長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-53.対馬の娘(改訂決定稿)

 瀬戸内海を無事に通過して、サハチ(琉球中山王世子)たちが博多に着いたのは七月二十五日だった。
 児島(こじま)の下(しも)の津で塩飽(しわく)三郎入道が待っていて、前回の約束通り、進貢船(しんくんしん)を見せるために船大工の与之助(よのすけ)を同行させた。与之助は口数が少なく、船の事以外はまったく興味を示さない男だった。船の事が何よりも好きらしく、水夫(かこ)たちが間違った操作をすると、そんな事をしたら船が可哀想だと言って、的確な操作法を教えていた。
 因島(いんのしま)では村上又太郎の妹のあやが、サハチたちが来るのを首を長くして待っていた。あやの船に先導されて、サハチたちは順調に博多港に到着した。あやは上関(かみのせき)で別れる事なく、博多まで一緒に来てくれた。
 琉球の交易船は博多港にはいなかった。一文字屋孫次郎に聞くと、五日前に博多を発って対馬(つしま)に向かったという。
 七月十六日、九州探題の渋川道鎮(どうちん)が京都から博多に帰って来た。そして、四日後の二十日、道鎮の家臣、吉見肥前守(ひぜんのかみ)が琉球の交易船を先導して対馬に向かって行った。今、妙楽寺には京都から帰って来た朝鮮(チョソン)の使者たちがいて、道鎮は接待している。今年は朝鮮、明国(みんこく)、琉球と三つの国から使者が来て、休む間もないほど忙しいと言いながらも機嫌はいいようだ。朝鮮の使者たちを送り出したら、琉球の使者たちを追って朝鮮に行くだろうと孫次郎は言った。
 次の日、サハチたちは一文字屋の小型の船に乗り換えて対馬に向かった。お世話になった一文字屋孫三郎とみお、村上水軍のあやにお礼を言って別れを告げた。
「お世話になったのはこちらの方ですよ」と孫三郎は笑った。
「サハチ殿のお陰で、一文字屋も益々繁盛して行くでしょう。朝鮮での成功をお祈りしています」
 サハチたちのお陰で、京都の一文字屋は高橋殿の御用商人になっていた。将軍様とつながりのある高橋殿の御用商人になれば、一文字屋は儲かるし、琉球にとっても都合のいい事だった。
「また来年、会えるわね?」とあやはササに言った。
 ササはサハチの顔を見てからうなづいて、「また来年、会いましょうね」と言って手を振った。
 京都から連れて来た一徹平郎(いってつへいろう)、新助、栄泉坊(えいせんぼう)の三人は一文字屋に預けた。栄泉坊には博多の寺院や神社の絵を詳細に描くように頼み、一徹平郎と新助には琉球の寺院造りのために博多の寺院も参考にしてくれと言った。
 一徹平郎は酒さえ飲めれば、どこにいようと文句はないと笑った。長い船旅で髪も髭も伸びて、会った頃の顔に戻っていた。琉球に帰る年末までは、まだ五か月もある。一徹平郎がフラフラとどこかに行ったりしないかと心配だったが、信じるしかなかった。
 その日は壱岐島(いきのしま)に泊まった。早田(そうだ)藤五郎はすでに朝鮮に行っていた。九州探題が博多に戻って来たと聞いて、そろそろ琉球の船が朝鮮に向かうなと悟って出掛けたらしい。
 志佐壱岐守(しさいきのかみ)に京都で将軍様に会ったと言ったら、腰を抜かすほどに驚いていた。
「そなたはまったく運の強い男じゃのう。将軍様に会うなんて信じられん事じゃ。明国に行ったら永楽帝(えいらくてい)と会い、京都に行って将軍様と会った。今度は朝鮮の王様の番じゃな」
「朝鮮の王様と会うのは難しいでしょう。会ったとしても言葉がわかりません」
「富山浦(プサンポ)(釜山)を仕切っている早田五郎左衛門殿に頼めば会えるじゃろう」
「五郎左衛門殿は朝鮮の王様に会っておられるのですか」
「会っている。わしも会っているんじゃよ」
