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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-38.マチルギの帰還(第二稿)

 十二月になると冷たい北風(にしかじ)に乗ってヤマトゥの船が次々に浮島にやって来て、忙しい毎日が始まった。
 大役(うふやく)の安謝大親(あじゃうふや)からヤマトゥの王様、北山殿(きたやまどの)(足利義満)が亡くなった事をサハチは知らされた。北山殿は黄金に輝く御殿に住んでいる王様だと京都に行ったサグルーやジルムイから聞いていた。
「王様が亡くなって、ヤマトゥでは戦(いくさ)が始まったのか」とサハチはマチルギたちを心配して聞いた。
「大きな戦は起きてはいないようですが、各地で反乱は起きているようです」と安謝大親は答えた。
「北山殿が亡くなったのは五月だったようです。北山殿は息子(足利義持)に将軍職を譲ったのちに、王様になって明国(みんこく)と交易を始めました。将軍様はまだ若く、京都で戦が始まるかもしれないと誰もが心配しておりました」
家督争いか」とサハチは聞いた。
 安謝大親はうなづいた。
将軍様には弟がおりまして、その弟が北山殿に大層可愛がられていたそうです。そして、その弟を支持している重臣たちも多いようです」
「兄弟で戦を始めるのか」
 サハチは明国の永楽帝の事を思い出し、マチルギたちが戦に巻き込まれなければいいがと心配した。
「とりあえずは、その若い将軍様が新しい王様になるのだな」とサハチが聞くと、安謝大親は首を傾げた。
「わたしにはヤマトゥの状況はよくわからないのですが、ヤマトゥには古くから天皇と呼ばれる王様がおります。今では天皇は飾り物になって、将軍様が一番偉いようです。北山殿は息子に将軍職を譲り、出家したあとに明国の永楽帝からヤマトゥの王様に封じられました。ヤマトゥの人々は自尊心が非常に高く、明国の家臣になるとは情けないと批判する者も多いようです。若い将軍様を補佐している勘解由小路(かでのこうじ)殿(斯波義将(しばよしまさ))というお方もそのような考えを持っているので、もしかしたら、将軍様は新しい王様にはならないかもしれないと松浦党(まつらとう)の者たちは申しております」
「ヤマトゥは明国との交易をやめるというのか」
松浦党の者たちから見れば、将軍様が明国との交易をやめてくれた方が自分たちの商品が高く売れるので、そう願っているのかもしれません」
「そうか」とサハチはうなづいた。
 ヤマトゥが明国との交易をやめれば、琉球が割り込む余地ができる。明国や南蛮の商品を持って行けば歓迎されるだろう。もう少し様子を見て、ヤマトゥにも正式な使者を送ろうとサハチは考えた。
「もう一つ、重大な知らせがございます」と安謝大親は言った。
「徳之島(とぅくのしま)ですが、山北王(さんほくおう)に奪われたようです」
 山北王が兵を引き連れて徳之島に向かったというのはウニタキから聞いていた。
「あの島には按司がいたが、山北王に降伏したのか」
「毎年、正月には挨拶に来ていた気のいい男なんですが、どうも殺されたようです。新しい按司は永良部按司(いらぶあじ)の弟だそうです。山北王と取り引きしている者は無料で水の補給ができるのですが、そうでない者たちは水と引き替えにヤマトゥの刀十振りを要求されるようです。松浦党の者たちはもう徳之島には寄らんと言っております」
「山北王は着々と勢力を拡大しているようだな」
 十年の計では今帰仁攻めは七年後だった。七年後には、山北王はさらに北に侵攻しているに違いない。今帰仁攻めをもう少し早めなくてはならないかもしれないとサハチは焦った。
「奥方様(うなじゃら)たちは大丈夫でしょうか」と安謝大親が心配した。
 何も知らずに徳之島に上陸したら、新しい按司に捕まる可能性があった。もし、そんな事になったら救出に行かなければならない。しかし、今の時期は北上できないので、夏まで待たなければならない。どうか、徳之島に上陸しないでくれと祈るしかなかった。
「マチルギは大丈夫だよ」とサハチは心配顔の安謝大親に言った。
