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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

53.汪英紫、死す(最終決定稿)

 不思議な道士のファイチ(懐機(かいき))は琉球を知るために、旅に出て行った。
 旅に出る前に、浮島の久米(くみ)村から家族を連れて来た。久米村は物騒だから佐敷に置いてくれという。サハチは喜んで引き受けた。新しい屋敷を祖父の隠居屋敷の近くに建てる事にして、それまではクマヌに預かってもらう事にした。
 優しそうな奥さんと二人の子供がいて、七歳の男の子がファイテ(懐徳)、五歳の女の子がファイリン(懐玲)という名で、二人とも目がクリッとした可愛い子だった。奥さんも子供も島の言葉はしゃべれなかった。
「わしもここに来た当初はしゃべれなかった。それでも何とかなるもんじゃよ」とクマヌは笑って、預かってくれた。
「唐人(とーんちゅ)の子供も可愛いのう」とファイチの家族を預かって、しばらくしてから、クマヌはサハチに言った。
「子供は言葉を覚えるのも早い。うちのかみさんも初めのうちは、どう接していいのか戸惑っておったが、今は手振り身振りで楽しくやっている。ファイチの嫁もよくできた嫁じゃ。異国の地で寂しいじゃろうが、よく頑張っている。それにしても、按司様(あじぬめー)が久米村で会って、気に掛けていた唐人が、佐敷にやって来るなんて、やはり、縁があったんじゃのう」
「ササのお陰ですよ。ササが話し掛けなければ、会えなかったかもしれません」
「そうかもしれんが、あの道士、馬天浜の離れに一晩泊まって、次の日は旅に出ずに、ぽんやりと海を見ていたというではないか。按司様を待っていたのかもしれんぞ」
「まさか。でも、会えてよかった。言葉がうまく通じないので、どうして明から逃げて来たのかわかりませんが、彼は何かを持っています。将来、俺を助けてくれるような気がします」
「唐人を味方に付ければ、将来、かならず役に立つはずじゃ」
「唐人だからというわけではないんです。あの時は気づかなかったけど、ウニタキと初めて会った時のような感じなのです。初めて会った時、ウニタキがどんな男なのか知りませんでしたが、会った時、こいつは信用できると感じたんです。ファイチに会った時も、それと同じような感じを受けました」
「そうか。向こうもそう感じたのかもしれんな。家族を佐敷に呼んだのじゃからな」
 ファイチが旅立ってから十日後、垣花(かきぬはな)按司の娘が八重瀬(えーじ)按司の次男に嫁いで行った。サハチも垣花グスクまで行って花嫁を見送った。そして、翌月には、八重瀬按司の娘が玉グスク按司の三男に嫁いで来た。サハチは玉グスクに行って花嫁を迎えた。八重瀬按司は着実に、東方(あがりかた)の按司たちとの関係を強化していた。
 二月に倒れた山南王はすっかり元気になって、密貿易に励んでいるという。明国では皇帝を巡る家督争いが続いていて、進貢船(しんくんしん)を送っても応天府(おうてんふ)まで行く事ができず、泉州で取り引きをして帰って来るらしい。
 マチルギのお腹が大きくなっていて、恒例の旅は中止となった。佐敷ヌルはがっかりしていたが、マチルギのお腹を見て、仕方ないわねと諦めた。その代わりに、馬天ヌルと一緒に旅立って行った。知念にある古いウタキを案内するという。ユミーとクルーも一緒に行った。
 馬天ヌルと佐敷ヌルは一か月余りの旅をして帰って来た。馬天ヌルも佐敷ヌルも近寄りがたいような神気が漂っていた。益々、シジ(霊力)を高めたらしい。
 ファイチが帰って来たのは七月の半ば頃だった。琉球を一回りして来て、この島の事がよくわかったという。島言葉もかなり、うまくなっていた。
「この島には三人の王がいます」とファイチは言った。
「北(にし)の王は若い。はつらつとしていて、これから益々栄えるでしょう。中山(ちゅうざん)の王は影が薄い。先代の王が偉大すぎたようです。先代を超えようと焦っています。十年以内に転ぶでしょう。南(ふぇー)の王は先がない。一年以内に亡くなるでしょう」
「何だって、山南王が一年以内に亡くなるというのか」
 サハチが驚いて聞くと、ファイチは確信に満ちた顔をしてうなづいた。
「三人の王に会ったのか」
「北の王は馬に乗って出掛ける所を見ました。中山の王は久米村にいた頃、見た事があります。南の王は糸満(いちまん)の港で見ました」
