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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-19.刺客の背景(第二稿)

尚巴志伝 第二部

 サハチたちが武当山(ウーダンシャン)で武術修行をしていた頃、琉球では馬天(ばてぃん)ヌルが久高島(くだかじま)のフボーヌムイ(ウタキ)に籠もっていた。
 首里(すい)のお祭りの時、ヌルのスズナリが中山王を殺した事件で、自分が許せなかった。殺されたのが、たとえ身代わりだったとしても、敵の刺客(しかく)を身近に置いていたのは確かだった。もし、あの時、身代わりでなく本物の中山王だったら、殺される事はなく、スズナリは捕まっていたに違いないと誰もが言った。確かに、武術の名人の兄なら殺されはしなかっただろう。しかし、スズナリの正体を見極められなかった自分を馬天ヌルは責めていた。
 シジ(霊力)が高いヌルだとみんなから言われて、多少、自惚れていたのかもしれなかった。責任を取って引退しようかとも思ったが、兄に止められた。わしらはこの琉球を統一しなければならない。それにはお前の力がどうしても必要だと言われた。馬天ヌルはもう一度、初めからやり直そうと久高島に向かったのだった。
 ユミーとクルーを連れて久高島に行った馬天ヌルはフカマヌルに挨拶をして、三人でフボーヌムイに籠もって祈りを続けた。そして、一月が経った頃、神様のお告げというか、古い記憶が蘇ってきた。それは九年前のヤンバル(琉球北部)を旅した時、運天泊(うんてぃんどぅまい)で出会った勢理客(じっちゃく)ヌルだった。勢理客ヌルは山北王(さんほくおう)、攀安知(はんあんち)の叔母で神名(かみなー)をアオリヤエといい、密貿易船で賑わう運天泊の祭祀(さいし)を任されていた。当時、勢理客ヌルのもとで修行していた若いヌルがいた。その若いヌルがスズナリだった事を思い出したのだった。
 馬天ヌルはユミーとクルーにその事を聞いた。二人にも神のお告げがあって、勢理客ヌルを思い出していたが、どうして勢理客ヌルが現れたのかわからないようだった。
「若いヌルがいたでしょ」と馬天ヌルが言うと、二人は思い出して、「ウミタルって娘がいたわね」と言った。そして、驚いた顔をして馬天ヌルを見ると、「あの娘がスズナリだったのね」と聞いた。
 馬天ヌルは満足そうにうなづいた。
 当時、ウミタルと呼ばれていたスズナリは、今帰仁(なきじん)合戦で亡くなった若按司の娘だと勢理客ヌルから聞いていた。祖父と父親の敵(かたき)を討つために、浦添(うらしい)のヌルになったのに違いなかった。しかし、武寧(ぶねい)を殺すのならわかるが、武寧を倒した兄を殺そうとしたのは理解できなかった。
 馬天ヌルは神様に感謝してフボーヌムイを出ると、首里に戻って兄とマチルギにスズナリの事を話し、確認のために運天泊に行ってくると言った。二人は驚き、敵地に行くのは危険だと止めたが、これはわたしがやらなければならない事だからと馬天ヌルは強く言って笑った。止めても無理だと悟った二人は、奥間大親(うくまうふや)と三星党(みちぶしとー)に馬天ヌルの警固を頼んで、馬天ヌルのヤンバル行きを許した。
 馬天ヌルは久し振りに晴れ晴れとした顔付きで、職人姿の奥間大親と一緒に、ユミーとクルーを連れて北へと旅立って行った。
「久し振りの旅ですなあ」と奥間大親は楽しそうに笑った。
 馬天ヌルは怪訝(けげん)な顔をして奥間大親を見て、「よく旅をしていたのですか」と聞いた。
按司様(あじぬめー)と奥方様(うなじゃら)を守るために、お二人が旅に出る時は毎年、あとに付いて旅をしておりました」
