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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

62.マレビト神(最終決定稿)

尚巴志伝 第一部

 去年の台風で、密貿易船はかなりの被害を受けていたのに、懲りずに今年も何隻もやって来ていた。
 島添大里(しましいうふざとぅ)按司の倉庫は与那原(ゆなばる)の港にあった。亡くなった前山南王の汪英紫(おーえーじ)が建てた物で、汪英紫が島添大里按司だった頃、進貢船(しんくんしん)を明国に送った時に使用されていた。ヤフスが按司になってからは使用する事はなく、倉庫の中は空っぽだったが、再び、山南王のシタルーとの取り引きで手に入れた明国の商品が収納された。
 与那原と島尻大里(しまじりうふざとぅ)を結ぶ街道(かいどう)は荷物を満載した荷車が行き交い、まるで、浦添(うらしい)と勝連(かちりん)を結んでいる街道のように賑やかになっていた。この調子で行けば、シンゴに毎年、来てもらうだけでは間に合わなくなる。こちらからもヤマトゥに行きたかった。しかし、肝心の船がない。ヒューガの船はあるが、裏の仕事で使っている船を表で使う事はできない。何とかして、船を手に入れたかった。
 久高島から帰って来た翌日、サハチはシンゴと相談しようと二人の従者を連れて浮島に向かった。浮島には去年の台風の痕跡はどこにも見当たらなかった。台風の被害なんか、何もなかったかのように賑わっていた。
 うまい具合に、シンゴの船はまだいた。サハチは港の人足に小舟(さぶに)を出してもらって船まで行った。
 シンゴに会うと、取り引きも終わって、明日、出帆する所だったという。サハチの顔を見たシンゴは、何だか落ち着きがなく、そわそわしていた。何かあったのかなと思ったが、それよりも、船の事の方が重要だった。
 サハチは中古の船でもいいから、手に入らないかと聞いた。
「船か‥‥‥」と言って、シンゴは考えていた。
対馬にも余っている船はないんだ。ほとんどの大型船が投降した者たちと一緒に朝鮮(チョソン)にいる‥‥‥だが、待てよ。要するに、船が使えればいいんだろう」
「どういう意味だ」
「船を借りるんだ」
「そんな事ができるのか」
「『一文字屋』が貸してくれる」
「坊津(ぼうのつ)と博多に、店を出している刀屋だな」
「そうだ。積み荷の一部は貸し代として取られるが、それで、よければ借りられるぞ」
「船乗りはどうする」
「船乗りは雇うしかないが、それは何とかなるだろう」
「そうか。できたら、来年、来る時に、その船と一緒に来てくれないか」
「わかった」とシンゴはうなづいた。
「間に合ってよかった」とサハチはホッとして笑った。
 サハチは船の上から浮島を眺めながら、「お前が羨ましいよ」とシンゴに言った。
「何度もヤマトゥと琉球を船で旅できるんだからな。このまま、この船に乗って対馬に行きたいよ。イトと娘のユキに会いたい」
 シンゴは笑って、何かを言いたそうだったが何も言わなかった。
 サハチはシンゴと別れて、島添大里に戻った。
 島添大里グスクにフカマヌルが来ていた。馬天ヌルとササも一緒で、屋敷の二階からグスク内を眺め、その大きさに驚いていた。
「お母さんから、お兄さんが敵のグスクを奪い取ったと聞いていたけど、こんなにも大きなグスクだったなんて思ってもいなかったわ。凄いわねえ」
「皆さんのお陰ですよ」とマチルギが言って、ね、と言うようにサハチを見た。
「久高島で鍛えられた若者たちが大活躍をしてくれました」とサハチは言った。
「あの頃は賑やかだったわ」とフカマヌルは当時を思い出しているように、遠くの海を見つめていた。
 フカマヌルは屋敷の中を見たあと、東曲輪(あがりくるわ)に行って、佐敷ヌルと再会した。佐敷ヌルは再会を喜び、今晩はここに泊まって行くようにと勧めた。馬天ヌルも勧めるので、フカマヌルはお世話になる事になった。
 フカマヌルが佐敷ヌルと一緒に屋敷に入ったあと、「お袋に言ったのですか」と馬天ヌルに聞くと、首を振った。
「久高島でお世話になったフカマヌルと言っただけよ。フカマヌルも大人だから大丈夫よ」
「ありがとう」