「そうか、実際に見たのか。中山王が十年以内に転ぶとは、死ぬという意味なのか」
「死ぬのかもしれませんが、王の地位からは転げ落ちます」
「十年か‥‥‥他に何か、気づいた事はなかったか」
琉球には神様がいっぱいいる事に気づきました。神様がいっぱいいるという事は、この島の人たちは、様々な神様を受け入れて来たという事です。来る者は拒まずといった大らかな性格なんでしょう。田舎の村を訪ねても、唐人のわたしを皆さん、歓迎してくれました。ここは素晴らしい所です」
 サハチは昔、クマヌが同じような事を言っていたのを思い出していた。唐人なんて初めて見る田舎の人たちが、ファイチを歓迎する様子が目に見えるようだった。
「ヒューガというヤマトゥンチュを知っていますか」とファイチは言った。
「えっ」とサハチはファイチを見た。
「ヒューガ殿に会ったのですか」
「北の海辺にいた時、船が近づいて来て、その船から小舟に乗って、三人のサムレーがやって来ました。その内の一人が声を掛けてきて、しばらく話をしたのです。ヤマトゥから来た倭寇(わこう)だと言っていました。倭寇というのは明の国でも暴れているので知っていますが、どうして、琉球倭寇がいるのか不思議でした。話をしているうちに佐敷の話になって、ヒューガという人は、佐敷の按司にお世話になったと言いました」
「そうでしたか。あの人はわたしの武術の師匠です」
「武術の師匠‥‥‥確かに強いとは思いました」
「八年前まで佐敷にいたんですが、南蛮に行くと言って出て行ったのです」
 ファイチが師匠と出会ったとは驚きだった。ファイチを見て、ただ者ではないと思って、師匠は話しかけたのだろうか。
 もう少しで屋敷が完成するので、もうしばらく、クマヌの屋敷にいてくれと言って、ファイチを帰した。
 ファイチが帰ったあと、サハチは裏山のウニタキの屋敷に向かった。いないかもしれないと思ったが、うまい具合にいた。
 ウニタキは見た事もない楽器を鳴らしていて、三人の子供たちが笑いながらそれを見ていた。
「何だ、それは」とサハチはウニタキに聞いた。
「三弦(サンシェン)という明の楽器だ。この前、浮島でこいつを弾きながら、歌を歌っている唐人に会ったんだ。言葉はわからないが、その歌を聴いていたら、胸がジーンとしてきてな、面白いと思って、久米村で手に入れたんだが、思うように弾けんのだ」
「お前がそれを弾きながら、歌を歌うのか」とサハチは大笑いした。
「おかしいか。お前だって柄にもなく笛をやっているじゃないか」
「おかしくはない。まあ、頑張れ」と笑いながら言って、「ファイチが帰って来た」とサハチは告げた。
 ウニタキはうなづいた。
「大丈夫だとは思ったが、一応、配下の者を付けておいたんだ」
「そうだったのか。悪いな」
「面白そうな奴だな。のんびり歩いていたかと思えば、突然、走るような速さで山を登るらしい。息も切らさずに、平気な顔をして山頂からの眺めを楽しんでいるそうだ。それに、どこでも平気で眠るらしい。それが不思議で、蚊が飛び回っている所で寝ても蚊に食われんし、ハブがいる所でもハブの方が逃げて行くそうだ。ファイチのあとを追っていた奴は、蚊に食われて大変だったらしい。お前が言っていた不思議な術は一度も使わなかったが、あいつはただ者ではないと恐れていたよ」
「そうか‥‥‥やはり、不思議な男だな」と言ってサハチはウニタキを木陰に誘った。
 ウニタキは楽器を長女のミヨンに渡して立ち上がった。
 木陰の腰掛けに腰を下ろして、「ファイチが言うには、山南王の命はあと一年もないというんだ。どう思う」とサハチはウニタキに聞いた。
「あいつが言うのなら本当かもしれんぞ」と三弦を鳴らしているミヨンを見ながらウニタキは言った。
「俺もそんな気がする」
「山南王が死んだら忙しくなるな」
「抜かりはないと思うが、頼むぞ」
「ああ」とウニタキはうなづいたあと、「トゥミが三日前に男の子を産んだ」と言った。
「そうか‥‥‥トゥミは無事なんだな」
「大丈夫だ」
 ヤフスの子供を産んで、トゥミの気持ちがヤフスに移らなければいいがとサハチは心配した。
「それとな、中山王だが、ようやく、首里天閣(すいてぃんかく)を片付けたぞ」とウニタキは言った。
「今頃になって片付けたのか」
