長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

49.宇座の御隠居(改訂決定稿)

 年が明けて洪武(こうぶ)三十一年(一三九八年)、サハチは二十七歳になった。佐敷按司(さしきあじ)になって七年目の年が始まった。
 佐敷按司になった時と比べると、周りの状況もかなり変わっていた。島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の汪英紫(おーえーじ)が山南王(さんなんおう)になって、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに移って行った。偉大なる察度(さとぅ)が亡くなって、倅の武寧(ぶねい)が中山王(ちゅうざんおう)になった。今帰仁(なきじん)ではマチルギの敵(かたき)だった帕尼芝(はにじ)が山田按司によって討たれ、今は孫の攀安知(はんあんち)が山北王(さんほくおう)になっている。しかも、三人の王様は親子孫という関係にあった。山南王の娘が中山王の妻となり、中山王の娘が山北王の妻になっていた。そして今、長年、敵対していた八重瀬按司(えーじあじ)(汪英紫の長男、タブチ)と糸数按司(いちかじあじ)が同盟を結ぼうとしていた。
 察度が亡くなってから二年余りが経って、察度を中心にまとまっていた按司たちの結束も、少しづつ緩んできていた。
 まず、察度の息子たちのつながりが弱くなってきている。察度の息子たちの母親は皆、側室だった。正妻だった勝連按司(かちりんあじ)の娘は、男の子を産む事なく亡くなった。長男の中山王の母親は、倭寇(わこう)から贈られた高麗人(こーれーんちゅ)だった。次男の米須按司(くみしあじ)と三男の越来按司(ぐいくあじ)の母親は先代の米須按司の娘で、次男は母親の実家の米須按司を継いでいる。四男の瀬長按司(しながあじ)の母親は、また別の側室だった。父親が亡くなると、兄の中山王のためにという気持ちも薄れ、各自が自分を守るために動き始めていた。次男の米須按司は、南部に根を張る覚悟を決めて八重瀬按司と手を結び、三男の越来按司も、生き残るために勝連按司と手を結んだ。四男の瀬長按司は、豊見(とぅゆみ)グスク按司と親しく付き合っている。
 察度の婿になった者たちの結束も弱まっていた。長女が嫁いだ勝連按司は亡くなって、息子の代となり、次女が嫁いだ山南王も亡くなり、息子は高麗(朝鮮半島)に亡命して、島尻大里グスクは汪英紫に奪われた。三女が嫁いだ中グスク按司と、六女が嫁いだ豊見グスク按司(シタルー)は健在で、中山王とのつながりは未だに強かった。特に豊見グスクに嫁いだ六女の母親は、中山王の母親と同じ高麗人だったので、親密な関係を続けていた。
 中山王の義父である汪英紫は、実力を持って与座按司(ゆざあじ)から八重瀬按司となり、島添大里按司になって、山南王にまで成り上がった。今は中山王と親しくしているが、先の事はわからない。中山王が隙を見せれば、たとえ、娘婿であろうとも中山王を滅ぼして、その座を奪い取るかもしれなかった。
 去年の三月、浦添(うらしい)と玉グスクの婚礼の時、琉球中の按司が集まった。あの時が中山王、武寧の絶頂期だったと言える。しかし、あの時、長老である宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)が姿を見せなかった事は、武寧にとって大きな損失となった。その事は按司たちの間でも噂になり、武寧は御隠居に見捨てられたかと陰口をたたく者もいたらしい。隠居したとはいえ、察度の右腕として活躍した御隠居を尊敬している按司は多い。察度と同じように、その活躍は伝説となって、子や孫に語り継がれていた。
 馬天(ばてぃん)ヌルと佐敷ヌルによって、新年の儀式も無事に済み、サハチはマチルギと一緒に伊波(いーふぁ)にも挨拶に行き、五日には恒例の娘たちの剣術の稽古が始まった。そして、次の日、父(先代佐敷按司)と祖父(サミガー大主)と馬天ヌルは旅立って行った。
 キラマ(慶良間)の夢の島は大分住みよくなって、楽しい村になってきた。男の修行者は五百人近くになり、女の修行者も二百人になったと父は嬉しそうに言った。ヒューガ(三好日向)とサイムンタルー(早田左衛門太郎)のお陰で、食糧も充分に蓄えられて、島で作っているクバ笠とクバ扇も順調に売れているという。
「あと四年じゃ。気を抜かずに頑張ろう」と言って、父は足取りも軽く旅立って行った。
