長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-97.大聖寺(第一稿)

 与那原(ゆなばる)のお祭りが終わった。
 サハチは忙しくて行けなかったが、慈恩禅師(じおんぜんじ)が越来(ぐいく)ヌルと一緒に来たらしい。佐敷ヌルの話だと、二人は夫婦のように仲がよかったという。意外な展開に驚いたが、慈恩禅師と越来ヌルが一緒になって、ずっと琉球にいてくれればいいとサハチは思った。
 与那原のお祭りが終わると佐敷ヌル、ユリ、シビー、ハルと侍女たちも島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに戻って来た。
 来月に送る進貢船(しんくんしん)の準備でサハチは忙しく、島添大里に帰る事も少なくなり、首里(すい)の屋敷でメイユーと過ごしていた。ハルが与那原からいなくなったと聞くと、メイユーはリェンリー、ユンロン、スーヨンを連れて与那原に行き、ヂャンサンフォンのもとで一か月の修行を始めた。
 ユンロンはクルーとの再会を楽しみにしていたが、クルーの妻のウミトゥクと会い、自分の出番はなさそうだと諦めていた。ユンロンはクルーを諦めたが、慶良間之子(きらまぬしぃ)はユンロンを諦めきれず、首里まで会いに来ていた。ユンロンは慶良間之子から逃げるために与那原に行ったのだった。
 リェンリーも伊是名親方(いぢぃなうやかた)の事で悩んでいた。伊是名親方の妻、ユウがやって来て、伊是名親方と別れてくれと泣いて頼んだのだった。ユウが普通の女だったら、奪い取ってやると思っていたリェンリーも、ユウが自分たちと同じように武芸を嗜み、かなりの腕がある事がわかると、何だか、自分が悪い事をしているように思えてきた。しばらく、伊是名親方の事は忘れようと与那原に向かった。
 みんなが出て行ってしまい、首里の屋敷も寂しくなった。サハチは久し振りに島添大里に帰った。
 島添大里グスクにハルはいなかった。佐敷ヌルと一緒に平田のお祭りの準備に出掛けたという。
「ハルに会いたかったのですか」とナツに聞かれて、
「もう一月以上会ってないからな。顔が見たくなったんだよ」とサハチは答えた。
 ナツは笑った。
「あの子、側室になったっていう自覚はまったくないですよ。お祭りの準備が楽しくてしょうがないみたい。あたしは来年、ヤマトゥに行くから、あたしの代わりに頑張るのよって佐敷ヌルさんに言われて、張り切っているみたいですよ」
「なに、佐敷ヌルはヤマトゥに行くのか」
「今年、サスカサさんが行ったから、来年はあたしの番だって言っていましたよ」
「確かに行って来いとは言ったが、佐敷ヌルがヤマトゥに行って、お祭りは大丈夫なのか」
「ユリさんがいるし、シビーも頑張っています。ハルもいるから大丈夫ですよ」
「そうか‥‥‥佐敷ヌルが京都に行くか‥‥‥」
 佐敷ヌルが京都で本場のお芝居を観れば、琉球のお芝居も格段の進歩をするだろう。そして、佐敷ヌルと高橋殿が意気投合する場面をサハチは想像していた。
「何を笑っているんです?」とナツが聞いた。
「佐敷ヌルと初めて旅をした時の事を思い出したんだよ。何を見ても目を丸くして驚いていたんだ。京都に行っても、驚く事がいっぱいあるだろう」
「あたしも行ってみたいわ」
「もう少し我慢してくれよ。ハルの侍女たちも行ったのか」
「あの二人、すっかり顔付きが変わっていましたよ。ここに来た当初、何かをたくらんでいるような顔付きだったけど、すっかり明るくなって、お祭りの準備を楽しんでいるみたい。お裁縫が得意だから、佐敷ヌルさんも助かっているみたいですよ」
「そうか。あの二人もハルの影響を受けて、溶け込んでくれたようだな」
 九月三日、四月に送った進貢船が無事に帰って来た。本部大親(むとぅぶうふや)、又吉親方(またゆしうやかた)、クグルーとシタルーが帰国した。
