長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-37.初孫誕生(改訂決定稿)

 台風で潰れた馬天浜(ばてぃんはま)のウミンチュ(漁師)たちの家々も何とか再建された。佐敷グスクの仮小屋で暮らしていた避難民たちもいなくなった十月の八日、ジルムイの妻、ユミが元気な男の子を産んだ。
 御内原(うーちばる)の女たちに囲まれて、祝福された男の子はジタルーと名付けられた。誰もが、サハチの初孫なのだから、祖父の名をもらってサハチと名付けろと言ったが、ジルムイは遠慮した。
「わたしは次男です。父の跡を継ぐ、兄の長男がサハチを名乗るべきなのです」とジルムイは主張し、「ジルムイ(次郎思)の長男なので、ジタルー(次太郎)でいいのです」と言った。
 成程、ジルムイの言う通りだと皆も納得して、ジタルーに決まった。
 サハチ(島添大里按司)は三十七歳の若さで、お爺ちゃんになってしまった。マチルギが帰って来たら、さぞや驚くだろうと思いながら、可愛い顔をして笑うジタルーをあやしていた。
 初孫誕生の五日後、三姉妹の船が帰って行った。前日は久米村(くみむら)のメイファン(美帆)の屋敷で、その前日は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで、送別の宴(うたげ)を催した。
 島添大里での宴には伊是名親方(いぢぃなうやかた)と慶良間之子(きらまぬしぃ)も呼ばれて、リェンリー(怜麗)とユンロン(芸蓉)との別れを惜しんだ。二人とも妻には内緒で、密かに会っていたらしい。今回は何事もなく済んだが、いつかはばれて大騒ぎになるような気がした。
 サハチとメイユー(美玉)の事は噂になっていた。馬天浜の復興作業で二人が一緒にいる事が多く、三人目の奥方様(うなじゃら)だと誰もが言っていた。サハチは明国(みんこく)の大事なお客様だと否定をするが、メイユーが嬉しそうな顔をしてうなづくので、メイユーの事をナツと同じように小奥方様(うなじゃらぐゎー)と呼んでいた。マチルギが帰って来て、この噂を聞けば大きな雷が落ちそうだ。帰って来るまでに噂が下火になる事を願うばかりだった。
 三姉妹の船にはファイチ(懐機)の妻、ヂャンウェイ(張唯)と息子のファイテ(懐徳)、娘のファイリン(懐玲)が一緒に乗って行った。三人は八年前にファイチと一緒に琉球に来た。ファイテは六歳で、ファイリンは四歳だった。両親から明国の言葉は習っていても、二人とも自信がなかった。不安な面持ちで小舟(さぶに)に乗って行ったが、大きな船に上がると楽しそうにはしゃぎ回っていた。龍虎山(ロンフーシャン)の祖父の屋敷で、嬉しそうに遊んでいる姿が想像できた。ふと、サハチがファイチを見ると寂しそうな顔をして子供たちを見ていた。きっと、一緒に行きたいに違いなかった。
「わたしたちが龍虎山までちゃんと送り届けるから心配しないで」とメイリン(美玲)が言った。
 ファイチは笑って、明国の言葉でメイリンに何かを言った。メイリンも笑ってうなづき、ウニタキ(三星大親)に手を振ると小舟に乗り込んだ。
「来年は会えないわね」とメイユーがサハチに言った。
「再来年は会えるさ。無理をするなよ」
「大丈夫よ。琉球で充分に休養したわ」
「また、旧港(ジゥガン)(パレンバン)まで行くのか」
 メイユーは笑って、「綺麗な鳥(とぅい)を連れて来るわ」と言った。
「マチルギが喜ぶだろう」
 メイユーはうなづいて、サハチを見つめていたが、手を振ると小舟に乗り込んだ。
 三姉妹の二隻の船を見送って島添大里グスクに帰ると、ユリとナツの妹のアキが子供たちを連れて遊びに来ていた。
 アキはサミガー大主(うふぬし)(サハチの叔父)の長男、ハチルー(八郎)の妻で、佐敷グスクの炊き出しでユリと仲よくなって、今回、一緒に来たのだった。
 アキが十七歳になった春、姉のナツは『三星党(みちぶしとー)』に入った。佐敷按司を守る秘密の組織で、家族とは会う事はできないと言われ、アキは泣きながらナツと別れた。その年の九月、アキはハチルーのもとに嫁いだ。ハチルーはサミガー大主の跡取りで、アキは鮫皮(さみがー)作りに携わるウミンチュや職人たちの世話に追われる忙しい日々を過ごした。