 祖父は今年から、十六歳になったサハチの弟のマタルー(真太郎)を連れて行く事になった。
 マタルーは旅に出るのを楽しみに待っていて、叔父の苗代大親(なーしるうふや)のもとで棒術の稽古に励んでいた。マタルーは七歳の時に見た、父とマニウシの棒術の試合を鮮明に覚えていて、剣術よりも棒術に惹かれていた。得意の棒を杖がわりにして嬉しそうだった。
 今年もヤンバル(北部)を回ると言って、祖父は陽気に旅立って行った。
 馬天ヌルは去年、糸数、具志頭(ぐしちゃん)、八重瀬、島尻大里、小禄(うるく)と巡り歩いた。糸数ヌル、具志頭ヌル、八重瀬ヌル、島尻大里ヌル、小禄ヌルと仲よくなったのよと楽しそうに言った。糸数は別にしても、敵地のヌルと仲よくなるなんて、さすがだとサハチは感心した。
 ヌルの事はよくわからないが、馬天ヌルと出会ったヌルは馬天ヌルのシジ(霊力)の強さに圧倒され、何事にもこだわらない人柄に惹かれて、心酔してしまうのかもしれなかった。それに、馬天ヌルが各地で奇跡を起こしている事もウニタキから聞いていた。地元のヌルが知らなかった古いウタキ(御嶽)を探し出したり、神隠しに遭った子供を見つけ出したり、台風が来る事を予言したり、魚の群れが来た事を告げて、ウミンチュ(漁師)たちを喜ばせたりしているという。
 馬天ヌルの働きで、各地のヌルを味方にできれば、『琉球を統一』するための大きな力になる事は間違いなかった。今年は島添大里、与那原(ゆなばる)、浦添、北谷(ちゃたん)、行けたら読谷山(ゆんたんじゃ)まで行くと言って、背の高いユミーとクルーを連れて颯爽(さっそう)と旅立って行った。
 二月の初め、糸数按司の娘が八重瀬の若按司に嫁いで行った。サハチも糸数按司に呼ばれて、東方(あがりかた)の按司たちと一緒に花嫁を見送った。その後、祝いの宴(うたげ)が開かれ、ほろ酔い気分で帰って来ると、ウニタキが東曲輪(あがりくるわ)の庭で、娘たちの剣術の稽古を眺めながら待っていた。
「珍しいな。お前がグスクに来るなんて」とサハチは声を掛けた。
「糸数に出掛けたと聞いたものでな、こっちで待とうと思ってやって来た」
「余程、重要な事らしいな」とサハチが言うと、ウニタキは軽くうなづいた。
 サハチは佐敷ヌルの屋敷にウニタキを誘って、話を聞く事にした。佐敷ヌルはマチルギと一緒に、娘たちの指導をしているので屋敷には誰もいない。
 縁側に腰を下ろすと、「宇座の御隠居様が亡くなった」とウニタキは言った。
「えっ!」とサハチは驚いた。
 察度よりも一つ年下だから、亡くなっても不思議ではないのだが、亡くなるなんて思ってもいなかった。
「いつだ?」とサハチは聞いた。
「昨日だ。牧場で倒れて、そのまま、亡くなってしまったようだ」
「そうか‥‥‥御隠居様が亡くなったのか」
 サハチはしばし呆然となっていた。亡くなる前に会いたかった。最後に会ったのは四年前だった。マサンルー夫婦と一緒に行って、馬をもらって帰って来た。クマヌ(熊野大親)のお陰で縁ができて、偉い人なのにまったく飾らない人柄に惹かれて、何度もお世話になっていた。
「葬儀は浦添でやるのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「わからん。御隠居様は生前から大げさな葬儀はするなと言っていたらしいが、どうなる事やら」
「大げさにやるといっても、察度の時とは違って琉球中の按司は呼べまい」
「そうだろうが、中山王がどういう風に扱うかだな。結束を強めるために利用するかもしれん。御隠居様は喜ばないだろうな」
 ウニタキはそう言って、苦笑した。
「お前は宇座で、馬の稽古をしたんだったな」とサハチはウニタキの横顔を見ながら聞いた。
「ああ、子供の頃の話さ。それ以来、会っていなかったんだけど、嫁をもらったあと、嫁と一緒に行ってみたんだ。御隠居様は俺の子供の頃の事を覚えていて歓迎してくれた。キラマでの鮫皮(さみがー)作りの事や、倭寇(わこう)として暴れ回っていた頃の話もしてくれた。また行くって約束したんだけど行けなかった。奥間(うくま)に行く時に近くを通って、会いたいと思ったんだけど行けなかった。俺は死んだ事になっているからな、御隠居様に会うわけにはいかなかったんだ」
「そうだったのか」
 二人が宇座の御隠居の思い出にふけっていると、「なに、内緒話をしているの?」と佐敷ヌルが汗を拭きながら帰って来た。
「お邪魔してます」とウニタキが頭を下げた。
「いいえ」と佐敷ヌルは軽く笑った。
