長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

32.ササの誕生(改訂決定稿)

 島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)の後始末は、さすがと言える程に素早かった。
 三男の大(うふ)グスク按司、ヤフス(屋富祖)がしでかした不始末をあっという間に解決してしまった。やはり、糸数按司(いちかじあじ)と比べて島添大里按司の方が一枚も二枚も上手(うわて)のようだった。
 水軍の総大将を勤めて見事に鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)を奪還して、中山王(ちゅうざんおう)(察度)から褒美の刀を賜わって、機嫌よく帰って来た島添大里按司は、城下が一面の焼け野原と化しているのを見て、声が出ない程に驚愕した。さらに、大グスクが糸数按司に奪われたと聞いて、烈火のごとくに怒った。大グスクは炎上し、生き残ったのはヤフスを含めて、たったの十二人だけだという。ヤフスの側室もその子供たちも皆、殺されていた。
 何もかも失って蒼ざめた顔をしたヤフスは、父の前に呼ばれて恐る恐る事情を説明した。
 二月の半ば、ヤフスは敵情を視察するために狩りに出掛けた。山中で二人の若い女と出会い、何をしているのだと聞くと、主人が病に伏せているので薬草を探しているという。女たちに誘われて、ヤフスは女たちの主人の屋敷に行った。
 主人というのは中山王に滅ぼされた浦添按司(うらしいあじ)(西威)の末裔(まつえい)の娘で、両親を亡くして、山の中の屋敷で寂しく暮らしているという。その娘はマナビダル(真鍋樽)という名で、高貴な生まれらしく、肌が透き通るように白くて、目に憂いを持った美しい娘だった。
 ヤフスは一目見て、その娘に惚れてしまった。
 その後、ヤフスはマナビダルを見舞うために、その屋敷に何度も通った。マナビダルの病も治って起き上がれるようになると、一緒に散歩をしたりして楽しい日々を過ごした。マナビダルを側室としてグスクに迎え入れたいが、父親に怒られる事を恐れてできなかった。しかし、四月になって父親が出陣して行くと、もう我慢しきれずに、ヤフスはマナビダルをグスク内に迎え入れた。
 四月五日、ヤフスは遠征軍が浦添を発ったとの知らせを受けると、挨拶にも来ない佐敷按司を痛い目に遭わせてやろうと翌日の早朝、兵を佐敷グスクに向かわせた。その朝、マナビダルの荷物がグスクに届いたが、それが曲者(くせもの)だった。荷車を引いて来た三人と荷物の中に隠れていた四人が、グスク内に火を付け、大御門(うふうじょう)(正門)を開けて敵兵を迎え入れたのだった。
 ヤフスは側近の者に連れられて逃げるのが精一杯で、マナビダルがどうなったのか、二人の側室と子供たちがどうなったのかもわからず、島添大里グスクに逃げ込んだ。生き残った者たちが次々に島添大里グスクにやって来たが、マナビダルも側室も子供たちも逃げて来る事はなかった。
「この馬鹿者めが!」と島添大里按司は雷鳴の如く怒鳴った。
 かつて、八重瀬(えーじ)グスクを奪い取るために自分が使った手で、大グスクが落ちるとは、まったく情けなかった。
 島添大里按司は帰還した兵たちの武装を解かず、翌日には、糸数グスクを攻め立てた。中山王と山南王(さんなんおう)(承察度)にも応援を要請して、新(あら)グスクに待機したままの兵も加わって、糸数グスクに総攻撃を掛けた。城下は焼き払われ、グスク内の屋敷も火矢の猛攻によって、かなりの損害を受けていた。
 見るに見かねて、大グスクにいた糸数の兵も、最小限の守りの兵を残しただけで出撃した。それを待っていたかのように、隠れて待機していた豊見(とぅゆみ)グスク按司のシタルーの軍勢が、大グスクに潜入して、大グスクを奪い返していた。以前、大グスク按司だったシタルーは、密かに大グスクから抜け出す抜け穴を作っていて、それを利用して難なく大グスクに潜入する事ができたのだった。
 大グスクの奪還に成功すると、島添大里按司は糸数グスクから撤退を命じた。四月二十一日の事だった。