 サハチは倒れたまま朽ち果てていた首里天閣を見ていた。察度が誇りにしていた首里天閣の姿はあまりにも無残だった。倅の武寧(ぶねい)はこれを見ても何も思わないのだろうか。もしかしたら、ここに足を運んでいないのかもしれない。察度がこの有様を見たら、情けなく思うだろうと、その時、思っていた。
首里天閣を片付けたあと、新たに整地をしている。どうやら、あそこにグスクを築くようだ」
「なに、あそこにグスクを築くのか」
「場所としては最高だろう。浮島を見下ろせるし、浦添も見えるし、南部も見える。察度はあそこにグスクを築いて、浦添から移ろうとしたらしい。しかし、あれだけ栄えている浦添を移すのは難しいと諦めたようだ。武寧は父親が果たせなかった夢を実現しようと決心したようだな」
「ほう。武寧がそんな大それた事をやろうとしているのか」
「父親が偉大だったので、何かというと先代はああだったといって比較される。それで、察度ができなかった事をやり遂げて、皆を見返したいと思ったようだな」
「そうなると、かなり大きなグスクを築くつもりなんだな」
「噂では明国の宮殿を模した華麗なグスクらしい」
「そうか‥‥‥武寧だが、あと十年以内に転ぶだろうとファイチが言っていた」
「十年以内か。十年もあれば首里のグスクは完成するだろうが、その途中で転ぶかもしれんな」
 旅から帰って来たファイチは、サハチとマチルギに明国の武術を披露した。明国にも剣術、棒術、槍術があるという。ファイチが演じた形(かた)を見ると、独特の動きをして、体を回転させる技が多かった。
 サハチはファイチと棒術の試合をした。佐敷按司になってからも、サハチは武術の稽古だけは怠りなくやっていた。父とマニウシの試合を見て以来、棒術には念を入れて修行に励み、かなりの自信は持っていた。
 サハチはファイチの回転する動きに惑わされないように、棒の動きだけを見ながら戦った。お互いに、相手が打ったり突いたりして来るのを身をかわしてよけ、棒と棒がぶつかり合う音は一度も聞こえて来なかった。時には宙に舞い、二人とも人間業とは思えない戦いだった。
「それまで!」とマチルギが声を掛けて、二人は動きを止めた。
 お互いに頭を下げて、相手を見ながら満足そうに笑い合った。
 いつの間にか見物人が回りにいて、二人を称えて拍手を贈った。
「わたしが思った通り、あなたは強かった」とファイチは言った。
「あなたも思っていた通りに強かった」とサハチは言った。
 サハチは美里之子(んざとぅぬしぃ)の道場で、若い者たちに明国の武術を教えてやってくれと頼んだ。ファイチは喜んで引き受けてくれた。
「娘たちにも見せてやって下さい」とマチルギが頼んだ。
 ファイチは引き受け、その日の稽古の時、馬天ヌルを相手に今度は剣術を披露して、娘たちから喝采を浴びた。
 マチルギは自分がやりたかったのだが、お腹に子供がいるので諦めた。
 それから一か月後、マチルギが六男を産んだ。
 マチルギの曽祖父の名前をもらおうと思ったが、今帰仁按司の長男は代々、チューマチを名乗っているという。四男と同じ名前では具合が悪いので、ウリーと名付けた。マチルギが潤んだ目をしていて可愛いと言ったので、潤い(うりー)と名付けたのだった。
 その頃、ファイチの屋敷も完成して、ファイチは祖父の隠居屋敷の近くに移って行った。ファイチの子供たちを孫のように可愛がっていたクマヌは、ファイチたちが出て行ってしまうと、寂しくてたまらん。ずっといてもよかったのにとぼやいた。
 八月の半ばを過ぎた頃、佐敷ヌルが、まもなく大きな台風が来ると告げた。そのすぐあと、馬天ヌルもやって来て、台風の事を告げた。
「十二年前の台風よりも大きいわよ」と馬天ヌルは言った。
「あの時、馬天浜にあった、あたしのおうちが壊れたけど、あの時よりも大きいのが来るわ」
 サハチは重臣たちを集めて、台風の対策を練り、手分けして村人たちに知らせるように命じた。サハチ自身もグスク内を見回ろうと外に出たら、ファイチがやって来た。
「大きな台風が来ます」とファイチも言った。
「馬天ヌルと佐敷ヌルからも言われました。今、村人たちにも知らせています」
「そうでしたか」とファイチは安心したように笑った。
 サハチはファイチと一緒にグスク内を見回り、ファイチの指示によって補強すべき箇所を家臣たちに伝えた。
 三日後、大きな台風はやって来た。
 避難して来た村人たちに大広間を開放して、炊き出しも始めた。佐敷ヌルも自分の屋敷を開放していた。雨と風が昼過ぎから強くなり、日が暮れる頃には最高潮に達して、外に出られる状況ではなくなった。打ち付ける雨と風の音を聞きながら一睡もできず、皆、無事を祈りながら長い夜を過ごした。
