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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

14.ヤマトゥ旅(最終決定稿)

尚巴志伝 第一部

 ヤマトゥの国は思っていたよりも、ずっと遠かった。
 ヤマトゥの国は琉球の北(にし)の方にあって、三つか四つの島を経由すれば着くだろうと簡単に思っていたのに、数え切れないほどの島がいくつもあって、いつまで経っても、ヤマトゥの国は目の前に現れなかった。
 伊平屋島(いひゃじま)で三日間、風待ちをした。四日目の朝早く出帆して、日暮れ近くになって、ようやく永良部(いらぶ)島(沖永良部島)に着いた。途中、島など何もなく、どこを見渡しても、海しか見えなかった。こんな経験は初めてで、改めて海の大きさを感じていた。
 永良部島には上陸せず、島の北側に出て、沖に停泊したまま夜を明かした。サハチとヒューガは休むために、船尾にある屋形(やかた)内の一室を与えられていたが、水夫たちの多くは休むための部屋などなく、甲板(かんぱん)の上で横になって休んでいた。
 サハチもその夜は、星を眺めながら甲板で横になった。
 隣りで横になっているクニジという水夫から聞いた話では、永良部島には、今帰仁按司の親戚が永良部按司として島を支配していて、島の中程にある山の上にグスクがあるという。お頭(サンルーザ)とも知り合いだが、寄ると必ず武器を求めるので、今回は顔を出さなかったのだろうと言った。
 夜が明けるとすぐに出帆して、また海しか見えない航海が続いた。そして、夕方に徳之島(とぅくぬしま)に着いた。その頃から空模様がおかしくなり、雨が降ってきて、風も強くなった。
 次の日は一日中、雨と風が強く、海は荒れていて航海は中止になった。揺れる船の中にずっといるのは苦痛だった。水夫たちは船倉(ふなぐら)の中に入って休み、サハチはヒューガと一緒に屋形の中の部屋で休んだ。
琉球に行く時も、こんなだったのですか」とヒューガに聞くと、ヒューガは笑って、「もっとひどかったよ」と言った。
「行く時は冬だったので、海はもっと荒れていた。冷たい波を何度もかぶって、こんな事なら船に乗らなければよかったと後悔したよ。馬天浜に着いた時には、ほんとにホッとして、もう二度と船には乗るまいと思ったもんじゃ」
「そうたったのですか。それじゃあ、本当はヤマトゥに行きたくはなかったのですね」
「ああ。だがな、お前の親父さんから一緒にヤマトゥまで行ってくれんかと頼まれた時、船旅の辛さより、会いたい人の事を思い出してな、ヤマトゥに行こうと決めたんじゃよ」
「会いたい人って、もしかしたら奥さんですか」とサハチは聞いた。
 ヒューガから奥さんの話は聞いた事なかったが、年齢からすれば、子供が何人かいても不思議ではなかった。
「家族はもう誰もおらんのだよ」とヒューガは何でもない事のように言った。
琉球に渡る前、わしは対馬島に一年半くらいいたんだが、そこで出会った女がいるんだ。もう二度と会えないと別れを告げて琉球に旅立ったんだが、急に恋しくなって来たんだよ」
「そうですか」と言いながら、サハチはマチルギの事を思っていた。まだ旅に出たばかりなのに、会いたくてしょうがなかった。
 長い夜が明けて、翌日は嘘のようにいい天気になった。丁度いい南風(ふぇーぬかじ)も吹いていた。徳之島の次には奄美の大島があった。大島と呼ばれるだけあって大きな島だった。
 大島の手前にはいくつも島があって、その中の細長い島の砂浜の近くに船を止めて、小舟に乗って浜に上陸した。サハチもヒューガと一緒に上陸した。ずっと船に揺られていたので、浜辺に立ってもフラフラしていて足下(あしもと)がおぼつかなかった。