 様子を見守っていた佐敷グスクでは一晩様子を見て、翌朝、もう大丈夫だろうと避難していた村人たちを解放した。
 五月になって、佐敷ではようやく通常の生活に戻っていたが、大戦(うふいくさ)の影響が各地に現れ初めていた。一昨年(おととし)の台風で作物が全滅し、去年は何事もなく豊作だったのに、その収穫を戦の兵糧米(ひょうろうまい)として奪われた庶民の暮らしは、かなり厳しいものとなっていた。佐敷では飢える者は出なかったが、中部地方では、食糧不足で飢饉(ききん)に陥っている村もあるという。
 城下を焼かれた島添大里では順調に再建が進んでいた。大グスクは後回しとなり、大グスク按司に復帰したヤフスは、生き残った数少ない家臣と共に、グスク内に掘っ立て小屋を建てて、質素に暮らしているという。
 中山王の進貢船(しんくんしん)は洪武帝(こうぶてい)から海船を賜わって、二隻で戻って来ていた。その船は山北王(さんほくおう)(帕尼芝)が賜わるはずだったのが、中山王と争ったために明国(みんこく)に使者を送る事ができず、中山王の使者が賜わって来たのに違いなかった。
 六月になるとマチルギが伊波(いーふぁ)に帰りたいと言い出した。今帰仁合戦(なきじんかっせん)の様子が詳しく知りたいという。父に話すと、伊波按司なら詳しい事がわかるはずだから是非、聞いて来いと言った。サグルーの事は祖父母に任せて、サハチとマチルギはヒューガ(三好日向)と一緒に馬に乗って出掛けた。
 伊波グスクの城下の外れに武術道場ができていて、若い者たちが修行に励んでいた。師範として指導に当たっていたサムは、サハチたちに気づくと手を振って、しばらくしてやって来た。
「やあ、久し振りだな」とサムは笑った。
「うまく行っているようだな」とサハチは言った。
「まあな」とサムは言ったが、何だか、浮かない顔をしていた。
「ねえ、サム兄さんは今帰仁に行ったの?」とマチルギが聞いた。
 サムは首を振った。
「俺は留守番さ。行ったのはチューマチ(千代松)兄さんとマイチ(真一)兄さんだよ」
「そうだったの。山田の叔父さん、戦死しちゃったんでしょ?」
 サムはうなづくと溜息をついた。
「叔父さんは凄い活躍をしたんだよ。だけど、総大将の浦添の若按司(フニムイ)のお陰で無駄死にになっちまった」
「どういう事なんだ?」とサハチは聞いた。
「親父に会うんだろ。親父が詳しく話してくれるよ」
 サハチとマチルギはサムと別れて伊波グスクに向かった。ヒューガはサムに頼まれて道場に残った。
「何となく、元気なかったな」とサハチはマチルギに言った。
今帰仁に行けなかったんで悔しいんじゃないの?」
「そうかなあ」とサハチは首を傾げた。
 伊波按司はよく来たと二人を歓迎してくれた。サグルーの話をしたあと、今帰仁合戦の話を聞いた。
今帰仁に着いたのは四月七日じゃった」と伊波按司は当時を思い出しながら話し始めた。
「実に三十年振りの今帰仁じゃ。懐かしかったのう。勿論、敵は待ち構えていたが、野戦では数が勝る方が有利じゃ。敵の兵力は五百で、味方は倍の一千じゃったからな。地の利は向こうにあるが、中山軍が押しまくって、敵をグスク内に追いやった。中山王の次男の米須按司(くみしあじ)と島添大里按司の長男の八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)が、敵の大将を討ち取る大活躍をしたんじゃ。八重瀬按司は凄かったのう。親父の島添大里按司は名将との噂は高いが、倅の八重瀬按司も親父に負けないほどの武将じゃった。親父の方は今帰仁の合戦には参加せず、水軍の総大将として鳥島の奪還に活躍したようじゃな。すでに、今帰仁の城下は無人の状態じゃった。各自、手頃な屋敷を見つけて、そこを本陣として、邪魔な家々は皆、破壊したんじゃ。次の日から総攻撃が始まったが、高い石垣で囲まれた今帰仁グスクはびくともしなかった。わしがいた頃のグスクよりも石垣は高くなっていて、まさに、難攻不落といった感じじゃった。あのグスクを落とすには、グスク内に内通者を作らなければ不可能じゃと悟ったよ。毎日、策もなく総攻撃が続いて、戦死者が増えるばかりじゃった。山田按司今帰仁に着いたらすぐに、グスクの回りを調べさせていたらしい。敵の弱点を見つけ出して、総大将の許可を得てグスク内に潜入した。四月十四日の夜じゃった。わしも詳しくは聞いておらんので、どこから潜入したのかはわからん。山田按司が潜入に成功して、グスク内に火の手が上がったら総攻撃を掛けるはずじゃった。火の手は見事に上がった。しかし、総攻撃の命令はなかったんじゃよ」
