長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-107.屋嘉比のお婆(改訂決定稿)

 今帰仁(なきじん)をあとにした馬天(ばてぃん)ヌルの一行は運天泊(うんてぃんどぅまい)に行って、勢理客(じっちゃく)ヌルに歓迎された。
 勢理客ヌルは、馬天ヌルがヤンバル(琉球北部)のウタキ(御嶽)巡りをしている事を知っていて、首を長くして来るのを待っていた。
「名護(なぐ)に来たって聞いたので、こっちに来るかと待っていたのに、本部(むとぅぶ)の方に行っちゃったじゃない。もう、待ちくたびれたわよ」
 そう言って勢理客ヌルは怒った顔をしたが、すぐに笑って、「会いたかったわ」と再会を喜んだ。
「あたしも会いたかったわよ」と馬天ヌルも言って、手を取り合った。
「名護ヌルに会いに行ったら屋部(やぶ)にいて、それで、そのまま本部の方に行っちゃったのよ。それに、今帰仁のクボーヌムイ(クボー御嶽)の神様に会いたかったの」
「クボーヌムイの神様?」
「そうよ。前回に行った時、神様のお話の意味がよくわからなかったので、もう一度、行ってみたのよ」
「それで、今回はわかったの?」
 馬天ヌルはうなづいて、神様の話をしようとしたら、目付きの鋭い三十年配の偉そうな男が現れた。
「お師匠!」と男は叫んで、ヂャンサンフォン(張三豊)の前にひざまづいて、「武当拳(ウーダンけん)を教えて下さい」と頼んだ。
「湧川大主(わくがーうふぬし)よ」と勢理客ヌルは馬天ヌルに教えた。
「えっ!」と馬天ヌルは驚いた。
 まさか、湧川大主が現れるなんて思ってもいなかった。明国(みんこく)の海賊が来るのは来月だとウニタキ(三星大親)から聞いていた。今の時期はヤマトゥ(日本)の商人たちが帰るので、その見送りをするために親泊(うやどぅまい)にいるだろうと言っていた。どうして運天泊に現れたのか、どうしてヂャンサンフォンがここにいる事を知っているのか、馬天ヌルにはわからなかった。湧川大主は五年前、自分を殺そうとした男だった。
 麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)は息が止まるかと思うほどに驚いていた。十六年振りに見る湧川大主は、すっかり貫禄がついて、一角(ひとかど)の武将に見えた。両親と兄の敵(かたき)が目の前に突然、現れて、麦屋ヌルは恐ろしさで体が震え、隠れようと思っても体は動かなかった。
テーラー(瀬底之子)からそなたの事は聞いている。教えてもかまわんが、どうしようかのう」とヂャンサンフォンが馬天ヌルを見た。
「あたしたちが安須森(あしむい)まで行って、戻って来るまで教えたらいかがですか」と馬天ヌルは言った。
「そうじゃのう。何日くらいで戻って来るかな」
 馬天ヌルは少し考えて、「十日くらいでしょう」と言った。
「十日間の修行じゃがよろしいかな」とヂャンサンフォンは湧川大主に聞いた。
「十日間で結構です。わしもそれほど暇ではないので、十日間で充分です」
 ヌルの屋敷に男は泊められないからと言って、湧川大主はヂャンサンフォンと奥間大親(うくまうふや)とゲンを自分の屋敷に連れて行った。
 湧川大主が出て行くと、麦屋ヌルはめまいがして倒れそうになり、運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)に支えられた。
「旅の疲れが出たみたい」と運玉森ヌルが言うと、勢理客ヌルは、「ゆっくり休むといいわ」と言って、麦屋ヌルを屋敷の奥の間に案内した。
 マチ、サチ、東松田(あがりまちだ)の若ヌル、カミーは、勢理客の若ヌルと一緒に近所の散策に出掛けた。勢理客の若ヌルは湧川大主の娘のランで、マチとサチと同い年の十七歳だった。
 若ヌルたちが出て行くと、
「湧川大主様ってどんな人なの?」と馬天ヌルは勢理客ヌルに聞いた。
