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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-28.久高島参詣(第二稿)

尚巴志伝 第二部

 ヤマトゥ旅が決まって以来、マチルギは忙しい身ながら、ジクー禅師からヤマトゥ言葉を習っていた。クマヌやヒューガと付き合って来たので、しゃべる事は何とかでき、ひらがなも読めるが、漢字はまったく駄目だった。中山王(ちゅうさんおう)の世子妃(せいしひ)として、読み書きができなければみっともないと言って、真剣に習っていた。
 マチルギと一緒に行く事になったのは馬天(ばてぃん)ヌル、佐敷ヌル、フカマヌル、馬天若ヌルのササ、ウニタキの妻のチルー、そして、女子(いなぐ)サムレーが十人だった。彼女たちを守るためにヒューガ、ジクー禅師、三星党(みちぶしとー)のイーカチとヤマトゥ言葉がわかるシズが行き、ヂャンサンフォンとシンシンも行く事になった。
 マチルギはファイチの妻のヂャンウェイも誘ったのだが、ヂャンウェイはヤマトゥに行くより、一度、明国に帰りたいと言った。マチルギは任せておいてとファイチと掛け合い、ヂャンウェイと子供たちの明国行きの許しを得た。勿論、メイファンの事で脅したのだった。ヂャンウェイは三姉妹の船が来たら、それに乗って里帰りする事に決まった。
 龍虎山(ロンフーシャン)にいるヂャンウェイの父親も娘と孫が帰って来たら大喜びするだろう。サハチはヂャンウェイの父親に代わってマチルギにお礼を言った。そして、マチルギにやり込められているファイチを想像するとおかしかった。
 ヒューガは突然、ヤマトゥに行く事になって驚いたが、二十年振りのヤマトゥを見て来るのも今後のためになるかもしれないと引き受けてくれた。ヂャンサンフォンを誘ったのはヒューガで、旅の間、ヂャンサンフォンから武芸を習おうと張り切っていた。ヒューガはすでに五十歳を過ぎている。武芸の腕も一流なのに、さらに学ぼうとしている姿勢には、サハチも頭が下がる思いがした。
 シンシンを誘ったのはササだった。一緒に琉球を旅して以来、二人はいつも一緒にいた。ササのお陰で、シンシンの島言葉は琉球に来てから半年余りとは思えないほどに上達していた。佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)で、シンシンは娘たちに『武当拳(ウーダンけん)』を教えていて、島添大里(しましいうふざとぅ)の娘たちも、武当拳が習いたくて、佐敷まで通っていたらしい。その話を佐敷ヌルから聞いて、サハチは島添大里グスクで娘たちに武当拳を教える事になってしまった。佐敷ヌルも娘たちと一緒に真剣に習っていた。
 フカマヌルを誘ったのはマチルギだった。首里グスクと勝連グスクのマジムン退治で共に戦ったし、義理の姉でもあるので声を掛けたのだった。フカマヌルは大喜びして一緒に行くと言った。
 フカマヌルのヤマトゥ行きを知って驚いたのはウニタキだった。フカマヌルが妻のチルーと一緒に旅をするなんて考えてもいない事だった。ウニタキは久高島に行き、フカマヌルに妻の事を話して、絶対に秘密にしてくれと頼んだ。フカマヌルは心配しないで、内緒にしておくわと言った。二人の関係を知っているのはサハチと馬天ヌルだけなので、大丈夫だと思うが心配だった。半年間の長い旅で、二人が仲よくなって、チルーが感づいてしまう事も考えられる。ウニタキは何事も起こらないようにと久高島の神々に祈った。
 浦添按司(うらしいあじ)は當山親方(とうやまうやかた)に決まった。話を聞いて、當山親方は信じられないといった顔をしていた。自分が按司になるなんて思ってもいなかったという。
