長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-25.三つの御婚礼(改訂決定稿)

 華やかな花嫁姿のマカトゥダル(真加戸樽)はお輿(こし)に乗って朝早く、山田グスクから首里(すい)の都を目指していた。道の両側では城下の人たちが大勢、見送ってくれた。幸せいっぱいで涙がこぼれ落ちるほど嬉しかった。
 二年前の正月、マカトゥダルが十五歳になった時、父がそろそろいいお婿さんを探さなければならんなと言った。会った事もない遠くの按司の息子のもとへと嫁ぐのだろうと思っていた。城下の人たちも皆、そのように噂している。按司の娘に生まれたからには、それも仕方がないと諦めていた。
 マカトゥダルは三女で、上の姉は山田ヌルになり、下の姉は家臣の息子に嫁いだ。下の姉はお互いに相手を好きになって一緒になっていた。父は下の姉を許さなかったが、下の姉は子供を宿してしまい、父も仕方なく許していた。マカトゥダルにはそんな大それた事はできないし、好きになった人もいなかった。父が決めるままに嫁いで行こうと思っていた。
 そんな時、叔父夫婦(サハチとマチルギ)が兵を引き連れて、山田グスクにやって来た。今思えば、あの時から何もかもが変わったような気がした。
 山に籠もって武芸の修行に専念していた兄(マウシ)が首里に行くと言い出した。兄は一月後に帰って来るとヤマトゥ(日本)に行くと言い出した。腰を抜かしてしまうほどに驚いたが、兄と一緒に来たサグルーに胸がときめいた。
 サグルーが帰ったあともサグルーの事を思うと胸がドキドキした。もう一度会いたいと思っていたら、十日ほどして、シラーと一緒にやって来た。シラーもヤマトゥに行く事になったという。そして、兄たちがヤマトゥ旅に出たあと、旅立った事を伝えるためにサグルーは一人でやって来て、その後も何度もやって来た。
 マカトゥダルは密かに、お嫁に行くならサグルーしかいないと決めた。マカトゥダルはサグルーのお嫁さんになるために剣術の修行を始めた。
 兄は無事にヤマトゥから帰って来た。明国(みんこく)に行っていた叔父も七月に無事に帰って来た。そして、九月の末、叔父夫婦がマカトゥダルをサグルーのお嫁に迎えたいと挨拶に来た。両親はよろしくお願いしますと言った。マカトゥダルは飛び上がらんばかりに嬉しかった。
 首里は遠い。でも、兄がいるので寂しくはない。本来なら両親はお嫁に出す娘を見送るだけだが、今回は一緒に首里に向かう事になっていた。首里ではサグルーとマカトゥダルの婚礼だけでなく、マウシとマカマドゥ、ジルムイとユミの婚礼も一緒に挙げるという。マカトゥダルの父と母は花嫁の両親でもあり、花婿の両親でもあった。
 山田の兵に守られた花嫁行列は、北谷(ちゃたん)、浦添(うらしい)を通って一日掛かりで浮島(那覇)に着いた。久米村(くみむら)にあるメイファン(美帆)の屋敷に入って、旅の疲れを取り、翌日の婚礼に備えた。
 マカトゥダルが山田グスクから首里に向かった日の午後、勝連(かちりん)グスクから花嫁姿のユミ(弓)がお輿に乗って首里に向かっていた。
 勝連按司後見役のサムの長女のユミは佐敷のクマヌ(中グスク按司)の屋敷で生まれた。サムが妻のマチルーを連れて伊波(いーふぁ)から佐敷にやって来た、その年に生まれたのだった。
 翌年、仲尾(新里)に新しい屋敷が完成して、祖父母と別れて新居に移った。その屋敷で十一歳まで暮らし、近くに住んでいた馬天(ばてぃん)ヌルの娘のササと仲よくなった。十一歳の二月、叔父の佐敷按司(サハチ)が島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)になって、島添大里の城下に移った。
 仲良しのササと別れたのは寂しかったが、島添大里では同い年のマカマドゥと仲良しになった。マカマドゥは武術師範の苗代大親(なーしるうふや)の娘だったので、ユミはマカマドゥと一緒に剣術の基本を教わった。
