長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-56.渋川道鎮と宗讃岐守(改訂決定稿)

 サハチ(琉球中山王世子)たちは『倭館(わかん)』に向かっていた。
 早田(そうだ)五郎左衛門、早田六郎次郎、ジクー(慈空)禅師と一緒だった。遊女屋に泊まった者たちはまだ帰って来ていなかった。
 五郎左衛門は朝鮮(チョソン)の官服(かんぷく)を着ていた。その官服は明国(みんこく)の官服によく似ていた。その姿を見て、サイムンタルー(早田左衛門太郎)も官服を着て、倭寇(わこう)の取り締まりをしているのだろうと思った。
 『倭館』は山の裾野の森だった所を切り開いて造ったようだ。五年前、北山殿(きたやまどの)(足利義満)が朝鮮に使者を送り、日本と朝鮮の交易が始まった。日本からの使者が度々来るようになって、宿泊施設を作る事に決まり、四年前に富山浦(プサンポ)(釜山)の倭館は完成したという。石垣で囲まれた倭館は明国泉州(せんしゅう)の『来遠駅(らいえんえき)』に似た造りだった。
 倭館の守備兵たちは五郎左衛門を見ると敬礼して出迎え、門番も何も言わずに中に入れてくれた。五郎左衛門の地位はかなり高いようだった。
 広い敷地内にはいくつも建物が建っていて、右側にある建物の前の庭では武術の稽古をしている琉球の兵たちの姿があった。又吉親方(またゆしうやかた)も外間親方(ふかまうやかた)も元気そうなので、サハチは安心した。五郎左衛門は琉球の兵たちの方へは向かわず、反対側に建つ屋敷に向かった。
 瓦葺(かわらぶ)きの二階建ての屋敷だった。屋根を見上げながら、瓦を焼く職人を連れて帰らなくてはならないなとサハチは思った。
 屋敷の入り口にヤマトゥ(日本)のサムレーが二人立っていて、一人のサムレーが、「皆様、お待ちになっております」と五郎左衛門に言って案内に立った。なぜか、もう一人のサムレーもついて来た。
 サムレーに従って正面にある階段を登って二階に行くと、何部屋もある中の一部屋の前に二人のサムレーが立っていた。案内して来たサムレーはその部屋の前で立ち止まって、部屋の中に声を掛けた。部屋の中から返事が聞こえて、頭を丸めた僧が現れた。
「津島屋殿、ようこそ」と僧は言って、「おや、船越の若殿も御一緒か」と六郎次郎を見て笑った。
 サハチとジクー禅師もちらっと見たが、僧は何も言わなかった。
 部屋の中には四人の男がいて、僧以外の三人は長卓の向こう側に座っていた。
 五郎左衛門はサハチたちに、男たちを紹介した。九州探題の渋川道鎮(どうちん)(満頼)、対馬守護(つしましゅご)の宗讃岐守(そうさぬきのかみ)(貞茂)、宗讃岐守の家臣の平道全(たいらどうぜん)、博多の妙楽寺の僧、宗金(そうきん)だった。
 渋川道鎮はサハチと同年配に見え、宗讃岐守は四十代の半ば、平道全はサハチより二つ三つ年下、宗金は三十前後に見えた。平道全は五郎左衛門と同じように朝鮮の官服を着ていて、朝鮮の都、漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に住んでいるという。
 五郎左衛門がサハチとジクー禅師を四人に紹介すると、
「噂は父上から聞いている」と渋川道鎮が言った。
「『七重の塔』で将軍様足利義持)とお会いになったそうじゃな。高橋殿を味方に付けて、将軍様にお会いになるとは大したもんじゃよ」
 渋川道鎮はそう言って笑った。嫌みな笑いではなく、本当に楽しそうな笑いだった。