 大(うふ)グスク按司の武術師範だった美里之子(んざとぅぬしぃ)の次男に生まれた當山親方は、大グスク合戦で絶えてしまった母親の実家、當山家を継いで當山之子を名乗った。祖父の當山大親は大グスク按司を支えていた有能な武将だった。大グスク按司は當山大親の死を隠していたが、島添大里按司汪英紫)に知られ、大グスク合戦となり、大グスク按司は滅ぼされてしまった。中山王の重臣の一人となった當山親方は、祖父に顔向けができると満足していた。それなのに、按司になるなんて、まるで夢を見ているようだと喜んで引き受けてくれた。
「叔父上、あのグスクを片付けるのは容易の事ではありません。きっと、いやな夢を見ていると思うでしょうが、よろしくお願いします」
「なに、按司になれると思えば、そんな事は何でもない。部下の兵たちと力を合わせて、立派なグスクに再建してみせる」
 浦添按司になった當山親方は、二番組のサムレーたちを引き連れて浦添に向かった。空席となった二番組は三番組の兼久親方(かにくうやかた)を任命し、それぞれ、番号を繰り上げ、九番組に島添大里の一番組大将の外間之子(ふかまぬしぃ)(マニウシの次男)を入れ、島添大里の三番組には苗代大親(なーしるうふや)の次男、サンダーを入れた。サンダーは祖父のキラマにちなんで、慶良間之子(きらまぬしぃ)を名乗った。外間之子は配下の百人を率いて首里(すい)に移り、慶良間之子が率いる島添大里の三番組は、キラマの島から新たに呼んだ若者たちで編成した。
 二月の末、苗代大親とウニタキと一緒に、三月三日に予定されている久高島参詣の道筋の下見をした。中山王の命を狙う者が隠れそうな場所を見つけて、警戒しなければならなかった。サハチも警固をするつもりでいたのに、父の思紹(ししょう)から留守番を頼まれた。もし、何かがあった場合、思紹とサハチが一緒に行動するのはうまくないと言う。確かに、父の言う通りだった。当日、動く事ができないので、それ以前に、できるだけの事はしておきたかった。
 首里から与那原泊(ゆなばるどぅまい)までは、ゆっくり歩いても半時(はんとき)(一時間)余りで行ける距離だった。与那原からはヒューガ率いる水軍に警固された船に乗って久高島に渡る。海上の事はヒューガに任せれば大丈夫だろう。久高島は前日に兵を送って調べれば何とかなる。狭い島なので、よそ者が来ればすぐにわかるはずだ。問題は首里から与那原泊までの間だった。
 サハチ、ウニタキ、苗代大親の三人は十人の兵を連れて、馬に乗って出掛けた。
 いい天気で、『うりじん』と呼ぶにふさわしい陽気だった。去年の今頃は明国にいたと思うと、一年が過ぎるのは速かった。
「もし、中山王を襲う者がいるとしたら、そいつは何者なんじゃ」と苗代大親が誰にともなく聞いた。
「山南王(さんなんおう)、山北王(さんほくおう)、それと、武寧(ぶねい)の残党でしょう」とウニタキが答えた。
「山南王と山北王が兄貴の命を狙うかのう」と苗代大親は首を傾げた。
「兄貴がいなくなってもサハチがいる。城下の者たちの噂を聞いたんじゃが、皆、兄貴がキラマで一千の兵を育てていた事は知らん。隠居して気ままに旅をしていたと思っている。中山王は飾りに過ぎん。実際の実力者はサハチだと言っていた。山南王も山北王も同じように考えているんじゃないかのう。飾り物を殺した所でどうにもならん。お前の命を狙っているかもしれんぞ」
 苗代大親はサハチを見た。
「俺が狙われているのですか‥‥‥」
 そう言われてみれば、その可能性は高かった。今まで気がつかなかったが、敵の立場に立ってみれば、親父よりも俺の命を狙うはずだった。そうなれば、今も危険が迫っていると言える。