「どうしてなの?」とマチルギが腑に落ちないといった顔をして聞いた。
「その日の夕方、中山王から退却命令が来たようじゃ。退却命令が出たのに、総大将は山田按司に作戦の中止を告げなかった。何も知らずにグスクに潜入した山田按司は、味方に裏切られて犬死にしてしまったんじゃよ」
「どうして、中山王は退却命令なんて出したの? まだ、グスクが落ちてもいないのに」
「今回の今帰仁攻めは陽動作戦なんじゃよ。本来の目的は敵に奪われた鳥島を奪い返す事だったんじゃ。水軍だけで鳥島を奪い返す事もできたんじゃが、二度と同じ事をさせないために、それと中山王の実力を見せつけるために、大軍で今帰仁まで遠征したんじゃよ」
「それじゃあ、初めから今帰仁グスクを攻め落とすのが目的ではなかったの?」
「そうじゃ。中山王が今帰仁グスクを落とすつもりなら、それなりの準備が必要じゃ。中山王が今帰仁を攻めると言ったのは、山北王が鳥島を奪い取ったとの知らせを受けた去年の八月じゃ。わずか半年余りで、今帰仁グスクを落とせる準備が出来るはずがない。山北王が鳥島を奪い取る前まで、中山王は山北王の使者を自分の船に乗せて毎年、明国まで連れて行ってやっている。今帰仁を攻める気などまったくなかったはずじゃ。中山王が浦添グスクを攻め落とした時は長い間、準備に準備を重ねていたはずなんじゃ」
「遠征に従った按司たちは皆、その事を知っていたのでしょうか」とサハチは聞いた。
「知っていたじゃろう。知っていたからと言って手を抜いていたというわけではない。皆、中山王の歓心を買いたいんじゃよ。戦で活躍すれば、明国からの交易品を分けてもらえるかもしれないと必死になっていたんじゃ」
「山田の叔父さん、どこで亡くなったのかもわからないのね?」とマチルギが聞いた。
「ああ、わからなかった。火を掛けた事はわかったが、グスク内でどんな討ち死にをしたのか、まったくわからなかったんじゃ。しかし、先月の末、山田按司と一緒にグスクに潜入した者が生き延びて戻って来た」
「叔父さんと一緒にグスクに入った人が生きていたんですか」
 伊波按司はうなづいた。
「大怪我をしていてな、死にそうな所を猟師(やまんちゅ)に助けられたそうじゃ。歩けるようになって、やっとの思いで帰って来たらしい。そいつの話だと、グスク内に潜入した山田按司は山北王の屋敷に忍び込んで、眠っていた山北王を見事に殺したそうじゃ。はっきりとその目で見たので間違いないと言った」
「叔父さんが‥‥‥叔父さんが敵(かたき)を討ったのですね」
 マチルギは目を見開いて、父親の顔をじっと見つめていた。
 サハチも伊波按司の言った言葉に驚いて、知らずに身を乗り出していた。
「そうじゃ。奴は念願をかなえたんじゃ。見事に敵を討ったんじゃよ」と伊波按司は言って、何度もうなづいていた。
「山北王を殺したあとは、もう次々に現れる敵との戦いで、そいつは山田按司とはぐれてしまい。どこに行ったのか、まったくわからないという。敵と斬り合いながらも、そいつは何とか生き延びて、燃える屋敷を見ながら、味方が攻めて来るのを待っていたそうじゃ。しかし、いつになっても味方が攻めて来る事はなかった。夜が明ければ見つかってしまうと思い、夜が明ける前に脱出したが、足を滑らせて崖下に転落したらしい。大怪我を負っても、山北王を殺した事を知らせなければならないと、必死になって味方のいる場所に戻った。ところが、すでに撤退したあとで誰もいなかったという。その後、隠れながら味方を追って行ったんじゃが、山の中で倒れてしまい、猟師に助けられたというんじゃ」
「叔父さんが敵討ちを‥‥‥」とマチルギは言いながら涙を流していた。
