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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-07.首里の初春(第二稿)

 年が明けて、永楽(えいらく)五年(一四〇七年)となった。
 思紹(ししょう)が中山王(ちゅうさんおう)になって初めての正月は、慣れない事ばかりで慌ただしくて忙しかった。元旦は東曲輪(あがりくるわ)にある物見櫓(ものみやぐら)から初日の出を拝む事から始まった。幸いにも海から昇って来る太陽(うてぃだ)を拝む事ができ、今年もいい事が起こりそうな予感がした。
 新年を祝う御馳走を食べたあと、王の思紹と王妃、世子(せいし)(跡継ぎ)のサハチと世子妃のマチルギは勿論の事、重臣たちも明国(みんこく)から贈られた堅苦しい着物を着て、新年の儀式に参加しなければならなかった。
 坊主頭だった思紹も髪が伸び、カタカシラに結って、明国から贈られた冠(かんむり)をかぶった。以前は口髭だけだったが、顎髭(あごひげ)も伸ばして王様らしい面構えになり、『皮弁服(ひべんふく)』と呼ばれる赤い着物がよく似合っていた。
 サハチの母は今まで表に出た事はなかったが、これからは王妃として様々な儀式に参加しなくてはならなかった。恥ずかしがっていた母も覚悟を決めて、きらびやかな着物を着て、思紹の隣りに並んだ。
 マチルギが着飾った姿を久し振りに見たサハチは、改めてマチルギの美しさに見とれた。そんなサハチを見て、マチルギは嬉しそうにはにかんでいた。
 百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)に背を向けて、思紹王と王妃、サハチとマチルギを中心に左右に重臣たちが並び、御庭(うなー)には二百人余りの家臣たちが整列した。勿論、家臣全員が参加したわけではない。儀式に参加できるのは役職を持った家臣たちだった。彼らは揃いの正装をして儀式に参加した。
 馬天ヌルが大勢のヌルたちを従えて、王様や家臣たちの見守る中、荘厳(そうごん)な儀式を執り行なった。さすがに、馬天ヌルは神々しかった。まるで、神様が乗り移ったかのような華麗な仕草で、見ている者たちを魅了させた。儀式の間、聞いた事もない不思議な音楽が流れていた。その音楽に合わせて、ヌルたちは動いているようだった。
 馬天ヌルが忙しいというのは聞いていたが、何をしているのか、サハチは詳しい事は知らなかった。今日のこの日のために、ヌルたちの指導をしていたに違いない。天から女神が降りてきて、華麗に舞っているような錯覚を覚えた。ヌルたちの中に背の高いヌルが二人いて、馬天ヌルと一緒に旅をしていたあの二人のようだ。あれから十年が経って、二人とも立派なヌルになっていた。
 去年の二月、サハチたちが凱旋(がいせん)して来たあと、馬天ヌルは中山王の就任の儀式を行なった。その時は馬天ヌル、佐敷ヌル、フカマヌルの三人に、キラマの島から来たサスカサヌルも加わっていた。今回、サスカサと佐敷ヌルとフカマヌルはいない。サスカサは島添大里(しましいうふざとぅ)で、佐敷ヌルは佐敷で、フカマヌルは久高島で、それぞれ新年の儀式をやらなければならなかった。
 三月の半ばには、『ツキシル(月代)の石』が島添大里グスクから首里(すい)グスク内のキーヌウチ(後の京の内)に遷座(せんざ)した。その時も盛大な儀式が行なわれたようだが、男子禁制のキーヌウチで何が行なわれていたのかはわからない。その後も、キーヌウチでは様々な儀式が行なわれていたらしい。その儀式の合間を縫って、馬天ヌルは浦添(うらしい)にいたヌルたちを集めて指導に当たっていたのだろう。
 二日には浮島の久米村(くみむら)から唐人(とーんちゅ)たちが新年の挨拶に訪れ、思紹とサハチは『皮弁服』を着て、決められた通りに挨拶を受けた。いつも道士の格好のファイチ(懐機)も『皮弁服』を着て、かしこまっていた。
