長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-61.英祖の宝刀(改訂決定稿)

 サハチ(島添大里按司)たちがヤマトゥ(日本)と朝鮮(チョソン)に船出した日から七日後の五月四日、豊見(とぅゆみ)グスクで毎年恒例の『ハーリー』が行なわれた。思紹(ししょう)(中山王)は王妃を連れて出掛けて行った。従ったのは馬天(ばてぃん)ヌルと五人の女子(いなぐ)サムレー、護衛の兵が十人だった。敵の襲撃を考えて、全員が馬に乗って出掛けた。
 佐敷のお祭りの時に髪も髭も剃ってしまった思紹は、その後、髪を伸ばす気はないようで、坊主頭に中途半端に伸びた髭面に、ヤマトゥのサムレーが着る直垂(ひたたれ)姿で馬に跨がっていた。王妃はこの日のために用意したきらびやかな着物に袴をはいて馬に跨がり、女子サムレーたちもいつもより華やかな着物を着ていた。馬天ヌルは白い鉢巻き、白い着物に白い袴姿で馬に跨がり、扇子を手に持ち、胸には大きなガーラダマ(勾玉)が光っていた。
 思紹たちは豊見グスクでシタルー(山南王)に大歓迎され、豊見グスク按司(太郎思)の妻のマチルーは両親の来訪に大喜びした。ハーリーの儀式のために来ていた島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌル(ウミカナ)は馬天ヌルとの再会を喜び、馬天ヌルを誘って儀式を執り行なった。島尻大里ヌルはシタルーの妹で、島添大里(しましいうふざとぅ)ヌルだった時、馬天ヌルに命を助けられていた。その儀式には豊見グスクヌル(シタルーの娘)と李仲(リーヂョン)ヌル(李仲按司の娘)も加わっていて、豊見グスクヌルも馬天ヌルとの再会を喜んでいた。
 サハチが言った通り、開放された豊見グスクの中は子供たちだらけで、思紹も王妃も驚いていた。
「孫たちも連れてくればよかったわね」と王妃は言ったが、思紹は素直にうなづく事はできなかった。
 階段状の物見台の脇にある仮小屋では南部西方(いりかた)の按司(あじ)たちが酒を飲んでいて、思紹と王妃を冷たい目付きで眺めていた。
 南部西方の按司たちが思紹を見るのは初めてだった。十七年前に隠居して坊主になったというのは噂で知っている。その後、何をしていたのかは誰も知らない。隠居した佐敷按司が何をしているかなんて、誰に取ってもどうでもいい事だった。七年前、佐敷按司(サハチ)は島添大里グスクを奪い取った。長い籠城戦(ろうじょうせん)のあと、戦(いくさ)は終わったとホッとしていた敵の隙を狙って奪い取ったのだった。その戦に隠居した佐敷按司が参戦していた事など誰も知らないし、三年前に首里(すい)グスクを奪い取った戦に、総大将として指揮を執っていた事も知らない。島添大里按司(サハチ)が中山王(ちゅうざんおう)になるものと思っていたのに、なぜか、隠居していた思紹が中山王になった。誰もが、思紹は飾りに過ぎない。本当の中山王はサハチだと思っていた。
 シタルーは思紹たちを按司たちのいる仮小屋には案内せずに、別の仮小屋に案内した。
「申しわけありません。せっかく来ていただいたのに、いやな思いをさせてしまったようです」
「それは仕方のない事じゃ」と思紹は笑った。
 シタルーは思紹たちを酒と料理でもてなしてくれたが、危険だと言って、物見台には連れて行かなかった。ハーリーを見る事もできず、何のために来たのかわからなかった。ただ、マチルーの四人の子供たちに会えたのはよかった。初めて会ったにもかかわらず、四人の孫たちは思紹と王妃をお爺、お婆と呼んで馴染み、二人は目を細めて孫たちと遊んでいた。
