長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

31.今帰仁合戦(改訂決定稿)

 洪武(こうぶ)二十四年(一三九一年)四月一日、佐敷按司(さしきあじ)は五十人の兵を引き連れて出陣して行った。苗代大親(なーしるうふや)、兼久大親(かにくうふや)、クマヌ(熊野大親)、ヤシルー(八代大親)、美里之子(んざとぅぬしぃ)が、佐敷按司に従っていた。各按司の軍勢は浦添(うらしい)グスクに集結してから、今帰仁(なきじん)を目指して進軍するらしい。
 留守を守るのは、若按司のサハチ、与那嶺大親(ゆなんみうふや)、屋比久大親(やびくうふや)、美里之子の弟の當山之子(とうやまぬしぃ)、ヒューガ(三好日向)と五十人の兵だった。いざとなれば、叔父のウミンターが率いるウミンチュ(漁師)たちも、マチルギの教え子の娘たちも兵力となる。マチルギはここに残る事に決めたあと、娘たちに弓矢を教えていた。グスクを守るには剣術よりも弓矢の方が有効だった。
 サハチは奥間鍛冶屋(うくまかんじゃー)のヤキチに頼んで、浦添と島添大里(しましいうふざとぅ)、大(うふ)グスク、糸数(いちかじ)の様子を探るように頼んだ。ヤキチは任せておけと喜んで引き受けてくれた。
 四月の五日、浦添に集まった大軍は、北に向けて進軍したとヤキチから伝えられた。集まった兵はおよそ一千人で、総大将のフニムイ(浦添按司)は船に乗って北に向かって行った。勝連(かちりん)や中グスクの兵は来ていないので、途中で合流するようだとヤキチは言った。
 一千人の兵はどこを通って行くのだろうかとサハチは思った。西海岸は険しい道なので、馬で行くのは無理だった。東海岸は馬で行けない事もないが、途中に大きな川がいくつもあった。どちらを通っても難所がいくつもあって、敵に待ち伏せされたら、かなりの被害が出そうだった。
 その日の夕方、大グスクに不穏な動きがあるとヤキチが知らせて来た。うるさい父親がいなくなったので、ヤフス(屋富祖)が佐敷を攻めて来るかもしれなかった。サハチは領内の人たちにグスクに避難して来るように命じて、守りを強化した。
 グスク内の庭は避難して来た村人たちで埋まったが、東曲輪(あがりくるわ)の庭もあるので、まだまだ余裕があり、守備兵の邪魔になる事はなかった。
 ウミンターとウミンチュたちもやって来て、武器を持って守備に就いた。
 マチルギは嫁入りの時に持って来た白糸威(おどし)の鎧(よろい)を身につけて、弓を持った娘たちを配置に付けた。娘たちも与えられた鎧を身につけていた。勿論、今年入ったばかりの娘はいない。去年まで修行を続けていた十六人で、その中に馬天ヌルと佐敷ヌル(マシュー)、侍女たちは入っていない。馬天ヌルと佐敷ヌルはグスク内にある佐敷ヌルの屋敷で、佐敷按司と若按司の必勝と無事を祈願している。侍女たちは屋敷内でサハチの家族を守っていた。
 佐敷グスクは要所要所に篝火(かがりび)が焚かれ、夜になっても昼間のような明るさだった。守備兵たちは交替で休み、夜間も怠りなく警固に励んだ。
 サハチは東曲輪の屋敷で、ヒューガと共に待機していた。本曲輪の方には、与那覇大親と屋比久大親がいた。當山之子は休む事なく、グスク内を見回っていた。
 夜が明ける前の早朝、まだ薄暗い中、敵は攻めて来た。
 こちらが眠っていると思っているのか、足音は忍ばせているが堂々と正面からやって来た。弓矢を背負って松明(たいまつ)を持っている。敵の数はおよそ三十人だった。
 知らせを受けたサハチは、ヒューガと一緒に庭の前方に向かった。眠っている避難民たちを起こさないように注意しながら、土塁のそばまで行くと、すでに、マチルギたちが土塁の内側にある武者走りで、弓矢を構えて待機していた。
 マチルギはサハチを見ると、準備完了というようにうなづいた。