「わしらは恐ろしくて、高橋殿に近づく事もできんわ。その高橋殿のお屋敷に滞在しておったとはのう。父上から話を聞いた時は腰を抜かすほどに驚いたわ」
 渋川道鎮の妻が勘解由小路(かでのこうじ)殿の娘だとサハチは思い出した。父上とは勘解由小路殿(斯波道将)の事だった。
「高橋殿が琉球の事に興味を示して、わたしどもが呼ばれたのです」とサハチは答えた。
「そうじゃろうの」と道鎮はうなづいて、「まあ、座ってくれ」と言った。
 サハチたちは道鎮たちに向かい合って腰を下ろした。
「そなたは一番いい時期に来られたんじゃ」と道鎮は言った。
「北山殿(足利義満)が突然にお亡くなりになられて、明国との交易が危うくなってきたんじゃ。将軍様が明国の皇帝から日本国王冊封(さくほう)されるわけにはいかんのじゃよ。将軍様が跡継ぎ殿に将軍職を譲って出家なされば、北山殿のように日本国王になられても構わんとわしは思うのじゃが、跡継ぎ殿はまだ三歳なんじゃよ。三歳の将軍様では国をまとめる事もできん。どうしたらいいものかと父上が悩んでいた時、そなたがやって来たというわけじゃ。わしからもよろしくお願いする。毎年、博多にやって来てくれ。博多から京都までは、わしが責任を持って送り届ける」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」とサハチは道鎮に言った。
「富山浦(プサンポ)には早田(そうだ)殿の船で来られたのか」と宗讃岐守が聞いた。
「はい。船越から参りました」
「早田殿とは古い付き合いのようじゃのう」
「祖父の時代から交易を続けております。その頃、わたしの父は按司(あじ)でもありませんでした。やがて、佐敷に小さな城を築いて按司となり、近くにあった島添大里(しましいうふざとぅ)の城を奪い取って、島添大里按司になり、先代の中山王(ちゅうさんおう)を倒して、中山王となったのです」
「ほう。早田殿は先見の明があったんじゃのう」
「わしが琉球に行った時、丁度、戦(いくさ)が終わった頃で、佐敷按司が島添大里グスクを奪い取ったと噂が流れておりました。佐敷按司の事を知っている者も少なく、皆が驚いておりました」
 平道全がそう言って、サハチを見て笑った。何となく不気味な笑いだった。
「朝鮮に使者を送って来た目的は、やはりあれですか」と宗金がニヤニヤしながらサハチに聞いた。
 あれと言われてもサハチにはわからなかったが、すぐにひらめいて、「あれです」と言って笑った。
「なに?」と平道全が言って宗金を見てから、「琉球には寺院と呼べるのは護国寺しかなかったが、やはり、あれが欲しいのか」とサハチに聞いた。
 サハチは平道全の言葉で、あれとは『大蔵経(だいぞうきょう)』の事だなと気づいた。人参(にんじん)の事かと思っていたのだった。
「道全殿が琉球に行かれた時、中山王の都は浦添(うらしい)でしたが、今の都は首里(すい)です。首里の都はまだ建設中で、これから首里十刹(じっさつ)を建てるつもりでおります。大蔵経は勿論の事、仏像も賜わりたいと思っております」
首里とはどこなんじゃ?」
「浮島(那覇)を望む高台にあります。ご存じないとは思いますが、昔、首里天閣(すいてぃんかく)という楼閣が建っておりました」
「おう、あそこか」と平道全は思い出したようにうなづいた。
「そう言えば、中山王(武寧)が新しいグスクを築くとアランポー(亜蘭匏)殿が言っておったのう。アランポー殿はお元気ですか」
 サハチは首を振った。
「先代の中山王が滅ぼされた時に、逃げたようです」