「あら、そうだったの」と馬天ヌルは驚いた顔をしてから穏やかに笑った。
按司様と奥方様がまだ一緒になる前、ヒューガ殿とご一緒に今帰仁まで行かれた事がございました。あの時が最初の旅でした。あれから毎年、お二人の旅には付いて行っております。いつも、わたしどもの出番はありませんが、毎年の旅が楽しみになっておりました。一昨年(おととし)は奥方様のおめでたで旅は中止となり、去年は馬天ヌル様(くみー)もヒューガ殿もウニタキ殿ご夫婦もご一緒に、キラマの島へと行かれましたので、大丈夫だろうと付いては行きませんでした。今年も按司様が明国に行っているので旅は中止です。諦めていたのですが、馬天ヌル様のお陰で旅をする事ができました。感謝しております」
「旅がお好きなのですね」
按司様のお陰ですよ。毎年、梅雨が明ける頃になると、どこに行かれるのかと楽しみにしておりました」
「あの二人も毎年、旅に出るのを楽しみにしておりました。という事は、わたしが二人と一緒に久高島に行った時も付いて来ていたのね」
「はい。あの時は久高島に渡るとは思ってもいなかったので驚きましたが、ウミンチュに頼んで渡りました。わたしも久高島に行ったのは初めてでして、いい思い出になっております」
「もう二十年近くも前の話ね。そんな頃から、按司様を守っていてくれたのね。わたしからもお礼を言うわ」
「お礼だなんて、それはこちらから言う事ですよ。奥間(うくま)の長老から按司様を守れと命じられて、わたしは佐敷にやって参りました。初めて見た按司様は若く、このお人を守る事が、奥間を守る事になるのかと信じられない思いでしたが、奥間ヌル様がおっしゃった通りに、按司様は偉大なお人でした。あんな小さな佐敷グスクの按司が、島添大里(しましいうふざとぅ)按司となり、中山王を倒して、父親を中山王にして、今は明国に行っているなんて、まるで、夢のような話でございます。その夢のような話に自分も関わる事ができただけでも素晴らしい事だと思っております」
「サハチはまだまだやるわよ」と馬天ヌルは明るく笑った。
「わかっております。明国から帰って来た按司様は一回りも二回りも大きくなっている事でしょう。これから何をしでかすのか楽しみです」
 おしゃべりをしながら、一行はのんびりと旅をしていた。一行の前後左右は奥間大親の配下の者と三星党のチュージに率いられた者たちによって、陰ながら厳重に守られていた。
 巳(み)の刻(午前十時)頃には中グスクに着いた。突然、馬天ヌルがやって来たので、中グスク按司(クマヌ)は驚いた。
「急に旅に出たくなりまして」と馬天ヌルは笑った。
「なにをのんきな事を」とクマヌは言ったが、何か考えがあっての事だろうと思った。
「わしは若按司(ムタ)が無事に帰って来られるのか心配でたまらん」
「大丈夫ですよ。ヌルたちが毎日、お祈りをしております。佐敷ヌルなんか、ツキシルの石だけでは駄目だ。明国の神様にもお祈りしなければならないと言って、久米村(くみむら)にある天妃宮(てんぴぐう)にもお参りに行っています。皆さんのお祈りが通じて、もうすぐ、無事に帰ってきますよ」
「そうだといいんだが、嵐にでもあって転覆したら、サハチもウニタキもファイチも、一緒に行った若按司たちもみんな死んでしまう。そうなったら、もうおしまいじゃ。絶対に大丈夫じゃと自分に言い聞かせているんじゃが、ふと心配になるんじゃよ。年のせいかのう」
「大丈夫です」と馬天ヌルはきっぱりと言った。
「サハチにはまだやる事が残っております。それを成し遂げるまでは神様も命を奪う事はありません。勿論、一緒に行った者たちもサハチを助けなければなりませんので同じ事です」