 サハチは辺りを見回した。
 そんなサハチを見て、ウニタキが面白そうに笑った。
「お前が一番、自分の事をわかっていない。師範の言う通り、お前が一番、狙われているんだよ」
「そんな事を言われたら気楽に外に出られなくなる」
 ウニタキはまた笑って、「お前の周りには常に、三星党と奥間(うくま)の者たちが守っている。安心しろ」
「すると今も付いて来ているのか」
「当たり前だ」
「すまんな。自由に動けるように、親父に中山王になってもらったんだが、俺が動くとみんなに迷惑がかかるのか」
「何を言っているんだ。誰も迷惑などと思ってはおらん。返って、じっとしていたら、奴らは退屈してしまう」
 笑いながら話を聞いていた苗代大親は話を戻すと、「結局、中山王を狙う奴らはおらんのじゃないのか」とウニタキに聞いた。
「武寧の残党どもが敵討(かたきう)ちのために中山王を狙う可能性はあります」
「敵討ちか‥‥‥しかし、残党どももそれほどいるまい」
「武寧の三男がまだ生きています。どこに逃げたのかわかりませんが、奴が生きている限り、安心はできません」
「武寧の三男というのは、浦添グスクにいなかった奴だな」
「そうです。留守を弟たちに任せて、女に会いに行っていたそうです」
「くだらん男だな。敵討ちをする度胸なんてあるまい」
「本人になくても、残党どもに旗頭(はたがしら)にされます」
「そうじゃな」
「三男で思い出したんだが、望月党の三男もまだ生きているはずだな」とサハチはウニタキに言った。
「ああ、望月ヌルの話だと当時、十四歳だったというから、今は十七だ。そろそろ、出てくるかもしれん。母親は勝連按司(かちりんあじ)の娘で、一応、俺の姉に当たる。勝連グスクを取り戻そうとするかもしれん」
「望月党とは何の事だ」と苗代大親が聞いた。
 ウニタキが説明した。
「勝連にそんな組織があったのか。知らなかった。それで、ウニタキが三星党を作ったんじゃな」
「そういう事です」
 首里の高台を下りると左側に新川森(あらかーむい)の山がある。
「まず、第一に危険なのは新川森だな」と苗代大親が言った。
「この山には首里の兵を百人、待機させましょう」とサハチは言った。
 苗代大親はうなづいた。
 新川森の山裾を左に見ながら進み、しばらく行くと左側に小高い丘があった。樹木か鬱蒼(うっそう)と茂り、ここも危険だった。
「ここにも兵を置くか」と苗代大親が聞いた。
 サハチは振り返って、新川森を見た。大して離れていなかった。
「新川森の兵に調べさせれば大丈夫でしょう」
「そうじゃな」と苗代大親も納得した。
 点在している田畑を見ながら進むと川に出た。川には丸木橋が架かっていた。川を覗くと、水量はあまりなく、橋を渡らなくても通れそうだった。ただ、所々に草むらがあり、敵が隠れる場所はあった。
「ここを通る前に先発隊に調べさせた方がいいな」とウニタキが言った。
 サハチと苗代大親はうなづいた。
 橋を渡ると運玉森(うんたまむい)が近くに見えてくる。
「やはり、ここが一番、危険だろう」とウニタキが言った。
 運玉森は重要な拠点として、マジムン屋敷のある山頂一帯は立ち入り禁止にしてあるが、山裾は広く、隠れる場所はいくらでもあった。
「ここには島添大里の兵百人を入れよう」とサハチは言った。
「それがいいのう。本隊の百と新川森の百、運玉森の百で、総勢三百いれば、何とかなるじゃろう」
 ここまで来れば与那原泊はすぐそこだった。与那原泊にはヤマトゥの商品を入れる倉庫があり、その商品は山南王のシタルーとの取り引きに使われた。その倉庫を守るために、島添大里の兵が守っていた。
「久し振りに登ってみんか」と苗代大親が運玉森を見ながら言った。
