長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

尚巴志伝 第一部

21.再会(改訂決定稿)

ウニタキ(鬼武)との試合で引き分けたマチルギ(真剣)は、佐敷に戻って厳しい修行を続けていた。 ウニタキに勝つには、道場内の修行では難しいと判断した苗代之子(なーしるぬしぃ)は、かつて、自分が修行した山の中に、マチルギとサム(左衛門)を連れて行…

20.兵法(改訂決定稿)

対馬(つしま)の冬は、琉球育ちのサハチ(佐敷若按司)には物凄く寒かった。 壱岐島(いきのしま)にいた頃の宇座按司(うーじゃあじ)(泰期(たち))が首に巻いていたという襟巻きを、イトに作ってもらって首に巻いていた。 八月になると海水も冷たくなって、イ…

19.マチルギ(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)が対馬(つしま)でイトと仲良くやっている頃、マチルギは一人で悩んでいた。 サハチがヤマトゥ(日本)に旅立ったあと、マチルギは毎日休まず、剣術の稽古に励んでいた。サハチがヤマトゥから帰って来た時、試合をして勝たなければならな…

18.富山浦(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)はヒューガ(三好日向)と一緒に高麗(こうらい)の国(朝鮮半島)に来ていた。 それは突然の出来事だった。サイムンタルー(左衛門太郎)の船に乗せられて、言葉の通じない異国に来たのだった。 イトと出会ってから、サハチは毎日のよう…

17.対馬島(改訂決定稿)

対馬(つしま)は山ばかりの島だった。 南北に細長い大きな島で、サンルーザ(早田三郎左衛門)の村は島の西側、中程にある大きな湾の入り口辺りにあった。 『浅海湾(あそうわん)』と呼ばれるその湾は、奥が深くて複雑な地形で、山々が湾内に細長くせり出して…

16.博多(改訂決定稿)

ようやく、念願の博多にやって来た。 壱岐島(いきのしま)の『志佐壱岐守(しさいきのかみ)』の船に乗って、サハチ(佐敷若按司)はサイムンタルー(左衛門太郎)、ヒューガ(三好日向)と一緒に九州の都、博多の地に上陸した。 志佐壱岐守とサンルーザ(早田…

15.壱岐島(改訂決定稿)

取り引きも無事に済んで、夜明けと共に坊津(ぼうのつ)を出帆したサハチ(佐敷若按司)たちを乗せた船は、甑島(こしきじま)に一泊してから五島列島へと向かった。 甑島から五島列島までは、かなりの距離があって、途中に島などなく海しか見えなかった。九州か…

14.ヤマトゥ旅(改訂決定稿)

ヤマトゥ(日本)の国は思っていたよりも、ずっと遠かった。 ヤマトゥの国は琉球の北(にし)の方にあって、三つか四つの島を経由すれば着くだろうと簡単に思っていたのに、数え切れないほどの島がいくつもあって、いつまで経っても、ヤマトゥの国は目の前に現…

13.伊平屋島(改訂決定稿)

梅雨の明けた五月の初旬、サハチ(佐敷若按司)を乗せたサンルーザ(早田三郎左衛門)の船はヤマトゥ(日本)へ向けて、浮島(那覇)を出帆した。 サハチのヤマトゥ旅への船出を祝うかのように、空は青く晴れ渡り、海は眩しく輝いていた。 竹でできた大きな…

12.恋の病(改訂決定稿)

旅から帰って来て二か月が過ぎていた。 うりずんと呼ばれる過ごしやすい日々が続いていたが、サハチ(佐敷若按司)は悶々(もんもん)とした日々を送っていた。 原因はマチルギだった。真剣な顔つきで剣術の稽古に励んでいるマチルギの姿、強い視線でサハチを…

11.奥間(改訂決定稿)

今帰仁(なきじん)から羽地(はにじ)まで戻って、郡島(くーいじま)(屋我地島)を左に見ながら海岸沿いを進んだ。 小高い丘の上に羽地グスク(親川グスク)があり、近くには仲尾泊(なこーどぅまい)(寒汀那港)があって、ヤマトゥ(日本)から来たらしい船が二…