 最近のファイチは久米村にいる事が多いが、屋敷は首里にあり、妻と子供たちは首里で暮らしていた。琉球に来てから六年余りが経ち、子供たちは勿論、妻も琉球の言葉が話せるようになり、生活に困る事はなかった。知人もいない久米村に移るより、友達も多い首里で暮らしたいと子供たちが言い、妻も賛成したのだった。ファイチは正式な家臣ではないが、重要な客将として重臣屋敷を賜わっていた。
 三日になると中山王に忠誠を誓った按司たちが新年の挨拶に訪れた。按司たちは百浦添御殿の一階で、御座床(うさすか)と呼ばれる玉座(ぎょくざ)に座った思紹王に挨拶をして、一振りのヤマトゥの刀と一通の書状を賜わった。刀は名刀と呼ばれる業物(わざもの)で、書状には進貢船(しんくんしん)の出帆日が書いてあり、明国に行く者はその日に、この書状を必ず持参するようにと書いてあった。按司たちはかしこまって、刀と書状を受け取ると、深く頭を下げて引き下がっていった。同じ事の繰り返しだった。サハチも思紹王の隣りに座って、按司たちを見守っていた。
 中グスク按司(クマヌ)、越来(ぐいく)按司(美里之子(んざとぅぬしぃ))、勝連(かちりん)按司の後見役(サム)は元々、家臣だったので頭を下げても当然なのだが、クマヌは師匠のような存在だし、美里之子は叔父なので、何となく照れくさかった。伊波(いーふぁ)按司、安慶名(あぎなー)按司、山田按司、勝連按司の後見役は皆、サハチの義兄だった。彼らは自分ではなく、親父に頭を下げているんだと割り切って見ていた。若い北谷(ちゃたん)按司も来ていた。北谷按司は一度しか面識がなく、話をした事もないので、何の抵抗もなく挨拶を受けられた。
 南部東方(あがりかた)の大(うふ)グスク按司、玉グスク按司、知念(ちにん)按司、垣花(かきぬはな)按司、糸数(いちかじ)按司たちは今まで対等の立場で付き合ってきた。頭を下げられると、何か悪い事をしたような後ろめたさを感じた。
 サハチが様々な思いで按司たちに接していたのに対し、父の思紹は顔色一つ変えずに、王の威厳を持って接していた。その姿を見ながら、やはり、親父が王になってよかったとサハチは思っていた。
 宇座(うーじゃ)按司は来なかった。隠居したので当然だが、来てほしいとサハチは願っていた。その代わりと言っては変だが、驚いた事に、八重瀬(えーじ)按司のタブチが来ていた。タブチにも使いの者を送って、挨拶に来るようにとは言ったが、まさか、本当に来るとは思っていなかった。タブチは決められた通りの挨拶をして、刀と書状を受け取り、頭を下げると去って行った。ほとんど目を伏せたままで、サハチがいる事に気づいたのかどうかもわからなかった。
 挨拶が終わると北の御殿(にしぬうどぅん)の大広間で、新年の宴が開かれ、豪華な料理とヤマトゥの酒が振る舞われた。思紹王とサハチは堅苦しい明の着物から琉球の着物に着替えて、宴に顔を出した。二人に気づくと、皆、慌てて頭を下げた。
 思紹は手を差し出して、「挨拶はもう済んだ。気楽にしてくれ」と言った。
 上座に思紹とサハチが座り、「堅苦しい挨拶をさせてしまったが、これが中山王の慣例だという。悪く思わないでくれ」と思紹が言った。
「王様(うしゅがなしめー)、そんな事は気にせんでくれ」と玉グスク按司が言った。
「わしらはこのグスクに入った途端、すでに、そなたは雲の上のお人じゃと悟ったんじゃ。首里グスクが凄いグスクだと噂は聞いていたが、こんなにも素晴らしいグスクだとは思ってもいなかった。わしらはただ、そなたに従って行くだけじゃ。これからもよろしくお願い申す」
 玉グスク按司に従って、東方の按司たちが皆、頭を下げた。
「わしも同感じゃ」とタブチが言った。
「ここに来るまでは、決して頭を下げるまいと強く決心していた。しかし、この豪華すぎるグスクを見て、そんな思いはどこかにすっ飛んで行ってしまった。わしはすっかり世の中の流れに取り残されてしまったような気分じゃった。今までの事はすべて忘れて、わしは首里に従う事に決めた。よろしくお願い申す」
