長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

28.サスカサ(改訂決定稿)

 サハチ(佐敷若按司)たちは久高島(くだかじま)に来ていた。
 馬天(ばてぃん)ヌルに振り回されるような形で、久高島に渡っていた。マチルギは特に旅の目的はなく、知らない土地を見てみたいというだけだった。サハチとヒューガ(三好日向)は気分転換のために、旅がしたいというだけだった。馬天ヌルは隠していたが、ちゃんと旅の目的があったのだった。
 馬天ヌルは十三年前、先代の馬天ヌルが亡くなった時、兄を守るために島添大里(しましいうふざとぅ)ヌルの『サスカサ』に教えを請うようにと言われていた。その時は何の教えを請うのか馬天ヌルにはわからなかった。先代からすべての事を教わって、自分でも一人前のヌルだと思っていた。若かった事もあり、馬天ヌルはサスカサから教えを請う事はなかった。
 ところが四年後、島添大里グスクが八重瀬按司(えーじあじ)(汪英紫)によって滅ぼされ、兄は佐敷按司になった。兄が佐敷按司になった事で、馬天ヌルは按司を守るための儀式をしなければならなくなった。出陣の儀式は勿論の事、場合によってはヌルも出陣して、敵陣を前に儀式を行なう事もある。そういう儀式は馬天ヌルから教わってはいなかった。ようやく、先代が亡くなる前に言った言葉の意味がわかって、サスカサに教えを請おうと捜したが見つける事はできなかった。噂では島添大里グスクが落城した時に、グスク内にいて殺されてしまったのだろうという。馬天ヌルは後悔したが、すでに遅かった。
 馬天ヌルは伯母である大(うふ)グスクヌルに教えを請うが、後継者の若ヌルの教育に忙しく、なかなか教えてもらえなかった。そして、五年後には大グスクも落城してしまい、大グスクヌルも殺されてしまう。出陣の儀式は何とか身に付けたが、まだわからない事は色々と多い。島添大里には八重瀬按司の妹がやって来てヌルとなり、大グスクには八重瀬按司の娘で、以前、大グスク按司の側室になっていたウミカナがヌルになっている。敵のヌルに教えを請うわけにはいかず、糸数(いちかじ)か玉グスクのヌルに頼もうかとも思ったが、大グスクが落城してからは、糸数、玉グスクとも疎遠になって、頼む事はできなかった。
 一昨年(おととし)の秋、父のサミガー大主(うふぬし)の所で働いているウミンチュ(漁師)から、久高島に七年間もウタキ(御嶽)に籠もって祈祷(きとう)を続けている神人(かみんちゅ)がいると聞いた。七年前と言えば島添大里グスクが落城した時だった。もしかしたら、サスカサではないだろうかと思い、すぐにでも久高島に行きたかった。父に頼めば久高島まで連れて行ってくれるだろうが、教えを請うとなると、しばらく留守にしなければならない。今はまだ無理だった。姪のマシューを一人前のヌルにしてから行こうと諦めた。
 去年の正月、サハチがヤマトゥ(日本)に行っている時、兄からサハチの事を聞かれた。
「サハチが島添大里按司を倒して、島尻大里(しまじりうふざとぅ)の山南王(さんなんおう)(承察度)も倒して、浦添(うらしい)の中山王(ちゅうざんおう)(察度)も倒して、今帰仁(なきじん)の山北王(さんほくおう)(帕尼芝)も倒して、この琉球を統一して、戦のない世の中にすると言っているが、お前はどう思う」
 馬天ヌルは驚いた。サハチがそんな大それた事を兄に言っていたなんて、まったく知らなかった。馬天ヌルは呆れた顔をして兄を見ていたが、以前、先代の馬天ヌルが言っていた言葉を思い出した。まだ五歳だったサハチを先代はじっと見つめて、「この子はただ者ではない。お前はこの子を守らなければならない」と言った。
 その後のサハチを見ていても、普通の子と少しも変わる事はなく、その言葉はすっかり忘れていた。しかし、ヒューガたちと一緒に各地を旅して、帰って来たサハチを久し振りに見た時、はっきりとは言えないが、何か違うものを感じていたのは確かだった。まだ自分が未熟で、その事に気づかないだけで、サハチは何かを持って生まれたのかもしれない。