「そうじゃな。新しい十年の計が始まっておったんじゃな。わしもまだ老け込むわけにはいかんな」
「そうですとも。わたしも老け込まないように旅に出たのです。各地のヌルたちと仲よくならなければなりません」
「何を言っておる。馬天ヌル殿はいつまで経っても若いままじゃ。明国には年を取らない仙人というのがいるらしいが、わしは時々、馬天ヌル殿は仙人ではないのかと思う事がある」
「クマヌ殿ったら、お世辞がうまくなったこと」
 二人は楽しそうに笑いながら、昔の事などを懐かしそうに話した。
 中グスクのヌルは先代の中グスク按司の妹がそのまま務めていた。父親は望月党に殺され、兄は南風原(ふぇーばる)の決戦で戦死した。母親は奥間から贈られた側室で、お前には奥間の血が流れている。これからは奥間のために生きなさいと言った。死ぬ気だった中グスクヌルは思いとどまり、奥間のために生きようと決心をして、新しく按司になったクマヌに仕える事にしたのだった。そして、今は十三歳になるムタの長女、マチルーを中グスクヌルにするための指導をしていた。
 中グスクヌルは突然の馬天ヌルの来訪を喜び、積もる話を聞いてもらった。
 中グスクをあとにした一行は越来(ぐいく)グスクに行き、越来按司(美里之子(んざとぅぬしぃ))と越来ヌルに会った。越来按司はグスク内で若い者たちに剣術を教えていた。馬天ヌルを見ると驚き、慌てて挨拶をしに来た。
「安心したわ」と馬天ヌルは言って笑った。
按司になったので、グスクの中に腰を落ち着けていると思ったんだけど、相変わらずね。それでいいのよ」
「時には気晴らしをしないと体がなまってしまいますからね。ところで、今日はどうしたのです」
「わたしも気晴らしに旅に出たのよ。みんなの顔が見たくなってね」
「正月に会ったじゃないですか」
「違うのよ。ヌルたちの事よ」
「成程、そういう事でしたか。うちの娘も若ヌルとして修行に励んでいますよ」
「あら、ハマちゃん、やっぱり、ヌルになる事になったの」
按司の娘として、どこかの若按司を探してやると言ったんですが、馬天ヌル様のようなヌルになるんだと言い張りまして」
「そうだったの。あの子も気が強いから一度言い出したら聞かないわね」
「そうなんですよ。ササちゃんと仲がよかったから、その影響もあるんでしょう」
 馬天ヌルは越来按司と別れて、越来ヌルに会いに言った。越来ヌルも若ヌルのハマも馬天ヌルを見ると驚いた顔をして駆け寄ってきた。
「今、あなたの噂をしていたのよ。実際に現れるなんてびっくりしたわ、もう」と越来ヌルは言った。
 越来ヌルは先々々代の越来按司の娘で、馬天ヌルより一つ年下だった。八年前の旅の時には意気投合した仲で、越来ヌルは馬天ヌルに心酔していた。
 先々々代の越来按司は察度(さとぅ)の武将で、戦の活躍によって越来按司になった。先々々代が亡くなったあと、察度の三男が越来按司となった。先々代の察度の三男は確かな事はわからないが、望月党に殺されたと思われる。先代はその長男で、南風原の決戦で戦死した。先代が戦死すると越来ヌルの弟の仲宗根大親(なかずにうふや)が反乱を起こし、先代の子供たちを殺した。ようやく、自分が按司になれると喜んだが、それもつかの間、奥間のサタルーと奥間大親の活躍によって、仲宗根大親の一味は殺された。
 弟のあとを追って自害しようとしていた越来ヌルを止めたのは馬天ヌルだった。馬天ヌルは新しい按司に仕えて、若ヌルを育ててくれと頼んだのだった。当時、先代の姉を若ヌルとして育てていたが、その若ヌルは母親と一緒に、伯父のいる米須(くみし)に行ったという。若ヌルの母親は勝連(かちりん)按司の娘だが、すでに父も兄弟も勝連にいなかった。頼れるのは米須按司しかいなかったのだった。
