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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-101.悲しみの連鎖(第一稿)

中山王(ちゅうさんおう)の孫、チューマチと山北王(さんほくおう)の娘、マナビーの婚礼は大成功に終わった。 サハチたちが会同館(かいどうかん)でお祝いの宴をやっていた時、開放された首里(すい)グスクの西曲輪(いりくるわ)と北曲輪(にしくるわ)では、城下の…

目次 第二部

尚巴志伝 第二部 このイラストはは和々様よりお借りしました。 山田のウニウシ(第二稿) 護佐丸、尚巴志を頼って首里に行く。 胸のときめき(第二稿) 護佐丸、島添大里で恋をする。 恋の季節(第二稿) サグルーとササ、山田で魂を抜かれる。 キラマの休日…

目次 第一部

尚巴志伝 第一部 月代の石 このイラストはは和々様よりお借りしました。 誕生(最終決定稿) 尚巴志、佐敷苗代に生まれる。 馬天浜(最終決定稿) サミガー大主とヤマトゥの山伏、クマヌ。 察度と泰期(最終決定稿) 浦添按司察度、過去を振り返る。 島添大…

第二部 主要登場人物

サハチ 1372-1439 尚巴志。島添大里按司。マチルギ 1373- 尚巴志の妻。伊波按司の娘。サグルー 1390- 尚巴志の長男。ジルムイ 1391- 尚巴志の次男。尚忠。ミチ 1393- 尚巴志の長女。島添大里ヌル、サスカサ。イハチ 1394- 尚巴志の三男。妻は具志頭按司の娘…

2-100.華麗なる御婚礼(第一稿)

二月九日、首里(すい)のお祭り(うまちー)が行なわれた。 首里に滞在していたイトたちは勿論の事、与那原(ゆなばる)で武術修行をしていたスヒターたちも戻って来て、お祭りを楽しんだ。 お芝居は『鎮西八郎為朝(ちんじーはちるーたみとぅむ)』だった。ササと…

2-99.ミナミの海(第一稿)

慈恩禅師(じおんぜんじ)と別れて、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに帰るとサスカサが待っていた。 ナツと話をしていたサスカサは、サハチを見ると急に目をつり上げて、「あたしよりも年下の娘を側室に迎えるなんて許せない」と鬼のような顔をして騒いだ…

2-98.ジャワの船(第一稿)

十二月の末、ヤマトゥに行った交易船が無事に帰国した。交易船はジャワの船を連れて来た。 突然のジャワの船の来訪で、浮島も首里(すい)も大忙しとなった。 サハチを始め、首里の者たちは『ジャワ』という国を知らなかった。久米村(くみむら)に行って、ファ…

2-97.大聖寺(第一稿)

与那原(ゆなばる)のお祭りが終わった。 サハチは忙しくて行けなかったが、慈恩禅師(じおんぜんじ)が越来(ぐいく)ヌルと一緒に来たらしい。佐敷ヌルの話だと、二人は夫婦のように仲がよかったという。意外な展開に驚いたが、慈恩禅師と越来ヌルが一緒になって…

2-96.奄美大島のクユー一族(第一稿)

中山王(ちゅうさんおう)と山北王(さんほくおう)の同盟を決めるために、今帰仁(なきじん)に来たンマムイ(兼グスク按司)を見送った本部(むとぅぶ)のテーラーは、その三日後、奄美大島(あまみうふしま)攻めの大将として二百人の兵を引き連れて、進貢船(しんく…

2-95.新宮の十郎(第一稿)

本宮(ほんぐう)から新宮(しんぐう)までは船だった。淀川下りのようにお酒を飲みながらのんびりできるとササたちは思っていたが、山の中の川はそんな甘くはなかった。 淀川のような大きな船ではなく、四、五人乗りの小さな舟で、曲がりくねった川を下った。流…

2-94.熊野へ(第一稿)

三姉妹の船が浮島に着いた頃、ヤマトゥに行ったササたちは京都から熊野に向かっていた。 五月十四日に与論島(ゆんぬじま)から交易船に乗り込んだササたちが、薩摩の坊津(ぼうのつ)に着いたのは五月三十日だった。坊津で交易船を降りたササたちは、『一文字屋…

2-93.鉄炮(第一稿)

側室のハルはほとんど佐敷ヌルの屋敷に入り浸りで、二人の侍女も佐敷ヌルを尊敬したようで、真剣に武当拳(ウーダンけん)を習っていた。 石屋のクムンは職人たちと一緒に島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの石垣を見て回って修繕していた。職人の中に腕のい…

2-92.ハルが来た(第二稿)

六月になってウニタキが帰って来た。「麦屋(いんじゃ)ヌルは馬天(ばてぃん)ヌルに預けたけど、会って来たか」とサハチが聞くと、ウニタキはうなづいた。「慈恩禅師(じおんぜんじ)殿がヤンバルから連れて来た、しゃべれない娘と一緒にいたよ。一緒にキーヌウ…

