長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-55.富山浦の遊女屋(改訂決定稿)

 すぐにでも朝鮮(チョソン)に行きたかったが、海が荒れてきて行けなくなった。ササ(馬天若ヌル)に聞くと台風が近づいているという。
「でも、対馬(つしま)は直撃しないから大丈夫。三日か四日待てば行けるわ」
琉球は大丈夫だったのか」とサハチ(琉球中山王世子)が聞くと、
「ちょっと待って」とササは目を閉じた。
「大丈夫よ。首里(すい)も佐敷も被害はないわ。北の方に被害が出たみたい」
「ヤンバル(琉球北部)か」
 ササはうなづいた。
「今頃はもう、三姉妹は来ているな」とサハチは独り言のように呟いた。
「あたしにもそこまではわからないわよ」とササは言ってから、「メイユー(美玉)さんとの事は奥方様(うなじゃら)(マチルギ)にばれたの?」と聞いた。
「何を言っているんだ?」
「シンシン(杏杏)から何もかも聞いているわよ」
「参ったなあ」
「高橋殿の事も内緒にしておくわね」
「高橋殿とは何もない」
「あら、そうかしら? あたしは言わないけど、三人の女子(いなぐ)サムレーたちは奥方様にちゃんと報告するでしょうね」
「本当に何もなかったんだよ」とサハチは言ったが、ササは笑っていた。
 外洋は荒れているようだが、入り江の奥深くにある船越の海はそれほど荒れる事もなく、時折、強い風が吹いて、雨が降る程度だった。
 サハチたちは『琉球館』でのんびりと過ごしていた。船乗りの女たちは船に乗っていない時は、海に潜ってアワビを捕っているが、海に入れないので琉球館に遊びに来ていた。
 ヂャンサンフォン(張三豊)とジクー(慈空)禅師は碁を打ち、ファイチ(懐機)はアサからヤマトゥ(日本)言葉を教わっている。アサはサワの娘のスズと仲よしで、夫は戦死していた。一緒になってすぐに戦死してしまったので子供はいない。夫が明国(みんこく)で戦死したので、ファイチから明国の話を聞きながら、ヤマトゥ言葉を教えていた。
 ウニタキ(三星大親)は六郎次郎に呼ばれて、六郎次郎の屋敷に行っている。六郎次郎はマチルギから『三星党(みちぶしとー)』の事を聞いていて、裏の組織を作るためにウニタキから色々と話を聞いているようだった。早田(そうだ)家は今まで、浅海湾(あそうわん)内にいる倭寇(わこう)の頭目たちを配下に引き入れてきた。これからは北部と南部に勢力を広げなければならない。各地の情報を集めるには、どうしても裏の組織は必要だった。
 ンマムイ(兼グスク按司)はイハチ(サハチの三男)とクサンルー(浦添按司)を連れて、どこかに行っていた。京都にいた時、サハチ、ウニタキ、ファイチの三人が高橋殿の屋敷に移ってしまい、ンマムイはイハチとクサンルーの相手をするしかなかったため仕方がないが、敵だか味方だかわからないンマムイと仲よくなるのは考え物だった。
 塩飽(しわく)水軍の与之助は相変わらず、船の修理に励んでいた。
 サハチが高橋殿からもらった『源氏の物語』を呼んでいるとニヤニヤしながらササがやって来た。
「何を見ているの」と書物を覗き込んで、「難しそう」と笑った。
光源氏(ひかるげんじ)の物語だよ」
「ああ、あれ。あたしたちも聞いたわ」
「聞いた?」
将軍様足利義持)の奥方様と一緒に聞いたのよ。偉そうなお公家さんが真面目な顔して読んで聞かせたわ」
「そうだったのか」
「ねえ、イハチが何をしていると思う?」
「女たちの部屋にいるのか」
「いる事はいるんだけど、娘たちと一緒なのよ」
「娘っていうのはここの娘たちの事か」
「そうよ。あたしたちの教え子よ」
 ササ、シズ、シンシン、女子サムレーたちは、去年と同じように娘たちに剣術を教えていた。
「それがどうかしたのか」
