長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-52.唐人行列(改訂決定稿)

 鞍馬山(くらまやま)での三日間の修行は終わった。
 サハチ(琉球中山王世子)とウニタキ(三星大親)、ササとシズは何とか、目隠しでの木の根歩きを成功させた。やはり暗闇のガマ(洞窟)歩きのお陰だろう。高橋殿はあともう少しという所でつまづいてしまい悔しそうだった。わずか三日ではあったが、呼吸法のお陰で、体が軽くなったような気がすると高橋殿は喜んでいた。
「静座と套路(タオルー)(形の稽古)を毎日続けていれば、半年もすれば効果は現れてくる。毎日の日課として続ける事が重要じゃ」とヂャンサンフォン(張三豊)は言って、高橋殿は真剣な顔でうなづいていた。
 鞍馬山から帰ると高橋殿はどこかに出掛けたようだった。高橋殿はいないが、その夜、精進(しょうじん)落としの宴(うたげ)が開かれた。鞍馬山にいた二晩、酒を飲まなかったので、酒が思いのほかうまかった。みんなから聴きたいと言われて、ウニタキが久し振りに三弦(サンシェン)を披露した。ウニタキの歌を聴くと琉球が思い出された。
 何事もなく、みんな元気でやっているだろうか‥‥‥
 豊見(とぅゆみ)グスクの『ハーリー』に参加した思紹(ししょう)(中山王)と王妃は無事だっただろうか‥‥‥
 対御方(たいのおんかた)も平方蓉(ひらかたよう)も奈美も琉球の言葉はわからないが、ウニタキの歌に感動しているようだった。
 ササたちも高橋殿の客殿に移る事になって、一文字屋にいたジクー(慈空)禅師、修理亮(しゅりのすけ)、ンマムイ(兼グスク按司)、イハチ、クサンルー、栄泉坊も移って来て、賑やかになっていた。みおとまりも一文字屋には帰らなかった。
「こんな豪華なお屋敷に泊まれるなんて夢みたい」と言って、二人も高橋殿のお客様になっていた。
 次の日の夕方、高橋殿が中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)を連れて帰って来た。兵庫助はヂャンサンフォンから、慈恩禅師(じおんぜんじ)に武当剣(ウーダンけん)を教えた『韋駄天(いだてん)』の事を詳しく聞いたあと、武術に関する色々な事を質問していた。
 その夜、舞台で増阿弥(ぞうあみ)の田楽(でんがく)が演じられた。増阿弥は奈良の田楽新座の太夫(たゆう)で、将軍様足利義持)が贔屓(ひいき)にしているという。
 将軍様の父親、北山殿(きたやまどの)(足利義満)は田楽よりも猿楽(さるがく)を贔屓にしていた。三十年余り前に観世座(かんぜざ)の観阿弥(かんあみ)と世阿弥(ぜあみ)父子が京都の今熊野神社勧進(かんじん)猿楽を演じた。それを見た北山殿は感激して、観阿弥父子を当時住んでいた三条坊門の御所に呼んで、観世座を庇護した。当時十三歳だった世阿弥は美しく、北山殿に近侍(きんじ)する事となった。
 観阿弥が亡くなると北山殿は近江(おうみ)猿楽の犬王(いぬおう)を贔屓にした。犬王は北山殿の法名である『道義』から『道』の字を賜わって『道阿弥』と号して、北山殿が後小松(ごこまつ)天皇を北山第(きたやまてい)に招待した時も猿楽を披露している。
 田楽は豊作を祈願する『田遊び』から発展したと言われ、猿楽は中国から伝来した『散楽(さんがく)』から発展したと言われている。神前で種蒔きから稲刈りまでを詳細に演じていた『田遊び』が、稲作以外の物語を演じるようになって『田楽』と呼ばれるようになった。一方、『散楽』の中の物真似や滑稽(こっけい)芸が発展して、物語を演じるようになったのが『猿楽』だった。田楽も猿楽も、一座を維持して行くには観客の要望に応えなければならず、この当時は似たような演目になっていた。さらに、『立ち合い』と呼ばれる演技を競う催しも度々行なわれて、田楽と猿楽は技を競い合いながら発展して行った。
 増阿弥の舞台は凄かった。演じたのは『源義経(みなもとのよしつね)』だった。
