長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

24.山田按司(改訂決定稿)

 名護(なぐ)の山中にある木地屋(きじやー)の親方(うやかた)の屋敷を朝早く旅立ったサハチ(佐敷若按司)たちは、海岸沿いに道なき道を通って伊波(いーふぁ)へと向かった。
 鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチ(弥吉)たちはどこに行ったのか、出掛ける時、姿を見せなかった、きっと、隠れながら付いて来るのだろうとサハチは思った。
 山の中を通ったり海辺を通ったり、時には海の中に入ったりしたが、前回の冬とは違って海水も温かいので、それほど厳しい道のりとは感じなかった。マチルギ(伊波按司の次女)もサム(マチルギの兄)も難なく歩き通した。サムは、「凄え道だなあ」と言いながらも楽しんでいるようだった。ただ、暑さには参った。汗びっしょりになり、やはり、この道を通るのは冬の方がいいと思った。
 日暮れよりもかなり早く、伊波グスクに着いた。
 今帰仁(なきじん)に行って来たと告げると伊波按司は驚いて、一瞬、厳しい顔つきになった。サハチとヒューガ(三好日向)の顔を見ると表情を和らげ、子供たちが世話になったとお礼を言った。
 サムが途中で今帰仁のサムレーに襲われた事を話し、ここが敵に見張られている事を告げると伊波按司はうなづいて、「その事は知っている」と言った。
「知っていて放っておいたのですか」とサムが父親に質問した。
「気づかない振りをしていた方が敵も安心するじゃろう。戦(いくさ)というものはな、自分の事だけを考えていても勝つ事はできんぞ。相手の立場に立って考えなければならん。敵の立場に立ってみれば、わしらの動きを探るのは当然の事じゃ。お互いに敵の探り合いをして、敵の裏を考えなければ、戦には勝てんのじゃよ。今の所は今帰仁でも、わしらの様子を探っているだけじゃが、わしらが強敵だと思えば、密かにわしらの命を狙って来るという事も考えられる。これからは充分に気をつけて行動しろよ。しかし、敵のグスクを自分の目で確かめて来たのは褒めるべき事じゃな。お前たちは今までずっと、敵(かたき)を討つと言って修行に励んでいたが、敵のいる地を見た事がなかった。実際に見て、どう思った?」
「思っていたよりも、今帰仁グスクは大きいものでした」とサムは言った。
「勝連(かちりん)グスクよりも大きかったのは驚きました。石垣も高く、あのグスクを攻めるには、かなりの兵力が必要でしょう」
「今の今帰仁按司を倒すのは難しい。だが、今の按司は六十を過ぎている。まだ亡くなる気配はないが、わしは二代目になった時、隙が生じると思っている。その時までに、兵力を蓄えなければならない」
 サハチは今帰仁グスクを攻めるには、一千では無理で、二千近くの兵力が必要ではないかと考えていた。それだけの兵力を集めるには、勝連は勿論の事、浦添(うらしい)も味方に付けて、さらに、中部の按司たちの兵も加わらなければならないだろう。伊波按司のために、勝連や浦添が動くとは思えなかった。
「策はあるのですか」とサムは聞いた。
 伊波按司は首を振った。
「わしもやれるだけの事はやるが、わしの代では難しいかもしれん。お前たちに託す事になるじゃろうな」
 伊波按司は厳しい顔をして、サムとマチルギを見つめたあと、サハチを見て、「五日前、佐敷按司殿がクマヌ(熊野)と一緒にここに来られた」と言った。
「えっ?」とサハチは驚いた。「父がここに来たのですか」
「マチルギの事で挨拶に来たんじゃ。クマヌから佐敷按司殿の事は聞いてはいたが、なかなかの男じゃな。共に酒を飲みながら、夜遅くまで武芸の話をしていたんじゃよ。久し振りに楽しい夜じゃったわ」
「そうでしたか」