 サハチは山田グスクで会った山田按司を思い出していた。神気を漂わせていたあの人なら、今帰仁グスクに忍び込んで山北王を殺すのも可能だと思えた。
「そいつが戻って来てから二日後、今帰仁にいるミヌキチから書状が届いた。山北王が亡くなり、本部大主(むとぅぶうふぬし)だった次男のミン(珉)が跡を継いだと書いてあった。ミヌキチにも本当の事はわからないが、長男の若按司も、十九歳だった若按司の長男も皆、何者かに殺されてしまったようだと書いてあったんじゃ」
「叔父さんがみんな殺したのね」
「多分な」
「叔父さん‥‥‥」と言いながらマチルギは両手を合わせた。
 伊波按司と別れて、武術道場にいたヒューガを連れて山田グスクに向かった。
 義父を失ったトゥク(徳)兄さんは思っていたよりも元気だった。
「義父(ちち)は戦死したけど、立派に敵討ちを果たした。次は俺の番だ。必ず、今帰仁グスクを奪い取ってやる。それに、義父が亡くなった頃、次男が生まれたんだ。きっと、義父の生まれ変わりに違いない。俺が駄目だったとしても、その次男がきっとやってくれるだろう」
 トゥク兄さんはマウシ(真牛)と名付けた次男(後の護佐丸(ごさまる))を見せてくれた。
 トゥク兄さんが言う通り、顔つきが山田按司によく似ているような気がした。祖父に負けない立派な武将になるんだぞとサハチは心の中で言っていた。
 ここまで来たのだから宇座按司(うーじゃあじ)(泰期(たち))に会って行こうと牧場に向かった。
 宇座按司はいた。三年前に来た時は留守だったので、四年振りの再会だった。相変わらず元気に働いていたが、宇座按司という名は次男に譲っていた。今は隠居の身で、ただの爺さんじゃよと笑った。若い奥さんとの間にできた息子のクグルー(小五郎)も六歳になっていて、子馬と一緒に草原を走り回っていた。
「山田按司の事を聞きましたか」とサハチが聞くと、ただの爺さんはうなづいて、「惜しい男を亡くしてしまった」と一言だけ言った。
「祖父のサミガー大主(うふぬし)も隠居しました」とサハチが言うと、
「そうか。サミガー大主も隠居したのか」と目を細めて言った。
「そのうち、遊びに行こう」とタチ爺さんは笑った。
 伊波から帰った頃からマチルギのお腹が大きくなってきた。
「今度は絶対に女の子よ。勿論、剣術を教えるわ」とマチルギは嬉しそうだった。
 マチルギのお腹が大きくなるのと同じように、馬天(ばてぃん)ヌルのお腹も大きくなっていた。馬天ヌルは恥ずかしがるわけでもなく、大きなお腹をして城下の村を歩いていた。村人に聞かれると、「マレビト神(がみ)様の子よ」と答えているという。村人たちはその答えに納得しているが、誰もが父親の事を知っていた。お腹の子の父親はヒューガだった。
 久高島から帰って来た馬天ヌルは人目も気にせず、ヒューガの屋敷に出入りしていた。台風で馬天浜の屋敷が潰れてしまって、佐敷ヌルの屋敷に移っていたが、ヒューガの屋敷に泊まる事も多かった。新しい屋敷が完成したあとも、ヒューガの屋敷に通っていた。
 その事は佐敷按司の耳にも入ったが、お互いに大人だからなと放っておいた。お腹が大きくなっても怒るわけでもなく、あいつもやはり女子(いなぐ)じゃったかと笑ったという。
 その頃、島添大里按司の使者が佐敷グスクにやって来た。来月に進貢船を明国に送るので、是非ともヤマトゥ(日本)の刀を五十振(ふり)、都合つけてほしいと言って来た。
 佐敷按司は仕方ないと言って引き受けた。島添大里按司は借りは倍にして返すと言ったが、当てにはならないと佐敷按司は覚悟していた。
 九月二十日、マチルギは元気な次男を産んだ。マチルギが願っていた女の子ではなかったが、「将来、あなたを助ける武将になるように神様が男の子にしてくれたのよ」と喜んでいた。
 サハチの次男はマチルギの父、伊波按司の童名(わらびなー)をもらって、『ジルムイ(次郎思)』と名付けられた。
 それから二日後、馬天ヌルが娘を産んだ。
「あたしの跡継ぎができたわ」と馬天ヌルは喜んだ。
 馬天ヌルの娘はヒューガの母親の名前をもらって、『ササ(笹)』と名付けられた。