 その夜は浜辺で食事をして、浜辺で眠った。前夜、よく眠れなかったので、その夜はぐっすりと眠れた。次の日は風がまったく吹かなかったので、水の補給をしてから、後はのんびりと過ごした。サハチは水夫たちと一緒に海に潜って魚を捕ったり、剣術の稽古に励んだ。
 翌日、船に戻って、大島を右側に見ながら進み、大島の北端近くにある湾の中に船を泊めて、船上で夜を明かした。
 夜明けと共に大島を発つと、また何もない海上に出た。風はそれほど強くないのに波が高く、船は大揺れしながら進んで行った。いつまで経っても島影は見えず、海の果てまで来てしまったかのような錯覚を覚え、ヤマトゥの国は遠いと実感していた。
 日暮れ近くになって、ようやく島影が見えてきた。トカラ列島の最南端の宝島だという。港もあって、港に入ると小舟がいくつも近づいて来た。それらの船に乗って上陸すると島の長老が歓迎してくれた。
 この島は琉球とヤマトゥの中間地点で、長老にはいつもお世話になっているという。サンルーザは琉球で仕入れた明の陶器や着物などをお土産と言って長老に贈っていた。トカラの島々には平家の落人伝説があちこちにあって、この島は平家が財宝を隠したという伝説があり、宝島と呼ばれているらしい。
 次の日はトカラ列島の島々を右に見ながら中之島まで行ったが、途中でクルシたちが乗っている船が黒潮の影響で東に流されてしまった。
 日が暮れてもクルシたちの船は来なかった。サンルーザは平気な顔して、大丈夫だと言うが、遭難してしまったのではないかとサハチは心配だった。
 翌日の昼前、クルシたちの船は無事に中之島に到着して、ホッと一安心した。その日は隣り島の口之島まで行った。いよいよ、明日は黒潮の本流を乗り越えなければならなかった。
 黒潮は海の中を黒い川のように流れているとウミンチュたちから聞いていた。サハチはそれを見るのを楽しみにしていたが、空が曇っていたせいか、はっきりと黒潮を見る事ができなかった。それでも、船の揺れが激しくなり、船のあちこちで木のきしむ音がして、黒潮の流れに逆らって進んでいる事がわかった。黒潮の幅がどれほどあるのかわからないが、船の揺れはずっと続き、船が壊れてしまうのではないかと恐ろしかった。怖がっている姿をみんなに見られたくなくて、サハチは屋形の中に入った。
 ヒューガは船旅に慣れたのか平然と横になっていた。
 夕方近くになって、やっと船の揺れも治まり、甲板に出てみると前方に島が見えた。永良部(いらぶ)島だという。永良部島は二つあって、ヤマトゥに近い方を口の永良部島、琉球に近い方を沖の永良部島とヤマトゥンチュは呼んでいるという。
 次の日は悪天候で、一日、口の永良部島の湾内で待機した。
 翌日に着いた所はようやくヤマトゥの国だった。薩摩(さつま)の国の坊津(ぼうのつ)(南さつま市)という港で、伊平屋島を出てから十二日めの事だった。
 坊津にはサンルーザの知り合いの商人がいた。船の留守を守る者たちを残して、他の者は皆、その商人の屋敷にお世話になった。祖父のサミガー大主の屋敷のように、船乗りたちが滞在する離れがあって、船旅の疲れを癒やす事ができた。
 商人の名は『一文字屋』といい、以前は博多にいたが、十五年前に坊津に移って来た。サンルーザとの付き合いは先代の頃からで、サハチの祖父のサミガー大主も、父の佐敷按司も、博多にいた頃の一文字屋のお世話になっていた。サミガー大主が作った鮫皮はすべて一文字屋に渡され、大量のヤマトゥの刀と交換された。