「どんな噂をしていたの」と馬天ヌルは聞いた。
 二人は笑いながら、「今頃、ヌルたちに剣術を教えているに違いないって言っていたんですよ」
「ヌルに剣術か‥‥‥」と言って馬天ヌルは黙り、「それはいい考えね」と言った。
「そんな事は考えもしなかったわ」
「あたしたちに教えていたのに考えなかったんですか」とハマが不思議そうに聞いた。
「何しろ、色々と忙しかったからね。そんな事、考える暇もなかったわ」
 美里之子の娘のハマは幼い頃から父親に剣術を習っていた。そして、十六になると佐敷グスクに通って、馬天ヌルの指導を受けた。ササより一つ年上で、二人はいい勝負だった。二人とも負けるものかと修行を積んでお互いに腕を上げていったのだった。
「あたしはヌルたちに教えていないけど、奥方様(うなじゃら)は首里に贈られてきた側室たちに剣術を教えているわ」
「側室に剣術を?」
首里グスクの西曲輪(いりくるわ)では、王様(うしゅがなしめー)が兵たちを鍛えていて、御内原(うーちばる)では奥方様が側室を鍛えている。首里グスクはまるで武術道場よ。あたしもキーヌウチでヌルたちを鍛えようかしら」
 馬天ヌルがそう言うと、二人は大笑いした。その夜は越来グスクに泊まり、次の日、勝連グスクに向かった。
 どんよりとした天気で、今にも雨が降りそうだった。前回、勝連に来た時も雨降りだったのを馬天ヌルは思い出していた。あの時、勝連のマジムン(悪霊)を退治したけど、まだ残党がいるのかしらと心配した。
 勝連グスクに入るとまっすぐに勝連ヌルの屋敷に向かった。ウニタキの姉の勝連ヌルは馬天ヌルを歓迎した。すでに勝連ヌルは、馬天ヌルが越来に来たという情報を得ていた。
「変わった事はない?」と馬天ヌルは心配そうに聞いた。
「大丈夫ですよ。お陰さまで勝連の呪いはすっかり解けました。若按司も元気に育っています」
「そう。よかったわ」と馬天ヌルは安心して笑った。
「勝連はすっかり変わりました」と勝連ヌルは言った。
「ウニタキが望月党を倒してくれたお陰ね。あんな不気味な組織が消えて、本当によかったわ。ただ、望月党のお陰で、有能な家臣たちが皆、殺されてしまった事が悔やまれます。按司が代わるたびに、先代に仕えていた有能な家臣は遠ざけられます。遠ざけられるだけならいいのですが、謎の死を遂げる者も多いのです。望月党を動かせるのは按司だけです。新しく按司になった者は気に入らない家臣を望月党に消させるのです。父が早く亡くなってしまって、兄が二十三の若さで按司になった時から、勝連はおかしくなってしまいました‥‥‥あたしが望月党の事を知ったのは先代の勝連ヌルが亡くなる前でした。ウニタキが山賊に襲われた翌年の事です。それまで、そんな組織があったなんて全然知りませんでした。ヤマトゥから来たサムレーの望月サンルーが勝連按司を助けるために五十年前に作った裏の組織で、各地の情報を集めたり、按司が命じれば暗殺もする恐ろしい者たちだと聞かされました。そして、望月党のお頭には代々、按司の娘が嫁いでいて、あたしの姉も三代目のお頭に嫁いだ事を知りました。望月党の三代目はウニタキが殺しましたが、その妻はどこかで生きているようです。望月ヌルの話だと三代目には三人の息子がいて、長男と次男は亡くなりましたが、三男は生きているそうです。多分、母親と一緒にどこかに隠れているのだと思います。その三男が復讐をたくらんでいるかもしれません。それが心配です」
「心配ないわ」と馬天ヌルは言った。
「その事はウニタキも気に掛けているわ。ウニタキが見つけ出して退治してくれるでしょう」
