ヌルの娘じゃったのか」
 お婆はササを見つめたまま、何度もうなづいていた。
 お婆の一声で、ミナが志慶真ヌルを継ぐ事に決まった。若ヌルはヌルから解放されて喜んだ。
 屋嘉比のお婆がササを凄いヌルだと認めたので、ササたちも志慶真ヌルの葬儀とミナの志慶真ヌル就任の儀式に参加する事が許され、屋嘉比のお婆と一緒にお客様用の屋敷に滞在した。
 お婆は屋嘉比の古い神様から、ササが『瀬織津姫(せおりつひめ)様』を琉球に連れて来た事を知り、御先祖の『アキシノ様』が瀬織津姫様の子孫だった事を知った。琉球中の神様がセーファウタキ(斎場御嶽)に集まって、瀬織津姫様を歓迎したという。瀬織津姫様を連れて来た『ササ』とは一体、何者なのか。そんな凄いヌルが、今の琉球にいたなんて信じられなかった。ササというのは安須森ヌルの事に違いないと思っていたが、馬天ヌルの娘だと知って驚いた。
 お婆はササから瀬織津姫様の事を聞いて、「神様の事を調べるために南の島(ふぇーぬしま)に行ったり、ヤマトゥに行ったりと羨ましい事じゃ。わしが若かったら一緒に行ってみたかったのう」と言って楽しそうに笑った。
 翌日、クボーヌムイ(クボー御嶽)で志慶真ヌルの葬儀とミナの志慶真ヌル就任の儀式が行なわれた。アキシノ様もミナが志慶真ヌルになった事を喜んでくれた。屋嘉比のお婆に聞こえるアキシノ様の声が、ミナにも聞こえる事を知った勢理客ヌルは、ミナを認めないわけにはいかなかった。勢理客ヌルにも今帰仁ヌルにもアキシノ様の声は聞こえなかった。
 勢理客ヌルがミナを認めたので、志慶真大主(しじまうふぬし)も認めて、村人たちもミナの帰郷を歓迎した。
 無事に役目を終えたササたちが勢理客村に帰ろうとしたら、タマが首を振った。
「お婆を屋嘉比まで送って行った方がいいわ」とタマは言った。
 タマの目を見て、ササはタマの言いたい事を悟った。
「わかったわ。屋嘉比のお婆を送って行きましょう」
 志慶真村にもう一泊して、翌朝、『まるずや』にいる屋賀ヌルを連れて、屋嘉比のお婆たちと一緒に親泊(うやどぅまい)に向かった。お婆は勢理客ヌルが用意してくれたお輿(こし)に乗っていた。
 親泊から国頭按司(くんじゃんあじ)の船に乗って、屋嘉比川(田嘉里川)の河口にある港まで行った。小舟(さぶに)に乗って屋嘉比川を遡(さかのぼ)って、お婆の屋敷の近くまで行って上陸した。屋敷に着くとお婆は疲れたと言って横になった。
 ササたちは屋嘉比ヌルの案内で『屋嘉比森(やはびむい)』のウタキ(御嶽)に行って、お祈りを捧げた。お婆が言っていた古い神様は安須森姫の娘の『屋嘉比姫』だった。
「もうすぐ、お婆の寿命が尽きるので見守ってあげてね」と屋嘉比姫はササに言った。
「最後にやるべき事が、ミナを志慶真ヌルにする事だと言って、無理をして志慶真村まで行ったのよ。やるべき事をやって、ササにも会えたので、お婆は今、とても満足しているわ。『千代松(ちゅーまち)』が本部大主(むとぅぶうふぬし)を倒して今帰仁按司になった時、お婆は三歳だったわ。千代松が今帰仁按司だった頃、南部では戦が絶えなかったけど、ヤンバルは平和だった。飢饉(ききん)や台風の被害が出ても、千代松はすぐに対処したわ。西威(せいい)を倒して浦添按司(うらしいあじ)になった察度(さとぅ)は千代松を尊敬していて、千代松を見倣って、中南部を平和にしたのよ。百年近くもヤンバルを見守ってきたお婆は、千代松の頃のような平和な時代が来る事を願っているわ」
「お婆の願いがかなうように努力します」とササは屋嘉比姫に約束した。
 屋嘉比森からお婆の屋敷に戻ると、奥間ヌルが若ヌルのミワを連れて来ていた。
「お師匠たちが来ているなんて驚いたわ」とミワが言って、ササたちとの再会を喜んだ。
「お婆に呼ばれたような気がして、やって来たのよ」と奥間ヌルは言った。
 ミワの父親がサハチ(中山王世子、島添大里按司)だと聞いたタマは驚いた。サハチには正妻のマチルギの他に側室のナツと女海賊のメイユー(美玉)がいる事を知った時、按司なんだから側室がいても当然だと思ったタマも、奥間ヌルがサハチの娘を産んでいたのには驚いた。一緒に旅をした時、首里グスクでサハチと会っても、島添大里グスクでサハチに会った時も、奥間ヌルはそんな素振りは見せなかった。あの時は秘密だったのかしら。奥間ヌルがかなり高いシジを持っているのは知っているけど、わたしは負けないと密かに競争心を燃やしていた。
 夕方、目を覚ましたお婆は元気になっていた。ササたちのためにお酒の用意をさせて、自分も少し飲んで、昔話を懐かしそうに話してくれた。
 先代の奥間ヌル、今の奥間ヌルの祖母とは仲がよくて、二人であちこちのウタキを訪ねて旅をしたという。昔はウタキ巡りの旅をしているヌルもいたが、だんだんと減ってきてしまった。馬天ヌルがウタキ巡りの旅をしていると聞いて、まだ、そんなヌルがいたかと嬉しくなった。そして、馬天ヌルの娘のササはヤマトゥまで行って瀬織津姫様を琉球に連れて来た。
「そなたのようなヌルがいれば、琉球の今後も安心じゃ」とお婆は嬉しそうに言った。