 今年は中山王の龍舟(りゅうぶに)が加わって、山南王(さんなんおう)、久米村(くみむら)、若狭町(わかさまち)、小禄(うるく)の五艘の競争となり、優勝したのは小禄で、中山王は惜しくも二着だった。
 シタルーは何度も謝って、来年は代理の者をここに送っても構わないが、龍舟は来年も参加してほしいと頼んだ。思紹は来年も龍舟を出すと約束して、豊見グスクをあとにした。敵の襲撃もなく無事に首里に帰った。勿論、苗代大親(なーしるうふや)とイーカチ(三星党副頭)は周到な護衛を付けていた。
 五月の半ば、普請中の与那原(ゆなばる)グスクに玉グスクの石屋が加わって石垣作りを始めた。与那原大親になったマタルーから石垣の事で相談を受けた思紹は、イーカチと話し合って玉グスクの石屋に頼む事に決めたのだった。玉グスクの石垣の修繕も終わったので、どうぞ、使ってくれと玉グスク按司は快く承諾してくれた。
 玉グスクの石屋がシタルーとつながっている事はイーカチは知っている。しかし、石屋を味方に付けるには石屋の事を知らなければならない。イーカチは配下の者を人足(にんそく)として与那原グスクに入れて、石屋についての情報を得ようとしていた。
 同じ頃、今帰仁(なきじん)では山北王(さんほくおう)(攀安知)の弟の湧川大主(わくがーうふぬし)が、進貢船(しんくんしん)に兵を乗せて奄美大島(あまみうふしま)に向かっていた。去年、攀安知(はんあんち)が徳之島(とぅくぬしま)を平定して凱旋(がいせん)して来たので、兄貴に負けるものかと張り切っていた。
 サハチたちが京都の高橋殿の屋敷にお世話になっていた七月の初め、三姉妹の船が今年も二隻でやって来た。一隻は明国(みんこく)の商品を積み、もう一隻は旧港(ジゥガン)(パレンバン)の商品を積んでいた。今年もメイファン(美帆)は来ないで、メイリン(美玲)、メイユー(美玉)、リェンリー(怜麗)、ユンロン(芸蓉)の四人だった。
 ファイチ(懐機)の家族も無事に帰って来た。生まれ故郷を見てきた息子のファイテ(懐徳)と娘のファイリン(懐玲)の目は輝いていた。龍虎山(ロンフーシャン)の祖父母に歓迎されて、楽しい時を過ごして来たのだろう。ウニタキ(三星大親)の妻のチルーが子供たちを連れて迎えに来ていて、一緒に島添大里に帰って行った。
 ファイチの家族は首里の新しい屋敷に一年ほど住んでいたが、島添大里の屋敷に戻っていた。ウニタキの家族と仲よく付き合っていて、ウニタキの家族が島添大里にいるので戻ったのだった。それに、妻のヂャンウェイ(張唯)も子供たちも馬天浜が気に入っていた。島添大里にいた頃はよく遊びに行っていたのに、首里からは遠かった。
 マチルギと佐敷ヌルの歓迎を受けて、メイユーたちはメイファンの屋敷に入った。今年もメイユーはリェンリーと一緒に旧港まで行って来たが、倒れる事はなく元気だった。
 旧港で手に入れたと言って、メイユーは孔雀(コンチェ)という綺麗な大きな鳥をマチルギに贈った。檻の中に入っている大きな鳥は羽を広げると鮮やかな扇子のように綺麗で、こんな鳥がこの世にいるなんて信じられなかった。マチルギも佐敷ヌルもあまりの驚きに声も出なかった。