「イハチとミツって娘がいい感じなのよ。二人で仲よくお話しているわ」
「ミツ?」
「お母さんは按司様(あじぬめー)も知っているマユっていう人よ」
「なに、イハチがマユの娘と?」
「それとね、ンマムイはクムを口説いていて、クサンルーはアミーを口説いているわ」
「何をやっているんだ、まったく」
「仕方ないわよ。按司様みたいに京都でいい思いができなかったもの」
「うるさい。お前はどうなんだ? 修理亮(しゅりのすけ)とはうまくいっているのか」
「修理亮の事はもう忘れたわ」
「何だ、諦めたのか」
「修理亮はカナが好きなのよ」
「カナ? クサンルーの妹のカナか」
「そうよ。あの娘(こ)に負けたくないんだけど仕方ないわ。あたしのマレビト神は別の人なのよ。将軍様琉球に来ればマレビト神になるんだけどな」
将軍様だって!」とサハチはササを見つめた。
「いい男なんだけど無理ね」とササは真面目な顔をして言った。
 確かに将軍様はいい男だった。ササが惚れるのも無理はない。
「いや、そうとも限らない。お前に会いに琉球に行くかもしれない」
「そうかしら?」とササは嬉しそうに笑った。
将軍様の御所に行った時、将軍様にも会ったのか」
「勿論、会ったわよ。将軍様と奥方様はすごく仲がいいもの。一緒に豪華なお料理も御馳走になったのよ。将軍様はお酒が好きでね、お酒を飲むと面白いお話を聞かせてくれたわ」
「どんな話をしてくれたんだ?」とサハチは聞いたが、ササはそれには答えず、「按司様、笙(しょう)っていう笛、知ってる?」と聞いてきた。
「知らん」
「いくつもの細い竹を合わせて作った笛でね、不思議な音がするのよ。将軍様が吹いてくれたんだけど神秘的な曲だったわ」
将軍様が笛を吹くのか」
「お上手だったわ。でも、将軍様の弟さんに笙の名人がいて、負けられないって言っていたの」
「その弟というのは武将なのか」
「さあ?」とササは首を振った。
「弟さんの事はあまり話したがらなかったわ」
「笙か。今度、博多に行ったら見つけてみるか」
 ササから住吉神社の事を聞いていたら、ユキが迎えに来た。
「家族水入らずで楽しんでいらっしゃい」とササに見送られて、ユキと一緒にイトの屋敷に向かった。風は吹いていたが雨はやんでいた。
 屋敷に行くとミナミが飛びついてきた。ミナミはサハチの四女のマカトゥダルより一つ年上で、こんな大きな孫娘がいたなんて信じられなかったが、すっかりお爺ちゃんになっていた。そういえば、奥間(うくま)ヌルが産んだ娘がミナミと同い年のはずだった。もうこんなにも大きくなっているのかと思うと一度、奥間に行かなければならないなと思った。
 サハチは遊んでいるミナミを眺めながら一節切(ひとよぎり)を吹いた。調子のいい可愛い曲が流れた。それを聞いて、イトもユキも目を丸くして驚いていた。
「凄いわ。あなた、笛も吹けるのね」
「去年、マチルギがお土産に買って来てくれたんだよ。それまでは横笛を吹いていたんだけど、この一節切は横笛よりも俺に合っているんだ」
「あなたが笛を吹くなんて、ほんとに驚いたわ」
「マチルギから聞いたと思うけど、親父が無人島で若い者たちを鍛えていた時、俺はずっと留守番をしていたんだ。暇つぶしに横笛を吹いていたんだよ」
「マチルギさんと毎年、恒例の旅に出ていたって聞いたわ。羨ましいって思ったのよ」
「そうだ。朝鮮から帰って来たら、家族揃って旅に出よう」
「それ、いいわね。去年、お父さんが馬天(ばてぃん)ヌルさんたちを連れて対馬を一周して来たんだけど、楽しかったって言っていたわ。一周は無理だけど、仁位(にい)のワタツミ神社と木坂(きさか)の八幡様にお参りしたいわ」
「いいね。俺も八幡様には行ってみたいと思っていたんだ」
「楽しみだわ」とイトもユキも喜んだ
 その頃、琉球館では集まって来た女たちに、ウニタキが三弦(サンシェン)を弾きながら琉球の歌を聞かせて、拍手を浴びていた。
