長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-46.博多の呑碧楼(第二稿)

 サハチたちを乗せた交易船(進貢船)は浮島から順風を受けて一気に伊平屋島(いひゃじま)に向かった。伊平屋島で、馬天浜から来たシンゴとマグサの船と合流し、シンゴとマグサの船のあとを追って北上した。天候に恵まれて、最高の旅立ちとなった。
 山北王(さんほくおう)の支配下になった与論島(ゆんぬじま)、永良部島(いらぶじま)、徳之島(とぅくぬしま)に寄る事はなく、奄美大島(あまみうふしま)の南にある島で水の補給をして、大島の北側まで行き、トカラ列島の宝島に向かった。
 宝島ではササは大歓迎された。去年と同じように、島人(しまんちゅ)たちから神様扱いされるササを見て、サハチたちは驚いた。二十年前にサハチがお世話になった長老は亡くなって、倅が跡を継いでいた。お互いに当時の事を覚えていて、懐かしそうに昔の事を語り合った。島人たちの歓迎を受け、宝島には二泊した。
 ササ、シンシン、シズの三人と、女子(いなぐ)サムレーのクム、ハナ、アミーの三人、武寧(ぶねい)の側室だったチータイ、サントゥク、ウカとイカの母子の四人、通事(つうじ)(通訳)のチョルの奥さん、合計十一人の女たちは交易船に乗っていた。彼女たちは見晴らし台の下にある部屋を与えられて、仲よくやっているようだった。
 サハチが火長(かちょう)(船長)のチェンヨンジャ(陳永嘉)に、「女を乗せても大丈夫か」と聞いたら、「わしらの家族はこの船に乗って、明国から琉球に来た。問題ない」と言って笑った。
 ヂャンサンフォンを紹介するとチェンヨンジャは驚いた。武当山(ウーダンシャン)のヂャンサンフォンかと確認して、間違いない事がわかると口をポカンと開けてヂャンサンフォンを見ていたが、慌てて深く頭を下げた。チェンヨンジャは杭州(ハンジョウ)にいた若い頃、ヂャンサンフォンの弟子から武当拳(ウーダンけん)を習っていたらしい。洪武帝永楽帝がヂャンサンフォンを探していたのも知っていて、琉球にいたなんて信じられないと言った。ヂャンサンフォンのお陰で唐人(とーんちゅ)の船乗りたちの態度も変わって、サハチたちは快適な船旅を楽しめた。
 今回、サハチは一節切(ひとよぎり)を、ウニタキは三弦(サンシェン)を、ササは横笛を持って来ていて、船上で演奏しては長旅の疲れを癒やしていた。シンシンはササからもらった笛を、ンマムイ(兼グスク按司)もどこで手に入れたのか笛を持って来ていて、船上で稽古をしていた。シンシンに文句を言う者はいないが、ンマムイは「うるさい」と水夫(かこ)たちに怒鳴られていた。物事に熱中すると周りの事は気にならないのか、ンマムイは怒鳴られても平気な顔をして下手な笛を吹いていた。
 ンマムイは宝島でササ、シンシン、シズの三人がヂャンサンフォンの弟子だと知って驚いた。ンマムイはシンシンと試合をして見事に負け、三人を師姐(シージェ)と敬った。三人の女子サムレーもシンシンの強さに驚いて、武当拳を教えてくれと頼んだ。シンシンは喜んで引き受けた。島の娘たちも混ざって、武当拳の稽古が始まり、それを見ていた島の男たちも習いたいと言い出して、ヂャンサンフォンの指導も始まった。サハチたちも一緒に稽古に励んだ。
 宝島から北上し、途中で風待ちはあったが、海が荒れる事もなく、無事に薩摩の坊津(ぼうのつ)に到着した。二十年振りの坊津の変わり様はサハチを驚かせた。ウニタキはようやくヤマトゥに着いたと感激し、ファイチも初めて見るヤマトゥの景色に目をキョロキョロさせていた。サハチは『一文字屋』の主人、孫三郎と再会を喜び、一行は大歓迎された。