「えっ、壱岐守殿も会っておられるのですか」
「会っていると言っても、高い所に座っておられる王様に頭を下げただけで、直接、話をしたわけではないがのう」
「そうでしたか。琉球の使者たちもそんな風に王様と会うのですね」
「多分、そうじゃろうな」
「王様に会えるかどうかは、成り行きに任せるしかありませんね」
 壱岐守はサハチの顔を見て笑った。
「すると、来年は正式な使者を京都に送るという事じゃな」
「毎年、来てくれと言われました」
「そうか。京都に行ったり、朝鮮に行ったりして商品の方は大丈夫なのか。わざわざ琉球まで行って、商品がないとなると松浦党(まつらとう)の者たちは騒ぎを起こすぞ」
「何とかするつもりです。明国の皇帝に進貢船を下賜(かし)するように二年前に頼んであります。そろそろ、その船が来ると思います。船さえあれば、一年に二度、三度と明国に行くつもりでおります」
「そうか。琉球は益々栄えて行くようじゃのう」
 次の日、サハチたちは対馬の船越(小船越)に着いた。船越は東海岸の深い入り江の奥にあった。イトとユキが乗っていると思われる船も泊まっていた。シンゴ(早田新五郎)の船より一回り小さいが、あんな大きな船を乗り回しているなんて大したものだった。まして、マチルギがあんな船を操ったなんて、とても信じられなかった。ここも土寄浦(つちよりうら)と同じように、海と山に挟まれた狭い土地に家々が建ち並んでいた。
 サハチはイトからもらった着物を着て、ユキからもらった守り刀を腰に差して颯爽(さっそう)と上陸した。初めて見るユキの姿と二十二年振りのイトの姿を想像しながら胸を躍らせたが、二人はいなかった。
 迎えに出て来たサワは懐かしそうにサハチを迎えた。
「サワさんですか」とサハチが聞くと、
「立派になられて‥‥‥」と言ったまま、サハチを見つめて涙ぐんでいた。
 サワと一緒に現れた大勢の子供たちは、ササたちの所に行って再会を喜んでいた。
「やっと、対馬に来る事ができました」とサハチはサワに言った。
「イトとユキは今、朝鮮に行っているんだよ。あんたに会いたがっていたよ。それにしても、ほんとに立派になったねえ」
 ササが可愛い女の子を連れて来た。
「ミナミのお祖父(じい)ちゃんだよ」とササは言った。
「えっ!」とサハチは女の子を見た。
 大きな目を丸くしてサハチを見つめていた。
「ユキの子か」とサハチはササに聞いた。
 ササはうなづいた。
「ミナミちゃんか」とサハチは女の子に言った。
 女の子はうなづいた。じっとサハチを見つめている目に、イトの面影があるように思えた。
 サハチが笑いかけると恥ずかしそうに笑って、ササの後ろに隠れた。その笑顔が何ともいえずに可愛かった。
「六歳なのよ」とササが言った。
 二十二年振りに来た対馬で、真っ先に孫娘に出会うなんて思ってもいない事だった。
 若いサムレーが三人、現れた。中央にいる若者が、若い頃のサイムンタルー(早田左衛門太郎)に似ていた。サイムンタルーよりも体格がよく、日に焼けて顔は真っ黒だった。
琉球から来られたサハチ殿ですね。お待ちしておりました。早田六郎次郎でございます」と中央の若者が挨拶をした。
「サハチです。去年は妻たちが大変お世話になりました」
「賑やかで楽しかったですよ。皆様方がお帰りになったあと、急に静かになってしまって、顔を合わせれば、みんなでマチルギ殿の噂をしておりました。来年はサハチ殿が来られると申しておりましたが、本当に来てくれたのですね。ユキや母上が喜ぶ事でしょう」
 六郎次郎はヂャンサンフォン(張三豊)を「師匠」と呼んで挨拶をして、「あとで上達振りを見てください」と言っていた。
 サハチたちは『琉球館』と呼ばれる屋敷に案内された。
 案内してくれたのは六郎次郎の義弟の小三郎だった。小三郎は和田浦の兵衛左衛門(ひょうえさえもん)の三男で、六郎次郎の妹と一緒になって船越に移って来たという。
