長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

26.高麗の対馬奇襲(最終決定稿)

 サハチとマチルギの婚礼が行なわれていた頃、ヤマトゥの対馬島では、とんでもない事が起こっていた。
 琉球に帰ったサハチがマチルギとの再会を喜んでいた頃、高麗(こうらい)に来た明(みん)の使者が、元(げん)の時代の旧領を返還するようにと言って来た。返還しなければ、高麗を攻めるとの強気の要求だった。その旧領というのは、明が建国する前の混乱期に、高麗が元から奪い取った領土だった。高麗の王は明の強要に屈する事なく、明の大軍を迎え撃つ事に決定した。反対する者も多くいたが、宮廷内は依然として親元派(しんげんは)が多く、元と共に明を倒す事になったのだった。各地を守っていた武将たちは皆、討伐軍(とうばつぐん)に加わって北へと進軍した。
 去年の四月の事だった。
 その情報はすぐに対馬に届いた。有力武将が北に行っている隙を狙えとサンルーザ(早田三郎左衛門)は、浅海(あそう)湾内の浦々の船を率いて高麗襲撃に出掛けた。その情報は壱岐(いき)や松浦(まつら)にも届き、彼らも高麗に出掛け、総勢八十隻余りとなって高麗の南部を荒らし回った。しかし、予想外な敵の反撃に遭って、サンルーザの三男、左衛門次郎を初めとして数多くの戦死者を出してしまった。
 サンルーザたちが知らないうちに、高麗では武力によって政権交代が起こっていたのだった。
 北に向かった討伐軍は、五月の初めに鴨緑江(アムノッカン)の中洲の威化島(ウィファド)に到着したが、梅雨の長雨が続いたため増水した川を渡る事ができなかった。
 初めからこの進軍に反対していた李成桂(イソンゲ)は、五月の末、王命に逆らって軍を引き返す事に決定した。李成桂に率いられた大軍は、六月一日に首都開京(ケギョン)を包囲して、三日には宮殿に攻め込み、時の権力者、崔瑩(チェヨン)を捕らえ、王様を引きずり下ろして交替させた。
 実権を握った李成桂は、南部で暴れ回っている倭寇を鎮圧するため、ただちに兵を送った。その中に朴葳(パクウィ)という武将がいた。朴葳は十年以上も倭寇と戦い続けて来た武将で、朴葳にやられた倭寇は数多くいる。李成桂と一緒に討伐軍に加わっていたが、李成桂が宮廷を制圧すると、倭寇を退治するために兵を率いて南部へと向かった。
 その頃、サンルーザに率いられた騎馬隊は慶尚道(キョンサンド)に上陸して、各地の穀物蔵を襲撃しながら尚州(サンジュ)まで進撃していた。どこも守備兵が手薄で、向かう所、敵なしといった有様だったが、突然、朴葳が率いる大軍の反撃に遭って、左衛門次郎は戦死してしまったのだった。
 サンルーザたちが対馬に帰って来たのは八月の初めだった。琉球から戻って来ていたサイムンタルー(左衛門太郎)は弟の戦死を悲しみ、復讐を誓った。
 年が明けるとすぐ、サンルーザとサイムンタルーは左衛門次郎の敵を討つために船を率いて、まだ混乱状態にある高麗を襲撃した。
 李成桂は長年悩まし続けている倭寇を壊滅させるため、根拠地である対馬を攻める事を朴葳に命じた。朴葳は火砲を積んだ軍船百隻を率いて対馬島に向かった。
 サハチとマチルギの婚礼が行なわれた二月の事だった。
 高麗の船団は浅海湾(あそうわん)を目指してやって来た。
 その時、イトは去年の夏に生まれたサハチの娘、ユキに乳を飲ませていた。突然、雷が落ちたような音がいくつも響き渡り、何事かと外に出た。みんなが慌てて外に出て来て、音のする方を見ていたが、ここからは何が起こっているのかわからなかった。北の方、山の向こう側で何かが起こっているようだが、一体、何なのかわからず、皆、不安な面持ちで響き渡る不気味な音を聞いていた。
「イト姉さん、大変よ。敵が攻めて来たのよ」と言いながらマユが浜辺の方から駈け込んで来た。
「敵が攻めて来た? 敵って何よ」とイトはわけがわからず、マユに聞いた。
 マユは驚いた顔をしたまま首を振った。
「わからない。でも、水崎(みんさき)の方では敵にやられて、船がみんな燃えてるって言ってたわ。危ないから、みんな、逃げろって」