「そうですね‥‥‥あたしも弟を見習って、情報集めを始めたんですよ」と勝連ヌルは言って、明るく笑った。
「望月党みたいな不気味な組織はいらないけど、情報を集めるのは重要な事だと思うの。勝連を守るためには絶対に必要な事だわ。それで、あたし、領内を回って見込みのありそうな若い者たちを集めて、各地の情報を集めさせているんですよ」
「それは素晴らしい事よ。でも、危険な事はしないでね」
「それは大丈夫です。あたしの母は奥間の生まれなんです。母に紹介してもらって奥間の炭を売り歩きながら情報を集めているんです。危険な事はしないわ。人々の噂を集めるだけでも、周りの事はよくわかります」
「頑張ってね。あなたの母親が奥間生まれだったなんて知らなかったわ。そう言えば、勝連にも奥間大親はいるんでしょ」
「先代の按司と一緒に戦死しました。跡継ぎはまだ十歳です。それで、あたしが奥間大親の代わりをやっているんです」
「そうだったの」
 勝連ヌルと別れ、按司の後見役のサムと重臣の平安名大親(へんなうふや)に挨拶して、勝連グスクをあとにした。
 サムも平安名大親も忙しそうだった。交易を担当している浜川大親(はまかーうふや)が明国に行っているので、そろそろ帰るヤマトゥの商人たちの接待に追われているようだった。二人とも有能な人材が欲しいと愚痴をこぼしていた。
 勝連から伊波(いーふぁ)グスクに行って、伊波按司と伊波ヌルに会い、山田グスクに行って、一晩お世話になった。
 伊波按司は弟のムタが中グスクの若按司になった事のお礼を言った。お礼なら中グスク按司に言って下さいと言ったら、伊波按司は首を振って、馬天ヌル様の許しがなければ、若按司にはなれなかったでしょうと笑った。確かに、その件についてはクマヌから相談は受けたが、それほど深くは考えていない。ムタはクマヌの娘婿(サム)の弟だし、マチルギの弟でもあるからいいんじゃないのと言っただけだった。世間では、首里の事はすべて、馬天ヌルが決めると思っているのかしらと世間の目が少し恐ろしく思えた。
 マチルギの姉の伊波ヌルは伊波の若ヌルと安慶名(あぎなー)の若ヌルを育てていた。二人とも十五歳の可愛い娘だった。
 山田グスクにはサグルーがいた。マカトゥダルと楽しそうに話をしていたサグルーは、馬天ヌルの顔を見るとあまりの驚きで体が固まってしまったかのように動かなかった。
「どうして、ここにいるの」と馬天ヌルが聞くと、「ちょっと用があって」とサグルーは口ごもった。
「どうせ、内緒で来たんでしょ」
 サグルーは困ったような顔をしてうなづいた。
「あなたがマウシの妹のマカトゥダルね」
「はい」とうなづいて、マカトゥダルはサグルーを見た。サグルーが馬天ヌルを紹介した。
 マカトゥダルは驚いて、急に堅くなって、「初めまして」と頭を下げた。
 馬天ヌルの事は姉の山田ヌルから、凄いヌルだと聞いていた。去年、戦のあとに来た時の鎧姿が印象強くて、目の前のヌルと同一人物だとはとても思えなかった。
 馬天ヌルは二人を見て笑い、「なかなかお似合いよ」と言った。
 山田按司から馬天ヌルは山北王(さんほくおう)のただならぬ動きを知った。今年に入って、山北王はヤンバルへの入り口となる恩納(うんな)と金武(きん)にグスクを築き始めているという。グスクを築いているのは山北王の従弟(いとこ)たちで、それぞれ、恩納按司、金武按司を名乗っている。ヤンバルには行けないのかしらと悩んでいると奥間大親が大丈夫ですと言った。
「恩納岳(うんなだき)の山中にこの辺りを仕切っている木地屋(きじや)の親方(うやかた)がおります。親方に頼んで、木地屋の道を通って行けば名護(なぐ)まで行けるでしょう」
