長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

19.マチルギ(改訂決定稿)

 サハチ(佐敷若按司)が対馬(つしま)でイトと仲良くやっている頃、マチルギは一人で悩んでいた。
 サハチがヤマトゥ(日本)に旅立ったあと、マチルギは毎日休まず、剣術の稽古に励んでいた。サハチがヤマトゥから帰って来た時、試合をして勝たなければならない。その時に勝って、二勝二敗の五分にしたいと思っていた。時には気分転換に、兄たちと一緒に馬に乗って、次兄がいる山田グスクに行ったり、勝連(かちりん)の城下に出掛けて行った。
 六月の末、勝連の城下に遊びに行って、港で海を眺めながら休んでいた時、マチルギは若い山伏に声を掛けられた。その山伏は話しぶりからヤマトゥンチュ(日本人)ではないようだったが、島人(しまんちゅ)が山伏の格好をしているのは珍しかった。
 山伏はマチルギの事を色々と聞いてきた。マチルギたちは警戒して詳しい事は話さなかったが、山伏にうまく誘導されて、伊波按司(いーふぁあじ)の娘だと言ってしまった。
 それから何日かして、勝連按司の使者が伊波にやって来た。マチルギを三男の嫁に迎えたいという。突然の話で伊波按司は驚いたが、勝連按司の嫁になるというのは悪い話ではなかった。勝連按司が味方になってくれれば、宿敵の今帰仁按司(なきじんあじ)を倒すのも夢ではないような気がした。伊波按司は乗り気になって、その事をマチルギに話した。
 マチルギは父の伊波按司よりも驚いた。勝連按司が自分の事を知っている事が不思議だったし、それに今まで、お嫁に行く事なんて考えてもいなかった。敵討(かたきう)ち以外の事なんて頭になかった。マチルギは一旦は断ったが、父に説得されて、もし、その人が自分よりも強かったらお嫁に行くと答えた。父も仕方なく、勝連按司に使者を送って、その事を告げさせた。
 相手はマチルギよりも一つ年上の十六歳だという。十六歳といえばサハチと同い年だった。十六歳でサハチよりも強い人がいるはずはない。それ以前に、武芸に励んでいるような娘を嫁にはもらわないだろう。断られるに決まっていると思った。その後、勝連按司からの使者は来なかった。諦めてくれたに違いないとマチルギは安心して、その事は忘れて修行に励んだ。
 八月の半ば、勝連按司から使者がやって来た。剣術の稽古をしながら、断りに来たのだろうとマチルギは思っていたが、しばらくすると父の部屋に呼ばれた。
 マチルギが着替えてから父の部屋に入ると、父と使者が何やら楽しそうに話をしていた。マチルギは父に呼ばれて、そばまで行って座ると使者を見た。
「あっ!」とマチルギは思わず声が出た。
 サムレーの格好をしていたが、その使者は紛れもなく、勝連で会った若い山伏だった。
「勝連按司の三男、ウニタキ(鬼武)と申します」と使者は言った。
「えっ?」と言いそうになって、マチルギは慌てて口を押さえた。
「ウニタキ殿から聞いたが、以前、勝連で出会ったそうじゃな」と父がマチルギに言った。
 マチルギはうなづいた。
「あの時は失礼いたしました」とウニタキは頭を下げた。
「どうして、山伏の格好をしていたのですか」とマチルギは聞いた。
 ウニタキは微笑んだ。
「山が好きなのです。わたしの師匠がヤマトゥの山伏で、暇さえあれば山の中を走り回っています」
 マチルギはウニタキを見ながら、変わっている人だと思っていた。勝連按司の三男だと聞いた時、グスクの中で何不自由なく暮らしている世間知らずだと思っていたのに、ウニタキはどうも違うらしい。ここに来るのにも、供も連れずに一人で来ていた。
「馬に乗っているお姿を拝見して、武芸の心得があるとは思いましたが、自分よりも強くなければ、お嫁に行かないと言って来るとは驚きました」
 ウニタキはマチルギの希望通り、試合を申し込んで来た。父の見守る中、マチルギはウニタキと木剣で試合をした。
 ウニタキの剣の構えを見て、マチルギは意外に思った。静かな構えで、こちらを圧倒するような気迫はないが、思っていた以上に強いと感じた。
 マチルギは心を落ち着けて立ち向かって行った。しかし、勝てなかった。ウニタキは身が軽く、マチルギの剣はすべてかわされた。マチルギがウニタキの姿を見失って振り返った時、ウニタキの剣はマチルギの首一重(ひとえ)の所で止まっていた。