 うまそうに酒を口に運んで、「今宵は最高の酒じゃのう」とお婆は楽しそうに笑った。
 翌朝、お婆が目を覚ます事はなかった。眠ったまま、あの世へと逝ってしまった。
 お婆の死は国頭按司によって各地に知らされて、各地からお婆を慕っていた人たちが集まってきた。ヌルたちもやって来た。志慶真ヌルになったミナも今帰仁ヌルと一緒にやって来た。玉グスクヌルが来たら、ササたちの正体がばれてしまうと心配したが、来る事はなかった。根謝銘ヌルに玉グスクヌルの事を聞いたら、玉グスクヌルはお婆がスムチナムイに入る事を断ったという。
「お婆に逆らった唯一のヌルよ。来るはずはないわ」と言った。
 勢理客ヌルも若ヌルたちを連れて来て、ササたちがいるので驚いた。
「あなたたち、まだ、いたの?」
「お婆に誘われて一緒に来たのです」
「そう。でも、あなたたちはお婆の葬儀には出なくてもいいわ。よそ者がいたらお婆も喜ばないわ」
「よそ者じゃないわ。お婆はササたちを歓迎してくれたのよ」と奥間ヌルが言った。
「あなたも奥間の事は諦めて、南部に行ったらどうなの」
 お婆が亡くなった途端に勢理客ヌルの態度は変わっていた。今まで恐れていたお婆がいなくなって、自分が一番偉いと勘違いしているようだった。
 ササたちは屋嘉比ヌルと根謝銘ヌルに挨拶をして、ミナを励まして、引き上げる事にした。奥間ヌルも若ヌルと一緒に辺土名(ふぃんとぅな)に帰った。
 国頭の城下を抜けて喜如嘉(きざは)に行くと、水軍大将の喜如嘉大主が現れた。お婆に頼まれたと言って、ササたちを船に乗せて仲尾泊(なこーどぅまい)まで送ってくれた。ササたちは神様になったであろうお婆に感謝した。
 羽地の『まるずや』に泊まって、翌朝、勢理客村に向かったが、先に湧川(わくがー)グスクのウタキに行って、『カユ様』と会った。
 カユ様にアビー様の事を聞くと、「会えなかったわ」と言った。
「ええっ!」とササたちは驚いた。
「どこを探してもいないのよ。おかしいと思って魔界を覗いてみたらアビーがいたわ。でも、わたしには会う事はできないの。アビーは神様ではなくて、マジムン(悪霊)になってしまったようだわ」
「えっ、アビー様がマジムンなのですか」
「きっと、滅ぼされた今帰仁按司たちの怨霊が取り憑いて、アビーはマジムンになってしまったんだと思うわ」
「すると、玉グスクヌルはマジムンになったアビー様に操られているのですか」
「そのようだわ。そして、戦(いくさ)が始まったら、屋賀ヌル、タマ、美浜(んばま)ヌル、慶留(ぎる)ヌルも操るに違いないわ。アビーを退治しなければ、中山王は負けるわよ」
「アビー様にそんな力があるのですか」
「例えば慶留ヌルを操って山南王(さんなんおう)(他魯毎)を殺したら南部は混乱状態に陥って、中山王は山北王を攻めて来られなくなるわ。タマを操って島添大里按司を殺させるかもしれないしね」
「えっ、タマはまだ操られてはいないのですよね」
「大丈夫よ。操られていたら、あなたと一緒にはいないわ」
 ササはホッとした。一瞬、タマがアビー様に操られて、マレビト神は島添大里按司だと言ったのかと心配した。
「勢理客ヌル様ですが、シネリキヨですか」とシンシンが聞いた。
「屋嘉比のお婆が亡くなった途端、態度が変わったのです。アビー様に操られているような気がしました」とササが言った。
「勢理客ヌルは先々代の今帰仁按司(帕尼芝)の娘だけど、シネリキヨかどうかはわからないわ。正妻の娘ならアマミキヨだけど、側室の娘だったら調べようがないわ」
「調べる事はできないのですか」
「難しいわね。でも、マジムンになったアビーなら勢理客ヌルを操る事はできるわ。勢理客ヌルは叔母の今帰仁ヌルとその前の羽地ヌルの声が聞こえるだけなのよ。アビーが本部大主の頃の今帰仁ヌルだと言って勢理客ヌルに声を掛ければ、古い神様の声が聞こえたと喜んで、アビーの言う事を聞くようになるわ。今まで、それができなかったのは『屋嘉比のお婆』がいたからなのよ。マジムンになったアビーも屋嘉比のお婆にはかなわなかったのよ」
「アビー様は勢理客ヌルを操って、何をするつもりなのですか」
「ヤンバルのヌルたちを自分の思い通りに動かして、動揺している按司たちを山北王のもとに結束させようとするわ」
「そんな事はさせられないわ」 
「アビーを退治するしかないのよ。あなたたちがね」
「えっ、あたしたちがやるのですか」とササたちは驚いた。
「あなたのお母さんは真玉添(まだんすい)(首里)のマジムンを退治したし、勝連(かちりん)のマジムンも退治したでしょ。あなたにもできるはずよ」
「マジムンを退治するにはスムチナムイに行かなければなりませんよね」
「スムチナムイよりも高い『乙羽山(うっぱやま)』の方がいいわ。あの山の頂上は見晴らしがいいから、昔、今帰仁を見張る砦(とりで)があったのよ。わたしがここに帰って来てからも登っていたし、わたしの娘たちも登っていたから道はあると思うわ」
 カユ様の案内で乙羽山の山頂を目指したが、道はすでになかった。