「まだ、クマヌにお礼を言っていないが、感謝せねばならんのう。クマヌがここに来なければ、そなたと出会う事もなく、佐敷按司殿と共に酒を飲む事もなかったじゃろう。祝いの品々だと言って、ヤマトゥ(日本)の刀を十振りもいただいた。どれも皆、名刀じゃった。佐敷ではヤマトゥとの交易が盛んらしいのう。必要とあらば、武器や鎧の調達も任せてほしいと言われた。頼もしい味方ができて嬉しく思っている」
 サハチはお礼を言って頭を下げた。
 伊波按司はゆっくりして行けと言ったが、マチルギとサムは一晩泊まっただけで伊波をあとにした。
「次兄のトゥク(徳)兄さんを紹介するわ」とマチルギは言って、山田グスクへと連れて行った
 山田グスクは西側の海岸沿いに戻って、少し南下した山の上にあった。山の下の村には家臣たちの家々が建ち並び、急な坂道を登って行くと石垣に囲まれたグスクがあった。大御門(うふうじょう)(正門)の所からは海が見渡せ、眺めがよかった。サムが御門番(うじょうばん)と話をして、しばらく待つと御門番は通してくれた。中はそれ程広くはなく、大御門のそばにサムレーが待機している屋敷があり、奥の方に按司の屋敷らしい建物が建っていた。
 若按司のトゥク兄さんはいなかった。山の奥で修行をしているという。マチルギが場所を聞いて行こうとしたら、呼んで来るから待っていてくれと侍女に言われ、屋敷内の一室に通された。その部屋から庭の片隅にある大きなガジュマルの木が見えた。
「トゥク兄さんは六歳の時にここの養子になったの」とマチルギがサハチの隣りに来て言った。
「あたしが生まれた時には、もう伊波にはいなかったの。お正月とかに帰って来るけど、トゥク兄さんと一緒に遊んだ記憶はないわ。あたしが九歳の時、トゥク兄さんが伊波に来て、長兄のチューマチ(千代松)兄さんと試合をしたの。凄い試合だったわ。あたしはあの時の試合を見て、剣術をやろうと決めたのよ」
「トゥク兄さんは強かったんだな」とサハチは言った。
「凄かったわ。ただ強いだけじゃなくて、見ていて綺麗だったの」
「山の中で修行しているという事は、ウニタキ(鬼武)のように山伏の剣術だな」
「ウニタキと試合をしたの?」とマチルギは驚いた顔をしてサハチを見た。
「試合はしていないよ。でも、奴の身のこなしを見ていればわかる」
「そう。あなたの言う通り、トゥク兄さんの師匠はヤマトゥの山伏よ。クラマ(鞍馬)っていう名前で、前にクマヌに聞いた事があるんだけど、『鞍馬山(くらまやま)』っていう山がヤマトゥにあって、そこは武術の本場で、強い山伏がいっぱいいるって言っていたわ」
「クラマか‥‥‥ちょっと聞きたいんだけど、山田按司はマチルギのお父さんの弟だろう。どうして、そんなに早くに養子をもらったんだ。子供はいないのか」
「叔父さんはこのグスクに移った頃、修行中に崖から落ちて、大怪我をしてしまったらしいの。そのあと、子供ができない体になってしまったんだって。男の子が一人いたんだけど、幼い頃に病死してしまって、それで、トゥク兄さんを養子に迎えたのよ」
「そうだったのか」
「あたしはよく知らないけど、叔父さんは大怪我をしたあと、変わってしまったとお父さんは言っているわ。伊波にも滅多に来なくて、この上に叔父さんの屋敷があるんだけど、いつも、山伏の格好をしていて、『毘沙門天(びしゃむんてぃん)』という神様を祀(まつ)って、火を焚いて拝んでいるみたい。あたしは見た事ないけど、トゥク兄さんから聞いた事があるわ」
「へえ。変わった叔父さんなんだな」
 しばらくして顔を見せたトゥク兄さんは、面影が伊波按司によく似た二十代半ばの男だった。
 マチルギとサムを見ると笑って、「珍しいな。お前たちがここに来るなんて」と言って座った。
 マチルギはサハチとヒューガをトゥク兄さんに紹介した。
「お前の婿になる男だな」とトゥク兄さんはサハチを見た。
「初めまして。佐敷按司の倅、サハチと申します」とサハチは言って頭を下げた。
「マチルギがお嫁に行くと聞いて、本当に驚いたよ。伊波按司はしかるべき所にお嫁にやると言っていたけど、きっと、うまく行かずに戻って来るに違いないと思っていた。どうやら、自分でいい相手を見つけたようだな」
