早田(そうだ)五郎左衛門が言っていたように、都へと続く道はひどいものだった。道幅が狭くて、でこぼこで、ほとんどが山道同然と言ってよかった。こんな道では荷車は通れなかった。サハチ(琉球中山王世子)たちは馬に乗っていたが、十日以上もこんな道を行…
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