「みんなにも見せましょう」と佐敷ヌルが言って、オスとメスのつがいの孔雀は首里グスクの北曲輪(にしくるわ)に置かれ、庶民たちに開放した。噂が噂を呼んで、孔雀を見るために大勢の人がやって来た。苗代大親は急遽、兵を配置して人々の整理に当たった。
 マチルギは佐敷ヌルと一緒にメイユーたちを久高島(くだかじま)に連れて行った。フカマヌルに歓迎され、フボーヌムイ(フボー御嶽)でお祈りをして、海に入って遊んだ。佐敷ヌルは神様に引き留められて、三日間、フボーヌムイに籠もった。
 神様は佐敷ヌルに前回よりも詳しく琉球の歴史を語り、英祖(えいそ)(浦添按司)の時代に鎌倉の将軍様から贈られた三つの宝刀を探し出せと言った。三つの宝刀は太刀(たち)と小太刀(こだち)と短刀で、三つ揃って『千代金丸(ちゅーがにまる)』と呼ばれる。英祖は琉球を統一するために、子供たちに守り刀として、それらの刀を渡して各地に派遣した。琉球を統一すれば、それらの刀は浦添(うらしい)に戻って来るはずだった。しかし、琉球を統一する前に、英祖は亡くなってしまい、三つの刀が揃う事はなかった。琉球を統一するには、その三つの刀を揃えなければならないと神様は言った。
「その刀はどこにあるのですか」と佐敷ヌルが神様に聞いたら、「それを探すのがお前の使命だ。兄のためにやり遂げなさい」と言われた。
 久高島から帰った佐敷ヌルは馬天ヌルに相談した。
「英祖様の宝刀?」と馬天ヌルは驚いた顔をして佐敷ヌルを見つめた。
 馬天ヌルは今まで、そんな話を神様から聞いた事もなかった。
「英祖様が鎌倉から贈られたって言ったわね?」と馬天ヌルが聞くと、佐敷ヌルはうなづいた。
「英祖様はヤマトゥに船を送って鎌倉の将軍様と交易をしていたようです。その頃、鎌倉では大仏様を造っていて、大量の宋銭(そうせん)を英祖様が鎌倉に贈って、そのお礼として三つの宝刀をいただいたようです」
「銅銭を溶かして、大仏様を造ったの?」
「そうみたいです」
「その三つの刀を見つけ出さないと琉球の統一はできないって言うのね?」
「神様はそうおっしゃいました」
 馬天ヌルは少し考えた。
「以前、先代のサスカサ(運玉森ヌル)さんから聞いたんだけど、あのフボーヌムイにはサスカサ系とフカマヌル系の二種類の神様がいらっしゃるらしいわ。サスカサ系は二百年以上も前から久高島にいる大里(うふざとぅ)ヌルの御先祖様たちよ。フカマヌル系は英祖様の娘のチフィウフジン(聞得大君)様が久高島のウミンチュ(漁師)と結ばれて、産まれた娘が初代のフカマヌルになって、今のフカマヌルの御先祖様たちなの。サスカサ系の神様は島添大里との関係は勿論だけど、首里にあった真玉添(まだんすい)や運玉森(うんたまむい)のヌルたちとも関係があるのよ。フカマヌル系は英祖様と玉グスクとも関係があるらしいわ。あなたがお話しした神様はフカマヌル系の神様だったのよ」
「英祖様の孫娘の初代フカマヌル様だったのかしら」
「初代のフカマヌル様は浦添で育ったので、鎌倉の宝刀の事は知っていた。でも、久高島に来たので、宝刀の行方は知らないのかもしれないわね」
浦添に行けば何かがつかめそうね」と佐敷ヌルは期待に胸を膨らませた。
「叔母さん(馬天ヌル)は『ティーダシル(日代)の石』を探しているし、ササは『スサノオの神様』の事を調べているし、あたしも何かがしたかったのよ。やっと、神様があたしにお仕事をくれたのね」
 佐敷ヌルはメイユーを誘って、馬に乗って浦添に向かった。
 浦添ヌルのカナと会って、宝刀の事を聞いたら、カナは知らなかった。浦添領内のウタキ(御嶽)を巡って神様のお話は色々と聞いたけど、英祖の宝刀の事は初めて聞くという。