「昨日の夕方、フカマヌルも剣術のお稽古に加わったのよ。お母さんからちゃんと剣術を教わっていて、かなりの腕だったわ。それが、面白いのよ」
 馬天ヌルはそう言って、一人で笑っていた。
「何が面白いんです」とサハチは聞いた。
「あの娘(こ)、ヌルの修行と剣術の修行を一緒にやっていてね、ササと同じなのよ。それで、ヌルというのはみんな、剣術の修行をするものと思っていたのよ。あたしが、剣術の修行をしているヌルは特別で、普通のヌルはそんな事はしないって言ったら驚いていたわ。もしかしたら、ササもそう思うのかなって思ったら、おかしくって」
 馬天ヌルは振り返ったが、ササの姿はなかった。
「あれ、どこ行ったの。ちょっと目を離すと、すぐにいなくなるのよ」
 サハチも捜した。どこにも見当たらなかった。もしかしてと、物見櫓(ものみやぐら)の上を見上げたら、ササの姿があった。
「いました」とサハチは指で示した。
「まったく、あの子ったら」
 ササは物見櫓の上で楽しそうに踊っているようだった。
 次の日、馬天ヌルはまたやって来た。フカマヌルを迎えに来たのかと思ったら、話があるという。二階に上げようとしたら、「内緒の話だから、あそこの方がいいわ」と言った。
「あそこって、どこです」
 馬天ヌルは外に出て、東曲輪の物見櫓を指さした。母子(おやこ)して高い所が好きらしい。
 サハチと馬天ヌルは梯子(はしご)を登って、物見櫓の上まで行った。
「涼しくて気持ちいいわね」と言って、馬天ヌルは海の方を眺めた。
「余程、聞かれたくない話のようですね」
「そう。誰にも絶対に秘密よ」
「一体、何の話です」
「ウニタキを呼んでほしいのよ」
「ウニタキに誰かを殺してほしいのですか」
 馬天ヌルは驚いた顔をして、サハチを見つめた。
「あの人、そんな事もしているの」
「まだ、そんな事はしていませんが、必要とあらば、そのくらいの事はするでしょう」
「殺すんじゃなくて、生かす方よ」
「言っている意味がわかりませんよ」
「フカマヌルのマレビト神(がみ)が、ウニタキなのよ」
「何ですって!」
 サハチは予想外の言葉に驚き、馬天ヌルの顔をじっと見つめていた。いつも、馬天ヌルには驚かされるが、今回ほど驚いた事はなかった。
「どうして、ウニタキなんですか」
「さあ」と言うふうに馬天ヌルは首を傾げた。
「でも、二人を会わせてみれば、わかるはずなのよ。フカマヌルのマレビト神がウニタキだったら、間違いなく二人は結ばれるわ。それは避ける事ができない事なの」
「それなら、放っておいても結ばれるでしょう」
「そうかもしれないけど、フカマヌルが今、ここにいるんだから会わせるべきでしょ。久高島に帰ってしまったら、二人が出会うのは何年先になるかわからないわ。その時はもう手遅れになってしまうかもしれないじゃない」
「何が手遅れになるんですか」
「跡継ぎよ」
「ええっ、ウニタキの子をフカマヌルに産ませたいのですか」
「ウニタキがマレビト神だったらの話よ」
「そんな事はできません。フカマヌルは俺の妹ですよ。妹をウニタキに抱かせるなんて‥‥‥ウニタキの奥さんは俺の叔母さんなんですよ。チルーを悲しませる事なんてできませんよ」
「勿論、チルーには秘密にしておくのよ」
「駄目です」とサハチははっきりと断った。
「あら、そうなの」と馬天ヌルはムッとしていた。
「いいわ。それなら、この話はなかった事にしましょう」
 馬天ヌルはサハチに背を向けて、下に降りようとした。
「その代わり、奥間(うくま)の事はお師匠(マチルギ)に話すわね」
「ええっ、ちょっと待って下さいよ。どうして、奥間の話がここに出てくるのです」
 馬天ヌルは返事もせずに、梯子に足を下ろしていた。
 サハチは溜息をついた。
「わかりました。ウニタキを呼びますよ」
 馬天ヌルは急に笑顔になって、「よろしくね」と言った。
 下に降りると馬天ヌルは佐敷ヌルの屋敷に入って行った。
 サハチは一の曲輪の屋敷に戻り、侍女のナツに、ウニタキを呼んでくれと頼んだ。
 まったく、何で、ウニタキがフカマヌルのマレビト神なんだ。ウニタキとフカマヌルが結ばれたら、俺とウニタキは兄弟という事になる。今の叔父と甥の関係よりは兄弟の方がましかもしれないが、妹とウニタキを結びつける手伝いをする羽目になるとは思ってもいなかった。
