長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

尚巴志伝 第一部

51.シンゴとの再会(改訂決定稿)

佐敷の東に『須久名森(すくなむい)』と呼ばれる山がある。その西側の裾野に『平田』という所があり、今、そこに小さなグスクを築いていた。 サハチ(佐敷按司)の三番目の弟、マタルーが八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)のお娘を嫁に迎えるに当たって、二人…

50.マジムン屋敷の美女(改訂決定稿)

明国(みんこく)(中国)の皇帝(洪武帝)の死は、思っていた以上の影響があった。 明国に行った進貢船(しんくんしん)は戦乱に巻き込まれる危険があるので、応天府(おうてんふ)(南京)に行く事ができなかった。仕方なく、皇帝への貢ぎ物も泉州の商人と取り引…

49.宇座の御隠居(改訂決定稿)

年が明けて洪武(こうぶ)三十一年(一三九八年)、サハチは二十七歳になった。佐敷按司(さしきあじ)になって七年目の年が始まった。 佐敷按司になった時と比べると、周りの状況もかなり変わっていた。島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の汪英紫(おーえー…

48.ハーリー(改訂決定稿)

生憎(あいにく)の空模様だった。今にも雨が降りそうだった。今年はまだ、梅雨が明けていなかった。 サハチ(佐敷按司)たちは恒例の旅に出ていた。いつもなら、梅雨が明けてから出て来るのだが、豊見(とぅゆみ)グスクで行なわれる『ハーリー』が見たくて早め…

47.佐敷ヌル(改訂決定稿)

マチルギが、妹のマカマドゥ(真竈)のお嫁入りの話をしたのは、暑い夏の盛りだった。 娘たちの剣術の稽古が終わり、水を浴びて汗を流したマチルギが、縁側でぐったり伸びていたサハチ(佐敷按司)に声を掛けて来た。「ねえ、マカマドゥだけど、もう十六なの…

46.夢の島(改訂決定稿)

二月にサハチ(佐敷按司)の四男が生まれた。 マチルギの祖父の名をもらって、『チューマチ(千代松)』と名付けられた。マチルギの祖父(二代目千代松)は今帰仁按司(なきじんあじ)だった。曽祖父(初代千代松)が亡くなったあと、羽地按司(はにじあじ)(帕…

45.馬天ヌル(改訂決定稿)

中山王(ちゅうざんおう)の葬儀は浮島(那覇)の護国寺(ぐくくじ)で盛大に行なわれた。 跡を継いで中山王となった浦添按司(うらしいあじ)のフニムイ、フニムイの義父である山南王(さんなんおう)の汪英紫(おーえーじ)、フニムイの娘婿である山北王(さんほくお…

44.察度の死(改訂決定稿)

久高島(くだかじま)の旅から帰ると、サハチ(佐敷按司)は御門番(うじょうばん)から鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチの言伝(ことづて)を聞かされた。 頼まれていた短刀ができ上がったとの事だった。短刀を頼んでいたわけではなく、ただ話があるという意味だった。…

43.玉グスクのお姫様(改訂決定稿)

十一月に生まれた、サハチ(佐敷按司)の四番目の子供は男の子だった。祖父、サミガー大主(うふぬし)の名前をもらって、『イハチ(伊八)』と名付けられた。「この子はお爺様のように海の男になるわ。きっと、船乗りになって、ヤマトゥ(日本)や明(みん)の…

42.予想外の使者(改訂決定稿)

山南王(さんなんおう)となった島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)は、家臣たちを引き連れて島添大里グスクから島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに移って行った。 島添大里グスクには、大(うふ)グスク按司のヤフス(屋富祖)が入って島添大里…

41.傾城(改訂決定稿)

洪武(こうぶ)二七年(一三九四年)は正月から大忙しだった。 正月の十日にサハチ(佐敷按司)の弟、マサンルー(真三郎)の婚礼が華やかに行なわれた。花嫁は鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチの娘、キク(菊)だった。二人の仲はサハチもまったく知らなかった。マ…

40.山南王(改訂決定稿)

夏真っ盛りの暑い日々が続いていた。 ヒューガ(三好日向)が佐敷を去ってから二か月が過ぎ、南部の各地に山賊が出没して、食糧が奪われたとの噂が流れて来た。また、その山賊の仕業かどうかはわからないが、貧しい村に、食糧が天から降って来たという噂も流…

39.運玉森(改訂決定稿)

久高島(くだかじま)から佐敷に戻ったヒューガ(三好日向)は、サハチ(佐敷按司)にわけを話して、ヤマトゥ(日本)に帰る準備を始めた。 ヒューガの話を聞いたサハチは予想外な展開に驚いた。山賊になって、久高島の修行者たちの食糧を調達するなんて危険す…

38.久高島(改訂決定稿)

三月にマチルギが女の子を産んだ。 三人目に、やっと女の子が生まれて、マチルギは大喜びだった。サハチ(佐敷按司)も初めての女の子の誕生は嬉しかった。母親似の可愛い女の子は、サハチの母の名前をもらって、『ミチ(満)』と名付けられた。「ミチ、『ウ…

37.旅の収穫(改訂決定稿)

十二月の半ば、『東行法師(とうぎょうほうし)』となって旅に出た父が、ようやく帰って来た。前回と同じように、マサンルーを佐敷グスクに帰して、『東行庵(とうぎょうあん)』にサハチ(佐敷按司)を呼んだ。「長い旅だったな」とサハチが言うと、マサンルー…