 サハチがそう言うと、平道全は急に大笑いした。
「あくどい事をしておったようじゃからのう。稼いだ財宝を持って明国に逃げおったか」
「ところで、大蔵経と仏像は手に入るでしょうか」とサハチは誰にともなく聞いた。
「仏像は手に入るじゃろうが、大蔵経は難しいな」と宗讃岐守が言った。
大蔵経を手に入れるために、誰もが、倭寇に連れ去られた者たちを朝鮮に返しているんじゃが、未だに、すべてを手に入れた者はおらんのじゃ。朝鮮も小出しに出しているようじゃな。わしらは大蔵経に踊らされているようじゃ」
 宗讃岐守は笑った。気味の悪い笑いだった。
「そなたの父上だが、朝鮮でうまくやっているようじゃのう」と平道全が六郎次郎に言った。
「すっかり朝鮮に落ち着いてしまったようじゃ。そなたも知っていると思うが、そなたの父上は朝鮮では林温(イムオン)と呼ばれておる。林温将軍(チャングン)の評判はいい。地元の者たちにも尊敬されて、王様(李芳遠)も頼りにしておる。もう対馬に帰る事もあるまい。朝鮮の将軍として終わる事じゃろう。そなたは知らんじゃろうが、朝鮮に家族もおるんじゃよ」
 六郎次郎は平道全を見つめたまま何も言わなかった。
「さて、わしらはそろそろ引き上げよう」と渋川道鎮が言った。
「あとの事は『津島屋』に任せる。よろしくお願いいたす」
 サハチたちは四人と別れ、琉球の者たちがいる宿舎に向かった。
「平道全の言った事は気にするな」と歩きながら五郎左衛門が六郎次郎に言った。
「大丈夫です」と六郎次郎は答えたが、悔しそうな顔をしていた。
「宗讃岐守はわしらが邪魔なんじゃよ」と五郎左衛門はサハチに言った。
「左衛門太郎が対馬に帰って来なければいいと願っておるんじゃ。宗讃岐守はわしらが中山王とつながっているのを知って、山北王(さんほくおう)とつながろうとしている。山北王のもとには妙楽寺の僧で、宗安というのがいるらしいが御存じかな?」
「いいえ、知りません」
「そうか。そいつの手引きで、讃岐守は宗金と組んで、琉球に船を送ったんじゃ」
「宗金という僧は商人なのですか」
「商人の真似事を始めたようじゃな。奴は朝鮮の言葉がしゃべれるんじゃよ。詳しい事は知らんが、母親は高麗人(こうらいじん)だったのかもしれんな。朝鮮の言葉がしゃべれるんで、九州探題の通事(つうじ)(通訳)となり、使者を務めたりもしている。朝鮮との交易で稼げる事を知って、商売に手を出したというわけじゃ」
「讃岐守は早田氏を倒そうとしているのですか」
「やがてはそうなるじゃろうな。今はまだ時期が早い。奴が対馬に本腰を入れたのはつい最近の事なんじゃよ。讃岐守は筑前(ちくぜん)(福岡県)の守護代として、筑前守護の少弐(しょうに)氏に仕えておるんじゃ。九州にいて、先代の九州探題今川了俊(りょうしゅん)と戦っておったんじゃよ。今川了俊対馬の守護でもあって、仁位(にい)にいる宗氏の分家が守護代を務めていた。今川了俊九州探題を解任されて九州からいなくなると、仁位の分家は対馬の守護になった。しかし、讃岐守が仁位の分家を攻めて、自ら対馬守護となり、志多賀(したか)に守護の館(やかた)を建てて、父親の霊鑑(れいかん)を守護代として守らせたんじゃ。それが十年ほど前の事じゃ。それから三年後、仁位の分家が志多賀を攻めて霊鑑を追い出した。讃岐守は再び仁位の分家を攻めて、守護の座を取り戻し、今度は佐賀(さか)に守護の館を建てたんじゃ。その時、分家の者たちと話し合って、讃岐守の家系が守護、仁位の分家が守護代に就くと決めたらしい。話が付くと讃岐守は九州に戻って、少弐氏のために九州探題の渋川道鎮と戦った。さっきは仲よく一緒に座っておったが、あの二人は五年前まで敵同士だったんじゃよ」