「みんなの気持ちはよくわかった。こちらからもよろしくお頼み申す」と思紹は言って、新年の乾杯をした。
 今まで進貢船とは関わっていなかったので、サハチは明国との交易について何も知らなかった。中山王、山南王(さんなんおう)、山北王(さんほくおう)の三人の王だけが明国と交易しているものと思っていた。しかし、実際はそうではなかった。進貢船には中山王の使者たちの他に、按司たちの家臣たちも使者の従者という形で、交易をするために乗っていたのだった。明国で取り引きをすれば、数倍の儲けが得られるので、誰もが進貢船に乗りたがった。先々代の察度(さとぅ)は息子たちや娘が嫁いだ按司たちを優先して従者として乗せていた。察度と姻戚関係のない按司たちは察度の機嫌を取ったり、久米村の支配者だったアランポーの機嫌を取ったりして、従者になろうとしていたのだった。
 今回、サハチは父の思紹と相談して、新年の挨拶に来た者たちの家臣を明国に連れて行こうと決めていた。東方の按司たちは皆、海外との交易は無縁だった。彼らにも交易を経験させて、今よりも豊かな城下を作ってほしいと思っていた。
 正月の二十日、浮島で出帆の儀式が行なわれた。馬天ヌルと佐敷ヌルによって航海の無事が祈られ、進貢船には『セイヤリトミ』という神名(かみなー)が授けられた。明国の航海の神様である『天妃(てんぴ)(媽祖(まそ))様』も船尾にある船室内の祭壇に祀られた。思紹王の最初の進貢船は去年の六月にシャム(タイ)から帰って来た船だった。三年前に明国から賜わった船で、シャムから帰ったあと、久米村の船大工たちによって修繕されていた。すでに、荷物も積まれ、六日後の出帆を待つばかりとなった。
 その日の翌日、馬天浜にシンゴとクルシの船がやって来た。弟のヤグルー、次男のジルムイ、甥のマウシ、マウシの友達のシラーが無事に帰国したのだった。すれ違いにならなくてよかったとサハチはすぐに馬天浜に向かった。
 お祭り騒ぎの馬天浜に、ササとマカマドゥはすでに来ていて、シラーとマウシが来るのを首を長くして待っていた。ササの事だから、みんなの見ている前で、シラーに抱きつきはしないかとハラハラしながら見ていたが、シラーと再会したササは目に涙を溜めながらシラーをじっと見つめていた。チルーが言っていたように、シラーの前では、ササも女の子になるようだ。もしかしたら、本当にシラーがササのマレビト神なのかもしれないとサハチは思った。意外にもマカマドゥの方が大胆だった。マウシの姿を見つけると駆け寄って行き、抱きつきはしなかったものの、体全体で喜びを表現していた。マウシは愛おしそうに、そんなマカマドゥを見ていた。
 その夜は島添大里グスクで、帰国祝いの宴を開いた。苗代大親(なーしるうふや)が気を利かせて、娘のマカマドゥを連れてきた。マウシとマカマドゥは馬天浜でお互いの事を充分に話し合ったとみえて、静かに見つめ合っていた。
 ヤマトゥの国を見てきた四人の顔付きはすっかり変わっていた。特にジルムイの目が輝いているのにはサハチも驚いた。以前のジルムイはぼんやりした目をしていて頼りなかったが、何か、自分がやるべき事をはっきりと見つけてきたような気がした。四人は対馬島に行く前に、博多から京の都に行ってきたと言った。四人の話を聞いて、サハチも京の都に行ってみたいと思った。明から帰ってきて、次の年には京の都に行こうと心の中で決めていた。
 次の日、マウシとシラーは山田に帰って行った。サグルーとササが付いていった。一晩泊まって、帰って来る時にはマサルーも一緒で、マウシとマサルー父子(おやこ)は首里に住んで、苗代大親の道場に通う事になった。午前中は新しくできたナンセン(南泉)寺(でぃら)に通って、読み書きを習う。南泉禅師は察度が中山王だった頃に琉球に来て、浦添に住んでいた僧侶だった。察度の使者を務めてヤマトゥに行った事もあり、武寧(ぶねい)の子供たちに読み書きを教えていた。島添大里にいるソウゲンと同じ位の年齢の老師だった。