「兄の山北王(さんほくおう)(攀安知)をうまく補佐しているわ。今回、中山王(ちゅうざんおう)(思紹)と同盟を結ぼうと言い出したのは湧川大主なのよ。その話を聞いた時、わたしも驚いたわ。山南王(さんなんおう)と同盟を結んでから一年も経っていないのに、中山王と同盟を結ぶなんて、普通は考えられない事よ。普通の人が考えないような事をするのが湧川大主ね。まだ、大きな戦(いくさ)の経験はないけど、思いもしないような作戦を立てるかもしれないわ。そして、今の姿を見たでしょ。自分がやりたいと思った事は、周りの目を気にする事なく実行するわ。若い頃、今帰仁グスクではなくて、本部で自由に育ったからよかったのかもしれないわね。あまり、堅苦しい事は好きじゃないみたい。明国の海賊たちやヤマトゥの倭寇(わこう)と付き合うのが性(しょう)に合っているようね」
「敵に回したら恐ろしそうね」と馬天ヌルは言った。
「そうかもしれないわね。でも、同盟を結んだから、当分は戦もないでしょう。お嫁に行ったマナビーだけど、島添大里(しましいうふざとぅ)が気に入ったみたいね」
「ええ、いい娘さんだわ。朝から武芸の稽古に励んでいるわよ」
「油屋から聞いたけど、島添大里の奥方様(うなじゃら)は武芸の名人なんですってね」
「あたしのお師匠様ですよ」と馬天ヌルは笑った。
「そうだったの。奥方様が武芸の名人なら、娘たちが武芸に励むのも当然だわね」
「あたしの娘なんだけどね、ヌルの修行と剣術の修行を一緒に積んでいたの。だから、ヌルというのは武芸もできなければならないって、ずっと思っていたらしいわ」
「そうだったの」と勢理客ヌルは楽しそうに笑った。
「あたしの娘だけじゃなくて、佐敷のヌルも島添大里のヌルも、みんな、強いわよ。さっきの話の続きなんだけど」と言って、馬天ヌルは安須森の事を話した。
 勢理客ヌルは志慶真(しじま)の長老から聞いて、初代の今帰仁按司が小松の中将(ちゅうじょう)と呼ばれていた平維盛(たいらのこれもり)だと知っていたが、その維盛が安須森を滅ぼした事は知らなかった。
「先代の今帰仁ヌルから安須森の話は聞いていて、先代に連れられて行った事はあるわ。見るからに凄い山で、古いウタキがいっぱいあるんだろうと思っていたけど、妙に静かで、神様はいらっしゃらなかった。わたしの神名(かみなー)の『アオリヤエ』は安須森ヌルの神名だったって聞いていたけど、安須森がこんな所なら、今帰仁のクボーヌムイの方がずっと凄いウタキだと思ったのよ。そんな事情があったなんて、全然知らなかったわ。あなたの娘がヤマトゥまで行って、豊玉姫(とよたまひめ)様の事を調べたのね。凄いヌルなのね」
「ヂャンサンフォン様の修行なんだけどね、あたしも娘も受けたのよ。呼吸法とか静座(せいざ)とかあってね、それを身に付けるとシジ(霊力)も高くなるし、体が軽くなって、若返りもするのよ。せっかくだから、あなたも一緒に修行した方がいいわ」
「あたしみたいな者でも受けられるの?」
「大丈夫よ。基本を身に付ければ、あとはそれを持続するだけなのよ。難しい事なんて何もないわ。運玉森ヌル様なんだけど、何歳だかわかる?」
「そうねえ」と勢理客ヌルは運玉森ヌルを見て、「三十代の後半でしょ」と言った。
「マトゥイヌル(麦屋ヌル)さんと同じくらいじゃないの」
 馬天ヌルも運玉森ヌルもクスクス笑った。
「あたしたちよりも年上なのよ」と馬天ヌルが言うと、
「えっ!」と勢理客ヌルは驚いて、口をポカンと開けていた。
「信じられないわ。あなたも前回会った時から、ちっとも変わってないって驚いていたんだけど、運玉森ヌル様があたしよりも年上だなんて、どう見ても考えられないわ」
「運玉森ヌル様はヂャンサンフォン様と出会ってから、どんどん若くなっていくの。あたしも会うたびに驚いているわ。ところで、ヂャンサンフォン様はいくつだと思う?」
「男の人は若返るといっても、そんなに変わらないでしょ。五十代の半ばよ」
 馬天ヌルと運玉森ヌルは顔を見合わせて笑った。
「正解は百六十六歳」
「百六十‥‥‥まさか?」
