長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

尚巴志伝 第二部

2-238.今帰仁グスクに雪が降る(第三稿)

三の曲輪(くるわ)の本陣の仮小屋で、サハチとファイチと苗代大親(なーしるうふや)が今後の作戦を練っていた時、突然、不気味な音が鳴り響いたかと思うと大雨が降って来て、稲光と共に雷が鳴り響いた。 今帰仁(なきじん)グスクの絵図を見ていたサハチたちは、…

2-237.奇跡の復活(第三稿)

アキシノ様を助けるために、ササがいる島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに向かったタマ(東松田の若ヌル)、シンシン、ナナは、サグルーたちが志慶真曲輪(しじまくるわ)を攻め落とした四月八日の夜、名護(なぐ)の木地屋(きじやー)の親方、ユシチのお世話…

2-236.クーイの若ヌル(第三稿)

お祭りをクーイの若ヌルのマナビダルと楽しんだ山北王(さんほくおう)の攀安知(はんあんち)は、武芸試合もうまく行って、強い若者たちを集められた事に満足した。さらに鍛えて、中山王(ちゅうざんおう)を攻めるために瀬長島(しながじま)に送ろうと考えていた…

2-235.三の曲輪の激戦(第三稿)

外曲輪(ふかくるわ)を奪い取った翌日の朝、サハチはサグルーたちが志慶真曲輪(しじまくるわ)を攻め落としたとの知らせを受け、順調に行っていると満足そうにうなづいた。 しかし、サハチにとってサム(勝連按司)の死は大きな衝撃だった。昨夜はサムの枕元に…

2-234.志慶真曲輪(第三稿)

外曲輪(ふかくるわ)を攻め落とした日の朝、サグルー、ジルムイ、マウシ、シラー、タクが率いる兵たちは、搦(から)め手の志慶真御門(しじまうじょう)に向かった。 総大将はサグルーだった。サグルーは島添大里(しましいうふざとぅ)の若按司だが、三年前の十一…

2-233.戦闘開始(第三稿)

四月六日の正午(ひる)頃、一千五百人の兵を率いて今帰仁(なきじん)に着いたサハチは城下を見て驚いた。焼け跡に驚いたのではない。焼け跡に造られた陣地を見て驚いていた。 焼け跡の中に高い物見櫓(ものみやぐら)が三つも建っていて、グスクの前には楯(たて)…

2-232.出陣(第三稿)

首里(すい)グスクの石垣の上に『三つ巴』の旗がいくつも風になびいていた。 法螺貝(ほらがい)の音が鳴り響いて、西曲輪(いりくるわ)に武装した一千二百人の兵が整列した。胸に『三つ巴』が描かれた揃いの鎧(よろい)を着て、頭にも『三つ巴』が描かれた白い鉢…

2-231.逃亡(第三稿)

運天泊(うんてぃんどぅまい)に帰った湧川大主(わくがーうふぬし)は武装船に積んである鉄炮(てっぽう)(大砲)の半分、六つをはずして、今帰仁(なきじん)グスクに運ぶようにサムレー大将のナグマサに命じると、そのまま馬にまたがって、玉グスク村に向かった。…

2-230.混乱の今帰仁(第三稿)

今帰仁(なきじん)でお祭りが最高潮の頃、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクではトゥイ(前山南王妃)の母親ウニョン(先々代中山王妃)を偲ぶと称して、家族たちが集まっていた。トゥイの夢枕に母が出て来て、急遽、家族を呼び集めたのだった。その中には…

2-229.今帰仁のお祭り(第三稿)

ササたちが乙羽山(うっぱやま)でマジムン(悪霊)退治をしていた頃、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに珍しい客がサハチを訪ねて来た。瀬長按司(しながあじ)だった。 わざわざ訪ねて来るなんて、瀬長按司の娘、マカジと苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガー…

2-228.志慶真ヌル(第三稿)

庶民の格好に戻ったササたちは、朝早く勢理客(じっちゃく)村を発って、充分に気を付けながら今帰仁(なきじん)に向かった。 何事もなく、一時(いっとき)(二時間)足らずで今帰仁城下に着いた。城下の賑やかさにササたちは驚いた。交易に来ているヤマトゥのサ…

2-227.悪者退治(第三稿)

昨日は雨降りだったが、今日は朝からいい天気で、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのお祭りに大勢の人たちが集まって来た。 ミーグスクに滞在しているヤンバルの長老たちとクチャとスミも、マナビー夫婦と一緒にお祭りを楽しんだ。ナコータルーの娘のマル…

2-226.見果てぬ夢(第三稿)

ウニタキはヤンバルの按司たちの書状を持って、真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)とキンタ(奥間大親)を連れて首里(すい)に向かった。今後の作戦を思紹(ししょう)と練るために、サハチも一緒に行った。 首里グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)に行くと、思紹と一緒…

2-225.祝い酒(第三稿)

ミーグスクでヤンバルの長老たちの歓迎の宴(うたげ)をしていた頃、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの一の曲輪(くるわ)の屋敷の二階で、サハチとウニタキが、キンタと真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)の話を肴(さかな)に酒を飲んでいた。「奥間(うくま)炎上を…

2-224.長老たちの首里見物(第三稿)

首里(すい)グスクの北、会同館(かいどうかん)の西側には赤木が生い茂った森があった。赤木を伐り倒して整地をして、そこに大きな穴を掘って大池を造り、庭園として整備する事に決まった。 キラマ(慶良間)の島から次々に来る若者たちが、掘っ立て小屋を建て…

2-223.大禅寺(第三稿)