 クルシも首里に住む事になった。年が明けて、クルシは六十歳になり、船乗りの仕事がきつくなったという。サハチは長い間の感謝を込めて、クルシを重臣として迎える事にした。黒瀬大親(くるしうふや)と名乗り、いつの間にか仲良くなっていたウミンチュの後家を連れて、首里の重臣屋敷に移って行った。クルシの跡を継ぐ船頭(しんどぅー)(船長)はマグサ(孫三郎)という男で、びっしりと鍛えたから大丈夫だとクルシは太鼓判を押した。
 出帆の二日前、サハチは島添大里グスクで、明国に持っていく刀を選んでいた。刃渡り三尺もある備前物(びぜんもの)にしようか、二尺五寸の相州物(そうしゅうもの)にしようか悩んでいた。ファイチの話だと明国にも山賊やら海賊やらがいて、ヤマトゥの刀よりも幅広の刀をよく使うという。やはり、頑丈な刀を持っていった方がよさそうだなと思っていると侍女が顔を出して、「『まるずや』でお頭(かしら)が待っております」と小声で言った。
 見た事もない侍女だった。ウニタキが新しい侍女を入れたのかと思いながら小声で、「わかった」と返事をした。侍女は静かに引き下がって行った。
 サハチは刀を片付けると、『まるずや』に向かった。
 船出が二日後に控えているというのに何事だろう。今回の唐旅(とーたび)には、ウニタキとファイチが一緒に行く事になっていた。ウニタキに半年も留守にして大丈夫なのかと聞いたら、俺の仕事はお前を守る事だ。お前が明国まで行くのなら、俺も行くしかあるまいと言った。半年の留守中に何が起こるか心配だが、充分な手配りはしてあるのだろう。ファイチは知人に会いたいと言った。政変のあと、無事に生きていればいいのだがと心配そうだった。
 『まるずや』に向かいながら、最近、侍女のナツを見ていない事に気づいた。いつもなら、ウニタキとのつなぎはナツの役目だった。新しい侍女を入れたという事はナツは別の仕事についたのだろうか。思い出したら、急にナツに会いたくなった。
 まるずやの店は閉まっていた。まだ店を閉めるには早い時刻だった。店の脇を通って、裏の屋敷に行くと、縁側にナツの姿があった。侍女の時とは違って華やかな着物を着て、サハチを見ると明るく笑って迎えに来た。
「最近、見ないからどうしたのかと心配していたぞ」とサハチは言った。
 会いたいと思っていたら目の前にナツが現れたので、少し驚いていた。
按司様(あじぬめー)、あたしの事を心配して下さったのですか。ありがとうございます」
「ウニタキはどこに行ったんだ」とサハチは聞いた。
「お頭はおりません」とナツは首を振った。
「あたしが按司様をお呼びしたのです」
「お前が?」と聞きながら、サハチは縁側に腰を下ろしてナツを見た。
「侍女はやめたのか」とサハチは聞いた。
「行動範囲が広がったので、人手が足らないようです」
「キラマの修行者が五十人加わったはずだが」
「それでも足らないみたいです」
「女子(いなぐ)も二十人加わったと聞いているが」
「それでも足らないようです。男の人が何をしているのか詳しくは知りませんが、女子は各地にできた『よろずや』と各地のグスクに侍女として入っています。去年、名護(なぐ)に『よろずや』ができて、首里と山田に『まるずや』ができました。中グスク、越来グスク、勝連グスクにも侍女を入れたので、足らなくなってしまったようです」
「名護に『よろずや』ができたのか」とサハチは驚いて、ナツに聞き返した。
「はい。名護は今帰仁(なきじん)の『よろずや』の主人、イブキ様が山北王の許しを得て、開いたようです」
イブキはもう山北王の信頼を得ているのか」
浦添ヌルと一緒に行ったのがよかったようです」
「さすがだな。山田に『まるずや』を出した理由は知っているか」
「あそこは中山と山北の境だからだと思いますが」
「成程‥‥‥それで、お前は何をやってるんだ」
「このお店を一人でやっております」