 嫁いで三年目の春、佐敷按司は島添大里グスクを攻め落として島添大里按司になった。ナツが島添大里グスクの侍女になったと聞いたアキは、ナツに会いに行った。三年振りに見た姉は変わっていなくて安心した。アキは子供を連れて、時々、姉を訪ねた。
 ナツが侍女をやめて、『まるずや』に移った時も、時折会っていた。それが去年の九月、『まるずや』から消えてしまい、また危険な仕事に戻ったのかと心配した。そして、十一月の末、ナツが島添大里按司の側室に迎えられたと聞いて、信じられないほどに驚いた。アキは島添大里グスクに行った。お腹の大きくなっている姉を見て、さらに驚いた。ナツは無事に男の子を産んだ。アキは子供を連れて、度々遊びに来ていて、今回はユリを誘ったのだった。
 ユリはサハチとの約束を守って、子供たちに笛を聞かせた。子供たちは喜んで、ウニタキの娘のミヨンが教えてくれとせがんだ。ミヨンはウニタキから三弦(サンシェン)を習っているはずだが、ここで三弦を聞いた事はなかった。ユリはミヨンに吹き方を教えた。アキの三人の子供とユリの娘はサハチとウニタキの子供たち、佐敷ヌルの娘と一緒になって遊び、島添大里グスクは子供たちに占領されたようだった。


 その頃、対馬(つしま)にいるマチルギたちは今まで習った成果を見せるため、イトとユキの見守る中、帆船を操って朝鮮(チョソン)に向かっていた。その船には旅から帰って来たササとシンシン(杏杏)とシズも加わっていた。
 ヒューガと修理亮(しゅりのすけ)はヂャンサンフォン(張三豊)と一緒に船越の近くの山に籠もって、厳しい修行を続けていた。ヒューガは計り知れないヂャンサンフォンの強さに心服し、旅の間に、なるべく多くの技を吸収しようと必死になっていた。
 修理亮はわけがわからないまま、言われた通りの修行を続けていた。断食やら、呼吸法やら、真っ暗な洞窟の中を歩いたりと、こんな事をやっていて強くなれるのかと疑問だらけだったが、一月が経ってみると、体が軽くなり、刀が以前よりも自由に操れるようになっていた。そして、武当拳(ウーダンけん)という素手で行なう武術は興味深かった。シンシンは武当拳の名手で、とてもかなわなかった。まず、武当拳でシンシンに勝つまでは、修行はやめられないと必死になって頑張っていた。
 ヂャンサンフォンは対馬島が気に入っていた。対馬の山や海には神気が漂い、偉大なる自然の力が強く感じられた。その『気』を体内に取り込めば、眠っている能力を呼び覚ます事ができる。南部の山中での一か月の修行で、それを見事に体得したのはササだった。
 人は誕生した時、様々な能力を持って生まれるが成長の過程で、それらの能力を忘れてしまう。その能力を呼び覚ますために修行を積むのが道教だった。ササは生まれた時の能力をほとんど失わずに成長した希(まれ)な存在といえる。ただ、自分ではまだその事に気づいていない。危険が迫った時や、何かを必死に思う時、その能力が発揮されて、遠い過去の記憶が蘇(よみがえ)ったり、未来に起こる事が見えたり、遠くの情景が見えたりする。一か月の修行で、ササは暗闇の中を歩く事も難なく身に付けて、呼吸法によって、体内の『気』を自由に操る術も身に付けた。修行のあと、体が軽くなって、まるで空を飛んでるみたいと喜んでいたが、本人も驚く程の能力が身に付いているはずだった。
 そんな能力よりもササが気になっているのは修理亮の事だった。修理亮がマレビト神に違いないと修行中も修理亮の気を引こうと頑張っていた。修理亮は修行に熱中していて、ササだけでなく、シンシンやシズにも目をくれなかった。鈍感な男の目を覚ませてあげましょうと毎朝、水汲みに行く川で、修理亮を待ち伏せして、裸になって水浴びをして見せたが、「三人の天女の行水か。いい眺めだ」と言ったきり、その後の展開もなかった。三人は諦めて、修行中は休戦状態にして修行に熱中した。
