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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-20.龍虎山の天師(第二稿)

尚巴志伝 第二部

 サハチたちの一か月の拳術修行は無事に終わった。
 わずか一か月で極意を得るのは不可能で、基本を身に付けるにとどまったが、断食をやって、呼吸法を会得した事で、以前よりも体が自由に動くようになっていた。毎日続けた『胎内くぐり』も壁に手を置く事なく歩けるようになった。勿論、何も見えないが、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされて、全身で危険を回避する能力が備わってきたような気がした。
 自然界に流れている気というものも何となくだがわかりかけてきた。目には見えないが、気は流れていて、その流れに異変があると天候も変化する。以前、台風が来る事を予測した馬天ヌルや佐敷ヌル、ファイチもそうだが、気の流れの異変に気づいたのだろう。
 体内を流れる気もおぼろげながらもわかってきた。体内の気を自由に操れるようになると、その気を体外に出す事もでき、さらに上達すると他人の気も操れるようになるという。
 サハチがファイチと初めて出会った時、ファイチが相手に触れる事もなく、ならず者たちを倒した術は、相手の気の流れを一瞬にして逆流させてしまったからだという。ファイチに向かって来た敵は、気が逆流したため、向かって来た反動から吹き飛ばされたようになった。その術が使えるようになるには数年にも及ぶ修行が必要で、十二歳からヂャンサンフォンのもとで修行を積んできたファイチは身に付けていたのだった。それほどの術を身に付けているのに、今回、どうして、サハチたちと一緒に修行をしたのか不思議だった。
 ファイチに聞いてみると、「基本はもっとも肝心な事です」と言った。
琉球に行ってから何かと忙しくて、修行がおろそかになっていました。それで、基本からやり直そうと思ったのです。『胎内くぐり』は初めてやりました。あれのお陰で、以前の感覚を取り戻す事ができました。まさしく、生まれ変わったようです。琉球に戻って、やるべき事を成し遂げる力が湧いてきました」
 サハチはファイチにうなづいて、「武当山(ウーダンシャン)に来て、本当によかった」と言った。心の底からそう思っていた。
 山を下り、ファイチの妹夫婦に別れを告げて、武当山をあとにした。ヂャンサンフォンとシンシンにお礼を言って別れようとしたら、「わしらも琉球に行く事に決めたんじゃ」とヂャンサンフォンは言った。
「えっ」とサハチとウニタキは驚いた。
琉球の話を色々と聞いて、行ってみたくなったんじゃよ。シンシンも行ってみたいと言うんでな、一緒に連れて行ってくれ」
「それはかまいませんが」とサハチは言って、ファイチに相談した。進貢船(しんくんしん)には乗せられないが、メイファンの船に乗れば琉球に行けるとファイチは言った。ファイチが師匠に説明して、一緒に杭州(ハンジョウ)に向かう事になった。
「透き通るような綺麗な海というものを見てみたいものじゃ」と師匠は楽しそうに笑った。
 シンシンも嬉しそうな顔をしてファイチに何かを言った。
シンシン琉球の言葉を教えてほしいそうです」とファイチが言うと、「任せておけ」とウニタキがシンシンの肩をたたいた。
 シンシンは素早く、ウニタキを打つ真似をして笑った。
 師匠が琉球に来てくれるのは嬉しかった。琉球に帰っても、武当拳の修行が続けられるし、明の武術に興味を持っているヒューガが喜ぶに違いない。ヒューガだけでなく、父も苗代大親(なーしるうふや)もマチルギも喜ぶに違いなかった。