36.浜川大親(改訂決定稿)

伊波(いーふぁ)、越来(ぐいく)、北谷(ちゃたん)などの中部で、高麗人(こーれーんちゅ)の山賊が村々を荒らし回っているとの噂が流れて来たのは、サハチ(佐敷按司)たちが『首里天閣(すいてぃんかく)』を見に行ってから一月ほど経った頃だった。 どうして、高…

35.首里天閣(改訂決定稿)

二月になってもサンルーザ(早田三郎左衛門)は来なかった。 サハチ(佐敷按司)を送ってサイムンタルー(左衛門太郎)が来てから四年が過ぎている。今年は来るだろうと思っていたのに来なかった。高麗(こーれー)の国(朝鮮半島)に政変が起こって混乱してい…

34.東行法師(改訂決定稿)

年が明けて洪武(こうぶ)二十五年(一三九二年)正月、佐敷按司は家臣たちを前に隠居する事を宣言した。 家臣たちは突然の事に驚いて、しばし言葉が出なかった。やがて、まだ隠居する年齢(とし)ではないと言って家臣全員が猛反対した。佐敷按司は年が明けて三…

33.十年の計(改訂決定稿)

風が冷たかった。今にも雨が降りそうな空模様だ。 今帰仁合戦(なきじんかっせん)のあった年の十二月の初め、サハチ(佐敷若按司)は祖父のサミガー大主(うふぬし)に呼ばれて、仲尾(新里)にある祖父の隠居屋敷に向かっていた。雪が降って来るヤマトゥ(日本…

32.ササの誕生(改訂決定稿)

島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)の後始末は、さすがと言える程に素早かった。 三男の大(うふ)グスク按司、ヤフス(屋富祖)がしでかした不始末をあっという間に解決してしまった。やはり、糸数按司(いちかじあじ)と比べて島添大里按司の方が…

31.今帰仁合戦(改訂決定稿)

洪武(こうぶ)二十四年(一三九一年)四月一日、佐敷按司(さしきあじ)は五十人の兵を引き連れて出陣して行った。苗代大親(なーしるうふや)、兼久大親(かにくうふや)、クマヌ(熊野大親)、ヤシルー(八代大親)、美里之子(んざとぅぬしぃ)が、佐敷按司に従っ…

30.出陣命令(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)の長男誕生を一番喜んだのは、祖父のサミガー大主(うふぬし)だった。祖父は祖母と一緒に、毎日のように東曲輪(あがりくるわ)にやって来て、曽孫(ひまご)の顔が見られるとは思ってもいなかったと言って喜び、これを機に隠居すると言い出…

29.長男誕生(改訂決定稿)

久高島(くだかじま)に馬天(ばてぃん)ヌルを残して、サハチ(佐敷若按司)、マチルギ、ヒューガ(三好日向)の三人は知念(ちにん)グスクの城下を見て、垣花(かきぬはな)グスクの城下を見て、また玉グスクの城下に戻って来た。「そろそろ帰るか」とサハチがマ…

28.サスカサ(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)たちは久高島(くだかじま)に来ていた。 馬天(ばてぃん)ヌルに振り回されるような形で、久高島に渡っていた。マチルギは特に旅の目的はなく、知らない土地を見てみたいというだけだった。サハチとヒューガ(三好日向)は気分転換のために…

27.豊見グスク(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)とマチルギ(伊波按司の次女)の婚礼の次の日の朝、大(うふ)グスク按司のシタルーがお祝いを言いに、佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)にやって来た。 シタルーは相変わらず佐敷按司を敵と見る事なく、隣りの家に遊びに来たような気楽な…

26.高麗の対馬奇襲(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)とマチルギ(伊波按司の次女)の婚礼が行なわれていた頃、ヤマトゥ(日本)の対馬(つしま)では、とんでもない事が起こっていた。 琉球に帰ったサハチがマチルギとの再会を喜んでいた頃、高麗(こうらい)(朝鮮半島)に来た明国(みんこく)…

25.お輿入れ(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)とマチルギ(伊波按司の次女)の新居は十一月の半ばに完成した。 東曲輪(あがりくるわ)ができて、佐敷グスクは以前よりもずっと立派に見えた。石垣がないのは残念だが、贅沢は言えない。村の人たちがサハチたちのために総出で築いたグス…

24.山田按司(改訂決定稿)

名護(なぐ)の山中にある木地屋(きじやー)の親方(うやかた)の屋敷を朝早く旅立ったサハチ(佐敷若按司)たちは、海岸沿いに道なき道を通って伊波(いーふぁ)へと向かった。 鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチ(弥吉)たちはどこに行ったのか、出掛ける時、姿を見せな…

23.名護の夜(改訂決定稿)

浮島(那覇)は相変わらずの賑わいだった。 この前に来た時から、一年半足らずしか経っていないのに、以前よりも、家々が大分増えているような気がした。島の外れの砂浜には造船所もできて、大きな船を造っていた。 サイムンタルー(左衛門太郎)の船は島か…

22.ウニタキ(改訂決定稿)

佐敷グスクの拡張工事が始まっていた。 サハチが嫁を迎えると今の屋敷では狭いので、新たに東側に曲輪(くるわ)を作って、そこにサハチたちの屋敷を建てる事になった。 佐敷グスクを建てた時、サハチの兄弟は五人だったのが、今では八人になり、もうすぐ、九…