木地屋の道?」と馬天ヌルは聞いた。
「山の者たちだけが知っている道です。時には険しい場所もありますが、馬天ヌル様なら大丈夫でしょう」
「助かったわ。お願いするわね」
「ただ、出入り口を押さえたと言う事は以前よりも警戒が厳重になっているという事になります。危険が伴うかもしれませんが、それでも行かれますか」
 馬天ヌルは笑って、「それでも行かなくてはなりません」ときっぱりと言った。
 翌日、山の中を通って恩納岳に向かい、木地屋の親方に会った。タキチという名の親方は小柄で髭だらけの男だった。一見したところ怖そうな顔付きだが、細い目は優しそうに思えた。タキチは喜んで引き受け、道案内にゲンという逞(たくま)しい若者を付けてくれた。
 山の中の細い道を登ったり下りたり、何度か川を渡ったりして、一日掛かりで、ようやく名護の木地屋の親方、ユシチの屋敷に到着した。この屋敷には以前、サハチとマチルギも泊まった事があるという。親方が用意してくれた山海の珍味を御馳走になり、その晩はぐっすりと眠った。
 ユシチの話だと名護も以前よりも警戒が厳重になって、よそ者が入って来ると捕まってしまうという。名護には下りないで、山の中を通って羽地(はにじ)に向かう事にした。ゲンが引き続き道案内をしてくれた。
 羽地で山から出て、海岸沿いの道を運天泊(うんてぃんどぅまい)を目指した。この辺りは以前に来た時と変わりなく、のんびりとした風景が続いた。
 運天泊には明国から賜わった進貢船(しんくんしん)が浮かんでいた。硫黄が手に入らないので、明国に行けないようだ。他に大型の船の姿はなく、明国の密貿易船はまだ来ていないらしい。港に船がないので、人足たちの姿もなく閑散としていた。
 勢理客(じっちゃく)ヌルの屋敷は九年前と同じ場所にあった。山北王の弟で、運天泊を管理している湧川大主(わくがーうふぬし)の大きな屋敷の隣りだった。湧川大主の屋敷の門は閉ざされていて門番もいなかった。この時期は親泊(うやどぅまい)にいるのかもしれない。いい時期に来たと馬天ヌルは安心した。もしかしたら、勢理客ヌルもいないかもしれないと思いながら庭に入ると、十二、三歳の娘が草むしりをしていた。また若ヌルの指導を始めたらしい。若ヌルに声を掛けて、勢理客ヌルを呼んでもらった。
 勢理客ヌルは馬天ヌルを見ると驚いたが、急に笑顔になって屋敷に迎え入れた。
「一体、どうして、こんな所にいるの」と勢理客ヌルは聞いた。
「どうしても、あなたから聞きたい事があったのよ」
「えっ、あたしの聞きたい事? 一体、何の事?」
 馬天ヌルは勢理客ヌルの顔をじっと見つめ、「スズナリの事よ」と言った。
スズナリ? あの娘(こ)、生きていたの? 今、浦添(うらしい)ヌルが今帰仁にいるんだけど、浦添ヌルは、スズナリは浦添グスクで亡くなったって言っていたわ。浦添グスクが焼け落ちた時、逃げ遅れたらしいって」
浦添ヌルがそう言ったのね。でも、スズナリは生きていたのよ。今、あたしは首里(すい)にいるんだけど、祭祀をするのに、ヌルが足らなくて、以前、浦添に仕えていたヌルたちを探して集めたの。その中にスズナリもいたのよ」
「えっ、スズナリは今、首里にいるの」
 馬天ヌルは首を振った。
 勢理客ヌルの表情から、本当にスズナリの事は知らないようだった。勢理客ヌルがスズナリの黒幕ではなさそうなので馬天ヌルは安心した。
「二月に首里でお祭りがあったの。その時、スズナリは中山王を殺して、自害したのよ」
「何ですって、スズナリが中山王を‥‥‥」
 勢理客ヌルは目を見開いて、口をポカンと開けたまま馬天ヌルを見ていた。
