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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-64.旧港から来た娘(第二稿)

尚巴志伝 第二部

 サハチたちが家族水入らずの旅から帰って来ると、朝鮮(チョソン)に行った使者たちが博多に戻ったとの知らせが入った。
 サハチはウニタキとファイチを連れて、イトの船に乗って博多に向かった。使者たちは妙楽寺に滞在していて、出入りも自由だったので、サハチたちは一文字屋孫次郎と一緒に妙楽寺に行き、使者たちと会った。
 無事に役目を終えた使者たちはホッとした顔でサハチたちを迎えた。サハチは皆にお礼を言った。
 通事(つうじ)(通訳)をしてくれた早田藤五郎はまだ富山浦(プサンポ)に残っていた。同じく通事を務めてくれたチョル夫婦は朝鮮に帰らず、また戻って来ていた。どうしたのかと聞くと、
「かみさんに言われたんです」とチョルは言った。
「このまま帰ってもいいのかと言われたんです。恩返しをしなくてはならないと思いまして、琉球に戻る事に決めたのです。カンスケたちに朝鮮の言葉を教えて、立派な通事に育てようと思いました」
 サハチはチョルにお礼を言った。チョルの言う通り、来年も朝鮮に行くとなれば通事を育てなければならなかった。
 明国との交易と違って、大量の陶器がないため、船倉はまだ空いていた。サハチは空いている船倉に、瓦(かわら)と鉄屑(てつくず)を積むように使者たちに頼んだ。
 博多に残していった一徹平郎(いってつへいろう)は新助と一緒に、一文字屋のお客様用の屋敷を建てていた。『龍宮館(りゅうきゅうかん)』と名付けられた屋敷はそれ程大きな建物ではないが、独特な作りで、あちこちに新助が彫った龍が飾られてあった。龍ばかり彫っていると言われるだけあって、その龍は生き生きとしていて迫力があり、見事な彫り物だった。思紹(ししょう)には悪いが、思紹の彫った龍が子供のいたずらのように思えた。
 一徹平郎は瓦職人も見つけ出してくれた。唐破風(からはふ)の瓦は特殊な瓦なので、職人を連れて行かなければならないと思い、探したのだと言った。サハチも瓦職人は連れて帰りたいと思っていたが、唐破風の瓦が特殊な瓦だとは知らなかった。一徹平郎が瓦職人を探してくれなかったら、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の唐破風はできなかったに違いない。改めて、一徹平郎という男を見直し、サハチはお礼を言った。
 栄泉坊は博多の寺院や神社、サムレーの屋敷や庶民の家まで、あらゆる建物を絵に描いていた。充分に今後の参考になる絵ばかりで、サハチは栄泉坊に感謝した。
 来年もお世話になるので、サハチは九州探題の渋川道鎮(どうちん)にも挨拶に行った。道鎮は快く会ってくれた。朝鮮の事を聞かれたので、李芸(イイエ)の事を話すと、道鎮も李芸を知っていた。去年、李芸は副使としてやって来たが、暴風に遭って石見(いわみ)の国(島根県)まで流された。京都に行くのは諦めて、大内氏の援助で朝鮮に帰って行ったが、倭寇(わこう)に連れさられた朝鮮人を百人近くも連れて帰ったという。早田左衛門太郎に会ったかと聞かれたので、サハチは会いたかったが会えなかったと答えた。
 道鎮は京都の様子を話してくれた。
「鎌倉の御所様(足利満兼)に不穏な動きがあって、敵が京都に攻めて来ると一時は大騒ぎになったんじゃが、何とか無事に治まったようじゃ。事を起こす前に、御所様は亡くなってしまったらしい。狂気したとの噂も流れていたので、重い病に罹っていたのかもしれんのう。興奮し過ぎて、頭に血が昇り過ぎたんじゃろう」