 シンゴとマグサの船は坊津で、一文字屋との取り引きがあるので、交易船は先に博多に向かった。
 シンゴが言うには、琉球の船が早田(そうだ)氏の船と一緒に博多に行くのはうまくないという。九州探題(たんだい)に色々と問い詰められて面倒な事になるので、別々に行った方がいい。それに、琉球の船は外国船なので、明や朝鮮(チョソン)の船と同じように、許可が下りないと船から降りる事もできないだろう。運が悪ければ、博多の港で足止めを食らうかもしれないと言った。
 自由に行動ができないのなら京都まで行けなくなってしまう。サハチたちは交易船とは別行動を取る事にした。
 サハチ、ウニタキ、ファイチ、ジクー禅師、ヂャンサンフォン、修理亮(しゅりのすけ)、ンマムイ、ササ、シンシン、シズ、三人の女子サムレーは交易船から下りて、マグサの船に移った。クグルーも下りろと言ったら、今後のために、博多でどんな手続きをするのか見ておきたいという。
「いい心掛けだ。親父に負けない使者になれよ」とサハチはクグルーの肩をたたいた。
 交易船にはクグルーとクルシと武寧の三人の側室が残った。三人の側室の世話は通事のチョルの奥さんに頼み、新川大親(あらかーうふや)と本部大親(むとぅぶうふや)、又吉親方(またゆしうやかた)と外間親方(ふかまうやかた)に交易船の事を託して、サハチは交易船を送り出した。
 サハチたちは坊津に六日間滞在した。毎日、雨が降っていた。雨がやむと丘の上の広場で、武当拳の稽古をした。孫三郎の娘のみおも加わった。みおは去年、マチルギたちと出会って女子サムレーに憧れ、剣術の稽古に夢中になっているという。そろそろお嫁に行く時期なのに困ったものだと孫三郎はこぼしていた。去年は剣術をやっていたが、今年は奇妙な踊りをしていると言って、見物人たちが大勢集まって来た。
 シンゴの船に乗っていたイハチとクサンルーも一緒に京都まで行く事になっていた。イハチはサハチがヤマトゥ旅に出た時と同じ十六歳で、何を見ても目を丸くして驚いていた。クサンルーは首里(すい)のサムレーで、いつの日か、進貢船を護衛するサムレーとして明国に渡るはずだったが、父親浦添按司になったため、今のうちに、ヤマトゥの国を見て来いと連れて来たのだった。
 シンシンとンマムイの笛も大分上達していた。シンシンの笛は明るくて、聞いていてウキウキしてくる曲だった。初めて会った時は両親の敵(かたき)を討つと言って、暗い影を持った娘だったが、琉球に来てササと出会い、明るい娘になっていた。ンマムイの笛は時々調子がはずれる、もの悲しい調べだった。調子がはずれる所もンマムイらしい曲だと言えた。
 甑島(こしきじま)を経て、五島の福江島に着き、シンゴの兄の早田左衛門三郎と再会した。二十年前、左衛門三郎は対馬の土寄浦(つちよりうら)にいたが、あまり話をした事もなかった。妻や子がお世話になったお礼を言うと、「お礼を言うのはこちらの方だ。シンゴが色々とお世話になっておるからのう」と言って歓迎してくれた。琉球の船は四日前に着いて、壱岐島(いきのしま)に向かったと言った。
 十五年前、五島にいた早田備前守(びぜんのかみ)が戦死したあと、左衛門三郎は五島に来た。あの頃と比べると五島も変わって来たという。宇久島(うくじま)から福江島に移ってきた宇久氏が琉球と交易を始めて勢力を拡大してきているらしい。宇久氏というのはジクー禅師から聞いていた。今帰仁(なきじん)に『五島館』という宿舎があって、それを利用しているのが宇久氏だった。山北王(さんほくおう)との交易で勢力を強めたのに違いない。