 イトはマユの話を最後まで聞かずに、ユキを抱いたまま、浜辺の方に走った。
 浜辺には大勢の人がいて、浜辺に出て来た人、浜辺から家の方に戻る人が右往左往していた。浜辺に出ても、マユが言った敵は見えなかった。
 サワの姿を見つけたイトは、サワのそばに行って聞いてみた。
「あっ、イトちゃん、敵が来たのよ。早く逃げなきゃ駄目よ」とサワは慌てて言った。
「敵って何なの」
「はっきりわからないんだけど、高麗が攻めて来たみたいよ」
高麗?」
「何でも数え切れないくらいの敵の船が、海の上から鉄炮(てっぽう)(大砲)を撃って、水崎の船はみんな燃えてるらしいわ」
「鉄炮って何?」
「鉄でできた筒から、火薬を使って鉄の玉を飛ばす武器なんですって。その玉に当たると船も家もみんな燃えちゃうのよ」
 急に人々がざわめいた。
 海の方を見ると何隻もの敵の船が北の方から近づいて来るのが見えた。
「危ないわ。早く逃げましょ」とサワはイトの手を引いて家の方に向かった。
「女、子供、年寄りは早く、山の中に逃げろ」と誰かが怒鳴っていた。
「男は武器を持ってお頭の屋敷に集まれ」
 家に帰ると、父がイトの帰りを待っていた。
「どこに行ってたんだ。早く、逃げろ」
「みんなは?」
「もう逃げた。炭焼き小屋にいる。お前も早く行け」
「父さんは?」
「もう少し様子を見てから行く。敵が上陸して来たら、あそこも危険だからな」
 イトはうなづいて、葛籠(つづら)の中から刀を取り出して腰に差した。
「お前、何をやってるんだ」と父は驚いた顔をしてイトに聞いた。
「これはサハチさんの刀なの。燃やすわけにはいかないわ」
「そうか」と父がうなづいた時、ドカーンと大きな音が鳴り響き、その音は次々に鳴り響いた。
「速く逃げろよ」と言って父は外に飛び出して行った。
 イトはユキを抱いて、母たちを追って山の中に入って行った。ユキは大きな音に驚いて目を丸くしていたが、泣く事はなく、イトの顔をじっと見つめていた。
 山の中の炭焼小屋には、イトの家族以外の者たちもいて、鳴り響いている不気味な音を聞きながら、蒼ざめた顔をしてうずくまっていた。
「イト、無事だったのね」と誰かが言ったので、声のした方を見るとトミが家族と一緒にいた。
 イトはトミの側に行って、腰を下ろした。
 腰に刀を差しているイトを見て、「敵と戦う気なのね」とトミは言った。
「敵がここまで来たらね」とイトは答えた。
「あたしも木剣を持って来たわ」とトミは木剣を見せた。
 お互いに笑い合ったあと、「ねえ、どうして、高麗が攻めて来るの」とイトはトミに聞いた。
 トミはイトを見ながら首を振った。
 大きな音が響く度に、まるで地震のように大地が振動していた。
「シンゴたちは大丈夫かしら」とトミが不安そうな顔をして言った。
 シンゴとマツはサンルーザと一緒に高麗襲撃に加わっていた。
高麗はお頭(かしら)たちの船を倒してから、対馬に来たんじゃないの」
「そんな事ないわよ」とイトは否定した。
「お頭たちが高麗を攻めているから、高麗の兵が本拠地を狙って来たんじゃないの」
 大きな爆発音はだんだんと近づいて来るようだった。
 誰かが念仏を唱え始めた。それに和すように念仏の声は大きくなっていった。
 イトもみんなの無事を祈って念仏を唱えた。
「みんな、静かにして」と誰かが言った。
 念仏が止まった。
 爆発音は聞こえて来なかった。辺りはシーンと静まり帰り、風が揺らす木々の音だけが聞こえた。
「終わったのかしら」とイトが言った。
「様子を見て来るわ」とトミが木剣を持って立ち上がった。
「あたしも行くわ」とイトは言って、ユキを母に預けた。
「気をつけて行くのよ。敵がいたら、すぐに戻って来るのよ」
 イトは母にうなづいて、トミと一緒に山を下りて行った。
 山の入り口の所に父がいた。武器を手にした三人の男と一緒に入り口を守っていた。
「まだ駄目だ」と父は首を振った。
「敵が上陸して来たんだ。今、丹後守(たんごのかみ)殿が指揮をして敵と戦っている。早く戻れ。丹後守殿が必ず敵を追い払ってくれると思うが、もしもの事があったら、みんなを守るんだぞ」