「本当よ。生まれたのは元(げん)の国ができる前だったそうよ。武芸の名人だけでなく、道士としても凄い人なの。唐人(とーんちゅ)でヂャンサンフォン様の名を知らない人はいないでしょう」
「そんな凄い仙人みたいな人が、どうして琉球にいるの?」
「明国の皇帝がヂャンサンフォン様に会いたいと言って探しているの。会えば皇帝に仕えなければならない。断れば殺されるかもしれない。それで、琉球に逃げて来たのよ」
「明国の皇帝が会いたいというほどのお人だったの?」
「そうなの。凄いお人なのよ。あなたも湧川大主様と一緒に修行した方がいいわ。若ヌルも一緒にした方がいいわね」
「わかったわ」と言って、勢理客ヌルは運玉森ヌルを見て首を傾げ、「わたしも若返るわ」と言った。
 次の日、勢理客ヌルは若ヌルと一緒に、ヂャンサンフォンの修行に加わった。馬天ヌルたちはヂャンサンフォンを運天泊に残して、羽地(はにじ)へと向かった。
 羽地ヌルは前回に来た時は愛想がなく、ウタキの案内もしてくれなかったのに、今回はやけに愛想よく迎えてくれた。おかしいと思っていたら、どうやら、湧川大主がヂャンサンフォンに会いに来たのを、馬天ヌルたちを迎えに行ったものと勘違いしたようだった。湧川大主の行動は皆が注目していて、その意に沿うようにと心掛けているらしい。
 まるで人が変わったような羽地ヌルの案内で、羽地のウタキを巡り、羽地ヌルと別れて国頭(くんじゃん)に向かった。麦屋ヌルは、湧川大主が追って来ないかと恐れ、運天泊から早く遠くに行きたいようだった。
 塩屋湾を小舟(さぶに)で渡り、山の中に入って、日が暮れる前に何とか、国頭に到着した。間もなく暗くなるので、国頭ヌルを訪ねるのは明日にして、奥間(うくま)の杣人(やまんちゅ)の親方で、国頭を仕切っているトゥクジ(徳次)の屋敷にお世話になる事にした。トゥクジは猪鍋(やまししなべ)で持て成してくれた。山道を歩いて疲れていたので、おいしい猪鍋は疲れをいっぺんに取ってくれた。
 トゥクジは、国頭按司が中山王と材木の取り引きを始めたので忙しくなったと言っていたが、それを喜んでいた。山北王のために木を切るよりも、中山王のために木を切った方が稼ぎになるという。以前は山北王の『材木屋』が一手に引き受けていたので、相手の言いなりだったが、中山王の『まるずや』が加わってきたので、『材木屋』も材木の値を上げてくれたという。
「『まるずや』が材木の取り引きに加わって、山北王は怒っていないの?」と馬天ヌルはトゥクジに聞いた。
「今の所は怒ってはおりません。『まるずや』のお陰で、羽地、名護、国頭の三人の按司が、中山王と取り引きを始めたのを喜んでおります。三人の按司たちは明国の海賊たちと取り引きができないので、進貢船(しんくんしん)を出してくれとうるさいように山北王に言っておりましたから、それが黙ったので、よかったと思っているのでしょう」
「三人の按司たちはどうして、海賊たちと取り引きができないの?」
「初めの頃はやっていたようです。三人の按司たちは山北王からヤマトゥの商品を買って、海賊と取り引きをしておりましたが、海賊の方が面倒くさくなったのでしょう。山北王から買えばいいと言って、取り引きをやめてしまったのです。海賊たちから見れば、珍しい商品を持っているわけではなく、山北王の商品と同じですからね。一々、三人の按司と取り引きする必要もないわけです。それに、三人の按司たちが欲しがっているのはヤマトゥの刀です。ヤマトゥの刀は海賊との取り引きに使うので、山北王が独り占めしてしまって、三人の按司たちは手に入れられません。中山王は刀も売ってくれると言って喜んでおります」
 三人の按司たちが中山王とのつながりを強くすれば、いつかは山北王が怒るような気がした。馬天ヌルはハッとなって、それが狙いなのかと気が付いた。そうなると、羽地、名護、国頭のヌルたちとは仲よくしておいた方がいいと思った。愛想がよくなった羽地ヌルと、もっと親しくなるべきだったと後悔した。