「馬天ヌル、佐敷ヌル、フカマヌルにササもいる。誰かが危険を知らせるだろう。ヂャンサンフォン殿もいるし、必ず、無事に帰って来る」
 サハチは自分に言い聞かせるようにそう言って、安謝大親にうなづいた。
 ヤマトゥの商人たちとの交易と、来年の進貢船(しんくんしん)の準備で忙しかった年の瀬も過ぎ、新しい年が明けて永楽七年(一四〇九年)となった。
 首里での新年の儀式は運玉森(うんたまむい)ヌルによって行なわれた。思紹(ししょう)が王となって三度目の正月なので、馬天ヌルがいなくても、ヌルたちは慣れたものだった。しかし、やはり何か物足りなさが感じられた。
 島添大里(しましいうふざとぅ)の新年の儀式はサスカサが行なった。去年は佐敷ヌルと一緒だったが、今年は一人で見事にやり遂げた。まだ十七歳なのに、サスカサという名に負けないように頑張っている姿は誇らしく、神々しさも充分に備わっていた。首里の儀式は神秘的な音楽に乗って行なわれたが、島添大里では音楽はなかった。今年はユリが吹く幻想的な笛の調べに乗って行なわれた。まるで、天女の舞を見ているような美しさだった。
 佐敷ではササの代わりにユミーが務め、平田では久高島に帰っているフカマヌルの母親の代わりにクルーが務めた。ユミーとクルーは十年前に馬天ヌルに従って各地を旅をした二人だった。馬天ヌルからユミーはフィカイ、クルーはカーギという神名(かみなー)を授かり、立派なヌルになっていた。
 フカマヌルの母親はキラマの島から戻ると平田の城下に住み、平田のヌルを務めていた。平田大親(ヤグルー)の妻のウミチルはフカマヌルの母親の姪なので、思紹が平田に屋敷を用意したのだった。平田のヌルなのだが、城下の者たちからは以前のごとくフカマヌルと呼ばれ、敬われていた。
 按司たちの挨拶も祝宴も無事に終わり、運玉森ヌルによって進貢船の出帆の儀式も済んだ。そろそろマチルギたちが帰って来る頃だった。サハチは中グスク按司のクマヌと平田大親に頼んで、船が見えたらすぐに知らせるように頼んだ。
 サハチが落ち着かずに、「知らせはまだか」と何度も聞くので、返って、子供たちの方が落ち着いて、「大丈夫だよ。もうすぐ帰ってくるよ」と父親をなだめていた。
 一番の知らせを持って来たのはウニタキだった。勝連(かちりん)の沖を二隻の船が通過したという。
 サハチが子供たちを連れて、馬天浜に向かおうと島添大里グスクを出た時、平田からの知らせが入った。子供たちは歓声を挙げて馬天浜めがけて走り出した。
 すでに馬天浜はお祭り騒ぎになっていた。太鼓や法螺貝(ほらがい)が鳴り響き、人々は歓喜の顔で近づいて来る二隻の船を見つめていた。
 船を見つめながら、無事でよかったとサハチはツキシルの石、天妃(てんぴ)様、真武神(ジェンウーシェン)、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)、観音様、思い付く神様に感謝をしていた。
 帆を下ろして船が止まるとウミンチュたちが小舟(さぶに)を漕いで船に向かった。
 一番最初にマチルギが来ると思っていたのに、最初に来たのはヂャンサンフォン(張三豊)とジクー禅師、見知らぬ若いサムレーだった。
 サハチはヂャンサンフォンとジクー禅師を迎えた。
「いい旅じゃった」とヂャンサンフォンは笑って、若いサムレーを紹介した。
 飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)はさらにヂャンサンフォンから指導を受けたいと言って琉球まで付いて来たのだった。背の高い真面目そうな若者だった。ヒューガのように琉球に居着いてくれればいいとサハチは思った。
 シタルーとクグルー、イーカチが小舟から降りて来た。サハチはシタルーとクグルーに一声掛けて、迎えに来ている家族のもとへ送った。イーカチにはお礼を言った。
 女子(いなぐ)サムレーたちが次々に上陸した。佐敷グスクと平田グスクの女子サムレーたちがキャーキャー言いながら迎えていた。
 ヒューガと馬天ヌルとササの親子が小舟から降りて来た。サハチは三人にお礼を言った。