 サハチとウニタキはうなづき、運玉森へと向かった。ウニタキはマジムン屋敷を拠点にしているので、何度も来ているだろうが、サハチと苗代大親は、首里を攻めた時以来で、二年振りの事だった。
 二年前に通った道も草が茫々(ぼうぼう)と生えていた。マジムン屋敷の隣りにある広場も草茫々だった。キラマから来た若者たちが木を切り倒して整地した広場が哀れな姿になっていた。マジムン屋敷だけが、二年前と同じように建っている。
「初めてこの屋敷を見た時、驚いたぞ」と苗代大親が言った。
「こんな山の中にこんな立派な屋敷があるとは思わなかった。あの時、この屋敷のいわれを聞きたかったんじゃが、そんな余裕はなかった。どんないわれがあるんじゃ」
「ここを見つけたのはヒューガ殿です」とサハチが言って、説明した。
「ほう、察度(さとぅ)がここから島添大里グスクを攻めたのか。そうなると、もう五十年以上も前の事じゃな」
「そうです。何度も焼かれそうになりましたが、それに絶えて、こうして今も建っています」
「マジムン屋敷か‥‥‥マジムンが住んでいるのじゃなくて、この屋敷がマジムンなんじゃな」
「そうとも言えません。ここに住んでいるのはウニタキですから、マジムンかもしれません」
「おい、俺をマジムンにするな」とウニタキが言って笑った。
 連れて来た兵たちを休ませ、サハチたちもマジムン屋敷に入って一休みした。
 三月三日、思紹王は女たちを連れて、首里グスクを出発した。その行列を見ようと朝早くから見物人たちが首里グスクの大御門(うふうじょー)前に集まっていた。
 武装した苗代大親とマチルギが馬に乗って先頭を行き、そのあとに五十人の兵が続く。兵の後ろに馬天ヌルが率いる首里のヌルたち十人が続く。ヌルたちも勇ましく武装していた。そして、思紹王のお輿(こし)、王妃のお輿、八人の側室たちのお輿と続き、きらびやかなお輿の脇には侍女と女子サムレーが左右に一人づつ従っている。お輿が過ぎると赤、青、緑の涼傘(りゃんさん)を持った男たちが従い、その後ろに五十人の兵が続いて、最後尾に貫禄のある武将が馬に乗っていた。鎧(よろい)に身を包み、兜(かぶと)をかぶり、頬当(ほおあ)てをしているので顔はわからないが、実は思紹王だった。思紹王の代わりにお輿に乗っているのはヂャンサンフォンだった。
 久高島参詣の行列は城下の者たちに見送られて、ゆっくりと与那原泊へと向かって行った。
 サハチは北曲輪(にしくるわ)で一行を見送ると、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の二階に戻った。ジクー禅師と囲碁をしながら、ヤマトゥの寺院にある楼閣の事を聞いていた。
「楼閣と言えば、博多の妙楽寺の『呑碧楼(どんぺきろう)』でしょうな」とジクー禅師は言った。
 博多の『呑碧楼』の事はヤマトゥに行った弟や息子たちから聞いていた。博多に行って、まず驚いたのが『呑碧楼』だと誰もが言った。サハチが行った頃には、妙楽寺はあったが『呑碧楼』はなかった。
「呑碧楼は戦で焼け落ちたのを九州探題(たんだい)だった今川了俊(りょうしゅん)が再建しました。五十年ほど前に、当時の九州探題だった一色(いっしき)氏が妙楽寺を建てた時、明国の楼閣を真似して建てたようです。いや、その頃は明国ではなくて、元(げん)の国でしたな。元の国から来た禅僧が博多にいたようです」
 サハチは各地で見た明国の楼閣を思い出し、あんな大きな建物が博多にできたのかと驚いていた。
「京都のお寺にも五重の塔や七重の塔があると聞きましたが」とサハチが言うと、
「あれは仏様の遺骨を祀る仏舎利塔(ぶっしゃりとう)です」とジクー禅師は言った。
「外見は五階建てに見えますが、実際には上に登る事はできないのです」
「そうなのですか」