「幸い、中山王は身代わりだったので、本物は無事だったけど、鮮やかな手口で偽者は斬られていたわ」
スズナリがそんな大それた事を‥‥‥」
 信じられないといった顔付きで、勢理客ヌルは首を振っていた。
スズナリを浦添グスクに入れたのはあなたの指図だったんでしょ」と馬天ヌルは聞いた。
 勢理客ヌルはしばらく黙っていたが、溜め息をつくと話し始めた。
「あたしの指図でもあるけど、本人の意志の方が強かったのよ。スズナリは今帰仁合戦で亡くなった若按司の娘なの。祖父と父親の敵(かたき)を討つ事しか考えていない娘(こ)だったわ。敵を討つために武術の修行を始めたけど、敵を討つには浦添まで行かなければならない。行ったとしてもグスクの中にいる中山王を殺すのは難しい。ヌルになって浦添グスクに入ろうって考えたのはあの娘なのよ。あたしはあの娘に頼まれて、一人前のヌルにしたわ。そして、あの娘は浦添に行って、ヌルになった。結局、敵は討てなかったようだけど‥‥‥」
 勢理客ヌルは軽く笑って、「敵を討ってくれたのはあなたたちね」と言った。
浦添グスクが焼き討ちになって、新しいグスクにいた中山王が殺され、島添大里(しましいうふざとぅ)按司が中山王になったって知らせが届いた時は、まったく信じられなかったわ。誰も島添大里按司の事を知らなかったのよ。色々と調べてみたら、島添大里按司というのは佐敷按司の事で、佐敷といえば、あなたを思い出したわ。あたしはあなたが敵を討ってくれたんだわと感謝していたのよ」
「そうだったの。でも、中山王は山北王の義理の父親でもある人でしょ。山北王も敵だと思っていたの?」
「先代の山北王は明国との進貢のために中山王と同盟したけど、今の山北王は猛反対していたの。中山王の娘を妻に迎えても、ずっと近づかなかったのよ。その翌年、先代の山北王が亡くなり、浦添では中山王が亡くなったわ。中山王の葬儀の時、山北王も浦添まで出掛けたの。初めて、義理の父親と会ったのよ。隙あらば殺してやると言っていたけど、うまく丸め込まれたようね。葬儀から戻って来たら、浦添の嫁を近づけるようになって、その後は、中山王の言いなりになってしまったわ」
「という事は山北王は敵討ちは諦めたのね」
「その辺はよくわからないの。うまくやれよってスズナリを送り出してもいるのよ。個人的には敵を討ちたいけど、山北王としては中山王を利用しようと考えたのかしら」
「中山王を利用するってどういう事?」
「中山王はヤンバルの材木を欲しがっていたの。それで、山北王は材木をどんどん浮島に送ったわ。勿論、取り引きをしたのよ。材木を運んで、帰りには銭(じに)や明国の陶器などを山のように運んできたわ。新しいグスク造りのお陰で、かなり稼いだと思うわ」
首里の城下造りにも浦添にいた材木屋のお世話になったけど、あの材木屋は山北王とつながっていたのね」
「そういう事。以前は南部の人たちはヤンバルに来て、勝手に木を切っていて、その取り締まりも大変だったけど、浦添に材木屋を作ったら、それも減ってきたわ。自分たちで採って来るよりも材木屋に頼んだ方が楽だって考えるようになったのよ」
「話をスズナリに戻すけど、スズナリは五年も浦添グスクにいて、どうして、敵を討たなかったの」
「あの娘が浦添に行ってから一度も会っていないので、何があったのかはわからないわ。でも、情報だけは材木屋を通じて、山北王に知らせていたようだわ。山北王の妹が中山王の次男に嫁いで、その侍女が浦添の情報を送っていたんだけど、スズナリが浦添グスクに入った翌年、次男は兼(かに)グスク按司になって浦添から出て行ったの。当然、侍女たちも一緒にね。それで、スズナリが情報を送る事になったんだけど、どうして、敵を討たなかったのかはわからないわ。そして、今の中山王を狙ったのも、どうしてなのかわからない。もしかしたら、浦添ヌルの敵を討とうと思ったのかしら」