杭州に行く前に寄る所があります」とファイチが言った。
「今度はどこに行くんだ」とサハチは聞いた。
「龍虎山(ロンフーシャン)です。そこも道教の山で、わたしの父のお墓があります。お墓参りをしたいのです」
「それなら、行くべきだ」とサハチはうなづいた。
 サハチ、ウニタキ、ファイチの三人にヂャンサンフォンとシンシンを加えた五人は馬にまたがり龍虎山(江西省)を目指した。
 思っていた通り、龍虎山は遠かった。明の国は広い。広すぎると改めて思い知らされた。それでも、シンシンがいるお陰で、男ばかりの旅よりはずっと楽しかった。
 延々と山道を通って、二日めに襄陽(シャンヤン)という城壁に囲まれた古い街に着いた。宿屋に泊まって、うまい物を食べて酒も飲んだ。
 翌朝、夜明け前にたたき起こされ、日課となった静座と套路(タオルー)(拳術の形の稽古)をやらされた。その日は雨が降っていて、びっしょり濡れてしまったが、師匠はそんな事はお構いなしで、雨に濡れながら旅を続けた。急ぐ旅でもないのに、雨の中を馬に揺られるなんて‥‥‥サハチたちは師匠を恨んだ。
 雨は昼頃にやんで、強い日差しが差してきた。すでに五月になっていて、琉球ほどではないが暑かった。雨に濡れていた着物はすぐに乾いたが、今度は汗でびっしょりになった。
 その日は広々とした草原を進み、次の日からまた山道に入った。一山越えて、広々とした平原を行き、四日めに長江(チャンジャン)(揚子江)のほとりにある漢口(ハンコウ)に着いた。渡し舟に乗って、悠々と流れる長江を渡り、城壁に囲まれた武昌(ウーチャン)の街で、四日ぶりに宿屋に泊まった。
 武昌から先はやたらと湖があった。琉球では見られない不思議な風景が続いた。シンシンも旅をしたのは初めてで、珍しい景色や美しい景色を目にすると嬉しそうにキャーキャー騒いでいた。
 暑くてたまらず、湖で水浴びをした事があった。山の中の村に育ったシンシンはこんな大きな湖を見たのは初めてで、当然、海なんて見た事もない。水の中に入るのを恐れていたシンシンも勇気を出して水の中に入ると、気持ちいいと言って、水浴びを楽しんだ。不思議な事に師匠はどんなに暑くても汗をかく事もなく、涼しい顔をしていた。修行を積むと暑さも感じなくなるのかとサハチは益々、師匠を尊敬した。
 武昌から七日も掛けて、南昌(ナンチャン)という古い街に着いた。贛江(ガンジャン)という川のほとりに滕王閣(トンワンゲェ)という高い建物が建っていた。まるで、察度が建てた首里天閣(すいてぃんかく)のようだった。察度は明国に来た事がないので、琉球に来た明国の使者から、この建物の事を聞いたのかもしれない。師匠が言うには滕王閣は七百年以上も前に建てられ、その後、何度も戦乱によって破壊されたが、その度に再建されたという。
 七百年も前にこんな建物を建てるなんて、凄いと思うしかなかった。詳しい事はわからないが、七百年前の琉球にはグスクもなかっただろう。人々は掘っ立て小屋か洞穴で暮らし、丸木舟に乗って魚や貝を捕って暮らしていたに違いない。滕王閣を見上げながらサハチは大したもんだと思っていた。
「すげー」とシンシンが言った。ウニタキが口癖のように「凄え」と言うのを覚えてしまったようだ。
 ファイチがシンシンに何かを言うと、シンシンは恥ずかしそうな顔をして、「凄いわね」と言った。
 南昌から二日で、ようやく龍虎山(ロンフーシャン)に到着した。龍虎山は川のほとりにあり、川の両側に奇妙な形をした岩山がいくつもあった。ここも武当山と同じように、この辺り一帯の山を龍虎山と呼び、その中には百近くの山々があるという。また、山に登るのかと思ったら、ファイチの両親の墓は山裾にあるらしい。
 見事な景色を眺めながら川に沿って上流に向かって進んだ。時々、荷物を積んだ筏舟(いかだぶね)が下って来た。舟に乗りながらこの眺めを見たら最高だろう。ふと、マチルギにもこの景色を見せてあげたいと思った。