 十五歳になるとマカマドゥと一緒に島添大里グスクの東曲輪(あがりくるわ)に通って、叔母(マチルギ)や佐敷ヌルから剣術を習った。叔母も佐敷ヌルも物凄く強く、その動きは華麗で、ユミは二人に憧れた。毎日、お稽古に通うのが楽しみだったが、二月に戦(いくさ)が始まった。
 剣術のお稽古は中止になって、城下の人たちは皆、グスク内に避難した。敵が攻めて来る事もなく戦は終わって、島添大里按司は凱旋(がいせん)してきた。大勝利だったという。
 大勝利を祝う間もなく、ユミは母と妹たちを連れて勝連に向かった。父は幼い勝連若按司の後見役になったという。マカマドゥと別れて遠くに行きたくなかったが仕方がなかった。
 勝連グスクは立派なグスクで、グスク内にある屋敷も立派な屋敷だった。後見役というのは按司ではないが、按司に次ぐ地位だという。
 父が偉くなったのは嬉しいが、みんなと一緒に剣術のお稽古ができないのは辛かった。それでも、いつかマカマドゥと再会した時に恥ずかしくないように剣術のお稽古は続けた。そんなユミを見て、母が剣術を教えてくれた。ユミは知らなかったが、母も若い頃、叔母から剣術を習っていたという。母はユミが思っていた以上に強かった。母を相手に剣術のお稽古をしていると重臣たちの娘がやって来て、一緒にお稽古をするようになった。
 勝連に来て一年余りが過ぎ、島添大里にいた頃のように、娘たちの剣術のお稽古は日課になっていた。母が師匠になって、二十人前後の娘たちを教えている。母も楽しそうだった。ユミも友達に囲まれ、勝連に来てよかったと思っていた。
 三月のある日、お客さんが来ていると言われて御門(うじょう)まで行くとササとマカマドゥがいた。ユミは二人との再会を大喜びした。二人と一緒にジルムイ(次郎思)と知らない二人がいた。知らない二人は山田のマウシとシラーだった。ジルムイがユミに会いたいというので、一緒に来たのよとササは言った。ユミには何の事かわからなかった。怪訝な顔をしてジルムイを見ていると、ジルムイはユミの事が好きなんだってとササが笑った。
 ジルムイとは佐敷にいた幼い頃、ササと一緒に遊んだ事はあった。でも、島添大里に移ってからは、お正月に両親と一緒にグスクに挨拶に行った時に会うくらいで、ろくに話をした事もない。ササがまた、あたしをからかっているのねと思ったが、ジルムイから好きですと告白されて、ヤマトゥ土産(みやげ)の櫛(くし)をもらった。
 ジルムイは二年前、ユミの父から、ユミをお嫁にもらわないかと言われたという。お酒の席だったので、冗談だったのかもしれないが、その後、ジルムイはユミを意識し始めた。しかし、ユミは勝連に行ってしまった。勝連まで行く勇気はなく、悶々(もんもん)とした日々を過ごしていた。でも、ヤマトゥ旅に行って自分は変わった。今、会わなければ後悔すると思って、やって来た。
 また、会いに来てもいいかと聞かれて、ユミはうなづいた。それからジルムイは毎月、ユミに会いに勝連にやって来た。やがて、ジルムイが来るのが待ち遠しくなっていき、ジルムイの事が好きになっている自分に気づいた。
 九月の末、島添大里から叔父夫婦がやって来た。ユミは呼ばれて、叔父夫婦の次男、ジルムイのお嫁さんにならないかと聞かれた。ユミは恥ずかしそうにうなづいた。
 婚礼の前日、ユミは城下の人たちに見送られて首里に向かい、その日は祖父のいる中グスクに泊まった。
 婚礼当日の朝、佐敷城下の苗代大親の屋敷でマカマドゥ(真竈)はぼんやりと庭の片隅にあるガジュマルの木を眺めていた。
 ここに来るのは久し振りの事だった。マカマドゥはここで生まれた。この屋敷を建てたのは伯父の中山王(ちゅうざんおう)(思紹)だった。従兄(いとこ)の島添大里按司(サハチ)は屋敷が立つ前にあった小屋で生まれたという。ガジュマルの木の下に『ツキシル(月代)の石』と呼ばれる光る石があって、島添大里按司が生まれた時、その石が光ったらしい。今、『ツキシルの石』は首里グスクの『キーヌウチ』にあるが、マカマドゥは光ったのを見ていない。父も母も見ていなかった。
