尚巴志伝 第一部 月代の石 このイラストはは和々様よりお借りしました。 誕生(改訂決定稿) 尚巴志が佐敷苗代に生まれる。 馬天浜(改訂決定稿) サミガー大主とヤマトゥの山伏、クマヌ。 察度と泰期(改訂決定稿) 中山王の察度が過去を振り返る。 島添大…
サハチ(佐八郎)‥‥‥尚巴志。佐敷若按司→佐敷按司→島添大里按司→中山王。 妻は伊波按司の娘マチルギ。 サグルー(佐五郎)‥‥‥尚巴志の父。苗代大親→佐敷按司→東行法師→中山王。 妻は美里之子の娘ミチ。 ミチ(満)‥‥‥尚巴志の母。美里之子の娘。 鮫皮大主(…
尚巴志伝 第二部 豊玉姫 このイラストはは和々様よりお借りしました。 山田のウニウシ(改訂決定稿) 護佐丸が尚巴志を頼って首里に行く。 胸のときめき(改訂決定稿) 護佐丸が島添大里グスクで恋をする。 恋の季節(改訂決定稿) サグルーとササが山田で魂…
サハチ 1372-1439 尚巴志。島添大里按司。マチルギ 1373- 尚巴志の妻。伊波按司の娘。サグルー 1390- 尚巴志の長男。妻は護佐丸の妹、マカトゥダル。ジルムイ 1391- 尚巴志の次男。後の尚忠。妻はサムの娘、ユミ。ミチ 1393- 尚巴志の長女。島添大里ヌル、サ…
古見(くみ)(小湊)に着いたサスカサたちは驚かされた。 サスカサたちを迎えた古見ヌルはマキという七歳の娘を連れていて、マキの父親は本部(むとぅぶ)のテーラーだと言った。 七年前に奄美大島(あまみうふしま)平定のために湧川大主(わくがーうふぬし)と一…
尚巴志伝 第三部 このイラストはは和々様よりお借りしました。 沖の郡島(第二稿) サスカサたちが沖の郡島(古宇利島)に行く。 凱旋(第二稿) 尚巴志が中山軍を率いて首里に凱旋する。 逃避行(第二稿) 湧川大主が与論島、永良部島、徳之島、奄美大島に…
アマンウディー(カサンウディー、大刈山)を下りたサスカサたちが万屋(まにや)グスクに行くと、広い庭に大勢の若者が集まって武当拳(ウーダンけん)の稽古に励んでいた。 万屋グスクは湧川大主(わくがーうふぬし)の鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めの拠点と…
赤木名(はっきな)グスクで催された歓迎の宴(うたげ)に手花部(てぃーぶ)ヌルが若ヌルを連れて参加した。手花部ヌルは奄美ヌルを指導したマジニから奄美ヌルの後見役を頼まれて引き受けたという。赤木名ヌルが絶えた後、カサンウディー(アマンウディー、大刈…
目を覚ましたサスカサは自分がどこにいるのかわからなかった。 水の音が聞こえるので小屋から出てみると目の前に滝があった。 ここはどこだろうと周りを見回すと鬱蒼(うっそう)と樹木が生い茂り、滝から落ちてくる水が溜まっている所の上だけが明るく、青空…
夜明けまで続いた神様たちとの酒盛りの後、アメキウディー(天城岳)を下りたサスカサたちはアメキヌルの屋敷に着くと疲れ果てて眠りに就いた。 夕方に目覚めたヌルたちはサスカサたちを尊敬のまなざしで見て、改めて歓迎の宴(うたげ)を開いてくれた。今後、…
サスカサたちが徳之島(とぅくぬしま)で神様たちとの酒盛りを楽しんでいた頃、首里(すい)グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)の三階の回廊からササは満月を見上げながら酒杯(さかづき)を傾けていた。 ササと一緒にお酒を飲んでいるのは玻名(はな)グスクヌルとミ…
ウンノー泊(どぅまい)(面縄港)に戻ってサグルーたちと合流したサスカサたちは、先代徳之島按司(とぅくぬしまあじ)の妹の犬田布(いんたぶ)ヌル(先代徳之島ヌル)と会った。犬田布ヌルは山北王(さんほくおう)を倒してくれた事を感謝したが、中山王(ちゅうざ…
シンシンとナナが予想したように、島ヌルのカリーと親方の息子のサクラーは消えてしまった。どこに行ったのかわからないが、無事に帰ってくるまで、サスカサたちは待っている事にした。 ヒューガは先に帰ったが、サンダラたちは一緒に残った。トカラの宝島ま…
越山(くしやま)のウタキ(御嶽)で神様の話を聞いた翌日、鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)の事を聞こうとサスカサたちはサミガー親方(うやかた)に会いに行った。永良部按司(いらぶあじ)になったサミガー親方だったが、仕事の引き継ぎをしなければならないと言…
世の主(ゆぬぬし)(永良部按司)が以前に暮らしていた玉グスクは、新しいグスクの東、半里(約二キロ)ほどの小高い丘の上にあり、浦添(うらしい)グスクを小さくしたようなグスクだった。 高い石垣はかなり古く、英祖(えいそ)の弟が永良部按司(いらぶあじ)に…