「なに、一人でここをやっているのか」
 ナツはうなづき、「今晩はささやかですが、お別れの宴をさせて下さい」と言った。
「もしかしたら、もう二度とお会いできなくなるかと思うと‥‥‥」
「何を言っているんだ。俺は必ず帰って来る」
「そうおっしゃられても唐旅は危険です。向こうで病に罹って、お亡くなりになった方々が何人もいると聞きました」
「俺は大丈夫だよ」と言っても、ナツは涙を浮かべて、悲しそうな顔をしてサハチを見ていた。その姿がいじらしく、抱きしめてやりたい衝動に駆られた。
「お願いです。あたしに送別の宴をさせて下さい」とナツは思い詰めたような顔をして言った。
 サハチはナツを見つめて、「わかった」とうなずき、部屋に上がった。
 ナツは料理の載ったお膳を運んでくるとサハチの斜め前に座って、お酌をしてくれた。
「一人で飲んでも楽しくない。お前も飲め」
 ナツはうなづいて酒盃を取りに行った。
「ここの店の者はどこに行ったんだ」とサハチはナツの後ろ姿に聞いた。
首里です」と答えが返ってきた。
「みんなして首里に行ったのか」
「そうです。首里のお店はここより大きいので大変みたいです」
 ナツの酒盃にも酒を注いで、乾杯をした。ヤマトゥの上等な酒だった。
 酒を一口飲むと、「夢みたい」とナツは言って嬉しそうに笑った。
「あたしの手料理もどうぞ」
 サハチは煮魚をつまんだ。味は悪くなかった。
按司様(あじぬめー)のお母様に教わったのですよ」
 佐敷グスクにいた母は、シタルーの娘が末っ子のクルーに嫁いで来た時、島添大里グスクに移って来て、城女(ぐすくんちゅ)たちと一緒に賄(まかな)いをやっていた。じっとしているのが苦手なので、王妃となった今でも城女たちと一緒に賄いをやっているのかもしれなかった。
 じっとしているのは親父も苦手だった。サハチが船出したら、東行法師(とうぎょうほうし)に戻って旅に出るかもしれないぞとウニタキが言っていた。今、お客として首里グスクに滞在している志佐壱岐守(しさいきのかみ)の連れのジクー(慈空)という禅僧と気が合い、一緒に旅に出そうな勢いだという。親父の事だからやりそうだった。手は打ってあるから心配するなとウニタキは笑っていた。サハチは志佐壱岐守を首里に連れて行った事を後悔した。
「懐かしい味だよ」とサハチは笑った。
 酒を飲みながら、ナツは自分の事を語り始めた。
按司様に初めて会ったのは、あたしが七つの時でした。按司様がヤマトゥに出掛けるのを母に連れられてお見送りしました。あたしの父も母もウミンチュなんです。子供の時は毎日、海に入って遊んでいました。あたしが生まれる一年前に父はウミンチュをやめて、サムレーになりました。按司様のお父様が佐敷按司におなりになった時です」
「父親の名は」とサハチは聞いたが、ナツは答えなかった。三星党(みちぶしとー)に入った時から親子の縁は切ったという。
三星党はそんなにも厳しいのか」
「裏で働く者ですから、たとえ死んでも葬儀もできないし、誰も悲しんではくれないと言われました」
「そうか」
「皆、按司様のために必死に働いています。按司様だけはその事を知っていて下さい」
「そうだな。働いた者にはそれなりの褒美をあげなければならんな」
「はい。お願いいたします。お頭がそれなりのご褒美は与えておりますが、按司様から直接、声を掛けられたら、みんな、感激すると思います」
「わかった。これからはなるべく、そうするようにする」
 ナツはお礼を言って、話を続けた。
「ヤマトゥに行く按司様を見送った時のあたしは七つでしたし、自分とは関係のない偉いお人なんだと思っておりました。九歳の時に、按司様と奥方様(うなじゃら)の婚礼を見ました。あたしは奥方様に憧れました。あたしもあんなお嫁さんになりたいと‥‥‥そして、十六になった時、剣術のお稽古を始めて、按司様の妹のマカマドゥ様と出会ったのです。なぜか、マカマドゥ様とは気が合って、一緒に剣術のお稽古をして腕を上げました。その頃、時々、お見かけした按司様の事を好きになってしまったのです」
