長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

29.長男誕生(最終決定稿)

 久高島に馬天ヌルを残して、サハチ、ヒューガ、マチルギの三人は知念(ちにん)グスクの城下を見て、垣花(かきぬはな)グスクの城下を見て、また玉グスクの城下に戻って来た。
「そろそろ帰るか」とサハチがマチルギに聞くと、マチルギはまだ駄目というように、強く首を振った。
 サハチはヒューガと顔を見合わせて、山南王(さんなんおう)の城下、島尻大里(しまじりうふざとぅ)に向かった。
 玉グスクの城下とは対照的に、島尻大里の城下は賑わっていた。やはり、明国(みんこく)との交易は城下を豊かにして、人々が集まって来るようだった。マチルギは一人ではしゃいでいたが、いい話し相手だった馬天ヌルがいなくなって、少し寂しそうだった。
 カデシガーの泉で一休みしていた時、「あたし、神様になったみたい」とマチルギが空を見上げながら急に言った。
「ええっ」とサハチは驚いて、マチルギの顔を見た。
「女の人は誰でもウナイ神(がみ)で、兄弟を守るシジ(霊力)があるって事は知っていたけど、あたし、今までそんな事を意識した事はなかったの。でも、あのフボーヌムイに籠もって、あたしにもシジがあるんだってわかったわ。今朝は頭がぼんやりしていて、よく思い出せなかったけど、歩いているうちに少しづつ思い出してきたの。あの森の中でお祈りを続けていたら、神様が降りて来たのを感じたわ。そして、神様は何かを言ったの。何を言ったのか、まだ思い出せないんだけど、そのあと、飛んだり跳ねたり、踊り回ったような気がする。そして、あそこを出る時、サスカサの神様から神名(かみなー)を授かったのよ」
「マチルギが神名を授かったのか」とサハチは驚いて、ヒューガを見た。
 ヒューガも驚いた顔をしてマチルギを見つめていた。
「やっと思い出したの。あたしの神名はムムトゥフミアガイ(百度踏揚)って言うの」
「ムムトゥフミアガイ‥‥‥ほう。お前は神様になったのか」
 マチルギは真剣な顔で、サハチを見つめてうなづいた。
 島尻大里をあとにして、三人はシタルーが移った豊見(とぅゆみ)グスクを目指した。
 途中、糸満(いちまん)の沖に浮かんでいる進貢船(しんくんしん)が見えた。去年は明に行かなかったようだ。中山王(ちゅうざんおう)の船は去年も、山北王(さんほくおう)の使者を乗せて行き、先月に無事に帰って来たと聞いている。山北王は明から船を下賜(かし)されず、相変わらず、中山王の船に便乗していた。
 糸満から北上して国場(くくば)川に出て、上流の方に向かうと、こんもりとした丘の上にある豊見グスクはすぐにわかった。
 思っていたよりも、かなり大きなグスクだった。グスクを囲む石垣はまだ普請中だったが、門には門番がちゃんといて見張っていた。
 サハチが門番に近づこうとしたら、マチルギが袖を引いた。
「駄目よ」とマチルギは言って首を振った。
「大丈夫だよ。シタルーは遊びに来いと言ったんだ」
「駄目。彼は敵なのよ」
「わしも何か嫌な予感がする」とヒューガも言った。
 サハチは門の奥の方にある新しい屋敷を見つめてから、マチルギにうなづいた。
「そうだな。シタルーは敵だ。島添大里(しましいうふざとぅ)按司の倅なんだから、本心は何を考えているかわからない。やめておこう」
 三人は豊見グスクから離れ、悠々と流れている国場川を渡し舟に乗って浮島に渡り、ハリマの宿屋に向かった。
 去年の今頃は、明からの進貢船が帰って来た時で、それを待っているヤマトゥからの船が何隻も泊まっていたが、今年は皆、もう帰ったとみえて浮島もそれ程の賑わいではなかった。
 ハリマの宿屋も空いていた。
 サハチとマチルギの顔を見ると、「おう、一緒になったそうじゃのう。めでたい事じゃ」とハリマは歓迎してくれた。
 どうして知っているのか不思議だったが、二か月程前、クマヌが来てサハチたちの婚礼の話をして行ったという。
「大層、賑やかな婚礼だったそうじゃのう。めでたい。めでたい」とハリマは笑った。
 お祝いだと言って、ハリマが用意してくれた料理と酒の御馳走になり、部屋に戻るとマチルギが、「思い出したわ」と言った。
「何を思い出したんだ」とサハチが聞いた。
「神様は、『あなたを守りなさい』って言ったのよ。それが、あたしの兄弟も守る事になるって言ったの」
「俺を守るとサムたちを守る事になるのか」