 ウニタキがどこかに行っていて、連絡が取れなければいいと願っていたが、一時(いっとき)後、ナツが戻って来て、いつもの場所で待っていると伝えた。
 サハチは城下の『まるずや』に向かった。
 『よろずや』の看板に、ちょっと手を加えて『まるずや』にしただけだった。まったく、いい加減な奴だ。
 店の裏の屋敷に行くと、ウニタキはのんきそうな顔をして、縁側でクバ扇を仰いでいた。
「丁度、帰って来た所だった」とウニタキは言った。
「まさか、勝連(かちりん)に行ったのではないだろうな」
「その、まさかだ」
「危険すぎるぞ」
「危険な真似はしないよ。ウミンチュになって、みんなの噂を聞いていただけだ」
「そうか」と言って、サハチはウニタキの目を見た。嘘は言っていないようだった。
「それで、何かわかったのか」
「確かに、兄貴たちの仲はよくないようだ。前回の戦の時、次兄の江洲(いーし)按司は兵を率いて、中山王と一緒に島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクを包囲していたんだ。正月も祝えずに、二か月も苦労したのに、長兄の勝連按司は盛大に正月を祝っていたそうだ。江洲按司が疲れ切った兵と共に帰って来た時も、側室が子供を産んだお祝いの宴を開いていて、ねぎらいの言葉も掛けなかったらしい。江洲按司は腹を立てて、江洲グスクに帰り、その後、勝連には現れなくなったようだ」
「どうしようもない兄貴だな」
「元々、按司の器じゃないからな。自分では何もせずに、人をけなす事しか考えていない」
 情けないというようにウニタキは苦笑した。
「望月党の事は何かわかったのか」とサハチは聞いた。
 ウニタキは首を振った。
「望月党の事は噂にはならない」
「そうか。望月党のお頭というのがどんな奴だか知らないが、そんな按司の言う事など聞くまい」
「俺もそう思うが、望月党の事は何もわからなかった。ただ、北谷(ちゃたん)がからんでいる事がわかった。北谷といっても若按司だ。若按司の妻は殺された江洲按司の娘なんだ。謀反(むほん)を起こして、江洲按司も若按司も殺されたと勝連から伝えられたようだが、信じられないといって、密かに真相を調べているようだ」
「北谷の若按司の配下の者が、勝連をうろうろしていたのか」
「そうじゃない。江洲按司に近づいているんだ。今年の三月、北谷の若按司の娘が江洲按司の若按司に嫁いでいる」
「江洲按司だって、先代を殺した一味だろう」
「多分、知っていて近づいたのだろう。北谷按司は江洲按司に、兄を倒して勝連按司になれ、とけしかけているようだ。江洲按司に勝連按司を倒させ、そのあと、江洲按司を倒そうと思っているのかもしれん」
「そんな事が噂だけでわかったのか」
「いや、配下の者に北谷を探らせたんだ」
「北谷も危険だぞ。勝連に関わっているとなると、望月党がいるかもしれん」
「ああ、その事は充分、注意するように言ってある。配下の者の報告によると、北谷に望月党の影はなかったようだ」
「そんな事がわかるのか」
「十年間、望月党と同じような事をやっていると、こんな時、こんな場合での動きというものがわかってくるんだ。どこかに忍び込む場合も、そんなにも方法があるわけではない。やる事は同じなんだよ。潜入する場所に何らかの形跡があれば、望月党がいる事になるが、そんな形跡はどこにもなかったらしい」
「そうか‥‥‥十年も続けていると色々とわかるものなんだな。望月党のお頭の気持ちもわかるんじゃないのか」
「今の望月党のお頭が何代目かは知らんが、初代のお頭は勝連按司のために必死に働いたのだろう。按司になった男が、その器ではないと気づけば、すげ替えるかもしれんな」
「兄を殺して、弟に替えるのか」
「次兄も長兄と同じようなものだ」
「そうなると誰と替えるんだ」
「さあな。自分が按司になる気なのかな」
「望月党のお頭が按司になるのか」
「俺にはわからんよ」
「それにしても、北谷の若按司は何で、今頃になって、殺された江洲按司の事を調べているんだ。もう十年以上も前の事だろう」
「ずっと、調べていたのだろう。だが、何もわからなかった。最近になって、何かをつかんだのかもしれない」
「まだ、勝連を調べるつもりなのか」