「サハチならやるかもしれません」と馬天ヌルは兄に答えた。
「そうか‥‥‥お前もそう思うか」と兄は真剣な顔でうなづき、腕を組んで考え込んだ。
 兄からサハチの気持ちを聞いた馬天ヌルは、サハチのために何ができるかを考えた。いや、叔母として何をしなければならないかを考え、まずは強くならなければならないと思い、マチルギから剣術を教わった。そして、ヤマトゥから帰って来たサハチを見た時、以前とは違う何かを感じて、サハチならやるに違いないと確信した。今年の正月、マシューを佐敷ヌルに任命すると、サスカサを見つけ出して、必ず教えを請おうと決心したのだった。
 旅に出た一行はまず玉グスク(玉城)に行った。
 玉グスクの城下は、二年前に来た時よりも寂れているようにサハチは感じていた。それでも、初めて来たマチルギと馬天ヌルは市場を見て回っては喜んでいた。マチルギはここより栄えている勝連(かちりん)を知っているが、馬天ヌルは佐敷しか知らない。寂れているとはいえ、佐敷よりは人も多く、賑わっている玉グスクの城下を見て、何を見ても珍しそうに驚いていた。
 こんな調子なら、浮島(那覇)に連れて行ったら腰を抜かしてしまいそうだとサハチは思った。市場を見終わって、次は前回に行かなかった知念(ちにん)グスクに行こうとしたら、「ちょっと待って」と馬天ヌルが言った。
「ヌルに挨拶して行くわ」
 急ぐ旅でもないので、皆、馬天ヌルに従って、玉グスクのヌルの屋敷を捜した。玉グスクヌルの屋敷はグスクの近くにあって、思っていたよりも立派な屋敷だった。門には門番もいて、馬天ヌルが、「サスカサの事で話が聞きたい」と門番に告げると、門番は屋敷の中に入って行った。
「『サスカサ』って何ですか」とサハチは馬天ヌルに聞いた。
「島添大里のヌルの事よ」と言っただけで、詳しい事は教えてくれなかった。
 しばらくして門番は戻って来て、中に入れてくれた。綺麗な花がいくつも咲いている庭に面した一室で待っていると玉グスクのヌルは現れた。六十前後の老婆で、ヌルの装束ではなく普通の格好だったが、神人(かみんちゅ)としての貫禄が感じられた。
 馬天ヌルはサハチたちを紹介してから本題に入った。サスカサは今、久高島にいると玉グスクヌルは言った。その言葉によって、サハチたちは久高島に行く事になったのだった。
 玉グスクヌルの屋敷をあとにして海辺に向かう途中、馬天ヌルはサスカサにやっと会えると言って、サスカサの事を説明してくれた。
「すると、サスカサというヌルは島添大里グスクが落城したあと、玉グスクに逃げて来て、玉グスクのヌルの助けで久高島に渡ったというのじゃな」とヒューガが聞いた。
「そうです。玉グスクヌルはサスカサの伯母さんなの。あの時、無事に逃げる事ができれば、必ず、伯母さんを頼ると思ったのよ」
「クマヌ(熊野)殿から聞いたんじゃが、久高島というのは国造りの神話のある島らしいな。行くのが楽しみじゃな」
 サハチはクマヌが書いた絵地図を思い出していた。久高島にはシラタル親方(うやかた)の流れを汲む武芸者がいるはずだった。会うのが楽しみだった。
「叔母さん、親父が若い頃、久高島で修行したのを聞いていますか」とサハチは馬天ヌルに聞いた。
 馬天ヌルはうなづいた。
「シラタル親方の話は聞いたわ。シラタル親方の娘にフカマヌル(外間ノロ)がいる事も聞いている。フカマヌルを頼って行けば何とかなるでしょう」
 馬天ヌルは嬉しそうだった。島添大里のヌルをずっと捜していたなんて、サハチはまったく知らなかった。ヌルの事はよくわからないが、『サスカサ』というヌルはきっと凄い神人なんだろう。
 海辺に出て、ウミンチュに頼んで久高島に渡った。
 空は晴れ渡り、海も静かで気持ちよかった。
 マチルギは楽しそうに笑っていた。ヒューガも楽しそうだ。馬天ヌルはサスカサとの出会いを期待しながらも、何か不安を感じているようだった。ふと、サハチはヤキチの事を思い出した。必ず、あとを付いて来ているはずだった。果たして、久高島まで来るのだろうか。サハチは後ろを振り返って見たが、あとを付けて来る舟影は見当たらなかった。