「このおうちには滅多にお客さんが来ないから大歓迎ですよ」
「何を言っている?」とサハチは佐敷ヌルに言った。
「それは以前の話だろう。最近は村の娘たちが始終出入りしていると聞いているぞ」
 ばれたかと言うように佐敷ヌルは舌を出した。
「男の人は滅多に来ないと言ったのよ」
「稽古を続けるんだろう。俺たちは引き上げるよ」とサハチは佐敷ヌルに言って腰を上げた。
「また、来てね」と佐敷ヌルは笑いながらサハチを見て、ウニタキを見た。
 サハチはうなづいて、ウニタキと一緒に外に出た。
 屋敷の外では五、六人の娘たちが稽古支度のまま待っていた。
 サハチたちを見ると慌てて頭を下げた。
「頑張れよ」とサハチは娘たちに声を掛けた。
 娘たちは明るい声で返事をして、佐敷ヌルの屋敷に入って行った。垣根越しに娘たちの楽しそうな笑い声が聞こえて来た。
「お前の妹の佐敷ヌル、随分と変わったな」とウニタキが言った。
「旅に出て変わったようだ」
「そうか。前は何となく、近寄りがたいような雰囲気があったけど、それがなくなったようだ。それでいて、ヌルとしての貫禄も備わってきたようだな」
「あいつの師匠が馬天ヌルだからな、段々と馬天ヌルに似てくるようだ」
「馬天ヌルか‥‥‥あの人は凄い人だな。俺の命の恩人だよ」
「何かあったのか」
「俺が馬天浜で落ち込んでいた時、馬天ヌルが子供を連れて来たんだ。その時、俺は馬天ヌルだとは知らなかった。近所のウミンチュのおかみさんだろうと思っていた。女の子が貝殻を拾って、よちよち歩きながら俺にくれたんだ。俺はその貝殻を見つめながら、死んだ娘の事を思い出していた。その時の俺は、敵討ちなんかできっこないと諦めて、死んで、妻と娘の待つあの世に行こうと思っていたんだ。いつの間にか、隣りに座っていたおかみさんは、『やるべき事をやりなさい』って一言だけ言った。俺がおかみさんを見ると、優しい目をして笑っていた。その目は何もかも知っていると言っているようで、温かくて情け深い目だった。おかみさんが子供を連れて帰ったあと、俺は貝殻を見つめながら、やるべき事って何なんだと考えていた。そして、立ち直る事が出来たんだよ。あの時のおかみさんが、馬天ヌルだと知ったのは、奥間から帰って来て、しばらく経ってからだった。かなり前に会ってはいたんだけど、子供を連れていたんでわからなかったんだ」
「そうだったのか‥‥‥」
「旅に出てからの馬天ヌルは物凄いよ。あちこちで奇跡を起こしているからな」
 東曲輪の御門(うじょう)から外に出ると、ウニタキはそのまま帰ると言った。
 サハチはウニタキと別れて、本曲輪に入って屋敷に向かった。
 マチルギに宇座の御隠居の死を告げると目を丸くして驚いたあと、その目から涙を流して悲しんだ。
 宇座の御隠居の葬儀は身内だけで、小禄(うるく)グスクで行なわれた。中山王は浦添で大規模にやりたかったようだが、小禄按司に断られたようだ。浦添が今の様に栄える基礎を作った父親に対して、中山王の扱いはひどすぎる。生前に、父親の活躍を賞賛もせずに、亡くなってから、その死を利用するのは許さないと言ったらしい。
 葬儀に行けないサハチとマチルギはウニタキとクマヌを呼んで、四人で密かに御隠居の冥福(めいふく)を祈った。
「お正月に伊波に挨拶に行った時に、宇座まで行けばよかったわね」とマチルギがサハチに言った。
「そうだな」とサハチはうなづいた。
 馬に乗っての日帰りなので、忙しい旅だが、ちょっと足を伸ばせば宇座まで行けた。顔を見るだけでもいいから、行けばよかったと悔やまれた。
 御隠居の葬儀から一月程して、佐敷グスクを訪ねて来た親子がいた。御門番(うじょうばん)が言うには、宇座から来たという。宇座から来た親子と聞いて、サハチは御隠居の後妻かなと思ったが、どうして佐敷まで来たのかはわからなかった。サハチは御門番に案内して来るように頼んだ。
 訪ねて来たのはやはり、御隠居の後妻のナミーと息子のクグルーだった。クグルーは十三歳になっていて、見違える程に大きくなっていた。どことなく、御隠居の面影があって、倭寇として暴れていた頃はこんな顔だったのかなと思った。
「この度はご愁傷様でした」とサハチは挨拶をして用件を聞いた。
「突然、お邪魔して申しわけありません」とナミーは謝った。
「いえ、こちらこそ、葬儀に行けなくて申しわけありませんでした」
「伺ってもいいものか迷ったのですが、一応、御隠居様に言われた事をお伝えしようと思いまして、思い切ってやって参りました」