 波も治まった八月四日、サハチたちはイトの船に乗って朝鮮に向かった。六郎次郎も今後の参考のためにと言って付いて来た。その日は土寄浦(つちよりうら)まで行き、次の日に富山浦(プサンポ)(釜山)に着いた。
 イトが言っていたように、富山浦はすっかり変わっていた。港には大小様々な船が泊まり、二十年前に森だった所まで家々が建ち並んでいて、土寄浦よりも大きな港町に成長していた。
 琉球の交易船も泊まっていた。船の上に数人の人影が見えた。与之助は目の色を変えて交易船を見ていた。
 明国の船は何度も博多から兵庫に向かっているので見た事はある。初めて見た時はその大きさに驚き、どんな構造になっているのか知りたかった。兵庫に行って近くで見たが、船の中に入る事はできなかった。ようやく、念願がかなって船の中に入れるのだった。与之助は憧れの女でも見るような目つきで、じっと交易船を見つめていた。
「みんな、『倭館(わかん)』に滞在しているわ」とイトが言った。
倭館?」
「取り引きに来る者たちの宿泊所よ。琉球人は日本人じゃないけど、ほかに宿泊所がないので、そこに入っているの」
「そうか。上陸はできたんだな、よかった。兵庫では明国の使者たちは上陸もできずに、船の中で何日も待たされていたよ」
「そうだったの。遠くから来ているのに大変だわね」
 サハチたちは上陸して、早田五郎左衛門の『津島屋』に向かった。
 『津島屋』も以前よりも立派な屋敷になっていた。土塀に囲まれ、立派な門には槍を持った門番がいた。六郎次郎に従って門内に入ると、広い敷地内に屋敷がいくつもあり、奥の方には蔵が並んでいた。
 二十二年振りに会った五郎左衛門は思っていたよりも老けて見えた。もう六十歳に近いのかもしれなかった。サハチを見ると、「久し振りじゃのう」と笑った。
 その笑顔には昔の面影があって、サハチは急に二十二年前の事を思い出していた。あの頃はまだ高麗(こうらい)という国だった。高麗についての知識がまったくなかったサハチは、五郎左衛門から高麗の事を色々と教えてもらったのだった。
「去年は妻たちが大変お世話になりました。ありがとうございます」とサハチはまずお礼を言ってから屋敷に上がり、昔の思い出を語り合った。
 壱岐島(いきのしま)の藤五郎は通事(つうじ)(通訳)として、倭館にいる琉球の使者たちと一緒にいて、漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に向かう準備をしていると五郎左衛門は言った。サハチはお礼を言って、かつての中山王(ちゅうざんおう)、察度(さとぅ)と武寧(ぶねい)が朝鮮に送った使者の事を聞いた。
「あれは確か、そなたが来られてから何年か経った頃じゃったのう」と言いながら五郎左衛門は目を閉じて、昔を思い出しているようだった。
「そうじゃ。あれは対馬が高麗に襲撃された年じゃった。村の再建に大わらわだった夏に、琉球からの使者がやって来たんじゃ。とにかく大変だったのは覚えておる。何しろ、琉球から使者が来たのは初めてじゃったからのう。九州探題今川了俊(りょうしゅん)が連れて来たんじゃよ。琉球の使者たちは富山浦から上陸して、高麗の都だった開京(ケギョン)に行って、王様と会った。王様と行っても当時の王様は傀儡(かいらい)で、実力を持っていたのは李成桂(イソンゲ)だったんじゃ。李成桂琉球に使者を送る事に決めて、その年の冬、琉球に帰る船と一緒に、使者は琉球に向かった。翌年の夏、高麗の使者は琉球の使者と一緒に帰って来た。そのあとは一年おきに来ていたはずじゃ。中山王の察度が送った使者は四回で、四回目の時は高麗から朝鮮に変わり、李成桂が王様になっていたのう」
「察度は朝鮮に何を求めて、使者を送ったのでしょうか」