「ここは大丈夫なのですか」とサハチが心配すると、「大丈夫じゃ」と左衛門三郎は笑った。
「宇久氏は朝鮮(チョソン)とも交易をしている。朝鮮と交易するのにわしらを敵に回すわけにはいかんからのう」
「宇久氏も朝鮮と交易していますか」
松浦党(まつらとう)の者たちは朝鮮から図書(としょ)と呼ばれる銅印をもらって、交易をしているんじゃよ。誰もが図書をもらえるわけではない。富山浦(プサンポ)にいる叔父御(早田五郎左衛門)が宇久氏のために少々骨を折ったというわけじゃ」
「宇久氏に借りを作ったという事ですね」
 左衛門三郎はうなづいた。
 五島の福江島から北上して、壱岐島(いきのしま)に着いた。早田藤五郎と志佐壱岐守(しさいきのかみ)に歓迎された。二十年振りに会った藤五郎は随分と老けて見えた。朝鮮に行く事を告げると、藤五郎は少し考えて、「わしも一緒に行こう」と言ってくれた。
「通事をお願いできますか」と聞くと、喜んで引き受けてくれた。倅の籐七郎も一人前になったので、そろそろ隠居して、一度、朝鮮に帰ろうかと思っていたという。
 サハチはお礼を言って、ウニタキとファイチを紹介した。
 今後の予定を藤五郎に話し、八月に富山浦で合流する事に決めた。
「早めに行って叔父御の『津島屋』で待っている。楽しい旅になりそうじゃな」と藤五郎は嬉しそうに笑った。
 壱岐島に二泊して、博多に着いたのは、琉球を出てから二十六日目の五月二十二日になっていた。
 博多の港には大小様々な船が泊まっていて、賑やかに栄えていた。琉球から来た交易船も泊まっていた。船上に人影が見えた。まだ上陸できないのだろうかと心配した。
 明国との交易を始めて、博多は昔のように活気のある都に戻ってきたとシンゴは言っていた。確かに二十年前とは雰囲気がまったく違い、華やかさが感じられた。その華やかさを象徴しているのが、『呑碧楼(どんぺきろう)』と呼ばれる楼閣だろう。その姿は、確かに明国の楼閣を思わせる立派な建物だった。遠くからやって来た者たちは、あの楼閣を見て、博多に着いたと実感するに違いない。
 船が港に入って行くと、二十年前と同じように武装したサムレーを乗せた船が近づいて来た。
 船が帆を下ろして止まると、ヤマトゥのサムレーが数人、船に乗り込んできた。マグサと顔なじみのようだった。簡単な手続きが終わるとサムレーの船は引き上げて行った。
 サハチたちは博多に上陸した。近くで見る呑碧楼は思っていたよりも高かった。十丈(じょう)(約三十メートル)はありそうだ。
「懐かしいなあ」と呑碧楼を見上げながらンマムイが言った。
「あそこからの眺めは最高ですよ」
「お前、あそこに登ったのか」とサハチが聞くと、
九州探題殿(渋川道鎮(どうちん))に連れられて登ったんです」とンマムイは言って、急にニヤニヤした。
「その時、一緒だった遊女(じゅり)が物凄く綺麗だったのを思い出しました」
「博多にも遊女がいるのか」
「港町に遊女は付き物ですよ。あとで行ってみましょう」
「お前、場所はわかるのか」とウニタキがンマムイに聞いた。
「勿論ですよ」とンマムイは得意そうな顔してうなづいた。
「この楼閣は武昌(ウーチャン)の『黄鶴楼(ファンフェロウ)』によく似ておる」とヂャンサンフォンが言った。
 武昌は武当山(ウーダンシャン)から龍虎山(ロンフーシャン)に向かう途中に寄った都だが、サハチの記憶にはなかった。近くまで行かなかったので気がつかなかったのかもしれなかった。
 サハチたちは『一文字屋』のお世話になった。何と、坊津の『一文字屋』の孫三郎が先に来ていて、サハチたちを出迎えた。
「若い孫次郎だけでは心配になりまして、先回りして、お待ちしておりました」と孫三郎は笑った。