 泉州まで行けず、杭州(こうしゅう)から上陸して応天府(おうてんふ)まで行って来たという。六月に鄭和(ジェンフォ)の大船団が長い航海から帰って来て、応天府はお祭り騒ぎだった。会同館には色々な国からやって来た使者たちも泊まり、みんな、違う言葉をしゃべっているのには驚いた。明国にはそれぞれの言葉がわかる通事(つうじ)がいるという。真っ黒な肌をした大男もいて、まるで鬼のようだった。世界は広いとしみじみと思ったとクグルーとシタルーは言った。
 国子監(こくしかん)にも行って、ファイテとジルークにも会って来た。二人とも元気に勉学に励んでいて、明国の言葉もしゃべっていたというので、サハチも安心した。
「ムラカ(マラッカ)という国の王様が大勢の家臣を連れて来ていて、皇帝から歓迎されていたようです」とクグルーが言った。
「ムラカ? 遠くにある国か?」
「旧港(ジゥガン)(パレンバン)の近くのようです。新しくできた国のようで、噂ではシャム(タイ)の国から攻撃されているようで、明国の助けがいるみたいです」
 ムラカというのは、三姉妹から聞いたような気もするが、サハチにはよくわからなかった。
「お前たち、来年もまた行って、どこにどんな国があって、どういう国なのか、そういう事をよく調べて来い」
 サハチがそう言うと二人は喜んで、来年もまた行ってきますと言った。
 進貢船の準備も一段落したサハチは、ナツと子供たちを連れて津堅島(ちきんじま)に出掛けた。子供たちを連れての旅は初めてだった。
 十三歳の次女のマチルーを筆頭に、十一歳の六男のウリー、九歳の三女のマシュー、七歳の四女のマカトゥダル、五歳の七男のナナルー、それに佐敷ヌルの十歳の娘、マユとユリの九歳の娘、マキクを連れた賑やかな旅だった。サハチは断ったが、もしもの事があったら大変だからと女子(いなぐ)サムレーが五人ついて来た。
 津堅島ではナツの年老いた祖母だけでなく、島人(しまんちゅ)全員が歓迎してくれた。太鼓や指笛が鳴り響き、まるでお祭りのような騒ぎとなった。子供たちは島の子供たちと遊び回り、サハチたちは島人たちと酒盛りを始めた。島に一泊しただけのささやかな旅だったが、子供たちを連れての旅は楽しかった。疲れが一遍に吹き飛んだような感じがした。
 九月十日、平田のお祭りが行なわれ、サハチも子供たちと一緒に見に行った。お芝居は『かぐや姫』だった。
 竹林の中に暮らしていたお爺さんとお婆さんは、ある日、竹が光っているのに気づく。不思議に思って竹を切ると、中から可愛い女の子が出て来た。竹から生まれた女の子は成長して美しい娘になり、『かぐや姫』と名付けられる。かぐや姫の美しさに惹かれて五人の男が言い寄ってくる。かぐや姫は難問を出して、かなえた人のお嫁さんになると言う。
 石屋の若按司には、『アマミキヨが使った鉢』、車屋の若按司には『ニライカナイの玉の枝』、安部(あぶ)の若按司には『火ネズミの皮衣』、大門(うふじょう)の若按司には『龍の首の玉』、中門(なかじょう)の若按司には『燕(つばめ)が産んだシビグァー(タカラガイ)』を持って来いと言う。
 五人は難題をかなえる事ができずに諦めるが、かぐや姫の美貌は王様の耳にも入って、王様が会いたいと言ってくる。かぐや姫は何度も断るが、王様は諦めきれず、不意にかぐや姫を訪ねて、その美しさに目を奪われる。王様がかぐや姫をグスクに連れて帰ろうとすると、なぜか、かぐや姫の回りには近づく事もできない。王様は連れ去る事を諦めて帰り、かぐや姫に何度も文(ふみ)を書き続ける。
 八月の満月の日、かぐや姫は月に帰らなければならないと言う。王様は帰してはならないと大勢の兵でかぐや姫を守るが、かぐや姫は月に帰ってしまう。