相国寺(しょうこくじ)に七重の塔があって、上まで登れたようだが、雷が落ちて焼けてしまった。北山に再建するとか噂に聞いたがどうなった事やら」
「北山という所に高さが三十丈(じょう)(約九十メートル)余りもある七重の塔があったとヤマトゥ旅から帰った弟のクルーが驚いていました」
「そうか。やはり建てたのか」とジクー禅師は苦笑した。
「最近、北山殿(きたやまどの)(足利義満)が建てた金閣も楼閣と言えるかもしれませんな」
金閣?」
「金色に輝く三層の楼閣のようです」
「金色の楼閣か‥‥‥」
 サハチは首里グスクの西曲輪(いりくるわ)に金色に輝く楼閣が建つ姿を想像してみた。豪華で目立つが、このグスクには似合わないような気がした。やはり、赤と黒の首里天閣(すいてぃんかく)の方が似合いそうだと思った。
 囲碁に熱中しているうちに、一時(いっとき)(二時間)近くが過ぎ、今頃、久高島に向かう船の中だなと思っていた時、三星党のイーカチがやって来た。
「無事に船に乗ったか」とサハチが聞くと、イーカチはうなづいたが顔付きは暗かった。
「どうした? 何かあったのか」
「敵が現れました」
「なに? 襲われたのか」
「王様(うしゅがなしめー)も女たちも無事です。しかし、十五人の兵が亡くなり、十数人が負傷しました」
「十五人が亡くなった‥‥‥」と言って、サハチはジクー禅師と顔を見合わせて驚いた。
「詳しく聞かせてくれ」
 新川森の裾野を過ぎて、しばらく行った時、左側の森の中から敵が襲撃して来たという。
 新川森で待機していた伊是名親方(いぢぃなうやかた)(マウー)はその森を偵察するために十人の兵を送った。いつまで経っても連絡がないので、おかしいと思い、さらに五人の兵を送ったが、その兵もなかなか戻って来なかった。伊是名親方はあの森は危険だと苗代大親に伝えた。苗代大親はマチルギと相談して、敵を警戒しながら先に進んだ。伊是名親方の兵は、思紹の後ろに付いて来た。
 攻めて来た敵の数はおよそ百人、馬に乗っている武将も十人ばかりいた。敵の襲撃を知るとお輿から下りたヂャンサンフォンの指示で、お輿を円形に並べ、その中に女たちは避難した。ヂャンサンフォンとマチルギ、女子サムレーはお輿の外に出て近づいて来る敵と戦った。イーカチも女たちを守るために戦った。
 運玉森から苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)の兵も加わったので、敵の半数以上は討ち取ったが、大将らしき奴には逃げられた。今、ウニタキが追っているという。
 敵が逃げ散ったあと、その森に行ってみると偵察に入った兵は皆、殺されていた。
「そうか、十五人も戦死したか‥‥‥」
 サハチはあの森にも百人の兵を入れるべきだったと後悔した。
「あとは皆、無事だったのだな」
「負傷した者たちも重傷といえる者はいません。女子サムレーも何人か負傷しましたが、かすり傷だと言って、久高島に行きました」
「マチルギも無事か」
「奥方様(うなじゃら)は凄かったです。あんなに強いとは知りませんでした。近寄る敵は皆、倒れていました」
 サハチは苦笑して、「親父も無事だったんだな」と聞いた。
「王様は苗代大親と一緒に大暴れでしたよ。敵の中に突入して、片っ端から倒していました」
 サハチはまた苦笑して、「ジルムイとマウシは大丈夫だったか」と聞いた。
「無事です。見事に初陣(ういじん)を飾りました。二人とも落ち着いていましたよ。ヤマトゥ旅で初陣は済ませたと言っていましたが、ヤマトゥで戦にでも出たのですか」
「海賊退治をしたらしい」
「海賊ですか」と言って、イーカチは目を細めた
「敵は何者だったんだ」とサハチは聞いた。
「武寧の残党のようです。捕まえた者が白状しました」