 どうやって先回りしたのだろうとサハチは不思議に思ったが、サハチたちが五島や壱岐島に滞在している隙に博多に来たのに違いなかった。
「わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」とサハチはお礼を言った。
「いえ、わたしも京にいる兄貴にちょっと用がありまして、一緒に行こうと思ったのですよ」
「そうでしたか。孫三郎殿が一緒に行っていただければ心強い事です。」
 博多の『一文字屋』の主人は、サハチが二十年前にお世話になった孫次郎の長男だった。当時はまだ十二、三歳で、サハチは剣術を教えてやった事があった。父親の名を継いで孫次郎を名乗った主人は、懐かしそうにサハチを迎えた。
 九州探題の渋川道鎮は京都に行っていて留守だという。今年は三月の末に朝鮮(チョソン)から使者が来て、四月の末には明国から使者が来た。渋川道鎮は四月の半ばに朝鮮の使者を連れて京都に行ったまま、まだ帰って来ない。五月六日に北山殿(きたやまどの)(足利義満)の一周忌の法要があったので、それに参列してから戻って来る予定だったが、明国の使者も京都に向かったので、明国の使者と一緒に戻って来るかもしれないという。
 サハチは北山殿の一周忌というのを忘れていた。王様の一周忌なのだから盛大にやるに違いない。九州探題も当然、列席する。ンマムイの紹介で九州探題と会って、できれば、九州探題と一緒に京都まで行こうと思っていたサハチは、今回、将軍様の重臣に会うのは諦め、一文字屋の船で京都に行こうと決めた。京都に知人がいるというジクー禅師のつながりで、将軍様の重臣に会えるかもしれないが、運を天に任せるしかなかった。
 その晩、一文字屋は歓迎の宴を開いてくれた。一文字屋の屋敷も二十年前よりも大きくなっていて、サハチたちはお客用の立派な離れに案内された。その離れの庭には舞台が作られてあって、松明(たいまつ)の用意もしてあった。サハチは二十年前に見た、男装した美女たちの舞を思い出した。今回も美女たちの舞が見られるのかとサハチは期待をした。
 サハチたち一行十五人とシンゴとマグサも加わり、孫三郎と孫次郎、それに孫三郎の娘のみおと孫次郎の娘のふさも加わった。みおは父親と一緒に坊津から来たようだった。
 孫三郎と孫次郎が挨拶をして、サハチが挨拶を返し、宴は始まった。庭の松明に火が灯され、舞台が明るく浮かび上がった。笛の調べが流れ、鼓(つづみ)の音が加わった。あでやかな着物を着た三人の美女たちが笛に合わせて華麗に舞い始めた。ササたちが歓声を上げて、舞台のそばまで近づいて行った。舞台の周りには茣蓙(ござ)が敷いてあり、女たちはそこに座って舞台を眺めた。サハチたち男は縁側に移動した。
 美女たちの舞が終わると翁(おきな)が現れ、滑稽な仕草で見る者を笑わせた。やがて、波の音のような音が聞こえてきて、翁は消えて、釣り竿をかついだ漁師がゆっくりと現れた。
 漁師は松の木の枝にかかった美しい着物を見つけて手に取った。水浴びをしている天女を見つけた漁師はその美しさに目を奪われ、天女の着物を隠してしまう。天女が現れて、羽衣(はごろも)を知らないかと言う。漁師は知らないと言って、天女と一緒に着物を探す。笛の音に合わせて会話をしたり、舞を舞ったりしながら物語が進んでいき、サハチたちは夢中になって舞台を見ていた。
 羽衣を失った天女は天に帰れなくなって漁師の妻になって暮らし、やがて、子供も生まれる。何年かして、子供が歌う歌から、羽衣の隠し場所を知った天女は、羽衣を取り返して、天へと帰っていく。華麗な天女の舞で、物語は終わった。