 山に囲まれた平地に出ると目の前に賑やかな街が現れた。大小様々な家々が建ち並び、大勢の人が大通りを行き交っていた。
「これは何だ」とウニタキが驚いた顔をしてファイチに聞いた。
「ここは道教の本山(ほんざん)です」とファイチは言った。
「正一道(ジョンイーダオ)という道教の一派の本山で、一番偉い人は天師(てんし)と呼ばれています。四代目の天師がここを本拠地にしたのが一千年も前の事です」
「一千年!」と言って、ウニタキは馬鹿のような顔をしてファイチを見ていた。
 サハチも同じような顔をしていた。
 ファイチは顔色も変えずにうなづいて、「それから代々と続いて、今の天師は四十三代目となります」と言った。
「ここは破壊されなかったのか」とサハチは聞いた。
「多少の破壊はあったでしょうが、武当山ほどではありません。一千年もの歴史がありますから信徒の数も相当なものです。敵に回すよりも味方につけた方がいいと白蓮教(バイリィェンジャオ)の指導者たちも思ったのでしょう。元が滅んで明になると、洪武帝は先代の天師に全国の道教を管理させる権限を与えています。永楽帝もこの山を保護して、今の天師に道教の経典をまとめるように命じたようです」
「ファイチの親父さんはここの道士だったんだな」とウニタキが聞いた。
 ファイチはうなづいた。
「先代の天師に命じられて、洪武帝に仕え、永楽帝の師になったそうです。実はわたしの妻は天師の一族なのです。それで、応天府を追われた時、ここに逃げて来たのですが、追っ手が迫って来て、山に迷惑はかけられないと琉球に逃げたのです」
「そうだったのか。ファイチの親父さんはここでも偉い道士だったんだな」とサハチは言った。
「先代の天師に信頼されていたようです」
 人々で賑わう大通りに面して天師府があった。馬を下りて大きな立派な門をくぐった。門の中はかなり広く、道教独特の建物が数多く建っていた。お参りしている人たちも大勢いて、破壊されたままの武当山とは雲泥の差があった。
「師匠はここに来た事はあるのですか」とサハチがヂャンサンフォンに聞くと、「若い頃に来た事がある。その頃は別の所に天師府があったような気がするが忘れてしまったわい」と言って笑った。
 ファイチが言っていたように、師匠は華麗な建物などにはまったく興味がないようだった。
 ファイチは奥の方へと歩いて行き、大きな建物の中に入って行った。きらびやかな祭壇の中に神様がいた。中央に大きな神様がいて、左右にも何人もの神様が並んでいる。ファイチはちょっと待っていてくれと言ってどこかに行った。
「凄いわね」とシンシンが言って、ひざまづいて頭を下げ、神様に祈りを捧げた。
 サハチとウニタキもシンシンを見習って、神様に祈りを捧げた。師匠は建物の中には入らず、外に立って空を見上げていた。しばらくして、ファイチが戻って来て、「妻の父に会います」と言った。
「今はもう隠居して、ここから出て行ったそうです。以前は長老として、天師の補佐をしていたのですが、今はのんびり暮らしているようです」
 ファイチの義父の家は川向こうにあるという。筏の渡し舟に馬も一緒に乗って向こう岸に渡った。賑やかな対岸と打って変わって、こちら側には人の姿もなかった。家々もなく、田畑や荒れ地が広がっていた。
 義父の家は小高い山の裾野にあった。粗末な小屋を想像していたが、天師の一族だけあって、辺りの風景とは不釣り合いな立派な屋敷だった。
 老人が広い庭で薪割りをしていた。使用人だろうとサハチは思ったが、ファイチは馬から下りると老人に近づいて声を掛けた。老人は振り向き、驚いた顔でファイチを見つめ、斧を手放してファイチに近づいて来た。何事かを言いながら、ファイチの肩をたたいた。ファイチが何かを言うと、涙を溜めた目で何度もうなづいていた。