スズナリは浦添ヌルと仲がよかったの?」
「二人は同い年で、仲はよかったみたいね。スズナリが敵討ちのために浦添グスクに入ったと聞いて、浦添ヌルは驚いていたわ。自分の父親を殺すために近づいて来たなんて、そんなの信じられないって言っていた。そういえば、スズナリは中山王に気に入られていたので、殺す機会は何度もあったはずだけど、そんな素振りを見せた事はなかったとも言っていたわ」
スズナリは武寧と関係を持ったのかしら」と馬天ヌルが言うと、
「まさか‥‥‥敵とそんな関係になるなんて‥‥‥年齢(とし)が違いすぎるわよ」と勢理客ヌルは首を振ったが、「男と女の関係は理屈通りには行かないから何とも言えないわね」と言った。
「武寧の息子たちかもしれないわ」と馬天ヌルは言った。
「そうかもしれないわね。武寧の息子と仲よくなって、その敵を討ったのかもしれない。ただ言える事は、あの娘は誰かに命じられてやったのではなく、自分の意志でやったのよ。そういう娘なのよ」
 勢理客ヌルの言う通りかもしれなかった。確かに、意志の強い娘だった。一時は山北王の差し金かと疑ったが、山北王は関係ないようだった。
「恩納と金武にグスクを築いているようだけど、山北王は戦をするつもりなの?」と馬天ヌルは聞いた。
「そんな事はないわ。以前は中山王とは義理の親子の関係だったけど、今の中山王とは何の関係もないわ。相手の出方を見守っているといった所ね。そっちこそ、どうなの。戦をするつもりなの?」
 馬天ヌルは笑って首を振った。
「そんな余裕はないわ。やっと新しい城下が完成したばかりで、交易を盛んにして力をつけなければならないわ」
「力がついたら戦をするの」
「それはそっちの出方しだいよ。硫黄鳥島を奪い取ったりすれば、また戦になるかもしれないわ」
「こっちも硫黄は欲しいのよ。硫黄がないから進貢船を出せないの。もっとも、密貿易船が来てくれるから進貢船を出す必要もないんだけどね」
「密貿易船は相変わらず来ているのね」
「明国で暴れ回っている海賊と取り引きしているのよ。頼んだ物は必ず持って来てくれるわ。こっちも相手の欲しい物をちゃんと用意しておくわ」
「海賊の持って来た品物はヤマトゥに売るのね」
「そう。ヤマトゥの方も海賊ね。明国の海賊とヤマトゥの海賊の取り引きを取り持つのがあたしの仕事でもあるわけ」
「海賊たちを相手にして怖くないの?」
「あたし、多少は剣術が使えるのよ」
「ほんと?」と馬天ヌルは驚いた。
 勢理客ヌルは恥ずかしそうにうなづいた。
「あなたが相当な腕を持っているのは初めて会った時に気づいたわ。スズナリのお陰なのよ。あの娘がヌルの修行をしながら、剣術の修行もやっていたの。あの娘のお稽古を見ているうちに、あたしもやってみたくなってね、四十になってから始めたのよ。あの娘がいなくなってからも一人でお稽古は続けているわ。実戦の経験はないけど、剣術を習ったお陰で、海賊たちとも対等に話し合えるようになったような気がするわ」
 その夜は勢理客ヌルの屋敷に泊めてもらった。夜遅くまで、二人で様々な事を話し合っていた。勢理客ヌルは馬天ヌルより一つ年上で、同年配なので話も合い、何となく気が合った。将来、敵味方になるかも知れないが、それまでは、いい付き合いをしたいとお互いに思っていた。

 

 

 

日本人の魂の原郷 沖縄久高島 (集英社新書)  沖縄のノロの研究 (1979年)  三山とグスク―グスクの興亡と三山時代  ナツコ 沖縄密貿易の女王 (文春文庫)