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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

47.佐敷ヌル(最終決定稿)

 マチルギが、妹のマカマドゥの嫁入りの話をしたのは、暑い夏の盛りだった。
 娘たちの剣術の稽古が終わり、水を浴びて汗を流したマチルギが、縁側でぐったり伸びていたサハチに声を掛けて来た。
「ねえ、マカマドゥだけど、もう十六なのよ。そろそろ、お嫁入りを考えないと」
 そう言って、マチルギはサハチの隣りに腰を下ろして、クバ扇でサハチに風を送った。
「好きな奴がいたら、そいつと一緒にさせればいいんじゃないのか」とサハチは眠そうな声で言った。
 暑くて眠れない夜が続いていて、縁側でウトウトしているのが気持ちよかった。
「あたしもそれでいいと思っているんだけど、あの娘(こ)、ウミチルと仲がいいでしょ。ウミチルから色々と話を聞いて、あたしもお兄さんのために、どこかの按司の所にお嫁に行くって言ったらしいのよ」
 サハチは体を起こして、持っていた手拭い(てぃーさーじ)で首の汗を拭いた。
「マカマドゥがそんな事を言ったのか」
「ウミチルから聞いたのよ」
 マカマドゥは三女だった。長女のマシューは佐敷ヌルになり、次女のマナミーは玉グスクの若按司に嫁いでいる。自分も兄のために何かをしたいと思ったのだろうか。
「あの娘(こ)、はきはきしてるから、按司のお嫁さんには向いているかもね。器用で飲み込みも早いし」とマチルギは言った。
「そうか‥‥‥まずは、本人の気持ちを聞いてみるか」
「そうして」と言って、マチルギはクバ扇をサハチに渡すとチューマチの所に行った。
 サハチはさっそく東曲輪(あがりくるわ)に向かった。マカマドゥに会いに行こうと思っていたが、東曲輪の門をくぐったら気が変わって、佐敷ヌルの屋敷に向かった。
 東曲輪の庭には誰もいなかった。稽古をしていた娘たちは、みんな帰ったらしい。
 佐敷ヌルの屋敷に近づくと掛け声が聞こえて来た。垣根に囲まれた狭い庭で、佐敷ヌルは木剣を振っていた。
 サハチに気づくと、「あら、お兄さん、珍しいわね」と言って木剣を下ろした。
「随分と熱心だな。師範代をしているんだってな」
「叔母さん(馬天ヌル)の稽古台で随分と鍛えられたもの」
「やはり、叔母さんと稽古をしていたんだな」
 佐敷ヌルはうなづいて、縁側に置いてあった手拭いを取ると顔の汗を拭いて、縁側に腰を下ろした。
「暑いな」と言ってサハチも隣りに腰を下ろした。
「お姉さんが剣術を教える事になって、叔母さんが習うって言った時、あたし、びっくりしたわよ。どうして、ヌルが刀を持つのって不思議だった。でも、叔母さんに言われるままに、あたしも一緒にお稽古しているうちに、あたしも熱中しちゃった。お姉さんみたいに強くなりたいって思ってね。叔母さん、あの頃から、旅に出ようって決めていたのね。女だけで旅をするには、身を守る術(すべ)を知らなくちゃ危険ですもの。叔母さん、強くなるために必死だった。お稽古のあと、習った事をあたしを相手に、納得するまでお稽古していたのよ。その習慣があたしにも付いちゃって、一人になってからもやり続けているの」
「そうだったのか。始めてから何年になるんだ」
「今年で九年目よ」
「なに、もう九年にもなるのか。それじゃあ、強くなるはずだな」
「叔母さんにはかなわないわよ。三十を過ぎてから始めたなんて、とても信じられないくらいに強いわ」
「叔母さんは気ままに生きているように見えるけど、何事も真剣だからな」
「久高島で森の中に籠もって、半年間もお祈りを続けていたなんて、ほんとに凄いわ。叔母さん、剣術のお稽古をやっていたから耐えられたって言っていたわよ」
「そうか‥‥‥ところで、お前、お嫁に行きたいと思った事はないのか」
「何よ、急に」と佐敷ヌルはサハチを見た。
 サハチは佐敷ヌルを見ながら意味もなく笑った。
 今まで、佐敷ヌルの事をあまり考えた事はなかった。幼い頃からヌルになる事が決まっていて、それが当然の事だと思っていた。今さら言っても始まらないが、それでよかったのだろうかと、ふと思っていた。