 翌日、出掛ける時、「お船が見えます」と東松田の若ヌルが突然、言った。
お船?」
「あたしたち、みんながお船に乗っています」
 馬天ヌルは首を傾げた。船と言えば、水軍の大将のヒューガ(日向大親)を思い浮かべたが、ヒューガが来るとは思えない。どこかの川の渡し舟だろうと思って、「お船に乗るのを楽しみにして出掛けましょう」と馬天ヌルは東松田の若ヌルに言った。
 国頭ヌルを訪ねると歓迎してくれた。前回に来た時も、こんな遠くまでよく来てくれたと歓迎してくれた。馬天ヌルと一つ違いの年齢なので、話も合って、気も合った。国頭ヌルとウタキを巡って、安須森の話をすると、安須森の事なら屋嘉比(やはび)のお婆がよく知っているというので、会いに行った。屋嘉比のお婆の屋敷は屋嘉比川(田嘉里川)の向こう側にあり、筏(いかだ)に乗って渡った。
 屋嘉比のお婆はかなりの高齢だった。自分でも年齢(とし)がわからず、多分、八十歳は過ぎているだろうと言った。以前は屋嘉比ヌルだったが、三十年も前に娘に譲っている。その娘はお婆より先に亡くなってしまい、今は孫娘の代になっていた。ヌルを引退してからも、お婆はお祈りは欠かさずに続けているという。
 お婆は馬天ヌルのガーラダマ(勾玉)をじっと見つめて、
「それはチフィウフジン(聞得大君)のガーラダマではないのか」と驚いた顔をして馬天ヌルを見た。
「そうです」と馬天ヌルは答えた。
「そなたが持っておられたのか。久し振りに見させてもらった」と言って、お婆はガーラダマに両手を合わせた。
 お婆は若い頃、浦添(うらしい)に行って、浦添ヌル(チフィウフジン)と会い、そのガーラダマを見ていた。凄いガーラダマだと感心したので覚えていた。今帰仁浦添ヌルが来たと聞いた時、会いに行ったが、浦添ヌルのガーラダマはそれではなかった。浦添ヌルは自分が身に付けているガーラダマが、先代から譲り受けた物だと言った。お婆はあの凄いガーラダマは、どうしてしまったのだろうとずっと気になっていた。突然、現れた馬天ヌルが、そのガーラダマを身に付けていたので驚いたが、馬天ヌルを見て、そのガーラダマにふさわしいヌルだと納得していた。
「お婆、安須森のお話を聞かせてよ」と国頭ヌルが言った。
「安須森は凄いウタキだったそうじゃ。しかし、何者かによって、神様たちは封じ込められてしまったんじゃよ。屋嘉比森(やはびむい)の神様の話によると、まだここにグスクができる前、屋嘉比森には御宮(うみや)があって、南部から安須森に向かうヌルたちが立ち寄って賑やかだったそうじゃ」
「ここにも御宮があったのですか。名護にもあったようですね」と馬天ヌルは言った。
「今はすっかり忘れ去られてしまったが、安須森はヤンバルを代表する凄いウタキだったんじゃよ。ヌルだけでなく、あちこちの村々(しまじま)から大勢の女子(いなぐ)たちがヌルに連れられてお祈りに行っていたそうじゃ」
「安須森の封印は解けました」と馬天ヌルは言った。
「なに?」とお婆は目を大きくして、馬天ヌルを見つめた。
「わたしの姪の佐敷ヌルによって、封印は解かれました」
「そうじゃったのか。最近、ここの神様がおらんようになったのは、安須森に行っているんじゃな。わしも行かなくてはならん」
「えっ!」と馬天ヌルたちは驚いた。
 ぺたっと座っている姿から歩くのもやっとのように思えたが、お婆は立ち上がると杖をついて、腰を曲げたまま、よたよたと歩いて、火の神様(ひぬかん)を拝みに行った。
 その後のお婆の行動は素早かった。国頭按司に命じて船を用意させて、馬天ヌルたちも一緒に船に乗って安須森に向かった。国頭ヌルも孫娘の屋嘉比ヌルも、お婆に命じられて付いて来た。途中で奥間(うくま)ヌルも呼んで来て、一緒に行った。
 奥間ヌルは屋嘉比のお婆に呼ばれてやって来たら、その船に馬天ヌルがいたので驚き、再会を喜んだ。
「凄いお婆ね」と馬天ヌルが奥間ヌルに言うと、奥間ヌルはうなづいて、
「先代の奥間ヌルと仲がよかったのです」と言った。