「神様がそう言ったの」
「神様ってサスカサさんの事か」
 マチルギは首を傾げて、「サスカサの神様じゃなかったわ。別の神様だったと思う」
「どの神様でもいいが」とヒューガが言った。
「豊見グスクで、サハチを止めたのは神様のお告げじゃったのか」
 マチルギはうなづいた。
「あの時、誰かが言ったんです。行ってはいけないと」
「ふーむ。神様のお告げか‥‥‥」とヒューガがうなった。
「強い味方ができたな。わしにはよくわからんが、この島には神様がいっぱいいるようじゃ。神様は味方にした方がいい」
「もし、あの時、シタルーを訪ねていたら、どうなったんだろう」とサハチが言った。
「よく来たと歓迎してくれたかもしれんな」とヒューガが答えた。
「しかし、あの中で殺されたとしても、わしらは行方知れずになってしまったと片付けられてしまう。わしらがあそこに入った事は誰も知らんからな。危険な場所に入る時には、それなりの準備が必要だという事じゃ」
「そうか。シタルーが気楽に佐敷グスクにやって来た時も、それなりの準備をしていたという事ですね」
「そういう事じゃ。若按司は将来、按司になる。按司になるべき男は、それくらいの注意は怠らんようにせんとな」
 今後は気を付けなければならないと肝に銘じながら、サハチはうなづいた。
 次の日、波之上権現(ごんげん)にお参りして、唐人(とーんちゅ)たちの住む久米(くみ)村を見学した。
 高い土塁に囲まれた久米村の中は、びっしりと家々が建て込んでいて、まるで、迷路のようになっていた。中央の大通りから脇道に入ってしまうと道に迷ってしまう。ここも日を追う事に、住む人たちが増えているようだった。噂では明国で悪事を働き、役人に追われて琉球まで逃げて来た、ならず者たちも多いという。
 浮島を離れ、浦添(うらしい)の城下を見てから佐敷へと帰った。
 わずか五日間の旅だったが、旅から帰って来てからのマチルギは以前と変わっていた。敵討ちの事しか考えていなかったマチルギが、少し広い視野に立って物を見るようになっていた。伊波(いーふぁ)按司の娘として敵討ちを諦めてはいないが、佐敷の若按司の嫁として、敵である島添大里按司を倒す事を真剣に考えるようになっていた。
 久高島にいた若ヌル、ウミチルの事を父に話した方がいいか悩んだが、マチルギの勧めもあって本当の事を話す事にした。
 父は話を聞いて驚いた。久高島に自分の娘がいるなんて、夢にも思っていなかったようだった。
「そうか、フカマヌルがわしの娘を産んだのか‥‥‥可愛い娘じゃったか」
 サハチはうなづいた。
「俺と同じ年齢(とし)で、母親に似て綺麗な娘さんでした」
「そうか‥‥‥綺麗な娘か。若ヌルという事は母親の跡を継いで、フカマヌルになるんじゃな」
「そのようです」
「久高島か‥‥‥いつか、会ってみたいものじゃ」そう言って、父は目を閉じた。
 十八年前の事を思い出しているようだった。目を開けると、「母さんにはこの事は内緒にしてくれ」と言って片目をつぶった。
 新しく大グスク按司となったヤフスは相変わらず、何も言っては来なかった。
 クマヌが調べた所によると、大グスクに来た当初、目障りな佐敷按司を攻め滅ぼしてしまえと言っていたそうだが、父の島添大里按司にきつく止められたらしい。佐敷按司を滅ぼすのは簡単だが、そうすると鮫皮を作っているサミガー大主は馬天から逃げて別の場所に行ってしまう。そうなればヤマトゥの船も馬天泊(ばてぃんどぅまい)には来なくなる。わずかな土地を手に入れるために、ヤマトゥとの取り引きを台無しにするわけにはいかんと言われたようだ。ヤフスも佐敷攻撃は諦めて、新しく入れた側室を可愛がっているという。
「新しい側室というのは、大グスクの城下の娘なのですか」とサハチはクマヌに聞いた。
「いや、違うじゃろう。親父が送り込んだらしい」
「島添大里按司が倅に側室を与えたのですか」
「親父が子供におもちゃを与えたんじゃろう。おとなしくしているようにな」
「成程。できれば、こちらから誰かを送り込みたかったな」
 クマヌはうなづいた。
「その事はわしも考えている。マチルギが教えている娘たちの中から気に利いた娘を選んで、敵地に送り込もうと思っている。命懸けの仕事じゃから、よく仕込まなければならん。あと二年くらい待っていてくれ。つなぎの者も仕込まなければならんからな」
「つなぎの者か‥‥‥やはり、職人がいいのだろうか」
「ヤキチの配下の者を使うか、あるいは女の商人を出入りさせるという手もある。白粉(おしろい)や簪(かんざし)などを持ってな」