「充分に敵を引きつけてから撃てよ」とヒューガが低い声で言った。
 敵は大御門(うふうじょう)(正門)の前、三十間(けん)(約六〇メートル)程の所で止まって、火矢を撃つ準備を始めた。
「よし、撃て!」とマチルギが命じた。
 娘たちが放った矢が敵に向かって飛んで行った。
 不意を突かれた敵は次々に弓矢に倒れ、慌てて後退して行った。何人かが倒れたまま、取り残されているようだが暗くてよく見えない。五十間程離れた敵は、再び火矢の準備を始めた。
「よし、撃て!」とマチルギが命じて、娘たちは矢を放ったが、残念ながら敵に当たった様子はなかった。
 次々に火矢が弧を描きながら飛んで来た。
 本曲輪の方で法螺貝(ほらがい)が鳴り響いた。眠っていた避難民たちが起きて、火矢を見て騒ぎ始めた。火矢は本曲輪内の二の曲輪の辺りまで飛んで来ていた。
 サハチは當山之子に二十人の兵を付けて、大御門から出撃させた。そして、ヒューガが十人の兵を連れて南御門(ふぇーぬうじょう)(裏門)から出て行った。ヒューガはグスクを迂回して、敵の後方に出て挟み撃ちにする作戦だった。
 火矢に逃げ惑う避難民たちを前方の土塁のそばに集め、見張りの兵を除いて他の者たちは火消しに走り回った。
 當山之子の攻撃のお陰で火矢も止まった。
 辺りも大分明るくなってきた。
 火矢にやられた避難民が何人かいたが、幸いに重傷の者はいなかった。建物もそれ程の被害は出ていない。
 グスクの外では當山之子とヒューガが敵を追い払っていた。
 戻って来た兵の中に五人の負傷者がいたが、戦死者は出なかった。
 大御門の前には七人の敵の兵が倒れていた。二人はまだ息があったが、ヒューガが止(とど)めを刺したという。その七人は武器と鎧をはぎ取って風葬地(ふうそうち)に捨てられた。
「何も止めを刺さなくてもよかったのではないですか」とサハチはヒューガに聞いた。
「戦に情けは禁物じゃ」とヒューガは強い口調で言った。
「戦に勝ち抜くには非情にならなければならん。その覚悟ができないなら、島添大里按司汪英紫)を倒す事などできんぞ。島添大里按司は今まで、非情と言われる事を何度もやって、島添大里グスクを手に入れた。そいつを倒すには、奴以上に非情にならなければならん。時には、女や子供も殺さなくてはならんだろうが、それに耐えなければならん」
「わかりました」とサハチはうなづいた。
 自分にそんな非情な事ができるかどうかはわからなかった。しかし、この先、何人もの強敵を倒して行くには、それをやらなければならないとサハチは肝に銘じていた。
 二度目の攻撃に備えて、サハチは兵たちを所定の位置に戻らせた。その後、敵は攻めて来なかった。
 大グスクはそれ程の兵力を持っていないはずだった。シタルーがいた頃、兵力は百人いた。その百人はシタルーが豊見(とぅゆみ)グスクに連れて行き、ヤフスが具志頭(ぐしちゃん)から連れて来た兵は二十人余りに過ぎない。養子だったヤフスが連れて来られる兵はそんなものだった。大グスクに移って、父親の島添大里按司から三十人の兵が与えられて五十人となり、新たに領内から兵を募って、何とか頭数だけは百人となったが、今回の今帰仁遠征に、半数の五十人は出陣しているはずだった。
 わずか三十人で佐敷グスクを攻めて来たのは、グスクを攻め取るのが目的ではなく、単なる脅しだろう。佐敷グスクなど、いつでも落とす事ができるという所を見せたかったに違いない。しかし、逆にやられてしまった。怒ったヤフスは、今度は夜襲を仕掛けて来るかもしれなかった。
 ところが、大グスクでは異変が起こっていた。
 佐敷ではグスク内も落ち着いて、炊き出しをしていた頃、ヤキチがやって来た。ヤキチの報告によると、大グスクが炎上して、糸数の兵に占領されたようだという。