 マカマドゥが生まれた時、従兄のサハチが佐敷按司で、伯父は隠居して旅に出ていた。隣りの屋敷には水軍大将の日向大親(ひゅうがうふや)(ヒューガ)が住んでいたというが、マカマドゥが二歳の時に出て行ってしまったので記憶にない。四歳の時、上の兄のマガーチ(真垣)は隠居した伯父と一緒に旅に出た。マガーチは三年間も旅をしていて、年末年始しか帰って来なかった。旅が終わったあと、マガーチは父の武術道場で修行を始め、今は島添大里のサムレー大将になっている。
 七歳の時、隣りの屋敷に宇座(うーじゃ)から来たクグルー(小五郎)が母親と一緒に暮らし始めた。クグルーはマカマドゥの姉のナビー(鍋)を妻に迎えて、今は島添大里の城下に住んで、サムレー大将になったマガーチの下で働いていた。
 マカマドゥが十一歳の時、佐敷按司は島添大里按司になった。マカマドゥは家族と一緒に佐敷を去って、島添大里の城下の屋敷に移った。島添大里グスクは佐敷グスクよりもずっと大きくて立派だった。こんなグスクを奪い取るなんて凄いと子供ながらに感心して、その時に行なわれたお祭りは今でもよく覚えている。
 島添大里の城下に移って、近所に住んでいたユミと仲よくなった。ユミと一緒に父から剣術を教わった。
 十二歳の時、マガーチがヤマトゥ旅に行った。馬天ヌルの娘のササと一緒に、兄の無事を必死になって祈った。翌年の正月、兄は無事に帰って来た。
 十四歳になった時、父から馬術と弓術を教わり、十五歳になって、島添大里グスクで奥方様(うなじゃら)と佐敷ヌルから剣術を習い始めた。その年の二月、戦が始まって、島添大里按司は大勝利をして凱旋してきた。皆、大喜びをしたが、父親が勝連按司の後見役になったユミは勝連に行ってしまった。親友を失って寂しかった頃、山田のマウシが現れた。
 マウシに出会うまで、マカマドゥは誰かを好きになった事はなかった。城下で一番強いと言われている父の娘であるため、弱い男に興味はなかった。同じ年頃で自分よりも強い男はいない。強い男が現れなければ、お嫁になんか行かなくてもいい。女子(いなぐ)サムレーになって戦で活躍しようと思っていた。
 マウシと試合をした時、勝てると思っていたのに勝てなかった。次には必ず勝つと思いながらも、マウシの事を思うとなぜか胸が苦しくなった。
 マウシと出会って二か月後、マウシはヤマトゥ旅に行ってしまった。マウシがいなくなって、初めて、自分がマウシの事を好きになっている事に気づき、マカマドゥはササと一緒にマウシの無事を祈った。翌年の一月、マウシは無事に帰って来た。マカマドゥはマウシと試合をして、紙一重の差で負けた。マカマドゥはマウシのお嫁さんになると決心した。
 マウシは四月にマカマドゥをお嫁に下さいと父に告げた。父はすぐに返事をしなかった。マカマドゥも何度も頭を下げて、父にお願いした。ササの母親、馬天ヌルの口添えもあって、父が許してくれたのは二月後の事だった。
 島添大里按司が明から帰って来て、父がマウシとマカマドゥの婚礼の話をすると、島添大里按司は少し考えてから、マウシだけでなく、サグルーとジルムイの婚礼も一緒にやろうと言った。そして、十一月十五日、三つの御婚礼(ぐくんりー)を首里グスクで盛大にやろうと決まったのだった。
 花嫁姿になったマカマドゥはお輿に乗って苗代の屋敷を出て、佐敷の城下の人たちに見送られて島添大里グスクに向かい、そこで一休みして、首里グスクへと向かった。首里へと続く道の両側にはずっと見送りの人たちが並んでいた。
 首里の城下まで来たマカマドゥは重臣屋敷の一番端にあるヒューガ屋敷に入った。このヒューガ屋敷は、水軍大将のヒューガの屋敷なのだが、ヒューガは馬天ヌルの屋敷で暮らしているので、ここは使っていなかった。名前はそのままで、城下の人たちの寄り合い所として使われていた。
 マカマドゥがヒューガ屋敷に入った頃、浮島から来たマカトゥダルと中グスクから来たユミも、大勢の見物人を引き連れて首里の大通りにやって来て、ヒューガ屋敷に入って行った。
 しばらくして、首里グスクから景気のいい太鼓の音が鳴り渡った。