 ウニタキは首を振った。
「何かが起こるだろう。しばらくは様子を見ているさ。ところで、今日は何か用があったのか」
「今回は俺じゃないんだ。馬天ヌルがお前に用があるらしい」
「馬天ヌル?」
「俺にも何の用だか教えてくれない。佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)の佐敷ヌルの屋敷を訪ねてみてくれないか」
「あそこに馬天ヌルがいるのか」
「佐敷ヌルがこっちに移ったから、今、娘と一緒にあそこにいるんだよ」
「そうか。馬天ヌルの頼みなら断るわけにはいかんな」
「頼む」と言って、サハチはウニタキと別れた。
 翌日、気になって、佐敷グスクに馬天ヌルを訪ねると、馬天ヌルは嬉しそうな顔をして、「ウニタキはフカマヌルのマレビト神だったわ」と言った。
「出会った途端に、二人にはわかったみたい。あたしの出番はなかったわ。あんなに幸せそうなフカマヌルの顔を初めて見たわ」
「それで二人はどこに行ったのです」
 馬天ヌルは首を傾げた。
「仲よく、二人でどこかに行ったわよ」
「ウニタキがフカマヌルのマレビト神か‥‥‥」
 サハチは馬天ヌルの顔を見ながら、意味もなく笑った。
 その後、二人はどこに行ったのかわからず、六日後、フカマヌルは島添大里グスクの佐敷ヌルの屋敷に現れた。
 佐敷ヌルに呼ばれて、サハチが会いに行くと、フカマヌルは確かに幸せそうだった。ウニタキと一緒に浦添に行ったり、浮島に行ったり、島尻大里に行って来たという。
「どこも人が多くて、見た事もない物がいっぱいあって、驚く事ばかりだったわ。でも、あの人と一緒にいて、とっても幸せだったの」とフカマヌルは嬉しそうに言った。
 ウニタキはどこに行ったのか現れなかった。
 それから二日後、フカマヌルはマサンルーに送られて久高島に帰って行った。来た時よりも、ずっと元気になっていた。輝くような美しさで、馬天ヌルと佐敷ヌルの影響か、神々しさも増していた。
 暑い日々が続いたが、今年は大きな台風に悩まされる事もなく、何事もない二月余りが過ぎて、八月の半ば、ファイチが真っ黒に日焼けして帰って来た。
「面白かったです」とファイチは本当に楽しそうに言った。
「キラマの島はとても綺麗で、素晴らしい所です。子供たちを連れて行ってやりたいと思いました」
「そうか。俺も行ってみたいよ」
「サハチは駄目だと師匠(サハチの父)が言っていました」
「わかっている」とサハチは苦笑した。
「ヒューガと一緒に山賊をしました」
「えっ、ファイチも山賊になったのか」
「悪い人を懲らしめました。ヒューガはよい事をやっています。鉄屑(てつくず)を持って奥間(うくま)にも行って来ました。奥間には一夜妻(いちやづま)という綺麗な女子(いなぐ)がいて、いい思いをして来ました」
「ファイチも一夜妻を抱いたのか」
「いい女子でした」とファイチは嬉しそうに笑った。
「でも、妻には内緒です」と言って、人差し指を口の所に持っていった。
 サハチは笑って、うなづいた。
「奥間にはヒューガの娘さんがいました」
「ええっ!」とサハチは驚いた。
「それは馬天ヌルには内緒だそうです。馬天ヌルはヒューガの奥さんですか」
「まあ、そんなようなものだな」
「ヒューガの娘さんはとても綺麗な娘でした」
 ヒューガの娘が奥間にいたとは知らなかった。サハチの息子とは関係なく、娘がいるから、奥間に鉄を運んでいるのかもしれなかった。
「ヒューガと別れたあと、久米(くみ)村に寄って来ました。明国の戦が終わったようです。新しい皇帝が決まって、密貿易船は慌てて帰って行きました」
「ええっ!」とサハチはまた驚いた。
「密貿易船が帰って行ったのか」
「早く帰らないと捕まってしまうと大慌てで帰って行きました」
「そうか。明国の戦が終わったのか」
 密貿易で、もう少し稼ぎたいと思っていたのに、もう、明からの船は来なくなってしまうのか。残念だが、仕方がなかった。あとはシタルーの進貢船に頼るしかなかった。
「新しく皇帝になった永楽帝(えいらくてい)は、亡くなった父の教え子でした」とファイチは言った。
 サハチにはファイチが言っている意味がわからず、聞き返した。
永楽帝は燕王(えんおう)と言って、洪武帝(こうぶてい)の四男です。幼い頃、わたしの父は永楽帝に読み書きを教えていました」