 トゥク兄さんはサハチとマチルギを見比べて、よかったなと言うようにうなづいた。そして、サムを見ると、「次はお前の番か」と聞いた。
「いえ、マイチ(真一)兄さんの方が先ですよ」とサムは手を振った。
「そうか。マイチもまだ独り者か。そのうち、親父がいい相手を見つけてくれるだろう」
「いえ。俺も自分で捜しますよ」とサムは言った。
「ほう。目当ての娘でもいるのか」
「いませんよ」とサムは慌てて首を振った。
 それを見てマチルギが、「怪しいわね」と言ってサムの膝をたたいた。
 サムは話題を変えて、今帰仁の旅で驚いた様々の事をトゥク兄さんに話した。マチルギも楽しそうに旅の話を聞かせた。トゥク兄さんは八年前に師匠のクラマと一緒に今帰仁に行った事があり、興味深そうに二人の話を聞いていた。
 トゥク兄さんが山田按司を呼んだらしいが、山田按司はいつまで経っても現れなかった。
「ちょっと変わっているからな、うちの親父は。南部の方にお嫁に行ったら、なかなか会えなくなるな。元気でいろよ」
 トゥク兄さんに見送られて、サハチたちが大御門から出ようとした時、「マチルギ、よく来たな」と誰かが言った。
 振り返ると、山伏の格好をした髭だらけの男が、鋭い目付きでこちらを見ていた。
「叔父さん」とマチルギが言った。
「久し振りじゃのう」と言って山田按司は笑った。
 笑うと目が細くなって、別人のような顔になった。
「随分と大きくなったのう。お前がお嫁に行くと聞いて、わしには信じられなかった。お前もやはり女子(いなく゜)だったんじゃのう」
「自分でも驚いています。お嫁に行くなんて、ついこの間まで考えてもいませんでした」とマチルギは言って、サハチを紹介した。
 山田按司の顔から笑顔が消えて、眉間(みけん)にシワを寄せてサハチを睨んだ。しばらくして、一人で納得したようにうなづくと、「わしは昔、佐敷に行った事がある」と言った。
「佐敷グスクができる前じゃ。まだ、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)も大(うふ)グスク按司も健在じゃった。馬天泊(ばてぃんどぅまい)にヤマトゥから来た船が泊まっていた。こんな所にどうしてヤマトゥの船がいるのか不思議に思い、鮫皮(さみがー)を作っているというサミガー大主(うふぬし)と出会ったんじゃ。なかなかの男じゃった。お前はサミガー大主の孫だそうじゃのう」
「叔父さん。サハチさんのお爺様を知っていたのですか」とマチルギは驚いた。
 勿論、サハチも驚いていた。山伏の格好をしているだけではなく、各地を旅して歩いているようだった。
「一度会ったきりじゃよ。お前が佐敷にお嫁に行くと聞いて、思い出したんじゃ。お前たちの事を毘沙門天様に尋ねてみたら、良縁とのお告げじゃ。それで、お祝いを言おうと思って下りて来たんじゃ」
「叔父さん。ありがとう」とマチルギは嬉しそうにお礼を言った。
 山田按司はマチルギにうなづき、サハチに向かって、「マチルギを頼むぞ」と言った。
「はい」とサハチは力強くうなづいた。
 山田按司は二人をじっと見てから、急に背を向けると去って行った。
 山田按司の後ろ姿を見送りながら、サハチは不思議な力を感じていた。武術の腕はかなり凄いが、ただそれだけでなく、何か目に見えない凄い力を持っているように思えた。山奥で修行を続けている山伏は不思議な力を身に付けると、クマヌから聞いた事があるが、それだろうかとサハチは思った。
「親父が出て来るとは思わなかった」とトゥク兄さんが首を傾げた。
毘沙門天様のお堂に籠もってしまうと、何が起こっても七日間は出て来ないんだ。昨日、籠もったばかりなので、無理だろうと思ったけど、一応、声を掛けたんだ。思った通り返事はなかった。それなのに出て来たという事は、お前たち、余程、祝福されているとみえるな」
 トゥク兄さんと別れて坂道を下り、城下の村を抜けて海辺に出た。
「今から佐敷まで帰れるかしら?」とマチルギが心配した。
 空を見上げると知らないうちに正午(ひる)近くになっていた。