 ヤマトゥの刀はどこに持って行っても喜ばれた。琉球は勿論の事、明国も高麗も、頑丈で切れ味のいいヤマトゥの刀を欲しがっていた。後の事になるが、琉球に運ばれた日本刀は、さらに東南アジアまで運ばれ、琉球を意味する『リキウ』あるいは『レケオ』と呼ばれ、各国の兵士が主要武器として腰に帯びるほどに普及している。日本で一貫文(かんもん)(銭一千枚)で仕入れた日本刀が、明国で十貫文で売れたというのだから、ぼろ儲けとなる交易品だった。
 一文字屋が生まれた備前(びぜん)の国(岡山県東南部)は、古くから日本刀の産地だった。備前物と呼ばれて、数々の名刀が生み出されている。南北朝の時代となって、戦乱が絶えなくなると日本刀の需要が高まり、刀工は次々に刀を鍛えた。
 鍛えられた刀身は研ぎ師によって研がれ、ハバキという刀身と鞘(さや)を固定するための金具を付け、鍔(つば)、柄(つか)、鞘を付けて日本刀になる。それぞれ専門の職人がいて、ハバキを作るのが白銀師(しろがねし)、鍔を作るのが鍔師、柄を作るのが柄巻師(つかまきし)、鞘を作るのが鞘師と呼ばれている。
 先代の一文字屋は柄巻師の家に生まれ、次男だったので分家して、若い者を三人使って仕事に励んでいた。ところが、柄に巻く鮫皮(さめがわ)がなかなか手に入らなくなってしまった。
 鮫皮はエイの皮で、エイは日本では捕る事ができず、ずっと海外から仕入れていた。南北朝の争いは各地に広がり、九州でも争いが始まって、海外交易の窓口だった博多も全焼してしまう。博多に住んでいた唐人たちも争いを避けて、皆、引き上げてしまったという。鮫皮が手に入らなければ仕事にならない。一文字屋は鮫皮を手に入れるために博多へと向かった。
 途中、何度も危険な目に遭いながらも博多に来てみると、そこは予想以上に悲惨な状況だった。辺り一面、焼け野原と化し、商人たちは皆、逃げてしまっていなかった。いるのは乞食や浮浪者、負け戦で盗賊となったならず者たちだった。一文字屋は途方に暮れた。どうしようか考えながら、焼け跡をさまよっていると、焼け残った屋敷から賑やかな声が聞こえて来た。何事かと立ち止まっていたら、ならず者たちに捕まってしまい、荷物を奪われてしまった。日本刀を作っている者として、刀の扱い方は多少心得ていたが相手が多すぎた。
 一文字屋は屋敷の中に連れて行かれた。屋敷の中には見るからに盗賊のような男たちと異国の格好をした女たちが酒を飲んでいた。首領らしい男に何者だと聞かれ、一文字屋は死を覚悟して、鮫皮を買いに来た事を告げた。首領は鮫皮の事を知らなかった。盗賊が鮫皮を手に入れる事はあり得ないが、もしかしたら、海賊ともつながりがあって、手に入れる事ができるかもしれない。淡い期待を抱(いだ)いて、一文字屋は鮫皮の事を説明した。
「手に入れたら高く売れるのか」と首領は聞いた。
「高く売れます」と一文字屋は答えた。
「今の世は戦乱続きで、刀はいくらあっても足りません。鮫皮を欲しがっている柄巻師は大勢います。欲しい者が大勢いるのに鮫皮が手に入らない。今、鮫皮が手に入れば、かなりの高価で取り引きされるでしょう」
 首領は興味を示したようだったが、一文字屋は縛られて、物置のような小屋の中に閉じ込められた。夜になって、一文字屋は小屋から出され、先ほどの部屋に連れて行かれた。首領らしき男が一人だけいた。
「鮫皮はどこで手に入る」と首領は聞いた。
「南方です。元(げん)の商人が鮫皮を持って来ますが、元で捕れたのではなく、南蛮(なんばん)(東南アジア)で捕れた物です」
「南蛮は遠すぎる」
琉球でも捕れるそうです。以前、琉球で捕れたという鮫皮を使った事があります」
琉球か‥‥‥よし、考えてみよう」と首領は言い、縄をほどいてくれた。
高麗(こうらい)を荒らし回るのも飽きて来たところじゃ。何か新しい事を始めようと思っていたんじゃ。おぬしのその話に乗ろうじゃないか」
 その男がサンルーザの父親、早田(そうだ)次郎左衛門だった。