 サハチは鎌倉に行った高橋殿を思い出した。
 もしかしたら、高橋殿の仕業だろうか‥‥‥
 事が起こる前に殺したのだろうか‥‥‥
 サハチは道鎮と別れたあとも高橋殿の事を考えていた。
「高橋殿がうまくやったようだな」とウニタキが言って笑った。
 ウニタキは高橋殿が殺したと思っているようだが、サハチはそうは思いたくはなかった。
 サハチたちはクグルーとマウシ、クルシ、カンスケたちを連れて対馬に帰った。
 久し振りに対馬に帰って来たクルシは孫たちに会いに土寄浦(つちよりうら)に行った。クルシには三人の息子がいて、長男と三男がサイムンタルーと一緒に朝鮮にいて、次男がシンゴの補佐をしていた。孫たちは二十人もいて、その中の一人は船越にいて、六郎次郎に仕えていた。
 カンスケの妻と子供は船越にいた。奥さんは船乗りの娘で、子供をサワに預けて、イトと一緒に船に乗っていた。子供は四人いて、十歳になる長女はしっかり者だった。カンスケと一緒に通事をやってくれた者たちは土寄浦に帰って行った。
 クグルーと再会して泣いている娘がいた。去年、仲よくなった娘だった。仲よくなったといってもクグルーは手を出さなかったらしい。もう二度と会えないと思っていたクグルーが現れたので、娘は感激して泣いたようだった。
 マウシはミナミとの再会に喜んでいた。ミナミも喜び、マウシの名を呼び捨てにして肩車をさせて走らせ、キャッキャッと嬉しそうに騒いでいた。
 一仕事を終えたサハチたちは対馬でのんびりと過ごした。あとは十二月になって北風が吹くのを待つばかりだった。
 ササとシンシンとナナ、ンマムイとクサンルーは土寄浦で若い者たちを鍛えている。サハチとウニタキとファイチ、それとヂャンサンフォンは船越の若者たちを鍛え、三人の女子(いなぐ)サムレーとスズは船越の娘たちを鍛えていた。その合間にファイチとイハチ、三人の女子サムレーはヤマトゥ言葉を手の空いている女たちから習っていた。
 好きになった娘のために強くなろうと思ったのか、イハチは真剣に武術修行に励んでいた。そんなイハチを見ながら、そろそろ嫁さんを探さなければならないなとサハチは思っていた。
 ジクー禅師は鉄潅和尚(てっかんおしょう)と仲よくなって、ほとんど梅林寺にいた。梅林寺で来年のヤマトゥ行きの計画を練っているようだった。
 十一月に入り、急に寒くなってきた。イトが昔を思い出して襟巻きを作ってくれた。サハチたちは襟巻きを首に巻いて寒さを凌いだ。
 一文字屋の船が船越にやって来た。外間親方(ふかまうやかた)が乗っていて、博多に旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船がやって来て、琉球に帰る時に一緒に琉球まで連れて行ってほしいと九州探題の渋川道鎮に頼まれた事を告げた。
 旧港の船と言えば、去年、若狭(福井県)に着いた船だった。七重の塔の上で勘解由小路殿(かでのこうじどの)から話を聞き、そのあと、高橋殿から詳しい事情を聞いていた。
 去年の六月、旧港の支配者となったシージンチン(施進卿)が、日本国王に送った使者が若狭の国の小浜(おばま)港に着いた。象という鼻の長い巨大な動物、日本の馬よりも一回り大きな立派な馬、綺麗な鳥の孔雀(くじゃく)と鸚鵡(おうむ)を積んでいた。若狭守護の一色氏の家臣たちに守られながら京都へ向かい、将軍様に謁見(えっけん)して、珍しい動物たちを献上した。動物の他にも南蛮の品々や明国の陶器も献上して、将軍様を喜ばせた。特に気に入ったのは馬で、今も将軍様は愛馬として乗り回しているという。