 夜明け前のまだ暗いうちに、松明を持った兵が大グスクから出て来て佐敷に向かった。夜が明けてから兵たちが戻って来た。負傷兵もいて、大将は不機嫌そうに悪態をついていた。その後は何事も起こらなかったが、辰(たつ)の刻(午前八時)頃、荷物を積んだ荷車が大グスクに入って行った。それからまもなくして、グスク内に火の手が上がり、どこかに隠れていたのか、糸数の兵がグスク内に攻め込んで、グスクを奪い取ったという。
 サハチは思ってもいなかった展開に驚き、ヒューガと顔を見合わせた。
「大グスク按司(ヤフス)がどうなったのかはわからんのじゃな」とヒューガがヤキチに聞いた。
「わかりません。糸数の兵は百人近くいたようですから、やられてしまったのかもしれませんねえ」
「兵が攻め込んだという事は、グスク内に手引きした者がいるという事だな」とサハチが聞いた。
「多分、荷車を運び込んだ者たちでしょう」
「荷車か‥‥‥何を運び入れたのだろう」
「それはわかりません」とヤキチは首を振った。
「このままで済めばいいんじゃがのう」とヒューガが言った
「島添大里が大グスクを奪い返すために動くというのですか」とサハチはヒューガに聞いた。
「いや、その逆じゃよ」とヒューガは言った。
「島添大里は留守を守る兵がいるだけで、大グスクを攻める兵力はないはずじゃ。それに引き換え、糸数、玉グスク、垣花、知念は今回の遠征に参加していないので充分な兵力がある。島添大里を落とせと連合して攻めるかもしれん」
「連合したら落とせますかね」とサハチは聞いた。
「連合したとしても兵力は三百といった所じゃろう。三百の兵であのグスクを落とすのは難しい。グスク内に手引きする者がいれば別じゃがのう」
 次の日、糸数按司からの使者が佐敷グスクにやって来た。サハチは呼ばれて、ヒューガと一緒に本曲輪に行った。
 サハチが使者と会うと、明日、島添大里グスクを総攻撃するので、是非、参加するようにとの糸数按司の言葉を伝えた。サハチは即答はせず、使者を待たせたまま、別室で重臣たちと相談した。
「断るべきじゃ」と与那嶺大親は言った。
按司様(あじぬめー)より、糸数から何を言って来ても動くなと言われておる」
「それはわかるが、ここで参加しないと佐敷は完全に孤立してしまうぞ」と屋比久大親は言った。
「守備兵が少ないとはいえ、島添大里グスクを落とすのは難しい」とヒューガは言った。
「今の状況を考えるより先の事を考えた方がいい。佐敷が島添大里の包囲軍に加わったら、島添大里按司が帰って来た時、攻められる可能性がある。その時、糸数や玉グスクが助けに来てくれるとは思えん。動かずにいれば、以前と同じ状況が続くじゃろう」
「もし、島添大里グスクが落とされたらどうします」と屋比久大親が言った。
「島添大里グスクが落城すれば、その勢いに乗って、ここを攻めて来るじゃろう。守り通すしかない。しかし、島添大里グスクを落とすには、グスク内に内通者がいなければ不可能じゃ。油断のない島添大里按司が、内通者を見逃す事はないと思うがのう」
 サハチは出陣する前に、父が言った言葉を思い出していた。
「糸数から何かを言われて来ても、決して動くんじゃないぞ。村人たちとグスクを守り通せよ」と言った。父はこの事を予測していたに違いなかった。
「断る事にする」とサハチは結論を下した。
 使者はサハチの言葉を聞いて帰って行った。
 翌日、糸数、玉グスク、垣花、知念の兵によって島添大里グスクは包囲され、城下の家々は焼き払われた。
 佐敷グスクは守りを強化して様子を見守った。
 夜になって、包囲している兵たちの松明と篝火に照らされた島添大里グスクが浮かび上がった。
 長い夜が明けた。
 佐敷グスクに敵が攻めて来る事はなかった。
 島添大里グスクが包囲されて三日が経ち、本曲輪の大広間では重臣たちが、このままでいいのか、今からでも遅くはない。参戦した方がいいのではないかと言い争っていた。
 サハチもこれでよかったのか悩んでいた。もし、万が一、島添大里グスクが落城して、包囲していた兵がここを攻めて来たら、持ちこたえるのは難しい。裏切り者として村人たちも皆、殺されてしまうかもしれなかった。