 佐敷ヌルはまず、グスク内にあるウタキを巡った。グスク内のウタキは古いウタキばかりで、神様たちは英祖の事は知っていても宝刀の事は知らなかった。
「チフィウフジン様に聞けばわかるんじゃないかしら?」とカナは言った。
「歴代のチフィウフジン様は英祖様のお墓に眠っています。このグスクの裏の崖下にあります」
「行きましょう」と佐敷ヌルは張り切っていた。
「六十年間、ほったらかし状態だったので凄い所ですよ。それに、神様たちはうるさいし‥‥‥」
「神様がうるさいってどういう事?」
「六十年間、誰もあそこに近づかなかったらしくて、あたしが初めて行った時、神様たちは一斉にしゃべり出したの。頭がおかしくなりそうだったわ。それに異国の言葉をしゃべる神様もいましたよ。英祖様も異国との交易を盛んにしていたみたいですね」
 カナの案内で行った英祖のお墓は本当にひどい所にあった。かつては道があったのだろうが、そんなものは跡形もなく、薮(やぶ)をかき分けて進んで行った。
「こんな薮の中にあるお墓をよく見つけられたわね」と佐敷ヌルが聞くと、
「神様に連れて来られたのです」とカナは言った。
「英祖様はあなたたちの御先祖様だから、お墓をちゃんと守りなさいって言われました。王様(うしゅがなしめー)にお墓の事を伝えたら、島添大里按司様が朝鮮から帰って来たら相談しようっておっしゃいました」
 お墓に行く途中、古い石垣に囲まれた草茫々の平地があった。
「ここには何かがあったの?」と佐敷ヌルはカナに聞いた。
極楽寺(ごくらくじ)というお寺があったのです。極楽寺のお坊さんが英祖様のお墓を守っていたようです。初代の中山王(察度)が焼き討ちにして、そのお寺に集まっていた英祖様の一族を滅ぼしてしまったのです」
浦添にお寺があったなんて知らなかったわ」
 さらに薮をかき分けながら足場の悪い坂を登って行くと、目の前に険しい崖が現れ、崖の下に二つの穴が開いていた。
「このお墓は『ユードゥリ』と呼ばれていたそうです。右側のガマ(洞窟)が英祖様のお墓で、左側のガマが歴代のチフィウフジンのお墓です。英祖様のお墓には、歴代の浦添按司夫婦が一緒に眠っているようです。チフィウフジンのお墓の方には按司たちの側室や幼くして亡くなった子供たちも眠っています」
 英祖に挨拶するために、佐敷ヌルたちは右側のガマに入った。かつては入り口に扉があったのだろうがそんな物はなかった。ガマの中に瓦葺(かわらぶ)きの屋敷が建っていたようだが、朽ち果てて、屋根は半ば崩れ、落ちて割れた瓦が散乱していた。屋敷の中に厨子(ずし)がいくつかあったが、厨子も壊れていて白骨が散乱している。
 佐敷ヌルが突然、耳をふさいで、ガマから飛び出して行った。カナはそんな佐敷ヌルを見ながら笑っていたが、メイユーには何が起こったのかわからず、慌てて佐敷ヌルを追って行った。
「確かに頭がおかしくなるわね」と佐敷ヌルはカナに言った。
「神様が同時に話しかけて来るから、何を言っているのかさっぱりわからないわ」
「初めての時はそうなりますけど、だんだんと落ち着いて来ます」とカナは言った。
「あなたは何度、ここに来たの?」
「今回で七回目です。五回目くらいから落ち着いて来ました」
 佐敷ヌルはうなづいて、今度はチフィウフジンのお墓に入った。こっちのガマには屋敷は建っていなかった。いくつかの壊れた厨子があって、白骨が散乱していた。佐敷ヌルはここでも耳をふさいでガマから飛び出した。