10.今帰仁グスク(改訂決定稿)

伊波(いーふぁ)グスクをあとにしたサハチ(佐敷若按司)たちは、西側の海岸に出てから海岸沿いに北上した。 ヤンバル(山原)と呼ばれる北部に入り、山の中の細い獣道(けものみち)や海辺の砂浜を通って、時には海の中に入ったり、険しい岩をよじ登ったりして…

09.出会い(改訂決定稿)

浮島(那覇)を旅立ったサハチ(佐敷若按司)たちは中山王(ちゅうざんおう)の察度(さとぅ)の本拠地、浦添(うらしぃ)グスクへ向かった。 浮島から渡し舟で安里(あさとぅ)に渡ると広い道が浦添まで続き、荷物を積んだ荷車や馬に乗ったサムレーたちが行き交って…

08.浮島(改訂決定稿)

サハチ(佐敷若按司)たちは新年を浮島(那覇)で迎えていた。 佐敷を旅立った後、サハチ、クマヌ(熊野)、サイムンタルー(左衛門太郎)、ヒューガ(三好日向)の一行は、玉グスク(玉城)と糸数(いちかじ)グスクの城下を見て、敵の八重瀬(えーじ)グスク、…

07.ヤマトゥ酒(改訂決定稿)

大(うふ)グスクが落城して、大グスク按司(あじ)が戦死して、佐敷グスクは孤立してしまった。 今までは大グスク按司を通じて、玉グスク按司、垣花按司(かきぬはなあじ)、糸数按司(いちかじあじ)、知念按司(ちにんあじ)とつながっていて、共に島添大里按司(し…

06.大グスク炎上(改訂決定稿)

大戦(うふいくさ)が始まろうとしていた。 サハチ(佐敷若按司)が十四歳になった年の二月の事だった。事の始まりは、大(うふ)グスクに新年の挨拶に訪れた島添大里(しましいうふざとぅ)グスクからの使者だった。 使者は恒例の挨拶のあと、以前のように、島添…

05.佐敷グスク(改訂決定稿)

ヤマトゥ(日本)から来た弓矢の名人、ヤシルー(八代)を師として、サハチは弓矢の稽古に励んでいた。 十二歳のサハチは大人用の弓はまだ引けないが、祖父のサミガー大主(うふぬし)は子供用の弓を持っていた。祖父が父のためにヤマトゥから仕入れた物だとい…

04.島添大里グスク(改訂決定稿)

九歳になったサハチは、遊び仲間と一緒に海に潜っていた。 佐敷の海は浅瀬がずっと続いていて、その先が急に深くなっている。サハチたちは深くなるちょっと手前に小舟(さぶに)を浮かべて、海に潜って貝を採って遊んでいた。 海の中には色々な貝がいた。綺麗…

03.察度と泰期(改訂決定稿)

浮島(うきしま)を見下ろす高台に立ち、右手を目の上にかざして、海を眺めている大柄な男がいた。武装はしていないが腰に長い太刀を佩(は)いて、ひとかどの武将という貫禄があった。 男の視線の先には、浮島の近くに浮かぶ明国(みんこく)(中国)から来た二隻…

02.馬天浜(改訂決定稿)

サハチルー(佐八郎)は六歳になっていた。 みんなから『サハチ』と呼ばれて可愛がられ、健やかに育っていた。 今日、サハチは、去年生まれた弟のマサンルー(真三郎)をおぶった母親に連れられて、馬天浜(ばてぃんはま)にある祖父のサミガー大主(うふぬし)…

01.誕生(改訂決定稿)

六百年以上も前、その島にはまだ名前がなかった。 島の人たちは『大島(うふしま)』と呼び、中国の商人たちは『琉球(りゅうきゅう)』と呼んでいた。ヤマトゥ(日本)の人たちは遠い昔、『オキナガ』あるいは『アコナワ』と呼んでいたが、中国の商人たちの影響…