 ヤキチの偵察によると、島添大里グスクの包囲軍は何とかして石垣を越えようと試みるが、上から弓矢を射られて失敗に終わり、火矢を撃ち込んでも、思った程の成果は上げられずに焦っているようだという。詳しい数はわからないが、包囲軍の方はかなりの戦死者が出ているらしい。
 サハチは東曲輪内にある佐敷ヌルの屋敷を訪ねた。
 馬天ヌルと佐敷ヌルが白装束でお祈りを続けていた。サハチは黙って二人を見ていた。やがて、馬天ヌルが立ち上がるとサハチのそばに来た。
「大丈夫よ」と馬天ヌルは言った。
「このままでいいんですね?」とサハチは聞いた。
 馬天ヌルは自信に満ちた顔でうなづいた。
「動いちゃ駄目よ。ここを守り通しなさい」
 サハチは馬天ヌルにうなづくと屋敷から出た。
 避難民たちは皆、疲れ切った顔をしていた。避難して来て、もう七日が経っていた。屋根のない庭で、何もせずにじっとしているのは苦痛だろうが、今の状況では家に帰す事はできなかった。もう少し我慢してくれと避難民たちを励ましながら、サハチは本曲輪に向かった。
 大広間に行って、言い争っている重臣たちに、「絶対に大丈夫だ」と言ってなだめ、東曲輪の屋敷に戻って、サグルーと一緒にいる祖父母の部屋に行った。
 マチルギも来ていてサグルーを抱いていた。マチルギも疲れた顔をしていた。
「いつまで続くのかしら?」とマチルギはサハチに聞いた。
「いつ攻めて来るのかわからない敵を待つというのは疲れるものね」
「かといって、守りを緩めるわけにはいかない。糸数按司の気が変わって、島添大里グスクを諦めて、こっちに向かって来るかもしれない」
「それにしても、大グスクが簡単に落ちてしまうなんて驚きだったわ」
「そうだな。シタルーが大グスクにいたら、たとえ今帰仁に出陣したとしても落とされる事はなかっただろう」
「シタルーは出陣したの?」
「中山王(ちゅうざんおう)(察度)の婿だからな、多分、出陣しただろう」
「大グスクが糸数按司のものになって、佐敷は二つの敵を相手にしなくてはならなくなるわ。これからが大変ね」
「そうだな。以前より悪い状況になってしまった。しかし、何としてでも、守り通さなくてはならない」
 サハチがサグルーを抱いて、あやしている時、侍女のカミーがヤキチが来たと知らせた。サグルーをマチルギに返して、ヤキチの待つ部屋に行くと、ヒューガと當山之子がいた。
「島添大里グスクの包囲軍が引き上げて行きました」とヤキチは言った。
「一体、何が起こったんだ?」とサハチは聞いた。
「詳しい事はわかりませんが、どうも、中山王の兵が玉グスクに向かった模様です」
「中山王が動いたのか」
「そのようです。もしかしたら、山南王(さんなんおう)(承察度)の兵も加わっているかもしれません」
「本拠地が危ないので引き上げて行ったという事だな」
「そのようです」
「糸数の兵も引き上げたのか」
「はい。糸数も本拠地が危ないので引き上げました」
「大グスクにはどれくらい残っている?」
「五十といったところでしょう」
「五十人か‥‥‥ありがとう。引き続き、糸数の動きを探ってくれ」
 ヤキチは頭を下げると去って行った。
 大グスクの糸数の兵が攻めて来る覚悟で守りを固めていたが、敵は攻めては来なかった。
 その後のヤキチの調べでは、中山王と山南王の連合軍は『新(あら)グスク』に入って待機しているという。新グスクから一番近いのは糸数グスクで、糸数按司としても動きが取れないようだった。
 その後、何事もなく六日が過ぎて、四月十八日に佐敷按司が帰って来た。
 避難している村人たちは、歓声を上げて帰還兵たちを迎え入れた。連れて行った五十人のうち、三人の兵が戦死してしまったが、あとの者は皆、無事だった。
 サハチの顔を見ると佐敷按司は、「よく守り通してくれた」と言って、何度もうなづいた。
