長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-132.二人の山南王(改訂決定稿)

 八重瀬(えーじ)グスクが炎上している頃、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクでは山南王(さんなんおう)の就任の儀式が盛大に行なわれていた。
 山南王になった摩文仁大主(まぶいうふぬし)(先代米須按司)は、シタルー(先代山南王)が冊封使(さっぷーし)から賜(たま)わった王様の着物を着て王冠をかぶり、感無量の顔付きだった。兄の武寧(ぶねい)が中山王(ちゅうさんおう)になった時、いつか必ず山南王になってやると心に密かに誓っていた。諦めかけていた、その夢が今、現実のものとなったのだった。
 王妃になった摩文仁大主の妻も嬉し涙で目が濡れていた。島尻大里按司の兄が、初代の山南王になったのは、長男のジャナ(米須按司)が生まれた年だった。夫婦揃ってお祝いに行き、その晴れがましい兄の姿は、今も瞼(まぶた)に焼き付いている。兄が亡くなって、甥の若按司が跡を継いだが、甥は中山王(武寧)から奪った高麗(こーれー)の美女と一緒に高麗に逃げてしまい、叔父の島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)に山南王の座を奪われた。あれから二十年という長い歳月が流れ、今、ようやく取り戻す事ができた。まるで、夢を見ているかのように幸せだった。これで、御先祖様に顔向けができると思うと嬉しくて、涙が知らずにこぼれてきた。
 山南王と王妃が島尻御殿(しまじりうどぅん)(正殿)の前に座って、御庭(うなー)には家臣たちがずらりと並んだ。島尻大里ヌルになった米須(くみし)ヌル、大村渠(うふんだかり)ヌル、慶留(ぎる)ヌル、真壁(まかび)ヌル、玻名(はな)グスクヌル、与座(ゆざ)ヌル、真栄平(めーでーら)ヌルによって儀式は執り行なわれ、摩文仁大主は『摩文仁』という名で、山南王に就任した。
 儀式のあとは南の御殿(ふぇーぬうどぅん)の大広間で祝宴が行なわれ、城下にある遊女屋(じゅりぬやー)『若夏楼(わかなちるー)』の遊女(じゅり)たちも参加して賑やかな宴(うたげ)となった。
 宴が始まって半時(はんとき)(一時間)後、島尻大里グスクは他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の一千人の兵に包囲された。城下の人たちがグスクに入れてくれと殺到したが、御門(うじょう)が開く事はなく、追い返された。城下の人たちが諦めて散って行くと、総大将の波平大主(はんじゃうふぬし)は兵を配置に付けて、攻撃する事なく陣地造りを始めた。
 守備兵から他魯毎の総攻撃を知った摩文仁は慌てる事なく、いつも通りの守備をしていればいいと言っただけで、遊女を相手に機嫌よく酒を飲んでいた。
 摩文仁は敵の総攻撃を知っていた。大村渠ヌルと慶留ヌルが山南王の就任の儀式をやろうと言って来た時、おかしいと感じた。大村渠ヌルも慶留ヌルも以前、島尻大里ヌルだった。今までどこにいたのか姿を見せなかった二人が、突然、現れて、そんな事を言うのが不自然だった。摩文仁は二人を歓迎して、それはいい考えだと二人に任せたが、次男のクグルー(摩文仁按司)に豊見(とぅゆみ)グスクの様子を探らせた。
 摩文仁が幼い頃、養子になって米須に来た時、護衛役として一緒に来たタルキチというサムレーがいた。タルキチは察度(さとぅ)(先々代中山王)が倭寇(わこう)として壱岐島(いきのしま)で暴れていた時の配下で、察度が浦添按司(うらしいあじ)になる時もサムレー大将として活躍した。