 琉球館は二棟あった。マチルギたちが帰ったあと、隣りに屋敷を新築したという。新しい屋敷にササたち女が入り、以前の琉球館にサハチたち男が入った。
 ササの案内で『アマテル神社』を参拝して、浅海湾(あそうわん)に面した西側に出た。川のような深い入り江が続いていて、浅海湾は見えなかった。入り江に沿って細い道を進み、途中から山道に入って登って行くと眺めのいい草原に出た。去年、ヒューガ(日向大親)たちがヂャンサンフォンの指導を受けた場所だという。
 入り江が入り組んだ複雑な地形の浅海湾が見渡せた。懐かしい眺めだった。浅海湾を初めて見たウニタキ(三星大親)やファイチ(懐機)たちはその光景に驚いていた。
 その夜、六郎次郎の屋敷で歓迎の宴(うたげ)が開かれた。サハチたち一行十五人と六郎次郎、小三郎、左衛門次郎、四郎三郎、山伏の円明坊(えんみょうぼう)、鉄潅和尚(てっかんおしょう)の六人とサワとイトの父親、イスケも加わった。
 イスケが琉球に来なくなってから十年以上が経っていた。マチルギから元気よと聞いていたので安心していたが、実際に会ってみると髪は真っ白になっていて、年老いていた。それでも、ヂャンサンフォンから教わった呼吸法のお陰で体調もよくなったので、百歳までは頑張るぞと笑った。
 左衛門次郎は和田浦にいたサイムンタルーの弟、左衛門次郎の遺児だった。父親が戦死した時、まだ二歳で、母親と一緒に船越に移り、六郎次郎と共に育っていた。六郎次郎と同い年で、共に読み書きを習い、武術修行も共にして、何をするのも一緒だった。
 四郎三郎は六郎次郎の弟で、イハチと同じ十六歳だった。
 円明坊は六郎次郎たちの武術の師匠で、熊野水軍の武将として、六郎次郎の祖父、サンルーザ(三郎左衛門)と共に南朝方として活躍していたという。
 円明坊が太宰府(だざいふ)に来た時、九州は南朝の天下と言ってよかった。松浦党も早田水軍も瀬戸内から来ている村上水軍も、勿論、熊野水軍懐良親王(かねよししんのう)のために働いていた。南朝のために兵糧(ひょうろう)や軍資金を集めるために、高麗(こうらい)や元(げん)の国を荒らし回っていた。しかし、長くは続かなかった。今川了俊(りょうしゅん)が九州探題として博多にやって来ると情勢は変わった。南朝軍は北朝軍に負け続け、懐良親王も亡くなってしまった。団結していた水軍もバラバラになっていき、熊野水軍も九州から撤収する事になった。
 円明坊は船を降りて、しばらく旅に出た。九州各地を巡って庶民たちとふれあう事で戦の空しさを知った。熊野に帰ろうと決心した円明坊は、三郎左衛門に別れを告げるために対馬に渡った。
 三郎左衛門はすでに隠居していた。お互いに自分たちの時代は終わったと語り合っていたら、事件が起きた。三郎左衛門の跡を継いでいた左衛門太郎が朝鮮の水軍に囲まれて、長男の藤次郎を人質に差し出し、投降の意を示したというのだ。
 左衛門太郎は父親を説得して、配下の者たちを引き連れて朝鮮に投降した。三郎左衛門はお屋形様に復帰して、円明坊は左衛門太郎の十一歳の次男、六郎次郎の指導を頼まれたのだった。あれから十年余りが経ち、円明坊は六郎次郎の成長を見てきた。三郎左衛門は亡くなってしまったが、充分に約束は果たせたと思っていた。
 鉄潅和尚は戦死した早田備前守(びぜんのかみ)の息子で、博多の禅寺で修行を積み、左衛門太郎に呼ばれて船越の『梅林寺』の住職になっていた。六郎次郎たちの読み書きの師匠だった。
 サハチはお膳に載っていた新鮮なアワビを食べながら、二十二年前の事を思い出していた。イトと初めて会ったのが無人島でのアワビ捕りだった。海に潜って魚のように泳いでいたイトの姿がはっきりと思い出された。