 ウニタキは剣を引くと頭を下げ、マチルギはうなだれた。
「わたしの勝ちですね」とウニタキは言った。
 マチルギはウニタキをじっと見つめて、「二か月後にもう一度、お願いします」と頼んだ。
 ウニタキは微笑しながら、うなづいた。
 試合のあと、マチルギはウニタキに誘われて、近くを散歩しながら話をした。
「あなたの強さには驚きました」とウニタキは言った。
今帰仁按司を倒すために修行を積んでいるそうですね。目標があってうらやましい。あなたを初めて見た時、生き生きとしていた。どんな人なのだろうと興味を持って、それで話しかけたのです」
 マチルギは黙ってウニタキの話を聞いていた。
「俺が勝連按司の息子だと聞いて、あなたの父上は勝連按司と親戚になれば、今帰仁按司を倒すのに都合がいいと思っているようですが、俺はそれ程、当てにはなりませんよ。確かに、勝連按司の息子には違いありませんが、母親は正室の中山王(ちゅうざんおう)の娘ではないのです。俺の母は側室です。しかも、倭寇(わこう)によって高麗(こーれー)(朝鮮半島)から連れ去られて来て、父親に贈られた娘なのです。俺が幼い頃、父は滅多に母のもとには来ませんでした。俺は父と遊んだ記憶はまったくありません。母は俺が十一歳の時に亡くなりました。急にひとりぼっちになってしまったかのような孤独感にさいなまれて、寂しさを紛らすために武芸に熱中しました。強くなれば、父も俺の事を少しは気にしてくれるだろうと思ったのです。悲しいけれど、俺は父にとって、いてもいなくてもいいような存在なのですよ」
 ウニタキは寂しそうに笑った。
 マチルギは何も言わなかった。
 ウニタキが帰った後、マチルギは佐敷に行かせてほしいと父に頼んだ。佐敷には美里之子(んざとぅぬしぃ)の武術道場がある。ウニタキに勝つには、そこで修行を積むしかないので、どうしても行かせてほしいと頼んだ。
「ウニタキの嫁になりたくないのか」と父は聞いた。
 マチルギはうなづいた。
「だって、お嫁さんになって勝連グスクに住むようになったら、剣術のお稽古なんてできなくなってしまうもの」
「確かにそれは言えるが、いつまでも勝連グスクの中にはいないじゃろう。三男だからグスクから出て、どこか重要な地点にグスクを築いて守る事になるじゃろう。そうなれば、少しくらいは剣術の稽古もできるようになる」
「でも、今はあの人に勝ちたいの。二か月後にはどうしても勝ちたいの」
「なにも佐敷に行く事もなかろう。サハチはいないし、ヒューガ(三好日向)もいない」
「クマヌ(熊野)がいるわ。クマヌのおうちにお世話になって修行に励むわ」
「クマヌにそんな迷惑は掛けられん」
 父は許してはくれなかった。
 次の日、マチルギは兄たちと一緒に佐敷に出掛けた。以前、クマヌから聞いて大体の場所はわかるが、勝連より南に行くのは初めてだった。それでも海辺に出て、海に沿って南下して行ったら、何とか馬天浜(ばてぃんはま)に着く事ができた。
 馬天浜からしばらく進むと、小高い丘の上にある佐敷グスクが見えて来た。思っていたよりも小さいグスクで、石垣もなく土塁で囲まれていた。一緒に来た兄のマイチとサムも佐敷グスクを見て、少しがっかりしているようだった。
 畑仕事をしていた人に、美里之子の武術道場の場所を聞くとグスクの近くにあると言う。
 武術道場はグスクへと登る坂道を途中で左に曲がって、少し行った所にあった。塀に囲まれた広場があり、門から覗くと人影はなかった。丁度、正午(ひる)頃だったので、休憩しているのかもしれない。広場の奥に建物があるので、そこで聞こうとした時、その建物から若いサムレーが出て来た。
 サムレーにクマヌの事を聞いたら、何者だと聞かれ、以前、クマヌにお世話になってお礼を言いに来たと言ったら、クマヌの家の場所を教えてくれた。
 クマヌの家は武術道場から少し離れた山際にあって、思っていたよりも立派な屋敷だった。生憎、クマヌは留守だった。奥さんらしい人が出て来て、夕方には戻ると思うと言った。
 上の兄、マイチが今日はこれで引き上げようと言ったが、マチルギはクマヌの帰りを待っていると言って聞かなかった。
「クマヌの帰りを待っていたら、暗くなって帰れなくなる」とマイチは言った。
「また出直して来るなんていやよ。時間が勿体ないわ。あたしはクマヌに頼んで、ここで修行をする」
「参ったなあ」とマイチは途方に暮れた顔をして、空を見上げた。