「人参(にんじん)(高麗人参)が欲しかったんじゃないのか。長生きするためにな」
「人参ですか‥‥‥」とサハチは唖然とした顔で五郎左衛門を見ていた。
 確かに察度は長生きをしていた。人参を食べて長生きしたのだろうか。
「人参を手に入れるには、朝鮮に使者を送るしかないからのう」
「人参を手に入れるために、わざわざ進貢船を使って朝鮮に来ていたのですか」
「進貢船で来たのは博多で取り引きをするためじゃろう。朝鮮の人参はついでで、博多の取り引きが本当の目的だったんじゃないのか。今川了俊琉球との取り引きで莫大な利益を上げている。九州探題を解任されたのも、琉球との取り引きが原因かもしれんな」
 ファイチはアランポー(亜蘭匏)の一族が朝鮮の使者となって、交易の儲けを奪い取っていたに違いないと言っていた。その時はよく意味がわからなかったが、ようやくわかった。アランポーは朝鮮に使者を送ると言いながら、博多で交易した儲けをそっくり奪い取っていたに違いなかった。
「察度の跡を継いだ武寧は三回、使者を送ってきた。そして、今回は武寧の跡を継いだサグルー(思紹)が使者を送ってよこすとはのう。サグルーが武寧を倒して、中山王になったと聞いた時は驚いたぞ。左衛門太郎からサグルーが無人島で若い者たちを鍛えていると聞いてはいたが、本当に中山王を倒すとは思ってもいなかった。大したもんじゃのう」
 父がヤマトゥ旅に出て、対馬に来た時、父が五郎左衛門と仲がよかったという事をサハチは思い出した。一緒に済州島(チェジュとう)に行って、アワビを捕ったり、可愛い現地の娘たちと遊んだと父から何度か聞いていた。
 サハチが五郎左衛門と話し込んでいる時、与之助はウニタキとファイチに連れられて交易船に行き、船内の様子をじっくりと調べていた。
 その夜、五郎左衛門はサハチたちを遊女屋に連れて行った。富山浦に遊女屋があるなんて驚いたが、その建物の立派さにさらに驚いた。遊女屋は八幡神社の近くにあった。八幡神社は二十二年前にもあったが、その周りの景色はすっかり変わっていた。八幡神社の隣りに空き地があって、そこで剣術の稽古をしたのだが、そんな空き地はどこにもなく、家々が建ち並んでいた。
 独特な朝鮮の着物を着た綺麗どころの遊女たちに迎えられ、サハチたちは大広間に案内された。
「早田家と琉球の付き合いは長い。わしの親父(早田次郎左衛門)が『一文字屋』に頼まれて鮫皮(さめがわ)を手に入れるために琉球に行ったのは、もう七十年近く前になる」と五郎左衛門は挨拶を始めた。
「親父は伊平屋島(いへやじま)に鮫皮を作る職人を置いて帰って来た。五年後、親父は再び伊平屋島に行き、鮫皮を手に入れた。そして、伊平屋島から一人の若者を対馬に連れて来た。サハチの祖父(じい)さんのイハチじゃ。イハチは博多の賑わいを見て驚き、琉球に帰ると伊平屋島の隣りの伊是名島(いぜなじま)で鮫皮作りを始めた。しかし、親父がいつになっても来ないので、イハチは伊是名島を追い出されて佐敷へと行った。その頃、親父は倭寇働きに忙しく、琉球に行ったのは五年後じゃった。今思えば、イハチが佐敷に行ったからこそ、今のサハチがいると言える」
 確かに五郎左衛門の言う通りだった。祖父が伊是名島にずっといたらサハチは生まれていなかった。祖父が大(うふ)グスク按司の娘を嫁にもらって父が生まれ、父が美里之子(んざとぅぬしぃ)の娘を嫁にもらってサハチが生まれたのだった。
「イハチは佐敷に移って鮫皮作りを続け、サミガー大主(うふぬし)と呼ばれるようになった。サミガー大主の息子、サグルーは佐敷按司となり、今では中山王になっている。早田家が今の様に繁栄したのも、イハチ、サグルー、サハチと三代のお陰と言えるんじゃ。そして、サハチの娘のユキが左衛門太郎の嫡男の六郎次郎と結ばれた。お互いに親戚となったわけじゃ。これからもお互いに協力し合って発展して行こうではないか。今晩はささやかながらお礼の印じゃ。充分に富山浦の夜を楽しんでくだされ」