 象、孔雀、鸚鵡は使者たちの宿舎となった寺院で、一般の者たちにも公開して、京都の人々を驚かせた。サハチたちが京都にいた頃は京都の郊外にある醍醐寺(だいごじ)にいたらしい。鼻が長くて目が小さくて、足が太くて巨大だと高橋殿は象の事を言ったが、一体、どんな動物なのか、サハチには想像もできなかった。
 旧港の船は大量の日本刀を仕入れて帰ろうとしていた去年の十一月、台風に遭って、船が壊れて帰れなくなってしまった。将軍様の援助で新しい船を造る事に決まり、船が完成して小浜を船出したのが今年の十月で、その船が今、博多にいるのだった。
 サハチはウニタキとファイチ、ヂャンサンフォンも連れて、博多に向かった。旧港を支配しているシージンチンは明国人だった。わたしの出番が来たようですとファイチは張り切っていた。もしかしたら、旧港の使者はメイユーの事を知っているかもしれない。知っていれば話も弾むに違いない。いつの日か、旧港に使者を送るようになった時、役に立つだろうとファイチは言った。
 旧港の使者たちの船は琉球の船と似ていた。小浜で新造したのでヤマトゥの船かと思っていたが、壊れた船と同じ物を造ったようだ。あの七重の塔を建てた大工なら、明国の船を真似して造る事もできるだろう。腕のいい船大工も琉球に欲しいとサハチは思った。
 旧港の使者たちがいるという承天寺(しょうてんじ)に行くと、広い境内の片隅で武芸の稽古をしている娘たちがいた。着ている着物は明国風なので、旧港から来たようだが、娘たちが一緒にいるのは不思議だった。
「武当剣(ウーダンけん)のようじゃ」とヂャンサンフォンが言った。
「するとあの者たちは師匠の弟子なのですか」とウニタキが驚いた顔をして聞いた。
「弟子の弟子、あるいはそのまた弟子かもしれんのう。しかし、旧港にもわしの弟子がいるとは知らなかった」
 サハチたちが本堂の方に向かおうとした時、娘たちの師匠らしい老人が近づいて来て、ヂャンサンフォンをじっと見つめた。ヂャンサンフォンもその老人を見つめ、「ミンジュンか」と言った。
 老人は急にひざまずいて、何事かを言い出した。
 ヂャンサンフォンは老人を立たせると、
「弟子の弟子ではなかったわ。わしの弟子のシュミンジュン(徐鳴軍)じゃった」と言って笑った。
「何年振りかのう。こんな所で出会うとは思ってもいなかったわ」
 ヂャンサンフォンとシュミンジュンは再会を喜び、しばらく話し込んでいた。二人が並んでいる姿はどう見てもヂャンサンフォンの方が若く見えた。ヂャンサンフォンをここに置いて使者に会おうとしたら、二人の娘のうちの一人がシージンチンの娘らしいとヂャンサンフォンは言った。
 シュミンジュンが娘たちを呼ぶと、二人の娘がやって来た。二人とも二十歳前後の娘だった。
 シュミンジュンが娘たちに何かを言うと、娘たちは驚いた顔をして、ヂャンサンフォンを見た。やがて、一人の娘が、
「シージンチンの娘のシーハイイェン(施海燕)です」とヤマトゥ言葉で言った。
「日本の言葉がわかるのですか」とサハチが聞くと、
「小浜に一年以上いました。日本の言葉のお稽古をしました」とシーハイイェンは言った。
「そうでしたか」とサハチはうなづき、ファイチを見て、「ファイチよりもうまいようだ」と笑った。
 サハチはファイチとウニタキとヂャンサンフォンを紹介した。
 シーハイイェンはもう一人の娘を紹介した。ツァイシーヤオ(蔡希瑶)という名前だった。
 シーハイイェンに連れられて、サハチたちは使者たちと会った。ヤマトゥ言葉をしゃべる通事もいて、ワカサと呼ばれていた。どうやら日本人のようだった。
 サハチは旧港の船を琉球に連れて行く事を約束し、さらに明国まで連れて行く事も約束した。琉球まで行くのはいいが、それから先はどうしようかと悩んでいた使者たちは、サハチの申し出に大喜びしてくれた。