「敵同士が同盟を結んだのですか」
「いや、同盟は結んではおらん。休戦中と言った所かのう。少弐氏というのは太宰府(だざいふ)の役人で、一時は北九州一帯を支配していた事もあったという。蒙古(もうこ)が攻めて来た時(元寇)も先頭に立って戦い、討ち死にしている。南北朝の時代には南朝懐良親王(かねよししんのう)に太宰府を奪われ、その後、九州探題今川了俊太宰府を奪い取った。少弐氏は太宰府を奪い返すために、渋川道鎮とも戦っていたんじゃ。道鎮と組んでいた大内氏(義弘)が泉州堺の戦(応永の乱)で戦死したので、勢力を盛り返していたんじゃが、少弐氏の当主が突然、病死してしまったんじゃよ。跡継ぎはまだ十歳だったという。讃岐守は途方に暮れたじゃろうのう。そんな時、北山殿が朝鮮と交易するために使者を送る事になった。朝鮮に使者を送るには対馬の協力が必要じゃ。讃岐守は北山殿から正式に対馬守護に任じられて、九州探題の渋川道鎮と協力して、朝鮮に使者を送るように命じられたんじゃ。讃岐守としても今の状況では、道鎮と戦う事もできん。しばらくは休戦して、軍資金を稼ごうと考えたわけじゃな。北山殿が亡くなってしまったので、この先どうなるかわからんが、今の所は道鎮と組んで、朝鮮との交易を重視しているようじゃ。まだ、わしらと張り合うほどの力は持っていない」
 武術の稽古をしている琉球の兵たちの近くに行くと、外間親方が駆け寄って来て、
按司様(あじぬめー)、御無事でしたか。心配しておりましたよ」と言って、よかったというようにうなづいた。
「京都では、予想以上にうまくいったよ」とサハチは笑った。
 外間親方の案内で、サハチたちは使者たちがいる部屋に向かった。途中でクグルーと出会った。クグルーは驚いた顔してサハチを見つめて、「按司様」と言った。
「よかった。無事だったのですね」と言ったあと、「みんなも来ているのですか」とクグルーはサハチに聞いた。
「ああ、『津島屋』さんのお世話になっている」
「そうでしたか。みんなに会いたいですよ」
「ここから出る事はできるのか」と聞くと、
「出入りは自由じゃよ」と五郎左衛門が答えた。
「それじゃあ、あとで会いにくればいい」とサハチはクグルーに言った。
 使者たちの部屋には新川大親(あらかーうふや)と本部大親(むとぅぶうふや)、早田藤五郎とクルシ(黒瀬大親)もいて、朝鮮の絵地図を見ていた。サハチの顔を見ると、皆が無事を喜んだ。
 サハチは京都での出来事を話して、来年からヤマトゥに使者を送る事を告げた。そして、朝鮮への使者も来年も送り、朝鮮からは経典と仏像を賜わるように頼んだ。
「宗金という僧から朝鮮の都の事を色々と聞いた」とクルシが言った。
「宗金は九州探題の使者として何度も都に行っているらしい。使者がどういう風にして、朝鮮の王様に会うのか詳しく教えてもらって、みんなにも話した。宗金が言うには、前例があるから大丈夫じゃろうと言っていた。朝鮮という国は何でも前例に従って、物事を行なっているそうじゃ。初めての出来事に出会うと戸惑って、なかなか事が運ばないが、前例があれば、すんなりと行くだろうと言っておった」
「うまく行く事を祈っています」
按司様は都には行かないのか」
「行きます。どんな所だか見て来ますが、別行動を取るつもりです」
「そうか」とクルシは笑った。
