長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

07.ヤマトゥ酒(最終決定稿)

 大(うふ)グスクが落城して、大グスク按司(あじ)が戦死して、佐敷グスクは孤立してしまった。
 今までは大グスク按司を通じて、玉グスク按司、垣花(かきぬはな)按司、糸数(いちかじ)按司、知念(ちにん)按司とつながっていて、共に島添大里(しましいうふざとぅ)按司に敵対していたが、そのつながりはプツリと切れてしまった。この先、島添大里按司と敵対して行くには、何とかつながりをつけなければならなかった。
 今の状況で攻められたら、誰も助けに来てくれないだろう。手っ取り早い方法は婚姻関係を結ぶ事だが、佐敷按司には嫁にやるような年頃の娘はいなかった。四人の妹は馬天(ばてぃん)ヌルを除いて、皆、嫁に行ってしまったし、長女はまだ十二歳だった。残るは若按司のサハチの嫁を、玉グスク、垣花、糸数、知念から迎えるしかなかった。サハチは十四歳で、嫁を迎えるには少し早いが、敵に攻められる前に、つながりをつけなければならない。
 佐敷按司は山伏のクマヌに命じて、玉グスク按司、垣花按司、糸数按司、知念按司にサハチの嫁にふさわしい娘がいないか調べさせた。残念ながら年齢の合う娘はいなかった。按司ではなく重臣の娘ならいたが、将来の事を思うと、サハチの嫁は按司の娘でなくてはならなかった。クマヌは、「何もその四人の按司にこだわる事はない。中部の按司の娘を嫁に迎えて、島添大里按司を挟み撃ちにすればいい」と言うが、中部の按司が、佐敷が攻められた時に助けてくれるとは思えなかったし、それ以前に、佐敷按司の存在も知らないに違いない。そんな所に嫁に来るわけがなかった。
 落城した大グスクには、島添大里按司の次男のシタルーが入って来て、大グスク按司を名乗った。シタルーは焼け落ちた屋敷を新築して、守りも強化していた。大グスクを手に入れた島添大里按司が次に狙っているのが、糸数グスクなのか、佐敷グスクなのかわからなかった。
 佐敷グスクは大グスクが落城した日から毎日、守りを固めて、敵の襲撃に備えていた。しかし、敵が攻めて来る事はなかった。
 大グスクの落城から十日ほど経った頃、シタルーが数人の従者を連れただけで、厳重な守りを固めた佐敷グスクにやって来た。
 佐敷按司はシタルーと会った。お互いに初対面だった。シタルーはまだ二十四歳の若者で、父親のような猛々(たけだけ)しさはなく、落ち着いていて、見るからに頭の切れそうな顔つきをしている。優しそうな顔に似合わず、捕まってしまうかもしれないのに、敵陣に乗り込んで来る度胸は大したものだった。
 シタルーは大グスク按司になった事を告げたあと、「佐敷には攻め込まないので、ご安心を」と言った。
 佐敷按司は微かに笑い、「それは助かるが、信じる事はできん」と言った。
「父は有能な者は殺しません。佐敷には有能な鮫皮(さめがわ)職人とウミンチュがいる。それに佐敷按司はヤマトゥンチュとも親しく交易をしている。是非とも味方に引き入れろと命じられました」
「以前にも、島添大里按司から同盟を結ぼうと言われたが、きっぱりと断わった。大グスク按司はわしの従兄(いとこ)だ。それを滅ぼしておきながら、同盟を結ぼうと言うのは無理というものだろう」
「わかりました」と言って、シタルーは壁に飾ってある山水画を見た。
 ヤマトゥの商人から贈られた掛け物だった。佐敷按司には絵の事はよくわからないが、まるで、仙人が住んでいるような、その山奥の風景は気に入っていた。
「帰れないかもしれないとは思いませんでしたか」と佐敷按司はシタルーに聞いた。
 シタルーは山水画から佐敷按司に視線を戻すと軽く笑った。
「佐敷殿は剣術の名人だと聞いておりますので、そのような卑怯な事をするとは思っておりません」
 佐敷按司はシタルーを見ながら苦笑した。