 クグルーはお爺と呼んでタルキチといつも一緒にいた。タルキチから武芸を習い、小舟(さぶに)の操り方も習ってキラマ(慶良間)の島に行ったり、一緒に旅に出てヤンバル(琉球北部)までも行っていた。クグルーが十七歳の時、タルキチは七十五歳で亡くなった。タルキチが亡くなったあとも、クグルーは一人で旅に出たりしていた。そんなクグルーに、摩文仁は各地の情報を集めてくれと頼んだ。それは面白そうだとクグルーは配下の者を集めて情報集めを始めた。じっとしているのが苦手なクグルーにとって、あちこちに行って情報を集めるのは自分に合っている仕事で熱中できた。
 思紹(ししょう)が中山王になった時に側室を贈ったのもクグルーの提案で、側室に付いて行った侍女はクグルーの配下の者だった。父がタブチ(先代八重瀬按司)からシタルー(先代山南王)に寝返った時も、シタルーに側室を贈ったが、他魯毎には贈っていなかった。その代わり、侍女が豊見グスクに入っていた。クグルーが情報集めを始めてからすでに十年が経っているので、豊見グスクの城下に住み着いた配下の女が、奥方様(うなじゃら)(マチルー)の目に止まって、侍女になれたのだった。
 豊見グスクの守りは厳重になっているが、敵が攻めて来ているわけではないので、用があれば侍女たちは城下に行く事ができた。その侍女から山南王就任の儀式の時、他魯毎が総攻撃を掛ける事を知ったのだった。
 その事を知ったのはクグルーだけではなかった。真壁按司も慶留ヌルのフシから聞いていた。フシには二人の子供がいて、父親は真壁按司だった。
 真壁按司は若按司だった頃、フシに一目惚れをした。しかし、山南王のヌルとして島尻大里グスク内に住んでいるフシに近づく事もできず、気軽に声を掛ける事もできなかった。山南王(汪英紫)が亡くなって、シタルーが山南王になった時、フシはシタルーの妹に島尻大里ヌルの座を譲って、慶留ヌルとなってグスクから出た。
 若按司はフシに会いに行って、八年前に一目惚れをした事を告げた。フシは自分をからかっていると思って相手にしなかった。若按司は何度も会いに行って、世間話などをして帰って行った。
 フシが島尻大里ヌルだった時、ウタキ(御嶽)巡りをしている馬天(ばてぃん)ヌルが訪ねて来て、フシは古いウタキを案内した。先代の島尻大里ヌル(大村渠ヌル)よりも色々な事を知っている馬天ヌルをフシは尊敬した。フシは当時、二十七歳で、マレビト神に出会えない事を心配して、馬天ヌルに相談した。馬天ヌルも三十を過ぎてから出会ったから大丈夫よと言った。でも、心を閉ざしていると気づかない場合があるから気を付けてねと言った。
 フシは馬天ヌルの言葉を思い出して、自分はずっと心を閉ざしていたのかもしれないと思った。山南王の伯父は厳しい人だった。伯父に弱みは見せられないと常に気を張っていて、心も閉ざしてしまったのかもしれなかった。心を落ち着けて思い出してみると、真壁按司の視線を時々、感じていたのは確かだった。でも、ヌルとしての自分に自信がなくて、早く一人前のヌルにならなければならないと焦っていて、マレビト神の事を考える余裕はなかった。
 若按司と何度も会って話をして、ようやく、マレビト神だった事に気づいたフシは若按司と結ばれた。翌年、娘が生まれて、その三年後には男の子も生まれた。島尻大里ヌルを辞めて、ようやく、自分らしい生き方ができるようになったと感じていた。