「すると、ファイチの父親は偉い人だったのだな」
洪武帝が亡くなったあと、政変が起きて、両親は殺されました。わたしは家族を連れて必死に逃げました。山奥に隠れていましたが、追っ手が迫って来て、琉球に逃げて来たのです」
「そうだったのか。両親が殺されたのか‥‥‥すると、その永楽帝が皇帝になったのなら、ファイチは明国に帰るのか」
 ファイチは首を振った。
「わたしも帰ろうかと考えましたがやめました。サハチにはお世話になりました。恩は返さなければなりません。サハチを琉球の王様にしてから、また考えます」
「ありがとう。俺の側にいて、俺を助けてくれ。ファイチの力が必要だ」
「はい。頑張ります」
 サハチはファイチの手を取って、お礼を言った。
 九月になってマチルギから、佐敷ヌルのお腹が大きくなったけど、妊娠しているのかしらと言われた。
 サハチは耳を疑った。
「お前、今、何と言ったんだ」
「佐敷ヌルが妊娠したんじゃないかと‥‥‥」
「相手は誰だ!」とサハチは思わず大声になっていた。
「知らないわよ」とマチルギはサハチの剣幕に驚いていた。
 サハチはマチルギの顔を見て、謝り、気を落ち着けて聞き直した。
「本当に佐敷ヌルが妊娠したのか」
「多分、そうだと思うわ」
「お前、何も聞いていないのか」
 マチルギは首を振った。
「あなたが何か知っていると思って聞いてみたのよ」
「俺は何も知らない」
「あした、本人から聞いてみるわ」とマチルギは言った。
「そうだな。俺は叔母さん(馬天ヌル)に聞いてみる」
 翌日、佐敷に行って馬天ヌルに聞いたら、「えっ、佐敷ヌルが妊娠?」と言って大笑いした。
「あの娘(こ)が妊娠するわけないじゃない。男なんて、まったく興味ないはずよ」
「悪い奴に騙されて、無理矢理に‥‥‥」とサハチが言うと、「あの娘に勝てる男は滅多にいないわよ」と馬天ヌルは言った。
 そう言われてみればそうだった。佐敷ヌルに悪さをしようと思っても、簡単にたたきのめされてしまうだろう。
「どこかで、マレビト神と出会ったのかしら」
 マレビト神と聞いて、サハチはまさか、ウニタキではと疑った。そんな事はないとは思うが、もし、ウニタキだったら、ただでは置かないと思った。フカマヌルと楽しい旅をしたあと、ウニタキとは会ってはいなかった。
 サハチは馬天ヌルと一緒に佐敷ヌルに会いに行った。
 佐敷ヌルは、「マレビト神よ」ととぼけたが、サハチと馬天ヌルに睨まれて、白状した。
「シンゴさんです」と佐敷ヌルは言った。
 その言葉に、サハチも馬天ヌルも驚いて声も出なかった。やがて、馬天ヌルが大笑いした。
「まさしく、マレビト神だわ。そう言えば、シンゴさんが佐敷ヌルを見る目は、天女でも見ているような目付きだったわね」
「そうだったのですか」とサハチは聞いた。
 シンゴから佐敷ヌルの話を聞いた記憶はなかった。
「最初に来た時、歓迎の宴で、シンゴさんはそんな目で佐敷ヌルを見ていたのよ。佐敷ヌルの方は全然、気づかなかったけどね」
「あたし、そういう事に鈍感なのよ」と佐敷ヌルが言った。
「今まで、男の人を好きになった事なんてなかったし、好きだと言われた事もないから、そういう事、全然、わからなかったの。でも、今年の二月、お引っ越しをシンゴさんに手伝ってもらった時、好きだって言われたの。あたし、あの時、何だか変になって、胸がドキドキして、急に、シンゴさんの事が好きになってしまったのよ。シンゴさんのために何かをしてやりたいと思って、ご飯の用意をしたり、いつも一緒にいたいと思って、シンゴさんが帰るのを引き留めたりして、そして、初めて男の人に抱かれたわ」
 馬天ヌルが佐敷ヌルの手を取って、「よかったわね」と言った。
 佐敷ヌルは顔を赤らめて、嬉しそうにうなづいた。
「おめでとう」とサハチも佐敷ヌルの幸せそうな顔を見ながら言った。
 馬天ヌルが妊娠した時、父は笑って、「あいつも女子(いなぐ)だったな」と言った。その意味がサハチにもわかったような気がした。一生、独身でいるより、好きな男と結ばれて、その喜びを知った方がいいと思ったのだろう。
 いとおしそうにお腹をさすっている佐敷ヌルを見ながら、「マシューも女子だったな」と心の中で言っていた。