「何となく、寂しいんじゃないかと思ってな」
「お嫁に行くなんて、考えた事もないわよ」
 心配しないでと言うように佐敷ヌルは微笑した。
 サハチはうなづいた。
「でも、お前のような美人を村の男たちが放って置いたとは信じられんな」
「あたしは十二の時から叔母さんと一緒にいたから、男なんて近づいて来ないわよ‥‥‥あの頃の叔母さん、怖かったもの。何も知らないあたしは怒られてばかりいたわ」
「よく逃げ出さなかったな」
「あの時、戦があったでしょ。必死に祈っている叔母さんの姿を見たら、あたしも頑張らなくちゃと思ったの。そして、お兄さんが旅に出た時は、ずっと無事を祈っていたし‥‥‥辛かったけど、何とか続けられたわ」
 佐敷ヌルは急に声を出して笑った。
「お姉さんが佐敷に来た時、叔母さん、目を丸くして帰って来たのよ。あんたのお兄さんのお嫁さんになる人が来て、剣術のお稽古をしているけど、どういう事なのって、あたしに詰め寄ったの。あたしは知らないって答えたけど。大変だ、大変だって、一人で慌てて、お祈りを始めたの。あたしも一緒にお祈りしたけど、結局、神様のお告げはなかったみたい。叔母さんはしばらく考えてから、あたしの手を引いてグスクまで行って、『ツキシルの石』の前でお祈りしたの。そしたら、神様のお告げがあったみたいで、叔母さんは安心したのよ。あの人はお兄さんのお嫁さんになる人だってね」
「そんな事があったのか」
「あんなに慌てていた叔母さんを見たのは、あの時が最初で最後ね、多分」
「マチルギの出現は、叔母さんにも予想外な事だったんだな」
「神様からどんなお告げがあったのかは知らないけど、お姉さんの事をすっかり信じて、お姉さんの事を『お師匠』って呼んでいるのよ。剣術を教わっているんだから、お師匠には違いないけど、自分の子供といってもおかしくない年齢(とし)の娘に対して、なかなか、そんな事は言えないと思う」
「叔母さんはそういう所は、まったく無頓着(むとんちゃく)だからな」
「羨ましい性格よ。大きなお腹をしていても、全然気にしないんだから。一緒に歩いているとあたしの方が恥ずかしくなったわ」
「叔母さんとヒューガ殿の事は知っていたのか」
「叔母さんと一緒に馬天浜にいた時は、そんな気配はなかったと思うわ。あたしがこっちに移ってからじゃないかしら。お腹が目立つようになって、あたし、驚いたんだけど、叔母さんは、『神様のお導きよ』って言っただけだった。でも、それで納得したの。叔母さんだから納得できたんだと思う」
「誰も叔母さんを非難したりしなかったものな。やっぱり、凄い人なんだよ、叔母さんは」
「本当に凄い人だわ。この前、夢の中に現れたのよ。叔母さん、大きなお船に乗っていて、綺麗な鎧(よろい)を着て、長い槍を持って、ヤマトゥに行ってくるって言っていたわ。乗っているのはみんな女の人で、お揃いの鎧を着ていたの」
 サハチは佐敷ヌルの夢を想像して大笑いした。
「なんだい、その夢は」
「わからない。でも、叔母さんならヤマトゥまで行きそうだわ」
「そうだな。何をやっても、あの叔母さんならやりかねないと思わせる」
「ヌルとしても、人間としても。あたしもあんなヌルになりたい」
「マシュー、お前ならなれるよ」とサハチは言った。
 佐敷ヌルは軽く笑った。
「さっきの話だけどね、あたし、お嫁には行きたいと思った事はないけど、キクやウミチルみたいに、旅に連れていってほしいと思った事はあるのよ」
「えっ、そうだったのか」
「お父さんもお祖父(じい)さんも叔母さんも旅に出ちゃって、あたしもどこかに行きたいって、時々、思うのよ。あたし、ここしか知らないし、他所(よそ)の世界も見て見たいわ」
「そうか、来年の旅は一緒に行こう」
「ほんと?」
 サハチは妹の顔を見ながらうなづいた
「ありがとう。楽しみにしてるわ」
 佐敷ヌルは嬉しそうに笑った。その笑顔は子供の頃と同じだとサハチは思った。
「ところで、マカマドゥなんだけど、按司の所にお嫁に行きたいって言っているようだけど知っているか」
「知ってるわ」と佐敷ヌルはうなづいた。
「あたしに相談に来たのよ。どこかの若按司に嫁いでも大丈夫かってね」