 一か月の修行が終わって、再び旅が始まった。ササとシンシンとシズは修理亮の心を奪い取ろうと火花を散らして戦った。対馬の南側を巡る旅が終わって、土寄浦(つちよりうら)で一休みした。佐敷ヌルとフカマヌルに再会して、旅の話をすると羨ましそうな顔をした。イスケに聞くと、あと二人なら乗れるというので、二人も一緒に行く事になった。
 浅海湾(あそうわん)内にある仁位(にい)のワタツミ神社でお祈りした時、ササは何かを感じた。馬天ヌル、佐敷ヌル、フカマヌルも、ササが感じた何かを感じていた。森の中に海の女神様(豊玉姫)のお墓があって、それは琉球のウタキ(御嶽)にそっくりだった。
「御先祖様が琉球からここにいらしたのね」と馬天ヌルがお祈りのあとに言った。
 佐敷ヌルはうなづいて、「こっちからも琉球に行っているわ」と言った。
「古くから対馬琉球は交易していたのね」とフカマヌルは言った。
「この人、ヌルよ」とササがウタキをじっと見つめながら言った。
「山の神様がここから船出して、南の島(ふぇーぬしま)に行って、この人と出会ったの。山の神様は、この人にとってマレビト神だったのね。山の神様が南の島から去って、この人はお腹に赤ちゃんがいる事に気づいたの。この人は山の神様のそばで赤ちゃんを産みたいと思って、対馬にやって来て、赤ちゃんを産んだわ。でも、産んだのはここではないみたい。赤ちゃんは女の子で、のちにヌルになるわ。ヒミコという名前で、神名(かみなー)はアマテラスよ」
「アマテラス? アマテルじゃないの?」と馬天ヌルが聞いた。
「船越にあるアマテル神社は、アマテラスのお父さんのアマテルを祀っているのよ。アマテルの名前はスサノオで、神名がアマテルなの」
「という事は、ここの山の神様もスサノオなのね。スサノオの神様はあちこちの神社に祀ってあったわ。山の神様でもあるし、海の神様でもあるし、太陽の神様でもあるのね」
 ササはうなづいた。
スサノオは凄い神様だわ」
「南の島って琉球なの?」と佐敷ヌルがササに聞いた。
 ササは首を振った。
「どこだかわからないわ」
 ササはそう言って、「あっ!」と叫んだ。
「どうしたの?」と馬天ヌルが聞いた。
 ササは笑って、「何でもないわ」と答えたが、突然、ある事に気づいたのだった。
 修理亮はマレビト神ではなかった。修理亮が琉球に来ればマレビト神になるが、今、ヤマトゥ(日本)にいるササの方がマレビトであって、修理亮はヤマトゥ国内にいるヤマトゥンチュ(日本人)に過ぎなかった。
 ササは修理亮を眺めながら、いい男なんだけど諦めるしかないわねときっぱりと修理亮を諦めた。
 ササの母親、馬天ヌルは神様との対話を続けてきただけあって、特殊な能力を持ち、その能力にさらに磨きを掛けていた。
 馬天ヌルは一か月の修行中、ある重大な事に気づいていた。首里(すい)で行なわれた三組の婚礼のあと、マカトゥダルとユミとマカマドゥを連れてキーヌウチ(首里グスク内のウタキ)に入った時、『ツキシルの石』が光った事がずっと気に掛かっていた。なぜ光ったのか、その理由がわからなかった。修行も終わりに近づいたある日、朝日を浴びて座り込んでいる時、突然、その謎が解けたのだった。謎の答えはわかってみれば、至極当然な事だった。しかも、自分の神名である『ティーダシル』の事だった。
 かつて首里が真玉添(まだんすい)と呼ばれていた昔、森の中にあった真玉の御宮(まだんぬうみや)には、『ツキシル(月代)の石』だけでなく、『ティーダシル(日代)の石』もあったはずだった。その石を探し出して、キーヌウチに戻してほしいと願い、『ツキシルの石』は光ったのに違いない。
 でも、どうして、あの三人に光ったのだろうか‥‥‥
 あの三人が『ティーダシルの石』のありかを知っているのだろうか‥‥‥
 マカトゥダルは山田で生まれて、十六歳まで山田で育った。ユミは佐敷で生まれて、十五歳の時に勝連(かちりん)に移り、二年近くを勝連で過ごした。マカマドゥは『ツキシルの石』があった苗代(なーしる)の屋敷で生まれて、島添大里に移り、首里に移った。
 『ティーダシルの石』は山田にあるのだろうか。それとも、勝連にあるのだろうか。それとも、『ツキシルの石』があった苗代の近くに埋もれたままあるのだろうか。