「京都に行かれたと聞きましたが、どうでしたか」と六郎次郎が聞いた。
「もう驚く事ばかりでしたよ」とサハチは笑った。
「明国の都まで行って来たと聞きましたが、それでも京都には驚きましたか」
「驚きました。『七重の塔』の高さは明国でも見られないほど高いものでした」
「七重の塔は完成したのですね。俺が行った時は北山第(きたやまてい)の中に造っている最中でした」
「京都に行かれた事があるのですか」
「五年前に行って来ました。まだ、祖父が生きている時で、祖父と左衛門次郎と円明坊と一緒に行って来ました。一文字屋の頼みで、瀬戸内の水軍たちと話をつけるために行ったのです」
「そうでしたか。一文字屋から聞きました。サンルーザ殿のお陰で、わたしたちも安全な旅ができました。お礼を申し上げます」
「失礼ですが、父上殿とお呼びしてもよろしいでしょうか」と六郎次郎は言った。
 突然、父上と呼ばれて、サハチは戸惑った。会ったばかりだが、六郎次郎は娘の婿だった。娘のユキから父上と呼ばれるのを楽しみにしていたサハチだったが、婿から先に呼ばれるとは思ってもいなかった。
 サハチはただうなづいた。
「父上殿と母上殿の出会いは土寄浦では伝説になっております。琉球から来た若殿が海女(あま)と出会い、結ばれて娘が生まれ、海女はいつの日か、琉球の若殿が迎えに来るのを待ちながら娘を立派に育てたという伝説です。五歳の時に土寄浦を離れて船越に来た俺は、その伝説を知りませんでした。俺が十歳の時、父は琉球に行きました。どうして琉球に行くのか、母に聞いて、その時、伝説の事も聞きました。伝説の海女が産んだ娘が、俺より一つ年下だと聞いて、会ってみたいとその時は思いましたが、翌年、父と兄が朝鮮に行く事になってしまい、その娘の事もいつしか忘れてしまいました。父が大勢の家臣たちを連れて朝鮮に行ってしまい、土寄浦もこの船越も男手が足らずに大変でした。子供ながらも早く一人前になって、皆を助けなければならないと思ったものでした。兄は朝鮮で病死してしまいました。悲しみに沈んでいた頃、伝説の海女が女船頭(せんどう)(船長)になって活躍していると噂を耳にしました。俺も頑張らなくてはならないと励まされました。十六になった夏、叔父のシンゴ殿が琉球から帰って来ました。博多で手に入れた食糧を取りに左衛門次郎と一緒に土寄浦に出掛けました。その時、ユキを見てしまったのです。俺も左衛門次郎もユキに一目惚れしてしまいました」
 六郎次郎は話を止めて左衛門次郎を見ると、酒を一口飲んで話を続けた。
「ユキの事を聞いたら、誰もが知っている伝説の海女が産んだ娘で、若い者たちの憧れの的だと言いました。しかし、母親から剣術を習っていて滅法強い。自分よりも弱い男には目もくれない。八の付く日に無人島で若者たちの集まりがあって、あの娘に惚れた男たちが試合を挑むが、今まで勝った者は一人もいないと言いました。俺たちは船越に帰ると剣術の修行に励みました。三か月後、俺たちは無人島に行って、ユキと試合をしました。その時、ユキと試合をしたのは七人でした。毎回、その位いると聞いて驚きました。俺と左衛門次郎も含めて、七人全員がユキに負けました。ユキは思っていた以上に強かったのです。悔しい思いをした俺たちは今度こそ、死に物狂いになって修行に励みました。師匠も呆れるほど、あの頃の俺たちは剣術に夢中になっていました。そして、八ヶ月後、俺たちは無人島に行って、ユキと試合をしました。その時は五人いました。三人は負け、俺と左衛門次郎は勝つ事ができました。俺たちが勝った事に、ユキも含めて、島に来ていた全員が驚きました。勿論、島に来るのはユキが目当ての男ばかりではありません。他の娘が目当ての男たちもいます。普通なら、島に来て目当ての娘と話し合いをして、付き合うかどうかを決めるのですが、ユキの場合はまず試合に勝たなければ、話し合いの機会も得られないのです。