「わたしの孫娘までは弓矢を持って山の中を走り回っていたんだけど、その後、誰も山の中に入らなくなってしまったのかしら」とカユ様は言った。
 ササたちは持って来ていた山刀(やまなじ)を出して、カユ様が示した辺りの草を刈りながら山を登って行った。半時(はんとき)(一時間)ほどて山頂に着いた。山頂も木が生い茂っていて、眺めもそれほどよくはなかった。平地を探して儀式をやるために草を刈った。
 『マジムン退治』には四人のヌルが必要だった。ササはタマと屋賀ヌルを見て、タマを選んだ。タマも屋賀ヌルもアビー様の声を聞いている。儀式の最中にアビー様の声に従ってしまえば、マジムン退治は失敗してしまう。タマのマレビト神がサハチだという事を信じて、タマを使うしかなかった。
 北側にササ、南側にシンシン、東側にナナ、西側にタマが座って、顔を見合わせた。
「マジムンを退治する事を念じて、あたしが言う事を繰り返して下さい。マジムン退治が終わるまでやめる事はできません。苦しくても最後までやり遂げて下さい」とササが言って、三人は厳しい顔付きをしてうなづいた。
 ヂャンサンフォンの呼吸法をやって心を静め、首から下げているガーラダマを着物の外に出した。ササのは瀬織津姫のガーラダマ、シンシンのは瀬織津姫の曽孫(ひまご)の吉備津姫(きびつひめ)のガーラダマ、ナナのはクボーヌムイヌルの孫のクーイヌルのガーラダマ、タマのは屋良(やら)ヌルのガーラダマ、皆、古いガーラダマだった。
「始めるわよ」とササが言って両手を合わせると、母から教わったお祓(はら)いの祝詞(ぬるとぅ)を唱えた。
 三人も両手を合わせて、ササが言った通りに同じ言葉を唱えた。
 屋賀ヌルとゲンと愛洲ジルーたちはマジムン退治がうまく行くように願いながら、両手を合わせて見守った。
 樹木(きぎ)のざわめきや鳥の鳴き声が消えて、急に辺りが静まり返った。
 ササたちが唱える祝詞が、まるで神様の声のように響き渡った。
 真っ黒な雲が流れて来て、稲妻が光って、突然、大雨が降って来た。四人のヌルたちは大雨に動じる事なく、祝詞を唱え続けた。
 稲光と同時に大きな雷鳴が続けざまに響き渡った。木が倒れる物凄い音もした。
 屋賀ヌルとゲンと愛洲ジルーたちは恐ろしくなって逃げ出したい心境だったが、ササたちを置いて逃げるわけにはいかない。雨に打たれながらも、目をつぶってじっと我慢した。
 大粒の雹(ひょう)が音を立てて落ちてきた。雹が頭に当たって屋我ヌルが悲鳴を上げた。愛洲ジルーたちは持っていた荷物を頭上に上げて雹を防いだ。
 ササたちは雹に打たれながらも祝詞を唱え続けていた。
 辺り一面が白い雹に覆われた。
 稲妻が光って、黒い塊のような物が四人のヌルたちの真ん中に落ちてきて、地中に入って行ったように見えた。
 雹が雨に変わって、黒い雲が流れて行った。やがて雨もやんで、青空が広がり、日も差してきた。
「終わったわ」とササが言った。
 その言葉に安心したかのようにタマが倒れた。シンシンとナナも体がフラフラしていて、今にも倒れそうだった。シンシンは周りに落ちている大きな雹に気づいて、手に取って眺めると、
「どうなっちゃったの?」とササに聞いた。
 ナナも不思議そうな顔をして雹を手に取った。
「うまく行ったわね」とカユ様の声が聞こえた。
「この山に封じ込められたのはアビー様なのですか」とササはカユ様に聞いた。
「アビーじゃないわ。アビーに取り憑いていたマジムンたちよ」
「すると、アビー様は神様になったのですか」
「アビーは武芸好きな明るい娘だったのよ。父親が殺されたからって、いつまでも根に持っているような娘じゃないのよ。神様になったと思うわ。アビーに操られていた玉グスクヌルも目を覚ましたはずよ」
 ササたちはマジムンを封じ込めた地に石を積んで封印をして、乙羽山を下りた。
「凄かったな」とジルーがササに言った。
「うまく行ったのは、このガーラダマのお陰だと思うわ」とササは着物の下にある瀬織津姫様のガーラダマを押さえた。
琉球にあんな大きな雹が降るなんて思ってもいなかった」とジルーが笑うと、
「母たちがやった勝連のマジムン退治では雪が降って来たのよ」とササは言った。
「その時は馬天ヌル様と誰が一緒にやったんだ?」とゲンザ(寺田源三郎)が聞いた。
「マシュー姉(ねえ)(安須森ヌル)と久高島(くだかじま)のフカマヌルと奥方様(うなぢゃら)(マチルギ)よ」
「奥方様?」とジルーたちは怪訝な顔をした。
「奥方様は神人(かみんちゅ)なのよ」とササが言ったので、ジルーたちは顔を見合わせて驚いていた。
 登って来た道を下りて行ったら、そこを左に曲がれば『スムチナムイ』に行けるとカユ様が言った。ササたちはカユ様の案内で、草を刈りながらスムチナムイを目指した。乙羽山の中腹辺りにあるスムチナムイは意外と近かった。
 古いウタキでお祈りをすると前回と違う神様の声が聞こえた。
「アビー様ですか」とササが聞くと、
「そうだけど、あなたは誰なの?」と言った。