「御隠居様が、わたしに何か言伝(ことづて)でも?」
「はい」と言ってナミーは口ごもっていたが、息子の顔を見てから話し始めた。
「実は、この子の事ですが、佐敷に連れて行くようにと御隠居様から言われておりました」
「えっ?」とサハチは驚いた。
 意味がわからなかった。
「わたしは御隠居様の正式な妻でも側室でもありません。それはわたしが望まなかったのです。御隠居様は自分が亡くなったあとの事を心配して、後妻に迎えるつもりでしたが、わたしは断りました。御隠居様が亡くなられてしまったあと、知っている人のいないグスクで暮らすのは嫌だったのです。御隠居様が亡くなられたら、わたしは子供を連れて実家に帰りたいとお願いして、御隠居様は許してくれました。ですから、御隠居様が亡くなられたあと、わたしは実家に帰って、葬儀にも出席していません。この子はウミンチュにしようと思っていましたが、子供の頃から馬に乗っていたので、馬術は得意ですし、二年前から弓矢のお稽古にも励んでおります。子供の生き方を親が決めてはうまくないと思って、クグルーに聞いたら、サムレーになりたいと言いました。御隠居様からサムレーになりたいと言ったら、佐敷に連れて行くようにと言われました。どうか、この子の事をお願いいたします」
 ナミーは深く頭を下げた。
「どうか、顔を上げて下さい。御隠居様の頼みでしたら、喜んでお引き受けいたします」
「本当でございますか」
「御隠居様には随分とお世話になりました。いえ、あなたにもお世話になっております。恩返しができると思えば、本当に嬉しい事ですよ。しかし、どうして、わたしに頼むのでしょうか。御隠居様の息子であれば、小禄は勿論の事、浦添のサムレーにもなれるでしょうに」
「わたしにも、どうしてなのかはわかりませんが、時々、御隠居様はあなた様御夫婦の噂をして、今年の夏は遊びに来るかなと言って、来られるのを楽しみにしておりました。小禄浦添からも、お客様はいらっしゃいますが、皆、堅苦しい人ばかりです。御隠居様が心を許してお話しできるのが、あなた様方だったのではないでしょうか」
「そうだったのですか‥‥‥」
 サハチの目は潤んできていた。御隠居が自分たちが来るのを楽しみにしていたなんて知らなかった。知っていたなら、毎年でも顔を出したのにと悔やまれた。
 サハチは御隠居の息子を引き受ける事にした。空き家となったままのヒューガの屋敷を母子に与えて、隣りに住む苗代大親にも世話を頼んだ。
 その頃、山北王の使者が便乗した中山王の進貢船(しんくんしん)が帰って来た。進貢船には二隻の船が一緒に付いて来た。ようやく、山北王も海船を賜わる事ができたようだった。中山王は三隻目の船だった。
 五月になって梅雨は明けたが、今年の旅は中止となった。マチルギのお腹が大きくなっていた。今度こそ、絶対に女の子よとマチルギは言っていた。
 サハチ夫婦の旅は中止になったが、マサンルー夫婦が母と妹や弟を連れて、『ハーリー』を見に行き、その人出の多さに驚いていた。
 七月に大きな台風が来た。なぜか、佐敷ヌルが台風が来る事を予言した。村人たちに予防を促したため、大きな被害を食い止める事が出来たので助かった。佐敷ヌルはみんなから感謝されて、恥ずかしそうに照れていた。
 佐敷は被害がなかったが、『首里天閣(すいてぃんかく)』が倒壊したとの噂が流れて来た。察度が亡くなったあと、首里天閣は察度の五男の崎山大親(さきやまうふや)が管理していたという。管理していたといっても、住んでいたわけではなく、時々、見回っていただけだったらしい。人が住まなくなると、建物はもろくなってしまうのだろうか。あんなにも太い柱で作られていた楼閣が、倒壊してしまうなんて信じられなかった。浦添城下では首里天閣が倒れたのは、何か悪い兆(きざ)しではないだろうかと人々が怯えているという。
 台風が過ぎた三日後のよく晴れた日に、マチルギが六人目の子供を産んだ。マチルギの願いも届かず、またもや男の子だった。曽祖父の名前をもらってヤグルーと付けようとしたが、弟の名前と同じになるので、『マグルー(真五郎)』と名付けた。
 マグルーの誕生を祝いに来たクマヌから、明国(みんこく)(中国)の洪武帝(こうぶてい)が亡くなったようだと知らされた。
洪武帝の死は、琉球にも影響するのですか」と聞くと、
家督争いが始まれば、進貢船は中止されるじゃろう」とクマヌは答えた。
 明国でも皇帝の座を巡って、兄弟で戦をするのだろうか。人間の欲というのは、国が変わっても同じようだとサハチは思った。