「先代と一緒に山の中で厳しい修行を積んだのです。ガマ(洞窟)の中に籠もってお祈りを続けたり、滝に打たれたり、わたしも一緒に行った事がありますが、険しい山の中を平地のように走っていて、とても付いては行けませんでした。今はもう九十を過ぎているので、そんな事はないとは思いますけど、本当に凄いお婆です」
「えっ、九十を過ぎているの?」
「先代が亡くなった時、八十一歳でした。あれから十四年が過ぎています。先代より二歳年下だと聞いていますから、九十三じゃないですかね」
「九十三‥‥‥凄いお婆だ」と馬天ヌルは甲板(かんぱん)の上に座り込んで、遠くをじっと見つめているお婆を見た。
「馬天ヌル様はどうして、国頭按司お船に乗っているのですか」
 馬天ヌルは奥間ヌルに事の成り行きを説明した。
「そうだったのですか。先月、わたしも佐敷ヌル様と一緒に安須森に行きました。佐敷ヌル様は神様扱いされていました。お婆に知らせようと思ったのですが、あの年齢(とし)では安須森に登るのは無理だろうと思って黙っていたのです」
「登る気でいるわよ」と馬天ヌルは笑った。
「ところで、あのお婆は按司も動かせるほど、偉い人なの?」
「親戚なんですよ。三代目の今帰仁按司の次男が国頭按司になって、その次男が屋嘉比大主(やはびうふぬし)になったようです。それに、お婆は子供の頃から按司の事を知っているから、何か弱みを握っているんじゃないかしら」
「ヌルとしての貫禄もあるから、誰も逆らえないわね」
「そうですよ。わたしだって、わけもわからずに呼ばれて、やって来たんですから。お婆に呼ばれたのなら仕方がないと皆、思っているから大丈夫ですけど」
 奥間から険しい山道を歩いて、たっぷり一日掛かるのに、船だとあっという間に、安須森が見えてきた。一時(いっとき)(二時間)余りで宜名真(ぎなま)に着いて上陸した。険しい山道を登って崖の上に出て、安須森へと向かった。国頭ヌルも屋嘉比ヌルも気を使っていたが、お婆は平気な顔をして歩いていた。
 安須森の麓(ふもと)にある村(しま)に近づくと、カミーは我が家へと駆け寄って行った。カミーの姿に気づいた母親が「カミー」と叫んで、駆け寄って来たカミーを抱きしめた。カミーがしゃべれる事に驚いて、
「お前、しゃべれるようになったのかい」と涙を流しながら喜んでいた。
 辺戸(ふぃる)ヌルは一行を歓迎して迎えたが、お婆は休む間もなく、安須森に登ると言い出して、馬天ヌルたちもお婆に従った。辺戸ヌルも付いて来た。
「お婆は前にもここに来た事があるのですか」と馬天ヌルは歩きながら辺戸ヌルに聞いた。
「以前は十二年に一度、必ず、来ておりました。最後に来られたのは十五年くらい前でしょうか。この前の子年(ねどし)に来られなかったので、もう亡くなってしまわれたのかと思っておりました。まさか、まだ生きておられて、馬天ヌル様と御一緒にやって来るなんて驚きました。それに、カミーの事も驚きです。どうして、しゃべれるようになったのですか」
「佐敷ヌルが安須森の封印を解いたのと同時にしゃべれるようになったのです。カミーが自分でそう言いました。自分は新しい安須森ヌルを助けるために生まれたけど、封印のお陰でしゃべる事も聞くこともできなかったと言っていました」
「あの子、ヌルになる気なのですか」
「わたしから教えを受けるつもりで、首里(すい)までやって来たようです。アフリヌルを継がなければならないと言っていました」
「そうだったのですか。あの子がそんな事を考えていたなんて‥‥‥やはり、アフリヌル様の孫なのですね」
 まるで奇跡のようだった。安須森に入った途端、お婆は若返ったかのように、しゃきっとして、ウタキにお祈りを捧げながら、険しい山道を誰の手助けもなく登って行った。
 安須森は前回来た時とすっかり変わっていた。神々しい霊気に満ちていて、まさしく、ヤンバルを代表する凄いウタキになっていた。誰もが真剣な顔付きになって、真摯(しんし)な気持ちで神様にお祈りを捧げた。
 山頂で『安須森姫』の神様が待っていた。