「何だって!」とサハチは驚いて、酒盃を落としそうになった。
「尊敬している奥方様に悪いとは思いながらも、按司様を想う気持ちを抑える事はできませんでした。一年後、マカマドゥ様は知念に嫁いでいかれました。マカマドゥ様は是非、知念まで一緒に来てくれとあたしに頼みました。あたしは佐敷から離れたくなくて、母親の具合が悪いから知念には行けないと断りました。実際に、母親の具合は悪かったのですけど、あたしがいなくても大丈夫だったのです。マカマドゥ様には今でも悪い事をしてしまったと悔やんでいます。按司様を陰ながら慕って二年が過ぎ、あたしは十九になりました。お嫁の話はいくつもありましたけど、皆、断りました。十九になったお正月、いつものようにお稽古始めに出ました。そして、奥方様から声を掛けられました、お嫁に行かないのかと。あたしは縁がないみたいでと答えました。奥方様はうなづいて、女子(いなぐ)サムレーにならないかと聞きました」
「どうして、女子サムレーにならなかったんだ」
「なろうと思いました。でも、奥方様はそのあとに、危険なお仕事だけど、裏のお仕事もあると言いました。あたしには裏のお仕事というのがわかりませんでした。奥方様は按司様のために、危険をおかして敵の情報を探り出すお仕事だと言いました。どうせ、自分の恋は実らない、陰ながら按司様のために働こうと決心したのです」
「それで、ウニタキと会ったのか」
 ナツはうなづいた。
 サハチはナツの酒盃に酒を注いでやった。
「危険な事もやったのたな」とサハチは聞いた。
 ナツは首を振った。
「最初の三年間は『よろずや』の売り子でした。按司様が浮島の『よろずや』にいらした時、あたしもそこにいたのですよ。按司様はまったく気づきませんでしたが」
「そうだったのか。すまなかった」
「その後、島添大里の『よろずや』に行って、ムトゥさんと一緒にグスクの中に入って、側室になったトゥミさんと会った事もあります」
「戦(いくさ)の時はどうしていたんだ。グスクの中にはいなかったようだが」
「戦が始まる前に『よろずや』を出て、島尻大里(しまじりうふざとぅ)の様子を探っていました」
「危険な事をしていたのか」
 ナツは首を振り、「行商人に扮して様子を見ていただけです。ただ、情報をお頭に知らせるために、やたらと走っていました。戦が終わると、あたしは島添大里グスクの侍女になれと命じられました。按司様とお頭のつなぎ役です。あたしはがっかりしました。もっと重要な任務に就きたいとお頭に言いました。そしたらお頭は、お前は按司様の側にいたいのだろう。これも立派な任務だと言いました。お頭はあたしの気持ちを見抜いていたのです。あたしは侍女になって按司様に仕えました。でも、按司様があたしを見てくれる事はありませんでした。侍女になって四年目、按司様が始めて、あたしに声を掛けて下さいました。あの時は本当に嬉しかった。これで、今までの苦労が報われたと思いました」
 サハチも思い出していた。戦が始まる前、出陣する兵の訓練を見ていた時、ウニタキがここで待っているとナツが知らせに来たのだった。あの時、初めて、サハチはナツの美しさを意識したのだった。
「戦も無事に終わって、按司様のお父様は中山王になられました。そして、三星党は人手が足らなくなって、あたしはここを任される事になったのです。按司様が明国に行くと聞いて、あたしはもう我慢ができなくなりました。もしかしたらと思うと居ても立ってもいられなくなって‥‥‥奥方様に悪いと思いながらも按司様を呼んでしまったのです。申しわけございません」
 ナツは深く頭を下げた。
 サハチは迷わず、ナツを抱き寄せた。
按司様‥‥‥」と言いながら、ナツの目は潤んでいた。
「ナツ」とサハチは言って、ナツを強く抱きしめた。

 

 

 

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