「マカマドゥがか」
「あの子なりに色々と考えているみたいよ。お兄さんのために何かをしたいってね」
 マカマドゥとは九歳も離れているので、一緒に遊んだという記憶はあまりなかった。マチルギと一緒になってからは住まいも離れてしまい、会う機会も少なくなっていた。そんなマカマドゥが自分のために何かをしたいなんて、いじらしく思えた。
「マカマドゥは按司の嫁になっても大丈夫なんだな」
「大丈夫よ。あの子はしぶといわ。簡単にはへこたれないわよ。何と言っても、あの叔母さんと同じ名前なんだもの」
「そうだな。あの叔母さんと同じ名前だ‥‥‥今頃、どこにいるのかな」
「どこに行っても怖いものなしよ。ヤナムン(悪霊)もマジムン(魔物)も逃げて行っちゃうわ」
「そうだな」と言ってサハチは笑った。
 佐敷ヌルと別れて、屋敷に向かった。
 すっかり暗くなっていた。空を見上げると雲に隠れていた月が顔を出した。いくらか涼しくなってきたようだった。
 突然、笛の音が聞こえてきた。ウミチルかと思ったが、ヤグルーの屋敷ではなく、マサンルーたちの屋敷だった。
 笛を吹いていたのはマカマドゥだった。
 サハチは垣根の所に立ったまま、笛の音を聞いていた。サハチよりもずっとうまかった。マカマドゥが笛を口から離すと、サハチは拍手をしながら、マカマドゥの側に行って座った。
「随分と上達したな」とサハチは言った。
「ありがとう」とマカマドゥはサハチを見て、「お兄さんが今頃来るなんて珍しいですね」と言った。
「お前の噂を聞いてな」
「何です。噂って」
「そろそろ、お嫁に行く頃だってな」
 マカマドゥは恥ずかしそうに俯いた。
「マナミーお姉ちゃんがお嫁に行く時、あなたも按司の所にお嫁に行きなさいって言ったの」とマカマドゥは言ってサハチを見た。
「この佐敷を守るために、あなたも頑張ってねって言ったの」
「マナミーがそんな事を言ったのか。お前、それでいいのか」
 マカマドゥはサハチを見つめて、うなづいた。
 無理をしなくてもいいと言おうとしたが、マカマドゥの目からは強い決心が感じられた。
 サハチはわかったと言うようにうなづいた。
「いい縁談を探してみるよ」
「はい。お願いします」
「また聞かせてくれないか」とサハチはマカマドゥの笛を指で示した。
 マカマドゥは笑ってうなづき、笛を吹き始めた。
 何となく懐かしいような優しい調べが流れた。
 ヤマトゥから帰って来た時、八歳だったマカマドゥが、姉のマシューを真似して、棒きれを振っている姿が思い出された。
 マカマドゥは佐敷グスクで生まれ、佐敷グスクで剣術の稽古をしている姉たちを見て育っていた。サハチやマシューと違って、子供の頃、村の子供たちと一緒に遊んだりはしていない。生まれながらにして按司の娘だった。按司の娘として、按司の所に嫁ぐのがいいのかもしれないとサハチは思った。
 翌日、サハチはクマヌと会って、マカマドゥの婚礼の相談をした。
「わしもその事は考えていた」とクマヌは言った。
「知念(ちにん)の若按司が、マカマドゥより一つ年上の十七じゃ。糸数(いちかじ)の若按司も、垣花(かきぬはな)の若按司も、すでに嫁をもらっている。次男はいるが、若按司の方がいいじゃろう」
「知念か‥‥‥」とサハチは考えた。
「知念按司の奥方は大グスク按司の娘じゃ。按司様(あじぬめー)の親父さんとは従兄妹(いとこ)という間柄じゃ。知念の若按司とマカマドゥは又従兄妹という事じゃな」
「そうか。知念とはそんなつながりがあったのか」
「玉グスクと結んだんじゃから、知念と結ぶのが順当な所じゃろう」
「うむ」とサハチもそう思ったが、「山南王は大丈夫だろうか」と心配になった。
「玉グスクとの婚礼は向こうから話が来て、こちらは受ける立場だったが、今回はこちらから動くとなると警戒されないか」
「中山王の三男と玉グスクの娘の婚約が決まった。婚礼は来年のようじゃが、その時、知念も糸数も垣花も、勿論、佐敷も招待される事となろう」
「ええっ、俺も出るのか」
「出なければなるまい。中山王は琉球中の按司を招待して、琉球を統一したという事を世間に見せるのが、その婚礼の目的なんじゃ。戦ではなく、婚礼によって統一を果たすというわけじゃ」