俺と左衛門次郎はユキと話し合いをしました。お互いの事を話したのですが、左衛門次郎と前もって決めて、二人とも漁師の倅という事にしました。お屋形様の息子だとわかれば、お前が勝つに決まっていると左衛門次郎が言ったのです。俺としても、そんな事で勝ちたくはありません。船越というのも伏せました。お屋形様の息子と言っても、ここでの暮らしは漁師のような暮らしでした。人の上に立つ者は庶民の暮らしを知らなければならないと師匠に言われて、読み書きや剣術の修行以外の時間は夏は海に出て漁をして、冬は山に入って炭焼きをしていました。そんな日常の事をユキに話していたのです。次の八の付く日に無人島に行くと、ユキに試合を申し込む者はいませんでした。ユキの方が俺たちに試合を望みましたが、また、俺たちが勝ちました。次の八が付く日、無人島に行く時、左衛門次郎が、お前の勝ちだと言いました。ユキはお前が好きなようだと言います。お前を見る時のユキの目は輝いている。俺は負けを認めると言いました。そして、今日、俺はチヨと話をすると言ったのです。チヨというのはユキと仲良しの娘で、いつも一緒にいました。チヨも人気の娘で、いつも何人もの男たちがチヨを目当てに来ていましたが、なぜか皆、断っていました。その日、俺はユキと会い、左衛門次郎はチヨと会い、二人ともうまくいきました。船越には帰らず、土寄浦に行って、俺はユキの母親と会いました。あの伝説の海女です。女船頭になったと聞いていたので、大柄で逞しい女だろうと思っていましたが、まったく違いました。綺麗な人で伝説になるのもわかる気がしました。俺はユキをお嫁に下さいと頭を下げました。突然の事なので母親は驚いて、ユキからわけを聞きました。ユキは浅海湾の奥の方の漁師なんだけど、あたしよりも強いし、お嫁に行きたいのと言いました。俺はユキと母親に本当の事を話しました。二人とも驚いていましたが、母親は大喜びしてくれました。お屋形様とユキの父親は琉球で一緒に旅をした仲なのよ。きっと許してくださるわと言っていました。そして、朝鮮にいる父上のもとへ婚礼の事を知らせて、父上の許しがあって俺たちは結ばれたのです。琉球から来た若殿が海女と出会い、結ばれて娘が生まれ、海女はいつの日か、琉球の若殿が迎えに来るのを待ちながら娘を立派に育てました。娘は美しい娘に成長して、お屋形様の息子と結ばれ、海女は女船頭になって活躍しました。今では、俺の事も伝説の中に入っています。父上と初めて会って、伝説通りの人だと思いました。この伝説に負けないように生きようと思っています」
琉球の若殿は琉球を統一して王様になりました、という伝説にしなければならんな」とサハチは言った。
「お屋形様の息子は対馬を統一しました、としなければなりません」と六郎次郎は言った。
 サハチと六郎次郎はお互いを見ながら笑い合った。
「その伝説にはミナミちゃんも加わるわよ」とササが言った。
「えっ、ミナミが何かをするのか」と六郎次郎が聞いた。
「何か大きな事をするような気がするわ」
「ミナミが大きな事か‥‥‥」と六郎次郎は嬉しそうな顔をしてうなづき、「去年に来られた時、『アマテル神社』はスサノオの神様を祀っていると言っていたが、京都の『祇園社(ぎおんしゃ)』には行って来られましたたか」とササに聞いた。
「華やかな祇園社のお祭りを見てきました」
「おお、そうですか。いい時期に行かれましたね。噂は聞いています。俺が行ったのは八月だったので、お祭りはもう終わっていました」
スサノオの神様ともお会いできて、色々とお話を聞く事ができました。アマテル神社はスサノオが造った砦の跡地に祀られたようです。ここは古くから交通の要衝だったので、砦を造って見張っていたようです」