武装船を先頭に中山王(ちゅうざんおう)の船は永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)に向かっていた。 永良部島にはアキシノ様の子孫のヌルがいるという。母(マチルギ)から聞いた話では初代の永良部ヌルはアキシノ様の孫で、代々続いて来たが、永良部按司の娘…
梅雨が上がった五月の五日、山グスク大親(うふや)(サグルー)が奄美の島々を平定するためにヒューガ(水軍大将)の武装船に乗って親泊(うやどぅまい)(今泊)を出帆した。弟のジルムイ(島添大里之子)とマウシ(山田之子)とシラー(久良波之子)がサムレ…
瀬底(しーく)の若ヌルが今帰仁(なきじん)に来た翌日、雨がやんで、久し振りに日が出たので、サスカサ(島添大里ヌル)、シンシン(今帰仁ヌル)、ナナ(クーイヌル)、タマ(東松田の若ヌル)、志慶真(しじま)ヌルがサグルーとマウシを連れて、ヒューガの配…
今帰仁(なきじん)グスクの外曲輪(ふかくるわ)に朝鮮(チョソン)の綿布(めんぷ)で作った仮小屋がずらりと並んで建っていた。戦(いくさ)の被害が少なく、広い外曲輪が今帰仁再建の拠点として機能していた。 三の曲輪と中曲輪を囲む高い石垣は所々に鉄炮(てっぽ…
今帰仁(なきじん)の戦(いくさ)が始まる半月ほど前の三月二十八日、武装船に乗って逃亡した湧川大主(わくがーうふぬし)は与論島(ゆんぬじま)に着いた。前日の夕方、運天泊(うんてぃんどぅまい)を出帆し、奥間(うくま)沖で一泊してから与論島に向かっていた。 …
山北王(さんほくおう)を倒した六日後の四月十七日、サハチ(尚巴志)は中山(ちゅうざん)軍を率いて首里(すい)に凱旋(がいせん)した。 今帰仁(なきじん)を発ったのは十四日で、その日は名護(なぐ)まで行き、二日目は恩納(うんな)まで、三日目は喜名(きなー)に…
永楽(えいらく)十四年(一四一六年)の四月十一日、総大将を務めるサハチ(尚巴志)が率いた中山(ちゅうざん)軍は、今帰仁(なきじん)グスクを攻め落として山北王(さんほくおう)を滅ぼした。 山北王の攀安知(はんあんち)は霊石を斬ったバチが当たって雷に打た…
西暦 明歴 派遣王 行き先 出帆 入貢 帰帆 使者1372年 洪武5年 察度1 明国 10月 12月29日 翌年5月 泰期 ※明国の使者、楊載。 1374年 洪武7年 察度2 明国 8月 10月26日 翌年5月 泰期 ※琉球に帰る船で、李浩が来る。 1376年 洪武9年 察度3 明国 2月 4月1日 7月 …
1178年 弓矢の腕を見込まれて厳島神社の内侍(巫女)になる。16歳 1180年 3月 厳島神社に来た平維盛と出会う。18歳 4月 安徳帝が即位する。 1181年 閏2月 平清盛が病死する。19歳 1183年 4月 平維盛が総大将として北陸に出陣する。21歳 5月 弥山で青い勾玉を…
1387年 5月 早田三郎左衛門がサハチを対馬に連れて帰る。 1388年 1月 早田左衛門太郎がサハチを連れて琉球に行く。 5月 左衛門太郎が琉球から帰る。 8月 高麗を襲撃して多くの兵を失い、三郎左衛門たちが対馬に帰る。 9月 高麗の富山浦(釜山)で生まれる。1…
1390年 明国の襄陽郊外の村に生まれる。1歳 1398年 張三豊がファイホン夫婦を連れて武当山に戻る。9歳 1399年 村が山賊に襲われて、父は殺され、母はさらわれる。10歳 張三豊に助けられ、武当山に行き、ファイホン夫婦に預けられる。 両親の敵を討つために、…
1383年 10月 志慶真若ヌルが出産に失敗して亡くなる。 1384年 1月 志慶真ヌルが志慶真大主の娘を若ヌルとして育てる。 1389年 ミナ、志慶真村に生まれる。1歳 1391年 4月 今帰仁合戦で祖父と父が戦死。志慶真村も今帰仁城下も焼かれる。3歳 1393年 4月 今帰…
1281年 弘安の役(元寇)で水軍を率いて愛洲氏が活躍する。 1324年 愛洲憲俊とその子能俊は、大塔宮、正成らと共に赤坂城に篭城して戦う。 1338年 後醍醐天皇の綸旨に、紀州高田が愛洲憲俊に安堵される。 1339年 神山城(松阪市)の戦いに南朝方として愛洲六…
1361年 祖父の羽地按司が今帰仁グスクを奪い取り今帰仁按司になる。 1376年 兄ハーンが生まれる。 1377年 本部で本部大主の次男に生まれる。童名はジルータ。1歳 1379年 妹マハニが生まれる。3歳 1380年 1月 ウクヌドー(奥堂)が今帰仁に来て、城下に「油屋…
1406年 1月 サハチが中山王武寧を倒し、首里グスクを奪い取る。32歳 アランポー一族を抹殺し、王茂を中心に新しい久米村を作る。 中山王になるサハチの父サグルーの名前を「思紹」と決める。 永楽帝が順天府に紫禁城の改築を始める。 5月 中山王の進貢船が帰…