 ササは運玉森ヌルと名乗ったが、運玉森がどこなのか知らないようだった。タマが以前に話をした事があると言っても、アビー様はタマの事を覚えてはいないし、屋賀ヌルの事も知らなかった。
「カユ様がよろしく伝えてくれと言っていました」と言うと、
「カユ様って、お師匠のカユ様の事?」と聞いて、そうだと言うと、会いたいわと言って、カユ様に会いに行ってしまった。
 あとの事はカユ様に任せる事にして、ササたちは山から下りて、玉グスクヌルの屋敷に向かった。
 玉グスクヌルは娘と一緒に畑仕事をしていて、ササたちが挨拶をしても誰だかわからなかった。娘のミサキがこの前に来た人たちよと言っても、首を傾げていた。ササたちとタマの事は覚えていないが、屋賀ヌルだけは若い頃に一緒に修行をした事を覚えていた。
「用があって、ヤンバルに来たのでちょっと寄ってみただけです」と屋賀ヌルは言った。
 以前の冷たい顔付きもすっかり変わって、玉グスクヌルは娘と楽しそうに笑い合っていた。
 ササたちは玉グスクヌルと別れて勢理客村に向かった。
「今頃は勢理客ヌルも夢を見ていたような顔をしているわね」とササが言って、みんなで笑った。

 

 

 

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2-227.悪者退治(改訂決定稿)

 昨日は雨降りだったが、今日は朝からいい天気で、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのお祭り(うまちー)に大勢の人たちが集まって来た。
 ミーグスクに滞在しているヤンバル(琉球北部)の長老たちとクチャ(名護按司の妹)とスミ(松堂の孫娘)も、マナビー(攀安知の次女)夫婦と一緒にお祭りを楽しんだ。ナコータルー(材木屋の主人)の娘のマルもマナビーと一緒にいた。
 山南王妃(さんなんおうひ)のマチルーも女子(いなぐ)サムレーの格好で馬に乗って、トゥイ様(先代山南王妃)と一緒にやって来た。佐敷大親(さしきうふや)のマサンルー、平田大親のヤグルー、玉グスク按司の妻のマナミー、知念按司(ちにんあじ)の妻のマカマドゥ、八重瀬按司(えーじあじ)のマタルー、手登根大親(てぃりくんうふや)のクルーもやって来て、サハチの兄弟が久し振りに勢揃いした。一の曲輪(くるわ)の屋敷の二階で酒盛りを始めたが、みんなに今帰仁(なきじん)攻めを内緒にしているのがサハチ(中山王世子、島添大里按司)には辛かった。
 お芝居は女子サムレーたちの『女海賊(いなぐかいずく)』と旅芸人たちの『千代松(ちゅーまち)』だった。旅芸人たちは首里(すい)グスクのお祭りが終わったあと、『千代松』の稽古に励んで、島添大里グスクのお祭りに間に合わせていた。
 安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)の新作『アマミキヨ』は完成できなかった。南の島に行って色々と調べたので書けると思っていたが、実際に書いてみるとわからない事が多すぎた。神様の話なので、あまり嘘ばかり書く事もできず、もっと調べてから改めて書こうと安須森ヌルは諦めた。ササ(運玉森ヌル)のお陰で瀬織津姫(せおりつひめ)様の行動はよくわかったので、瀬織津姫様を書こうと書き始めていた。
 『千代松』を観たヤンバルの長老たちは、今帰仁の英雄を素晴らしいお芝居にしてくれたと感激していた。
 三月一日、中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の書状が内密に、浦添按司(うらしいあじ)、北谷按司(ちゃたんあじ)、中グスク按司、越来按司(ぐいくあじ)、勝連按司(かちりんあじ)、安慶名按司(あぎなーあじ)、伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司に『まるずや』あるいは『よろずや』を通して届けられた。突然の事なので、按司たちは驚いた。名護(なぐ)、羽地(はにじ)、国頭(くんじゃん)、恩納(うんな)、金武(きん)の按司たちが山北王(さんほくおう)(攀安知)から離反したと書いてあったので、さらに驚き、『琉球を統一』するために山北王を倒すという言葉に、いよいよ、その時が来たかと覚悟を決めて、密かに戦(いくさ)の準備を始めた。
 この日、ウニタキ(三星大親)配下の『三星党(みちぶしとう)』の者たちは、各城下にいる『油屋』で働いている湧川大主(わくがーうふぬし)の配下の者たちの見張りを強化した。もし、怪しい素振りを見せた場合は、すぐに処分しろとウニタキは命じた。
 三月三日、恒例の『久高島参詣(くだかじまさんけい)』が行なわれた。去年、行かなかったので安須森ヌルも参加して、ササたちも若ヌルたちを連れて合流した。
 久高島から帰った次の日の午後、与那原(ゆなばる)にいたササたちに、志慶真(しじま)ヌルが血を吐いて倒れたとユンヌ姫が知らせてくれた。
「亡くなったの?」とササが聞くと、
「あれだけの血を吐いたら、一日も持たないと思うわ」とユンヌ姫は言った。
「わかったわ。ありがとう」