 義経鞍馬山の天狗から武芸を教わる場面では、天狗を演じた増阿弥は天狗のお面をかぶって、義経を相手に何度も宙を舞っていた。その優雅で気品のある舞は、高橋殿が言っていた『幽玄(ゆうげん)』そのものだと思った。義経武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)と五条の大橋で戦ったあと、奥州(おうしゅう)へと旅立つ場面では、増阿弥が舞台の脇で一節切(ひとよぎり)を吹いていた。
 サハチは初めて、他人が吹いている一節切を聴いて衝撃を受けていた。高橋殿に褒められて、自惚れていた自分が恥ずかしかった。増阿弥の吹く調べは天と地、すべてを包み込んでしまうほどに壮大だった。言葉ではとても言い表せないが、素晴らしいものだった。感性を磨いて、あの境地に行けるように努力しなければならないとサハチは思いながら、増阿弥の一節切を聴いていた。
 皆、真剣な顔付きで舞台で行なわれている物語に見入っていた。誰もが一流の芸に感動していた。
 舞台が終わったあと、増阿弥は挨拶に訪れた。坊主頭で思っていたよりも小柄で、サハチよりも三つか四つ年上に見えた。
琉球からお越しの皆様方に何をお見せしたらいいのか迷っておりましたが、高橋殿から鞍馬山に行かれたと聞いて、義経を演じる事にいたしました。満足していただけましたでしょうか」
「皆、充分すぎるほど満足しています。京都に来て、様々な事に驚きましたが、今日の舞台はその最たるものでしょう。一流の芸が見られて、本当に幸せ者でございます」
「わたしなどまだまだ駆け出しです」と増阿弥は首を振った。
「高橋殿のお父上の道阿弥殿の芸こそ一流と言えるでしょう。道阿弥殿の『天女の舞』は見事です。お亡くなりになってしまわれましたが、観阿弥殿の『翁(おきな)』も神々(こうごう)しくて見事でした。先人たちの芸に負けないように、これからも精進するつもりでおります」
 増阿弥は四半時(しはんとき)(三十分)ほどサハチたちから琉球の事などを聞いて帰って行った。増阿弥がいなくなると、ンマムイと修理亮が、兵庫助から慈恩禅師の事を聞き始めた。
 慈恩禅師は今、信濃(しなの)(長野県)の浪合(なみあい)という所にお寺を建てて、そこの住持(じゅうじ)となって若い者たちを鍛えているという。慈恩禅師の居場所がわかって修理亮は喜び、すぐにでも飛んで行きたいような顔をしていた。
「慈恩禅師に会って、必ず、琉球に連れて来るんだぞ」とンマムイが修理亮に言っていた。
「今宵は楽しかった」と兵庫助は言って、夜更けに帰って行った。
 高橋殿は増阿弥を送って行ったまま帰って来なかった。対御方も平方蓉も奈美もどこに行ったのか、その夜は姿を見せなかった。
 次の日の朝、サハチが宮大工でも探しに行こうかと思っていた時、高橋殿に呼ばれた。お女中の案内で高橋殿の部屋に行くと疲れたような顔をした高橋殿がいた。
「何かあったのですか」とサハチは聞いた。
「面倒な事が起きそうなのです」と高橋殿は言って、力なく笑った。
「もう少し、琉球のお話を聞きたかったのですけれど、ここでお別れしなければなりません」
「どこかにお出掛けになるのですか」
「鎌倉です」
「鎌倉?」
「鎌倉には将軍様の一族の鎌倉御所様(足利満兼)がいらして、関東の地をまとめております。二代目の将軍様足利義詮)の弟(基氏)が鎌倉御所様になられて、代々御所様を継いでおられます。同じ一族でありながら将軍になれない事に不満を持って、度々、反乱を起こしております。今回も不穏な動きがあるのです。事が起きる前に防がなくてはなりません」
「鎌倉は遠いのですか」
「わたしも初めて行くのですけれど、馬で行って十日近く掛かると聞いております」
「十日ですか‥‥‥遠いですね」
「北山殿がお亡くなりになって一年が経ちました。様子を窺っていた南朝の者たちが動き始めたのです。この前、お伊勢参りに行ったのも、南朝の重鎮である北畠殿の動きを探るためでした。北畠殿は将軍様を歓迎してくれました。大丈夫だと安心していたのですが、裏では動いていたようです。鎌倉御所様は南朝の者たちと手を組んで、反乱を起こそうとたくらんでいるようなのです。将軍様はまだ若く、決して安泰とは言えません。北山殿が亡くなるのが十年早すぎました。そして、北山殿はあまりにも偉大過ぎました。偉大な御方の跡を継ぐのは大変な事です。勘解由小路(かでのこうじ)殿(斯波道将)と協力して将軍様をお守りするのが、残されたわたしどもの使命なのです。そのためには琉球との交易は不可欠です。よろしくお願いいたします」