 一時(いっとき)(二時間)余りで久高島に到着した。連れて来てくれたウミンチュからフカマヌルの家の場所を聞いていたので、すぐにわかった。
 フカマヌルの家は島の東側にあった。声を掛けると若い娘が出て来た。フカマヌルに会いたいと言うと、「母は今、畑に出ています」と言った。近くだというので、娘に連れて行ってもらう事にした。
 クバ笠をかぶって野良着を着て、畑仕事をしていたフカマヌルは、馬天ヌルが佐敷のサグルーの妹だと知ると、驚いて目を丸くした。
「まあ、そうでしたか」と言って、フカマヌルは海の方を見た。
 昔の事を思い出しているようだった。その顔はとても十七、八の娘の母親とは思えない程に若々しかった。
「懐かしいわ」と言ってから、サハチをじっと見つめて、「もしかして‥‥‥」とフカマヌルは馬天ヌルを見た。
 馬天ヌルはうなづいた。
「兄の息子です」
「そう、あの頃のサグルーさんによく似ているわ。あの時に生まれた子なのね」
「あの時?」
「サグルーさんがここで武術の修行をしていた時、神様のお告げがあったのよ。もうすぐ、子供が生まれるからサグルーさんを佐敷に帰しなさいってね。それで、急に帰ってもらったの。あれからもう十八年も経ったのね。月日が過ぎるのは速いわね」
 フカマヌルはサハチたちを歓迎してくれた。
 父親のシラタル親方は十五年前に亡くなったという。サグルーが帰ったあとも、シラタル親方は息子のマニウシ(真仁牛)に武術を教え続け、すべての技を息子に授けていた。息子はウミンチュとして海で働いているが、武術の修行は続けていて、若い者たちの指導もしているという。マニウシはフカマヌルの家の隣りに住んでいて、海から帰って来ると挨拶に顔を出した。
「サグルーさんの噂は時々、聞いています」とマニウシは日に焼けた顔で目を細めて言った。
「佐敷の按司になったそうですね。共に修行を積んでいた頃、向こう見ずな奴だと思っていたけど、按司になるなんて大したもんです」
 マニウシの捕って来た魚とフカマヌルの畑の野菜を御馳走になりながら、サハチたちは若い頃の佐敷按司の話を聞いていた。
「ところで、昔話を聞くために、この島に来たわけではないんでしょ?」とフカマヌルが言った。
 馬天ヌルはうなづいて、『サスカサ』の事を聞いた。
「サスカサさんは『フボーヌムイ(フボー御嶽)』に籠もったままです」
「九年間もずっとですか」
 フカマヌルはうなづいた。
「いつまで続けるのでしょうか」
 フカマヌルは首を振った。
「サスカサさんはすでに人ではありません。神様になっておられるようです」
「神様になられたのか」とヒューガが驚いた顔をして言った。
「是非、拝んでみたいものですな」
 フカマヌルは笑って、「フボーヌムイには男の方は入れません」と言った。
「ヤマトゥには女人禁制(にょにんきんぜい)の山がいくつもあるが、琉球には男が入れない聖地がいくつもあるようじゃな。それにしても、九年間とは気の遠くなるような話じゃのう」
「島添大里グスクが落城してから、ずっとウタキの中に籠もっているなんて考えられませんよ」とサハチも言った。
「サスカサさんに何か御用があるのですか」とフカマヌルは馬天ヌルに聞いた。
 馬天ヌルは先代の馬天ヌルの遺言を守るために、サスカサから指導を受けたいと言った。
 フカマヌルは馬天ヌルをしばらく見つめてから、ゆっくりとうなづいた。
「兄が按司になったので、按司を守るためのお勤めの事ね」
「そうです。島添大里ヌルは伝統あるヌルとして格式があります。それを是非、学びたいのです」
「わかりました。毎朝、サスカサさんのために食事をお供えしています。その時、一緒に行きましょう。ただ、サスカサさんは神様のお告げ意外に話をする事はありませんので、あなたが話ができるかどうかはわかりません。教えを請う事も難しいと思います」
 馬天ヌルはフカマヌルにお礼を言った。たとえ断られたとしても、ここで引き下がるわけにはいかない。石にかじりついてでも、サスカサから教えを受けなければならないと強い覚悟を決めていた。
 フカマヌルの家は狭いので、隣りのマニウシの家に泊めてもらう事になった。マニウシの家は大きな屋敷だった。この島で家格のある家柄のようだ。お客用の離れもあって、サハチたちはそこに案内された。