 何だかよくわからないが山南王のシタルーが亡くなったという噂が流れて、しばらくして、豊見グスクヌルと座波(ざーわ)ヌルがやって来た。二人は王妃のために豊見グスクに来てくれと言った。何で王妃のためにと思ったが、豊見グスクに入れば何か重要な事がわかるかもしれない。その重要な事をお土産に真壁按司に会おうと慶留ヌルは思った。二人の子供は真壁按司の伯母、名嘉真(なかま)ヌルに預けてあった。二人の子供は名嘉真ヌルを本当の祖母のように慕っていた。
 豊見グスクに入って一月近くが経った頃、重要な任務を任されて島尻大里グスクに来たのだった。慶留ヌルは真壁按司と会って、他魯毎の作戦を教えた。
 他魯毎の総攻撃を知った摩文仁は、五人の重臣たちを御庭の中央に集めて、総攻撃に対する作戦を練った。
「敵の狙いは按司たちを皆、このグスクに閉じ込める事じゃな」と新垣按司(あらかきあじ)が言った。
「大村渠ヌルはなるべく多くの人が参加した方が縁起がいいと言っていた。兵たちも閉じ込める魂胆じゃ」と山グスク大主(先代真壁按司)が言った。
「敵がその気なら逆手を取るしかないですね」と波平按司(はんじゃあじ)が言った。
「グスクに入れる兵をなるべく少なくして、敵の総攻撃を待ち伏せしよう」と真栄里按司(めーざとぅあじ)が言った。
 皆がうなづいて、綿密な作戦を練った。それから六日後、山南王の就任の儀式が行なわれ、予定通りに島尻大里グスクは他魯毎の兵に包囲された。
 遊女屋の女将が心配そうな顔でやって来て、
「王様(うしゅがなしめー)、グスクが敵に包囲されたと聞きましたが、大丈夫なのですか」と摩文仁に聞いた。
「その王様という響き、いいのう」と摩文仁は嬉しそうな顔をして女将を見た。
「王様」と女将は色っぽい目付きでもう一度言った。
「いいのう」と摩文仁は笑って、「心配ない」と言って機嫌よく酒を飲んだ。
「敵の攻撃は計算済みじゃ。今夜は楽しく飲み明かそうぞ。朝になれば、この戦も終わっているじゃろう」
「あら、本当ですの? そんな秘策がおありなのですか」
「二人も山南王はいらんからのう。偽者はさっさと退治しなければならん」
 摩文仁は愉快そうに笑って、女将の前に酒盃(さかづき)を差し出した。


 夜も更けて、島尻大里グスクの周りはいくつもの篝火(かがりび)で囲まれていた。天も摩文仁を祝っているのか、空には満天の星が輝いていた。高い石垣に囲まれたグスクの中は見えないが、祝宴は続いているとみえて、時折、賑やかな笑い声が風に運ばれて聞こえて来た。
 まだ夜が明けきらぬ早朝、東の空がいくらか明るくなり始めた頃、大(うふ)グスク、与座(ゆざ)グスク、新垣グスクの三か所から摩文仁の兵が、島尻大里グスクを包囲している他魯毎の陣地を目指して出撃した。敵はまだ眠りについている。起きていたとしても戦支度はしていない。皆殺しだと、摩文仁の兵は敵陣目掛けて突撃した。
 ところが、不思議な事に敵陣に敵兵は一人もいなかった。消えた篝火と所々に杭が打ってあるだけだった。どこの陣地も同じで、一体、敵はどこに消えたのだと摩文仁の兵は辺りを見回していた。
「夜中に逃げやがった」と誰かが言って、
「怖じ気づいたに違いない」と別の兵が言って、数人が笑った。
 総大将の新垣按司は副大将の真栄里按司を呼んで、「敵はどこに消えたんじゃ?」と聞いた。
 真栄里按司は首を傾げて、
「そういえば、大グスクを包囲していた敵もいなかったぞ」と言った。
「もしや、また裏をかかれたのではないのか」と新垣按司が言った時、法螺貝(ほらがい)の音が鳴り響いた。
 法螺貝の鳴った南の方を見ると敵が攻めて来るのが見えた。北の方からも法螺貝の音が聞こえた。北からも敵が攻めて来た。