「こっちのが凄いわ」と佐敷ヌルはカナを見て笑った。
「確かに異国の言葉も聞こえたわ」
「異国の女子(いなぐ)が側室になったのかしら?」とカナが言うと、
「異国の女でも側室になれるのね」とメイユーが目を輝かせてカナに聞いた。
「なれるわよ」と佐敷ヌルが答えた。
「先代の中山王(武寧)は高麗(こーれー)の女を何人も側室にしていたわ。先代の中山王の母親も高麗人(こーれーんちゅ)だったらしいわよ」
「あたしもなれるのね」とメイユーが嬉しそうな顔をして佐敷ヌルに言った。
 カナが不思議そうな顔をしてメイユーを見ているので、佐敷ヌルが説明した。
「メイユーはお兄さん(サハチ)が好きなのよ」
「えっ!」とカナは驚いた。
「お姉さん(マチルギ)には言ったの?」と佐敷ヌルはメイユーに聞いた。
「言おうと思って勇んで来たんだけど、奥方様(うなじゃら)の顔を見たらなかなか言えないわ」
「メイユーの気持ちはよくわかるわ。あたしも奥さんのいる人を好きになっちゃって、奥さんに土下座して謝ったのよ」
「マシュー(佐敷ヌル)が土下座したの?」とメイユーは驚いた。
「そうよ。でも、許してもらえたわ」
「そうなの‥‥‥ナツも奥方様に土下座したの?」
「ナツもしたのよ」
 佐敷ヌルとメイユーのやり取りを見ていたカナは、
「このお墓を直さなくてはなりません。佐敷ヌルさんからも王様に言って下さい」と言った。
「そうね、ひどすぎるものね。直さなければならないわ」
 佐敷ヌルとメイユーはカナの屋敷に泊めてもらって、毎日、『ユードゥリ』に通った。カナの言った通り、五日目には神様も静かになった。佐敷ヌルが宝刀の事を聞くと英祖のお墓では、神様は答えてくれず、『極楽寺』を再興しろと言った。チフィウフジンのお墓では、何代目かのチフィウフジンが答えてくれた。
 英祖が鎌倉から贈られた三つの宝刀のうち、太刀は今帰仁按司になった次男のジルー(湧川按司)に贈り、小太刀は島尻大里按司になった五男のグルーに贈り、短刀は玉グスク按司に嫁いだ次女のチムに贈ったという。その後、それらの刀がどうなったのかは神様たちは知らなかった。
今帰仁に行ってしまった太刀は今は無理だわ。小太刀と短刀は見つかるかもしれないわ」
 佐敷ヌルは神様とカナにお礼を言って、メイユーを連れて首里に戻ると馬天ヌルに相談した。
「英祖様が島尻大里按司に小太刀を贈ったのはいつの事なの?」と馬天ヌルは佐敷ヌルに聞いた。
「百年以上も前の事です」
「百年以上も前だとすると、今の山南王が持っているかどうか難しいわね。確か、先々代の山南王は朝鮮に逃げて行ったんでしょ。朝鮮に持って行ったかもしれないわよ」
「まさか、そんな。朝鮮までなんて行けないわ」
「島尻大里ヌルのお墓に行けば、誰かが知っているかもしれないわね」
「お墓はどこにあるのですか」
「島尻大里の城下の北(にし)、糸満川(いちまんがー)(報得川(むくいりがー))の近くの崖にあるガマよ。前に行った事があるわ」
「敵地だわね」
「そうね。危険がないとは言えないわ。焦る事はないわよ。琉球を統一するまでに集めればいいんでしょ。玉グスクに贈ったという短刀からやってみたら。マナミー(玉グスク若按司の妻、佐敷ヌルの妹)が何か知っているかもしれないわ」
「マナミーの長女がヌルの修行をしているようだから会いに行って来ようかしら」
「マナミーにそんな大きな娘がいるの?」と馬天ヌルは驚いた顔をした。