2-91.三王同盟(第二稿)

ンマムイ(兼グスク按司)が山北王(さんほくおう)の書状を持って今帰仁(なきじん)から帰って来たのは、伊是名島(いぢぃなじま)の戦(いくさ)が終わった三日後だった。 山北王の書状には同盟のための条件が三つ書いてあった。 一、伊平屋島(いひゃじま)と伊是…

2-90.伊是名島攻防戦(第二稿)

サハチとウニタキが与論島(ゆんぬじま)の海に潜ってカマンタ(エイ)捕りに熱中している頃、伊是名島(いぢぃなじま)では戦(いくさ)が始まっていた。 伊是名親方(いぢぃなうやかた)が伊是名島に、田名親方(だなうやかた)が伊平屋島(いひゃじま)に五十人の兵を…

2-89.ユンヌのお祭り(第二稿)

サハチ、ササ、シンシン、ナナの四人は勝連(かちりん)グスクに行き、翌日、勝連ヌルを連れて、勝連の船に乗って与論島(ゆんぬじま)に向かった。 勝連グスクは朝鮮(チョソン)に行く船の準備で忙しそうだった。勝連按司のサムも交易担当の浜川大親(はまかーう…

2-88.与論島(第二稿)

伊平屋島(いひゃじま)と与論島(ゆんぬじま)に兵を送り出した次の日の午後、ヤマトゥへ行く交易船の準備を終えたサハチは、龍天閣(りゅうてぃんかく)の三階にいる思紹(ししょう)を訪ねた。 思紹はウニタキが送ってよこした与論島の絵図を見ていた。イーカチか…

2-87.サグルーの長男誕生(第二稿)

三月十五日、勝連(かちりん)グスクでサムの息子、若按司のジルーと勝連ヌルの妹の娘、マーシの婚礼が行なわれた。サハチとマチルギ、馬天(ばてぃん)ヌル、ジルムイ夫婦が四歳になったジタルーを連れて勝連に行き、新婚夫婦を祝福した。新婚夫婦に男の子が生…

2-86.久高島の大里ヌル(第二稿)

ササは馬天(ばてぃん)ヌルと佐敷ヌルとサスカサを連れてセーファウタキ(斎場御嶽)に行き、切り立った岩の上にあるウタキに登って、豊玉姫(とよたまひめ)と娘のアマン姫に会わせた。すでに玉依姫(たまよりひめ)はヤマトゥに帰っていた。年末年始は神様も忙…

2-85.五年目の春(第二稿)

永楽(えいらく)九年(一四一一年)の年が明けた。 月日の経つのは速いもので、首里(すい)で迎える五回目の春だった。 サハチは四十歳になり、長男のサグルーは二十二歳になった。サハチは二十一歳の時に佐敷按司になった。自分はどこか別の所に行って、島添…

2-84.豊玉姫(第二稿)

我喜屋大主(がんじゃうふぬし)と田名大主(だなうふぬし)はいなかったが、山北王(さんほくおう)の兵もいなくなって、島人(しまんちゅ)たちは大喜びして、小舟(さぶに)に乗って、ヤマトゥから帰って来た交易船を迎えに行った。 交易船に乗っていた者たちが小舟…

2-83.伊平屋島のグスク(第二稿)

サグルーたちが奥間(うくま)の木地屋(きじや)の案内で、辺戸岬(ふぃるみさき)の近くにある宜名真(ぎなま)という小さなウミンチュの村(しま)に着いたのは、島添大里(しましいうふざとぅ)を出てから四日目の事だった。 三日目の夜は奥間に泊まり、サグルーとジ…

2-82.伊平屋島と伊是名島(第二稿)

島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクで山南王(さんなんおう)と山北王(さんほくおう)の婚礼が行なわれた五日後、思紹(ししょう)とヂャンサンフォン(張三豊)を乗せた進貢船(しんくんしん)が無事に帰って来た。迎えに行ったのはマチルギで、八人の女子(いなぐ…

2-81.玉依姫(第二稿)

伊勢の神宮参詣から京都に帰ったササたちは、御台所(みだいどころ)様(将軍の奥方)と一緒にスサノオの神様の家族について整理をした。公家(くげ)の先生にも話を聞いたが、どうしても、神様の話とは食い違っていた。 神様の話では、スサノオの妻は豊玉姫(と…

2-80.ササと御台所様(第二稿)

ヤマトゥに行った佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)たちが京都に着いたのは六月の十八日だった。 四月二十五日に浮島を出帆して、五月十日に薩摩の坊津(ぼうのつ)に着いた。坊津でシンゴたちと別れて、交易船は先に博多に向かい、五月十八日に博多に着い…