「都に行く許可が下りたら都に向かいますが、都に行くのは警固兵を入れて四十人ほどになります。それとは別に五郎左衛門殿が兵二十と荷物運びの人足たち二十人を付けてくれるとの事です」と新川大親が言った。
「五郎左衛門殿も一緒に行かれるのですか」とサハチは五郎左衛門に聞いた。
「それがわしの仕事なんじゃよ」と五郎左衛門は笑った。
「察度(さとぅ)の時は、この辺りを守っていた朝鮮の兵が都まで護衛をして行ったが、武寧(ぶねい)の時は、わしが富山浦を任される事となって、わしが護衛して都まで連れて行ったんじゃよ。琉球の使者だけではない。将軍様の使者や大内氏の使者、志佐壱岐守(しさいきのかみ)殿の使者たちも、わしが護衛して都まで連れて行く。最近はやたらと忙しいわい」
「そうだったのですか。それは大変ですね」
「なに、倭寇働きをしていると思えば、何でもない事じゃよ」
「わしらが都に行っている間、倭館では朝鮮の商人たちとの交易があるそうです」と新川大親が言った。
「ほう、明国と同じだな」とサハチが言うと、
「明国と違うのは朝鮮には銭がない事じゃな」と五郎左衛門が言った。
「それと、都までの道のりじゃが、道はかなりひどいぞ。川には橋もないし、渡し舟があっても、今にも沈みそうな筏船(いかだぶね)じゃ。それに朝鮮には荷車がないので、荷物は馬の背に載せるか、人足たちがかついで運ぶ事になる。寝泊まりする場所と食事は朝鮮で用意をするが、楽な旅ではない。辛い旅になると思うが覚悟しておいてくれ」
「どうして荷車がないのです」とサハチは不思議に思って聞いた。
「木を曲げて車を作る技術がないようじゃな。それに、荷車があったとしても道がひどくて通る事はできんじゃろう。雨が降れば、道はぐちゃぐちゃになってしまうし、水たまりだらけになる。雨が降ったらやむまで待つしかないんじゃよ」
「そんなにもひどいのですか」
「高麗から朝鮮に変わっても中身は何も変わっておらん。結局、この国は都に住んでいる両班(ヤンバン)のためだけにある国なんじゃ」
「ヤンバンとは何です?」
両班とは文官と武官の事じゃ。日本では武士は文武両道を建前としているので、文官と武官に分かれてはおらん。朝鮮は古く唐(とう)の時代から唐の制度を見習い、文官と武官は分かれていた。政治をするのが文官で、戦をするのが武官じゃ。本来は文官も武官も官職に過ぎなかったのじゃが、長い歴史において、過去に文官や武官を出した家柄は特別な身分と見られるようになって行き、庶民たちの上に立って、庶民たちから当然のように搾取(さくしゅ)するようになっていったんじゃ。この国には奴婢(ノビ)という奴隷(どれい)がいる。両班は奴婢を所有して、労働は奴婢にやらせ、自分たちは何もせずに暮らしている。両班の者たちは今の状況に満足しているんじゃ。世の中を良くしようなどとは決して思わんのじゃよ。道なんか通れればそれでいいと思っているし、荷車なんかなくても奴婢がかついで行けばいいと思っているんじゃ」
 そう言って、五郎左衛門は苦々しい顔をして首を振った。
 サハチたちは藤五郎、クルシ、クグルー、マウシを連れて津島屋に帰った。
 クグルーとマウシは共に苗代大親(なーしるうふや)の娘を嫁にもらった義兄弟だった。クグルーは島添大里(しましいうふざとぅ)のサムレーで、マウシは首里(すい)のサムレーだったので、義兄弟とはいえ会う機会は少なかった。今回、共に旅をして仲よくなったようだった。
「お前、抜け出して大丈夫なのか」とサハチがマウシに聞くと、
「普段、真面目に務めているので、隊長が許可してくれました」とマウシは笑った。