「そうか‥‥‥武寧の残党が百人もいたとは驚きだな」
「ええ、驚きました。山南王の兵が攻めて来たと思いましたよ」
「シタルーはそんな無茶はするまい」
 イーカチはサハチにうなづいたあと、「ヂャンサンフォン殿ですが、凄い人ですね」と言った。
「あの人は武器を持ってはいませんでした。しかし、近づいて来る者たちは皆、倒れました。敵に斬られそうになった女子サムレーがいたのですが、ヂャンサンフォン殿が気合いを掛けると吹き飛ばされたように飛んで行って、あとは動かなくなりました。あんな凄い術を見たのは初めてです」
 サハチは笑った。
「あの人は明国では武術の神様なんだ。皇帝でさえ会いたがっているんだけど、あの人は面倒くさがって、琉球に逃げて来たんだよ」
「武術の神様‥‥‥まさしく、神様ですね」
 次の日、思紹たちは久高島参詣を終えて帰って来た。楽しい旅になるはずだったが、敵の襲撃に遭ったため、皆、暗い表情だった。それでも、マチルギの話によると、女たちは皆、久高島に行って喜んでいたという。馬天ヌルに連れられてフボーヌムイでお祈りをして、海に出て遊び、捕れ立ての魚貝を食べて、皆、充分に満足していると言った。
 戦死した兵たちの葬儀が終わった頃、ウニタキが戻って来た。
「俺の失敗だ。敵に逃げられちまった」とウニタキは言った。
「捕まえた奴を白状させて、大将の名がようやくわかった。イシムイという名で、やはり、武寧の三男だった」
「やはり、奴だったのか」
「奴の母親はタブチとシタルーの姉だ。浦添グスクが焼け落ちたあと八重瀬(えーじ)に逃げている。シタルーとは気が合わないのか、タブチを頼っている。妻は玉グスク按司の娘で、玉グスクに帰っている。タブチと玉グスク按司が、イシムイに関わっているとは思えない。兄の兼(かに)グスク按司、叔父の瀬長按司(しながあじ)、そして、叔父のシタルーが陰ながら援助していたかもしれんな」
「シタルーか‥‥‥シタルーなら利用するだろうな。しかし、武寧の残党が百人もいたとは驚いた」
「浮島を守っていた奴らが合流したようだ」
「浮島の兵だったのか‥‥‥」
 サハチたちが首里グスクを奪い、浦添グスクを焼き討ちにした時、武寧の兵は浮島にも百人いた。ファイチからその事は聞いていたが、浮島で戦をするわけにもいかず、ファイチに任せたのだった、ファイチは浮島を守っている大将を知っていた。アランポーとつるんで、あくどい事をしている悪い奴だと言った。ファイチはアランポーが呼んでいるとその大将を呼び出して退治した。兵たちは浦添にいる家族のもとへ返したという。残党狩りの時、浮島にいた兵たちを何人か捕まえて、首里の人足に送ったが、半数以上の者たちが家族を連れて逃げて行ったのだった。
「浮島の奴らも今回の戦で半数以上は戦死した。イシムイと一緒に逃げたのは十数人に過ぎん。奴らはヤンバルまで逃げて行った。もしかしたら、今帰仁(なきじん)にいる妹の浦添ヌルを頼って行ったのかもしれんな」
「山北王か‥‥‥」
 亡くなった兵たちの敵を討ちたいが、ヤンバルまで逃げてしまったのならお預けだった。まだ、山北王攻めの準備はできていない。今はじっと我慢するしかなかった。
 ヂャンサンフォンの活躍は噂になって広まった。久高島から帰って来ると、ヂャンサンフォンは首里のサムレーたちに武当拳を教える事になった。ヂャンサンフォンは喜んで引き受け、島添大里から毎日、首里まで通っていた。首里に屋敷を用意すると言ったら、運玉森ヌルがいる島添大里がいいと言う。サハチはヂャンサンフォンのために馬を用意した。

 

 

 

 

日本人の魂の原郷 沖縄久高島 (集英社新書)  主婦が神になる刻 イザイホー「久高島」 (神々の古層)