「お礼を言うのはこっちじゃ」とヒューガは笑った。
「いい旅じゃったよ。ありがとう」
対馬は素晴らしい所だったわ」と馬天ヌルは明るい顔をして言った。
 半年振りに見る叔母は若返り、シジ(霊力)も増しているようだった。もしかしたら、ヂャンサンフォンのように百歳以上も生きるんじゃないかと思った。
「ただいま」と言ったササに、「マレビト神は見つかったか」と聞くと、「たった今、見つかったみたい」と相変わらずわけのわからない事を言っていた。
「お前、美人(ちゅらー)になったな」とサハチが感じたままに言うと、「えっ」とササは驚き、「やだあ」と照れてサハチの肩をたたいた。
 チルーとシンシンとシズが上陸した。ウニタキと子供たちが迎えに行った。シンシンとシズはササの所に行った。
 ようやく、マチルギが佐敷ヌル、フカマヌルと一緒にやって来た。子供たちが小舟まで迎えに行った。子供を追ってナツとマカトゥダルも行った。フカマヌルの母親と娘が人垣から出て来てフカマヌルのもとへと行った。久高島から迎えに来ていたようだった。
 子供たちと一通り話をしたあと、マチルギはサハチを見た。子供たちに引っ張られるようにしてマチルギはサハチのもとへ来た。
「ただいま」とマチルギは笑った。
「お帰り」とサハチも笑った。
 半年振りに見るマチルギは若返っていた。旅に出る前はいつも疲れているようだったが、その疲れもすっかり取れたようだった。
「無事でよかった」とサハチは言った。
「色々とあったけど無事に帰れたわ。こっちも何事もなかったのね」
「そうとも言えんが、戦はなかったから大丈夫だ」
 シンゴとマグサが挨拶に来た。サハチは二人にお礼を言った。
「お礼を言うのはこっちだよ」とシンゴは言った。
「ササには二度も助けられたんだ。あの娘は凄いな。みんなから八幡(はちまん)ヌルと呼ばれている」
「八幡ヌル?」とサハチが首を傾げると、「ササは航海の神様になったんだよ」とシンゴは笑った。
 サハチがマチルギを見ると、マチルギは笑って、「あとでゆっくりと話すわ。話す事がいっぱいあるの。楽しみにしていて」と言った。
 マチルギと子供たちを先に帰して、サハチはシンゴたちを新築の『対馬館』に案内した。凄いなと言って、皆、喜んでくれた。
 その晩、対馬館の一階の大広間で歓迎の宴を開いて、船乗りたちの長旅をねぎらった。船乗りたちは格式張った事を嫌うので、お膳などはなく、長卓(ながたく)の上に大皿に盛った料理を並べ、お皿代わりの芭蕉(ばしょう)の葉に好きに取ってもらい、酒は素焼きのお碗で飲んでもらった。勿論、席次もなく、皆、好き勝ってな場所で、仲のいい者たちと車座になって飲んでいた。
 サハチは簡単な挨拶をすると、シンゴの所に行って座り込んだ。
「マチルギたちは京都に行ったのか」とサハチが聞くと、シンゴは首を振った。
「北山殿が急に亡くなってしまい、その葬儀に参加するため、各地の有力者は皆、京都に行ったんだ。その隙を狙って、瀬戸内の海賊たちが暴れ出した。一文字屋も船を出すのをためらったため、クグルーとシタルーの二人も京都には行かずに、博多から対馬に行ったんだよ。ジクー禅師は別行動を取って、何とか京都まで行って来たらしい」
「そうか、行かなかったか」とサハチはうなづき、朝鮮(チョソン)の事を聞いた。
「以前、中山王が朝鮮に使者を送ったんだが知っているか」
「噂には聞いている」とシンゴは言った。
「ヤマトゥにはいくつもの国があって、将軍様から任命された守護(しゅご)という者がいるんだ。琉球で言ったら按司のようなものだ。対馬の国の守護は宗讃岐守(そうさぬきのかみ)(貞茂)という。今川了俊(りょうしゅん)が九州探題だった頃は了俊が対馬守護で、守護代は分家である仁位(にい)の宗氏が代々務めていた。本家の宗氏は少弐(しょうに)氏に付いて了俊と対立していたんだ。了俊が九州探題を解任されると、仁位の宗氏は守護代から守護になったんだが、後ろ盾だった了俊がいなくなったため、本家に守護の座を奪われてしまった。察度(さとぅ)の船が対馬に来たのは今川了俊対馬守護だった頃だ。守護代の仁位の宗氏に命じて、朝鮮との交渉を頼んだのだろう。武寧(ぶねい)の船が来たのは了俊が解任されたあとで、九州探題の渋川道鎮(どうちん)(満頼)と守護の宗讃岐守が助けたのだろう」