 使者たちとの話がまとまるとサハチはシュミンジュンとシーハイイェンとツァイシーヤオの三人を一文字屋に連れて帰り、酒と料理を御馳走して、旧港の話を聞いた。ヂャンサンフォンとシュミンジュンは別れてからのお互いの事を話し合っていた。
 シーハイイェンとツァイシーヤオはメイユーの事を知っていた。メイユーからヂャンサンフォンが琉球にいる事を聞いて、琉球に行きたかったと言った。
「でも、父はあたしよりワカサの言う事を聞いて、琉球に行くより日本に行けと言ったのです」
「ワカサというのは通事の事ですね」
 シーハイイェンはうなづき、「ワカサは倭寇です」と言った。
「あたしたちが広州(グゥァンジョウ)にいた頃、助けられて、そのあとはずっと仲間です。メイユーが持って来てくれた日本刀はとても素晴らしいです。旧港の兵たちを日本刀で武装しなければなりません。日本刀を手に入れるために日本にやって来たのです。ワカサが生まれた小浜は京都に行くのに近いというので、小浜を目指して来ました。京都にも行きました。素晴らしい都でした。とても高い塔があって、そこからの眺めはとてもよかったです」
「七重の塔だな」
「そうです。七重の塔。あんなに高い塔は明国にもありません。日本という国は凄いと思いました。京都から小浜に戻って帰るつもりだったのですが、台風が来て船が壊れてしまいました。将軍様のお陰で新しい船を造りましたが、一年も掛かってしまいました。でも、その間にワカサの奥さんがいる平戸(ひらど)(長崎県)という島に行きました。平戸の人たちはワカサが死んだと思っていたので、みんなが驚いて、そして、喜んでいました」
「ワカサは松浦党(まつらとう)だったのか」とウニタキが言った。
「ワカサは琉球にも行った事があると言っていました」
 ファイチが明国の言葉で、シーハイイェンに質問した。ファイチは旧港の事を詳しく聞いていた。
 シーハイイェンは明国の広州で生まれた。七歳の時、海賊のリャンダオミン(梁道明)は旧港に移った。リャンダオミンの配下だった父親も移る事になり、シーハイイェンは海を渡って旧港に行った。
 旧港はシュリーヴィジャヤ王国の王都として栄えていたが、マジャパヒト王国に滅ぼされ、国は乱れて海賊たちの拠点と化していた。リャンダオミンは配下を率いて旧港を攻め、海賊どもを追い払った。
 旧港には元(げん)の時代に広州から移住した商人たちが多く住んでいた。リャンダオミンは一年足らずで商人たちの首領となり、旧港の王を名乗った。
 シーハイイェンが十六歳の時、リャンダオミンは明国から来た役人に投降して、広州に帰って行った。リャンダオミンの跡継ぎとして選ばれたのは父だった。父は旧港の王となった。リャンダオミンの護衛役だったシュミンジュンは父のために残る事になった。
 リャンダオミンが去ったあと、チャンズーイー(陳祖義)が大勢の配下を率いて旧港にやって来た。チャンズーイーも広州の海賊だったが、やる事が汚いので海賊仲間からも嫌われ、広州を追放されて、マラッカ海峡で暴れていたのだった。チャンズーイーは王宮から父を追い出し、自ら王を名乗り、好き放題の事をした。シーハイイェンも隠れて暮らさなければならず、必ず、チャンズーイーを倒してやると武芸の修行に励んだ。一年後、その苦しい立場は急転した。ジェンフォ(鄭和)が率いる大船団がやって来て、チャンズーイーを退治してくれた。チャンズーイーは進貢船も襲っていたので、永楽帝(えいらくてい)の怒りを買っていたのだった。
 父はジェンフォから旧港の首領である事を認められた。翌年には姉婿が使者となって明国に行き朝貢した。父は永楽帝から正式に、旧港宣慰司(ジゥガンシェンウェイスー)に任命された。その翌年、メイユーが琉球から大量の日本刀を持ってやって来た。メイユーが明国に帰ったあと、父は日本に使者を送る事を決定し、シーハイイェンも一緒に行く事に決まった。去年の五月の事だった。