 サハチは皆に促されて、挨拶を返した。
「二十二年前、わたしが富山浦に来たのは十六の時でした。倅(せがれ)のイハチと同い年でした。あの時、イトと仲よくなって、それが気に入らないという男に決闘を申し込まれて悩んでいた時、左衛門太郎殿に連れて来られたのです。左衛門太郎殿は密かにわたしの事を見守ってくれていたようです。言葉も通じない高麗の国にヒューガ(日向大親)殿と置いて行かれて心細かったのですが、五郎左衛門殿には大変お世話になりました。あの時、二十二年後にこうやって再会するなんて思ってもいませんでした。今回も五郎左衛門殿には色々とお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします」
 サハチが頭を下げると、
「なに、恩返しだと思ってくれ」と五郎左衛門は笑った。
 遊女たちがぞろぞろと現れて、男たちの前に座った。
「格好は朝鮮の娘じゃが、みんな、日本の娘たちじゃ」と五郎左衛門は言った。
「富山浦に来る船乗りたちは朝鮮の格好をしていた方が喜ぶんで、こういう格好をさせているそうじゃ」
 サハチの前に座った女は、ヨンニョと名乗った綺麗な女だった。派手な色の朝鮮の着物を優雅にまとって、髪には綺麗な髪飾りを付けていた。ただ、他の女たちと比べるとかなりの年増だった。最年長のヂャンサンフォンの前にいる女でさえ二十代に見えるのに、この女だけは三十代だった。
「わたしじゃご不満?」とヨンニョは笑いながら聞いた。
「とんでもございません。充分に満足しております」とサハチも笑った。
 ヨンニョはニヤニヤ笑いながら、「わたしはこの遊女屋の女将(おかみ)でございます。イトさんの弟子なのですよ」
「えっ?」とサハチは驚いた。
「イトさんに剣術を教わりました。イトさんが御一緒に来ていらっしゃるのに、若い娘を勧めるわけには参りません。ごめんなさいね」
「すると、土寄浦の出身なのですか」
 ヨンニョはうなづいた。
「どうして、富山浦で遊女屋をしているのです?」
「成り行きというか、運命というか、そんな感じですよ。わたしの父は何度か琉球に行っていました。サハチ殿の事も父から聞いていたのですよ」
「そうでしたか。イトの父親も琉球に行っていました」
「いい所だそうですね。わたしも行ってみたいわ。父が琉球から帰って来たら、わたしが生まれていたので、わたしはリュウと名付けられました。琉球リュウなのですよ」
リュウさんですか」と言いながら、サハチは高橋殿と同じ名前だと思い、高橋殿を思い出していた。
 今頃は京都に帰って来ただろうか‥‥‥
 来年もまた会いたいと思っていた。
 ヨンニョはサハチに琉球の事を色々と聞いてきた。サハチは朝鮮の料理をつまみながら、日本の酒を飲み、琉球の事を話していた。ヨンニョも一緒に飲んでいて、少し酔ったのか身の上話を始めた。
「わたしの夫は戦死しました。嫁いで二年も経たないうちに戦死してしまったのです。子供にも恵まれず、わたしは実家に帰されました。実家に帰ったわたしはイトさんと一緒に娘たちに剣術を教えておりました。それから何年か経って、お屋形様が家臣たちを引き連れて朝鮮に行ってしまいます。わたしはイトさんと一緒にお船に乗りました。イトさんが船越に移ってからは、お屋形様の妹のサキ様と一緒にお船に乗っていました。ある日、小さな浦に行った時、女の子が遊女屋に売られて行くのを見てしまったのです。土寄浦や船越は琉球との交易のお陰で、それほど貧しい人はおりません。でも、小さな浦々では、子供を売らなければ食べていけない人たちもいたのです。わたしは貧しい子供たちの面倒を見なければならないと思いました。わたしが貧しい子供たちを買い取って、遊女屋をやろうと思ったのです」