「守護の宗氏というのは対馬で一番勢力を持っているのか」
 シンゴは笑って首を振った。
「守護というのは将軍様から与えられた地位で、対馬の者たちは将軍など恐れてはいない。守護だと威張ってみたところで誰も言う事など聞かんよ。守護に従ったからと言って、飯が食えるわけでもないからな。皆、飯を食わしてくれる者に従うんだ」
「すると、宗氏よりは早田(そうだ)氏の方が力はあるんだな」
琉球との交易でかなり稼がせてもらった。勢力も大分拡大している。宗氏よりはあるだろう」
「そうか」
 サミガー大主(うふぬし)の長男の嫁のアキが酒と料理を持って来てくれた。サハチはお礼を言った。
「アキはナツの妹なんだ」とサハチはシンゴに言った。
「そうだったのか」とシンゴはアキを見て軽く頭を下げ、「今年もよろしく」と言った。
 アキは笑ってうなづくと去って行った。
 サハチはシンゴと乾杯すると、「来年、朝鮮に使者を送ろうと思っているんだ」と言った。
「なに、本当か」
 サハチはうなづいた。
 シンゴは少し考えたあと、「朝鮮は未だに倭寇(わこう)を警戒している。朝鮮に行くなら進貢船で行った方がいいぞ。察度や武寧も進貢船で行ったと聞いている」
「進貢船の方が荷物を多く積めるからか」
「それもあるが、進貢船は明国の船だ。進貢船に乗って行けば、朝鮮の役人も琉球から来た事を信じてくれるだろう」
「成程、ヤマトゥの船で行ったら、なかなか信じてもらえないという事か」
 シンゴはうなづいた。
「港で何日も足止めを食らうだろう。使者は明国の官服(かんぷく)を着て行った方がいいな。朝鮮の役人たちも正式な場では明国の官服を着ている。朝貢(ちょうこう)している国同士なのだから、その方が信用されるだろう」
「成程、そういうものか‥‥‥」
「シタルーとクグルーの二人が朝鮮の都、漢城府(ハンソンブ)まで行っている。二人を連れて行けば、何かと役に立つだろう」
「あの二人が朝鮮の都まで行ったのか」
「今、漢城府にも『津島屋』があるんだ。商品を運ぶのに一緒に付いて行ったんだよ」
「そうか‥‥‥」
「ヤマトゥの北山殿が亡くなった事は知っていると思うが、朝鮮でも李成桂(イソンゲ)が亡くなったんだ」
「なに、朝鮮も王様が亡くなったのか」
「王様と言っても李成桂は十年前に隠居させられて、次男の李芳果(イバンカ)が二代目の王様になったんだ。そして、八年前に五男の李芳遠(イバンウォン)が三代目の王様になっている」
「今は三代目なのだな」
「そうだ。王様が代わるたびに政変が起こって、大勢の者たちが殺されている」
「兄弟で跡目争いか‥‥‥」
 朝鮮も明国もヤマトゥも、王様が亡くなると子供たちが争いを始める。兄弟を殺してまでも王の座が欲しいのだろうか。サハチには理解できなかった。
 酒を一口飲むと、シンゴを見て、「一つ、頼みがあるんだが」と言った。
「今、琉球には朝鮮の言葉がわかる通事(つうじ)がいないんだ。お前の兄貴か叔父さんに頼めないかな」
「通事か‥‥‥何とかなるだろう」
「頼む」とサハチはシンゴに頭を下げた。
「通事は何とかなるが、進貢船で行くとなると泊まる宿の手配が大変だな」
「進貢船には二百人が乗っている」
「二百か‥‥‥博多は九州探題が何とかしてくれるだろう」
九州探題とお前はつながりはあるのか」
「つながりはないが、久し振りに琉球の船が博多に入れば、九州探題は大歓迎で迎えるだろう」
九州探題が宗氏を頼れと言ったらどうするんだ」
「そしたら、宗氏を頼ればいい。宗氏が宿屋の手配をしてくれるだろう。宗氏の館(やかた)は東海岸の佐賀浦(さかうら)にある。船越よりも北だ。船越は入り江の奥にあるので、入ったら出るのに苦労する。佐賀浦に入った方がいいだろう。そこで一休みして、東海岸を北上して、富山浦(プサンポ)(釜山)まで行く。富山浦を仕切っているのは叔父御だ。宗氏といえども、富山浦では叔父御には逆らえない。あとは叔父御がうまくやってくれるだろう」
「五郎左衛門殿が富山浦を仕切っているのか。懐かしいな。早く会いたいよ」