「成程。それもマチルギの教え子が使えるな」
「そうだ。マチルギが娘たちに剣術を教えると言った時、娘に武芸など教えて何になると思っていたが、裏での使い道は色々ある事に気づいたんじゃ。ただ、どれも命懸けじゃからな、娘たちにその気がなければ無理強いはできん」
「そうだな。敵にばれれば殺されてしまう」
「焦らずに着実にやらなければならん」
 七月に中山王の察度が、浮島で新しく作らせた船に使者を乗せて高麗(こーれー)へと向かわせた。その船には、倭寇によって琉球に連れて来られた高麗人(こーれーんちゅ)が数十人乗っていた。勝連(かちりん)のウニタキの願いがかなったようだった。
 八月には大きな台風がやって来た。
 台風は毎年、何回かやって来るが、今回の台風はひどかった。佐敷グスクはそれ程の被害はなかったが、海の近くの家々は破壊され、祖父のサミガー大主の所でも作業場の屋根が飛んだり、舟が流されたりと、かなりの被害を受けていた。留守中の馬天ヌルの屋敷もひどい有様だった。屋根はなくなり、飛ばされて来た小舟(さぶに)が屋敷の中に突っ込んでいた。
 台風の時は勿論の事、台風が過ぎたあとも、佐敷グスクの大広間と庭に建てられた仮説の避難小屋は避難民で溢れていた。被災地の後片付けに一月余りを要し、壊れた家を再建して、避難民が大広間と仮説の避難小屋からいなくなったのは、年の暮れ近くになっていた。
 グスクの庭に避難小屋が建てられていた間、娘たちの剣術の稽古は中止となり、マチルギは娘たちを引き連れて、被災地を巡って後片付けを手伝っていた。それは避難民たちにとって大きな励みになっていた。按司や若按司が家臣たちを引き連れて、領民のために働くのは当然だが、若按司の奥方が領民のために泥だらけになって働く姿は皆を感動させ、家財産を失って途方に暮れていた人々に勇気を与えたようだった。
 マチルギに影響されて、サハチの母も侍女たちを連れて、グスク内の避難民たちの怪我の治療や病人の看護に当たっていた。領内の者たちの心が一つになって、復興を目指して働いた。
 そんな最中、久高島から半年振りに馬天ヌルが帰って来た。
 馬天ヌルが帰って来た時には、グスク内の避難民の数もかなり減っていたが、状況を知ると被災地を見て回り、マチルギたちを手伝った。
 日暮れ近くになって、馬天ヌルはマチルギと一緒に東曲輪(あがりくるわ)に挨拶に来た。汚れた野良着姿のままだったが、馬天ヌルの顔つきは、余計な物をすべて捨て去ったかのようにさっぱりとしていて、何となく霊気が漂っているかのような神々(こうごう)しさが感じられた。
「叔母さんも神様になったようですね」とサハチは思わず言った。
「半年間、思いもしなかったような体験を何度も経験したわ。本当にサスカサさんと出会えてよかったと思っている」
「マチルギから大体の事は聞きましたが、サスカサさんは叔母さんが来る事を知っていたようですね」
 馬天ヌルは軽く笑ってうなづいた。
「フボーヌムイに入って、森の中の広場のような所にサスカサさんはいたわ。初めて見た時、凄い力を感じたの。サスカサさんはあたしたちに背を向けて座って祈っていたわ。あたしとお師匠(マチルギ)と若ヌルは広場の入口の近くに座らされて、フカマヌルさんがサスカサさんの側まで行って声を掛けたの。あたしたちが来た事を告げたんだけど、サスカサさんは祈りをやめなかった。あたしはやっぱり駄目かと思ったの。そしたら、サスカサさんが急に振り返って、あたしたちを見たの。凄く眩しくてね、サスカサさんの顔は見えなかったわ。その眩しい光の中から、あなたが来るのを待っていたと言ったのよ。あたしは知らずに頭を下げていたわ。しばらくして、顔を上げると眩しい光は消えていて、サスカサさんが見えたの。思っていたよりもサスカサさんは若かった。あたしと同じくらいの年齢(とし)に見えたわ。そして、その顔は優しく笑っていたの。そこからあとの事はどうしても思い出せないのよ。気がついてみると、お師匠も若ヌルもいなくなって、サスカサさんと二人だけになって、毎朝、フカマヌルさんが食事を持って来てくれたわ」
「叔母さんが望んでいた教えは受けたのですね」とサハチは聞いた。
 馬天ヌルは首を振った。
「教えてくれなかったわ。すべて、神様の言われた通りにすればいいって。儀式には色々としきたりがあるけど、そんなのはあとからできた事だから気にしなくていい。神様の言われるようにすれば、それでいいって言われたの」