2-79.山南王と山北王の同盟(第二稿)

十月二十日、糸満(いちまん)の港に今帰仁(なきじん)から『油屋』の船と『材木屋』の船がやって来た。『油屋』の船には、花嫁の山北王(さんほくおう)の長女、マサキとンマムイの妻子が乗っていて、『材木屋』の船には大量の丸太が積んであった。 迎えに来てい…

2-78.イハチの縁談(第二稿)

首里(すい)グスクの北、会同館(かいどうかん)の隣りに宗玄寺(そうげんじ)の普請が始まっていた。サハチはすべてを一徹平郎(いってつへいろう)に任せ、一徹平郎は立派な禅宗寺院を作ってみせると張り切っていた。サハチには仏教の事はよくわからないが、ソウ…

2-77.武当山の奇跡(第二稿)

武当山(ウーダンシャン)の山の中で、思紹(ししょう)とクルー、ユンロン(芸蓉)はヂャンサンフォン(張三豊)の指導のもと、武当拳(ウーダンけん)の修行に励んでいた。 琉球を船出してからすでに三か月余りが過ぎていた。 三月十八日に浮島を出帆し、二十九…

2-76.百浦添御殿の唐破風(第二稿)

八重瀬按司(えーじあじ)のタブチが帰ったあと、側室としてのメイユーの歓迎の宴が開かれた。主立った重臣たち、サグルー夫婦とサスカサ、女子(いなぐ)サムレーと侍女たちも呼んで、与那原(ゆなばる)にお祭りの準備に行っている佐敷ヌルとユリも呼び戻した。 …

2-75.三か月の側室(第二稿)

ンマムイたちが今帰仁(なきじん)を発って、本部(むとぅぶ)の海辺で遊んでいた頃、浮島に三姉妹の船が今年も二隻やって来た。 サハチは十月に明国(みんこく)に送る官生(かんしょう)を決める会議があって、メイユーを迎えには行けなかった。代わりにマチルギが…

2-74.刺客の襲撃(第二稿)

奥間(うくま)から今帰仁(なきじん)に帰って来たンマムイは、山北王(さんほくおう)に付き合って早朝の弓矢の稽古をしたり、湧川大主(わくがーうふぬし)と少林拳(シャオリンけん)の稽古をしたり、遊女屋(じゅりぬやー)に繰り出して騒いだり、『天使館』に行っ…

2-73.奥間の出会い(第二稿)

本部(むとぅぶ)から今帰仁(なきじん)に帰った二日後、ンマムイはヤタルー師匠を連れて、アタグの案内で国頭(くんじゃん)グスクに向かった。遠いので子供たちを連れて行くのは無理だった。国頭按司の妻はマハニの叔母で、マハニからの贈り物を届けるためにン…

2-72.ヤンバルの夏(第二稿)

歓迎の宴で出たヤマトゥ酒はうまかった。京都の高橋殿の屋敷で飲んだ上等の酒と同じような気がするとンマムイ(兼グスク按司)は思った。酒も料理もうまかったが、緊張していたので、あまり酔う事もなかった。 なぜ、緊張していたのかわからない。妻の実家に…

2-71.ンマムイが行く(第二稿)

ンマムイが行く 明国(みんこく)の陶器や南蛮(なんばん)(東南アジア)の蘇木(そぼく)、朝鮮(チョソン)の綿布などを大量に積み込んだ『油屋』の船に乗って、ンマムイ(兼グスク按司)は家族を連れて今帰仁(なきじん)に向かっていた。 妻のマハニ、十二歳の長…

2-70.二人の官生(第二稿)

六月八日、思っていたよりもずっと早く、正月に出帆した進貢船(しんくんしん)が帰って来た。 正使の中グスク大親(うふや)の話によると、永楽帝(えいらくてい)はまだ順天府(じゅんてんふ)(北京)にいるが、わざわざ来なくてもいいとの事で、応天府(おうてん…

2-69.座ったままの王様(第二稿)

今年の丸太引きのお祭りは華やかだった。 首里(すい)は赤(あかー)、島添大里(しましいうふざとぅ)は水色(みじいる)、佐敷は白(しるー)、久米村(くみむら)は黄色(きーるー)、若狭町(わかさまち)は黒(くるー)、今年から加わった浦添(うらしい)は緑色(おーるー)…

2-68.思紹の旅立ち(第二稿)

サムの勝連按司(かちりんあじ)就任の儀式が終わったあと、ウニタキは今帰仁(なきじん)に向かい、サハチは島添大里(しましいうふざとぅ)に帰った。 次の日は島添大里グスクのお祭り(うまちー)だった。天候にも恵まれて大勢の人たちが集まって来た。舞台の演目…