「わたしは見ておりませんが、苗代之子(なーしるぬしぃ)は見事だったそうですね。苗代之子の師が佐敷殿だと聞いております」
「美里之子(んざとぅぬしぃ)も苗代之子の師だった。戦死してしまったようだが」
「壮絶な戦死だったと聞いております」
「そうか。やはり、戦死したのか‥‥‥」
「また改めて参ります」と言ってシタルーは帰って行った。
 今度こそ、攻めて来るだろうと思ったが、敵は攻めて来なかった。
 二日後にシタルーはまた佐敷グスクにやって来た。前回と同じ事を言って、佐敷按司に断られると急に禅の話を始めた。まるで、世間話でもするように、ヤマトゥから来た禅僧の話をすると帰って行った。佐敷按司も家臣となったソウゲンから禅の事は聞いていて、多少は知っているが、どうして急にシタルーが禅の話をしたのか、さっぱりわからなかった。
 その後もシタルーは何度もやって来た。来るたびに断わられ、明の国の事やら、ヤマトゥの国の事やらを世間話のように話して帰って行った。シタルーは明にもヤマトゥにも行った事がないのに、やたらと詳しい事を知っていた。凝りもせずにやって来るシタルーに佐敷按司も呆れ果て、同盟というわけではないか、休戦という事にして、隣り同士の付き合いをする事にした。
 シタルーは喜び、「以後、よろしくお頼み申します」と言って頭を下げた。相手に敵対心がまったくなく、頭まで下げられると佐敷按司もうなづかないわけにはいかなかった。そして、下手(したて)に出るシタルーにうまく丸め込まれたような形で、馬天泊(ばてぃんどぅまい)の共用を認めてしまった。島添大里按司と佐敷按司では戦力の差は歴然としている。力づくで奪われても仕方ない所を、共用という形で話がまとまったのは、よしとしなければならなかった。
 大グスク按司と話がついたので、佐敷按司はグスクの警固を通常に戻し、領内の者たちも家に帰した。戻って来ない者たちは戦死した事にして、遺体はないが葬儀を済ませた。
 戦死した美里之子(んざとぅぬしぃ)の跡は長男が継ぎ、武術道場も長男が継ぐ事に決まった。いつの日か、島添大里按司を倒す時までに、強い武将を何人も育ててもらわなければならなかった。
 去年の十月、中山(ちゅうざん)王の察度(さとぅ)、山南(さんなん)王の承察度(うふざとぅ)、山北(さんほく)王の帕尼芝(はにじ)が揃って明国に使者を送り、今年の五月に帰って来た。その時、中山王と山南王は、明国から賜(たま)わった航海士付きの船に乗って帰って来た。山北王はまだ二度目の進貢なので、船を賜わる事はできず、中山王の船に乗って来た。中古の船だったが、黒潮を乗り切る事のできる大型帆船だった。中山王は十月になると、賜わった船に大量の硫黄と、宇座(うーじゃ)按司となった泰期(たち)が読谷山(ゆんたんじゃ)で育てた馬、百二十頭を積み、アランポー(亜蘭匏)を使者として明に向かった。山南王は準備が整わないのか出帆せず、賜わった船は糸満(いちまん)の海に浮かんでいた。
 中山王の察度が明国との交易を始めてから、すでに十年余りが経ち、明国の暦(こよみ)が地方にも普及して、佐敷でも使用するようになっていた。島添大里グスクが落城したのが洪武(こうぶ)十三年(一三八〇年)で、大グスクが落城したのが洪武十八年(一三八五年)だった。今までは今年、去年、一昨年、三年前、四年前と言っていたのが、年に名前が付いた事で、過去の事を言うのに便利になったといえた。サハチが生まれたのは洪武五年(一三七二年)だった。
 洪武十九年の暮れ、ヤマトゥの船が馬天泊(ばてぃんどぅまい)にやって来た。
 祖父のサミガー大主が作っている鮫皮(さめがわ)の取り引きをするために、ヤマトゥの船は三、四年に一度はやって来ていた。取り引きをする相手はいつも決まっていた。祖父の作る鮫皮は、ヤマトゥでかなり高価で取り引きされるため、噂を聞いてやって来るヤマトゥの船があるが、祖父は他の者と取り引きする事はなかった。祖父の取り引き相手は、早田(そうだ)三郎左衛門という対馬(つしま)の武将で倭寇(わこう)の頭目(とうもく)でもあった。