琉球もまだ統一されていません。高橋殿も御存じだと思いますが、中山王(ちゅうさんおう)の他に山南王(さんなんおう)と山北王(さんほくおう)がおります。わたしは琉球を統一するつもりです。そのためには将軍様との交易は是非とも必要なのです。こちらからもよろしくお願いします」
琉球が統一される事を祈っております。わたしは留守にいたしますが、このお屋敷はご自由にお使い下さい。いつの日か、琉球に行ってみたいと思っております。その時はよろしくお願いいたします」
「大歓迎です。きっと高橋殿はわたしの妻、マチルギと意気投合すると思います」
 高橋殿は楽しそうに笑って、「わたしもマチルギ様とは気が合うような気がしておりました。会うのが楽しみですわ」
 高橋殿はサハチをじっと見つめ、軽く頭を下げると部屋から出て行った。
 高橋殿が鎌倉に旅立った日、ササ、シンシン(杏杏)、シズの三人が将軍様の屋敷に招待された。ササたちは勿論の事、皆が驚いた。ササたちは迎えに来たサムレーたちに守られ、お輿(こし)に乗って、将軍様の屋敷に向かった。サハチたちは心配したが、対御方が戻って来て、ササたちは将軍様の奥方様の話し相手に呼ばれたと聞いて一安心した。将軍様と奥方様は仲がよく、前回のお伊勢参りにも一緒に出掛けていた。高橋殿からササの話を聞いて、琉球の話や神様の話を聞きたくなったようだという。
 ササたちが出掛けたあと、サハチたちは陳外郎(ちんういろう)の招待を受けた。サハチ、ウニタキ、ファイチ(懐機)、ヂャンサンフォン、ジクー禅師が陳外郎の屋敷に出掛けた。明国(みんこく)の酒や料理を御馳走になって、陳外郎から明国や朝鮮(チョソン)の使者たちの事を聞いた。
 兵庫にいた明国の使者はようやく入京の許可が下りて、二日後の七月一日に京都に来るという。二百人もの唐人(とうじん)たちの行列はまるでお祭りのように賑やかで、琉球の使者たちもその行列を見習って、京都の人たちを喜ばせてくれと言われた。サハチは行列の事など考えた事もなく、是非とも唐人行列を見なければならないと思った。
 次の日は中条兵庫助の屋敷に招待された。サハチ、ウニタキ、ファイチ、ヂャンサンフォン、ンマムイ、修理亮、それとイハチとクサンルーも連れて行った。
 三人の女子(いなぐ)サムレーはみおとまり、高橋殿のお女中たちに剣術を教えていた。
 ジクー禅師は唐人たちの接待の様子を見るために、陳外郎の屋敷に残った。来年、使者を務めるジクー禅師は必要な書類などを整えなければならず、陳外郎から様々な事を教えてもらわなければならなかった。
 七月一日、唐人たちが京都にやって来た。沿道は見物人たちで溢れていた。唐人たちの行列は音楽を鳴らしながら行進していた。奇妙な笛(チャルメラ)を吹いていた。その笛はどこだか忘れたが、明国で見た事があった。奇妙な笛と様々な形をした太鼓を叩いていた。奇妙な音楽に合わせて行進は進み、馬に乗っているサムレーたち、お輿に乗っている使者とその従者たち、荷物を山に積んだ荷車が続き、武器を持った兵たちが続いた。
 見物人から聞いて、奇妙な笛は『スオナ』と呼ばれている事がわかった。琉球にはスオナはなかった。横笛を使うか。あるいは三弦を使うか。三弦を弾きながら歩くのは難しい。ただの真似ではなく、琉球らしさを出さなくてはならない。キャーキャー騒いでいる女子サムレーたちを眺めながら、サハチは女子サムレーたちに行列に加わってもらおうと思った。見たところ、唐人たちの行列には女はいない。笛と太鼓と女子サムレー、できれば三弦も加えたいとサハチは考えていた。
 ササたちが戻って来たのは唐人行列の二日後だった。
「楽しかったわあ」とササは嬉しそうに言った。
将軍様の奥方様はどんなお人なんだ?」とサハチが聞くと、
「御台所様(みだいどころさま)っていうのよ」とササは言った。
「ミダイドコロ様?」