「そうか。頑張っているようだな」とサハチも笑ってうなづき、「お前は漢城府まで行くのか」と聞いた。
「はい、行く事になりました」
「そうか。使者たちをしっかりと守ってくれ」
 真面目な顔をしてうなづいたマウシは、以前に比べて頼もしくなったように思えた。
 遊女屋に泊まった者たちは部屋でごろごろしていて、クルシとクグルー、マウシとの再会を喜んだ。ササたちはどこに行ったのか、姿が見えなかった。
 夕方に帰って来たササたちは朝鮮の着物を着ていた。
「ねえ、似合うでしょ」とササは嬉しそうに言った。
 不思議とよく似合っていた。
「似合うよ。朝鮮の美人(ちゅらー)だな。美人が揃ってどこに行っていたんだ」
「ソラとウミに案内してもらって、隣りの島に行って来たのよ」
 ソラとウミというのは五郎左衛門の娘婿、浦瀬小次郎の双子の娘だった。十七歳の娘たちで、どっちがどっちだかわからないほどよく似ていた。
スサノオの神様がここにも来ていたのよ」とササは言った。
「まさか?」とサハチが言うと、
「本当なのよ」とササは真剣な顔付きで言った。
「どうして、スサノオの神様が朝鮮に来るんだ?」
「その頃は朝鮮じゃなかったわ。カヤという国だったのよ。カヤでは鉄を作っていたの。スサノオの神様はカヤから鉄を作る技術者をヤマトゥに連れて行ったのよ」
「鉄か‥‥‥」
「鉄というのはそんなに古くからあったのか」
琉球に鉄が来るのは遅かったけど、スサノオの神様は鉄の力でヤマトゥの国を統一したのよ」
「そうか、鉄だったのか‥‥‥」
 琉球に鉄を持って来たのは奥間(うくま)の鍛冶屋(かんじゃー)だったのだろうか、とサハチは思った。奥間鍛冶屋が琉球に来たのは今帰仁(なきじん)グスクができる前だとクマヌ(中グスク按司)は言っていた。
スサノオの神様は鉄でヤマトゥの国を統一したけど、今は何があれば琉球を統一できるの?」とササが聞いた。
 サハチは少し考えて、「火薬だな」と言った。
「火薬って?」
鉄炮(てっぽう)(大砲)っていう凄い武器があるんだけど、火薬の力で鉄の玉を飛ばすんだ」
鉄炮の事はサワさんから聞いたわ。土寄浦(つちよりうら)が鉄炮にやられて全滅したって」
「そうだ。その武器があれば琉球を統一できるだろう」
「朝鮮からもらえば?」
「朝鮮にしろ、明国にしろ、鉄炮と火薬は国外に出してはならない物なんだよ」
「そうなんだ‥‥‥もしかしたら、鉄も昔はそうだったんでしょうね。スサノオの神様はどうやって持ち出したのかしら?」
「今度、スサノオの神様に詳しく聞いてくれよ」とサハチが言うと、ササは首を振った。
「ここにはスサノオの神様はいないわ。いたという形跡があるだけ。対馬と同じよ。京都に行かなければスサノオの神様には会えないわ」
スサノオの神様はどうして京都にいるんだ?」
「奥さんが京都にいるからじゃないの」
豊玉姫(とよたまひめ)か」
豊玉姫様は京都にいないわ。豊玉姫様よりも先に奥さんになった稲田姫(いなだひめ)様よ」
スサノオの神様には奥さんが二人いたのか」
「もっといたんじゃないの。王様だったんだから」
「いい身分だな」
按司様だって、そのうち、いい身分になれるじゃない」
「いい身分になっても、マチルギは怖いよ」
 ササはサハチを見て、ケラケラ笑った。
「もしかしたら、スサノオの神様も稲田姫様が怖くて、京都にいるのかもね」
 サハチたちは次の日、朝鮮の都、漢城府に向かった。

 

 

 

大蔵経全解説大事典   世界を変えた火薬の歴史