 ヒューガ屋敷から三人の武将が馬に乗って現れ、大通りに出ると横に並んで止まった。マカトゥダルを浮島から護衛してきた伊是名親方(いぢぃなうやかた)(マウー)、ユミを中グスクから護衛してきた外間親方(ふかまうやかた)(シラタル)、マカマドゥを苗代から護衛してきた苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)だった。
 次にお輿に乗った三人の花嫁が出て来た。大通りにいる大勢の見物人から拍手がわき起こって、指笛が鳴り響いた。三人の花嫁の後ろには涼傘(リャンサン)という大きな日傘を持った屈強な男が従っていた。
 涼傘は島添大里按司が明国から持って来た物だった。赤い涼傘はマカトゥダル、青い涼傘はユミ、綠色の涼傘はマカマドゥの頭上を覆っていた。今の時期、日傘を差すほど日差しは強くないが、涼傘を差す事によって、花嫁行列がより華やかになっていた。黄色い涼傘も欲しかったのだが、黄色は皇帝だけに許された色なので手に入れる事はできなかった。
 三人のお輿が武将の後ろに並んで、その後ろに侍女たち、護衛の兵たちが並んだ。一緒に来た両親は、すでに首里グスクに入っている。法螺貝(ほらがい)の合図で、三つの花嫁行列はゆっくりと大通りを首里グスクへと向かった。
 華麗な花嫁行列は、まるで夢でも見ているような美しさだった。見物人たちはうっとりしながら眺めていた。
 花嫁行列は開かれた首里グスクの大御門(うふうじょー)(正門)を通り抜けて、北曲輪(にしくるわ)に入り、坂道を登って西御門(いりうじょー)から西曲輪(いりくるわ)に入った。グスクの石垣の上には兵たちが厳重に守りを固めていた。西曲輪には酒や餅を配る屋台が出ていて、庶民たちに開放された。
 三人の武将は馬から下りて、お輿から降りた花嫁を先導して、中御門(なかうじょー)を通って御庭(うなー)に入って行った。この時も涼傘は花嫁の後ろに従い、そのあとに侍女が従った。護衛の兵たちは西曲輪に残って西曲輪の警固に当たった。
 御庭には招待された各地の按司や親族たちが並んで、花嫁の到着を待っていた。正面の百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)の石段の上に王様(思紹)、王妃(ミチ)、世子(せいし)(サハチ)、世子妃(マチルギ)が並んで座り、石段の下には三人の花婿、サグルー、ジルムイ、マウシが緊張した面持ちで座っている。
 花嫁たちが登場すると花婿たちは立ち上がって、花嫁を迎えた。三人の武将と三つの涼傘は引き下がって、三組の花嫁花婿は王様たちに向かって頭を下げた。それぞれの侍女たちは花嫁花婿の後ろにひざまずいて控えた。
 美しい音楽が流れてきた。馬天ヌルが大勢のヌルを従えて登場した。佐敷ヌルもいた。若ヌルのササとミチもいた。音楽に合わせて婚礼の儀式が始まった。この日のために花嫁花婿とヌルたちは稽古を重ねてきていた。
 儀式の最中、花嫁花婿の両親たちがヌルに先導されて登場した。両親たちは勿論、稽古はしていない。突然の事で緊張したがヌルに従って、花嫁花婿と対面した。花婿のサグルーとジルムイの両親の世子と世子妃、花婿のマウシと花嫁のマカトゥダルの両親の山田按司夫婦、花嫁のマカマドゥの両親の苗代大親夫婦、花嫁のユミの両親の勝連按司後見役夫婦、四組の夫婦が、ヌルたちが神歌(かみうた)を歌いながら華麗に舞っている中で、子供たちと対面して、母親たちは皆、感極まって泣いていた。気丈な世子妃が涙を流しているのを見て、見ている人たちも感動した。
 両親たちが見守る中、三組の花嫁花婿が同時に固めの杯(さかずき)を交わして儀式は終了した。
 ヌルたちが引き下がると軽快な太鼓の響きが鳴り渡った。三組の花嫁花婿は御庭から西曲輪に出て、大勢の見物人たちに挨拶をして回った。
 中御門は閉められ、御庭にいた按司たちは東御門(あがりうじょう)から出て、祝宴が行なわれる『会同館(かいどうかん)』へと向かった。