二月一日、ジクー寺の落慶供養(らっけいくよう)が行なわれ、ジクー禅師によって、『大禅寺(だいぜんじ)』と名付けられた。 龍の彫刻がいくつもある立派な山門に、ジクー禅師が書いた『大禅寺』という扁額(へんがく)が掲げられ、本堂には新助が彫った釈迦如来…

2-222.東松田の若ヌル(第三稿)

美浜島(んばまじま)(浜比嘉島)から勝連(かちりん)に戻ったササたちは、勝連若ヌルを連れて、東松田(あがりまちだ)の若ヌルに会うために読谷山(ゆんたんじゃ)の喜名(きなー)に向かった。 美浜島でササの弟子の若ヌルたちが神様の声を聞いたのに驚いた中グス…

2-221.シネリキヨ(第三稿)

中山王(ちゅうざんおう)と山南王(さんなんおう)の進貢船(しんくんしん)が船出した日、ササたちは沢岻(たくし)に向かっていた。 母の馬天(ばてぃん)ヌルは沢岻ヌルを知らなかった。浦添(うらしい)ヌルのカナも知らなかったし、アキシノ様に聞いても、真玉添(…

2-220.被慮人探し(第三稿)

ササと安須森(あしむい)ヌルが須久名森(すくなむい)の山頂で笛を吹いた翌日の夕方、首里(すい)の『まるずや』で四度目の戦評定(いくさひょうじょう)が開かれた。安須森ヌルと一緒にササも加わっていた。奥間(うくま)から帰って来たウニタキはサタルーを連れ…

2-219.須久名森(第三稿)

首里(すい)から呼んだサムレー大将の田名親方(だなうやかた)と楽隊に先導されて、李芸(イイエ)と早田(そうだ)五郎左衛門は連れて来た役人や護衛兵と一緒に首里へと行進した。マチルギが連れて来た女子(いなぐ)サムレーたちが、沿道の家々に朝鮮(チョソン)か…

2-218.李芸と再会(第三稿)

浮島(那覇)にヤマトゥから帰って来た交易船、李芸(イイエ)を乗せた朝鮮船(チョソンぶに)、ササたちを乗せた愛洲(あいす)ジルーの船が着いて、馬天浜(ばてぃんはま)にシンゴ、マグサ、ルクルジルーの船が着いた。 いつもなら、交易船の事は思紹(ししょう)と…

2-217.奥間炎上(第三稿)

仲宗根泊(なかずにどぅまい)から三隻の船に乗って奥間(うくま)沖に来た諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)が率いる兵たちは、小舟(さぶに)に乗って砂浜に上陸した。 諸喜田大主は配下の仲尾之子(なこーぬしぃ)に奥間村を偵察するように命じて、全員が上陸するの…

2-216.奥間ヌルの決断(第三稿)

正月気分も治まって来た正月の十日、ファイテとミヨン、ジルークと女子(いなぐ)サムレーのミカ、ウニタルとマチルーが旅に出て行った。南部を一回りしてから北に向かう予定だった。一行は目立たないように庶民の格好をしていた。 同じ日に、『油屋』のユラが…

2-215.それぞれの新年(第三稿)

ファイテとジルークは島添大里(しましいうふざとぅ)に帰って来た。年が明けたら旅に出て、旅から帰って来たら首里(すい)に移り、とりあえずは報恩寺(ほうおんじ)の師匠として修行者たちを指導するという事に決まった。 ジルークは女子(いなぐ)サムレーのミカ…

2-214.ファイテとジルーク(第三稿)

十二月七日に奥間(うくま)のサタルーと一緒にヤンバル(琉球北部)に行ったハルたちは、十四日に無事に帰って来た。知らせを受けて、サハチが安須森(あしむい)ヌルの屋敷に行くと、シジマを囲んで、みんなが騒いでいた。「按司様(あじぬめー)、シジマさんが…

2-213.湧川大主の憂鬱(第三稿)

ハルたちが屋嘉比(やはび)のお婆と別れて、奥間(うくま)に着いた頃、運天泊(うんてぃんどぅまい)に鬼界島(ききゃじま)(喜界島)から帰って来た湧川大主(わくがーうふぬし)の武装船と三隻の船が着いた。 台風で座礁(ざしょう)した四隻の船のうち、一隻は修理…

2-212.志慶真のウトゥタル(第三稿)

十二月になって、そろそろ湧川大主(わくがーうふぬし)が鬼界島(ききゃじま)から帰って来るだろうとウニタキは今帰仁(なきじん)に向かった。 鬼界島に何人の兵がいるのか知らないが、四百の兵と鉄炮(てっぽう)(大砲)で攻めれば、今年こそは鬼界島を攻め取っ…

2-211.ナコータルー(第三稿)

十一月の初め、島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌルが無事に女の子を産んだ。跡継ぎができたと島尻大里ヌルは涙を流して喜んだ。三十歳を過ぎて、跡継ぎの事はもう諦めていた。それなのに、突然、マレビト神が現れて、娘を授かった。島尻大里ヌルは何度も何度…

2-210.大義名分(第三稿)

シタルー(先代山南王)の命日に豊見(とぅゆみ)グスクのシタルーのお寺(うてぃら)で、護国寺(ぐくくじ)の僧たちと山南王(さんなんおう)のヌルたちによって法要が行なわれた。トゥイ様(前山南王妃)とマアサはいないが、子供たちや孫たちは皆集まって、シタ…

2-209.南蛮船の帰国(第三稿)

十月二日、リーポー姫たちは油屋の船に乗って無事に浮島(那覇)に帰って来た。今帰仁(なきじん)に帰ったテーラーがリュウイン(劉瑛)の家族を連れて一緒に乗っていた。 テーラーは明国に連れて行った二十人の兵を連れていた。テーラーの兵とマガーチの兵に…