 祖父と早田三郎左衛門との付き合いはかなり古い。祖父が伊平屋島(いひゃじま)にいた頃、三郎左衛門の父親が伊平屋島に来た。当時、十七歳だった祖父は水の補給などを手伝い、三郎左衛門の父親に気に入られて、そのまま、ヤマトゥまで行ったのだった。
 三郎左衛門の故郷、対馬島に行って、まだ十一歳だった三郎左衛門と出会った。賑やかに栄える博多にも行き、人の多さと市場で売られている見た事もない様々な商品を見て驚いた。まだヤマトゥ言葉がうまく話せなかった祖父は暴漢に絡まれて、危うく殺されそうになった所を三郎左衛門の父親に助けられた。三郎左衛門の父親は祖父の命の恩人だった。
 ヤマトゥで鮫皮が高価で取り引きされる事を知った祖父は、伊平屋島に帰ると鮫皮作りを始めた。佐敷に移ってからもずっと作り続け、三郎左衛門の父親と取り引きをして来た。すでに、三郎左衛門の父親は亡くなり、倅の三郎左衛門の代となっているが、祖父は決して、早田氏以外の者とは取り引きをしなかった。
 サハチが生まれた年に、馬天泊に来たヤマトゥ船に乗っていたのは三郎左衛門だった。その後、サハチが四歳の時、八歳の時、十一歳の時に来ていて、祖父の屋敷の離れに半年近く滞在していた。
 帆船でヤマトゥと琉球を往復するには、季節風を利用するしかなかった。冬の北風を利用して島伝いに南下して琉球に来て、夏の南風を利用して北上して帰って行った。琉球に来たら半年近くは帰る事ができず、滞在しなければならない。ヤマトゥから来る船はそれぞれ琉球に拠点を置いて、取り引きを済ませた後、南風が吹く夏まで待っていた。浮島(那覇)を拠点にする船が多く、浮島にヤマトゥンチュの住む町が発展して行った。早田氏は馬天浜の祖父の屋敷を拠点にしていた。
 サハチはヤマトゥの船が馬天泊に着くと、毎日のように祖父の屋敷に遊びに行って、みんなから可愛がられていた。ヤマトゥ言葉も自然に覚えてしまい、彼らが帰ってしまうと急に寂しくなって泣いた事もあった。
 今回、サハチは初めて歓迎の宴(うたげ)に参加した。三年前も父は三郎左衛門たちを佐敷グスクに呼んで歓迎の宴を開いたが、その時はサハチは呼ばれなかった。今回は大人と認められたのか、酒の席に呼ばれて、サハチは嬉しかった。
 広間に顔を出すと、すでに宴は始まっていた。祖父と叔父のウミンターも来ていた。お客は五人で、サンルーザ(三郎左衛門)とその家臣のクルシ(黒瀬)とウサキ(尾崎)はいつも来るので知っていたが、知らない人が二人いた。サンルーザは五十年配の貫録のある武将で、クルシとウサキはサンルーザの重臣だった。三人とも、何度も修羅場をくぐり抜けて来たような怖い顔つきをしているが、サハチにとっては皆、優しいおじさんたちだった。
 父に呼ばれて、サハチは父と祖父の間に座った。サハチが座るとサハチの前にも料理の並んだヤマトゥのお膳が置かれた。ちゃんと酒盃(さかずき)も載っていた。
「わしの嫡男のサハチじゃ」と父はサハチを皆に紹介した。
「ほう」とサンルーザがサハチを見ながら言った。
「この前、会った時はまだ子供じゃったが、随分と立派になったものよ」
「色々とありましたからな」と父が言った。
「こいつも自分なりに考えて、弓の稽古や剣術の稽古を始めました」
「そうか」とサンルーザはうなづいた。
「この辺りもすっかり変わってしまったからのう。前回に来た時、島添大里按司が滅ぼされたと聞いて驚いたが、今回来たら、大グスク按司までやられてしまうとは、まったく信じられん事じゃ。ヤマトゥも戦(いくさ)が絶えんが、ここも戦が絶えんのう。サハチ、ここだけは絶対に守り通してくれよ」
 サハチは父の顔を見てから、「はい。絶対に守り通します」と答えた。
 サンルーザは笑いながら見知らぬ二人を紹介した。一人はサンルーザの息子の左衛門太郎、もう一人は三好日向(ひゅうが)という武芸者だった。