 佐敷按司は鎧を付けたまま、サハチから留守の間の出来事を聞いた。大グスクが落城したと聞くと、糸数按司が動く事はわかったが、まさか、大グスクを奪い取るとは思ってもいなかったと驚いた。
「島添大里按司も戻って来ているはずだから、このままでは済むまい。領内の人たちを戻すのは、もう少し様子を見た方がよさそうだな」
 サハチが戦の事を聞くと、「今帰仁グスクは落とせなかったらしい」と父は言った。
 四月一日に佐敷を立った佐敷按司たちは、戦の準備のために四日まで浦添で待機していて、五日に進軍を開始した。
 総大将のフニムイと山南王の承察度(うふざとぅ)は兵を引き連れて、船に乗って『運天泊(うんてぃんどぅまい)』に向かった。陸路は二手に分かれて進む事になり、佐敷按司は西海岸を行く事になった。
 西海岸を行くのは船に乗れなかった山南王の兵、中山王の次男の米須按司(くみしあじ)、同じく四男の瀬長按司(しながあじ)、小禄按司(うるくあじ)、豊見(とゅゆみ)グスク按司(シタルー)、そして佐敷按司だった。その日は読谷山(ゆんたんじゃ)の山田まで行き、そこで待っていた山田按司と北谷按司(ちゃたんあじ)が加わり、総勢六百人の兵が、西海岸沿いに『名護(なぐ)』を目指した。途中、馬は通れないと言うので、馬は山田に預けて行く事になった。留守を守る山田の若按司が、あとで宇座按司(うーじゃあじ)の牧場に連れて行くという。
 東海岸を行くのは船に乗れなかった中山王の兵と伊波按司(いーふぁあじ)、勝連按司(かちりんあじ)、越来按司(ぐいくあじ)、中グスク按司、島添大里按司、八重瀬按司(えーじあじ)の総勢六百人の兵が『名護』を目指して進んだ。
 西海岸では、山田按司が先頭に立って険しい道なき道を進み、途中で何度か敵の待ち伏せに遭い、数十人の者が犠牲になった。その時、佐敷の兵も三人がやられている。難所を乗り越えて名護に着くと敵兵が待ち構えていた。そこで合戦があったらしいが、最後尾を行く佐敷按司の兵が名護に着いた時には戦は終わっていて、敵はグスクに逃げ込んだという。その夜は、敵を警戒しながら名護の美しい砂浜で休んだ。
 次の日、佐敷按司の兵五十人と豊見グスク按司の兵五十人は名護グスクの押さえとして、そこに置いて行かれたので、その後の戦の事はまったくわからなかった。
 佐敷按司と豊見グスク按司は十五日までの十日間、名護(なん)グスクと対峙していた。敵の兵を押さえているのが任務なので、無理に仕掛ける事はしなかった。敵の方もグスクに籠もったまま攻めて来る事もなく、無駄な戦死者は出さずに済んでいた。
 東海岸は伊波按司が先頭に立って進んだ。東海岸でも待ち伏せしていた敵の襲撃に遭って、かなりの被害を出していた。名護で合流した西海岸と東海岸の兵は『羽地』に向かい、羽地グスクでも合戦があり、敵をグスクに追い返して、押さえとして島添大里按司の兵百人が残った。
 羽地をあとにした一千人の兵たちは『運天泊』に向かい、待ち構えていた敵兵を倒し、船で来ていた総大将のフニムイたちと合流した。
 船で来たフニムイたちも『運天泊』で船同士の海戦があり、敵の船を沈めたり、追い散らしたりして、運天泊を制圧した。運天泊の押さえには山南王の兵百人が残った。
 フニムイに率いられて今帰仁に向かった中山軍は『親泊(うやどぅまい)(今泊)』を制圧して、山南王の兵五十人と小禄按司の兵五十人を押さえとして残し、今帰仁グスクを目指して進軍した。
 待ち構えていた今帰仁の兵と激しい合戦となったが、兵力の勝る中山軍が敵を押しまくって、敵はグスクの中に逃げて行った。
 城下の者たちはすでに逃げたのか、グスク内に避難したのか、誰もいなかった。各自、本陣とする屋敷を決めて、邪魔になる家々は打ち壊した。
 次の日から総攻撃が始まった。高い石垣に囲まれている今帰仁グスクを攻めるのは難しかった。石垣に近づけば、上から石や弓矢を撃たれる。火矢を撃っても効き目はなかった。