「シンシンと同い年でね、綺麗な人だったわ。琉球のお話をすると驚くんだけど、その顔がとても可愛いのよ」
「ずっと、琉球の話をしていたのか」
「違うわよ。お寺参りもしたし、和歌のお稽古もしたのよ」
「和歌?」
「三十一文字で作る歌なのよ。高橋殿も言っていたけど、最初に和歌を作ったのがスサノオの神様だったのよ。ねえ、聞いて、あたし、スサノオの神様の歌を覚えたの」
 八雲立つ 出雲(いづも)八重垣(やえがき) 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
 ササは節(ふし)を付けて、そう歌った。
スサノオの神様がそう歌ったのか」と聞くと、それには答えず、
 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
 とササは続けて歌った。
「これはね、小野小町(おののこまち)っていう美女(ちゅらー)が歌った歌なのよ」
 和歌なんか興味なかったが、ササが言うには名だたる武将たちは皆、和歌を詠むのがうまいという。
「武将も和歌を詠むのか」
「御台所様が言うには、勘解由小路殿は名人だって言っていたわ」
 そう言えば、ジクー禅師も勘解由小路殿は文武両道の達人だと言っていた。一流の武将というのは、武芸だけでは駄目なのだなとサハチは思った。
「あとで和歌の事を教えてくれ」と言ったら、
「シズが夢中になっているわ。シズに教わった方がいいわよ」とササは言った。
「それとね、唐人(とーんちゅ)の行列も見たのよ」
「それは俺たちも見た」
「凄かったわね。あたしたちも来年、ああやって京都にやって来るのね」
「お前は来年も来るつもりなのか」
「あら、按司様(あじぬめー)は来ないの?」
「わからん。琉球の状況次第だな」
「大丈夫よ。来年もきっと来られるわ」
 笑っているササを見ながら、ヌルたちも行列に参加させるかとサハチは思っていた。
 サハチが宮大工を探している事を知って、対御方が変わり者だけどと言って、一人紹介してくれた。対御方は鎌倉には行かなかったらしい。時々、高橋殿の屋敷にやって来て、サハチたちの面倒を見てくれた。
 一徹平郎(いってつへいろう)という宮大工は北野天満宮の裏側にある粗末な家で酒を飲んでいた。中途半端に伸びた髪に汚れた鉢巻きをして、無精髭を伸ばして、年齢は五十代の半ばくらいに見えた。
 サハチたちを見ると睨みつけて、「何だ、おめえたちは?」と言った。
「腕のある宮大工だと聞いて来た。お前さんに頼みがある」
「へっ、誰に聞いて来たんだか知らねえが、頼みなんか聞かねえよ。さっとと帰ってくれ」
「お寺を十軒、建てて欲しい」
「お寺を十軒だと?」
 そう言って一徹平郎は笑った。
「馬鹿な事を言っているんじゃねえ。お寺を十軒だと、笑わせるねえ」
琉球に建てて欲しいんだ」
琉球? 聞いた事もねえ。どこなんでえ?」
「南の島だ」
「そんな島にお寺なんか建ててどうするんでえ」
琉球に立派な都を作るんだ。都造りを手伝ってほしい」
「そんな事はわしにゃあ関係ねえ」
 一徹平郎はそう言って、ふて寝をしてしまった。何を言っても返事はなかった。サハチは諦めて、そこを離れ、近所の者たちに一徹平郎の事を聞いた。
 腕のある大工というのは本当だった。しかし、自分の考えを決して曲げる事なく頑固なので、いつも棟梁(とうりょう)と喧嘩しては酒を飲んでいる。家柄がいいらしく、誇りが高く、決して中途半端な仕事はしないという。奥さんと子供もいたが、もう付いて行けないと言って出て行ったらしい。サハチは一徹平郎を琉球に連れて行こうと決め、次の日も一徹平郎を訪ねた。
 一徹平郎は酒を飲んでいなかった。狭い庭にしゃがみ込んで、小さな白い花を見つめていた。サハチの顔を見ても怒鳴る事はなかった。
「以前、高橋殿の屋敷を建ててくれと頼まれた事があった」と一徹平郎は言った。
「俺の噂を聞いていて、俺なら殺しても構わないと思ったのだろう」
「屋敷を建てて殺すとはどういう意味だ?」とサハチは一徹平郎のそばにしゃがみ込んで聞いた。
「あの屋敷はからくり屋敷だ。造るのは面白いが、そのあと消されると思った。わしは酔っ払っている振りをして追い払ってやった」