 マニウシには四人の子供がいた。長男のシラタル(四郎太郎)は十六歳で、父と一緒に漁に出ている。長女のウムトゥ(思戸)は十四歳で、来年は玉グスクに仕える事になっている。その下に十一歳の男の子、グルータ(五郎太)と八歳の女の子、マカミー(真亀)がいた。
 驚いた事にマニウシの妹、フカマヌルの妹でもあるウミタル(思樽)は玉グスク按司の妻になっているという。それで、長女は玉グスクに仕えるらしい。
 名のある武将の娘だったので、按司の妻になれたのかと思ったら、それだけではないという。
 シラタル親方は浦添按司に仕えていた武将で、当時の浦添按司は、玉グスクに婿養子に入っていた玉城(たまぐすく)だった。玉城が亡くなり、息子の西威(せいい)の代になった時、察度(さとぅ)に滅ぼされた。玉城の法要で極楽寺に集まっていた西威の一族は、察度の兵によって皆、殺された。極楽寺から脱出した西威の妹、ウミチル(思鶴)と出会ったシラタル親方はウミチルを連れて、その場から逃げ、城下に向かうが、城下もすでに火の海になっていた。シラタル親方は家族の事も諦めて、ウミチルを連れて玉グスクまで逃げた。法要に参加していた玉グスク按司極楽寺で殺されていて、玉グスクでは戦の準備に大わらわで、ウミチルを預かるどころではなかった。ウミチルも知っている人のいない玉グスクよりも、祖母の故郷の久高島に行きたいと言った。久高島に逃げて来た二人はいつしか結ばれて、三人の子供が生まれたのだった。その母も二年前に亡くなったという。
「隣りの娘さんじゃが、父親はおらんのか」とヒューガが何気なく聞いた。
「あれ? 聞きませんでしたか」とマニウシは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「どうして隠しているんだろう」
「若ヌルさんはおいくつですか」と馬天ヌルが聞いた。
「十八ですが」
「十八」と言って馬天ヌルはサハチを見た。
「もしかしたら‥‥‥」
 マニウシはうなづいて、「サグルーさんです」と言った。
「ええっ!」とサハチは腰が抜けるかと思うほどに驚いた。
「あの娘の父親が、俺の親父なのですか」
 マニウシはもう一度うなづいた。
「という事は俺の妹になるのか」とサハチは馬天ヌルの顔を見た。
 馬天ヌルも驚いて呆然としていた。
「そうね」と馬天ヌルはうなづき、「あたしの姪っ子だわね」と言った。
「まったく、兄さんたら‥‥‥信じられない‥‥‥兄はこの事を知っているの?」
 マニウシは首を傾げた。
「あのあと、ここには来ていませんから、知らないでしょうね」
「佐敷按司も男じゃったのう」とヒューガが大笑いした。
「フカマヌル殿は今でも美しいが、十八年前はまるで天女のような美しさだったじゃろう」
「それにしたって‥‥‥」と馬天ヌルはブツブツと文句を言っていた。
「わしにはよくわからんのじゃが、ヌルというのは男と一緒になってもかまわんのかね?」とヒューガが馬天ヌルに聞いた。
「姉が言うには、『マレビト神(がみ)』なら許されるそうです」とマニウシが答えた。
「マレビト神というのは他所(よそ)から来た人という意味か」
「はい。ただのマレビトではなく、マレビト神でなければなりません。姉にとって、マレビト神はサグルーさんだったようです」
「成程のう。わしもマレビトだが神ではないという事じゃな」
「えっ?」と言って馬天ヌルがヒューガを見て笑った。
「そんな事ないわよ。あなたもマレビト神になれるわよ」
「別に神様にならなくてもいいんじゃが、もう一つ、わからない事がある。島添大里ヌルはどうして『サスカサ』と呼ばれておるんじゃ」
「それは『神名(かみなー)』よ。ヌルには皆、神名があるの。島添大里ヌルは歴史が古くて、神名のサスカサ(差笠)の方が有名になったのよ」
「他にも有名な神名はあるのか」
「玉グスクは『アマツヅ(天次)』、垣花(かきぬのはな)は『ウシカサ(押笠)』、浦添は『チフィウフジン(聞得大君)』、島尻大里は『ウワムイ(上盛)』よ」