「どうして、急に遊女屋をやろうなんて思ったのです? 遊女屋なんて行った事もなかったのではありませんか」
 ヨンニョはうなづいて軽く笑うと、
「どうして、そんな事を思ったのか、わたしにもよくわからないのです」と言った。
「多分、母の影響だと思います。母は博多の遊女でした。一流の遊女で、歌を詠み、お琴を弾いて、見事な舞を舞い、様々な事を知っていました。母のような遊女を育てたいと思ったのかもしれません。わたしは母に相談しました。母は反対しましたが、わたしの決心は堅く、何とか母を説得して、遊女屋の事を色々と教わりました。博多の遊女屋で一年間、仲居として働き、五郎左衛門様の援助を受けて富山浦に店を持つ事ができたのです」
「そうだったのですか‥‥‥」
 ウニタキもファイチもヂャンサンフォンもジクー禅師も楽しそうに遊女たちと話をしていた。ンマムイとクサンルーも楽しそうだが、イハチは緊張しているようだった。無理もない。遊女屋に入ったのも初めてだろう。イハチの相手は初々しい可愛い娘だった。与之助も楽しそうに笑っていた。遊女屋には来ないだろうと思ったが、意外にも付いて来た。何よりも船が好きだが、女も嫌いではないようだ。
 みんなの事をヨンニョに頼んで、サハチは五郎左衛門と一緒に遊女屋をあとにした。
「あの女将は尾崎左兵衛(おさきさひょうえ)の娘なんじゃよ」と五郎左衛門は歩きながら言った。
「何度か琉球に行っているから、そなたも知っているじゃろう。琉球ではウサキと呼ばれていると言っておったな」
「えっ、ウサキの娘さんなのですか」
 サハチが子供の頃、ウサキはサンルーザ(早田三郎左衛門)、クルシ(黒瀬大親)と一緒に琉球に来ていた。サイムンタルー(早田左衛門太郎)が琉球に来るようになってからは来なくなった。クルシからウサキはサンルーザと一緒に倭寇働きをしていると聞いていた。イトの父親と同じような水夫(かこ)かと思っていたら、早田家の重臣であるウサキの娘だったとは驚きだった。
「わしの遊び仲間でな。若い頃はいつも一緒に遊んでいたんじゃ。奴の最初のかみさんは、奴が琉球に行っている時に出産に失敗して亡くなってしまったんじゃ。毎日、ふさぎ込んでいた奴を博多の遊女屋に連れて行ったのはわしなんじゃよ。そこで、女将の母親と出会って、奴は惚れちまった。遊女屋通いを続けて、身請けして妻に迎え、女将が生まれたんじゃよ」
「そうだったのですか‥‥‥」
 ヨンニョは母親は一流の遊女だと言っていた。考えてみれば、水夫がそんな高級な遊女屋に行けるはずはなかった。
「ウサキさんは今、どこにいるんですか」とサハチは聞いた。
「もう二十年も前に戦死してしまった」
「えっ!」と言って、サハチは五郎左衛門を見つめた。ウサキが戦死していたなんて、まったく知らなかった。
「親父さんが戦死して、旦那も戦死した。船乗りになって頑張っていたんじゃが、運命というものなんじゃろうのう。遊女屋をやると言い出すなんて思ってもいなかった。大した女じゃよ。左兵衛の奴も、娘が遊女屋をやっていると知ったら腰を抜かす事じゃろう」
 子供の頃、ウサキの刀を借りて、初めて刀を鞘(さや)から抜いた時の事が鮮明に思い出された。刀は思っていたよりもずっと重くて、刀の刃は鋭く光っていた。ちょっと触れただけでも切れそうで、恐ろしくなって、サハチはすぐに鞘に納めてウサキに返した。
「初めて刀を手にした時は、誰でも恐ろしいと思うもんだよ」と言って笑ったウサキの顔がはっきりと思い出された。
「おーい、わしを置いて行くな」とジクー禅師が追いかけてきた。

 

 

 

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