 ファイチの義父はヂャンチョンシー(張成時)といい、四十一代目の天師の次男だった。長男の兄が十二歳で亡くなり、チョンシーは嫡男になった。父親が亡くなった時、チョンシーは十九歳だった。十九歳では天師になるのは若すぎるという事で、三十九代目の長男、ヂャンジョンチャン(張正常)が四十二代目の天師になった。四十二代目が亡くなった時、チョンシーは三十七歳になっていた。四十二代目の長男、ヂャンユーチュ(張宇初)は十九歳だった。ユーチュは若すぎるので、チョンシーが天師になるべきだという意見も多かったが、チョンシーは身を引いて、ユーチュを四十三代目の天師にして、自分は補佐役に徹したのだった。
 三十九代目の天師が亡くなった時、長男のジョンチャンはまだ十歳だった。それで、三十九代目の弟が四十代目となった。四十代目が亡くなった時、ジョンチャンはまだ十六歳だったので、三十八歳になっていた四十代目の長男が四十一代目を嗣いだ。四十一代目の嫡男がチョンシーで、四十一代目が亡くなったあと、三十九代目の長男のジョンチャンはようやく天師になれた。ジョンチャンの家系が嫡流なので、チョンシーは身を引いたのだった。
 天師府も一千年も続いていると、宮廷と同じように派閥ができて権力争いが激しいという。天師の一族に生まれただけで、否応なく派閥争いに巻き込まれる。そんな天師府にいるのがいやで隠居したとファイチの義父は言ったらしい。
 サハチたちはファイチの義父の屋敷にお世話になる事になった。広い屋敷に妻と二人だけで暮らしているという。空いている部屋がいくつもあるので好きに使ってくれと言った。こんな大きな屋敷は不要なのだが、世間体があるので仕方がないという。
 その晩、ファイチは妻の両親と遅くまで語り合っていたようだった。サハチたちはわざわざ天師府から運ばれてきた豪華な料理を食べながら、かなり高級そうな酒を御馳走になった。
 料理を運んできた者たちの中に、ファイチの義父の孫娘がいた。ファイチから見れば姪で、リーロン(麗蓉)という名の十七歳の娘だった。リーロンはシンシンと意気投合した。シンシンも同じ年頃の話し相手ができて嬉しそうだった。
 ヂャンサンフォンは本名を名乗らなかった。騒ぎは起こしたくないと言って、ジェンジェン(玄玄)という別の号を名乗っていた。道士でヂャンサンフォンの名を知らない者はいない。ヂャンサンフォンが来た事がわかれば大騒ぎになってしまうという。サハチとウニタキは師匠を見て、改めて凄い人なんだなと感心した。
 翌日は日課の静座と套路(タオルー)を済ませたあと、義父の案内で、ファイチの両親のお墓参りに行った。昨夜、泊まったリーロンも一緒に付いて来た。お墓は義父の屋敷からそれほど離れていなかった。
 琉球と違って、明国では遺体を土に埋め、その上に石塔を立てるらしい。日当たりのいい小高い丘の上に漢字の書かれた石塔がいくつも立っていた。その中にファイチの両親のお墓が並んであった。ファイチは座り込んで線香を立て、両手を合わせるとしばらく動かなかった。ファイチが立ち上がったあと、サハチたちも線香を立てて両手を合わせた。
 丘の上から、川向こうの賑わいがよく見えた。天師府の広い一画の右側に山があり、その山の中にも大きな建物があるようだった。ファイチに聞くと、そこには道教の開祖と言われる太上老君(タイシャンラオジュン)(老子(ろうし))を祀る上清宮(シャンチンゴン)があるという。あとで案内するとファイチは言った。
 屋敷に戻って、昼食を取ったあと、リーロンの案内で川舟に乗って川下りを楽しんだ。やはり、川からの眺めは最高だった。シンシンとリーロンは楽しそうにキャーキャー騒いでいた。二人の姿を見ながら、サハチは妹の佐敷ヌルを思い出していた。初めて旅に連れて行った時の驚いた顔が、まるで、昨日の事のように思い出された。リーロンはその日も天師府には帰らず、祖父の屋敷に泊まった。