「ほう。馬天ヌルの神名は?」
「あたしは『チルチミ(照君)』」
今帰仁は?」とマチルギが聞いた。
今帰仁は『アキシヌ(明篠)』だったかしら? よくわからないわ」
「佐敷ヌルは?」とサハチは聞いた。
「佐敷ヌルの神名はあたしが考えたの。『ツキシル(月代)』よ」
「ツキシルといったらあの石じゃないか」
「そう。あの石はサハチの守り神でしょ。佐敷ヌルもあなたの守り神なのよ」
 次の日、朝早くからフカマヌルと若ヌルのウミチルに連れられて、馬天ヌルとマチルギはサスカサが籠もっているというフボーヌムイに出掛けて行った。マチルギは行くつもりはなかったが、「あなたも兄弟を守る『ウナイ神(がみ)』でしょ」とフカマヌルに言われて連れて行かれた。
 サハチは、「サスカサの神様を拝んで来い」と言って気楽に見送ったが、二人はいつになっても帰って来なかった。
 マニウシは倅と一緒に海に出て行き、マニウシの奥さんは用があると言って、子供たちを連れてどこかに行った。残されたサハチとヒューガは浜辺に出て、棒術の稽古に励んだ。
 夕方にマニウシが帰って来た。サハチとヒューガの稽古を見て、お手合わせをお願いしたいと言って来た。サハチが立ち会おうとしたらヒューガに止められ、ヒューガとマニウシが棒を持って試合をした。
 マニウシはサハチが思っていた以上に強かった。試合をしたら確実にサハチが負けていただろう。二人が繰り出す棒の技を見ながら、サハチは改めて棒術の奥の深さを感じていた。まだ、二人のように棒を自由に操れない事を悟り、さらに修行を積まなければならないと思った。
 試合はヒューガが紙一重の差で勝った。試合のあと、マニウシはヒューガにお礼を言っていた。
「親父が亡くなってから、自分よりも強い者と戦った事はなく、多少、自惚れていた所があります。今、ヒューガ殿と戦って、まだまだ修行が足らないと実感いたしました。これからも工夫しながら修行に励みます」
「それは、わしも同じじゃ」とヒューガは言った。
「わしの方こそ感謝しておる。次回、ここに来るのが楽しみになって来た」
 マニウシとヒューガはお互いに笑い合って、意気投合したようだった。その後も二人は武芸について語り合い、サハチは二人の話を聞いていた。
 暗くなってから、ようやく、フカマヌルが戻って来たが、馬天ヌルとマチルギの姿はなかった。
「あの二人、今晩はフボーヌムイに籠もる事になったわ」とフカマヌルは言った。
 理由を聞くと、「昨日、神様のお告げがあったらしいの。待ち人が来るっていうお告げだったらしいんだけど、サスカサさんには意味がわからなかったみたい。別に待っているような人はいなかったらしいわ。それでも、あの二人を見たら、神様の言った意味がわかったらしくて、二人を喜んで迎えたわ。そして、今までずっと神様にお祈りしていたの。マチルギを連れて帰ろうとしたんだけど、駄目だって言うのよ。あたしだけ帰っていいと言うので、ウミチルも置いて来たわ。明日、また行ってみるけど、どうなるかわからないわね」とフカマヌルは首を傾げた。
「神様のお告げの待ち人が、あの二人だったのですか」とサハチは聞いた。
「よくわからないけど、そうらしいわ。九年間、待っていた甲斐があったって喜んでいたわ」
「神様の言う事はまったく、わけがわからんな」とヒューガが言った。
 次の日の夕方、フカマヌルに連れられて、マチルギとウミチルは戻って来た。二人とも疲れ切った顔をしていて、何を聞いても答えなかった。休ませた方がいいとフカマヌルが言うので、二人を休ませて、馬天ヌルの事を聞くと、フカマヌルは首を振った。
「馬天ヌルさんの願いがかなって、サスカサさんの指導を受ける事になったの。でも、いつ終わるかわからないそうよ。一月になるか、あるいは一年になるか。先に帰るように伝えてって言われたわ。終わったら佐敷までちゃんと送り届けるわ」
 サハチたちは馬天ヌルの事をフカマヌルに頼んで、翌朝、マニウシの舟に乗って知念に渡った。
 朝になったら、マチルギは元気になっていた。何があったのか聞いても、はっきり覚えていなかった。サスカサの事を聞くと、あの人はまさしく神様だったと言った。