 五人の男が宝探しをする場面で、剣舞が行なわれ、かぐや姫が月に帰る場面では、舞台の隣りにある大きなガジュマルの木の上に満月を置いて、そこから垂らした綱に登って行くかぐや姫の姿は観客を笑わせた。それでも、枝の上に立ったかぐや姫に拍手喝采が送られた。
 サハチは月にも人が住んでいるのかと思いながら、このお芝居は島添大里グスクのお祭りの時に観たいと思った。ササが言うには、島添大里グスクのウタキは月の神様を祀っているという。島添大里グスクにぴったりな演目だった。東曲輪(あがりくるわ)に手頃なガジュマルの木はないが、物見櫓(ものみやぐら)を使えばできるだろう。物見櫓に仕掛けを作って、かぐや姫を吊り上げたら、もっとよくなるような気がした。
 お祭りの次の日、今年三度目の進貢船が出帆して行った。正使はサングルミー、サムレー大将は田名親方(だなうやかた)だった。使者の従者として、島添大里、佐敷、平田、与那原の重臣の息子たちが乗っていた。
 その日の夕方、メイユーたちが与那原から首里の屋敷に帰って来た。みんな、さっぱりとした顔付きで、メイユーは体が軽くなって、十歳は若返ったと喜んでいた。メイユーたちは首里の女子サムレーの屋敷に通って、非番の女子サムレーたちを鍛えていた。サハチは十一月に送る進貢船の準備で、また忙しくなっていた。
 次回の正使を八重瀬按司(えーじあじ)のタブチに頼もうという事に決まり、タブチを呼んで相談すると、タブチは快く引き受けてくれた。
「わしが進貢船の正使になるなんて、まるで、夢のような話じゃな」とタブチは嬉しそうに笑った。
「親父(汪英紫)は明国に行ってから、すっかり変わってしまった。当時、わしらは島添大里グスクを手に入れて、次は玉グスクを倒すつもりじゃった。ところが、明国から帰って来た親父は玉グスクを攻める事をやめて、明国との交易に力を入れた。わしは親父に付いて行けず、親父はシタルーと組んで交易をやり、わしは蚊帳(かや)の外に置かれたんじゃ。親父が亡くなって、わしはシタルーと争い、結局は山南王の座を弟に奪われてしまった。その後、じっと我慢して、中山王(武寧)と手を結び、いよいよ、山南王になれると思っていたのに、そなたに邪魔された。あの時はそなたを恨んだぞ。そなたの親父が中山王になって、首里グスクに挨拶に行った時、立派な首里グスクを見て、わしは完全に負けたと思った。そして、明国に行って、わしも親父と同じように生き方を変えたんじゃ。明国に行って、初めて親父の気持ちがわかったんじゃよ。それからは毎年、明国に行った。お陰で、八重瀬の城下も栄えている。わしが中山王の正使になった事を親父が知ったら、どんな顔をするじゃろうのう」
 サハチはタブチの父親を数回しか見ていないが、いつも険しい顔をしていたような気がする。今、気づいたが、子供の頃に見た汪英紫の顔と今のタブチの顔はよく似ているような気がした。
「八重瀬殿のお陰で助かっているのは、こちらの方ですよ。よろしくお願いいたします」とサハチは頼んだ。
「前回と同じように、米須按司(くみしあじ)と玻名(はな)グスク按司を連れて行ってもよろしいですかな」
「勿論ですよ」
「それと、真壁按司(まかびあじ)と伊敷按司(いしきあじ)も連れて行きたいんじゃが、どうじゃろう?」とタブチは言った。
「連れて行っても構いませんが、山南王から攻撃を受けるのではありませんか」
「二人はすでに隠居したんじゃよ。真壁按司は真壁より南の山の中にグスクを築いて、山グスク大主(うふぬし)と名乗っておる。伊敷按司は伊敷の西の海辺にグスクを築いて、ナーグスク大主を名乗っておるんじゃよ。隠居した者が中山王の船に乗っても、文句は言うまい」
 真壁按司と伊敷按司が新しいグスクを築いている事はウニタキから聞いていたが、まさか、隠居したとは思ってもいなかった。隠居したとはいえ、山南王を裏切れば、山南王も黙ってはいないだろう。南部で騒ぎが起こるような気がした。それでも、じわじわと山南王の領地が狭まって行くのは、五年後の今帰仁(なきじん)攻めの事を考えると、いい方向に向かっているような気もした。山南王の動きを封じ込めておかないと、ヤンバルには出陣できなかった。