 敵の様子を見たかったが、イトは父にうなづいて、トミと一緒に山に戻った。
 炭焼小屋に帰って、皆に状況を説明するとまた念仏が始まった。
 それから半時(はんとき)(一時間)程して、また爆発音が続けざまに響き渡った。
 イトとトミはまた様子を見に山を下りた。
 途中で逃げて来る父たちと出会った。
「戻れ」と父は怒鳴った。
「どうなってるの」とイトは聞いた。
「敵は追い返した。逃げるかと思ったら、村に向かって鉄炮を撃ちまくっている」
「家(うち)が燃えてるの」
「もう、見境なしじゃ。とにかく、鉄炮の届かん所まで逃げるんじゃ」
 武器を持った男たちも皆、山の中に逃げ込んで来た。
 イトとトミは炭焼小屋に戻って、爆発音を聞きながら、早く敵が消え去る事を祈っていた。
 爆発音は半時程で治まった。
 男たちが様子を見に山を下りて行った。
 男たちはいつになっても戻って来なかった。
 イトはトミと一緒に様子を見に行った。
 言葉が出なかった。
 その光景はあまりに悲惨すぎた。家々はすべてと言っていい程、皆、焼け落ちていた。まだ燃えている家もあって、男たちが必死になって火を消していた。
 海の方を見ると港にあった船は一隻もなく、沈没して船首を空に向けている船や、横倒しになったまま浮いている船もあり、船の残骸があちこちに浮かんでいた。
 敵の船影はどこにも見えなかった。
「ひどすぎる」と言ってトミが泣いていた。
 イトは何も言えず、呆然と立ち尽くしていた。
 誰かが知らせたのか、女たちが山からぞろぞろと下りて来て、村の有様を見て泣き崩れていた。
 イトはユキの事を思い出した。母たちを捜したが見当たらず、イトは山に戻った。
 炭焼小屋のみんなは動かずにそこにいた。誰も敵が去った事を知らせに来てくれなかったらしい。イトは村の状況を伝えた。
 女たちは慌てて山を下りて行った。
「あたしたちの家も燃えたの」と母が聞いた。
 イトはうなづいて、ユキを抱き抱えた。何も知らないユキはイトの顔を見て笑っていた。この子のためにも、この苦境を乗り越えなければならないとイトは強く思っていた。
 イトの家は全焼だった。何も残っていなかった。
 トミの家も焼け落ちていた。
 サンルーザの屋敷もやられていたが、全焼とはならず、半分近くは無事だった。
 家を失った者たちは、これからどうしたらいいのか、絶望に陥っていた。
 サワの家は奇跡的に残っていた。サワの家のある一画、八軒の家が無事だった。
 高麗の軍船は浅海湾に入って来ると、港に泊まっている船を鉄炮で撃って沈め、上陸して捕らえられている高麗人を救い出そうとした。しかし、反撃に遭って高麗人の救出を諦め、沿岸の村々を焼き討ちにした。仮宿(かりやど)浦、水崎(みんさき)浦、大連河内(おおつらかわち)浦、土寄(つちより)浦と焼き討ちにして、さらに南下しようとしたが、浅海湾の奥の方から、救援の船団がやって来たので引き上げて行った。
 仮宿浦では、指揮を執っていた藤法眼(ふじほうげん)が戦死して、村は全焼した。
 サイムンタルーの本拠地の水崎浦では、留守を守っていた祖父の中尾潮漸(ちょうぜん)が老体に鞭打って活躍した。敵は追い払ったが村は焼け落ち、サイムンタルーの屋敷も全焼してしまった。蔵が焼けなかったのが、せめてもの幸いだった。大連河内浦では、日下部土佐守(くさかべとさのかみ)が敵を追い返し、土寄浦では、早田丹後守が敵を追い返したが、村々は焼かれた。
 その夜、イトは家族と一緒に山の炭焼小屋で一夜を過ごした。家を失った者たちは、焼け残った家に入れてもらったりしていたが、全員が屋根の下で眠る事はできず、寒い中、浜辺で火を焚きながら夜を明かす者も多かった。
 サンルーザたちが対馬に帰って来たのは、三月の初めだった。高麗対馬が襲撃されたとの噂を聞き、真相を確かめて慌てて戻って来たという。
 船の上から廃墟と化した故郷を眺め、「信じられん」とサンルーザは厳しい顔で首を振り、「絶対に許さん」とサイムンタルーは歯を食いしばって、太刀の柄(つか)をぎゅっと握りしめていた。