「皆、配置に付け!」と新垣按司は叫んで、合図の法螺貝を吹いた。しかし、間に合わなかった。
 一旦、崩れてしまった態勢を立て直す事はできず、敵の攻撃に押し負け、兵が次々に倒れていった。摩文仁の兵たちは我先にと島尻大里グスクの御門(うじょう)へと向かった。新垣按司の命令で御門が開けられ、摩文仁の兵たちはグスク内へと逃げ込んだ。
 他魯毎の包囲陣を攻撃したのは、およそ一千人の兵で、兵たちを指揮していたのは按司たちだった。儀式に参加したのは皆、偽者の按司たちで、その事に気づいた大村渠ヌルは儀式のあと、捕まって蔵の中に閉じ込められていた。勿論、テハの配下の者もグスクから出さないように、厳重に見張っていた。
 摩文仁の兵たちがグスク内に逃げ込むと他魯毎の兵たちは昨日と同じように、グスクを包囲して陣地造りを再開した。ほとんどの按司も兵も島尻大里グスクに閉じ込められた。それぞれの本拠地のグスクには、グスクを守っている五十人前後の兵がいるだけなので、他魯毎の包囲陣を攻撃する力は持っていなかった。
 山南王の執務室で、新垣按司から話を聞いて、摩文仁は信じられないと言った顔で宙を見ていた。
 急に笑い出すと、「李仲按司(りーぢょんあじ)め、なかなかやるのう。わしが裏をかいたら、その裏をかきおった」と摩文仁は言って、苦虫をかみ殺したような顔をして、「何人、やられたんじゃ?」と聞いた。
「二百はやられたかと。しかし、敵も百はやられているはずじゃ」
「わしらの半分か。そして、按司たちは皆、グスクに入ってしまったんじゃな」
「玻名グスク按司摩文仁按司の姿がありません。グスクに入らずに本拠地に逃げたものと思われます」
「なに、クグルーが逃げたか」
 摩文仁は満足そうに笑った。
「それと、イシムイ(武寧の三男)も見当たりません。どこかに逃げたものと思われます」
「イシムイも逃げたか」と摩文仁はうなづいて、ニヤッと笑った。
「これからどうしますか」
「まずは炊き出しじゃ。兵たちに飯を食わせなければなるまい。そのあと、御庭で戦評定(いくさひょうじょう)じゃ」
 新垣按司が去ると、島尻大里ヌル(先代米須ヌル)と慶留ヌルが入って来た。
「慶留ヌル様にグスク内を案内してもらったのよ」と島尻大里ヌルは楽しそうに言った。
「先代が随分と改装したようで、かなり変わっていました。このお部屋もすっかり変わっています」と慶留ヌルは言った。
 部屋の中を見回してから、
「お父様が山南王になったなんて、今でも信じられないわ」と島尻大里ヌルは嬉しそうに笑った。
「これからが大変じゃ」と摩文仁は苦笑した。
 刀掛けに飾ってある刀を見て、
「まだあったのね」と慶留ヌルが言った。
「先々代の伯父(汪英紫)が中山王の察度からいただいた御神刀(ぐしんとう)です。この刀があれば、王様を守ってくれるでしょう」
 慶留ヌルから御神刀のいわれを聞いた摩文仁は、自分の刀と交換して、察度の御神刀を腰に差し、これで山南王の座も安泰じゃと自信を持った。


 総大将の波平大主からの知らせを聞いて、作戦がうまく行った事を知ると、李仲按司は満足そうにうなづいた。
 慶留ヌルのマレビト神が真壁按司だった事は李仲按司も知らなかったが、豊見グスクに敵の間者(かんじゃ)が紛れ込んでいる事は知っていた。儀式の最中の総攻撃は必ず、敵の知る所となろう。それを知った敵がどう出るかを予想して、夜になってから陣地に使者を送って、国吉(くにし)グスクと照屋(てぃら)グスクに密かに撤収させた。敵が夜明けに包囲陣を攻撃したら、その敵を包囲してグスク内に閉じ込めろと命じた。もし、攻めて来なかったら、包囲陣に戻って陣地造りを再開しろと言ったのだった。