「きっと、両親が心配しているに違いないわ」とシーハイイェンとツァイシーヤオは暗い表情になったが、「でも、日本刀をいっぱい持って帰れば喜んでくれるに違いないわ」と言って、うなづき合っていた。
 シーハイイェンはシージンチンの次女だった。姉はお嫁に行ったので、あたしが父の跡を継がなければならないと言った。母親違いの弟がいるけど、まだ幼いので任せられない。あたしは父親の跡を継ぐために日本にやって来た。日本では船が壊れて苦労したけど、琉球の人に会えて、琉球に行けるのは嬉しい。琉球の事はメイユーから聞いていて行ってみたいと思っていたという。
 ツァイシーヤオは父親の腹心の部下の娘で、幼い頃から一緒に育ち、共に武芸の稽古に励み、お互いにお嫁には行かないで、旧港の発展のために生きようと誓い合った仲だった。
 シーハイイェンとツァイシーヤオの話を聞きながら、ササのいい友達になれそうだとサハチは思った。きっと、意気投合して仲良しになるに違いない。
 シーハイイェンたちと別れて対馬に帰ったサハチたちは富山浦に行って、五郎左衛門にお世話になったお礼と別れを告げ、対馬に帰って、お世話になったみんなに別れを告げた。
 サハチがイトとユキとミナミに別れを告げている時、ウニタキはツタと別れを告げていた。ツタの夫は戦死したので仲よくなっても構わないのだが、二人が仲よくなっていたなんてサハチはまったく知らなかった。ファイチはヤマトゥ言葉を教わっていたアサと、ヂャンサンフォンは後家のキタと、シズはシノの息子の新太郎と別れを告げていた。
 まったく意外だったのはンマムイだった。女子サムレーのクムに振られて土寄浦に行ったンマムイが、シンゴの妹のサキと仲よくなっていた。そろそろ帰るからと土寄浦にいるンマムイやササたちを呼び戻したら、サキも娘を連れてやって来た。サキだけでなく、娘のミヨもンマムイを慕っているようなのには驚いた。
 別れの前夜、『琉球館』で送別の宴が開かれ、みんなが集まって来て、夜遅くまで騒いだ。
「今度はいつ会えるかしらね」とイトが言った。
「来年、来られたら来るよ」とサハチは言った。
 イトは笑いながら首を振った。
「来年はマチルギさんが来るんじゃないかしら」
 サハチは笑ったが、あり得る事だった。今度はあなたが留守番よと言って、女子サムレーを引き連れて来るかもしれなかった。
「でも、以前よりも対馬琉球は近くなったような気がするわ。これから毎年、博多に来るんでしょ。来年は来られなくても、二、三年後には会えるような気がするわ」
「そうだな」
「あたしもいつか必ず、琉球に行くわ。真っ白な砂浜を見てみたいわ」
「是非、見せたいよ。海に潜れば綺麗な魚がいっぱいいる」
「マチルギさんから聞いたわ。色鮮やかなお魚がいっぱいいるんですってね。見てみたいわ」
「あたしも見たい」とミナミが言った。
「ミナミもいつか琉球に来いよ」
「絶対に行く」とミナミは言って、「マウシ!」と叫んでマウシの所に行った。
 可愛いミナミの笑顔を瞼に焼き付けようとサハチはミナミを見つめていた。
 十二月五日、サハチたちは船越を去り博多に向かった。イハチとクサンルーは残した。二人は一月後、シンゴの船に乗って琉球に向かう。イハチが仲よくなったマユの娘のミツを琉球まで連れて来るかもしれないが、それはそれでいいだろうと思っていた。
 それから三日後、サハチたちは交易船に乗って博多を発ち琉球を目指した。サハチたちの船の後ろに旧港の船が従っていた。

 

 

 

世界の歴史13 - 東南アジアの伝統と発展 (中公文庫)   世界の歴史―ビジュアル版〈12〉東南アジア世界の形成