「そうだったのか。そこまで考えなかった」
「多分、山南王の入れ知恵じゃろう。まだ、先の事じゃが、親父さんからの言伝を伝えておこう。もし、公(おおやけ)の場に出るような事があったら、絶対に目立ってはならんと言っていた」
「警戒されないためですね」
「そうじゃ。按司様の腕の見せ所かもしれんぞ。決して目立たず、何も知らん田舎者と思わせなければならん。かと言って、余りに粗末な格好(なり)で行ったら、返って怪しまれる。難しい所じゃ」
 サハチはクマヌの顔を見つめてうなづいた。
「ただ一つ問題がある。宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)じゃ。浦添の長老として婚礼には出ると思うが、なるべく会わないようにしなければならない。御隠居と親しい間柄だと思われると危険じゃ。色々と調べられて、今までの苦労が台無しになる可能性があるぞ」
「御隠居か‥‥‥」
 婚礼の場で会えば、声を掛けられるような気がした。佐敷按司が宇座の御隠居と親しげに話していれば、誰もが不思議に思う。山南王はどういう関係なのか調べるだろう。そうすれば、父と祖父が出入りしていた事がわかり、二人の行動を調べられたら、すべてが水の泡となってしまう。
「それが一番難しそうですね」とサハチは言った。
「難しいが、何としても乗り越えなくてはならんぞ。話を戻すが、知念との婚礼は多少は警戒されるかもしれんが、攻めて来る事はあるまい」
「わかりました。知念に行ってもらえますか」
 クマヌはうなづいた。
 断られるかもしれないと思っていたが、知念按司は喜んで承諾してくれたという。知念ヌルのお告げがあったらしい。
 その日のうちに返事をもらえるとは思ってもいなかったクマヌは、話がうまく行き過ぎると不思議に思って、知念ヌルを訪ねてみた。知念ヌルはクマヌが来る事を知っていて、歓迎してくれた。馬天ヌルから佐敷の事はよく聞いているという。
 知念に行った馬天ヌルは知念ヌルを訪ね、知念ヌルの案内で各地のウタキ(御嶽)を巡った。馬天ヌルと行動を共にしているうちに、知念ヌルは馬天ヌルと仲よくなり、また、ヌルとしての馬天ヌルを尊敬するようになったという。
 知念ヌルは馬天ヌルと同い年だった。セーファウタキで馬天ヌルと一緒にお祈りしていた時、佐敷から嫁入りの話が来る事がわかったという。馬天ヌルはその事については何も言わなかったが、「よろしくね」と一言だけ言った。それだけで、知念ヌルにはすべてがわかったという。
「さすが、叔母さんですね」とサハチは感心した。
 馬天ヌルが旅に出ると言った時、どうして旅に出るのか、はっきり言って意味がわからなかった。各地のウタキを巡って神様の声を聞くと言っていたが、それがどういう事なのか、まったくわからなかった。そして、今、馬天ヌルが何をしようとしているのか、朧(おぼろ)げながらもわかりかけてきた。
 各地のウタキを巡るには、その土地のヌルと会わなければならない。ヌルとしての馬天ヌルのシジ(霊力)はかなり高い。大抵のヌルは馬天ヌルを尊敬するに違いなかった。知念ヌルのように、馬天ヌルを通して佐敷を知り、馬天ヌルがいる佐敷なら、嫁にやっても大丈夫だと思うのかもしれない。按司にとってヌルの存在は大きい。何か重大な事を決める時は必ず、ヌルに伺いを立てる。そのヌルが馬天ヌルを慕うようになれば、その力は計り知れないものがあった。
「凄い人だな」とクマヌは唸った。
「久高島から帰って来た時、神気に溢れていた。まるで、神様のようじゃった。ところが、ヒューガの子を産み、ただの女子(いなぐ)に戻ってしまったかとがっかりしたんじゃが、そうではなかったようじゃな」
「時を待っていたようです」とサハチは言った。
「時か‥‥‥」とクマヌは言って、うなづいた。
「時は重要じゃな。早すぎても遅すぎても駄目じゃ。どんな事にも、しかるべき時がある。成功するためには、その時を見極めなければならん。馬天ヌルは子供を産んで育てながら、その時を待っていたのか‥‥‥さすがじゃのう」
 マカマドゥと知念の若按司の婚礼は来年の正月と決まった。