四月六日の正午(ひる)頃、一千五百人の兵を率いて今帰仁(なきじん)に着いたサハチ(中山王世子、尚巴志)は城下を見て驚いた。すべてが焼け落ちた悲惨な焼け跡に驚いたが、それ以上に焼け跡に造られた陣地を見て驚いていた。 焼け跡の中に高い物見櫓(ものみ…
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