2-67.勝連の呪い(第二稿)

正月の下旬、シンゴとマグサの船が馬天浜(ばてぃんはま)にやって来た。イハチとクサンルーが無事に帰国した。 ナナが来ているので、イハチと仲よくなったミツが一緒に来るかと思ったが、来なかった。一時は母親と一緒に来ると言ったのだが、今の対馬の状況を…

2-66.雲に隠れた初日の出(第二稿)

新しい年が明けた。 去年は本当に素晴らしい年だった。何もかもがうまくいった。今年もいい年であるように初日の出に祈ったが、雲に隠れて拝む事はできなかった。何となく嫌な予感がした。 馬天ヌルが、「大丈夫よ」と言った。 サハチたちはうなづいて、しば…

2-65.龍天閣(第二稿)

十二月二十四日、サハチたちは無事に琉球に帰国した。あとを付いて来た旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船も無事だった。 サハチたちは休む間もなく、旧港の者たちの接待に追われた。首里(すい)の大役(うふやく)たちに知らせて歓迎の宴の準備をさせ、久米村(…

2-64.旧港から来た娘(第二稿)

サハチたちが家族水入らずの旅から帰って来ると、朝鮮(チョソン)に行った使者たちが博多に戻ったとの知らせが入った。 サハチはウニタキとファイチを連れて、イトの船に乗って博多に向かった。使者たちは妙楽寺に滞在していて、出入りも自由だったので、サハ…

2-63.対馬慕情(第二稿)

サハチたちが朝鮮(チョソン)から対馬に戻ったのは、山々が紅葉している十月の初めだった。 九月の初めに漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に着いた琉球の使者たちは、二十一日にようやく、朝鮮王(李芳遠(イバンウォン))に謁見(えっけん)した。何度も歓迎の宴が…

2-62.具志頭按司(第二稿)

九月十日、平田グスクでお祭りが行なわれた。 お祭り奉行の佐敷ヌルは、ヒューガの娘のユリと一緒に張り切って準備に明け暮れた。メイユー、リェンリー、ユンロンの三人も手伝ってくれた。初めての大々的なお祭りなので、平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)…

2-61.英祖の宝刀(第二稿)

サハチたちが朝鮮(チョソン)に船出した日から七日後の五月四日、豊見(とぅゆみ)グスクで毎年恒例のハーリーが行なわれた。思紹(ししょう)王は王妃を連れて出掛けて行った。従ったのは馬天(ばてぃん)ヌルと五人の女子(いなぐ)サムレー、護衛の兵が十人だった…

2-60.李芸とアガシ(第二稿)

開京(ケギョン)から漢城府(ハンソンブ)に帰るとサハチたちを待っている男がいた。イトから話を聞いていた李芸(イイエ)だった。ヤマトゥ言葉が話せるというので、サハチも会いたいと思い、丈太郎(じょうたろう)に頼んでいた。 サハチたちが漢城府に帰った次の…

2-59.開京の将軍(第二稿)

ファイチは開京(ケギョン)(開城市)でヘグム(奚琴)を手に入れる事ができた。ナナだけでなく浦瀬小次郎も一緒に来てくれた。開京には宿屋もちゃんとあって、食事も酒も提供してくれた。サハチたちは宿屋に滞在しながら、五日間を開京で過ごした。 都を囲ん…

2-58.サダンのヘグム(第二稿)

昨日はいなかったが、ハナにはナナという姉がいた。男の格好をして刀を背負い、二十歳を過ぎていると思えるが、お嫁に行かないで、商品の護衛を務めているという。そして、ヂャンサンフォンを師匠と呼んで、再会を喜んでいた。「ここにも師匠の弟子がいたの…

2-57.漢城府(第二稿)

五郎左衛門が言っていたように、都へと続く道はひどいものだった。道幅が狭くて、でこぼこで、ほとんどが山道同然と言ってよかった。こんな道では荷車は通れなかった。サハチたちは馬に乗っていたが、十日以上もこんな道を行くのかと思うと疲れがどっと出て…

2-56.渋川道鎮と宗讃岐守(第二稿)

サハチたちは倭館(わかん)に向かっていた。 五郎左衛門、六郎次郎、ジクー禅師と一緒だった。遊女屋に泊まった者たちはまだ帰って来ていなかった。 五郎左衛門は朝鮮(チョソン)の官服(かんぷく)を着ていた。その官服は明国の官服によく似ていた。その姿を見…

2-55.富山浦の遊女屋(第二稿)

すぐにでも朝鮮(チョソン)に行きたかったが、海が荒れてきて行けなくなった。ササに聞くと台風が近づいているという。「でも、対馬は直撃しないから大丈夫。三日か四日待てば行けるわ」「琉球は大丈夫だったのか」とサハチが聞くと、「ちょっと待って」とサ…