 サハチは真壁按司と伊敷按司渡航を了承してから、「八重瀬殿も新しいグスクを築いていたと聞いていますが完成したのですか」と聞いた。
「おう。わしもようやく、海辺のグスクを手に入れた。残念ながら港はないがのう。それでも小舟(さぶに)は置ける。今は次男に任せているが、隠居したらあそこで暮らして、のんびり釣りでも楽しもうと思っておるんじゃ」
 タブチはそう言って、嬉しそうに笑った。
 タブチの明るい笑顔を眺めながら、もう山南王になる事は諦めたのだろうかとサハチは思っていた。
 一月があっという間に過ぎ、馬天浜のお祭りがあり、その翌日、メイユーたちは帰って行った。
 馬天浜のお祭りでは、「サミガー大主、その三」のお芝居が演じられた。佐敷グスクを築いて佐敷按司となったサミガー大主の長男のサグルーは、大(うふ)グスク按司と協力して、島添大里按司になった八重瀬按司を倒そうとする。とうとう戦(いくさ)が起こって、美里之子(んざとぅぬしぃ)と佐敷按司の弟の苗代之子(なーしるぬしぃ)が活躍するが、大グスクは落城して、島添大里按司に奪われてしまう。佐敷グスクの留守を守っていたサミガー大主と孫のサハチは、無事に帰って来た佐敷按司を迎えるが、美里之子を初め多くの兵が戦死してしまった。その一とその二は、めでたしめでたしでお芝居は終わったのに、その三は辛い幕切れとなっていた。
 サハチは行けなかったが、メイユーたちはお祭りに行った。ナツも子供たちを連れて来ていたので、メイユーは子供たちとの再会を喜び、ハルとも会ってしまった。ナツはメイユーを旧港から来た人で、サハチの側室だと紹介した。ハルはメイユーを一目見て、自分よりも強いと悟り、素直に挨拶をしていた。
 メイユーたちは、荷物ごと奪い取った船は琉球に置いていった。永楽帝に命じられて役人たちが、その船を探し回っているかもしれなかった。進貢船より一回り小さい船で、サハチは朝鮮(チョソン)に行く船に使おうと思い、勝連から船乗りたちを呼んで操縦法を身に付けさせていた。
 今年は例年よりもメイユーと過ごす時間が多く、メイユーも側室になった事を実感していて、サハチも楽しい時を過ごしていた。楽しかった分だけ余計に別れは辛く、メイユーが去ったあと、胸にぽっかりと穴が空いたような空虚さが残った。
 三姉妹たちが帰った三日後、マウシの妻のマカマドゥが首里の御内原(うーちばる)で女の子を産んだ。マウシは男の子を望んでいたが、二人目も女の子だった。それでも、マウシは嬉しそうに赤ん坊を抱いていた。
 その翌日、十月十九日には、会同館の隣りに宗玄寺(そうげんじ)が完成した。
 ヤマトゥの大寺院に比べたら、こぢんまりとしたお寺だったが、首里にできた最初のお寺として、サハチは充分に満足していた。山門には達筆で『大聖寺(だいしょうじ)』と書かれた扁額(へんがく)が掲げてあった。サハチは宗玄寺にするつもりだったが、ソウゲンが首里の最初のお寺に自分の名を付けるのは恐れ多いと言って、大聖寺に決め、ソウゲン自ら揮毫(きごう)したのだった。
 山門の中は塀で囲まれていて、本堂と法堂と庫裏(くり)があった。本堂には御本尊のお釈迦(しゃか)様がいて、法堂は子供たちに読み書きを教える所、庫裏は住職のソウゲンの住まいだった。本堂、法堂、庫裏のあちこちに、新助の彫った龍が建物を守っているかのごとく飾られてあった。
 シビーの弟のグラーは馬天浜から島添大里に通って、ソウゲンから読み書きを習っていた。禅僧に興味を持っていて、以前からソウゲンに弟子にしてくれと頼んでいた。ソウゲンは弟子を取るつもりなどなかったが、お寺ができれば、跡を継ぐ者が必要だった。ソウゲンは七十の半ばを過ぎ、先はそう長くはない。グラーを弟子にして鍛え、跡を継がせようと考えた。半年前にグラーは頭を丸めてソウゲンの弟子となり、エイスクと名乗っていた。