 天女が舞台から消えると、女たちが歓声を挙げて拍手を送った。サハチたちも喝采を送った。
 舞台が終わると皆、もとの席に戻って宴は続いた。孫三郎が、サハチのそばにやって来て、酒を注いでくれた。
「楽しんでいただけましたでしょうか」
「充分に楽しませていただきました。舞台でああいう風に物語を演じるのを初めて見ました。もしかしたら、去年に来た者たちもこの舞台を見たのでしょうか」
 孫三郎は首を振った。
「去年は女子衆(おなごしゅ)が多かったので、是非、見せたかったのですが、北山殿がお亡くなりになったため、歌舞音曲(かぶおんぎょく)は禁止されてしまったのです」
「成程、そうだったのですか。去年、来た佐敷ヌルはお祭りの時、舞台を担当しているのですが、是非、見せたいと思いましたよ。琉球であの物語を演じれば、みんなが喜ぶ事でしょう」
「あの一座は博多座と申しまして、先代の九州探題今川了俊(りょうしゅん)殿が、京都には負けられないと作ったのでございます。了俊殿は博多を去りましたが、博多座は活躍しております。明国の使者や朝鮮の使者たちも御覧になって、大層お喜びのご様子です。京都には有名な一座がいくつもありまして、名人と呼ばれる太夫(たゆう)もおります。比叡座(ひえざ)の道阿弥(どうあみ)、田楽新座(でんがくしんざ)の増阿弥(ぞうあみ)、結崎座(ゆうざきざ)の世阿弥(ぜあみ)などが有名でございます。京都に行かれたら、是非、御覧になられたらよいかと存じます」
「芸能一座か」とウニタキがニヤニヤしながら言った。
「どうした」とサハチが聞くと、
琉球にも作ろうと思い付いたんだよ」とウニタキは一人で納得したようにうなづいた。
 『博多座』の者たちも宴に加わった。舞台で踊った三人の美女たちは身近で見ても美しかった。漁師を演じていたのが座頭(ざがしら)の俊阿弥(しゅんあみ)だった。芸能一座の座頭は皆、出家して時衆(じしゅう)の僧侶となり、阿弥号を名乗るという。出家する事によって、現世の身分を超越して、高貴な人の前でも芸を演じる事ができるという。
 芸能談義に花を咲かせて、サハチたちは酒を飲んでいたが、ふと、ササの姿が見えない事に気づいた。何となく、いやな予感がして、サハチは座を立つと、みおとふさと話をしている女子サムレーのアミーに、ササの事を聞いた。
 アミーは辺りを見回してから、「ちょっとお庭を散歩してくるって言って、もうかなり前に出て行きました」と言った。
「シンシンとシズも一緒か」
 アミーはうなづいた。
「探して来ましょうか」とアミーは心配そうに言ったが、「いや、大丈夫だ」と言って、そこにいろと手で合図をして、もとの席に戻り、ウニタキとファイチを誘って宴席から出た。
「どうしたんだ」とウニタキが聞いた。
「ササとシンシンとシズがいない」
「三人は去年も来たんだろう。街に出て行ったんじゃないのか」
「ササは高い所が好きなんだ」とサハチは言った。
「高い所?」とウニタキが首を傾げた。
「ササたちが呑碧楼に登ったというのですか」とファイチが聞いた。
 サハチはうなづいた。
「まさか」とウニタキは言ったが、「シズならできるな」とニヤッと笑った。
 ササたちが出て行ったか門番に訪ね、出た事を確認するとサハチたちは妙楽寺へと向かった。
 空には下弦(かげん)の月が出ていた。
 妙楽寺はひっそりと静まっていた。門は閉ざされ、門の外には門番はいない。門から入ったとしても奥にある呑碧楼までは遠い。サハチたちは石塀に沿って、呑碧楼の近くまで行った。
 呑碧楼を見上げても人がいるようには見えない。
「本当にいるのか」とウニタキがサハチに聞いた。
「いなければそれでいい。とりあえずは上まで行ってみよう」