 ササたちは旅支度をして島添大里グスクに向かった。
 シジマはウタキ(御嶽)に入ってお祈りをしているという。安須森ヌルに志慶真ヌルの事を告げると、「とうとう、その日が来たわね」とうなづいた。
「基本的な事はみんな覚えたから何とかなるわよ。あとは神様の言う通りにやれば大丈夫よ。明日、行くのね?」
 ササはうなづいて、「マシュー姉(ねえ)、頼みがあるのよ」と言った。
「今回の旅はちょっと危険だわ。若ヌルたちを預かってほしいの」
「そうね。今帰仁は危険よ。預かるわ。屋賀(やが)ヌルは連れて行くのね?」
「読谷山(ゆんたんじゃ)に寄って、タマ(東松田の若ヌル)も連れて行くわ」
「マサキはいいの?」
「連れて行くつもりだったんだけど、タマと屋賀ヌルがいれば大丈夫だと思うわ。もしもの事があったら、ンマムイ(兼グスク按司)がわめきそうだし」
 安須森ヌルは笑って、「気を付けて行くのよ」と言った。
「愛洲(あいす)ジルーたちが一緒だから大丈夫よ」
 その夜、シジマの送別の宴(うたげ)が開かれた。サハチも子供たちを連れて参加した。チューマチ(サハチの四男)より下の子は皆、シジマの昔話を聞いて育っていた。シジマがいなくなると聞いて、五歳のマカマドゥがいやだと言って泣いた。
 シジマは十年間、島添大里グスクにいた。シジマから剣術を習った城下の娘たちも多かった。そんな娘たちが大勢、シジマに別れを告げに来た。シジマは目に涙を溜めながら、娘たち一人一人に別れを告げていた。非番のサムレーたちもやって来て、シジマと別れの酒杯(さかずき)を交わした。
 翌朝、ササ、シンシン(杏杏)、ナナ、シジマ、屋賀ヌル、愛洲ジルー、ゲンザ(寺田源三郎)、マグジ(河合孫次郎)の八人は庶民の格好になって、読谷山に向かった。ジルーたちはヤマトゥの髷(まげ)を琉球風に直して、琉球の着物を着ていた。マグジはその姿がよく似合っていて、若ヌルたちに笑われていた。若ヌルたちに見送られて、ササたちは杖(つえ)を突きながら旅立った。
 喜名(きなー)に着いたのは正午(ひる)頃で、タマは昼食の用意をして待っていた。ササたちは昼食を御馳走になって、東松田(あがりまちだ)ヌルに見送られて恩納岳(うんなだき)に向かった。
 恩納岳の木地屋(きじやー)のタキチのお世話になって、翌朝、タマと一緒に『スムチナムイ』に行ったゲンが案内に立ってくれた。正午頃、名護に着いて、木地屋のユシチの屋敷で昼食をいただいて、それから一時半(いっときはん)(三時間)後、玉グスクに着いた。
 玉グスクヌルのユカを訪ねると、屋賀ヌルと東松田の若ヌルが来る事を知っていて待っていたと言った。一緒にいるササたちを見て、「誰なの?」と屋賀ヌルに聞いた。
 屋賀ヌルは、ササを多幸(たこー)ヌル、シジマを伊芸(いげ)ヌル、シンシンを明国(みんこく)の襄陽(シャンヤン)ヌル、ナナをヤマトゥの若狭(わかさ)ヌルと紹介した。多幸ヌルと伊芸ヌルなんて聞いた事もないし、ヤマトゥと明国のヌルがどうして、ここに来たのかユカにはわけがわからなかった。
「多幸ヌルは東松田の若ヌルと同族で、伊芸ヌルはわたしと同族です。襄陽ヌルは浮島の久米村(くみむら)のヌルで、若狭ヌルは浮島(那覇)の若狭町のヌルです。スムチナムイが琉球で一番古くて、霊験あらたかのウタキだと聞いて拝みに来たのです」
 ユカはササたちをじろりと見回した。皆、ヌルとしてのシジ(霊力)が高い事は感じられた。アマミキヨのヌルではなさそうだし、連れて行っても大丈夫だろう。もし何かがあれば、神様のバチが当たって苦しむ事になるが、それは自業自得だと思った。
 ササはユカを見て、タマが言った通り、冷たい感じがする美人(ちゅらー)だと思い、シジが高い事はわかるが、何かに取り憑かれているようだと感じた。娘のミサキは人見知りをしない笑顔の可愛い娘だった。
「いいわ。案内しましょう」とユカは言って、ササたちを『スムチナムイ』に連れて行った。愛洲ジルーたちはミサキと一緒にヌルの屋敷で待っていた。
 アフリ川(大井川)で禊(みそ)ぎをして、ヌルの着物に着替え、急な山道を登って行くと岩場に出て、古いウタキがあった。祭壇らしき岩もなく、かなり古いウタキのようで、強い霊気が漂っていた。
 ササたちはお祈りを捧げた。
「沢岻(たくし)ヌルはわたしの事を隠していたでしょう」という神様の声が聞こえた。
 神様の声は聞こえないだろうと思っていたササたちは驚いた。
「『スムチナムイヌル様』ですか」とササは聞いた。
「そうよ。『役行者(えんのぎょうじゃ)様』からガーラダマ(勾玉)をいただいたのは沢岻ヌルだけじゃないのよ。わたしもいただいたのよ。沢岻ヌルよりも先にね。役行者様に気に入られて、あちこちを案内したのは、わたしだったのよ。ビンダキ(弁ヶ岳)に連れて行って、役行者様が弁才天(びんざいてぃん)像を彫っている時も一緒にいたわ。沢岻ヌルは強引に役行者様を奪って行ったのよ。昔の事だから、もう怒ってはいないけど、沢岻ヌルは未だにわたしを敬遠しているわ」
 役行者からガーラダマをもらったヌルが二人もいたなんて驚きだった。