 敵は予想通りに夜明けに攻めて来て、グスクに閉じ込められた。あとは長期戦を覚悟して、敵の兵糧(ひょうろう)が尽きるのを待つだけだった。敵を閉じ込めておけば、山南王として、ヤマトゥ(日本)の商人たちと取り引きができるし、来年になったら進貢船(しんくんしん)を送って、先代の死を知らせて、冊封使を迎える事もできるだろう。冊封使が来る前に、島尻大里グスクは攻め落とさなければならなかった。李仲グスクにいる若按司には動くなと言ってあった。
 王妃のトゥイに呼ばれて、李仲按司が王妃の部屋に行くと他魯毎と豊見グスクヌル、照屋大親(てぃらうふや)も来ていて、見慣れない鎧櫃(よろいびつ)が部屋の中央に置いてあった。
「うまくいったわね」とトゥイは笑って、
「島添大里按司(サハチ)からの贈り物よ」と李仲按司に書状を渡した。
 書状には、タブチとチヌムイが八重瀬(えーじ)グスクに戻って来たため、八重瀬按司(エータルー)はグスクを開城せずに戦い、最後は屋敷に火を付けて、屋敷もろとも炎上した。焼け跡から三つの遺体が並んで見つかり、タブチ、八重瀬按司、チヌムイのものと思われるので、三つの首を送る。確認してほしいと書いてあった。
「首を確認したのですか」と李仲按司はトゥイに聞いた。
「そなたが来るのを待っていたんじゃ」と照屋大親が言った。
 李仲按司はうなづいて、トゥイを見た。
 トゥイはお願いと言うようにうなづいた。
 李仲按司は鎧櫃の蓋を開けた。三つの首は布でくるまれて、塩の中に埋まっていた。塩をよけて布を開いてみると焼けただれて真っ黒な顔が現れた。髪の毛は焼け落ちて、目玉も焼け落ちたのか、ほとんど骸骨(がいこつ)同然で、誰なのかわからなかった。トゥイも覗いたが、ちらっと見ただけで目をそむけた。三つとも同じような骸骨で、どれが誰の首なのか、まったくわからなかった。
「昨日、八重瀬グスクが燃えたのは本当らしいわ」とトゥイが言った。
「魚売り(いゆうやー)のおかみさんが言っていたわ。そして、八重瀬按司が戦死したという噂が流れていたらしいわ。八重瀬按司が息子なのか父親なのかわからないけど、島添大里按司は二人とも戦死したって言いたいようね。本当だと思う?」
 李仲按司は首を傾げた。
「本当かどうかはわかりませんが、山南王を殺したチヌムイとタブチが八重瀬グスクで戦死した事にすれば、一応、けじめは付きます。喜屋武(きゃん)グスクに隠れているとすれば、テハが何とかしてくれるでしょう。敵討ちの事はテハに任せて、島尻大里グスクをなるべく速く、攻め落とす事です」
「来月になったらヤマトゥの商人たちがやって来ます。そろそろ、準備を始めた方がよろしいかと思います」と照屋大親が言った。
 トゥイはうなづいて、「糸満按司(いちまんあじ)と相談して、うまくやってね」と照屋大親に言った。
「この首はどうするのですか」と豊見グスクヌルがトゥイに聞いた。
「あなたに頼むわ。それで呼んだのよ」
「頼むって言われても、体と別れた頭だけを埋めたら祟(たた)るわ」
「三人に祟られたら恐ろしいわね。八重瀬グスクに返しましょう」
「それがいいわ」と豊見グスクヌルはうなづいた。


 首里(すい)の龍天閣(りゅうてぃんかく)では、サハチ(中山王世子、島添大里按司)、思紹(ししょう)(中山王)、マチルギ、馬天ヌルの四人が八重瀬グスクをどうするかを考えていた。与那原大親(ゆなばるうふや)のマタルーを八重瀬按司にする事はすんなりと決まった。マタルーの妻のマカミーは新(あら)グスク按司の姉なので、新グスク按司も納得するだろう。