「そうでしたか。ここはそんなに古くから重要な地点だったのですね。やはり、親父がここに拠点を置いたのは正しかったんだな」
 六郎次郎は興味深そうに、対馬の各地にあるスサノオの足跡をササから聞いていた。
 翌日、山の上の修行場に登って、六郎次郎たちはヂャンサンフォンに一年間の修行の成果を披露した。ヂャンサンフォンは満足そうにうなづいて、鞍馬山(くらまやま)で思い付いた呼吸法を取り入れた套路(タオルー)(形の稽古)を六郎次郎たちに教えた。勿論、サハチたちも稽古に励んだ。
 その日の夕方、間もなく日が暮れる頃、イトとユキが帰って来た。サハチはササたちと一緒にサワの家で、孫娘のミナミと遊んでいた。ミナミもサハチの事を『祖父(じい)ちゃま』と呼んでくれ、可愛くてしょうがなかった。
 ミナミが突然、「たたちゃま(母様)」と言って飛び出した。振り返ると二人の女子(いなぐ)サムレーがサハチを見ていた。二人とも鉢巻きをして袴をはき、刀を背負っている。親子というより姉妹に見えた。イトはサハチが思っていたよりもずっと若く、昔の面影が充分に残っていた。
 ユキは妹のマチルーより二歳年下で、娘のミチより五歳年上だった。二人を足して二で割った感じかなと想像していたが、全然違った。ユキには琉球とヤマトゥ(日本)の血が流れている。異国の血が混ざると美人が生まれると聞いていたが、まさしく、ユキはそれだった。若い頃のイトの面影はあるが、あの頃のイトよりもずっと美人だった。昨夜、六郎次郎が言っていたように、男たちの憧れの的と騒がれるのも無理なかった。
 イトとユキはミナミを連れてサハチのそばにやって来た。お互いに相手を見つめたまま声も出なかった。
「お父さん?」とユキが小声で言った。
「ユキか」とサハチは言った。
「お帰りなさい」とイトが言った。
 サハチは笑って、「ただいま」と答えた。
 サハチを見つめているユキの目から涙があふれ出た。そんなユキを見ながら、「なに、泣いているのよ。やっと会えたのに」とイトは言ったが、イトの目にも涙が溜まっていた。
「会いたかった」と言って、サハチは二人を抱きしめた。
 ミナミがサハチの着物を引っ張って、「あたしも」と言った。
 ミナミの言葉に三人は笑い、サハチはミナミを抱き上げた。ミナミはサハチの真似をして両手を広げ、イトとユキを抱き寄せた。
 その夜、サハチは六郎次郎の屋敷の裏にあるイトの屋敷で、ユキとミナミを呼んで家族水入らずで過ごした。屋敷と言っても小さい家だった。イトは屋敷なんかいらない。両親が暮らしている家があるからいいと言ったが、船頭として活躍しているイトが屋敷もないのでは皆に示しがつかないと言って、六郎次郎が建てたのだった。自分の屋敷は小さくても構わない。その代わり、『琉球館』を建ててほしいと頼み、六郎次郎はイトの頼みを聞いたのだった。
「二十二年振りね」とイトはしみじみと言った。
「随分と長い時間が掛かってしまった。もう少し早くに来るべきだった」とサハチは言った。
 イトは首を振って、「今が丁度よかったのよ」と言った。
「あなたに再会する前に、マチルギさんに出会えたわ。マチルギさんから色々な事を聞いたわ。あなたの奥さんがマチルギさんでよかったって、心の底から思っているのよ」
「マチルギも、イトは凄い人だと尊敬していた」
「あたしこそ、マチルギさんを尊敬しているわ。あんなにも強いなんて思ってもいなかった。二十二年前、和田浦であなたが熱心に修行を積んでいた意味もわかったわ」
「懐かしいな。和田浦は今、どうなっているんだ?」
「お屋形様(サイムンタルー)の叔父さんの兵衛左衛門様が守っているわ。でも、兵衛左衛門様はシンゴが琉球に行っている間は土寄浦にいるから、実際は長男の小太郎様が守っているわね。あなたが琉球に帰ったあと、和田浦にいた左衛門次郎様が戦死してしまったの。シンゴのお兄さんよ。それで、シンゴも一時、和田浦にいた事があるの。シンゴの奥さんは和田浦の娘なのよ。あなたも知っている娘よ。あの頃、あたしたちと一緒にヒューガさんから剣術を習っていたわ。今は土寄浦の娘たちに剣術を教えているわ」