「兄貴は帰ってくれ」と下の兄のサムが言った。
「俺がマチルギと一緒にここに残る。親父にその事を伝えてくれ」
「俺が一人で怒られるのかよ」
「マチルギの事は俺が守るから心配するな」
「何を言ってる。お前よりマチルギの方が強い」
「まあ、そうだけど、俺がちゃんと二か月後には連れて帰るから、心配しないように親父に言ってくれよ」
「わかった」とマイチは渋々とうなづいて、「頑張れよ」と手を振って帰って行った。
 クマヌが帰って来るまで、マチルギとサムはクマヌの屋敷で待たせてもらった。クマヌの奥さんはマチルギの事を知っていた。若按司のお嫁さんになる人ねと言われて、マチルギは顔を赤くした。
 クマヌから聞いた事はなかったが、クマヌにはマチルー(真鶴)という娘がいて、マチルギより一つ年下だった。マチルギとマチルーはすぐに仲良くなって、グスクまで連れて行ってもらった。
 佐敷グスクの大御門(うふうじょう)(正門)の所で、マチルーが御門番(うじょうばん)に急用ができたので、父を呼んで下さいと頼んだ。御門番はすぐにグスクの中に入って行き、しばらくして、クマヌと一緒に戻って来た。
 クマヌはマチルギとサムを見ると驚いて、「どうして、ここに?」と聞いた。
 マチルギはわけを話して、クマヌに連れられて武術道場に行った。サムと一緒に腕を披露して、そこで修行する事を許され、クマヌの屋敷にお世話になる事となった。
 剣術の修行を始めたマチルギの事はすぐに噂になった。まだ十五歳の娘なのに、とてつもなく強い。伊波按司の娘で、クマヌの屋敷にいる。クマヌが按司に頼まれて、若按司のお嫁さん探しをしていた事を知っている者たちは、若按司のお嫁さんになる人に違いないと噂をした。その噂は佐敷按司の耳にも入り、佐敷按司は自ら道場に足を運んで、マチルギを見た。噂通りに驚くべき娘だった。
 佐敷按司はクマヌと一緒にマチルギをグスクに呼んだ。
「これは一体、どういう事なんじゃ?」と佐敷按司はクマヌに聞いた。
 クマヌはマチルギとサハチの出会いを最初から順を追って話した。
「すると、サハチがヤマトゥから帰って来たら、試合をするという事じゃな」
「そういう事です。そして、若按司はもし勝ったら、お嫁に来てくれと言うつもりでしょう。ところが、マチルギの方に事件が起きました。勝連按司からお嫁に欲しいと言われて、もし、相手がマチルギより強かったらお嫁に行くと言ったのです。マチルギとしても負けるとは思っていなかったのでしょう。ところが負けてしまった。マチルギは二か月後にもう一度、試合をお願いして、ここに来たのです。伊波にいて、今までと同じ稽古をしていても勝つ事は難しい。指導者がいるここの武術道場を選んだというわけです」
「今度負けたらお嫁に行くのか」と佐敷按司はマチルギに聞いた。
「負ける事は考えていません。次は必ず勝ちます」とマチルギはきっぱりと言い切った。
「そうか‥‥‥是非とも勝ってくれ」と佐敷按司は思わず言っていた。
 マチルギが帰った後、「いかがですか。若按司の嫁にふさわしいと思いますが」とクマヌは佐敷按司に聞いた。
「確かにいい娘じゃ。どうして、もっと早く、わしに話してくれなかったのじゃ」
「それはマチルギの気持ちです。マチルギは敵討ちの事しか考えていませんでした。お嫁に行く事など一度も考えなかったでしょう。それが若按司と競い合っているうちに、自分でも知らずに、若按司の事を思うようになってきたようです。若按司がヤマトゥから帰って来て、試合に勝ったらお知らせしようと思っておりました」
「そうか。伊波按司の娘か。こちらとしては文句などないが、問題は伊波按司が許してくれるかじゃな」
「その事はわしに任せて下さい。わしが何とか説得させます」
「うむ、頼んだぞ。それとマチルギの事だが、苗代之子(なーしるぬしぃ)に頼んでおこう」
「それがいいですね。マチルギには必ず、勝ってもらわなければならないですからな」
 マチルギとサムは苗代之子の厳しい修行に耐え、二か月後の十月の半ば、クマヌと一緒に伊波に帰って行った。
 約束の日、ウニタキは一人でやって来た。伊波按司とクマヌとサムの見守る中、マチルギとウニタキの試合は行なわれた。
 お互いに剣を構えたまま、いつまで経っても動かなかった。