 問題は誰に与那原グスクを任せるかだった。サハチはマサンルー(佐敷大親)を与那原大親にして、長男のシングルーを佐敷大親にすればいいと言ったが、十七歳のシングルーではまだ無理だと皆に反対された。
 マチルギはジルムイに任せようと言った。ジルムイは首里の十番組のサムレーで、マウシ(山田之子)とシラー(久良波之子)と一緒に楽しくやっているようだった。一緒にヤマトゥ旅をしてから三人は仲がよく、ジルムイだけを離してしまうのはうまくないような気がするとサハチは思っていた。
「具志頭(ぐしちゃん)グスクを開城したら、イハチは具志頭按司になるわ」とマチルギは言った。
「おい、そんな事、まだ決めていないぞ」とサハチはマチルギを見た。
「イハチの妻のチミーは具志頭按司の娘よ。チミーの母親のナカーがいるから、イハチでも按司は務まるわ」
「まあ、そうじゃな」と思紹はうなづいた。
「イハチが具志頭按司になって、チューマチがミーグスク大親なのに、兄のジルムイが首里のサムレーだなんておかしいわ」
「ジルムイは将来、サムレー大将になって、兄のサグルーを助けるって言って、サムレーになったんだ。ジルムイは苗代大親(なーしるうふや)のようになりたいと思っているんだよ。グスクを持たせたら、その夢を奪う事になってしまうぞ」とサハチはマチルギに言った。
「そうだったのか」と思紹が驚いた顔をした。
「ジルムイも考えているんじゃのう。サグルーが中山王になった時、ジルムイがサムレーの総大将か。うむ、それはいい考えじゃ」
「ジルムイ、マウシ、シラーの三人はサムレー大将になるために必死に修行を積んで頑張っています。今のまま見守った方がいいと思います」
 サハチはそう言ったが、マチルギは納得しかねているようだった。
「サグルーを与那原大親にして、その三人を与那原のサムレー大将にするというのはどうじゃ?」と思紹が言った。
「えっ!」とサハチもマチルギも馬天ヌルも驚いて思紹を見た。
「サグルーは島添大里の若按司ですよ」と馬天ヌルが言った。
「中山王の世子(せいし)はどこにいる?」
 思紹がそう言うとマチルギと馬天ヌルがサハチを見てから、顔を見合わせて笑った。
「確かに、世子は首里にはいないわね」と馬天ヌルが言って、「サグルーにその三人を付けるのも面白いかもね」と賛成した。
「でも、その三人にサムレー大将が務まるかしら」とマチルギが心配した。
「与那原にはヂャンサンフォン殿がいる。ヂャンサンフォン殿に鍛えてもらえばいい」
「そうですね」とマチルギが賛成して、サグルーが与那原大親になる事に決まった。
「サグルーが出て行って、イハチも出て行ったら、島添大里グスクの留守を守る者がいなくなるな」とサハチが言うと、
「マグルーがいるわ」とマチルギが言った。
「おっ、そうだった。南部一の美人(ちゅらー)のマウミを嫁に迎えるんだったな。サグルーの屋敷に入れよう」
 ウニタキ(三星大親)がやって来て、島尻大里グスクの状況を知らせた。
摩文仁大主が山南王になって、配下の按司たちは皆、島尻大里グスクに閉じ込められたのか」と思紹は喜んだ。
「これで、玻名グスクも米須グスクもわしらのものとなるのう」
「李仲按司の作戦ですかね」とサハチが言った。
「シタルーの軍師じゃったというからのう。摩文仁大主の裏の裏をかいたのじゃろう。さすがじゃのう」
 これで他魯毎の勝利だなとサハチたちは喜び合った。

 

 

 

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