「佐敷ヌルから聞いたよ」
「あんなに綺麗な人がシンゴといい仲になるなんて未だに信じられないわ」
「俺だって信じられなかったさ。でも、シンゴには感謝しているよ。毎年、必ず来てくれるからな」
「佐敷ヌルさんに会うために、毎年、琉球に行っているのかしら?」
「そんな事もあるまい。ところで、ここ船越は古くから重要な拠点だったようだけど、六郎次郎が来る前には誰がいたんだ?」
「先代のお屋形様(サンルーザ)の妹のお婿さんがいたらしいわ。古くからこの地を守っていた武将で、お屋形様と同盟を結んでお婿さんになったの。でも、左衛門次郎様と一緒に戦死してしまったの。一族が乗っていた船が沈んで、全滅してしまったのよ。それで、お屋形様がここを守るために家族を連れてやって来たのよ」
「サイムンタルー殿もここに来たのか」
「そうよ。でも、五年後、先代のお屋形様が隠居なさって、お屋形様は単身、土寄浦に戻ったの」
「そうだったのか。サイムンタルー殿もここにいたのか」
 そう言って、サハチはイトとユキの顔を見て、「サイムンタルー殿は元気なのか」と聞いた。
「元気らしいわ」とイトが言った。
「先代のお屋形様がお亡くなりになった四年前、お屋形様は朝鮮の王様の許しを得て、帰っていらっしゃったの。その時は元気だったわ。富山浦(プサンポ)にいる五郎左衛門様はその後も何度か会っているようだけど、あたしたちは会えないのよ。北の方の海で倭寇(わこう)退治をしているらしいわ」
「やはり、倭寇を退治しているのか」
「今、お屋形様と同盟している者たちはお屋形様の命令を聞いて、倭寇働きは控えているわ。少なくとも朝鮮には行っていない。対馬にはお屋形様に敵対している者たちもまだいるの。そういう者たちが朝鮮にやって来たら退治するのよ。お屋形様は朝鮮にいながら、敵対勢力を倒しているわけ。降参して来た者たちは味方に引き入れて逃がしてやっているみたいね」
「朝鮮に行っても対馬の事を考えているんだな」
「当然よ。お屋形様なんだから」
「それで、お屋形様はいつ帰って来るんだ?」
 イトは首を振った。
「十年経ったら帰って来るに違いないって、みんなで待っていたんだけど、十年が過ぎてもまだ帰って来ないわ。帰って来る事を祈って、頑張るしかないわ」
「そうだな。それにしてもよく頑張って来たよ。ユキを一人で育てて、船頭までやっている。マチルギから船頭をしていると聞いた時は驚いた。でも、イトならやるに違いないと思ったよ」
「あなたが琉球に帰ってから色々な事があったわ。ユキが二歳の時、高麗の水軍に攻められて土寄浦は全滅してしまった。焼け野原を呆然と眺めながら、これからどうしたらいいのって思ったわ。でも、ユキのためにも頑張らなくちゃならないって思って、みんなで力を合わせて村を再建したわ。ユキが十歳になった時、お屋形様に頼んで、琉球に行こうかなと思ったのよ。でも、その年の暮れ、お屋形様が朝鮮に捕まってしまったわ。その後は留守を守るのに必死で、琉球に行く事はできなかった。シンゴは毎年、琉球に行っている。あの船に乗れば琉球に行ける。ユキを連れて琉球に行こうと何度も思ったわ。でも、対馬を捨てて琉球には行けなかった。去年、マチルギさんに一緒に行こうって誘われたけど、今の状況では半年間も離れられなかったの。あなたの事は毎年、シンゴが教えてくれたわ。あなたの活躍があたしたちの生きる励みになったのよ」
 その夜は遅くまで語り合って、家族四人が川の字になって眠った。

 

 

 

海女(あま)のいる風景   人魚たちのいた時代―失われゆく海女文化