「お前が行った頃とは大分変わったぞ。家々が建ち並び、対馬の者たちが大勢住んでいる。琉球若狭町のように賑やかになっている」
「お前の一番上の兄貴、次郎左衛門殿が戦死したのは聞いたが、家族たちは富山浦にいるのか」
 シンゴは暗い顔付きで首を振った。
「みんな、殺されてしまったんだ」
「えっ」とサハチは驚いた。
「兄貴が亡くなったあと、奥さんは子供を連れて開京(ケギョン)の実家に帰ったんだよ。それから四年後、反乱が起こって、それに巻き込まれてしまったんだ。兄貴の奥さんの実家は高麗(こーれー)の商人だった。叔父御が富山浦で店を出せたのも兄貴の奥さんの実家のお陰だった。兄貴と出会った頃は富山浦に店があって、ヤマトゥとの交易で儲けて、開京に店を出したんだ。高麗から朝鮮に変わった時もうまく乗り越えて、店も益々繁盛していった。しかし、宮廷の重臣に近づき過ぎたため、政変に巻き込まれてしまったんだ。家族全員が捕まってしまい、両親も兄貴の奥さんも殺され、子供たちは奴隷にされたという。長男は捕まらずに逃げたという噂もあったが行方知れずのままだ。まったく、可哀想な事だよ」
 次郎左衛門の奥さんは美人だった。あの人が殺されたなんて信じられなかった。明国では政変でファイチの両親が殺され、朝鮮では次郎左衛門の家族が殺された。恐ろしい事だった。琉球ではそんな事が起きないようにしなければならないとサハチは思っていた。
 シンゴと別れて、島添大里グスクに帰ると、帰国祝いの宴はすでに始まっていて、男たちはいい機嫌になっていた。
 サハチはウニタキの隣りに座ると、「もう、あれは終わったのか」と聞いた。
「遅すぎるぞ。お前が来るのを待っていたんだが、待ちきれんと始めたよ。チルーもマチルギも佐敷ヌルも感動していたよ」
「そうか。子供たちも稽古に励んでいたからな。よかった」
「子供たちと一緒に出て来たユリを見て、ヒューガ殿が驚いていたぞ。どうして、お前がここにいるんだと言ってな」
「怒っているのか」
「いや、ササが何とかなだめたようだ。ササも子供たちと一緒に笛を吹いていたよ」
 ササは子供たちと一緒にいた。ユリとマカトゥダルとシンシンとシズも一緒だった。子供たちの隣りでは、マチルギ、ナツ、チルーが何やら話し込んでいる。馬天ヌルはフカマヌルの母親と話し込み、佐敷ヌルとフカマヌルは女子サムレーたちに囲まれている。
「ササの活躍も聞いたぞ」とウニタキは言った。
「船乗りたちから八幡ヌルと呼ばれているそうだな」
「行く時は嵐を予言したらしい。帰りは徳之島の異変に気づいて上陸しなかったそうだ」
「徳之島に上陸しなかったのか。そうか、よかった。しかし、どうやって異変に気づいたんだ?」
「徳之島に近づいたら、徳之島按司が殺される場面が見えたそうだ」
「ササに見えたのか」
「山北王に殺される所がはっきり見えたとササは言った。それで、その事を確認するため、マグサの船は沖に止まったまま動かず、シンゴの船だけで港に入ったそうだ。そしたら、ササの言う通りだったという」
「そうか。ササは益々シジ(霊力)を高めたな」
対馬で一か月、修行を積んだそうだ。俺たちと同じように呼吸法やら暗闇の洞窟を歩いたらしい。ササの中で眠っていた凄い能力が目覚めたのだろう」
「そうか。凄いな」
「朝鮮にササも連れて行った方がいいんじゃないのか」
「ササをか」
 ウニタキは真面目な顔をしてうなづいた。
「考えてみよう」とサハチは答えた。
 シタルーとクグルーの二人がサハチに挨拶に来た。
「ヤマトゥ旅は楽しかったか」とサハチは二人に聞いた。
「京都には行けませんでしたが、朝鮮の都に行ってきました。朝鮮の都には美人(ちゅらー)が結構いました」とクグルーが言った。
 シタルーがニヤニヤしながら、「漢城府には美しい妓女(キニョ)もいました」と言った。
「キニョ?」
「遊女(じゅり)です」とシタルーが説明した。
「朝鮮ではキニョというのか。明国ではジーニュと言っていた。四日後に進貢船が出るんだが、二人とも明国に送るつもりでいた。しかし、今年の夏、朝鮮に使者を送る事に決まって、どっちか一人、朝鮮に行って欲しいんだ」