 突然、ウニタキの体が宙に舞った。宙に舞ったまま、マチルギを打ったが、マチルギは身をひるがえして、それをよけ、反撃に出た。ウニタキは空中でマチルギの剣を剣で受け止めて着地した。マチルギの剣はウニタキが着地する足を狙って横に払った。ウニタキはその剣を剣で受け止めると前屈みになったマチルギの首の後ろを狙って剣を打った。マチルギは素早く剣を返して、ウニタキの剣を剣で受け止めた。そして、身を引くと剣を清眼(せいがん)に構えてウニタキを見た。ウニタキも清眼に構えたままマチルギを見ていた。
 それは一瞬のうちに行なわれた。二人は場所を変えて、構えたまま動かなかった。
「それまで!」とクマヌが言った。
 マチルギとウニタキは相手を見つめたまま、剣を下ろした。
「引き分けじゃ」とクマヌは言った。
「二か月後、もう一度、お願いいたします」とウニタキが言った。
 マチルギはうなづいた。
 試合のあと、屋敷に戻った伊波按司は、「マチルギは前回より、格段に腕を上げている」と驚いた顔をしてクマヌに言った。
「わずか二か月で、あれ程の腕になるとは信じられん。佐敷には余程の達人がいるとみえるな」
「戦死されてしまいましたが、美里之子という達人が佐敷で武術道場を始めたのが、もう三十年も前の事になります。佐敷按司も美里之子の弟子でした。今は倅が跡を継いでいます。佐敷按司は有名なシラタル親方(うやかた)の弟子でもあり、按司が武術の名人なので、家臣たちも皆、武術には熱心です」
「今、シラタル親方と申したか」と伊波按司は聞いた。
「はい。御存じですか」
「存じておる。シラタル親方の弟子の棚原之子(たなばるぬしぃ)がわしの師匠じゃった」
「そうだったのですか」
「しかし、シラタル親方は浦添(うらしい)の合戦の時に戦死したと聞いておるが、佐敷按司が弟子というのはどういう事じゃ。佐敷按司はそんなに齢(とし)なのか」
「いいえ。佐敷按司は伊波按司殿より十歳若いはずです。佐敷按司は久高島(くだかじま)にいたシラタル親方を捜し出して、指導を受けたようです」
「ほう。生きておられたのか」
「もう、十六年も前の話ですから、すでに亡くなっているとは思いますが」
「そうか。佐敷按司がシラタル親方の弟子じゃったか‥‥‥それで、倅のサハチも剣術に夢中だったのじゃな」
「そういう事です。そして、今回、マチルギの指導に当たったのは、佐敷按司の弟の苗代之子です。苗代之子は美里之子と兄の佐敷按司から指導を受けて、二人の技を身に付けると共に、自ら新しい技を編み出しています。先程、ウニタキの技を見た時、苗代之子の技と似ていると感じました。共に山中で修行を積んだからかもしれません」
「苗代之子もあのように身が軽いのか」
「はい。まさしく神業のようです」
「そうか。マチルギの奴、また佐敷に行くと言い出すじゃろう。すまんが、よろしく頼む」
「マチルギの事はお任せ下さい」
 次の日、マチルギとサムはクマヌと一緒に佐敷に戻った。

 

 マチルギが佐敷に戻った頃、糸満(いちまん)の港では明国(みんこく)(中国)に行く進貢船(しんくんしん)が出帆していた。使者となったのは島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)と山南王(さんなんおう)である承察度(うふさとぅ)の弟の与座按司(ゆざあじ)だった。島添大里按司承察度の叔父として、山南王とは別に献上品を用意して船に乗り込んでいた。
 島添大里按司は無事に明国の泉州に着いて、冬山を越えて首都の応天府(おうてんふ)(南京)に行った。新年の式典に参加して洪武帝(こうぶてい)に拝謁(はいえつ)し、献上品を捧げている。
 その時の名前は『汪英紫(ワンインチ)』だった。名前を聞かれた島添大里按司が、ワンネーエージ(わたしは八重瀬(えーじ))と言ったのを通訳が聞き違えて『ワンインチ』となったのか、それとも、久米村(くみむら)の唐人に『八重瀬王』を明国の言葉に直してくれと頼んだら『汪英紫』となったのかはわからない。島添大里按司はその後も『汪英紫』の名前で何度も明国と交易をした。
 主(あるじ)が留守になった島添大里グスクには長男のタブチ(八重瀬按司)が入り、大(うふ)グスク按司のシタルーと共に留守を守っていた。
 島添大里按司が明国に出掛けた事は、船出を見送る人々からすぐに噂が広まり、佐敷按司の耳にも入って来た。島添大里按司の留守を狙って、糸数按司(いちかじあじ)が動くかもしれないと思った佐敷按司は、クマヌに糸数按司の様子を探らせた。