 翌日には四十三代目の天師、ヂャンユーチュ(張宇初)と会って、奇妙な字が書かれた『霊符(リンフー)』というお札(ふだ)をもらった。霊験あらたかなお札で、持っていると厄を除いて、運が開けるという。天師が直々に目の前で書いてくれた。その筆遣いはなめらかで、少しの迷いもなく、すらすらと書いていた。まるで、神様が天師の手に乗り移って書いているようだった。一千年の歴史が籠もっているのか、そのお札はとてもありがたく、貴重に思えた。
 上清宮も天師府に負けないほど、立派な建物がいくつも建ち並んでいて、賑やかに栄えていた。道教には神様が何人もいるが、人々は迷わずにお目当ての神様に祈りを捧げていた。サハチとウニタキは武術の神様の真武神(ジェンウーシェン)と航海の神様の天妃(てんぴ)様に祈りを捧げた。ファイチから他の神様の事も色々と教わったが、一々覚えられないし、その二人だけで充分だった。
 次の日は山に登って山の上にある道観(どうかん)(道教寺院)を目指した。シンシンとリーロンはさっさと山道を登って行った。サハチたちも一か月の修行のお陰で、武当山を登った時のような息切れはしなかった。
 シンシンが速いのはわかるが、リーロンも武術をやっているのだろうかと気になってファイチに聞いたら、リーロンもこの山に古くから伝わる剣術をやっているという。
「この山も武術が盛んなのか」とウニタキが興味深そうにファイチに聞いた。
「この山を守るためには武術は必要です。道士たちの修行には武術も含まれています。武当山やこの山だけでなく、道教の拠点となっている山は、どこも武術が盛んです。華山(ファシャン)(陝西省)、鶴鳴山(フェミンシャン)(四川省)、空同山(コントンシャン)(甘粛省)、牢山(ラオシャン)(山東省)、泰山(タイシャン)(山東省)などの山も武術が盛んです。道教だけでなく、仏教でも峨眉山(エーメイシャン)(四川省)や嵩山(ソンシャン)の少林寺(シャオリンスー)(河南省)では盛んに武術の修行をしています」
「ほう、仏教でもやっているのか」とサハチは言って、山伏だった頃のクマヌを思い出した。山伏も仏教徒で、武術を身に付けていた。
「あちこちで武術が盛んなんだな」とウニタキは言った。そんな山々を見てみたいといった顔付きだった。
「師匠はほとんどの山を知っています。あちこちで修行して、武当拳を編み出したようです。どこの山もよそ者には決して教えませんが、師匠だけは例外のようです。どこの山でも師匠が顔を出せば、逆に教えを請われます。師匠は決してそんな事はしませんが、師匠が一声掛ければ、明国中の武芸者が集まるでしょう。本当に凄い人ですよ」
 師匠を見るとのんきに散歩をしているような気楽な顔をしていた。その飄々(ひょうひょう)とした姿に三人は思わず笑っていた。
「どうかしたのか」と師匠がヤマトゥ言葉で聞いた。
「早く、師匠に琉球の海を見せたいと言っていたんです」とウニタキが言った。
「師匠、泳げますか」とサハチは聞いた。
「遙か昔の子供の頃に泳いだことがある」
琉球の海は潜るととても綺麗です」
「そうか。楽しみじゃのう」
 師匠は嬉しそうに笑った。
 山頂からの眺めは素晴らしかった。いつか、どこかで見た水墨画のようだった。琉球では決して見られない景色をサハチは瞼(まぶた)に焼き付けていた。
 翌朝、ファイチの義父とリーロンにお礼を言って、三日間を楽しく過ごした龍虎山をあとにした。シンシンとリーロンは目に涙を溜めて別れを惜しんでいた。

 

 

 

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