「もしかしたら、役行者様の娘さんを授かったのですか」
「授かったわよ。娘はわたしの跡を継いでくれたわ。途中で絶えてしまったけどね」
役行者様はここにもいらしたのですね?」
「来たわ。『コモキナ様』とお話をしていたわ。わたしにはコモキナ様の言葉はよくわからないけど、役行者様にはわかるようだったわ」
「何のお話をしていたのか御存じですか」
「コモキナ様の子孫でヤマトゥに行った『瀬織津姫』という神様の事を聞いていたようだわ。コモキナ様の子孫がヤマトゥに行って、凄い神様になったって役行者様は言っていたけど、わたしにはよくわからなかったのよ」
「コモキナ様というのは、アマミキヨ様の夫になったシネリキヨ様の事ですね?」
アマミキヨのヌルたちはそう言っているけど、コモキナ様の妻はアマミキヨ様だけではないのよ。当時は通い婚だったから、コモキナ様の妻はあちこちにいたわ。アマミキヨ様はその中の一人に過ぎないのよ」
「コモキナ様は特別な人だったのですか」
役行者様から聞いたんだけど、大陸にあった『楚(チュ)』という国の王様の息子だったらしいわ。楚という国はシネリキヨの同族が造った国で、政変が起こって逃げて来たみたい。アフリ川を遡(さかのぼ)って来て、この地に落ち着いて、御殿(うどぅん)を建てて暮らしていたらしいわ。亡くなったあと、娘がここに葬って、それがウタキになったのよ」
「コモキナ様はアマミキヨ様と、どこで会ったのですか」
「南の方に異民族が集団でやって来たという噂を聞いて見に行って、アマミキヨの娘と結ばれたのでしょう」
「『ピャンナ』という言葉を御存じですか」
「コモキナ様から聞いた事はあるけど、意味はわからないわ」
 アビー様の事も聞きたかったが、玉グスクヌルが一緒にいたので、聞くのは控えた。ササはシンシン、ナナ、タマ、シジマ、屋賀ヌルの顔を見回した。誰も聞きたい事はなさそうなので、スムチナムイヌルにお礼を言ってお祈りを終えた。
「あなたたちは一体、何者なの?」とユカが驚いた顔をしてササたちを見た。
 アビー様に追い出してもらおうと思って連れて来たのに、今まで聞いた事もない神様が現れた。アビー様は何をしているのだろう。
「神様が言っておられた『役行者様』の事を調べているのです」とササが言った。
役行者様って誰なの?」
「ヤマトゥの凄い神人(かみんちゅ)です」
「そう‥‥‥」と言ってユカはササたちを見て笑った。
 シネリキヨの神様と話ができるのだから、シネリキヨのヌルに違いない。味方に付けた方がいいだろうとユカは思って、「歓迎するわ」と言った。
 今晩、村人たちを集めて歓迎の宴(うたげ)を開くとユカは言って引き留めたが、急用があるので、帰りにまた寄らせてもらうと言って、ササたちはユカと別れた。
「また来てね」とミサキが手を振った。
 ササたちも手を振って、ミサキの姿が見えなくなると、
「コモキナ様が楚の国の王様の息子だったなんて驚いたわね」とササが言った。
「楚の国って、『吉備津姫(きびつひめ)様』が行ったかもしれないって国でしょ」とシンシンが言った。
「そうよ。『伊予津姫(いよつひめ)様』は確かに楚の国って言ったわ」
 ササは立ち止まって考えたが、明(みん)の国に行ってみなければわからなかった。
「これからどうするの? 志慶真村に向かうの?」とナナがササに聞いた。
「ユンヌ姫様から知らせがないから急いで行っても仕方がないわ。勢理客(じっちゃく)ヌルの『カユ様』に会いに行きましょう。玉グスクヌルが一緒にいたので、スムチナムイヌル様にアビー様の事を頼めなかったわ。カユ様にお願いしましょう」
 ゲンが勢理客大主(じっちゃくうふぬし)の屋敷を知っていたので、四半時(しはんとき)(三十分)で着いた。勢理客大主は見知らぬヌルたちがぞろぞろと訪ねて来たので驚いた。勢理客ヌルのカユ様のお墓参りがしたいと言ったら、さらに驚いた。
「カユ様はわしの曽祖母の母親でした。どうして、カユ様を御存じなのですか」と勢理客大主は不思議そうな顔をして聞いた。
「カユ様のお母様は沢岻ヌルでした。お母様のウタキが沢岻にあって、カユ様の事はお母様からお聞きしました。カユ様のお父様は湧川按司(わくが-あじ)で、今帰仁按司になられました。娘のカユ様は今帰仁ヌルになりましたが、本部大主(むとぅぶうふぬし)が今帰仁按司になると、本部大主の娘にヌルの座を譲って、湧川に戻って湧川ヌルになりました」
「カユ様が今帰仁ヌルに?」と勢理客大主は驚いた顔でササを見た。
「カユ様は湧川按司の娘で、『悪者退治(わるむんたいじ)』をしていた強いヌルで、勢理客ヌルを継いだという事しか知りません。カユ様は湧川グスクがあったという丘の上に祀られていますが、湧川按司の事も詳しい事はわかりませんでした。何とぞ、詳しい事をお教え下さい」
「わかりました。今晩、お話します。日が暮れる前にカユ様のウタキに行きたいのですが、案内していただけますか」
 勢理客大主はうなづいて、孫娘のマナに案内させた。マナは十三歳で、勢理客ヌルになりたいと言った。