 御本尊のお釈迦様を掘ったのは思紹(ししょう)だった。新助と栄泉坊から詳しい様子を聞いて、龍天閣(りゅうてぃんかく)の二階で彫っていた。完成するまで、誰も見てはいかんと言って、戸を閉め切った中で黙々と彫っていた。
 高さ三尺(約九〇センチ)ほどで、座禅を組んでいるお釈迦様は、どことなく祖父のサミガー大主に似た顔付きで、威厳があり、そして、暖かみもある神々しい姿をしていた。お釈迦様の回りには朝鮮から持って来た小さな仏像が並んでいた。
 その日、本堂で開眼供養(かいげんくよう)が行なわれた。ソウゲン禅師、ナンセン禅師、慈恩禅師の三人によってお経が読まれ、大勢の人が集まって来て、お祭り騒ぎになった。
 その夜、遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』で慰労の宴が開かれ、一徹平郎(いってつへいろう)、源五郎、新助の三人と大聖寺の普請に従事した主立った職人たちを招待した。半月ほど休んだら、次は南泉寺だった。ナンセン禅師は、南泉寺は僧侶を育てるお寺にしようと言って、修行するには郊外の方がいいだろうと首里グスクとビンダキ(弁ヶ岳)の中間辺りに建てる事に決まった。もう整地も終わり、材木もまもなくヤンバルから届くだろう。首里の都造りは順調に進んでいた。
 十一月十二日、四度目の進貢船を送り出して、サハチが島添大里グスクに帰った。山北王(さんほくおう)の娘をお嫁に迎えるチューマチが入る予定の新しいグスクの進行状況を見ていた時、侍女のマーミが来て、ウニタキが『まるずや』で待っていると知らせた。
 三姉妹が帰ってから一月近く、ウニタキとは会っていなかった。多分、ヤンバルから帰って来たのだろう。サハチは城下の『まるずや』に向かった。
 『まるずや』に行くのも久し振りだった。明国から帰って来て、ナツにお土産を持って行った時以来だった。島添大里グスクにはハルがいるので、ウニタキと会うわけにはいかなかった。
 馬天浜のお祭りのあと、島添大里グスクに帰って来たハルは相変わらず、佐敷ヌルと一緒にいて、お芝居の事を色々と学んでいた。この時期、佐敷ヌルはユリと一緒に、新作のお芝居の構想を練っていた。
 以前、古着屋だった『まるずや』は、古着だけでなく、色々な物が売っていた。ナツが一人でやっていた時とは違って、女主人と売り子の娘も二人いた。女主人の案内で、店の裏にある屋敷に行くと、縁側で絵地図を眺めていたウニタキは、サハチを見ると手を上げた。
「また、ここを使うようになるとは思わなかったよ」とウニタキは言った。
「今、店の者がここで暮らしているんだ」と言って、ウニタキは女主人のサチルーを紹介した。佐敷出身で、マチルギの弟子だという。
「知っているか」とウニタキは聞いたが、サハチは知らなかった。
「佐敷の女子サムレーのカリーと同期らしい」
 カリーはサハチも知っていた、佐敷の女子サムレーの三番組の隊長だった。カリーにしろ、サチルーにしろ三十歳に近かった。お嫁にも行かずに、中山王のために働いてくれるのは本当にありがたい事だった。
「よろしくな」とサハチはサチルーに言った。
 サチルーは頭を下げると下がって行った。ウニタキはニヤニヤ笑っていた。
「何がおかしいんだ?」とサハチはウニタキに聞いた。
「何でもないよ」とウニタキは手を振った。
 サハチは縁側に座ると、「『綿布屋(めんぷやー)』の様子はどうなんだ?」とウニタキに聞いた。
 『綿布屋』は朝鮮の綿布を売る店で、中山王が今帰仁に出した店だった。二番組のサムレーだったウトゥジが主人となり、女子サムレーを三人連れて行った。
「評判はいいぞ」とウニタキは言った。