「それじゃあ、神様が何も言わなければ、何もできないじゃないか」
「そうね。でも、それは違うのよ。神様は常に何かを伝えようとしているの。それに気づかなくてはならない。常に心を磨いて、神様が伝えようとしている事を受け止めなければならないの」
「何だか難しそうだな‥‥‥それで、ずっと祈り続けていたのですか」
 馬天ヌルはうなづいた。
「夜も?」
「夜はちゃんと眠ったわ。時には神様に起こされる事はあったけど」
「森の中で眠るのですか」
「いいえ。お祈りする広場の近くに小屋があって、夜はそこで眠ったわ」
「半年間もよく絶えられましたね」
 馬天ヌルは笑った。
「何度も逃げ出そうと思ったけど、その度に神様に止められたのよ。半年が経って、やっと、帰りなさいと言ってくれたの」
「神様が?」
「そう」
「そういえば、あの凄い台風の時も祈り続けていたの」
「あの時は怖かったわ。森が恐ろしい声で鳴いていたのよ。逃げ出したかったけど、あの時、なぜか、体が動かなかった。サスカサさんは何事もないかのように祈り続けているし、もう死んでもいいと思いながら祈り続けたのよ。物凄い雨と物凄い風の中で。その時、見えたの、馬天浜が。浜に上げておいた舟が風に飛ばされたり、父の作業場の屋根が飛ばされたりするのが見えたの。あたしは必死になって、みんなの無事を祈ったわ。気がついたら、いつの間にか台風は過ぎて、日差しが差していた」
「久高島にいて馬天浜の様子を知るなんて凄いな。そんな事ができるなんて、叔母さんは本当に神様になったんだな」
「まだ、新米の神様よ」と馬天ヌルは明るく笑った。
「サスカサの神様はまだ、籠もったままなのですか」
「そうなのよ」
「いつまで籠もるつもりなのです」
「神様が帰りなさいって言うまででしょうね」
「信じられない」とサハチは首を振った。
 マチルギが着替えて顔を出したので、マチルギの神名(かみなー)の事を聞いてみると馬天ヌルはうなづいた。
「お師匠(マチルギ)が急に踊り始めたのは、おぼろげながら覚えているの。でも、いつ帰ったのかはわからない。神名の事はあとでサスカサさんから聞いたの。あたしも新しい神名を授かったのよ」
「新しい神名ですか」
「そう。ティーダシル(日代)よ」
ティーダって太陽の事?」
「そう。あたしがティーダシルで、佐敷ヌルがツキシル(月代)なの。これで日と月が揃ったのよ。あたしは佐敷ヌルの神名がツキシルだって教えていないんだけど、サスカサの神様は何もかも知っていたのね」
 その後の馬天ヌルはマチルギたちと復興を手伝い、剣術の稽古にも励み、時にはヒューガの屋敷に出入りして、何かと世話を焼いているようだった。壊れた自分の屋敷の再建は一番最後でいいと言って、その時の気分で、サミガー大主の屋敷や佐敷ヌルの屋敷に泊まっていた。以前は、ヌルはこうあらねばならないという型にはまって生きていた馬天ヌルだったが、久高島から帰って来てからは、ヌルという堅苦しさから解放されて、自由気ままに生きていた。それでも、馬天ヌルの回りに漂う目に見えないシジ(霊力)のお陰か、以前よりも、みんなから尊敬を受けているような感じがした。
 馬天ヌルを久高島から送って来たのはマニウシだった。
 佐敷按司はマニウシとの再会を喜び、娘を育ててくれたお礼を言った。その夜は、昔話を肴(さかな)に酒を飲み交わし、翌日、二人はグスクの庭で棒術の試合をした。
 サハチとマチルギも見ていたが、二人とも凄かった。
 サハチは父親の強さを実際に目にしたのは初めてだった。伯父の苗代大親(なーしるうふや)から話は聞いていたが、思っていた以上の強さだった。
 試合は引き分けだった。引き分けだったが、父が無理に勝たなかったという事はサハチにもわかったし、多分、マニウシにもわかったのだろう。マニウシは、これからも修行に励むと言って、気分よく帰って行った。
 その頃から、マチルギのお腹が大きくなっているのが目立ってきた。大きなお腹をしながらも、マチルギは娘たちに剣術を教えていた。
 その年の暮れ、高麗に行った船が浮島に帰って来た。その船は、高麗の船を一緒に連れて来ていて、高麗からの使者が初めて琉球に来たのだった。倭寇によって連れ去られて来た高麗人を故郷に帰した事によって、高麗との交易が始まったようだった。
 年が明けて二月の七日、マチルギは元気な男の子を産んだ。
 サハチの長男は佐敷按司の名前をもらって、サグルーと名付けられた。