「わしも齢(とし)を取った。そろそろ、倅と交代しようと思って連れて来たんじゃよ。日向はヤマトゥの戦に嫌気がさして琉球にやって来た。かなり強いぞ。わしの倅も指導を受けているが、サハチも教わったらいい」
 サハチは改めて三好日向を見た。年齢はサハチの父と同じくらいの三十半ばで、体格もそれほど大きくはなく、物静かな感じで、武芸者には見えなかった。強いと言うが、叔父の苗代之子(なーしるぬしぃ)の方が絶対に強いだろうとサハチは思った。左衛門太郎は苗代之子と同じくらいの年齢で、顔つきは父親によく似ていた。やはり、苗代之子にはかなわないだろうと思った。
 祖父にお酌(しゃく)をされて、サハチは初めて酒(さき)を飲んだ。諸白(もろはく)と呼ばれる上等なヤマトゥの酒だった。父が時々飲んでいる白く濁った酒と違って、透明な酒で、酒の味などわからないサハチも大人になった気分で、「うまい、うまい」と言って飲んでいた。
「ヤマトゥではまだ戦が続いているのですか」と父がサンルーザに聞いた。
「征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)様(懐良親王(かねよししんのう))が御逝去(ごせいきょ)なされてから、九州は北朝(ほくちょう)にやられっ放しじゃ。日向ではないが、誰もが戦に嫌気がさしている。わしらは今まで、成り行きで南朝方として戦って来たが、実際問題として、南朝が勝とうが、北朝が勝とうが、どっちでもいいんじゃよ。早いとこ決着がついて、平和な世の中が来ればいいと願うが、まだまだ難しいようじゃ」
「わしが博多に行った時、将軍宮様は大宰府(だざいふ)におられましたが、亡くなられてしまわれたのですか」と父が聞いた。
「あの頃が一番よかったのう」とサンルーザはしみじみと言った。
「博多も賑やかじゃった。まるで、将軍宮様が王様で、九州は一つの国のようじゃった。わしら海の者たちも一つにまとまって、南朝のために働いておった。実際に、明の国から使者がやって来て、将軍宮様は日本(にっぽん)国王に任じられたんじゃが、その王国も十年余りで終わってしまった。九州探題(たんだい)に任命された今川了俊(りょうしゅん)が、幕府の大軍を引き連れて博多にやって来て、また戦が始まったんじゃ。今川の大軍に攻められて、将軍宮様は大宰府を追われ、髙良山(こうらさん)に移り、さらに肥後の菊池城に移られた。菊池城も落とされ、金峰山(きんぽうざん)に移られたが、そこで御逝去なされてしまったんじゃ。三年前の四月、前回、わしらがここに滞在していた時の事じゃった」
 サンルーザと父はヤマトゥの戦の話を続けていた。サハチにはよくわからなかったが、父や祖父のようにヤマトゥに行ってみたいと思いながら酒を飲んでいた。
「博多は戦で焼けてしまったのですか」と父がサンルーザに聞いた。
 博多の名は祖父や父、クマヌから聞いてサハチも知っていた。興味があったので耳を澄まして聞いていた。
「いや、今川了俊も博多に軍勢を入れるのは避けたので、焼けはしなかった。しかし、あの頃ほどの活気はなくなってしまった。南朝方だった唐人たちが、今川了俊を恐れて博多を離れてしまったんじゃ。明の国も海禁(かいきん)してしまったから、明から商人たちが来る事もない。時々、高麗(こうらい)の船が入って来るくらいじゃ。港にいるのは、北朝の兵糧(ひょうろう)を運んで来るヤマトゥの船ばかりじゃよ」
「わしが博多に行った時はまだ焼け跡も残っておったが、賑やかな所じゃったのう」と祖父が懐かしそうに言った。
「親父が行ったのはもう四十年も前の事だろう」と父が笑った。