「綿布は丈夫だからな。使い道は色々ある。ウトゥジもなかなか商売がうまい。サムレーより商人の方が向いているようだ」
「奴はウミンチュの倅で、子供の頃、母親が市場で魚を売るのをよく見ていたそうだ」
「そうか。母親が商売上手だったんだな」
 サハチはうなづいて、
「『まるずや』も今帰仁に出したのか」と聞いた。
「ああ、山田の『まるずや』の主人だったマイチに任せた。マイチはヤンバルの生まれなんだ。故郷に帰れたのが嬉しくて、毎日、出歩いているよ」
「出歩いている?」
「行商(ぎょうしょう)さ。羽地(はにじ)、名護(なぐ)、国頭(くんじゃん)と行って、按司と会って商売をまとめてきた」
「なに、按司に会って来たのか。よく会えたな」
 ウニタキは笑って、「ンマムイと一緒に行ったのさ」と言った。
「ンマムイも今帰仁に行っていたのか」
「頼んだら、快く引き受けてくれたよ」
「最近、姿を見ないと思ったら、ヤンバルに行っていたのか。それで、奴は帰って来たのか」
「一緒に帰って来たんだが、今、勝連(かちりん)にいる」
「勝連?」
「勝連の若按司の嫁さんは奴の姪(めい)なんだ。姪に武当拳(ウーダンけん)を教えてくれと頼まれて、勝連の娘たちに武当拳を教えている。若い娘たちに囲まれて、ニヤニヤしているよ」
「相変わらず、フラフラしている奴だな」
「奴のお陰で、ヤンバルの按司たちとの商売はうまく行ったんだよ。羽地按司とは米の取り引きをまとめ、名護按司とはピトゥ(イルカ)の塩漬けの取り引きをまとめ、国頭按司とは材木の取り引きをまとめた。三人とも明国の商品が欲しいんだよ」
「国頭按司と直接、材木の取り引きをしたら、山北王が怒るだろう」
「それが狙いさ。山北王を怒らせて対立させ、国頭按司を味方に引き入れるのさ」
「成程。そいつはうまく行きそうだな。しかし、手に入れた材木や米を運ぶのは大変だぞ」
「お前の親父が船も明国の商品も提供してくれた。すでに運天泊(うんてぃんどぅまい)に入っている。来月になったらたっぷりと荷物を積んで帰って来るよ」
「うまくやってくれよ。お前はまたヤンバルに行くのか」
「最初の取り引きだからな。俺も陰ながら立ち会うつもりだ。旅芸人たちを連れてヤンバルに行ってくる」
「馬天浜で旅芸人たちが演じた『瓜太郎(ういたるー)』は見事だったぞ。あれなら、どこに行っても恥ずかしくない」
「ああ、みんな、よくやってくれたよ。『浦島之子(うらしまぬしぃ)』と『瓜太郎』と二つの演目があれば充分だ。ヤンバルの小さな村(しま)の者たちが喜んで迎えてくれるだろう。話は変わるが、お寺(うてぃら)が完成したようだな」
「ああ、立派なお寺だよ」
「お寺が完成したのはいいが、ソウゲンが首里に行ってしまったら、誰が読み書きを教えるんだ? ここから首里まで通えまい」
「心配はいらんよ。クルシがヤマトゥから帰って来たら、ここで読み書きを教えてくれる事になっている」
「なに、黒瀬大親(くるしうふや)が子供たちに教えるのか」
「クルシももう六十の半ばになる。船旅がきつくなったと言っていた。それで、子供たちに読み書きを教えてくれって頼んだんだ。読み書きだけでなく、航海の事も教えてくれって頼んだ」
「そうか、そいつはいい。いい船乗りが育つだろう。俺の息子たちも船乗りになりたいと言っていた」
「言い忘れていたが、来年、ウニタルとシングルー(佐敷大親の長男)をヤマトゥに送るつもりだ」
「なに、ウニタルをか。ウニタルもヤマトゥに行く年になったんだな。ヤマトゥ旅から帰って来たら、お前の娘をお嫁にもらうか」
「まだ早い」とサハチは手を振った。
「マチルーはまだ十三だ。お嫁に行くのは十六になってからでいい」
「お嫁に出したくないんだろう」と言って、ウニタキはサハチの顔を見ながら笑っていた。

 

 

中国が海を支配したとき―鄭和とその時代 (ヒストリー・ブック・シリーズ)   中国人の南方見聞録―瀛涯勝覧