「十五の娘がいるのよ」
「えっ、マナミーに十五の娘? 驚いたわね。あたしが年齢(とし)を取るはずだわ」
 佐敷ヌルはメイユーを連れて、玉グスクに向かった。
 驚いた事に玉グスクに女子サムレーがいた。武寧(ぶねい)の三男、イシムイ(石思)に嫁いだが、浦添グスクが焼け落ちたあと玉グスクに戻って来たウミタル(思樽)が始めたという。
 ウミタルは二人の娘を連れて戻って来た。夫だったイシムイは頼りない男だったが、武寧が首里グスクに移ったあと、浦添グスクを任されて、浦添按司になるはずだった。ウミタルは浦添按司の奥方様になるはずだったのに、島添大里按司によって武寧は殺され、浦添グスクは焼け落ちた。
 玉グスクに帰って来た当初は島添大里按司を恨み、自分の不運を嘆いていたが、兄の若按司が中山王の船に乗って明国に行く事が決まると、新しい時代が始まったような気がして、いつまでもくよくよしていても始まらないと思うようになった。玉グスクを守るために何かをしなければならない。考えた末に、首里のような女子サムレーを作ろうと決めたのだった。
 義姉のマナミーとマナミーの侍女たちから剣術を習い、さらに玉グスクのサムレーたちからも習って、自分でも工夫しながら修行を積んだ。一年間の厳しい修行のあと、素質のありそうな娘を十人集めて、剣術を教えたのだった。佐敷ヌルが来た事を知るとウミタルは娘たちを鍛えて欲しいと頼んだ。佐敷ヌルは喜んで引き受け、メイユーと一緒に娘たちを鍛えた。
 マナミーもウミタルも宝刀の事は何も知らなかった。玉グスクヌル(マナミーの義姉)も聞いた事もないという。玉グスクヌルと一緒に歴代の玉グスクヌルのお墓に行って神様に聞くと、短刀をもらったチムの娘のカミーが、八重瀬按司(えーじあじ)に嫁いだ時に守り刀として持って行ったと言った。
 佐敷ヌルとメイユーは次の日、八重瀬に向かった。
 タブチ(八重瀬按司)の妹の八重瀬ヌルに会って、古いお墓に行って神様の声を聞いた。八重瀬按司に嫁いだカミーは、中グスク按司に嫁いだ娘のウミに短刀を持たせたという。
 八重瀬にも武寧の四男、シナムイ(砂思)に嫁いだ娘がいた。嫁いで一月もしないうちに戻って来たミカ(美加)は若ヌルになっていた。
 佐敷ヌルとメイユーは中グスクに向かった。
 中グスクヌルと再会を喜び、中グスクヌルの案内で古いお墓に行って神様の声を聞いた。中グスク按司に嫁いだウミは、人質になって安里の察度(さとぅ)の屋敷に行った娘のミイに守り刀として短刀を持たせたという。
「人質ってどういう事?」と佐敷ヌルは中グスクヌルに聞いた。
「父から聞いたんだけど、曽祖父の頃の話です。曽祖父は若按司だったんだけど、按司を継ぐ事ができなかったのです。浦添按司(玉城)の弟が婿に入って来て、中グスク按司になりました。曽祖父は按司の座を取り戻すために、密かに察度と同盟を結んで、娘を人質として察度に送ったのです。察度は浦添按司(西威)を滅ぼして、浦添按司になり、曽祖父も婿を倒して、中グスク按司になったのです」
「そんな事があったの。それで、ミイという娘は察度の奥さんになったの?」
「察度にはもう奥さんはいました。勝連(かちりん)按司の娘さんです。ミイは戦で活躍した武将の奥さんになって、その武将は越来按司(ぐいくあじ)になったと聞いています」
 佐敷ヌルは中グスクヌルにお礼を言って、メイユーと一緒に越来グスクに向かった。