「勢理客大主の娘ならなれるんじゃないの?」とササが言うと、マナは首を振った。
「勢理客ヌルは今帰仁ヌル様が継ぐ事に決まっているのです」
「いつから、そんな風になったの?」
「もう三代続いているそうです。お爺が五歳の時に勢理客ヌルは絶えてしまって、今帰仁ヌル様が来て跡を継いだんです。勢理客ヌル様が亡くなると今帰仁ヌル様が跡を継ぐ事に決まったようです。でも、今の勢理客ヌル様は湧川大主様の娘を若ヌルとして育てていますから、その娘が跡を継ぐみたいです」
「勢理客ヌル様は運天泊(うんてぃんどぅまい)にいるけど、昔からこの村(しま)にはいなかったの?」
「村にも勢理客ヌル様のお屋敷はあります。今の勢理客ヌル様が運天泊に移ったみたいです。それまでは村にいたってお爺は言っていました」
「今の勢理客ヌル様はカユ様のウタキには行かないの?」
「行きません。だから、あたしがヌルになって、ちゃんとカユ様をお守りしたいと思ったのです。それに、カユ様は悪者退治をした強い人だって聞いています。あたしもカユ様みたいな強いヌルになりたいのです」
 湧川村があったという荒れ地に四半時余りで着いた。勢理客大主が通っている細い道があるだけて、草木が生い茂っていて、ここに村があったという形跡は何もなかった。
 細い山道を登って行くと所々に石垣が残っていて、一の曲輪(くるわ)と思われる眺めのいい所にウタキはあった。クバの木に囲まれていて、快い霊気に包まれていた。
 ササたちはお祈りをした。
「母から聞いたわよ」と『カユ様』の声が聞こえた。
「女子武者(いなぐむしゃ)が訪ねて行くってね。母が言った通り、みんな、凄腕のようね。アビーが何かをたくらんでいるって言っていたけど、何の事なの?」
「近いうちに中山王は山北王を倒します。神様たちには見守っていてもらうつもりなのですが、アビー様が戦に加わろうとしています」とササはカユに言った。
「どうして、中山王は山北王を倒すの?」
「『琉球を統一』するためです。戦のない琉球にするためです」
「山北王もそれは考えているわよ」
「そうなのですか」
「今、同盟を結んでいるから平和だわ。これを続ける事はできないの?」
「無理だと思います。中山王と山北王はいつかは戦わなくてはなりません」
「戦をすれば多くの犠牲者が出るわよ」
「戦のない世の中にするには、多少の犠牲は仕方がありません」
「『悪者退治』です」とシンシンが言った。
 カユは笑って、「山北王が悪者だというの?」と聞いた。
「鬼界島(ききゃじま)(喜界島)を攻めて、多くの戦死者を出しました。亡くなった兵たちの家族は泣いています。山北王は悪者です」
「確かにね。多くの人が悲しんだわ」
「山北王は交易の利益を独り占めにしていて、ヤンバルの按司たちは明国の商品を手に入れる事ができませんでした。山北王は悪者です」とササが言った。
「確かに、明国の海賊と取り引きをしていて、按司たちには参加させなかったわね」
「何も悪い事をしていないのに、山北王は奥間(うくま)を焼き払いました。山北王は悪者です」とナナが言った。
「あれにはわたしも驚いたわ。按司たちも怒っていたわね。わたしの父にも奥間から側室が贈られたわ。わたしの剣術のお師匠は奥間から来た側室だったのよ。父は奥間の人たちを大切にしていたわ。奥間の人たちを裏切ったのは、確かに悪い事だわ」
「金武按司が勝連按司と材木の取り引きをしていたのに、山北王は邪魔をしました。山北王は悪者です」と屋賀ヌルが言った。
「それはどういう事なの?」
「山北王はグスクを造るまでは手助けしてくれましたが、その後は自分の才覚で金武を守れと言ったのです。金武按司は材木を売る事を考えて、勝連按司と取り引きを始めました。勝連按司も喜んでくれて、取り引きはうまく行っていたのですが、山北王の『材木屋』が宜野座(ぎぬざ)に拠点を造って、勝連と取り引きをしたのです。『材木屋』の材木の方が良質だと言われて、金武按司の材木は取り引きできませんでした。困っていた所、『まるずや』さんがすべて引き取ってくれたのです。金武按司は山北王の従弟(いとこ)です。従弟の取り引きの邪魔をするなんて最低です」
「そんな事があったの。確かに悪者だわね」
「悪者は退治しなければなりません」とササたちは言った。
「そうね」とカユは言って、「それで、アビーは何をしようとしているの?」と聞いた。
「何をしようとしているのかはわかりませんが、中山王を倒そうとしています。それをカユ様に止めてほしいのです」
「わかったわ。アビーに会ってみるわ。でも、アビーはわたしの言う事は聞かないかもしれないわね」
「カユ様はアビー様のお師匠だったのでしょう」
「そうなんだけど、『千代松』が戻って来た時、わたしも千代松の兵を率いて戦ったのよ。アビーとも戦ったわ。アビーは玉グスクヌルを頼って逃げて行ったのよ。アビーの事はわたしに任せてって千代松に頼んだから、千代松の兵が玉グスクに攻めて来る事はなかったわ。でも、アビーはずっとわたしの事を恨んでいて、近くにいながら会った事もなかったのよ」
「亡くなってからも会ってはいないのですか」