「えっ」とシタルーとクグルーは驚いた顔して顔を見合わせた。
「俺が朝鮮に行きます」とクグルーが言った。
「いえ、俺が行きます」とシタルーも言った。
「お前は明国に行け」とクグルーがシタルーに言った。
「明国から帰って来たら、宇座按司(うーじゃあじ)の娘を嫁にもらうと言っていただろう。お前は明国に行かなければならない。俺は来年に行くよ」
「お前、マジニちゃんを嫁にもらうのか」とサハチが聞くと、顔を赤くして、シタルーはうなづいた。
「そうか‥‥‥あの娘(こ)は素直でいい娘だ。よし、お前は明国に行け。クグルーは朝鮮だ。それでいいな」
 二人はうなづいた。
 イーカチが来た。サハチは改めてお礼を言った。
 シタルーとクグルーは頭を下げると女子サムレーたちの方に行った。
「マチルギはイトとユキに会ったのか」とサハチはイーカチに聞いた。
対馬に着いて、一休みしていたら、お二人が突然、現れました」
「なに、イトたちがやって来たのか」
「はい。船越から食糧を取りに来たのです。その船に乗って、全員、船越に移りました。その船の船頭(しんどぅー)(船長)はイトさんで、船乗りは皆、女子(いなぐ)たちでした」
「なに、イトが船頭? 全員が乗ったという事は大きな船なのか」
「シンゴ殿の船と同じ位の帆船です」
「イトが船頭か‥‥‥」
 サハチは驚いた顔をしてイーカチを見て、ウニタキを見た。
「女子の船頭とは驚きだ」とウニタキは言って、「すると、女子サムレーのような格好をしていたのか」と聞いた。
 イーカチはうなづいた。
「袴を着けて、刀を背中に背負った勇ましい姿でした。母親も娘も美人なので、それがよく似合っておりました」
 ウニタキが楽しそうに笑った。
「お前の好みの女はみんなマチルギのようだな。きっと、マチルギと気が合っただろう」
「奥方様(うなじゃら)はずっとイトさんと一緒におりました。チルーさんと女子サムレーと一緒に、イトさんから船の操縦法を教わり、最後には朝鮮まで行って来ました」
「何だって!」とサハチは開いた口がふさがらなかった。
「チルーも船の操縦を習ったのか」とウニタキは聞いた。
「朝から晩まで、船に乗っておりました」
「何てこった。マチルギは本気で女の水軍を作る気でいる」
「チルーがどうして船乗りになるんだ」
 わけがわからんと言った顔をして、女同士で話し込んでいるチルーを見ながらウニタキは首を振っていた。
「イトはどうして船頭になったんだ」とサハチは聞いた。
「十年前にお屋形様のサイムンタルー殿が朝鮮に投降しました。その時、八十人の家臣を引き連れて行ったのです。土寄浦(つちよりうら)には男がいなくなってしまい、女たちが村を守るために船乗りになったようです」
「そうだったのか」
 あの当時、娘たちのまとめ役だったイトならやりかねなかった。娘たちに剣術を教え、船に乗って朝鮮や博多に行っていたのだろう。
「ユキの夫の六郎次郎というのはどんな男だ」
「まだ若いですが、しっかりした男です。わたしはお屋形様を知りませんが、若い頃のお屋形様によく似ていると誰もが申しておりました」
 サハチは初めて会った頃のサイムンタルーを思い出していた。あの時、サハチは十五歳で、サイムンタルーは二十五、六だった。朝鮮から戻って来られるのだろうか。シンゴの話では、朝鮮で倭寇(わこう)退治をしているという。来年、朝鮮に行った時、会える事ができればいいと願った。
「ユキに子供はいるのか」とサハチは聞いた。
「六歳になる娘が一人おります。ミナミちゃんという可愛い娘で、サワという人が村の幼い子供たちの面倒を見ておりました。」
「サワさんも船越にいるのか」
「はい。イトさんと一緒に船に乗っていたそうですが、引退して子供たちの面倒を見ているようです」
「そうか‥‥‥色々と御苦労だった」
 チルーとフカマヌルの様子をウニタキがイーカチから聞き始めたので、サハチは笑ってその場を離れ、ヂャンサンフォンの話を聞いているヒューガ、修理亮、ジクー禅師の所に行って加わった。

 

 

 

足利義満 - 公武に君臨した室町将軍 (中公新書)   李成桂―天翔る海東の龍 (世界史リブレット人)