 越来ヌルと再会を喜んで、英祖の短刀の事を聞くと、「ちょっと待っていて」と言って、神棚から綺麗な袋に入った物を持って来た。
「これの事かしら?」と言って、越来ヌルは袋の中から短刀を取り出した。
 あまりに突然に探していた短刀が現れたので、佐敷ヌルもメイユーも驚いて言葉も出なかった。
 短刀は長さが一尺半(約四十五センチ)もあり、佐敷ヌルが思っていたよりも大きかった。柄(つか)は鮫皮で、青い鞘(さや)は螺鈿(らでん)細工のようだった。
「どうして、あなたが持っているのですか」と佐敷ヌルは越来ヌルに聞いた。
「わたしの母が嫁いだ時に持って来たのです。正確に言うと察度の人質になった時に守り刀として祖母からもらったらしいわ」
「そして、あなたがお母さんからそれをもらったのですか」
「それは違うわ。わたしの母親は勝連に嫁いだ妹にこれをあげたのよ。妹は勝連按司の次男に嫁いだの。その次男は江洲(いーし)按司になって、やがて勝連按司になったけど、わけのわからない奇病で亡くなってしまったの。跡継ぎだった若按司も亡くなってしまい、妹はやつれた姿で越来に帰って来たの。二年後に妹は亡くなって、この短刀をわたしに残したのよ」
「この短刀は勝連のあの騒ぎに巻き込まれて、またここに戻って来たのね」
 佐敷ヌルは短刀を抜いてみた。詳しい事はわからないが、切れ味の鋭い名刀のようだった。
「誰かがこれを探しに来るような気がしていたの。あなただったのね」
 佐敷ヌルは英祖の三つの宝刀の事を越来ヌルに話して、大切に持っていて下さいと頼んだ。
「あとの二つも探すつもりなの?」と越来ヌルは聞いた。
 佐敷ヌルはうなづいた。
 そんないわれのある短刀なら、首里に持って行って保管してくれと越来ヌルは言ったが、佐敷ヌルは断った。
「その短刀は鎌倉から浦添に来て、玉グスク、八重瀬、中グスク、越来、勝連と旅をして、越来に戻って来ました。女たちの守り刀として活躍してきたのです。一カ所にじっとしているのは苦手なようです。今後の事はあなたにお任せします。ただ、どこにあるのかだけは把握しておいて下さい」
 越来ヌルは笑ってうなづいた。
「わたしには娘はいないから、越来ヌルを継ぐハマにあげようと思っているのよ」
「ハマならきっと守ってくれるでしょう」
 佐敷ヌルとメイユーはお礼を言って、越来をあとにして首里に戻った。
 七月の末に台風が来たが、それ程の被害はなくて助かった。北部の方ではかなりの被害があったようだった。
 八月の初めに進貢船が帰って来た。正使のサングルミー(与座大親)、副使の中グスク大親、サムレー大将の宜野湾親方(ぎぬわんうやかた)、副将の伊是名親方(いぢぃなうやかた)、従者として行った平田大親、クルー、馬天浜のシタルー、八重瀬按司のタブチ、サムレーとして行ったシラー、みんな無事に帰って来た。そして、念願の新しい海船が一緒に付いて来た。
 いつもより帰りが遅いので心配していたが、サングルミーの話だと、永楽帝(えいらくてい)が今、北平(ベイピン)(北京)に新しい都を造っていて、永楽帝に会うために北平まで行って来たという。北平は『順天府(じゅんてんふ)』と名前が変わって、応天府(おうてんふ)(南京)から順天府までは一月近くも掛かり、辛い旅だったとサングルミーは思紹に報告した。
 サングルミーの話を聞きながら、サハチが反対しても、来年は必ず、明国に行こうと思紹は心に決めていた。

 

 

 

居合刀-1 短刀・御守刀 (鮫巻柄6寸)