「会っていないわね。でも、大丈夫よ。言う事を聞かなかったら、力尽くでも何とかするわ」
 ササたちはお礼を言った。
「ところで、勢理客ヌルなんだけど、マナを勢理客ヌルに育ててくれないかしら」
「えっ?」とササは予想外の事を言われて戸惑った。
「山北王がいなくなったら、今の勢理客ヌルは出て行くでしょ。マナが跡を継げばいいわ」
 ヌルまで殺しはしないだろうが、今の勢理客ヌルはヌルの座を剥奪される。新しい勢理客ヌルが必要だった。
「わかりました」とササは承諾した。
「武芸も仕込んでね」
「はい。カユ様のような勢理客ヌルに育てます」
「ありがとう」とカユは言った。
 ササたちもカユにお礼を言って別れた。
 両手を合わせてお祈りを続けているマナを見て、ササは軽く肩を叩いた。ハッとして、マナは目を開けた。
「今、カユ様から『頑張れ(ちばりよー)』って言われたような気がしました」
 ササはうなづいて、「あなたはわたしの弟子になるのよ」と言った。
「えっ? あたしがヌルになれるのですか」
「カユ様と約束したわ。あなたを立派な勢理客ヌルにするってね」
「でも、勢理客ヌル様はいらっしゃいます」
「運天泊にいるんだから、運天ヌルを名乗ればいいわ。カユ様が約束したんだから、あなたはきっと勢理客ヌルになれるわ。帰って御両親と相談しなくちゃね」
「ササ様の弟子になったら、わたしは首里に行くのですか」
首里の近くの与那原よ。当分は帰って来られないわよ」
「えっ?」とマナは驚いた顔でササたちを見た。
「心配しなくても大丈夫よ」とナナが言った。
「ササの弟子はあなただけじゃないわ。あなたは十人目の弟子よ」
「えっ、十人もいるのですか」
「皆、あなたと同じくらいの年齢(とし)の娘たちだから、みんな楽しくやっているわ」
 日が暮れる前に勢理客大主に屋敷に着いた。勢理客大主は村の人たちを集めて、歓迎の宴を開いてくれた。
 ササたちはカユ様の事をみんなに話して聞かせた。その話にみんなは驚いて、実際のカユ様は思っていた以上に凄い人だったと感激していた。
 マナが勢理客ヌルになる事に驚いた勢理客大主も息子夫婦も、よそ者に勢理客ヌルを継いでもらうよりもマナがなってくれれば、それに超した事はないと賛成してくれた。
 ササたちが酒盛りを楽しんでいた時、ユンヌ姫が志慶真ヌルの死を知らせた。
「ヌルらしい死だったわ。血を吐いて倒れたあと、無理をしてクボーヌムイ(クボー御嶽)まで行って、お祈りの最中に倒れて、屋敷に運ばれたけど、そのまま息を引き取ったのよ」
「わかったわ。明日、志慶真村に行くわ。ありがとう」


 この日、南部にいた本部のテーラー(瀬底大主)が山北王に呼ばれて今帰仁に来ていた。
 山北王の攀安知(はんあんち)は二の曲輪の屋敷で、酒の用意までして機嫌よくテーラーを迎えた。
「今回、呼んだのはお前の力が必要なんだ」と攀安知は笑って、テーラーの酒杯(さかずき)に酒を注いだ。
 予想外の攀安知の態度に驚いて、テーラー攀安知の顔を見つめた。怒りは治まったようだと安心したが、何をやらせようとしているのか不気味だった。
「瀬長按司(しながあじ)とはどんな奴だ?」と攀安知は聞いた。
「瀬長按司?」
「ママキを瀬長按司の三男に嫁がせようと思っているんだが、どう思う?」
「娘をまた南部に嫁がせるのか」
 長女のマサキを保栄茂按司(ぶいむあじ)に嫁がせて、次女のマナビーを島添大里のミーグスク大親(うふや)に嫁がせ、三女のカリンは若ヌルになったが、四女のママキをまた南部に嫁がせるなんて、テーラーには考えられない事だった。
「瀬長島はお前のテーラーグスク(平良グスク)の近くだ。瀬長按司を味方に付ければ、瀬長島に兵を隠せる」
 成程、そういう事かとテーラーは納得した。
「瀬長按司は山南王の他魯毎(たるむい)の叔父だ。武寧(ぶねい)の弟だから、王妃様(うふぃー)の叔父でもあるわけだ」
「なに、マアサの叔父なのか‥‥‥」
 察度(さとぅ)の葬儀の時に会ったような気もするが、攀安知はよく覚えていなかった。
「マアサの叔父なら話が早い。お前に頼む。縁談を進めてくれ」
「婚礼の予定日はいつなんだ?」
「九月頃でどうじゃ?」
「半年後か‥‥‥やってみよう」とテーラーはうなづいた。
 瀬長按司は兄の敵討ちにこだわっていたので乗ってくるかもしれないとテーラーは思った。明国に行っていたテーラーは、敵討ちをやめた瀬長按司が、娘をサハチの甥と婚約させた事を知らなかった。
「それと、今帰仁のお祭りの時に武芸試合をする事に決めた。鬼界島攻めで失った兵の補充をする。庶民の若者たちから強い奴をサムレーに取り立てるんだ。その時、お前にも検分役を頼みたい」
「お祭りは二十四日だったな。一旦、帰って、また戻って来る」
「頼むぞ」
「ジルータ(湧川大主)はまだ許さんのか」
 攀安知は笑って、「もう少ししたらな」と言って、うまそうに酒を飲んだ。

 

 

 

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