「おい。ササをだしにして、お前が登ってみたいんだろう」
「まあ、それもある。首里の楼閣の参考にしたい」
 石塀は一丈(約三メートル)余りの高さがあった。飛びついて乗り越えられない事もないが、塀の上に棘(とげ)でもあったら怪我をする。
「俺に任せろ」とウニタキが言って刀を腰から抜き、塀に建てかけた。
 ウニタキは刀の鍔(つば)に足を掛けて、塀の上に手を伸ばした。腕を縮めて塀の上を覗き、「何もない」と言って塀の上に上がった。帯に結んである紐をたぐって刀を引き上げた。
「中の様子は?」とサハチは聞いた。
「誰もいない」
 サハチとファイチは塀に飛びついて、よじ登った。
 寺の境内(けいだい)に下りると木陰に隠れながら、呑碧楼に近づいた。楼閣の入り口の扉(とびら)は外からカンヌキが掛かっていた。ウニタキは入り口から離れて、屋根を見上げた。入り口とは反対側の海側に来て、ウニタキは懐(ふところ)から縄を取り出して屋根に向かって投げた。縄は二階の欄干(らんかん)に引っ掛かったようだった。ウニタキは縄を登って二階に上がった。
 しばらくして、登って来いとウニタキが合図をしたので、ファイチが登り、サハチもその縄を伝わって登った。瓦(かわら)の屋根の上をそうっと歩き、欄干を越えて回廊に上がった。
 縄を片付けるとウニタキは二階の部屋に入った。サハチとファイチも入り、扉を閉めると中は真っ暗になった。それでも、暗闇の洞窟歩きを経験した三人には中の様子はわかった。階段を登って三階へ行き、さらに四階、五階と上がった。五階の扉は開いていた。小声で話す声が聞こえる。
 サハチはそうっと三人の前に顔を出した。三人は驚いたようだが、さすがに悲鳴は挙げなかった。
「あたしの勝ちね」とササが言った。
按司様(あじぬめー)が来るかどうか賭けていたのよ」
「何だって、俺が来るのがわかっていたのか」
 ササは笑ってうなづいた。
「御船(うふに)から上がって、この楼閣を見上げていた時の按司様の目は普通じゃなかったもの。登る気でいるわってわかったの。それで、先に来て待っていたってわけよ」
「お前の考えがササに見透かされていたんじゃないか」とウニタキが笑いながら顔を出した。
「いい眺めだな」とファイチも顔を出した。
 天上界に来たような気分で、サハチたちは下界を眺めた。
「去年も登ったのか」とサハチはササに聞いた。
 ササは首を振った。
「博多の街で見る物が珍しくて、なぜか、ここに登ろうとは思わなかったわ」
「そうか‥‥‥」
 サハチは月を見上げてから、沖に浮かんでいる琉球の交易船を見た。
「酒はあるのか」とサハチはウニタキに聞いた。
 ウニタキは驚いた顔をしてサハチを見た。
「お前の懐には色々な物が入っていそうだ。酒もあると思ったんだ」
 ウニタキは笑い、「瓢箪(ひょうたん)を手に入れて、酒も持ち歩こう」と言った。
「はい」と言ってシンシンがサハチに瓢箪を渡した。
「そう言うと思って持って来たのよ」とササは言った。
 サハチはお礼を言って酒を飲んだ。酒を回し飲みしながら月見酒と洒落(しゃれ)込んだ。
 次の日、琉球船の上陸許可が下り、一行は妙楽寺に入った。一文字屋孫三郎が琉球の使者に会おうとして妙楽寺を訪ねたが、会う事はできなかった。まず、九州探題が交易を済ましたあと、妙楽寺を開放して、商人たちの取り引きを許すと言われたらしい。妙楽寺は厳重に警護されて、琉球の者たちも外には出られないようだという。坊津でシンゴの言う事を聞いてよかったとサハチはシンゴに感謝した。

 

 

 

 

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