「ヤマトゥは凄い所じゃと思った。とてもかなわないと思っておったが、最近の浮島の賑わいは、決して、ヤマトゥにも負けないと思ったわ。わしは四十年前、ヤマトゥから帰って来た時、伊平屋島で降りないで浮島まで行ったんじゃよ。ヤマトゥに帰る五月まで、そこで過ごすって聞いたもんじゃから、どんな所じゃろうと行ってみたんじゃ。あの頃の浮島は、まだ寂しい漁村といった感じじゃった。住み着いているヤマトゥンチュや唐人もいたが、まだ少なかった。わしはそこで面白い男と出会ったんじゃ。その男は波之上権現(ごんげん)から海を見ていて、いつの日か、ここには船がいっぱいやって来て、栄えるじゃろうと夢のような事を言っておった。わしには信じられなかったが、奴の言う通り、浮島は栄えて行ったわ」
「そうじゃのう」とサンルーザもうなづいた。
「わしが初めて浮島に行った時も、まだ寂しい所じゃった。浮島で半年暮らしている者たちを見て、馬天浜の方がずっといいと思ったものじゃ」
「お爺、その面白い人は今でも浮島に住んでいるの」とサハチは聞いた。
「いや、今は浦添(うらしい)のグスクの中にいるよ」
「もしや、その男というのは」とサンルーザが言った。
「今は中山王と呼ばれているようじゃのう」と祖父は笑った。
 やがて、村の女たちが加わって賑やかになった。女たちは着飾って、口に紅(べに)を塗り、顔には白粉(おしろい)を付けていた。いつもの見慣れた顔とは違って、みんなが綺麗に見えた。女たちは得意な唄や踊りを披露した。サハチには見慣れている光景だが、初めて見る左衛門太郎と日向は楽しそうに見ていた。
 女たちは代わる代わるサハチの所にやって来ては、「若按司様(わかあじぬめー)、どうぞ」とお酌をしてくれた。その度に機嫌よく飲み干して、サハチはついに酔い潰れてしまった。
 気がつくと朝になっていて、いつもの所に寝かされていた。起きようとしたらズキーンと頭が痛かった。サハチは頭を抱えて、また横になった。妹のマナミーがそばに来て、「やだ、お酒臭い」と自分の鼻をつまんだ。
 頭がガンガンしているサハチだったが、無理やり起こされて父に呼ばれた。
「いい飲みっぷりだったが、お客の前で酔い潰れるとはみっともないぞ」と父は言った。
「すみません」とサハチは謝った。
「以後、気を付けろ」
 父はサハチの情けない顔を見ながら笑った。
「昨夜(ゆうべ)の話だが、長い旅になると思うが、しっかりと各地の様子を見て来い」
 サハチには父が何の事を言っているのかわからなかった。
 きょとんとしたサハチを見て、「お前、もしかして、覚えていないのか」と父は聞いた。
「旅って何の事でしょう」
「サンルーザ(三郎左衛門)殿が、今の琉球の状況を調べるために、倅のサイムンタルー(左衛門太郎)に琉球を旅させると言ったんだ。わしも各地の状況を知るために、お前を旅に出すかと言ったら、お前は是非、一緒に連れて行ってくれと言ったんだ。覚えておらんのか」
「覚えていません」とサハチは答えた。
 まったく、記憶にない事だった。
「困ったもんだ。それで、クマヌを案内に旅をする事に決まったんだよ。今さら行かないとは言わせんぞ」
「行きます」とサハチは答えた。
 各地を旅してみたいというのは、ずっと思っていた事だった。クマヌがよく話す浮島に行ってみたかったし、ここから見える勝連(かちりん)にも行ってみたかった。
「いつ出掛けるのですか」とサハチは頭が痛いのも忘れ、身を乗り出して聞いた。
「今日だ」と父は言った。
「ええっ」
「馬天浜の屋敷で、サイムンタルーとヒューガ(日向)が待っている。速く支度をして行け」
「わかりました」とサハチは出て行こうとした。
「ちょっと待て」と父が呼び止めた。
 父は傍(かたわ)らに置いてあった箱の中から、紐にくくられた数百枚の銅銭を取り出した。
 サハチは再び、父のそばまで行き、「銭(じに)ですか」と聞いた。
 何年か前にクマヌから一枚もらって、サハチは大切に持っていた。
「この辺りではまだ使えないが、浮島や浦添、勝連や今帰仁(なきじん)では使われているらしい。これがあれば食糧とも交換できる。少し重いが持って行くがいい」
 サハチは銅銭を受け取り、父にお礼を言って部屋から飛び出して行った。