 『会同館』は冊封使(さっぷーし)を迎えるために、『天使館』の新築と同時に造り始めた宿泊施設だった。『天使館』は冊封使一行が半年間、宿泊する施設で、『会同館』は冊封の儀式に招待した各地の按司たちが宿泊する施設だった。冊封使の来琉が中止になったので、『天使館』の完成は急ぐ必要もなく、『会同館』は何とか完成させて、婚礼に間に合わせた。『会同館』という名は勿論、明国の都にある施設を真似したのだった。
 グスクの北にできた『会同館』は石塀に囲まれ、まだ庭は完成していないが、大きな建物が二つあり、一つは大広間で、もう一つは宿泊施設だった。
 大広間に集まったのは花婿の父の島添大里按司、花嫁の父の苗代大親、花嫁の父で花婿の父でもある山田按司、花嫁の父の勝連按司後見役、親族のサミガー大主(うふぬし)(ウミンター)と島添大里按司の弟たち、中山王の重臣たち、ファイチ(懐機)とヂャンサンフォン(張三豊)もいた。そして、招待客の中グスク按司、越来按司(ぐいくあじ)、伊波按司(いーふぁあじ)、安慶名按司(あぎなーあじ)、北谷按司(ちゃたんあじ)、大(うふ)グスク按司、玉グスク按司、知念按司(ちにんあじ)、垣花按司(かきぬはなあじ)、糸数按司(いちかじあじ)、八重瀬按司(えーじあじ)で、山南王の代理として李仲按司(りーぢょんあじ)が来ていた。
 偶然なのか、わざと同日にしたのかわからないが、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクでは朝鮮(チョソン)に逃げて行った山南王(二代目承察度(うふざとぅ))の末の弟、クルク(小六)と山南王(シタルー)の娘、マジニ(真銭)の婚礼が行なわれていた。ウニタキ(三星大親)が調べた所によると、先代の山南王(汪英紫(おーえーじ))が島尻大里グスクを奪い取った時、幼かった二人の弟は助けられた。母親が察度(さとぅ)の娘だったので、城下に屋敷を与えられて暮らしていたらしい。上の弟は大里大親(うふざとぅうふや)を名乗って、数年前に李仲按司の娘を嫁に迎えている。山南王は兄の八重瀬按司と対立しているので身内が少ない。身内を増やして戦力に使いたいのだろうとウニタキは言った。
 ウニタキも重臣の一人として婚礼に参加していたが、配下の者たちは抜かりなく首里グスクの警固に当たり、山南王の様子も探っていた。
 祝宴が始まる前には知らせが届き、島尻大里に集まった按司たちもわかった。
 長男の豊見(とぅゆみ)グスク按司小禄按司(うるくあじ)、兼(かに)グスク按司、瀬長按司(しながあじ)、与座按司(ゆざあじ)、米須按司(くみしあじ)、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)、伊敷按司(いしきあじ)、真壁按司(まかびあじ)、玻名(はな)グスク按司が集まり、首里に来ている李仲按司の代理として若按司が参加して、八重瀬按司の代理として若按司が参加している。中山王も代理として佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)を送っていた。
 三組の花嫁花婿が『会同館』にやって来て、祝宴が始まった。宿泊施設が完備しているので、皆、安心して宴(うたげ)を楽しんだ。遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』から遊女(じゅり)たちもやって来て宴に加わった。夜になると蝋燭(ラージュ)(ろうそく)が灯され、お客たちを驚かせた。サハチが明国から持って来た物だった。
 男たちが『会同館』で騒いでいる頃、女たちは島添大里按司の屋敷で、明国のお茶を飲んで、明国の珍しいお菓子を食べながら楽しい一時を過ごしていた。
 開放された首里グスクの西曲輪では、城下の人たちが振る舞い酒を飲みながらお祭り気分を楽しんでいた。

 

 

 

 

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