 連日、総攻撃は続いたが、味方の被害が増えるばかりで、敵に打撃を与える事はできなかった。総大将のフニムイは毎晩、戦死者の報告を聞くと不機嫌になった。
 総攻撃が始まってから七日後、山田按司はフニムイの前に出て、夜襲の許可を得た。山田按司今帰仁に着いてから家臣の者にグスクの周囲を調べさせて、浸入できそうな場所を見つけ出していた。浸入できるといっても普通の者では到底無理で、山田按司のように山中で修行を積んだ者でなければ浸入できない険しい場所だった。
 フニムイは山田按司の夜襲に懸けようと思った。このままで行けば、味方の損害が増えるばかりで、父親の中山王に怒られるのは目に見えている。たとえ、落とせなくても、敵に一泡吹かせなければ、浦添には帰れなかった。
 山田按司は夜を待って、手練(てだ)れの十人を引き連れて、グスク内に潜入した。グスク内に火の手が上がれば、総攻撃を掛けるはずだった。しかし、フニムイはグスク内の火の手を見ても、攻撃命令は出さずに黙殺した。
 その日の夕方、浦添から使者が来て、中山王の撤退命令が下されたのだった。フニムイは父の命令を無視して総攻撃を掛けるか、ずっと悩んでいた。グスク内に火の手が上がって、山田按司の潜入が成功した事がわかった時も悩んでいた。今、総攻撃を掛ければ、落とせるかもしれない。しかし、これ以上、戦死者を出すのはまずいと判断して、その夜の総攻撃を取りやめた。元々、今回の戦の目的は鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)の奪回にあった。それが成功したので、撤退命令が出たのだった。撤退命令を無視してまで、戦死者を増やすべきではないとフニムイは自分に言い聞かせて、山田按司を犠牲にした。犠牲にしながらも、山田按司が山北王(さんほくおう)(帕尼芝)を討ってくれる事を願っていた。
 鳥島奪回に向かったのは、中山王の水軍と勝連按司の水軍と山南王の水軍だった。
 中山王の水軍の大将は宇座按司だった。宇座按司といっても中山王の義弟の泰期(たち)ではなく、その次男が宇座按司を継いでいた。泰期は七十歳を過ぎて、未だに元気に働いているが、一応、隠居という形になっていた。
 勝連按司の水軍の大将はウニタキだった。長男の勝連按司今帰仁攻撃に加わり、次男は留守を守り、三男のウニタキは鳥島攻撃を命じられたのだった。海戦なんて初めてだったが、やり遂げなければならないとウニタキは使命感に燃えて、山伏のイブキ(伊吹)と一緒に船に乗った。船団を率いて鳥島に向かい、本人も驚くような思いもよらない活躍をしていた。
 山南王の水軍の大将は島添大里按司で、島添大里按司は総大将も兼ねていた。中山、勝連、山南の水軍は島添大里按司の指揮のもと、今帰仁の水軍を見事に打ち破った。鳥島に上陸して敵兵を滅ぼし、奪回に成功したのは、今帰仁グスクの総攻撃が続いていた四月の十二日の事だった。
 グスク内に潜入した山田按司は、十人の兵と共に帰って来る事はなかった。
 伊波按司は勿論、山田按司の行動は知っていた。グスク内から火の手が上がるのを見て、総攻撃の命令を待っていたが、いつになっても攻撃命令は出なかった。フニムイに会って理由を聞くと中山王から撤退命令が来たという。総攻撃を掛けるように要請したが無駄だった。弟を無駄死にさせてしまった事を悔やんでも、どうする事もできなかった。
 翌日、撤退命令が公表されて、各自、陣を引き払って撤退した。殿軍(しんがり)を勤めたのは勝連按司と中グスク按司で、城下を焼き払って引き上げた。なぜか、敵は追撃して来なかった。
 名護にいた佐敷按司と豊見グスク按司は、撤退して来た軍勢と合流した。
 来る時に先陣を勤めていた山田按司の姿が見えない事に気づいた佐敷按司は、戦死してしまったのかと残念に思ったという。