 夜が明けた頃には、ようやく風も弱まって来た。まだ雨は降っていたが、サハチは家臣たちに命じて、被害状況を調べさせた。前もって対策をしたにもかかわらず、予想以上の被害が出ていた。吹き飛ばされた家がいくつもあり、大きな木が倒れて潰された家も何軒かあった。海には、どこから流されて来たのか壊れた船が転覆していて、その船のかけらか、木屑が一面に浮いていた。田畑の作物は塩にやられて全滅だった。
 正午近くには、雨もやんで日が差してきた。さっそく、サハチは家臣たちを引き連れて、復旧作業を開始した。マチルギと佐敷ヌルも、娘たちを引き連れて復旧に当たった。ウニタキも出て来た。ウニタキの屋敷は大丈夫だったが、かなりの木が倒れているという。サハチはウニタキに、佐敷以外の各地の被害状況を調べてくれと頼んだ。馬天ヌルもファイチと一緒にやって来た。仲尾地区はそれ程の被害はなかったようだが、ファイチはこんな体験をしたのは初めてだと、台風の凄まじさに驚いていた。
 ウミンターの屋敷は充分な対策をしたので、被害はあまりなかった。それでも被害を受けた者たちが大勢、避難していた。
 サハチたちは泥だらけになって、日が暮れるまで作業を続けた。
 暗くなってからウニタキがグスクに来て、「かなりひどいぞ」と言った。
「浮島の回りには沈んだ船がかなりある。明から来た密貿易船だ。船に乗っていた者たちの死体も浜に打ち上げられているし、積んでいた荷物も海の上に散乱している」
「そんなにもひどいのか」
「奴らは大損だろう」
「『よろずや』は大丈夫だったか」
「大丈夫だ。見た目は粗末だが、しっかりと作ってあるからな。大通りに面した家も、何軒か屋根を飛ばされ、安普請の女郎屋(じゅりぬやー)が吹き飛ばされていた。ハリマの宿屋は大丈夫だった」
 その後、各地の被害が伝わってきた。それは想像を絶する被害だった。海辺の村では、何軒もの家が吹き飛ばされ、数多くの死者を出していた。沈んだ船も多かった。田畑の作物は全滅で、今後、飢饉になる恐れがあった。キラマの島とヒューガの船は大丈夫だろうかとサハチは心配した。
 復旧には三か月余りを要し、十一月の半ば過ぎにようやく、避難していた人たちも帰って行った。台風は避ける事ができないとはいえ、今年の台風は悲惨すぎた。もし、佐敷ヌルや馬天ヌル、ファイチの予言がなかったなら、佐敷も死者を出していたかもしれなかった。
 一安心したサハチは庭に出て、海を見ながら久し振りに笛を吹いていた。自分でも上達したと思っている。どうにか思う通りの音が出せるようになっていた。
 ウニタキがニヤニヤしながらやって来た。
 サハチが吹くのをやめると、「お前に笛は似合わん」と言った。
「うるさい」とサハチは言って、また吹こうとした。
「山南王が亡くなった」と言うウニタキの言葉を聞いて、体が動かなくなってしまったかのように止まったまま、首だけ回してウニタキを見た。
「亡くなったのか」とサハチは聞き返した。
「今朝だ。いつものように起きたんだが、突然、倒れて、そのまま亡くなったらしい」
「早すぎる」とサハチは言った。
「親父に知らせてくれ」
「もう向かっている」
「そうか。忙しくなるな」
「ああ。大忙しになる」
「八重瀬と豊見グスクの動きは?」
「まだわからん。突然の事だったからな。どちらも今から少し前に知った事だろう。先に島尻大里(しまじりうふざとぅ)を制圧した方の勝ちだな。シタルーもタブチも今頃、兵たちを怒鳴って出陣の仕度をしているに違いない」
「遺言のような物は残したのかな」
「山南王は抜かりがない。前回、倒れたあと、シタルーに書き付けを渡しているだろう」
「そうだろうな。こちらもそれなりの準備をしたいが、それはできん。どこかから知らせが来るまで知らん振りをしなければならん。まったく、歯がゆい事だ」
「裏の方は任せておけ。連絡体制は整えておく」
「頼んだぞ」
 ウニタキは厳しい顔付きでうなづいた。
「こんな時こそ、馬鹿面して笛を吹いていればいい」
「何だと」とサハチはウニタキを見たが、そこにはもう誰もいなかった。
 洪武三十四年(一三四一年、実際は建文(けんぶん)三年だが、琉球は知らなかった)十一月二十二日、サハチの宿敵だった汪英紫(おーえーじ)は亡くなった。六十四歳の生涯だった。