「ありがとう」と神様は馬天ヌルにお礼を言った。
「アフリヌル様から、あなたのガーラダマを渡された時、あの時から、この日が来るのを待っておられたのですね。あの時、わたしは何も知りませんでした。あれから十二年も掛かってしまって、申しわけございませんでした」
「いいのよ。あなたはちゃんとやるべき事をやったわ。二百年以上も封じ込められていたのだから、十二年なんて短いものよ」
「ありがとうございます。アフリヌル様が神様のお告げがあって、あなたのガーラダマをわたしに渡したと言いましたが、そのお告げはあなたのお告げだったのでしょうか」
「そうですよ。封じ込められて声を出す事はできませんが、ガーラダマを通してお告げを言う事ができるのです。とても難しい事なのですが、何とかアフリヌルに伝える事ができたのです」
 馬天ヌルのガーラダマも時々、しゃべっていた。ただ漠然と神様の声だと思っていたが、あの声はチフィウフジンの声に違いないと思った。でも、いつの時代のチフィウフジンなのだろうか。真玉添(まだんすい)(首里)の最後のチフィウフジンは運玉森で亡くなったと聞いている。そのチフィウフジンの声なのだろうか。確認しなくてはならないと思った。
「ありがとう」と別の神様がお礼を言った。
「久し振りに妹の安須森姫に会えたわ。あなたの娘が伯母様(玉依姫)をヤマトゥから連れて来てくれたんですってね。わたしも会ったのよ。懐かしかったわ」
「あなたはアマン姫様の娘さんですね」
「そうです。あなたの娘さんは、妹のユンヌ姫をヤマトゥに連れて行って、お祖父(じい)様(スサノオ)に会わせてくれたんですってね。色々とありがとう」
 馬天ヌルはササが与論島(ゆんぬじま)で、ユンヌ姫に会ったという話は聞いているが、ユンヌ姫をヤマトゥに連れて行った事は知らなかった。
「わたしの娘がお役に立つのでしたら、どんどん使ってやって下さい」と馬天ヌルは神様に言った。
「わたしは安須森姫とユンヌ姫の姉の『真玉添姫』です」と神様は名乗った。
「もしかして、このガーラダマの持ち主だった神様ですか」と馬天ヌルは胸に下げたガーラダマをさわった。
「そうです。神名はチフィウフジンです。安須森の封印が解けたと聞いて、首里からやって来たのです
「えっ、首里?」
 首里グスクの『キーヌウチ』には、真玉添姫のウタキはなかった。首里のどこにあるのだろうと聞こうとしたら、
「わたしのウタキは首里グスクを造る時に破壊されてしまったのよ」と神様は言った。
「そんな‥‥‥」と馬天ヌルはあまりの驚きで言葉がでなかった。真玉添の中心になっていた真玉添姫のウタキが破壊されたなんて信じられなかった。
「無理もないのよ。首里グスクを建てた時、ここと同じように、わたしたちは封じ込められていたのよ。当時の浦添ヌルにはわからなかったのよ。あなたが『キーヌウチ』に新しいウタキを造ってくれれば、わたしはそこに降りて行くわよ」
「わかりました。ウタキを造ります。これからもわたしたちをお守り下さい」
「わたしのウタキも作って下さい」と別の神様が言った。
 安須森姫の妹の『運玉森姫』だった。運玉森姫のウタキも、島添大里按司が側室のための屋敷を建てた時に破壊されたという。
「それはわたしが造ります」と運玉森ヌルが言った。
「あなたはサスカサだったわね。あなたが久高島(くだかじま)のフボーヌムイ(フボー御嶽)から出てから、すべてがうまい具合に動き始めたわ。ありがとう」
 運玉森姫が運玉森ヌルと話している時も、馬天ヌルは別の神様から話し掛けられていた。
 神様たちと話をして、神様たちからお礼を言われている馬天ヌルを見ながら、屋嘉比のお婆は生き神様に違いないと、馬天ヌルに両手を合わせていた。
 馬天ヌルは佐敷ヌルと同じように、ぐったりと疲れて安須森を下りた。屋嘉比のお婆のお陰で、馬天ヌルは神様として祀られ、村人たちが皆、集まって来て、歓迎の宴(うたげ)が開かれた。

 

 

 

泡盛 丸田 1800ml 一升瓶 30度×6本 田嘉里酒造所