 一文字屋は次郎左衛門と相談を重ねて計画を練り、腕のいい鞣(なめ)し革職人を連れて来て、次郎左衛門と一緒に琉球に送ったのだった。五十年近く前の事で、一文字屋は柄巻師をやめて鮫皮を専門に扱う商人となって成功を収めた。初代の一文字屋はすでに亡くなり、今は二代目が、次郎左衛門の倅のサンルーザと鮫皮の取り引きをしていた。
「ここも随分と変わった」と一文字屋は海の方を眺めながら言った。
 サハチはヒューガと一緒に一文字屋の屋敷の一室で、お茶という渋い飲み物を御馳走になっていた。一文字屋の屋敷は高台にあって、そこからの眺めは素晴らしかった。
「博多に幕府の大軍が攻めて来ると聞いて、三郎左(さぶろうざ)殿に頼んで引っ越ししたんじゃが、あの頃は寂しい港じゃった。ここは昔、遣唐使(けんとうし)が旅立った港で、その頃は栄えておったんじゃろう。六百年も前の話じゃ。それでも、ここには一乗院があった。そのお寺も古いお寺で、遣唐使の頃からあったんじゃが、時と共に寂れていった。それを紀州根来寺(ねごろじ)の別院として、中興された偉いお坊さんがおったんじゃ。わしがここに来る十年位前の事じゃった。新しいお寺ができて、各地からお坊さんやら行者(ぎょうじゃ)さんやらがやって来て、あちこちに僧坊が建ち、門前町として賑わって来た。人が増えると商人もやって来る。商人が増えると取り引きをする船もやって来る。明国が海禁政策を取っている限り、明国の商品を仕入れるには琉球しかない。ここは琉球への玄関口と言える。ますます、栄えて行くじゃろう」
 坊津には五日間、滞在した。サンルーザとサイムンタルーは取り引きの事で忙しそうだったが、サハチとヒューガは暇だった。琉球では梅雨はもう明けているのに、こちらの梅雨はまだ明けていなかった。雨降りの日が多く、雨が降っている時はヒューガからヤマトゥ言葉の読み書きを習い、雨が上がると剣術の稽古に励み、時には近くを散策して歩いた。
 一乗院は坊津港を見下ろす小高い丘の上にあって、庭にツツジの花が綺麗に咲いていた。クマヌと同じ格好をした山伏が大勢、出入りしていて、彼らは行者と呼ばれ、山の中に入って厳しい修行をするという。
 サハチは周りを見回した。どこを見ても山だった。坊津は海以外の三方を山に囲まれた狭い土地で、まるで琉球のヤンバルのようだった。ただ、茂っている樹木は全然、違った。
「クマヌもこの辺りの山の中で修行を積んだのですか」とサハチはヒューガに聞いた。
 ヒューガは笑って、「クマヌ殿は名前の通り、熊野の山伏だよ」と言った。
「熊野というのは山伏の本場で、山伏ならば一度は熊野の山で修行しなければならないと言われる程、山伏の間では権威のある山なんだ」
 ヒューガは棒きれを拾うと土の上に絵を描いた。
「これが九州だ」と言ってゆがんだ丸を描いて、その下の方を示して、「ここが坊津だ」と教えてくれた。
 博多は九州の上の方にあった。さらに絵を描いて、四国や本州も教えてくれた。本州は細長くて九州よりもずっと大きく、その中程に京の都があった。京の都の下辺りに熊野という山があるという。
「熊野まで、ここからどれくらいで行けるのですか」とサハチは聞いた。
「そうだな。歩いて一月近くは掛かるだろう。船で行けば七日か八日といったところかな」
「随分と遠いのですね」
琉球と違って、ヤマトゥの国はそう簡単には端から端までは歩けん」
「師匠が生まれたのはどこですか」
「わしは四国の阿波(あわ)の国(徳島県)じゃ」
 ヒューガは棒きれで場所を示した。
「そこも遠いですね」とサハチは言った。
「遠いのう」と言ってヒューガは立ち上がると海の方を見た。
 サハチも立ち上がって海の方を見た。サハチの故郷、琉球もずっと遠くの方だった。