「近くに知り合いがいるから、今晩はそこにお世話になろう」とサハチは言った。
「えっ、こんな所に知り合いがいるの?」とマチルギは驚いてサハチを見た。
「前回の旅で知り合ったんだ。マチルギも気に入る面白い爺さんだよ」
「それって、もしかして宇座按司(うーじゃあじ)(泰期)じゃない?」
「そうだ。マチルギも知っているのか」
「トゥク兄さんのお嫁さんは宇座按司の娘なのよ。兄たちと一緒に何度かお邪魔した事があるわ。馬がいっぱいいるんでしょ」
「成程、山田按司と宇座按司はつながりがあったのか。マチルギも知っているなら歓迎してくれるだろう」
 山田グスクから宇座按司の牧場まで、歩いて一時(いっとき)(二時間)も掛からなかった。残念ながら、宇座按司は留守だった。用があって浦添に行っているという。それでも、宇座按司の若い奥さんが喜んで迎え入れてくれた。
「いつもは十月頃に明国(みんこく)(中国)に行くお船が出るんだけど、今年は七月に出るらしいのよ」と奥さんは言った。
「その相談と浦添の若按司(フニムイ)の娘さんが勝連に嫁ぐ事になって、その事もあって、二日前に出掛けたまま帰って来ないのよ。主人はいないけど、のんびりしていってね」
 サハチたちはお礼を言い、誰もいない広い離れに行って、くつろいだ。
「山田按司という男、不気味な男じゃったのう」とヒューガが草原で草を食べている馬を眺めながら言った。
「確かにね」とマチルギがうなづいた。
「いつも怖い顔をしていて、さっきみたいの笑顔、あたし、初めて見たかも」
「そういえば、俺も叔父さんが笑ったのは見た事なかったな」とサムも言った。
毘沙門天のお堂に籠もって、今帰仁按司に呪いでも掛けているのかのう」
「呪いですか。恐ろしいですね」とサハチは首を振った。
「敵にはしない方がよさそうですね」
「あたしたちの叔父さんですもの、勿論、味方よ」
「マチルギと一緒になったら、俺の叔父さんでもあるわけだ」
 急に薄暗くなって来たと思ったら、雨がザアーッと降って来た。
 馬たちは驚くわけでもなく、濡れながら草を黙々と食べていた。

 

 その頃、国場川(くくばがー)と饒波川(ぬふぁがー)の合流地点の山の中で、島添大里按司汪英紫)とその次男の大グスク按司のシタルー(四太郎)が木陰で雨宿りをしていた。
 明国から帰って来た島添大里按司は、益々交易に力を入れようと思い、浮島(那覇)の近くにグスク(城)を築いて、新しい拠点にしようと考えていた。
「やはり、この地が一番いいじゃろう」と島添大里按司は悠々と流れている国場川を眺めながら言った。
「場所としては最適ですね」とシタルーはうなづいた。
「船がすぐ下まで入って来られる。ただ、中山王(ちゅうざんおう)(察度)と山南王(さんなんおう)(承察度)の許可が必要でしょうね」
「中山王はお前の義父じゃ。何とかなるじゃろう。山南王は大丈夫じゃ。ここを拠点にすれば明国との交易に有利になるからな」
「ここにグスクを築いて、そのグスクに俺が入るのですか」
「そうじゃ。久米村(くみむら)の唐人(とーんちゅ)たちとも付き合わなければならん。そういう事ができるのはお前しかおらん」
「大グスクは誰が守るのです?」
「ヤフス(汪英紫の三男、屋富祖)を入れる」
「兄ではないのですか」
「あれは戦好きじゃ。あいつを大グスクに入れたら、すぐに糸数按司(いちかじあじ)と戦を始めるじゃろう。あいつは八重瀬(えーじ)に置いておけばいい」
「もう、糸数グスクは攻めないのですか」
「あのグスクを攻め取るよりも、明国に一回行って来た方が、遥かに収穫があるんじゃよ。これからの時代は海外との交易じゃ。狭い島の中で、狭い土地の奪い合いなどしている場合ではないわ」
「わかりました。ここに素晴らしいグスクを築いてみせますよ」
「うむ」と島添大里按司はうなづいて、「名前は『トゥユミ(豊見)グスク』とすればいい」と言って笑った。
「鳴響(とぅゆ)むグスクですか。いいですね」とシタルーも楽しそうに笑った。
 雨がやんで、強い日差しが差して来た。