 琉球に帰ったら、三人から話を聞いて、『ティーダシルの石』を捜す旅に出ようと馬天ヌルは決心した。
 ヤマトゥ旅に出ないで首里にいたなら、毎日が何かと忙しく、その事に気づかなかったかもしれない。馬天ヌルは対馬一周の旅で出会った様々な神様に感謝して、船越に戻ってからは、『アマテル神社』に祈りを捧げながら、村の娘たちに剣術を教える日々を送っていた。
 マチルギたちより先に朝鮮に行ったシタルーとクグルーの二人は、富山浦(プサンポ)(釜山)の『津島屋』の早田(そうだ)五郎左衛門のお世話になって、五郎左衛門の娘婿の浦瀬小次郎と一緒に、馬に乗って朝鮮の都、漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に行った。
 漢城府では五郎左衛門の長男、丈太郎(じょうたろう)が『津島屋』の店を出していた。『津島屋』は琉球との交易で手に入れた明国の陶器や南蛮の胡椒(こしょう)や蘇木(そぼく)を扱っているので繁盛していた。漢城府は明国の都と同じように城壁に囲まれた城塞都市で、独特な着物を着た朝鮮人が大勢、住んでいた。シタルーとクグルーは目をキョロキョロさせながら、ヤマトゥとはまったく違う朝鮮の都の様子に驚いていた。
 シタルーとクグルーが朝鮮から対馬に帰ったのが九月の半ばで、その一月後、マチルギたちが行ったのだった。マチルギたちは漢城府までは行かず、富山浦に何日か滞在して対馬に戻った。
 帰って来たら、浅海湾の山々は見事に紅葉していて美しかった。赤や黄色に染まる山々を眺め、歓声を挙げながらマチルギたちはその光景を目に焼き付けていた。
 ジクー(慈空)禅師が対馬に来たのは十一月の半ばだった。京都まで行って来たと聞いて、マチルギたちは驚いた。
「京都まで無事に行けるのですね?」とマチルギが聞くと、ジクー禅師は首を振った。
「博多の商人たちは危険だと船を出してくれなかった。仕方なく、長門(ながと)の国(山口県)に渡って、山口の商人の船に乗って京都まで行ったんじゃ。行きは無事じゃったが、帰りに海賊に襲われた。もう少しで殺される所を何とか逃げて来たんじゃよ。まったく、ひどい目に遭った」
「そうでしたか‥‥‥それで、知り合いの方には会えたのですか」
 ジクー禅師は笑ってうなづいた。
「わたしの師匠なのですが、会う事ができました」
 ジクー禅師は自分の身を守る術(すべ)を知らなくては、この先、生きてはいけないと言って、ヂャンサンフォンから武当拳を習い始めた。
 イーカチはジクー禅師から京都の様子を聞いた。できる事ならジクー禅師と一緒に京都まで行きたかった。京都の様子を絵に描いて、思紹(ししょう)(中山王)やサハチに見せたかった。しかし、イーカチの任務はマチルギを守る事なので、船越から離れる事はできない。マチルギたちが船の操縦を習っている時は、小舟に乗って見守り、朝鮮まで行った時は、ヂャンサンフォン、ヒューガ、修理亮と一緒に女たちの中に乗り込んで、朝鮮まで行った。シタルーとクグルーが漢城府まで行ったと聞いて、行ってみたかったが諦めて、富山浦の様子を絵に描くだけで我慢していたのだった。
 十一月も末になると急に寒くなり、十二月の初めには雪が降って来た。初めて見る雪にマチルギたちは感激してキャーキャー騒いだ。
 マチルギたちが雪に感激していた頃、琉球の馬天浜では、対馬から来る船乗りたちが利用する『対馬館』が完成していた。二階建ての立派な宿泊施設だった。急いで建てたので、首里の『会同館』と比べたら見栄えはあまりよくないが、頑丈に作ったので、大きな台風にも耐えられるだろう。サハチは大工たちをねぎらい、手伝ってくれた馬天浜の人たちと一緒に完成祝いのささやかな宴を開いた。
 ほろ酔い気分で島添大里グスクに帰ると、笛の音が響き渡っていた。ウニタキが各地の『よろずや』を回って集めた笛を子供たちに与えてから、島添大里グスクは毎日がお祭りのように、笛の音がピーヒャラ、ピーヒャラ鳴っていた。

 

 

 

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