「からくり屋敷?」
「詳しい事は知らんが、あの屋敷を建てた者たちは皆、殺された」
「まさか!」
「本当だ。北山殿は恐ろしい奴だ。人の命など屁とも思わん」
「あの屋敷は北山殿が建てたのか」
「そうだ。高橋殿が裏の仕事で使うためだ」
「裏の仕事とは?」
 一徹平郎はサハチを見て笑っただけで答えなかった。
琉球とはどんな所だ?」
「自分で言うのもおかしいが綺麗な所だよ」
「お前は何者だ?」
琉球中山王の跡継ぎだ」
「ほう。琉球の王様の倅がどうして京都にいる?」
「来年、琉球は使者を送る。その下見に来たんだ」
「高橋殿の屋敷に琉球から来た者たちが滞在しているというのは噂で聞いた。まさか、王様の倅が来ていたとはのう。高橋殿の屋敷にいるという事は将軍とも話を付けたのだな」
 サハチはうなづいた。
 一徹平郎は突然、笑い出した。
「お前がここに来たのは、高橋殿から聞いたのだな」
「高橋殿ではないが、対御方の紹介だ」
「どっちにしろ、高橋殿は俺を琉球に送りたいようだ」
「来てくれるか」
「高橋殿に睨まれたら、わしはここでは生きてはおれん。行くしかあるまい」
 サハチはお礼を言った。
「唐破風(からはふ)はできるか」
「唐破風はできるが、お寺には必要あるまい」
琉球王の御殿に付けたいのだ」
「御殿か。見てみないとわからんが大丈夫じゃろう。お寺じゃが、わしの思い通りに造ってもいいんじゃな」
「勿論だ。すべて、任せる」
「よし、琉球に行こう」
 一徹平郎は楽しそうに笑った。
 ジクー禅師が戻って来たのは七月八日だった。明国の使者が入京してから将軍様に謁見(えっけん)するまでの流れをすべて見てきたと言った。琉球の使者に対してもほぼ同じ行程だろうという。使者たちの宿舎になったのは将軍様の御所の近くにある等持寺(とうじじ)で、使者たちは猪(いのしし)によく似た動物(豚)を何頭も連れて来ている。日本にはいないので、わざわざ食用に持って来たようだった。
 琉球では豚はウヮーと呼ばれていた。五年前に冊封使(さっぷーし)が来た時、やはり何頭もの豚を連れて来ていて、今では久米村(くみむら)で何頭か飼われていた。明国の料理に豚肉は必需品で、様々な料理に使われていた。
「来年は正使をお願いします」とサハチは改めてジクー禅師に頼んだ。
「任せてくれ」とジクー禅師は力強くうなづいた。
「それと、腕のいい宮大工とは言えんが、龍(りゅう)ばかり彫っている変わり者の大工を等持寺で見つけた。龍を彫らせてくれるなら琉球に行ってもいいと言っている。どうする、連れて行くか」
「龍ばかり彫っている奴ですか」とサハチは考えた。
 龍は思紹も彫っているし、ヒューガも彫っている。特に必要でもないが、何かの役に立つだろう。
「連れて行きましょう」とサハチは言った。
 次の日、ジクー禅師は新助という三十代の大工を連れて来た。なかなかいい面構えをしていた。一徹平郎に似た頑固者のようだ。
「頼むぞ」とサハチは言って、新助を歓迎した。
 一徹平郎も旅支度をしてやって来た。旅支度と言っても大工道具を入れた箱と酒の入った瓢箪(ひょうたん)を持っているだけだったが、頭を綺麗に剃って、無精髭も剃り、一目見ただけでは誰だかわからなかった。
 翌日、サハチたちは京都をあとにした。すでに、お世話になった高橋殿、将軍様、勘解由小路殿、中条兵庫助、陳外郎にはお礼の品々を贈っていた。
 飯篠(いいざさ)修理亮は慈恩禅師を探すために信濃に行くというので京都で別れる事になった。
「必ず連れて来てくれよ」とンマムイが言った。
「待っているぞ。元気でな」とサハチは言った。
「体に気をつけるのよ」とササは言った。
琉球に帰って来てね」とシズは言った。
 シンシンは明国の言葉で何かを言った。修理亮は意味がわかったのか笑っていた。
 女子サムレーたちも修理亮との別れを惜しんでいた。
 お世話になった対御方、一文字屋次郎左衛門とまりにお礼を言って、鎌倉にいる高橋殿の無事を祈って、一か月近く滞在した京都に別れを告げた。

 

 

 

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